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04話 【白山羊と、黒山羊】
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04話 (迦) 【白山羊と、黒山羊】
[1]
白やぎさんからお手紙着いた 黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに
「白やぎさんを『青柳さん』に替えようかしら。語呂もピッタリだし。アオヤギさんからお手紙着いた、シキカリンったら読まずに食べた」
「正確には『読まずに食べた』じゃなく、『読んでから千切った』ですけどね」
不破君だった。彼は出勤早々、未読分のFAXに目を通している。後輩の茶々を黙殺し、私は続きを口ずさむ。
「仕方がないのでお手紙書いた、一昨日の手紙のご用事なあに」
「書いたんですか?」
「何を?」
「手紙ですよ。今歌ったでしょう? 仕方がないのでお手紙書いたって」
「書くわけないじゃない」
「ですよね。えぇ、分かってますとも」
心なし、不破君は不服そうだった。
[2]
ドライ売り場専用バックヤード。
経費削減の為、必要最低限の照明しか許されていないその細長い廊下の左右には、商品の入った段ボールが塔のように高く積み上げられ、並んでいる。
今から段ボールを解体し、商品を開封する作業を始めるところだった。
自分を中心とした、作業に必要な部分にだけ豆電球を灯すと、段ボールを1つ1つ開けて行く。
音は一種のGPSだ。
急にそう思ったのにはワケがある。ビリビリと裂く音を頼りに、青柳チーフが私の居場所を突き止めてしまったからだ。
私を見付けるなり、青柳チーフは有無を言わさず前に立ちはだかった。逃がす気などないらしく、鋭い双眸でしっかり見据えられてしまう。
それでも悪足掻きを試みた私は、足を1歩、それとなく下げてみる。
隙を見て駆け出すつもりだったのに行動は読まれていたようで、チーフに腕を捕まれてしまった。
「セクハラですよ」
沸き上がる怒りに、つい出た最終兵器。そんな脅しも彼には通用しない。
「話がある。聞け。上司命令だ」
「今度はパワハラですか」
言い終わらない内に、段ボールの壁に押し付けられる。後頭部をしたたかに打ち、痛みと乱暴さに私は顔をしかめた。
鼻と鼻がくっ付きそうな距離まで近付かれてしまい、口も挟めないほどの弾丸トークを展開されてしまっては後手に回るしかなく、反撃不可を悟るのだった。
「俺をからかうのもいい加減にしろよ? 今までは大人しく見逃してやったが、これ以上逆らう気なら本気でお前を退職に追い込むからな。
それが嫌なら、その性格をどうにかしろ。プロなら公私を分けろ。俺が嫌いならそれで構わない。だが仕事の時だけは俺の話を聞け。お前は俺の部下なんだから。
反論なら後で纏めて聞いてやるよ、お嬢様。俺が先に言わせて貰う。お前の考案した朝食フェアが大当たりで、ネオナゴヤがドライ部門1位を取った」
「え……」
「おめでとう。よくやった。一昨日はそれを言いたかったんだ。ブッキングされたがな」
少しだけ、後悔の念に苛まれる。てっきり何かの失敗を突き付けられるとばかり思っていたので、この展開は予想外だった。
だったら呼び出した紙に一言添えてくれればよかったのに。朝食フェアについて話があるとでも。……それで出向いたかどうかは分からないが。
本題はあっさり終わり、続いて私へのお小言が始まる。私の態度に、青柳チーフは相当不快な思いを抱いていたというくだりから入った。
「今まで色んな部下を育てて来たが、お前のような跳ね返りは初めてだ。
上司を敬わず、態度は横柄。話を聞いているのか聞いていないのか分からない。挙句に不破経由で打ち合わせを成立させるなど、呆れて物も言えん。
俺が嫌いなら、その理由を聞かせて貰おうか。俺だって人間だ。好かれも嫌われもする。欠点があれば直そうと思う。
きっとあるんだろう? 俺に対して思うところが。ハッキリ言ってくれ。志貴が俺に抱いている感情を」
ここでやっと、青柳チーフを私を解放した。それでもまだ彼との距離は近い。そして相変わらず私を直視している。
ここまでチーフと正面から向き合ったのは、今回が初めてだ。非を指摘しろと言って来たことも。
彼が真摯に私と対等するつもりでいるなら……私も逃げるわけにはいかない。
彼は言えと言った。だから言う。本音を晒せと言われたから本音を言う。もう怯まない。覚悟を決める。
「チーフ」
「何だ」
「後悔しますよ」
「いいから言え」
チーフ、貴方は馬鹿です。最終警告を無視するなんて。私に言わせるんですか?
「……仕方ないですね。じゃあ、言います」
警戒するように、青柳チーフは生唾を飲み込んだ。咽喉が動くのを、私は見た。
この人でも緊張する事があるのか。私程度を相手に。
そう思うと微笑ましくて、思わず笑んでいた。そして、突いて出た本音。
「私は、どうしようもないほど青柳チーフが好きです」
私はチーフが苦手だった。でも、それ以上に大好きだった。
気が付けば、いつも青柳チーフを目の端で追っていた。
近寄れば、私のことだ、本人は愚か他人にもその好意が筒抜けになってしまうだろう。
態度で示せば私の想いなど、あっという間にバレてしまう。
だから私は距離を取った。彼を無視した。気がないように見せるために。この想いが発覚しないように。
青柳チーフが休みで職場にいない日、私は絶好調だ。逆にチーフが出勤の時は、まるで人が変わったかのように別人になってしまう。
彼を避けるように歩き、常におどおどし、びくびくし、顔も強張り、つられて暗くなる。
泣けるほど無能で役立たず。常に失敗を恐れている自分は情けなく、惨めで醜い。
それは、単にチーフに失敗したところを見られたくないから。嫌われたくないから。たったそれだけの理由。
複雑な乙女心は、まるで天秤のよう。ゆらゆら、ぐらぐら。嫌悪は好意の裏返し。
「私が好きな人は青柳さんです」
「……志貴。まずは、言い過ぎたことを謝る。すまなかった」
今では青柳チーフから凄みが消え失せていた。
嫌われていたと思っていた人物から予想外の言葉を聞かされて、さぞやお困りだろうと思いきや。
「お前の、俺に対する感情は分かった。だが……すまない。お前とは付き合えない」
と切り返された。『明日の天気は雨なんですって』『あぁそうなの?』、と交わす程度の淡白さで。
そこまで明白に突き付けられてしまっては、女々しく追い縋る愚か者にもなれやしない。私の告白は簡単に流された。
チーフは、「だが、それが何で俺をことごとく避ける理由になるんだ?」と呟いている。
報われない、と思った。私の心も、私の存在も。
私が絶句していると、チーフのスラックスから店内専用PHSの着信音が甲高く鳴り出した。
「今すぐ行きます」という二つ返事ののち、チーフは私と視線を合わせ、かと思えば無言のまま踵を返して売り場へと行ってしまった。
私は暫く呆然としたままその場に立ち尽くす。
やがて不破君が私の近くを横切った。私の口は、自然と彼を呼び止めていた。
「ねぇ不破君、今から一緒にご飯食べに行かない?」
私の態度に異変を感じたのか、妙なところで勘の鋭い不破君は、己の腕時計で時間を把握すると「いいですよ」と首肯した。
2人でテナントの洋食屋に入ると、奥まった位置を陣取り、さっきの出来事をぶちまけた。
[3]
不破君は、私がチーフを好きだった事に驚き、私が告白した事に驚き、チーフにフラれた事に驚き、その理由を尋ねなかった私に驚いていた。
つまり、一連の流れ、そのものに。
中でも特に解せなかったのが一番後者の部分だったらしく、断るにしても何が原因だったのかと首を捻っていた。
「彼女がいるなら仕方ないですけど」
「え? 不破君がそれを言うの?」
「今は静聴してて下さいよ」
「……単に、私が嫌いだからでしょ。常に反抗的な態度だったし」
「それにしたって理由を聞いておくべきでしたよ。今まで反抗的だったとしても、志貴さんの努力如何によっては気に入られたかもしれないのに」
もぐもぐとハンバーグを咀嚼する。私は肉汁が凝縮された肉の欠片と同時に、不破君の言葉を噛み締める。
私の努力如何によっては、挽回の余地があるのだという事を覚えておいても損はない。
[4]
ここで問題が勃発する。
今の私は仕事の件で青柳チーフと接触せねばならず、どの面下げて――と居た堪れない状況だ。
結局、「いまさら何を言ってるの?」という自嘲めいた己の言葉が後押ししてくれたお陰で、私は覚悟を決めることが出来たのだった。
必要な書類と筆記具を掴むと、私は――重い足取りで――チーフを探すことにした。
POSルームを覗いたけれど、オペレータしか見当たらない。売り場にもいない。一体どこへ行ってしまったのか。
居場所を訊いてから向かえばいいのかと気付き、一番近い位置にある、日用品雑貨専用バックヤードの柱に設置してある電話から内線ボタンを押す。
すると、数十メートルと離れてしない場所から、あの独特な甲高い音が鳴り出した。間違いなく青柳チーフのものだ。
居場所が掴めたので、私は受話器を置き、音のした方向へと向かった。
日用品雑貨の奥にはコスメ専用バックヤードがあり、青柳チーフはそこに居た。柾チーフと話していたところだったらしい。
「鳴りやんだな」
「534って、どこの内線番号でしたっけ?」
「バックヤードだと思うが、どこの売り場だったかな……?」
「すぐに切れたということは、大した用事じゃなかったのかもしれませんね」
「用があるなら、また掛かってくるだろう」
そんなやり取りがあり、青柳チーフはPHSをスラックスに戻した。柾チーフとの会話を優先させたかったのだろう。
声を掛け辛くなってしまい、話にキリがつくまで待とうと、商品の箱の陰に隠れる私。柾チーフが「それで?」と促していた。
「朝食フェアの成功を褒めるために志貴を捕まえました。でも思わず、なぜあんな態度を取るのかと、俺は志貴に迫っていました。志貴は……」
「告白でもされたか? お前が好きだったんだろう?」
「な……」
驚いたのは青柳チーフだけではない。私もビックリして、咄嗟に口元を押さえた。「え!?」と漏れてしまうのを防ぐために。
「知っていらしたんですか?」
「彼女から直接聞いたわけではないが。……それでお前は?」
「付き合えないと言いました。俺は、職場恋愛はしない主義なんです。それに――」
そこで、青柳チーフは言葉を切る。柾さんは「それに?」と反芻。
「そもそも、志貴が好きなのかどうかも怪しくて。今まで彼女を女性として見たことがなかったので」
職場恋愛はしない。志貴迦琳は恋愛対象ではない――。
その事実を突き付けられ、私は肩を落とす。
私の努力如何によっては、挽回の余地があるのだと思っていたのに、こんなにあっさり望みが断たれるなんて。
覚束ない足取りで、私は来た道を戻った。書類は後回しにしたい気分だった。
[5]
毎日頻繁に顔を合わせなければならない上司に失恋した。
あの告白で私が得たものは何もない。むしろ損失の方が大きかった。
本音を曝したばかりに、私は拠りどころを失ってしまったのだから。
今まで心を閉じ込めることで正気を保っていた。
チーフが私の本心を知らない限り、砦は頑丈なまま一切の敵を寄せ付けずに済んだのだ。
一瞬の気の迷いが、かたく閉ざしていた門を解錠させ、敵の侵入を許してしまった。
悔しくて仕方ない。なぜ吐露してしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。
私と青柳チーフの仲は、ぎこちなくなるどころか、無関心・無反応・無視という、告白する以前の関係に戻っていた。
相変わらずチーフは私に鋭い視線と叱咤を送り、私は彼から逃げつつ、不破君経由で仕事をこなす。
不破君は「もう好きにして下さい」と呆れ果て、何かを諦めたようだった。
私もチーフへの想いを諦めるべく、自分に言い聞かせるよう努めた。
チーフが冷静なのは、私を女として全く意識していないことに他ならないのだから。
2011.05.12
2020.02.14 改稿
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