グラードでの海バカンスを終え、後半最初の訪問地は、 アクイレイア
。
アクイレイアの歴史は古く、 紀元前181年にローマ共和国の植民都市として建設
され、
東北の要塞として重要視された都市は栄え、交易の上においても重要な役割を果たしたそう。
グラードの母と呼ばれるのは、458年、フン族のアッティラによって町が破壊された時に
市民が付近の潟湖に逃れ、グラードやヴェネツィアの町を築いたことから、
グラードはアクイレイアの娘、グラードはヴェネツィアの母
と呼ばれている。
グラードから車で10分ほど、グラードへ行く時にも見た大聖堂の鐘楼を目指す。
大きな町の地図。 大聖堂と遺跡地区が世界遺産
にもなっているアクイレイア、
古代ローマ時代の遺跡が点在するが、残念ながら何世紀にも渡って石材は持ち去られてしまったため、
古代ローマから発展した町の建造物はほとんど残ってないらしい・・・残念!
町の一番の見所は、やはりこの大聖堂。
中世においてもこの地域の中心地だったこの町の大司教は553年総大司教に昇格
し、総大司教の座所として建設されたそう。
今残ってる大聖堂は、1031年、総大司教のポッポーネ なんちゅう名前や・・・トスカーナ弁で巨乳やで
によって
もとの聖堂跡地に再建されたもの。
こういう鐘楼、ヴェネツィアと同じ!なんせ孫やもんね(笑)
大聖堂の前にあるのは、洗礼堂?大聖堂のファザードから廊下でつながってるなんて変わってる!
この 洗礼堂は、ナント5世紀
のもの!
この洗礼堂の部分から入ると、中には8角形の大きな洗礼盤と
おそらくここで発掘されたモザイクが壁にかけられていました。
鳥や木などの柄はとてもリアリティがあって、1500年も前のものとは思えないほど。
こういう柄があると、マニーノも興味を持つので助かります(笑)
そして、幾何学的な柄がいろいろあったけど、何か意味があるのかな?
そして大聖堂からつながる “異教徒の聖堂”
は、最近発掘がすすんだようでそこだけ有料でした。
せっかくだから入ったけど、あとで大聖堂に行く廊下からガラス張りで見えたのでちょっと損した気分に(爆)
ま、気分を変えて、中に入ります。
シンプルな作りだけど、やはり際立つのが 床のモザイク
。
普通ならまっすぐ祭壇に向かって歩くところでしょうが、ここは進入禁止!
脇の特設通路を行き、そこからモザイクを眺めます。
洗礼堂のものよりも、緻密で正確、完成度の高さにびっくり!
いろんな種類の鹿や馬、それから魚・・・この時代にも今と同じ生き物がいたんやなぁ ・・・て当たり前か?
今は少し内陸になってますが、当時のアクイレイアは海沿いにあった町だったそうなので
きっと漁もあって水揚げなんかもされてたんでしょうね。
この特設通路、床のモザイクが全部見えるように全て透明パネル!
なので、JOはビビって抱っこ抱っこ(笑)、マニーノはかなり嬉しそうでした。
後陣にあるフレスコ画は11世紀のもの。
どこの大きな教会も、建設自体が100年単位で長かったり、
再建されたり、いろんな時代が混ざってるから面白い。
それから外に出て鐘楼をよく見ると、なんか 登れるみたい!
モザイクでテンションが上がっていた私は、後先を考えずに上ろうよ~!と
意気込んでいったものの、まずは正午に鐘が鳴るからと言われて急ぎ足にならざるを得ず、
そして上る!と言ったのに気が変わったマニーノがぐずりだし (→ ダンナ抱っこ)
、
予想はしてたもののJOもそんなに上れるわけなく (→ 私抱っこ)
最後は腕がちぎれそう&足がパンパンになって泣きそうになりました・・・
で、上から見た景色もそれほど凄い!!ってもんでもなく(泣)
まぁ堪能するもなにも、鐘が動き出したので、これは耳元で鳴らされては困る!!とダッシュで下りへ!
ダッシュしたものの、割と近くで ゴ~ン!と鳴り始めた
のでJOは号泣、いやぁ、散々でした。
これで疲れ果ててしまった&時間的にもちょうどよかったので、ここで軽くランチ。
子供たちが限界かなぁと思いつつ、せっかくだから他の遺跡も周ろうと、再度出発。
まずは大聖堂裏、 川の港の遺跡
。
それから国道沿いにある、いかにも古代遺跡!の柱が並ぶところへ出て、
大聖堂とは反対側にあるローマ劇場跡を探すも・・・閉鎖?とにかく見つけられず
最後はJOはベビーカーで寝てしまったので、ささっとお墓(と思う)を見てアクイレイア観光終了!
次の目的地に向けて、車を走らせます・・・マニーノもJOも爆睡・・・やれやれ(苦笑)
町編 ~ Trieste・1日目
へ続く♪