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[京 の 季 節 の 花 だ よ り]★四月八日は釈迦が生まれた日。霊山観音では釈尊降誕花まつりがあり、外陣の四隅に花を飾り、釈迦立像を安置した花御堂をしつらえ、誕生会の法要を執り行います。 花御堂には浴盤に甘茶を満たされ、その中に立つ釈迦の誕生時の立像に「甘茶」をかけて徳を偲びます。上部が折れ、小さくなった枝垂れ桜が開花。 手前に大樹の枝垂れ桜。また、花吹雪を肩で感じながら琴の演奏や野点の茶席に楽しむことが出来ます。高台寺から清水にでる道すがら、春に浮かれた人達で賑います。 桜 だ よ り (七日)現在 つ ぼ み・・・二条城、三千院、鞍馬・貴船、城南宮、御室仁和寺、梅宮神社、大野ダム、ちらほら咲き・・・平安神宮、常寂光寺、龍安寺、高 雄、清 滝、妙心寺退蔵院、 五 分 咲 き・・・毘沙門堂、勝持寺花の寺、大原野神社、、石清水八幡宮、笠置山、七谷川、笠松公園、満 開 近 し・・・動物園、哲学の道、府立植物園、京都御苑、、平野神社、清水寺、高台寺、宝が池、嵐 山、天龍寺、勧修寺、醍醐寺、木屋町高瀬川、祇園新橋白川沿い、日向神社、満 開・・・東 寺、円山公園、山科疎水、宇治橋上流、井出玉川、
2017.04.08
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】 ★嵯峨御所とも呼ばれる真言宗大覚寺派大本山の門跡寺院です。 門跡が華道嵯峨流の家元だったことから、嵯峨天皇の命日十五日にいけばな嵯峨流最大の祭典「嵯峨天皇奉献 華道祭」法要献花が行われる。門跡ほか緋袴に身を包んだ女性達が菊を手に行列します。境内に展示される多数の生花も必見。数多くのいけばなを展示する華展をはじめ、年に二回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」、平安絵巻さながらの献華式やお茶席、各種法会など、優雅なたたずまいのなか繰り広げられます。茶席や模擬店も出て、たいそう賑やかです。 ★いけばな発祥の地とされる六角堂(中京区)の「夜の特別拝観」華道家元池坊の池坊専好次期家元らが、境内に花を生けた。約一五〇基の灯籠で照らし出された境内は、約二〇本の桜も咲きそろい、しっとりとした風情に包まれた。特別拝観は、隣の池坊会館などで七日から始まる「春のいけばな展」(一〇日まで、有料)に合わせて二〇一二年から毎年実施している。大作いけばなは、山門や本堂、太子堂周辺に八点置かれている。作品中の老松や花々は、境内を彩る桜や柳と引き立て合い、今回のテーマ「花の力」を伝える。池坊次期家元は、サクラコマチやラナンキュラスなど十二種の花を透明のアクリル板に生け、生命の多様性を表現した。夜の特別拝観は七~九日の午後六~九時。雨天決行。無料。
2017.04.07
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★ライトアップされた夜桜と生演奏を楽しむ「平安神宮 紅しだれコンサート2017」が六日、左京区の平安神宮で始まった。今年で二十九回目。満開の桜をめでながら篠笛やギターやヴァイオリンの調べに酔いしれた。日本庭園の南神苑と東神苑の紅しだれ桜のライトアップされた夜桜と生演奏を楽しむ恒例の東神苑貴賓館をステージに演奏される幻想的な世界のなかで、癒やしの音楽を楽しむことのできるコンサートは優雅に繰り広げられます。会場の東神苑では、ライトアップされた花が栖鳳池に映り、水面が淡い紅色に染まった。会場の東神苑では、光で浮かび上がった桜が池に映り込み、訪れた人たちがくつろいだ様子でゆっくりと散策した。開 催 日 : 二〇一七年四月六日(木)~九日(日)会 場 : 平安神宮 公開時間 : 午後六時十五分~午後九時演 奏 : 一回目:午後六時四〇分~午後七時二十分 二回目:七時五十分~午後八時三十分 (入れ替えせずに回遊式で実施)内 容 : ( 1)ライトアップ(東神苑と南神苑の紅しだれ桜、社殿など) (2)コンサート(東神苑貴賓館)
2017.04.06
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【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】 ★初夏の京を彩る先斗町の公演「百八十回記念 鴨川をどり」(五月一日~二十四日)の衣装合わせが、中京区の先斗町歌舞練場で行われた。華やかな衣装の芸舞妓がプログラム用の写真撮影に臨み、節目の舞台への思いを新たにした。鴨川をどりは一八七二年に始まり、五花街の公演で最多。歌舞練場も開館九十年の節目を迎える。第一部は舞踊劇「源平女人譚(にょにんものがたり)」。平安末期の武将木曽(源)義仲を支える巴御前や山吹ら女性の活躍を描く。第二部は大政奉還一五〇年にちなんだ純舞踊「八千代壽(ももやちよはなの)先斗町」。花をイメージした六景で幕末をあでやかに表現する。各日午後〇時半、同二時二〇分、同四時一〇分の三回公演。 ◆観覧料 茶券付特別席:四八〇〇円、特別席:四二〇〇円、普通席:二三〇〇円
2017.04.05
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★上京区・護王神社で「護王大祭」が営まれる。祭神・和気清麻呂の命日(旧暦)の祭典です。和気清麻呂が道鏡の企みを防いだという故事が祭事に現れています。中国の伝統舞楽で、我が国の発展を朝日が立ち昇る様に例えて宮司が舞う「朝日の舞い」が神社で奉納されるのは非常に珍しい事だそうです。 ★真言宗の開祖、弘法大師空海ゆかりの東寺(南区)、仁和寺(右京区)、神光院(北区)の三カ寺がかつて四国八十八カ所霊場へ旅立つ前に参拝したと伝わる「京都三弘法まいり」を二〇一三年から復興させた。記念法要を東寺で営み、朱印帳や木札を新調して授与を始めた。 三法まいりは江戸中期に始まったとされる。東寺で菅笠(すげがさ)、仁和寺で金剛杖(づえ)、神光院で納札箱を調えて四国霊場へ出発し巡礼後にお礼参りする習慣があった。初詣でもにぎわったと伝わる。明治時代以降に衰退し、今ではほとんど見られなくなったと霊場巡りの新設や復興が相次ぐ中、三カ寺は、空の教えに触れて心豊かに暮らしてもらおうと復興を進めた。伝承に合わせて菅笠と金剛杖、納札箱を描いた木札(各二〇〇円)を新たに作った。各寺院で求めた木札を「満願証」(一〇〇円)とセットにして専用ケースに入れられる。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] 桜 だ よ り (三日)現在 つ ぼ み・・・円山公園、動物園、平安神宮、哲学の道、府立植物園、二条城、宝が池、三千院、鞍馬・貴船、高 雄、清 滝、城南宮、妙心寺退蔵院、勝持寺花の寺、大原野神社、、大野ダム、七谷川、ちらほら咲き・・・清水寺、高台寺、嵐 山、常寂光寺、醍醐寺、木屋町高瀬川、祇園新橋白川沿い、天龍寺、東 寺、日向神社、宇治橋上流、向日神社、石清水八幡宮、笠置山、井出玉川、笠松公園、 五 分 咲 き・・・京都御苑、、平野神社、
2017.04.04
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★黄檗宗万福寺の開祖・隠元(一五九二~一六七三)の遺徳をしのぶ「開山祥當忌」の法要が毎年命日に当たる三日に営まれる。(今年で三四四回目)。 同寺は一六六一年、禅宗を広めるために渡来した隠元により、中国・福建省にある万福寺を模して開かれた。 明朝様式の建築物が立ち並ぶ境内で、約三十人の僧侶らが、開山堂に入堂。禅師像に供えられた色鮮やかな祭壇の前で、鐘や太鼓に合わせた中国語の発音による読経が響いた。★左京区の法然院で一日から、本坊内を公開する「春季 伽藍(がらん)内特別公開」が始まった。 参拝者は、重要文化財のふすま絵や名物のツバキを鑑賞しながら静謐(せいひつ)な雰囲気を堪能していた。特別公開は毎年四月と十一月に一週間ずつ実施している。四月はツバキの開花時期に重なり、毎年二千人以上が訪れるという。 一六八七年に伏見桃山城から移されたふすま絵は、狩野永徳の次男孝信の作とされ、関西学院大の学生ボランティアが由緒や見どころを説明してくれる。ツバキは今年はつぼみが少ないという。 七日まで。午前九時半~午後四時。文化財保存協力料五〇〇円が必要。
2017.04.03
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月二日、国の重要無形民俗文化財「嵯峨大念仏狂言」の春季定期公演が始まった。 鎌倉時代中期・一二七九(弘安二)年に始まったとされる素朴な無言劇。 鎌倉時代に融通念仏を広めるために円覚上人が生別した母に巡り会いたい一心に始めた無言劇が、嵯峨狂言の始まりといわれている。 清涼寺の裏には彼の墓があり公演前には多くの人が墓参に訪れます。 嵯峨狂言は壬生大念仏狂言と千本えんま堂大念仏狂言をあわせて京都の三大念仏狂言の一つでもある。三月にも催される。 鐘や笛のゆったりしたリズムにあわせて定番の三演目を上演。「花盗人」は、サクラを盗まれた主人と従者、泥棒にそれぞれ扮した三人の喜劇。失敗を重ねて、主人に怒られてばかりの従者のこっけいな姿が笑いを誘う。 八日(土)・九日(日)の両日もそれぞれ午後一時半から三回、別の三演目が披露される。 靈宝館の特別公開も実施。四月一日~五月三十一日まで。 ★五穀豊穣や家内安全の願いを弓矢に託す伝統行事「お弓祭」が二日、北区衣笠のわら天神で営まれた。 境内で参拝者が見守る中、弓場で、弓矢の受け渡しの儀式が行われた後に、矢を東西南北に射て邪気払います。 弓場を祓い清めた後に、烏帽子姿の氏子により的に矢が射たれます。 安産祈願で知られる同神社に伝わるお弓祭は、氏子たちが弓を射る作法を代々受け継ぎ、毎年四月の春季例大祭に営んでいる。 本殿での神事の後、黒い装束の射手六人が弓場に登場、先導者が竹の矢を四方へ放ち、邪気を払って弓場を清めた。 射手たちは二人一組で順番に座を立ち、約二十メートル先の大きな的を狙って弓を引いた。見事に矢が的に当たると、大きな拍手が沸き起こっていた。★松尾大社・例祭 祭神・醸造祖神は醸造の神で、一年の中でも最も重要なお祭です。 祭典の後、茂山社中の狂言奉納と金剛流社中の謡曲奉納があります。 ★北区・上賀茂神社で土解祭(とげさい)が営まれる。 土解とは、春の日差しにより土地が作付けに適してくる事を云います。この時期に土の災いを祓い、その年の豊作を祈念する大事なお祭です。 特殊な卜占にてその年に蒔く稲種をきめ、お祓いをします。★「鈴虫寺」の愛称で親しまれている西京区の華厳寺で二日、子どもたちの健やかな成長を願う「お稚児行列」が行われた。 鮮やかな衣装で着飾った近隣の子ども約五十人が、満開の桜の下、周辺を練り歩いた。 釈迦(しゃか)の生誕を祝う八日の花祭りを前に、毎年開いている。
2017.04.02
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★今年も京都の春がやってくる。第百四十五回 「都をどり」、四月一日より開幕 都をどりは、明治維新の東京遷都に伴い開かれた博覧会の「附博覧」として明治五年(一八七二)に創演され、今年で百四十四回の年輪を刻んで来ました。「都をどりはヨーイヤサー」のかけ声と共に春の到来を華やかに告げる古都の風物詩。出し物は、その年の干支や記念にちなんだ京舞で、井上流家元・井上八千代さんの振り付けで踊られます。幕が上がると、「都をどりはヨーイヤサー」の挨拶を兼ねたかけ声とともに、上手と下手の舞台両側の花道から、振り袖に花うちわを手にした芸舞妓二十名が、次々に艶やかに登場。今回の演目は春秋座の場所にちなんだ「洛北名所逍遥(そぞろあるき)」。貴船の川床や鞍馬山の牛若丸の伝承などを題材に計六景を披露する。フィナーレは、洛北から歌舞練場に場面が移り、しだれ桜を背景に総踊りで締めくくる。 【2017年の演目】「洛北名所逍遥(そぞろあるき)」。 全六景第一景: 置歌(銀襖)-長唄-第二景: 貴船川床納涼(貴船川)別踊長唄-第三景: 鞍馬山牛若兵修行(鞍馬山)-別踊 浄瑠璃-第四景: 圓光寺錦紅葉(圓光寺)-長唄-第五景: 寂光院懐旧雪(寂光院)-別踊 長唄第六景: 甲部歌舞練場盛桜(甲部歌舞練場庭園)-長唄-期 間 四月三十日まで 会 場 京都造形芸術大の劇場「春秋座」開 演 十三時〜、十四時四十五分〜、十六時半〜観覧券 四千八百円 (茶券付特等指定席)・三千六百円(一等指定席) ※祇園甲部歌舞練場は耐震工事に向け休館中のため、今年は京都造形芸術大学の春秋座での公演となりますが、期間中は歌舞練場の庭園を特別公開します。庭園の入場は有料ですが、公演チケットがあれば無料となります。 ★宮川町の舞踊公演「第六十八回京をどり」が四月一日から十六日まで、宮川町歌舞練場で行われる。芸舞妓六十人が出演し、今回は「月華抄一新版竹取物語一」の演題で全九景が披露される。月をテーマに、竹取物語なども織り交ぜながら、ドラマチックで華麗な舞踊絵巻を披露する。内容は、第一景から第四景までは、竹取物語。竹林に月の光が差し込み、一本の竹の根本が輝き美しい女人たちが現れる場面から始まる。その他にも、あでやかな黒紋付姿の芸妓衆による第五景:「百年の寿」やかっての港町のにぎわいをダイナミックに表現した第六景:「風流宮津節」など雅な郡舞など見どころ満載。第八景では金閣寺など京都の名所を舞で表現する第八景:「名花の花舞」、第九景では夕闇にかかる京の月を背景に、芸妓、舞妓たち総踊りの宮川音頭で華々しくフイナーレを迎える。料金 一等席券 四二〇〇円、 一等席券・茶券付 四八〇〇円 二等席券 二二〇〇円、 二等席券・茶券付 二八〇〇円 ★左京区百万遍の浄土宗大本山知恩寺で一日、「春の特別公開」が始まる。御影堂や釈迦堂など九棟が重要文化財に指定されたことを記念し、内部を公開する。寺に伝わる中国・元時代の「蝦蟇鉄拐(がまてっかい)仙人図」(重文)も展示する。知恩寺はかつて相国寺(上京区)付近にあり、江戸初期に現在地に移った。九棟は境内の荘重な雰囲気を形成し、近世浄土宗寺院の特徴を理解する上で歴史的価値が高いとして今春、重文に指定された。特別公開では、通常非公開の釈迦堂や阿弥陀堂の内部が拝観できる。いずれも天井が高く、「塼(せん)」と呼ばれるれんが敷きで禅宗様式の特徴を持つ。蝦蟇鉄拐仙人図は絵師顔輝の作で、道教の仙人が写実的に描かれた縦一メートルを超す一対の傑作。弁財天が描かれた仏涅槃図(重文)や、快慶作と伝わる阿弥陀像なども並ぶ。特別公開は三日まで。拝観料千円。★伏見稲荷大社・献花祭池坊社中の奉仕により、神前に花を供えて華道隆昌を祈ります。
2017.04.01
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【京 の 季 節 の 花 だ よ り】「今年の京都のサクラの開花宣言は三月三十一日」 京都地方気象台は三月三十一日に京都市内で、桜(ソメイヨシノ)の開花宣言があった。平年より三日遅く、昨年より八日遅い開花宣言となった。 二条城内の標本木で、開花宣言の目安となる五、六輪の花を確認した。 同気象台によると、今冬は三月中旬ごろまでは平年並みの気温の日が多かったが、それ以降は冷え込みが続いたためつぼみの成長が足踏みしたことが、例年より開花が遅れた理由とみている。この日はあいにくの雨模様となったが、標本木のある二条城では、前日の陽気のなごりでつぼみがほころんだ。同気象台の職員が午前一〇時に訪れ、開花の基準となる五輪より多い六輪の花が咲いているのを目視で確かめた。 一般的に満開になるのは開花から五~八日後といい、市内では来週末を見込んでいる。桜花爛漫、京の桜名所ご案内(市街地中心部限定) 桜の開花は「花十日」と言われるほど期間はほんの僅か。さくらスポットのなかでも気軽にぶらりと散歩気分で立ち寄れ、ライトアップされた咲き競うサクラを満喫できる市内中心部を順次ご紹介します。 ∞∞ 日本に京都があってよかった ∞∞京都では華麗に咲き誇るサクラの時期に併せて、さまざまな桜まつりが行われる。 美しい桜と優雅な祭典を同時に楽しむことが出来る絶好の機会。 桜 だ よ り (三十一日)現在 つ ぼ み・・・円山公園、動物園、平安神宮、哲学の道、府立植物園、二条城、平野神社、清水寺、高台寺、宝が池、三千院、嵐 山、天龍寺、常寂光寺、鞍馬・貴船、高 雄、清 滝、城南宮、山科疎水、毘沙門堂、醍醐寺、勧修寺、龍安寺、御室仁和寺、梅宮大社、妙心寺退蔵院、勝持寺花の寺、大原野神社、、東寺、木屋町高瀬川、祇園新橋白川沿い、日向神社、平野神社、醍醐寺、宇治橋上流、笠置山、井手玉川、大野ダム、平野神社、醍醐寺、宇治橋上流,ちらほら咲 き・・・石清水八幡宮、五 分 咲 き・・・京都御苑、
2017.03.31
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★晴れ間に恵まれた二十九日午後、左京区の鴨川左岸沿いにある桜並木で、ソメイヨシノが開花し始めた. ★京都市内で桜のつぼみがほころび、本格的な開花の時季を迎えようとしている。市内の最高気温は三十日、四月中旬並みの二〇・八度まで上がり、春本番の陽気となった。桜の名所では早咲きの品種が花を付け、観光客らがソメイヨシノの開花を心待ちにしている。約四〇〇本の桜が植わる北区の平野神社ではしだれ桜「魁(さきがけ)」が三分咲きとなり、昨年より一週間ほど遅く、三日ほど前から花を付け始めた。
2017.03.31
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山区・清水寺の「春の夜間特別拝観」とライトアップが始まった。つぼみをつけた桜の木や清水の舞台が、夜空に浮かぶように照らし出された、夜景と荘厳な寺院建築が幻想的なコントラストを描いた。境内には約五百基の照明が設置されている。まだ梅の花が残っており、桜の開花は例年と同じ三月下旬の見通しという。ソメイヨシノとヤマザクラが計約千本ある。重厚な姿を見せる本堂や、鮮やかな色彩が施された子安塔(重文)や夜空に九輪を伸ばした三重塔(重文)には、山から伸びる青いサーチライトが彩りを添えている。夜間特別拝観は三月二十五日~四月九日の午後六時半~九時半。拝観料は大人四百円、小中学生二百円。 一九九二年から続く恒例行事。清水寺によると、ソメイヨシノやヤマザクラなど境内の約千本の桜は三十日ごろから開花し始め、四月初めにかけて見頃を迎えそうだという。 [お知らせ]★京都の春の風物詩として人気の東山区の白川沿い(川端~花見小路)の恒例「祇園白川さくらサクラをラトアップ」が今年は諸事情により中止されることになった。
2017.03.29
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★壬生菜の発祥地から京都の食文化の魅力を発信しようと、壬生寺で二十七日、「三二七一(みぶないち)法要祭」が初めて営まれた。本堂の祭壇に壬生菜が供え、貫主の導師で法要を実施。読経が響く中、京野菜のさらなる活用と地域振興を祈願した。境内では、壬生菜の即売や漬物の販売も行われ、壬生菜を使った味噌汁が振る舞われた。壬生寺は壬生菜にゆかりのある寺として、七二三一法要祭は来年以降も三月二十七日に実施していく予定。
2017.03.28
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★舟の上から夜桜をめでる「岡崎桜回廊ライトアップ&十石舟めぐり」夜桜運航が左京区の琵琶湖疏水で始まった。かすかに咲き始めた四〇〇本以上の桜が夜桜に浮かび上がった並木が水面(みなも)に映え、観光客らが一足早く春の風情を楽しんだ。場所によっては手が届く近さまでせり出して、情緒ある光景を楽しめる。京都府旅行業協同組合や市などでつくる実行委員会が毎年実施。琵琶湖疏水記念館前から夷川ダムまでの桜約四〇〇本を照らし、二十五分かけて往復する。十石舟の夜桜運航は今年で六回目。三月二十五日~四月九日の午後六時~八時半。夜間運航は四月九日まで、昼間は五月七日まで。 ★京都・伏見の港町として栄えた伏見の街の水辺風景を巡る、江戸時代の木造船を再現した十石舟の今季の運航が、三月二十五日、伏見区の宇治川派流と壕川で始まった。今年で二十年目を迎えた。当時の名残を漂わせる木造船で、サクラやユリヤナギの並木を水面から眺め、酒蔵の白壁が続く景色に見入り、歴史情緒ある伏見を巡る水上遊覧を満喫できる。十石舟(定員十八人)は月桂冠大倉記念館裏の乗船場から、三栖閘門のある伏見みなと広場までの往復約五キロ開門資料館見学を含め五十五分で巡る。舟は柳に彩られた酒蔵の白壁をゆらりと進み、のんびりとしたひと時を満喫できる。運航は十一月末まで(月曜休)中学生以上大人 千円 : 小学生以下 五百円。毎日午前十時~午後四時二〇分に二〇分間隔。一日十八便。四月中頃までは夜桜ライトアップを楽しむ夜間運行がある。三十石舟は四月一日から五月七日の土・日・祝日に運航。寺田屋浜乗船場から三栖校門を往復する約四十分。一日六便。 ★小野・随心院は正暦二年(九九一)に創建された真言宗の門跡寺院。宮仕えを終えた小野小町がこのあたりで余生を送ったことから小野小町ゆかりの寺としても知られている。毎年三月最終日曜日(今年は二十六日)、春の恒例行事、平安時代の小野小町をしのんで、深草少将の恋の伝説にちなむ「はねず踊り」が、薄紅色を意味する「はねず」色の小袖をまとった子どもたちが愛らしい舞を披露した。はねずとは、昔の言葉で梅花の薄紅色(白色を帯びた紅色の古色名)を意味し、院内に咲く梅の花も同名で呼ばれ、古くから親しまれている はねず踊りは、平安期、小町を慕う深草少将が百夜通いの誓いを立て、はねずの咲く小野の里に毎晩通い続け、百夜を前に残り一夜というところで疲労に加え大雪に見舞われたことから病に倒れて亡くなった、との伝承に基づいて始まったという。 梅の花にちなむ薄紅(ハネズ)色の小袖をまとい、編み笠に紅梅の枝を飾った地元の女児十六人が小町と少将に別れて「少将さまがござる、深草からでござる」と百夜通いの悲恋の伝説を、わらべ歌を唄いながら雅楽に合わせ、あでやかに優雅な舞いを披露し、観客を魅了する。公 演 午前十一時 : 午後十二時半 : 午後一時半 : 午後三時(四回)拝観料・梅園入場料 千円、 中学生 八百円
2017.03.26
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京の花街の春の舞踊公演のトップを切って、三月二十五日より「第六十五回北野をどり」が上七軒歌舞練場で開幕する。全三部構成で、期間中、芸舞妓二十六人が出演する。【2017年の演目】 一、舞踏劇 「ゑにしの宮 末はひとつになる物語」(歌舞伎仕立ての舞踏劇で、江戸時代の縁結びの神社を舞台に、身分の違う若い男女の恋物語をします)二、純舞踊 「旅情ところどころ」(東北や九州、四国に伝わる民謡や伝統行事を題材にした多様な踊りと音楽を披露します)三、フィナーレ 「上七軒夜曲」恒例の総踊りで、黒裾引きの芸妓と、多彩な衣装の舞妓がそろい、あでやかな舞でフィナーレを飾った期 間 四月七日まで。開 演 午後一時半、 四時、場 所 上七軒歌舞練場入場料 (お茶席券付) 四千八百円 (お茶席券なし)四千三〇〇円 ※学生 二千五百円(お茶券付、当日窓口にて学生証提示) ★ツバキの名所として知られる左京区鹿ヶ谷・霊鑑寺では、四月十日まで春の特別公開が始まった。臨済宗南禅寺派に属し、一六五四年、後水尾天皇が皇女を開基とし創建した。二百点の皇室ゆかりの寺宝が残り、石組に特徴のある江戸中期の作庭手法を用いた庭園がある。五十種類余りのツバキが色鮮やかに咲き誇る中、尼門跡寺院の静かな雰囲気を堪能できる。明治維新まで代々門跡を務めた皇女や皇孫女が、ツバキを好み増やしてきたという。境内では、創建されたころに植裁されたといわれ、花びらのように見える赤い雄べしが円形にまとまった、京都市の天然記念物「日光椿」をはじめ、「肥後椿」や「衣笠」などが満開で、赤や白、淡いピンクなど多彩な色の花が周辺の新緑に映えている。例年なら四月中旬以降に開花する遅咲きの「黒椿」も早や濃いエンジ色の花を付けている。しだれ桃や桜などの花と競演するかのように咲いているツバキもあり、庭園は鮮やかな色でうまって、枝から落ちる椿の音が聞こえるほどの静けさです。表門、玄関、書院、本堂などの特別公開は四月七日まで。 拝観料 五百円。 【京 の 季 節 の 花 だ よ り】 ★京の春、桜の季節から新緑にかけての観光名物。琵琶湖疎水で明治時代に物資や旅客の輸送に活躍していた木造和舟の再現で運航する「岡崎さくら・わかば回廊十石舟めぐり」が、咲き始めたサクラの下、琵琶湖疏水をゆらりと三月二十五日から五月八日まで毎日、琵琶湖疎水記念館前から動物園畔を夷川ダムまでの一.五キロを往復、約三十分間の船旅を、船上で両岸に並ぶ約四百本のソメイヨシノを見上げ、ピンクに色づく三分咲きのサクラに見とれながら、当時の面影が残る疎水べりの景色をゆったりと楽しみながら、京の春の風情が満喫できます。午前九時半から午後四時半まで十五分ごとに約二十九便運航。定員は一回につき十二人と二十四人乗りの舟が巡行する。(予約や時間指定は出来ず、当日乗船場で先着順に乗船券が発売される)。大人(高校生以上)千円:小人(小・中学生)五百円※この辺り一帯は、この時季桜花爛漫・春色満開と京都でも屈指のサクラの名所で、ソメイヨシノ約一千本が咲き誇り、疎水畔の散策では水路からも陸路からも壮観で、素晴らしい光景です。
2017.03.25
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★世界遺産・二条城で重要文化財「東大手門」の修理が完成し、二十二日に披露式典があった。春の観光シーズン本格化に合わせて、正門の装いを新たに観光客を出迎えた。東大手門は、一六二六(寛永三)年の後水尾天皇行幸時に原型が整えられ、一六六二(寛文二)年に現在の二階建ての櫓門(高さ十三・五メートル)になった。二〇一四年から六十四年ぶりとなる全面的な修理に入り、入退城口は約四〇〇メートル北西の北大手門に変更していた。修理費は四億七一〇〇万円。金箔(きんぱく)や墨で彩られた唐花模様などの「錺(かざり)金物」が輝きを取り戻し、午前八時四十五分に開門され、観光客たちは門を眺めながら入城した。門前には、二条城が舞台となった大政奉還から一五〇年をアピールする記念パネルも並べられた。
2017.03.23
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★上京区・大報恩寺(千本釈迦堂)で二十二日、恒例の「千本釈迦念仏(遺教経会)ゆいきょうぎょうえ」が営まれ、釈迦の遺徳を偲んだ。 二代目住職の如輪が七百数十年前、室町期に始められたという念仏は、「大原声明千本式」と呼ばれる独特の念仏で、十三世紀半ばに吉田兼好の「徒然草」にも記される伝統行事。 本堂では智積院から五十人の僧が出仕し、釈迦の最後の教えをまとめた「遺教経」をわかりやすく訓読みし、独特の節回しで念仏を唱え、参拝者が声を合わせて「ナムシャカムニブツ」と唱和して、釈迦の遺徳を偲び、先祖に感謝し家内安全を祈った。 本堂内には僧侶が歌唱する声明が流れ、その中で鎌倉期の本尊釈迦如来像(重文)と、同時に年に一度の涅槃図の特別公開もある。
2017.03.22
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★三連休で京都市内は穏やかな春の日差しに恵まれ、観光名所は多くの人でにぎわった。東山区の青蓮院では江戸期に後桜町上皇が使った茶室「好文亭」の特別拝観が始まった。ツバキの生け花や掛け軸などが飾られた空間で、観光客らがお茶のお点前を楽しんでいた。好文亭は、天明八(一七八八)年に御所が大火で炎上し、後桜町上皇が青蓮院を仮御所にした際、主に学問所として使ったとされる。明治期以降は茶室となったが、一九九三年に再び焼失し、その後、江戸期の数寄屋造りを再現した。茶室がある庭園では遅咲きの梅が満開を迎え、観光客が散策を楽しんでいた。お茶のお点前は、月釜の茶会「青蓮会」の師範や弟子らが行った。来場者は、日本画家の上村淳之さんが描いた花鳥図のふすま絵や、「梨花一枝春」と書かれた掛け軸を鑑賞しながら、抹茶と和菓子を味わった。好文亭の拝観は五月五日までの土・日と祝日に実施。 ★京一番の繁華街・新京極のど真ん中にある誠心院(和泉式部寺)で、平安時代の代表的女流歌人の和泉式部を偲ぶ「和泉式部忌」と「春のお彼岸法要」が毎年、命日にあたる三月二十一日に合わせて営まれる。 誠心院は、藤原道長の娘・彰子に仕えた和泉式部に対して、道長が自身の建てた法成寺の庵を与えた事に始まり、初代の住職を務めたと伝えられる。本堂では、法要に先立ち、和泉式部ゆかりの謡曲で時宗開祖の一遍上人の前に和泉式部の霊が現れる「誓願寺」と、式部がめでた梅にまつわる「東北」の二曲が奉納され、境内に響く中、「情熱の歌人」と呼ばれる和泉式部に思いをはせた。 寺では、式部の尼僧姿の掛け軸や、晩年に仏法を求めて旅した様子を描いた絵巻物「和泉式部縁起」などの寺宝が展示され、参拝者が熱心に見入っていた。
2017.03.21
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★狂言の茂山千五郎家による定期公演「茂山狂言会」の五十周年記念公演が十八日、上京区の金剛能楽堂で開かれた。半世紀前の初回のプログラムと同じ演目を、千五郎家の狂言師が総出で上演し、節目の舞台を祝った。 茂山狂言会は一九六七年四月にスタート。当時、能の会とは独立して、狂言の家が定期公演を持つことは画期的だった。以来、おおむね毎年春と秋に開かれ、大曲や珍しい曲に挑む晴れの舞台として、狂言ファンに親しまれている。★東山区泉涌寺塔頭・即成院で三月十九日、春の彼岸法要が行われる。ぽっくり寺とも言われ、長患いしないという御利益で知られ、壇の浦の戦いで弓の名手といわれた那須与一公のお墓があります。 源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております即成院とは即、成就するの略なのです。
2017.03.19
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★北区大徳寺塔頭・大仙院で三月十七日、千利休と関わりの深かった三代古渓和尚を偲ぶ古渓忌が営まれた。 功績をたたえ、参拝者たちに茶室にて薄茶が振る舞われた。一般の見学者も自由に参加できます。 古渓和尚は、利休の禅の師として知られている。毎年この日に、非公開の茶室「ヵ亭」で遺徳をしのぶ茶会を開いている。古渓和尚の暑の掛け軸が飾られた茶室では、茶道裏千家社中がお手前を披露し、厳かな雰囲気の中で参拝者が薄茶を味わった。 古渓和尚をはじめ歴代住職の墓も公開され、本堂は禅宗の方丈建築としては最も古い遺構の一つで国宝、庭園は枯山水を代表する石庭です。★彼岸の入りの十七日、京都市内の墓地には、朝から墓参りの人たちが訪れた。 晴天に恵まれた中、墓前に線香を立て、墓石に水を掛けて静かに手を合わせ、故人や先祖をしのんだ。 東山区の大谷本廟(びょう)(西大谷)では、浄土真宗の根本をなす言葉「念仏往生」の花文字が飾られた。境内には屋外に約一万三千基の墓と、屋内に三万二千基の納骨堂があり、訪れた人たちは仏殿にお参りし、墓に花やシキビを供えた。 二十三日までの彼岸の期間中、八万人の参拝を見込んでいる。
2017.03.17
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で三月十五日、釈迦が入滅した日に遺徳を偲ぶ「涅槃会」で披露される重要無形民俗文化財の「嵯峨大念仏狂言」が、狂言堂で特別公演される。 夜には涅槃会法要の後、釈迦涅槃の荼毘(だび)を暗示する伝統行事で、京都三大火祭りの一つで春の到来を告げる、「お松明式」が営まれる。お松明式は、逆三角すい形に組んだ高さ約八メートル、直径約二.五メートル松明が三基あり早稲、中稲、晩稲に見立て燃やし、それぞれの火の勢いでその年に豊作になる稲を占う伝統行事で、起源は不明だが江戸時代には行われていたという。 材料は赤松の枝とフジのつる。材料探しや松明作りは感覚的な要素が多く、後生に残せるよう経験を伝えることに苦労している。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] 《今日現在の梅だより》 (十五日)五分咲き・・・随心院、 七分咲き・・・京都御苑、二条城、、 満 開・・・北野天満宮、城南宮、梅宮大社、青谷梅林
2017.03.15
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】∞∞ 釈迦の命日(十五日)にちなむ涅槃会が市内各寺で始まり、所蔵の涅槃図の特別公開で賑わっている ∞∞★泉涌寺・涅槃会……江戸時代中期の画僧・明誉上人が描いたとされる国内最大級(縦十五・一メートル、横七・三メートル、重さは約一五〇キロ)の「大涅槃図」が仏殿に掛けられ、公開される。北枕で西を向いて横たわる釈迦と、その周囲で嘆く弟子や動物たち、さらに悲しみで枯れた沙羅双樹(さらそうじゅ)などが描かれている。 中央に横たわった釈迦を人々が幾重にも取り囲み、手を合わせて涙をぬぐって釈迦の死を嘆き悲しんでいる。 奈良東大寺大仏殿に奉納するのに制作されたと伝わり、極彩色で描かれた釈迦入滅の場面。 国の重要文化財に掲げられたが、大きすぎて一部が天井と床にはみ出した。 公開は十四日~十六日まで。 ★東福寺・涅槃会……東福寺の涅槃図は縦約十二メートル、横約六メートルで釈迦が亡くなる様子を描いた室町時代初期の画僧、吉山明兆の作。 満月の夜、沙羅双樹の下に横たわる釈迦の死を嘆き悲しむ弟子や動物に加え、一般的には描かれない猫がいるのが特徴で、寺の近くの絵具谷から猫が絵の具をくわえて来たため、明兆が描き加えたと伝わる。 期間中、他にも国宝・三門の特別公開や、方丈での特別宝物展などが行われる。龍吟庵や国宝・山門楼上佛天井絵等も特別に公開されます。 公開は十四日~十六日まで★本法寺涅槃会……長谷川等伯が六十一歳の時に描いた日本最大級の縦十メートル、横六メートルの「釈迦涅槃図」(重文)は、桃山時代に隆盛を誇る狩野派に対抗して独自の画風を創造した彼の気迫が感じられ必見です。寺宝も特別公開。 國の名勝である光悦作の「三巴の庭」も鑑賞することが出来る公開は四月十五日まで。 ★東山区・清水寺で、清水の舞台を勇壮な龍が練り歩く「青龍会」が、三月十四日~十五日まで観音加持として行われる。 清水の音羽の滝に、観音の化身である青龍が飛来したとの故事にちなむ催し。 ほら貝を吹き先布令を行う「転法衆」を先頭に音色が響きわたる奥の院を出発し、青龍を守護する十七メートルの「四天王」・「夜叉神」・「十六善神」・「会奉行」らの神々を模した行列・大群会道が清水寺の境内から清水坂を練り歩く。 なかでも、観音の化身である青龍を掲げる龍衆は風雅で迫力満点。四月三日(月)も行われる。
2017.03.14
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・虚空蔵法輪寺で「芸能上達祈願祭」が三月十日に行われる。空海の弟子にあたる道昌が虚空蔵菩薩を安置し、知恵と技芸を授けてくれる守護仏として古くから人々の信仰を集めている。芸の上達を願う祈願法要が行われ、茂山忠三郎社中による奉納狂言も行われる。本尊の虚空蔵菩薩が「種々の芸道に長じ、技芸に上達せんと欲するものは、わが名をとなえよ」と語ったとされることにちなみ、毎年この日に営まれる。 ★京都の春の観光シーズンのトップを、保津峡に早春の訪れを告げる嵐山から亀岡へと走る名物「嵯峨野トロッコ列車」が三月一日に再開し、春のオープン船営業を迎えた。名勝「保津川下り」の川開きが三月十日、出発地の亀岡市保津川遊船乗船場で開かれた。 この日からビニールシートなどで覆っていた座敷暖房船から、通常のベンチシートの船に変わる。例年は「川開き」と呼んでいたが冬場に運休していたとの誤解を避けるため、昨年から「保津舟の日」と改称した。この保津川下りは古く、慶長十一年(一六〇六)角倉了以が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いたもので、今では日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも有名です。保津峡を開削して今年で四百一〇年目に当たる。華やかに、色鮮やかに飾り付けられた遊船や、米俵や酒樽を積んだ当時を再現した「荷舟」が仕立てられ、穏やかな春の陽光を浴びながら、水ぬるむ川面を保津峡へと漕ぎ出し、古くから伝わる「旭太鼓」を披露する地元の男性を先頭に乗せた遊船が、勇壮な音を響かせ出航する。吹き流しや花で彩られた花飾り船を先頭に十隻が連なるように終着嵯峨嵐山までの険しく美しい峡谷景観を楽しみながらの十六キロの急流を約二時間かけて下る川下りを、豪快な船頭の竿裁きを頼りにスタートする。乗船料金は大人 四千百円:小人 二千七百円。貸切船 一隻 定員十七名まで 八万二千円午前九時~午後三時半まで、十一月三十日まで毎日七便運航。
2017.03.10
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区・貴船神社で三月九日、雨水を司るタカオ神を祀り、「雨乞祭」が営まれる。農事の始まりを前に、降雨の水の恵みと豊作で五穀豊穣を祈願します。ご神水と神饌を献上して榊の葉をご神水に浸し、「雨たもれ、雨たもれ、雲にかかれ、鳴神じゃ」と唱えて天地に振りかけます。この神社が鎮座するここは、鴨川の水源地にあたり、平安に都がおかれた時から水を司る神として崇敬を集めています。「水を司る」とは、雨を降らせたり止ませたり、それだけではなく、一旦降った雨を地中にしっかりと蓄えて、少しずつ少しずつ適量を地表に湧き出させていく、そういう働き全体を指すことで、そこに神霊の働きを知り、その神様を高おかみの神という。降った雨を地中に蓄えるのは、大地にしっかりと根を張った樹木の役割で、樹木の生い茂る水源の地こそ、水を司る高おかみの神が鎮まるに最もふさわしい場所であった。貴船神社はまさにそういう場所に鎮座しており、貴船の語源は、「木生嶺」「木生根」だともいわれている。
2017.03.09
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の伝灯奉告法要に合わせた献茶式が七日、西本願寺御影(ごえい)堂であり、西本願寺茶道師家(しけ)である古儀茶道藪内流の藪内紹智(じょうち)十四代家元が、宗祖親鸞の木像に茶を献じた。法要は、大谷光淳(こうじゅん)門主が二〇一四年六月に二十五代門主に就任したことを内外に披露するために、昨年一〇月~今年五月の間に計八〇日間営まれる。今年の法要が七日に始まるのに合わせ、家元による献茶が行われた。午前一〇時に始まり、厳かな雰囲気の中で大谷門主が焼香した。冷え込む堂内に雅楽が響く中を藪内家元が内陣前に進み、西本願寺の大法要で用いる柳橋図をあしらった茶道具を使って濃茶を練り、薄茶を点(た)てて供えた。
2017.03.07
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★春の京都を光で彩る東山区の風情ある街並みを照らす「京都・東山花灯路2017」が三日夜、始まった。 寺院・神社をはじめとする歴史的な文化遺産や町並みが美しい東山界隈を日本情緒豊かな「灯り」「花」で演出する、平成十六年からスタートした大好評の早春の京都・東山山麓を京焼・清水焼、京銘竹、北山杉磨丸太、京石工芸、金属工芸製の五種類の約二千五百基もの露地行灯の雅な灯りと、京都ならではの詩情豊かに、さまざまな表情を見せる町並みの魅力が華やかに繰り広げられる。 今年で十四回目。昨年は延べ百十三万人が訪れ、京都の新たな風物詩として定着している。 京都観光の夜の風物詩づくりに光りで演出する春の宵を彩る「京都・東山花灯路2017がまだ肌寒い夜の東山山麓につながる清水寺から清水坂-産寧坂-二年坂-ねねの道へと続く高台寺、円山公園一帯、八坂神社では公園内を流れる吉水の小川の回遊路には、青竹の灯路で満たし、幻想的な竹灯りの川が演出され、さらに「現代いけばな展」や「灯りのオブジェ展」も催される。、知恩院から粟田口・青蓮院は平安神宮へ続くことから神宮道と呼ばれる、この散策路までの全長約五キロを、露地行灯で照らし出された「灯りと花の路」は白壁や土塀、木々にゆらめく陰影、石畳に映えるほのかな灯りなど古都・京都ならではの様々な表情を見せる町並みの魅力で華やぎの世界へと誘い込みます。 期 間 三月三日(金)~ 十二日(日) 点灯時間 午後六時 ~ 午後九時三十分 期間中特別協賛で特別拝観とライトアップが同時開催される。青蓮院・・・京都五ケ室門跡の一つで皇室との関わりが深い。本尊は光そのものであり、ライトアップにより歴史を感じさせる楠、幻想的な幾種もの庭園、諸堂は、まさに仏国土を思わせる神秘的な世界です。 知恩院・・・東山三十六峰に聳える国宝三門と友禅苑がライトアップされ、特別公開の友禅苑は江戸初期加賀に生まれた宮崎友禅斎生誕三〇〇年を記念し庭園内に銅像を建て、その遺功を顕彰して、出来ました。友禅苑から眺める三門は、華麗で優雅な世界を照らし出しています。 八坂神社・・・全国に三千社以上ある祇園社の総本社。”祇園さん”と呼ばれ広く信仰を集める。 西楼門のライトアップに加え、境内一〇八の灯籠に灯りがともります。昼間に特別拝観できる本殿は、祇園造という特殊な建築様式で重要文化財。 圓徳院・・・北政所(ねね・高台院)開創した寺で、伏見城の化粧御殿前庭を移した石組みの迫力、国名勝指定「北庭」、ねねのやさしさを表した「方丈前庭」をライトアップ。 長谷川等伯、赤松燎画伯の襖絵の公開。 高台寺・・・北政所(ねね・高台院)が開創した寺で、境内重文の開山堂、霊屋、笠亭、をはじめ名勝庭園、方丈前庭「波心庭」、臥龍池の「水鏡」、竹林をライトアップし、女性の寺らしい幽玄さを醸し出します 法観寺・・・東山のシンボル「八坂の塔」をライトアップ。 崇峻天皇二年(五八九)観音菩薩の夢告により聖徳太子が創建したと伝えられる。 現在の塔は永享十二年(一四四〇)室町幕府第六代将軍足利義教公により再建。 内部に飛鳥時代の礎石を遺す。 清水寺・・・西国三十三カ所霊場の第十六番札所。”清水の舞台”で余りにも有名。国宝本堂をはじめとする堂塔伽藍の建築美が浮かび上がり、市街の夜景が一望できる。★東山区の高台寺で三日、春の夜間特別拝観が始まった。 五月に中京区で万華鏡の世界大会が開かれるのを記念し、色とりどりの光の模様が回転する万華鏡の世界が方丈前庭に描き出され、参拝者が熱心にカメラを向けていた。 実際に万華鏡を回して撮影した映像を基にしており、青や赤、紫の幾何学模様が回転する様子を白砂上に投影する。高台寺の執事長は「万華鏡で見える光景は一瞬で、二度と見ることはできない。映像を通し、仏教で言う無常や命について考えてほしい」と話した。夜間特別拝観は五月七日までの午後五時から同九時半(同一〇時閉門)。有料。この日から、あんどんで通りを照らす「京都・東山花灯路」(十二日まで)も同区で始まり、多くの観光客が訪れた。★「桃の節句」の三日、五節句を祝う祭事「五節祭(ごせつさい)」の一つの「桃花祭(とうかさい)」が八幡市八幡の石清水八幡宮であった。 参拝者は、邪気を払うとされる桃の花を飾った本殿前で、子どもの成長や健康を祈願した。 同宮では幕末ごろまで仏事としての御節会(ごせちえ)を営んでいた。明治時代初めの神仏分離で廃止したが、二〇一四年五月に「端午の節句」を祝う「菖蒲祭(しょうぶさい)」を復活し、年五回の五節祭を行っている。 祭事は、雅楽が響き渡る中、神職が神前に草餅や神酒などの供物をささげ、巫女が「豊栄舞(とよさかのまい)」を優雅に舞って奉納した。参拝者は神前に玉串をささげ、草餅と神酒を味わった
2017.03.04
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★今日は桃の節句の雛祭り。 §古来、三月三日は「上巳の節句」で中国の風習を受け、けがれを祓う日だった。 雛祭りの原型といわれる「流しびな」は平安時代ごろには貴族社会で和紙の人形(ひとがた)を作り、息を吹きかけて川や海に流して厄を払う風習からきている。 ★京都では左京区・下鴨神社で三月三日に「流し雛」が行われる。 桃の節句の三日、和紙でできた人形を小川に浮かべ、女の子の健やかな成長を願う行事「京の流しびな」が左京区の下鴨神社で営まれた。平安装束に身を包んだ夫婦らが、人形を乗せたわらの小舟を境内の御手洗川にそっと放した。男女ペアーが平安時代そのままの、女性は十二単衣姿、男性は衣冠束帯姿で、境内を流れる御手洗川に直径十五センチの桟俵(さんだわら)(わらで編んだ丸い小舟)に災いやけがれを身代わりの和紙の人形を乗せて流し、子供たちの無事を祈るながしびなの風習は、現代のひな祭りのルーツとされており、その歴史は平安時代にまでさかのぼる。 ひな祭りは、子どもの身代わりとして人形を川や海に流し、成長を祈った風習が起源とされる。そうした伝統文化を今に伝えようと、京人形商工業協同組合が毎年催している。 大勢の参拝者が見守る中、束帯と十二単(ひとえ)をまとった夫妻や幼稚園児らが人形を川面に浮かべた。★下京区・市比賣神社の「ひいな祭」が三月三日、近くの「ひと・まち交流館京都」で行われる。 平安時代、女性が春の到来を喜び厄をはらった祭事を再現している。 五人囃子の演奏に合わせ、三人官女の舞や、十二単の着付けの実演、大きなひな段に人がお雛様やお内裏様などに扮する「人びな」、平安時代貴族の間で行われていた投扇興や貝合わせなど優雅な催しが開かれる。ひな茶の接待も受けられる。 市比賣神社は、平安京の東西の市場の守護神として勧請されたのが起こりだそうです。★上賀茂神社で桃花神事 桃花神事(とうかしんじ)とは五節句の重要な行事の一つで、神前に桃の花やこぶしの花、よもぎ餅などの神饌(しんせん)をそなえ、無病息災を祈ります。儀式は本殿側の川の前で参拝することに始まり、宮司たちの行列が古来の方法にのっとって神前に神饌をそなえます。この行事には一般の観光客も参列することが出来るので、儀式を間近で見ることができます。おごそかにとりおこなわれる神事は、今も昔も変わりません。 ★三月三日は、陽数の「三」が重なっておめでたいとされる祝節“重陽”のひとつです。 東山区・三十三間堂(国宝)では「三」が重なることから、祝節に因んで恒例の「春桃会」があり、本堂が無料公開される。平成十七年から、名前にちなみ「三」の並ぶ三月三日、無料拝観日を実施している。 午前九時~午後四時まで。限定の女性専用「桃のお守り」が授与されます。 午前中は華道池坊の献花法要、午後からは作家で天台宗僧侶の瀬戸内寂聴さんの青空説法がある。 本堂の東南角の一隅に高さ一.五メートルの壇を特設し、参拝者は階段状に並ぶ千一体の観音像や二十八部衆、風神像などを高い位置から広く見渡せる珍しい拝観となる。 南北約一二五メートルの長い本堂には、中尊観音座像をはさんで左右に各五百体の千手観音立像が整然と並んでいる。 三十三間堂は平安時代末期に平清盛が建立されたが焼失後、鎌倉中期の一二六六年に再建された。★四季折々の花の絵が本殿の天井を彩る「花の天井」で知られる右京区高雄街道・梅ヶ畑の平岡八幡宮で三月三日、恒例春の本殿特別拝観が始まった。平岡八幡宮の本殿は、江戸末期の一八二六(文政九)年の再建で、神殿の天井板に描かれた鮮やかな四十四枚の花の絵も、江戸時代の画工・綾戸鐘次郎藤原之信による、翌文政十年の作。 一辺約七十センチの正方形の格子の中にモミジやキク、キキョウ、ボタン、ツバキや山桜、ジャスミン、ブドウなど異なる四十四種、四季折々の花や果実が青や赤などの岩絵の具で表現されており、頭上の極彩色に彩られた天井を心ゆくまで鑑賞できる。 八〇九年に空海が創建したと伝えられており、ご神体の僧形八幡神像も特別公開している。特別拝観期間 五月十五日まで。 拝観料 六百円。
2017.03.03
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★宇治市・平等院で三月二日、忌日法要「関白忌」が行われる。 「宇治関白」として知られた平等院の創建者、藤原頼道を偲んで営まれる。 京都の南部に春を呼ぶ行事として知られている。 色とりどりの法衣を着た僧侶が、平橋反橋を渡り、鳳凰堂で法要を行う。
2017.03.02
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★上京区・宝鏡寺は尼門跡寺院で通称「人形寺」の名で親しまれている。三月一日の宝鏡寺雛祭には、本堂に飾られた雛段前で一弦琴が打掛け姿も艶やかな、島原の太夫がお雛さまにささげる、優雅な舞を奉納する。同時に春の人形展が 四月三日まで開催される。 宮中の雅な装束を正確に再現した有職雛などの人形がたくさん展示されている。 皇室から将軍家へ嫁いだ数奇な人生で知られる皇女和宮の持ち物だった桜の螺鈿細工が美しい文箱や四季花鳥図絵巻などの皇女和宮の御遺愛品はじめ、、伝来の愛らしい賀茂人形、花嫁行列なども展示されている。 平安時代に光厳天皇の皇女・華林宮恵厳禅尼(かりんのみやえごんぜんに)によって開かれた臨済宗の尼寺で、寛永二十一年(一六四四)、理昌尼王(後て以来は尼御所となって「百々御所」とも呼ばれ、尼門跡寺院職に迎えた歴史を持つ。父の天皇が折々に娘へ贈った数々の人美を伝えている。 歴代皇女ゆかりの人形を多数所蔵して毎年春秋に公開して、「人形供養祭」を行う。 春三月は雛祭りを中心とした人形展。光格天皇から江戸時代後期に贈られた直衣姿、濃紫袴姿の有職雛は、若々しい夫婦の姿。緋色ではなく、若い女性が着用する濃紫袴姿の女雛はとても珍しいという。※ 家庭で不要になった人形を持参すると、人形の供養をして引き取ってくれる。★左京区・真如堂(真正極楽寺)で三月一日、涅槃会法要が営まれ、江戸中期・宝永年間に描かれた縦六メートル、横四メートルの極彩色大涅槃図が公開される。涅槃会は灌頂会、成道会と並ぶ、仏教における三大仏忌のひとつ。釈迦が入滅した旧暦二月十五日前後に釈迦の入滅のときの様子を絵にした涅槃図を掲げ、その威徳を偲ぶ法要。 真如堂が所有する涅槃図は穴が開いたり絵の具がはげ落ちるなど傷みが著しく、二〇〇九年、修復を完了した。軸を含めて六十一キロあったが、裏打ちの麻布を和紙に替えて四釈迦が亡くなる様子を描き、涅槃会本紙は縦約五メートル、横約四メートル。全体は一七〇九(宝永六)年、三井家が寄進した。横たわる釈迦の周囲で仏弟子や動物が嘆く様子に加えクジラ、タコなど海の生き物を含む一二七種類の多様な生物が描かれているのが特徴。三十一日まで。午前九時~午後四時まで公開する。涅槃会の菓子「花供曾(はなくそ)あられ」が授与される。(以前は正月に本尊に供えた鏡餅を小さく刻んだものを使ったが、現在では軽く焼いたあられに黒砂糖を絡めた)。供物の花供御がなまって鼻糞と呼ばれた。★保津峡に春の訪れを告げる、冬の間(十二月二十九日~二月末日)線路の保守点検や車両整備のため運休していた「嵯峨野トロッコ列車」が春風をきって、保津川沿いの京都市と亀岡市を結ぶ嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が一日、運行を再開した。午前八時半から嵯峨駅であった式典には、地元幼稚園と保育園の園児約八十五人が出席。園児代表が車掌と運転士に花束を贈呈し、一番列車がスタートした。 やや肌寒い朝となったが、園児は元気いっぱい。保津峡を眺め、眼下に広がる保津峡の流れや山並に歓声を上げた。 トロッコ列車は、線路や車両の保守点検のため、毎冬約二カ月間休業している。一部水曜日が休みだが、春、大型連休、夏、秋の観光シ-ズンは毎日運航する。渓谷に久しぶりに軽快なレ-ル音を響かせた。八つのトンネルをくぐり、保津峡の雄大な渓谷の景色を乗客に楽しませながら、旧山陰本線のトロッコ嵯峨駅~トロッコ亀岡駅間七.三キロを一日八往復走ります。
2017.03.01
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★上京区・宝鏡寺は尼門跡寺院で通称「人形寺」の名で親しまれている。三月一日の宝鏡寺雛祭には、本堂に飾られた雛段前で一弦琴が打掛け姿も艶やかな、島原の太夫がお雛さまにささげる、優雅な舞を奉納する。同時に春の人形展が 四月三日まで開催される。 宮中の雅な装束を正確に再現した有職雛などの人形がたくさん展示されている。 皇室から将軍家へ嫁いだ数奇な人生で知られる皇女和宮の持ち物だった桜の螺鈿細工が美しい文箱や四季花鳥図絵巻などの皇女和宮の御遺愛品はじめ、、伝来の愛らしい賀茂人形、花嫁行列なども展示されている。 平安時代に光厳天皇の皇女・華林宮恵厳禅尼(かりんのみやえごんぜんに)によって開かれた臨済宗の尼寺で、寛永二十一年(一六四四)、理昌尼王(後て以来は尼御所となって「百々御所」とも呼ばれ、尼門跡寺院職に迎えた歴史を持つ。父の天皇が折々に娘へ贈った数々の人美を伝えている。 歴代皇女ゆかりの人形を多数所蔵して毎年春秋に公開して、「人形供養祭」を行う。 春三月は雛祭りを中心とした人形展。光格天皇から江戸時代後期に贈られた直衣姿、濃紫袴姿の有職雛は、若々しい夫婦の姿。緋色ではなく、若い女性が着用する濃紫袴姿の女雛はとても珍しいという。※ 家庭で不要になった人形を持参すると、人形の供養をして引き取ってくれる。 ★保津峡に春の訪れを告げる、冬の間(十二月二十九日~二月末日)線路の保守点検や車両整備のため運休していた「嵯峨野トロッコ列車」が春風をきって、保津川沿いの京都市と亀岡市を結ぶ嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が一日、運行を再開した。午前八時半から嵯峨駅であった式典には、地元幼稚園と保育園の園児約八十五人が出席。園児代表が車掌と運転士に花束を贈呈し、一番列車がスタートした。 やや肌寒い朝となったが、園児は元気いっぱい。保津峡を眺め、眼下に広がる保津峡の流れや山並に歓声を上げた。 トロッコ列車は、線路や車両の保守点検のため、毎冬約二カ月間休業している。一部水曜日が休みだが、春、大型連休、夏、秋の観光シ-ズンは毎日運航する。渓谷に久しぶりに軽快なレ-ル音を響かせた。八つのトンネルをくぐり、保津峡の雄大な渓谷の景色を乗客に楽しませながら、旧山陰本線のトロッコ嵯峨駅~トロッコ亀岡駅間七.三キロを一日八往復走ります。
2017.03.01
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★北区の上賀茂神社で二十六日、第六十九代横綱の白鵬関が「不知火型」の土俵入りを奉納した。力強い四股を踏むたび、大勢の観客から「よいしょー」と威勢の良い掛け声が上がった。 二十一年に一度の「式年遷宮」を祝う行事の一環で、五穀豊穣を祈る古来の神事にちなんで行った。上賀茂神社では一九四〇年、当時の横綱双葉山らが土俵入りを奉納している。今回は、横綱として七十五年ぶりとなった二〇一五年の鶴竜関、十六年の日馬富士関に続く奉納土俵入りとなった。 白鵬関は午後一時半ごろ、太刀持ちの石浦関と露払いの大翔丸関を従えて鳥居をくぐり、立砂(たてすな)の前に進んだ。両手を広げてせり上がる不知火型を堂々と披露し、約四〇〇人の観客を沸かせた。尊敬する双葉山と同じ地での奉納に、白鵬関は「緊張して硬くなった。精いっぱい土俵入りした」と話していた。
2017.02.27
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り]★京都府内最大規模を誇る城陽市の青谷梅林で恒例の「梅まつり」が始まった。 今年は例年より開花が一週間ほど早く、会場では暖かな陽気の下、会場を訪れた人々は梅の花と香りを堪能した。 青谷梅林は、約二〇ヘクタールの丘陵地に肉厚で香りの良い実が収穫できる特産の「城州白」など約一万本の梅が植えられている。梅まつりはうち約一ヘクタールを無料開放している。 青谷梅林の梅は、実の収穫がしやすい低い位置に花をつけるので鑑賞しやすいのが特徴という。三月二十日まで。 (今日現在の梅だより) (二十五日)つぼみふくらむ・・・随心院、青谷梅林、ちらほら咲き・・・京都御苑、二条城、、 五分咲き・・・梅宮大社、城南宮 七分咲き・・・北野天満宮、
2017.02.26
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★節分が過ぎると、やさしい香りがしだす京の町に間もなく春を告げる上京区・北野天満宮で、梅の花をこよなく愛した菅原道真の命日にちなみ、遺徳をしのぶ「梅花祭」が二月二十五日開かれる。 満開の梅の花の美しさと香りに誘われ、本殿の神事では、祭神・道真の霊を「なだめる」という音に通じる「菜種」を冠に付けた神職が、古式にのっとり梅の枝や約四十キロの蒸し米などを神前に供えた。 梅苑(約一.六ヘクタール)と境内合わせて約二千本の梅の木が並び、種類も五十種以上と豊富で、道真の命日に当たるこの日に毎年行われている。約九〇〇年前から続く神事と、安土桃山時代に豊臣秀吉が境内で催した「北野大茶会」にちなむ野点大茶湯がある。本殿近くの仮設テントの下で行われた。 紅白に彩る梅の花の風情や三光門西広場での茶席「野点大茶湯」は、色とりどりの着物姿で上七軒の芸舞妓や女将ら約四十人による野点を、ちらほら咲きから満開の早咲き梅花を愛でながら、参拝者は春の訪れを満喫し楽しんでいた。 宝物殿も特別に公開され、「梅花祭と天神さま今昔写真展」が開かれている。 絵馬殿に、縦約七十センチ、横約一メートルのパネル七十枚を並べ、昨年の祭典や茶会の様子や、約百年前の境内、市電の走る周辺の町並みなどの風景も紹介している。恒例の縁日・「天神市」と共に楽しめます。
2017.02.25
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★京都の花街の祇園甲部歌舞会は二十二日、春の公演「都をどりin春秋座」のプログラム用写真の撮影を、祇園甲部歌舞練場で開いた。耐震工事に向け休館中のため、今年は京都造形芸術大(左京区)の春秋座で公演する。慣れ親しんだ歌舞練場で撮影に臨んだ芸舞妓は、本番への思いを新たにしていた。 今回の演目は春秋座の場所にちなんだ「洛北名所逍遥(そぞろあるき)」。貴船の川床や鞍馬山の牛若丸の伝承などを題材に計六景を披露する。フィナーレは、洛北から歌舞練場に場面が移り、しだれ桜を背景に総踊りで締めくくる。 四月一日~二十三日(十日、十七日休演)。午後一時、同二時四十五分、同四時半の三回公演。三五〇〇円、茶席券付き四六〇〇円。期間中、歌舞練場の庭園を特別公開する。有料だが公演チケットがあれば無料。★伏見区・醍醐寺で「五大力さん」の名で親しまれる「五大力尊仁王会」の法要が二月二十三日営まれた。 「五大力さん」とは醍醐寺にある五大堂の五菩薩の事で、衆生済度、現世利益の霊験あらたかだとか。 本尊・準提観音の眷属である五大力菩薩が開帳され、不動明王など五大明王の力にあやかり、国の安穏、無病息災、万民豊楽を祈願する山伏による法要が行われる。約千百余年の歴史がある。 僧侶が一週間かけて祈祷した「五大力尊御影」と呼ばれる災難・盗難よけのお札やお守りがこの日だけ授与される。 ☆恒例の風物詩、豪快に巨大な鏡もちを持ち上げる時間を競う餅あげ怪力奉納がある。「五大力さん」と親しまれ、国の平和や家族の健康を祈る醍醐寺最大の法要「五大力尊仁王会」の関連行事。「力」を奉納すると御利益が得られるとして、戦後に始まった。 当日の呼び物「鏡餅上げ力競べ大会」では国宝金堂前広場であり、男性が百五十キロ、女性が九十キロの鏡餅を上げて力比べをします。 優勝者にはこの大鏡餅が授与されます。 男性が一〇代~六〇代の三十六人、女性が十六人と男女四十四人が挑戦。はたして今年の力持ちは・・・?「男性の部」は獣医師平井敏雄さん(六十一才)=兵庫県姫路市=が五分十九秒で、優勝した。 「女性の部」は、エアロビクス講師田中幸子さん(四十五才)=向日市=が十二分五秒で優勝した。★左京区・聖護院山内積善院準提堂でも山伏による五大力尊法要があり、柱源護摩供養の後、本堂に高らかに響き渡るほら貝の音。経を唱えながら山伏が次々と護摩木をくべていくお札焼があり、普段は公開していない五大力菩薩図像が本堂で開帳され、家を盗難などから守るという魔除けのお札「御影」を買い求めるのに賑わった。 粕汁の無料接待があります。★洛北の風物詩・上賀茂神社周辺で二月二十四日、少年の成長を祝う「幸在(さんやれ)祭」が営まれる。 元服の風俗にならい、「あがり」と呼ばれる数え年で十五歳の少年を一人前の大人として祝う儀式で、上賀茂神社の氏子町で受け継がれてきた。 「幸在(さんやれ)祭」は元服にならって子どもの成長を山の神に報告する儀式で、江戸初期にはすでに営まれていたという。 真新しい大島紬の羽織と着物に白いマフラー姿の「あがり」の少年らは、打ち鳴らされる鐘の音に合わせて太鼓を叩き、「おーめーでとーごーざーるー」と独特の節回しのはやしを演奏。 「ダイショウギ」と呼ばれる緑の葉のついた枝を持って、氏神の大田神社や地域を巡り、沿道の住民の出迎えや祝福を受け、最後に上賀茂神社に到着。本殿でお祓いを受け大人の仲間入りを報告し祈祷する。
2017.02.24
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 京都の花街で春の公演が迫ってきた二十一日、上七軒で「北野をどり」、宮川町で「京おどり」のプログラム用の写真撮影がそれぞれ行われた。華やかな舞台衣装に袖を通した芸舞妓が、カメラの前で本番さながらのしぐさを披露した。 ★上七軒「北野をどり」春の公演で最も早く開幕する上七軒歌舞会の「第六十五回北野をどり」(三月二十五日~四月七日)の撮影は、会場の上七軒歌舞練場で行われた。黒色の裾引き姿の芸妓と色とりどりの衣装の舞妓がそろうと華やかな雰囲気に包まれた。 今年は二部制で芸舞妓二十六人が出演する。第一部は歌舞伎仕立ての舞踊劇「ゑにしの宮 末はひとつになる物語」。江戸時代の縁結びの神社を舞台に、身分の違う若い男女の恋物語を詩情豊かに表現する。 第二部は、純舞踊「旅情ところどころ」で、東北や九州、四国に伝わる民謡や伝統行事を題材にした多様な踊りと音楽を披露する。出演者全員の「上七軒夜曲」で華やかに終幕する。 期間中は午後一時半、同四時の二回公演。四三〇〇円、茶席券付き四八〇〇円。当日のみ学割二八〇〇円。 ★宮川町「京おどり」宮川町歌舞会の「第六十八回京おどり」(四月一~十六日)の写真撮影は、会場となる宮川町歌舞練場で行われた。 雪景色が見える座敷を背景にした舞台で、舞妓たちが細やかにポーズを確かめていた。 今年は「月華抄(げっかしょう)」と題した全九景の演目で、芸舞妓六十人が出演する。前半の第一~四景は「竹取物語」を題材にしたファンタジックな舞踊絵巻を展開する。 第五景以降は、黒紋付の芸妓による「百年の寿」や、かつての港町のにぎわいを表現した「風流宮津節」、金閣寺など京都の名所を芸妓が艶(あで)やかな舞で表現する「名花の花舞」などを次々と披露する。豪華絢爛(けんらん)な総踊り「宮川音頭」でフィナーレを飾る。 期間中は午後〇時半、同二時半、同四時半の三回公演。二二〇〇円四八〇〇0円。当日のみ学割千円。
2017.02.21
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★第五回記念大会と位置付けた「京都マラソン2017」が十九日、右京区の西京極陸上競技場をスタート。左京区の平安神宮前にフィニッシュする四十二.一九五キロのコースで行われ、初マラソンに挑む選手、二人でたすきをつなぐペア駅伝の夫婦やカップル、車椅子で駆ける(六・一キロ)選手、アップダウンが激しく折り返しも多い起伏の激しい難コースで知られる京都マラソンに、さまざまな背景を持った一万六千人が出場した。
2017.02.19
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★北区・上賀茂神社では、昔の人が春を待ちきれず野原に出て若菜を摘んだように、白装束の神職が境内で小さな松の苗を摘み取って神前に供え、早春の草花を採取して神に春の訪れを告げる祭祀、神山の麓で際官達が姫小松を引き、玉箒草をそえて神前献上する「燃灯祭」が二月十八日に行われる。もともと二月の二番目の子の日に若菜を採って遊宴を開いた宮中行事に由来する。 「乙子(おとね)神事」とも言われ、平安時代には貴族らが盛んに行い、和歌にも詠まれたが、春の到来を尊び宴遊した「野辺の遊び」を神事化したもので、いつのまにか一年の健康を祈願する神事に変わったという。八人の神職が約三十センチの松を丁寧に引き取り、玉箒草(タマボウキソウ)(別名・燃灯草)とともに紙に包んで本殿に奉納。 境内には和歌愛好家らが詰めかけ、ゆっくりと松を摘む珍しい神事を見つめていた。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★ しだれ梅と椿まつり城南宮の神苑・楽水苑では、源氏物語に登場する一〇〇余種の草木があり、「春の山エリア」に植栽された一五〇本余りの紅白のしだれ梅は、二月下旬から咲きそろい始め、追って三〇〇本もの様々な椿が開花します。巫女が「梅が神楽」を舞う。美容健康と招福を祈願した梅の花守りの特別授与。 神職による案内もあります。 二月十八日 ~三月二十二日 (今日現在の梅だより) (十七日)つぼみふくらむ・・二条城、、随心院、青谷梅林、ちらほら咲き・・・北野天満宮、梅宮大社、城南宮、京都御苑、、
2017.02.18
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【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★仏教の祖、釈迦が亡くなった日とされる十五日、東山区の清水寺経堂で涅槃図の公開が始まった。釈迦の入滅を狩野派の画家山口雪渓(一六四三~一七三二年)が描いた図で、参拝者たちはじっくり見入ったり、手を合わせたりして遺徳をしのんだ。涅槃図は、縦約三・九メートル、横約三メートル。満月の夜に沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわる釈迦を、弟子や動物が取り囲む様子が描かれている。午前九時ごろに僧侶たちが釈迦三尊像の隣に掲げられた涅槃図の前で読経し、紙製の花をまく散華を行って釈迦の遺徳をたたえた。同日は、「りょうけいさん」と親しまれた大西良慶元貫主の命日でもあり、追善法要が営まれた。涅槃図の公開は二十一日までの午前九時から午後四時まで。自由に拝観できる。
2017.02.16
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今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★天台宗(総本山・延暦寺、大津市)の森川宏映(こうえい)座主が十四日、西本願寺で、平安時代に日本の浄土教の基礎を築いた僧侶恵心僧都源信(九四二~一〇一七年)の千年忌法要を営んだ。天台座主が導師として西本願寺で法要を営むのは史上初。両寺院から十人ずつ僧侶が出仕し、阿弥陀経や念仏を共に唱えた。 源信は、延暦寺のある比叡山の横川(よかわ)地域を拠点に浄土教を研究。その主著「往生要集」は、後に比叡山で学んだ浄土宗の宗祖法然(一一三三~一二一二年)、浄土真宗の宗祖親鸞(一一七三~一二六二年)に大きな影響を与えた。一方で、鎌倉時代や室町時代には、延暦寺は法然の墓や当時の大谷本願寺を破壊するなどした歴史がある。 森川座主は、西本願寺の大谷光淳(こうじゅん)門主と懇談後、午後二時半から、源信の絵像が掲げられている阿弥陀堂で法要に臨んだ。参拝者約千人が見守る中、森川座主が本尊の阿弥陀如来立像の前に着座すると、延暦寺僧侶による声明が響き渡った。両寺院の僧侶は紙製の花をまく散華をしたり、よく似た節回しのお経を唱えたりして源信の遺徳をたたえた。 十七日には、東山区の浄土宗総本山・知恩院で、森川座主が源信の千年忌法要を営む。★餅上げ力奉納で知られ、「五大力さん」の呼び名で親しまれる五大力尊仁王会に先だって営む前行法要が十五日、伏見区の醍醐寺で始まった。 国宝の金堂で五つの護摩壇に火が付けられ、参拝者が祈りをささげた。 五大力尊仁王会は平安時代から続く法要で、不動明王など五つの明王の力を授かり、国の平和や人々の幸せを願うとされる。 前行法要は一週間で二十一回あり、延べ約千人の僧侶が金堂にこもって営む。この日は午後三時に始まり、五十人余りの僧侶が真言や般若心経を唱えた。 五つの護摩壇からそれぞれ火柱が勢いよく上がると、参拝者は火柱に護摩木をくべ、静かに目を閉じて経を唱えながら健康や家内安全を祈願し、手を合わせていた。 五大力尊仁王会は二十三日に営まれる。
2017.02.15
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★東山区・高台寺で開催中の冬の夜の茶会「夜咄」は、夜に楽しむ茶会。雨戸が閉ざされた薄暗い茶室の中で、ろうそくに灯がともり、ほんのりと浮かび上がるセピア色の世界。炎の明かりに照らされた釜の湯気がゆらりと映える。冬に行われる茶事で、寒気を和らげる手あぶりなどが置かれるのも特徴。観光客向けに午後五時ごろから催し、雰囲気のある茶室で京菓子や薄茶を楽しむことができる。 茶会の経験の無い人でも気軽に呈茶・点心(軽いお食事)を充分に味わえる企画です。湯葉料理や庭園の観賞も付き、冷え込む京都で冬の夜をゆったり過ごすのも心地よいでしょう。三月五日まで金、土、日曜に開かれる。
2017.02.13
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京都名物「第二十回 JR京都駅ビル大階段駈け上がり大会」が十一日、JR京都駅ビル室町小路広場・大階段であった。八十チーム三二〇人が高低差三〇メートル、一七一段を一気に疾走した。見上げるような大階段を勢いよく走り、健脚を競い合った。KBS京都の主催。全国から集った健脚自慢の職場やサークル、家族などの四人で一チームを作り、団体と個人のタイムを競った。一般部門に加え、着ぐるみなどを着たパフォーマンス部門もあった。パフォーマンス部門では人気の映画のキャラクターやお笑い芸人に扮(ふん)した走者が会場を盛り上げていた。参加者は気合十分に勢いよくスタートしたが、大階段の上部では息を切らし、ふらふらになっていた。倒れ込みながらも懸命にゴールする姿に、市民や観光客が大きな拍手を送っていた。 ★伏見区・伏見稲荷大社で二月初午の日(今年は十二日)に「初午大祭」が営まれる。 七一一(和銅四)年二月の初午の日に、祭神・稲荷大神が稲荷山に降臨し、初めて鎮座したという故事に由来する。この日にお山の杉の枝を持ち帰ると幸せになると伝えられている。冷え込みは厳しいが好天に恵まれ、境内は早朝から商売繁盛や家内安全を祈願する多くの参拝者でにぎわった。本殿や社の柱には、杉とシイの葉を組み合わせた「青山飾り」が取り付けられ、境内は家内安全、商売繁盛を願う人々で、祈祷の順番を待つ長い列が夕方まで続き、縁起物である繁栄・招福を祈る御神木「しるしの杉」や「福かさね」を買う参拝客で賑わった。
2017.02.12
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★源氏物語の世界を実現しようとしたと言われる庭園「神苑」をもつ伏見区・城南宮では、物語に登場する風習にちなんで、毎年旧暦の一月七日に近い二月十一日に、境内で栽培された新鮮な春の野草を神前に献じ、セリやナズナ、スズナ・スズシロなど、色と香りの「春の七草」を入れた粥を食べ、一年間の万病退散、無病息災と不老長寿を願って貰おうと祈願する神事。 参拝者には七草粥がふるまわれ、みずみずしい春の味が楽しめる。 庭園・楽水苑では春の七草が見られる。 ★北区・上賀茂神社では、「建国記念日」の二月十一日に恒例の「紀元祭」があり、古式ゆかしい装束に身を包み、蹴鞠が奉納される。蹴鞠は約千四百余年前に中国から伝わり、日本独自の文化として発展した。 上賀茂神社では江戸時代に一時途絶えたというが、一九九七年に復活した。 保存会のメンバー十四人は烏帽子に専用の水干姿で、神から鞠を受け取る儀式に臨み、その後八人ずつ鞠庭に入り、シカ皮を馬の革で縫い合わせた鞠を「アリ、ヤア、オウ」と独特の掛け声と共に和やかに蹴り続けた。 ★「阿含(あごん)の星まつり」が十一日、山科区北花山の阿含宗総本殿境内で営まれた。寒中にもかかわらず、願い事を書いた約三一〇〇万本の護摩木が護摩壇に投げ込まれ、大きな火柱が上がった。 同宗最大の年間行事で今回で四十三回目。大曼荼羅(まんだら)の前には、願い事の成就を祈る「神界壇」と、先祖を供養する「仏界壇」の八角形の護摩壇(幅約十一メートル、高さ約七メートル)がしつらえられた。 境内では、お経が唱えられ、山伏姿の修行者約四〇〇人が、護摩木を次々と高く投げ入れた。全国から訪れた参拝者たちは、大きな炎を見つめながら、家内安全や商売繁盛を祈って手を合わせていた。
2017.02.11
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【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★二月の名物風物詩として親しまれている ゆどうふ・ゆばなべ 南禅寺「順正」が催す、湯豆腐を食べた量を競う「ゆどうふ食べくらべ大会」が九日、恒例の桂文枝を審判長に迎えて第四十三回目を清水寺参道の料亭・清水順正「おかべ家」で行われた。全国から応募した五七五人の中から「とう(10)ふ(2)」の語呂合わせで、男女五十一名づつ一〇二人が抽選で選ばれ、桂文枝さんの軽妙な話術で雰囲気を盛り上げ、土鍋に入った一丁 四百グラムの豆腐が出され、十分の試合を三回繰り返す方式で行われた。 一回戦には芸舞妓らも出場し、優雅に箸を進める姿に会場が盛り上がった。十六歳から七十七歳までの参加者が挑んだ。司会を務める落語家桂文枝さんの合図でスタートした。一、二回戦では、いずれも一〇分で各四丁(約一六〇〇グラム)の豆腐を食べた九人が決勝進出を決めた。時折、苦しそうな表情を浮かべながらも、制限時間が近づくと一気にかき込む姿もあったが、合計十四丁半食べた男性が優勝を決めた。会場敷地内にある五龍閣は、京都大学時計台などの設計で知られる明治・大正時代の、著名な建築家・武田五一による設計で、国の登録有形文化財に指定されています。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] 各地で梅の花が咲き始めた。 社寺や公園で紅白の花びらをほころばせ、一足早く春を告げている。 ★市内の梅の名所で、例年より早く開花が進んでいる。右京区の梅宮大社では九日、小雪が舞う中を観光客が訪れ、梅の色合いと雪が織りなすコントラストを楽しんでいた。同大社の庭園には、約四十種類・四五〇本の梅が植えられ、ほのかな甘い香りが漂っている。鮮やかな赤色が目を引く「寒紅梅(かんこうばい)」や、青白くかれんな「緑萼梅(りょくがくばい)」などの早咲きの品種は、昨年末に暖かい気温が続いたことなども影響し、例年より一週間以上早く見頃を迎えているという。 (今日現在の梅だより) (十日)つぼみふくらむ・・・二条城、、随心院、青谷梅林、ちらほら咲き・・・北野天満宮、梅宮大社、城南宮 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★三千院初午大根焚き法要三千院では、ご参拝の皆様に幸先のよい年をおくっていただければと祈念し、毎年二月の初午の時期にあわせ「幸せを呼ぶ大根焚き」を奥の院金色不動堂前広場において盛大に行われます。今年は十日~十三日。大根は大原の畑で有機農法で栽培されたものです。大原の里人たちが真心を込めて育てられたこの純白の大根は何色にも染めやすく、味付けも沁みやすいことで有名です。厳冬の大原の里で、特別祈祷のあつあつの大根を味わい、お参りの皆さん共々、無病息災、開運招福をお祈りしましょう。なお「三千院の初午大根焚き」は、出世金色不動明王のご加護とご利益をいただけるよう、特別祈祷をしております。
2017.02.10
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★山科区・小山に伝わる早春の伝統行事「二ノ講」(ニノコウ「二九」)が、二月九日に行われる。 鎌倉時代、一三一三(正和二)年、牛尾観音の参拝者や村人を苦しめていた大蛇を一人の武士が退治した言い伝えに由来する。その後、武士に倒された大蛇のたたりを恐れた住民が、音羽川の岸の松に流れ着いた大蛇の死骸をあつく葬ったのが始まりと言われています。音羽川の堤に稲わらの大蛇を祭ったのが始まりと伝えられる。それ以来毎年、順番で小山町に住む四軒が、当日の早朝から退治された二月九日にわらで大蛇に見立てて編みはじめ、その松の木に奉納し、五穀豊穣と家内安全を祈ります。直径十センチほどの稲わらの束をねじり、全長十二メートル、太さ〇.三メートルの大蛇に仕上げ、長さ八メートルの竹の棒に巻き付け、うろこ見立てたシキミやマツ、御幣を取り付けて完成させる。 杉と松の老木に掲げて豊作と厄よけ、一年の平穏を祈願する。一九九三年に京都市無形民俗文化財に登録されている。
2017.02.09
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★十三まいりの“虚空蔵さん”で名高い嵐山の法輪寺は、裁縫・手芸・芸能上達の守護神として信仰され、二月八日、全国から集まった折れたり、使い古した針を供養する「針供養」が行われる。 縦三十センチ、横五十センチのこんにゃくを祭壇に供え、参拝者は飾り糸のついた長さ三十センチの祭事用の針を次々と刺し、針への感謝と技術向上、家庭円満を祈願した。 同寺の針供養は、平安時代に清和天皇が針を納めるお堂を建てたのが始まりと伝わり、毎年、二月と仕事納めの歳末(十二月八日)にも営まれている。本堂の前に設けられた供養箱には、折れたり使わなくなった針が寄せられた。 法要では、雅楽に合わせて奈良時代の衣装を再現したいでたちの女性四人が舞を奉納した。 ★「京のよつぎさん」として知られる下京区の上徳寺で二月八日、子宝や安産を望む恒例の「世継地蔵尊大祭」が営まれる。 同寺に安置されている世継地蔵に参ると「一億日分の功徳が授かる」と伝わる。 午前中は地蔵堂で住職らが子孫繁栄や長寿など数の限定された十種の福のお札を祈祷。 午後から山伏姿の信者や僧侶による柴灯(サイトウ)護摩供があり、「子宝に恵まれますように」など思い思いの願いが記された護摩木を焚き上げた。上徳寺の寺伝によると、江戸時代の初めに世継ぎを授かるよう日参した人が七日目の夜、お地蔵さんの夢を見た。お告げのままに地蔵菩薩像をつくり、お寺に安置したところ、懐妊したという。その像が境内にある地蔵菩薩立像といわれ、子無き人に世継ぎを授けられる霊験あらたかな地蔵菩薩として古くから信仰され、各地からの参詣者も多く訪れます。酒粕汁の無料接待もあります。
2017.02.08
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★水尾・柚子風呂水尾は京都の西北、愛宕山の西麓にあり、鎌倉時代・花園天皇の頃から柚子の里と呼ばれるという小さくてのどかな山里です。農家にはそれぞれ広い柚子畑があり、初冬(早くは十月を過ぎると)に入ると、 熟した柚子を採取して柚子風呂が始まります。訪れた人々は、清和天皇陵 円覚寺等の史跡を巡り、柚子風呂に浸かり、地鶏の鶏すきや水炊きを味わいます。また、お鍋の地元産の野菜、地鶏の味は格別。水炊きの自家製ポン酢には、採れたての柚子がたっぷりと搾られています。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★北区・等持院で、樹齢四〇〇年の「有楽(うらく)椿」が見ごろを迎えている。訪れた人たちが小さなピンクの花びらを眺めながら、歴史に思いをはせている。 有楽(うらく)椿は、織田信長の弟で茶人の織田有楽が好んだことに由来する。豊臣秀頼が同院を再興した際、植樹されたと伝わっている。ツバキの高さは約一〇メートルで、例年よりも一ヵ月ほど早い一月上旬に咲き始めた。根元には深緑のコケが広がり、落ちた花とのコントラストも見ごろになっている。三月中旬まで楽しめる。
2017.02.06
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 立春の前日の二月三日を中心に(二日~四日)、古来、鬼は見えない気「邪気」を表し、心中の災いと疫病をあらわす鬼を追い払う「節分祭」、招福を願うさまざまな行事が各社寺で行われる。この頃京都は一年中で最も寒い時季だが、暦の上では冬と春の境になる。 ☆ 上賀茂神社・・・節分祭・古神札焼上祭☆ 北野天満宮・・・節分祭と北野追儺式☆ 金閣寺・・・不動堂開扉法要☆ 鞍馬寺・・・節分追儺式☆ 地主神社・・・節分祭☆ 下鴨神社・・・節分祭☆ 聖護院・・・節分会☆ 誓願寺・・・節分会☆ 狸谷山不動院・・・狸谷山節分会☆ 天龍寺・・・天龍寺節分会☆ 日向大神宮・・・節分厄除大祭☆ 平岡八幡宮・・・節分祭☆ 藤森神社・・・藤森神社節分祭☆ 伏見稲荷大社・・・節分祭☆ 平安神宮・・・平安神宮節分祭☆ 松尾大社・・・節分祭☆ 六波羅密寺・・・六波羅密寺節分祭 代表的な節分祭を紹介。 ★上京区の大報恩寺(千本釈迦堂)で二月三日、伝統の「おかめ福節分会」が営まれる。おかめ福節分会は、江戸時代末期から一九五五(昭和三十)年ごろにかけて一時途絶えていたものの、本堂が建立された約七百八十年前から同寺に伝わる除災招福の伝統行事。本堂を舞台にして、伝統のおかめや赤鬼、青鬼が登場する狂言「鬼追いの儀」が披露される。狂言は、三人の年男が豆を投げつけても退散しない四匹の鬼のもとに、おかめが登場し、笑みを見せると鬼がとたんに改心するという筋書。 ★上京区・廬山寺(紫式部の邸宅跡)で二月三日、「鬼おどり」の通称で知られる「追儺式鬼法楽」が営まれる。境内で、ほら貝と太鼓の音に合わせて三匹の鬼がおどろおどろしい動作を披露したあと、餅まきが行われる。「鬼おどり」は約千五十年前、寺を開いた元三大師良源が、宮中での三百日間の護摩を邪魔しようとした悪い鬼を法具で降伏させたという故事にちなむ行事。人間の苦しみの根元とされる三つの毒「どん欲」、「怒り」、「愚痴」を表す赤、青、黒色の鬼が舞台に登場。太鼓とほら貝が鳴り響く中、三体の鬼たちは松明やおのを振りかざし、観客をにらめ付けながら護摩共が営まれる大師堂に侵入したが、僧侶の護摩供や追儺師の弓によって、苦しみ悶えてよろけながら逃げ去った。福娘らが豆や餅をまいて福を招いた。 ★「だるま寺」の愛称で知られる上京区下立売通御前西入ルの法輪寺で三日、だるま約八千体を一堂に公開する節分大祭があった。境内に所狭しとだるまが並び、開運を願う参拝者でにぎわった。四日午前も行う。だるまを戦後復興のシンボルになぞらえて堂を建てたのを契機に、だるまが奉納されるようになった。節分に、だるまの「七転び八起き」にあやかろうと開いている。表情も大きさもさまざまなだるまや、普段は非公開の屏風などが境内の棚や縁側に飾られ、参拝者が願い事を書いた札をだるまに張り付けていた。 ★天龍寺七福神めぐり 節分の日、嵯峨・天龍寺では、総門前で福笹を受け、境内の塔頭七カ寺のお札を受けて廻ります。三秀院から始まり、弘源寺、慈済院、松厳寺、永明院、寿寧院、妙智院と続きます。山内では甘酒の無料接待もありますおいないHPから画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】もご覧下さいhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/oinai/
2017.02.03
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今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 一般に節分とは、もともと季節の移り変わる時節を指し、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてが節分のはずだが、立春が旧暦で一年の始まりとされ、その前日の節分を大晦日として、年を分ける重要な意味があった。伝統が息づく京都は、各社寺ごと追儺式(鬼やらい)が催され、多様な行事内容で登場する鬼も個性豊かで面白い。 各家庭では威勢良く「福は内、鬼は外」と豆をまき、邪気を祓い無病息災を願う。 鬼やらいに豆が用いられたのは「魔滅」(まめ)に通ずることからだと伝えられ、年の数より一粒多く豆を食べるのは、来る年の福を願う心を託したものである。 さまざまな巡礼の風習が残る京都、冬のしめくくり・節分の日に一年の無事と幸福を願って都の四隅に当たる四つの社寺(伏見稲荷大社・壬生寺・北野天満宮・吉田神社)をめぐる「四方参り」に出掛ける習慣がある。 ★壬生寺は京都の裏鬼門、開運厄除けの寺として古くから信仰を集めて来た、また狂言の草分けとも言える「壬生狂言」が「節分会」で披露される。壬生寺の大念仏堂で[ガンデンデン]の囃しに合わせて演じられる軽妙な無言劇。 壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされている。 国の重要無形民俗文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いで毎年春の「大念仏会」で厄よけ鬼はらい狂言「節分」(変装した鬼が女主人に酔いつぶされて正体がばれ、豆で追い払われる筋書き)が上演される。 二月二日~三日(二日間) 午後一時から一時間おきに八回上演。 境内や参道の露店で素焼きの炮烙を買い、「無病息災」などの願い事を書き込んで寺に奉納し、一年の無事を祈る。納められた炮烙は四月の壬生狂言「炮烙割り」で割られる。 ★平安時代の歌人、小野篁が開いたとされる上京区・千本ゑんま堂(引接寺)で二月二日~三日「強運節分会・こんにゃく炊き」の行事が行われ、四日の立春から始まる新しい一年を無病息災で過ごせるようにと、訪れる参拝者に裏表のない食べ物としてえんま法王が好むこんにゃくをふるまう習慣が古くからあり、えんま法王の恵みをより身近に感じてもらおうと、えんま様の舌の形に丸く切ったこんにゃく炊きを販売している。一年間の強運を願ってだるまを供養する行事もあり、参拝に訪れた人たちが名前を書いては本堂で祈りをささげていた。夜からは「ゑんま堂大念仏狂言」が行われる。 ★左京区・吉田神社は都の鬼門。都に入ろうとする鬼を退散させる鎮守社で、古式ゆかしい節分儀式で有名です。二日の夜、災いを象徴する鬼を追い払う神事、節分伝統行事「追儺式」が営まれる。 追儺式は「鬼やらい」とも呼ばれ、平安時代初期に始まったとされる宮中で旧暦の大みそかに行われていた行事で、一九二八(昭和三)年に、節分祭の一環として神社が復興した儀式。 冬と春を分ける節分の前夜に、陰と陽が対立して生まれた怒りや苦悩、悲しみを表す悪鬼を正義の使者、黄金の目をした役人の「方相氏」が登場し、手にした盾と矛で鬼を追い詰めた。続いて今年の年男が務める上卿(しょうけい)たちが桃の木の弓で葦矢(あしや)を放ち、三匹の鬼を追い払った。境内の舞殿に登場した赤色、青色、黄色の三体の鬼は、周囲の参拝客に向かって、雄たけびを上げて金棒を振り回すと、四つ目の面を着けた方相氏は、たいまつを掲げた童子を従えて鬼と対峙し、矛と盾で追い詰め、最後は上卿が魔力を封じるといわれる桃の木で作った弓でヨシの矢を放って鬼を山へと退散させた。三日は午後十一時からの火炉祭で直径五メートル。の大火炉で古札を焼く神事が行われ、参道には露店が建ち並び、深夜まで吉田山一帯は賑わう。 ★東山区の八坂神社で二日、節分祭が始まった。花街の舞妓らがあでやかな姿で豆まきをし、一年の幸せと無病息災を願った午後一時ごろ、舞殿で京都五花街の一つ先斗町の舞妓が黒紋付き姿で舞を奉納。芸妓や氏子の年男、年女らと、「福は内」の掛け声とともに豆の入った小袋をまいた。弥栄雅楽会の演奏や宮川町歌舞会による豆まきもあった。三日は、花街では午後一時に祗園甲部、午後三時に祇園東の各歌舞会による奉納舞踊と豆まきがあるおいないHPから画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】もご覧下さいhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/oinai/
2017.02.02
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★湯立神事は湯をふりまく厄除けの神事。 八幡市・石清水八幡宮の節分行事の一つで一年間の厄除け、無病息災と五穀豊穣を祈る神事。釜で沸かした神水を神楽女がササの葉で振りまく節分行事「湯立(ゆたて)神事」が営まれた参拝者は湯しぶきを浴びて無病息災を祈願した。 早朝に男山中腹の霊泉からくみ上げられた岩神水が、本殿前に設けた三基の釜で沸かされた。神楽女が塩、米、神酒を釜の中に入れて湯を清め、両手に持ったササを沸き立った釜の湯につけた後、勢いよく振って湯しぶきを周囲に飛ばした。その後、釜の湯を二本の笹で周囲の参拝者に激しくぶちまけ厄を祓うものですが、熱い地獄のえん魔大王と出会ったような一場面です。 ★右京区龍安寺の転法輪寺は二月一日から、修復が終わった所蔵の涅槃図(ねはんず)を初めて一般公開する。 涅槃図(縦五・四メートル、幅三・九メートル)は一七六四年の作。 同寺で代々保存してきたが、カビが生えるなど損傷が目立つようになったため、一年半かけて修復した。 涅槃図には、弟子たちが釈迦の死を嘆き悲しむ様子や、サイや獅子などの動物が色鮮やかに描かれている。一般の人にも見てもらおうと、釈迦が入滅した旧暦の二月十五日に合わせて、二月からの一般公開を決めた。
2017.02.01
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★厄年の女性の災厄を払い無事を願う「女人厄除(やくよけ)まつり」が二十九日、下京区の市比売神社で営まれた。本厄の十九歳や、後厄などの女性たちが振り袖姿で祈とうを受け、豆まきをして平穏な一年を願った。女性の守り神として知られる同神社が一九八八年から続ける神事。厄年に当たる「福女性(おんな)」五人が本殿にそろい、神職が厄よけの祈とうをささげた。華やかな着物に身を包んだ参加者らは近くの五条大橋に移り、橋の上から「福は内」と声を上げながら鴨川に豆をまいた。
2017.01.30
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★八幡市・石清水八幡宮では毎年、節分前の日曜日に節分行事「鬼やらい神事」を斎行しており(但し、二月三日が日曜の場合は二月三日に斎行)、午後一時と二時の二回、本殿前にて宮中に伝わる古式に則り行われます。先ず「鬼やらい人」が邪気を祓うといわれる桃の枝で作られた弓で四方を射、次に同じく桃の枝で作られた剣で「鬼やろう」の掛け声とともに四方を打ちます。その後、鬼やらい人を始め、年男・年女が境内に現れた鬼たちに「鬼やろう」の掛け声とともに豆を撒き退散させます。それまで鬼を見て泣きじゃくっていた子どもたちもその退散する姿に笑顔を取り戻し、そして参拝者に豆が振る舞われます。
2017.01.29
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