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我が家は、下の妹と2人暮らし。食料品のストックは普段から決まったものは安売りの時にちょっと多めに買う程度。私自身、そんなにインスタントカップメンは食べないのだけど、妹は今学生をやっているので、時間短縮のときやお弁当代わりに食べるので、自分のためにと言うよりは主に妹用に常備で数個ストックしてる。どちらかと言えば私用になるのはインスタント袋メン。しかも、『チキンラーメン』は好きで、安売りの時[m:58]5袋パックを1~2パックストックしてる(食べちゃってない時もある)。あとは、カレールウとか愛用の『ミツカン味ポン』とか、めんつゆ。冷凍庫には激安の挽肉とか牛肉、冷凍うどんくらい。一番多いのはお菓子。妹も私もおせんべい、スナック菓子、駄菓子、お酒のおつまみ系がスキだから、そういうのはなんとなくストック(っていうほどないけど)されてる。私の住む町は、3/11の大震災当日から、ライフラインは途絶えることなく来た。精神的にまいってしまっていた私のために、妹がコンビニに行き、ちょうどタイミングよく届いたお弁当を買ってきてくれて食べた(私は普段コンビニ弁当はあまり食べない)。ガスを使うのが怖かったのだけど、電気が問題なく使えたのでまったく不便は無かった。その後は、家にあるものをボチボチ食べた。計画停電の実施中に限ってお腹が空いたりもした。3/16お昼に久しぶりに外食にも出た。ちょうど、大き目の余震がお店の席に着いた時にあって、寝不足と運動不足とストレスで気分が悪くなってしまい、頭痛とめまいの中食事をした。その後、不足するものを調達すべく、ダメもとで、イオンとドンキとダイソーを回った。欲しかったモノは、予想通りなくて、お菓子ばっかり買ってきてしまった[m:205]買い物してた時、気づいたことがあった。3/17今日の夕方に銀行から出金するためにコンビニに行こうとしたら、近くのスーパーがあいてたので、寄ってきた。一通り食料品でほしかったものを買ってきた。コンビニに行き、ATMで無事に出金。コンビにでも夕食のおかずにサラダを買い足した。この時にも、同じことを思った。そう。食べるものがたくさん並んでた・・・ということ。共通して『ない』ものは、カップめんだけだった。3/15午後のイオンの食品売り場は空の棚が目立った。計画停電に向けて、火を使わないものが軒並み皆無だった。パン売り場は異様だった。いつものメーカーのパンは姿を消していた。おそらく、いつもとは違う取引先の商品、大震災の影響を受けなかったメーカーや卸売業者の品物がズラーーーーッと並んでいた。季節品(草もち、桜もち)や、大福などがいつものパン売り場を占拠していた。幕張のドンキは店内がいつもとは違う意味で雑然としていた。店内中埃っぽくて、砂まみれって感じだった。あまりの状況にすぐに店を出てしまったのだけど、無いものとしては生理用品の売り場がガラガラになっていた。ダイソーも品物はたくさんあった・・・。私がほしかった物・・・懐中電灯(あったものが壊れてしまった)は、当然のようにどこにも無かった。インスタントラーメン、お米、納豆、懐中電灯、単1~3電池、蝋燭はどこにもなかった。今日寄ったスーパーにはお一人様1個限りでお米が売ってた。牛乳も卵も肉も野菜も魚も目立ってないものはなかった。パン売り場にも、(おそらく影響の少なかったメーカーのものが)食パンも菓子パンもいろいろたくさんあった。お店は買占めを見越して菓子パンを補充したんだろうけど、ずいぶん在庫があった。店を出る頃、店内アナウンスで「菓子パン全品3割引、お一人様何個でもOKで~す」と流れてた。私は戻ることもせず、店を出た。皮肉にも食料は大震災の大被害地じゃなければ、慌てなければ手に入る。余るほどに・・・。あの山積みの大福はまさか廃棄にまわらないよね・・・?あのパンは・・・今、色んな形で被災地の仲間たちを救おうと、なかまたちが時に自身の危険をも顧みず、また自身の資財を快く差し出して動いてくれている。私はその義援金の端数くらいのことしかしてないけど、好きなアーティストが言っていたように、可能な環境にいる人間は、外食をしたり、いまある生活をそのまままっとうすることで、必ず力になると信じて、『ふつうの生活を心がける』ことにした。あの日、私も大きく揺れた中にいた。家が倒壊しなかっただけ、津波をかぶらなかっただけ。冷たい泥水の中で息絶えたのは私だったかもしれない。忘れるわけがない。なぜ、文句を言いながらもTVを消せずにいるのか?ここでも、あそこでもつぶやいているのか?ひとごとじゃないからでしょ?でも、買いだめは必要ないよ。きれいなお皿で、あたたかいものを、きれいに手を洗ってたべられるんだから。40年近く前のオイルショックを生きた世代の方々は、わかっていても不安で仕方ないのかもしれない。小さな、食べ盛りの子供を抱える親は、我が子の空腹を想像できないのかもしれない。でも大丈夫。日本は高度経済成長をしてきた国。今、凍えてお腹を空かせて、傷ついている同士に暖かいものが一刻も早く届き、それが継続されるように、冷静に、『普通に』生活しないといけない。身の丈の義援金と冷静かつ普通の生活・・・これが私たちのすべきこと。そう思うんだけど、私はね。買い物・・・したよ。お菓子と、リサイクルショップで好きなブランドのバッグが格安だったから衝動買い。不謹慎?
2011.03.17
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3/11金曜日は、体調が少し降下しており、自宅でゆっくり過ごしていました。昼食をとり、ルームウェアのままダラダラ過ごしてた。14:46 地震が起きた。止まらない。今まで生きてきた中で、一番の大きさ。こわい。こわい。私は、世の中で怖いもののトップに『地震』がある。自宅には私独り。どこかに?まっていないと耐えられない振動。すでに私はパニックだった。子供のようにオイオイと泣いた。普段使っていない固定電話の電源を入れて実家に電話。コールはするが誰も出ない・・・。留守電に繋がり、パニック状態の私は泣き叫ぶ。弟Sくんが出て、驚くほど冷静に「大丈夫だから」と言ってくれた。両親は近くのスーパーに買い物に出たところだから車内にいるかも・・・とのことだった。妹MちゃんにもCちゃんにも連絡つかない。小学校教員のHくんには連絡しなかった(立場をとっさに考えた)。彼の携帯ももちろん不通。独りの私は続く強い余震に放心状態だった。少しして、PCが使えることに気づく。震える手で立ち上げ、MixiとTwitterに助けを求めた。幸いにもライフラインは携帯電話以外生きていた。今、テレビが止まったら、電気が消えたら・・・想像するだけで怖かった。泣きながら、この後何がどうなるかわからず、とりあえず身繕いと、数日分の着替え、身の回り品、常備薬、お金・・・などをかばんに詰め、玄関に置いておいた。マンションの3階は体感が少し強くなるようで、余震のたびに動悸が起きた。ちょっとした乗り物酔いと興奮状態で激しい頭痛にフランフランしてた。母と連絡が取れ、少しホッとして泣いた。きょうだい全員、群馬のおば、いとこ、おいっこ、市原市のいとこそれぞれとも連絡が取れ、無事だった。その日から5日時間の経過とともに被害の大きさが明らかになると同時に、明るいニュースと残念なニュースが交互に流される。かつては無かった凶器と紙一重の武器になっている通信網。人間はこれほどまでにつながれるという安堵感と人間はどんな状況下でも嘘をつけるという嫌悪感多くは善意と正義感にみちた人間だと思うごくごく一部のより人間らしいとも言える卑しい感覚の人間には、今はかける言葉はない。人的二次的被害が起きないことだけを祈って。家の中がメチャメチャになって、割れた食器類を片付けようかと手に取った時、集中力が欠けていたため指を切った。私の被害はこの程度。さあ、どうしよう。とりあえず一般人には、一番流動的かつ効果的な義援金を一番信頼でき、スムーズに使ってもらえる団体に委ねようと思う。私ひとりでは鶴は何羽も折れないし、届けられないけれど、みんなで束になれば大きな千羽鶴、万羽鶴になるものね。女性タレントが提唱した「大人の千羽鶴(募金)」に絶賛の声http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1535874&media_id=114今、こういう時だからこそ、こういう柔らかさって大事だと思う。眉間に皺を寄せて、人の揚げ足取るくらいなら「うまいね」とわらって、鶴の一羽でも折る方が潔い本来、日本人はそういう民族だと思うから私は被災の当日も温かな食事と飲み物をとり、明るい部屋で、暖かな布団で横になれました。すべての日常にあらためて感謝2時間ちょっとの輪番停電を終えて、今回のことを少し記しました。
2011.03.15
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3年2ヶ月在籍した会社を、このたび退職しました。ここに至るまで、ずいぶん時間がかかってしまいました。心身ともに疲れ切ってしまい、体調不良がどうにもならなくなるまで来ました。精神疲労が強く、睡眠障害、摂食障害に近い味覚障害、そして、通勤電車に乗れなくなったことをマイカー通勤で誤魔化しながら過ごしてきました。お客様に会って何ぼなのに、誰かに会う事が辛くて、居場所がなくなりました。仕事は好きでした。この3年の間には、大きな手術も受けました。荷物も持てず、まともに歩けない時期もありました。復帰を喜んでくださったお客様、先輩、同僚には強く励まされました。悔しいことがあって延々泣きながら相談を聴いてもらった先輩もいました。元気がないと食事にさそってくださるお客様もいました。だからこそ、お客様を裏切るようなことが辛くて決断できなかった。偽善的、自己中心的な弱音だと思う。どこか、イイヒトでいたかったんだと思う。「すみません、もうできません」と言うことが、恥をかくことが出来なかったのだと思う。退職を決めた後、有給休暇を消化して自宅に引きこもっていた時には、まだ夜うなされていたようでした。目が覚めて、あまりに歯を喰いしばっていたために前歯が痛い日もありました。退職に際し、上司だけでなく、先輩にもずいぶん引き止められました。もう、決心していたので、揺るぐことは無かったのだけど、さみしかった。いくつかの書類に記入をし、会社からの貸与品を返却し、私物を片付けた。片付けに時間がかかったのと、名残惜しかったのか遅くなってしまった。オフィスを出るまで、涙は出なかった。帰りの車の中、もう戻れないと思い、寂しさからか、泣けて泣けてしかたなかったけど、新しいこれからをしっかり歩いて行こうと決めたから。お世話になったすべてに感謝を込めてさようならありがとう
2011.02.25
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先週の午後、なんとかやりすごしてきた体調が急降下、自席でデスクワークをしているのにめまいと頭痛に襲われ、熱が上がっているのが実感できるくらい体の芯が熱くボーッとしてしまっていた。こういう時くらい早めに切り上げて早く帰ろうと、片付ける。が、片付ける手が重くて進まない、家に帰りたくても体が重くて動くのがつらい・・・ 結局、いつも帰る時間とほぼ同時刻までグダグダ居座り、やっとの思いで帰路へ。 フラフラなまま家路に。 意識朦朧なままダウン。 そんな状態で朝を迎えた金曜日は、会社を欠勤。ひたすら眠る。 土曜日もほとんど動けず。 ダーリンが焼肉が食べたい(ご馳走してくれる)と言うので、ボロボロな姿のまま妹と一緒に彼の迎えの車に乗り込み、おいしく頂いた。 少しは元気が出るかな?と期待したものの・・・ 日曜日も体が重く(体重のことじゃないよ)、頭痛がしていた。 私の車のオイル交換をしてくれると彼が仕事を終えてまた来てくれた。 何かに寄りかかっていないとふわ~っとなってしまうけど、ダーリンがいるので大丈夫かな?と連れ出してもらいました。 早めに帰宅し、また横になってるだけ。 もう3ヶ月くらい37℃以上の体温が続いている。 加えて、強い倦怠感。 前日の疲れが抜けないまま毎日を過ごしているので、悪いものが蓄積されている。 肌も荒れがち。 やっとの思いでかかりつけのT医院を受診。 やさしいT先生が険しい顔をしました。 血液検査、尿検査、胸部レントゲンをとりました。 今現在の状況は・・・ 肺結核・・・なし 肝機能・・・異常なし 腎機能・・・異常なし 甲状腺・・・異常なし 血糖・・・・異常なし 炎症反応・・なし 溶連菌・・・感染なし 尿検査・・・蛋白が少しでているものの、異常なし つまり、どこも悪くないんです。 T先生は、心臓手術をそう遠くない過去にうけているのだから、念のため循環器内科で検査を受けてください、とJ大病院宛てに紹介状(今回の件)を書いてくれた。 心療内科を受けたほうがいいのでしょうか?と相談した。 まだすべての検査が済んだわけじゃないから、時期尚早と言われた。 平熱を1度以上も上回る微熱がこれだけ続いているのだから、体に潜む原因を特定してからでも十分だよ・・・と。 会社は有給を消化し続けている。 原因はどうあれ、会社を休むことを悪とみる傾向の強い日本の企業では私のような存在は欠陥社会人だから、煙たがられる。疎まれる。鬱々とした気持ちばかりが大きくなる。 そんな日本の企業でも今の会社は、先輩同僚はじめ体調と折り合いをつけながらがんばっている方が多いのと平均年齢が高いので加齢によるあれこれを持っているベテラン層が現役戦力だから、今までの職場より数段理解があるほう。会社の福利厚生も最低限ある。けれど営業職だから、ノルマが出来なければ、基本給は都の最低賃金をはるかに下回る計算になる。 入院できずに自宅療養だと自己負担ばかり膨らむし、元々医療保険もまだ加入できない身だから収入保障はない。不安ばかりが大きくなる。 自業自得なんだろうけど。 幼い頃からのコンプレックスが、私の精神を蝕む。 普通の人と同じ結果を成果をあげるためには、体が悲鳴をあげていようと人の倍がんばらないといけない。 人と同じことが同じようにできない。 同じことが出来ても、必ずダウンする。 いつもいつもいっぱいいっぱいの気持ちでいる。 母に言われた。「あなたのいつもの自信に満ちた言動のうらにはこんなにも臆病で自信のない姿があるなんて、世間様はしらないよね~。もっと上手に素直になれたらいいのにね~」ネットの世界の恩恵を大いに受け、いくつものオペも治療もクリアできてきたことを考えると、弱音を吐ける場所がネット上にも、リアルな世界にも私にはあるから、幸せだよと伝えてる。適当にがんばるだけじゃ、みんなと同じに並べない・・・。謙遜とかじゃなくて、世間の皆様は涼しい顔してこういうアレコレを克服してきたのか?と思うと、自分の弱さに悔しくてたまらないんだ・・・。病院の帰りに声が聴きたくてダーリンに電話をした。自分のためだけにがんばること。人とくらべないこと。あせってはいけないということ。※心臓手術してまだ2年経過していないこと、自分が完全な健康体ではないことを理解すること。自分が出来たことを誉めること。「きみはしっかりがんばっているよ」家族とダーリンは、世界中が敵になっても私を守ってくれてきたかけがえのない存在。そんな強くあったかい言葉をもってしても、私の弱い心はポキッと簡単に折れてしまいそうです。とりあえずは、体調回復に気持ちを注ごうと思います。
2010.06.02
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9年前の今日は、今を想像しただろうか?たくさんのできごとを共有してきた。笑った、泣いた、怒った、泣いた、泣いた・・・たくさんの色んな味の涙を流してきた。色んなことがあった。でも、変わらない唯一のことがあった。新しい命を与えてもらった瞬間から、前だけを向いていくと決めた。後ろを振り返る時は、尊く愛しい存在を懐かしむ時だけ。10年目も元気に。愛してる
2010.06.01
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体調は緩やかなカーブを描いて回復している。時間が解決してくれる部分はやはり大きい。某SNSの先天性心疾患コミュで、質問を投げかけてみたりした。同じ病気を持つ方、同じように成人してから発見された方、同じ検査を受けた方、私が受ける予定の手術をすでに受けた方・・・似た境遇の方々からの励ましや経験談は大きな支えになるね。かつて、ある出来事で、同じ経験をした人でないと理解できないと意見されたことがあった。それはそれで、確かにそうかもしれないなと思う。でも、医師が同じ病歴を持ってないと治療できないか?理解できないか?・・・そうじゃないことと同じで、経験がなくとも『理解してあげたい』という思いは、意識の共有であり、経験したことにより近いのではないかと、私は思ってる。家族が、恋人が、友達が、辛く苦しんでいる私を理解し支えようと一生懸命になってくれている。「私の痛みは私にしかわからない」あまりの苦痛に、無意識に吐いてしまったこともあるかもしれない(無意識なのでそうとしか言えない)。ぶつけられた相手は、今は正常な感覚じゃないと分かってくれてるから、突き刺さった小さな棘を黙って抜いてくれていたと思う。元気になって、なんともない時の私を知っているから受け止めてくれる。「知る」と言うことは、それだけで支えだ。今日(4/22)は、両親の結婚記念日。私の歳+2年だから37回目かな?色んなことがあったと思う。長女の私だけだって、何度死に掛けたり、死なないまでも、いくつもの病気でどれだけ心配をかけてきたか・・・。進学のことだって、5人きょうだいみな大学まで行かせてくれた。父は自分の贅沢はしない人。我慢してるのではなく、家族が仲良く過ごせていることが何より幸せな人。父の厳しさと大きな優しさを知っているから、家族は父を中心に太い絆で結ばれている。母は馬鹿がつくまじめな人。本当はとても繊細で不器用、だけどものすごく行動的。見方によっては、子供っぽいのかもしれない。父が大きな愛情で母を見守っていることに気づいてるのかどうなのか?自分が父を支えてると思って(笑)るけど、子供たちは、口下手だけど芯の強い父あってこその母だと皆理解してる。両親がお蔭様で健在であり、夫婦関係も穏やかであることは、子供たちにとって何よりの財産だと思う。どんなに金銭的な財産があっても、肉親の縁が乏しい人もいる。願っても、望んでもかなわないこともある。金銭的には決して楽な状況下ではない私だけど、肉親の縁にだけは十分過ぎるほど恵まれている。生きていてこそできる孝行。両親がともに健やかに、穏やかに、和やかに、長生きしてもらえるよう、私は自立し強い人間にならないといけないね。両親の良いところを継承した夫婦になれるよう、大切な人とのこれからを大事に築いていこうと思う。ありがとう。
2008.04.22
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身体の状態は100%じゃないけれど、クビになってしまうので出勤した。心配した上司が『病欠扱い』として届けを出したらどうか?と言ってくれた。けれど、それには手続きが必要なのと、その月の通勤交通費がカットになってしまう(社則)。いろんなパターンを考えて、うまくやっていこうと相談に乗ってくれた。やらなくてはいけないことが山積みで、違う意味でも目が回る。営業職なので数字も出さないといけない。無理は絶対にしてはダメ、(医師の説明を聞いた上司は)重い荷物も持ってはダメ、と事細かに心配してくれる。外回りも最小限にしなさいと言ってくれる。でも、何もしないわけにはいかない。焦らずにはいられないんだよね・・・。空回りしないように頑張ろう。体調は、日々刻々と復調。落ち着きつつあると思う。おいしいものを食べて、笑顔で過ごそう。
2008.04.21
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退院後引き続き、激しい疲労感、倦怠感、頭痛に襲われています。検査直後はなかったのに、だんだん出てきて大きくなった左手首の傷口の内出血は、幸い薄くなってきてくれました。鼠径部の内出血もほとんど目立ちません。ただ傷口のズキッという痛みは少しあります。退院翌朝の胸部の圧迫感は今は落ち着きました。だけど、起きていられないんです。こんなにグダグダになるもんなのかな?朝も、意識が朦朧としてて、会社には行けませんでした。あせりのような思いもあり、イライラします。体が思うように動いてくれないことに、気が滅入っています。心臓カテーテル検査を受けた人の感想を聞きたい。2日も寝込んでる人なんて私くらいかな?別に原因があるのかな?家族中が「無理しちゃいけない」と口を揃えて言ってくれるので、甘えてるけど、やっぱり大袈裟なのかな・・・。精神的なものが大きいのかな???弱い自分がいやだよ。
2008.04.18
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案の定、体を起こすことができず、また胸部の圧迫感で、呼吸がうまくできない感じになってしまい、会社は欠勤した。検査だからと侮っていたのは、ほかでもない私だったようだ。検査時に麻酔が効いてくれず、激痛との死闘の2時間で、心身の奥底からヘトヘトになってしまって、身体のいたるところが筋肉痛になってた。疲労感がすごくて、トイレに起きるのもやっと。重いものを持ったり、強く動かしたりしてはいけないと注意された左手首は肘の方まで紫に内出血が広がってしまい、目の当たりにしてた家族が心配してた。念のため、病院に電話を入れた。手首の内出血は腫れ上がってなければおおかた大丈夫だと言うことで、1週間後には消えてなくなってるだろうとのこと。「大変な検査をしたのだから、大事にゆっくり休むように」電話に出てくださった医師にそう言われた・・・。そうか・・・大変な検査なんだ。私の悪い癖で、私がどんなに辛い思いをしようとも、「世の中にはもっと難病に苦しむ人がいるんだ。私なんて軽症なんだから、痛がったり苦しがったりするのは大袈裟なんだ」と考えてしまうところがある。おそらくその癖は、3歳の頃、急性腎炎で生死をさまよい、採血のために治療室で注射を打たれる時、ヤダヤダと泣いて暴れる私に、線の入ったえらいカンゴフさん(婦長さん)に、(保育器に入った新生児を指差して)「あんなに小さな子だって頑張ってるんだから、のんちゃんも頑張りなさい」と言われて、泣きながら注射を打たれ、入院中、何度も何度も打たれる注射にも耐えたという経験から来てるような気もする。考えてみれば、3歳だって十分小さい。でも、小児病棟で、熱が下がらずに意識が戻らなかったら命の保証はないと宣告されて、意識回復後も、ベッドから降りて自分で動き回ったらいけないと言われてベッドに縛り付けられ(←縛られてはいないが)、唯一病室から出られるのが採血の時・・・。で、恐怖の注射も、3歳児は新生児を前に、グッと我慢しなければならなかったのだ。私も、けっこうかわいそうだったね。今までも、一見超健康そうにみえてたので、無理してきたのも隠してきたし、ダウンした時は倒れた時・・・なんてことも多かったんだけど、それでも、私なんてたいしたことないんだから、大袈裟に振舞ってはいけないんだ、って概念が消えなかった。だから、『絶対安静』という言葉に対して、きちんと安静にできてないところがあったんだと思う。日帰り検査、日帰り手術、日帰り入院、短期入院・・・と、現代医療は患者のあらゆる負担を軽減すべく入院や治療の期間(時間)を短縮する努力を図っている。だけど、それらと人間の心身の回復はイコールじゃないんだということを痛感した。日帰りだから簡単で、身体への負担が「ない」わけじゃなく、「少ない」のであって、静養はキチンととらないといけないのだ。心臓カテーテル手術も、私は簡単なものだと思ってた。母に言われた。「血管を異物が通り、心臓に異物が侵入したんだから、身体への負担は自覚以上のものがあるはずだよ。一昔前なら神の領域なんだから、しっかり休みなさい」そのとおりだと思った。検査にかかわった全ての方々への不信感はないけれど、自身の身体の回復は自分でコントロールしないといけないんだな~って思った。担当医も説明をしてくれた時、「今はインターネットで色々みれるからね」と苦笑いしてた。必ずしも正しくない、もしくは全ての人に該当するわけじゃない情報が、さもそうだといわんばかりに溢れている。インターネットで○日でこうなり、○日でああなる。などと書いてあると、そうじゃない自分がいると不安で仕方なくなる・・・ということだ。同じ病気でも、経過は人それぞれ。それでも、同じ経験を持つ方の声は少しでも多く聞きたいと思う。平均的な経過というものが分かれば、少しは安心できることもあると思うからね。とにかく、私の身体はどうなってしまったんだろう・・・そんな不安に苛まれてしまった。まだ検査しかしてないのに、容態が悪化してしまったんではないか?経験のないことへの戸惑いは意外に大きな精神的ダメージとなる。早くすっきりしたい。
2008.04.17
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担当医からの指示で、「とにかく水分をたくさん摂りなさい」と言われてました。検査時に使用した『造影剤』が対外へ排出(排泄?)されるようにと、検査後からは、おしっこは全て、蓄尿マシーンに入れて行ってました。その時、尿の比重も調べられてて、その数値がOKラインを超えないと、点滴が外せないと言われていて、今朝もまだ(ナース曰く)『囚われの身』でした(笑)。さすがに、昨夜は痛みが何度か走り、眠りが浅く、仕方ないので母に買ってきてもらっておいたオレンジジュース、ストレートティー、ミネラルウォーターをがぶ飲みし、夜中もコソコソお菓子を食べ、何度もトイレに行っておしっこを出す努力をしました。朝食も、おいしく食べられました。4/16 朝食担当医の診察があり、鼠形部の傷口は問題なし、左手首の『超強力止血バンド』からも解放され、テープのみになりました。でも、重い荷物を持ったりは厳禁とのことでした。無事に退院OKとなり、点滴も外してもらい、(ナース曰く)『自由の身』(笑)となりました。今回は検査入院だから手術はこれからなんだけど、とりあえず、『心房中隔欠損症』の確定診断を受け、欠損孔の位置や、肺への負担状態、心臓冠動脈の状態、心臓内の10ヵ所くらいの各場所の酸素濃度などあらゆることを事細かに調べてもらうことができ、循環器内科から心臓血管外科に連携して貰うのに十分なデータが揃いました。退院前に、担当医からの指示で、心臓血管外科外来を受診しました。有名なA先生でした。そこでも説明を受けて、手術の日程の予約を入れました。8月前半予定です。また、自己血採血の予約も入れました。輸血よりリスクが低いのと、術後の貧血予防にと、400cc位貯めておきましょうと言われました。多分要らないと私は思うけど、人工心肺装置を使うとホルモンが刺激を受けるとかで、月経になる人が多いらしく、それを聞いて、はっきり言って私は心臓の方よりそっちが気になり「ロキソニンがあまり効かない(効いてる時間が短い)」とか「月経過多で出血半端ない」とか訴えてしまいました。婦人科のカルテも同じJ大病院なので、なんかあれば廻してもらうけどね。それから、切り方は希望聞きつつ、最終的には担当医が決めるらしいけど、話を聞いたら縦切りの方がいいかも…と思った。入院も1週間~10日位で行けそうです。あとは自宅静養になるみたい。妊娠、出産をライフサイクルの選択肢から抜かせば、40歳位までオペをしないという選択も出来たかもしれなかったのだけど、私は我が子を抱きたい希望があるので、迷わず手術を選択しました。手術自体は簡単なものだそうです。信頼しておまかせしたいと思います。心臓血管外科外来の受診を終えて、病棟に戻り、最後のお食事を済ませました。4/16 昼食退院の身支度を済ませ、病棟を後にしました。それから、会計を済ませました。自己負担金は、9万円ちょっとでした。更に、8月の手術のための入院の手続きもしました。2日前に提出した書類と同じものをもう一式受け取ってきました。ああ・・・またお金がかかります。手術迄は、動悸息切れしつつお仕事頑張ります。帰り、フラフラになってしまい、本当は会社に寄るつもりだったんだけど、そのまま家に帰りました。電車を乗り継ぎ(これが辛くて、ほとんど寄りかかるように座ってました)、最寄り駅からはタクシーに乗りました。家に着くと、荷解きをして、その後おやつを食べたら死んだように寝てしまいました。入院中ってちょっと元気になってくると「もう大丈夫」って思うんだけど、一歩病院の外に出ると、ぜんぜん違うんだよね。みるみる調子が悪くなってしまい、左手首の内出血も真紫のあざがどんどん大きくなってしまって、横になりながらめまいがしてました。明日から会社になんて・・・行けるんだろうか。不安になりました。
2008.04.16
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今日(4/15)はいよいよカテーテル検査です。6:00から点滴がスタート。検温、血圧・脈拍測定、採血を受けました。朝は普通食で、おいしく頂きました。検査は午後からということで、午前中はのんびり過ごしました。何度かうたた寝したり、雑誌を読んだり。予定時間を過ぎても呼ばれず、昼食は絶食だったので、ひたすら水分を取って待ちました。13:30頃手術着に着替えました。下着も専用のヒモパンにチェンジ。筋弛緩剤のお薬を飲み、13:50に車椅子で手術室に移送されました。3年前の婦人科の腹腔鏡手術の時は全身麻酔だったので、ストレッチャーで運ばれてほどなく意識が途切れたんだけど、今回は自分で術台に乗りました。初めて見る機器の数々、独特な空気、匂いに緊張感はいきなりピーク。担当医のD先生は明るくサバサバと接して話しかけてくれたけど、まな板の上の…私は、込み上げる恐怖感で不整脈が起きそうでした(苦笑)。静脈は鼠径部から、動脈は左手首から行いました。鼠径部への麻酔の効きが悪く、なかなか進んでくれず、また、メチャクチャ痛くて、大汗かき、半泣き、で「痛い痛い」と唸ってました。痛みとの葛藤の中、検査は進みました。カテーテルが動くのがわかって、胸がくすぐったかった。カテーテルを先生が操作する度、鼠径部に激痛が走る。時間が過ぎてくれることをすがるような思いで祈り、鼠径部が済むと、左手首へ。これまた、物凄く痛い。身体中がガチガチにこわばってました。ヘトヘトになった頃、D先生が終わりを告げてくれました。明るいD先生のキャラに励まされて、激痛との闘いも終わり……と思いきや、左手首への止血バンドの圧力が痛くて痛くて辛かった。病室に戻ったのが17:00頃だったらしいけど、ぐったりでした。母が開始時からいてくれて、戻った時も迎えてくれました。18:00に母同席で、検査結果の説明を聞きました。よく頑張った…と、何度も言ってもらい嬉しかった。先生には感謝です。腹ペコで、夕食をペロリ、おやつも食べました。痛みも徐々に楽になりました。明日、退院です。退院前に、心臓血管外科外来を受診、手術についての説明を受けます。ドキドキだけど、元気になれることを信じ、健康に妊娠、出産できる身体になれることを期待し、もうひとがんばりです。
2008.04.15
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朝、出勤して朝礼だけ参加して、病院に向かいました。入院手続きを10:30迄に済ませなくてはいけないのに、遅刻しました・・・。念のため、病院に電話を入れておきました。着いてみると、予想通り大混雑で、結局更に20分くらいは待ちました。でも、遅刻はいけません・・・笑。預納金を支払い、IDリストバンド、入院中の生活ガイドなどを受け取り病棟を案内されました。3年前の婦人科での入院の記憶も薄れつつある中、病棟に向かいました。予定では、検査前は暇だろうから・・・と、抜け出して会社に再度行こうかな~なんて考えてましたが、担当医の挨拶や、担当ナースからの説明、事前検査などのスケジュールがしっかりと組まれていて、そのまま病室にいることになりました(当然だけど)。J大病院8階です。食事は常食で、昼食から出ました。4/14 昼食部屋着に着替え、担当ナースの説明後、採血、胸部レントゲン、心電図をとりました。同じく明日カテーテル検査を予定している、父と同年輩の紳士と一緒に事前検査ツアーを回りました。その紳士は、もう何度もカテーテル検査(手術も)を受けているベテランさんで、色々教えてくれました。その後、病棟の担当医の先生の挨拶と診察がありました。大学病院らしく、研修医?若い先生たちトータル4人に聴診器をあてられました。ちょっとドキドキです(笑)。病院ならではの早めの夕食も、結構緊張してる割に、完食ペロリでした。4/14 夕食18:00過ぎに仕事を終えた母と妹が来てくれ、担当医の先生の明日(4/15)の検査の説明を受けました。ちなみに、担当医のD先生、大きなで尚且つ目力強く、吸い込まれそうです。でも、説明も対応もきちんとして丁寧で安心しました。循環器内科外来の担当医のS先生にも会えてホッとしました。(その時のご一行の研修医?の若い先生たち2人にも聴診器当てられました。雑音が聴こえるかの研修かな?S先生の「ちょっといい?」の一言で若い先生たちは必死で私の心音を聴いてました。※ASDは雑音がVSD(心室中隔欠損症)より少ないことが多いらしい。)夜勤担当のナースさんの案内で、シャワー&剃毛して、明朝の点滴用に針を刺され、病人らしくなりました。点滴ようのライン穿刺の時、病棟担当の若い先生がナース同席のもとやってくれたんだけど、一度失敗した。「痛い・・・」と言っても、必死だったからか聴こえない様子(無視か?)。無事にできて、足早に出て行った後、ナースと顔を見合わせ苦笑い。「看護士さんにやってもらいたかった・・・」夜は前日寝不足で、爆睡でした。おまけ…ここはイケメン先生&かわいいナースばかりです。
2008.04.14
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いよいよ明日、2泊3日の検査入院。長年、ライブの遠征に連れ回していたキャリーバッグ(コムサの安くてかわいいやつ)がLサイズ、Sサイズとも壊れ、いろいろ見て回った結果、実家近くのホームセンターでゲット。結構満足の一品。妹のMちゃんと二人、焼肉。明日からの非常事態に野生の血が騒いだのか、ものすごい食べてしまった。「栄養をつけて」と、優しい妹・・・
2008.04.13
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会社の近く・・・
2008.04.02
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3/26 会社の近くの桜並木@東京都中央区3/28 同じく会社の近くの桜並木@東京都中央区3/29 神田川沿いの桜@東京都新宿区毎年、隅田川沿いの桜を見るのが好きで、浅草周辺を車から眺めます。昼間もいいけど、夜桜もいいです。来年も見られるかな?
2008.04.01
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このブログを随分長らく放置プレイしてしまった。いろんなことがあった昨年、身内に不幸も続いてしまった。自身の体調とか、精神的に辛くてたまらないこととかいろいろあって、書きたいことも山ほどあったのに、書けずに来てしまった。でも、この場所は大事な場所だから、得意の『さかのぼり日記』で、空いた期間の穴埋め作業をのんびりしていきたいと思います。デジカメが壊れ、仕事の関係でマイPCにも迎えない日が続いていて、しばらくは携帯からの更新になるかな~あいかわらず、徒然日記だけどよろしくおねがいします。
2008.03.20
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3/7の心エコーの結果、3/14の心電図、胸部レントゲンと主治医のS先生の診察の結果を踏まえて、今日、カテーテル検査の日程を決めてきました。4/14~4/16の2泊3日の検査入院。今日のS先生の説明では、これまでの検査で孔の場所などはほぼ確定してきてるそうです。心エコーの写真を見せてもらい、説明を受けました。シャント(血液が逆流しているところ)孔も大きくなっていて、量も増えているとのことでした。見せてもらった画像には赤と青で色付けられたシャントが鮮やかで、先生には笑いながら「これは通常ありえない流れなんだよ」と言いながら説明され、初めて自分の孔の場所をしっかり把握しました。確かにたんと逆流してました(というか今もしている・・・笑、いや笑えないか)S先生のこれまでの対応から、私の場合はほかの病気は併発してないんだろうな~って思います(説明がないから)。だとすれば、大きくても孔を塞いでしまえば健康に近づくのだ8月に受けることになる手術では開胸式で心臓を止めてオペをするし、傷も残るし、同じ病気を持つ方々の体験記など読むと、リハビリも大変そうだし、不安もなくはないけど、34年間それが当たり前だと疑わずに動悸息切れと闘いながら生きてきた私にとっては、根治手術後の人生への期待のほうがはるかに大きい。去年は「妊娠してもいいよ」と言っていたS先生が今回、「今妊娠してしまうと大変なことになってしまうから・・・」と言われた。そのためにも「先に手術してしまいましょう」と言われました。「次のお正月は元気に迎えられるよ」優しい笑顔で言ってくれました。私が今まで出会ってきた医師はみなすばらしい先生ばかりだと思う。自分でできることはしっかりやって、あとは先生方にお任せしよう。まずは、4月の検査入院。それまで、体力温存です。
2008.03.19
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平成20年2月1日付けで、正社員として採用されました。半年は研修期間がまだまだ続きます。今までの経験も活かしつつ、まったく未経験のジャンルに飛び込みました。
2008.02.01
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あけましておめでとうございます今年もよろしくおねがいします2007年は自分を見つめる一年だったと思います信じること、信じ続けることその大切さ、難しさが課題だったと思いますそして愛すること、愛されることその大切さも再確認しました今年の私はより成長した私であるよう自分の可能性を信じ、いろんなことに心を、目を、耳を、肌を向けていこうと思います私を信じ、愛し、支え続けてくれる大事な人にいつでも笑顔でいられるように今年もどうぞ見届けてください
2008.01.01
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昨夜はあまり寝付けず、今朝方になってやっとウトウトしたら・・・起きる時間になってしまって、睡眠不足です。末弟のSくんが大学の部活でやっているスポーツの試合で海外に行く予定があり、初海外の彼のパスポートを取得すべく、母が代理で市役所から必要書類を貰ってきた。千葉県だと、千葉駅直結のセンシティビル内に旅券センターがあるのだけど、池袋の旅券センターで手続きをすることになった(受付時間が池袋は19時までだそうです)。母とクルマで移動。運転係の私は、ランチをご馳走してもらった。行きつけのラーメン屋さんで、タンメンとレバニラ定食をシェア。末弟が大学の講義を終えて池袋に出て来て母とはそこで待ち合わせ。母を西船橋まで送って別れた。猛烈にトイレに行きたくなり(オシッコの方よ)、津田沼イオンに寄り道。仕事の関係の電話を待っていたのもあったので、時間潰しにウィンドウショッピング。文具売り場で最近お気に入りの絵柄のポストカードと、Sale品のカットソーを1枚ゲット。店内をウロウロしてたらくたびれてしまって、1Fのフードコートへ。はなまるうどんで、『冷ぶっかけうどん小+野菜かきあげてんぷら』を夕食に食べました。ドトールコーヒーで『アイス黒糖ラテ(だったかな?)』をゲットして店を出た。帰り道、アリオ蘇我にも寄り道。フランフランへ。テープ式ではなく洗い流すタイプのコロコロ欲しいものではなかったんだけど、ずっと探していた『洗い流すタイプのコロコロ』があって、しかも価格も¥504、デザインもかわいいので即ゲット。洗濯バサミは、ディスプレイを見てかわいかったのでこれもゲット。次にお向かいの無印良品へ。化粧用コットン(オーガニックコットン小132枚入り)と、入浴剤(乳濁しない方のローズの香り)と、化粧用チップ(5連キャップつき)をゲット。化粧用チップは携帯用のキャップのついたものを探してて、やっと出逢えた一品。子供の頃流行った『ロケット鉛筆』みたいに5つのチップが連結してるの。化粧ポーチの中が汚れるのが嫌で、探してたらMUJIさんさすが。アリオ蘇我は、イトーヨーカドーの方は2回ぐらいちょこっと立ち寄ったことあるんだけど(しかも1回は、彼とトイレタイムに寄っただけ)、フランフランとか無印良品はじめファッションフロアーの方には行った事がなかったの。先日訪れた、スパビューアの帰り道に外から見て、今度来ようって思ってたの。洋服やさんも数店おじゃました。見てるだけでもけっこう楽しかった。すっかり遅くなってしまった。母から巨峰を預かったので、風邪引いて鼻ズルズルになってた上の妹Mちゃんに届けた。納豆ご飯を食べて、巨峰を数粒頂いて、実家を後にした。そういえば、巨峰は今年はお初だったかも?甘くておいしい巨峰でした。なんだか長い一日だった。陽射しに弱い私は、目の周りが大変なことになってしまった。普段、お手入れ手抜きであんまりつけてないアイクリームをつけたけど、たるみと酷いクマ。あああぁぁ・・・・こうやってお肌は衰えていくんだ・・・早く寝なくては。
2007.10.17
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何かに導かれたかのような、不思議な出来事が起きた。息も出来ないくらい、涙がとめどなく溢れた。自分ではコントロールできないような出来事。悪いことじゃないよ。
2007.10.16
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急な母の誘いで、母と母の知人のSさんと19:30に千葉駅近くで待ち合わせをした。私は車で向かった。もうここ数日腰痛が酷くて困ってるんだけど、なんとか無事に合流。Sさんの家に向かう方面にあるデニーズへ。二人はすでに、少し他で食べたらしく、デザートだけ、私はしっかり夕食を食べました。色々とSさんを交えて話をしました。楽しい話や、まじめな話など時間は尽きないのだけど、Sさんも仕事があるので最寄り駅まで送り届けて、母と実家へ帰った。父と妹は夕食を済ませ、のんびりしているところだった。泊まるつもりじゃなかったんだけど、一休みってことでリビングでゴロリとしてた。そのままうたた寝・・・したいのに妙に呼吸が苦しくて、なかなか寝付けず、つけっ放しにしてたTVをWOWOWにあわせた。チャーリーとチョコレート工場がちょうど始まった。映画館で観たかったんだけど、少し前までの生活では映画館で映画を観るってデートはおろか、単独行動もなかなか実現しづらかった。別に制限されてたわけじゃないんだけど、なるべくならいっしょに楽しめることに時間を費やしたいと思って。(といいながらもGLAYのライブ遠征は行く・・・)観たかった作品だったので、観る事にした。私はこの作品大好きになった。期待通り、期待以上の娯楽作品。でも、心に語りかけるメッセージもあって、エンドロールの時には涙がたくさん流れてた。私が元彼に感じていたことが、ウォンカに重なった部分があった。・・・ダーリンは独りでいやしないだろうか?さみしくはないだろうか?今でも心配になってしまう。私じゃなくても彼を愛し、彼に愛されている存在はすでにいるかもしれない。彼が安らぎを感じることが出来る場所が、時間があれば、それでいい。ジョニー・デップの魅力に、すっかりセンチメンタルになってしまった。
2007.10.02
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私の髪質は、太くて固くて量は多くそしてクセ毛だった。最近は細いと言われるけど、依然量は多い。10年来のつきあいだった美容師さんにクセ毛の人はパーマをかけた方が髪にいいと聞き、またパーマスタイルが好きなので、伸ばしているときはパーマをかけることが多かった。そして、カラーリングも大好きで、白に近い金髪から赤、ライトブラウン、ブルー系など色んな色にトライして来た。それでも髪質が丈夫で、あんまり傷まないほうだった。ある日を境に髪の毛がボロボロになってしまった。ブラシが通らない・・・抜け毛がヒドい・・・禿げる・・・本気で不安になった。そこで、美容院に行ってきました。元々のクセと、パーマを残した(ストレートパーマ嫌いなので)ショートボブ。かなり『すいて』もらいました。家から車で10分くらいの美容院でカットしてもらった。8月末頃に初めて行ったところへ2回目。そこは、依然元彼が行って仕上がりが良かったので行ってみたところでした。それがあったので、サロンにも美容師さんにもなんの問題もないのに、行くのに勇気が要りました。彼との共通の記憶の場所を訪れるという行動は、結構勇気がいるね。よく行った食べ物やさんとか、お店とか、よく通った道とかね。時間という魔法が私を楽にしてくれるまで、無理しないようにしてます。私の生活、テリトリーに支障がないようにね。彼と過ごした6年の間にはショートヘアだったときもあったし、ロングもあった。どちらでも「似合うよ。かわいいよ。」と言ってくれた事を思い出した。髪を大きくチェンジすることで、またひとつ区切りをつけられた、今までのことを髪の毛と一緒に解放できた、ヘアカットがそういう意識の後押しをしてくれるように思える。古臭いかもしれないけど「女が髪を切るときは失恋したとき」なんて言った時代もあったけど、私はそれをポジティブに捕らえようと思う。これからの私の美への意識を、ほめてくれる存在に早く出会いたい。この人のためにキレイになりたい、かわいくいたい。これって、女性として生まれて、生きていくうえで意外と大事なことだとおもう。外見を意識することは、内面の美へ確実に繋がるから。ぼんやりしてないで、心身引き締めて、美しくなれるよう頑張りたい。
2007.10.01
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知人の依頼で、日本橋へ行って来た。仕事が休みだった妹と二人。コレド日本橋の中にある中華料理屋さんで遅めの昼食。色々と話を聞きながらの食事で、お茶とデザートはおいしかったんだけど、食事は60点くらいかな・・・?予定していた時間通りに終わり、地下駐車場に停めていた車を出し、新宿に来ていた母を迎えに新宿へ。新宿南口の文化女子大前に駐車して、母と合流。東久留米の妹弟の家へ向かい、休憩。仕事帰りの妹Cちゃんと、母と妹Mちゃんと私の4人でガストで夕食。弟は大学の部活から帰って来ず(多分友達の家)、逢えなかった。みんなヘトヘトなんだけど、Mちゃんは明日は仕事なので、泊まらずに千葉へ。二人とも疲れてしまって、睡魔に襲われた。交替で運転。途中から、Mちゃんが頑張ってくれたけど、後で、そうとうやばかったと聞いた。無事に帰宅。連日の外出に、結構体がガタガタになってる。
2007.09.27
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昨日、東久留米の妹弟のアパートに泊めてもらい、明け方帰って来た。自宅から撮った朝焼け・・・なんとなく、手を合わせたくなるような心境になり、今の心うちを目を瞑り解放しました。その祈る相手は神様なのか、太陽なのかはわからなかったけど、大きな存在に包まれている心境でした。午前中は仮眠をとり、午後から所要で幕張まで行きました。数日前から月経が来ていたんだけど、今月は痛みはあるものの鎮痛剤が効いてて寝込まずに済み(あ、一日は寝てたな)、辛い中でもなんとかしのげてた。月経の影響か、お腹の調子が下降気味でそれが困ってた。だけど、少し前から母の勧めで飲んでいる『タヒチアンノニ』の効果が出てきてくれてるのかな~なんて考えたりして、痛みのストレスを溜めないようにしてる。用事は無事に済み、家路へ。道中、ふと思い立ち、先日までお世話になっていた派遣先に立ち寄ることにした。私物が残ってたのと、本当に大変お世話になったマネージャーにキチンと挨拶したかったのとで、派遣会社の担当とスケジュールがうまく合わずのびのびになっていたので、単身派遣先へ伺うことにした。派遣先に電話を入れた。マネージャーは定時を過ぎてたけど待っててくれるとの事で、車をパーキングに停め、近くのパン屋さんで菓子折を買い向かった。途中、偶然にも仕事帰りのTMちゃんと遭遇。職場で一番仲良くしてもらって、GLAYのHISASHIのTシャツを貰っておきながら、忙しくて連絡先交換できずにいたので、一番心残りだった。それが、偶然の再会。TMちゃん、びっくりしたのと再会を喜んでくれて泣いてくれた。また逢おうね、と別れた。少し遅くなってしまったけど会社に向かい、マネージャーと再会。私が、たくさんのことが一気に押し寄せ、いっぱいいっぱいになってしまったとき、辛抱強く話を聞き、支えてくれたのがマネージャーでした。見た目通りのやさしいジェントルマンでした。ここ数日に起きたことも少し話し、事務的な処理と、挨拶をして別れました。これで一区切り。毎日のように走った道を、運転しながら涙が溢れました。この派遣先での仕事は、色んな思いを抱えてスタートしたから。そして、ジョークのような結末だったけれど、人生の転換期であったことには違いない。すばらしい出会いもたくさんあった。またひとつ、終わったんだな・・・と感じました。前に進む為には、ひとつひとつ区切りをつけること、キチンと終わらせることはとてもとても大事なことなんだと思います。誰を恨むでもなく誰を憎むでもなく
2007.09.26
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所要で、久しぶりに新宿へ行ってきた。車で行ったのと、用事を済ませた後は待ち合わせをしていたので、ウィンドウショッピングなぞする時間的余裕などなく、用事だけを済ませて新宿を後にした・・・。用事があったのは西口で、車は駅前の地下駐車場に。つい先日まで仕事していたとはいえ、千葉駅周辺とはやはり人間の数とスピードが違う。都内を離れて1年ちょっとで感覚は鈍るんだな・・・。元々、都内といっても北区とか墨田区、西東京エリアが行動エリアの拠点だったので、『ザ・東京』って場所よりのんびりしてるのかもしれないけどね。新宿に住みたいとは思わないけど、都内に戻りたい(今すぐでも)。独りで生きるには東京はやさしい場所だって私は感じてます。かえって田舎の方が、独り暮らしは寂しいもんです。まあ、私の「さみしさ」は別に理由があるのかもしれないけどね~。がんばれのんちゃん、まけるなのんちゃん
2007.09.25
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行きつけの化粧品店に行ってきた。ここ数ヶ月スキンケアは、アルビオンのエクサージュがお気に入りで愛用してました。美白ケア、くすみケア、保湿・・・と三十路乙女のお肌の悩みをクリアしてくれる、とても優秀なアイテムでした(の割りにはそんなに高くない)。OA機器に囲まれて、目の周りなんてギシギシ言うくらい疲れてたのだけど、アルビオンに変えてから、『やや乾燥+部分的にすごく乾燥肌』だったのが、『ほぼ普通肌』に。だけど、このところの激動のストレス山盛りな私の生活に、どんな優秀なコスメよりも、やさしいものを体が欲してるのがわかった。そこで、最近新しくなったIGNISにチェンジ。 IGNIS(イグニス)は以前からあるシリーズなんだけど、このたびリニューアルして、パッケージデザインもこのカワイイものに。ハーブを使用してて、アロマテラピー効果も。私のカサカサに乾いた心を癒すに、大好きなコスメが一役買ってくれそうです。早速、使用開始しました。フッと気が抜けたり、TVでラブソングが流れたりすると、簡単に涙が溢れてしまうくらい、メンタルバランスはまだまだ不安定です(元々泣き虫だけどネ)。出てくる涙は止めないようにしてます。これも、心身のデトックスだと思います。新しいコスメで、新しい恋の戦闘態勢に入る。長く過ごした彼にはだらしない姿もたくさん見せてきてしまった。親しき仲にも礼儀あり・・・怠ってたな。新しい出会いで、私が少しでも成長できるように、この別れがあったんだろう。大好きなハーブの香り芳しいコスメたちの力を借りて、女性らしく、かわいらしくありたい。素敵な人に出会えますように・・・
2007.09.23
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今日は、父の強い希望で、夕食は回転寿司へ行くことになった。はじめ、「『かっぱ寿司』でいいか」ということになって、バイパス沿いのお店で合流することになったんだけど、一足先に到着した妹から携帯にコール。どうも、ここらへんの住民の気が合ったのか、連休だからか、ものすごいお客さんの数で、大きめの駐車場も満車で入れないほどだそうだ。お寿司気分は変更不可能になってたので、同じくバイパス沿いの『スシロー』というところに行った。こっちはホームセンターと合同の駐車場で駐車は大丈夫だった。待ち時間も受付のタッチパネル式のマシンによれば10分程度とのこと、人数を登録し、整理券を貰って待つことにした。待合所の長椅子に腰掛けてると、いくらもしないうちに、続々とお客さんが押し寄せてきた。私たちで7組目だったんだけど、あっという間に10組くらい増えてしまった。私と妹はどこのお店に行っても客寄せしちゃう・・・(某スピリチュアルカウンセラーによるとそういう人は『憑依体質』の傾向にあるらしい。)。予定より少し待ったけど、番は回ってきて、無事にお寿司にありつけた。やっぱり回らないお寿司の方がおいしいのは十分知ってるんだけど、手軽だし、まあまあおいしいので悪くない。シャリが少なめなのか、普段食べる枚数よりお皿が気付けば多かったヨ。ふと、ギャル曽根ちゃんを思い出した。彼女は最強のフードファイターだけど、何がすごいって、いつもものすごくおいしそうに食べること。私は、大食い選手権とか嫌いなんだけど、彼女の食べてるシーンはわくわくして楽しくなるし、私も食べたくなる(あんなには食べられないけどサ)。たまには好き嫌いもしないで、ものすごい量をお腹もお財布も気にせず食べてみたいな~なんて思ったのでした。お寿司に関しては、元ダーリンはご存知の通り、においもだめだったので一緒に食べに行くなんて事は夢のまた夢でした。こればっかりは無理強いできないので、単身外出先のランチとか、実家にいるときなんかに今までは食べてた。こういう気遣いをしなくて良くなったという事は、ラクになった~という反面、意外と寂しいもんです。おいしいものを食べたとき(お寿司以外ね)、いつも、「ああ、○○ちゃんにも食べさせたいな~」「○○ちゃんは食べたことあるかな?」「一緒に食べたかったな~」・・・なんて考えてしまう。この○○の中は、元ダーリンばかりではなく家族もそうなんだけどね。人の記憶で一番確かなのは嗅覚そして味覚らしい(視覚、聴覚ほど事後情報に影響されにくいそうだ)から、今まで大事な人と食べたもののそれぞれの記憶が、また食べたときに鮮明に蘇るんだろうな。寂しく生きるんじゃなくて、それが人生の積み重ねってもんなんだろうね。新しい出逢いからも、新しい感覚の記憶がたくさん生まれていくんだろうな。それはとても楽しみな気持ちです。寂しいばかりじゃないですね。
2007.09.22
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妹と二人で『しゃぶしゃぶ温野菜』に行ってきた。わが町のバイパス沿いに出来てすぐから行こう行こうと言ってたんだけど、なかなかチャンスがなかった。元彼ネタになるけど、元ダーリンは私が家で作る鍋は食べたけど、しゃぶしゃぶは『食わず嫌い』でした。何度誘ってもNGで、彼と別行動のときに行けばよかったんだけど、結局行けなかったんです。妹の仕事明けにクルマで迎えに行って、腹ペコな二人は衝動的に店に向かったのでした。お店についてすぐから店員さんの対応が良くて、それだけで合格点でした。店内も清潔で、きれいでした。待つこともなく、すぐにテーブルに案内されました。食べ放題プランをオーダーしました。鍋のだし(っていうのかな)が2種類選べるようにもなってて、ポピュラーな昆布だしと、火鍋(キムチ鍋みたいな辛いだし)を選びました。お肉(牛肉、豚肉、鶏肉、鶏つみれ)、野菜、ごはん、きしめんが食べ放題でした。最初に一通り届き、種類の豊富さに圧倒されて、でも腹ペコだったので、スイッチがはいったかのようにガンガン食べだしました。マロニー好きの私たち、マロニーだけでも何回おかわりしたかな~きしめんで締めて、だし汁も飲んだ(全部じゃないよ)。最後にアイスクリームのデザートが。おいしかったよ~。二人でも楽しかったけれど、4人くらいで行く方がワイワイと楽しいかもね。早く鍋をつつける相手が欲しいワ。
2007.09.21
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夕方、母の友人と逢った。母がアルバイト先で知り合った女性、Sさん。話しではよく聞いてたりしてたので、初対面だけど不思議な感じだった。千葉駅までクルマで行き、母とSさんと3人で合流した。前々から会う機会を狙ってたそうだ。千葉周辺の和食系ファミレスに行った。腹ペコだった私は『ひつまぶしセット』をオーダー。母とSさんはお寿司に茶碗蒸しがついてくるセットを仲良くオーダーしてた。ガンガン食べながら、色々な話をした。実は、Sさんの知り合いを紹介してもらうかもしれないのだ。話しはそれだけじゃないんだけど、私としては事前にも少し相手の人の話を聞いてたので、興味津々。まだ、お相手の方に会うとかそういう具体的な話にはなっていないけど、「お見合い」になるのかな?新しい恋ができれば一番なんだよ・・・。忘れる為とか、ごまかしてるとかじゃなくて、『キレイな思い出』にできるのは、今の私が幸せじゃなくてはならない。そのためには、いい出逢いもしたい。34歳はまだまだ若いと言われるかもしれないけど、子供を産むにはリミットはやっぱりあると思う。卵子も老化し、卵巣も子宮も老朽化していく一方。持病の為だけじゃなく、機能的な意味でも早く子供を授かりたい。その為には、結婚して、旦那さんをもたないといけないね。この方の子供なら産みたいワって思える方とめぐり逢いたい。「結婚」「出産」のための出逢いは・・・いけないのかもしれないけど、もちろんそこに愛はあって然りですヨ。神様、どうぞお願いします・・・
2007.09.20
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連休を利用して、妹のMちゃん、Cちゃんと3人で群馬までお墓参りに行ってきた。私の両親のお墓(両親は健在です。死産した年子の兄が眠っています)のある館林市と父方の祖父母が眠る本家のお墓のある太田市に行ってきました。物凄い暑く、射すような陽射しの中、お墓を掃除し、お花を供えてきました。早朝に出発した為、お昼には両方のお墓参りを済ますことが出来ました。そして、昼食と休憩を兼ねて、太田のイオンに行きました。食事を済ませ、ウィンドウショッピングと、ちょこちょこっと買い物もし、クタクタになったところでスタバによりました。Mちゃんは『モカフラペチーノ』Cちゃんは『コーヒーフラペチーノ』そして、私は大好きな『キャラメルフラペチーノ(ノンホイップ)』レジ横のショウケースに魅了され、季節限定(だったかな?)のケーキをつオーダーしました。『栗のクランブルケーキ』です。1つを3人で仲良くわけっこしました。食べだしてから、「写真!写真!」となったので、食べかけです・・・『アップルクランブルケーキ』は、カットしたアップルとカスタードクリームがドンとのっているんだけど、この栗のも栗と(たぶん)クリペーストがドンと存在感あって、でもしつこくなくてぺロッといけました。暑さと、ハードスケジュールの後のティータイムにはバッチリでした。この日、セールのTシャツとカットソーと、水玉柄のストール(スカーフ?)と、ハードカバーのダイアリーブックを買いました。都内や千葉にもある雑貨屋さんなんだけど、品揃えがよかったので、興奮しました。ダイアリーは3年日記。新しい日々を綴ろうかな・・・と思って、購入。そこには新しい恋なんかも早く書き込めるといいな。素敵な人にであいたいな~と思ったのでした。まだまだ暑いけど、秋はもう来てるね。私の感覚として、春と秋は何かがスタートする季節な気がします。(新学期の時期だしね)お墓参りをして、心が軽やかになりました。
2007.09.16
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昨夜、ふとした瞬間、赤ん坊のように涙が滝のように溢れてしまった。何かあったわけでも、何かを思い出してたわけでもなく。悲しいとか寂しいとか、感情の部分もスッポリと抜けてて、自分でも、なんで泣いてるのかわからない感じ。体の奥底ではキチンと原因を認識してるんだろうけどね。泣いて、泣いて、泣き腫らした。ひとしきり泣いたら、ラクになった。こうやって、自浄作用が働くのかもしれない。6年3ヶ月・・・2300日もの昨日までの日常を、今日から「ハイ、変更になりました~」なんてケイタイの機能のようにはできないよ。時々は、足踏みしたり、座ってみたり、寝転んでみたりすると思う。でも、目の前には壁ではなく、明るい道が開けてるのが見えるから自分に言い聞かせてきたことも、もう開放していいのだから34歳の希は、もう少し自分に優しく行こうと思う。久しぶりに熟睡した。眠れなくなってしまっていたのを、眠くなるまで起きてて、スケジュールフリーをいいことに起きたくなるまで寝てみた。結局、1ヶ月暗い続いていた微熱も、36.5℃まで下がった。身体は判っていたのかもしれない。忙しかった8月に行けなかったお墓参りに行って来ようと思う。妹が連休なので一緒に行く。深呼吸して、その先に見えるものにゆっくり進んで行く。愛し、愛される喜びを、生きることに真剣になることを、どちらも教えてくれたのは彼だから。私はやっぱり幸せだったんだと思う。
2007.09.14
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突然の出来事に、心を乱し、自分を見失いかけたけれど、なんとか顔を上げることが出来たよ。彼と過ごした日々が全て詰まっているこのブログの存続をどうしようか・・・散々迷ったけれど、これは私のブログ。これからの日々を、また愛情いっぱいのものにしていけるよう、前向きに、元気に進んで行こうと思います。愛すべき存在を私はたくさんもっている。私は不幸じゃないです。まだ、しばらくは寂しさに負けてしまう日もあるかもしれない。けれど、立ち止まって、うずくまって、動けなくなってしまっているわけじゃありません。素敵な思い出がたくさんあるから、うれしかったこと、楽しかったことがたくさんあるからこそ、前に進むのに少しだけエネルギーが必要なだけ。ハイパーのんちゃんの愛すべきものたち 第2章 はもう始まっています。どうぞよろしくね。
2007.09.13
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何もわからないまま、一方的に、私とダーリンの関係は『なかったこと』になりました。結婚の約束もしていない将来のはなしなんてしていない子供も欲しくない付き合ってない・・・そうとまで言われました。私の言っていることは全部嘘だと決め付けられ、彼の実妹さんにも暴言を吐かれ、冷静な話し合いのもと、終わるなら終わらせましょうと言う私の声など届かない。6年もの月日を全否定された気持ち・・・どうしたらいいのでしょうか?泣いても気がすみません。いっそ死んでしまえたら・・・と手元にある鎮痛剤をありったけ飲んだけど50錠くらいじゃ人間死なないんですね。目が覚めた時、悔しくてたまりませんでした。私にも落ち度はあると思う。でも、夫婦同然の生活を送り、結婚の約束をして、来月にも結婚すると言う時期になっての彼の(彼の家族の)行動に私は悲しくて仕方ありません。憎む気にもなれない。ここのブログで綴ってきた日々が、「お前の言ってることなんて全部嘘」で片付けられる悲しいです。
2007.09.10
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妹のMちゃんからの誕生日プレゼント。タオルに刺繍というのが、今、我がファミリーの間でブーム。きっかけは父の日。ダーリンの分も作ってもらったヨ。同じく8月生まれの下の妹Cちゃんにも私とMちゃんからということで刺繍タオルを用意しました。マドンナ(旬なところでダルビッシュ有くん)と同じ誕生日のCちゃんなのに、スケジュールが合わなかったり、私が仕事が2日連休だったのに、体調不良でダウンしてて行けなかったりで、実はまだ私の手元にあります。9月の連休に逢って手渡しします。自分のは、もったいなくてまだ飾ったままです。
2007.08.24
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微熱が続いている。先週までは鼻風邪で、だらだらとハナ垂れおばさんねえちゃんで仕事してた。それが落ち着いても、微熱と強い倦怠感は抜けず、所々でダウンしてる。夏バテなんだろうな~。海にも山にも行楽地にも、どっこも行ってないし、ろくに遊んでもいない。ワーカホリック気取りで頑張ってるんだけど、ダウンしてれば意味ねぇ~よ・・・って感じ?脳みそが沸騰してるのかも(笑)。もう少しだけ、頑張りたい。無理してでも。
2007.08.23
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愛用のデジカメ君が壊れた・・・(みたい)。勝手に電源が入り、レンズがジーコジーコ動き、エクソシストみたいになってる。だけど、シャッターは切れない。幸い、入れっぱなしだったSDカードのメモリは大丈夫だった。このブログの写真は99%このデジカメ君で撮ってるし、私は携帯の写真嫌いなんだよね。どうしよう・・・もう寿命なの?LUMIXちゃん・・・
2007.08.22
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本日8/21は、私の誕生日。34歳になりました。これといって、親孝行も、爺婆孝行も出来ずに、年齢だけは『いい大人』になってしまいました。33歳の希は、いろんな経験をしました。辛いと感じたことも無くはなかった。嬉しいと思えたことも、楽しかったことも同じくらいあったと思う。瞬間的に、ものすごい感情が動いていたとしても、時間が経つとそれらのどれもがおだやかな記憶に変化している。誰を恨むことも、憎むことも、嫌うことも無く、全ての存在に感謝し、愛する。そんなあたりまえであり、大事なことを、何度目かの確認と、強く意識をした一年だった気がします。34歳の希は、人生において大きなイベントが待っています。喜怒哀楽の全てを披露してきたここで、みなさんに一つでも多くのご報告が出来たらと、思います。ここ数ヶ月、生活の優先順位をガラリと変えて集中的にトライしていることがあります。大事な大事なこのブログもおざなりにしてしまいました。涼しくなってきたら、またこまめに更新できるよう頑張りたいと思います。これからもどうぞ宜しくお願いします。
2007.08.21
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ダーリンと私が初めてのドライブデートをした日から、なんとなく始まった恋のスタート日から・・・丸6年を迎えました。今日から7年目。紆余曲折とか、山アリ谷アリとか、いろんな形容詞を用意できる、凝縮された時間を過ごして来たけれど、二人の共通の思いは、これからも一緒にいようということ。愛してる。大好き。一番大切な人。「僕の花」と言ってくれたあの日と変わらぬ愛情をお互いが持ち続けられるという幸せ。二人の夢は、二人の血を引く家族が増えること。二人の健康。神様に感謝
2007.06.02
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昨夜、ちょっとしたきっかけで、大泣きしてしまった。私の泣き虫は33年ものなので年季が入ってて、こちらの読者様ももう驚かないと思うけど、最近は忙しかったり、あまり物事を深く考えないように努めたりしてたこともあって、ここまで泣いたのは久しぶりな気がします。そして、怒りもしました。私はのんきだけど、キレるとなかなか戻れない。子供なんだと思う。『許す』ハードルは低い方だと思うけど、我慢が出来ないタチだから、なんでもその場で解決したい。自分のわがままで泣いた・・・わけじゃないのだけど、ちょっと駄々こねた感じもあったかな?私の身近な存在は辛抱強くないと身が持たないね。おかげで、今朝は目が糸のように細く、まぶたはボッテリ腫れてしまった。頭はガンガン痛いし。天気も昼からは曇りで、ますます頭痛は酷くなるし・・・今日が仕事OFF日でよかった・・・ちょこっと外に出る用があって、基礎化粧に日焼け止めだけ塗った顔でめがねかけて出かけちゃった。一応、地元だけど、知人が殆どいない町に住んでるってラクだな~。まあ、都内にいた時も、休みの日とかそうしてたけどね、へへへ。妹の通院の送り迎えとか、買い物とか付き合って、実家によってきた。溜まった洗濯をまわして、干した。夕食は、わかめと豆腐の味噌汁、ごはん、鶏ささ身唐揚げ、煮物、ミニハンバーグ(合挽き)、冷奴。一応、二人分。
2007.05.16
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先日はご心配をおかけしました。胸痛発作当日は一日爆睡、翌日は仕事しててもフワフワしてました。正直、一抹の不安もあったのだけど、乗り切ることが出来、周りの支えも合って仕事もこなせてます。その後は、仕事がめまぐるしく忙しくなったけれど、元気に頑張れてます。神様が多忙になる前に小休止を与えてくれたのかな?と前向きに考えました。体調の不安はとりあえず、消えてます。私の性格と同じく、ムダに空回りしてる心肺機能たちに、ねぎらいたいと思います(笑)。私の心理状態に関係なく、日々ルーティーンワークをこなし続けてくれている、身体の各機能たち・・・。元気に生きてる間は、そんなこと考えないのが普通だろうけど、どこか病んだり、痛めたりすると、普通に呼吸をしていることすらありがたく感じるね。自分の足で立っていられることとかね。全てが感謝だね。頑張れる自分、お蔭様だね。
2007.05.14
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厚い壁が崩れ去るように、大きな氷が溶けるように・・・凍り付いた心がほんわかと暖かくなっていくのがわかった。毎日のように涙にくれ、時には水さえも喉を通らなかったこともあった。自分が今ここにいることすら、わからなくなっていたこともあった。身体のいたるところの痛みより、心の痛みが大きくていつまでも床に付していたこともあった。血が通っている、息をしている、目を見開き世界に色がついて見える、花の香りが、甘いお菓子の匂いが、小鳥のさえずりが、スポーツカーの爆音が、身体の五感が、いや第六感までも、すべての意識が目を覚ました気分。暗く、冷たい、まるで棺のような中で独り寂しく眠っていた。まるでそんな自分だった。誰の言うことも信じられず、何を見ても心がわかず、全てがモノトーンに見えていた。何かのせいに出来れば、誰かをなじる事が出来れば、気楽だったかもしれない。取り戻した記憶と、穏やかな感情が、確かに自分の両足で立っていると実感させてくれた。その唇の感触に、肌のぬくもりに、懐の大きさに、抱きしめられたときの匂いに、全てが私の記憶のままだった。Man Toro Heiry Duest-dalam.
2007.05.03
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両親の結婚記念日。私が34歳になるのだから、36回目かな?いつまでも、二人揃って、元気で仲良くいて欲しい。父が、母を愛しくみつめる目が大好き。母が、強がり言いながらも父を敬愛している健気さが大好き。この両親のもとに生まれてよかったと、何度思ってもきっと毎回新鮮にそう思うんだろうな。きっとこれからも。親不孝な私だから、心配かけることしかできなくて、そんなことでしか「親であることの醍醐味」を味わわせることができなくて、申し訳なく思う。いつでも私の幸せを願い、贅沢もせず、いつもいつも笑顔で私を見守ってくれている両親に感謝。私にも、人の親になれる時が来たら、両親のようになりたい。お金は沢山無くても、5人の子供皆に大学まで行かせてくれた。娘たちが作る料理を一番に喜び、出かけた先でのお土産の和菓子を何より喜ぶ、子煩悩な父。沢山のことを一生懸命考え、どんどん行動する勉強家な母。よそ様のご両親と比べたら、優等生じゃないかもしれないけど、大らかで優しい父と、努力家で真っ直ぐな母は、私にとっては最高の両親。悪いところばっかり遺伝して・・・なんて、よく茶化される私だけど、父のような広い心と平常心、母のような向上心を持って生きたいと思う。世の中では、4月22日は『ヨイフウフの日』だそうで。我が家でも、『良い夫婦の日』です。
2007.04.22
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昨夜のことは、私自身にも驚きでもあった。遅番なので、実家にそのまま泊まった。久しぶりに実家のお風呂に入った。大人が足を伸ばして横になっても余るくらい大きいバスタブに漬かり、潜って遊んだ。運動神経はいい方じゃないけど、身体を動かすのは好きだし、水泳は習っていたこともあって好きだ。潜水は、海でもプールでも、お風呂でも、温泉でもしてしまう。自宅のバスタブでも直ぐに潜っちゃう。多分、胎児の記憶が、バランスを取るためにそうさせてるんじゃないかな~なんて思う。私は、手荒れしないこともあって、お皿洗いとか水周りの仕事が好きだ。ただ、冷え性なので、真夏でもお湯で洗うけど。水(お湯)に触れていると、心の安定が計れる。カーッとなってしまったり、イライラしたとき、手を洗いに行くと結構落ち着く。母がリビングに布団を敷いてくれてた。そこへ、ゴロリと寝た。最近、一人暮らしを始めた上の弟が仕事が休みなのと、風邪を引いたとかで実家に帰ってきてた。喉と鼻の風邪らしく、いびきがうるさかった・・・(かわいそうだけど)。朝、おにぎりを握ってもらい、食べてから家に戻って仕事に行く支度をした。今日を乗り切れば、明日はお休み。とにかく頑張りたかった。昨日のことは、考えないようにしよう・・・そう言い聞かせ、するべきこと(とくに仕事面)だけを考えた。そんなには頑張ってるわけでも、無理しているわけでもないし、職場環境も悪くない。ちょっと頑張っただけで、笑顔で評価してくれる。評価されたい為に頑張るわけじゃないけど、「おつかれさん」のひとことでも、労ってもらえることはやっぱりうれしい。心の迷いが体調不良に直結する弱い私が出てこないように、次にダーリンに逢った時、成長した私を見てもらえるように、今を乗り切る。スタッフひとりひとりの笑顔が私の心の栄養。今日で、ピルが終わるので、恐怖の月経期がもう直ぐ来る。これを乗り切れれば・・・がんばれ、まけるな。執着ではなく、愛情であり続ける為にも。
2007.04.21
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通勤途中の川沿いに、干すように並んでいるこいのぼりたち。赤信号の瞬間に撮ったので、うまく撮れなかった。本当は、もっと沢山沢山あって、きれいなんだよ。干すようにあげるのは千葉県の習慣なのかな?他でも大量のこいのぼりがめざしのように(って表現が乏しいね)連なってるのを何度か見たことがある。仕事が終わり、会社の入っているビルを出たとき、急に『抑うつ状態』というか『パニック障害』というか、とにかく心が瞬時に混乱をきたしてしまった。原因は直ぐにわかった。車が何台もとまっていて、それがかつて、ダーリンが私を迎えに来てくれていた頃の記憶とリンクしてしまったのだ。呼吸が乱れ、浅く早くなってしまった。過呼吸だけは避けたい、必死で深呼吸をした。涙が溢れそうだったけど、グッとこらえた。直ぐに体調を崩す私のために、ダーリンは可能な限り、仕事先に迎えに来てくれた。楽チンだからうれしい・・・ということもあるけど、一緒にいられることが何よりうれしかったし、自分だって疲れているだろうに、私のことを考えてくれてのことと思うとありがたかった。彼の乗っていた車に似た車があったわけでも、似た人(例えば外国人とか)がいたわけでもない。『会社を出て直ぐのところに車が待機している』ということだけで、私はパニック状態になってしまったのだ。自覚している以上に疲れていたのかもしれない。電車に乗り、最寄り駅で降り、車に駆け込んだ。涙が止まらなくなった。今までの日常が、そして、今日に続く平凡な日常の場面場面の全てが、私にとって今は脅威でしかない。必要以上に考えない、必要以上に見つめない・・・思考回路を極力LOWにしておく。子供が泣くように、嗚咽と涙でぐしゃぐしゃになりながら運転した。慣れた道でよかった。実家に呼ばれ、遅かったので一度は断ったが、そのまま行くことにした。母に、散々泣いていたことを気付かれないように、「あ~疲れた。眼精疲労だね」なんて言いながら、目をこすり、(本当に痛かったので)「頭が痛い」と辛い顔をしてごまかした。私以外の誰にとっても、大したことじゃないんだけど、私の心の沢山のスイッチが一斉にオンになってしまった。数年前、あることがきっかけで電車に乗れなくなった。つり革も、ハンカチ越しでしか持てなくなった。手を一日に何度も何度も洗わないときがすまなかった。電車を使えば45分足らずで着くそこへ、2時間かけて都バスを乗り継ぎ出かけていたあの頃、彼は自分の仕事のスケジュールの都合が合う日は、どんなに疲れていても私の送り迎えしてくれた。私にしかわからない、私だけが知っている彼がいる。彼の腕にギュッと抱きしめられたい。彼の体温の記憶だけが、抜けてしまった。もう春も深まり、暦の上では初夏も迫るこの頃なのに、寒くて眠れなくなる。
2007.04.20
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今の仕事のメイン業務が始動した。と言っても、まだまだ・・・といった状態だから、MAXに忙しくなるのはこれからだと思う。今週は遅番。食事休憩が16時頃なので、半端なんだけど、私はしっかりごはんを食べている。ダーリンと離れて初めてかもしれない、サブウェイのケイジャンチキンサンドを食べた。彼といた頃は、彼が喜んで食べるのでよく食べた。イランのサンドイッチに似てるからかな?野菜のカスタマイズが出来ることもありがたい。彼ピーマン抜き、トマトとピクルス増量私オリーブ抜き、ピーマンとトマト増量今日も、ついつい彼の方のカスタマイズを言いかけてしまった。習慣って、恐ろしい。サイドメニューにポテト、スープをセレクト。お腹いっぱいになってしまった・・・。仕事では、本格始動したことでルーティーンワークが加わる。しっかり覚えて、一人でこなせるようにならないと。ついつい夜食・・・『業務スーパー』で買った冷凍うどん、250g×5食で¥198と激安だったのだけど、おいしい!ラッキー。
2007.04.19
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仕事上のちょっとしたドタバタは、膨らむ方向へ進んでしまった。同じSVのHさんが病気になってしまった。病名を聞き、早期復活は臨めない・・・。私は、自分が持病があるので、病欠とか、病気を理由の急な退職などはもしかしたら、一般的な感覚よりゆるいかもしれない。だって、お互い様じゃんね。健康あってこそ、だもん。誰にも無理しては欲しくない。沢山いるスタッフの中には、快く思わない人もいるかもしれない。仕事のしわ寄せとか、負担増を強くストレスに捉えてしまう方もいるかもしれない。私は、ストレスに弱い方かもしれないけど、逆境には意外と強いかも?私が、いい潤滑剤になれるよう、頑張りたい。相談したいことがあり、ある人に電話で話を聞いてもらった。超多忙な中、私に時間をくれ、私の言葉にしっかりと耳を傾けてくれた。ありがたかった。そして、気がかりな出来事に対し、できる限りのことをしてみた。収穫はなかった。悪い予感が外れてくれるといいのだけど。あらゆることにおいて、私の想いが伝わるといいな・・・。明日から2連休、ネガオーラは休養とともに排出してしまおう。
2007.04.16
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気がつけば、彼がイランに旅立ってから、丸2ヶ月が過ぎた。彼との関係について、彼自身について、あらためてじっくりと考えることが出来る時間が持てたと考えれば、こうやって離れていることも実りあることだと思う。今まで、私が逢いたいと言えば、どんな状況下でも、彼は結局駆けつけてくれてた。私のわがままに、私の弱さに、私の勝手さに付き合ってくれていた。そして私も、彼のわがままに、勝手さに、弱さに、振り回され、そしてそれを受け入れ、付き合ってきた。要するに、私たちはよく似ているのだ。どこかで言ったことがあるかもしれない。私は、終始一緒にいること、行動すること、団体行動は、実は好きじゃない。だけれども、孤独が苦手。ベストは、同じ空間(例えば、広~~~い部屋の端と端でも)にいて、適度に息吹を感じられれて、各々が好きなことをしている。そんな状態。ダーリンの前にちょこっと付き合った人は、私がスケジュール帳に書き込みをしていただけで激怒したことがあった。「勝手なことをしている」という感覚だったのだろうか?ウザイな・・・と思ったけど、一緒にいるんだから、自分だけのことに一瞬でも時間をとられたくないと思ったのかもしれない。そう思うと、ちょっとイトオシクなるね。その人に未練はゼロだけど。ダーリンも、私がPCに張り付いてると、激怒する。まあ、それは私が限度を越えているからだろうけど。言って貰えるうちが華・・・かもね。今頃、彼はどうしてるだろう。何を食べ、誰と話し、何を見て、何を感じているのだろう。イランなんて、長くはいられない・・・なんて嘯いてたけど、故郷だもん、帰ってみたら意外と居心地良くって、日本には戻りたくないかもしれない。二人の全ての計画を白紙に戻そうか、考えている。顔を見て、手を取り合って話すまでは、言わないけど。
2007.04.15
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今の仕事はSVがチームを組んでいて、数々の研修を担当制で行っている。完全シフト制だけれど、土日はスタッフ数も少なめになる(とくに管理職)。私の属するチームが受持つ研修が今日明日と予定されていて、リーダーSVさんのサポートをしたり、私も実際に進行役になったりする準備をしていた。今日になって、不測の事態が起きてしまい、急遽、私がメインとなっての研修デビューが早まった。今までの仕事でもMAX4~50人を相手に指導したり管理したりといったことは経験してきたけれど、この業界では、知識が薄いので少し不安があった。だけれど、やるっきゃない。リーダーSVのKさんが、進行表を作ってきてくれてて、それをもとに研修をした。出来はさておき、とりあえず終えることが出来た。スタッフさんたちにわかりづらかったり、行き届かなかった点があったかもしれない。クレームがあるかもしれない。でも、そういう声を聞くことで、改善、成長できるから、意見とかアドバイスとかあったらどんどん言って欲しいな・・・。私の経験が活かせる部分は、もったいぶらずに最大限に提供するしね。それよりもなによりも、気がかりなことが起きてしまった。早く解決して欲しい・・・。
2007.04.14
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ランチはひとりで取りたい主義の私だけど、チームで仕事をしてて、チームメイトのMさんとは性別を越えて仲良く仕事で来ていて、なんとなく「たまには一緒に・・・」となった。Mさんのおススメのお店に連れて行ってもらった。居酒屋さんのランチメニュー。決して広いお店じゃないけど、カウンターでも狭っ苦しい感じもなく、オーダーしたら直ぐに出てきた。『あずまどん』というものにした。まぐろのづけに卵黄が乗ってる、ユッケのような感じかな?それが、とてもとてもおいしかった。ランチは定食になってて、小鉢とかデザートとか、とにかくボリュームもたっぷり。これで約1000円。毎日1000円だと厳しいかもしれないけど、頑張ってる毎日の時々にはこういうおいしいごはんは心の栄養にもなるね。午後も元気に頑張れました。
2007.04.13
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