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石田玲著 新葉館出版最近、私の日記のタイトルも長く、本のタイトルも長くなっている。Mrs.Lindaさんに紹介をいただいたのが、「女70歳のアメリカ一人旅 ルート66からはじまる大陸走破11100キロ」という、長いタイトルの本。そして、その次ぎに「生涯現役! アメリカ横断ウルトラばあさん・・・・」と、何行も続く。著者は、カメラマンでアメリカ在住。ルート66のドライブ記は多数あるが、アメリカに住んでいる日本人が、しかも、高齢のご婦人が書いたのは、これだけだと思う。当然のことながら、日本人の書いたものは、日本人の目でアメリカを見ているが、著者の石田さんは、アメリカ人の一人として旅先のアメリカンを見ていて、その違いが、読んでいて嬉しい。著者は、LAからシカゴへとルート66を走っているので、シカゴからLAへと走る計画をしている私には、方向感覚が変になる所もあるが、「ロサンゼルスの江戸っ子」ならではの文体が楽しい。著者はカメラマンなので、多数の写真が挿入されているのも楽しい。たた、カラーでないのが残念だ。光沢紙を使った本なので、カラーを考えたのではないかと思われるので、なおさらである。
2014.03.02
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新潮45 2013年11月号から2013年10月18日発売の、新潮45 11月号を読んだ。新潮45を全部読んだのではない。その中の7ページ、『「全聾の天才作曲家」 佐村河内守は本物か』を読んだ。少し前に話題になった、あの、全聾の佐村河内守は本物かといういう訴えだ。筆者は、野口剛夫氏。東京フルトヴェングラー研究会代表という肩書きの音楽家だ。後出しジャンケンのような、評論家のような、「おかしいと思っていた」という内容ではない。発売日からしても分かるように、何ヶ月も前の指摘だ。勇気ある指摘だと思う。野口氏は、ゴーストライターとして名乗り出た新垣隆氏と同じ桐朋の関係者なので、新垣氏から泣きつかれて、野口氏がこれを書いたのかと思ったが、読んでみて、それを感じる部分はなかった。野口氏は、マスコミも、音楽業界も、全聾というお涙頂戴に流れて、金儲けの手段にした、と指摘している。また、佐村河内守の交響曲第一番については、「マーラー、ショスタコービッチ・・・過去の巨匠たちの作品を思わせるような響きが随所に露骨に表れる」と評し、つまりは、全聾でありながら、「マーラーの交響曲の焼き直しような響きになってしまうのは、いったいどう理解したらよいのだろう」と、全聾を疑っている。この新潮45が発売された時に、関係者はどんな検証をしたのだろう。変な音楽家が、やっかみで好き勝手なことを書いている、と黙殺したのだろう。反省のない社会は日本をダメにする。
2014.02.27
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東野圭吾著 光文社図書館のネットで、「貸し出しベスト30」のページを見た。この半年間に貸出件数の多かった本などのランキングだ。で、「カッコウの卵は誰のもの」が5位にあった。カッコウといえば、托卵。托卵とは、よその鳥の巣に産卵して、その巣の持ち主に卵を孵させること。そして、生まれた雛は、本家の卵を巣から落とす、というもの。そんな内容の本かと思って読んだら、推理小説だった。著者、東野圭吾の名を見落としていた。だが、読みやすいので、一気に読んでしまった。久しぶりの推理小説だった。人様の小説に、どうこう言える立場にはないが、「実はこうだった」というのが多く、乱暴な展開に無理を感じた。結論を急いだようだ。
2014.02.08
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3年前に、ちょうど3年前に、「ダヴィンチ・コード」を読んだ。最初は読みづらいと感じた本だが、結局は、暗号が気になって、上下2巻を一気に読んだ。そして、この著者は映画化されることを意識して書いたのではないかと、思えてきて、図書館にDVDの予約を入れた。予約をした時点で、130人待ち。その年の秋頃には順番が回ってくるだろうと思っていたが、結局、3年後の今になってしまった。画像は、図書館の予約画面。2011/01/30 に予約をし、順番が回ってきたのは、2014/01/31 となっている。気が長くなったというか、急いで観る必要もないだろうと思うこともあったし、貧乏性が待たせた結果でもある。本の内容は、覚えている・・・と思う。DVDを観れば、本の内容を想い出すことができると思うし、映画ではどのように表現するのか、と想像した場面も思い出すことだろう。
2014.02.03
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新潮文庫「怒りの葡萄・上巻」から映画「怒りの葡萄」をDVDで見て、原作の小説を読んでみたくなった。原作のどこを映像にしたのか、少なからず、興味が湧いたからだ。もちろん、映画監督になろうとか、脚本を書いてみたいとか、そんな野望などあるはずはない。長い小説のどこに着目したのだろうかという、のぞき見的な興味だ。ということで、図書館で検索したら、最初に新潮文庫の上下巻が出てきたので、先ずは、上巻を借りて読み始めた。映画では、ほんの数秒の情景を、ジョン・スタインベックは、数ページかけて描写している。いや、小説が先にあったのだから、この逆なのだが、著者ジョン・スタインベックの描写の緻密さと、それを映像にしたジョン・フォード監督の力を強く感じた。しかし、古い文庫本なので、活字が小さい上に紙が黄変しているので、年寄りの目には厳しい。そして、行間が狭いので、次の行にスムースに行けない。同じ行に戻ったり、一行飛ばしたり、かなり苦戦した。結局は、小説の、これでもかこれでもかという情景描写に退屈し、小さい活字と狭い行間に負けて、前半でギブアップした。よく「映画を先に見るか、小説を先に読むか」と言われるが、「怒りの葡萄」に関しては、(大きな活字で、)本を先に読むべきと思った。
2013.12.22
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中公新書ラクレ ぷらり日本全国「言語遺産」の旅 からわぐりたかし著「ぷらり日本全国「言語遺産」の旅」を読んだ。著者のわぐりたかし氏が、ラジオで、言語遺産をネタに旅をしている、と言うのを聞いたのがきっかけだ。言語遺産の旅とは、例えば、「べっぴん」という言葉はどこでどうして生まれたのか、ということについて、生まれた地を訪ねて、その関係者や親族に話を聞き、それにまつわる“証拠品”があるなら、それを見せてもらう、というもの。また、その言葉が生まれた背景が通説となっていても、その地を自分の目で確かめて歩く、という姿勢の持ち主であって、例えば、大相撲の「タニマチ」の語源となった医者を訪ねて大阪の谷町筋を訪ねるのだが、医師会で医師の名簿を閲覧して、通説で言われている医者ではない、別の医者から「タニマチ」が生まれたことを探し出してしまう、そんな姿勢だ。私も、日本一や世界一を見て回ることがあるが、わぐり氏のような見方をしたいものである。なお、同氏の「地団駄は島根で踏め」は、このシリーズの第1作である。
2013.10.08
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我が家のさっちゃんが絵本を買ってきた。我が家の親族関係には、絵本を上げるような子供はいない。「どうしたの?」と聞くと、「広告にあって、読みたくなったから」と言う。それは、「月の満ちかけ絵本」(大枝史朗・文 佐藤みき・絵 あすなろ書房)。月の満ち欠けには難しいことが多いが、今さら絵本ではないだろうと思ったが、我が家のさっちゃんは、数ページでストップしてしまった。「理解できないと先に進めない」というのだ。絵本だから、そんなに難しいはずはないだろう・・・と、ストップしている間に絵本を借りたが、30分程で読み終えた。確かに、月・太陽・地球の関係図には、昼と夜とが混ざっていて、理解しがたい部分があるが、なかなかよくできている。で、この絵本で一つ学んだ。それは、一週間はなぜ7日なのか、ということ。これまで、考えたこともなかった!
2013.03.10
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ぶあいそう・・・と書いて、無愛想。愛想がないことを、無愛想という。ならば、愛想とは・・・?と、書いていて、自分で分からなくなってくる。愛想って、何だっけ?で、これは、BUAISO。(週刊誌サイズの一部)某病院の待合室にあった雑誌だ。ふた月に一度くらい尋ねる病院だが、はじめて、この雑誌を見た。いわゆる情報誌で、雑学、ファッション、グルメ、などが載っている。記事の中身は別として、紙はいい、印刷もいい。だが、何がBUAISOなのか、パラパラとめくっても分からない。奥付を見ても、前付けを見ても、分からない。自己紹介をしないから、BUAISOなのか・・・有料購読を目標にしているようだが、この無愛想加減では・・・無理だと思われる。せめて、ネーミングの理由くらい書いたらどうなんだろう。それが、情報社会の掟だと思う。
2012.07.14
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須磨久善著 講談社 「タッチ・ユア・ハート」著者は心臓手術の最先端を走ってきた外科医。NHKのプロジェクトXにも取り上げられた国際的にも名高い名医だ。その外科医が「サイン会をする」というので、軽い気持で出かけた。医学書でサイン会はないだろうから、健康に関する実用書か・・・などと思っていたら、自伝、だという。イタリアの医大の教授をしていたところから自伝は始まる。その辺の旅行記より数段に面白い、その辺の食べ歩き本より美味しさが伝わる、心臓外科学会の様子が手に取るように分かる、そして、奥さんと愛犬の描写が面白い著者は、日本で初めて、心臓の一部を切りとって心臓を小さくする、バチスタ手術(左室縮小形成術)を行った医師。「売名行為だ」との批判を受けながらも、何例もの手術を成功させた業績は偉大だ。ということで、久しぶりに一気読みした。
2012.07.09
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梶井基次郎 ちくま日本文学長いこと気になっていたことがある。それは、「桜の木の下には死体が埋まっている。だから、桜があのような色をしている」というもの。落語のマクラで聞いたのか、ラジオのパーソナリティが言ったのか、おしゃべりな歌手がコンサートで言ったのか、記憶がないが、誰が、いつ、言いだしたのか、調べたいと思っていたのだ。簡単なのはネット検索。だが、ネットの信憑性は低い。特に、この「桜の木の下」については、自分が発見したような書き方をしたものが多い。今年も、桜の季節になった時、これを思い出した。誰なのだろう?ということで、ネットの検索を総合して、この本に行き着いた。梶井基次郎の作品を集めた本だ。この本の中に、「櫻の樹の下には」と題した作品が収められている。まさに、桜の木の下には死体が埋まっている、という内容だ。だが、その表現に明るさはない。暗く陰鬱な表現が続く。梶井は、胸も心も病んでいたようだ。荒廃した梶井の心が、「櫻の樹の下には」を書かせたのだろう。読んでいると、こちらまでおかしくなってきそうな作品だった。
2012.05.29
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伊達宗行著 ちくま新書 「理科で歴史を読みなおす」を読んだ。理科の知識を作用させて歴史を見直した本だが、 古代人はどのように直角を出したのか 10進法、12進法は、どのようにして生じたのか理科というよりも、算数という方向から歴史を見たように感じた。例えば、12進法の説明では、狩でしとめた獲物や木の実を仲間で分ける時、公約数が多い12個という数が一単位になったのだろう、と言う。12なら、2人でも、3人でも、4人でも、6人でも、余りなく分けられたからだ。時代は、古代から縄文あたりが多いが、戦後間もなく、日本は世界に先駆けて用紙のA列B列を採用した、という点も興味が湧いた。時として難しい世界に入っていくが、なかなか面白い本だった。著者があとがきで断っているが、著者は物質の基礎科学の学者であり、歴史の専門家ではない、という。学者と呼ばれる人は、目の付け所が違うようだ。
2012.05.11
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ダーリンは外国人(小栗左多里著・メディアファクトリー)を読んだ。これは英語版で、2年前に発売されたもの。図書館に予約をしていたのだが、2年も経って、順番が回ってきた。予約していたの忘れていた。英語版だが、日本語も並列で書いてある。漫画に2カ国語でセリフが入っているので、文字が小さく、年寄りの目には厳しいものがあった。日本語を英語に直したもので、かなり意訳しているから、生の英語という感じだ。下手な英会話本より役に立つ感じがする。とはいえ、読んだそばから忘れていくので、英語は何も残っていない。
2012.04.14
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「問題な日本語」 北原保雄編 大修館書店 を読んだ。この本は、明鏡国語辞典の編者と編集委員が書いたもので、なぜ、こんな日本が使われるようになったのか、どこが問題なのか、などを明解に解説していて、例えば、「っていうか」という日本語は、「子どもっぽい、教養がない」と、まとめも書いている。目からウロコ状態だったのは、雰囲気を「ふいんき」と読んで、そう話す若者が少なくないということ。そんな、ばかな。そのような事を聞いたことがない、と思いながら、一太郎に「ふいんき」と入れて変換したら、「雰囲気《ふんいきの誤り》」と出た。世の中、変化しているということのようだ。で、このような逆さ読みが定着した例は他に、 あらた「新」 あたら(しい) さんざか「山茶花」 さざんかなどがあるという。これも目からウロコだった。で、この本のタイトル「問題な日本語」も、適切な日本語ではないという。なかなか面白い本だ。現在、「その4」まで出版されれいる。
2012.02.26
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本格的な敬語の本、「社長は食べられました」 山田永著 集英社 を読んだ。タイトルの「社長は食べられました」は「社長は召しあがりました」と言わないと、社長は怪獣に食べられてしまった、と誤解されるという警告のようなもの。これは、真面目なというか、本格的なというか、正統派のというか、純粋に敬語を扱った本。なので、「きょうは暑いですね」 「暑かったですね」について、この使い方を認める本もあるが、日本語としてのルールだから使用禁止だ、とある。そのルールというのは、「です」を「い」や「た」の後に付けてはいけないというもの。日本語とは難しいものである。ということなのだが、本の表紙の絵がいただけない。社長が怪獣に食べられているイラストで、あまりにも稚拙だ本格的な敬語に関する本なのに、残念である。
2012.02.19
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ホームレス歌人がいた冬 三山喬著 東海教育研究所 2008年12月、 柔らかい時計を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ朝日新聞の歌壇にこの短歌で登場したのが、ホームレスの公田耕一一年に一度、いや、三年に一度入選すれば光栄、と言われる朝日俳壇に毎週のように入選を続けたのが「ホームレス 公田耕一」。一時は、投稿規定に「住所明記」とあるから、規定違反ではないか? という議論が起きたり、「ホームレス 公田耕一」の歌への返歌がいくつも入選したりした。が、一年も経たないうち、「ホームレス 公田耕一」は朝日歌壇から姿を消した。この本は、その「ホームレス 公田耕一」を横浜のドヤ街に尋ねて歩き、実際にホームレスだったのか、どんな生活をしていたのか、今はどうしているのか、などを交えながら、公田耕一探しを繰り広げる。もし、路上やドヤ街の安宿で孤独な死をしたとしたら、入選作や「ホームレス 公田耕一」に呼び掛ける記事が載った朝日新聞の切り抜きが遺されたはずで、誰かが気づくだろうから、元気でいるはず、と、私も思う。
2011.12.19
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上から男と女、二つの"性"がある理由 奥本大三郎・長谷川真理子 著産経新聞出版 雄と雌の数をめぐる不思議 長谷川 真理子 著 中公文庫性器の進化論榎本知郎 著DOJIN選書本を借りるのに、少しばかり勇気を必要とするタイトルだ。貸し出しの時に、図書館嬢がタイトルを読み上げることはないのだが、「このおっさん、エッチな本を借りるのね~」と思われていないかと、思ってしまう。なぜ、こんな本を借りて読んだかというと、「女は男の指を見る」を読んでから湧き出た、 生き物には、男と女・・・いや、雄と雌があるのはなぜか?という疑問を解消したかったから。雄と雌はなぜ分かれたのか、なぜ、これ以外の性はないのか、このような内容を示すタイトルの本はなかった。上は、いわゆるジェンダーのことが中心、中は、17年セミのような算数的なことが中心、下は、タイトルどおりの本だが、私の疑問に答えている。雄と雌が分かれた理由はよく分からない、とあり、もう一つの疑問、猿などの睾丸が垂れている理由もよく分からない、と書いている。これらは、学者先生にも分からない分野のようである。分からないことが、分かった、という結論だ。
2011.10.25
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PHPサイエンスワールド新書森山徹著「ダンゴムシに心はあるのか」を読んだ。この本は、 agehaSwellaさん の日記に紹介があったもの。専門用語というか、見慣れない用語が幾つも出てきて、途中でめげそうになったが、著者は、ダンゴムシで様々な行動実験をして、「変則転向・予想外の行動」は心の働き、としているのではないかと、理解した。著者は初めの部分で、石や金属の板にも心はある、と書いているが、私としては、こっちの方が分かりやすい感じがして、面白かった。ダンゴムシの行動観察も面白いが、心とは何かを、考えさせられた。
2011.09.20
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光文社・カッパサイエンスCDの落語を聞いていて(桂枝雀)、「タコはなぜタコなのかという本を買った」という枕が印象に残った。この本を薦めるわけではなく、内容が面白かったと言うわけでもないのだが、気になっていた。で、ネットで検索したのだが、このタイトルの本はなかった。おそらくこの本だろうと見当を付けたのが「タコはいかにしてタコになったか」、という北里大学教授(行動学)奥井一満さんが書いたこの本。ゾウリムシからほ乳類まで27項目について面白く書いている。「やたらと物を集めたがる動物は、ヒトと、カラスとニワシドリのようなトリくらい・・」野良猫や野良犬はいても、野良のカイコはいないなどと、興味を引く表現を交えながら、タコはなぜタコなのか、トリはなぜ空を飛ぶのか、と、動物の進化を書いている。この本を読み終えると、脊椎動物の脊椎は、節足動物の名残ではないか・・・・などと、変な仮説を立ててみたくなる自分に気づく!
2011.09.06
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先日読んだ アカペラ は、「アカペラ」「ソリチュード」「ネロリ」の3編からなる短編集。 アカペラは、伴奏なしの歌のこと、 ソリチュードは、孤独とか寂しいという意味、 ネロリは、アロマオイルの一種。何の関連もない3編だが、あえて関連を探せば、親に何らかの理由がありながらも、その子は元気に生きている、ということだろうか。で、アカペラの3編だが、3編目の「ネロリ」の結末がなんとなく見えてしまった。この著者は、結末を落語の落ちのように、突然にどすんと落とすのが好きなようで、どんな終わり方(まとめ)をするのか、読んでいて楽しいのだが、「ネロリ」の結末は、急いでいるのが分かった。それはなぜかというと、残りページだ。最初と2番目の小説は、どこで終わるのか見当が付かないが、3編目は、本の残りページで結末が近いことが分かるのだ。この流れで、残り数ページ・・・・すると、ここで結末にしていかないと、まとまらないだろうな・・・と、見当が付くのだ。ということは、短編集の面白さはここなのか・・・・新発見をしたような心地だ。
2011.08.14
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「アカペラ」(新潮社)の表紙(一部)先月末、アカペラについて ブログを書いた のだが、その翌日、電車の中で「アカペラ」を見た。そらは、伴奏のない歌、ではなく、本の「アカペラ」だ。ほとんどの場合、電車の中で本を読んでいる人は、書店のカバーをしている。本が汚れるのを気にしたり、読んでいる本を知られたくないからだ。だが、通路の向こうの長椅子に座っていた女性は、表紙なして読んでいた。また、普通、車内で本を読む場合には、本は膝の上方向に持つものだが、その女性は、教室で立って、国語の教科書を読むように、こちら側に表紙が見えるように本を持って読んでいた。なので、「アカペラ」が目に入った。著者、山本文緒さんの名も読み取れた。「アカペラ」って何だろう?どうしてこのタイトルにしたのだろう?ブログを書いた翌日だったので、電車を降りたその足で図書館に向かった。著者、山本文緒さんは直木賞作家。読み出して直ぐには「アカペラ」とした理由が分からなかったが、途中からそれが分かった。なるほど~~~それで「アカペラ」か~~~電車の中で見た「アカペラ」。そんな出会いで本を読んだのは初めてだったが、おかげで、面白い本を読ませてもらった。
2011.08.08
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吉村昭著、「三陸海岸大津波」を読んだ。著者は小説家であるが、これは、三陸海岸各地の大津波を受けての被害状況や人々の行動を克明に記録しているドキュメントである。その内容は、 明治29年の津波 (1896年) 昭和8年の津波 (1933年) チリ地震津波 (1960年)からなっていて、三陸海岸を何度も襲った津波を克明に取材している。涙無しでは読めない子どもたちの作文も載っている。お年寄りの貴重な体験談も載っている。これは文庫本で、2004年が文庫の初版なので、古い本だと思われる。なので、今回の大地震には触れていないし、大地震を機に文庫化されたものでもない。著者はこの本の中で、いわゆる「人災」については(深く)触れていないが、私はこれを読んで、64年という短い間に、3度も大きな津波に襲われていながら、「4度目」に対する対策が不十分だったことを感じずにはいられなかった。国も県も、市町村も、そして各個人も、津波に対する備えが甘かったと思う。著者の出版目的とは違う解釈かもしれないが、強く、そう感じた。
2011.08.02
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母を訪ねて3千里ではない。単なる3千里でもない。3千里程ほどの距離があったような感じだった。実際は、往復1320Kmほど。きのうの日記の本を、仙台の北東、石巻の避難所に届けてきた。一日でで1300Km超を走ったのは、(日本では)初めてだ。「日本では」と加えるのは、不本意だが、アメリカやオーストラリアでは、1日に1500Km程を走ったことがある。が、車の多い日本では、疲れること疲れること!!おそらく、最初で最後の長距離ドライブになることだろう。で、どこの避難所に本を届けるのか、という心当たりはなかった。ラジオなどの情報によると、仙台市内は物資が足りているということだったので、その北の石巻に入った。適当に走って、小学校が避難所になっているところを見つけ、本を置いてきた。預けてきたのではなく、自分の手で、数十册の本が置かれている読書室のような部屋に置いてきた。長距離、長時間ドライブで疲れたが、達成感がある。
2011.05.16
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あの大震災以来、 何かしなければ・・・ 何かできることはないか・・・と、思い続けてきた。そのような中、避難所に本を届けたらどうだろうか、と考えた。労働提供には色々な制限があるし、体力にも時間にも限りがあるからだ。本を届けるのなら、往復の時間プラスアルファーで済むし、自分の手で届けるのだから、それなりの納得もできる。ということで、昨日の日記の「思いやり」を少しでも実現しようと、微力ながら、宮城の避難所へ、「あさりちゃん」等の本を持って行くことにした。あさりちゃんの他、文学全集や単行本、友人から預かった段ボール4つ分の本と、「アメリカ・ドライブ見聞録」などの売れ残りの本を、トランクにぎっしり。車のお尻が下がるような感じだ。日曜日なので、混まないうちに出発!
2011.05.15
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今頃になって「鈍感力」を読んだ。これは、2007年2月初版の本。話題になったのは知っていたが、タイトルに反発して、読まなかったと記憶している。著者渡辺淳一は、会社でも、恋愛でも、人生でも、病気でも、鈍感であるべき、と書いている。確かに、そんな鈍感なヤツは少なからずいた。だが、女性が鈍感である生き物のように書いていることには同意できない。女性が「血液」や「痛み」に対して強いことと「鈍感」は結び付かない。私は、何事にも全力投球で対処してきた。鈍感な社員がいれば、あらゆる場面でフォローしてきたし、フォローしたことを鈍感社員に知らせたこともない。鈍感な社員の周囲には、繊細な社員が、その数倍がいたのだ。だから、鈍感な社員が鈍感なままでいられたのだ。著者は何も分かっていない・・・・だから、日本はおかしくなったのだ。と、いきり立つのがダメなのだろう。この本は、鈍感に読めばいい、ということのようだ。
2011.02.17
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今頃になってダヴィンチ・コードを読んだ。この本は2004年5月発売、映画と共に大きな話題になったのだが、当時は本にも映画にも触れることができなかった。昔のことは忘れたが、たぶん、仕事が忙しかったのだろう。で、本を読んでの感想だが、読み始めは、何というのか・・・文章の硬さというのだろうか、翻訳に忠実になろうとして表現が硬くなったのだろうか、最初の50ページくらいで読む気が失せた。しかし、暗号が気になって、少しずつ読み続けた。こちらが調子に乗ってきたのか、翻訳者が調子に乗ってきたのか、上巻の中ほどから面白く読めるようになってきた。この著者は映画化を意識してこの本を書いたに違いない、途中から、そう思えてきて、映画の画面を想像しながら読むことができた。読み終える前から、映画を観てみようという気になったが、現在、上映しているところはない。DVDを借りてくるしかないようだ。図書館でDVDの予約を入れたら、130人待ち。秋風が吹く頃になりそうだ。TSUTAYAかな・・・・
2011.02.06
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ボケ防止のために、気象予報士の試験を受けてみようと思っている。お門違いな試験を受ければ、門前払いの結果が出るのは分かっているが、ボケ防止という大義名分を掲げてみた。で、ネットをあちこち見ると、気象予報士を目指す人のための入門書が紹介されている。そのひとつが、これ。 「一般気象学」。ただ、この本を入門書とするには、賛否両論がある。 あまりにも専門的で算式や図が多いので、入門者のやる気を失わせる、 算式や難しい図は飛ばしてもいい、気象全般をつかむには必読、という意見だ。言われたとおりに、算式や図はあまり見ずに、読み始めた。太陽系のことから、地球のこと、大気のこと・・・へと、解説が進んでいくのがいい。地球に住む者として、興味深い内容にひかれたが、半分を過ぎた頃から足踏み状態になってきた。先に読んだところが頭に残っていないので、章が進んで深くなっていくと、分からなくなっていくのだ。こんなことでは、いつになったら受験参考書に取りかかれるのか、わからない。身の丈知らずとはこのことなのだろう。
2011.02.04
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以前の日記で、 指比 について書いたことがある。人差し指の長さを、薬指に長さで割った数字が小さい人ほど肉食系・・・と書いたのだが、この本「女は男の指を見る」では、指比が小さい男ほど色々な面で優れていて、それが、子孫を残そうとする女性にもてる要因になっている、と書いている。著者の動物行動学者、竹内久美子さんは、「ヒトのメス」とは言わずに、「人間の女」という表現を使っているが・・・ 霊長類のメスは分かっているのに、 「人間の女は排卵日がいつかははっきりとわからない」 霊長類のメスは必要な時にだけおっぱいが大きいのに、 「人間の女のおっぱいはいつも膨らんでいる」のはなぜなのか・・・ということから始めて、浮気の本質までを、動物行動学の観点から書いている。子孫を残そうとする動物の本能と比例させながら、人間の動物的行動を、時には直接的に、時には間接的に、分かりやすく観察解説している。なので、これを読むと・・・・動物の一員として・・・恥ずかしかったり、納得したり、考えさせられたり、する。私が書くと、エロっぽくなるので、内容は省略するが、人間の男の性器はなぜあのような形をしているのか・・・・には、目からウロコだった。で、この本のタイトル「女は男の指を見る」は、人間の女は、子孫を残す相手として、本能的に男の指比を見ているのだという。
2010.10.22
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中東に住んでいる娘からMAILがあった。「移動のバスの中で読んだ『猫の住所録』が面白いから、読んでみるといい」と言う。日本語に飢えているので、どんな本でも面白いんじゃないのか、と思ったが、何かの時に、「読んだか?」と聞かれるとまずいので、図書館へ行ってきた。それは、群ようこ著で、猫などの動物を中心にしたエッセー集だ。動物好きな著者ならではの観察視点が面白い。中東で日本の本が売られているのか、それとも、日本人グループで読み回しているのか、外国に住んでいる者から勧められたことに、不思議を感じた。エッセーは、団伊玖磨の「パイプのけむり」シリーズを好んで読んだことがあったが、目の付け所と表現方法が違うのは両者とも同じで、楽しく読ませてもらった。
2010.07.01
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シンガポールへの機内で読んだのは、この本。百人一首を見開き2ページで配置よく解説している。小学生の頃、なにも知らずに百人一首を暗記して、カルタ取りをしたものだが、恋の歌の“恋”がなんたるかを分かってきたころから、時間をかけて読み直してみようと思っていた。奥ゆかしい人たちの恋の表現とはこういうものなのか・・・・百人一首には恋の歌があふれている、と言われるが、思いの外、恋の歌が少ない・・・・という印象だ。 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひをさて、きょうは、プールサイドで続きを読んでみよう。
2009.11.13
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昨日の木曜日は「R25」の発売日だった。いや、無料配布誌だから、“発売日”でなく“配布日”だろうか・・・R25は20歳台後半を中心に的を絞った情報誌。どうでもいい情報と、なるほどと思わせる情報が混在していて、私のような“アラカン”でも、雑学好みにはありがたい雑誌だ。その「R25」だが、先週から入手できないでいる。いつも置いてあるところに、置かれていないのだ。人気に火が付いて、短時間で捌けてしまったのだろうか?いや、それはないだろう、木曜日発刊のものが土曜日でも入手できる状態だったのだから、短時間で捌けてしまうことは考えられない。発行部数を減らしたのだろうか?輸送コスト、配布の人件費、などを考えると、配布部数を減らすことは考えられる。いや、最低限の発行部数を維持しなければ無料誌は広告が集まらないから、配布部数を減らしたとは思えない。どうしたのだろう?このまま、休刊になってしまうのだろうか?
2009.07.31
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この時期になると、毎年思い出すことがある。それは、アラスカの「ネナナ・アイス・クラシック」。「ネナナ・アイス・クラシック」とは、冬の間アラスカのネナナ川を覆っていた氷が流れ出す日時を当てるギャンブル。十数年前、流れ出す瞬間を見たくて、アラスカに行ったのだった。あの時、ネナナに着いたのは、5月1日。「氷の様子からすると、流れ出すのは1週間以上先になる」ということで、泣く泣く帰ってきた思い出がある。今年は「5月1日、8:41PMに流れ出した。賞金は283,723$。2人が大当たり!」と「ネナナ・アイス・クラシック」の公式ホームページにある。今年は5月1日だったか・・・と、懐かしく思い出した。そして、10数年前の、英語の教科書、UNICORNを開いてみた。これも、懐かしい思い出と記念の本だ。
2009.05.04
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「ウラ金はこうして作られる」の見本が届いた。14日発売予定になった。今回は原稿を渡してから発売までが長かった。その分、内容のチェックが行き届いているのではないかと思う。で、某全国紙に広告を出す予定という。だが、某紙の広告担当からチェックが入ったらしい。反社会的な内容の本の広告は出せない・・・雰囲気だという。本を読んでから、結論を出すらしい。なんという、“気配り”!!週刊誌の過激な広告は出せても、“あやしげな”本の広告は出せないというわけだ。「ウラ金はこうして作られる」・・・政治家のウラ金ではないのだが・・・タイトルからそう思われ、政治家の為に広告審査をするとしたら残念だ。
2007.12.08
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7月末、「ウラ金の作り方」と仮題した本の原稿を入稿した。それから4ヶ月、色々なことがあった。第一は、タイトルだ。「過激すぎる」、「ウラ金作りを勧めるのか」、「反社会的」、という理由の難色だ。実は、この本の企画は、付き合いのあった10程の出版関係者から、同じ理由で、「売れるタイトルだが・・うちでは出せない」と断られていた。中を読んでもらえば、反社会的ではないことが分かるのだが、タイトルが問題だった。そのような中、取り上げてくれる出版社があった。それは、私の本を最初に世に出してくれた編集者が社長を務める会社だ。社長は、「ウラ金の作り方」でもいいが、私なら、「ウラ金はこうして作られる」にしたい、読者が書店で本を見た時に、手に取りやすいタイトルの方がいい、と言う。「ウラ金の作り方」では、書棚に手を出す読者は(エッチビデオと同じで)後ろめたい気持になるだろう、との意見だ。なるほど~~、と納得した。
2007.12.07
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久々にビッグイシューを手にした。月2回の販売なので、私の仕事先と、販売場所と、販売員とのタイミングが合わなかったため、久しぶりとなった。 61号を見ると、「ホームレス・オーケストラ・ぺこぺこ」の公演があったという。11月19日、梅田、とある。 ちと、残念。大阪へ行く理由のひとつになったのに、情報が遅すぎた。 ビッグイシューの弱いところはここだろう。61号は、11月15日発売だ。そこに4日後の案内を載せても効果は薄いと思う。
2006.12.02
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