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カテゴリ: 家族

28日午前3:30頃。

自宅の電話が鳴りました。

主人のお兄さんからでした。

お兄さんの次男が交通事故で亡くなったと・・・。

すぐには返事が出来ず、嘘だとしか思えなくて、あわてて主人のもとへ。

主人もびっくりして大きな声で受話器に向かって叫んでいました。

すぐ支度をして息子たちに事態を伝え、6キロ離れた主人の実家まで駆けつけました。

センターラインからはみ出し、大型トラックと正面衝突。大学病院に搬送されましたが懸命の処置にもかかわらず、帰らぬ人になってしまったそうです。

実家に到着した時はまだ病院から帰ってきていませんでした。

嘘だと思いながら、待ち続けて数時間後・・・・・

本当に現実なんだと思い知らされました。

この春高校を卒業して専門学校に入り、先月19歳の誕生日を迎えたばかりでした。

笑顔がかわいいとってもやさしい子でした。うちの息子たちもとっても懐いていて、「ナオ兄ちゃん、ナオ兄ちゃん」と、いつも実家で遊んでいました。

高校受験の時も、私に数学を教わりにきて一生懸命勉強したり、でも時々調子に乗って悪ふざけをして怒られたり・・・。

これからもっと楽しい人生が待っていたはずなのに。 

どうして・・・・・・・

一番そう思っているのは、お父さんとお母さんでしょう。

私は、遺体といっしょに帰ってきた義姉を抱きしめて、いっしょに泣くことしかできませんでした。

それでも気丈にご両親はお通夜、葬儀の手配を兄弟と共にしていました。

お通夜・葬儀にはたくさんのお友達が駆けつけてくれました。みんなが涙を流し、最後ののお別れをしました。こんなにたくさんいい友達がいて幸せだったんだね・・・。

葬儀の最後に、いっしょに車に乗っていて助かった友達が、入院先の病院からご両親と駆けつけてくれました。

彼は泣きながら絞りだすような声で言いました。

「助けてくれてありがとう・・・」と。

無事に葬儀を終え、うちに遺骨となって帰ってきた時は夜8時を回っていました。

息子たちもとても悲しみ、次男にいたっては声を上げて泣いていました。こんな形でお従兄ちゃんを送ってあげなくてはいけない・・・こんなに早くに体験をさせたくなかったです。

もっと大きくなって、私たち親を先に送ってから、おじいちゃんになるまで元気で過ごして・・・それからでよかったのに・・・・・。

わたしもようやく落ち着いてここに書けるようになりました。

この死を無駄にしないで、交通事故の恐ろしさをみんなが理解し、安全運転をいっそう心がけて欲しいです。

ナオ、天国でおじいちゃんと一緒に、みんなを見守ってね・・・・・

                                  合掌






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最終更新日  2009.07.31 12:51:44
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