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2019年 6月 25日(火) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★北野天満宮では祭神の菅原道真の「御誕辰祭」(誕生日)に合わせ、夏本番を前に茅の輪をくぐることで、罪や汚れをカヤに託し、厄よけや無病息災を願う「大茅の輪くぐり」の神事が六月二十五日「天神さん」の日に行われる。 昨日の大茅輸くぐりに使用される「大茅の輪」の取り付けも見ごたえがあり、風物詩の一つです。 酷暑を無事に越すことを願うことから、「夏越天神」の名で親しまれている。 直径約七~八㍍もある茅の輪が楼門に取り付けられ、参拝者は「酷暑を元気に過ごせるように」と願い事を唱えながら茅の輪をくぐり、抜き取った茅で小さな茅の輪をその場で作って持ち帰り、一年の無事を込めて玄関に吊す。 又、先着五千体限り、三百五十円で直径七~八㌢の「茅の輪」が「智の輪」に通じるとして授与されます。※ 夏越の神事ともいわれる茅の輪くぐりは、京都の多くの神社で六月三十日に行われる夏の風物詩の一つ。 20198年 6 月 27日(木) 【京 の 季 節 の 花 便 り】 ★東山区・東福寺塔頭の天得院で一年で最も昼間の長い「夏至」の六月二十七日から、キキョウやツバキの見ごろに合わせて庭園の桔梗を愛でる特別拝観が行われる。 午前九時半~午後八時半。七月十日まで。桃山時代に造られた緑鮮やかな杉苔が広がる枯山水の庭園に紫色や白、八重のキキョウ約三百株が植わって、凛とした美しい姿を見ることができる。 又塀の外側には南側の塀沿い約三十㍍に交互に並んで、秋の七草の一つハギがこの時期にも赤紫色の花をつける二度咲きで、初夏を感じさせる白色のアジサイの花との競演を見せている。 五月末から花を付け始めた落ち着いた赤紫色のハギの花とかれんな白い花をつけるカシワバアジサイの対照的な姿が、見る目を楽しませてくれる。 日没後、庭園のライトアップも行われる。見頃は七月初旬まで続く。二汁五菜の「桔梗膳」も味わえます。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.27
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2019年 6月 22日 (土) [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ ] ★祇園祭の役行者(えんのぎょうじゃ)山(室町通三条上ル)の蔵が一一四年ぶりとなる修復を終えた。修験道ゆかりの輪宝紋の入った屋根瓦やしっくいの壁が真新しくなり、七月五日にある同山の吉符入りを待つばかりとなっている。 蔵は一八七〇年に建てられた二棟。ご神体や山の骨組みなどが納められており、一九〇五年に修復した記録が残る。昨年九月の台風二十一号で壁や屋根の一部が落ちる被害があり、役行者山保存会が昨秋、本格的な修復工事に取り掛かっていた。 紋入りの瓦は特注品で、屋根の一部は古い瓦を活用しながらふき直した。後祭(あとまつり)の宵山期間に当たる七月二十一~二十三日には一般の人たちも外観を見られるようにする。 「瓦の紋に注目してほしい」とのこと。 2019年 6月 23日(日) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★左京区大原の三千院で六月二十三日から恒例の「あじさい祭り」が始まる。 「奥の院あじさい苑」一帯には三千株以上のアジサイが植えられ、一般的なあじさいの他にも「山あじさい」「星あじさい」「蔓あじさい」など様々なアジサイが所狭しと咲き誇っています。見ごろは六月下旬から七月上旬ごろ。 杉木立と苔むした雰囲気の中に青や薄紫の色鮮やかに咲くアジサイは格別で、中でも朝露で色を増した薄紫のヤマアジサイや小さな花びらが愛らしいホシアジサイは心が洗われる。 散策路沿いでは、大人の背丈程のアジサイも。 対照的に、せせらぎの近くではヤマアジサイが小さな花を咲かせます。午前八時半~午後五時。七月十五日まで。拝観料 七百円。 ★京都御苑の東側(寺町通)沿いに建つ、節分で有名な紫式部ゆかりの廬山寺では、キキョウが見ごろになってきた。 「源氏庭」で紫のかれんな花を競い、訪れた人を楽しませている。この寺の場所にはかって、紫式部のお父さんの藤原為時の居宅があり、式部が「源氏物語」を執筆したとされている。キキョウは源氏物語に登場するなど古代から愛されており、廬山寺の源氏庭には平安時代の風情を伝えようと約千株が植えられて、つり鐘型の花が庭一面に、白砂と鮮やかなコントラストを見せている。廬山寺の桔梗は七月に満開となり、九月頃まで楽しめそうです。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.23
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2019年 6月 20日(木) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★洛北・鞍馬寺では六月二十日、大蛇に見立てた青竹を山刀で断ち切り、災いを払って古事を願う「竹伐り会式」が僧兵に扮した地元の人たちの豪快な刀裁きで行われた。 平安時代に鞍馬寺中興の祖・峯延(ブエン)和尚が大蛇に襲われ、法刀で退治したとの故事にちなむ、千年以上の歴史を伝える神事。 江戸時代中頃から、東の近江座と西の丹波座に分かれて竹を切る速さを競い、両地方の豊凶を占うようになった。ほら貝の音を合図に、黒の僧衣に白袈裟を弁慶かぶりした八人の大惣荒法師仲間が本殿前の特設舞台で「竹ならし」で竹の長さを切り揃え、東西に分かれ二人一組になって直径約十五㌢、長さ五㍍の青竹四本に、山刀を振り下ろし、切り落としていきます。 導師が扇をかざしたのを合図に大惣はバン、バンと激しい音を響かせながら、四本の竹に刀を激しく打ちつけた。 先に切り取った方が今年の豊作を約束されるという。その青竹は魔除け、厄よけとされており、竹は二回切るので(竹ならし・勝負伐り)、最初の竹鳴ならしだけではなくて、勝負伐りまで見ると縁起がいいようです。 竹の切れ端は、参拝者らのお守りに使われるという。 ちなみに昨年は、七年連続で西の丹波座に軍配が上がっていますが、はたして今年の勝敗は? 信楽香爾(しがらきこうじ)執行の扇を合図に各座四人が二人ずつ竹を切り始めた。先に六つに切り分けた丹波座が「丹波の勝ち」と名乗りを上げて境内に駆けだしていくと、集まった約六〇〇人の参拝者から大きな拍手が起こった。
2019.06.21
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2019年 6月 15日 (土) [ 祇 園 祭 シ リ ー ズ ] ★東山区の八坂神社で十五日、平安時代に始まった祇園臨時祭の伝統を継ぐ神事「例祭」が行われ、舞殿で優雅な東遊(あずまあそび)が披露された。旧暦六月十四日に行われた祇園祭の還幸祭の翌日、朝廷から贈り物が届けられた歴史にちなむ。幕末の一八六五年に約四〇〇年ぶりに再興して以降、十五日に例祭が行われている。。今年は祇園祭創始一一五〇の節目。 2019年 6月 16日 (日) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★西京区・大原野の十輪寺で六月十六日、平安時代の六歌仙の一人、伊勢物語の主人公の在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌三弦法要」が営まれた。 十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。 業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。塩竃の跡や墓もある。本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら独特の節回しで般若心経や天台声明を唱えた。 業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人・歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。 2019年 6月 17日(月) 【京 の 季 節 の 花 だ よ り】 ★東山区の建仁寺塔頭・両足院は、六月十七日から庭園を特別公開する。白砂と苔に青松が美しい唐門前庭、枯山水庭園の方丈前庭、京都府指定名勝庭園の池泉廻遊式庭園からなる書院前庭の池の周りに植えられている約一千株の「半夏生」(ハンゲショウ)が葉の一部が化粧したように白く変色し、見ごろを迎えている。純白に変わった葉が花のように、庭池の周りを彩っている。ハンゲショウはドクダミ科の多年草。名前は、七十二候の一つの夏至から十一日目の「半夏生」に花を咲かせるからとも、葉の表面がけが白く変化し「半化粧」するからともいわれる。※ 寺宝展「朝鮮通信使の足跡」も同時開催され、龍山徳見禅師による開創の建仁寺の塔頭寺院で、通常は予約をしないと拝観できない。茶室「水月亭」の特別拝観もあります。拝 観 午前十時~午後五時まで。 七月十日 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.17
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2019年 6月 13日 (木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京都五花街の芸舞妓たちが競演する合同公演「都の賑(にぎわ)い」の舞台稽古が十三日、宮川町歌舞練場で催された。公演終盤の「祇園小唄」に出演する各花街の舞妓計二〇人が異なる流派の舞いを合わせる初の合同稽古に臨んだ。 舞台では京舞井上流の家元井上八千代さんら各流派師匠の指導の声や手拍子が飛び交った。舞妓たちは体の向きや目線など細かな所作を確かめた。 公演は東山区の南座で二十九、三十日午前十一時と午後二時半からの各日二回。先斗町の清元「北州」で幕開けし、祇園甲部の地唄「鳥辺山」、宮川町の長唄「君が代松竹梅」、祇園東の清元「青海波」、上七軒の長唄「浪枕月浅妻」と続く。一等席一万二千円。二等席六千円。 2019年 6月 15 日(金) 【京 の 季 節 の 花 だ よ り】 ★平家物語の冒頭に登場する「沙羅双樹(さらそうじゅ)」として知られるナツツバキが、右京区の妙心寺塔頭・東林院で見頃を迎え、十五日に特別公開が始まった。 白い小さな花々がこけむした庭の上に転々とこぼれ落ち、涼しげな風情を漂わせている。ナツツバキは、朝に咲いて夕には落ちてしまうことから生のはかなさを象徴するとされ、釈迦(しゃか)が入滅した時に傍らに立っていた沙羅双樹に擬されている。平家物語では「盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」と記されている。 庭には高さ十五㍍の樹齢三百年以上のナツツバキ(沙羅)の老木が十一本植えられており、梅雨の時期に白い花が開くが、朝に咲き、夕方には散る、一日限りで散るはかなさや、幹が根元から二股に分かれていることなどから、仏教の聖木「沙羅双樹」になぞらえて親しまれ、「平家物語」の一節「沙羅双樹」をしのばせる。 毎年開花の時期に合わせて公開している。初日には花供養が行われる。沙羅の花は雨上がりか雨降りの日、または午前中に愛でると、青苔と白い花の風情があり素晴らしく、苔の上に散り敷く様を心ゆくまでお楽しめる。今年の開花はやや遅く、見頃は二十日前後。 三十日まで。午前九時半から午後四時。 有料 一五八〇円(抹茶付き) 特別公開「沙羅の花を愛(め)でる会」は三十日まで。有料。 ★東山区の真言宗智山派総本山・智積院で六月十五日、宗祖弘法大師・空海の誕生日(六月十五日)と宗派の高野山中興の祖・覚鑁(かくばん)の誕生日(六月十七日)にちなんで祝う法要で、青葉の美しい時期に催されることから「青葉まつり」と呼ばれている。 毎年智積院では、この誕生を祝う法要「青葉まつり」を行っております。弘法大師は、中国に渡り日本に密教を伝え、高野山を開いた方です。真言宗の宗祖であると同様に、さまざまな業績を残され全国各地で尊崇されています。 興教大師は、弘法大師の教えを復興したことから、真言宗の中興の祖といわれる方です。 弘法大師のご生誕は宝亀五年(七七四年)六月十五日、興教大師のご生誕は嘉保二年(一〇九五年)六月十七日です。 金堂での慶祝法要に続き、全国各地から集まった山伏約五十人による柴灯大護摩供は、ほら貝が鳴り響く中、点火した護摩壇に無病息災などの願いが込められた護摩木が投入され、炎と煙が立ち上がる前庭で行われた。 同時に国宝の障壁画(長谷川等伯筆)や華道展も開かれます。皐月やツツジが見事な桃山時代の緑がまぶしい名勝の庭園、及び収蔵庫の障壁画の無料公開もあります。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.16
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2019年 6月 9日 (日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★幕末の京都で命を落とした会津藩士らを祭る金戒光明寺(左京区)塔頭の西雲院内「会津藩殉難者墓地」に会津藩主松平容保の石像が建立された。九日に除幕式があり、福島県・会津地方出身者らでつくる京都会津会の会員が静かに手を合わせた。 同院の殉難者墓地には、鳥羽伏見の戦い(一八六八年)をはじめ六十二年から八十二年までの五年間に亡くなった会津藩の武士や女性が祭られている。二〇〇二年に京都会津会が創立一〇〇周年を迎えた際に墓地整備などのため募金が寄せられ、余剰金が石像の建立に充てられた。 高さ約一・二メートルの石像は、容保が京都守護職を務めていた頃の陣羽織姿の写真を基に、きりりとした表情に仕上げた。素材は高松特産の庵治(あじ)石で、参拝者と目線が合うよう高さ約〇・七五メートルの台座にのせられている。 九日は会津藩士をしのぶ法要に続いて除幕式があり、松平家十四代当主松平保久(もりひさ)さんら約一〇〇人が真新しい像のお披露目に立ち会った。容保公の石像建立は全国でも例がなく。墓地に眠る人たちを見守るように設置され、み霊も大変喜んでいるのではと完成を喜んだ。 2019年 6月 12日 (水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京都を代表する菓子土産「八ッ橋」の名の由来とされる江戸時代の八橋検校(一六一四~八十五年)をしのぶ七十一回目の法要が十二日、左京区の二カ所で営まれた。検校は江戸初期に活躍した箏曲家で、近世箏曲の祖とされる。菓子業者が命日に合わせ一九四九年から法要を営んでいる。 検校の墓がある金戒光明寺塔頭の常光院では井筒八ッ橋本舗が「八橋祭」を開き、約四十人が出席した。読経の後、琴奏者の神原左知子さん、山本修也さん)の二人が検校ゆかりの曲を響かせた。 然院では聖護院八ッ橋総本店が「三百三十五回忌」を催した。約八十人が参列し、芸舞妓たちが京舞を奉納した。 2019年 6月 13日 (木) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★アジサイ寺として知られる宇治市の三室戸寺で、今年もハートの形のアジサイが見つかった。「恋のお守り」と人気を呼んでいる。 恋愛成就や幸運につながると「見つけたら幸せになれる」と話題を集め、海外からの観光客にも人気だという。 西洋アジサイの球状の花が重みでたわみ、ハートの形になるという。アジサイの花は通常、球状にまとまって咲くが、房の分かれ具合によって、ハート型になるものが時々見られるという。三室戸寺にはアジサイが約一万株、花の数にして数十万輪ある。ハートに見える花は日によって変わるが、ハートが見つかったら「恋愛が成就するかも」といい、写真に撮ろうと探す観光客も少なくない。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.14
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2019年 5月 26日 (日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★幕末から明治にかけて活躍した桂小五郎(木戸孝允)の命日祭「松菊祭」が二十六日、東山区の京都霊山護国神社で営まれた。府内外から集まった約三十人のファンたちが、明治維新の立役者の一人として奔走した桂の勇姿に思いをはせた。桂の雅号「松菊」にちなむ同祭は、一八八七(明治一〇)年に京都で亡くなった桂の命日に合わせ、同神社と「木戸孝允先生顕彰会」が毎年行っている。参列者たちが桂の墓前に献花した後、宮司が桂の功績を振り返る祝詞を読み上げた。最後に一人ずつ玉串をささげて手を合わせた。★右京区の愛宕神社と野宮神社の例祭「嵯峨祭」の還幸祭が二十六日、嵯峨地区で営まれた。強い日差しが照りつける中、担ぎ手らの威勢の良い掛け声とともに剣鉾や御輿が勇壮に練り歩いた。嵯峨祭は大覚寺縁が深く、現在は地域住民がつくる嵯峨祭奉賛会が催している。午前一〇時、剣鉾五基が清凉寺南側の御旅所を出発。担ぎ手が独特の足さばきで鉾についた鈴を鳴らすと、観客から大きな拍手歓声が沸いた。鉾に続き「ほいっと、ほいっと」の掛け声に合わせ、両神社の神輿が巡行。大覚寺で祈祷を受け、渡月橋を渡り、約一〇キロを歩いた。このほか、子供御輿や稚児行列も祭を盛り上げ、多くの観客らを魅了した。 2019年 5 月 28(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・大原野の十輪寺で五月二十八日、平安時代の六歌仙の一人、伊勢物語の主人公の在原業平をしのぶ法要が新緑のモミジが映え、鳴り響く三弦と声明に「業平忌秘密三弦法要」が営まれた。 十輪寺は業平が政略で離された恋人の二条后を思いながら晩年この地に住み、元経(八八〇)年五月二十八日、五十六歳で亡くなるまで、ここで塩を焼いて風情を楽しんだと伝わる。業平忌は、一族の女性との仲を裂いた藤原氏が、たたりを恐れ供養したのが始まり。塩竃の跡や墓もある。 本堂前に特設した祈願道場で、三弦を奏でる独特の声明法要で、住職らが三弦を奏でながら独特の節回しで般若心経や天台声明を唱えた。 業平が好んだと云われるカキツバタや歌詠みである業平を慕って多くの俳人・歌人が集い、日本舞踊・京舞の奉納や、書や献花の奉納もあり、平安の歌人に思いをはせていた。 2019年 5月 30日(木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★過去の悪行を反省し、心を清らかにする天台宗の重要な儀式「御懴法講」が三十日、左京区大原の三千院で行われた。経文に旋律を付けて唱える独特の声明が境内に厳かに響き渡った。御懴法講は一一五七年に後白河天皇が宮中の仁寿殿で営んだのが始まりとされ、門跡寺院などに伝わってきた。廃仏稀釈や戦争などの影響で何度か途絶えたが、一九七九年に復興し、今回で四十回位目を迎えた。 宸殿で法要が始まり、導師を務める三千院の門主をはじめとした僧侶たちが道内に入り、雅楽とともに高らかに声明を唱えた。花びらをかたどった紙を僧侶がまく「散華」など、儀式は約二時間営まれ、再現された宮中法会を参列者が見守っていた。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.06.06
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2019年 5月 25日 (土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★宇治の平等院で二十五日、同院にゆかりの深い源頼政の八四〇回忌を記念した特別展「源の頼政―歴史と伝説の交叉(こうさ)」が始まった。公家と武家姿の頼政像のほか、初公開の絵図「頼政一代記」などが展示されている。頼政は源氏再興のため挙兵したが一一八〇年の宇治橋での合戦で破れ、五月二十六日平等院境内で自刃した。御所での鵺(ぬえ)退治の伝説や、亡くなった後の魂が「源氏蛍」となり、「平家蛍」と入り乱れて宇治川を乱舞したという伝承も残る。特別展では鵺を退治したと伝わる弓や実戦で使用していたとされるかぶとなど十六点を展示している。二十五日は住職による特別展の開眼法要が営まれた。展示は九月二十七日まで。期間中、展示品を一部入れ替える。拝観料が必要。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.05.26
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2019年 5月 20日 (月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★浄土真宗本願寺派の宗祖親鸞の誕生を祝う、毎年恒例の降誕会(え)が二十日、下京区の同派本山・西本願寺で営まれた。重要文化財の南能舞台では祝賀能が上演され、一二〇〇人を楽しませた。 本願寺と能は室町時代の本願寺八世蓮如のころから関係があるといい、十九世紀後半からは祝賀能が恒例となった。 世襲制の門主の代替わりを祝う「伝灯奉告法要」が営まれていることから、父子をテーマにした演目となった。冒頭、現在では西本願寺でしか見られないという「お能始めませい」との「触れ」から始まった。観世流シテ方の片山九郎右衛門さんらが出演。優雅な天女の舞と山神の激しい舞いがある世阿弥作「養老」や、文殊菩薩の使いである獅子が変化に富んだ華麗な舞いを披露する「石橋(しゃっきょう)」などが披露された。観客たちは、日本最大級の屋外能舞台で演じられる能に見入っていた。また、親鸞の木像を安置する御影(ごえい)堂で法要が営まれ、境内南側にある唐門が三十五年ぶりに開かれた。 [葵 祭 シ リ ー ズ] ★葵祭を締めくくる小川流煎茶献茶祭が二十日、左京区の下鴨神社で行われた。七代家元を継承した小川後楽さんが、心を込めた一煎をいれ、神前にささげた。 祭の無事を奉告する恒例の行事。神事に続き、本殿前の舞殿で新家元が厳かにお手前に臨んだ。流祖伝来の本格手前で二碗に静かに茶を注ぎ、東西の二神に献じた。 献茶式後、境内の供御所(くごしょ)に設けられた本格手前の茶席では、歴代家元の遺愛の品などで列席者をもてなした。直会(なおらい)殿にも文人手前席が設けられ、汗ばむ陽気の中、訪れた約三〇〇人は、趣向の違いとともに、喉を潤す煎茶の清味を味わってい た。 2019年 5月 21(火) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★東山区・三十三間堂廻り養源院は、文禄三年(一五九四)淀君が父の菩提を弔うため秀吉に願い建立しました。 商売繁盛、無病息災、家内安全の御利益があるとされる養源院の大般若経会は、一月、五月、九月、の二十一日に行われる恒例行事です。 一切は空であるとの思想を説く仏教の諸経典を集成した大般若経全六〇〇巻を御宝前で導師と出仕の僧四人で転読します。 当日の参拝者には御札の授与があり、御供養が配られます。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.05.21
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2019年 5月 10日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★「縁切り」で知られる東山区・安井金毘羅宮で春季大祭。 境内祭場に願い事が書かれたお札が無数に貼られた「縁切り縁結び碑」の前に、護摩壇を設けて、切実な願いの込められた「けがや病気と縁が切れますように」「夫の浮気相手ときれますように」などと書かれた護摩木を焚き上げます。お火焚きと言えば十一月ですが、この時期にも行なわれる春の火焚き祭。 交通安全・家内安全・無病息災などを祈願します。 神職が点火すると、強い風にあおられ活き勢いよく煙が上がった。三千本以上の護摩木が投げ入れられた。当日はお茶席やおでんの模擬店、盆石の展示もあります。 2019年 5月 11日 (土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★下京区仏光寺通新町西入るの菅大臣神社・(通称 管大臣天満宮)で五月十一日・十二日、平安初期の学問の神様・菅原道真を祭る例祭が営まれる。 山吹姿の行者がほら貝を吹き鳴らしながらゆっくりと地域を練り歩き、道真公を偲んだ。この神社は、道真公の誕生の地で、もと道真の邸や菅原廊下といわれた学問所跡に建てられたとされ、天満宮誕浴の井が保存されている。 毎年五月上旬に二日間、例祭を行っている。 七日は山伏のお練りの後、境内で護摩木が焚かれ、八日には拝殿にて茂山千五郎社中による狂言が奉納される。 2019年 5 月 12 日(日) [葵 祭 シ リ ー ズ] ★葵祭の前儀となる「御蔭祭」は五月十二日、葵祭に先立ち、御蔭神社から御神霊を下鴨神社に移す重要な祭礼が行われる。新緑の森を進む神馬、その背中で揺れ動く錦蓋(きんがい)・・・。 葵祭りに先駆けて神霊を下鴨神社に迎える重要な神事だけに、神々しい風景です。 早朝、祭官、供奉者約百五十人が下鴨神社を出て、比叡山の八瀬御蔭神社に向かいます。 左京区八瀬の御蔭神社は下鴨神社の摂社で、江戸後期の天保六(一八三五)年に現在の御蔭山中腹に移された。 境内に東西二つの本殿が並び建ち、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かものたてつぬみのみこと)を祀る。八瀬御蔭神社では、入り口を従者が固めつつ、社殿内で神移しが行われます。その様子は見学も拝むこともできない、神聖な儀。 御蔭神社での神事の後、狩衣や烏帽子姿の約百五十名の行列が、荒御魂(あらみたま)を、白馬に迎えられてから氏子町内をめぐり、糺の森の新緑のトンネルを練り歩く。この巡行は国内で最古の神幸列と伝えられる。下鴨神社の境内に到着後、雅楽の演奏に合わせて行列し、「切芝」と呼ばれる場所で、白馬を前に舞人六人が雅やかな舞「東遊の舞」を奉納して優雅な神事を行う。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山七条・新日吉(いまひえ)神宮で五月十二日、新日吉祭が行われる。 祭官が祝詞を述べ、門跡が読経する神仏混淆(こんこう)の珍しい行事です。 八五〇年もの歴史があり、妙法院の門跡による法楽の儀が行われます。 宮中にあった「小五月会」と呼ばれる行事を平安時代に後白川上皇が同神宮で復活させたことに由来するといわれている。 鳳輦(ほうれん)を中心に稚児武者などからなる約百五十人の隊列が氏子域を巡行します。鳳輦は、神輿に似ていますが、勇ましく担ぐと言うよりは、しずしずと引かれるのが特徴です。途中四カ所で神事を行い、地域住民の家内安全や健康を祈願した。 ★還幸祭(おかえり)は五月十二日に松尾大社に還幸する。 昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。 出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。 還幸祭には、三ヶ所の御旅所に駐輦されていた神輿と月読社の唐櫃とが、西寺跡の「旭の杜」に集合し、ここで古例による西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典をした後、列を整えて 途中朱雀御旅所に立ち寄り、ここでも祭典、次いで七条通りを西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道を経て、松尾橋を渡り、本社に還御されます。この還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。賀茂両社の「葵祭」は観光名物としてあまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い当社や伏見稲荷大社にも実は同様の伝統が存在しています。この神幸祭・還幸祭には、いずれも吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の役を奉仕する例で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。 2018年 5月 13日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★下京区・市比売神社で五月十三日、いちひめ祭(斎矢神事)が商売繁盛や厄よけを願って十二本の矢を放つ神事「試し弓」が営まれた。 試し弓は、氏子・崇敬者の招福を願い、平安時代に、藤原経清・源為家が神社境内で行った弓矢の勝負「競弓(くらべゆみ)」の故実に倣い「斎矢・試弓神事」が奉納されます。 毎年この日に行う春季大祭と併せて実施している。 直垂烏帽子姿で、商売繁盛や招福を願う人々の名を裏面 に記した約五㍍離れた的を目がけて六本ずつ矢を放ち、大きな音と共に矢が次々と的に突き刺さる。 矢の当たった人には一年間その矢が預けられ、願いが叶うという「斎矢神事」が行われます。いちひめ神社三種の御神物の一つ「霊爾の幸の御札」が授与されます。 この後、「いちひめ雅楽会」が雅楽演奏と舞を披露した。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.05.12
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2019年 5月 5日 (日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★「馬の神様」として知られる伏見区・藤森神社で(五月一日~五日)、藤森祭があり、五日には「駆馬神事」(京都市登録無形民俗文化財)が奉納される。 藤森神社は「菖蒲(しょうぶ)の節句」発祥の地と伝わり、転じて「勝負」の神として信仰を集める。江戸時代には各藩の馬術指南役や町衆が、曲芸的な馬術を競うようになったという。 駆馬神事は、七八一年、早良親王が陸奥の反乱へ出陣する際、藤森神社で必勝を祈願したことにちなむ。 新緑に覆われた鳥居から拝殿までの参道約百八十㍍の馬場で疾走する馬の上で、乗子が逆立ちして敵をあざける「杉立ち」、敵の矢を避けて前傾姿勢で駆ける「手綱潜り」、や敵矢が当たったと見せかけて身をのけぞらせる大技「藤下がり」、馬上で文字を書く妙技などアクロバティックな技が魅力を見せ、観客を驚嘆させた。事前の練習はなく、乗子はぶっつけ本番で技に挑む。 境内では、巫女(みこ)や武者姿の時代行列もにぎやかに練り歩いた。 藤森神社駈馬神事◇ 駈馬の技(わざ)は下記の通り。◇ 一、 手綱潜り 敵矢の降りしきる中、駈ける技 二、 逆乗り(地藏) 敵の動静を見ながら、駈ける技 三、 矢払い 敵矢を打払いながら、駈ける技 四、 横乗り 敵に姿を隠して、駈ける技 五、 逆立ち(杉立ち) 敵を嘲りながら、駈ける技 六、 藤下がり 敵矢の当たったと見せて、駈ける技 七、 一字書き 前線より後方へ情報を送りながら、駈ける技 ★縁結びの神として知られる東山区・清水寺境内地主神社で五月五日、例大祭「地主祭」が営まれた。 家内安全・土地守護・事業繁栄・良縁達成を祈願するお祭りで、約千年前の天禄元年、円融天皇行幸の際、勅命により行われた臨時祭がその起源。 雅楽、白川女、武者、稚児などの行列は時代絵巻さながらです。かつて地主桜を御所に献上した様子を、白川女が当時そのままに伝えます。 《神幸祭》 『地主神社』ののぼりを先頭に、神宮、巫女、白川女などの列が、地主神社本殿前を出発します。そして子供みこし、稚児、武者などと合流して、雅楽の調べも賑やかに清水坂、三年坂、茶碗坂などを練り歩きます。神社に戻り、そこで家内安全、無病息災、事業繁盛、世界平和などを祈願する祭典が行われます。 [葵 祭 シ リ ー ズ] ★上賀茂神社では五月五日、一日の足汰式で決まった出走馬がいよいよ登場し、天下泰平と五穀豊穣を祈願する行事「賀茂競馬会(くらべうまえ)神事」が行われた。 競馬は平安時代からの勇壮な神事で、平安中期・堀河天皇の寛治七(一〇九三)年に宮中武徳殿の儀式を移して上賀茂神社に奉納されて以来、九百年以上今日まで続いている。 一〇九三年、内裏の女官達が菖蒲の根の長短を競う遊びで賀茂社の菖蒲の根が長く、勝利を射止めたため、その御礼として競馬を奉納したのが始まりとされる 早朝より頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲根合わせの儀などが行われる。 本殿祭の後、午後から乗尻は左右に分かれ、左方は打毬(たぎゅう)、右方は狛鉾(こまぼこ)の舞樂装束を着け、馬に乗って社頭に参進します。 勧盃、日形乗、月形乗、修祓、奉幣の儀を行い、次いで馬場にて順次競馳(きょうち)します。(京都市登録無形民俗文化財に登録)その様子は『徒然草』等にも書かれており、蓋し天下の壮観です メーンの競馬会の儀では、二頭の馬が一馬身差でスタートし差が広がったか狭まったかで勝敗が決まる。 「馬出しの桜」から「勝負の紅葉」までの勝負を競い、判定役が赤扇を挙げると左方の勝ち、青扇を挙げると右方の勝ちです。 一の鳥居からニの鳥居にかけて芝生西側の馬場で赤色の「左方」と黒色の「右方」の組に分かれ、二馬ずつ六回勝負する。左方の勝ち数が多い年は豊作とされている。 ★左京区・下鴨神社で「歩射神事」が行われる。 宮中古式により弦や鏑矢で邪気を祓い、弓矢で葵祭りの沿道を清め無事を祈る神事。 まずは射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓います。 二本の矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越し式」、大きな的を射る「大的式」、連続で矢を射る「百矢式」などが執り行われる。 以上四つで「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、これもまた葵祭りの安全祈願とされています。 2019年 5月 8日(水) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★左京区・吉田神社境内の山蔭神社で五月八日、包丁刀とまなばしだけでタイとコイを切り分ける「式包丁」が料理店関係者や国内外の観光客が見守る中、厳かな儀式が奉納された。 式包丁は、山蔭神社が創建され五十余年前から始まった儀式。 吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。 笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振り下ろした。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.05.10
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2019年 5月 1日 (水) 【花 街 シ リ ー ズ】 ★若葉もすがすがしい新緑の京都にひときわ彩りを添える京の「春のをどり」の最後を飾るにふさわしい舞妓、芸妓の舞・「第百八十二回鴨川をどり」が芸舞妓があでやかな王朝絵巻や愉快な道中記を繰り広げて舞台を彩った。 鴨川をどりは、明治五年の初演以来、長年の伝統に裏づけられた確かな伎芸で、京の年中行事として欠くことの出来ないものとなっています。◆演目 第一:わかよたれそ 筒井筒 第二:艶姿祝新御代祭 (あですがたしんみよまつり)◆開催期間 五月一日(月)~二十四日(木) ◆開演時間 午後十二時三十分~、二時二十分~、四時十分、(一日三回公演)◆観覧料 茶券付特別席:四千八百円・特別席:四千二百円・普通席:二千三百円 鴨川をどりは一八七二年に始まり、年二回公演の時期を経て、一八二回目を迎えた。今回は二部構成で芸舞妓五〇人が出演する。尾上流で純舞踊と舞踊劇の二本柱。西洋古典を原作にした創作喜劇や、芸舞妓によるあでやかな舞踊に、招待客が見入った。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★右京区梅ケ畑の神護寺一日、虫干しを兼ねて寺宝の絵画や古文書を一般公開する「虫払い行事」が始まった。源頼朝や平重盛を描いたと伝わる肖像画など普段は見られない国宝や重要文化財に、参拝者が見入っていた。 虫払い行事を催していたことを示す一六三七(寛永十四)年の文書が見つかったのを機に、同寺が一九五四年に復活させた。普段は京都国立博物館(東山区)に寄託している国宝も里帰りさせ、会場の書院に計六十七点を並べた。 国宝「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」は真言宗を開いた空海が行った密教の重要儀式の記録で、儀式を受けた僧侶の冒頭に天台宗を開いた最澄の名前が残る。衣の色から「赤釈迦(しゃか)」と呼ばれる国宝「釈迦如来像」、紺色の紙に金色で書かれた重文の一切経もある。 ★天皇陛下の即位に合わせ、皇室ゆかりの京都、滋賀の寺社では、法要や神事などで新時代の幕開けを祝った。 八八八(仁和四)年に宇多天皇が創建し、明治期まで皇族が門跡(住職)を務めた右京区の仁和寺では、国宝の金堂で約二〇人の僧侶が読経し、裕執行長が国の安寧などを祈る奉告文(ぶこくもん)を読み上げた。★東山区の長楽寺では、天皇即位時にのみ開帳され、天台宗の宗祖最澄が彫ったと伝わる本尊、准胝(じゅんてい)観音菩薩(ぼさつ)像の公開が始まった。読経後、鍵を開けて開帳すると、高さ約50センチの像が現れた。★御霊神社(上御霊神社、上京区)と下御霊神社(中京区)の祭礼の神輿(みこし)は、京都御苑内を巡行した。御霊神社の神輿三基が今出川御門から御苑に入り、朔平(さくへい)門前で祝詞を奏上。続いて下御霊神社の神輿が寺町御門から御苑に進み、仙洞御所前で神事を営んだ。下御霊神社の神輿が御苑内を巡行するのは明治維新以来約一五〇年ぶりといい宮司は「手探りの巡行だったが、いいお祭りができて感無量」と話した。 [葵 祭 シ リ ー ズ] ★上賀茂神社(北区)の伝統行事「賀茂競馬(かもくらべうま)」(五日開催)で出走する馬の順番を決める「足汰式(あしぞろえしき)」が一日、同神社であった。雨の中多くの観衆が訪れ、平安時代から続く神事や、新緑の中を駆ける馬の姿を楽しんだ。 足汰式では、鍛錬を積んだ「乗尻(のりじり)」と呼ばれる騎手が、約二〇〇メートルの馬場を直線に駆け抜ける。まず一頭ずつ走る「素駆(すがけ)」を行い、姿勢やむちさばき、速さなどを基に組み合わせを決める。次に本番同様、二頭ずつ走る「競馳(きょうち)」を行う。今年は中学二年から四十六歳の一〇人が乗尻を務め、勇壮なかけ声やむちの動きで魅了した。訪れた人は目の前を全力疾走する馬の迫力に圧倒され、子どもたちも「速い」「かっこいい」と感嘆の声を上げていた。 賀茂競馬は天下泰平(てんかたいへい)や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願するため、一〇九三年に始まったとされる。 ★京都の初夏も川面の涼風はや夏情緒!一日から鴨川納涼床の「床開き」 京都も風薫る素晴らしい季節となってきました。 京都の夏の風物詩として数えられ広く親しまれている「鴨川の床」が今年も早々と、みそそぎ川(鴨川の右畔に沿って流ている人工の浅瀬の川)の上に立ち並び、木屋町の二条→五条間の九十八店の料理屋・各種飲食店・喫茶店や三条→四条間の先斗町お茶屋さんの川床が五月一日より開床!!!。みそそぎ川のせせらぎの音も優しく、四季折々の自然を映して、京都の町中を流れる鴨川。いにしえの都人は、加茂の河原に桟敷や几を配し、遠来の客を遇しました。こうした風情を現代伝えたのが「鴨川の床」です。ずっと以前は六月一日~八月三十一日まの期間を本床「鴨川の納涼床」と呼び賑っておりましたが、近年「皐月の床」五月一日~五月三十一日:「後涼み」九月一日~九月三十日となり、五ヶ月の長期間にわる京の風物詩となりました。 爽やかな五月に催している「皐月の床」この時節は新緑の東山を眺め、川面をわたる爽風に吹かれながらのお昼のひとときを、又夕食の京料理をと古都ならではの贅沢を堪能されては如何ですか…… (但し、雨の日は床は楽しめません)。 木屋町御池の料理旅館「幾松」では、島原の太夫や宮川町の芸舞妓が舞を披露。客は太夫や芸舞妓のもてなしを受けながら、旬の食材を使った料理や酒を楽しんだ。 長刀鉾祇園囃子保存会が今夏初めて「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)を奏で、舞妓が来客をもてなした。※ 「鴨川納涼床」は特許庁により地域ブンド商標(登録商標)として認定され、全国的にもますます知名度が向上しているようです。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.05.06
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2019年 4月 29日(月) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★「壬生さんのカンデンデン」の愛称で知られる国の重要無形民俗文化財「壬生狂言」の春の公開が二十九日、中京区の壬生寺で始まった。 『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされる。 七百年の伝統を伝え、重要無形文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いでいる。 素焼きの皿を豪快に割る「炮烙割(ほうらくわり)」など五演目が上演され、一時は雷雨に見舞われた不安定な天候の下、集まった四四〇人の観客を沸かせた。 「壬生大念仏会」に上演される最初の演目は、太鼓屋が炮烙売りとけんかし、厄除けの炮烙を割るという「炮烙割」。 炮烙割は、市場の出店順を巡る太鼓売りと炮烙売りとの争いを描いて因果応報を伝える演目。鉦(かね)と太鼓、笛の音に合わせ、仮面を付けた演者がユーモラスな所作で笑いを誘った。太鼓売りが高さ約三メートルの舞台から約一一〇〇枚の炮烙を落とすと、大きな拍手が湧き起こった。 最後に、節分の日に家族の年齢や性別を墨書きして奉納された千枚以上の炮烙が舞台の上から落とされる これが見事に割れると、災いから逃れ福を招くといわれている。 壬生狂言は鎌倉時代の一三〇〇年、壬生寺の中興の租・円覚上人が、声が届かないほど大勢集まった群衆に身ぶり手ぶりで仏の教えを説くために始まったと伝わる。五月五日まで。炮烙割は連日午後一時からの初番。有料。 大人 八〇〇円、中高生 六〇〇円、小学生 四〇〇円。 ※ 二月、十月にも催される。 ★ゴールデンウイークがスタートし、京都の社寺は大勢の人でにぎわった。伏見の城南宮では、恒例の平安時代のみやびな王朝絵巻を再現した優雅な貴族の歌び、春の「曲水の宴」が四月二十九日行われた。お琴の音色が響く柔らかな木漏れ日が新緑を彩る庭園で、遣水(やりみず)と呼ばれる小川のほとりに座った歌人が短歌を披露し、多くの観客はひとときを雅な世界に酔いしれていた様です。 清流にのぞんで詩歌を作り、杯を巡らす曲水の宴は中国古代に始まった遊宴とされ、日本では奈良時代から平安時代中期まで宮中で特に盛んに開かれていたようです。 城南宮では毎年春秋二回開かれて、その都度歌題を定め、宮中衣装の色鮮やかな狩衣や小袿(こうちき)をまとい、公郷や女官にふんした男女七人の歌人が三十一文字の短歌を短冊にしたため、遣り水を流れてくる杯の酒を飲み干すという伝統の儀式。新緑がまぶしいさわやかな風にフジやヤマブキの花が揺れる庭園で、歌人たちは酒杯を乗せたオシドリ形の小舟が流れる前で、上流からゆっくりと杯が流れる中、その場で出された歌題に合わせた歌を短冊に書き、目の前の杯に手を伸ばしていた。今春の歌題は、新元号・令和の典拠となった「万葉集」巻五巻上流からゆっくりと杯が流れる中、その場で出された歌題に合わせた歌を短冊に書き、目の前の杯に手を伸ばしていた。 新緑がまぶしいさわやかな風にフジやヤマブキの花が揺れる庭園で、歌人たちは酒杯を乗せたオシドリ形の小舟が流れる前で、上流からゆっくりと杯が流れる中、その場で出された歌題に合わせた歌を短冊に書き、目の前の杯に手を伸ばしていた。宴の間には白拍子の舞も静々と披露され、ゆったりと時間が流れる王朝の雅を今に再現し、新緑の中で繰り広げられる王朝絵巻です。 ★長年使ってきた畳に感謝しようと、全国畳産業振興会が二十九日、日本唯一の「畳供養」がおこなわれる『畳寺の畳まつり』が、「浄土宗大本山 清浄華院で開催される。 畳職人や山伏が見守る中、古畳を組んだ護摩壇で、市民が畳の思い出をつづった手紙やござが焚(た)き上げられた。 畳の需要が年々減っている中で、「畳と暮らす心」を思い出してもらおうと、二〇一五年から初企画した。畳替えによる新たな需要も喚起したいとする。この日は、僧侶らによる読経の後、十年以上使用した畳で組まれた護摩壇に、全国から寄せられた約一六〇〇通の思い出の手紙や、畳職人が願いを記した「護摩ござ」が燃やされた。参加した人たちはそれぞれの畳との生活に思いをはせていた。 会場の「浄土宗大本山 清浄華院」は、境内の真ん中に約二〇〇畳の畳が敷かれた「大殿」があることから「畳寺」とも呼ばれ、畳職人が多く訪れる場所である。実際の供養は、浄土宗の伝統的な儀式にのっとり、全国より集められた願いの書かれた古ゴザの「畳の護摩ゴザ」を、古畳で作られた「畳の菰」に入れて幽玄な炎で供養する。開催日の四月二十九日は、原材料のイグサが緑いっぱいに育つとして「畳の日」に制定されている。 今年から「畳供養」以外に、畳の歴史や伝統を体感できるイベントを増やし、『畳寺の畳まつり』へと進化。畳職人による「手縫い製作」の披露のほか、カラフルな畳などの「畳珍百景」コーナーも登場する。また、まつりの日限定で「大殿」の畳のイメージと、「畳寺」の文字を合わせた特別なデザインの御朱印もいただける。入場は無料。 ★三千院で、平安時代作とされる秘仏の出世金色不動明王(重要文化財)が開帳されている。五月十二日までの期間限定で、両目を見開いた迫力ある像を間近で参拝できる。境内の金色不動堂に安置されている像で、円珍作とされる。三千院の不動大祭に合わせて開帳している。扉を開いた厨子には、煩悩を滅ぼす「智剣」を右手に、悪を縛り良いものを結びつける縄「羂索(けんさく)」を左手に持った不動明王が火炎を背に立っている。また、不動明王の左手に結んだ「善の綱」の先は参拝者が握れるようになっていて、寺では「仏様と握手をしていただくのと同じ。より深くご縁を結んでいただきたい」としている。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.30
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2019年 4月 22日 (月) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★豊臣秀吉が築いた御土居一帯を新緑のアーチが彩る「青もみじ」が、北野天満宮境内で見頃を迎えている。紙屋川のせせらぎが流れ、鳥がさえずる中、参拝者たちが若葉みずみずしい散策路をゆったりと眺め歩いた。 境内西側に広がる御土居と紙屋川沿いの「もみじ苑」には、約三五〇本のモミジが並ぶ。秋の紅葉だけでなく初夏の風情も楽しんでもらおうと、二〇一五年からこの時期に公開している。 観光客らが朝から散策し、朱色の欄干を掛けた太鼓橋、黄色に花咲くヤマブキとの対比にしばし目を向けた。もみじ苑は六月三〇日まで。入苑料は中学生以上五〇〇円。 2019年 4月 23日 (火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★法然上人御忌大会(四月二十三~二十五日)法然上人がお亡くなりになられた日に行われる法要で、百萬遍知恩寺で一番大きく重要な法要です。 法然上人がお亡くなりになったられた後、その命日に上人の門弟たちが修した「知恩講」に由来します。もともと「御忌」という言葉は天皇や皇后の忌日法要を指していましたが、大永四年(一五二四年)当時の天皇である後柏原天皇より「知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」が出されました。これより法然上人の忌日法要を「御忌」と呼ぶようになりました。当初は一月に勤められていましたが、明治一〇年から四月に勤められるようになりました。当山では四月二十三日午後から二十五日午前中までの三日間、日中・逮夜の各法要が勤められ、法要中には利剣の名号を掛け、大念珠を降ろして皆様に繰って頂きます ★宗祖・法然上人の年忌法要「第八百八回御忌(ぎょき)」が営まれている長岡京市粟生の光明寺で二十三日、菩薩(ぼさつ)の来迎(らいごう)を表現した「二十五菩薩行道会(ぎょうどうえ)」があり、参拝者らが遺徳をしのんだ。 法然上人の命日は一二一二(建暦(けんりゃく)二)年一月二十五日。御忌は一五二四(大永四)年から営まれているが、明治時代に入って檀信徒が参詣しやすい暖かな四月に改められた。今年も25日までの1週間の日程で行っている。 五日目の法要では蓮台(れんだい)の器を持つ観世音菩薩や柄についた天蓋(てんがい)を掲げる普賢(ふげん)菩薩など「二十五菩薩」が雅楽の演奏に導かれ、御影堂の周囲や堂内の内陣の周りを練り歩いた。この後、大導師の法主ら僧侶約六十人が御影堂に入ったのに続き、大僧正の名代の講讃(こうさん)導師が着座して古式にのっとり法然上人の一代記の「歎徳之疏(たんどくのしょ)」を力強く読み上げた。引き続き、同上人の念仏の教えを説く「一枚起請文(きしょうもん)」を僧侶や参拝者らと拝読。堂内に僧侶の読経が響くと檀信徒らは手を合わせて宗祖をしのんだ。 20819年 4月 25日(木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★南区・吉祥院天満宮で毎年四月二十五日に春の「六斎念仏踊り」が行われる。 春と夏の年二回奉納される伝統行事です。鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能。重要無形民俗文化財に指定されています。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.25
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2019年 4月21日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★南区・東寺では四月二十一日、正御影供(しょうみえいく)が営まれる。そびえ立つ五重塔(国宝)は、木造建築の美が際立っています。 高さ五十七㍍の日本最高の塔で、寛永二十(一六四三)年に、徳川家光が再建奉納したものです。 四月二十一日は空海の入寂の日に当たり、御影堂を開扉します。 遺徳を偲び、五穀を供え、盛大な勤行式が行われます。この日灌頂院の閼伽井(あかい)に掲げる三十㌢×四十五㌢ほどの絵馬三枚は、中央が今年、左が昨年、右が一昨年のもの。この中央の絵のできばえで農家の人々はその年の作柄や天候を占うと言われています。※ 同時に例月の弘法市も開催される。 ★京の春を彩る例祭として、古くは松尾の国祭と称せられており、西の葵祭りとも呼ばれる勇壮な船渡御で知られる神輿が船に乗ってレンゲ咲く桂川の清流を渡ることで有名な「松尾の祭り」の神幸祭で六基のみこしが「ホイット、ホイット」の威勢のいい掛け声と春風に乗って順番に桂川を渡った。 平安時代前期の貞観年間から始まったとされ、一千年以上の歴史を持ち、氏子の安全を祈願する神幸祭(おいで)は松尾大社を出発し、桂離宮の辺りで川を渡り、祭典を行い、六基のみこしは各御旅所に納まる。 神事を終えた神輿六基が拝殿廻しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、榊御面、大榊行列等を前列として上桂一帯の氏子地域を巡行。やがて桂大橋西岸上流で一基ずつ神輿船に載せられ、ゆっくりと川を下ります。 桜が散り、若葉が萌え出で、菜の花が岸を染める春の香気の中、桂大橋東岸での神輿の陸揚げがまた見事。(陸揚げは桂離宮東側から見学するのが一番) 還幸祭(おかえり)は五月十日に松尾大社に還幸する。 昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。 出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。 ★稲荷大神が年に一度、氏子地域を巡行する広くご神徳を垂れたまう大社最重要の祭儀です。 神幸祭神事の後、神輿・神官・楽人を乗せたトラックが本社を出発。 東寺付近の御旅所まで向かい、練り廻しや差し上げを行います。 「お還り」の五月三日還幸祭まで東寺東門に神輿が駐興し東寺での神饌を受けます。 西京区の松尾大社の伝統行事「神幸祭」が二十二日、西京区や右京区で営まれた。六基の神輿(みこし)が船で桂川を渡る勇壮な船渡御(ふなとぎょ)に、地域住民らが歓声を上げた。 祭りは、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って平安時代に始まったとされ、別名「おいで」と呼ばれる。船渡御は一九六三年にいったん途絶えたが、八十三年に復活した。 神輿はこの日の午前に松尾大社を出発し、昼すぎに桂大橋の右岸に到着。氏子らによって慎重に船に乗せられて川を渡り、左岸で再び担いで河川敷を練り歩いた。額に汗を浮かべた担ぎ手の力強い姿に、集まった住民や観光客は大きな拍手を送っていた。 神輿が大社に帰還する「おかえり」と呼ばれる還幸祭は五月十三日に行われる ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.23
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2019年 4月 14日 (日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★北区・今宮神社の摂社・疫社の祭礼「やすらい祭」は、毎年四月第二日曜日(今年は十四日)に今宮神社・玄武神社・川上大神宮の賀茂の三神社で一斉に行われる。やすらい祭は桜の花を愛で、落花を惜しんで、病魔を退散させ、五穀豊穣を祈願する花鎮めの祭礼。紫野や上賀茂地域で民衆の平安を祈る。平安時代、花の散る頃に疫病がはやり、これは疫神が花とともに飛散するためと信じて花の精を鎮め、無病息災を祈願したことに始まる、「やすらい花」とも呼ばれる。京都三大奇祭の一つで、鬼を従えた行列が、笛や太鼓の音に併せて踊り歩く。 「いんやすらい花や」「ヨーホイ」の掛け声とともに、赤熊(しゃぐま)を振り乱して鬼たちが舞います。そして、笛、鉦、太鼓にあわせて行装の一団が囃し、花に宿る精霊が悪霊を誘いだし朱色の花傘(風流傘)に閉じ込めながら各町内を練り歩きます。この傘に入ると魔よけになるといわれ、一年の無病息災を願った。 ★球技の神様として知られ、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の別邸があったところで、守護神である精大明神を境内末社の地主神に祀っている上京区の白峯神宮で四月十四日、春の例祭「淳仁天皇祭」が催され、神事と舞楽奉納の後、桜の花びらが舞い散る境内で、烏帽子姿と着物姿の蹴鞠保存会のメンバーにより、威勢の良いかけ声を出しながら、右足で白いまりを蹴り蹴鞠を披露する。 同宮に祀られている淳仁天皇(七三三~七六五)の命日に毎年開催されている。 §蹴鞠について§ 日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(1903)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十六年目)。雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。 蹴鞠の歴史は、約千四百年ほど前に中国から仏教とともに日本に伝わった。鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。 公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。 蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。 ※「逸 話」 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。 2019年 4月 16日 (火) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★約三千株が咲き誇る関西随一の山吹の名所、西京区・松尾大社では、境内を彩るヤマブキが早くも満開となった。四月十日から「山吹まつり」が始まった。五月五日までの期間中、各種のイベントが行われる。 お酒の神さまと親しまれている大社は新緑の木々と共に境内には一重や八重咲きやシロヤマブ木など三種類、計約三千本のヤマブキがある。 境内を流れる一の井川沿いでは、黄金色の八重の花が鈴なりにしだれるように咲き、かすかな甘い香りを漂わせている。 この時期は境内の小川では、風に舞う桜の花びらがゆったりと流れる中、川辺で咲く黄金色のヤマブキとのコントラストが優美な情景で美しい。四月十一日、十二日の両日の午後六時から九時まで一の川沿いの山吹と名園「蓬莱の庭」がライトアップされ、無数の花が夕闇の中に照らされ、川面にゆらめく。杯殿にて奉納演奏が行われる。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.16
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2019年 4 月 12 日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★伏見稲荷大社で豊作を祈る水口播種祭が行われた。 桜の花びらが浮かぶ神田に、すげがさにあかねだすきの早乙女姿の人たちが種もみをまいた。境内北側にある広さ約三三〇平方メートルの神田の一角で行われた。 信者の男女約二〇人が、神楽の演奏される中、桜の花びらが浮かぶ水面に種もみをまいていった。この種もみから育った苗を、六月の田植祭で植え、十月の抜穂祭では約一五〇㌔のコメの収穫を見込んでいる。 ★嵯峨御所とも呼ばれる真言宗大覚寺派大本山の門跡寺院です。 門跡が華道嵯峨流の家元だったことから、嵯峨天皇の命日十五日にいけばな嵯峨流最大の祭典「嵯峨天皇奉献 華道祭」法要献花が行われる。 門跡ほか緋袴に身を包んだ女性達が菊を手に行列します。境内に展示される多数の生花も必見。 数多くのいけばなを展示する華展をはじめ、年に二回しか行われない大沢池の「龍頭鷁首舟」、平安絵巻さながらの献華式やお茶席、各種法会など、優雅なたたずまいのなか繰り広げられます。 茶席や模擬店も出て、たいそう賑やかです。 ★数え年十三歳を迎える子どもたちの健やかな成長を祈願する「十三まいり」(京都織物卸商業組合主催)が十三日、西京区嵐山の虚空蔵法輪寺であった。 春の陽気の下で着物姿の子どもたちが家族とともに参拝し、学業成就などを願った。 十三まいりは、知恵を授ける虚空蔵菩薩(ぼさつ)にお参りする行事。 頂いた知恵をなくさないよう、帰りの渡月橋では振り返らずに渡りきらなければならない、との言い伝えがある。 十三参りの始まりは、空海が室戸岬の洞窟(御厨人窟)に籠もって虚空蔵求聞持法を修したことにより飛躍的に記憶力が増したことから、数え年十三歳を迎えた(少年は昔の元服時期にあたり、少女は個人差はありますが、初潮を迎える時期に合致。)少年・少女が、これまで健やかに成長できたことへの感謝とともに、これから益々知恵と福徳を授かる為に、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩(虚空蔵菩薩)に参拝する行事です。虚空菩薩とは、十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩と言われています。別名:知恵詣り・智恵もらいとも呼ばれています。 春:三月十三日から五月十三日(四月十三日を中日とした一月間) 秋:一〇月から十一月 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。 http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.13
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2019年 4月 8日 (月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★初夏の京都を彩る先斗町の舞踊公演「鴨川をどり」(五月一~二十四日)の衣装合わせ八日、中京区の先斗町歌舞練場であった。袿(うちぎ)や狩衣(かりぎぬ)など色鮮やかな舞台衣装を身にまとった芸舞妓が、プログラム用の写真撮影に臨み、新時代の幕開けとともに始まる舞台への気持ちを新たにした。一八二回目を迎える今年は「新元号記念」と銘打って開催。第一部の舞踊劇「わかよたれそ 筒井筒」は伊勢物語の二十三段「筒井筒」に着想を得た作品で、幼なじみの男女の恋心や結婚、生涯の絆を描く。第二部は「艶姿祝新御代祭(あですがたしんみよまつり)」を上演、祝祭舞踊「石橋(しゃっきょう)」など全7景を披露する。午後〇時半、二時二〇分、四時一〇分の一日三回公演。二三〇〇円~四八〇〇円。 2019年 4月 9日 (火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★二条城・観桜茶会一六〇二年に徳川家康によって、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として二条堀川の地に造営された普段は非公開の庭園“清流園”で開かれる二条城での観桜茶会。お茶席が三席と点心席も設けられ、晴天の場合は野点席もあります。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.11
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2019年 4 月 8 日(月)[京の 季 節 の 花 だ よ り] ★四月八日は釈迦が生まれた日。霊山観音では釈尊降誕花まつりがあり、外陣の四隅に花を飾り、釈迦立像を安置した花御堂をしつらえ、誕生会の法要を執り行います。 花御堂には浴盤に甘茶を満たされ、その中に立つ釈迦の誕生時の立像に「甘茶」をかけて徳を偲びます。 上部が折れ、小さくなった枝垂れ桜が開花。 手前に大樹の枝垂れ桜。また、花吹雪を肩で感じながら琴の演奏や野点の茶席に楽しむことが出来ます。高台寺から清水にでる道すがら、春に浮かれた人達で賑います。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.09
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2019年 4月 5日 (金) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★右京区の嵐電北野線鳴滝-宇多野駅間の花見の名所「桜のトンネル」のライトアップが五日、始まった。沿線二〇〇メートルにわたる約八〇本の桜並木が光に照らされる中、「夜桜電車」が運行され、乗客たちが幻想的な花見を楽しんだ。京福電気鉄道(中京区)が、京都の特色ある桜を楽しんでもらおうと毎年企画し、今年で二〇回目となる。夜桜電車は桜並木に入ると、車内の電灯が消え、低速運転に。じっくりと鑑賞できる粋な演出に乗客らは「きれいだね」と目を輝かせながら、撮影を楽しんでいた。
2019.04.06
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2019年 3月 22日(金) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★上京区・大報恩寺(千本釈迦堂)で二十二日、恒例の「千本釈迦念仏(遺教経会)ゆいきょうぎょうえ」が営まれ、釈迦の遺徳を偲んだ。 二代目住職の如輪が七百数十年前、室町期に始められたという念仏は、「大原声明千本式」と呼ばれる独特の念仏で、十三世紀半ばに吉田兼好の「徒然草」にも記される伝統行事。 本堂では智積院から五十人の僧が出仕し、釈迦の最後の教えをまとめた「遺教経」をわかりやすく訓読みし、独特の節回しで念仏を唱え、参拝者が声を合わせて「ナムシャカムニブツ」と唱和して、釈迦の遺徳を偲び、先祖に感謝し家内安全を祈った。 本堂内には僧侶が歌唱する声明が流れ、その中で鎌倉期の本尊釈迦如来像(重文)と、同時に年に一度の涅槃図の特別公開もある。 2019年 3月 25日 (月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京の花街の舞踊公演トップを飾る「第六十七回北野をどり」(二十五日~四月七日)が上京区の上七軒歌舞練場で行われた。芸舞妓が詩情あふれる踊りを見せ、客席には華やかな空気がただよった。 第一部は狂言「花折」を元にした舞踊劇「花折女房」で、気の強い妻と禁酒を約束した、恐妻家の夫の物語。テンポ良い三味線の音に合わせ、芸妓らがコミカルな芝居を繰り広げた。 続く第二部の純舞踊「京洛の四季」では祇園祭や紅葉狩り、雪の金閣寺など京都の一年を踊りで紹介した。フィナーレの総踊り「上七軒夜曲」では芸舞妓が、あでやかではんなりとした踊りを見せ、観客たちが楽しげに見入っていた。 連日二回公演。四三〇〇円。茶席券付き四八〇〇円。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★左京区の府立植物園で恒例の「桜ライトアップ」が二十五日から始まる。早咲きの夜桜がはんなりと浮かび上がった。 点灯される約7千平方メートルの「桜林」エリアでは、約五〇種約二五〇本の桜が植えられている。ホソイザクラやカラミザクラ、カンヒザクラなどの早咲きの種が、すでに満開を迎えている。 府立植物園によると、ここ数日寒い日が続き、今春は園内のソメイヨシノやヤエベニシダレなどの開花が遅れているという。ライトアップは四月七日まで。日没(午後六時半ごろ)から午後九時。入園料が必要。 ★ツバキの名所として知られる右京区梅ケ畑の平岡八幡宮で、純白の花弁を広げた樹齢約二〇〇年の白玉ツバキが一斉に咲き始め、参拝に訪れた人の目を楽しませている。 境内と社務所の庭には、茶室で飾られる茶花の侘助(わびすけ)ツバキや、ピンク色の乙女ツバキなど、約二〇〇種三〇〇本のツバキが植えられている。佐々木俊輔宮司によると、今冬は暖かく、正月ごろから少しずつ開花を始めたという。 普段非公開の社務所の庭に咲く白玉ツバキは、江戸期から栽培されてきた。現在はまだ二分咲きで、今月末から四月初旬にかけて最盛期を迎える。 白玉ツバキは四月七日まで無料で公開、境内のツバキ観賞は有料。午前一〇時~午後四時。 五月六日まで本殿内陣に設けられた江戸期の天井画「花の天井」の特別拝観も開催中。要拝観料。 2019年 3月 27日 (水) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★京都地方気象台は二十七日、京都市内で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。平年より一日早く、昨年よりも五日遅い開花宣言となった。 気象台によると、標本木のある中京区の二条城で午前一〇時に開花の基準となる五輪より多い六輪の花が咲いていることを、職員が確認した。 今年は三月上旬は平年より暖かい日が続いたが、下旬に入って冷え込んだことから、平年並みの開花になったとみられる。 気象台は、市内では来月上旬に満開になると見込む。 2019年 3月 31日 (日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★小野・随心院は正暦二年(九九一)に創建された真言宗の門跡寺院。 宮仕えを終えた小野小町がこのあたりで余生を送ったことから小野小町ゆかりの寺としても知られている。毎年三月最終日曜日(今年は三十一日)、春の恒例行事、平安時代の小野小町をしのんで、深草少将の恋の伝説にちなむ「はねず踊り」が、薄紅色を意味する「はねず」色の小袖をまとった子どもたちが愛らしい舞を披露した。はねずとは、昔の言葉で梅花の薄紅色(白色を帯びた紅色の古色名)を意味し、院内に咲く梅の花も同名で呼ばれ、古くから親しまれている はねず踊りは、平安期、小町を慕う深草少将が百夜通いの誓いを立て、はねずの咲く小野の里に毎晩通い続け、百夜を前に残り一夜というところで疲労に加え大雪に見舞われたことから病に倒れて亡くなった、との伝承に基づいて始まったという。 梅の花にちなむ薄紅(ハネズ)色の小袖をまとい、編み笠に紅梅の枝を飾った地元の女児十六人が小町と少将に別れて「少将さまがござる、深草からでござる」と百夜通いの悲恋の伝説を、わらべ歌を唄いながら雅楽に合わせ、あでやかに優雅な舞いを披露し、観客を魅了する。 公 演 午前十一時 : 午後十二時半: 午後一時半 : 午後三時(四回) 拝観料・梅園入場料 千円、 中学生 八百円 ★今年も京都の春がやってくる。 都をどりは、明治維新の東京遷都に伴い開かれた博覧会の「附博覧」として明治五年(一八七二)に創演され、今年で百四十六回の年輪を刻んで来ました。 「都をどりはヨーイヤサー」のかけ声と共に春の到来を華やかに告げる古都の風物詩。 ★春の京都を彩る花街の舞踊公演、祇園甲部の「都をどり」(一~二十七日)の大ざらえと、宮川町の「京おどり」(一~十六日)の前夜祭が華やかな衣装の芸舞妓が桜花の咲き誇る舞台に立ち、天皇代替わりへの祝意も込めて踊りを舞った。都をどりは、祇園甲部歌舞練場(東山区)が耐震化に向けて休館中のため、六十七年ぶりに近くの南座で公演する。 大ざらえは稽古の総仕上げで、歌舞伎の始祖とされる出雲の阿国にまつわる演目などからなる「御代始歌舞伎彩(みよはじめかぶきのいろどり)」(全八景)を披露した。フィナーレは皇室ゆかりの門跡寺院、大覚寺の桜を背景に、全出演者が登場。かつての南座公演の着物を模した復刻衣装を芸舞妓がまとい、平成最後の公演を彩った。 ★京おどりの前夜祭は宮川町歌舞練場(同区)であり、創作舞踊劇と天皇代替わりをことほぐ踊りなどの「夢叶(ゆめかなう)京人形」(全八景)を上演した。 前半が、児童小説「不思議の国のアリス」を基に、歌舞伎の「京人形」を取り入れた舞踊劇。姫のまりを取り戻そうと、小姓が人形たちとあやかしの住む洞穴に入って探すあらすじで、踊り舞いながら描く。フィナーレは恒例の「宮川音頭」で、桜満開の京都御所を背景に総踊りを繰り広げた。いずれも連日三回公演。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.04.02
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2019年 3月 17日 (日) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★早咲きで知られる「モモザクラ」が北区の平野神社で見頃を迎えている。十七日は花冷えのするなか、一足早く桜を堪能しようという参拝客が、淡いピンクの花びらに見入っていた。 モモザクラは、中国原産で「唐実桜」の別名。同神社の境内には、花が咲くと京都の花見の始まりを告げるという「サキガケザクラ」や八重咲きの「ヒラノナデシコ」、五月初旬に見頃の「ツクバネザクラ」など六十種四〇〇本のサクラが植えられている。 同神社の境内には、花が咲くと京都の花見の始まりを告げるという「サキガケザクラ」や八重咲きの「ヒラノナデシコ」、五月初旬に見頃の「ツクバネザクラ」など六十種四〇〇本のサクラが植えられている。 境内にあるモモザクラは昨年九月の台風二十一号で二本折れてしまったが、残った三本が、台風被害にめげず美しく花を咲かせている。この数日間が見頃という。 2019年 3月18 日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★深草・瑞光寺の開祖は元政上人です。元政上人忌と法華懺法会詩文が巧みな文人であった開山の元政上人の命日です。 江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧といわれ、京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚とよばれています。 日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺していますが、当代一流の詩人・文人としても著名です。 上人を偲んで、法要と遺品展が催され、宝物展観 遺墨、遺品、書画、宝物などその数は数百点に及びます。 詩文に興味を持つ人には是非足を運んでみては如何ですか。かやぶきの本堂は草庵が結ばれた当時の名残です。 2018年 3月 19日(木) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★東山区泉涌寺塔頭・即成院で三月十九日、春の彼岸法要が行われる。ぽっくり寺とも言われ、長患いしないという御利益で知られ、壇の浦の戦いで弓の名手といわれた那須与一公のお墓があります。 源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております即成院とは即、成就するの略なのです。 2019年 3月 21日(木) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★京一番の繁華街・新京極のど真ん中にある誠心院(和泉式部寺)で、平安時代の代表的女流歌人の和泉式部を偲ぶ「和泉式部忌」と「春のお彼岸法要」が毎年、命日にあたる三月二十一日に合わせて営まれる。 誠心院は、藤原道長の娘・彰子に仕えた和泉式部に対して、道長が自身の建てた法成寺の庵を与えた事に始まり、初代の住職を務めたと伝えられる。 本堂では、法要に先立ち、和泉式部ゆかりの謡曲で時宗開祖の一遍上人の前に和泉式部の霊が現れる「誓願寺」と、式部がめでた梅にまつわる「東北」の二曲が奉納され、境内に響く中、「情熱の歌人」と呼ばれる和泉式部に思いをはせた。 寺では、式部の尼僧姿の掛け軸や、晩年に仏法を求めて旅した様子を描いた絵巻物「和泉式部縁起」などの寺宝が展示され、参拝者が熱心に見入っていた。 [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★世界遺産・二条城で二十一日から「桜まつり」が始まる。夜間観覧では、重要文化財の唐門に桜吹雪の映像を投影するプロジェクションマッピングを実施するのをはじめ、城内に咲く約五〇品種三〇本の桜を多彩なライトアップで闇夜に浮かび上がらせる。 二条城はカンヒザクラ、ソメイヨシノ、シダレザクラ、サトザクラなどが順次、見頃を迎えるため、三月後半から約一カ月間、桜を楽しめる。今年の桜まつりは二条城世界遺産登録二十五周年を祝う記念事業の皮切りになる。 唐門のプロジェクションマッピングは、桜の精霊が門に彫り込まれたチョウに乗り移って舞い、桜吹雪があふれ出すという幻想的な演出。庭園「清流園」の桜ライトアップは人の動きに反応して照明が変わる趣向にした。 約二十五品種の桜が咲き誇る「桜の園」には間近に花を眺められる小道を新設した。 四月十四日まで。通常観覧は午前八時四十五分~午後四時、夜間観覧は午後六時~九時。それぞれ入城料一般六〇〇円(四月一から通常観覧で二の丸御殿を観覧する場合は別途四〇〇円が必要)。 桜の映像をじゅうたんのように足元に投影する城内西側のシダレザクラの通り道は別料金三〇〇円✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.03.27
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】∞∞ 釈迦の命日(十五日)にちなむ涅槃会が市内各寺で始まり、所蔵の涅槃図の特別公開で賑わっている ∞★泉涌寺・涅槃会……江戸時代中期の画僧・明誉上人が描いたとされる国内最大級(縦十五・一㍍、横七・三㍍、重さは約一五〇㌔)の「大涅槃図」が仏殿に掛けられ、公開される。北枕で西を向いて横たわる釈迦と、その周囲で嘆く弟子や動物たち、さらに悲しみで枯れた沙羅双樹(さらそうじゅ)などが描かれている。中央に横たわった釈迦を人々が幾重にも取り囲み、手を合わせて涙をぬぐって釈迦の死を嘆き悲しんでいる。奈良東大寺大仏殿に奉納するのに制作されたと伝わり、極彩色で描かれた釈迦入滅の場面。国の重要文化財に掲げられたが、大きすぎて一部が天井と床にはみ出した。公開は十四日~十六日まで。★東福寺・涅槃会……東福寺の涅槃図は縦約十二㍍、横約六㍍で釈迦が亡くなる様子を描いた室町時代初期の画僧、吉山明兆の作。満月の夜、沙羅双樹の下に横たわる釈迦の死を嘆き悲しむ弟子や動物に加え、一般的には描かれない猫がいるのが特徴で、寺の近くの絵具谷から猫が絵の具をくわえて来たため、明兆が描き加えたと伝わる。期間中、他にも国宝・三門の特別公開や、方丈での特別宝物展などが行われる。龍吟庵や国宝・山門楼上佛天井絵等も特別に公開されます。 公開は十四日~十六日まで ★本法寺涅槃会……長谷川等伯が六十一歳の時に描いた日本最大級の縦十㍍、横六㍍の「釈迦涅槃図」(重文)は、桃山時代に隆盛を誇る狩野派に対抗して独自の画風を創造した彼の気迫が感じられ必見です。寺宝も特別公開。國の名勝である光悦作の「三巴の庭」も鑑賞することが出来る公開は四月十五日まで。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.03.15
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2019年 3月 10日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・虚空蔵法輪寺で「芸能上達祈願祭」が三月十日に行われる。空海の弟子にあたる道昌が虚空蔵菩薩を安置し、知恵と技芸を授けてくれる守護仏として古くから人々の信仰を集めている。芸の上達を願う祈願法要が行われ、茂山忠三郎社中による奉納狂言も行われる。本尊の虚空蔵菩薩が「種々の芸道に長じ、技芸に上達せんと欲するものは、わが名をとなえよ」と語ったとされることにちなみ、毎年この日に営まれる。 ★京都の春の観光シーズンのトップを、保津峡に早春の訪れを告げる嵐山から亀岡へと走る名物「嵯峨野トロッコ列車」が三月一日に再開し、春のオープン船営業を迎えた。名勝「保津川下り」の川開きが三月十日、出発地の亀岡市保津川遊船乗船場で開かれた。 この日からビニールシートなどで覆っていた座敷暖房船から、通常のベンチシートの船に変わる。例年は「川開き」と呼んでいたが冬場に運休していたとの誤解を避けるため、昨年から「保津舟の日」と改称した。この保津川下りは古く、慶長十一年(一六〇六)角倉了以が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いたもので、今では日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも有名です。保津峡を開削して今年で四百十二年目に当たる。華やかに、色鮮やかに飾り付けられた遊船や、米俵や酒樽を積んだ当時を再現した「荷舟」が仕立てられ、穏やかな春の陽光を浴びながら、水ぬるむ川面を保津峡へと漕ぎ出し、古くから伝わる「旭太鼓」を披露する地元の男性を先頭に乗せた遊船が、勇壮な音を響かせ出航する。吹き流しや花で彩られた花飾り船を先頭に十隻が連なるように終着嵯峨嵐山までの険しく美しい峡谷景観を楽しみながらの十六㌔の急流を約二時間かけて下る川下りを、豪快な船頭の竿裁きを頼りにスタートする。乗船料金は大人 四千百円:小人 二千七百円。貸切船 一隻 定員十七名まで 八万二千円午前九時~午後三時半まで、十一月三十日まで毎日七便運航。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.03.11
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2019年 3月 9日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区・貴船神社で三月九日、雨水を司るタカオ神を祀り、「雨乞祭」が営まれる。農事の始まりを前に、降雨の水の恵みと豊作で五穀豊穣を祈願します。ご神水と神饌を献上して榊の葉をご神水に浸し、「雨たもれ、雨たもれ、雲にかかれ、鳴神じゃ」と唱えて天地に振りかけます。この神社が鎮座するここは、鴨川の水源地にあたり、平安に都がおかれた時から水を司る神として崇敬を集めています。「水を司る」とは、雨を降らせたり止ませたり、それだけではなく、一旦降った雨を地中にしっかりと蓄えて、少しずつ少しずつ適量を地表に湧き出させていく、そういう働き全体を指すことで、そこに神霊の働きを知り、その神様を高おかみの神という。降った雨を地中に蓄えるのは、大地にしっかりと根を張った樹木の役割で、樹木の生い茂る水源の地こそ、水を司る高おかみの神が鎮まるに最もふさわしい場所であった。貴船神社はまさにそういう場所に鎮座しており、貴船の語源は、「木生嶺」「木生根」だともいわれている。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder
2019.03.09
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2019年 3月 5日 (火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区・真如堂(真正極楽寺)で三月五日、涅槃会法要が営まれ、江戸中期・宝永年間に描かれた縦六㍍、横四㍍の極彩色大涅槃図が公開される。 涅槃会は灌頂会、成道会と並ぶ、仏教における三大仏忌のひとつ。釈迦が入滅した旧暦二月十五日前後に釈迦の入滅のときの様子を絵にした涅槃図を掲げ、その威徳を偲ぶ法要。真如堂が所有する涅槃図は穴が開いたり絵の具がはげ落ちるなど傷みが著しく、二〇〇九年、修復を完了した。 軸を含めて六十一㌔あったが、裏打ちの麻布を和紙に替えて四釈迦が亡くなる様子を描き、涅槃会本紙は縦約五㍍、横約四㍍。全体は一七〇九(宝永六)年、三井家が寄進した。 横たわる釈迦の周囲で仏弟子や動物が嘆く様子に加えクジラ、タコなど海の生き物を含む一二七種類の多様な生物が描かれているのが特徴。 四月日まで。午前九時~午後四時まで公開する。 涅槃会の菓子「花供曾(はなくそ)あられ」が授与される。 (以前は正月に本尊に供えた鏡餅を小さく刻んだものを使ったが、現在では軽く焼いたあられに黒砂糖を絡めた)。供物の花供御がなまって鼻糞と呼ばれた。 2019年 3月 6日 (水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京都東山花灯路で試験点灯 2019 春の古都の夜を光で彩る「京都・東山花灯路」が八日から始まるのを前に、試験点灯六日、京都市東山区で行われた。ねねの道や八坂の塔周辺では雨にぬれた石畳があんどんに照らされ、観光客らがしっとりとした情緒ある京の夜を楽しんだ。 午後6時すぎ、ねねの道や石塀小路、大谷祖廟(そびょう)参道沿いに配置されたあんどんに明かりがともされ、八坂の塔と大雲院祇園閣がライトアップされた。道行く人は足を止めてほのかな明かりに見入ったり、写真に収めたりしていた。 東山花灯路は、京都府や京都市、京都商工会議所などでつくる推進協議会が主催する。八~十七日の午後六~九時半に点灯する。 いけばなプロムナード 大学のまち京都・伝統の灯り展 火の用心・お囃子組 狐の嫁入り巡行 お絵かき行灯 清水寺 咲花ステージ 香りのさんぽ路 京都五花街”舞妓さんの舞” 現代いけばな展 東山花灯路スタンプラリー 画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.03.07
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2019年 3月 1日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★上京区・宝鏡寺は尼門跡寺院で通称「人形寺」の名で親しまれている。三月一日の宝鏡寺雛祭には、本堂に飾られた雛段前で一弦琴が打掛け姿も艶やかな、島原の太夫がお雛さまにささげる、優雅な舞を奉納する。同時に春の人形展が 四月三日まで開催される。 宮中の雅な装束を正確に再現した有職雛などの人形がたくさん展示されている。 皇室から将軍家へ嫁いだ数奇な人生で知られる皇女和宮の持ち物だった桜の螺鈿細工が美しい文箱や四季花鳥図絵巻などの皇女和宮の御遺愛品はじめ、、伝来の愛らしい賀茂人形、花嫁行列なども展示されている。 平安時代に光厳天皇の皇女・華林宮恵厳禅尼(かりんのみやえごんぜんに)によって開かれた臨済宗の尼寺で、寛永二十一年(一六四四)、理昌尼王(後て以来は尼御所となって「百々御所」とも呼ばれ、尼門跡寺院職に迎えた歴史を持つ。父の天皇が折々に娘へ贈った数々の人美を伝えている。 歴代皇女ゆかりの人形を多数所蔵して毎年春秋に公開して、「人形供養祭」を行う春三月は雛祭りを中心とした人形展。光格天皇から江戸時代後期に贈られた直衣姿、濃紫袴姿の有職雛は、若々しい夫婦の姿。 緋色ではなく、若い女性が着用する濃紫袴姿の女雛はとても珍しいという。※ 家庭で不要になった人形を持参すると、人形の供養をして引き取ってくれる。 ★保津峡に春の訪れを告げる、冬の間(十二月二十九日~二月末日)線路の保守点検や車両整備のため運休していた「嵯峨野トロッコ列車」が春風をきって、保津川沿いの京都市と亀岡市を結ぶ嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が一日、運行を再開した。午前九時過ぎから嵯峨駅であった式典には、地元幼稚園と保育園の園児約三十六人が出席。園児代表が車掌と運転士に花束を贈呈し、一番列車がスタートした。 やや肌寒い朝となったが、園児は元気いっぱい。保津峡を眺め、眼下に広がる保津峡の流れや山並に歓声を上げた。 トロッコ列車は、線路や車両の保守点検のため、毎冬約二カ月間休業している。一部水曜日が休みだが、春、大型連休、夏、秋の観光シ-ズンは毎日運航する。渓谷に久しぶりに軽快なレ-ル音を響かせた。八つのトンネルをくぐり、保津峡の雄大な渓谷の景色を乗客に楽しませながら、旧山陰本線のトロッコ嵯峨駅~トロッコ亀岡駅間七.三㌔を一日八往復走ります。 2019年 3 月 2 日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★宇治市・平等院で三月二日、忌日法要「関白忌」が行われる。 「宇治関白」として知られた平等院の創建者、藤原頼道を偲んで営まれる。 京都の南部に春を呼ぶ行事として知られている。 色とりどりの法衣を着た僧侶が、平橋反橋を渡り、鳳凰堂で法要を行う。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.03.02
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2019年 2月 25日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★「くろ谷さん」の愛称で親しまれる左京区の金戒光明寺で二十五日、古くなった仏壇や位牌(いはい)、塔婆(とうば)をたき上げて供養する「浄焚(じょうぼん)式」があった。 毎年二月の宗祖法然の月命日前後に実施している。厳しい寒さの中で営まれることの多い行事だが、今年は例年にない暖かさと澄みきった青空で、境内は穏やかな空気に包まれた。 念仏を唱える僧侶の声が響く中、ヒノキの葉を組んだ壇に火がつけられると、煙と炎が舞い上がった。この日は御影堂で涅槃(ねはん)図の公開もあり、僧侶による絵解きに参拝者が聞き入った。★節分が過ぎると、やさしい香りがしだす京の町に間もなく春を告げる上京区・北野天満宮で、梅の花をこよなく愛した菅原道真の命日にちなみ、遺徳をしのぶ「梅花祭と野点大茶湯」が二月二十五日開かれる。満開の梅の花の美しさと香りに誘われ、本殿の神事では、祭神・道真の霊を「なだめる」という音に通じる「菜種」を冠に付けた神職が、古式にのっとり梅の枝や約四十㌔の蒸し米などを神前に供えた。 梅苑(約一.六㌶)と境内合わせて約二千本の梅の木が並び、種類も五十種以上と豊富で、道真の命日に当たるこの日に毎年行われている。約九〇〇年前から続く神事と、安土桃山時代に豊臣秀吉が境内で催した「北野大茶会」にちなむ野点大茶湯がある。本殿近くの仮設テントの下で行われた。 紅白に彩る梅の花の風情や三光門西広場での茶席「野点大茶湯」は、色とりどりの着物姿で上七軒の芸舞妓や女将ら約四十人による野点を、ちらほら咲きから満開の早咲き梅花を愛でながら、参拝者は春の訪れを満喫し楽しんでいた。 宝物殿も特別に公開され、「梅花祭と天神さま今昔写真展」が開かれている。 絵馬殿に、縦約七十㌢、横約一㍍のパネル七十枚を並べ、昨年の祭典や茶会の様子や、約百年前の境内、市電の走る周辺の町並みなどの風景も紹介している。恒例の縁日・「天神市」と共に楽しめます。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.27
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★巨大な紅白の鏡餅を持ち上げる時間を競う「餅上げ力奉納」が二十三日、伏見区の醍醐寺で行われた。 男性四十二人、女性十五人の力自慢たちが一生懸命に餅を抱え上げた。 「五大力さん」として親しまれる同寺最大の法要「五大力尊仁王会」の行事の一つ。男性は一五〇キロ、女性は九〇キロの餅で競う。力を奉納することで無病息災の御利益を受けられるとされる。 餅上げ力奉納は金堂(国宝)前の特設舞台で行われた。参加者の多くは初挑戦で餅が台を離れることはなかった。餅が持ち上がると僧侶が三〇秒ごとの経過秒数をアナウンス。参拝者からは歓声が上がり「がんばれ」「耐えろ」と声援が送られた。 男性の部では、七分五十九秒の記録で、女性の部は八分三秒で優勝した。 ★左京区・聖護院山内積善院準提堂でも山伏による五大力尊法要があり、柱源護摩供養の後、本堂に高らかに響き渡るほら貝の音。経を唱えながら山伏が次々と護摩木をくべていくお札焼があり、普段は公開していない五大力菩薩図像が本堂で開帳され、家を盗難などから守るという魔除けのお札「御影」を買い求めるのに賑わった。 粕汁の無料接待があります。 2019年 2 月 24 日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★洛北の風物詩・上賀茂神社周辺で二月二十四日、少年の成長を祝う「幸在(さんやれ)祭」が営まれる。 元服の風俗にならい、「あがり」と呼ばれる数え年で十五歳の少年を一人前の大人として祝う儀式で、上賀茂神社の氏子町で受け継がれてきた。 「幸在(さんやれ)祭」は元服にならって子どもの成長を山の神に報告する儀式で、江戸初期にはすでに営まれていたという。 真新しい大島紬の羽織と着物に白いマフラー姿の「あがり」の少年らは、打ち鳴らされる鐘の音に合わせて太鼓を叩き、「おーめーでとーごーざーるー」と独特の節回しのはやしを演奏。 「ダイショウギ」と呼ばれる緑の葉のついた枝を持って、氏神の大田神社や地域を巡り、沿道の住民の出迎えや祝福を受け、最後に上賀茂神社に到着。本殿でお祓いを受け大人の仲間入りを報告し祈祷する。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.25
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2019年 2月 15日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★仏教の開祖、釈迦(しゃか)が亡くなった日とされる十五日、東山区の清水寺経堂で涅槃図(ねはんず)の公開が始まった。法要も営まれ、僧侶らが読経に合わせて紙製の花をまく散華を行い、釈迦の遺徳をたたえた。 同寺には江戸時代中期に活躍した京狩野派の画家山口雪渓が描いた涅槃図(縦約三・九メートル、横約三メートル)があり、釈迦の入滅に合わせて公開している。軸装された涅槃図には、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわる釈迦を弟子や動物が取り囲み、手を合わせたり嘆き悲しんだりする様子が描かれている。 法要には参拝者も参列、読経の声が響くなか涅槃図に向かって静かに手を合わせた。経堂には、昨年奉納された仏画「西方阿弥陀観」も掲げられ、柔和な表情の阿弥陀如来と観音、勢至両菩薩(ぼさつ)の姿に多くの参拝者が見入っている。公開は二十一日まで。無料。 2019年 2月 16日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★制時間内に限食べられる湯豆腐の量を競う「桂文枝の順正ゆどうふ食べくらべ大会」が十六日、東山区の「清水順正おかべ家」であった。 「とうふ」にちなんで一〇歳~七十二歳の一〇二人が出場、土鍋に入った熱々の豆腐をほおばった。一、二回戦は、一丁約四〇〇グラムの豆腐 四丁を一〇分以内に食べた人が合格し、決勝戦は一〇分間で最も多く食べた人が優勝するルール。合図と同時に一斉に食べ始めた出場者は、桂文枝さんの軽妙な司会が場を盛り上げるなか、懸命に箸を進めた。花街からは宮川町の舞妓が出場した。 決勝戦には七人が進み、男性は十三丁、女性は一〇丁を食べ切った出場者がそれぞれ優勝した。 2019年 2月 17日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★「京都マラソン2019」(京都市、京都陸協主催、京都市体育振興会連合会、京都新聞など共催)が十七日、京都市内で行われた。国内外から集まったペア駅伝車いす競技を含む一万六千のランナーが西京極陸上競技場をスタートし、春を感じさせる暖かな日差しが降り注ぐ中、ゴールの平安神宮を目指し古都を駆け抜けた。 2019年 2 月 18日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山区・高台寺で開催中の冬の夜の茶会「夜咄」は、夜に楽しむ茶会。雨戸が閉ざされた薄暗い茶室の中で、ろうそくに灯がともり、ほんのりと浮かび上がるセピア色の世界。炎の明かりに照らされた釜の湯気がゆらりと映える。冬に行われる茶事で、寒気を和らげる手あぶりなどが置かれるのも特徴。観光客向けに午後五時ごろから催し、雰囲気のある茶室で京菓子や薄茶を楽しむことができる。 茶会の経験の無い人でも気軽に呈茶・点心(軽いお食事)を充分に味わえる企画です。湯葉料理や庭園の観賞も付き、冷え込む京都で冬の夜をゆったり過ごすのも心地よいでしょう。三月五日まで金、土、日曜に開かれる。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.18
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2019年 2月 13日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京の花街で催される春の舞踊公演の先駆けとなる上七軒の「第六十七回北野をどり」(三月二十五日~四月七日)の衣装合わせが十三日、上京区の上七軒歌舞練場であった。飾り付けで一足早く春めいた舞台に芸舞妓が上がり、プログラム用の写真撮影に臨んだ。芸舞妓二十八人が出演する。第一部の「花折女房」は、狂言「花折」を基にした舞踊劇で、桜満開の季節に巻き起こる夫婦の痴話げんかをユーモラスに展開。第二部の「京洛の四季」で京の四季と名所を純舞踊で表し、恒例の総踊り「上七軒夜曲」で幕を閉じる。衣装合わせでは、黒の裾引き姿の芸妓と色合い鮮やかな着物をまとった舞妓が夜桜の舞台に並び、カメラを前にポーズをとった。午後一時半と四時の二回公演。四三〇〇円、お茶席券付き四八〇〇円。当日販売の学生割引二八〇〇円 2019年 2月 14日(木) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★北野天満宮梅園公開北野天満宮では菅原道真公ゆかりの梅五〇種約一五〇〇〇本が約二万坪の境内一円で咲き競い、「天神さんの梅」として知られています。早咲きの梅は例年十二月中旬頃からつぼみがふくらみ始め、正月明けから徐々に開花し、最も見ごろを迎えるのが二月下旬から三月中旬。梅苑は例年二月初旬に公開します。梅苑では期間中、茶屋を設けて梅茶とお菓子を楽しむことができます。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901
2019.02.15
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2019年 2月 9日(土) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★山科区・小山に伝わる早春の伝統行事「二ノ講」(ニノコウ「二九」)が、二月九日に行われる。 鎌倉時代、一三一三(正和二)年、牛尾観音の参拝者や村人を苦しめていた大蛇を一人の武士が退治した言い伝えに由来する。その後、武士に倒された大蛇のたたりを恐れた住民が、音羽川の岸の松に流れ着いた大蛇の死骸をあつく葬ったのが始まりと言われています。音羽川の堤に稲わらの大蛇を祭ったのが始まりと伝えられる。それ以来毎年、順番で小山町に住む四軒が、当日の早朝から退治された二月九日にわらで大蛇に見立てて編みはじめ、その松の木に奉納し、五穀豊穣と家内安全を祈ります。直径十㌢ほどの稲わらの束をねじり、全長十二㍍、太さ〇.三㍍の大蛇に仕上げ、長さ八㍍の竹の棒に巻き付け、うろこ見立てたシキミやマツ、御幣を取り付けて完成させる。 杉と松の老木に掲げて豊作と厄よけ、一年の平穏を祈願する。一九九三年に京都市無形民俗文化財に登録されている。 2019年 2月 10(日) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★三千院初午大根焚き法要三千院では、ご参拝の皆様に幸先のよい年をおくっていただければと祈念し、毎年二月の初午の時期にあわせ「幸せを呼ぶ大根焚き」を奥の院金色不動堂前広場において盛大に行われます。今年は十日~十四日。大根は大原の畑で有機農法で栽培されたものです。大原の里人たちが真心を込めて育てられたこの純白の大根は何色にも染めやすく、味付けも沁みやすいことで有名です。厳冬の大原の里で、特別祈祷のあつあつの大根を味わい、お参りの皆さん共々、無病息災、開運招福をお祈りしましょう。なお「三千院の初午大根焚き」は、出世金色不動明王のご加護とご利益をいただけるよう、特別祈祷をしております 2019年 2月 11日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★源氏物語の世界を実現しようとしたと言われる庭園「神苑」をもつ伏見区・城南宮では、物語に登場する風習にちなんで、毎年旧暦の一月七日に近い二月十一日に、境内で栽培された新鮮な春の野草を神前に献じ、セリやナズナ、スズナ・スズシロなど、色と香りの「春の七草」を入れた粥を食べ、一年間の万病退散、無病息災と不老長寿を願って貰おうと祈願する神事。参拝者には七草粥がふるまわれ、みずみずしい春の味が楽しめる。 庭園・楽水苑では春の七草が見られる。 ★神仏両界大柴燈護摩供(しんぶつりょうかいだいさいとうごまく)「阿含の星まつり」は、正式には「火の祭典・阿含の星まつり神仏両界大柴燈護摩供」と呼び、毎年二月十一日(祝)、本山(山科区北花山大峰)境内地において厳修される、阿含宗最大の行事です。約三十年以上の歴史を持つ、この行事は、参拝者が例年五〇万人を超え、京都の冬の風物詩として、その名が知られています。この護摩供は、仏教の総本尊「真正仏舎利尊」および、神界の主神として素佐之男命を奉安し、大導師を務められる桐山管長が長年の修行の中で体得された、「神仏両界の秘法」によって奉修されます。神界壇・金剛界壇では「宝生護摩」(運気を転換して宝を生み出す)が、仏界壇・胎蔵界壇では「解脱供養護摩」(先祖をご供養して運を開く)がお焚き上げされます。 2019年 2月 12日(火) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★京都の梅の名所で花がほころび始めた。右京区の梅宮大社では十二日、寒空の下、早咲きの品種が紅白に色づき、春らしい香りを漂わせていた。同大社の庭園には約四〇品種・四〇〇本の梅が植わる。今年は例年よりも開花が早く、白梅の「香篆(こうてん)」や「寒紅梅(かんこうばい)」が満開に近い。庭園では三月中頃までさまざまな品種が咲く。入園料が必要。 (今日現在の梅だより) つぼみふくらむ・・・随心院、青谷梅林、ちらほら咲き・・・北野天満宮、梅宮大社、二条城、城南宮、五分咲き・・・京都御苑 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.14
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2019年 2 月 1 日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 一般に節分とは、もともと季節の移り変わる時節を指し、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてが節分のはずだが、立春が旧暦で一年の始まりとされ、その前日の節分を大晦日として、年を分ける重要な意味があった。伝統が息づく京都は、各社寺ごと追儺式(鬼やらい)が催され、多様な行事内容で登場する鬼も個性豊かで面白い。各家庭では威勢良く「福は内、鬼は外」と豆をまき、邪気を祓い無病息災を願う。 鬼やらいに豆が用いられたのは「魔滅」(まめ)に通ずることからだと伝えられ、年の数より一粒多く豆を食べるのは、来る年の福を願う心を託したものである。 さまざまな巡礼の風習が残る京都、冬のしめくくり・節分の日に一年の無事と幸福を願って都の四隅に当たる四つの社寺(伏見稲荷大社・壬生寺・北野天満宮・吉田神社)をめぐる「四方参り」に出掛ける習慣がある。 2019年 2月 2日(土) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★壬生寺は京都の裏鬼門、開運厄除けの寺として古くから信仰を集めて来た、また狂言の草分けとも言える「壬生狂言」が「節分会」で披露される。壬生寺の大念仏堂で[ガンデンデン]の囃しに合わせて演じられる軽妙な無言劇。 壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされている。 国の重要無形民俗文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いで毎年春の「大念仏会」で厄よけ鬼はらい狂言「節分」(変装した鬼が女主人に酔いつぶされて正体がばれ、豆で追い払われる筋書き)が上演される。 二月二日~三日(二日間) 午後一時から一時間おきに八回上演。 境内や参道の露店で素焼きの炮烙を買い、「無病息災」などの願い事を書き込んで寺に奉納し、一年の無事を祈る。納められた炮烙は四月の壬生狂言「炮烙割り」で割られる。 ★平安時代の歌人、小野篁が開いたとされる上京区・千本ゑんま堂(引接寺)で二月二日~三日「強運節分会・こんにゃく炊き」の行事が行われ、四日の立春から始まる新しい一年を無病息災で過ごせるようにと、訪れる参拝者に裏表のない食べ物としてえんま法王が好むこんにゃくをふるまう習慣が古くからあり、えんま法王の恵みをより身近に感じてもらおうと、えんま様の舌の形に丸く切ったこんにゃく炊きを販売している。一年間の強運を願ってだるまを供養する行事もあり、参拝に訪れた人たちが名前を書いては本堂で祈りをささげていた。夜からは「ゑんま堂大念仏狂言」が行われる。 ★左京区・吉田神社は都の鬼門。都に入ろうとする鬼を退散させる鎮守社で、古式ゆかしい節分儀式で有名です。二日の夜、災いを象徴する鬼を追い払う神事、節分伝統行事「追儺式」が営まれる。 追儺式は「鬼やらい」とも呼ばれ、平安時代初期に始まったとされる宮中で旧暦の大みそかに行われていた行事で、一九二八(昭和三)年に、節分祭の一環として神社が復興した儀式。 冬と春を分ける節分の前夜に、陰と陽が対立して生まれた怒りや苦悩、悲しみを表す悪鬼を正義の使者、黄金の目をした役人の「方相氏」が登場し、手にした盾と矛で鬼を追い詰めた。続いて今年の年男が務める上卿(しょうけい)たちが桃の木の弓で葦矢(あしや)を放ち、三匹の鬼を追い払った。境内の舞殿に登場した赤色、青色、黄色の三体の鬼は、周囲の参拝客に向かって、雄たけびを上げて長さ約一・五メートルの金棒を振り回しながら詰めかけ、振り回すと、四つ目の面を着けた方相氏は、たいまつを掲げた童子を従えて鬼と対峙し、矛と盾で追い詰め、最後は上卿が魔力を封じるといわれる桃の木で作った弓でヨシの矢を放って鬼を山へと退散させた。三日は午後十一時からの火炉祭で直径五㍍の大火炉で古札を焼く神事が行われ、参道には露店が建ち並び、深夜まで吉田山一帯は賑わう。 ★東山区の八坂神社で二日、「祇園さんの節分祭」が始まり、花街の舞妓らがあでやかな姿で豆まきをし、一年の幸せと無病息災を願った午後一時、京都五花街の一つ先斗町歌舞会の芸舞妓が本殿に参拝した後、舞殿で「梅にも春」を奉納。続いて年男や年女とともに袋入りの豆をまくと、舞殿を囲んだ参拝者が一斉に両手を伸ばしたり帽子をかざしたりして、豆を受け止めようとした。午後三時からは宮川町歌舞会の奉納舞踊と豆まきもあった。節分祭は三日もある。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.03
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2019年 1月 30日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★妙心寺塔頭・東林院では新年に小豆をいただいて一年の邪気を祓います。参加者には梅湯茶札、小豆粥の精進料理、無病息災・家内安全の御守り(大般若札)が授与。希望者には千両の庭で取れた千両の種がお年玉としていただけるそうです(限定)。 初日には、禅寺の施しの心を培う食事作法に基づく法要「小豆粥・散飯式」が行われ、自由にお参りできます。 期間は一月十五日~三十一日(※毎年同じ日程です) 2019年 2月 1日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★春を呼ぶ節分行事「湯立神事」湯をふりまく厄除けの神事。府下八幡市・石清水八幡宮の節分行事の一つで一年間の厄除け、無病息災と五穀豊穣を祈る神事。釜で沸かした神水を神楽女がササの葉で振りまく節分行事「湯立(ゆたて)神事」が営まれた時折、雪が舞う厳寒の中、参拝者が湯しぶきを浴びて無病息災を祈願した。早朝に男山中腹の霊泉からくみ上げられた霊泉「石清水井」神水が、本殿前に設けた三基の釜で沸かされた。神楽女が塩、米、神酒を釜の中に入れて湯を清め、両手に持ったササを沸き立った釜の湯につけた後、勢いよく振って湯しぶきを周囲に飛ばした。その後、釜の湯を二本の笹で周囲の参拝者に激しくぶちまけ厄を祓うものですが、熱い地獄のえん魔大王と出会ったような一場面です。 2019年 2月 2日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★伏見区の伏見稲荷大社で日、初午(はつうま)大祭が行われた。多くの参拝者が訪れ、祈とうを受けたり、縁起物「しるしの杉」などを求めたりして、商売繁盛や家内安全を願っていた。初午大祭は、和銅四(七一一)年二月の初午の日に祭神が境内東側の稲荷山に鎮座したとする伝承にちなむ祭り。随筆「枕草子」にも登場し「福まいり」の名でも知られる。この日に参拝し、稲荷山の杉の枝に、お多福の面を付けた「しるしの杉」を自宅に飾ると、その家は栄えるとされる。杉とシイの葉を組み合わせた「青山飾り」が掲げられた本殿では祈願が行われ、祝詞を読み上げる神職の声が響き渡った。その北側では、「しるしの杉」や複数の縁起物を束ねた「福かさね」の特設の授与所も設けられ、多くの参拝者が訪れていた。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.02.02
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2019年 1月 28日(月) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★左京区・一乗寺の狸谷山不動院で一月二十八日、「初不動」が営まれた。「狸谷飲み放題」といわれるがん封じのご利益があるとされる笹酒が、参拝者にふるまわれる。江戸時代中期に修行をしていた僧・木食上人が境内の滝の水を竹筒にくんで病人に飲ませたところ、たちまち病気が治ったという。この故事にちなんで、護摩の火で温めた笹酒が振る舞われるようになったとされる。狸谷不動院は桓武天皇勅願の不動尊を安置したのがはじまり。毎月二十八日が本尊の「不動明王」の縁日で一月は初不動として知られ、家内安全や商売繁盛を願って全国一円から参拝者が訪れ、本堂前では山伏姿の修験者から竹筒に入った酒が竹の杯に注がれ、無病息災を祈りながら飲み干していた。又、「狸谷さん」の愛称で交通安全の神社として、一年中車の祈祷で賑わっている。本尊の不動明王の縁日が毎月二十八日で、年初めの一月は初不動として親しまれている。笹酒は、約三〇〇年前に木食(もくじき)上人が、修行する滝の水を青竹の筒に入れて病人に飲ませたところ、病がたちどころに治ったという故事にちなんでいる。この日、参拝者は白い息をはずませながら長い階段を登った後、山伏姿の修行僧から温かい酒を注いでもらった. ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.29
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2019年 1月 26日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★京都府南丹市美山町のかやぶき集落を明かりで照らす「美山かやぶきの里 雪灯廊(とうろう)」が二十六日、始まった。新雪で覆われた山里にあたたかな光がともり、観光客らが幻想的な冬の風景を楽しんだ。来月二日までの午後五~八時、里に約五〇〇基以上の灯籠をともし、かやぶき民家二十戸とともにライトアップする。開幕に合わせるように午前中に約20センチの積雪があり、日没後に点灯されると、こんもり雪をかぶったかやぶき民家が浮かび上がった。国内のほか台湾、中国などからの観光客も数多く訪れ、写真に収めたり、雪灯籠作りを楽しんだ。ぼたん鍋などの屋台が並び、花火の打ち上げもあった。★画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.27
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2019年 1月 25日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★上京区・北野天満宮では、承和十二年(八四五)六月二十五日に生まれ、延喜三年(九〇三)二月二十五日に没した学問の神様・菅原道真を偲び、御縁日として、終日境内周辺に露店が所狭しと立ち並び、参拝者の人波が絶えない。 「天神さん」として親しまれ、二十一日の東寺・「弘法さん」と共に毎月開かれる京都の二大縁日で、境内一円に露店が多数並ぶ。その一年最初の縁日を「初天神」と呼び、「終い天神」と共に例月よりも多くの人出で賑わう。ほころび始めた梅の芳香を楽しむ人や参道に軒を連ねる露店をゆっくり見て回る人など、多くの参拝者でに今朝は冷え切ったものの穏やかな天候に恵まれ、境内は授与される梅の枝を求める人や、合格祈願をする家族連れらでにぎわった参道には古着や食品、骨とう品に混じって菜の花やツバキなどを扱う店もあり、訪れた人が寒中に彩りを添える花を買い求めていた。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.26
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2019年 1月 21日(月) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★南区・東寺は延暦十三年(七九四)の平安遷都の時に羅城門の東に開創して、西の西寺(現在は廃寺)とともに平安京の二大官寺の一つとされた。 弘仁十四年(八二三)に嵯峨天皇が弘法大師空海に下賜されて、真言密教の道場とされた。三月二十一日に没した弘法大師空海の遺徳を偲び、毎月命日の二十一日に大師堂で御影供法要が営まれる。 参拝者は金堂や大師堂にお参りし、線香の煙を体に擦りつけて無病息災を祈った後、この日、境内一円に約千数百軒の種々雑多の露店が立ち並ぶ「弘法さん」として知られる市が開かれ、東大門から九条大路に面した南大門にかけては植木市、大門を入ると古道具類、金堂や大師堂周辺では食べ物や生活用品など、ジャンル別に並んでいます。その一年最初の縁日を「初弘法」と呼び、弘法大師・空海の命日にちなむ毎月二十一日の「縁日」の中でも、年末の終(しま)い弘法と並んで多くの人でにぎわう。 金堂や大師堂では、参拝者が手を合わせて無病息災などを祈っていた。 ★京の三弘法めぐり 弘法大師ゆかりの三ヶ寺を、弘法さんの命日である二十一日に巡る習わし東寺では初弘法、神光院では、大師が厄除け修行をしたという境内で山伏による大護摩焚きと火渡りが行われ、仁和寺では三弘法めぐりの納めとして、裏山の御室八十八ヶ所霊場をめぐります。. 2019年 1月22日(火) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★京都十六社朱印めぐり市内十六社を年頭に新しい年もいい年でありますようにと・・・そんな願いを込めて参拝することで、一年間のあらゆる御利益が得られるそうです。 二月二十五日まで。 熊野 若王子神社 学業成就・商売繁盛 熊野神社 縁結び・安産・病気平癒 新熊野神社 健康長寿・病魔退散 特にお腹守護 (能楽隆昌 発端の地) 藤森神社 勝運と馬の神様 市比賣神社 女人禁制 (京都唯一)わら天神 安産 (厄除・家内安全) 今宮神社 健康長寿・良縁開運 粟田神社 旅立ち守護・厄除 六孫王神社 出世開運・家運隆昌の守護神 上御霊神社 厄除・学業成就 (鎮霊の社) 岡崎神社 子授け・安産・厄除 西院 春日神社 病気厄除 (厄除・病気平癒・ 交通旅行安全) 御香宮 安産・厄除・病気平癒 吉祥院天満宮 受験合格・開運招福 (ちえと能力開発の神様) 豊国神社 出世開運・厄除招福・良縁成就・商売繁盛 長岡天満宮 合格祈願・厄除開運 (学問の神様)※ 期間中全ての朱印を受けると記念の干支置物がいただけます。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.22
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2019年 1月 14日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★福笹(ざさ)を手に寺院を回る新春の恒例行事「泉山七福神巡り」が十四日、東山区の泉涌寺山内の寺院であった。商売繁盛や家内安全を願う多くの参拝者でにぎわった。 泉山七福神巡りは毎年、成人の日に行われる。山内の寺院では戒光寺に弁財天、雲龍院に大黒天など七福神をそれぞれまつる。番外となる新善光寺の愛染明王と泉涌寺の楊貴妃観音堂を含めた9カ所をめぐる。 参拝者は福禄寿をまつる即成院で福笹を授かって巡回を始めた。縁起物のタイや俵、熊手などを表した「吉兆」を福笹に飾り付け、一年の幸せを願い、各寺で手を合わせて祈願していた。戒光寺では、小正月にちなんで邪気を払うとされる小豆がゆが振る舞われ、参拝者が体を温めていた。 ★平安時代からの和歌の伝統を受け継ぐ歌道宗家・冷泉家の歌会始が十四日、上京区の冷泉家住宅で開かれた。門人ら約七〇人が集い、初春のよろこびを込めた和歌を朗々と詠み上げ、新年をことほいだ。 藤原俊成、定家を遠祖とする冷泉家の恒例行事。狩衣(かりぎぬ)姿の第二十五代当主冷泉為人さんと袿袴(けいこ)をまとった女性六人が披講の儀式に臨んだ。今年の兼題は「早春野辺(そうしゅんののべ)」で、当主夫人の貴実子さんの「さゆる風去年(こぞ)となりけり春立ちてかすみたなひくみとり萌(も)ゆ野辺」など九首を独特の節回しで詠み、門人たちが唱和した。 続いて、即興で和歌を詠む当座式では「枯野(かれの)」の題が出され、門人たちが厳かな表情で筆を手に、和紙に向かっていた。 ★下帯姿の男性が体をぶつけ合うなどして無病息災を願う「裸踊り」が十四日、伏見区の法界寺であった。寒空の下、上半身裸の男性や子どもたちが仏への帰依を意味する「頂礼(ちょうらい)」の掛け声を連呼し、踊りを奉納した。 同寺では、元日から二週間にわたって五穀豊穣(ほうじょう)などを願う「修正会(しゅしょうえ)」が行われており、最終日のこの日は締めくくりの「結願(けちがん)法要」の一環として裸踊りが営まれた。下帯は安産祈願の腹帯として重宝されている。 僧侶たちが本堂の薬師堂で読経する中、隣接する国宝の阿弥陀堂の縁側では、地元の児童ら一〇人が頭上に掲げた手をたたきながら、「頂礼、頂礼」と元気よく繰り返した。参拝客からは「かわいい」と歓声が上がった。水をかぶった男性十一人も登場し、勢いよく体をぶつけ合っていた。 ★下鴨神社で「初大黒えと祭」が行われ、菊と二葉葵の飾りの付いた五合桝に大国神像が授与されます。 半桝を「繁昌」に引っ掛け、下鴨の繁昌大国とも親しまれている縁日です。大国さんは福徳円満・長寿・殖産興業にご利益のある神様とされていますが、干支も護って頂けます。 境内の各干支の神様にお参りして、お土産に干支守りを持って帰る。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.20
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2019年 1月 13日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★華道未生流笹岡の「初いけ式」が十三日、下京区のホテルで開かれた。今年は創流一〇〇周年の節目となり、各界の招待者と門人ら約五〇〇人を前に、笹岡隆甫家元が年始の花を生け、一層の飛躍を誓った。 笹岡家元はこけむした太い枝から真っすぐな若枝を伸ばす紅梅と赤い実をしっかりとつけた千両に、仏手柑(ぶっしゅかん)を取り合わせ、「(流派の)老若が一緒になって日本文化を押し上げていく担い手になってほしい」との願いを託した。 続いて、全国から集った流派代表一〇人が新春を飾る若松を生け、一年の精進を祈った。 ★一月十三日午後零時半、皇后杯「全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」は西京極陸上競技場において三十七回目の号砲が鳴り、花火が上がってスタート。 今朝の京都は報道のヘリコプターが飛び交い、駅伝ムードは盛り上がり、冬の京都の素晴らしい情景です。 世界に、オリンピックに、羽ばたこうとするホープ達には、京の都大路は日本の女子マラソン界をはぐくんできた母なるロードだろう。 都大路は世界への滑走路。 「ふるさと制度」が変わったのに伴って、今年も全国から六百人を超える女性ランナーが京都にやってきた。 今大会も各年代のトップランナーが顔を揃えた。 次代を担う中高生、躍進著しい大学生、世界トップレベルの実業団のホープが続々と力走し、熱戦が期待される。「選手にとっては、育ててくれたふるさとに恩返しできる意義深い大会」である。 京都から世界に羽ばたく地元郷土のヒロイン達に大きな声援を送って上げてください。 往復四十二.一九五キロのコースで今年もどのようなドラマが展開されるのか楽しみです。★新春気分もそのままに、九区間になどらえた“数え歌”のような短章でスタート。 一区・いつも輝くランナーの顔。見るものすべてに勇気をくれる。 二区・逃げるぞ追うぞ。駅伝の魅力は抜きつ抜かれつ。 三区・寒い冬にも熱い戦い。冬枯れの都大路が華やいでくる。 四区・呼んでいる。たすきを待つチームメートが見えたら、そらラストスパート。 五区・ゴールを目指す中盤の展開。ここらが勝負の胸突き八丁。 六区・ロードを埋める大声援。ふるさと選手との一体感 (レース直前の調整練習に励む選手達)が忘れられない。 七区・涙流した厳しい練習。苦しいときに思い出せばパワー全開。 八区・ハッとする、かわいい中学生の走りに無限の可能性が見えた。 九区・苦労を忘れるゴールの一瞬。 そこには四十七チームそれぞれに、順位を超えたドラマがある。 結 果 42.195㌔のコースを愛知が優勝を成し遂げた。 第一位 愛 知 2時間15分43秒 第二位 京 都 2時間16分45秒 第三位 大 阪 2時間17分1秒 第四位 兵 庫 2時間17分13秒 第五位 千 葉 2時間17分26秒 第六位 長 野 2時間17分47秒 第七位 神奈川 2時間18分15秒 第八位 静 岡 2時間18分38秒 来年(2020年)は一月十二日に開催決定。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.17
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2019年 1月 12日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★茶道武者小路千家の初釜が十二日、上京区の官休庵で催された。着物姿の招待客が次々と訪れ、新春の一碗を楽しんだ。午前十時に始まった初席には、各界の二十四人が席入り。茶室環翠園には正月飾りの「綰柳」(ワンリュウ)や干支にちなんだ香台が調えられ、列席者は千宗守家元が練った濃茶を服した。宗屋家元後嗣の結婚が六月に予定されていることから、正客を務めた伊吹文明衆議院議員が祝いの言葉を述べた。床には四代一翁宗守の軸「茶道有無雪塵」が掛けられ、宗左家元と宗旦前家元がそろって「明けましておめでとうございます」とあいさつした。えとにちなんだ新調の水指や六代覚々斎作の茶杓「猪ノ子」などで、宗左家元がふくよかな濃茶を練った。炉縁や食籠(じきろう)など宗旦前家元好みの道具も多く用いられ、継承を感じさせた。正客の千宗室裏千家家元は「(宗左)家元の初のお茶をいただき、縁起良くありがたい。而妙斎(じみょうさい)宗匠(前家元)と猶有斎(ゆうゆうさい)宗匠(家元)とで、ちょっとずつお茶の味に幅があるように感じられます」と話しかけた。十四日まで続き、約一五〇〇人を迎える。十七~二十日の東京初釜には、約千人が訪れる予定。 2019年 1月 13日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★煎茶道二条流の「初煎会」が十三日、中京区のホテルで開かれた。今年は二条雅荘家元の孫紀文さんも初めてお運びを担い、親子三代で各界の招待客や門人ら約二〇〇人をもてなした。二条家元が「初春をことほぎ、一煎つとめさせていただきます」と挨拶。家元雅荘嗣がまろやかな玉露を入れるかたわら、列席者は和やかに年始の言葉を交わした。家元席には、黄檗宗の近藤博道管長が記し力強い「無事」の軸が掛けられ、一年の平穏を祈った。また、香煎席なども設けられた。宗屋家元後嗣は「茶の道は清浄なまっすぐな一筋の道であり、御代の変わる今年、原点に返る意味を込めた」と語った。君が代の楽譜の蒔絵が施された棗も用い、新たな時代の到来を祝った。薄茶席には有隣斎前家元の結婚に際し表千家から贈られた花入も飾られ、一層喜ばしい雰囲気に包まれた。十一日~十四日の四日間で約八六〇人を迎える。 ★皇風煎茶禮宗家も北区の清風苑道場で初茶会を催し、門下生らが一年無病息災を祈る大福茶を味わった。 ★新成人らが弓道の上達を誓う新春恒例の「通し矢」が十三日、東山区 の三十三間堂であり、晴れやかに着飾った男女約一六〇〇人が気持ちを新たに矢を放った。慶長年間に始まったと伝えられ、「三十三間堂の通し矢」とも呼ばれています。江戸時代、武士が一二〇メートルある三十三間堂の軒下で弓の技術を競ったのが始まりとされる。弓引き初めは、かつて三十三間堂の端から端まで六十六間の距離を一昼夜で何本通せるかを競ったもの。戦後、京都府弓道連盟などが「三十三間堂大的(おおまと)全国大会」として主催し、今年で六十六回目。底冷えがする境内の射場で、あでやかな振り袖姿の女性たちが六〇メー トル先の的を狙った。静寂の中、かじかむ指先に神経を集中させながら弓を射ると、観光客たちがカメラのシャッターを切っていた。 ☆楊弓 小弓の一種で、もともと主に楊で作られていました。 室町時代には公家や武家の遊びとして、江戸時代には庶民のスポーツとしても親しまれ、祇園社や六角堂などの寺社付近に射場が設けられ、参詣者を集めたといいます。 http://www.e-kyoto.net/image/ev/ev_000069.jpg ★同じ日「柳のお加持」が行われる。 正式には「楊枝浄水供」と呼ばれ、後白河天皇の病が浄水で治癒したことに由来します。天台宗密教の修法で加持祈祷した浄水(清水に柳の枝を浸す)を当日妙法院門跡が浄水に柳の枝を浸してその水を参拝者の頭上に振りかける秘儀で功徳が分け与えられる。 特に頭痛に効くという。古くは平安時代に行われ、それによって柳にまつわる伝説が数多く生まれた。この日堂内は無料で開放されます。 ★画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.15
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2019年 1月 6日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★伏見五福めぐり初詣を兼ねて、散策の「伏見ご利益巡り」。 酒蔵が並び、名水が流れ、城下町の香りが残る伏見を回る良い機会となるでしょう。 ■場 所: 長建寺・藤森神社・大黒寺・乃木神社・御香宮神社 ■期 間: 1/1~/15(※毎年同じ日程です) ■料 金: 受印料300円(一ヵ所) (色紙授与の場合 1000円)★京の底冷え三つの山に囲まれた京都盆地では、風の無い快晴の夜に地面の表面から熱が放射されるという「放射冷却」という現象が起こり、これに伴った冷気が溜まってかなり冷え込みます。 冷気湖、又は寒気湖と呼ばれる現象で、「京の底冷え」と言われる由縁です。 今では都市化が進み、もう鴨川に氷が張ることは少なくなりました. 2019年 1月 7日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★茶道裏千家の初釜式が七日、上京区の今日庵で始まった。穏やかな日差しの中、招待された政財界人や文化人らが次々と訪れ、和やかに年始のあいさつを交わした。 初席は午前9時、平成茶室聴風(ちょうふう)の間に千宗左表千家家元や千宗守武者小路千家家元、西脇隆俊京都府知事、門川大作京都市長ら四十六人を迎えた。 千宗室家元が、好みの雪花三友皆具(かいぐ)や伝来の万代屋形(もずやがた)釜などの道具を調え、ゆったりと濃茶を練って列席者をもてなした。亥(い)年生まれで八回り目の年男となる玄室前家元が削った茶杓「一すじ」も用いられた。 千家元は、「『猪突(ちょとつ)猛進』の言葉のように、イノシシは突っ走るイメージがあるがその生態は地面を掘り、食物を得る。私たちも脚下照顧で歩みを進めていきたい」と語った。 十二日までに約二千人を招く。十六日からは東京で初釜式を催し、十九日までに約二三〇〇が出席する予定。 ★小川流煎茶の初煮会は三清庵小川後楽堂で開かれた。床には、山階宮晃親王の「精神茗一杯」の軸が掛けられ、鮮やかな朱色が映える彩色高小川後楽欄付炉台などの道具がめでたさを醸した。 小川後楽家元が煎茶手前で滋味あふれる一煎入れ、約一五〇人にふるまった。 ★京の花街の祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町で七日、年頭恒例の始業式が営まれた。芸舞妓たちは「おめでとうさんどす」と新春をことほぎ、正装の黒紋付き姿で伎芸向上を誓い合った。 祇園甲部の式典は、祇園甲部歌舞練場が耐震化に向けて休館中のため、昨年に続き、隣接のギオンコーナーで催された。芸舞妓やお茶屋関係者など約一一〇人が出席した式典後、京舞井上流家元の井上八千代さんが地唄「倭文(やまとぶみ)」を舞い、ロビーでは芸舞妓が晴れやかな表情で新酒を受けた。上七軒は九日に始業式を催す予定。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.13
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2019年 1月 2日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★書道の上達を願い一年の目標や願いを書き初めする「天満書(てんまがき)」が二日、上京区の北野天満宮で始まった。 朝から初詣でにぎわう境内で、親子連れらが筆を振るい、奉納した。 学問や書家として知られる祭神菅原道真にちなみ、毎年開かれている。絵馬所では子どもからお年寄りまでが、引き締まった表情で「戌(いぬ)年」「元旦」など新年にちなんだ言葉や文をしたためた。「初志貫徹」や「合格」、「夢」など目標に向けた決意を表現したり「えがお」や「平和」などで明るい一年を願う子どももいた。 ★右京区・広隆寺で一月二日に「釿始め」(ちょうなはじめ)が行われる。 建築関係者の一年の無事を願う古式ゆかしい仕事始めの儀式です。 「わ、き、ず、え、よぃ~と~」。響き渡る木遣り音頭は労働の喜びと施主の誇りを託したもの。音頭の流れる中、狩衣をつけた職人さんが宮大工さながらに古式にのっとり、木材の運搬・計測・荒削りといった所作を演じていきます。 番匠が行う斧始めは、奈良時代に起源を持つもの。一般の番匠の家でも昭和初期まで行われていましたが、まもなく消滅。番匠保存会が昭和五十六年に年頭儀式として釿始めを復興しました。儀式用の宮大工の道具が興味深い。 2018年 1月 3日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山区の八坂神社で三日、新春恒例の「かるた始め式」が行われた。 平安装束を身にまとった「かるた姫」たちが、境内の能舞台で初手合わせを奉納し、参拝者らが優雅な札さばきに見入った。 八坂神社が日本最古の和歌を詠んだと伝わる素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭っていることにちなんだ行事で、今年で四十八回目。近畿の各かるた会に所属する六歳から二十七歳までの男女計十四人が舞台に上がった。かるた姫たちは、緋袴(ひばかま)に袿(うちき)姿で二人一組となり、ゆっくりとした所作で札を取る古式の手合わせを披露。色とりどりの豪華な衣装と、読み手が歌う百人一首の響きに、初詣客らは迎春のおもむきを堪能した。 2019年 1月4日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★新春恒例の蹴鞠初(けまりはじ)めが四日、左京区の下鴨神社で行われた。平安装束を身に着けた「鞠足(まりあし)」と呼ばれる人たちが優雅に鞠を蹴り上げ、四方を囲んだ見物客が歓声を上げた。蹴鞠は飛鳥時代に日本に伝わり、貴族の間で流行した。現在は一九〇三(三十六)年に発足した「蹴鞠(しゅうきく)保存会」が伝承。同神社の蹴鞠初めは昭和三十年代から同保存会が奉納している。 鞠をおはらいした後、境内に設けられた正方形の鞠庭で行われた。烏帽子(えぼし)に水干、はかま姿の鞠足が「アリ」「ヤア」「オウ」と掛け声を発し、鹿と馬の皮で作られた直径約二〇センチ、重さ約一五〇グラムの鞠を右足で蹴り上げた。 周囲には人垣ができ、鞠を続けて蹴り上げると歓声が湧き、落とすとため息が漏れた。 2019年 1月 5日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区の赤山禅院で五日、天台宗総本山・延暦寺(大津市)の荒行「千日回峰行」を満行した僧侶による「八千枚大護摩供(ごまく)」があり、参拝者が新年の安寧を祈願した。 願い事が書かれた多数の護摩木をたく行事で、毎年営まれている。境内にある雲母不動堂で午前九時から始まり、叡南俊照、上原行照、叡南浩元の三人のの大阿闍梨(あじゃり)が不動明王像の前で護摩木を次々と炎にくべていった。 参拝者たちは煙の立ちこめる堂の中で不動真言を唱え、燃え上がる炎を見つめながらそれぞれの願いを祈った。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2019.01.11
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2018年 12月31日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】 ★大晦日の除夜の鐘の音に誘われながら、元旦の朝にかけての迎春行事として全国的に知られている、祗園・八坂神社の「をけら詣り」。参拝後、境内の鉄灯籠に鑚火式で灯された「をけら火」(をけらは古く日本書紀にも記載されている薬草で、疫病を祓うとされる)から竹の繊維で編んだ「吉兆縄」に点火し、火が消えないようにくるくると回しながら家路につき、持ち帰った火で神棚の灯明を灯し、元旦の大福茶やお雑煮の種火にすると、一年の無病息災や心願成就を祈るとご利益があると言われてれている。 午後七時一〇分ごろ、境内三カ所の灯籠に火がともされ、くべられた木札が勢いよく炎を上げた。参拝者は縄に火を付け、消えないようにくるくると回した。公共交通を利用する参拝者向けに、今年から火消し用の水桶が設けられた。お寺が多い京の大晦日は、一年の締めくくり、煩悩を洗い落とす鐘の音がそこら中から響き渡る。 大晦日に除夜の鐘を撞いたり見学できる京都の寺院 ■洛 北■ ■洛 東■ 鞍 馬 寺 東 福 寺 勝 林 寺 知 恩 院 浄 蓮 華 院 方 広 寺 真 如 堂 ■洛 中■ 清 水 寺 報 恩 院 高 台 寺 本 満 寺 長 楽 寺 相 国 寺 青 蓮 院 清 浄 華 院 南 禅 寺 誓 願 寺 永 観 堂 壬 生 寺 金 戒 光 明 寺 頂 妙 寺 ■洛 西■ 百万遍知恩寺 妙 心 寺 毘 沙 門 堂 印 空 寺 大 覚 寺 ■洛 南■ 天 龍 寺 醍 醐 寺 常 寂 光 寺 二 尊 院 善 峯 寺 真宗高田派 専修寺京都別院 総 括今年一年間、京都を愛する京都人より京都の最新情報・不定期便 “おいないの京都最新情報”をご笑読頂きまして誠に有難う御座いました。 一年間の京都の歳時記を振り返るには、私のブログをご覧頂ければ、全てを収録しているつもりでおりますのでご参照ください
2019.01.06
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2018年 12 月 27日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★大みそかを前に、土宗総本山の知恩院(京都市東山区)で二十七日、「除夜の鐘」の試し突きが行われた。 僧侶が掛け声とともに綱を引くと、境内や東山のふもとに重く低い音が響き渡った。 境内南東の大鐘楼(重文)では、僧侶約三〇人が念仏を唱えた後、橦木(しゅもく)につながる太い親綱や細い子綱を交代で手にした。親綱を握る僧侶は「えーい、ひとーつ」の掛け声を発し、体をのけ反らせて突いた。参拝者らはダイナミックな動きに圧倒されながら見入っていた。 知恩院の鐘は一六三六(寛永十三)年に造られた。平穏な世を祈って一〇八回打つ。 僧侶が鐘の下に集まり念仏を唱え、一人ずつ交代で一本の親綱と十六本の子綱を手にした。撞木最前部の親綱を手にした僧侶が「えーい、ひとーつ」と発声。「そーれ」と息を合わせ体をのけ反らせながら鐘を突くと、周囲に「ゴーン」と低い音が響き渡った。 知恩院の大鐘は高さ三・三メートル、直径二・八メートル、重さ約七十トンで日本三大梵鐘(ぼんしょう)の一つとされる。三十一日は午後十時四十分から一〇八回突かれる。 2018年 12月 28日(月) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★祇園・八坂神社では大晦日から元日の朝にかけて授与されるおけら火の火種をおこす儀式「鑚火式」が行われる。(非公開)。 午前四時、本殿で狩衣・烏帽子姿の宮司が檜の杵と臼をこすりあわせて火をおこします。キク科の植物であるオケラをくすべておけら火とするのは、 火に投じられたオケラの臭気により疫神を除くと考えられたためといわれています。 「をけら灯籠」に移された火は、本殿内に年中絶やすことなく灯しつづけられます。 ★左京区・狸谷山不動院で十二月二十八日、「しまい不動」が行われる。 平安京東北の鬼門を守護する不動明王が祀られる狸谷不動院は桓武天皇勅願によって祭祀されたものといいます。この日護摩法要が行われ、多数の参拝客が年の締めくくりに訪れます。
2018.12.28
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2018年 12月 24日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★新春を前に、石清水八幡宮で二十四日、竹を使った高さ約八メートルの「ジャンボ御神矢(ごしんや)」が本殿前に設置された。厄よけ開運や必勝祈願の御利益がある象徴として、参拝者を迎える。 御神矢は、鎌倉時代の元寇(げんこう)の際、白羽の鏑矢(かぶらや)が同宮から飛び、敵軍がその音を台風と勘違いして退散したとの伝説にちなむ。 神職らは境内に生える直径約二十センチのモウソウチクを切り出して、白羽に見立てた板を取り付け、楼門前に2本、御神矢を授与する神楽殿前に1本を立てた。来年二月三日の節分まで飾られる。 2018年 12 月 25日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★新年を前に、浄土宗の宗祖・法然上人の木像のほこりを落とす「御身拭(おみぬぐい)式」が二十五日、東山区の知恩院で行われた。 集会(しゅうえ)堂に集まった修行僧や檀(だん)信徒、市民ら約八〇〇人が木魚を鳴らし、読経する中、僧侶がお香で清めた絹布で丁寧に像を拭き、今年の無事に感謝した。 江戸時代から三五〇年以上続く伝統行事。一年間のうちに、僧侶や参拝者の心に、知らず知らずのうちにたまった罪を除くという目的もある。 午後一時、僧侶四人が黒光りする法然像を、堂内の宮殿(くうでん)から金色の輿(こし)に乗せて慎重に運び出した。マスクで口を覆った伊藤唯真門跡らがゆっくりと像の前まで進み、真っ白な布を顔や体にそっとあてて拭いた。 ★京都の一年を締めくくる縁日「終(しま)い天神」が二十五日、上京区の北野天満宮であった。 家族連れが正月飾りなどを買い求め、境内は一足早い迎春の雰囲気に包まれた。同天満宮の祭神・菅原道真の誕生日と命日にちなみ、毎月二十五日に開かれる縁日は「天神さん」の愛称で親しまれている。年の瀬の終い天神には例年約十五万人の参拝者が訪れる。 参道には骨董品や古着、園芸品など約千軒の出店が軒を連ねた。しめ飾りや来年のえと・とりの置物、ハボタンなど正月用品も並び、訪れた人々は店主との会話を楽しみながら品物を吟味していた。
2018.12.27
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2018年 12月 22日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★北区の不思議不動院で冬至の十二月二十二日は、「南瓜大師供養」が催され、参拝者は健康長寿を願い、熱いカボチャが配られる。 不動院の弘法大師像は歴代の貫主がカボチャを供えていることから、「カボチャ大師」の愛称を持っている。 お下がりを信者に振る舞ったのが始まりで、認知症や中風を防ぐが利益があるという。冬至にカボチャを食べると中風予防になるという言い伝えがあり、北海道産のエビスカボチャ約百㌔を用意して、二百人分のカボチャが砂糖とだし汁で甘く煮られ、不動明王大師像にお参りした後、前日から下準備し、この日朝から大釜で炊きあげた。参拝者らは、護摩木に無病息災などの願いを書き、白い湯気を立てたカボチャを味わっていた。★京都では、冬至の日には香りのゆかしい、冬の彩りでもある、美しい黄色の柚子を浮かべた風呂に入って、風邪を防ぎ無病息災を願う習慣がある。ユズは邪気を払うとされ、生命力がもっとも減ずる冬至にゆず湯に入浴すると、一年間風邪をひかないとされる。また、ひびやあかぎれを治す、「融通がきく」の語呂合わせなど諸説ある。 2018年 12月 23日(日) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★京の繁華街・寺町三条の矢田寺は大和国矢田山金剛寺の別院で、回向されたかぼちゃが本堂前に供えられ十二月二十三日、冬場の無病息災を祈願する「かぼちゃ供養」が行われる。 冬至にカボチャを食べると、脳疾患などで手足が麻痺する「中風」を封じるといわれる。本堂前には重さ約六十㌔の巨大カボチャが安置され、参拝者らは次々となでながら中風除けをはじめ無病息災・緒病退散を願った。 毎年、祈祷したカボチャ百個を使い炊き上げられ、約千人分を参拝者に無料で振る舞っている。★東山区の新熊野神社で十二月二十三日、年末の風物詩、神木の大クスノキ「大障」に新しいしめ縄を飾る恒例の「綱掛祭」があり、迎春準備を整えた。 同神社は平安時代末期の一一六〇年、後白河上皇の創建と伝わる。 境内のクスノキは高さ約二十三㍍、幹回り約六.五㍍の古木で、紀州国熊野から運んだものを上皇が自ら植えたとされる。 上皇が腹の病に苦しんでいたことから「お腹の神様」としても信仰を集めている。 本殿でお払いを受けた後、長さ約十五㍍、直径十五㌢の大注連縄をはしごに登って神木のクスノキに飾り付け、新年の無事を祈った。 ★左京区の大原地区で二十三日、三千院の歳末恒例行事「托鉢(たくはつ)寒行」が行われた。僧侶らは静かな山里にほら貝の音を響かせながら地区内の商店や民家を回り、家内安全や商売繁盛を祈った。 午前九時ごろ、すげがさ姿や山伏姿の僧侶ら約七十人が境内に集まった。門主が「今年は大変な災害の年だった。全身全霊で托鉢をして、全国にいる被災者に奉仕をしましょう」とあいさつをした後、四班に分かれ、地区内の約六五〇戸を約三時間かけて訪ね歩いた。 僧侶らは、商店や民家の前で読経。住民や店員が目を閉じて手を合わせ、お布施を手渡した。集まった浄財は、天台宗務庁(大津市)を通じて災害被災者支援などに充てられる。✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2018.12.24
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2018年 12月 18日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★亀岡市と京都市右京区の嵯峨嵐山地区を結ぶ保津川下りで、冬仕様の「お座敷暖房船」が運航されている。山々が霧に包まれた情緒ある風情のなかを進んでいる。保津川遊船企業組合によると、四季を通じて運航しているにもかかわらず、京都市内の人たちにさえ冬場は運休だと誤解されがちだという。このため、雪景色や水墨画のように幻想的な渓谷美など魅力のPRに近年は力を入れている。船は、通常のベンチシートを外して平面に変わり、水面に近い低い視点から景色を眺めることができるようになった。透明シートやアクリル窓で覆われ、石油ストーブも設置されたため、上着を脱ぐ人が多いほど暖かいという。竿(さお)、櫂(かい)、舵(かじ)の三人一組で操船する船頭にとって、風の抵抗を受けやすいため、風が強い日に四人、五人へ増員するなど高度な技に触れる絶好の機会にもなる。三月九日まで。午前一〇時、十一時半、午後一時、二時半に定期運航。 2018年 12月 19日(水) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★幸福地蔵菩薩に今年一年の感謝と来年の無病息災を願う「納めの地蔵」が十九日、「鈴虫寺」の愛称で知られる西京区の華厳寺で始まった。幸福地蔵はわらじ履きで、願いをかなえにやって来るとされる。この日は「お焚き上げ法要」が営まれ、住職が般若心経を唱える中、幸福地蔵に参拝者が供えたわらじや千羽鶴が火にくべられた。駐車場では大根炊きが無料で振る舞われた。参拝者は湯気を立てる大根をほおばり、冷えた体を温めていた。大根炊きは二十日まで。地蔵菩薩の縁日の法要は二十四日午前十一時から営まれる。 2018年 12 月 20 日(木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★真宗大谷派の本山・東本願寺で二十日、新年を前に「すす払い」が行われた。門徒らが割り竹を手に一斉に畳をたたくと、一年間に堂内にたまったほこりが舞い上がった。僧侶や門徒約一四〇人が参加した。世界最大級の木造建築物「御影(ごえい)堂」では、ほおかぶりにマスクをした参加者が、長さ約一メートルの割り竹で畳をたたいた。堂内に「パンパン」という音が響きわたると、ほこりが舞い、もやがかかったようになった。ほこりは、半畳ほどの大うちわで、堂外へあおぎ出した。終了後、大谷暢顕門首が巨大な竹ぼうきを使って「寿」の字を宙に書き、迎春準備を整えた。※すす払いは、近くの西本願寺でも行われた。今年は「伝灯奉告法要」開催のため御影堂、阿弥陀堂にいすを配置しており、規模を縮小して行われた。 ★新春を迎えた八坂神社(東山区)の本殿を飾るしめ縄作りが二十日、京・丹波町下山の尾長野地区で行われた。氏子たちが長さ三・五メートルの縄三本を威勢良くねじり上げ、太さ七十センチの大しめ縄を作り上げた。同地区にある八坂神社の分社「尾長野神社」が、一九七〇年から毎年、近くの「神撰田」などで収穫した米を奉納。一九七〇年から地元産の稲わら約百㌔を使って、大小十四本のしめ縄を作り奉納している。氏子たちはお田植え祭で植えた稲のわらを使い、中央付近が華やかに太くなるよう気を配りながら、稲わらの束をきつく編み込んだ。同じ長さの三本を氏子総出で持ち上げ、豪快にねじり、フジのつるで両端を結んだ。大しめ縄と長さ二メートルの中しめ縄を三本ずつ作った。仕上がったしめ縄は二十三日に奉納され、二十七日、二十八日に祇園・八坂神社本殿に飾られ、お正月を迎える。 2018年 12月 21日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★一年を締めくくる東寺の「終い弘法」が二十一日、境内であった。約一二五〇店の露店が所狭しと立ち並び、訪れた人たちが歳末の買い物を楽しんだ。東寺の造営に携わった真言宗の宗祖空海(弘法大師)の亡くなった日にちなみ、毎月二十一日の縁日に「弘法市」が開かれている。境内には、手作り品や骨董品に混じってお節料理に使う店も多く、次々と訪れた人が足を止めて品定めする姿が見られた。境内南側の弘法大師(修行大師)像の前でも参拝者が後を絶たず、線香の香りが一帯に漂った。 ✸画像が表示されない場合は下記のURLをUPしてください。http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2018.12.22
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2018年 12月 17日(月) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★ 浄土真宗本願寺派本山・西本願寺で十七日、国宝阿弥陀堂の修復工事が本格化するのに伴い、本尊の阿弥陀如来像を南隣の御影堂に移す「御遷仏(ごせんぶつ)」が行われた。御影堂に安置されている宗祖親鸞の木像「御真影(ごしんねい)」も堂内内陣の北寄りの場所に移り、終了後には御影堂で「御遷仏・御動座法要」が営まれた。 阿弥陀如来像は高さ約一メートルで江戸時代初めに寄進された。阿弥陀堂では二〇一七年から二十二年までの予定で修復工事が行われており、十八日以降は堂を閉鎖して作業を始めるため、一九八一年以来、三十七年ぶりに一時的に御影堂に安置することになった。 親鸞像を移す「御動座(ごどうざ)」に続き、阿弥陀如来像を縦約一・二メートル幅約六十センチの「御唐櫃(おんからびつ)」に納めて阿弥陀堂から運び出した。門信徒らが唱和する「南無阿弥陀仏」の声に送られた唐櫃は、雅楽が響くなか約四十人の僧侶に付き添われて御影堂に到着。厨子(ずし)の中に納められた後、門主が導師を務める法要が営まれた。
2018.12.18
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2018年 12月 11日(火) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★今冬一番の冷え込みとなった十一日、北野天満宮で早咲きの梅二輪が咲いた。昨年に比べ約三週間早いといい、天満宮は「最高気温が連日十五度超となった今月上旬の暖かさが影響したのでは」としている。 祭神・菅原道真が梅を愛したとされることから天満宮は梅の名所として知られ、境内には五十0種約一五〇〇本がある。例年、年末から三月中旬にかけて順次、紅白の花を咲かせる。 最低気温が1・3度を記録した十一日朝、絵馬所北側の寒紅梅が二輪開いているのを神社職員が確認した。梅は朝方の寒風に耐え、親指ほどの大きさの赤い花を咲かせていた。 2018年 12月 12日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 「今年の漢字」★京都は日本漢字能力検定制度の発祥地でもあることにちなみ、毎年十二月にその年の世相をひと文字で表現する漢字を全国から一般公募しています。 師走に一年を漢字一文字で振り返る「今年の漢字」に「災」が選ばれた。清水寺で十二日、日本漢字能力検定協会が発表した。 十二月十二日を「いい字一字」と読み、毎年「いい字」を少なくとも「一字」は覚えてほしいという願いを込めています。 一年の出来事を清めるとともに、新年が明るい年になることを願い清水寺に奉納する儀式が行われた。 応募総数十九万三二一四票のうち、二〇八五八票を集めた。 今年の漢字は一九九五年始まり、二十四回目。森清範貫主が奥の院の舞台で、大型和紙に力強く揮毫(きごう)した。 応募者が「災」の字を選んだ理由として、北海道や大阪府北部の地震、西日本豪雨や台風、記録的猛暑などを挙げ、来年に新元号を迎えることから、災害の被害減少を願う声が多かったという。 二位は「平」。以下「終」、「風」、「変」、「暑」、「大」、「最」、「新」、「金」と続いた。 2018年 12 月 13 日(木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★師走の風物詩として、迎春の準備に入る節目の行事「事始め」が十二月十三日に行われる。京都の古い商家や花街などでは、師匠や主家筋に鏡餅を持参して一年の挨拶をし、お正月の準備を始める日。 花街祇園では芸舞妓が京舞井上流家元・五世八千代さん宅を訪れて、一年の感謝をこめて旧年の礼と新年の挨拶を交わし合うしきたりです。 稽古場には赤いひな壇に白い鏡餅が並び、すっかり新春のととのえ、家元よりご祝儀の舞扇を受けて精進を誓う。 他の花街でも日頃お世話になっている各師匠にご挨拶をします。 花街では、年末にかけては「おこと(お事多)うさんどす」と声を掛け合うようになる。 事始めの「事」とは正月を迎えるための様々な仕事の意味。 京都では江戸時代以降、商家などで分家が本家の繁栄を祈って続けた風習で、現在でも花街や西陣、室町の旧家などで守り続けられています。 ★上京区・北野天満宮では十二月十三日より、「大福梅の授与」が行われる。 境内の二千本の梅の木から収穫した実を塩漬けにし、神職が天日干しして作った。 平安中期の村上天皇の天暦五(九五一)年に疫病が流行し、かかってしまった天皇御脳が、カラカラに干し上げた梅の実を白湯にいれたお茶を飲んで平癒したことから、王服(おおふく)と称して、毎年元旦の朝に茶の中に入れて飲むと邪気を払い一年を健康で無病息災でいられるといわれています。 干した梅の実を六粒位ずつ、手のひら程の大きさに切りそろえた縁起物の裏白(ウラジロ科のシダ植物)とともに奉書に包んで授与される縁起物。 今年は三万袋用意される。 ★東山区の六波羅蜜寺で十二月十三日、師走恒例の「かくれ念仏」が始まった。 踊りながら念仏を唱えて、今年一年の人々の罪業(ザイゴウ)が消えるように念じる仏事で、大晦日まで毎日、日暮れ時から奉納される。※ 大晦日は非公開。 正式には「空也踊躍念仏」といい、平安中期に同寺を開いた空也上人が、天暦五年に京都で疫病が流行した際、その救済を願って退散させるために始まったと伝えられる 鎌倉時代に念仏信仰が禁止された時、外に漏れないよう工夫した独特の所作で僧侶が念仏を唱え、本堂の内部を屏風で囲って営んだことから「かくれ念仏」の名が付いた。 約千五百年前、空也上人が疫病や天災に苦しむ民衆の心の救済として始めた念仏は、鎌倉幕府に弾圧されてが、六波羅蜜寺ではひそかに続けてきた。 毎夕、午後四時から四人の僧侶が鉦を鳴らしながら「南無阿弥陀仏」と聞き取れないように「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」と発音をぼかした念仏を唱えながら体を前後に揺らして導師の周りを歩く厳かな仏事。 一年の罪を消滅させ新年が良い年であるように祈る。 念仏弾圧の名残で、途中で僧が隠れる所作も披露され、見物客は見入っていた。
2018.12.13
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