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一度更新を放置し出したら、なんかあっという間に日が経ってしまいました・・・ 毎日忙しいってのもあるんですが、時間が少しできると美味しいもん食べたい一心 でお料理と、あまりに快適で ダイソン君 とお掃除 に精を出してしまうのです(笑)ちょうど1年前から今メインでやってる仕事で3カ月に1回は2週間の出張、それ以外にも日帰りで仕事というのが何回かあるのですが、いつもお世話になるマンマ。もちろん、この仕事のオファーを頂いた時からこういう事は分かっていたのでダンナとマンマにも相談したんやけど、“いい仕事なんだから受けなさい!その時は、子供達は私がみるから大丈夫。くみこもいい仕事してお給料もらって達成感とか自立感あるでしょう!私がそうだったから分かるのよ”とずっと兼業主婦だったマンマらしいお答え。そうして1年間、問題なく私も仕事に精を出せて来たのですが、長期出張の時は子供の世話だけじゃなく、ご飯も掃除もアイロンも・・・日帰りの時でも私がアイロン嫌いなの知ってて“どうせ子供たちがいない間は暇だから置いていきなさい!”そして本当にたんまり洗濯ものを置いていく遠慮のない嫁=私(爆)結婚した時、 “あなたは嫁というより娘だから” と言ってくれたけれどその時は正直言って、そんなん言うたかてやっぱりちゃうやろ~と思っていたし気を使わない (というか気をまわすのがヘタクソ ) な私なりに多少気を使って接してきたけれど、年々、マンマの私への言動が本当に娘と一緒なんやろな、と思うように感じられてきてダンナがいない時でも電話して長話したり、私がいても平気で着替え=セミヌード何回も見てます(爆)気を使う方がアカンやろ、とさえ思えてきた。こないだパドヴァ方面に日帰り出張があった。なんかパドヴァ方面って呪われてる のか、 2年前の別の仕事の時 と同じように行きではパドヴァ発の鈍行が運航中止だったり しかも今度は雪じゃなくて車両故障 帰りは帰りで、 その前の出張の帰りのパターン =遅延で自宅に帰れずマンマ宅泊その時も疲れ果てて生ハムのパニーノを頬ばる私に付き合っておしゃべりしてくれ翌朝5時半に起きた時はカフェラッテ入れてくれた ・・・ちょっとじ~ん・・・ まだまだ暗い駅のホームから自宅へ 自宅に帰って、ダンナがバトンタッチして出勤して、バタバタと子供たちを送り届けた後、“ちゃんと帰れた?今日はゆっくり休みなさいね”とマンマから電話まで ・・・さらにじ~ん・・・ いくら娘みたいにしてくれてると言っても、感謝の気持ちはちゃんと表さないと・・・“マンマ、いつもありがとね” といつも言うんだけど、“何言ってんのよ” とそっけなくあしらわれてる。本当に感謝してるって分かってもらえてるかな~、どうしたら分かってもらえるかな~と思いつつ、いつも Grazie しか言えない私・・・ 孫LOVE なマンマに、ノンナLOVEの息子たち ベイブレードもやりまっせ~ ↑ 来週、再来週も1日づつ、そして2月下旬から2週間またお世話になります!! ・・・ぽちっと応援よろしく★
2013.01.17
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もう3日も過ぎちゃってますが・・・明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします!今年はクリスマス~年末年始ともかなりのんびりな我が家ですが家族や友人たちとゆる~く楽しく過ごしました ちょうど1年前に熱く 語った 2012年の抱負 は、はっきり言って 4.だけがやや達成 更に継続! て感じですが1.~3.に関しては全くダメ 言い訳としては、まさに同日記にも書いた仕事が予想以上に忙しいから・・・ そういう意味では、仕事を通して3.もこの業界用語的には上達 が、それ以外の分野ではまだまだで、1月末に控えている美術関係の通訳準備、特にキリスト教関係の用語を覚えるのに難儀しています 1.の脱ペーパードライバーはかなり難しいと思いますが40代に突入 した今、一番気になるのは 健康 でもあるので、2.のスポーツ再開は休み明けからジョギングは無理でもウォーキング から開始、4.の食生活については引き続き、インスタントものを控えて自家製ものを増やし、GAS や 土曜朝にある地元の農家市 での買い物を大幅に増やしたいなぁ~。今年は私たち夫婦の節目の年・・・ 結婚10周年 昨年ほどの気合はなくとも、コツコツと日々を大事に過ごす年、そしていつものように、家族の笑顔 が絶えない年にしたいと思います ↑ オンナ磨きも忘れずに・・・ぽちっと応援よろしく★
2013.01.03
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と、もうほとんどタイトルで本音を吐露しちゃったようなもんですが(爆)ここで 新年の抱負 です。ここ5年は、いやぁ、まったりと 家族の健康と笑顔 という抱負だけだったのですがそれはきっと毎年一番大事な事で、それが今年も基礎中の基礎。そして、2012年、今年は、我が家族にとって “変化”の年 。マニーノは9月から小学校、なんとJOも幼稚園! (驚)それによって私も毎日の生活が一遍し、自分が時間が増える訳ですが、だからこそ、今年は具体的な目標を実現していきたいと思います。で、何をするのかと言うと・・・1.教習所で実地訓練に通い、イタリアで車の運転開始します あー、言っちゃった~ 何気にこれ、一番スゴイことかも。車の運転をする、ってこともそうやけど、慣れてくると世界もグンと広がるはず。とはいえ、まずは地元からね。フィレンツェ市内での運転は一生無理かも、やけど(爆)2.スポーツ再開します 振り返ると小学校から、日本の社会人時代も、そしてイタリアに来てからも欠かしたことがなかったスポーツ。マニーノを妊娠して男女混合バレーチームを退会してから、スポーツゼロ。ま、日々追いかけっこや抱っこなんかで鍛えてはいますけどこのたるんだ体をちょっとづつ鍛えたいので、JOを幼稚園に送ったその足で、地元の湖をジョギングすることから始める予定 3.イタリア語レベルアップ目指します これ近年ずっと思っていながら、全く行動に起こせなかったこと。これはイタリア語に限らないと思うけれど、ある一定のレベルに達すると意識しないとそれ以上のレベルアップはかなり難しいもの 今年は意識して 新聞を読む、ニュースを見る、分からない事は放っておかず調べる 、マニーノの宿題を一緒にやるのも有効かな。それプラス、日本語の読書もできれば。4.食生活を見直します 昨年は、特にダンナの体の調子が芳しくなかったように思う。それもあり、それが昨年、縁あってオーガニック料理研究家の方と知り合った時にいろいろショック を受けて、今年は思っていたことを実行します。昨年から序々にしているけど、極力既製品を買わない。添加物の入ってるものを減らす。ピッツァの生地、朝食用のビスケットやおやつのケーキなどのほか、今年は手打ちパスタも復活させたいし(これは子供と一緒にやりたい)、うどんも打ちたいし、パンも焼いてみたいなぁ。家計上、きっと全てをオーガニックでは無理かもしれないけれどイタリア生産もの、できれば地元の製品を買うように気を使いたい。とか言いつつ、4.以外は、時間的・物理的にもきっと9月以降しかできなさそうですが・・・実はこの2月から、通訳をさせて頂いていた方の新会社の一員となる予定です。とはいえ、今までの仕事は継続していくし、私のプライベートの事も理解いただいているし、会社は日本なので今まで通り家でメールやネット中心の仕事+必要があれば外出、という基本的なスタイルも変わらない。ただ、通訳以上の仕事も任せていただくことになるので、実際の忙しさ以上に精神的に忙しい気がします。それが家族の負担にならないように!・・・とまだ具体的には何も始まってないのにちょっとテンパってたりして(苦笑)ともあれ、この仕事を、会社を成功させたいというのも私個人的な目標。とはいえ、これはこの1年のことだけでなく、ながーーーいスパンの話・・・。今回は真面目に書いちゃいましたが、日々はヘラヘラ楽しく やっていきたいと思います。基本的に楽観的なのが、私の一番の強みですから!(笑)あと、目標ではないですが、今年は今まで以上に、 子供と、友達といっぱい遊びたい&いっぱい笑いたい です。 ↑ 6年のまったりライフからアクティブ&パワフルライフを目指します! ・・・ま、ぼちぼちいきます~・・・ぽちっと応援よろしく★
2012.01.04
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あ~クリスマス終わったと思ったらあっという間に大晦日!! 今日は快晴!!!今年は・・・言わずもがな、日本にとっては大変な年でした。思うことはいろいろあるけれど、いろいろありすぎてよく分からないというのが本音。でも自分は、自分が良かれと思うほうへしっかり向いていたいと思います。今日のこの空のように、いつも晴れやかな心で。この5年は、子供ができてからまーーったりと自宅で大晦日でしたが今年は友人宅でカウントダウンパーティです しかも和食の夕べ ~狂喜乱舞(笑)それぞれ一品持ち寄りで、私は今からスペアリブの煮物を作ります 日本はもう紅白歌合戦見て年越しそばかな?(懐かしい)皆さん、良いお年を!! ↑ 年越しレポートはまた新年に・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.12.31
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クリスマスで来週末も行くんやけど、今週末もノンナ宅へ・・・というのも義妹の彼(ノンナの村在住)の30才の秘密の誕生日パーティ があるのです!(こっちでは30とか40とか節目の誕生日は結構盛大に祝います)オフィシャルに 付き合って1年強、うちの息子たちの誕生日パーティにも来てくれ、すっかり家族の一員 ま、イタリアは結構そうですけどね。パーティは近所の町の公民館のような場所を借りて、全部自前で。義妹が発起人となって、彼側の家族(おじいちゃん&おばあちゃん、叔母さんなど多数)とうちら側の家族、友人ら総勢30名ほど・・・なのに、開始時間1時間前くらいに着くと、何人分やねん という料理の数々 私もトルタサラータを頼まれて3つ作ってもっていきましたよ~。TVにカラオケ、音響などもスタンバイ で、20時半頃・・・何も知らない彼がやってきました。・・・イタリア人らしくなく、ひじょーーーーに物静か&恥ずかしがり?な彼、ドアを開けて皆を見て ・・・ほぼ無反応(爆)ここで彼のいとこちゃんがハッピーバースデーの歌 を歌い、皆からおめでとう!と言われ、義妹からサプライズのパーティだと言われるまでは全くもって分からなかったようでそれがかなり笑えました。その後は、大量の食事をしばし楽しんだ後、プレゼントを順番に渡し終わるとBGMに Vivo Per Lei が流れ・・・ 彼の叔父さん朗読による彼のマンマからのメッセージ 。なんだか日本の結婚披露宴みたいやった(笑)“Amore della mamma...マンマの愛しい子よ、こんな風に言うとまだ赤ちゃんみたいだけどアナタももう30才。大事な大事なアナタのことを思うと、幸せだったり、心配だったり・・・”彼のお母さんは、もう感無量!といった感じで目がうるうる 一人の母として、私も思わずもらい泣き してしまったけれど、最初から最後まで、それはもう 愛 にあふれていて、なんだかイタリアらしいなぁと思った。結婚式の披露宴は別として(苦笑)、こんな風に、たくさんの人の前で日本人はやっぱり自分の身内に対して素直に愛情表現することはない、というかなんとなく敬遠するものだけれど、ところがどっこいイタリアは割と普通。どころか、平気でうちの息子は、うちの孫は世界一だとか言う・・・あ、うちの姑です(爆)彼女の場合、18才で彼を産んで、一人息子で、そして5年くらい前だったかな 家を出て別の男性のところへ行ったりして、それで息子はスペインに放浪したりしていろいろあったから、そんなこんなで格別なものがあったのかもしれないけど。私も正直、聞いていてなんかこっぱずかしい気分にもなったけどこうして愛情表現ができる親子関係はやっぱりいいな 、と思ったり。自分で自分の息子には、しかも30才の息子にはこんなことは絶対言えないと思うけど私なりの愛情表現はいつまでもできるようにしたいなぁ・・・と思ったのでした。ともあれ、誕生日おめでとう、ディエゴ! いつか私の義弟になるんかいな~?その後は、彼の叔父さんのカラオケ炸裂 でかなり面白かったんやけどそれ以上におかしかったのが・・・しばらく知らない人に囲まれてひっつき虫やったマニーノがカラオケが盛り上ってくると1人、皿とスプーンでリズムを打つマニーノ 音楽やリトミックが好きなのは知ってたけど、この場でこんなシーンが見られるとは(笑) ↑ マニーノが、JOが30才・・・まだ想像したくないなぁ・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.12.17
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夕方、マニーノを迎えに行って一緒に家に帰る途中、隣人のエレナが言った。"猫・・・死んじゃったよ”・・・猫?エレナが家で飼ってる猫も、野良だけどいつもエレナ宅にはりついてる猫も朝見たような・・・?と一瞬私が考えてると“ベルニ。先週、食べなくなって具合悪そうだから、うちで見てたんだけど、昨晩、ね”ベルニは、この長屋ができた直後から住み着いていた野良の1匹。当時の人が、皆でお金を出して去勢して、庭にくればエサをやったり、野良だけど長屋全体で飼っているような不思議な猫たちだった。私たちが越して来た2005年、前住人から“うちに一番懐いてるから”と聞いていた通りうちの庭に毎日のようにやってくるのがこのベルニと兄弟のプリンチペッサだった。(あとで分かったことだけど、 私はこの2匹を逆に覚えていて プリンチペッサがベルニ、ベルニは周りからパッリーノと呼ばれていた)私は猫 より犬 派だけど、ベルニがいつも擦り寄ってくる のでエサとお皿も買って、庭に出てはなぜるのが日課となり、マニーノが生まれてから翌年の秋に歩き出すようになってからは庭でベルニと遊ぶことも多く、それはそれはほほえましいものだった しかも、尻尾引っ張っても目をつこうと、やられ放題で何もしないし。だから、アルバムファイルを見ると、すぐに何枚も写真が見つかる。公式には野良だけど、我が家の日常にかかせないマスコットでもあった。マニーノの2才の誕生日 も一緒にお祝いしてくれたベルニ。そしてJOが生まれてからも・・・悪ガキが2人になってベルニへの災難も2倍になったけど、それでも庭にきて一緒に遊んでくれた。最後に見たのは2週間前くらい。夜、雨戸を閉める時にやってきたので、寒いからエサだけやって扉を閉めた。あの時、擦り寄ってきたのに、なぜてやらなかったのが悔やまれる。ごめんね、ベルニ。家にかえって来てから写真を見ていると、マニーノが横に来たので“知ってる?ベルニ死んだんやて。可愛かったのにな、寂しいな”とそれほど何も考えずに私が言うと、マニーノが“ほんま?”と言って泣き出した ちょっと私も動揺して、“お、お母さんも悲しいわ”とマニーノを抱っこして、もらい泣きしてしまった。もう5才だから いやまだ5才なのに 動物の死に悲しんで涙を流すとは思ってなかった。母が思う以上に、内面的に成長してるんやな、とベルニが発見させてくれたのでした。 ↑ 天国でティミとミャー吉(私が日本で飼っていた犬と猫)と遊んでね・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.11.21
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先週と今週、知り合いの紹介で、ホームステイを受け入れてくれるお宅 に伺ってきた。1つは チェントロで2食付 、もう1つは 住宅街で自炊 。両方ともいろんな国から学生やツーリストを受け入れいて、そのいろんなお話を聞いていると、 自分のホームステイ時代 を思い出してきた。もはや10年前・・・語学留学でフィレンツェに来た時の一番最初の滞在先は学校が紹介してくれたホームステイ だった。留学の最初の1ヶ月はまだ慣れないので、朝夕食の2食付 でシングルルーム。チェントロからバスでも行けるけど、歩いても駅まで20分程度。住宅街の大きなマンションの上のほうだったと思う。ちょうど私と入れ替わりだった日本人の男性がまだいて、いろいろ説明をしてくれた。その人は長期ここにいてシニョーラと仲良く、彼もマンマと呼んでいたので、私もシニョーラの名前を聞いてなかったか聞いたのによく分からなかったのか、結局、ずっとマンマと呼んでいた。マンマは未亡人で1人暮らし、シングルとダブルの2部屋を学生に貸していた。経験上からなのか、ゆっくりと丁寧に話してくれて、いつも笑顔 で優しく、でもちょっとおっちょこちょいのところもあって、初日に食べ物の好き嫌いを聞かれたので、グリンピースと答えたのに(しかも私は当時グリンピースをイタリア語で知らなかったので、日本人の彼に訳してもらったのに)滞在中2回も山盛りのグリンピースが出てきたり もしたけど私がイタリア語になれたいからとキッチンでTV を見せてもらっているとこれで部屋でも見れるでしょ、と小型のTVを部屋に置いてくれたりもした。よくお孫さんが遊びに来て、人懐っこい彼らと遊びながら勉強したなぁ・・・ 滞在が半分過ぎた頃、次の滞在先はどうしよう と学校に相談しようと思っていたらマンマから 自分の息子の家にシングルルームが空いているから行かない? と聞かれた。同年代の男性と2人 とちょっと迷ったが、マンマの家の近くだし、今までもずっと間貸ししていて、あまり家にいないという事も聞いて即決した。そして、引越しも息子のリッカルドが車で手伝ってくれて(ってもスーツケース1個やけど)小型のTVもそのまま私が使ってよいということで持ってきた。新しい部屋は前の部屋よりも更に広くて、レトロなラジオもあったので耳が慣れるように、いつもイタリアンPOPSオンリーのラジオをつけっ放しにしてたなぁ。穏やかなリッカルドは 自分の部屋だと思って何を使ってもよいよ 、と寛大だった。一瞬ケバケバしい格好をした彼女が来て、半同棲と分かった時はどうしよ と思ったけど彼女もめちゃめちゃいい人で、夕飯一緒に食べない?と誘ってくれたり、私がパンなどを買い忘れた時も彼らのをくれたり、宿題で分からない事があって、彼らに聞くとちゃんと教えてくれたし、この本ならくみこでも読めるんじゃない?と本を貸してくれたり、本当に居心地のよいステイ先だった だから、前の晩の食器が流しに山積みで私が食べる食器がない時 は洗ってあげたりしてもまぁお世話になってるからいいや、と思ったもんだけど、それに気づいた2人が“今晩は私たちが洗うからね!”と必死で謝ってくる姿が笑えたり もした。彼らは劇団をやっていて(リッカルドが演出家、彼女が企画)家で劇のリハーサルをやってたり、劇団の小道具に日本語を使うからと私も協力したり2回ほど彼らの劇にも招待してもらった・・・まだイタリア語がよく分からないのもあったけど劇としてもかなり変わっていて、一緒に行ったダンナ(当時彼)も難しいと言っていた(苦笑)そんな彼らもたまに新聞などでも紹介されているので、業界ではそれなりに有名なのかな リッカルドとはダンナと同棲することになって引っ越す時、マンマとは結婚する時にボンボニエーリ(祝い事の時に配るもの)を持ってったっきりだけど今はどうしてるんやろ~元気にしてんのかな~ 一緒に遊んだ孫のフィリッポとジョルジョももう16才と13才のはず・・・昔を思い出して、な~んだか、とても懐かしくなったのでした・・・。 ↑ 今の我が息子たちが、ちょうど10年前のフィリッポとジョルジョの年くらいです ・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.07.21
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先週金曜の晩にまたもや ダンナが発熱 し、週末のオルチャは急遽中止・・・ (2週間前に結婚したロベルトとアントネッラの結婚パーティ@オルチャがあったのに!)てなわけで、土曜は私とマニーノはフィレンツェの幼児教室に行き、パニーノも何も用意してなかったので、結局またマクドで ハッピーミール を買わされるハメとなりこんな嬉しそうな顔 されるとつい・・・でも多くとも月1回にしよう・・・ 家に帰ってからはダンナ以外で近所に買い物に出たり、ま、まったり過ごしたんだけどその翌朝・・・なーんか体がだるくて起きられない私。息子たちが先に起きて暴れてもフル無視状態で寝続け、最後はマニーノのベッドで寝ていたダンナが仕方なく起きて息子たちを下に連れてった。それからまだまだ寝続け・・・まだ起きないかとマニーノが来たのが10時。まだまだ寝たかったけど、しぶしぶ体を起こす・・・・・・いや、起きれない・・・体が異常に重い&骨の節々が痛い。やっとのことで下に降り、熱をはかると・・・なんと 38.6度!!もう覚えてないくらい、何年以来の発熱 今までも家族全員がダウンしてても、私は薬を飲みながら何とか持ちこたえてきたのに・・・という訳で、タキピリーナ(解熱剤)を飲んで、今度はソファーでぐったり眠りこける。昼過ぎになんとかヨーグルトを少し食べただけで、食欲もない。熱もいったんは37度台になったものの、夜にはまた 39度 まで上がる。再度、タキピリーナを飲んで18時にはベッドでまた寝る・・・ほんま、死んでました。幸い、汗をだっくだくにかいたからか、やっぱり 母は倒れてられん! って意識が働いたのか翌日は平熱で、体は痛い・だるい・臭い(爆)ものの、それなりに動けるように。母は倒れてられん!と思ったのは、ダンナは一般イタリア男よりは家事も出来る方だろうけど食事後の掃き掃除はしてないし、 何より洗濯物の干し方があまりにも下手 でしわしわの上にしわしわのところが1日たっても乾いてへんくらい、も~、なってない!!しゃーないから翌朝、私、干し直しましたよ てな感じで、動けるようになったというより、動かざるを得なくなったというか。それでもまだだるいし、力は出ないので、手伝ってはもらったけど、母は何日も倒れてられない、というのが本音。とはいえ、万を辞して、火曜日はマンマがヘルプに来てくれたので、なんとか完全復活 余談ですが・・・私がぶっ倒れた翌日、 良い子だったから! と息子たちにプレゼントを買ってきたダンナ。マニーノは、JOの誕生日会で気の効いたマンマからマニーノにも!ともらった Invizimals 、そしてJOのは山ほどあるのに、また同じようなミニカー・・・前も、うちに来るたびにキンダーとかちょっとしたプレンゼントを持ってくる姑に対してってことで書いたかもしれないけど、な~んか、腑に落ちない。マニーノなんて、もう1個ほしい!とすでに言ってるので、誕生日やな!と答えた私に対してダンナは、たまにはいいじゃないか、本当に賢かったんだから、2.8ユーロなんだし。・・・値段やないの!何でも買ってもらえるって思うのが嫌やの!実際、買ってもらったその日だけで、あとは片付けもせんと失くなっても何とも思えへんやん!と私が言っても、たまにやないか!と言い張るけど、たまには、はマンマに任せて さすがに姑には文句言ってないし親くらいそういうのセーブしようや・・・と思うんですけど、私が厳しすぎんの ・・・と言う私も何だかんだハッピーミール買っちゃってますけど(苦笑) ↑ そして姑もまた、ダンナが昨日買ったからいらんと言ったのに、 “それはそれ、これはこれ”みたいな事言ってまた買ってき勢いやった ・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.06.14
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10年前の5月25日。大きなスーツケースを持って、1人、ローマのフィウミチーノに降り立った。イタリアは3回目、でも今回はただの旅行じゃない。念願の留学、長期滞在。今から考えると何故に乗り換えてフィレンツェの空港まで行かなかったのか謎やけど、電車を乗り継いで何とかフィレンツェへ。夜も遅めだったし、地理感がないので、ホテルの住所をタクシードライバーに渡して何とかホテルにたどり着く・・・が、そこで見たのは、閉ざされたドアに“completo”の張り紙。しかし、意味が分からないので、はちきれそうなスーツケースを開けて辞書で調べる。意味は、“満室”・・・そんなはずはないっ!FAXで予約をし、日本からも勇気を出して確認の電話を入れたのに?心臓のバクバクをおさえながら、ドアを叩く。mi chiamo Kumiko, ho prenotato dal Giappone...を何度も何度も繰り返しながら・・・そんなことも、今では笑えるいい思い出。10年、早かったような、長かったような。もしもあの時・・・とか考えると、全てが偶然だったような、運命だったような。そして今、まだここにいる。辛くて泣いた日々、怒り狂って泣いた日々、嬉しくてたまらなかった日々、楽しくて笑いがとまらなかった日々・・・全てひっくるめて今の私がいる。憧れて来た国、住めば都とは絶ーーーー対言えない国(爆)だけど文句タレながらも、キレながらも、ストレスをためながらも、それでもやっぱり、どう生きるかは自分次第。だから、やっぱり楽しみたいと思う。11年目も、元気に頑張ろうっ! ↑ こないだ銀行でキレたばっかりですが(苦笑)・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.05.25
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ダンシング★マニーノ@サンタマリアノヴェッラ広場 今日は2ヶ月近くぶりにフィレンツェのチェントロにやってきました。聞いていた通り、観光客のすごい賑わいでびっくり 今日フィレンツェに来たのはマニーノをある場所に連れて行くのと(詳細はまた後日)もう1つ、友人であり仕事のコラボ相手でもある シルヴィアのB&B へ。というのも・・・東日本大震災から1ヶ月。こっちに帰ってきてから、ここでも何かしよう!と思っていたものの、町の人に言われる事、日本のTV、ネット、在伊日本人を中心としたチャリティーや募金・・・それに一喜一憂したり、何か神経質になっていて、行動する気を失なってしまった。あまりにも情報があふれていて、何が正しいのかよく分からなくなってしまった。いろいろ考えたけど、最終的には今回のことはイタリア人と日本人の国民性の違いを再認識し、(イタリア人が悪いとかじゃなく、日本人の素晴らしいところを再認識)自分はやっぱり日本人なんやなぁ って思った。情報はあふれていて、それに対する人の考えも評価もさまざまだけど、全世界の人全員が同じ考えなわけがないんだし、自分がいいと思うこと、信じられると思うものだけを信じればいいと思うようになった。こうして気分を切り替えて、やっと重い腰を上げてやる事を決めた。電話をくれた kumixさん 、背中を押してくれてありがとう!やった方がいいと思っている事を、やらないなんておかしい、私らしくないし、私はやっぱり、行動する人でありたいと思った・・・ので、とにかく、やることにした。本当はわが町でしようと思っていた募金活動だけど、町の人の反応が怖いというのが情けないけど1つの理由、でも冷静に考えても人口が少なく一度募金をしてくれたらそれで終わりのような気がして、仕事でコラボしている宿泊施設に募金箱を置いてもらえないか考えた。今、フィレンツェ&トスカーナは観光シーズンが始まり世界中から人が集まる。宿泊施設なら、絶えず人が入れ替わるので、募金してくれる人の全体数も増えるのでは ということで、お客さんが集まる部屋があって、オーナーが管理しやすい環境である場所、そしてオーナーが個人的にも親しいところに声をかけてみようと、ちょうど7月のお客さんの事でメール交換をしていた ステファーニア に相談してみた。内心、断られたら・・・ と不安もあったのだけど、彼女からの返事は“私は100%協力するよ。あなたの日本のためなら、何だってする”いつも冷静な彼女からの熱い返事で弾み がつき、あと候補にしていた2軒にもアポ、結局最初の候補にしていた3軒が3軒とも快諾 をしてくれた。そして、今日、1箱目を シルヴィアのB&B に設置。外国人客が多いので、イタリア語・英語で。英語訳は自力でやってみたけど、かな~り怪しかったので(爆)英語堪能なステファーニアに添削をお願いしたら、彼女の英語ネイティブな友人に回してくれて完成 ぼったくりでなく真剣な募金という事を分かってもらうためにも私の名前と明確な寄付先を明記、協力してくれた方に感謝の気持ちを&この募金の思い出にと他のチャリティーなどを参考にして、折鶴を添える。鶴は ミラノのこちらの方のデザイン を拝借しようと思ったのですが、印刷&切るのでも手間が多そうだし、家に300枚ほど色紙があったのでそれを使用。日本を抱きしめてる赤丸のデザインは、 こちらから 拝借しました。寄付先に決めたのは、数百人はいると言われる震災孤児に奨学金を送る あしなが育英会 に。ここに決めたのは・・・イタリアに帰る日の朝に見た、朝刊一面の記事。両親と妹が行方不明になった4才の女の子がお母さんに手紙を書いています:ままへ、いきているといいね、おげんきですか。1時間かけてそれを書き終えると、そのまま眠り込んでしまった女の子・・・いくつもの悲しい出来事、辛い現実がいくつもありますが、その中でも、どうしても頭から離れないこの記事。当然、この募金で困ってる方全員を助けられる訳はないので、それならば、今回の大震災では数百人いるという孤児になってしまった子供たちに、少しでも役に立てれば。世界中の人たちの優しい気持ちが、少しでも子供たちに届くように、そして、未来に希望を持てますように・・・ ↑ 時間がとれ次第、キアンティに行って来ます!・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.04.16
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4月1日に帰宅すると、庭にはたくさんのチューリップが咲いていました♪やっぱり何となく晴れないまま・・・イタリアへ帰ってきました。帰りのフライト はダンナもいたし、過ぎてみればまずまず、って感じでした。席もチェックインの時は壁が前の席は並んで3つ指定できなかったけど、係員の方が気を利かせてその席に座るはずだった方に席の交換をお願いしてくれ3つ並び席になり、そして席についてからは、イタリア人男性CAが“26列と27列の真ん中3席全部空いてますので、シートベルト着用サインが消えたら すぐに行かれたほうがいいですよ。子供さんも体を伸ばして寝られるでしょう?”と素晴らしい 情報をくれて、その通りに26列も3つ席をGET 離陸後すぐに寝たJOを横にして寝かせ、私たちも食事をゆったり、マニーノは行きと同じくやる事とお菓子(苦笑)を与えていれば良い子なのでダンナと協力しながらJOの面倒を見て、私は気になってた映画( Benvenuti al Sud )まで1本見ることができました。最後の4時間になってJO、続いてマニーノも爆睡 、JOは何回か途中で起きたけどちょうどその時はダンナがJOの横だったので私は2時間ほど仮眠でき、途中目が覚めた時、マニーノが床に落ちてそのまま寝ていたのを発見して仰 天しましたがそれほど疲れることなく最初の13時間のフライト終了 波乱はローマ空港で、まず飛行機から降りるのに急かされたせいで私がバッグを機内に忘れそれは30分ほどで届けられたものの、JOがベビーカーに乗らないとごねて乗り換えまでの長い道中、ずーーーーーーーーっと抱っこ バッボ抱っこは断固拒否・・・フィレンツェ行きの機内に座ってからも暴れられましたが疲れ果てて眠りに落ち、ほぼそのままダンナ実家まで爆睡 でした。まだちょっと時差ぼけがあって夜早く眠くなって朝早くに目が覚めますが、やっと荷物の解体&洗濯&アイロンも終わり、 明日からは皆平常モードです。何をしていても日本の事が頭にあって、時折どっぷり沈んでしまうのですが、そんな事してても何もならない!自分の生活は楽しく行こう!と気持ちを切り替えて・・・でも被災地のことはいつも忘れずに・・・我が家に帰ってくると、大丈夫だった?皆心配してたのよ、と近所の人が寄ってきてくれました。あの被害で幹線道路が数日で復旧するなんて信じられない!日本人を尊敬するよ!と、隣のエウロは日本を大絶賛 こっちのアブルッツォを見てみろよ・・・とも 明日は町に出ますが、町の人の大半が私が日本にいた事を知ってるので、この2日間以上に、きっと何人もの人に話しかけられると思います。しかしその一方、イタリアでは被災者の事よりも原発、そしてそれよりもリビア戦争などがメインですでにあの衝撃的な災害が忘れられている気がして少し悲しい・・・イタリアでは在住日本人の方を中心にチャリティーイベントや募金活動をたくさんしていてこうして遠く離れていても、いや離れているからこそ?日本人の団結力に感動しています。まさにタイムリーに、たった今、 パッフルちゃん からフィレンツェでのチャリティーイベント の案内がきました!当日は行けるか分からないけど、私も何かできる事を模索しています。イタリアから皆の思いが届きますように・・・ ↑ 今日は25度、今度は衣替えもしないと~!・・・ぽちっと応援よろしく★
2011.04.03
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東日本大地震で何か小さいことでも自分にできること。先ほど、マイミクさんの更新を見て、大事なことだと思ったので、こちらにも転載します。1人でも助かってと祈るしかない、頑張れ!と祈るしかない、これを転載すること、少しの額でも募金をすること・・・でも、多くの人ができることをすれば、少しでも良い方向へ動くことを願って。岩手出身のものです。 今回はみなさんに伝えたいことがあり、書かせていただきました。 ぜひ、読んでいただきたいです。 みなさんに、お願いがあります。 まずは、節電をお願いします。 切実にお願いします。 そして、1番お願いしたいのは、電話回線を用いた電話をぜひ控えていただきたいです。 わりと繋がるようにはなりましたが、まだ緊急に必要としている人がいます。 命からがら、残りわずかのバッテリーで、被災地から救助を求める電話を必死にしている人がいるかもしれません。 自分がかけようとしてる電話は、命に関わるモノか、少しだけ考えてください。 あなたの使った、たった1分の電話回線で助かる人がいるかもしれません。 誰かの安否を案ずる場合は、インターネットの安否確認のサービスを。 コレを見ている方は、最低限のインターネットが使えるはずです。 連絡手段は、電話やメールより、Twitterを始め、Skypeやmixi、facebook、Viberなどのネット回線の方が圧倒的に繋がりやすいです。 使える方は、ネット回線を有効に使ってください。 特にも東北は、高齢者が多いです。 インターネットにうとく、電話に頼るしかないお年寄りも多いんです。 その方々のためにも連絡手段を譲ってください。 私も実家と連絡を取りたいですが、向こうが停電中というコトもあり、バッテリーの残りも考え、メールで何通かやり取りしただけです。 電話は、全国が落ち着いたら、改めてしよう。と約束しました。 私の両親は、携帯電話は使えますが、携帯用充電器の存在や、車での充電など、私たちが当たり前のコトも知りません。 教えたところで、モノが手に入らないんです。 そんな人たちが電話をかけたい時に、繋がらないコトによるバッテリーの消耗を極力減らしたいんです。 だから、お願いします。 私たちの世代は、ネット回線をフル活用してください。 わからなければ、少し勉強してください。わかる人に聞いて下さい。 そして、大事なコトは、ネットに出回る情報を、きちんと判断してください。 デマも流れている現状です。 混乱せずに、判断してください。 誇張したり、事実が歪んでいるケースも多々あると思います。 情報化社会にいるからこそ、見分ける目を。 そして、日本人であるコトに 誇りを持ってね。 日本人は、本当にすごい民族だよ。 それから、日本に住む外国籍の方を含む、日本で暮らし、日本の心をもつすべての方々にも同じく敬意を。 また、異国の地で不安な思いをされている海外旅行者のみなさんにも。 外国語が出来なくてもぜひ声をかけてあげてください。 『Are you ok?』だけでもいい。 異国での戸惑いははかり知れません。 みんなで声かけあおうね。 一人で震えないように。 最後にもし届くなら。 マスコミの方々へ。 CMも挟まず、24時間休まずの、必死な報道ありがとうございます。 お疲れさまです。 しかし、もし声が届くなら。 どれだけ被害がひどいかや、被災者の様子だけではなく、避難した方々がどう動いて、どこに行けばいいかを。 これからのコトを教えてください。 地元でラジオにかじりつく人は、それをきっと求めています。 被災地の方々は、被災地のリアルを、マスコミよりも知っています。 帰宅難民の方々は、何よりも交通情報と避難場所を求めています。 被災状況の把握も大切です。 だけど、被災者に寄り添った報道を、今以上にしていただきたいです。 もちろん、心からの敬意を込めて。 ネットにはデマも流れます。 被災者はこれからどうすればいいか。 避難所の案内や、救援物資などの配給場所、行われているサービス、伝えていただきたいです。 そして被災地から離れて、被害が軽かった人たちには何が出来るか。 なにかしたくても、何をすればいいかわからずにいる人たちには、何が出来るか。 きっかけがあれば人は動きます。 スタート地点に誘導してください。 この震災のなか。 必死に休まず働いてくれている方々。 ありがとうございます。 感謝と敬意を込めて。 続く大きな余震。 地震酔いに気を付けてください。 読んでいただいて、ありがとうございました。 http://pg.dblog.jp/loglook.php?ID=311zishin&c_num=19583640&date=20110312&act=res
2011.03.15
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もーう、あ~っという間に 大晦日!! 信じられんクリスマス連休の後はダンナもカレンダー通りで出勤で、かつ雨 の4日間・・・母と2男児は家の中でじっと遊んで (母は耐えて・爆) おりました。さて、2009年。我が家の出来事といえば、なんといっても JOの誕生そして、 マニーノの幼稚園入園とまぁ、育児がメインの1年でした。毎日ドタバタ、大変だけど、母として一番幸せ な時期なのかも とも思います。・・・とはいえ、妊婦中安定期から8ヶ月までは バルセロナ旅行 にも行ったし、フィレンツェに出たり結構遊んだかも~ これからJOも大きくなって楽になるはず (と祈る) なので、来年はもっと外に出られるかな 母の顔以外、仕事の面では・・・最近ですが、1つの仕事をやめることになりました。1年近く頑張ってきたけど、結局担当者と価値観というか性格というかが合わず、やめる発端となった出来事があった時は数日そのことが頭から離れないくらい、久しぶりにかなり嫌な思いもしました。でもちょうど出産直後から始めて、以後好調なリサーチの仕事が舞い込み、忙しすぎて忘れることができ・・・この仕事、一般イタリア人への聞き込みやスーパーなどでの市場調査、ネット検索などが主で大半が家でできることだし、レポートを書くことによって失われつつある私の正しい日本語(爆)のブラッシュアップもでき時には内部レポートでなくちょっとした執筆であったり、リサーチから取材や翻訳に発展したりと、いろんなことを経験させて頂いてます。翻訳はイタリアの代理店からちょこちょことのほかに、2008年から始まった、日本の時計雑誌の連載翻訳が3ヶ月に1回。こちらはイレギュラーな私の仕事の中で唯一のレギュラーな仕事ですが、白黒2Pでありながら読者アンケートで面白かった記事の上位にいつもランクインするほど評判は上々だそうです。著名な時計ジャーナリストさんの記事は読んでて興味深くもあり翻訳は簡単でもないのだけどとてもやりがいもあり、今年も、いや続けられるだけ連載を続けて欲しい仕事です。通訳はいつも呼んでくださるクライアントさんがこっちに来ないのもありたった2回・・・でもこの 9月の仕事 で落ち込んだ気持ちを忘れずに、来るべき時に備えて何かしないと、というのが今後の課題。落ち込んだ時に日本から送ってもらう荷物もあったので購入した本 語学で身を立てるダンナという大黒柱がいてくれるので、“身を立てる”わけではないけれど自分の心のなかではその意気込みで仕事をしないと、と思わせてくれる本であり今すぐは育児の関係もあり無理だけど、JOが幼稚園にいく2年半後には一度イタリア語・日本語をゼロからやり直してみる機会を自分に与えようと奮い立たせてくれた本です ・・・それまで心が変わってなければ(爆)・・・って、来年の抱負を書くはずが、いきなり2年半後になってる 2010年は、今年と同じく家族健康で笑って暮らせるのが一番、そして今年よりはもうちょっと仕事ができて、遊べたらいいかな。今年もこのブログに遊びに来てくださった方、ありがとう そして・・・2010年もマニーノとJOをよろしく! ↑ 田舎町のくせに、また0時に爆竹で起こされるのか(泣)・・・ぽちっと応援よろしく★
2009.12.31
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出産まで 1週間 となった今週末、さすがに何も予定を入れてなかったんだけど・・・暇やな って事で、ちょうど今週末開催の フィレンツェの農業祭り・ルラリア に行ってきました。昨年はアリリンファミリーと初対面 、その前・フィレンツェ在住時にも1回行ったので今回3回目だけど、基本的に毎年同じです。それでも天気の良い日 に1日、特に子供と過ごすのにはぴったり マニーノも、 “動物見る~!” と朝から大張り切り 昨年とは違って、動物の名前も知ってるし鳴きまねもできるし、興味の度合いが違います。まずは、牧場系の動物から。どこの柵にもワラや枝を入れて食べさせようとしてました“これお母さん、子供・・・おっぱい飲んでる!” などと、やはり子供の動物に興味深々でチンタ・セネーゼの生まれたての赤ちゃんが超可愛かった 牧場系テントの横には、これも毎年恒例の Mukki のトラックが。なぜか今年はヨーグルトジェラートがなかったんだけどダンナはチョコソース、私はベリーソースで生クリームを頂きます♪もちろんマニーノも・・・カリカリ好きのマニーノにクッキーを全部食べられた 来年からはマニーノ用に1つ買わないとな それから今度は変り種鶏のコーナーへ。マニーノが離れなかったのは、金魚やハムスターなどを販売していた屋台。マニーノだけでなく、小さい子供で異常に賑わってました。赤い金魚を見ては pesce TOTO (PIMPAのキャラクター) 、ハムスターを見ては ハム太郎と、自分の知ってる動物が目の前にいてかなり 興奮してました。来年あたり、これは買って!飼いたい!とねだられる可能性も高し・・・ その後は、雑貨の屋台やヘビ・きのこなどの展示パビリオンを見て、広い芝生へ。この頃になると、暑さもあり、行きの車でも寝なかったマニーノも疲れてきました。最初は持ってきたボール でバッボと遊び、他に芝生にいた他の子供達とも触れ合っていましたが最後は皆で芝生にごろ~ん!気持ちよかった~ マニーノの眠気もダンナの肩車も限界だったので、その後、帰路につきました。 さて、この日は サルデニア旅行 の時に 初めて撮影してなかなか良かった ので白黒写真も撮影。完全に自己満足と親バカが続きますが、3人で最後のお出かけ記念です。 ・・・このマニーノとの日常も最後なんやなぁ と思う感慨深い です。いつもはバトル の日々でも、ここ数日は何だか妙にマニーノが愛しくて可愛くて 自分でも気持ち悪いほどべったり・アマアマです ・・・あ、でも1日1回は雷落としてる=甘くないがなでもそうするとマニーノもいつになく素直だったりして、やっぱりこっちの気持ちって子供にはちゃんと伝わるんやなぁとちょっと反省も。マニーノは、お腹にチュ~ してくれたり、“○○(次男の名前)と一緒に遊ぶ、生まれたら一緒に海に行く、日本に行く”“(小さい子用のおもちゃなどを)これ、○○にあげる”“(服やベビーカーを見て)これ、○○の、マニーノが押す、よしよしする”などと、頼もしいお兄ちゃんらしい態度と発言をしれくれますが実際生まれてみたら 嫉妬するかな 悲しい思いをするかな とちょっと不安です。でもそれも、きっと私達の様子によると思うので、いくら次男に手がかかっても同じように愛情を注いでケアしてあげるように頑張ります マニーノとだけの日々も本当にあと数日・・・この時間を大事にしたいと思います。 ↑ 親心もなかなか複雑です・・・ぽちっと応援よろしく★
2009.05.23
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私のことを実際に知ってる人はご存知でしょうが、どちらかといえばおしゃべりな方です。え?どちらかと言えばやなくって、思いっきりおしゃべりやろ!?ってツッコミはなしで それでも、イタリア留学に来た2001年はまだまだ言葉も分らず、しゃべれず、外国人のクラスメイトや巷のイタリア人のおしゃべりのシャワーに疲れ かなり 無口な時期 もありました。そんな時期から脱出したとはいえ、それから数年間ずっと思っていたことは、イタリア人、ほんま、よくもまぁ同じ事をしゃべるなぁ~、しゃべるネタがあるなぁ~ダンナの家族にしても、特にマンマ、同じネタを1時間のうちに何回も何回も繰り返す それに対して笑う ツッこむのも同じく何回も何回も・・・それでもかなりおかしそうに。・・・よく分らん・・・そして友人などに道端で会ったら、まぁ久しぶりだったりネタがたまっているのも分るけどしゃべるしゃべるしゃべるしゃべる・・・立ち話しなので、聞いているだけの私は 足が棒 。そして一番不明なのが、レストランなどに食事に行って別れる時など。レストランから出て、お互いの車に戻る前の挨拶で ・・・これが長い!!レストランで散々しゃべっておきながら何故別れる段階でまだまだ続く しかも立ち話しで が、冗談抜きで 1時間近く続く 時もあり・・・これは本当に苦痛で理解できなかった。今となってはイタリアンおしゃべりにも慣れ、私の語学レベルも上がったのもあり、子供ができて別れ際はさっくりチャオ~ と切り上げるのでそんなに気にはならなくなったけど。そして今。数ヶ月前、ダンナが私に聞いてきた: “最近、しゃべるチームはどう?”は 何ですかい、しゃべるチームって ・・・ここ数年前までは、私のこっちでの日本人の友人は数が少なく、それも割合落ち着いた人ばかりだった。とはいえ、 日本の私の家族&友人=コテコテ関西人の爆裂トーク には慣れているはずだけど、ま、それは関西人の特性であるし、久々の帰省だから積もる話しもあるだろう、ってな感じだったみたいで、ある意味“例外”と思っていたらしい。ところが、昨年からブログを通して知り合ったフィレンツェのお友達、これが皆さん、揃っておしゃべり・・・て事は、まぁダンナの言い分を認めるとしよう。が、ダンナが “日本人女性はおしゃべり” と決定的 に感じたのは 餃子パーティ から。パーティ終了後から、“な、何のネタがあるの?”ってなツッコミから始まり、それから同じメンバーと何か接触があるたんびに、よくしゃべる事あるなぁ~・・・・・・って、イタリア人かってどんだけしゃべんねん と反論しても、ダンナ曰く、イタリア人と日本人女性(私達)のしゃべりの質が違う、日本人女性の方が強烈だと仰せられる。何がどう違うねん て聞くと、“○▲◇×※○▲◇×※○▲◇×※~・・・” と訳分らん擬音を並べる・・・な、それって自分が日本語分れへんからそう思うだけちゃう と聞いても、イタリア語でしゃべっててもそれは同じだとぬかす・・・・・・皆さん、どう思います 確かに彼女たちはイタリア語も流暢なのでイタリア語でも日本語並にトーク炸裂なのでだけどやっぱり私は言葉が分らないから余計にそう思ってしまうのだと思う。実際、昔はイタリア人はしゃべりやなぁ~と思っていたのは特にイタリア語が分らなかった頃で今はそんな風に特には思わなくなった=それは言葉が分るから?それとも、私自身が実はイタリア人並に、いやダンナからするとそれ以上に (日本人女性特有の)おしゃべりだからなのか ちなみに、しゃべるチームメンバーですが・・・ダンナはサッカーにたとえてボンバーストライカーは、文句なしで shinomai 、マラドーナは Polidoro 、 司令塔は momo 、 私は脇を固め、キーパーは miyamaea 。現在、その他メンバーを選考中だとか・・・ちなみに、チームの名誉顧問はわが母らしいです(爆) ↑ ダンナよ、トークに参加できるくらい日本語頑張りたまえ ・・・ぽちっと応援よろしく★
2009.05.20
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本の中でよりも森の中で、君は何かを見つけるだろう どの先生も教えてくれないことを、木々や岩々は教えてくれるだろうとても素敵なフレーズだったので、ついついアップで撮影 してしまいました。Vivoにも一応 でもやっぱりほとんど閉まっている ツーリストインフォメーションがあるのですがそこに張ってあったポスターのうちの1つから、です。ポスター左と中央は、オルチャ渓谷で指定されている5つの市のうちの1つCastiglione d'Orcia のもの。 Vivo d'Orcia はここの郡部にあたるのですが、他に要塞にも上れる可愛い町・ Rocca d'Orcia や Campiglia d'Orcia があります。TOPのフレーズは、一番右のポスター、オルチャ渓谷の木々の写真のポスターより。私のプロフィールにも使っている糸杉の写真の中にこのフレーズがありました。周りを縁取るようにして樹齢100年以上ある大木の写真が10枚ありますがこのうち、なんと5枚が Vivo のもの。 写真左より:ブナ・樹齢170年、カエデ・樹齢270年、フユボダイジュ・樹齢300年、 クリ・樹齢200年、ニシウルシ科の木・樹齢200年というのも、Vivoはオルチャ渓谷というよりも アミアータ山の町 、という方が良いかも知れない。1700m少しある山の900mの位置にあり、ちょうどノンナの家から森に入る道がある。きっとこの森のどこかに、これらの木々があるのだろう。写真左は、インフォメーションのある公園とそこからの眺め。写真右が、ノンナ宅からすぐの森に入る道。もう少しマニーノが大きくなったら、森の中でお散歩や ポルチーニ狩り も再開したい。私は日本では都会に近いところに住んでいたので、初めてVivoに来た時、そして森に入った時はすごく新鮮で、まさに心が洗われる感じ がした。人間がどんどん近代化していっても、脈々と太古から続いている森の営み、新緑の輝き、紅葉、落ち葉、その時の山の匂い・・・マニーノにも、近い将来ぜひ、この森を体感してもらいたい。 Vivoほどではないにせよ、私たちが住むしがない町も自然がいっぱい。この冬くらいからちょーーーっとずつ準備されていた 何でまとめてやらんのやろ 湖の掲示板が完成したようで、小学生の女の子2人がマンマと見入っていた。実はわが町は カゼンティーノ国立公園の一部 でもあり、ビジターセンターなんかもある。写真左の看板が町と公園の紹介、右がこの湖の立体地図&案内。太陽光でうまく撮影できてないけど 点字もあるのも、なかなか素晴らしい そしてこの脇から湖の片面には5個ほどパネルボックスがあり、例えば、そのうちの1つがこの “素晴らしき水の循環”のパネルボックス。このボックスを開けると、表の説明が立体図で表されている。なんでもないようなこんな展示でも、こういう 自然の摂理 に小さい頃から触れていると今躍起に問いただされている環境問題にでも、すっと対応できるんじゃないかな うちではできる範囲でエコしているけど( 1 、 2 )、一般的にエコ意識が低い イタリア。こんなしがない町の小さな活動も大事な事なんだと思う。もう1つ自然の中で暮らせてよかったと思うこと。それはやっぱりマニーノのこと。少し前の日本のTVで見た信じられない 話・・・日本の子供が皆そうではないと思うけど、“日本の子供はボールを投げれない、けんけん飛びもできない”そんなこと、意識しなくてもいつの間にかできるものだと思ってたけど都会に生まれ、育ち、遊ぶのはTVゲームやDS、そして塾や習い事に追われ、“自然にできて当たり前”の事が、いつの間にかできない子がいっぱいいるようになったらしい・・・そこで紹介されていたとある家族。ここでは家庭教師を雇われていたのだが、それは国語算数などではなく、 体を使って遊ぶ相手としての家庭教師 体育大学のお兄ちゃんが、そこの息子さんとキャッチボール したり川で石投げをしたり。お母さんは目を輝かせて息子がお腹をすかせて帰ってくる、生き生きしてるなど言っていたけど、正直言って、私にはとっても悲しい事 としか思えない・・・この方の家庭のせいではないだろうけど、お父さんは平日は朝から晩まで休日も働き、小さい頃から受験戦争が始まり、小学生でスケジュール帳に習い事の予定を書き込み・・・このお兄ちゃんとの遊びも、習い事の1つ!!!・・・これって、めっちゃくちゃ怖かったんですけど はっきり言って異常やない 日本の隅から隅までがこんなんではないだろう (し、そう信じたい) けど、この番組を見終わった私は“イタリアに住んでてよかった・・・”と思いましたもん。ま、イタリアの育児や学校事情を全て知ってるわけではないので何とも言えないし、イタリアの方が、違う意味でもっと恐ろしかったりして 家族がどう生活するかどう子供を育てるかは、世界中のどこにいてもその家族の意思次第とは思いますけど、それっくらいショッキングでした。一方、ひたすら田舎生活を満喫しているマニーノは・・・・・・ちゅうかダンナ 平たい石を探しては水面をスキップさせて大喜び♪最近の流行は、めっぽう石投げ。飛距離はぐんぐん伸びていきます。届かないと怒って腕をふりかぶったままひたすら前進するので、いつか湖に落ちるでしょう 他にも鴨を追いかけたり、花の匂いを嗅いだり、上を見上げて“ちょうちょ~♪”と嬉しそうなマニーノを見ると、やっぱりここに暮らしてよかったなぁと思うのでした・・・ ↑ 田舎万歳!・・・ぽちっと応援よろしく♪
2008.08.24
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今日は久しぶりにマニーノと電車 に乗ってフィレンツェへ行った。ダンナ実家に着くなり、マニーノを置いて私はチェントロへ ダッシュ。13時で閉まる市役所へ、今月18日に控えた挙式の書類を提出に行くのだ。※日本から挙式に来られる方ので、私のではございません・・・誤解を招いてスミマセン 何とか10分前に着き、婚姻課の外国人担当事務所に入ると・・・あまり好きでない担当しかいなかった 案の定、 “これ、これ、これはダメよ~” とデカイ声で1人で勝手に盛り上がってる為 (ありがち)あの、何がダメなんでしょう!?って聞くと・・・ ○×△■!!!!!もう慣れたけど、 何故に落ち着いて要点を説明する事ができんのかな!?結局何が問題だったかと言うと、婚姻用件具備証明書(婚姻が可能な状態だという証明書)に国籍 が書いてないと言う・・・ “じゃあ、国籍を付け加える訂正をつければいいんですか?” と言うと、“日本は国籍を証明する書類もないし、書類にも書けないのよ”じゃあ、どないして、証明しろっちゅうねん!!・・・・ちゅうか・・・“パスポートのコピーがあるじゃないですか” ・・・これは決定的 と思ったのに “これは証明にならないわよ!” ・・・何ですと ここから彼女のまたデカイ声で1人で勝手に盛り上がりが始まるのだけど、彼女の言い分は・・そうなのよ、日本は国籍を書かないから、婚姻用件具備証明書の文章内に、新郎の証明書は、○○(新婦の名前):日本国籍、と、婚姻できる・・・と入れてもらい、お互いにそう書く事によって相互に相手の国籍を証明してもらうようにしてるのよ!・・・って、そんなのタダの便宜的(妥協的!?)なもんで、証明にも何にもならんがな!?ちゅうか、パ、パスポートの存在は一体何なんですかい!?と食い下がる私を、責任者の元に連れて行ってくれたのだが、冷静な責任者の答えも同じ・・・でも、何かやっぱりおかしくないかい 日本のパスポートがあっても二重国籍かもしれないしって言うけど、日本は二重国籍認めてないし、二重国籍だったとしても、日本の国籍は持ってる訳で・・・・・・ま、そう言った所で何も変わらないのは知ってるから、別に言わなかったけど。しかし、日本だけの書類上の問題を何で必要書類を問い合わせた時に言ってくれなかったのか それも納得いかん ・・・ってもまぁそんな気配りをイタリアに求めても仕方ないんですが・・・しかし、今までそんな事を言われた覚えがないけど、新しく必要な項目が変わったのか いや、他の日本人の書類には皆そうやって入ってるって言ってたから、たまたま今回証明書を発行した役所がそういう書き方をしなかったのか・・・不明。そんな事はさておき、問題は、2週間後の挙式に日本でやり直していると書類が間に合わない!いや、訂正したものを各市役所から発行し直してもらって、外務省でアポスティーユつけて、翻訳してもらうのは1日でもできるらしいのだけど、問題は、この翻訳に承認をつけるイタリア大使館がサミットの為、1ヶ月承認を出してくれないらしい。今回の書類も、“何でこんな遅くに持ってくるのよ!?”と文句言われたけど、これも大使館の承認待ちが3週間もあったから、つまりどれもこれも全部イタリアのせいなんじゃーー!!・・・と久々にこの不条理なイタリアに腹が立ちました 幸い、旅行の日程も変えずにローマの日本大使館で即日発行してもらえる事が分ったので挙式は何とかなりそうですが・・・ほ・・・余談ですが・・・この問題が発覚してすぐにネットポイントで先方にメールを打ち、ヘロヘロになってパニーニをがっついたのが2時半(泣)、やっと落ち着いて、本屋で夏のバカンス計画を立てようとガイド本のフロアに行くと・・・“すいません、今何時ですか?”と聞かれたので、携帯で時間を教えてあげたのだけど“君、日本人!?僕、日本大好きなんですよ、あ、申し遅れました、アンドレアですここで手を差し出されたので反射的に手を出しちゃったら チュッ ・・・て、手にキスされた!!オエーーー ひ、久しぶりすぎて、すぐに冷たくあしらえなかった自分を反省 ここでカチンと来たので、 “住んでるの?何してるの?何探してるの?” と聞かれ“結婚して子供もいて家族バカンス用の本見たいの” と先に進むも・・・ついて来る “ああ、君のダンナさんは幸せ者だ~君みたいな・・・”“そうね~ハイハイ” ・・・でもまだしつこくついて来て “あ、国内ガイドは左だよ~”“アンタ、ここで働いてんのっ!?” (訴えんぞ、コラ!!)・・・ここでやっと 逃げていった・・・はぁ。留学したての頃はよく声をかけられ (きっとイタリアに慣れてない無垢なオーラが出てたと思う) のに・・・私だけじゃなく、イタリアにはいっぱいいるんですよ、日本人に声をかけまくる決して格好よくない、だいたい中年以上のおっさんが!!! 今回は同年代やったけど!!ここ数年はめっきりなかったけど、まだこんな日本人女性オタク(?)がいるとは・・・こういう人って、片っ端から日本人女性に声をかけるので、特に留学したての方は気をつけて下さいね~★ ↑ ダンナに話したらキレてました、ははは・・・ぽちっと応援よろしく♪
2008.06.04
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日本の母から電話があった時・・・“あ、そや、アンタが置いていった古いデジカメ直ったで!”・・・へ 日本帰省直前に壊れたデジタルカメラ 。帰省して修理代がどれくらいかかるか聞いたら、落とした場合は交換部品によってピンキリでもし見積もりの為にに解体して、修理しない場合でも解体費用の2500円は返金できないって事と修理時間がGWはさんで私の帰国に間に合わないって事で日本で新しく買ったのに・・・私達がイタリアに帰ってから、のぶりん♪が動かなくなったレンズ部分をダメモトでいじくったら、ウィ~ン♪ と動いて元に収まり、電源入切しても普通の作動すると言う!!!私も強引に触ってみようかとも思いつつ、それで余計に潰れたらと思ってしなかったんだけど確かに、買うと決めてからダメモトでいじくってみればよかった・・・ ま、それはさておき、私が今回買ったデジカメは、 【在庫あり】【送料無料】[パナソニック]【LUMIX】FX55(有効画素810万/液晶3.0型/光学x3.6/デジ...イタリアにいる頃に、まず このサイト で性能・だいたいの値段比較。日本で修理の話をした電気屋で、買うかのように 店員さんとお話。以前のニコンでも特に不満はなかったんだけど、唯一気になっていたのは 手ブレ 。それなら パナソニックか富士フィルム が良いと言われたのだけど後者は違うタイプのメモリーカードだったので、この時点で パナソニックのLUMIX に決定 あとはネットにて上記サイトを中心に各モデルを比較し、 FX55 に決めて最安値 をこれまたネットで調べて、最終的に一番安かった所が義兄の仕事場と近かったので義兄にお願いして買ってもらった。新しいデジカメ は、というと。やはりたった2年でも進化してるのか、 画面が大きくて画質の美しいこと そして、以前のに比べれば 手ブレも断然少ない ように思う。だけど、前デジカメで気に入っていた 動画撮影中でのズームや一時停止・再録画が不可 。しかし、まだ取扱説明書をきっちり読んで使いこなせてる訳ではないので、これから研究、研究!このデジカメ使えたやん事件がジャブだとすると、 もう1つのはノックダウン級のショック イタリアに帰ってまもなく、ああ、次はあそこにも行きたいなぁなどと早速夢を膨らませながらダンナと話していた時。西日本最大のショッピングモール(できた当時)の伊丹のイオンモールにはゆっくりもう1回行きたいなぁ~、そや、いつ行ったっけ!?そうそう、運転免許証の更新の時やったよなぁ・・・あれ、昨年更新したと思ってたけど、確かマニーノはいなかったし、親に預けてもいないはずだし・・・ 運転免許証の次回更新年を勝手に勘違いしていた てっきり昨年したからあと2年あるわ~2年のうちには何とか行けるやろう、と思っていたのに昨年ではなく、その前の帰省の時なので、2005年。で、その時1年前倒し更新したので、次回更新は・・・・・・来年やないかぁーーー!!!念の為、日本の母に免許証を確認してもらったら、やっぱり “平成21年” =来年でした うちが金持ちなら、あ、来年も帰るしって感じなんだろうけど、次回帰省からはマニーノも2歳を超え大人と変わらないフライト代・・・来年は難しそうだから、マニーノが4歳でイタリアで1年保育園行ってから日本で編入?と何となく決めていた・・・そりゃ帰れるものなら毎年帰りたいけど、そうは財布が許さない 念の為に母に代理更新ができるか聞いてもらったけど、視力検査などもあるから無理。日本で運転する事はないだろうけど (元々ペーパーだったし) 、せっかくの大金と時間を使って取った免許、失効させるのはもったいなすぎる。唯一の希望はパスポートのように大使館経由で更新できるか?だけど・・・・・・でも、でも ・・・それなら何とか頑張って帰りたいっていうのも本音 。なかなか、複雑な気分です・・・※母に再度確認してもらったら、海外在住者に限り、 失効から3年以内+帰国後1ヶ月以内であれば 明石(兵庫県の場合)にて再発行手続きが可能との事でした~・・・ほ。 ↑ 家来年帰省の為に、どなたか私にお仕事下さい(笑)・・・ぽちっと応援よろしく♪
2008.05.22
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本やらDVDやら何やら、もう買いたい物がただでさえ、てんこ盛り盛りなのに・・・・・・デジカメが壊れました ・・・いや、正しくは “壊しました”?マニーノを撮影中、いきなし振り向いて襲ってこられて避けた時にスルッと手から滑り落ち、床に がっつーーーーーーーーん と。ほら、こっちの床って石ですから・・・そりゃあ、すごい衝撃で。問題は、レンズとズームで前後に動く部分が動かず、電源のボタンを押してもきゅるるるるる・・・と怪しい音が + 画面にはレンズエラー。でも設定などのところに合わすと画面はそれぞれの画面にはなるので、修理可能!?と、一抹の希望は少し持ってるんだけど、これも日本で電気屋さんに見てもらって1万円以上修理にかかるのなら、買った方が良いのかな、と。不幸中の幸いは、日本帰省直前だったこと。こっちだったら日本みたいな最新モデルもないし、あってもめちゃめちゃ高いもんね。・・・って事で、また買う物が増えちゃいました 今のデジカメでも大きな不満はなかったので修理できたら良いけど、買うのなら、フラッシュなしで撮る方が好き+対象が動く(=マニーノ)のでその時のブレを押さえられる性能が高いもが良いかな?皆さんのお勧めデジカメがあったら教えて下さい★ ↑ 出発まで1週間になりました!!!・・・ぽちっと応援よろしく♪
2008.04.02
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3月前半の通訳のお仕事の時。9月から定期的にお世話になっている輸入会社の社長と2日間メーカー訪問だったのだが2日目は社長の友人の会社の部下の女性の方も“勉強に”と一緒に来られる事になった。どちらの会社もファッション業界だし、そこにお勤めで海外出張もされる (バイヤーさん?)だけに、スタイル抜群でおっしゃれ~、すみずみにまで行き届いた美しさ にある意味ショックを受けた・・・私も同じ女なのに、こんなんでいいんか? 爆 昔から、女っけはなかった私。それでもOLの頃はかろうじて化粧も少ししてたし、女性雑誌も毎月何か買ってたし、お金に余裕もあったから、それなりにおしゃれなショップや百貨店で服や靴を買っていた。・・・たとえ、週末は山の中でサルのようにマウンテンバイクを乗り回してたとしても・・・留学してからは当然ながら、おしゃれや自分磨きにかける時間も資金もなく、結婚して田舎に引っ越して子供もいて、元々そんなに興味がないもんだから私のオンナ度は下がる一方 ・・・そんな事には前から気付いていたけど、そんなもん、それでいいと思っていた。が、もう一度自分を見つめなおしてみると・・・◎わが町にいる時 → もちろんノーメイク&部屋着で買い物も行っちゃう◎わが町以外でダンナや家族のみの時 → まだまだノーメイク&カジュアルな服装◎わが町以外で友人などに会う時 → 口紅をぺろっと塗る&カジュアルな服装◎結婚式や仕事の時 → ちょろっとファンデ+ぺろっと口紅&一応ちゃんとした服装・・・これは、問題あり ちなみに更に自虐しますと、化粧品を自分で買ったのは5年前の結婚式にまでさかのぼりそれ以外は、日本に帰った時に母や姉から余り物や試供品をもらっている・・・・・・こ、これは、問題あり 更に更に自虐しますと、美容院も半年に1回行くか行かないか・・・ぼさぼさになってきて、仕事が入ってきて初めてヤバイ!と思って駆け込む・・・・・・こ、これは、も、問題あり そんな私を知っていて、母は心配して日焼け止めクリームやスティック型の電気カミソリを何も言わなくても送ってくれちゃったりする・・・・・・・こ、これは、も、も、問題あり しかも、田舎だからっつったって、やはり部屋着でウロウロしてる人はナポリ人の貫禄あるシニョーラ(ってもマニーノと同じ年の娘がいるがママ友にはなれない)とサルデニア人のママ友、サレルノ人のママ友くらい・・・・・・て事は私は南イタリア系 なんじゃそれだって、わざわざ着替えるの面倒くさい・・・家でジーンズとかリラックスできんし・・・ ぶつぶつ ともあれ、これら私の日々を今更振り返ってみるくらい、ショックを受けたのでございます。そしてその日、メーカーでサンプルと現品の購入の為に商品選びをしている最中、彼女と私も、これいいですね~、あれもいいですね~、なんて言っていたら社長が“よし、今日はお2人に僕から1つづつバッグをプレンゼントしましょう!”えええ~そんなの、いいんですか!?と一応躊躇しながらも、仕事が終わって社長が“さ、お2人は選んでらっしゃい♪” と言ってくれたので、嬉々として2階のショールームへ。いくらオンナ度が な私でも、実は鞄は大好き それでも今日は特別だし、ずっと前から欲しいと思っていた仕事用の鞄を頂こう・・・せっかくだから、女性の方に “仕事用で、シンプルで機能的だけど少し上品めなもの” でオススメを聞いてみると・・・やはり、普通私ならきっと選ばないタイプの鞄を薦めて下さった。私なら、無難に黒とか茶色を選んでしまいそうだけど、薦めて下さったのは ワニ革で光沢 のあるベージュ 。それでもかっこいいなぁ・・・いや、私には似合わないかなぁ・・・と繰り返し考えた末、・・・思い切ってコレにしてしまいましたーーーー!!女性の方は、同じくワニ革の同じ色で大きな丸型のものをチョイス。何気にちょっとお揃い ちなみに、コレは3月頭の展示会で発表したばかりの 2008-9年モデル!イタリアでも日本でも、絶対流行る&けど長く使えるとの太鼓判 でした。 コレが似合う女性にならないと・・・むむむ・・・ そんな事があった頃、大学の競技スキークラブの同期だった友人から突然メール が。美容健康商品の販売会社に勤めている事は知っていたけど、このたび独立するらしい。で、イタリアからの輸入の現地担当として一緒に仕事してくれないか、と・・・・・・これは、イヤでもキレイに目覚めないとアカンやないか・・・ いや、これを機会にキレイになるで~ ホンマかい ↑ カバンは明日の面接でデビューさせる予定!・・・ぽちっと応援よろしく♪
2008.03.31
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バッボ(ダンナの父)は、“イタリア人”らしくない人。陽気で人懐っこくておしゃべりな、いかにもイタリアのマンマ!という姑と対照的だから余計そう思うのかもしれない。2001年に留学してすぐダンナと知り合ってダンナ家族に初めて会った時から正直な話、妊娠する時くらいまで、バッボと2人っきりになると何を話していいか分からない時もあった。いつも何か距離を置かれているような。何事にもきっちりしていて自尊心も高いように思う。それは、“フィオレンティーノ(フィレンツェ人)” の代表的形容詞で、まさにバッボは生粋のフィオレンティーノだった。私が出産する病院を決める時に、“うちの子は nato a Firenze (フィレンツェ生まれ)でないと!”と強く主張したのももちろんバッボ(結局一番近い隣町の病院で出産したけど)。クロスワードパズルと車が趣味で、バッボが初めて買った車・チンクエチェントでフランスなどあちこちを旅した事、小さい頃にはアルノ川で泳いでいた事、1966年のアルノ川氾濫の時は夜中にヴェッキオ橋まで見に行った事などの話を聞いていると、イタリアの、フィレンツェの古き良き時代のドキュメンタリーでも見ているようだった。定年してからも、近所に新聞を買いに行くだけでもネクタイを締めていたり、赤のズボンをさらっと履いたり、素足に上質の皮のスリッポンを合わせたりと常に粋でおしゃれだった。毎週水曜日の午後は、元同僚たちとレプッブリカ広場で待ち合わせしてチェントロを闊歩した。数字に強くて、ダンナの確定申告もいつもバッボに見てもらっていた。2003年にダンナ家族皆で日本を旅行した時は、マンマ・義妹と一緒に着物体験するはずだったのに土壇場になってキャンセルしたいと恥ずかしがった可愛い一面もあった。甘いものには目がなくて、ほっぺに生クリームをつけて子供のようにほうばる時もあった。 そんな意外な一面も見ながらも、まだまだ私とバッボの距離はまだま縮まってなかったと思う。しかし、私の妊娠が発覚してから何かが変わった気がする。いつも私の体を気遣ってくれ、そっと肩に手を回してくれていたり、きゅっとほっぺをつねってきたり、私の仕事の話を興味持っていろいろ聞いてくれたのもバッボだった。私の作る料理を美味しい美味しいと言ってたくさん食べてくれた。出産後、分娩室から私とマニーノが出てきた時も、マニーノをちらっと見ただけで私の所へやってきて “よくやった、よくやった!” と手を握ってくれたのもバッボだった。マニーノにとってもとても良いノンノで、小さい頃からノンノに抱かれるところっと寝たり、物心がつけばノンノをいつも指差して笑い、ノンノには一目を置いていて彼の前ではゴンタは一切しなかった。 昨年3月の胆石手術前の検査で“昔患った気管支炎か何かの名残でしょう”と言われていた肺の“影”。別の箇所に胆石が見つかった時の検査でも見つかった肺の影、今度の先生はこれが何かはっきり分かるまで胆石の手術はできないと、いくつもの検査を繰り返してやっと癌だと分かったのは7月。しかし、両肺にまたがり箇所的に手術は不可能・完治も不可能とすぐに診断され、進行を止める為の薬物治療が始まったのが8月。副作用で髪が抜けた以外はいたって元気で、今までと変わらない生活をしていたのに、治療の1ターム終了後の検査では進行は進んでおり、治療内容を変えたのが10月。そして11月末突然の吐血、精神的にパニック状態になる夜もあり、12月頭にあったローマでのダンナの日本語能力テストは今回見送る事に。その翌週、高熱が下がらず10日間の入院。クリスマス前に退院したものの、体の衰弱も激しく、自宅で酸素ボンベを伴いながら抗癌剤治療を続ける。“こんな姿は見られたくない”と、私達家族:マンマ、ダンナ、義妹、私、マニーノ以外の訪問は一切拒否。年末にはトイレ以外はベッドから降りなくなり、1月のフェスタが終わる頃には寝たきりに。昼間は覚醒作用のある痛み止めで落ち着いていたものの、夜は激しい痛みでパニックになる事もあった。 12日、私達が実家へ行く朝にマンマから早朝電話があった。私とマニーノは連れてこないで欲しいと。ダンナは見られるのが恥ずかしいだけだから気にするなと言ったけれど、私は“家族”から除外された疎外感に襲われ涙がこみあげてきた。“今見られたくないと言われたら、もう一生会えないかもしれない” とダンナにはその涙の訳を説明した。それももちろん嘘ではなかったけれど、“除外された” というショックのほうが何倍も強かった。ダンナが出発して5分もたたないうちに、“今から迎えに行くから、理由は後で説明する” と電話があった。急いで支度をして車に乗り込んだが、バッボがやっぱり来て欲しいと言った訳でなく買い物を頼む為にダンナの携帯に電話してきたマンマが “戻って2人とも連れて来なさい” と言っただけだった。だから、実家についても私は寝ている時にドアの隙間から様子を見ただけで、バッボが少しでも目が覚めている時は私は姿を見せず、マニーノはダンナに連れて行ってもらった。ダンナからは気にするな、何も問題ないからと何回も言われたけれど、絶対に行かなかった。夜9時すぎに家に帰る時はマンマからも “キスしてあげて” と言われたけれど、涙を隠しながら首を横に振った。表向きはバッボの意向を尊重した事になるのだけど、実際はただこの疎外感をぬぐえなかったから、私の姿を見てバッボがどう思うかが怖くて行けなかったのだ。 翌朝、5時半頃電話がなった。マンマから死の知らせだった。ほんの8時間前、どうして私はキスをしてあげられなかったのか・・・強い後悔の念に襲われた。本当に、本当に最後のお別れだったのに。 実家に着いて一通りの事が終わった後、バッボの遺書を皆で読んだ。バッボらしく、最後の最後まできっちりと、これからの事や自分の最期はこうして欲しいという希望がこと細かく書かれていた。自分の遺体を見られるのは、マンマ、ダンナ、義妹、そして最後に “se se la sente (もし彼女の気が向くなら)” と私の名前が書かれてあった。その時になってやっと、バッボは私を除外した訳でなく、私を気遣ってくれていた事に気がついた。その時の、申し訳なくて恥ずかしい気持ち、後悔の気持ち、感謝の気持ち・・・一言では決して表せないその気持ちは、2週間近く経つ今でも私の中によみがえってくる。時折、涙も出てしまう。それもこの日記で最後にしたいと思う。バッボはそれを望まないだろうから。 バッボ最後の衣装は、私達の結婚式用にフィレンツェいち老舗の洋品店で仕立てた服。敬虔なカトリックだったバッボの手にはミサで使っていた十字架と、家族で撮った2006年クリスマスの写真。教会に入りきれないほどのたくさんのたくさんの人に見送られて、今はバッボが生まれ生涯を過ごしたフィレンツェを見下ろす丘の上に眠っている。
2008.01.24
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年を重ねるごとに思いますが、ほんっとうに1年って早いですね。今年も、本当にあっという間に終わろうとしています。昨年後半から、今年もまるまる1年、何よりもマニーノの成長につきる我が家族でした。1年前の写真を見ると、本当に遠い過去のように思えます。 1年前は寝返りが出来たところが、今はもう走り回ってます ゴンタでもいい、でも健康でやさしい心を持つ子に育って欲しいと思います。いや、そう育つかどうかは母である私の努めですね(笑)出会った頃からずっとそうなのですが、ダンナの優しさに今年も助けられてきました。こんな私によく耐えてくれてありがとう(笑) 私は・・・何だかやらなくちゃいけない事・やりたい事もたくさんあるのに、育児を理由にさぼってしまったなぁ~ とここ数日いつも反省してます。とかいいながらネットはしっかりやってるんですけど、これは息抜きの為に必須って事で。決して良いマンマとは言えないけど、私なりに私らしい育児をこれからも頑張ります。仕事の面では、これもまずは支えてくれたダンナ・ダンナ家族に大感謝。私自身は、新しい事にも挑戦し凹んだ事もあったけれど、イタリアに来て6年ちょっと仕事っぽいことを始めて3年ちょっと、自分のやりたい方向性が見えてきて、亀の歩みながら成長できたと思っています。来年のお仕事も数件依頼が入ってきました・・・ありがたい事です。来年は更に磨きをかけて、依頼してくださった方に満足して頂けるよう頑張ります。ブログのお友達では、大阪でsanaeさんとひまわりさんに、トリノでtoscaさんに初対面、遠いのに2回も会えてしまったシエナさん、もはや常連のちっちょらさん、そして、息子同士が1日違い生まれというたけさん・男性ブログ友との初対面もありました。ネットの世界で知り合ったとはいえ、その人の文章から人となりはよく伝わるものです。皆さん、私が想像していた通りの素敵な方達でした。ネットに感謝です。来年はどなたにお会いできるか、今から楽しみです 今までお会いした方、まだお会いできてない方、またいつも読んでくださってる方、今年もこのブログに遊びに来て下さってありがとう&来年もよろしくです★2008年は・・・更に良き母・良き妻・良き仕事人・良き・・・ああ、欲張ると何もできなくなるので、この辺にしときます。ダンナとの今年の一大目標は、ズバリ2人目妊娠 出産はさすがに時間がない最後に、家族の中での今の心配事が、来年早いうちに良い方向に進む事を心から願います。皆さんも、良いお年をお迎え下さい♪ ↑ 今年ももうあと3時間ちょい!!・・・ぽちっと応援よろしく♪
2007.12.31
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昼ごはんの後、マニーノを膝に乗っけてゆらゆらと寝かしつけをしていたら・・・左手の感覚がなんとなくおかしい。何かがいつもと違う。で、見てみると ・・・ない!! ない!!! 何がないかって・・・結婚指輪!!!困惑しながらマニーノが寝た後に、家中を探してみた。ゆるかったから、何かの拍子にするりと抜け落ちたのだと思うのだけど、ソファーの下も、洗面やキッチンの排水溝にも、洗濯物のかごやゴミ箱にもない 今日なくしたのなら、出かけるのが遅かったからベビーカーなしで近場をマニーノとうろうろ。手をつないだり、放したりしてる間にそこから抜けたのかもしれない。しかし、いつからないのか、自分でもまったく持ってはっきりしない。頼むから出てきてーーーー!!ダンナが帰ってきたら、歯医者行きがてら外を探すけど、見つかるんだろうか!?実は、ダンナも1度なくした時がある。しかも、新婚旅行で、モーリシャス島の海にはしゃいで飛び込んだ瞬間、落とした~!!白い砂浜の海の中で絶対見つからないと思ってたのに、ホテルのビーチスタッフがもぐって捜索した末に奇跡的に出てきたのだけど、私のも奇跡的に出てきてくれるのだろうか!?頼むから出てきてーーーー!!はぁ、悲しい・・・
2007.10.12
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毎朝ご飯と身支度を済ませると、12時くらいまで町の中心にあるPiazzetta=小広場に行く。9月前半までは、一番仲の良いママ友&マニーノの婚約者・フランチェスカと湖が定番だったけど(彼女らは犬 の散歩も兼ねているので小広場には立ち止まらず、湖へ行く)マリアが仕事復帰&フランチェスカが保育園に行くようになり、外の少し大きめの子供が集まるこの小広場に行くようになった。とはいえ、彼らも湖に来た時は一緒に遊んだり、道で挨拶もずっとしてるので、“公園デビュー”ならぬ“広場デビュー”というほどでもなく、すんなり入っていけたし、皆マニーノより少し大きいけど、頑張って入っていって一緒に遊んでる(つもり)のマニーノが実に微笑ましい 。やはりほとんどのマンマは働いているので、じいちゃん・ばあちゃん・ベビーシッターが中心だけど、皆で皆の子供の面倒をみて、いけない事をしたら、他人の子でもちゃんと叱ってくれるのでこういう所で小さいときからもまれて社会性を学んでいけてとても良いと思う。一方、このじいちゃん・ばあちゃん・ベビーシッターさんと私は、日本でもそうだし、ダンナの友人などでもそうだけど、リラックスしてしゃべれる人と、しゃべれない人がいる。というか、あるおばあちゃんとベビーシッターは、いわゆる“キョーレツ”系で(イタリア在住の人はよく分かると思うけど、声がでかく、人の話に割り込み、自己主張が強いお方々)必要があればしゃべるけれど、私には興味も何もないというのが前面に出てるので私も彼女らだけの時は小広場に寄らないし、私から特にしゃべることもない。マニーノが遊んでる時は、他の気の合うじいちゃん・ばあちゃんとおしゃべりをしているんだけどこの気の合わない2人の会話が耳に入って、思わず聞き入ってしまった。“そうよ、あのアルバニア人!彼女がちゃんとイタリア語教えないからよ!”先日から始まった幼稚園に孫を送っていった別のおばあちゃんがこの小広場に立ち寄って、アルバニア人のリッカルドが号泣 していたという話をした時の、ベビーシッターの発言。彼女曰く、リッカルドのマンマ・リリアーナがイタリア語を教えない= 他の子供とコミュニケーションがとれない= 号泣だと言いたいらしい。すると、私と気の合わないおばあちゃんが“そうよ、あのオランダ人もそう!いっつもオランダ語ばっかしゃべってるのよ!”と、 私がマニーノに日本語でしゃべっている真横で言い出した。それ、私に対しても何か言いたいんか!?と嫌でも思ってしまう。ちょっとした言い方だとは思うけど、“あの○○人”という言い方もなんだか見下しているようで気に食わない。(Quella albaneseじゃなくって、Quella mamma/ragazza albaneseだと少し違うと思うんだけど)そういやこの人、前も“あのスペイン人、子供と犬一緒に連れてるなんて信じられない!”とも言っていた。マリアの飼い犬はすごく教育できていて、誰にも迷惑かけたこともないのに。きっと私のことも“あの日本人!”どころか国籍も分からなくて“あの中国人!”とか言ってるのだろう。彼女らの陰口(ま、声がでかいから陰口ではないけど)を聞いていると、彼女らの意見は、イタリアに住んでるんだから、イタリア語を家でもしっかり教えろ と言う事らしいのだけどじゃあ、イタリアに住みながら両方・あるいは片方の外国人親の母国語はいつ誰がどんな風に教えんの?イタリア語は住んでいる限り、少なくとも幼稚園に行くようになれば嫌でも自然に覚えるし、まずそんな事はその子の家族が決める事であって、他人が、ましてや自分の身内に外国へ移住した人がいない、外国に住んだ事もない人が公共の場で偉そうに大声でしゃべりまくることではないと思う。オランダ人マンマは郡部に住んでいて私は会ったこともないし、旦那さんが何人かも知らないけど、リリアーナは一緒にお茶したり立ち話をするけれど、イタリア語がつたないなりに一生懸命で、他のイタリア人とも積極的にコミュニケーションもとっていて、いつも一緒の息子・リッカルドも社交的でこの田舎町にもすっかり溶け込んでいるのに、別に他のイタリア人の子供とコミュニケーションがとれなくて号泣したわけじゃないと思う。実際、他のイタリア人の子だって、幼稚園の初日、マンマとの別れ際に多くの子が泣いてるし。私も他のマンマと同じく、マニーノには生まれてからずっと日本語(関西弁)で接している。99%はイタリアに住むのは間違いないけど、マニーノは私=日本人とダンナ=イタリア人の子、両方の言葉・文化・アイデンティティを学ぶ権利があるし、それを教えるのは親の私達の義務でもあると思う。実際はそんな堅苦しい事ではないけれどそれにやっぱり、私とはもちろん、私の家族と日本語でコミュニケーションをとって欲しいし、フィレンツェの日本語補講学校にも通わせてあげたいし、将来機会があれば、こっちの学校が終わった時に日本の学校へ一時転入もさせてみたい。それに、外国語を大きくなってから学ぶ大変さ、時間とお金がどれだけかかるかも私は痛いほど知っている。今日本語をやろうとしているダンナも同じ。しかも日本語なんて学校では絶対習わないし、ちゃんと話せるイタリア人もごくわずかだしそして、外国語ができることが将来、他の世界を知ったり、新しい人間関係を作ったり、仕事を見つけたり、とても大きな力になる事は、私ならずとも誰もが想像できるだろう。ただ他の外国人で母国語で子供と接している人の経験談では、実際、幼稚園へ行くまではマンマと一緒=外国語で接している時間が多いため、イタリア語の発育が遅く幼稚園で他の子のイタリア語レベルと差が出る事がある、とよく聞く。それでも、ほとんどの子が時間が経つにつれあっという間にイタリア語を率先して習得し、立場は逆転、外国語の方はマンマ専用どころか、継続させるのも難しくなると言う。それならばやはり今のうちから確実に基礎を作っておかないと・・・と私はガンガン関西弁で話しているのだけど、それは親のエゴなんだろうか??日本語がしゃべるようになって、将来私に感謝して欲しいなどとは思わない。でも、イタリアに住んで普段私以外とはイタリア語でイタリア人並に会話するようになっても、私とは日本語をしゃべって欲しい、日本に興味を持って欲しい、日本に行くのを楽しみにして欲しい・・・ というのが今の正直な私の願いである。だから、外国人親がどんな思いでイタリアに住み、どんな思いで我が子に母国語で話しかけてるかなんて分かりもしない、いや興味もない無知なおばちゃんたちは無視することにしよう。 ↑ 外国に住む日本人の親御さんたちもきっと同じ思いですよね!?・・・ぽちっと応援よろしく♪
2007.09.26
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元々この1年?ほど本編HPを表紙ページと日記以外ほとんど更新してなかったんですが・・・新しいデジカメへのソフトを入れてごちゃごちゃしてる時・・・ファイルが壊れました 最初は、画像を入れてるところが全部×印が出てて、時間をおいて更に開けると数箇所に全然違う写真にすりかわってて、変更しても、これまた全然違う別の写真が出てくる。それも更に時間を置くとちゃんと変更できたのに、上書き保存ができないというエラーがでる。でも、もう1回あけると保存できてるのに、更新ができない・・・う~~~~む・・・・・・本編のHPはHP作成ソフトを使っていて、どうやら違うファイルでは問題ないのでこのファイルだけが問題あるので、作り直せばいいのかもしれないけれど・・・しかも、かなーーーり前から変えたいと思いつつ、ずっとやってなかったし。前からプライベートの内容をこの楽天のフリーぺージに移して、仕事関係のサイトとして作りなおそうという案はありつつも、もう出産近くてそれどころじゃないし・・・そして何よりも問題は・・・新しくすると、更新するのにネット接続の時間がめっちゃかかるやん!!そう、我が家はまだダイヤルアップ接続。つなげばつなぐほどお金がかかります。え?あの、ダイヤル接続でも使い放題サービスに申し込んだのでは!?って!?そう、あれだけ苦労して、原因を調べて技術者から電話させるってとこまでこぎつけたのに・・・で、実際2日後に電話がかかってきて(これは奇跡に近いけど)、もう1回内容を確認して2日以内に電話しますって言われたのに・・・・・・全然かかってこないし!!!かつ・・・4月分の請求書に、思いっきり請求きてるし!!請求がくるまでは、電話するのもアホらしいので、もういいや、ほっとこ・・・って言ってたけど、こんなアホな話はないので、また電話するも・・・皆さん、もうお分かりでしょうが、またたらい回しにされ、出る人ごとに違う事を言われ、最終的には、4月分の請求も口座引き落としになってるので、払い戻しはできないと・・・そんなアホな話あるかい!ってのが日本の常識でしょうが・・・日本の常識はイタリアの非常識イタリアの常識は日本の非常識ですから 完全にあきらめの境地です結局、時間とお金と我慢を費やして、損した だけ。もうストレスもたまるので、解約だけして、考えないことにしました ただ、5・6月分の請求に入ってこないのを祈るばかり・・・はぁ・・・早くASDLがきてくれて、テレコムと縁切りたい・・・まぁ他の電話会社もいろいろあるけどねぇ ↑ これを全部解決する時間と知識とADSLが欲しい・・・ぽちっと応援よろしく★
2006.06.21
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本日、ダンナ手術を受けてきました。・・・っても、この日記でも1年以上前から取り立たされてきた手の甲の脂肪をとる手術です。(詳しくは、その1、その2、その3)最初のレントゲンから・・・なんと・・・1年3ヶ月経過!!ふぅ~・・・今週の頭に血液検査と再レントゲンを撮り、昨日は麻酔を打つ右脇と、右手~肘下までの毛を剃ってあげ(人の脇毛剃るのなんて初めて!! )、本日朝6時半には出て行きました。というのも、帰りはダンナ運転できないし、駅から歩いていけるところではないのでダンナ両親に来てもらい、彼らが付き添うので、私は皆のランチの準備をして自宅待機。簡単な手術だって誰からも聞いていたけど、晩は何だか心配で悪夢を見ては何回も起きてぐうすか寝てるダンナをじーーーっと見つめたりしてあまり眠れなかったら・・・6時半にダンナを送り出してベッドに戻ったら、11時半まで寝てた や、やばい・・・もう帰ってきてまう・・・ 手術やっちゅうのに、帰ってきて爆睡の妻を見たらダンナもさぞ傷ついたやろう・・・ホ・・・すると、タイムリーに電話が!やっぱ、もう帰ってくるんや!!と思ったら、今手術終わったばっかりだけど、麻酔がキツイので軽く食べて寝てから午後帰る、てな事だった。ホ・・・これでカフェラッテを飲みながら慌てて準備してたランチは晩にスライドでOK・・・じゃなくって(爆)、弱弱しいながらも、ダンナの声を聞いてまずは一安心。まところが、また5時頃電話。術後の電話よりはっきりした声で安心したけど、手術した担当医がチェックして帰宅できるはずなのに、まだ来ないって。おいおい・・・それから待つも・・・待つも・・・7時半にもう1度電話があり、やっと検診が終わって帰れるとのこと!わ~い 両親に付き添われて帰って来たダンナを見て、ギブスが痛々しかったけど、心からホ・・・それから朝から今までの経緯を聞き、これからのスケジュール:23日にギブスをとって抜糸、29日まで自宅療養の医者の証明書を出してもらえたとの事。 週末は、何もしてなくても疲れ果てた私も、もちろん手術後のダンナも、ゆ~っくりお休み。自宅療養なので外に出られる時間帯が限られてるんだけど、新聞を買いに2人で外へ出たら・・・右手ギブスの夫+ほぼ臨月の妻 に、住民からの哀れみの視線が集中 なじみの新聞屋さんやスーパーのおっちゃんにも、どうしたん!?って聞かれるし。家に帰ってからも、ダンナは左手1本ながら、妊婦の私を気遣って手伝おうとするしかと言って、こんな状態で着替えもままならず、お風呂なんてもってのほか!のダンナ・・・バスタブでは私がお腹をかばいながらも、体を洗ってあげる。背中を流す時は、 殿、お背中流しましょうね 頭を洗う時は、 おきゃくさまぁ~かゆいところはございませんかぁ~ などと、私も楽しんでるけど(爆)しかし、今やってもらってよかった!7月に入ってたら、産まれたての我が子も抱けなかったもんね!こんな調子で2週間、何とか2人で頑張ります。 ↑ 頑張れ、片手ダンナと臨月妻! ぽちっと応援よろしく★
2006.06.09
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おとといの5月31日、3週間の滞在を終え両親が帰国しました。ギリギリまでは今まで通りにアホなことを言ってたし、私も彼らの帰国後も最後のひと仕事&その後はもう出産に向けて・・・で心身ともに忙しくなるから、結構平気かも?とは思っていたけど、やっぱり無理でした どちらともなく目が潤むと、特に私と母はどんどん涙があふれてきて言葉もつまるほど。(ダンナものぶりん♪も泣いてたけどね)何とかダンナとはバッチョ、私とは握手して両親は歩き出し、税関を超えるとこまで見送った後、これまで以上に号泣して止まらなくなってしまった私。というのも・・・妊娠生活はいたって順調でも、ここ数週間でお腹も大きくなって疲れやすくもなり胎動も激しくて寝不足、更に出産準備講座でリアルな映像や具体的な話を聞いていると覚悟はできているつもりでも、何となく不安で落ち着かない・・・そんな時に、観光だけでなく家で久しぶりに両親に甘えて日常生活をしてしまったからだと思う。私が泣いてる間ダンナが抱きしめててくれたんやけど・・・ダンナもひっくひっく言い出した(爆)“あ~僕達はもっと強くならんとアカンよ~”・・・確かに。今度は私達が“親”になるのに!と30分ほどしてやっと泣きやむことができました。その後、泣いて疲れたからか?空港バスでは爆睡、帰りの電車までの時間、こないだお会いして、結構大金のお釣りを渡し忘れていた、ぽよよんさん家族とお茶。今回は息子のごんた君も~♪フィレンツェには夜遅く着いたのでダンナ実家に宿泊し、翌日夕方に家に帰って来て無事到着のメールが着いているはずが・・・メールなし。ちゃんと着いてる??のメールを入れて、翌日の今日は祝日(共和国記念日)の為、家でゆっくり。とはいえ私は胎動で9時前には起きたので、メールチェックするも・・・まだ何もなし!!さすがに11時半頃にダンナを起こして、おっそーい朝食を食べてても電話もかかってこないのでさすがに心配にもなってこちらからかけると・・・“え?くみこ!?何かあったん!?”・・・それは、私のセリフです!!!のぶりん♪が帰国日の晩に私にメール入れたけどちゃんと送れていなかった私のメールも、のぶりん♪だけが見て“くみこらも無事家に着いたらしいで”と言っただけやったらしいけど、頼むで、のぶりーーーん!しかし、そのメールはどこへ送ったんや!?::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::今日は、関連があるので、toscaさんから頂いた“なんとかバトン”をやってみます★(makoさんのバトン、もうちょっと待ってね~)◆最初に回す人3人 共通のブログお友達には皆さん回ってるみたい・・・バトンとかやってるの見たことないけど、この2人に! ぴっこらイタリアの、Ikukitoさん ireland islandの、くりりんさん◆お名前は? くみこ◆おいくつですか? ゾロ目の(?)33歳♪◆ご職業は? 自分の好きな&納得いく仕事だけフリーでさせて頂いてるので・・・半兼業主婦?◆ご趣味は? 旅行、スポーツ(するのも見るのも)、最近は料理って言っても誰からも怒られない?(ちと不安) これからは、庭作り&家庭菜園も入る予定♪◆好きな異性のタイプは? 誠実な人、懐の大きい人◆特技は? 安くていいものを見つける・・・て思いっきり関西すぎ!? あとは段取りかな?時間がなくても何とかしてました!(今はイタリアンモードなのでちと不安) 過去、似顔絵・物まね(学校・職場で、先生や上司のを書いて&やって結構ウケてました) ・・・久々にダンナの顔をちょっと書いて見せたら、びっくりしてた。◆資格何か持ってますか? 転職の時に自分の興味ある中で何か!と思い、色彩検定2級&インテリアコーディネイター。 運転免許・・・イタリアのにも書き換えたけど、全くのペーパーです ◆悩みが何かありますか? 幸せなことに、悩みらしい悩みはありません ◆お好きな食べ物と嫌いな食べ物は? 好き:エビ、アンティチョーク、ポルチーニ、パスタ全般・・・日本食全般! 嫌い:食べれないほどではないけど、グリーンピースとカリフラワー◆バトンを回してくれた人の印象 最初は知的な高尚なお方!と思っていたけど、 ブログを読んでるうち&コメント交換をさせて頂いてるうち、 それ+おちゃめで面白い♪それに自分の信念を強く持ってる部分と臨機応変で融通も利く バランスのとれた方だと思います~この秋に留学に来られる時、ぜひお会いしたい!◆貴方が愛する人へ一言 両親へ(これを改めてでなくって日記ついでにさらっと書きたかった!) 今回の旅行は、私達も本当に楽しかった~。 一緒にいると味気ない事(生意気な事?)しか言えないけど、 離れて暮らしている今、そして今回の滞在で自分の両親のありがたみが身にしみました。 来年春には、元気な赤ちゃん連れて帰るから、また世話してね~♪ 十分健康ってのは知ってるけど、体には気をつけて、またイタリアにも来て下さい。 マッシ(ダンナ)へ(ダンナにはちゃんと言ってるけど、改めて) 今回の1週間の旅行、そして平日・仕事が始まってからも父との晩酌、 さらに週末は車を出して1泊旅行と疲れているはずなのに、 “本当に楽しいよ~”と全部付き合ってくれてありがとう♪ こんな私に Ti amo come sei と言ってくれるあなたの心の広さ、優しさに包まれて 私は本当に幸せもんです。もう何もかもさらけだしてるので(爆) 今更呆れられることもない(と願う)けど、これからもよろしく・・・(絶対先に死なないでね) 2人で、更に幸せな家庭を作っていこうね~ ◆回す3人の他己紹介を簡単にお願いします Ikukitoさん エクアドル人おっと・まるちゃんとミラノ郊外在住のIkukitoさん・・・ はっきり言って、この人の人生はスゴイです。 えげつないことが、Ikukitoさんの絶妙の語り口で書いてあると正直かなり面白いですが、 自分には絶対あって欲しくないことばっかり(ゴメン・・・) 今回のミラノでも会うはずが、リハビリでお流れになり、ほんとーーーに残念!! 次回、家出の際は我が家へどうぞ♪ くりりんさん アイルランド・ダブリン在住のくりりんさん・・・貴重な男性ブログ友人です。 旅行やアイルランドの写真もいいですが、スーパーやショーウィンドウの写真と そのコメントに思わずぷっ・・・うちへのコメントでも、男性ながらのちょっといやらしい? 切り口で突っ込んでくれるお茶目なひと!よっ!! パスしてもらってもOKですよ~ でも興味あるからやって~ ↑ 私も自分の母のようなマンマになれるかな・・・ぽちっと応援よろしく★
2006.06.02
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昨年秋から検討していた新車・・・その後昨年末、狙っていたファンカーゴのプロモーションがあり、購入を試みるも、プロモーションは一括払いのみの対応で、まだ資金組をしてなかった私達はアウト・・・それから資金のローンが組めてお金が入ってきたので、今月からまた動き出してました。とはいえ、ファンカーゴ君は昨年末の段階で“現品限り”だったのでどうなのか?まずは、今月末に発売される日産のNOTEというのがファンカーゴと同タイプのようなので、先週、ダメ元で実家へ行くついでに通る日産のショールームへ行くと・・・すでにあった!しかし、第一印象からして、イマイチ・・・(あんまし可愛くない)かつ、ファンカーゴ君より長いのに、なんか空間が狭いし、後部座席が床に入り込まなくて倒れるだけなので、これもイマイチ・・・2人で速攻、“やっぱりファンカーゴ君がいい!”残っていてくれよ・・・と望みをかけて、今度はトヨタへ電話。すると・・・1番候補だった黒はなかったけど、2番候補だったグレーがまだあった!かつ、新モデルの発売も未定との事でこれは、まさに私達の為に残っていたんや~!と本日契約しに行って来ました♪ただ、オートマはもうなし(涙)まぁ、私がマニュアルを覚えなおすいいチャンスでもあるんだけど・・・値段は昨年末のプロモーションの価格とはいかなかったけど、元々の定価まではかなり安い。それでもダンナは最後まで“今年からうちら3人家族になるっていっても、この値段!?”と、最後まで値段交渉してたけど。結構な枚数の契約書にサインした後、久々にファンカーゴ君にもう1回乗ってみる。今日は、これが私達の車に!という気持ちなので、前より更に感激★うん、やっぱりええわ~、ここが好きやねん、このスペースがすごいねん、と2人で褒めまくり。納車は、リヴォルノの倉庫から運んでくるだけなので、4月頭の予定~ショールームを出て、ミクラに乗る。これはこれで、ちょっと寂しい気もする。私はもとより、13年大事に乗ってきたダンナ・・・シエナ郊外で住み込みコック時代、毎週実家まで往復したミクラ、そして、去年の引越しも小さな体で頑張ってミクラ・・・トヨタのお姉ちゃんの話では、発展途上国へ売られるはず、と言う。ミクリーナ、新天地でも頑張るんやで~・・・ ↑ ミクリーナ13年お疲れ様!で、ぽちっとよろしく★
2006.03.22
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昨日はダンナの言いつけをしっかり守って何もしなかったおかげで(回しといた洗濯物はダンナが仕事帰り干し、夕食を用意してくれ、片付けは全て食洗で)今日はすこ~しマシになった気がします・・・でも、今日も何もするなとダンナから電話もあったので、今日も何もしません(爆)朝ゆっくり起きてメール&ブログチェックしてると・・・ちっちょらさんからのメールタイトル → おめでと★・・・何があったっけ?何かあったのかなぁ・・・と疑問のままメールを開けると・・・そ、そうやった(汗)今日は私達の入籍記念日やった(爆)ちっちょらさんにメールもらわんかったら、気付いてなかったかも(大爆)少々焦りつつ、暇も手伝ってちょっと思い出話でもしてみようと思う。多少ノロケも入るので、興味ない人はここで読むのやめてね★2001年の5月末に語学留学できてすぐダンナと知り合って恋に落ち ←おぉぉぉ~2002年夏にはフィレンツェ大学入学のための手続きとダンナ初来日、秋にはこちらに戻ってきたのだが・・・ちょうどこの時、滞在許可証の延長問題で法律が変わったか何かでタダでさえいい加減なクエストゥーラ、まさに誰に何を聞いても分からない状態、しかも日本の大使館と領事館とでもビザの扱いが違い、日本でも一悶着した後に現地で解決できると思っていた私の滞在許可証・・・最後は移民事務所や県庁の弁護士、地元の地からある司教さんから警察のエライさんを紹介してもらったり・・・とダンナも必死でいろいろしてくれたが、結局、申請して、引き取るまでは何も分からない状態だった。日本の領事館が出したビザは3ヶ月、もしこの3ヶ月の滞在許可証しかもらえなかったら?日本へ強制送還である。(今も同じで大学の正式入学許可証や試験結果で延長できますが、当時は本当に混乱していた)最後、私は怒りとショックでキレにキレていた・・・“もうエエ!アカンかったらもう一回日本帰って大使館乗り込むわ! ほんで、ぜーーーったい戻って来たる!! お金?そんなん、日本帰った時に自給良い仕事何でもやって稼いだる!!”と、とにかく荒れ狂っていた(爆)その時、ダンナの一言・・・“結婚しよう!もう離れるのは絶対嫌や!!”・・・ちと恥ずかし・・・でもホントの話よ♪その一言でいきなり我に返った私。この人、本気で言ってるんやろうか?一時の感情だけで言ってるんちゃうんやろうか?付き合って1年ちょっとで、こんなに簡単に国際結婚を決めていいのか?何か、滞在許可証の為に結婚するみたいでいややな・・・ダンナは興奮して目がうるうるしていたが、大事なことだし、正直者の私は思っていたことをそのまんまぶつけた。そしたら、ダンナも正直に自分の気持ちを話してくれ、私も運命とか自分の直感を信じるほうなので、結婚を決めた・・・考えてみたら、この滞在許可証のゴタゴタがなかったら、結婚してなかったかも?ま、いずれはしてたと思うけど、ある意味バカなイタリア政府に感謝である。結局、引き取った滞在許可証の有効期限は、予想通り3ヶ月の2月18日。こちらの入籍は日本と違って書類を出してからも1ヶ月ほどかかるので、3ヶ月を想定してすぐに準備にかかっていた。まずは、イタリアの家族に報告。突然の事で一瞬驚いていたけど、付き合いだしてから家族行事にも参加してたし、皆賛成して喜んでくれたのでよかった。次に、うちの家族。ダンナが初来日するまでは、ダンナの存在を認めてなかった両親(特にのぶりん♪)来日後は態度が一転していたが、さて・・・ダンナが日本では結婚宣言に関して、伝統的な何かがあるのかと聞いてきたので、今では日本でも言う人は少ないけど・・・と教えたフレーズを父に言う、と覚悟を決めて電話。私が最初母と話し、ダンナがお父さんと話したいらしいから代わって、と私もダンナに代わる。父はダンナと話するときは(今でも)超ハイテンションで“お~マッシ~元気かぁ?コメ スタ~?お父さんは野球でな~”と1人でベラベラ・・・ダンナは、ascoltamiって何て言うの?と私に聞いて、“オトーサン、キイテクダサイ、キイテ・・・”と必死に言っていたが、のぶりん♪は1人トーク続行。それならば・・・ダ:オトーサン、オジョウサンヲ、ボク二 クダサイ!・・・シ~ン・・・・・・父:・・・カピート・・・と愕然?として母に何故か代わった・・・ダンナも私に受話器を渡したので母にお父さん何か言ってる?と聞いても、無言で去っていったって・・・母にはお父さんにマッシが何を言ったかよく聞いてな、と言って電話を切った。もしかして、やっぱりショックなんかな・・・反対なんかな・・・翌日、“お父さんから聞いたよ~♪”と、晴れやかな声で母から電話。ビックリはしたが、来日で彼という人間はよく分かったから賛成、との返事。こうしてめでたく?許しをもらったところで準備を着々と済ませ・・・3年前の今日、ヴェッキオ宮殿にて入籍式を行いました。↑ ヴェッキオ宮殿・赤の間にて。 写真は私達でなく、私が手配・通訳を行ったSさん・Oさんの挙式この式を通常結婚式(教会で式をしない人)なのだが、私達のは“緊急”で入籍したため、家族も日本から呼んで、ちゃんとした式をその3ヵ月後の5月に予定していたので(これが、私達の結婚式=結婚記念日)入籍式は普段の服装に証人の友人と妹の合計7人。式の後、シニョーリア広場の角のバールでシャンパンでお祝いして終了。それでも、本当に人生を変えた感動の1日・・・なのに、それから3年後:友人からメールをもらわないと忘れてたなんて(爆)入籍記念日、何するかって? そんな事、聞かんといて~私は家でぐうたら、ダンナには仕事帰りメモを渡しておつかいに行ってもらい・・・なのにネットとかしてたら気分を損ねそうなので、この辺で更新は終えてダンナが帰ってくる頃にはソファーで寝てるフリをしようと思う・・・ふっふっふ。※ついでに・・・明日はのぶりん♪の62回目の誕生日です。 これも、今思い出した(汗) ↑ 昨日久しぶりに見たら、25位まで陥落!!(悲)入籍記念日祝いに、ガツンとよろしく♪
2006.02.08
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昼過ぎ、母から電話。さすがに前みたいな事はないと私も安心してたのだが・・・母:お父さん、怪我してもうてな・・・洗面所でたまたまトニックのボトルが洗面台に落下し、洗面台の何か?が運悪く、足の指の付け根に直撃し、腱を切ってしばらく歩けないと言うのだ。すでに病院からは帰って来たところで、心配せんでも元気やで~とは言っていたけど・・・あとで父に代わると、さすがののぶりん♪も心なしかヘコんだ様子。旅行に関しては、母はもうキャンセルと言っていたが、父は“どうせ歩けるようになっても野球できへんし!イタリア行くぞ~!!”と、あれだけ引っ掻き回してやっと決まりかけて、せっかく楽しみにしてたのにこんな形でくじかれてもう後にはひけん、という感じなのか・・・それとも、どうせ野球できへんしって、やっぱ野球が一番なんかい!と思ったり・・・しかし、今回はワザとではないとはいえ、またやってくれました、のぶりん♪ともあれ、足の状況を見てからだけど、来伊は4月頃にまた延期になってしまった。関係者の方々?またご連絡します m(__)m今回は本当に大事には至ってないようだし、心配って訳でもないのだが、こういう時って、やっぱり海外に住んでいることを実感する。私の場合、3人兄弟の末っ子で、姉・兄とも実家近くにいるし安心だけどやっぱり声は聞けても顔は見れない、怪我の様子もイマイチ分からないし・・・しかも、何かあっても飛んで行ける距離ではないし。まぁ、自分で選んだ道やし仕方ないんやけど・・・ ↑ のぶりん♪復活のために、ぽちっとよろしく♪
2006.01.31
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昨晩はダンナの同僚でありバレーのチームメイトであるダニエル家の夕食に招かれ、2歳半のナディアちゃんと遊んだり、ナディアちゃんが寝ついた後、久々に夜中の2時までおしゃべりでめちゃくちゃ盛り上がった。本当はこの話を今日UPしようと思っていた。朝は11時半までゆっくり寝て、天気もいいし爽やか~な、のんびりとした日曜を過ごすはず・・・だった。1本の電話があるまでは。ダ:プロント~あ~オカアサン!もしもっし~♪受話器に私も耳を押し付けて同時通訳をしようとしたら母:緊急事態やから、くみこに代わってくれる?声の感じからして、誰かが亡くなったとかではないな、と思ったのだけど・・・・・・でたよ!!!(青筋)母:こないだ変更してもらったイタリア行きのフライトやけど、 お父さんが結婚式招待されてんの、忘れててなぁ~・・・ここ数日更新してなかったのも、実は昨年から計画していたうちの両親来伊が、紆余曲折の末、やっとこさ2月末で確定したので、ホテルやら電車やらの調べものをしていたからだった。しかも、ここまでたどり着くまでに、のぶりんの心模様は秋空の如く.くるくると変るのでございます......。などと、土壇場で父から前倒し依頼があったのだが、彼の性格を熟知している私は、手配をしてもらっている代理店の社長にメールをうつ前に“ホンマにエエねんな?これが最後やで、あとからの変更は絶対なしやで!”と最終通告を出した後、更に確定の返事があり、代理店の社長にも変更依頼を出したばっかり!母のせいではないが、まずは母に当たる私。何があったのかとオロオロしていたダンナに告げると、今度ばっかりは彼も笑えなかった・・・母:ちょ、ちょっと待ってな、お父さんに代わるからここで、素直に真面目に謝らないとこがやはり我がオトンである。予想してたけど父:たんと、たんと、すくぅじぃ~♪(ホント、ホント、ごめんなさーい)エヘへブチッ・・・普段なら心の寛大な私、笑って許してやるところであるが、しかも、この一言を言う為に、しこたまイタリア語の何かを調べた姿が目に浮かび笑いたいところしかし、今回ばかりは許容範囲を超えている。さすがに気まずいと思ったのか、お土産は何がいい~♪とか話題を変えようとしていたが私:お父さん、そんなんも何もフライトが決まらん限り何もできひんてと冷たく言い放つのが精一杯であった。これで・・・また計画練り直し。各地でオフ会のお誘いメールもしたのに、これも練り直し。各方面の方々、ご迷惑をかけておりますが、新たに確定次第またメールし直します・・・でも、今日は何もヤル気なし・何もやりましぇーん・・・オトンのアホ~・・・ ↑ これを読んでも、まだのぶりん♪派?のアナタは、ぽちっとよろしく♪::::::::::::::::::::::::::::::::::何もやらないと書きましたが・・・速攻代理店の社長には超へりくだった再度変更依頼のメールを送り、翌日には、航空会社に変更依頼済み・確定次第連絡を頂けると返事がありました・・・そして・・・ひらあやまりお代官様~~~。久美子様~~。のタイトルのメールが。紛れもなく、この日記を読んだのぶりん♪から内容は・・・のぶりんも.寄る年波に勝てず最近少しボケがはじまってしまったのです。 チームの子の.結婚式に招待されているのも忘れてしまうなんてーーーー。こころの広い久美子様.どうかおゆるしを。.......おかん。曰く私似で久美子はこころの優しい子やなーーーーー。と申しておりました。 ボケ老人より。 ♪~~※母の希望により、下ネタ部分は母の名誉の為にも削除済みこれで、少しは懲りてくれればエエけど・・・しかし、この文面からじゃ、期待はできんか(泣)
2006.01.22
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3人のお父さん・・・まずは、バッボ(トスカーナだけ?ではお父さんをこう呼びます)予備軍のダンナ。すでにお腹に話しかけてるという事はここでも書きましたが、それは、もちろん続行中。最近は、耳を私のお腹に当て、 “ぐるる~!って聞こえる!”・・・いや、それは私のお腹やろう、と言っても赤ちゃんだと言ってきかない。・・・ので、放っておく私。そして私が調子いいのも、“お前がいい子やからマンマも調子がいいんや!なんて親孝行なんや!”・・・とすでに親バカ道爆進中。そして、エコーの前、“今からお前を見に行くから、何かサインをするんやぞ”と言ってたら実際?タコ踊りで存在を強烈アピールしてくれたので“やっぱり通じたんや!スゴイ!!うちの子!!!”・・・と、更に爆進=3=3-3そしてエコー後、エコーを携帯のデジカメで撮影し、速攻待ち受け画面に設定し仕事中もちょろちょろ眺めてニヤニヤしてるそうだ。もちろん、会社の同僚にも見せまくり。・・・果てしなく、爆進=3=3-3=3=3-3しております・・・どこまで行くのやら・・・ただ1つ私が声を小にして言いたい(盛り上がってるのに言うのは何だが)1)ヒゲの濃い日にお腹をめくってキスすると痛いからやめてくれ!2)私が日本食をおいしそうに食べてると、今まで食べれなかったくせに 突然もう1回チャレンジするだの、無理やり貴重な日本食を無駄に食べるのはやめてくれ! (実際、かつお梅は克服・・・どころか、美味しい♪とか言い始めた。 納豆は、高いので絶対禁止。これは妊婦専用特権にて購入&消費です)さて、続いての選手?は、バッボこと、我が舅。元々超ご陽気で強烈なマンマ(姑)に比べて、ネタの少ない地味なバッボであるが最近私の中では赤丸急上昇中なのである。典型的イタリアンマンマと比べ、バッボはどちらかというとダンディで紳士的・・・イタリアの典型的オヤジというよりも、誇り高きフィオレンティーノの典型という感じ。新聞買いに行くだけでもスーツにネクタイとかしちゃうし。妊娠発覚時、まぁ大喜びのマンマ&バッボであったわけだが、バッボが息子である我がダンナに話しているのを聞いて、私は感動したっ!“子供を待っているこの時期ほど素晴しい時期はないよ。 2回経験してる僕が言うのだから間違いない、おめでとう!!”・・・バッボ、かーーーーーーーーーーっくいい!!!ここ最近見ていると、最初っからハイテンションのまま今まできてるマンマと比べ、ボルテージがひしひしと上がってきているのが分かる。なんせ、会う時に挨拶のキス(ほっぺたにチュ、チュっと)を私にする時、えらく熱い。抱擁&ぶっちゅう~♪である(照)特に何気ない時にも、肩を抱いてくる(照)嬉しくて、嬉しくてたまらんらしい。そんなバッボだが、赤ちゃんに対してたった1つ望むことがあった・・・“うちらの子は、絶対、nato a Firenze だからね!”※出生地フィレンツェでないとダメ。こちらの身分証明には必ずこの項目がある・・・でたよ、フィレンツェ大好きフィオレンティーノの典型的発言である。しかし、そうなるとフィレンツェ県で4つしかない出産可能な病院の中で、カレッジしか可能性はない。でも、うちから遠い → 速攻却下これで、バッボから赤ちゃんに対して望むことはなくなった(爆)さて、残る1人は・・・言わずもがな、 オトンこと、私の実父である。妊娠発覚時のオトンでは、皆様からも面白いお父さんね!なんてコメントを頂き、“実はめーっちゃ嬉しそうやったで”と姉は言っていたので、ここで暴露してもきっと喜ぶはず。って事で、最近のうちのオトンの様子もあからさまに書かせてもらいます。実は実家&兄家族引越しの時に、PCのお古を兄嫁CZちゃんに譲ってもらい、ASDLも開通、正月後、嫁の鏡のようなCZちゃんにテキストまで手作りしてもらい、ヤル気満々の我が両親。最初、結構何でも器用にこなす母中心かと思ってたが、毎日しかも数回メールを送ってくるのは、なんと父!・・・いや、父でなくて・・・のぶりん!メールに必ず、“のぶりんより”とコギャルのような署名をしてくるオトン・・・こんなお茶目なオトンが大好きなダンナは、抱腹絶倒。正直、私もかなりウケた(汗)エコーをスキャンして送った後の、こんなのぶりんからの返事は、それから. 今日の夕方おばーちゃんにエコーの写真を見せてあげました。 これが.顔で.これが手で.......えらい鼻が高いなーと.とても喜んで涙ぐんでいました。のぶりんは. ←文中でものぶりん炸裂 ~すかさずマッシに似ているんやー。くみに似ていたら.もっと低いはずやー(爆)。。。。。。 のぶりんより。........昔は私達兄弟も恐れる、典型的な頑固父やった(はず)やのに、一体・・・しかし、オトンがPCにハマるのには、ちょっと納得する点もある。うちのオトンは基本的に自己中なので、自分の好きなもの、やりたいことはトコトンやりまくる性質である。※逆に、嫌いなもの、やりたくないものは全部オカンに丸投げ昔から続けている野球では、つい数年前まで監督兼選手として30代の若者と共にプレイ(巷ではかなり有名人らしい・オトン本人談)、今でもシニア野球で全国大会出場。かつて板前を目指していたという料理は、冗談抜きでプロ顔負けで日本に帰ると父が魚からさばいて握った寿司や数々の料亭バリの料理が楽しみで仕方ない。 ← PCレッスンのお礼にCZちゃんに振舞った寿司そういえば、3年前の結婚式でイタリアに来た時も、はりきっていいデジカメを買ってきて説明書を熟読してほぼ完全に使いこなしてた・・・その後、落として壊したらしいけど・爆こんな風に、ハマるとマニアになっていくオトン。・・・将来、♪のぶりんのりんりん日記♪とか、ブログにまで手を出すんでは・・・と一抹の不安もある。あ・・・余計な事を書いてもうた・・・本気にしたら被害にあうのはCZちゃんでした・・・ ↑ 皆さんはどのパパがタイプ?ぽちっとよろしく♪
2006.01.10
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まだ9月も半ばやゆうのに・・・寒いっ!ちゅうか・・・天気悪すぎ!!先週末もずーっと、ずーっと雨。雨どころか雷も鳴ってた。よって、私達も地味~にずっと家にいて、午前中は残っていた照明器具をつけ → 昼食 → 昼寝 → 夕食なんてのを2日も連続でやってしまった(汗)あ、日曜日は昼寝じゃなくってTVスポーツ観戦だった(あんま変わらない)イタリア1が入らなくて全然見れてなかったMotoGPが日本開催だったので朝一から録画した映像と結果が見れたし(カピロッシ久々の優勝万歳!)あとはカルチョとバスケ男子・バレー女子の欧州杯。そういえば土曜晩スタートのBallando con le Stelleは面白かったな。去年ブームになった番組で、ダンスのプロと芸能人がペアを組んで対戦していくってやつ。今回の目玉はすっかり痩せてマトモになったマラドーナか。家族までアルゼンチンから来てたけど、ある意味天才やね、あの人。なんかよく分からん日記になってるなぁ。週が明けた今日も、雨は降らずとも相変わらずどよん・・・それでもたまりずぎた洗濯物をし、仕事関係の電話をあるバスツアー会社にしたら・・・超態度悪っ!でたよ・・・インフォメーションが欲しくて電話してんのに、いきなし、“あなた、私達のサイト見たのっ?”やもんな。アホにもほどがある。(書くのも疲れるので、ここでやめます)今日は遂に小麦粉もつきて何も作れないので(でもダンナとスーパー行って3キロ買った)レシピページに先日の、リコッタチーズイとほうれん草のラビオリ(レシピはこちら♪)と、、砂肝ときのこのオーブン焼き(レシピはこちら♪)を更新しました。午後は久々に2階を徹底お掃除して、ピッカピカ☆夜は、何じゃかんじゃ言ってオヤジのように見てしまうミス・イタリア決勝を。せっかく1時まで起きてたのに、私達が押していた子は2位で“皆が私の事見てるのが好き♪”とかほざいてたヤツがミスになった。納得いかん・・・
2005.09.19
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今日は、私の33回目の誕生日です。33歳になった感想は・・・ズバリ、何にもなし!自分でも、もうちょい何かあるかと思ってたけど、な~んにもないなぁ・・・おっ!?ゾロ目?くらいかなぁ・・・今日(実はすでに2日経っていて今日は30日)の姉のメールでは後厄?らしいけど。添付されてた姪っ子の写真と、小学校にあがった上2人のバースディカード?ではっ!私、おばちゃんやってんやぁ~(←くーちゃんと呼ばせてるけど)ちょっと昔、特に20代の後半の頃はもっと年を気にしていた。きっとそういう年頃やったんやろう。3つ年下の彼氏がいたのもあったかもしれんし、周りがうるさいのもあったかもしれんし、転職なんかで迷っていたというのもあったかもしれんし・・・そんな中で突然イタリア留学をしてしまってから早4年が経った。それからはあまりにもいろいろありすぎて、年の事を考える余裕もなかったんやろう。というか、イタリアで30歳なんていうと、まだまだ若い。学生の人もいるし、定職のない人もいっぱいいるし、結婚してなくても超当たり前。日本とは、その辺の考え方・感じ方が全く違っていて、私の務めていた超古典的会社での女性社員の扱いや、うちの父がやたらと私の年のことをツッこむの、ダンナには理解できなかったらしい。今は、もう生活にも慣れて結婚もして毎日のほほ~んと暮らしていて考える時間は腐るほどあるけど、年のことは気にならんなぁ~あえて気にするとすれば、子供を早く産んどきたいって事くらいかな?私、体力には自信あるし、チャレンジャーなので辛いことも我慢できる方やけど、妊娠・出産・子育ては、今までの人生でしてきた考えてきた事では全く量れないモノ。正直言って、怖いし、せめて体力があるうちに産んどきたい。で、1人目の妊娠もまだやのに考えすぎかもしれんけど、やっぱり2人欲しい。私は3人兄弟の末っ子、しかも4年の中に3人かたまっていたのでいい意味で、家族の中で早いうちから社会的な事を自然と身に着けてきたと思う。(まぁ、具体的にはお菓子の取り合いとか、兄弟げんか、程度ですがね)親にとっても、子供にとっても、兄弟はいたほうがええよなぁ~・・・って事で、2人産むとすれば、やっぱり年も気になるわけで・・・それ以外は、全然気にならん。逆に、いい年のとり方をしたい、と思う。毎日毎日、楽しく時を過ごしたい、と思う。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::で、誕生日は何しとったん?って言うと、特に何もしてません。あ!朝は緊急で仕事の電話が入り、バタバタして朝食もろく食べれなかった。で、慌しくダンナ実家でランチパーティ。毎度以上に膨大な量のごちそう(ポルチーニもあったよ♪)とケーキ&シャンパンでお祝い。それから久々にMotoGPを堪能し、旧家でダンナのいらんもんをやっと回収し、エッセルンガで買物をして帰宅。ランチでお腹いっぱいのもあって、晩は24日に頂いた中から、誕生日用の赤飯&わかめ・ねぎたっぷり味噌汁。あとは、いつものようにTVつけっぱなしで2人揃ってソファーで寝てしまってました。味気ねぇ~! ・・・ま、こんなもんでしょ。
2005.08.28
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またまたやってしまった・・・先日色物を洗濯して、干して、アイロンをかけていると・・・干している時にも気付いた、混じっていたダンナの白いTシャツ、後ろが赤く染まっている・・・しかも、一昨年買った、シスレーのお気に入りTシャツ。何でこういう時って、作業用のどうでもいいのが染まってくれんのやろ(泣)帰宅したダンナに、あるTシャツを染めてしまったと告白すると“え!?エビス?上野駅!?(日本Tシャツコレクションの)”“シスレーの・・・”と私が答えると、ちょっと安心した様子で“起こり得る事やん、しゃーない、しゃーない”そして今日、夕飯後はいつものように2人で洗い物。ダンナ洗剤で洗う担当、私ゆすいで拭く担当で、朝食用のカップをキュッキュキュッキュまわして拭いていると・・・くるんっ → 回転しながら飛ぶ → 真っ二つに割れる・・・ショック・・・しかも、新婚旅行の南アフリカで買ったサイの・・・実は、これは私用で、ダンナ用の象のは以前不慮の事故で割れたのだが遂に私のも・・・何か、またまたやってしまったというのと思い出のカップが真っ二つになったのを見て、ショックを隠しきれず・・・ダンナもいい加減あきれたかしらん・・・と呆然としていると“よくある事(いや、よくありすぎ)! 今度旅行先でお揃いのもっといいの買お!”・・・なんて、この男は心が広いんやああああああああ~・・・普段滅多に反省しない私も、今回ばかりはちと反省しました。というか、こんな優しいダンナと結婚できた私は幸せ者や、もっといい奥さんにならないと申し訳ない、なんて謙虚に痛感した私。でも、彼がこんなに優しいがゆえに、私のこんなとこ、直らない気もしないでもないが・・・(←人のせいにすなっ!)
2005.08.03
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生活の拠点を移して早1週間過ぎましたが・・・肝心な大きなところは終わったとはいえ、細かいちょっとした事がかえって時間がかかって面倒くさかったりするんですよねぇ・・・ダンナの仕事も始まり、私はちょっぴりゆっくりさせてもらいましたが、“いやぁ、健康、健康!”と嬉しそうに言いながらも、朝5時半起床→最寄り駅までチャリ2.5キロ→電車40分→徒歩15分というのを毎日×2しているダンナは、さすがに疲れてそう。仕事から帰ってきて1時間くらいはちょろちょろ作業しているが、夕食後は、10時にもならない頃にソファーで眠りこけてしまう・・・ダメだ!これは、私も頑張らなくてはっ!!と思い、ダンナにしてもらお~★っとか、1人じゃ危ないかなあぁ~?っとか思っていた事を、ダンナがお勤め中に私が1人でもやってやる!と昨日から動き出しました・・・まずは、油断したスキに、あっちこっちにみるみる増えてきた・・・くもの巣(爆)残酷かな・・・と思いながらも、手で1個1個つまんでたらきりがない上気持ち悪いし、せっかく真っ白になった壁を汚すやもしれん・・・という事で、ダンナとも相談して決めた作戦とは掃除機で、丸ごと吸い取るっ!!スピーディーで効果テキメンなので、調子こいてガンガン吸い取りまくり。これは、もう日課にするしかない!そして、ダンナが帰ってきたらやるから、と言っていた網戸ならぬ“網カーテン”(←引き戸じゃないから普通網戸はついてないのよおぉ~)をキッチンの勝手口に設置して、仕事から帰って来たダンナを驚かす作戦っ!説明書に従い、窓枠をまずはキレイに掃除、粘着テープを張ってゆく。あ・・・ちょっといがんだなっと訂正しようとテープを1部はがすと・・・バリバリッ ・・・と窓枠の木の1部もはがれる(爆)これは見なかった事にして、いがんだのも無視して、テープ貼り終了。それから網カーテンをテープの表側・マジックテープにくっつけてゆき、余ったところははさみでカット。で、できたよ~!やったぁ~♪・・・と、余ったテープなどを箱に入れてる時に、ふっとイラストに目がいくと窓枠の内側に設置するのに、外に設置しちゃった事を発見(泣)言わなきゃバレないかぬあぁ~箱捨てちゃおかぬあぁ~(←証拠隠滅)と思ってたら、ダンナ、帰宅!“ああ!網カーテンできてる!・・・でも、逆じゃない?”といきなりバレた。“でも、内でも外でも変わらんで、大丈夫、大丈夫”と意味のない理屈をこねて、その場をしのぎました(大汗)その後、1人ではとうていできない洗濯機の設置。ダンナは説明書などを隅々まで1字1句読まないとダメな人なんだけど、一方、もうバレてると思いますが大雑把な私はダンナが読んでいる脇で“これやって、これ、これをあーやってこーやるだけちゃうん?”と、いつものように擬音を炸裂させながら適当なことを言いまくる私。慣れた?元々我慢強いダンナは私を制止しながら、私のように間違えることもなく、無事に設置が終わりました(←でも、時間は異常にかかる!)そして今日は何をやってやろうかな~?と思いついたのが、FUTON(ソファーベッド)の骨組みの木を、先日のイスと同じくニス塗り。今日こそは間違えたり、こぼしたり、壊したりしない(←よくやる)よ~っに!とちゃんと下にダンボールも敷き、先にホコリを全部とって、慎重にニス塗り開始。ふんふん♪順調、順調~やればできるやん、私♪いい奥さんやん♪・・・と調子にのりながら逆サイドにかかろうと体を起こしたら・・・ゴオォリッ(激痛)!!!!!・・・息できん・・・内開きの窓の、しかも角に背中を強打・・・ニス臭い部屋で1人のたうちまわる私・・・なんて可哀想なのん・・・と、背中も痛いし、ヤル気もなくなったので、ソファーでゴロゴロしながら楽天日記を書いている私でした・・・ダンナ帰ってきたら、“痛いの痛いの飛んでけ”、してもらお・・・
2005.07.28
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暑いです。めっちゃ暑いです。暑い暑いゆうたら、余計暑くなるから言うな!とか言われても、暑いもんは暑い!どないせいっちゅうねん!!~ゆうくらい、暑いです。大半のイタリアの一般家庭と同じく、我が家にはクーラーはありません。つまり、家=サウナ状態です。そんな家の中からほとんど出ずに、この3日私がやってることと言えば・・・1.引越し準備=もちろん暑い(爆) ダンボールを組み立てて、本・ビデオ・食器・服・・・もう20個くらい作りました。 現在、もうダンボールを置く場所がないのでやっと一時中断。2.家事全般=もれなく暑い(大爆) 料理は極力コンロを使わないものを、となると連日カルパッチョ、サラダ、 冷たいパスタ、ざるソバなどに限られる。今日ラグーを作ったら背中に滝の汗。 昨日は洗濯機3回分のアイロンをほぼヌード状態で・・・ 肩もこるし、午前と午後に分けてやろうと半分おいておいたら、 午後の分はダンナがやってくれた♪3.仕事のレポートをひたすら=脳みそが爆発寸前? 1ヶ月前にツテで頂いたこのレポート、IT関連の新聞・雑誌の記事を抜粋して 翻訳してまとめるのだけど、タダでさえ暑くて脳みそ腐ってるのに、 更に普段使わないものを急に使うと、額からじゅわじゅわ~と汗が・・・ 自分で新聞読む時だったら、分からん単語があっても全体で意味が分かれば ほっとくのだが、今回はそういうわけにはいかんので辞書を使用するも・・・ これが、また暑さを増長させる(泣) しかも経済面とか、普段読まないとこばっかで専門用語が多い・・・ しかし気付いたのは、何よりも辛いのがイタリア語で意味が分かってても、 それに対応する日本語がうまく出てこないのと、日本語使う時でも 話し言葉しか使わないので、こういったかしこまった文章を書くのに 四苦八苦・・・つまり、日本語能力が衰えてきてるのを痛感(爆)。 それで更に、汗じゅわじゅわ~・・・しかも、PCから熱をガンガン感じるし・・・日本では、環境対策でオフィスの冷房温度が決められてぶーぶー言ってる人も多いようですが、私のような人間もいると思って我慢して下さい、マジで。一方、こういうとこ見ると、日本はエライな~なんて本当に思う。イタリアなんて、自分勝手だから“先見性”とか“将来計画”とか全くなし。これだけ暑い=異常気象は人間の今までの行いのせいなのにクーラーもあるところはかけ放題、公共機関はポンコツだわ、車ばっか使うわ、ゴミは分別しないわ、水は流しっぱなしだわ・・・連日ニュース・新聞では、“断水・ブロックアウトの危険”ばっか。ほんと、この国、危険だらけですわ・・・
2005.06.29
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昨日からのモヤモヤがあって神経質になってるのか?今日は私がキレました ← もちろん、ダンナにじゃないですよ。“アンタ、最近キレてばっかりやん”・・・なんて、ツッこまないで下さいね。今日は電話です前にも書きましたが、もう我慢なりません。プルル~・・・電話をとると“私達は○×△#○×△#○×△#~(前フリ長すぎ)、○○さんのお宅ですか?”“・・・そうですけど” ← この段階で、もう聞く気なし“あ、奥様ですか?”“・・・そうですけど” ← もうどう切ってやろうか考え中“今日は○×△#%&$○×△#%&$○×△#○×△#~”・・・と、読んでるだけの丸分かりの文章を100ページくらい読み倒すねーちゃん・・・話を折って切らせてもらうにも、すごい勢い・・・で、放っておいたら何か質問してきた。“え、ちょっと分からなかったんですけど”、すると超バカデカイ声で、2歳児に諭すような言い方で “オ・イ・ルは~ヴァージンオイルを~使ってます?ど・こ・で買います?”・・・この段階でもうキレかけ。“ヴァージンですけど。スーパーで買ってますけど” ← こらえながら答えてもうたバカな私したらまた○×△#%&$○×△#%&$○×△#○×△#~の口調で何やら今月末に彼らの製品をフィレンツェに特別紹介にやってくるとか言ってるので“あ、うち引越しでそれどころじゃないんで”と言うと、“○×△#%&$○×△#%&$○×△#○×△#~????”・・・アンタ、コミュニケーションとろうって気はあるのか?ケンカ売ってんのか?そこで、思いっきし“はぁっ!?”と答えると“どーーーちーーーらーーーにひっ・こ・し、されるんですかーーーーー!?”とまたバカにした口調で、特大ボリュームで答えてきやがった・・・・で・・・プチッ・・・“アンタ、大声出さないでよっ!そんなもん興味ないのよ、さよなら!”、ガチャンッ・・・最後のコレだけだと私って何て礼儀がなってないの!?ってお思いかもしれませぬが、 礼儀がなってないやつには、ソレ相応の態度で出ても仕方ないでしょう?確かに電話1本っちゃあそうですが、クソ忙しいってんのに、もうちぃっちゃい事でも、 最近イライライライライライラさせられる事が多すぎるねんんんん!!!!!!!で・・・“イタリアなんか嫌いやー!何でお前らそんなにアホやねんっ!?”そんな事をネット上に書くな、と思わんといて下さいね。ここ、私のはけグチでもあるんで、お許しを・・・あ~、ちょっとだけスッキリした・・・::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::今日、ダンナは月曜日にもろもろの相談をする為に公証人とアポをとった。ふうぅ~・・・全く、2人とも何だかストレスが(爆)・・・で気分転換に散歩に出たら“今週末、何する?”“そーやなー、ダンボールもゲットしたし、ちょっと荷造りしなーアカンよな~”“土曜日はな、日曜は・・・”“・・・な、どっか行きたいん?”てな感じで、月曜日に備えて気分転換するためにも、日曜日はおでかけ決定!もちろん、引越しとか家に関係ないお出かけ!は、久しぶり~♪“どこがええかな・・・海行っちゃう!?”“なら、チンクエテッレ?”↑どんなとこ?かは、本編・アルバムのイタリア編よりどうぞ♪と、出かける事に関しては、食いつきのえっらい早い私達。チンクエテッレでも今度は別の場所にも行きたいので、晩はネットで、天気とチンクエテッレの情報収集します☆
2005.06.10
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仕事については何回かブログにも出てきてますが、メインの仕事として飛行船という代理店の現地スタッフをしています。現在フィレンツェではホームステイ・長期アパート滞在・イタリア語レッスンがありますが、受け入れ先探しや値段交渉が終わると、あとはお客さんから問い合わせ→決定→来伊で、あとは滞在のフォローのみ。代理店は、完全個人滞在で現地でのフォローが特色となっているのでお客さんが来てからもいろいろありますが、ある意味ルーティンワークになります。現在お客さんもお1人滞在されてますが、実はそれ以上に忙しいのが、上記に書いた、企画に上がる前の準備を水面下ですすめています。実は、この段階の仕事が大変だけど一番好きだったりする私。大げさに言うと、受け入れ先の選定は私に任されているのでガゼンやる気が出るし値段や、どこまでお客さんの世話をしてくれるか等など、こっちと先方の希望をぶつけて、詰めていくのは私の好きな過程。値段ももちん大事だけど、先方の担当者の人柄とか、やりやすさとかで責任を持って商品として出せるか(=一番重要!)を密か&冷静にチェックします。これらは、仕事の中でも“自分でやる仕事”。日本でのOL時代は、一会社員だったので、当然ながら“やらされる仕事”が多かった。 もちろん、自分の好きな仕事ややりたい仕事もあったけど、所詮会社の歯車の1部。しかも納得のいかない仕事や訂正を、上司から命令されたらやるしかない。そういうのに、飽き飽きしていた6年間でした。ここで、こういう形でじわじわ~っと仕事を始めて、まだまだ収入は少ないし安定もしていないけれど、最近は将来の展望が広がってる気がして嬉しいというか、やっときたか!というか・・・胸が躍る♪いい感じです。あと、“やらない仕事”というのもあります。正直、ローンも始まるし(爆)、やっぱりバカンスも行きたいし、日本にも帰りたいし 好きな服も迷いなく買いたいし・・・何でもいいから稼ぎたいというのもあるけれど、 こないだの翻訳の話は断った。あれから、先方から翻訳すべきイタリア語のテキスト1枚が送られてきたが、前に書いていた疑問をぶつけてそれがハッキリしない限りやらないと送り返すと、こないだごまかしていたのに、今度は超長文でダラダラキレイ事を並べてきた。はっきり言って、翻訳は30分でもできそうな内容やったけど、企画の内容そのものよりも、何故面接で聞いた時に言わなかったのか疑問やし、その説明の仕方がまた偉そう?で一緒にやりたくないと本能的に思ったのでやんわりながら断りの返事したら、“私達は何も困らないから”とメールが来た。・・・こっちの方が全然困らんっちゅうに!!悔しかったら、この企画を納得してやってくれる他の日本人をせいぜい探してみぃ!・・・と書き返したい勢いやったけど、もう放っておいた。前にも書きましたが、私の中で一番大事なのは“人”です・・・
2005.06.07
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なんかこのところ忙しくって、あ・・・あ!?っという間に日が過ぎてゆく。あ、イタリア上陸記念日も、今年は何も思う事なく知らん間に過ぎてた。スーツケース引きずってリュックしょって、やって来たのはもう4年前か。しかし、6月やと言うのに、すっかり真夏でガンガンに暑いです。こないだ、“クミ、すっかりカプチーノ色!”とマンマに言われてしまった。すぐ吸収して黒くなるから、スタジアムの1日で、腕時計の跡もバッチリやし。エスプレッソ色になる日も近い・・・(爆)今日は少しのんびりしながらも、ヴェッキオ宮殿挙式の写真を整理して郵便局に出しに行き、午後は、頼まれていた日本提出用の婚姻抄本の翻訳を済ませて郵便の送り状控えもスキャンして一緒にメールに添付して送る。ああ、まだやる事がいっぱいある・・・って・・・何が一番かって・・・えー加減引越し準備せいっ!!・・・いや、昨日スーパーでダンボールもらおうと思ったけどなかったし。しかし、もう1ヶ月どころか引越しまで3週間になってしまった。念願の田舎のマイホーム、かなり楽しみで待ちきれないけど、一方で、住み慣れたこの1DKのこの家を離れるのが淋しくなってきた。ダンナはイタリア人には珍しく9年前からここに1人暮らししていて3年半前、知り合ってから数ヶ月でこの家に転がり込んできた私。あ、もっと思い出深いのは、初めて家に来た時やなぁ。一応、まだ付き合ってはなかったし、夜も遅かったのに部屋に入ってしまった瞬間、“あ、ヤバイ・・・犯されたらどうしよ”(爆)と、一応乙女っぽく心配もしたが、もちろん何も起こらず、何だか信頼感のようなものを持てるようになり、それからすぐ付き合いだした。同棲が始まってからケンカしたり、出て行くと泣き叫んだヤバイ思い出も(爆)あり、 ともあれ、私達の初代“愛の巣”(←うわっ恥ずかしい~なら書くなって?)なのだ。 ・・・なんて、ちょっぴりノスタルジーに浸ってしまいました。
2005.06.01
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昨日の新聞の見出しを見て、“ノオォォ~・・・”と叫んだ私・・・“Statali, il no di Berlusconi”先日から話し合われていた公務員の給料値上げ問題に対しベルルスコーニがNO。ちょっと中面も読んでみたが、“ない金を出せ言われてもサインはできない”やと!そんなもん、オマエの整形手術するくらいやったらオマエが出せ!税金番付で2位に3倍くらい差をつけてダントツやった成金は誰やあぁ~!!!・・・すいません、ちょっとバイオレンス入ってしまいましたが(爆)ダンナが公務員なうちの家族には非常に重要な問題なのでございます。ダンナは一応国家公務員。なんか響きいいし、日本の家族が最初聞いた時はそれだけで何か異様に安心したような、この職業。エリートっぽくって、給料もいいように思われますが、そんな事はございません。(ま、今のイタリアで安定した職についてるだけでも良い方ですが・・・)しかも、一番ショックだったのは、忘れしない、結婚してすぐの給料明細。“今月から扶養家族手当てが入ってるよ♪”なんて2人で嬉しそうに中を見たら・・・ ・・・10.33ユーロ。元2万リラからきてる、円でいうと、なんと約1400円。1400円で私が賄えると思っとんのかあぁぁぁ~・・・悲しい叫びでした。10.33という数字を見て、私が真っ先に思いついたのが収入印紙。滞在許可証を取る時や、何かしらの書類に必要になる収入印紙と同じ値段。はぁ、私の価値はそんなもんかい・・・とふてていた矢先・・・この収入印紙、最近端数を切って11ユーロに値上がりしました・・・(泣)あ、扶養家族手当ては、きっちりぴっちり10.33のままですんで・・・(号泣):::::::::::::::::::::::::::::::::::おとといの続きですが・・・今日、やっとこさ例の医者と話をして、不幸中の幸いにも“自分のミスだから”と緊急ってことで、6月頃には手術を受けれるようにしてもらえた!ほ・・・いや、待て、元々は6月のいつ頃かを知る為にかけた電話やったけど、いつの間にか何とか手術リストに入れてもらうって事に目的が変わってないか?“もういい、疲れたし・・・”そやね、手術が6月に受けれるだけでも感謝しなきゃね、この国ではね・・・
2005.05.13
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今日は3連休の最終日、でも天気が悪いので遠出はやめて近所の花と植木のフェスタに行き、帰りに友人宅に寄っておしゃべりして帰ってきた。で、ダンナはシャワーに、私はメールとネット・・・フィレンツェの友人で、今日本に帰省中の友人からメールがきていた。“今朝尼崎で電車事故があったんだけど、くみちゃんのご実家の近くだったよね。 ご家族に問題はなかった?心配でメールしました。・・・・”一瞬、時が止まったかのようだった。うちの実家は、バリバリ沿線。何かあったら電話かかってきてたはずやし、ともかく、姉のHPを見て、身内に犠牲者がいない事が分かってちょっと安心。ダンナがシャワーからあがってきて話をした後、今度は兄嫁のHPを見ようとすると“クミ!こっち来て!スゴイ事になってるよ!!!”急いでTVのある寝室に行くと、その惨事がイタリアのニュースでも報道されていた。見覚えのある車体、見覚えのある風景・・・他人事ではなかった。私は日本での社会時代、通勤にJRを使っていた。今回事故のあった路線は1社目の最寄り駅が乗り換えなしで、時間に差はあれど、まさに私が5年間乗り続けた電車。下車駅の改札の関係で、いつも1両目か2両目に乗っていた・・・まさに今回の事故でマンションに突っ込んだ車両・・・複雑な心境のまま、実家に夕飯を食べに行く。着くなり、ダンナ家族もさっき知ったようで、うちの家族は無事かとすぐに聞かれた。 “まさか、私達あの電車に乗ってないわよねぇ?”・・・一昨年の日本家族旅行では、ダンナ両親と妹は尼崎のホテルに泊まっており思いっきり使用していたのも、その電車・・・彼らも、ちょっとショックを隠せず。その後は普通に夕食、皆でTVを見てたのだが、やっぱり頭からあの映像が離れない。家に帰ると、もう1回ネットをつないで日本のニュースを見た。犠牲者名簿・・・まさか友達や、かつての会社の同僚はいないだろうか。ずらっと並んだお名前と住所、私の実家がある市の人も3割ほどいる。住所を見て、ああ、あの辺りに住んでる人か・・・と考える。とりあえず、知り合いはいなかった。関連の他の項目を見て、また時が止まる。私の母校の生徒が、遠足の日で2人行方不明。一体どうしてこんな事が起こってしまったのか。この運転士は、過去にもオーバーランなどのミスを繰り返していたとか。しかも、手前の停車駅でオーバーラン8mというのはウソで実際は40mだった、という事が後で発覚。人の命を何だと思っているのか。そういえば、今年の帰省で、まさに同じ路線でダンナと出かけた時、ある駅でオーバーランした事があった。まさか同じ運転士だったのか?読めば読むほど、腹ただしく、やるせない・・・時刻表どおり運転できるか1秒単位でチェックを行っていた?1秒や2秒の遅れで、いや今回のように、たかが1分の遅れを取り戻すためにあのカーブ(私もよく知っている)を規制スピードオーバーで突っ走ったなんて狂気の沙汰としか思えない、思えない・・・だけど。でも、もし自分が急いでいて電車が1分遅れたら?多分、ちょっとイライラする。きっと私だけじゃない。極端な人はきっと会社に抗議する。それでペナルティを課せられる、出世に響く、ボーナスに響く・・・日本って、電車でも何でも、特にサービス業は完璧が鉄則。運転士が悪くないわけではないけど、こういう状況を生んだ、生まざるを得なかった社会環境から正さなくてはいけないのでは・・・?イタリアではこんな事絶対ありえない(正反対の意味でいろいろあるけど)。イタリアの文句を散々言っておきながら何だけど、一方で日本はあまりにも早足でせっぱ詰まってきゅうきゅうて、そこからはみ出さないように必死・・・のような気がする。一長一短はどの国でも人もあるけれど、今回はその一番悪いところが最悪な形で一気に出てしまったように思えて仕方がない・・・今夜はちょっと眠れそうにない。犠牲者の方、犠牲者のご家族の方に、心からご冥福とお悔やみを申し上げます。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::下の日記↓は、24日でした。1日、間違えてしまいました・・・
2005.04.25
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昨日バッボから電話・・・“クミ、明日1時半頃家にいる?ちょっとお願いが・・・” 何かと思ったら、車に乗っててくれるだけでいいって。何ですかいなぁ?今日は、車制限があってナンバープレートが偶数は走行禁止。でも、マンマを仕事場のスーパーに迎えに行き、その後検査のあるおばさんを病院まで送るのにどうしても車がいる・・・で・・・私も乗る?そう、偶数車でも何でも、4人乗れば走行OK♪らしい。そんなんでいいんですか?イタリア政府さん?バッボがお迎えに来て、マンマの働くスーパーに向かう途中でも偶数車を何台も発見。 ま、私達も今は2人だから厳密には違法なんやけど、こんなとこに警察はおらんやろちゅう事で・・・とにかく、イタリアは車が多い。いや、多すぎる!!よってスモッグによる環境汚染が問題になっており、各都市ごとに車規制をやっている。 多いのは特に北部かな?でも、もちろん毎日ではないし、全車ではない。こんなんでは絶対おさまらんやろうし、もっと根本的な問題を解決したら?って私は思う。そもそも、何でこんなに車が多いのか?それは、公共の交通機関があまりにも不便やからに決まってる。イタリアで現在地下鉄のある都市はローマ・ミラノ・ナポリとトリノが現在工事中。フィレンツェも長年地下鉄論議がされてるが、大方は遺跡がでてきて工事が止まる、という理由で掘れないらしい。よって市内はもっぱらバス。本数は結構あるとは思うけど、夜は本数激減やし、運転は荒いし、たまったもんやない。 鉄道は、ユーロスターは何やら1日○本で快適♪とかCMやってるけど、地方の普通便はサービス最低・・・まず、本数少なすぎる、車両はボロボロ、遅れまくり。前に仕事で郊外に電車で出たが、本数は45分に1本でこれを逃すとヤバイ!と駅にダッシュでたどり着いたのに、45分遅れ・・・あの・・・15分の距離なんですが(爆)しかも、バスも電車もストライキしまくり。こんなもんやから、じゃ、車で!ってなる、ならざるを得ないと思うんですがっ!?前にダンナとこの話をしていて、“確か日本は駐車場がないと車買えないはず”と言ったら目を輝かせて感動していた。イタリアは、駐車場=路上駐車が普通です。よって、道という道の両脇は車、車、車・・・脇どころか、広いとこは中央分離ラインのことにもズラーっと一列。二重駐車、バス停前駐車、交差点駐車、歩道駐車も当たり前。しかもサイテーなのが、週に1回(うちの近所の場合)深夜に路上清掃車が回ってきて、 その晩はその道の駐車禁止(止めてたらレッカー)。なので、家の前・または近辺に清掃が入る晩に出かけたりなんかすると、駐車場所を探して、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる~とさまようう事30分、とかあり。こないだ友達は駐車した場所が遠すぎて、バスに乗ったとか!?あっほらし~こんな信じられん話は山ほどありますが、終わらなくなるのでこれにて・・・(終)
2005.04.19
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土曜日、登録をしている派遣会社から昨年の税金支払い証明書がきた。一応、目を通すと・・・あれ、この数字、変やないか?派遣会社は収入の2割を税金として収め、私の実収入は8割。昨年2回仕事したうちの1つの税金の欄が、2割でなく8割の数字になっている。ダンナにも念の為に確認をしてもらって、やっぱ間違えてるので今日電話をかけた。“チャオ~クミコ、何なに?”“税金の書類が来たんだけど、間違っているみたい(←あくまで断定しない日本人)” “・・・何?それどういう意味?”(←意味もへったくれもないっちゅうに)“RIT.ACCONTO VERSATAってIMPONIBILEの2割じゃなくちゃいけないのよね? それが8割になってるんだけど”“IMPONIBILEが全収入でRIT.ACCONTO VERSATAが2割よ、でしょ?”(←だから同じ事を言ってあげてるやんか~)“だから、それが間違ってるんだってば”“え?・・・万が一間違ってたら(←万が一じゃなくて100%間違ってるちゅうに) 訂正して送りなおすから、OK?じゃあね!”・・・おい・・・私は、キミ達の間違いをわざわざ電話して教えてあげてるのだよ。別に謝れとか、お礼を言ってくれとは言わんが、その態度は何やねん?彼女、この事務所のボスで、基本的にはいい人なんやけど、忙しかったり気がたっていると、こういう態度になる。何回も言うけど、イタリア人は自分の間違いを認めない人が多い。市役所の時もそうだった。“間違ってる?確認するわね”ってどうしてすぐ言えんのかい~!?私が細々とフリーという立場で仕事してるのは、この理由にもよる。まぁ、探したところで定職なんてあるほど今のイタリアは景気よくないけど、定職についてしまって同じ職場や関係者にこんな人たちがいると思ったら毎日ストレスで気が狂いそうになるに違いない・・・日本での社会人経験の中で、転職をしながら自分なりに考えた私の仕事における第1条件は、“人”である事に落ち着いている。仕事内容ももちろんあるんやけど、仕事での人間関係が非常に重要。私は気持ちよく仕事したい。他の人とも係わりながら、楽しく仕事をしたい。でも、それはあくまで、1人1人が真面目に仕事する上で成り立つ事・・・私は真面目に仕事するし、間違ったことは大嫌い。自分に対してもそうあるように心がけてるつもりだし、それが当たり前だと思っている。 が・・・ここではそうではないようだ(もちろんマトモな人もいるけど・・・)仕事でないなら、まだ許せるが、お金をもらって仕事をしているのに間違ってようが、迷惑をかけようがジ自己チューで平気な人が多すぎる!!!こういう事に、いちいちイライラすると気分悪くて自分も疲れて損した気分になったり ここで住む限りは、いい加減こういう事にも慣れないといけないとも思うけど、やっぱり自分の信じるマトモな感覚を保っておかないと、こういう奴らと同じ人間になってしまうという危機感もあり・・・ぶつぶつぶつぶつ・・・
2005.04.18
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最近毎日天気も良くって、日差しも大分キツくなってきました!こちらでは、日本ではかけたことなかったサングラスをかけるようになった。しかし・・・私はサングラスが似合わない・・・サングラスだけじゃなくってメガネ自体がやけど(泣)見慣れてないせいもあるだろうが、一番の原因は鼻にあると思う。いや、絶対そうや!私の鼻は・・・低い。日本人全体が一般的に欧米人と比べて低いのだが、私の鼻は・・・激低・・・ダンナがはじめて日本に来た時、うちの(イチビリ)父が“お前ら、2人とも横向いて!”と2つの激高い鼻と激低い2つの鼻を横から撮った事がある・・・第3者から見たらかなり爆笑写真だが、私は結構傷ついたのよ~!!!さて、サングラスだが前に持っていたのが壊れたので、実は昨年のクリスマスにダンナからプレゼントしてもらった。というか一緒に買いに行ったのだが、私に似合うものと言うのはかなり限られている。 鼻があたるところに、“ぽっち”がないとまず、スルと低い鼻を滑り落ちていってしまう。よって、流行で憧れの太めのフレームはこのぽっちがないのでアウト。何個も試着したうえ、やっと気に入ったモデルでぽっちがあるのを見つけ、購入。今日はじめてかけてもたのだが・・・普通に歩いている分にはいいが、チャリに乗っていて、少しでも衝動があると、・・・ズッ・・・とずれる。で、もう一回カタン、と揺れると、また・・・ズ・・・ズ・・・ズ・・・これでは、石畳でボコボコのチェントロではズレまくる事間違いない・・・“Mi garba tamtissimo il tuo nasino basso,mi fa impazzire(僕は気が狂うほどキミの超低い鼻が大好きだ)”とダンナは言うけれど(って、愛の言葉か、おちょくってんのか・・・)私はサングラスの似合う、いや少なくともズレない鼻が欲しかった・・・トホホ。
2005.04.04
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先週ずっとバタバタしていたけど、やっと予定が何もない日。天気もいいし、本当に春がやってきた!という感じ・・・うちのコンドミニオの1階に住んでいるオバサンの庭の花も、ちょうどつぼみが開きだし、チューリップもすくすく育っている。買物の時に通る公園には子供づれのお母さんやら、犬連れの人やら、おじいちゃん・おばあちゃんが散歩したりベンチに腰掛けたりしている。当たり前のこんな風景が、何となく幸せに思うようになったのはいつの頃からだろうか。 イタリアに来て3年半、何もかもに必死だった1年目、今のダンナと離れられなくなり結婚を決めた2年目、仕事ややりたい事の方向性も見えてきた3年目・・・昔は新しい事だらけだったのに、今はそれも当たり前となったけれど、その当たり前の事の中の、こんな小さな事にほのぼの暖かい気持ちになれるのはきっと生活が落ち着いてきたから。海外に住んでいる、自分の身は自分で守らなくてはという警戒心が全くなくなった訳ではないけれど、昔は漠然といつもあった不安感はほとんどない。きっとここにも家族がいる、そしてこれからは自分達で家族を作るという計画があるから。いまや平凡となった普段の生活は、昔バリバリがむしゃらに仕事してい頃にイメージしていた将来の自分像とは少し違うけど、今のこんな平凡な生活をとても幸せに思う。英語教室から歩いて帰ってくるとき、犬の散歩中のオジサンとお話しながら自分もちょっと犬の散歩している気分になったり、スーパーのレジで後ろのオバサンの商品を持ち上げる手伝いをしたらカードを忘れたからと言って私のカードにポイントをつけてくれたり、そんな些細な事に幸せを感じられる、穏やかな生活をいつまでも続けていたいなぁ~・・・とぼんやり考えた、久しぶりにのんびりとした1日でした。
2005.03.22
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昨日の筋肉痛でちと辛いながらも水の買出しにエッセルンガへ。今晩も先々週、審判が来なくて流れたバレーの試合があるのでダンナが帰ってきてから夕食のパスタソースの下ごしらえをする。ダンナがシャワーを浴びると、さて、今日もお注射よ~♪・・・と昨日うまくいったもんでちょっと余裕。おとといは破壊したボトルも2本ポンポンっと開け、順調に注射器に吸い取って、ダンナ、ハイお尻出して!そこでアルコールをコットンに含ませようと準備万端の注射器をたてかけたところ・・・“ノオォォォオ~!!!!!!!!!!!!”・・・調子にのっていたのか・・・注射器を床に落としてしまう・・・あまりに動揺して、“フーフーすれば大丈夫やんなっ!?”↑食べモンやないっちゅうに“クミ・・・埃ついてるって”(ちょっとあきれ気味)“アルコールで拭いたら大丈夫ちゃうっ!?”↑意地でもひかないアホな私“ノー、ノーノー・・・”(完全にあきれている)・・・自分が情けなくて、これも考えてみたらアホやけど泣きそうになった。普段めったに落ち込まない私でもブルーになるツボというのが少しあって今日のコレは、ツボにバッチリはまってしまった・・・私のそんなところも分かっているダンナがあきれ顔から一転、“大丈夫、今日は念の為やったから打たなくても問題ないよ”“・・・念の為でも打っといて越したことはなかったやろ・・・”優しいダンナが癒してくれるのを知ってて、アホな事を言う。“・・・注射の上手な奥さんもらった方がよかったんちゃう・・・”“注射の上手な奥さんもらったよ!昨日完璧やったし、失敗はつきもの!”こんな私のスネた言動に付き合ってくれる人はアンタしかいないよ・・・ダンナの心の広さに感謝すると同時に、果たして自分の良い奥さん度ってどれくらいなもんか気になってしまった・・・都合の悪い事(?)に、伊男性には珍しくダンナは1人暮らし経験も長く、家事は何でもできる・・・どころか、私よりも上手なものがほとんど(泣)ちょっと自己採点(いや、反省)してみると掃除:やる時はやるが、1人ではやらない、週末にダンナとやる→ダメ妻アイロン:嫌いなのでまとめてしかやらない→ダメ妻 伊の習慣に従い、パンツや靴下にもかけてあげる→努力は認める裁縫:ボタンつけやかがり縫いなど必要最低限のみ→努力しましょう買物:スーパーの特売や底値は全て把握→唯一自信のあるのはコレ料理:プリモは得意だが、セコンドのレシピが少ない→努力しましょううぅむ・・・愛するダンナの為にも頑張らないと、またうちの母に“マッシ、かわいそうやな~、アンタみたいな嫁もろて”などと言われてしまう!どころか、こっちのマンマにもいつあきれられるかわからない・・・でも!今晩は得意なパスタとあって、超美味しいかったよ~最近野菜づくしに凝っている私達、今晩はその名も“Primavera”! どや~!玉ネギ・セロリ・人参・赤パプリカ・ズッキーニ・じゃがいも・トマトが入ってます。 レシピは本編よりどうぞ。今日の試合会場は近所なので、1人でてくてく歩いていく。先々週練習試合の時から考えると、この薬剤師チーム結構強い。今日のうちのチームはススムがいないのでアラタ君がセッターにまわり、そのおかげか私はレフトにいけた。今晩は何故か?皆気合が入っており、最終的に1-2で負けてしまったけど私的には今期最高の試合やったと思うんやけど、ヤル気がなかったくせにこういう時だけ超マジに“今日はとらなきゃいけなかった○×△(以下、パロラッチャ)~”とか言う。“もちろん勝つに越した事ないけど私は楽しかったよ!今までと違って!(←強調)” “そうだよ、オレ的にもかなり楽しかったよ、一番大事なのはこれじゃないの?”とルカ。いや、マジで。弱い相手に何となく勝った昨日よりもよっぽど気持ちいい。やっとこさいい方向に向かってるかな、という事で・・・次週3月4日の試合、観客大募集!!!・・・ってフィレンツェ在住者で読んでくれてる人、かなり限られてるし・・・しかも興味あるんかって話もあるし・・・万が一興味ある人、連絡お待ちしてます!
2005.02.24
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トレヴィーゾの友人がやってくるからと言う事で、今晩は外食。何の友達かって言うと、ダンナの夜間学校時代のクラスメート。うちのダンナの経歴は少し変わっていて、知り合って間もない頃は、説明されてもよく分からなかった。まずは・高校最終年に中退・兵役1年間・国家公務員試験合格、研修・でもポストがなく職を探し、コックを2年半・ついにおよびがかかり、公務員になる(現職)・夜間高校に2年通い、無事卒業らしい(今でもこれであってるのか自信がない)この夜間高校は働きながらだったのでキツかったらしいが、かなり楽しくもあったようで、その頃のグループで特に今トレヴィーゾで警察官をやっている、このダニエラがフィレンツェにやってくると必ず集合するのだ。今日は、大分前の日記にも書いた、郊外のアックア・ケータへ。その友人や家族も来ていて、クラスメートは9人中4人だけだったがあの先生が、とか、あいつ覚えてる~とか、こんな事あったよな~というネタでかなり盛り上がってきた。こっちに来て、いろんな事があって、この3年半ガーと突っ走ってきたけれど、特に今回日本に長く帰ってたせいもあるけれど、やっぱりこっちで“足りない”ものは家族と昔からの友達。私のそれは、特に高校時代の5人グループ+先生で1月3日に集まった時は腹がひきちぎれるくらい笑ったもんな~先週はそのうちの1人から亡くなった先生のお墓参りに行ったというメール、そして一昨日は、更にもう1人でロンドンにいる友人から仕事も見つかり彼ともうまくいっているというメールをもらった。彼女らとの付き合いも、もう17年か・・・
2005.02.15
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最近、まわりで嫁・姑問題のゴタゴタをよく聞く。まぁありがちねっていうもんから、背筋が凍りそうなもんまで・・・私の年代的にもちろん嫁からの姑問題ばかりなのだが・1人息子をとられて嫁に超ジェラシーの姑・家の跡取り?の孫に異常に執着心のある姑・家・財産問題で、これまた異常に執着心のある姑・家に来ると掃除の具合とか新しい物を買ってないかチェックする姑・イタリア一番と思ってて、日本のいいところを聞くとキレる姑などなど・・・最後の1つ以外は日本人嫁だけの問題ではないのだけれど・・・うちの姑はさっぱりしていて、私にもよくしてくれるし、私達がする事に意見らしきものはするも、何も干渉はしてこない。約1年前に日本にも旅行に来た日本びいきだし、今日も彼女の働くスーパーに行ったら、いろんな人に“これ、うちのFigliola!”と、義娘と言わず、実の娘という単語を使って私を紹介してくれるし、今のところ何の問題もないんやけど、いろんな話を聞いて、“イタリアって、特に孫命だから・・・”と言われると、“早くバンビーノが見たい♪”と待望している彼女を見ると信じてはいるけれどちょっぴり、ほんのちょっぴり怖かったりして・・・。
2005.02.04
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最近、ちょっと思う事・・・ダンナがそれでいいと言ってくれるのに甘えて?間に受けて?・・・私、すっかり自分磨きを怠りまくってはないだろうか?髪形もずーっと一緒だし(楽という理由でそのスタイルに長年定着)、よーっぽどの事がないと化粧しないし(ここ数年買ってもいない)、うちの母曰く、顔はうぶ毛いっぱいだし、日焼けもし放題やし、スカートやアクセサリーなんて、一体いつ依頼身につけてないやろう・・・?それから、なんかぐうたらしている。昔、私っていつも何かに熱中していた。年のせい、結婚したせいもあるのかもしれないけど、何か物足りない?一方で、がむしゃらに突っ走ってた時代に比べると、自分らしさを求めて無理はしなくなった、という良い方向の解釈もできるんやけど、仕事も自分が納得いかない&気の合わない人との仕事はしないしなぁ。そのくせ、新居のローンの心配をしてみたり、ならバカンスは無理かなぁと悲しくなったりもして・・・だったら働けよ!と自分でツッこんでみたり。・・・結論:ぼちぼち頑張ります。あくまで“ぼちぼち”。こんな私、やっぱりイケてない?
2005.01.30
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