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これまで、コンサートで音楽のテーマ性、演出について、
個性的な切り口をつくるために絶えず考えてきました。
実際、音楽を装飾するような演出はクラシック的ではありません。
だからこそ音楽を具体化するだけではない演出が必要でした。
映画や演劇になれば話は全く異なってきます。
ステージや映像がメインとなると音楽は演出の一部と言えます。
道具や照明、音響もそうですが、他にもいろいろ考えられます。
しかし演出家が行う演出について、日本ではあまり知られていません。
アニメや映画の監督の名は知られていますが、
◯◯監督の演出はどのような特徴があるのか?名演出とは何?
どのような音楽をどのように付けるのか?なかなか言えないと思います。
音楽では作曲家で中身が決まりますが、優れているのはごく一部です。
独創的な表現や世界観が感じられる演出はそれほど多くありません。
音楽はBGM的で何かを表現しているほどのものは少ないです。
音楽が独創的なのは却って演出の邪魔なのだろうと考えています。
その結果、ありがちで定番的な音に無難さを感じるのでしょう。
反面、報道などノンフィクションに演出を加える必要ありません。
また、買物や飲食においてお店が音楽を鳴らす必要はありません。
音楽を鳴らすとすれば、その番組やお店のオリジナル曲ならよいです。
音楽には人によって嗜好がありますから押し付けられる必要はないです。
残念ながら日本人は音楽を演出的と感じることは少なく、
ないと寂しい、静寂・無言に絶えられない性分になってしまいました。
海外に比べて、音楽が満ちている、無駄に照明が明るいなど麻痺しています。
SDG'sの意識がこれまでもっとも足りていなかったのが日本だと思います。
そんな演出に疎い人が演出について批判できるのでしょうか。
演出というよりも日頃からヤラセや印象操作を考えているテレビ業界人、
玉川徹氏が葬儀をテレビと同様に演出に言及することに疑問を感じます。
葬儀であえて演出と言うならば、基本的に会場設営と音楽だけです。
弔辞は故人との関わりを偲ぶ内容が読まれるだけでどうあれ自由です。
演出をするもしないもなく、それを評価するものでもないと思います。
そこに演出の話をすること自体ナンセンスなうえ電通の名前を出すなど、
皆の故人を偲ぶ思いにまで水を差すようなものです。
国葬とは言え一般的な葬儀を踏襲したものでした。
実施には賛否ありましたが、内容まで批判するのは常軌を逸しています。
玉川批判が大きいのは関与していなかった電通の名前を出したことよりも、
批判のバイアスがかかった時の言い方が問われているのだと思います。
テレ朝・玉川徹氏はなぜ電通発言をしたのか
心理士が指摘する「信念バイアス」
では、
前回のこのブログに書いた所見と見事に一致しました。
実行力のある菅前総理が寡黙なのはうまくいっても批判されるからです。
逆に岸田総理が先手を打たないのもメディアからの批判回避だと思います。
結局メディアが発した民意が定まってから動くほうが無難だからです。
国会を開いてもネガティヴな内容で時間がかかるため世界に追い越されます。
岸田総理が息子を秘書官にしたのは「誰も相談相手がいないから」
などという記事があり、このことに幻滅した人も多いかもしれません。
しかし今日の参院本会議で 「24時間情報伝達やSNS発信に期待」
と、
明らかにしたと聴けば、それだけで俄然よくわかる話に変わりました。
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