08話 【部外者】


←7話 ┃ ● ┃ 9話→



08話 (―) 【部外者】―ブガイシャ―


___01.不破犬君side

POSルームには店内の商品売価を変更するシステムを搭載したパソコンが置いてある。それを操るのがPOSオペレータだ。
10畳ほどの小部屋にはパソコンが3台並び、普段は2人のオペレータが店内中の売価に関する一切合財の依頼を請け負っている。
入室にはご用心だ。部屋の主によるオモチャ扱いは店内では有名だから。間の悪いことに、今日はその餌食となってしまった。
「わんちゃーん」
『八女芙蓉の声は悪魔の声』。昔、そう言い切った男性がいた。――誰あろう、僕の上司だが。
その美貌、頭脳、行動力。抜群のパロメータを保持した八女さんの欠損部分はズバリ性格だ。
「わんちゃん、私って凄いのよ。空気が読めちゃうの」
「本当に空気が読めるんでしたら、わんちゃん呼ばわりしないはずです」
「茶化さないの!」
「茶化したわけじゃないんですけどね」
皮肉で応じてみたものの、当の本人は瑞々しい唇の端をわずかに上げただけだった。
「私ね、この部屋が微妙にきな臭いコトに気付いたの」
「おかしいなぁ。僕には八女さんから漂う香水のいい香りしかしませんが」
「あら、潮よりも上手だこと。その潮の様子がおかしいみたいなんだけど、あなた、彼女に何かした?」
柔らかい口調から一転、鋭い口調へ。その目は笑っていない。これこそが八女芙蓉が般若と恐れられている所以だ。
鋭い切込みを入れ、相手を一瞬口ごもらせる手法。この技は、結構効果がある。
「少し前になりますけど、潮さんに告白しました」
「へぇ……。潮が好きなのは知ってたけど、まさか告白するとはね」
今度はこっちが目を丸くする番だった。
「待って下さい。何で八女さんが僕の好きな人をご存知なんです?」
「態度見てればバレバレ」
おかしいな。隠していたはずなのに。見る人が見れば丸分かりだったのだろうか。
「でも駄目でした」
「でしょうね。あの子、伊神にぞっこんだから」
「そう言われました」
「不憫ね~。で、あなたはどうするの? 早くつけ込みなさいよね」
「つけ……」
「204号。潮のマンションの部屋番号よ。あの子、風邪をひいて今日はゆっくり寝てるらしいから」
「何考えてるんですか。行きませんよ」
「平静を装うのも上手だこと。本当はのどから手が出るほど欲しい情報だったクセに。もたもたしてると他の男に取られちゃうわよ?
そうね~、わんちゃんには落とせなくても、他の男性だったらどうかしら。例えばソマとかソマとかソマとか?」
ソマという名はトリガーだった。その人物に負けるわけにはいかない。僕はきっぱりと答える。
「行きます」
「物分りのイイ子は好きよ」
今度は菩薩のような笑顔で微笑むが、ふと疑問を覚え、八女さんへ問いかけた。
「八女さんは、潮さんの味方なのでは? どうして僕の恋を応援してくれるんです?」
「私は『恋する者』の味方なの。伊神というライバルがいるにも関わらず、潮を想い続けるわんちゃんの熱意に胸を打たれたの。
となるとソマの存在がネックよね? 潮の同期という時点でソマが何馬身もリードしてるんだからフェアじゃないわ。同じ土俵で勝負させてあげる」
「まさかの展開ですね。恋のキューピッドですか。でもまぁ鬼に金棒です」
敵に回すと厄介な相手だけに、心底そう思った。が、果たして八女さんの言葉を鵜呑みにしてよいものなのか――。
まぁいいか。仮に嘘だったとして不利益を被るわけでもなし。素直に受け取ることにしよう。


___02.潮透子side

水にはいい思い出がない。カナヅチで泳げないし、ここぞというイベントでは絶対悪天候になってしまう雨女だし。
現に昨日もそうだった。天気予報では『傘は必要ありません』と言っていたにも関わらず、急に叩きつけるような雨が降るんだから。
でも私だって馬鹿ではない。そんな時のためにロッカーに置き傘を用意していたのだ。
グリップを押して傘を広げる。歩き出すと、店の入り口で、やみそうにない空を見上げ、途方に暮れている客の姿があった。
正直、『う……』と思った。面倒な場面に出くわしてしまったなと。見て見ぬ振りをしてしまおうか、とも。でも、でも。
(そんな私を、もし伊神さんが見たらどう思うだろう?)
首を横に振って『透子ちゃん……』と残念がられでもしたら二度と立ち直れない。そんなのは嫌だ。
次の瞬間、おばあさん目掛け駆け出していた。しきりに固辞するそのおばあさんに傘を押し付け、帰路についた。
帰宅後すぐ入浴し、身体を温めたものの、頭痛に関節痛、のどの痛みを覚え、そして熱が出た。
(せめてあのおばあさんが無事ならいいな。どうか風邪などひいていませんように)
いくらマンションが近かったとはいえ、まだ寒さの残る春先に身体の芯から冷えてしまっては「風邪のフラグ立ってますよ」候だ。
止まらない鼻水に辟易しながら脇から体温計を引き抜いた。8度3分。そんな情報、知らない方がまだ気丈でいられたかも。
汗で身体中がベタベタだ。でも入浴してはいけないような気もする。せめて着替えだけでも……さらに言うなら水が飲みたい。
ベッドから上体を起こし、足を地につける。ぐわん、と頭が揺らいだ。うそ、やだ、これってば重症? 
思い通りに動かない身体に活を入れ、キッチンまで歩く。今日ばかりは部屋の狭さがありがたい。
冷蔵庫の中に入っている冷たいミネラルウォーターではお腹を壊しかねないから、コップに水道水を注ぐ。
水を飲み干して一息つくと、着替えの服を手に取り浴室に向かった。
濡れタオルで身体を拭くだけで精一杯。仕方ないよと自分に言い聞かす。
(……しまった、いつもの要領で洗濯機を回してしまった。誰が干すのよ? 今日の私にそれをやらせる気?)
げんなりしながら再びベッドに戻ろうとしたその時、玄関のチャイムが鳴った。
興味本位でドアスコープから覗いてみるも、相手の顔が分からない。そもそも出られる状態でもないので引き返す。
するとあろうことか、ドアノブを回す音がし始め、ビクッとした。 
「え、な、なに!?」
わけが分からなくなって後退る。ベッドの柱が足に当たり、床に尻餅をついてしまった。痛みよりも恐怖が勝り、固まってしまう。
「……あれ? なんだ、鍵開いてる。入りますよ」
なぜ。だれ。どうして。なにがどうなってるの。
だめだ、頭が正しく働いてくれない。まさか施錠を忘れてた? そんなばかな――!
「どこだろ……?」
私を探しているのだろうか。それとも物取り? 財布を探してる? 私はといえば、軽いパニック状態。
「ここかな?」
「だ、誰!? 入って来ないで! 不法侵入!」
「不法……まぁ、確かに」
見慣れた人物が目の前に立っている。彼のことは分かる。不破犬君だ。それは分かる。分からないのはその理由だ。
「何で! 何で不破犬君がここにいるのよ!?」
「何でって……八女さんにけしかけられたと言うか、脅されたと言うか」
八女チーフったら一体どういうつもりで不破犬君を派遣してきたんだろう。よりによって、弱りかけた女性の部屋に男性を寄越すなんて!
怒りでさらに頭が沸騰しかけた。が、それがいけなかったらしい。身体に負荷をかけてしまったようだ。
(あ、もうだめかも……)
そう思ったと同時に、記憶がぷつりと途切れる。


___03.不破犬君side

「潮さん!?」
幸いにも膝から崩れるように倒れたため、潮さんが頭を打つことはなかった。
それでも慌てて駆け付け、上半身を起こしつつ顔色を伺う。額には汗が浮かび、身体が火照っていた。高熱は疑いようもない。
抱きかかえ、ベッドに潮さんを寝かし、布団をかぶせた。今度は額に当てる水タオルを作りに立ち上がる。


___04.潮透子side

水の音が聴こえる。ぼたぼたぼたぼた……これは何かを絞る音? 額に冷たい感触。火照った顔に気持ちいい。
瞼を開けると、そこには私を見下ろす不破犬君の顔があった。
「……なんでいるの……?」
「看病フラグが立ったからですかね」
しれっと言ってのけると私の頭をすくい上げ、上半身を起こしてくれた。目前にコップを差し出されたので大人しく受け取る。
「スポーツドリンクです。飲んで下さい」
喉が欲していたスポドリだ! コップを煽るとごくごくと飲み干す。これだけで随分生き返ったような気がした。
「お粥を食べる気力と食欲はありますか? 一応作ってあります」
「うん、食べたい。わざわざ作ってくれたの?」
食欲があることに安堵したのか、不破犬君の顔はそこでようやく緩んだ。
「いえ。事後報告で申し訳ないですけど、勝手に棚を探らせて貰いました。レトルトパウチのお粥ですよ」
「そう、ありがとう」
お粥を持って来てくれた不破犬君は、ふーふーと冷ます。
自分で冷ますことぐらい出来るのに。そう訴えたのだけど、彼はこうやって恩を売っておかないと、と頑なな態度を改めようとはしなかった。
「何か、悪い夢でも?」
「え?」
「潮さん、うなされてました」
「……そうね……夢ならよかったな」
「え?」
悪夢だった。
悪夢は過去に起きた実際の出来事で、ご丁寧にも『最も忌むべき日』の再演会だった。
私を罵る者はひとりもいなかったけれど、私は自分に対して呵責を覚えていたし、それは今でも心の中に生きている。
私は伊神さんを裏切り、突き放し、彼の誠意を絶望の淵に叩き付けた。
「……あのシーンだった」
両目から涙が溢れて来た。不破犬君に見せまいと両手で目を覆う。
「夢ならよかった……!」
「……僕は詳しい話を知りません。だから潮さんを慰める言葉も、今は見付からない。傷付いた貴女を守ってあげたいけど……」
「……言いたくない」
「僕だって知りたくないですよ、貴女をそこまで縛り付ける伊神さんの話なんて!」
これまで聞いたことのない、鋭いことばだった。だだをこねる子供が分からず屋の大人に何とか分かってと訴えかけるような。
だけど、切ない声……。
「す、すみません……。病人に向かって声を張り上げたりして……。本当にごめんなさい」
「……ん、ビックリしたけど、大丈夫だから」
だから教えてください。不破犬君はそう呟いた。
「好きだから。潮さんが好きだから。伊神さんを忘れさせる為にも、僕が潮さんに振り向いて貰う為にも、僕は話を聞いておく必要があるんです。
僕がつけこむ隙を見せて下さい。伊神さんなんて忘れさせてみせます。教えて下さい、何があったのか。そんな貴女を見るのは、本当に辛いんです」
痛い。不破犬君の優しさが痛い。私を責めない優しさが痛い。
優しくしないで。優しくされればされるほど、心が軋む。
伊神さんを裏切るわけにはいかないと心の防御力が強まるのを感じつつも、不破犬君の情に絆され弱まる気配も感じる。
雁字搦めだったはずなのに。私の心は、形を変えようとしている。でも、それがいいことなのかまでは自信がもてなかった。
(……きっと、いけないことなのだろう。どうか伊神さんを想い続かせて……)
「……すみません。お疲れですよね。いつかでいいです。とにかく今は眠って下さい。早く元気になって下さいね」
『いつかでいい』。その言葉に安堵する。いつか、時が来たら。心の整理がついたら。
そこまで私を心配してくれる貴方に、せめてものお礼とお詫びを兼ねて、ちゃんと話すよ。彼と私に何があったのか。
(全部話す。だから今は待ってて)
熱が下がって、雨が上がったら。「おはよう、先日はありがとう」って、まずは不破犬君、あなたに言うから。


___05

3日後には体調もよくなった。
少しはあの日の功労者である不破犬君に対して優しくなれるだろうかと思っていたのだけど、そうは問屋が卸さなかった。
どうしてもつっけんどんになってしまうのは、弱さを曝け出してしまったことを私が恥じているからだろうか。
目の前に置かれた大量の食料品に、椅子に座っていた私は上半身だけを捻り、不破犬君を見上げた。なにこれ?
「お見舞いの品です。どうぞお納めください」
片栗粉、天ぷら粉、白玉粉、上白糖、その他にもお好み焼きソースやら缶詰、その他使用途例が分からない商品が並ぶ。
不破犬君は、しれっと告げた。
「看病した時たまたま目に入ったんですけど、既製品ばかりで不健康そうだったから、あれではいけないと思いまして」
「つまりこれを買って自炊しろと言いたいの?」
「潮さんのキッチン、レトルトだらけで正直がっかりしました。精々がホットケーキを作るぐらい? それなら僕にだって出来ますよ」
「なっ……!」
「愛知県民でしょう? 味噌汁は八丁味噌で飲みましょうよ。何で白味噌?」
「偏見反対。いいじゃない、白でも」
「僕が赤味噌派なんで。とにかくまぁ以上のことを踏まえて潮さんが自炊すべきなのは一目瞭然です」
「なんでそんな事言われなきゃなんないのよー!」
「料理が出来ない潮さんでも僕はいいんですけど、料理が出来る嫁というのも、旦那としては仕事のモチベーションが上がると思いません?」
「その意味不明な未来設計こそ、私の心臓に悪いわよ!」
「ですからこれは潮さんの為にですね……」
「要・ら・な・い! 今まで通りレトルトで過ごすわよっ」
「潮さんが作った手料理、食べてみたかったなぁ」
どうしてそこで、しおらしい弟キャラになるワケ!? 今までの不遜な態度はどこへ行ったって言うのよ!?
「……まったく」
仕方がないので観念した。譲歩とも言える。まぁ、借りを返すにはいい機会だろう。
「お菓子ぐらいなら作ってあげなくもないわ」
「えっ、本当ですか?」
心底驚いた不破犬君の顔といったら。玉砕覚悟の発言が実現するとは思ってもみなかったのだろう。
「言っておくけど、作って渡すだけよ? 部屋には絶対入れないから。あと、味には期待しないで」
「構いません! 潮さんの手作りお菓子……やった」
普段大人びていると彼なだけに、年相応の反応には微笑ましいものを感じる。
完全無防備な笑顔を見せる不破犬君に、苦笑しながら肩をすくめたのだった。


2019.04.12
2025.03.20


←7話 ┃ ● ┃ 9話→


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: