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以前の日記 に書いた友人の葬儀から、2年が過ぎた。先日は三回忌。お線香をあげに行ってきた。仏壇の位牌は、戒名でなく、本名。ほんとうに彼らしい。仏壇の前で色々と思い出話をした。葬儀の時から気になっていたのは、葬儀の時に、キーボード、バイオリン、フルートで奏でられた、「Let it be」や「酒と泪と男と女」などの選曲を誰がしたのか、ということ。あまりにも悲しく奏でられたこれらの曲を、故人が生前に選んでいたとすれば、あまりにも完璧で悲しすぎるからだ。奥さんも当日を思い出し、新たな涙で教えてくれた。「主人は死ぬことは考えていなかったようです。ですから、あの曲は、私が選びました。主人が好んでカラオケで歌っていた曲です」「戒名を貰わなかったのも私たちの考えです」そうだったのか、さすがの彼も、死ぬことまでは考えていなかったのか。胸のつかえが取れた思いがした。
2008.10.06
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韓国をバスで揺られていると、山肌に土まんじゅうなどの墓が目立つ。これらの土まんじゅうは“お墓”だという。土葬がまだまだ主流で、火葬は少なく、大きな墓を望む人が多いという。土まんじゅうだけならいいのだが、その周囲を“墓所”とするので、墓の面積が増えて、遠い将来は“墓だらけ”になると指摘されているそうだ。そこで、火葬の勧めのTVCMがあるという。政治家やタレントが「私は火葬を望みます」と啓蒙するようだ。そして、火葬用の団地式墓地を国が作ったが、利用申し込みが少ないという。土葬から火葬への移行、日本ではスムースにいったのだろうか?先祖を大切にしたい韓国の人にとって、この移行は大変なようだ。
2008.09.19
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葬儀の連絡を受けた。少々遠方で鉄道の駅より遠いところだったので、通夜や葬儀の日程を聞かずに、車で向かった。葬儀には酒は付きものだから、列車で行くのがいいのだが、時間が遅くなり帰れなくなる恐れが大きいので、日程を聞かずに、行くだけ行って、線香を上げて、そのまま帰ってこようとしたのだ。だが、予期せぬ事があった。「お線香を上げさせて下さい」と申し出て、案内されたのは、榊が立てられた祭壇だったのだ。神道式の葬儀だった。60年と半年日本人をしてきたが、神道式の葬儀は初めてだった。どうしていいのか分からなかった。真似をしようにも、通夜式前で、手本になる人はいない。「しきたりが分かりません」と白状した。「どのようでも結構です」と言われたので、頭を下げて、手を合わせてきた。葬儀の日程をしっかり聞いていれば、「神道式で執り行う」の案内があったのであろう。考え直した出来事だった。
2008.04.02
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取扱説明書を略して、取説。退職してから、自動車を買い換えた。 車と一緒にカーナビも変わった。 携帯電話を買い換えた。買い換えても、運転もでき、カーナビも使え、携帯電話も使える。取説無しでも何とかなる。だが、フトしたところで、引っかかる。 道路情報を聞くのはどうするんだ・・・ このカーナビの表示マークはなんだ・・・ 携帯のカメラでのフラッシュ撮影はどうするんだ・・・などなど。その都度、家に帰ったら取説を読んでみよう、と、思うのだが。読むのが億劫で、読まないことが多い。こうして、新しい機械が使えなくなっていくのだろう・・・それが、老化の始まりか・・・
2007.12.30
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小さな葬儀をどこで行うのか・・・・考えてしまう。いわゆる斎場施設で行う場合、申込の時に、「参列者はほとんどないと思います」などと言おうものなら、「あいにく予定が埋まってまして、10日ほど先になってしまいます」と、断られるのではないかと思う。返礼品や食事で儲ける斎場屋は、大人数の葬儀を優先するに違いないのだ。おおよその参列人員を聞いておいてから、少人数の依頼者には、「空いてる日がございません」と断るのではないだろうか。そうなると、最初は「200人位は参列されると思います」と言って申し込むのがいいのかも知れない。日程が確定したら、こじんまりとすることにしました、と言えばいい。ま、世の中のほとんどが、高齢化、少子化、となれば、小さな葬儀が当たり前になるのかもしれないが・・・
2007.11.26
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私が参列した葬儀で、会葬者がいちばん少なかったのは、9人だった。親族が3人、故人の長男の友人(私がそのひとり)が6人だった。故人はひとりっ子。離婚している。故人の長男もひとりっ子、これまた離婚している。いわゆる親族は、故人の子と、その子(孫)の2人、の3人だけ。故人の長男は会社員だったが、リストラの直後で、仕事関係者はゼロ。清めの席の寂しいこと。用意された数十人分の食事が寂しそうだった。これは、他人事ではない。親族が数人、という葬儀が多くなると思われる。「記帳だけしてくれば義理が済む」という葬儀は少なくなることだろう。
2007.11.19
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これからはひっそりとした葬儀が多くなると思われるのだが、私の母の葬儀も例外ではないだろう。母の姉弟は多いが、物故者や高齢者ばかりで、その子たちとはほとんど交流がない。父は20年ほど前に他界しているので、父の姉弟やその子にまで知らせるべきなのか、考えてしまう。私の姉は現役を引退しているし、わたしも引退したので、仕事の関係者に連絡する必要はないと思われる。また、母は長年住んだ地を離れて老人ホームにいるから、近所の人との付き合いもない。小さな小さな葬儀になるであろう。・・・そして、私自身の葬儀は、もっと簡単になるであろう・・・・
2007.11.17
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小さな、参列者の少ない葬儀に参列した。「こぢんまりと葬儀をします」との案内があったのではない。結果的に参列者が少なかったものと思われる。亡くなった人は87歳、三人姉弟の末っ子だという。兄姉はすでに他界している。それらの子(故人の甥や姪)が何人いるのかは分からないが、親族の席に座っていたのは、7人だけ。故人の子供さんは現役を引退しているのだろうか、会社関係の人の参列もないようだ。浄めの席は40人分ほど用意されていたが、そこに座ったのは、15人ほど。席を立って帰ろうにも、帰れない雰囲気になってしまった。高齢化、そして少子化。これからはひっそりとした葬儀が多くなるものと思われる。
2007.11.13
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ここ1ヶ月、自室の掃除をしていない。 資料やコピー、 FAXや郵便物、 開いたままで重ねた本、 カメラやレンズ 充電器や電池 ラベルを剥がすはずのワインの空き瓶、などで、ごった返している。カバンの中もごった返している。どこから手を付けていいのか・・・逃げ出したいほどだ。それに、ホームページの更新がストップのままだ。これもやらなければならない。退職後の旅行の申込みもしなければならない。帳面も書かなければならない。仕事は一段落したのだが、月末。しばらく、このままか・・・・
2007.07.30
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葬儀に飾られている遺影では少々苦い記憶がある。今回の通夜と同じように、祭壇のある部屋に入りきれない参列者が廊下を埋めていた通夜だった。「この部屋でよかったのか」との不安を無くすために、廊下にいる人を押し分けて祭壇を見に行ったのだが、見慣れない遺影だったのだ。故人は82歳。30年以上の付き合いがあるので、遺影が故人ではないことは直ぐに分かった。いや、分かったのだが・・・どこか似ている・・・とは思った。祭壇の生花の名を見ると、故人の親戚らしい「姓」がある。やはり、ここでいいのか・・・と思ったのだが・・・今度は「死んだ人を聞き間違ったのかもしれない」との不安が生じた。遺影は、60歳くらい。遺影は、故人が被ったのを見たことがないベレー帽を被り、ふくよかだ。そうか、逝去した人は・・・娘さんか・・・いや、通夜と葬儀の連絡はFAXでもらっている。それを持って来ている。FAXを再確認した。逝去したのは間違いなく、82歳の知人だ。すると、この遺影は・・・・故人の希望なのだろうか・・・・故人にしてはあまりにも若すぎる。「変わり果てた姿」というが・・・「変わり果てた遺影」は考えものである。
2007.05.08
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通夜や葬儀に参列して、「ふ」と心配になるのが、「この会場でよかったのだろうか」ということ。故人の自宅での葬儀ならその心配はないが、大きな斎場になると、何件もの葬儀が行われているから、「間違っていないだろうな」とチェックしたくなる。チェックポイントの第一は、祭壇にある故人の遺影。友人の父・・・など、会ったことのない人では確認はできないが、友人知人であれば、遺影でチェックができる。第二に、故人を直接知らない場合は、生花の氏名を見ること。見覚え、聞き覚えのある親族の氏名や関係した会社の名前で確認できる。しかし、祭壇のある部屋に入れなければ、このチェックはできない。今回の通夜は、「立ち入り禁止」のごとく、「焼香は案内するまでお待ち下さい」の立て札が通路をふさいでいた。廊下で長いこと待たされていると・・・・ここでよかったのか・・・・と思えてくる・・・・
2007.05.07
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昨夜、この連休の中、通夜に参列してきた。参列者の顔ぶれを勝手に予測して、「少ないのでは・・・」と思いながら行った。だが、通夜の会場に入りきれない参列者だった。遺族にとっては、予想外の参列者数だったのだろうか?いや、適当な広さの部屋が空いていなかったのかもしれない・・・定刻少し前に記帳したのだが、祭壇のある部屋は満席で入れず、その前の廊下で「焼香」を待たされた。読経は聞こえない、時折、チーンというリンの音が聞こえるだけ。この部屋でよかったのだろうか?間違ってよその通夜に並んでしまったのではないだろうか?こんな処で待たされて、故人はそれを望んではいないはずなのに・・・こんなことを考えながら、焼香の順番が来るのを待った。「立ち席」でいいではないか、できる限り、祭壇の部屋に通すべきだと思う。斎場の勝手で、「整列」「順番」「段取り」が優先されているように思う。
2007.05.06
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同じ年代の仲間数人とお酒をした。話の筋道は、定年のことか介護のこと、に落ち着いてくる。誰かが「私の母は靴下を山のように持っている」と言い出したら、「え、うちの母もそうだよ、100足はある」「我が家もそうだ。引き出しに入りきれないほどあるのに買ってくる」と、各人が、同じ状況を話し出した。実は、我が母もそうなのだ。母が老人ホームに入った後、部屋の整理をしたら、有るは有るは、大きなゴミ袋3個分以上でてきたのだ。その全部が使用されていて、新品はひとつもなかった。洗うのが嫌で買い貯まった、ということでもなさそうだ。どうしてこのような行動になるのだろう?その場は「不思議だね~」で終わったが、以来、気になっている。
2007.05.04
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友人がバンドをしている。「バンドをしている」というのは、日本語的におかしいかも知れないが、ギターとドラムで演奏する小グループの活動のこと。 このほど、そのバンドのステージがあった。「ステージがあった」というのも、日本語的におかしいが、ステージで演奏会をしたということ。 友人のグループは、全員が50歳を超している、というが・・・50代後半と60代というところだろう。いわゆる、団塊の世代の、おじさんバンドだ。 大きな音でギターを鳴らし、ドラムを叩く。うらやましい趣味だ。 総出演者よりも少ないであろう観客の方も団塊の世代。懐かしい曲に体が動いた。 全員が集まって練習する時間は少ないようだが、演奏はプロ並みである。欲を言えば、服装を、もう少し上品にして、色気(?)を出して欲しかった。おじさんは、こんな時しか特別のおしゃれができないのだから・・・
2007.03.04
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『60歳を迎えたら仕事をスパッとお辞めになる、とお聞きしてから、分けも無く脱力感と言うか、何と表現して良いのかわからないのですが・・・・ちょっと情けない日々を過ごしておりました』 「この8月で辞めます」と伝えたお得意さんから、こんな書き出しのMAILをもらった。同じ年代の人だ。 あんたはいいよ、辞めると言えば辞められるのだから。 私だって辞めたいのだが、社員のことを考えたら辞められないんだ。 だけど、あんたの選択は羨ましい。 そこを考えると情けなくなる。と、言う。 辞めたくても辞められない人もいるのだ。その人に「辞めるんだ~~」とうれしそうに言うのは「罪」なのだ。反省すべき点だ。 だが、「自分の意思で辞める」ことだけは知らせたい。万一「悪事がバレて辞めたんじゃないの」などと言われたら、これまでの仕事が「無」になる。
2007.02.24
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数日前の新聞に興味ある記事が載っていた。それは、「老後に夫と同居すると、妻の死亡リスクが2倍になる」というもの。 濡れ落ち葉的夫の依存が妻に負担をかけている・・・だから、妻の死亡リスクが高くなる・・・そして、妻に先立たれた夫は依存先がなくなるので長生きできない・・・という。 なるほど・・・これは分かる。自分自身、年齢とともにマイペースになり、依存心が大きくなっているのが分かる。退職して「妻依存症」にならないよう・・・自立した道を歩こうと思っている。 掃除、洗濯、料理(ケーキはダメだが、チャーハンやラーメンくらい)は・・・できる・・・つもり。 友人の父母は、別々の老人ホームに入っている。一緒にいると喧嘩が絶えないから、だという。 痴呆がすすめば、そうなるのだろう・・・・が、こんな独立は困る。
2007.02.08
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