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ポリテクセンターの生活も9日過ぎた。ヘロヘロです。CADの授業がぜんぜんついていかない。みなさん、スピードの差はあれど着実に進んでいく。が、私の場合は本日、ほとんど前進しなくなってしまった。小学生でもできる図形的理解ができないのだ。図面が複雑で、補助線をひっぱっているうちに、どの線が何を示しているのかがわからなくなり、把握できない。同じところをぐるぐる回り、思考がフリーズしてしまう。やっぱりうつ病によるところも大きいようだ。いわゆるクローズという形で世の中を渡ろうとしている私であるのだが、メッキもすぐに剥がれて、衆人の知るところとなる気がする。うーん、知られたくない。つつがなく、毎日を過ごしたい。できればCADもわかりたい。クラスのみなさんとも仲良くしたい。職業訓練は今後の私が社会に戻っていけるかの重要な過程だ。いきなりフルタイムでの復職はやっぱり無理だったな。ちょっと負荷がかかるとストレスフルの状態になってしまう。明日からも、授業が続けられますように。神様に祈る思いです。
2011年07月14日
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CADを1日習うという作業は、PC音痴のものにはたいへんな苦行である。20日間ほどでいっぱしのスキルに教育しようと思えば、教える速度も速くなり、遅れる者をかまっている時間はあまりない。クラスの受講生のうち、なにがしか住宅やら建設業界で働いてきたという人がけっこういて、彼らは対応が早い。また、男性より女性のほうが早く覚えるし、年齢が若い方が、覚えがいい。ということで、できる人はどんどん進んで、授業が退屈だったりもする。いっぽう私のような親父でできない者は一日中悪戦苦闘してへとへとになって、それでもろくに覚えていないという結果となる。なにせ、テキストを配ったのは4日目で、それまではなしだった。なにもなしじゃ、とても無理だと思って市販もものを購入した。噂でそのうち配られるとは知っていたが、配られるまでの間、何もないと授業から脱落して、間が持たないと思ったのだ。結局、市販のテキストはろくに使っていない。図面を書く行為は、基本コマンドの応用だ。さまざまな図案もいくつかのコマンドの複合というか組み合わせでなんなくできる。その解き方を発見したときには喜びすら感じるだろう。が、私は小学生のような図形的センスもなく、わからない。で、隣の人に恐る恐る聞いたりする。こうだ!といわれて、そうか、と思っていざ書こうとするともう忘れている。記憶が定着しないということは本当に恐ろしい。◎震災以来壊れたままだったPCをようやく修理すべく、エプソンダイレクトに電話相談した。物品は宅配業者が集荷してくれるのだ。そうだ、それを忘れていた。どうやって近所の宅配スポットまで持って行こうか思案しながら今日まで、伸ばし伸ばしになっていたのだ。1年以内の新しいノートは無料。古いノートは15000円プラス部品代がかかる。新しいノートは4~5日。古いのは1週間ほどで戻ってくる。電話によるサポートは丁寧でかんじがよかったな。エプソンダイレクトは顧客満足度が高いのは頷ける。◎ゴールドジムのトレーニングはどうにか続きそうである。トレーナーの接遇がよいし、環境もいい。CADで頭が疲れ切った後、自転車でも漕いで汗をかけばリフレッシュする。週三回、続けられるんじゃないか。3か月で9キロの減量を目標にしてしまった。三ヶ月後に、このブログにはどんなことが書かれているだろうか。いや、3ヶ月後の自分は、予定通りのカリキュラムを消化できているかなあ。(ちょっと心配だ)
2011年07月09日
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ポリテクセンター初日。午前中はそれぞれが自己紹介した。わが住環境コーディネーター科は15名定員だが、3か月ごとに募集があり、ようするに、現在は4月生と7月生が一緒になってひとクラス30名になっている。いきなり自己紹介ってのも緊張したな。オードリーの若林のごとく人見知りだしな。ケアマネージャーをやめた理由を言いたくはなかったのだが、なんか、ポロっと出た。他人と接しない生活をしていたので、囚人環境になれていないんだな。午後は、いきなりCADの授業。今月はこれがずっと続く。われらの先生は35歳くらいの女性なんだけれど、空気感が独特で、ホスピタリティにあふれた人ではないのだ。普段の顔が、電車の中で痴漢にあってゆがめているような感じ。歯を食いしばっているような。なんとなくサディスティックにも見え、言葉攻めしながら、手コキしそうな顔でもある。その先生の進め方が早い。自分でどんどん話して行って先に行く。また熱心に相手に教え込もうというところもなく、「みなさん、いいですか?」といった同調性がない。なので、当然、教室は混乱し、心得のある生徒が隣に教えたりして、伝言ゲームで話が伝わることで周知される。また、生徒は積極的に挙手をして、先生を呼んで、教えてもらおうとする。私も2度、引き留めた。もっと引き留めたかったほどであった。そのJW_cadというソフトなのだが、CADはなかなかに難しい、先生を引きとめて教えを請う手も、5分後に他の問題にとりかかったら、もう忘れてしまっているということがあった。私の脳内は鶏状態なのだ。この認知症一歩手前じょうたいは、想定内ではあった。前頭葉委縮の脳なのだから。1日目ですでに授業についていけない私は途方にくれた。が、とにかく講座には入ってしまったのだし半年間をここで過ごさねばならない。対策を練れ!つうことで、ググり、書物が売られていることを知り(ほんとうに安どした)、すぐにアマゾンにオーダーした。明日の夕方には届く。明日一日を耐え忍ぶことが大事である。
2011年07月04日
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久しぶりの日記である。なんで更新しないのかといえば、PCが壊れていて、それをいつまでも修理に出さないからだ。3.11に買ったばかりのノートPCが壊れた。地震で本棚の直撃を受けて、それから液晶がまったくつかない。エプソンダイレクトのアフターケアは迅速でとても評判がいいのだが、宅配で送るというただそれだけの行為ができないでいる。しばらくは、アスースのネットブックで代用していたが、そいつも動かなくなった。ネットはほぼスマホで代用できてしまうので、そのままなのである。テザリングをするつもりで、イーモバイルのAriaに機種変更したのに、WiFi等いっさい使っていない。こんなことならiphoneにしておけばよかったかとも思うのだ。◎この日記は己の近況を記録し、あとで振り返ることを目的とするので、読者がいなくてもこうして記す。明日、7月1日より職業訓練を受けるのである。これを記さねば。私は6月のほぼ1カ月の間に職安で相談をしてポリテクセンターの職業訓練を6か月受けることにした。と、こう書けば1行だが大変だったのである。はじめ、私はウェブデザイン科を3か月受けるつもりでいた。ウェブデザイナーになろうと思いついたのである。5月の連休前の出来事か。きっかけは求人のチラシである。そんな制度があることを初めて知った。しかし、求人に書いてあった講座は、間に合わなくてあきらめた。連休後に、私は「ウェブデザイン、ウェブデザイン」と唱えながら、己をデザイナーにアジャストせんと努めた。がだ。ネットで求人をみれば、グラフィックデザインも、ウェブデザインも、それは若い女主体の世界であって40代のオヤジがでる幕はないのであった。だが、私は20代の頃に求人広告の制作を仕事にし、曲がりなりにもレイアウトを組んでいたこともあって、「経験者」のつもりでいた。このへんは躁状態のなせるわざといおうか。現実を見せてくれたのは、職安の職業訓練の相談員(50代女性)の言葉であった。彼女は、私が仮にウェブデザインを講習により身につけても、仕事が見つからないだろうといった。で、なぜか、ポリテクセンターの住環境コーディネーター科はどうかと言ってきた。今思えば、そのときに私はドイツ軍払下げの軍服をジャケット代わりに着ていた。この風体が彼女の脳みそになにがしかの影響を与えたのだろう。デザインは若い女ターゲット!だからやめとけと。男なら、(おっさんなら)コレ!とばかりだ。職安という公的機関の職員がリスクを顧みずに、私に勧めてきた。これは振り返れば縁があったというほかない。職のことなんかどうでもよくて、ウェブデザインに繋いでしまえば楽だろうし、それは相談者のいっていることだから、別にいいじゃないかと考える人が多いと思う。それでも、ケアマネージャーという職歴を鑑みて、彼女は勧めてきたのであった。◎試験には面接とIQテストがあるということだった。ここでまた、私は知能テストという関門をくぐらせられたのである。住環境コーディネーター科は、CADデザイン科やビル設備環境科といったいかにもポリテクセンターらしい科よりは受験者は少ないと熟女相談員はいう。簡単なそぶりだったので、申し込むことにした。もう。私の気分は、すっかり住環境コーディネーターだった。6月3日が知能テストの日であった。で、動作性IQが94という私は(昨年、精神病院の入院時に知能テストをうけた)やはり図形満載のテストがろくにできなかった。私のうつは悪化したのはいうまでもない。図面を読むのが当たり前の仕事に挑むことがそもそもまちがいだったのだと思った。15人の定員に対して24人が受験していた。これは無理だと思った。13日に面接があった。私の職歴を読みながら、「健康ですか?」と面接官は尋ねた。2年間空白があるのだからもっともだ。私は健康だと当然のように嘘をついた。合否の通知は20日だったと思う。この日まで、私は気をもんで、とうぜんそれは精神的良くない作用をもたらした。テストを受けた以上は合格しないと気が済まないのだ。ここまで1か月以上経っている。気持ちがすっかりこちらに向かっていて、落ちたからといってすぐに方向転換できるほど、私の心はフレキシブルにはできていなかった。これが人生のラストチャンスだ、とつい思ってしまった。だから、合格通知を目にしたときにはほっとした。ほんと、生死を分ける一瞬だった。それから約10日間。開校までに規則正しい生活を身につけて臨もう、ってそう思って、こんなだ。その“こんな”はどうこんなだったのかを書く意欲がもうない。このへんで今日は終わりにしておく。とにかく、早くPCを修理する必要がある。
2011年06月30日
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みなさんお久しぶりです。久しぶりのネットカフェでこれを書いています。いやあ、前回の日記はひどいな。なんで、あんな下ネタを書いちゃったんだろう。やっぱり躁状態だったんだろうか。Tシャツ製作の件。5月18日頃にわが手作りTシャツはあがりました。が、出来にがっかり。現物を見て「これは売れない」と意気消沈。しかも納品はオーダーを違う色も入ったりしてショック!そら苦情だ!と思いつつも、元気はどんどんなくなって、要するにうつになり、電話すらできない状態。楽天オークションに出展するにも、アソートの内容もわからず、また、寸法も書面がないのでわからない。電話とメールで業者のキミヅカさんに問い合わせなければいけないのだが。(この日記をアップしたらやろう。)フリーマーケットのための机も買って意味なし。120センチ×80センチというビッグサイズの机をどうしよう。キャンプ用なのだが、部屋で使うべきか。部屋の模様替えで、PC用のスペースにするべきか。(ここまで書いていて、文章の下手さに我ながらうんざり。作文はもう少しうまかったはずだ。)かるい躁病だったんだよな。名刺まで作ったもんね。パソコン教室や、フリマなどで出会った人に配るつもりでいた。あのときは交流の輪が広がっていくような気がしていた。Tシャツをきっかけに知人が増えるんじゃないかって思っていた。淡い夢であったな。ブログを用意したり、ツイッターを利用しようと思ったり。そのうえ、私は転職情報のサイトまで立ち上げるつもりでいた。社会福祉法人に特化した情報サイトを運営したいって思っていた。趣味でね。自分ではそういうサイトがないからって思っていたが、あるんだな。ケアマネドットコムとか。ケア人材バンクやカイゴジョブといったサイトには私の考えている内容のことはすでにできる。最初じゃないんだな。いまはうつ状態をどうやってうっちゃるかを必死に考えています。無理かな。
2011年05月29日
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※今日はセクースについて書きますので、不愉快な気持ちになりそうな方は飛ばしてくださいね。※後輩S-かつて、この日記にしばしば登場したオンナ友達。現在36才で、幼稚園児を子育て中。おぎーのがジンセイからセクースについてまで何でも胸襟をひらける相手で、彼女の存在でかなり救われたことがある。私の妹分のつもりでいたのだが、いまではお母さん的存在になっているという説がある。◎昨日、午前、後輩Sから電話があった。いつになく、恥ずかしそうなそぶりで相談したいことがあるという。いったいなんだい?と訊ねるに、夫についての相談であった。『ダンナがイかなくなりました。メンタルクリニックへ受診しパニック障害と診断されて薬を飲んでいるのですが…。おぎーのさんも「シャセイできん!」といっていたので相談しようと思って。』ざっくりいえばこんなところである。何を飲んでいるのか聞けばパキシルとリーゼとのこと。私はいずれも飲んだことがあるし、薬の効能や副作用については知っている。射セイ困難の原因はパキシルであろう。あれを飲んでイけなくなった野郎どもの書き込みは2ちゃんねるメンタルヘルス板にいけば嫌というほど目にするものだ。パキちゃんは効果もあって、薬のおかげで仕事を遂行できているところもあろうから、やめろとはいえない。いや、十分に投薬して、「もうぜんぜんいらないよ!」とぼやく様になるまでは飲み続けたほうがいいだろう。しかし、射セイできないという問題は残る。◎『TENGAを使うしかないか。』と後輩Sはケンドーコバヤシ御用達のオナホールについて話題を振ってきた。私はオナホの使用感についてSに事細かに説明をした。「Sよ。オレは個室ビデオ屋にいってオ●ニーする時には、無料でついてくるオナホを使用するぞ。1個200円のスポンジ製なので、シリコン製のTENNGAのような高性能ではないが、コンドームをつけて差し込むと実に気持ちよく、すぐにイってしまうぞ。正直いって、薬の副作用でイかなくなったら、セクースでインサートしてもだめだ。煙が出るほどピストン運動をしても徒労感と相手に対してすまないという罪悪感が生じる。というわけでオナホでフィニッシュするというのは妙案なのだ。そこで後輩Sの内助の功が試されるのだ!」笑いを隠せないS。◎「オレが言いたいのはこういうことだ。なにもヴァギナにシャセイするだけがセクースではあるまい。オナホールというオモチャを積極的に用いてプレイをすればよいということだ。いいか、よく聞け!オナホを手にするのはSだぞ!ここがポイント。『シャセイできずに絶倫状態だ!』などと自分だけ楽しんでいるんじゃねえぞ。優しくあてがってやって目と目で見つめあっていれば、非常に照れくさい。でも、やってみさない。相当な重度のうつ症状でないかぎりシャセイできるはずだ。◎エネマグラを使うという手もある。『エネマグラって何ですか?』と後輩S。電話を片手にPCでググったらしく、『なんですか?このカタチ。どうやって使うの?』「いや、オレもじつをいえば使ったことがない。要は前立腺刺激をしてみたらどうかってことだ。強いオルガ●ムスを覚えて、女のようにイキっぱなしになるらしいぞ。」『えっ!ホントですか?』話はエネマグラへと飛んだが、前立腺の刺激がいかに素晴らしいことかについてまでは、電話では話すことができなかった。◎電話を終えると、私自身、少し活気が出てきた。目が覚めたと言おうか。人の役に少しでも立てるということは、うれしいことなのだ。(Sよ、日記に書いてしまったことを許せ。このログをYUKIEちゃんも目にするかもしれないが、決してこの話題には触れるなよ。)
2011年05月10日
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◎『福島原発を守れ』というTシャツを作るにはつくったのだが。これ、着てくれる人いるのだろうか。「脱原発!」とか、「反原発!」とかの市民団体の人、どうでしょう?賛同してくれるかなあ。『SAVE FUKUSHIMA』のタイポと『SAVE FUKUSHIMA DAIICHI』の字はOKだろうか。 ◎15日日曜日の船橋競馬場でのフリーマーケット出店をすでに決めてしまったのだ。もう、あとには引けないぞ。商品はまだ、出来ていないのに。フリマ用に3980円出して落札した机(キャンプ用)はどうも配送が15日以降になってしまうようなのだが、そうなるとなんのためのテーブル購入か。まあ、6月5日の秋葉原UDXが本番であって船橋競馬場はその前哨戦であるから、テーブルなしでもいいか。地べたに並べるか。 ◎しかし、フリマ出店っていっても商品が1銘柄って、こんなのありかな。それも、Tシャツ1枚を3000円で売って、買うやついるかなあ。ネット店舗ならわかるのだけれど、100円単位での買い物を楽しみにする船橋の家族連れが、新品とはいえ3000円の、しかもブランド物でもない、シロート特製のものを買うか(買うわけがない)。わがTシャツ製作プロジェクトは頭の中で空想している分には楽しいものだが、いざ、現実味を帯びてくると、酔いがさめるというか、躁病がさめるというか、一抹の不安がある。 ◎やはり3000円のTシャツは無謀か。でも、原価がずいぶんかかっているのだ。正直、利益なんて出ないな。「1枚売れるごとに500円を福島県に直接寄付する」という決めごとは絶対に守ることに決めたので、いくらで売ろうが、1枚売ったら500円は募金なのだ。そこが数年前に流行って、結局破たんした『ホワイトバンド運動』とは違うのだ。あれはいったいなんだったのか。 ◎当初、このTシャツの販売はネット中心で行こうと思っていた。そのほうが、値引きをせずに済むだろうから。定価で売れるなら売れるし、残るなら残る。このブログのほかに、ライブドアのアカウントを使って『SAVE FUKUSHIMA』の専用ページも用意した。ネット販売による決済の仕方も考えないといけないし、文章も書かないといけないし、ブログに誘導するための地道な作業もしないとならん。ツイッターの#SAVE FUKUSHIMAといったところをよく追って、フォローをどんどんしないといけないし。MIXIも利用しないとな。と、やることはいっぱいだ。そうすると、手で売れるものなら売ってしまったほうがよいと思うこともある。しかし、どんな輩が関心を寄せるのかな。◎フリマのよいところは、直接消費者の意見を聞くことができるところだ。原発についての意見を聞けるし、Tシャツについての評価もじかに聞ける。対面販売にはネットでは得られない情報を得ることができる。だから、ネットだけでなくて、手売りも大切なのだ。それにしても、30枚というTシャツ1つ売るのに、要する手間とか、考えなきゃならないことって、商売の基本のすべてなのだ。Tシャツ製作を始めてから、考え方が消費者から生産者へ一気に変わってしまった。お店へ行って、品物を見ても、すべて市場調査の視点でみるようになった。これは、勉強になった。結構な投資をして、その回収はなかなかに難しいが、金で買えないものを得ている気はする。
2011年05月08日
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◎本日現在、「チャリT製作プロジェクト」はいよいよ商品の完成というところの一歩手前までやってきた。前回、オリジナルTシャツ業者さんへネットによる見積もりと、店舗へ足を運んでの対面による打ち合わせについて書いた。私のオリエンテーションが済み、むこうさんのプレゼンがくるまでは、わくわく感と少々の心配がないまぜになって、ともかく、このプロセスを楽しんでいた。いつ、「こんなのどうですかメール」がやってくるかと。◎3日後だったと思う。スマホにメールが着信し、外出中の私は、メールに添付されたファイルを覗き込んだ。これが3つの案をスライドショーになって4秒ずつ画像が表示されるようになっている。まず、A案がでて「うわっ!」と声を上げそうになった。メルヘンチックなイラストでとても大人が着るにたえないものであったからだ。B案も似たようなもんだった。「オレのコンセプトをわかってないじゃん」と客である私は憤慨しそうになった。C案も小さなサムネイル画像のせいか、似たようなかんじだった。私は家に帰ってから改めて、PCに向かい、添付されたファイルを開いてみた。それでわかったのは、C案は私の発注を80パーセントくらい忠実に守ったものであったことだ。残りの2割はデザイナーの遊び心で、もともと私は作り手のフリーハンドに期待するタイプなのだ。かつて、広告の作り手であった私は、デザイナーさんがリキを入れて考えたのはC案で、あとの2つはやっつけで、C案をよりよく見せる演出として最後に持ってきたんだということに気がついた。もう、びっくりするから、最初から1つの案を提案してくれればよかったのに。私が目移りするとでも思ったのかしら。◎今回の作成は牛のイラストのタッチとキャッチコピーのタイポグラフィー処理がデザインのキモであった。プレゼンをみての私の反省点は要素をちょいと多くいいすぎたということだった。牛なら牛の絵をドン!と前面にだして欲しかったのだが、(それはうまくいくと文字はいらず、絵だけですべてを表現できることになりえた)文字も大きく処理されているので、アイキャッチが分散されるんじゃないという印象を持った。2枚のTシャツを1枚にまとめたようなデザインだったのだ。牛は3頭描かれていた。衣類のデザインになれぬ私はこれも面食らった。何度も案を見て、プリントされた完成図を思い描き、これでいいのかと考えた。結論は少々の修正というか、直しを求めるものだった。牛は1頭に。文字も追加の文句は入った。SAVE FUKUSHIMAのタイポグラフィーに追加し、やや小さな文字で「SAVE FUKUSHIMA DAIICHI」を入れることにした。この文字を入れるかどうかでだいぶ迷った。しかしながら私のチャリティーは震災ではなくて、原発事故なのだということを訴えたくて入れることにした。「SAVE OUR LIFE」というのも候補に挙げてはいたのだが。(つづく)
2011年05月04日
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◎私が訪ねたTシャツ製作屋さんは自宅から高速道路を利用して1時間ほどかかるところにあった。まあ、田舎の街にある。ネットによる製作注文だけではなく、実際に店舗を持っていた。店内に入ると、まず女性用のバッグや小物がディスプレーされた部屋があり、隣にTシャツの部屋があった。私はわき目も振らずにレジにいる青年に声をかけた。「あの、軽い気持ちで相談してもいいんですよね。」◎青年は店の店員として立っているだけの様子で、奥から20代後半と思われる女性、(まあ、お面はいいほうだ)が出てきた。私は、メールで見積もりを頼んだ「おぎーの」であることを名乗った。そして、来る前にネットカフェにこもって作った、Tシャツ図案が書かれた紙(A4)を手渡した。私は、キャッチフレーズとビジュアル、またそのおおまかなイメージが落書きされたもの、タイポグラフィーのネタ元となるTシャツをみせて、作りたいデザインをKさんという女性に見せた。◎サムネイルにはこう書かれてあった。『Save Fukushima』。ビジュアルはネットで拾った牛の絵。私は東日本大震災についてのチャリティーは企業や個人がたくさんやっている。だが、福島第一原発の事故についてのチャリティーはない。私は赤十字や共同募金などビッグネームによる、市町村の分配経路はもどかしく、現在、避難勧告を受けている市町村へダイレクトへ献金をしたい。また、みなさんにもしてみたいことを、Kおねえさんへ言った。ついでだが、私はいわゆる反原発ではないことも語り、「とにかく原発事故をとても心配する市民」というようなことを言った。私の広告業界のときに身に着けた発注法はうまくいったようで、Kさんは「ここまで、具体的に決まっていると作りやすい」といってくれた。◎店のレジ前で立ったままの発注は続いた。Tシャツを作る際に決めないと困るエレメントはいろいろある。無地Tシャツの品番、色、サイズだ。素材は2種類とした。ひとつのブランドは覚えている。プリントスターというメーカーで、Tシャツつくりの王道ブランドらしい。(おっさん世代の私からみたヘインズみたいなもの)もうひとつ、名前は覚えていないが、現在流行中の型を採用した。(ふちが細いやつ)。色はピンク系とブルー系の2色とした。サイズは米製のS,M,Lを選ぶ。このお店は、デザインしてプリントする種類は1パターンしかできないが、無地素材やサイズについては1枚単位で自由に注文できた。私の場合は2×2×3で12通りのパターンとなる。30枚のプリント枚数をどう配分するかはまったくの自由。ここで間違えると在庫の山となるので、Kさんにまかせることにした。ようはL寸はほとんどなしってこと。色もでるものと残る色とにわかれる(どうやらブルーのほうがでそうだ)。そのへんの按配はKさん主導でいく。注文は40分くらい続いた。が、これがたいへん充実し、またアタマを使う時間だった。(脳みそフル回転)帰りのクルマの中で私は満足感とわくわく感に包まれていた。(この項つづく)
2011年05月01日
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◎振り返れば今から十日くらい前であろうか。だしぬけに私は自らTシャツを製作して、皆様にお分けしたいと思い立ったのである。オレがこの世に存在しているしるしを残したくなった。しかしなぜ、そんな気持ちになったのだろうか。◎今回の東日本大震災で、ニッポンの皆様はそれぞれに被災地に思いを寄せて、ある者は東北へ足を運んでボランティアを買って出たり、また、ある者は、コンビニの募金箱につり銭を入れている。孫さんは100億円を寄付した。この私だって何かできないものかと考えるようになった。抗精神薬のジプレキサを服用するようになり、漠然たる意欲がむくむくと湧いてきた。それで「チャリT」の製作を思い立った。金?働かぬ私は父君にTシャツチャリティプランについて洗脳するがごとくにアピールをした。私の言い分は、(私はようやく快方に向かいつつある。まったく何もする気になれなかった自分が、非常に意欲的にTシャツを作りたいと思い、ノートにサムネイルやキャッチフレーズなどを書き込んでいる。オリジナルTシャツについて考えているだけで、私の心は充実しわくわくしてきた。ちょっと考えてほしい。つい最近まで、精神病院への再入院を考えていた私がこんなにわくわくしているのだ。じっさい、仮に入院をすれば一ヶ月で8万円くらいはかかってしまう。社会から遮断された世界でその日をやり過ごす一ヶ月より、Tシャツ製作プロジェクトに精を出す一ヶ月のほうがどれだけマシか)と。◎父は、今後、私がTシャツ販売で生計を立てようともくろんでいるとおもったようだ。いや、そこまでは考えていない。自分が作ったTシャツを見知らぬ誰かが着ているという状況を夢想しただけで広がっていく夢気分。こいつを味わいたいのだ。確かに抑うつ状態だった人がいきなりTシャツを販売したいなどと思うのは、躁転の可能性があった。気をつけているのだがついなってしまう瞬間的躁転。躁と鬱は合わせ鏡。はじめのうち、私はなんとアパレル業者とコラボレートして、メジャーの販路に乗せたいとまで考えていた。学生時代の友人にアパレル経営をしている者がいて、10年ぶりくらいに彼に連絡をして、Tシャツの販売のプロセスを教えてもらい、できれば一口噛んでくれというつもりでいた。広島の自宅に電話をしたが、見知らぬケータイ番号のせいか、相手が電話にでることはなかった。それで、私は結果として恥を掻かずに済んだ。やっぱり躁状態であったのだろうか。ああ、そうだ、恥を掻く行動はもうひとつあった。私はブログで知り合ったグラフィックデザイナーの女性にイラストを発注していた。メールの返信がいつまでたっても来ないので、私は相手の心を凍らせていることに気づいた。気づいてすぐにごめんなさいメールを送ったが、相変わらずレスはやってこない。まあ、しかたがない。自分を戒めたが、Tシャツ製作をやめるという気持ちにはなれなかった。◎私はヤフー知恵袋に製作の道筋について相談してみた。回答は1件あって、かいつまんでいうと『チャリティーのTシャツをつくることはよいことだ。町のTシャツ屋さんに見積もりを取ってもらって相談しなさい。友人、家族からはじめて、広げていたらよかろう。』ということだった。回答はやさしく、丁寧で、そして一般人が業者のようにTシャツを売ることが大変難しいことを諭していた。瞬間躁病の私は少々不満もあったが、一方でそれが現実だなとも感じていた。さっそく、ネットで手作りTシャツ販売の業者を探して、比較した。結果、回答者が教えてくれた業者に見積もりをとってもらうこにした。このときの私は冷静で、Tシャツの製作枚数は50枚であった。2色刷でプリントが2箇所の私の要望に対して、8万5000円かかるということだった。うーむ、そんなにかかるのか。(この項つづく)
2011年05月01日
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抗精神薬ジプレキサを飲みだして2週間が経った。この2週間で、これまで絶望のふちでもがいていた私は緩やかながら病状がよくなってきた。それで、こうして日記を書いている。(ジプレキサ2.5ミリグラム、眠剤のロヒプノール1ミリグラム)これが現在の私の服用すべてである。就寝前に飲むだけ。メンヘラーとしては少ない量である。しかしながら、私の脳みそには程よく効いている。ここに至るまでには長い道のりがあったのだが。◎昨年の7月、私はJ病院メンタルヘルス科の閉鎖病棟に入院した。まったく、生きていくための意欲がなく、思考は停止し、トイレに行くための離床さえめんどうであった。当然のように1時間かけていく精神科クリニックの通院もできなかった。老齢の父に代わりに薬を取りに行かせた。そんなことが毎週続き、私はコンクリート建築の自宅と同化するように鈍重になり、父も私も言葉には出さないが、いずれも私はすでに廃人であると考え、適切な対策がわからず、ただただ私は停滞していた。ケースワークの世界でしばしば出くわす「困難事例」に私とアルコール依存症の父は陥っていた。◎私は、もう死ぬしか手はなかろうと考える毎日であったが、精神病院という世捨て人生活にたいする気持ちは少なからずあって、いや、生涯精神病院で生きることさえも受け入れつつあった。これまでの4回の入退院は、精神病棟で生きることの味を私の怠惰な心に植えつけていた。N病院の開放病棟ならば、統合失調症で私と同世代のタカハシさんもいるし、15年以上入院生活を続ける、否定形型精神病のアライさん(54歳)もいる。また、いっしょに、私のネットブックでエ●動画を鑑賞することもできる。病棟でナースの目を盗んで観る無修●モノは味わいのあるものである。ぼくらはもう、射●(シャセイ)とは無縁なのに。話がそれた。世の中には毎日をひたすらダラダラ行き続ける精神病棟という世界があり、私はそこの常連として受け入れられていた。あの場所に戻るのは、死ぬよりかよいだろうと思った。病棟での私は、他人が見たらこれが病人なのかと思うほどに、快活でまた手のかからぬ人物だからである。(つづく)
2011年04月28日
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クラッシュポッキー2袋/150キロカロリ、モッチチーズデニッシュ351キロカロリ、グリコプリッツ178キロカロリ×2、バターもち 318キロカロリ、ふんわりサンド生キャラメルクリーム318キロカロリ、まるでさつまいもパン323キロカロリ、マリーチョコバー195キロカロリ、豆乳114キロカロリ、セヴンティーンアイス168キロカロリ。以上が本日の朝食後より夕食までの間食である。足してみると2293キロカロリであった。(ほとんど買ってすぐに食べきっている)3食の通常の食事約、1900キロカロリを摂取する以外にあっというまにこれだけ食べた。運動量は買い物先のローソンの往復徒歩2.6キロ。さすがに本日の診察において食欲亢進についてうったえ、リフレックスは1日45ミリから30ミリとなった。果たして10月末に体重は何キロになっているだろうか。
2009年10月05日
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95キロとは私の現在の体重である。身長が176センチなのでかなりの肥満である。8月5日に病院に入院して以来、7キロほど増えた。抗うつ剤により抗コリン作用により食欲が亢進されるのである。新薬であるリフレックスを投与されて4週間目に入ろうとしているところであろうか。食べれば食べるほどに食い物がうまい。特に甘いもの。菓子パンはフランス料理を超えている。黒糖のかりんとうなんかも一口食べると脳内までダイレクトに「おいしい」と作用する。精神病院の食事というものはひどい内容であると相場は決まっていて、ご他聞に漏れず、ひどい。懲役3年お勤めしたやくざが、刑務所の飯のほうがずっとうまいといっていたが真実であろう。そんな環境下でも私はつねに完食するのだ。私はとりあえず10キロの体重の軽減をここで宣言することにした。ついこの前もやったかもしれないが、それは、忘れてほしい。とにかく2009年は85キロほどで終えたいのである。それにしてもリフレックスの食欲亢進作用は、特筆すべきものがある。ドグマチールなみではなかろうか。4週間前には3週間ほど連続してアナフラニールの点滴をうけていた。こいつもふとる薬だといわれている。なにしろ抗うつ剤はたいがい太る傾向があるのだ。基礎代謝が落ちるのも原因のひとつ。食欲亢進もひとつ。病院の中にいて運動もせず、ベッドでごろごろする毎日。ベッドごろごろ、昼からネムネムにも理由はある。それは後日述べたいと思う。ネムネムしながらも、私は必死なのである。※(うつ病仲間の皆さんへ)リフレックスは果たして希望の星となりえましょうか、それとも、ただただ副作用が重いだけのひどいシロモノでありましょうか。このブログでオンデマンドで報告することができればよいなと思っております。
2009年10月04日
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長かった更新。死亡説まで流れた。後輩Sから安否確認の電話もあった。それでもいまだに再開できずにいる。現在、わたしはどうしているかといえば、精神病棟の開放病棟で療養している。8月5日からだ。ネット環境にありいつでも日記を更新できるのが、なぜか再開できずにいいた。なんか身辺について記述するのが、非常に重たいのだ。ブログやSNS疲れってほんと、あるんですよね。つうことで、リニューアルオープンまでしばらくおまちください。
2009年09月23日
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齢44にもなって、なんで人生、こんなに苦労しなきゃならないんだろう。辞めましたよ、例の極悪施設は。勤務実態のない人をカウントしなきゃならない勤務表がけっきょくできなくて、3月4月5月と勤務表が結局できていないのだ。そんなことってあるかい。勤務表って前の月の25日頃にはできるものでしょ、じゃないと、スタッフだって翌月の予定も組めないでしょ。そもそも非常勤スタッフの雇用契約がはっきりしていなくて、誰がどういった(たとえば週2日とか、火曜と金曜かとか)内容で働くことになっているのか、管理者である私にリストがないのだよ。むちゃくちゃだよ。奥さん連中は「あたしは水曜日はだめよ」とかばらばらにいってくる。そんなこといちいち頭に入れてられないし、そんな皆さんの意向を踏まえていていて、勤務表ができるかいな。でも、結局、そんなつぎはぎだらけの中途半端な勤務表をつくるのが精一杯だった。4月10日で4月の勤務表ができなくてブチぎれてやめた前任者は、理事長の婆に5回も勤務表案をつっかえされたという。それで切れたという。だから私は、切れたくいないので、とりあえずの勤務表案をつくって疑問点とか質問をポストイットに箇条書きして、理事長婆に渡したのだ。そんな理路整然とした方法が婆はまた気に食わないらしい。ばばあは、理詰めで向かってもダメ。5分でいっていることが180度変わってしまうのだ。前任者は大喧嘩をしたというが、私にはあんなキティと喧嘩ができるメンタリティーというのもまたよくわからない。たとえば、クルマの送迎をする人員がいないとする。そんな日が数日もある。それを婆にいうと「他の部署のスタッフにお願いしろ」という。あなたよりずっと詳しいですよと。その10分後には「他の会社(一応厳密には別会社だ)から人を借りてくることがあるかしら」と平気でいう。でたらめなことを平気で言える人なのだ。その婆さんのいうことをいちいち傾聴して「はい、そうですね、おっしゃるとおりです。」とやっているとストレスがどんどん溜りどうにもならなくなってくる。私が入社する前に正職員が何人も辞めたとのことだが、残った非常勤者はみな無責任なやつらばかりで、「あんた、やりなさいよ」と平気で人を使う。で、責任者はこの私であるから、私がやるはめになる。5月12日に理事長婆に夕方5時から3時間ほど無理難題で支離滅裂ヒステリーに付き合わされて私はほとほと精根尽きた。実はその日に退職についていおうと思っていたのだが、軟禁されたような妙な環境下にいると「辞める」という選択肢がアタマのどかにいってしまうのだな。そんなマインドコントロールのような心理状況を救ってくれたのは親父だった。『とにかく辞める話をしないのか』と。5月13日早朝に私の気持ちははっきりと固まり、辞表を書いて8時過ぎにいつものように出勤した。タイムカードは押さなかったな。それで唯一の優秀な非常勤のおじさんに事情を話して辞めることにしたといった。おじさんは私の意を汲んでくれて「ゆっくり休んでください」といってくれた。で、人事の人の机に辞表を置いて帰ってしまうのであった。(人事の人、公休日だったんだよな)私の辞表は昼ごろには理事長婆にも知るところとなって事務所は騒然となったらしい。あとで人から聞いたが。だが、ババアも決してじぶんから私にアポイントをとってくるようなことはしない婆なのだ。それを私は知っているから心置きなく辞表を出した。辞表を出して8時半。みんなが出勤してくる駐車場を逆に歩いて私はクルマを走らせた。行く先は千葉県庁である。保険指導課にアポなしで訪問した。それで、勤務実態のない勤務表のことや人員のことなどを副主幹の人に告発した。県で事情をいうのはこれで3回目、3人目。記録をとってくれていた。ということで私の復讐劇はこれからなのだ。まだ、監査に入ったという話は聞かないので、しばらくしたらまた県に電話して様子を聞いてみようと思う。あんな施設は一度解体するべきなのだ。
2009年05月22日
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新しい会社に入ってどうにかこうにか2週間が過ぎた。毎日、神頼みである。「どうか、今日、一日、無事に業務が終われますように。職員が休まずにやってきてくれますように。送迎で事故なく、また道に迷うこともありませんように。」と漠然とした神に祈っている。祈りが効いているのかどうかわからんが、ぎりぎりのところで誰かが助けてくれてくれる。もしも何か、信仰をもっていたらそのおかげだと思うだろうな。そのくらいリスキーな毎日だ。情緒にむらがあるという噂の元力士は土曜日に休んだ以外は大丈夫のようすだ。彼はなにか事業をやっていて、介護の仕事は有償ボランティアのつもりであるという。私の願いはアルバイトといえどもプロの意識と責任感を持ってことにあたってほしいのだが。でも、彼はまだ、ヘルパーの資格を持っていないのだな。5月から講座が始まるという。それにしても会社経営とヘルパー受講生という図式はよくわからん。彼の生活の実態はなぞに包まれているところがある。介護正職員の退職と入れ替わるように入ってきた常勤パートのシカさんは、1年半くらい、わがセンターで働いていた。(わがっていうのもちょっときがひけるが)2ヶ月前に退職をして自宅近くの宅老所に移ったが、そっちの職場の労務環境がひどくてまた戻ってきたという。入浴や食事の配膳といった細かい仕事の手順は彼女のやり方が共通のやり方となってきている。退職したSさん(52歳女)の色は翌週より新しいものに塗り替えられてきているようすだ。派遣でやってきた、これまたヘルパーを5月から受講予定のノブさんは、Sさんに習ったこととシカさんのやり方が異なるので混乱し、かなりのストレスを感じたことだと思う。もう60代らしいのだな。もっとも古くから(2年以上前から)月に14日ほど勤務してくださっている、ええとなんだっけ、名前が出てこないぞ。(そのくらいインプットされる事項が多い)60歳くらいの男性は送迎、入浴、と業務をきちんとこなす頼れる人材だ。レクリエーションがカラオケばかりになってしまうのが玉に瑕だが、今はそんな高望みをしている場合ではない。私は送迎のやりくりやこれまでのセンターの人間の履歴、理事長との軋轢など、貴重な情報をいただいている。できることなら常勤で働いてほしいが、この方はよそにもう1箇所、施設で働いているのである。なので、勤務はそっちの勤務表ができて、あいている日がわかってからシフトをつくる。(思い出したUさんだ)Uさんが来てくれる日は他の職員にとっても気になる様子である。(それだけ頼りにしているということ)Uさんで思い出したが、もう60歳を過ぎて顔が犬のチンみたいなサイさん。彼女が毎日、ナーバスでちょっとしたことでヒステリックになり、私の神経にも障っている。悪い人じゃないのだが。4月の勤務表がめちゃくちゃになっていて、人員が確保されていないためにパニックになっているのだ。古株の職員がどんどん退職し、残っているのがまだヘルパーの資格すら持っていない人だったり、やる気のないおっちゃんだったりすると、現実は勤務表で表されたマンパワーよりもずっと劣った戦力しかないのである。その危機感を抱くのはけっこうだし、私に教えてくれるのはよいが、(私がなんでも知っているモード)になってきていることを私は警戒している。言葉が悪くて、派遣のノブさんをくだらんことでののしったりする小姑ぶりを発揮しているのだ。私に対しても、「センター長!」と叫んで、あれやれこれやれと指示がすざい。まあ、それでも彼女がセンター長と私を呼ぶものだから、この呼び名が職員に定着してきていることはプラスだがな。(呼び名が人心を掌握するのだな)チンみたいな顔のサイさんが戦力外通告をしている一人に、ナカさんという40歳くらいの熟女がいる。彼女については日を改めて日記に書こうと思うが、そもそも彼女はリフレクソロジー(いいんだっけ名称?)ようするに足のマッサージをする人としてセンターにやってきているのだ。だから、入浴業務もしないし、ナースコールがなってもなかなかトイレに行こうとしない。移乗するのがめんどうなのかな。時間も10時~16時と短い。わが施設においてはボランティアのつもりで入ってきてもいつのまにか非常勤職員として組み込まれてしまうにもかかわらず、彼女はかたくなに足をマッサージしている。その一貫した姿勢には感服するところもある。で、その奥さん、ちょっぴり色っぽいのだな。物腰や声のトーンも癒し系。私が管理者として入ってくれば、その下心をちょいとくすぐってくる。どこの会社にもこんなOLはいるでしょ。で、オレサマがまた、その瞬間、いい思いをしてしまうのだな。とはいっても、へんに甘い顔を見せることは禁物で、デレデレしそうなところをじっと耐えている。介護職員はまだいて正職員にマセさんという60歳くらいのおじさんがいるのだが、彼もまた運転業務しかぜったいにやらない。送迎のコーディネーションすらしない。もっとも古くからいる職員なのに。夕方のミーティングにもでてこない。私は参加してくれるようにアタマを下げて頼んではいるのだが。お茶を用意して待っていてもダメだ。なにか過去に痛い出来事があったのだろう。そんな勤務実体のないおっちゃんが常勤の正職員としてカウントされている。監査上アウトだな、この時点で。職員はまだいてナースや理学療法士、はり師といろいろいるが長くなるので割愛。みなさん、ときどきやってくる勤務表ではぶつぎりな人たちです。馬鹿理事長はこれらをすべてデイサービスセンターの人員としてカウントするように圧力をかけてくる。勤務表の改ざんですね。それで前任者はやめた。5月の勤務表はいまだできそうにないが、私が心配してみてもどうにもならんのでなるようになるしかないと思っている。29日に5月勤務表の完成予定といったところだ。
2009年04月26日
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ゆうべは2時間ほどしか寝付けなかった。11時にレンドルミンを飲んで寝てみたがちょうど2時間で薬が切れたようだ。ラボナを飲んだがだめ。その後なんだかせわしない気持ちになったためにセルシンを4ミリ飲んでみた。BGMも流した。が、だめ。こりゃ寝ようと焦るのがいけないと思って『すべてはシンプリファイでうまくいく』という本を探してきて読んでみたがいっこうに寝付けず、もう寝るのをあきらめた早朝5時である。心配事があるんだな。土曜日に休んだうつ病だといううわさのある元力士が出勤するかどうかってこと。彼は2ヶ月ほどまえに施設に非常勤で入って週3日ほど働いていたらしいが私が入職する先週の半ばまでしばらく休んでいたそうだ。カムバックして、「期待してますよ」と声をかけて彼とのリレーションもいいかんじに構築されつつあるかなと思っていたのだが。土曜日の朝、彼が出勤しないと知り、泡食った私は彼のケータイに電話した。がマナーモード設定になっていて出ないのだ。Sさんに聞くといつものことだという。私は私用のケータイからためしに電話しようかとちょっと思ったが、うつだとするならそれは大きな負担だと思うので、電話をかけるのはやめた。で、このままでは月曜日の人員がパンクするので、チャキチャキおばさんのサイさんに本当は公休日にもかかわらず出てもらうことにした。また、2ヶ月前にやめた人が今週戻ってくるらしいというので、いつから出勤なのか知りたくて面識もないが土曜の朝に電話した。本人は火曜か水曜あたりから出勤しようかなと思っていたらしいが、そこんところを月曜に(ようするに今日からに)してもらった。まさに綱渡り。男手がないと送迎が手薄で回らなくなる。元力士がやっぱり出てこれなかったら、私はサイさんにキャラバンに同乗してもらって見知らぬ道をいき送迎に行くつもりなのだ。とりあえずとるべき措置はとったあとは、私自身の情緒が不安定になって事故など起こすことのないように祈るわかりなのである。
2009年04月20日
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うげげ!(目覚める)4時か、早期覚醒だ。何時間も寝とらんぞ。まあ、今日は休みだから起きちゃってもいいか。日記でもかくか。それにしても忙しい6日間だった。生活相談員として3月に入ったでっぷり豊満のひとり親方タイプの女は1ヶ月ももたずに理事長と喧嘩してやめていった。腹いせなんだろうか、引継ぎをせず、まったくできないような混乱した状態で去っていった。彼女の社会保険の手帳が机の中に残ったままだよ。どうすんのよ。水曜日にデイルームにひょこり顔を出した。おそらく常勤正社員のSさん(52歳女)と連絡して理事長婆が施設にいないことを確認してケータイでやりとりしたのだろう、でっぷり豊満相談員、推定50歳は、いかにも「介護のことはわたしが、なんでも知っているわ」タイプで、「わたしがいなけりゃデイのみんなは来たがらないわ」なぞと思い込む、昔の介護現場で主任をしてそうな、新人にいじわるをしそうなタイプだった。私は30秒で見抜いたものね。『こんにちは』と私がアイコンタクトをして返ってきたにリアクションで。私は彼女がやめてくれてよかったと思った。彼女がいたら仕事について意地悪をされたろうな。管理者としてのオレサマを認知しなかったろうな。そんなわけで私は管理者と生活相談員を兼任しているのである。(月曜から土曜まで6日営業のデイサービスセンターは生活相談人を2名配置しなければならない。私が兼任してもまだ1名足りない)土曜日は休日だったが、人員が少なく、「大変だ!こわい!」というスタッフの声がまきおこり、また、デイで実質唯一の常勤正社員のベテランSさんが退職する日でもあるので出勤した。朝、送迎をしてくれているK君(30歳元相撲取り)が「めまいがする、休む」電話してきたらしい。どうする送迎。人員大ピンチにあって休んでしまうK君は、なんとうつ病だという憶測をする職員がいた。情緒不安定で来るかこないのかわからないのだ。私の推測ではかれは双極性のそううつ質なんじゃないかと思う、「会社社長です。」ってオレにいっていたもんな、つうことでSさんをキャラバンに同乗してもらって送迎者を運転した、オレサマ。方向音痴で学習能力がないオレは必死に運転をした。K君がいないので入浴介助をする人間もいない。つうことで入浴介助もした。本日で退職のSさんに教えてもらってね。土曜日だけ勤務のナースのコマさんがいい人で助かった。彼女は介護職の領域の仕事もいやな顔せずにやってくれるのだ。大問題はまだあって来週の月曜日に人が足りないとの情報が私の目に入った。シカさんという女性が2ヶ月前に退職していたのだが戻ってきてくれるらしい。だがそれが何日からなのかが理事長婆の話でも不明確だった。私は面識のない彼女に電話して月曜から来てくれるように懇願しましたよ。OKしてくれました。これ理事長婆には内緒。自分を差し置いて私がコーディネーションしたことをしればねたむ婆なのである。でも、これでなんとかなる。もう、毎日が綱渡り。タイトロープ。私の鬱の容態はまあまあである。仕事がよい薬になっている。
2009年04月19日
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私の勤める事業所では櫛の歯がぬけるように職員がやめ、管理者、相談員不在のなか、皆様はお元気ですか。私は入職して3日目なんですが。勤務表がでたらめなんです。勤務実体のない人が働いているようになっている。他のセクションとの掛け持ちになっているんですよ。実際には数時間しかいない人が常勤でいることになっている。不正です。で、私はこれを行政へ告発することにしました。経営者にいくらいっても改善されないことがわかりましたから。県の担当部署のウェブにいったんですが、インフォのメールアドレスがないんですよ。今、担当者宛に送信しようと思ったのに。私のうちにはFAXがありません。いまからコンビニまでファックスしに行くのも面倒だよなあ。しかし、やめずにいるオレサマってずいぶん成長したなと思いますよ。経営者には二枚舌で調子を合わせて面子をつぶさないようにしている。支離滅裂なきちがい婆相手に、ちょっとずつこちらのいいたいこともいってます。とりあえずオレサマが職員としていれば都合がよいだろうと思わせるようにしている。で、経営者のいうがまましたのスタッフにおろすと当然、不平不満が爆発しますから、そのあたりは按配を考えて公表すべき案件をいろいろと配慮しながら、言葉を選んでいます。まあ、3日目でおぎーのがいればスタッフにとっても利益であろうと認知させることには成功しています。うつ病経過についてですが、これだけ大きなストレスを受けそうな状況下にあっても、これが仕事してて、リハビリになっているんですよ。管理者だから自分で時間を組み立てて1日のテーマを決めて動いているから、病気にいいんじゃないかと思います。自分で言うのもなんですか、たった3日間でたいした仕事の達成なんですよ。また、明日、仕事か。
2009年04月15日
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いやあ、本日、新しい会社の1日目だったのだが、書きたいネタがいっぱいあるな。もう眠いんですがね。今度の社会福祉法人、泥舟状態で、職員がくしの歯が抜けるように退職し、マンパワーが絶対的に足りない。その要因は婆理事長の専制君主というかパニック体質というか、ヒステリー体質によるものだ。些細なことに何でも首をつっこみ、業務を混乱させる。士気の低下はその朝礼時のみなさんの様子でよくわかった。もう、うんざりした顔しているんだものみんな。私は管理職として紹介をうけたが、セクションについてもあいまい。「また、きたか、すぐやめるだろ」といった様子で生暖かく見守られた。ところがどっこい、私はやる気ですよ。デイサービスセンターの管理者と生活相談員、さらにはヘルパーステーションの管理者の兼任という無謀な兼務。前任者の男はたった1日で来なくなった。彼の判断はそれはそれで正解だ。その前の管理者は1ヶ月で辞めた。その前も長続きしていない。私はファックスの送信書で出来事を振り返り、私がこの席に座るまでの過程を振り返った。いやあ、書類の不備、人員配置の不備、もう、めちゃくちゃ。辞める前任者は引継ぎもなくプッツンとやめるので、いろんな書類のフォームがPCや机のどこにあるのかわからない。職員はコピーを重ねて日誌なんかもすりへっていたりしてね。必要なフォームの整備。これをやっていくにが大変。でも楽しいよ。空中分解寸前の組織を立て直すという、カルロス・ゴーンのようなやりがいがあるわけだ。とはいうものの、組織の崩壊の根源は理事長の放漫経営にありケチにあり人間の使い捨てにあり、その解決法として行政への告発をしました。入社1日目の人間に告発されたとは夢にも思っていないだろうな、婆は、だって、行政に特別に監査してもらって指導してもらわないと何から直していけばいいか、わからんもんね。県の担当者は私の味方になってくれました。助かったな、すごく。名ばかり管理職はごめんなので、婆に「名刺の肩書きはセンター長にしてくれ」といいました。夕方のミーティングでは、スタッフにオレサマをセンター長と呼ぶように宣言。施設の全職員にセンター長と呼んでもらうようにしよっと。(つづきはまたあした)
2009年04月13日
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いろいろあったが、本日から会社へ行くことになった。新しい職場の第一日目だ。つうことは私は精神病院を退院して、職場を獲得していたわけだ。日記を更新しないしないあいだにいろいろと展開があったわけだが、それを逐一報告する意欲がまったくなかった。うつ病はちっとも治っていないのである。しかしだ。治らずとも働かなければ生活保護の道まっしぐらとなるので働かねばならない。私は精神病院のベッド上でハローワークのサイトをチェックし、電話をしたり履歴書を郵送したりした。その種まきの芽が出たのだと思う。生活保護寸前より生還しつつあるのである。それにしても、今朝だってへんな夢を見続け、気持ち悪い二日酔いのような気分で目覚めている。苦しい。日中の生活だって1日中離床していた日なぞなかった。それが本日よりフルタイムワークである。大丈夫なのだろうか。泣き言をいえばきりがないのでこの話題はやめとくか。ブログを書く意味もなんとなくわからなくなってきた。読み手が少なくて。私の大切な読者はもう5年以上前になるライコスダイアリの人たちだった。もう誰も読んでくれていないだろうな。うつ病の人が書く日記の数も膨大になって、私の日記もすっかり埋もれている。これもモチベーションが下がる理由でもある。やっぱり200人くらいの人の目に触れないと文章の質が落ちてくるものなのだ。音楽日記というのも続かなさそうだし。うつ病のうつうつした状況を綿綿と書くのも女々しい気がするし。私の日記も過渡期に来ているようである。
2009年04月13日
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久しぶりのネットカフェ来店である。精神病棟行きのバスまでまだ1時間あるのだ。ということでいまだに入院している。もう、入院生活も飽きたし、親父も経済的にピンチで入院にも気兼ねがある。だから、さっさと退院すればよいのだが、2週間前に落っこちた会社のダメージが少々残っているようであり、また、3月中に職を見つけるという目論見が外れて途方に暮れているところもある。1年前の日記をみればわかるのだが、基本的に1年前と変わっていないのだ。たった1ヶ月だけ勤労したという事実が、職務経歴書についてはマイナスに作用し、その書き方の工夫について、昨日、本屋で立ち読みをして学習してみた。人事採用の者からすれば、ちょっとしたことでやめそうに思うのだな。今のままだと。自己PRというものを書いてみなかったので書いてみようと思う。つうことで日記は途中でやめて職務経歴書を手直ししました。
2009年03月29日
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お久しぶりでござんす。現在、私は精神病院の開放病棟に入院中でございます。ネットブックを持ち込んで、いつでもブログを更新できる環境にありながら、なんとなく放置しておりました。2ちゃんねるはいつも見ていますが。最近の自分のについて書き留めといたほうがののちのちによいのかもしれませんが、己の観察記録もまるでがま蛙が己の醜い姿を鏡でみつめて脂汗を出しているようで、やめときました。お天気の話とか政治とか芸能の話題が無難でよいな。石原真理子と玉城浩二の再婚は驚きましたね。(話題が古いか)いや、ずっとこの件について書きたいと思っていたのだ。23年越しの愛ですか。DV男とそれを暴露本で告発した女。男はそれが元で離婚もする。そんな二人が再会して10日で入籍とは、びっくりだ。石原のお花畑ぶりも、玉城のDVも、メンタルヘルスに問題があるわけで、いわば精神保健の範疇だ。私のいる病院にも統合失調症同士のカップルがおりますが、似ているな。呼び合うんだよね。で、うつ病のこの私にもメンヘラでよいから呼び合う女はいないかしらと思う。マリエルと俺って呼び合っているのだろうか。ちょっと違うかな。俺が呼んでいるだけでむこうは気まぐれに猫のようにやってくるだけ。えさを求めてね。求め合う愛が欲しいな。
2009年03月15日
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◎本日、三度目の入院をした。木曜日の受診で決意したのだ。やっぱりこのだらしない毎日を断ち切るには入院するしかない。親父にも入院についての了解をじわじわととっていった。それにしても毎月10万円ほどの負担。痛いよなあ。私は親父の年金所得をくいつぶすあ悪党なのである。◎本日、三度目の入院をした。昨晩はあまり寝ていない。日中は何時間もひたすらiTunesにCDを読み込ませる作業を行っていた。8GBほどだ。CDにして170枚くらいだろうか。これまでのと合計して12GBくらいになった。ほぼ1日かけてわかったことは私の300枚ほどのライブラリは現行のiPod nano16GBに全部収まってしまうという事実である。iPodおそるべし。もうひとつ恐ろしかったのは、さあ、いざiPod nano8GBに同期させようとしたら、同期ができなかったことだ。私はアップルのやることだからオーバーしても適当にシャッフルしてくれるのかと思っていた。で、12GBのデータより約7GBだけを抜き出して同期させるということだが、これが難しい。曲ごとにチェックをはずしていたら何十時間かかるかわからない。私は泣きそうになった。結局、「これまで再生した曲」のフォルダ全部の「チェックをはずす」ということを行って、チェックすみの曲を6GBくらいにして同期することができた。とりあえずほっとしたが、でもいれないアルバムで入っていないのも何GBもあって残念だった。みんなどうやって同期しているのかな。◎本日、三度目の入院。三度目だから準備もぎりぎりである。夜中の2時ころにコンビニへいって宅配便で大きな荷物を病院へ送った。一人身で、電車移動では荷物運びも大変なのである。なのでラジオや本、衣類を2個にわけてペリカン便で送った。1910円の送料だった。◎三度目の入院では、いよいよ精神病棟内でインターネット環境を実現させた。ASUSのEeePCの持ち込みに成功したのである。モデム代わりのスマートフォンも「これはケータイではない」といって持ち込んだ。病室でPCを立ち上げる。いつでもネットにつながる環境に満足した。ということで今もPCで書き込んでいる。キーボードが小さいのがちょっと悲しいが、まあいい。どうせ、暇人なので日記くらいは頻繁に更新しようと思う。
2009年02月21日
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久しぶりの日記の更新である。現在、私は自宅のベッドに腹ばいになっていて、ミニノートでキーを打ち込んでいる。10日ほど前にeeePC4G-xを購入したのである。生活保護間際の人間がネットブックを購入するなど身分不相応な気がしておおっぴらにいえずにいた。eeePCのスペックはストレージが4ギガのコンパクトフラッシュ。ハードディスク代わりのCFはこれだけ。DドライブはSDカードで4ギガのカードが一枚ついてきた。Cドライブはウィルスソフト(AVGを入れてみた)だけでいっぱいになり、ソフトのダウンロードはSDカードにしている。そのほか、これからはUSBメモリーになんでもソフトも入れておく時代のような気がして8ギガのUSBメモリーを購入した。7インチのeeePCはヨドバシカメラで税込みで26800円だった。13パーセントのポイントもついた。みなさん、許してください。ネットブックを買ったのは、入院へのステップのためである。もしも病棟のナースがあれこれ、いけないといって取り上げるようだったら入院はやめようと思う。それくらいネット生活は私の主要な営みであり、人生そのものなのだ。画面は小さいが練れるとまあ、どうにかなる。800×600の表示は目にもよい。VAIOのタイプPより明らかに見やすい画面だ。小さい物品はなぜか私の所有欲を満たしてくれる。おもちゃみたいなものだ。入院先からもこいつで日記を更新するつもりである。
2009年02月08日
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ウィルスにひっかかった。まぬけなオレさまである。いけないのはCabosを使ったこと。『デブ』という語でファイルを検索した。デブでいくつかひっかかったが、zipファイルといういつもならスルーするファイルをウィルスチェックなしにあけてしまった。すぐにavast!がトロイの木馬を発見。チェストへ移動するが、トロイの木馬さんは次々に発見されていく。そのつどチェストへ隔離したが、連続して警告されるので、なんかチェストへ移動してもだめな気がしていくつかのファイルを削除してしまった。あとで「おじいちゃんのメモ」というavast!を翻訳した人のサイトにいくと、削除するのはよくないと書いてあった。根気よくチェストへ移動するべきだったのかもしれない。それにしても『デブ』という語を検索したオレさまよ。なぜにそいつがほしかったのか。うろたえた私は、OS全体をインストしなおそうかと思って、CDを探した。がだ。HDDをまっさらにしたら、iTunesもぜんぶやり直しになる。バックアップを取らねばならない。ほかにも数点、保存したいファイルがある。また、いくつかのソフトを再インストールしなおすことを考えたら、どうにかしてこのまま温存したいと思った。ファイルを検索するたびに警報音がなる状態を耐えて、どうにかこうにか収束してきた。Cドライブ全体のスキャンだとどのフォルダがやられているのかわかりかねるので、プログラムファイルに的を絞って検査すると、当たった。10個ほどのファイルを隔離させてどうにか収まったようだ。ということで、みなさん。ウィニーに限らず、ライムワイヤー系もいけませんぞ。つうかファイルを開ける前にウィルススキャンするのが鉄則。
2009年01月28日
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うつ症状に苦しむ日々が続いている。解決策が見つからず、ついつい「もう、死ぬしか方策はないのではないか」と思ってしまう。生活保護を受ける自分というものを想像できないのだな。この1年間、精神病院に2回入院し、合計半年間を過ごした。そこで得たものも多かったが11月からの3ヶ月で吐き出してしまった。やはり再度の入院しかないのかな。でもネット環境はほしいな。ということで、激しい鬱のなかにあってネットブック、ミニノートといったモバイルガジェットについては関心がある。ベッドにPCを持ち込みたいのだ。イーモバイルはあるから。自宅のノートPC(私の母艦)にイーモンスターをUSBでつないでみたら、ネット閲覧に問題はなく、GYAOもスムースに見ることができた。たまにプツプツと切れることはあるが、我慢できる範囲内。前回の入院時にはイーモンスターをつかってブログの更新をしたが、これがちょっときつかった、キーボードのつくりに問題があって、ちょっとしたはずみに文章を消去してしまうことがあるのだ。構造上の問題だな。せっかく書いた文章が消えると心がなえるものである。病院のベッド上においてのネット環境というテーマについて空想している中で、ソニーVAIO typePが発売されたのである。これはもう触るほかないと思って、秋葉にいったおりにはヨドバシアキバでいじってみた。何回か触っての結論は、購入は見送りだ。かっこいいから物欲をそそるものがあったのだが。できれば、ベッドにtypePをさりげなくおいてみたいものだが。欠点として文字が大変小さいことがあげられる。液晶の性能はいいんだけどね。大きな文字に設定を変えてみるという方法もあるが、なんか、それもねえ。typePはソニーの久しぶりのヒット商品になりそうだが、おっさんの目には過酷な表示であった。それで、代替となるモノはないかと店内をうろつくと工人舎のコーナーがありタブレットタイプのPCがいくつか展示されていた。7インチのタブレットPCという選択肢をみつけ、また大手メーカーでアフターサービスに満足したいのならば富士通LOOX-Uという5.9インチのタブレットがあることもわかった。心がLOOXに向かうのである。タブレットで5.9インチだと電車の中で立って使えるらしい。LOOXほしいぞ。ネットも排してしまいテキストに徹するならポメラというガジェットがキングジムから出ている。現在、品薄状態だ。
2009年01月26日
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YOUTUBEのふとしたネットサーフで思いがけない音楽に出会うことがある。toeというバンド、知らなかった。日本のインディーズらしいのだが、すばらしいポストロックなのだ。世界に通用すると私は思うのだが。シガーロスのアルバムのとなりに飾ってもいいんじゃないか。そのくらい驚いた。toe グッドバイ今回、リンクをひっぱったのは07年のフジロックでのライブ。インストナンバーばかりの彼らにはめずらしくヴォーカルが入っている曲だ。その歌の部分を土岐麻子が歌っている。また、これがいいの、土岐麻子。この人も知らなかった。この人は04年までシンバルズというおしゃれなポップバンドをやっていた人。なんかピチカート5の後継者みたいなポップな音だ。現在はジャズの道を歩んでいるが、正解だと思う。日産ティアナのCMがあるでしょ、OMOTENASHIってやつ。あの音楽を担当している。いい声でしょ。toeと土岐麻子。どちらも生で観たいものだ。皆さんもだまされたと思って聴いてみてくださいな。
2009年01月19日
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定額給付金には反対だ。国民1人に12000円を配って、それが景気に何の効果があるというのだ。10年前の振興券の失敗をみればわかるだろう。国民に金を配る。その意味がよくわからぬ。減税ならば少々わかるが。そもそもこの案は公明党によるものだという。近所の創価学会のおばさんも、公明党の政策が通ると、わが意を得たりといった按配で「公明党の政策がとおりました」と元気になるのだ。私の母が車椅子の障害者なので、彼女の頭の隅に我が家がひっかかってくるらしい。公明党は低所得者など弱者の味方。福祉の党。私のような弱者に12000円を配って誰が困るかと。だが、全体で2兆円だ。もっとターゲットを絞れないものか。高齢者介護に2兆円充ててくれれば私は万歳だ。小学校の耐震強度に充ててもいいかと思う。雇用対策に2兆円を使ってもかなりのことができるだろう。国民に一様に配ると12000円だが、目的を絞ればかなりのことができる。その政策転換をする勇気を麻生首相に求めたい。
2009年01月13日
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世の中不景気だ。「エッチな0930」なんていうエ※動画を見ながら思うのである。ギャラって10万円くらいかなと。エロ業界もデフレなんだろうな。そういうわけでエロビデ※を観ている。鬱のどん底でなにもできないオレ。寝るか何かを食べているかでまるで映画『セブン』でスパゲッティをえんえんと食べさせられる拷問を受けているおっさんのようなのである。(おっさんは監禁された中でものすごい肥満なのだ)なんでもいいから少しでも興味をもったことをやろうとして、それでエ※動画なのだ。Cabosをつこうた。『巨※』とか『熟※』といったワードで検索し、適当にダウンロードする。漁にたとえるとはえなわ漁のような感じだ。ダウンロードをクリックするとつぎつぎにエロクリップをダウンロードしていく。もう何をダウンするのかは問題ではなく、いくつのファイルを手に入れられたかが満足へとつながっていく。エロとの出会いは偶発的なものなのだ。エロを観るのは久しぶりだった。テレビCMで「♪ネットで借りて、自宅に届き、ポストへ返却」というDMM.comのCMをやっていた。それでサイトへいくわけだ。かねがね不思議に感じていた郵送というシステム。私が思うにはビデオくらいそのときの気分で借りたい。予約して日にちを指定するのはどうもな。と思うのだ。『LOST』をネットレンタルするのもどうかな、と。それにけっこうなお代なのである。でも2ちゃんねるでビジネスモデルを理解した。ようするに成人映画目的の人が多数なのだ。ネットならばカウンターでお姉さんと顔を合わさずにすむのだ。それが便利でエ※ビデオは借りられる。それでも私は思う。エロを日にち設定してみるのもなんだかな、と。それで動画配信なのだ。ストリーミングなら1つ500円。これは私の食指を動かした。つうことで適当なエロをひとつipodにいれた。ipodだとダウンロード1つ500円。それを安いとするか高いとするかはその人しだい。まあ、自分が観たいと思うエロをオンデマンドで観ようとするとお金がかかるのである。安全というのも付加されるか。DMM.comが呼び水となってとうとうCacosでエロを検索してしまった。別に積極的にポルノで興奮したいというのではなくて。なんというか生きる実感を確かめたくて無理してみているかんじ。ダウンロードされた動画が私の好みか違うのか、エロいのかつまらんか、とにかく観なければわからない。「熟※」だったとしてその女が35歳なのか55歳なのか、ふたを開けて見なければわからない。その偶発性に惹かれてファイルを開けていく。「po※no」といった洋モノの検索もけっこう楽しい。ワールドワイドなので。ブラジルの男は女の股に顔をうずめて上下させるのが好きだということが、それでわかる。ドイツのおっさんは「アベッヒ、ター、サイラン、ゲーッ!」みたいな実況セックスが好きだ、とか。ディテールを追っていくのだ。
2009年01月12日
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本日も点滴を打ちに行くことができなかった。2009年になって、まだ外の空気をすっていないのですよ。ベッドか居間の椅子にいるかのどちらかだけ。それが人生。まずいと思う。親父が私の状態をみて不穏になった。なんか私の行動はあてつけのような気もするのだ。やっぱり入院していたほうがいいのだろうな。でもお金がかかるから。1年前と状況が同じでは、費用対効果の点で無駄だ。あしたはなんとかしたい。薬もきれたしな。
2009年01月08日
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ニューオーダーの名曲に『ビザール・ラブ・トライアングル』という曲がある。1985年、大学生のときにクラブで流行った。いや、今回は私の学生時代の思い出を語るのが目的ではなくて、YOUTUBEという新しいメディアにおいて、いろいろな人がこの曲をカヴァーしているのだ。それを覗くのがとても楽しい。楽しいから、あなたも付き合いなさい。そう、今回のブログはオレサマが好きな曲に皆さんがお付き合いをするという押し付けがましい企画なのである。まず、ニューオーダーのオリジナルはこれ。(7インチバージョン)それがこのように演奏される台湾のテレビでアマチュアがこんなカヴァーをしていた。フレンテという人のカヴァーが有名らしいこの男性歌手をご存知か、私は知らぬ。Nakedというハードロックバンドがカヴァーするとこうなる。8歳の少女がうたうとこうなるこの人もプロらしいがどこの国かしらん。pittyって人、どこの国の人か関連動画をたどればまだまだある。私が声を大にしていいたいのは、これだけの名曲が日本では知名度がいまいちだということだ。ニューオーダーを知らずともBLTは知っている(マリエルなんかそうだ)人が多いのである。最後までつきあってくれた人がいたらありがとうございます。ざっとでいいの、ざっとで。
2009年01月07日
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すごい人だと思う、派遣村の湯浅誠村長って。元旦の「朝まで生テレビ」で話をするところをはじめて観たが、優秀な人だ。顔をみると痩せて頬がこけ、銀縁めがねをかけて、なんとなく貧乏な面相だ。苦労のあとが伺える。(派遣労働って薄給で大変なんだな)とあの顔からイメージする。なによりも驚いたのは派遣労働という権力と遠い位置にある人から湯浅さんのようなリーダーシップがある人が育ってきたということだ。それが気になってウィキペディアで調べたら、この人は東大法学部大学院中退という学歴の人だった。びっくり。人生の勝ち組である彼がわざわざ、派遣労働者のために市民運動をしているという事実に驚いた。彼も著書が売れるまではお金で苦労したらしい。東大と貧乏という図式が私の頭の中ではどうもつながらない。みなさんもウィキをみてくださいまし。
2009年01月06日
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永田寿康元衆議院議員が自殺しました。昨年11月に自殺未遂後に福岡の療養施設(おそらく精神病院)にいて、そこを抜け出して近隣のマンションより飛び降りたらしい。彼の略歴をウィキペディアで確認すると、例の偽メール事件で議員を辞職する前と後では天国と地獄のちがいだということがわかります。(エリートは逆境に弱いらしい)って2ちゃんねるの書き込みをみました。私も何も死ぬことはないんじゃないかと思いますが、うつ状態だったのかもしれません。療養施設の管理について指摘する声もありますが、おそらく予後の調子がよくて閉鎖病棟から開放病棟に変わったのでしょう。もしも私が病棟で彼と会っていたら、おそらく彼のどこが悪いのかぜんぜんわからなかったんじゃないかと。ごく普通にみえたんじゃないかと思います。うつ病等で自殺する人の心理って、積極的に「死ぬぞ!」という気持ちじゃなくて「死」しか人生の選択肢がなくなったと思ってしまう状態なのだと思います。この私もときどきなりますから。現在、どうにか生きているのは他人のこうした死をいくつか見てきたことがブレーキになっているんじゃないかと。客観的に考えると、どんな状態であろうが、何も死ぬ必要はないのですよね。経済的に破綻したならば生活保護を受ければよい。世間様が冷たい目で見ようともずっと耐える。何も死ぬことはない。生活保護受給者と仕事でよく面談していましたが、あのときの私はまだ、よく、彼らの心理がわかっていなかった。いや、わからなくていいのですが。生活保護受給者って一回くらい自殺を考えたことがあるんじゃないかって思うんです。それで生きるほうを選んだ。ギリギリのところで生を選択した強さを生保受給者に感じることがありました。そんなこと、彼らは口にだして話はしませんが。永田さんには生保の生活なんて考えられないだろうし、そもそも実家が財産家なので経済的に心配する必要はなかったと思います。お金じゃなくて、プライドとか世間体が、トリガーとなったのでしょうか。じぶんが偽メール事件を引き起こしてしまった事実をじぶんで許すことができなかったのかな。国会の爆弾男といわれ、数々の野次で国会より処分も受けたことがある彼。その姿をそううつ質ではないかと、察する人もネット上におりました。フロイトは「怒りの矛先が自分に向かったとき、人はうつ病になる。」と述べています。正義感の強さが災いしたようですね。(正義感の強さはこの私も負けておりません。)彼は2004年に、元客室乗務員と結婚をし、05年に子供をひとり作っています。その奥さんとの関係はどうだったのかなあ、とセレブではない自分は思うわけです。奥さんが絶対的に味方だったら、こんなことにはならなかったんじゃないかって。ほんとに愛し合っていたならねえ。↑ポチっとしてくれるとうれしい
2009年01月04日
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あけましておめでとうございます。私の新年はアナフラニールの副作用によるめまいによって始まりました。もう、グルグルなの世界が。飲みすぎなんでしょうね。1日150ミリグラム。舌も乾くので水分ばかり摂取します。ほとんど動かず、寝るか食べるかだ。せっかく昨年、減量したのに、リバウンド状態です。(入院すっか)と思うこともあります。昨年の今頃の日記をふりかえって読むと、現在とほぼ同じだ。この1年間、苦労したのにもかかわらず、よくなっていないという事実が痛いです。昨年の新年はツェッペリンばかり聴いていたな。いまはギャラクシー500.現実逃避の日々だ。どうすりゃ、いいのでしょう。精神病院で現在も入院中のWさんと大晦日に会う予定でしたが、けっきょく、私の体調不良でやめました。会いたかったのだがな。社会に復帰すべくプランを立てたいところだが、プランが立たないの。精神病院のデイケアに通うという手もあるが、あれは主に統合失調症の人がターゲットだ。単極性のうつ病の人にはしっくりこないのだ。それと知らない病院には行きにくいのです。入院した病院は隣県なのでデイは無理。経済的問題も大きく立ちはだかる。オヤジにすがって情けないな。ほんと、派遣の人なんてたいへんな状況で頑張っているのにな。今年中にどうにか経済的な自立をしたい。でもそこへたどり着くまでの道のりがとても難しい。慢性化したうつ病を治すって、ほんと難しい。オレはもう終わっているんじゃないかって思うときもある。そうすると、障害者年金でも受給するしか生きる方策はないぞ。
2009年01月01日
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今年の「輝く!日本レコード大賞」の大賞がエグザイルなんてなあ。普通に考えると『そばにいるね』の青山テルマでしょ。オレですらipodに入れてたくらいだもん。ダウンロード数とCDの売り上げを合計すると500万くらいになるんでしょ。今年、ぐんをぬいて流行った曲だ。それがレコード大賞ではないなんてなあ。湯川れい子も加藤和彦も何を考えているんだ。エグザイルとやらを観て思ったのは、彼らはテレビのホストってことだ。「ドンペリ、いきま~す!」っていいそうなかんじするでしょ。ジャニーズのマーケティングとベースは同じだと思う。リードボーカルをとっていたふたりの歌唱力が低かったのはなんでだ?曲によってボーカルちがうの?なにしろじっくり見たのは今日が初めてテレビだ。テルマはうまいと思うんだよな。ささやきかける歌唱というジャンルがあってもいいと思う。言葉の一つ一つが丁寧なテルマは好感がもてました。
2008年12月30日
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木曜日に点滴しに外出してから、ずっとひきこもったままです。一度も受診にいくことができませんでした。明日はオフクロが老人ホームから戻ってくるし、あさってにはN病院に入院中のWさんと会う予定だし、大丈夫でしょうか。寝逃げの人生は最低ですね。2008年を振り返って、最後が最初とおんなじって、効果がぜんぜんないじゃないか。半年も入院したオレはなんだったんだ。もう一回入院するべきかという問いが生まれるが、結局、うつ病は入院では全快しないことがわかりました。
2008年12月29日
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本日は晴天なり。飯島愛はあっけなく死んでしまったが、世の中は今日もつづく。よろず屋君は朝早く野菜を市場で買い付けてはお得意さんへ下ろし、I君は建設現場で職人さんへ厳しい目を光らせる。私は8時にTV『とくダネ』を見て、昨日の飯島さんの変死について復習し、その後、身支度を整えた。9時前に外出することができた。秋葉原へアナフラニールの点滴を打ちにいく。今週は木曜日してようやく外出ができた。そのくらい、状態が悪かったってこと。クラス会の出席で、ガス欠になった。ほんと、レモンサワーを飲んでいただけなのだが。11時半に点滴を終える。診察はなし。予約してないから受診できない。先生の声だけを遠くから聞いた。それでいいや。点滴は金、土、月といって最後の月曜日に診察してもらうことにしよう。具合が悪くなると、担当医にもすまない気がするのだな。だって、これだけ、悪化を繰り返すと医者だっていやになるよ。さすがに私ももう「入院したい」とはいわない。入院しても根本的な問題解決にならないのがわかったから。月8万円も費用がかかるなら、その分遊んだほうがいいぞ、と思った。そう思ってゲームを買いにいったが、結局、何も買えず。wiiの「どうぶつの森」だっけ、あれがおもしろいかなとは思ったんだが、やはり、絵てきに幼稚な気がした。おもしろいと思った人がいたらコメントください。飯島愛に話を戻すが、やはり数日前に亡くなっていたのね。孤独死か。死因については不明というのもちょっと気になる。薬剤による説もあるのだが、どう考えても薬では死ねないと思う。だってハルシオンなんて薬じゃ、3000万円分飲まなければ致死量にならないって。こう鬱剤だって処方されたものを飲まずに溜め込んで一度に飲んでも、まず無理。気持ち悪くなるだけだろう。薬物のオーバードーズは考えにくいな。麻薬の乱用ならありうるが。昨日のログにあとでリンクをひっぱったが、彼女は3年前に台湾の占い師に死を予言されていた。(昨日の日記のYOUTUBEみてください)予知があたったのか、それとも占いにより彼女の脳裏に刷り込まれてしまったのか。フィリピン女のマリエルに電話をした。「メリークリスマス!(中略)アイチャンシンジャッタネ、ナンデ?」マリエルは死なないな、このおばちゃんは。土曜日に会おうかということになったのだが、何してみようぞ。どこか公園を散歩するか。下肢筋力を使わないとな。↓追記)曲まちがえた。「Fourth Of July」でした※Galaxie500がなかないによい音だ。先週、セカンドアルバムを購入したが、今日、無性に聞きたくなって三枚目の「This is our music」をアップルストアでダウンロードしてしまった。1500円、10曲。音楽はCDによる購入を基本としているが、ネット配信って便利だよな。↑気づいたら、ポチッとな。
2008年12月25日
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自殺だろうな。クリスマスイブにねえ。気持ちはわかる。わかるが私は寝て逃げて、今日も生きていた。クラス会の帰り際に、路上でよろず屋君が私のからだをひしとつかんでくれた。言葉はなくとも伝わるなあ。オレサマはひとりじゃない。なんとかこの病気を乗り越えないとな。飯島愛だって、決して一人じゃなかったんだよな。誰かに頼るという考えは浮かばなかったのかな。飯島さんもこう鬱剤を飲んでいたようだ。うつ病だったのかな。瀬戸内寂聴あたりに相談すれば、きっと、新たな展開があったと思うよ。オレはこのくらいのことしかいえない。いまはじっと嵐が過ぎ去るのを待つだけ。↑ちょっと気になったらポチッとな、飯島愛の死が予知されていた:YOUTUBE
2008年12月24日
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食欲だけが増進されて困っている。この3週間でおそらく4~5キロ体重が増加したみたいだ。体重計に乗る気がしないので正確にはわからんが。マスメディアは連日、製造業の赤字や従業員の解雇について報道している。100年に一度の経済不安か。ほんと、オレも申し訳ないなあと思う。解雇されたわけじゃないのに、自分で仕事を辞めてしまって寝込んでいるというじっさいが、申し訳ない。トヨタやキヤノンの派遣社員、下請け会社の人にも申し訳ない。関係ないような気もするが国の一大事にパジャマ姿で過ごすのは申し訳ない。もちろんオヤジにも悪いと思っている。お袋にもね。年収が300万円あれば上等だ。いまはそんな気分。つうか、月給15万円でいいから、その仕事が勤まらないのか自分!という気がする。つうか、週5日で8時間労働ができない自分が歯がゆくて仕方ない。うつ病に付き合っていると、次第に相手もジリジリしてくるしなあ。存在そのものが申し訳ない気持ちになるが、私は自分から命を経つ根性すらない。自殺はできない。福祉の世話になるべきだろうか。障害年金2級が支給されるだろうか。それとも生活保護がベターか。極貧フィリピン人のマリエルに電話をすることもできない。電話しても明るい話題がないからな。あいつは住んでいたアパートを追い出されて友人の部屋に居候しているそうだ。その友人にはご主人がいるようだ。子供もいるのかも。そんなお宅に子供2人もつれて居候しちゃうフィリピン人ってすごいな。受けるほうもすごい。子供たちはちゃんと学校に行っているらしいが大丈夫だろうか。ぐれないだろうか。もしも私にある程度の経済力があったらマリエルと所帯を持つこともありえたな。そうすればオヤジの看取りもできるだろう。今は元気だがいつどうなるかわからんしな。家族4人の飯が食べれて、1年に一度フィリピンにいけるくらいの経済力があればなあ。
2008年12月23日
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みなさん、こんばんは、ジョージ・クルーニーです。2008年もあとわずか、今年のオレっていったいなんだったのだろうな。半分近く精神病院に入院して、結局、うつ病は治らずに、いまも最悪の状態。仕事の社会復帰も失敗。1ヶ月ももたずに辞職。クラス会にはなんとか出席できました。そこで友人のI君とちょっと話をしたのだが、私の辞職って回避できたんじゃないかという件がある。世の中、奇麗事ばかりいってられない。少々、グレイなことに手を出すのは、生活をまっとうするためにはしかたないんじゃないかってこと。I君はいった。「それをして誰かが損をするのか」と。誰の腹も痛まないのならいいじゃないかって件だ。これはA社の考え方でもある。じっさい直接に被害をこうむる人はいないだろう。だが、ケアマネジャーは介護保険制度を適切に遂行する義務がある。給付を抑制させる働きをケママネが持っているのだ。だって、歩ける人に車椅子のレンタルはできないよ、いくら本人が乗りたいといっても。それをやっちゃあいけないの。これまでできていたことができなくなるケアプランを立てるのは犯罪的な行為だ。あと、つくづく思ったのは、悪徳な人たちって、けっして自分を悪徳だと思っていないし、自分の行為を合法だと思っている。住宅改修の悪徳業者も実際に会うとアタリがやわらかくていい人そうに見えるのだ。私なんか丸め込まれそうになって、苦情を申したてたケアマネに怒られそうになりました。違法でないからなんでもやっていいってことじゃないんだな。でも生活を守るためにみんな必死なんだ。おぎーのにはその必死さがない。I君がそう考えたとしても仕方ない。私はこれでも必死なんだが、行動として必死さに欠けるように見えても仕様がない。うつ病で心身ともにチカラがないと悪事を働くこともできないのだな。いや。I君は私に悪事をしろといっていたわけではない。誰だって働く上でグレイなことに手を突っ込みなんとか社会生活を行っている。I 君の気持ちはわかる。わかるが私にはできなかった。ケアマネジメントの理念から逸脱することはできなかった。もう終わったことでどうすることもできない。次のことを考えたほうが得策だ。己の倫理観を逸脱しない会社に入るしかないのだな。でも倫理観ってなんだろな。正義ってなんだろう。人によりその線引きはまちまちではないか。だから法律があり、法を運営する司法の世界がある。公序良俗という考えもある。公共の福祉っていう考えがあって、たとえば人を殺してはいけないのは公共の福祉に反するからだ。正義感が強すぎるらしいオレサマだが、一般の人よりも、線引きが甘いこともある。不法滞在の外国人については目が甘いな。もしも私が法務局に勤めていたら、強制送還させるべきホステスを何人も見てきた。オーバーステイはいけないことだ。それはわかっている。だが、通報しようとは思わない。つかまってしまった人は強制送還されてもしかたないが、ローラー作戦をしてあぶりだせとは思わない自分がいる。だから己の正義感というものも曖昧なものなんだな。会社を1ヶ月で辞めてしまったのは、早い話がうつ病が治っていなかったということなんだと思う。うつ病でなければ、生活のためにスルーできたかもしれない。この潔癖な気持ちもうつ病患者特有のメンタリティなんでしょうね。
2008年12月22日
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楽天のブログでは『足跡』がアクセス記録でわかり、同じ楽天のアカウントを持っている人の足跡をたどることができる。それで、どんな人がアクセスしてくれたのだろうと思って私も訪ねるとエログということが多い。今日なんか4つも踏んじゃったよ、エロサイトを。みなさん、どうされていますか、そんなとき。(ああ、やっぱり)って思いながらもけっこう中身を覗いているオレがいるんだな。虚しいな。で、本日いったエログの管理人の買い物履歴にこんな本があったのだ。洋書だ。The Idea of Nationalism: A Study in Its Origins and Background学生さんなのだろうか。こんな難しい書物を購入した人が一方で、エロサイトをつくり自動巡回ソフトでみなさんのブログに足跡をつけて回っているという事実があるのだ。まあ、いいか。エログの取り締まりはいたちごっこだもんな。無料のブログだからしょうがないか。誰かエログでいい思いやひどい目に遭った方がいらしたら体験を教えてくれませんか。ホントのところが知りたくてね。
2008年12月20日
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朝、起床してシャワーを浴びていると、テレビの音は『赤いスイートピー』を歌う一般人の声がした。♪出会った日からなんたらかんたら、あなたって手も握らない。突然、20年以上前の記憶がよみがえってきた。場所は渋谷のサントリーカラオケバー。まだカラオケボックスはなかった時代で、人々はみなカラオケをしたいときにはカラオケパブへ出向いていた。乾き物だけで2時間5000円とか払っていたのだな。それでもけっこう店は繁盛していた。店の前で待ったりしてね。1曲、出るごとにMCの声が入るのだ、「2番テーブル、おぎーのさんのおんなの慕情です」みたいなのが。あったよね、そういうの。昔の話だ。その1987年の冬のある日に渋谷のカラオケバーに私はいた。当時流行っていたアイスクリーム屋のバイト仲間と一緒だった。私は21歳。店長が27歳の男で、20歳の青学の遊び人の男と18歳の音大のコと女子大のコというメンバーだった。音大のコとポン女のコが仲良し。ポン女のコは彼氏がいるんだけど、うまいことに、21歳当時の私のハートもキャッチしていた。今思えば、特にかわいいわけでもなかったんだが。音大のコは見た目が派手なサーファー風で、内面はおしとやかな女の子だった。私はこのコのことも気になり、いまだったらメールアドレスを聞いていたところだ。ああ、当時、ケータイやメールがあれば!音大のコはまあ、かわいかった。で、オレサマに気があったようなのだな。オレもいいコだと思っていた。それなら相思相愛というところだが、ポン女のコとのカンケイがあってなぜか、進展しない。「M子(ポン女)に電話してあげて。。」なんてことを音大のコはいう。女の友情が複雑に絡んでくる、よくある三角関係だ。オレサマに女の子ふたりを裁けるような度量はありませんよ。オレサマは煮え切らない態度を続けていた。カラオケパブで。いつもはフルートでお客様を楽しませている音大のコが『赤いスイートピー』を歌った。♪あなたって手も握らないと歌い、こちらをチラリ。ギクリとするオレ。動きが止まりましたよ。あの瞬間を私は今朝、思い出したのだ。もう21年も前の出来事なのに。どうしているだろうか。風のうわさでポン女のコは『CamCan』という雑誌でライターをしているという話を聞いた。もう5年も前か。彼女は当時は東大と慶応の同好会に入っていたな。男にブランドを求める彼女が無印の私のほうを見るってのは、ちょいとした好奇心か。今でも、どこかのカラオケボックスであてつけの赤いスイートピーは歌われているのかな。
2008年12月20日
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毎日、つらい日々が続いている。昨日は寝っぱなしだったが、今日は何とかお昼ごろに秋葉原のクリニックまでクルマでいくことができた。ただ離床するだけのことなのに難しい。よろよろ起きて、歯を磨けば歯茎は出血している。磨かないから歯槽膿漏の菌が繁殖しているのだ。口腔衛生がめちゃくちゃだ。45歳にしてほとんど歯のないN病院の患者、Tさんを思い出した。彼は入れ歯すら入れず、おかゆと刻み食を食べていた。(経済上)入れ歯よりタバコを優先していたな。Nさんは夕方、病室で、おもいきりチューブを歯ブラシに出して、口の中にいれてしばらくこすると、歯磨き粉をそのままごくんと飲み込んでしまう。理由はわからない。彼の狂気の一端がこんな行為からうかがい知れる。オレもTさんみたいに歯ナシになっちまうぞ。点滴をしたからその後ぐっとよくなるというほどのことはない。帰りの運転が楽になった程度だ。うつ病は悪くなると、アナフラニールを1回点滴したくらいでは大きな好転はない。私は楽しみにしていたラーメン屋でラーメンを食べた。850円なり。いまの自分には大きな金額だ。でも、神様、お許しください。あのラーメンを食べることくらいしか楽しみを見つけられなかったのですから。『天神屋/特製ラーメン』今週の土曜日に例の高1時代のクラス会がある。私は出席をすることを断念し、さとちゃんにメールを入れた。本当は出席したい。気持ちはあるのだが体がついていかん。残念だ。I君にも一応メールを入れといた。なんか各方面にごめんなさい!とわびて逃げたいな。そういえばA社からも離職票が届いていた。私は28日に退職したので30日までの不足分を請求されるものと覚悟していたが、それはなかった。A社の退職とうつ病の悪化。どちらが先かわからぬが、これが今回の大うつ病のきっかけにはちがいない。おととい買ったCD、『Galaxie500/IN FIRE』はなかなかいいアルバムであった。うつ病にいい音だ。
2008年12月18日
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今日は激鬱の中、なんとか9時過ぎに離床することができた。シャワーは浴びない。下着は替えた。なんとなく尿臭がしたもので。秋葉原まで電車でいくかクルマを使うか、考えた結果クルマにした。電車はおっくう。10時半頃にクリニックに着いて、診察より先にアナフラニールの点滴をやってもらった。診察は2分程度。現在の自分がとっても悪いこととだけ述べて、年内はしばらくおとなしくすることとした。そして、とうめんの間、点滴を毎日することとなった。診察を終えると、腹が減った。とにかく食欲だけは異常にあるのだ。ヨドバシカメラの8階に行き、ペッパーランチでランチを食べる。なんか量が足りなかった。もっと食べたい。大盛りにするべきであったと反省しつつ、また、油っぽい口の中をさっぱりさせたかった。それでサーティーワンへ入店。りんごソルベの大玉を注文した。これが450円もした。ペッパーランチでちゃんと食べるべきだったのだな。結局お昼に1000円以上使ってしまった。アイスを食べた私はヨドバシカメラのゲーム機器のフロアへと行く。wiiを昨年の今頃購入したが、いまだ未開封。wiiフィットがそのまんま。せっかく買ったwiiなので、おもしろそうなソフトを見つけてゲームにはまってみたいと思った。しかし、フロアに5分いるだけでたいへん疲労を感じ、購入はやめた。DSだったら買ったかもしれない。とにかくゲームはいまの自分には無理だった。7階のタワーレコードへ行く。そこでギャラクシー500の『オン ファイアー』を購入した。ギャラクシー500って、今まで、まったく聴いたことがなかった。ノイジーなハードロックだと勝手に思って、クルマの中で聴いてみると、なんだ、このトロンとしたサウンドは!ものすごいローテク!ニューオーダーですらこれと比べると上手だ。ギターはギブソンの335だろうか、リバーブだけが甘くかかったノンエフェクトな音。すごーくもったりしたタイム感。ドラムはもたついていつでも置いてきぼりのかんじ。都内の渋滞した道をギャラクシーを聴きながら走れば、イラついてくるのだ。ボーナストラックでニューオーダーのセレモニーがついていた。なかなかいいかんじだ、このもったり感。私は次第にこのもったりサウンドに惹かれるようになった。2600円出したかいがあったかな、ミスったかな。今日のところは保留。【Aポイント+メール便送料無料】ギャラクシー500 GALAXIE 500 / THIS IS OUR MUSIC (輸入盤CD)タグボート:ライブ
2008年12月16日
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今年の紅白歌合戦はパフュームとJEROが目玉と勝手に決めさせてもらった。いや、見ませんよ、紅白なんて。ただ、今度TSUTAYAにいったら、パフュームをレンタルしたいと思うわけですよ、おじさんは。クルマで流して聴くのにちょうどいい。頭の中はからっぽです。暇な方はYOUTUBEで見てください。なかなかおつですよ。おっさんがパフュームの曲に合わせて踊っているビデオがYOUTUBEにあるんだけど、たいしたもんだな。何曲もあるの。この情熱を別の方向に向けられないものかとも思うが、まあいいか。おっさんが踊るポリリズムお口なおしに女の子で女の子がいっぱいで踊る
2008年12月14日
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本日もほぼ1日、寝たきりなり。夢を見てすごす。アナフラニールを1回75ミリ飲んでみたら、ひどい立ちくらみが起こった。やはり1日150ミリくらいにしておくほうがよいようだ。今日で寝たきりになってから10日ほどたった。通院できるくらいに早く回復したいものだ。点滴を10日くらい行いたいな。そうすれば、退職したときくらいには戻るであろう。ふと、N病院のことを思い出す。みんなどうしているかな。2008年の私はその半分を精神病院で過ごした。親父と別居してみるのが目的だったが、2度も入院して結局、うつ病は治っていない。入院したからってうつ病は治らないんだな。三度目の入院はない。ないが、気になるところはある。病院の喫煙室。暇をもてあました輩が検温を終えてやってくる9:30.もしも私が顔をだせば(仕事はどうしているか?)という話になって1ヶ月で辞めてしまったことが明らかになる。(やっぱりな)という反応が少なからずあって、もしも入院すればその日から彼らの社会に溶け込んでしまうことだろう。2ちゃんねるのメンタルヘルス板に『一生を精神病院で過ごす』というスレがあるが、本気で考えている人がけっこういらっしゃる。生活保護になって、お金を管理されながら一生を病院で過ごす。ちょっぴり甘い誘惑がある。でも、まだ、それを考えてはいけないだろう。生活保護の人を助けていた自分が生活保護を受ける身になるかもしれぬとは。N病院で一生を終えられるならば、多くの苦悩より逃れられることができるだろう、金の心配がなくなるし、カロリーも管理されて適正体重に近づくだろう。血液検査の結果もよくなるだろう。食欲については時々、1.3キロ先のローソンで済まし(主に菓子パンとおにぎりだろう)、月に一回ほど駅までいってマックやラーメン屋に入ることもできるであろう。タバコは吸わない私だが、他の患者とのコミュニケーションのために真似事を始めるかもしれない。10年単位の入院って社会的に死を意味するな。
2008年12月12日
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辞表を出したのが11月28日。あの行為は正しかったのか、いけなかったのか、いまだに堂々巡りの思考から離れられない。そりゃ、いきなり会社をやめるってことは社会の常識から離れている。副施設長にも責められた。でも、ぎりぎりだった。県にケアマネジャーの登録をする予定が11月10日。その日にに私はじぶんをケママネとして登録しないでくれといって保留させた。主な理由は足浴というサービスが介護保険上適切でないと思ったからだ。生活への課題にならんもんね。足浴を介護保険で提供するのは正しくないと主張する私。だが、味方は一人としていなかった。足浴そのものを否定するつもりはない。そりゃ気持ちいいと思う、だが、それはたとえばはりやお灸で気持ちいいと思うのと同じ。自費で請求する分にはなんの反対もない。そのあたりの見解について、私の考えを肯定するものが一人としていなかった。本社の介護課長と私の上司となる管理者は、私の言い分について十分にわかっていたが、声を出さずに終わった。私の上司となっていた女性は50歳のケママネだったが、頼りなかったな。なんというかスキルが自分のほうがずっと上だということがわかる。10日の日に私が「明日、辞表を出す。」といえば、それで上の人にも少しは伝わるかもしれないといった。でも副施設長と二人で私と対峙するときにはまったくそんなそぶりは見せなかったな。11月11日。私は会社を休んだ。職場放棄だ。辞表を出す気持ちでいたが、なんとなく自宅でずっとこの件について考えていた。で誰かに意見を聞きたいと思って、私はT田に連絡した。T田はもと私の相棒で美人の社会福祉士である。美人かどうかはどうでもいいか。T田は「世間はせまいですよ。会社を休むというのはよくありません。」とまっとうなことをいって私を諭した。彼女の意見はいつでも正しいのだ。私は考えを軌道修正して、本日は(11日)会社を休んだが、「翌日からは心を入れ替えてがんばります」と副施設長へ連絡した。今思えば、これに無理があった。己の考えを引っ込めたのだが、結局、足浴や他の身体介護についての見解の相違は解消されたわけではないのだ。私は1ヶ月間、現場の仕事を経験することになった。これがやはり私にとってよくなかった。体力や気力がついていけなかったのだ。表面上はがんばったが、顔から妙な汗が噴出し続くし、ほとんど実習生という立場は、プライドが傷ついたかもしれない。朝、会社に出勤して己の椅子がなく、2台のPCにも『だれだれ用』とわざわざ紙が張られていたのを見て、副施設長の本気度がわかった。私はじぶんの席のそばにいってはいけないことになった。ケアスタッフの机にしかいってはいけないのだ。でも不思議と屈辱は感じなかった。2台のPCはプレッシャーの元だった。そんなわけで私は実習を受けたのだが、その日にどんなことをするのかわからないことはストレスの元だった。また、勝手にケアプランを操作するヘルパーステーションの人間の下で指示を受けるという図式は、ケアプランを私のハンドルにおくことができないことを表していた。私は2週間ほどで気力がつきた。けっこう頑張ってはみたのだが。
2008年12月10日
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じつはうつ病が大きくぶりかえして寝たきりでいる。ここ1ヶ月ちょっとブログの更新が途絶えたが、それは日々変化する精神状態を逐一記録することに疲れ、また病気にもよくないと思ったからだ。それにしてもいろいろあった。11月1日から社会復帰したA社。そのグループは名の知れた大企業だ。介護ビジネスには後発の企業だが、資本力と中途採用者の使い方がうまく、アントレブレナーの気風もある会社だった。私はA社にケアマネジメントの魂を売ったつもりでした。A社は住宅型有料老人ホームを展開しているのである。ここから先はちょっと専門的になるが説明が必要だ。私が勤めた老人ホームは有料老人ホームで、それは特別養護老人ホームとはちがって桁が違う料金がかかるお高い施設だ。入居するのに850万から1500万円くらいかかり、そのほかに毎月の料金が25万円から35万円くらいかかってしまう。人生の勝利者のみが受け取れるサービスである。通常の有料老人ホームは「介護付き」と呼ばれて介護保険上もその人の介護度にあわせて丸めで費用を請求できる。部屋の格が同じならサービス利用料は同じだ。まあ、どなたも一様のサービスを受けることができる。増加する有料老人ホームなのだが、厚生労働省が総量を規制しだしたのである。「介護付き」のお墨付きをなかなか与えないようにした。そこで「住宅型」と呼ばれる有料老人ホームができ始めた。住宅型有料老人ホームに介護というサービスはついてこない、位置づけとしては集合住宅と同じなのだ。介護保険制度上も在宅介護という形になり、要介護者となればケアマネージャーと居宅介護支援事業所の契約をしてケアプランを立ててもらうことになる。私が所属したのは住宅型老人ホームに併設された居宅介護支援事業所だ。在宅なので利用者はどこの居宅介護支援事業所と契約してもいいのだが、現実は100パーセント併設された事業所と契約させられる。そして併設されたヘルパーステーションのサービスを受けることになるのだ。ここまで書いて、門外漢にはすでにわかりにくいと思った。そうだ、入居する利用者だって、よくわからずにその居宅介護支援事業所と契約しているのだ。それはいい。そんなもんだと思った。私は住宅型の利用者のケアプランを請け負う。そして主にサービスは併設されたヘルパーステーションにサービスを頼む。そこまでは入社する前から心得ていた。しかし、ヘルパーステーションが実質上ケアプランを作っているという現実に適応することができなかった。介護度がついた方は、介護度に応じて区分限度のある点数分のサービスを利用できる。あくまでも区分限度額といって、ケアマネジャーがケアプランを作るにあたっての上限である。住宅型というやつは、誰でも区分限度いっぱいにサービスを組み入れようとするのだ。必要のないサービスが組み入れられることになる。私が引き継いだ3件のケースや新規のケアプランについて、ヘルパーステーションは週三回の入浴日以外の4日間において足浴という名目で身体介護を入れてきた。じっさい足浴は行われる。だが、ケアマネジメントを少しでも理解する人ならば、そのサービスについてエビデンスはなく、よって適切なケアプランとはいえない。ただ法令違反とまではいえないところがずるくてグレーなのだ。A社はそこをついてくる。入浴のない日に、どんどん足浴サービスを組織ぐるみであげてきた。私はそれに待ったをかけた。水虫でもないのに足浴とは、これは介護保険上適切ではない。私はこの点についてまげることができなかった。本人は1割の負担とはいっても残りの9割は公的なお金を使うことになるのだ。ケアマネジャーは高い職業上の倫理観を必要とされる。私はどこをどうがんばっても不適切なケアプランをOKするわけにはいかなかったのである。今日の日記はここまで。
2008年12月09日
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明日から仕事なり。にもかかわらず、わが体調は十分にあらず。朝食後に1時間ほど眠ってしまった。みょうな夢で目を覚ます。こんなことじゃいけない。明日はフルで仕事なのだ。なにかしなきゃいけないぞ、入社関連の書類に目を通して書き出す。年月日は西暦を使用するのだが、たとえば親父の生年月日の西暦がわからない。後で電話をして訊いた。親父をきき、オフクロの年月日もあてはめた。その他、書類チェックシートを参照しながらチェックしていく。保証人の書類やら誓約書やら源泉徴収やら顔写真入りのシートやら。データが多いぞ。こんなに書類があると、これでよいのか不備があるのかもよくわかんないので、一回、見直しをして、もうやめることにした。総務のF子さんに見てもらえばいいや。とにかく、今日、1日を離床して生活しなければ。それでネットカフェにいくことにした。11時から16:30までネットカフェにて過ごす。よって昼食もネットカフェにてちゃちなピザを食べて済ました。これではお腹がすくのだ。夕方、ほか弁を買って自宅に帰った。結局、私はほぼ、『特上カバチタレ!!』を読んで過ごしたことになる。漫画でどうにか過ごせたな。いよいよ明日から社会復帰なんだが、ちゃんとできるかな。土曜日というのはちょっぴり余裕があるな。じつは一件、はらはらすることがあった。私はケアマネジャーの資格者証を紛失したために再発行の手続きをすることになり県まで問い合わせた。その際、私はケアマネの現任研修1のみを昨年終えていたのだが、2の申し込みをしていなかった。それはずいぶん先の話だと思っていたが、県の担当者と話をするのにつれて、私のケアマネの資格が来年の1月21日で失効するかもしれないことがわかった。その2の講習についてだが11月3日に始まるのだな。これを受けないと私の免許は失効する。で、県の介護支援専門員協議会に電話をかけて。3日12日15日の研修に参加できるように頼んだ。いやあ、綱渡りだった。もしも資格者証の再交付の電話を昨日していなかったら、更新のための講習に参加することもなく、免許が失効していた。とにかくケアマネジャーはどこかの会社に所属していないと仕事をすることができなくなるのだ。これって、面倒だ。それに講習料金18000円の徴収はないんでないかい。オレも県のために公的な仕事をするんだし、本来なら県がやるべき仕事なよな。小泉改革の功罪だな。
2008年10月31日
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