G3 (―) 【Help Me!】


日常編 (―) 【Help Me!】



ドライ食品を担当している社員たちは焦っていた。
「千早ちゃん! お願いしますっ! どうかこの通り!」
手を合わせて必死に懇願しているのは、ユナイソンネオナゴヤ店ドライ売場の女性社員、志貴迦琳。
遠目から見た様子では、従業員通路を往来する者たちに片っ端から声を掛けていたようだった。
歴もその対象者のようで、目が合うなり擦り寄って来たかと思えば、深々と頭を下げられた。
「志貴先輩、分かりましたから顔を上げて下さい」
勤続年数は迦琳の方が上なのに、後輩相手にお辞儀をさせてしまっているのが後ろめたくて、歴はおろおろと迦琳の肩に手を回す。
「歴、どうしたんだ?」
背後から声を掛けてきたのは彼女の兄の凪。歴は自然と安堵の面持ちになる。
「兄さんも知ってるでしょう? 今年のクリスマスケーキの販売数が伸び悩んでいるのを。従業員販売で数を稼ぎたいらしくて」
予約開始直後に2個予約していた。これ以上買っても食べきれないだろう。でも……。
歴が訴える目で見ると、凪は微笑んだ。そんな兄の決断が好ましくて……嬉しくて、釣られて笑顔になる。
「いいよ、買おう。ホテルのケーキは残ってる?」
「あ、残ってます! 2番と4番、9番と……17番のケーキでしたら」
「フルーツタルトが美味しそうだ。9番と――どうする?」
「私は4番の、食用花入りのケーキ」
「2個もいいんですか? 私が言うのも変ですけど、千早さんには既に2個予約を入れて貰ってるし、追加分は1つで十分ですよ?」
心配げに尋ねる迦琳に、凪は「平気平気」と軽い返事。
「歴、鬼無里三姉妹に持って行こうな」
「ひどいわ兄さん。ついこの間、因香さんが決意したばかりじゃない。『ダイエットを始めた』って」
「クリスマスなんだから無礼講さ。今から愉しみだなぁ。ヒステリックに叫ぶ因香さんの顔」
「私はてっきり、困っている志貴先輩を助けたいがために追加を申し出たとばかり……。まさか、そんなよこしまな思惑を抱いていたなんて」
「どんな理由だろうと、数が捌けて志貴さんは大助かり。俺は鬼無里三姉妹に積もり積もった長年の鬱憤が晴らせてラッキー。誰も困らない」
「因香さんたちが可哀想です」
「それとも、お前が全部食べるか?」
「それは……。出来れば私もケーキの過剰摂取は避けたいけれど……」
「じゃあ決まりだな」
「! や、やっぱりやめましょうよ、兄さん! あとが怖いわ。私達だけで食べましょう!?」
千早兄妹が言い争う中、迦琳は注文書に数を記した。『4番・9番、業務課千早様』。
「ほんとにありがとっ」
スッと差し出されるお客様控えの紙。歴は複雑な思いでそれを受け取るのだった。




杣庄の機嫌は悪い。買いたくもないケーキを、これまた買いたくもない犬君から買うことになってしまったからだ。
「八女先輩に『受取日に関しては杣庄に訊いて頂戴』って言われたから来たのに、思いっきり敬遠ムードですね。それで、いつにします?」
犬君の手には、芙蓉からオーダーされた分の注文書があった。杣庄は魚を裁いていた手を休めると、手袋を取り、その紙を奪い取る。
「1番? おいおい、八女サンは何考えてンだ? 何でこんな高いケーキを買う必要があるんだよ」
「あ。1番を勧めたのは僕です」
「てめ……! ナニ勝手に吹き込んでやがる!」
「いまさら変更なんてしないですよねー? ソマ先輩の度量が試されますもんねー?」
にこにこと笑顔を浮かべながらも、その言葉には毒がたっぷり仕込まれていた。杣庄は舌打ちすると、「変更はしねぇよ」と吐き捨てる。
「受取日はどうします? デートは何日ですか?」
「……ほぅ、いい度胸だなぁ? 何日から受け取れるんだ?」
「23日から25日です。24日のイブにしておきましょうか。僕って優しい上に気が利くなぁ」
「そうだと思ったぜ……! いいか、耳の穴かっぽじってよ~く聴けよ?」
前置きをすると、他の者ならビクつきかねない大声を杣庄はあげた。
「くそ忙しい書き入れ時に、デートなんざ出来るかー!」
その一部始終を、書類を届けに来ていた透子が見ていた。
「どこまでも杣庄を怒らせるのが得意よね」
そんな透子に向かい、犬君は言う。
「とても残念です」
「は? いきなり何の話?」
「24日が休めないのは僕もなんです。透子さん、25日は休みを入れておいて下さいね。24日は仕事が終わり次第迎えに行きますから」
「……ニジューゴニチもシゴトしてろォ!」
透子と杣庄の声が重なる中、犬君はお客様控えの紙にペンを走らせるのだった。




「十御、頼む! この通り!」
「あんたも懲りないわねー。伊神はケーキなんて要らないって言ってるじゃない」
「芙蓉は黙ってて欲しい。俺は十御に言ってるんだ」
当事者が無言のままでは忍びない――。伊神は言い合う同期たちの会話を遮った。
「幹久、八女さんはオレを心配してくれてるんだから、そんな言い方しないで。
それと、オレが断われないばかりに迷惑かけてゴメン、八女さん。
ケーキ屋のを既に頼んでるからもう注文出来ないんだ。ごめん。でもサイズが小さければ……」
「いや、売れ残ってるのはどれもホールケーキなんだ。悪いな」
青柳と伊神は申し訳なさそうに詫び合う。そんな2人を、芙蓉は冷めた目で見つめた。
「そういう青柳はいくつ買ったの? 他人に買わせて自分は買わないなんて言ったら、かなりの顰蹙モノよ?」
「3個買わせて頂いたよ。幸いにも妹がいるからな。でも、これが限界だ。因みに、志貴と不破は2個ずつ」
「わんちゃんから聞いたわ。それにしても、あなたたちも大変ねぇ……。そうだ、柾さんと麻生さんに声を掛けたら?」
名案とばかりにはしゃぐ芙蓉をよそに、青柳は渋い顔を作った。
「俺が、あのお2人に質問出来ると思うか? 恋人と一流ホテルで食事をしつつ、パティシエ特製のケーキを食べてそうなのに」
「読みが浅いわね。それは絶対にナイと思うわ」
――だって、千早歴にそんな予定は入っていないんだもの。
その芙蓉の読みは、見事に当たっていた。




「一流ホテルで食事をしつつ、パティシエ特製のケーキを頬張る? そんな過ごし方をしたのは何年前の話だったかな」
溜息混じりに現状を嘆く柾に対し、即答したのは麻生だった。
「ちぃに本気になる前まで、だろ? お前のことだから、相手は毎年違ったんだろうな」
「もう覚えてない」
棘棘しい麻生にげんなりした様子の柾。話題を逸らすため、犬君に向き直る。
「麻生はケーキにトラウマがあるからパスするそうだ」
「悪いなー、不破」
「いいえ。……妹さんのケーキバイキングの時の後遺症ですよね?」
「あぁ、まぁな……」
「不破。千早は何個買ってる?」
「4個です」
麻生はその数に目を見張り、柾もきょとんとした。すかさず補足を入れた。
「凪さんが、従姉妹である鬼無里三姉妹に差し入れするんだそうです」
「なるほど」
「……僕と彼女でせいぜいホール1個……いや、多いか」
「ってお前、ちぃと過ごす気かよ?」
「何を言ってる? 僕には『彼女と過ごす』という一択しかないんだが?」
「はははーおめでたいなー。一体どんな脳の構造をしてるんだろうなー」
「僕も柾さんを見習うべきですね。透子さんと過ごす。選択肢はコレ1本」
――残念だったわね。クリスマスは千早さんたちと女子会よ。
つい先ほど突き付けられた現実――透子の予定――など、忘れることにしよう。
「……こうなったら、強引に捻じ込んでやる」
思わず漏れた呟きに、「何が?」と麻生。「何を?」と柾。
「いえ、こちらの話です。ご協力、ありがとうございました!」
甘い甘いクリスマスケーキ。果たして甘いクリスマスを過ごせるのは……。
一体、何人?


2010.12.25
2020.02.20 改稿


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