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お久しぶりの日記です。先日は大宮でテンつくまんの講演会を聞いてきましたが、池川先生の胎内記憶のお話はとても妊婦さんに励みになると思いました。前に聞いた時よりずっと進化していて、死生観にまで踏みこんでます。子供がどんなかたちで生まれてきても、子供はこの世に出る旅を楽しんできているのだから、妊婦さんは負い目を感じる必要はないんですね。ところで、もうご存知かもしれませんが、お産に関する映画のご紹介です。●玄牝(げんぴん〕http://www.genpin.net/吉村医院での生活がテーマのようですが、お産の場面がものすごく感動的でした。ただ、監督も仰ってましたが、この映画は吉村映画を賛美するだけの映画ではありません。光と影両方を描いています。吉村医院に通い始めてからどんどん元気になって幸せなお産をした方もいますが、結局別の病院に搬送されて帝王切開となった方もいます。妊娠中に不幸な出来事があって大変だった妊婦さんもいます。いろいろあるけど、やっぱり吉村医院はいいなあと私は思います。私が女なら、絶対こういうお産をしたい!できないけど。●生まれるhttp://www.umareru.jp/両親との関係がうまく行ってなくて親になる不安を抱えたカップル、不妊治療しても結局子供を授からなかった女性、生まれてきたけど染色体異常だった人とかのドラマです。男性の父性を目覚めさせるためにも連れて行くといいと思いますよ。途中で出てきた歌がとても感動的。どちらも上映中ですよ!プレゼントやスペシャルゲストがある日もあるみたい。私は初日に行ってつるの剛士、両監督を見てきました!どうか興味を持っていそうな方にもお伝え下さい。
2010年11月15日
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フジテレビ【エチカの鏡】で話題の横峯吉文氏をお呼びするヨコミネ式教育法講演会のご案内です。横峯氏は昨年女子プロゴルファー賞金王の横峯さくらさんの伯父でもあります。シュタイナー、モンテッソーリ、イエナプラン、フリースクールなどいろいろな教育法を見てきましたが、子供のやる気を高め、子供が自発的に取り組む教育法は他の教育法にないアイデアに満ちており、皆様に是非お勧めしたいものです。読み書きそろばん(算数)、体力など基礎的能力が抜きん出ていて、5歳児の全員が逆立ち歩きが出来る、4 歳児のすべてが絶対音感を持つ、幼稚園卒業時には1000冊以上の本を読んでるなどの能力を、スパルタでなく、自発的に取り組ませて実現している点が驚きです。私も春に講演会を聞きましたが、テレビや著書よりずっと内容の濃いお話に感激し、いろいろお手伝いをさせて頂いてます。既に公式ホームページでは締め切っていると思いますが、当日券もありますので、当日に受付で手続きされるので大丈夫です。スーパー園児達の動画 びっくりされると思います。http://www.youtube.com/watch?v=NpbLxz4bRO8&feature=player_embedded*********************************日時:2010年7月10日(月)10:00~12:00程度* 9:40 開演* 10:00-11:30 開場、横峯吉文氏講演会* 11:30-11:45 質問タイム* 11:45-11:50 閉会のあいさつ* 12:00-13:00 物販・サイン会*場所:新百合トウェンティワンホール〔小田急線新百合ヶ丘北口より徒歩2分〕(〒215-0004 川崎市麻生区万福寺1-2-2 新百合21ビルB2 http://shinyuri21hall.jp/7accsess/)*タイトル:横峯吉文氏「ヨコミネ式」講演会*主催: 天才キッズクラブ ブログ:http://ameblo.jp/tensaikids/*共催: NPO法人 エムスタイル&ジョブ:http://mstylejob.net/*協賛: (株)R&H http://www.resort-house.co.jp/ 宝地図ムービー http://www.takaramap.com/*料金: 2000円 3歳~学生(高校生、専門学校生、大学生、大学院生は入場時学生証提示)は無料 無料の方も無料チケットを申し込んでください。*応募: 右記URLは締め切りました。 http://tensaikids.jp/ 当日券ありますので直接お越し下さい。※手話通訳付、授乳室あり ********************************当日こられない方も、是非著書をご覧になって下さい。基本的には昔ながらの教育法なのですが、子供の自発性を引き出す工夫が随所になされています。
2010年07月09日
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1月22日に放送されたモクスペ『モクスペ 紳助vs100人の子供達 親の知らない仰天世界ドキドキ初体験SP』で島田紳助さんが素晴らしい教育論を語って「深イイ教育」だったので紹介します。会場にいる100人の小中学生を前にしたトーク番組だったのですが、伸介さんは話すことがとっても深いですね!「将来、自分は絶対に幸せになれると思う人?」という質問に、31人はそう思わないという回答をしました。それについて紳助さんは熱く語りました。「間違うてるで。絶対幸せになると思うねん。落ちこぼれるとこもあんねん。もちろんみんな落ちこぼれんねん。落ちこぼれたからて終わってへんで。トータルで勝てばええねん!15勝14敗の人生は幸せやで。それを10連勝しなあかん、20連勝しなあかんって思うと、無理や、って思ってまうよな。いつか負けるときも来るよって思うんやろ?ちゃうちゃう、15勝14敗。そんな人生を目指すねんて。1勝したらええねん。負け越しよりも1勝多かったら生きてる意味があんねんで。」自分が幸せになれないと思っているのは、恐らく学校や家庭環境で明るい考え方ができず、悲観的な考え方が支配しているからなのでしょう。さらに、両親から愛情を十分もらえず、自己肯定感が不足している子供は、どうしても否定的に物を考えてしまうと思います。そして伸介さんの言葉のように、完璧を求めすぎて臆病になりがちな現代の子供に対して、もっと失敗を恐れず容認することを勧めた点は素晴らしいと思いました。
2009年01月24日
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前回に引き続き、お産の歴史ですが今回が最終回です。 1900年以降の発明と、 それに伴いお産がどのように変わっていったかを書きたいと思います。 ★女性ホルモン剤の発明★ 以下のようにたくさんの女性ホルモン剤が発明され、使用されましたが、 毒性が明らかとなり使用禁止になったものも多くあります。 ・1929年 エストロゲン (使用禁止) 卵胞ホルモンで、排卵の準備をするホルモン。 エストロゲンの不足が更年期障害の原因になります。 日本では1996年に一部例外を除き妊婦への使用を禁止されました。 アメリカでは1978年に禁止されてますが日本は遅いですね~。 ・1934年 プロゲステロン 黄体ホルモンで、子宮内膜を肥厚させ受精卵が着床しやすい状態にします。 体温を上昇させて妊娠を持続させます。 ・1938年 DES(ジエチルスチルベストロール) (使用禁止) エストロゲン製剤の一種で、「DESの悲劇」とまで言われる薬害で有名。 1940年代から切迫早産、流産防止剤の薬として使われます。 膣の癌や子宮機能不全、卵管や卵巣などの異常などが多発したため、 日本でも1972年に使用が禁止されています。 ・1940年 hCG(human chorionic gonadotropin 胎盤性性腺刺激ホルモン) 妊娠中に作られるホルモンです。 なのでhCGの検出により、早期の妊娠検査ができます。 性腺を刺激し排卵を促すので、不妊症治療の際にも使われます。 ★陣痛促進剤の発明★ 1953年には、陣痛促進剤として今やとてもポピュラーな オキシトシンの構造が特定され、間もなく使われ始めました。 陣痛促進剤による陣痛誘発です。 アメリカの多くの病院では、出生時刻が「9時から5時まで」に出産させるように、 陣痛促進剤を使うそうです。 赤ちゃんが産道を通過する準備ができているかどうかに関わらず、 産科医本人の都合で陣痛促進剤が投与されます。 赤ちゃんが準備できてないのに陣痛促進剤を投与されれば、 当然お産の異常が起きやすく、 分娩監視装置が異常を発して、 結局帝王切開に切り替えられるのです。 陣痛促進剤のデメリットは、 未熟児出産に伴う肺結核、発育不良、肉体的傷害、知的障害になりやすくなることです。 また母親も犠牲者になります。 帝王切開で産んだ半数の女性は後遺症に苦しみ、 さらにお産の後遺症で死に至る確率は経膣分娩の26倍にもなるそうです。 帝王切開では、未熟児でないのに、重い肺障害を起こす危険があるそうです。 これはなぜかというと、 経膣分娩では、産道でギュっと締め付けられて産まれるので、 肺に溜まった体液は口から吐き出されます。 ところが、帝王切開の場合は締め付けられないため、 肺に体液が溜まった状態で産まれてくるからのようです。 実際陣痛促進剤の被害を訴える人達もいます。 陣痛促進剤による被害を考える会 http://homepage1.nifty.com/hkr/higai/ ★1920~1930年 欧米で病院出産が主流に このころから、欧米では帝王切開できるように、病院出産へと移行し始め、 1950年頃にはほとんどが病院出産となります。 日本では、戦前はほとんど家庭で助産婦の介助によってお産をしていましたが、 戦後の日本はGHQにより、欧米で主流となった病院出産が持ち込まれて、 急速に病院出産が増え、今に至っている訳です。 以上のような歴史により、 女性の聖域であった出産が男性の手に渡り、 産科医によるお産のコントロールが増していったというのが分かります。 数々の発明により、 女性や赤ちゃんの死亡率が低下したということが、 病院での出産が主流となった大きな原因でしょうし、 それにより救われた命もたくさんあると思います。 ただ、男性がお産に介入してから、 弊害が起きるようになったとも言えると思います。 私は男性がお産に介入するのは一般的には好ましくないと思います。 (勿論、吉村先生や池川先生のような立派な先生方もいます!) なぜかというと、 男性は精神的な面を軽視するため、 女性の気持ちをサポートするのが下手ですし、 往々にしてお産をビジネスとして位置づけ、 金儲けの手段にするからです。 実際医療は営利行為ですから、 法の許す範囲で経済効率を上げるために 陣痛促進剤などで医療介入することもありますし、 手術がしやすいからと仰向けの難産姿勢でお産をさせます。 また、日本では医療介入をするほど儲かるシステムになっているので、 自然分娩するより、帝王切開をする方が医者は儲かります。 (自然分娩は保険がきかないのに、帝王切開なら保険がきくってどうなんでしょう?) お産を金儲けの手段にするのは、圧倒的に男性が多いと思います。 必要な時はこれまでの医療技術を頼る事は大いに結構ですが、 基本的には女性の介助による女性のための出産をするのが 結局は妊婦さんや赤ちゃんにとって好ましいのではないでしょうか。
2008年12月31日
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前回が随分と前になってしまいましたが、お産の歴史を追っていましたのでその続きです。初めての方は、面白いと思うので、前回と前々回を是非読んでください。(お産の歴史1)病院出産で仰向けの不自然な姿勢で出産するようになった歴史は、ルイ14世の性癖が起源だった!(お産の歴史2)病院出産で仰向けの不自然な姿勢で出産するようになったもう一つの理由は、ある画期的発明が起源だった!これまでは、★産科鉗子の発明と、ルイ14世の性癖と国家権力によって、 仰向けのお産と、男性による医療行為としてのお産の歴史が始まった★という、現代の産科医でよくあるお産のスタイルが確立されたきっかけとなったことを書きました。今回はその後の発明と、それによるお産事情の変化を追っていきたいと思います。★1847年 麻酔の発明★次の発明は麻酔でした。1847年、クロロホルムとエーテルが麻酔薬として使われ始めました。(クロロホルムのような塩素系有機溶剤は毒性が強いです。ダイオキシンも塩素系でご存じの通りの恐るべき毒性です。化学実験の時、ゴキブリにちょっとかけるだけで瞬時にお陀仏でした。話が逸れました。妊婦を麻酔させると、妊婦は息むこともできず、自力で子どもを産むことはできません。完全に産科医がお産をコントロールできます。女性が痛みに無感覚になり、陣痛が有効に働かない状態ではそれが原因で産科鉗子やその他の医療処置を施す可能性が増え、女性の体が傷つくきやすくなるでしょう。★1870年代 消毒液の発明★この頃やっと、消毒液で手を洗うことが感染の予防に有効であることが分かりました。ハンガリー出身のゼンメルワイスという産科医が、手洗いをしない医者に高死亡率の原因があると訴えました。彼は愚か者扱いされ、精神病院に運ばれる悲運の人でした。(いつもいい人は迫害を受けますよね~)しかし、彼の訴え通り、産科医が手洗いをするようになると、母親と赤ちゃんの死亡率は激減していったんだそうです。★帝王切開★次に帝王切開です。麻酔と消毒液の発明が、帝王切開を可能としたのです。確かに帝王切開によって、難産の時、母子共に救う道が開けたというのは、画期的なことだと思います。しかし濫用はいけません。分娩監視装置が異常を知らせば、急いで妊婦にメスを入れ、帝王切開で胎児を取り出すのです。アメリカでは、この分娩監視装置を使うようになって、従来の聴診器を使う方法に比べて、3倍から4倍もの確率で帝王切開が行われるようになったそうです。日本でも恐らく同じ傾向があるでしょう。まだまだ話は続きますが、長くなりますのでまた次回にします!
2008年12月23日
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前回に引き続き、仰向けの不自然な姿勢でお産をするようになった歴史について考えています。初めての方は前回の日記から読んでください。前回は、理由の一つである、ルイ14世の性癖が関係しているという、とんでもない経緯について書きました。しかしいくら国家権力と言っても、難産になりやすい姿勢でお産をしろと言われても女性は納得しないはずです。実は女性のハートを射止めた、もう一つの理由があるんです。それは、ある人の画期的な発明が絡んでいます。1588年に、イギリスのチェンバレンという床屋外科医が、金属製のサラダバーみたいな産科鉗子(かんし)を発明したんです。ちなみに当時は床屋さんが外科医を兼ねてたというからびっくり!ハサミと髭剃りを使うからかな~。当時のお医者さんは薬の処方だけだったそう。産科鉗子とは、赤ちゃんの頭をはさんで、子宮から引き出す医療器具で、今でも使われています。絵など詳しく知りたいならこちらなどをどうぞ。これがなぜ画期的だったかというと、この発明によって、それまで産道をどうしても出てこれなかった赤ちゃんが助かるようになったからです。当時女性の約1%はお産で亡くなっていました。命がけの営みだったんです。そんな時代、産科鉗子のお陰で、難産の母親や赤ちゃんが救われるようになりました。これが女性に支持される最大の理由だったと思います。チェンバレンは、産科鉗子を使って赤ちゃんを取り出しやすいように、妊婦を高いテーブルの上に仰向けで横にさせ、足を広げさせたんです。ちなみに、このチェンバレンという人、お産の部屋には誰も入れないで、妊婦に目隠しをして、下半身にカバーをかぶせて誰からも秘密にして産科鉗子を使ったそうで、子々孫々裕福な暮らしをしたそうです。この発明が他人の知るところとなったのは、なんと19世紀になってから!どんだけ富を蓄えたんでしょうね!産科鉗子のお陰で、難産の妊婦が救われたため、急速に広まったらしく、それが今にも至る、分娩台に仰向けになってお産をするスタイルが生まれたきっかけだったんです。以上、長くなってしまいましたが、★産科鉗子の発明と、ルイ14世の国家権力によって、 仰向けのお産の歴史が始まった★と言っていいのではないでしょうか?しかし、ちなみに、この男性によるお産の介入で、妊婦の死亡率が少なくなったかというと、必ずしもそうでないんです。男性たる産科医は、なんと手を洗ってなかったというのです!他の外科の手術をして、そのままの手で産科医もしていたようです。なので感染によって母子の死亡率は逆に急上昇しました。当時は消毒の重要性は分かってなかったのです。悲しいことに、それが19世紀あたりまで続くのです。確かに産科鉗子の発明は難産に対する救世主だったことでしょう。しかし、この産科鉗子の導入をきっかけとして、お産の歴史は大きな転換を迎えてしまうのです。・お産が「医療行為」となり、妊婦を手術が必要な治療の対象に仕立てました。・男性によるお産の介入が始まりました。 (男性の産科医は、女性の聖域だったお産という仕事を 助産婦から奪うことに成功し、産科医の権力が増したのです)そしてその後もお産は、ますます医療により介入されていきます。本当は妊婦が主人公なのに、産科医によりますますお産がコントロールされていき、産科医の権力はさらに強大になっていくのです。まさに、妊婦はただのまな板の鯉状態になっていきます。次回はその後のお産の歴史について追ってみたいと思います!
2008年12月10日
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アメリカでは「民衆のための医者」として親しまれた小児科医である、ロバート・メンデルソン氏の著書「それでも医者にお産をまかせますか?」という本を読みました。著者は既に故人のようで残念ですが、この本は読みやすいのに現代医療の矛盾を端的に述べているとてもいい本でしたのでお勧めします!そこで一番衝撃的だったのは、お産の体位がルイ14世と関係があったという話です!欧米はもちろん、日本でも戦後のアメリカのGHQによる統治の頃、欧米式の病院出産に変えられましたので、今でも分娩台に仰向けの姿勢でお産をするのが主流ですよね。しかし私にはこれがどうしても理解できなかったんです。なぜこんな屈辱的な、しかも不自然な姿勢で産まなきゃならないのか?ということがです。なぜ不自然かというと、仰向けに寝た状態では、赤ちゃんは重力に逆らって上方に向かって生まれないといけません。直感的に考えても難産になりやすい姿勢です。お産の不幸の原因が、この仰向けの姿勢にもあるのではないかと疑っていたんです。やはり仰向けの姿勢はデメリットが大きいんです。胎児の体重で動脈を圧迫するので、胎児への酸素供給も不足して危険なんです。そしてこの本によりようやくその謎が解けました!それが驚くべき事実なんですよ。簡単に答えを言ってしまうと、★男性によるお産の介入と同時に仰向けの姿勢での出産が普及した★ということなんです。昔は、お産は女性の聖域で、男性はかかわらなかったんです。その頃は、ヨーロッパでも、分娩椅子を使って、座ってお産をしてました。これは他の多くの民族と類似しています。この姿勢は、重力を活用してお産ができるので、お産が楽に出来るんです。それが中世の頃、男性によるお産の介入が始まるんです。その頃から、高いテーブルの上で仰向けで生むようになります。なぜ男性の産婆はそのような姿勢に変えたのでしょう?あそこが見やすいから?その通りなんです。2つ理由があるんですが、その一つめはルイ14世の性癖なんです。どういう事かというと、ルイ14世(1638-1715)は、お産をする様子をカーテンのうしろから密かにのぞき見るのが好きだったんですが、見えにくくて欲求不満になったそうな。そんな彼は、男性の産婆に命じます。「もっとあそこが見えるよう、妊婦を高いテーブルに仰向けで寝かせ、両膝を立てて足を大きく開かせい!」ルイ14世は、国家権力を使って、この愚劣な仰向けの姿勢を奨励したのでした。彼は「世は満足じゃ!」とご満悦だったでしょうね。ただ、それだけではこんな不自然な体位は広まりません。そこでもう一つ重要な理由があるんです。長くなりますのでそれは次回にしようと思います。-------------------------------------祝 100000アクセス達成!皆様のおかげで10万アクセス達成できました。ありがとうございました。最近公序良俗に反する書き込みやリンクが多いため、ほとんどの日記の更新を別の場所にしていましたが、こちらも時々アップさせようと思っています。どうかよろしくおねがいします!
2008年12月07日
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今日はヒトの進化と子育てとの関係を考えてみたいんです。私生物の神秘がとても好きなもので、このようなお題が多くてすいません。今日の話も「病院出産が子どもをおかしくする」をベースにして書いてます。不思議だと思いません?ヒトは哺乳類だから、他の種類の動物よりも、授乳も必要だし子育てにたくさん時間がかかるのは分かります。しかし、同じ哺乳類の中でも、ヒトははるかに子育て期間が長いんです。ヒトの子は歩けるまで一年も必要です。しかし牛や馬は数時間、犬や猫は数週間で歩けるようになります。サルのような霊長類でも一ヶ月。ここで質問です。<なぜヒトの子育て期間は他の動物よりもずっと長いのでしょう?>それは、生物の進化と深イイ関係があったのです!これは面白いですよ。それは、ヒトの脳が大きく発達したからなんです。ヒトの脳って他の動物よりもずっと大きいですよね?そうすると頭が大きくなりますよね?となると困ったことが起るんです。お腹の中で胎児を成熟させようとすると、頭が大きくなりすぎて、頭がお母さんの産道を通れなくなるんです!そこで、ヒトは他の動物より、ずっと未熟な状態で産まれてこざるを得ないんです。そうやって早く産んでも、それでも産道を通るのは他の動物より大変なんです。ヒトは分娩時間が他の動物よりもずっと長いことで分かります。ヒトは平均14時間なのに、サル類は1~2時間。これは頭がヒトの3分の1しかなく、産道を簡単に通り抜けられるからです。脳の発達は素晴らしい生命の進化です。しかし、その副産物として、お産が大変になったんですね。そういった事情があって、ヒトの赤ちゃんは未熟な状態で産まれてくるものだから、産まれてきても長い間一人立ちできないんです。自分で食べ物を探すこともできないから、当然授乳や子育ての期間も長くなってしまうです。ただ、お産も子育ても長くなってしまって、人間っていいことないじゃないかと嘆かれるかもしれませんが、私は必ずしもそうは思いません。ここからは私の根拠ない意見になりますけど、お産に時間がかかるということは、他の動物より愛情ホルモンのオキシトシンや、至福の感覚をもたらす快楽ホルモンなどがたくさん分泌されているはずです。そうすると、子どもに対する愛情が、他の動物より格段に強くなるでしょう。こうして、強い愛情と絆で結ばれた家族を単位として、高度な社会性を発達させることになったのではないでしょうか?そうして、ヒトは他の動物よりはるかに愛情深く、人間的な繋がりを持って生きていけるようになったんだと思います。いや~愛って、素晴らしいですね!突然出てきてゴメ~ン 誠にすいまメ~ンゴーマンかましてゴメ~ん 誤魔化してすいまメ~ン (ジョイマン)またスベっとるやないか~ (髭男爵)
2008年10月13日
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病院出産が子どもをおかしくする 奥村紀一著タイトルが強烈なのでぎょっとするのですが、お産、子育てについて考えるために大変いい本でしたのでお勧めします。この本はデータに基づいて客観的な考察をしているという点で、とても説得力があり参考になりますし、お産や子育てに関して有用な事実が網羅されていますから、効率的に学ぶことが出来ます。たとえば以下のような疑問に答えてくれます。どんな母親は幼児虐待率が低いか?アメリカ人はなぜガムをよく噛む?母乳をたくさん出すには牛乳を飲むといい?子どものIQが高くなる食べ物とは?なぜアトピーやアレルギー体質が増えたのか?なぜアメリカは乳幼児突然死が日本の20倍高いか?なぜヒトは他の哺乳類と比べて子育て期間が長いか?なぜ低出生体重児が虐待に遭う率は4~10倍も高いのか?なぜ欧米の子どもは指しゃぶりが多いか?幼児死亡率が低くなった真の要因とは?自閉症はなぜ男性に多いか?なぜ日本は先進国中最も赤ちゃんの出生体重が低くなったか?子どもの数は減るのになぜ知的障害児が増えるのか?この本で特に重要な問いかけは、病院出産がお産のリスクを逆に高めているという側面もあるということ。多くの人が安全を求めて病院で出産するのに、そうでないとしたら、根本的な前提が崩れます。お産のしかたを決める前に十分考えておく必要がありそうです。
2008年09月28日
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癒着胎盤で帝王切開手術を受けた女性が死亡した大野病院事件の無罪判決がありました。その1からの続きです。前回は背景を書きましたので、今回はこの事件の意味を考えてみたいと思います。●他の医療事件と比べて対照的な周りの反応●これまでの医療ミスの事件では、結論が出る前から事件を起こした医者を解雇したり、医道審議会で処分したりしましたが、今回は産科や麻酔科の先生も、この逮捕は不当であるという意見でしたし、抗議声明が出たり、800人近い医師からの賛同署名があったりしました。●手術の医学的な解釈●私は医学は素人ですので、ファンになってしまった大野明子先生著の「いのちを産む」という本に書かれてある見解などを参考にします。<前置胎盤と癒着胎盤>今回の患者さんは前置胎盤でしかも癒着胎盤でした。癒着胎盤とは、胎盤が政治家と癒着しているという社会の病巣のことではありません。前置胎盤と癒着胎盤の違いと頻度はこうなるようです。前置胎盤: 胎盤が内子宮口の一部以上を塞いでいる状態 陣痛が始まれば大出血するため、必ず帝王切開する。 頻度:帝王切開の経験なし:0.26% 帝王切開の経験あり:0.65% 20歳代:0.3% 35歳以上:1%、40歳以上:2%癒着胎盤: 胎盤が子宮にくっついて自然に剥がれない状態 医療措置をしないと、剥がす時に大出血して母体死亡となる。 頻度:帝王切開の経験なし:0.26%のうち5% 帝王切開の経験あり:0.65%のうち10-25%過去に帝王切開や人工中絶、流産手術をした人や高齢出産であるほどリスクが高いそうです。前置胎盤の原因はよく分かってないようですが、手術をしたりすることはもちろん、不摂生や運動不足、化学物質による撹乱などが遠因である気がしてなりません。今回の患者さんも、第一子が帝王切開で、第二子目の妊娠だったそうです。<専門医による医学的見解>前置胎盤であることは予め分かっても、術前に癒着胎盤であると診断することはとても難しいそうです。、確かに産科医が一人しかいない病院で、前置胎盤の妊婦は通常の帝王切開よりリスクが高いので、複数の専門医がいる大学病院などで手術する方が無難ではあるのでしょう。しかし産科医不足が限界に近い状態では、この例では医師に明らかな過失があった訳ではないとするのが医師によるほぼ一致した見解のようです。●法律の解釈(業務上過失致死傷)について●私も法律に詳しくはないですが、刑法では基本的に罪を犯す意志のない過失は罰しないのですが、例外として、結果が予見できたのに回避しなかった場合は、有罪とするというのが、業務上過失致死傷だそうです。しかし死亡するリスクのある手術を行う医者に対して、結果的に死んだら、結果は予見できたではないかと業務上過失致死を適用してその医師を有罪にするのは、慎重にすべきではないかと思います。もちろん明らかな医療ミスに対しては厳しく対応することも当然でしょう。●なぜ逮捕までする必要があったのか?●この医師の場合、逮捕されてマスコミで大きな話題となりましたし、勾留中に我が子が産まれ、出産に立ち会うこともできませんでした。逮捕するというのは、ちょっと酷すぎないか?と私は思うんですが、どうも証拠隠滅や逃亡の恐れがあると、逮捕するそうですね。しかし事故後も約一年黙々と病院で働いていたし、その間に医療事故調査委員会が調査していたわけです。それでちょうど奥さんの出産を迎える時に、よくタイミング良く逮捕したな~と思います。これは故意に嫌がらせの意味があったんじゃないかと疑ってしまいます。●この事件の社会的影響●医師不足が深刻でで万全の手術が難しい状況で、明らかな医療ミスがないのに医者が逮捕されるようなら、どんな医者も手術はしなくなるのではないでしょうか?そうなると、手術により命が助かる可能性がある場合でも、患者は助からなくなってしまいます。今回のような癒着胎盤は、手術をしなければまず母子共に死亡しますし、手術をしても死亡の危険性が高いものです。この事件は結局医師は無罪となりましたが、逮捕されたという事実がきっかけで、お産の取り扱いを休止する病院が相次いだそうです。今後、手術をしてくれる産科医すらいなくなって、手術ができずに癒着胎盤で死亡するような悲劇が起こらないよう、激務に耐えて頑張っていただいている医師たちに対して、これ以上警察や司法が追い打ちをかけないよう十分な配慮が必要だと感じました。●結局自然なお産の方が安全●しかしながら思ったのは、不必要に帝王切開したり医療介入することなく、問題ない場合は自然なお産にする方が結局安全なんだということです。
2008年09月07日
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癒着胎盤で帝王切開手術を受けた女性が死亡した大野病院事件の判決が先日ありました。これはお産をしようとする人にとってとても重要な意味を持つものです。というのも、2004年にこの事件が発生し、その産科医が逮捕される2006年にかけて、この事件の影響で多くの産科医が現場を離れ、産科医不足が急速に進行してしまったからです。大野明子先生著の「いのちを産む」という本と、インターネットから情報を入手し、いろんなことが分かりましたので紹介します。●大野病院事件の概要●福島県大熊町の県立大野病院で、2004年に帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が、大量出血のため死亡した事件です。この事件により、2006年2月、加藤医師は逮捕され、21日間勾留され、3月10日起訴、その数日後保釈となりました。2007年1月から公判が始まり、先日無罪の判決が下りたのです。●この事件の背景●この事件の頃は、ちょうど医療ミスによる事件が頻発し、医療不信が社会問題化していました。2人の患者を取り違えて手術したり、誤って主婦に消毒液を点滴して死亡させ、ミスを隠そうとした事件などが世間を騒がせていました。このような事件を医療ミスであると患者が立証しようとしても、証拠のほとんどを医師が持っているため、医師に公正な情報開示をさせないと患者は泣き寝入りするしかないという問題がありました。●患者(原告)の立場からの主張●この事件により患者は死亡しました。この判決がどうであれ、患者のご家族にとっては大変悲しい事件であることに変わりはありません。そして、原告が、なぜ事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか知りたい気持ちがあるのは当然ですし、そして折しも医療不信が社会問題化している中、患者が医療ミスで死んだのではないかと疑うのは、自然な成り行きだと思います。そのような事態に直面したとき、専門的知識もなく、実態を把握できない患者としては、訴訟という手段に頼るしかないのかもしれません。●医師(被告)が事件後に直面した事実●次に今度は医師の側から、この事件の背景とその後を調べました。この医師は福島県立医大の産婦人科医局に所属し、大野病院に派遣され勤務していました。この病院の産婦人科医は彼一人でした。医師は24時間オンコール体制で、年間約200件の分娩をほぼ彼一人でこなしていました。医師が逮捕されたとき、彼の妻はちょうど妊娠中で予定日も間近でした。そして彼が獄中の時に出産となったそうです。つまり彼は初産に立ち会うことができませんでした。事件後福島県の医療事故調査委員会が調査し、彼は減給処分を受けました。逮捕される時、彼は手錠をかけられ、捜査官に挟まれて警察の車に乗る場面を福島ではマスコミが連日報道しました。医師は、勾留中検察官の取り調べの中で、「あなたは殺人者だ」と言われたそうです。もしこの医師が無罪であったなら、この医師に対するこのような対応は正当だったのでしょうか?以上、患者と医師の両面からこの事件の背景を見てきましたが、次回はさらにこの事件の社会的、医学的、法的な検討をしてみたいと思います。
2008年09月04日
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赤ちゃんを授かり達成感と幸せ感でいっぱいになったお母さんと赤ちゃんの、感動的な写真が数多く掲載された本。 写真集で、文章は基本ありませんが、 この幸せそうなお母さんの表情を見ていると、 お産がどれほど幸せなことなのかということが 想像できます。 巷ではお産は苦しみ以外の何物でもないと聞きます。 しかし、自然分娩をしている吉村先生の元で お産をしている方は、おそらく この写真に出てくるお母さんのように、 幸せ感いっぱいの体験をされるのでしょう。 こんな体験ができる女性が羨ましい。 嫉妬すら覚えてしまうのでした。 吉村先生はコメント頂いた方から教えてもらったのですが、 その方も同じように助産院で子供を産んだそうです。 その方の経験によると、こんな体験だそうです。 ・出産後すぐは赤ちゃんが安心できるようへその緒がついたまま娘を私の胸の上に置いて、へその緒も自然に血液の流れが止まるまで切らずにつながったままにしてくれる。 ・こういったケアがあったせいか、娘がほんとうにかわいくてかわいくて、育児がとても楽しい。 素晴らしいことです! まさに、これがいい子育てをするための 最初のスタートであるべきだと思ったのでした。 助産院での自然分娩は大変興味があるので、 また別の本で調べてみようと思っています。
2008年07月07日
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秋葉原の通り魔殺人事件で、大勢の人がこぞって死体の撮影をするという、大変不気味な状態に警官が絶句したという記事がありましたね。なぜあれほどまでに、死体の写真を撮りたかったのでしょうか?私はここに現代社会のあり方に根本的な問題があるのではないかという気がします。撮影したくなるということは、それが珍しく、興味を引いたからに違いありません。なぜそうなるのでしょうか?理由1:死に対するリアルな体験の欠如恐らく現代人は、死体を見る、または他人の死をリアルに体験することがほとんどなくなったのだと思います。そもそも、人は死について大変な関心を持っています。それ自体悪いどころか、当然のことです。誰もが必ずいつか死に直面し、他人事ではないからです。昔は、子供の時に虫などをいじって殺してしまったりして、死に対するリアルな体験をします。しかも、昔は大家族で暮らしていたので、子供の時に祖父母の死を間近で体験しました。そうして、死に対して実体験をしていきました。しかしながら、現代人は、都会で住む人は特に、自然とは隔離された、生き物の気配すらしないコンクリートジャングルで育ち、虫などの生き物と接する機会さえないでしょうし、核家族化が顕著である現代は、ほとんど身内の死に目にすらあってない人が多いでしょう。つまり、死に対するリアルな体験がないまま大人になるのです。これは大変恐ろしいことです。理由2:通り魔のようなバーチャル体験が、リアルな世界で同様の事が起こることを潜在的に欲する。死について大変な興味を持っているのに、それが何たるかリアルには分からない。そしてその好奇心の矛先は、バーチャルに向いていきます。リアルな体験ができない人は、ゲームなどのバーチャルでその好奇心を満たそうとします。しかしながら、これは死のリアルな体験とは全く違ったもので、むしろ死について間違った解釈を植え付けます。よくあるゲームでは、ボタン一押しで次々に街にいる人を殺していきます。まるで、これが死というものであると言わんがごときです。このような通り魔のようにばっさばっさ人を殺していくバーチャル体験しかしてない人は、さぞかし同じような情景がリアルの世界で起こることを潜在的に強く期待してはいないでしょうか?通り魔事件を防ぐには?では、このような通り魔事件を防ぐにはどうすればいいのでしょう?まず、人が死んでいく様を写真に撮る人を非難するという行為自体、あまり意味のないことではないかと思います。死に対して非常に興味があるにもかかわらず、死に対するリアルな体験がなく、バーチャルでさえ通り魔的な死しか見たことのない人は、リアルな死に対して異常なほどの興味があるのは、当たり前のことだからです。むしろ、死にゆく人の写真を撮る人が大勢いたという、この異常事態が起きたということは、、現代社会に巣食う根本的な問題を解決する必要があるという警鐘ではないでしょうか?まずリアルな世界で、死に対する体験を増やすことです。例えば、もっと自然の中で子供を遊ばせ、生き物に触れさせることや、大家族で暮らせないのなら、子供と老人が接する機会を意図的に増やすことです。さらに、バーチャルの世界でも、死に対して正しい理解を促すようにすることです。例えば、学校教育の一環として、死に対する正しい理解を促すためのカリキュラムを入れられないでしょうか?昔の映画で恐縮ですが、黒澤明監督の「赤ひげ」という映画があります。とても重たい映画ですが、あの映画はお勧めです。赤ひげ先生は、医者の見習いに老人の死にゆく様を見せつけ、死の荘厳さを学ばせるのです。これは映画というバーチャルな体験ですが、リアルな死の一つの典型をリアルに体験できます。このような、死の荘厳さを学ばせるゲームなんてあるのでしょうか?私は見たことがありません。あったら是非教えてください。殺戮行為を、単なる得点稼ぎのための正当な行為のように捉えてしまわないでしょうか?そんなゲームをしていると、殺すということがまるでボタンを一押すだけのように簡単なことだと錯覚してしまわないでしょうか?通り魔殺人が頻発している以上、私はこのような殺戮ゲームに規制をかけるべきだと思います。そうではなくて、もっと死というものを、重く受け止めさせるゲームを作るべきではないでしょうか?ゲーム制作者も、単に自由な想像力を発揮するだけでなく、そろそろ社会性を考える必要があるような気がします。皆さんはどう思いますか?
2008年06月12日
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日本の公教育、どこかおかしいと思いませんか?私は公立の小中高と通い、大学も国立ですので、たまたまずっと公教育を受けてきたわけですが、こんな時代遅れの教育をまだ続けていいのだろうかと大変な危機意識を持っています。こんな教育を将来の子供に受けさせていいものだろうか?今日はその問題点をまとめてみたいと思います。●1.学科試験という単一の基準で競争を強いる●日本の教育でやっていることは、(特に中学以上)テストという単一の基準(価値観)で生徒の優劣を決めていませんか?その結果、点数の悪い生徒は劣等感を植え付けられ、点数のいい人は思い上がってしまわないでしょうか?競争させると必ず敗者を生みます。そして敗者はテスト以外の分野で挽回の余地もなく、いつもまでも敗者の汚名を着せられます。こうして一生劣等感を引きずるのです。そんな人が大勢います。人の優劣って、単一の基準で決めてしまっていいのでしょうか?●2.暗記強制型の教育方針●簡単に言うと、「理由はいいから、とにかく覚えろ!」的教育です。知的好奇心を喚起せず、意味もなく暗記させられるのは苦痛です。しかしこれは、最も短時間に知識を身につけされられる教育方法とも言えます。以上の2点、暗記強制型の学習を実践し、テストという単一の基準で競争を強いるという方法は、工業化に耐えうる均質で優秀な労働者を育成し、労働者として有能かどうかという基準で優劣を決定し、人材を配置していくためにはとても優秀なシステムだったでしょう。科学技術レベルを早急に欧米に追いつくことが国是であった高度成長期は、これでよかったのだと思います。国として安泰になり、衣食住の欲求を満たすことが人々の最大のニーズだったでしょう。なので「いい学校に入って、いい会社で働くのが幸せな生き方なのよ!だから勉強を頑張りなさい!」と言われても子供は納得できました。いくら勉強がつまらなくても、頑張って勉強したのです。しかし、そんな時代はとっくに過ぎたのではないでしょうか?今の子供はもう衣食住のニーズはほとんど満たされています。「勉強しなさい!」と親に言われても、今の子供はピンと来ないんではないでしょうか?勉強しなくても、衣食住は満たされ生きていけるのですから。そう考えると学級崩壊も当然と言えます。無意味と思われることを子供に押し付けている方に無理があります。衣食住が満たされた現代においては、本来の学習のあり方である、知的好奇心を駆り立てることを基本にしないと子供は学習しないと思います。単にある知識を暗記させるのではなく、「何でそうなっているの?」という小さな好奇心や問題意識を大切にし、理由や仕組みを考えさせ、興味をそそらせる必要があるのではないでしょうか?●3.個性や好奇心を無視した教育 - いじめ問題、ニートの出現と一生自分探しを続ける悲劇●また、単一基準で評価するということは、個性を重視せず、むしろ均質化しようとする教育方針です。5教科全てが満遍なくできるのが望ましいという考え方は最たる例です。こうして個性が押さえ付けられ、個人的な興味を無視した教育を受けると、自分は何に向いているのか、何をしたい人間なのかさっぱり分からなくなります。何に興味があるかも分からず、ひたすら自分探しのためにさまよい歩き、結局は好きなことが見つからず衣食住だけしか満たせない、ニートのような若者が生まれるのです。退職した方が再度大学で自分探しをするのが活発になってきましたが、今まで好きなことをしてこなかったことが大きな要因だと思います。日本人はいかに個性を押し殺してきたことでしょう!これは外国から見るととんでもなく異常です。日本人は米を作らないと生きていけない農耕民族だったので、皆が一致団結して共同作業することが大切でした。なので日本は歴史的にも均質的な社会を志向する傾向があります。しかしそれでも程度というものがあるでしょう。しかも今ほとんどの人は米を作らなくてよくなったんです!そこまで個性を殺さなくてもいい時代になったのに、いまだに均質化、画一化、そして出る杭は打たれ妬まれます。いじめが問題になるのもここに原因があると思います。個性を発揮させていたら、自分が安住できる場所が見つかるため、殊更他人と比較して妬むようなことはないはずです。皆が同じように振る舞うことが良しとされている暗黙の了解を学校で植え付けるから、異質な人間を攻撃するのです。「皆が個性を殺して我慢しているのに、お前だけ個性を発揮するなんておかしいだろう?」という気持ちでいじめに走るのかもしれません。従って、日本の教育システムは、平均的な子供には大きな苦痛にならないが、平均から逸脱する子供にはもの凄く苦痛を生むものだと思います。今の社会は高度成長期のように、皆が同じ方向を向いて頑張るよりも、むしろ他人ができない個性的な仕事をする人が、停滞した経済に風穴を開けるためにも重用すべき人材のはずです。であるにもかかわらず、個性的な、平均から逸脱した人を虐げているのが日本社会です。今や不登校の生徒数は12万人を超えるそうです。彼らは行き場がなく、大抵引きこもりになるようです。本人も家族も大変苦労することと思います。しかし国はそれらの子供を救済する仕組みを作っているようには見えません。ただ学校に来させるように説得しているだけではないでしょうか?時には登校は義務であると法律論を振りかざして脅迫してないでしょうか?恐らく不登校の子供は平均的というより個性的な子供である可能性が高く、今の社会でこそ本領を発揮できる人材だと私は思っています。そんな人材を台無しにしているのが今の教育ではないでしょうか?そんな状況で、民間では奥地圭子さんなどは、不登校の子供に受け皿となる居場所を与えようと、東京シューレなどを設立し、(http://www.tokyoshure.jp/)限られた資金で奮闘されています。私も一度見学に行きましたが、心に深い傷を負った子供がもの凄く明るくのびのびと学習を楽しんでいるのに大変驚きました。教育の仕方一つで子供はこうも違ってくるのかということがリアルに目に焼き付いた経験でした。しかしこれまでは学校法人の認可が下りず、当然国からの運営資金の補助がないため、ある程度裕福な限られた子供しか救えないと嘆いてられました。今は東京シューレ葛飾中学校が学校法人の認可が下りたそうですから、ほんの少し奥地さんの社会的な活動が認められたのでしょう。しかし不登校の問題はまだまだ不十分です。以上、他にもいろいろ問題はありますが、要約すると、1.単一基準で競争させ優劣を植え付けること、2.好奇心を無視した暗記強制型の教育、3.個性を無視し、むしろ均質化する教育この3点が最も大きな問題なのではないでしょうか?そしてこれらの3点を解決した教育方法を採用する学校はないものでしょうか?これが私の大きな問題意識の一つです。ここ数年いろいろ探してきましたが、ようやく私の考えに近いのではないかという学校が見つかりつつあります。まだ数冊の本しか読んでませんが、教師と両親が密接に関わり合い、知識偏重ではなく、子供の欲求や感情をも大切にし、子供の個性に十分配慮した教育をしているようです。今回は詳しくは書きませんが、知るにつれ多方面に渡る知見に驚かされています。そういうわけで、今一番気になっている学校です。皆さんは教育についてどう思いますか?そしてご自分の子供にどんな教育を与えたいですか?
2008年06月10日
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引き続き、なぜここまで教育・子育てのありかたが問題になっているのかの原因を探っていきたいと思います。前回までに二つの原因を考えました。第一の原因:自動化できない料理と子育て第二の原因:お金至上主義的考え方の浸透今日は第三の原因を考えたいと思います。●第3の原因:核家族化による世代間子育てノウハウの隔絶核家族化というのは、嫁姑の問題から解放されたかに見えますが、子育てにとっては決していい環境ではないと思います。両親からの助けも得られず、旦那も頼りなし、近所との付き合いもあまりない中で、母親は孤独で子育てすることになります。これで育児ノイローゼにならない方がおかしいですよ。しかも、昔はご近所さんや親類の子供をあやしたりして、前もって子育ての簡単な経験もできたでしょうし、両親など子育て経験のある人からいろんなノウハウを教えてもらえたことでしょう。さらに、少子化によって一人っ子が多くなりました。二人目以降の子供は経験しているから一人目よりずっと子育てになれているんですが、一人っ子ならそんな機会もありません。これは危機的な状況だと思います。早急に何とかしなければなりません。ではどうしたらいいのか?方法を考えてみました。●夫も子育ての意識を強く持つ 男も父親になったら魂を仕事や会社に奪われることなく、 母親を支援しないといけませんね。 夫婦間の会話の多い家庭は女性の不満が少ないようですね。 私も来年は育児について そこら辺の女性よりもずっと勉強しようと心に決めました。●自治体や地域社会が協働して子育て支援できる仕組みを作る 2007年には定年退職を迎える人が500万人もいます。 そういった子育て経験があって、しかも子供と断絶されている方々が 大勢いるのですから、そういった方々に 子供と触れあう機会を持たせ、同時に母親の育児の負担を軽減する 方法なんて簡単に作れないものでしょうか?●ベビーシッター制度を創出するなどし、 専門的に教育を受けた子育てのプロから 簡単にカウンセリングなどの支援を受けられるようにする。 2002年からベビーシッター資格認定試験制度というものが できているようですね。民間資格ですが。 2005年で1000人しか資格保有者がいないみたいなので、 まだまだ普及に時間がかかりそうですね。 私も来年取ってみようかな~。 しかし、できればベビーシッターの能力を客観的に示せるような ものがあればなおいいのではないでしょうか? ●学校教育に子育ての方法を盛り込む 本当に政府が少子化対策するなら これくらいのことしてほしいですよね。 なんと言っても育児は人間の成長に決定的な影響力を与え、 ひいては国力を左右するのですから。 日本がかつて急速に欧米に肩を並べる技術立国になれたのも、 日本が人材の宝庫だったからでしょう。 母親や地域が身を粉にして育児をし、 教育制度が世界トップレベルの識字率を支えたいたからです。 もっと立派に子育てする父母を社会的経済的に賛辞する仕組みを 作らないとなりません。、さもないと、現代の社会のように、 直近の欲望にかき立てられる経済的活動ばかりに 人々が集中するようになるのです。 お金にはならなくても、間接的に社会のためになる活動を もっともっと支援していけないものでしょうか? 一人ぼっちで孤独に奮闘している母親だけに、 子育てという社会的活動を擦り付けてはなりません。いつも読んでいただきありがとうございます。いつもクリックありがとうございます。では最後に紅葉の写真をどうぞ!この写真はもうだいぶ前に撮ったものですが、都内のモミジも大分紅葉してきましたね!(11/25 昭和記念公園)
2006年12月11日
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前回に引き続き、なぜここまで教育・子育てのありかたが問題になっているのかの原因を探っていきたいと思います。前回は、第一の原因として、自動化できない料理と子育てについて書きました第二の原因:お金至上主義的考え方の浸透高度経済成長時に家庭に何が起こったかというと、住職隔絶により男性が家庭から遠い職場で過ごし、女性が専業主婦化したことです。しかしながら、高度経済成長が終焉するに従い、女性も男性と平等に働きたいという気運が高まりました。当時は女性が男性と平等に働くために、男性も家事と育児を手伝わせようとしていました。典型的な本が、「家事する男の作り方」です。今でいうと40代以上の世代に見られたパターンだと思います。このころは、まだましでした。なぜなら、男性に家事をさせると言うことは、少なくとも女性は家事と育児を放棄してないからです。30歳代以下の世代は少々問題が深刻化しています。男も女も家事・育児を放棄する方向に進んでいるからです。女性が仕事をすることは大いに歓迎しますが、今は仕事をする動機が、極端な場合家事・育児のような面倒でお金にならない労働を切り捨て、お金儲けという経済的活動に特化しようとしている傾向があると思います。いわゆる、お金至上主義です。お笑い芸人のオセロは、料理をすることは敗北を意味するなんて以前言っていました。だから、今は独身女性も独身男性も料理ができる人の割合が非常に低くなっていると思います。私の友人関係でも、自炊しているという人はほとんどいません。実家にいる人は親に料理をまかせるし、別居している人はほとんどが外食です。また、人間の価値さえも、いくら稼いでいるかで評価されるような、お金に換算できるものだけに価値を置くようです。従って直接的にお金にならない、料理や育児などを蔑視し、無意識的にもしくはわざと避けているような気がします。これが原因で教育・子育てがおざなりになっていくのではないでしょうか?しかし、お金は幸せのどれくらいを満たせるのでしょうか?確かに最低限必要なお金がない場合は、それこそ悲惨です。しかし、必要十分なお金がある場合では、お金が満たしてくれる幸せは、せいぜい20%くらいなものではないでしょうか?だからなぜここまで殊更に価値観をお金に傾倒させる風潮がまかり通っているかが不思議です。東京は特にそういう価値観に犯されているような気がします。都会のような人工物に囲まれていると、自然からの恩恵を直接的に享受できないため、潜在的にお金が欠乏する不安に悩まされるのでしょうか?お金という、麻薬性のある魅力に取り憑かれて、本当に人を幸せにするための営みが軽視されているのではないでしょうか?3つめの原因は、次回書くことにします。いつも読んでいただきありがとうございます。いつもクリックありがとうございます。では最後に紅葉の写真をどうぞ!(11/25 昭和記念公園)
2006年12月10日
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前々回の夫婦の役割分担のあり方はこれでいいのか?に続いて、子育てのありかたについて考えてみたいと思います。いじめや自殺、子殺し、教育現場の崩壊をよく耳にします。子供が過去に前例のないようなストレスで悲鳴を上げています。なぜここまで教育・子育てのありかたが問題になっているのでしょうか?私は2つの説明のしかたがあると思います。●自動化できない料理と子育て戦後以来続いてきた機械化によって、現代人は昔と比べてとても楽に生きていけるようになりました。洗濯機や掃除機などの普及で多くの家事労働は楽になりました。車・電車などの交通機関の発達で移動も楽になりました。冷凍食品や外食などで、健康など気にしなければ料理すら楽になりました。お金を払えば煩わしい労働からいくらでも解放できる時代です。そうして現代人は労を惜しんで楽して生きています。さらに冷暖房の完備などで快適に生きていけるようになりました。明らかに、日常生活で、忍耐力の必要な場面は極端に減少しています。しか~しです。どうしても煩雑で労力や忍耐力の必要なものがあります。料理と子育てです。これはどうしても自動化できません。確かにどちらもお金を払って人に任せる方法もあります。しかし、自分で労を惜しまず行う料理・子育てと全く同じ結果を得ることはいまだにできません。料理について言うと、惣菜・冷凍食品のような加工食品に頼ると、楽に料理できますが、食品添加物の問題や加工の段階で失われた栄養分の問題などで、労を惜しまず作った料理と同じ安全性と栄養を得ることはできません。外食も同様です。外食産業は成分表示の義務がないので、どんなものを使っているか分かったものではありません。よっぽど高級料理店に毎日行かない限り、外食に頼って食の安全と十分な栄養を得ることは困難です。また、料理は愛情表現の一種と私は思います。外食で育った子供は、親の手料理で育った子供と同じくらいの愛情を親から感じるでしょうか?そんなことはないはずです。子育てについて言うと、確かに人任せにしたら楽できますが、その分子供は両親からの愛情が不足することになります。本人同士でないと、スキンシップにより愛情を育むことはできません。だからどうしても料理と子育ては、本当にまともにしようと思ったら、自分たちで労を惜しまず忍耐強く行う必要がいまだにあるのです。散々他のことで労を惜しんで楽に快適に生きてきた人が、甚だしく労力・忍耐力の必要な料理・子育てに直面し、そのギャップの大きさに悲鳴を上げ、楽をしてしまうために、教育・子育てが問題になっているのだと思います。二つめの理由は、次回に書きたいと思います。いつもクリックありがとうございます。---------------------------------------仕事の帰りに表参道ヒルズに寄ってました。表参道はいつも綺麗ですが、クリスマスなのか特別にファッションショーとか、特別なイルミネーションをしていました。12/8 表参道ヒルズ112/8 表参道ヒルズ2
2006年12月09日
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東京も紅葉が本格的になってきましたね。やっと風邪が治ったので、公園を走って紅葉を堪能してきました。こんな自然の中で走れるなんて、とっても幸せ感いっぱいでした!今日は子育てのシュミレーションとしてとってもいい方法を紹介します。私が幼少の頃の経験が子育てにおいてとても大切なことを痛切に感じたことがあるのですが、それはラットを飼っていて気づいたんです。ラットに限らないと思いますが、ペットは幼少期から育ててないと、どうしても人間になつかないのです。大人になってから育ててもどうしようもないのです。また、ラットの場合、寿命が2年程度ととても短いため、幼少期もとても短く、生後一ヶ月から二ヶ月くらいが勝負で、この頃にいかに愛情を与えるかどうかで、そのラットが粗暴な性格になるか、おっとりとしたいい子になるかが決まります。ラットやハムスターの場合、たった一ヶ月くらいの子育てで、幼少期は終わり、すぐに結果が出るところが利点です。また、反省して繰り返し育てればどんどん上手になれます。愛情は与えすぎることはないので、与えれば与えるほどいいみたいです。最初のラットは生後3ヶ月で飼い始めたので、あまり私になつかず、というか人間を目の敵にして、何度も私の指を憎しみを込めて噛みましたし、いつも脱走を試みていました。二匹目は絶対なつかせようと思い、生後3週間のラットを飼い始め、いつも仕事から帰ってきてから寝るまでの数時間、ず~っと撫で撫でしてあげました。この子は私の手のひらで安心して寝るし、なでなでしてたらぺろぺろしてくれるし、一緒に遊んであげたらすごく喜んで、私を信頼しきっているのがよく分かる、すごくいい子になりました!これが私の子育ての原体験なんです!といってもラットですけどね。ただ、私はここでたくさん自分の中の邪悪な部分を見つけてしまうのです。時には意地悪してみようと思ってしまうのです。そうして信頼してくれている相手の期待を裏切ったりもしました。そういう意味ではとても未熟な親でした。これが本当の子供でなく、ラットで経験しておいてよかったと思います。ただ、この方法は副作用があります!愛情の対象ができてしまうので、異性を求めようという気持ちがすっかりなくなってしまいます!!これは大変危険なことでもありますのでご注意を。いつもクリックありがとうございます。
2006年11月20日
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昨日の続きですが、私が大都会で子育てするのにあまり乗り気でない理由は、自然にふれあう機会が少ないと精神的成長ができなくなるという理由からです。なぜ自然が周りに少なかったら精神的成長ができないか?理由の第一は、命の勉強ができないということです。子供の時の原体験として非常に大切なものの一つは、生き物をどう取り扱うかということです。好奇心旺盛な時に、子供は一度は虫などの小さな生き物を殺してみたくなるはずです。そして、実際何回も殺すでしょう。必死にもがきながら死んでいく様を観察するのです。そうやって命の大切さを勉強していくのだと思います。逆説的に聞こえるかもしれませんが、子供の時に小さな生き物を殺すって大切な儀式なんだと思います。この原体験ができてないと、命についての理解が不十分のまま大人になり、大人になって興味本位で人を殺してしまうことに繋がると思うのです。最近残酷な少年事件が後を絶たないのは、この原体験の欠如にあるのではないかと私は思っています。だからこそ、子供の時は特に身近に自然がないといけないと思います。理由の第2は、自然の複雑な環境にいると好奇心をかき立てるからです。都会というのは、ビルなどの人工物で出来ており、自然とは違い造りが非常に単純な環境です。 そういう環境にいると好奇心を刺激する物が不足するので、好奇心を育てるという意味でもあまり恵まれていないのではないでしょうか。理由の第3は、あまりに安全な環境で安住し、甘えた子供になるということです。一般的に、都会に住んでいる親ほど、子供を過保護にしがちだと思います。それは、都会には危険が多いから仕方ないということもあるでしょう。都会は子供が安全にに遊ぶ環境に乏しいですし。しかしあまりに危険が少ない環境は子供の精神的成長を阻むと思います。最近の親は娘を危ないからと実家以外で住むことも禁じてる人もあるようでびっくりです。自然の中で遊ぶと確かにいろんな危険があるのですが、自由に遊べる場所も多いし、そういうところで揉まれるからこそ、精神的にタフな子供になると思います。簡単に言うと、野生の動物と飼い慣らされた動物の違いに似ています。理由の第4は、周りに生き物が少ない環境にいると潜在的な不安に襲われるからです。これは意識してない人も多いかもしれないのですが、自然の多いところにいると人間は潜在的に落ち着くはずです。都会というのは自然というコントロールしにくい系を排除し、人間があたかも自然の掟から超越した、独立した存在だと思わしめる側面がありますが、それは大きな誤認識です。人間は生き物を食べないと生きていけないのですから。自然が不都合だからと自然を破壊し尽くしたら、その時は人類の絶滅も約束されるのです。自然があるからこそ人間が生きていけます。だからこそ、自然が身近にあると言うことは潜在的に安心感を与えてくれるのだと思います。理由の第5は、都会で育つと横柄な子供に育つからです。都会は自然というコントロールしにくい系を排除して、人間によって完全にコントロールしようという思想が根底にあります。逆に、自然というのは人間の思うようにいかないことが多々あります。自然と接することにより、自分の思うようにいかない物がたくさんあるという学習ができるのです。都会の子供はそれができないので、何でも自分の思うようにならないと気が済まない、横柄な子供になる傾向があると思います。それは園芸をしている人は自己中心的な人が少ないことと通じています。植物を育てると言うことは、天候など人間がコントロールできないものに影響を受けるため、自分の思う通りにしたい自己中心的な人はとてもできる趣味ではありません。だから、自然を相手にしている仕事や趣味を持っている人は、他人のことを考えられる人が多いんだと思います。人間を判断するときに、私はこういう側面からも観察したりします。このような理由があるため、私は子供の精神的成長を促すという意味で、特に幼少期は田舎で育てたいな~と思っている次第です。都会にいると、都心に住みたいとか言う人も多くいるくらいですから、自然の多いところに住みたい!なんて言うと理解してくれないことが多いんです。おそらく自然に接して育たなかった人って、自然の大切さを理解する原体験を持ってないから、どうしても理解してくれないのかな?なんて思うこともありますが、単に私が田舎者だというだけかもしれないですね~
2006年09月22日
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特に子供が幼少の時は、私はできるだけ田舎で育てたいな~と思っています。単純に言えば、私が田舎者だから慣れているからなのですが、どうも6年前に首都圏に住み始めてから、気になることが多いのです。理由1 生命力の欠如どうしても、都会で育った人は生命力がないような気がしてならないからです。私は30歳になって首都圏で住み始めたわけですが、ここの人たちを見てはっと思ったことは、まるで爪楊枝みたいに細い人が多いということでした。(それだけ私が太いということなのですが)これでよく立っていられるな~と心配したものでした。今はだいぶん良くなりましたが、以前は大気汚染がものすごいと感じました。あのディーゼルの排ガスと喫煙者によって息苦しくてならなかったのです。こんなところにいると花粉症やアレルギーに当然なるわと思いました。食の問題もあります。もの凄く高級なところを除いて、外食で食事すると何を使っているか分からないので、いつの間にか体に害のあるものを摂取しています。また、首都圏の人はアトピーやアレルギー、花粉症がものすごく多いことにも驚きました。都会には無数のおいしいレストランがあるし、自炊は手間だしいろんな理由で難しいので外食に頼ることになるそれが大きな落とし穴になっているように思います。できるだけ自炊して農薬や添加物の入ってないものを食べたいと思うと、都会では不利な点が多いと思います。都会には有能な人が大勢集まってくると思うのですが、そういう人たちがいつのまにか健康を損ない、仕事に明け暮れて子供をあまり産まず、産んでも生命力の低い子供となるどうも国力という観点で考えても、とっても悪循環な仕掛けになっているような気がしてなりません。国力という観点で言えば、本当は有能な人ほどたくさん有能な子供を作るべきだと思うし、それがステイタスであるという考えもあっていいのではと思うのですが、どうも逆の現象が起きてる。この国の行く末を心配してしまいます。おいおい、もっと自分の事を心配しろ!って言われそうですが...どっっひゃ~
2006年09月21日
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今日は大阪に出張だったので疲れましたが、ものすごくおもしろい話を聞けて楽しかったです。また後日紹介するかもしれません。さて、ある関西人の語りシリーズ最終回は、吉永小百合の後悔についてです。人から聞いた話なので、事実に即してない部分もあるかもしれませんがご容赦ください。---------------------------------------「なんかの雑誌かなんかで読んだんやけどな~吉永小百合には一つ人生で後悔したことがあるって言ってたわ~あんなに有名になって、注目を浴びて、レコードも売れ、たくさん稼いだ人よ。何の後悔があるんやろと思うやん?それは、子供をつくらなかったことなんやって。若いうちは、ただでさえものすごく仕事で成功してるわけやん、その仕事を捨ててまで子供を作ろうという気には全く起こらなかったし、婦人科に行くという自分が絶対容認できなかったんやって。けど年取ってから考えたら、子供を作らなかったことをものすごく後悔してるらしいで~。確かにあれだけのスーパースターならそういうこともあるかもしれないと思うやろ?けど山口百恵は違うんよ?あれだけ売れてたのに、三浦友和と結婚するなりぴしぃ~っっと仕事やめて家庭に入ったやん。吉永小百合は、似た立場なのに対照的な行動を取った彼女のようにはどう考えてもできなかった。だから山口百恵のあの決断はすごいな~、と言っていたそうです。2流3流の人ならすぐに仕事を諦めて家庭に入ること多いけど、一流の人は難しいよな~けど吉永小百合の気持ち、今になってすごくよく分かるのよ。」とまあこんな感じに言ってました。子供を作るのが幸せかどうかはその人の価値観によるもので、私がどうこう言うことではないです。ただ、私の生き方は、私は大学院で生物の研究を長くしていたからか、私は原始的な人間か知りませんが、(耳が動く人って原始的なんですってね!私は動きます。>_
2006年09月13日
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親が条件付き愛で育てたために子供が自我を確立できず未成熟で自己中心的で無気力になってしまうことを前回書きましたが、条件つき愛以外にも原因があると思います。それは過保護です。過保護も、条件つき愛と同様に、子供の好奇心を妨害してしまうからです。危ないからあれしちゃあだめ、これしちゃあだめ、こうして子供の行動範囲は限定されてしまいます。限定された世界で育ってしまうので、好奇心を十分満たすことができず、限られたことしか経験できず、結局何をしたいのか分からない、自我の確立してない大人になってしまうのではないでしょうか?自分の自我を確立することで精一杯だから、他人への意識が不足して自己中心的になり、さらに経験値が低いため、世間知らずな人間になるかもしれません。特に心配性の人は親になったら子供を過保護にしないよう注意する方がいいかもしれません。東京は経済的な理由もあるのでしょうが、大人になっても両親のいる実家で生活している人が非常に多いことに驚きますが、(田舎者の私には大変羨ましいことですが)これも悪影響を及ぼしているような気がします。少なくとも、生活の一切は親と独立して行うくらいしなければ、大人としての自覚も持てず、生活感覚を身につけることすらできなくないでしょうか。親にいろいろなものを与えられて生活し続けると、与えられることに安堵し、与える人間になるという大人の自覚を忘れがちになるような気がします。かくして、結婚するまでは親に保護してもらい、結婚することにより大人としての責任を相手に擦り付けようとして婚期が遅れる大人ができあがるような気がします。私も反省しないとまた婚期が遅れそうです。(>_
2006年09月01日
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前回条件付きの愛の弊害を書いたので、その続きを書きます。愛する者に対して無意識に条件付きの愛を押しつけてしまうという過ちをとても頻繁に犯してしまいます。これは意識してても本当に難しいことだと思います。子育ての場面でも注意してないと、子供を知らない間に追い詰めてしまうことにもなりかねません。昨日、親は子供がどういう進路に進んでも、どういう人間になっても、子供に愛情を注ぐというのが、本当の愛情だと思うと書きましたが、これは言うのは簡単ですが実行は本当に難しいと感じます。例えば、昔はほとんどの親がこう信じていたはずです。 いい学校に入学して、いい大学を卒業して、 一流企業で働くのが一番の幸せ親はそう信じて疑ってないので、子供に善意でそう勧めてしまうのです。高度経済成長の時代はそれがある意味正しかったので、子供も納得したし実際それなりの幸せを得られたでしょう。しかしながらこの考えは現在は何の保証もありません。いや、むしろ多くの弊害があると思います。それなのに親は依然として旧態依然の考えを信じ切って、子供に善意で自分の考えを押しつけてしまうのです。これこそ、条件付きの愛です。 一生懸命勉強しないと愛してあげない 一流学校を目指さないと愛してあげないでは親の愛情を勝ち取ろうとした子供はどうなるでしょう?必死で親の希望に添うようがんばるため、自分の興味を押し殺し続けます。そういう生活を続けると、自分は何をしたいのかさっぱり分からない人間になってしまいます。日本の若者が定職を持たず、何かに情熱を傾けることなく、無気力になり、大人になっても自我が確立できないのは、親が単一の考え方を子供に押しつけた、つまり条件付きの愛しか与えられなかった結果だと私は思います。子供のうちから十分興味のあることに打ち込んだ人は、自分が何をしたいのかが明確になり、大人になっても自分に適した仕事を見つけて情熱を注いでいるでしょう。このような条件付き愛の犠牲者となった人は、恐らく婚期も遅れます。子供の時の好奇心を満たしてないため潜在的に欲求不満に陥っており、大人になっても未だに自分は何をしたいのだろう?とひたすら考えています。そうすると、自分自身の根幹にある問題を解決できてないので、他人のことを考える余裕が生まれないのです。結果的に、自分のことばかり考える自己中心的な大人になってしまうと思います。結婚して子供を持つと言うことは、与えられる立場から与える立場に変わると言うことです。与えることを考えられるようになるのが大人の証だと思います。従って、自分の事しか考えられなく、与える立場になれない大人は、与えられることばかり期待して自己中心的な考えで結婚しようとします。当然期待通り与えてくれる伴侶を探します。しかしそんな都合のいい人はいるものではありません。かくして、甘い期待で結婚しようとして相手を見つけられず、30歳過ぎても結婚できないという末路を辿ることになるのでしょう。結婚するということは、好きな人と結ばれるという幸せを得る一方、大人としての重い責任を負うということです。結婚願望は強いのに結婚できない人というのは、結婚のいいところばかりに気を取られ、責任は相手に任せて、自分は責任を負う固い決心を放棄してるのも一因でしょう。(偉そうなこと書いてますが、この私も結婚できてませんので、人のことは言えません!)長々と書きましたが、何を言いたかったかというと、条件付き愛の犠牲者となった子供は、決して幸せとは言えない結末を迎えかねないということです。子供の時こそ好きなことを思いっきり自己中心的に貪欲にさせてこそ、若いうちから自我が確立し、自分に合った仕事を見つけて情熱を持って打ち込むことができ、(自分の潜在的欲求を十分満たしているからこそ、)意識を他人にも向けられる大人になれ、若くして幸せな結婚にたどり着くのだと思うのです。また、社会に不勉強であるにもかかわらず、旧態依然の考え方を信じ切って子供に押しつける親ではなく、変化の激しい現代社会において子供に的確な羅針盤となって情報を提供しながら、子供の自己実現を応援できるような親になれるよう、がんばってききたいものです。
2006年08月31日
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我が子を国際的な素養を持つ人間に育てたい!というのが私の大きな目標なのですが、大きく立ちはだかる問題が、どの国のどういう学校に入れたらいいんだ??というものです。各国の教育事情も調べる必要がありますが、とりあえず、日本で英語教育をする幼稚園・学校はどこか?これを手始めに調べてみました。まず簡単に思いつくのがインターナショナルスクールです。私の友人に聞いてみたりしたのですが、賛否両論です。私は実際に見たことないのでよく分からないんですけどね~どなたかご存じならコメントください!また、普通の小学校でも、英語教育を重視しているところもあるみたいです。下のリンクを参照にしてみて下さい。また逆にいろんな情報提供お待ちしてます!お役立ちリンク●総合サイト・世界子育てネット Sweet Hearthttp://www.sweetnet.com/index.html 国際的子育てを考える上でおそらく一番参考になる日本語サイトだと思います。 この情報量、素晴らしい!●幼稚園・保育園・インターナショナルスクール幼稚園・保育園リスト http://allabout.co.jp/children/kidsenglish/closeup/CU20020429A/index.htm 英語で教育する幼稚園って、かなりたくさんあるんですね~ びっくりしました!●小学校・ノートルダム清心女子大学附属小学校 (岡山県岡山市)http://www.ndsu-e.ed.jp/ 国際コースでは全授業の30%を英語で授業してるのですごくよさそう!! とっても興味あるんですが、 このコースの募集が、たった若干名なんですよね~ 狭き門なのでしょうか?一度事情を聞いてみたいと思っています。・ノートルダム学院小学校 (京都府京都市)http://www.notredame-e.ed.jp/index.cfm/1,html・学校法人 加藤学園 (幼稚園~高校) (静岡県沼津市)http://www.katoh-net.ac.jp/ イマージョン教育という、2カ国語を習得する特別な方法を使って 英語教育をしている学校。 ここもかなり興味あり!!●インターナショナルスクールインターナショナルスクールのリスト(英語)http://www.tokyowithkids.com/fyi/international_schools.html ↑↑ご支援ありがとうございます!
2005年10月04日
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昨日に引き続き、ユダヤ人の教育法について面白いことを知ったので紹介します。ユダヤ人は世界の金融界で覇権を握っていることからも分かるように、金銭教育を幼児の頃から徹底して行うそうです。例えば、子供におこづかいをあげるとき、芝刈りは10ドル、新聞を買いに行けば1ドル、というように、家族への貢献度に応じてお金を払っていくというもので、完全歩合給で、年功序列一切なし、同一労働同一賃金だそうです。年長者だからおこづかいを増やすとか、そういうことは一切行わないそうです。日本の家庭なら、年齢に応じておこづかいって増やす傾向にないでしょうか?ここから、年功序列の思想が根付いているんですね~考えてみればこういう普通の習慣も恐ろしい思想を植え付けてるって分かります。こわいものですね~また、ユダヤ人の話に戻りますが、どんな大金持ちでも、子供は親のすねをかじって生きるのではなく、ちゃんと仕事をするそうです。つまり親の力を借りずに自分の力で生きていくことを教えるそうで、それができれば家庭の中で一人前と認められ、父親と全く同じ人権を与えられ、父親をも呼び捨てにしてもいっこうに構わないのだそうです。日本の場合、儒教の影響か、年長者を尊敬するというのはいい習慣だとは思いますが、ちょっと行き過ぎた面もありますよね。ろくに仕事をしないでふんぞり返っている部長が給料高くて、実際必死で働いて会社を支えている課長以下の給料が低いなんて普通ですしね~。家庭の中でも、両親が子供に対して絶対的権力を握っていたりとか~逆に子供が一人前名事をしてないのに一人前の人権を享受してるとか。今日のことを踏まえて、ちゃんと躾ができたらいいな~と思いました。 ↑↑ご支援ありがとうございます!
2005年10月02日
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日本マクドナルドの創始者、あの藤田田氏の執筆した本で、「ユダヤの商法」という本を読んでいたら、(絶版みたいなのにアマゾンでは売ってました!)たくさん衝撃的なことが書かれていたのですが、今回はユダヤ人の教育法について少し触れていたので紹介します。●親といえども盲信するなユダヤ人は言ったことは守るからいいが、他の人種の人は一切信用してはいけないという掟がユダヤ人にはあるそうです。いや、同じユダヤ人の身内でさえも盲信してはいけないんだそうです!つまり、信じられるのは自分自身だけ。これを徹底的に子供の時から教えるのだそうな!!具体的にどうするのかというと、例えば、「パパの方へ飛んでごらん!」と子供に言って手を広げます。子供がパパの方へ飛び降りた瞬間、パパは手を引っ込めるのです。当然子供は床に落ちて大泣きです。こうしたことをなんども繰り返すことによって、父親でさえも盲信してはいけないことを教え込むのだそうです!このやり方には私も唖然としました。だって、これは日本人のメンタリティーとは背反する考え方です。日本は信用に基づいた人間関係が可能だった非常に希有な国でした。それは第一に、日本が島国だったという地政学的な要因があったこと。小さな閉ざされた世界だったから共通のルールを守っていくことができたのです。第二には、日本が稲作文化の中にいたこと。稲作とは多くの人が共同で強調して作業しなければ成果が得られない仕事です。こんなことをずっとやってきたのですから、自ずと信用に基づいた社会が形成されていったのでしょう。日系人の政治経済学者フランシスフクヤマが書いたTrust(日本語訳は「信なくば立たず」)という本でも、日本の強みはこのTrust Systemにあると言っていました。ですので、日本では家族はもちろん社会全体で「信用が第一!」という考え方を根底に秘めており、基本的に他人を信用するということを前提として全てがくみ上げられていると思うのです。私自身も、少なくとも家族の中では固い絆で結ばれてないとダメだと思っていました。だからこそ、子供には誠意を心のよりどころとして行動し、人を騙したり信用を失うことをすることなきようしつけようと思っていました。なのでこのユダヤ人の教育法は、確かに理屈では理解できると思っても、メンタル的に許容しがたいものあるというのが正直な感想です。しかしながら、信用は大切だけども他人を盲信しないことも今の社会では大変重要です。もはや日本にはTrust Systemは存在しないと考えるべきだからです。信用して疑わなかったものが次々に崩れようとしています。大企業だって、国だって信用できなくなってしまいました。もはや自分の身は自分で守るしかないということを、子供にも教えるべき時代なのでしょう。子供を国際的に育てようとするとなおさらです。世界はいまだ信用をベースとした社会ではありません。そういうことを痛いほど知っているからこそ、ユダヤ人は父親さえも盲信してはならないと教育するのでしょう。世界には日本と比較にならないほどのワルがいるのですからね~。しかし、そんな他人を信用できない社会だからこそ、家族の中だけは固い信用の絆で結ばれた関係でいたい、そんな気持ちもとっても強いのです。だから、あのユダヤ人のパパと同じ事をしろと言われると、とっても心が痛みます。これはいけないことなのでしょうか? ↑↑ご支援ありがとうございます!
2005年10月01日
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今日もおじゃマイケル!今日の内容は、「話を聞かない男、地図が読めない女」で面白い事実を知ったので紹介します。同性愛とホルモンバランスについてです。いったいどういう仕組みでホモセクシャルが発生するのか?この問題は大変関心が高かったテーマです。私の想像では、ホモセクシャルは先進国では数多く発生してるのに、発展途上国ではほとんど見られない現象から、工業化と共に生産されたホルモン攪乱物質の影響ではないかと思っています。この本ではホモセクシャルが生まれる仕組みを端的に紹介しています。● ホモセクシャルが発生するしくみ・ 受精後6週間から8週間までのホルモンバランスの異常により発生する基本的に人間は女型で、受精後6週間から8週間に、男の胎児はアンドロゲンという男性ホルモンを分泌して男性になっていきます。受精後6週間から8週間に、男性ホルモンが足りない男の胎児はゲイになり、男性ホルモンが過剰な女の胎児はレスビアンになる。・ 生まれてからの教育環境など、後天的な影響は非常に少ない・ 生まれつきのものなので、性的指向を自分で変えることはできない・ 性的指向は、思春期に初めて分かるもので、生まれてすぐには分からないホモセクシャルが胎児期に発生する事は分かったのですが、いったい何がホルモンバランスを狂わせているのでしょうか?この本以外でも、ちょっとネットで調べたらたくさん出てきましたよ!● ホルモンバランスを崩す要因・ 男性ホルモンを抑制するもの(ゲイが生まれやすくなる)☆ 強いストレス☆ 病気☆ 環境ホルモン ☆ 重いインフルエンザの時に使われる薬☆ 除草剤☆ 殺虫剤(有機リン系)☆ 農薬(有機塩素系・DDTなど)・ 男性ホルモンを助長するもの(レスビアンが生まれやすくなる)☆ 経口避妊薬・糖尿病の薬など、男性ホルモンを多く含む薬☆ 環境ホルモン環境ホルモンは、いわゆる内分泌撹乱物質(Endocrine Disruptors)で何十種類も見つかっています。そのリストはネットでもいろんなところで出てますが、簡単に言うと、プラスチック類・農薬・殺虫剤・薬・化学物質(合成洗剤、塗料、化粧品)と理解したらいいでしょう。環境ホルモンについては、例えばこことか読みやすいかも。これらの物質をできるだけ排除した生活が大変重要だと思います。例えば、カップラーメン・コンビニ弁当・デパ地下の惣菜などは危ないですし、風邪くらいで大して必要のない薬を服用したり、化学物質だらけの家に住まないことや、ゴミ処理場の近くなどダイオキシン濃度の高いところで住まないことなどでしょうか。妊娠中にはストレスや病気をできるだけ避け、日頃から環境ホルモンを摂取しない生活をすることがとっても重要そうですね最後にご支援のクリックお願いします。
2005年08月23日
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以前師匠に聞いた話を紹介します。原理原則に基づいた教育が、いかに子供の好奇心を刺激し、応用力を育むかというお話です。私も日本の詰め込み教育の犠牲者の一人ですから、本当の勉強のおもしろさを知っているわけではないのですが、例えば平行四辺形の面積は、 平行四辺形の面積=底辺×高さだと教えられました。けど、それを直感的に理解しているわけではありませんでした。では、どうやったら直感的に理解できるのでしょうか?答えは、この図の通りです。 こうやって理解すると、何も無理に覚えなくてもよくなるんですよね~。実際紙を切り取ってやってみるともっと実感がこもるでしょう。簡単な話ですが、このように、原理原則に基づいた方法で理解させると、最初は時間がかかるけど、応用力のある学力を身につけられるそうですよ。ぽちっとお願いします
2005年05月15日
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子育て・出産に役立つテレビ番組が一覧で見られる、とっても便利なサイトを見つけました。子育て・出産に役立つテレビ使ってみてはいかが?ぽちっとお願いします
2005年05月14日
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日本でいい教育をしてるところないかな~と思っていたら、私の好きなテレビ番組、TBSの夢の扉で紹介されましたね!ひなた村自然塾というのが。佐賀県にある保育園らしいのですが、カリキュラム通りに教育を押しつけられているのではなく、とっても広大な敷地で子供達が自然の中でのびのび遊んでいるのはすごくいいですね。野菜栽培、動物の飼育など、自然との触れあいを通じて、我々は自然に生かされていることがよく理解できるのではないでしょうか。そんな、自然の恵みに感謝している子供は、豊かな心の持ち主になりそうですね。けどいろいろ調べてたら、ここまでは大変な苦労もあったようですね。スタッフや保護者の方々の情熱の賜でしょう。一方私の希望としては、英語の語感を身につけさせたいとも思っているので、そういう教育も取り入れてくれたらもっと嬉しいです。もちろんあんまり強制的にさせるのも問題ですけど。言語学的に、6歳までに言葉になじませないと、語感って養われないそうですね。親としてはいろんなことを教えたい、けど自主性も尊重したい。これって、かなりバランスを取るのが難しいですよね~。外国にもこんな教育してるところはないのかな~ぽちっとお願いします
2005年05月08日
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昨日の日記で、インドの上流階級の教育が、ものすごい詰め込み教育だということを紹介しました。そこから考えると、教育のやり方に大きく2つあることが分かるような気がします。あらかじめ用意したメニューをひたすら詰め込ませるタイプと、子供の好奇心、自主性、独自性を重要視するタイプです。後者はおそらく米国があてはまるのでしょう。思いっきり単純化すればこういうことになると思います。発展途上国は、先進国という明確なお手本、安い為替と安価な労働力という武器があるので、ひたすら既存の知識を習得することさえすれば、いい仕事に就け、高収入を得られます。だから教育も必然的に、詰め込み型になるでしょう。決められたカリキュラムを、言われたとおりひたすら学習していれば、将来は約束されているわけです。だから子供も好き嫌いにかかわらず、豊かな生活を実現するためにハングリーに勉強することでしょう。しかし先進国は事情が違います。為替も労働力も高いので、同じ事をしていては発展途上国にかないません。新しい産業を生み出さないと経済は発展しません。そこでは模倣するものは何もないわけですから、自らがテーマを決めて新境地を開拓していくしかありません。だから教育も非常に柔軟性の高いカリキュラムとして、子供の好奇心、自主性を重んじ、独自性を育む必要があります。そして、そういう人材を重用していく社会でないと国の将来はありません。そう考えると、日本はとっくに先進国になっているのに、いまだに発展途上国型の教育をしている、これが日本の教育の根本的な問題点ではないでしょうか?いい大学に入っても将来の保証なんてとっくに無くなっているのに、なぜ詰め込み型の受験勉強がまだ健在なのかよく分かりません。ベンチャーの創出に大きな予算を割いているのに、一方教育の現場ではひたすら子供を枠にはめることをしています。学校での勉強は意味がないと反発する子供こそ、道理が分かっていて将来を担う人材なのに、そういう子供を大人や社会が虐げている構造になってないかと思うと、日本の教育はある意味恐ろしいものがあると思います。世界中のどこかで、子供の好奇心を育む教育をしているところはないものでしょうか?このクリックだけが私の励みです
2005年05月07日
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よく非電化工房にはメディアの方が取材に来るのですが、今回はインドに詳しい方が来ていて、インドも英語圏なので将来の教育の場としての可能性を探るためにインドの教育事情について面白い話を聞きましたので紹介します。貧富の差が非常に激しいインドでは、教育事情は千差万別ですが、上流階級について言うと、ものすごい詰め込み教育なのだそうですね。例えば、ITエンジニアとして世界中で活躍しているインド人ですが、そういう教育を受けるのは超エリートなのだそうです。というのも、いい大学はものすごい競争率で、難関校に入るのはとっても難しいみたいです。だから親たちは子供の数を絞って、高い教育費を払っていい学校に入れようとするのです。これって経済成長期の日本みたいですね。ですから、日本で働いているインド人も、日本の教育は生ぬるいと言って、子供をインドに帰して、英才教育を受けさせるそうです!!日本の教育は完全にナメられてますね~そうか、やはり詰め込み型の教育なんですね。確かにインド人にとっては、親も子供も詰め込み英才教育の末には世界に羽ばたき高給取りになれるという、素晴らしい未来が確実に待っていると分かっているので、子供も納得してそういう教育を受けるのかもしれませんね。確かにインド人にとってはベストな教育方法なんでしょうね~しかしながら世界で働いてるインド人が有能なのもうなずける話です。他の面白いネタ
2005年05月06日
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今日も葉山の師匠のところで手伝いをしていましたが、今日はたくさんいい話を聞かせてくれたので、そのうちの一つを紹介したいと思います。発明王エジソンの母ナンシーのお話です。偉人の背後には必ず素晴らしい母がいると言いますが、エジソンの母も素晴らしい教育者だったんですね。ナンシーの子育ての偉大な点は2つあると思います。第一点目は、 「学校でいい点を取る子がいい子供」という間違った社会通念に毒されてなかった点です。エジソンは興味のある事にはとことん熱中するが、興味のないことには見向きもしない子供だったそうです。(子供は誰でもそうですが)なので小学校の先生に見放されたのですが、ここでナンシーが言った言葉が素晴らしい「興味を持たせられない先生の教え方が悪い」普通の親はこうはいきません。大抵子供のせいにしますよね。「先生の言うことを聞きなさい」なんて言うのではないでしょうか?そして学校での教育がエジソンに向いてないと分かると、母ナンシーは学校を止めさせて、エジソンを自らが教育することしたのです。これも普通の親はまずできません。世間体という大きな壁があります。「学校をやめたら落ちこぼれ」という烙印に親は耐えきれないのではないでしょうか?しかし日本の学校教育も、ほとんど子供の好奇心や自主性を無視する方針ですよね~私もひどくそれに反発した覚えがあります。ナンシーの素晴らしい点、第二点目は、 子供の素朴な質問を解決することにとことん付き合ったこと。 決して「うるさい」とか「知らない」と突っぱねなかった事です。 質問されたら一緒に考えたり、分からなくても、知っている人を一緒に探したりして徹底的に子供の好奇心を育んでいったそうです。その結果がエジソンの1800点以上の発明品になったんですね~。こうしたナンシーの、子供が持っている「旺盛な好奇心」を、学校の成績よりもずっと重んじた教育方針、そして子供の「なぜ?」にとことん付き合う姿勢が、偉大な人物を生み出したのでしょう。(参考)エジソンの母の物語は、師匠の本(発明起業家のバイブルですよ~)「さあ、発明家の出番です」 にも紹介されていますし、以下のHPにも書かれているみたいです。信じる力の強さを教えてくれる偉大なる発明家の母母の愛情と教育によって天才となったエジソンまた、オハイオ州に、エジソン生誕地博物館というのもあるようですね。アメリカに行ったら一度行ってみたいものです。エジソン生誕地博物館(The Edison Birthplace Museum)この話を聞くに付け、日本の教育はあまりにも子供を枠にはめる教育だということを痛感します。 日本の教育については、また別の日にまとめて考えていきたいと思っています。これが今日聞いたいい話の一つでした。他の3つは、また次回にしましょう。お楽しみに。他のおもしろネタはこちら
2005年05月05日
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以前幼稚園の保母さんをしていた方から聞いた、日本の幼稚園の問題点について紹介します。幼稚園が子供を枠にはめて自主性、創造性を阻む危険性が大いにあることを知らされました。ただ、幼稚園によって方針は全く異なるはずなので、あくまでその保母さんの体験として紹介します。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆幼稚園の問題点●良質な保母さんを育むシステムが欠如している 保母さんへの評価制度はなきに等しく、 私の知り合いは、どんなに頑張っても月に数千円しか給料が変わらなかったそうです。 また、幼稚園は閉鎖的な場であり、 第三者の目がほとんどない世界なので、なんでもありな部分もある。 そういうこともあり、子供嫌いの保母さんがいたり、 ただ遊んでいるだけの保母さんがいたりしていたみたい。●子供の創造性を阻み、型にはまめる教育をしている カリキュラムが細かに区切られていて、 子供はその通りにこなさなければならない。 子供は実際遊んでいるようで遊んでなく、やらされているよう。 ☆例えばお絵かきの時間☆ 両親にプレゼントするため、父母の顔を書かせたりするのだが、 先生が肌は肌色で書くように指導したりする。 それは、両親へのプレゼントとして無難な作品にしたいという、 先生の都合を優先した指導をしたりしがちである。 これでは他の色で肌を描きたいと思っている子供の創造性を阻んでしまう。 鯉のぼりとかも同様で、 決められたことが決められた通りに行われる。 そこでは、型破りなことをすると怒られる。 結局子供を自由に遊ばせていない。また、両親が幼稚園を選ぶ際に陥る問題点もある。●色々なことをしてくれる所に入れたがる両親 例えば、お茶、英語、プール、パソコン、給食、バス通学、写真撮影など。 高機能の電気製品を選ぶように、カリキュラムをたくさん用意してる所を選んでしまう。 しかし必ずしもそういう幼稚園がいいとは限らない。 そういうところほど、詰め込み教育をしていることも考えられる。 さらに両親の問題としては、●経験の浅い両親 幼稚園は、始めて親元から子供を離す体験。 そして一人っ子ほど、両親は子供の事を心配し、 些細なことに過剰に反応したりする。 少子化もあり、父母として経験の浅い大人になっている。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆こんなことを教えてくれました。この話を聞いた時に、私を含め大人や社会がいかに子供を枠にはめているかを思い知らされました。いやー恐ろしい。また、他のセミナーでも聞いたのですが、実は親は日常的な子供との会話でもものすごく子供を型にはめているんです。これも私はかなり衝撃的でしたので、また紹介したいと思います。今日の話も、できれば実際に幼稚園にお子さんを入れている方に意見を聞きたいところです。どうか宜しくお願いしま~す。それではいいGWをお過ごし下さい。
2005年05月04日
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昨日に引き続きドロシー・ロー・ノルトの詩です。本も買いましたが、なかなかよくまとまっていると思います。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆子は親の鏡けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる広い心で接すれば、キレる子にはならない誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つやさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと おもえるようになるドロシー・ロー・ノルト「子どもが育つ魔法の言葉」PHP出版より
2005年05月03日
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お久しぶりです。ゴールデンウィークなのに特に大したことをせず雑用をしてるのですが、今日本屋さんでとても感動する言葉を見つけましたので紹介します。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆子ども批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなるしかし、激励をうけた 子どもは 自信をおぼえる寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえるフェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる友情を知る 子どもは 親切を おぼえる安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる可愛がられ 抱きしめられた 子どもは世界中の愛情を 感じとることを おぼえる「あなた自身の社会/スウェーデンの中学教科書」新評論刊より ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆実は昨日、汐留の都路里という京都にいる時から愛用している喫茶店に行っていたんです。そこはいつも1時間待ちは当たり前なのに、昨日はGW中なのか20分ぐらい待つだけで入れました。その待っている間、前に家族連れがいたんです。3歳くらいの女の子がいる若夫婦。その女の子は、お母さんに抱かれてると機嫌が良いのに、お父さんに抱かれるととても嫌がるんです。それでもお父さんはその娘さんに、髪をなでてあげたり、一生懸命愛情を注いでいました。そこでふと考えたんです。愛娘に嫌われ続けても、私は怒らず落ち込まず愛情を捧げられるだろうかって。私はそこまで立派な親になれるのだろうか??そんな漠然とした不安が襲っていたところに、この詩を見つけたんで、救われた気持ちがしたんです。家庭ができたら、この詩を家に張っておきたいなと思いました。
2005年05月02日
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最近師匠の話ばかりしてますが、以前聞いた、感動する娘と父親の会話について紹介したいと思います。私はこんな親子関係ってすごく憧れてます。それでは始めましょう。娘「今度音楽会で演奏するように頼まれてるんだけど、 曲が簡単すぎて面白くないので、行かないことにするよ。」師匠「もし曲が難しすぎて、自分にはとても演奏する能力がないというのならお断りしてもいい。 しかし、自分には演奏して十分皆さんにお役に立てる能力があるのに、 自分に利益がないからと言って受けた仕事を断るというのは話が通らないよ。 せっかくいただいた役割なんだから、 一生懸命に演奏して人のお役に立ってきなさい。」娘「父さんよく分かった。私、がんばって演奏してくる。」ものすごくしびれる会話ですよね。こんな光景を、私はいつ目の当たりにすることになるのだろう?こんな父親になりたい。いや、絶対なってみせる!他のサイトに行ってみる☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆本日の出来事今日も葉山のアトリエに行っていました。生ゴミ乾燥機の試作品を作っているのですが、それだけで一日が過ぎてしまいました。いや~、一日は短い。そして、人生は短い。何もしないといやというほど時間があるのに、何かをしようとすると、とたんに時間が足りなくなるものですね。気分転換する
2005年02月17日
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最近師匠の影響で熱力学を勉強しているのですが、面白い雑学を見つけました。温度って私たちは普通摂氏を使いますが、アメリカでは華氏が未だに使われています。摂氏の0度と100度は水の融点と沸点ですよね。では華氏の0度と100度は何で決められたのでしょう??ちなみに、華氏の0度は、摂氏-17.8度、華氏の100度は、摂氏37.8度です。これトリビアネタになりますかね?それは、温度の基準が作られた歴史に起因してるらしいんですよ。では、まだ温度が発明されてなかった中世までさかのぼることにしましょう。生活の必要から温度も発明されたのですが、中世にどんな必要性があったのでしょうか?ここにヒントがあります。中世のヨーロッパでは、羊が生活に欠かせなかったのですが、この羊すぐ病気になってしまい、一頭が病気になるとすぐに感染して全滅なんてこともあったそうです。なので、羊飼いは手で羊の体温を調べて、熱が出ている羊を隔離するのが大変重要な作業だったのです。ということは、もう分かりましたか?華氏100度は、羊の平熱の体温だったのです!では華氏0度はというと?では、ヨーロッパの北海にいる漁師と関係があるらしいのです。漁師さんは海が凍ると漁に出られません。また漁に出ても海が凍ると帰れなくなります。だから、海の氷結が大変重要な関心事だったそうです。というわけで、華氏0度とは、海が氷結する温度というのが正解です!華氏というのは、1724年、ファーレンハイトという人が、海が凍る温度を0度、羊の体温を100度にして、それを100等分して作られた温度なのでした。これが最初の温度の発明でした。しかしこれ、とっても曖昧な定義の仕方ですよね。だって羊の平熱なんて個体差もあるし。そういうわけで、その約20年後、セルシウスという人が、もっと温度を厳密に定義しようとして、1742年に、水の凝固点を0度、沸点を100度にして決めたのが、私たちの使っている摂氏という温度です。しかしそれでも曖昧だというので、今科学の世界ではケルビンという絶対温度が使われているんですけど。1968年から、世界共通の指標として使われています。それにしても、1724年より前は温度ってなにも決まってなかったんですね~体温も計れないし、料理のレシピも作りにくいな~他の関連サイトを見てみる。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆出典:おもしろ話で理解する 熱力学入門 久保田波之介著 日刊工業新聞社 2003年
2005年01月31日
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私の人生の中でのトッププライオリティーは、両親を幸せにすることと、秀逸な次世代(子供)を残すことです。従って、今年はいい子供を作るためのノウハウを体系化したいと思っているんです。そこで、とても心配になっていたんで、今日は難産のことを調べてみました。最近本当に難産のニュースを目にします。皇室しかり、私がかつてファンだった菊池桃子は第2子が、先天性心臓疾患で出産予定日の数日前に死産、西村知美も流産しています。この前は赤井英和(長井秀和ではない)の奥さんの話をテレビでしてましたが、結局生んだ2人の子供は死んでしまったとか。私の母が介護関係の仕事をしてるので、裏情報を聞かせてくれるのですが、お産のトラブルはものすごく増えているとか。ただ、それは公開されず事実を隠蔽することが多いので、なかなか社会問題にもならないし、正確なデータがないように思えます。またちゃんと生まれたとしても、アレルギーだったり、虚弱体質では困ります。私が4年前に東京に来た時、東京の人はなんて生命力がないのだろうと衝撃を受けました。ものすごく花粉症やアトピーの人が多かったし、東京の人の体格も慣れるまでは爪楊枝に見えました。(これは私が短足でプロレスラー体系であるからでもあるに違いない。間違いない!byにせ長井秀和)私が母から聞いたりして知っていたのは、妊婦の年齢が高齢だと難産になりやすいというもの。35歳以上だと難産とか子供の奇形児率がぐっと高くなるというデータもあります。しかしさらに難産になる妊婦に特有の特徴があるらしいことが分かりました。お産が順調に進行するには、次の3つが関係しているそうです。1)赤ちゃんの大きさ(娩出物)2)赤ちゃんの通り道(産道)3)赤ちゃんを出すための力(娩出力)ですので、それぞれに原因があるわけです。詳しく見ていきましょう。1)赤ちゃんの大きさ(娩出物)赤ちゃんが大きいと難産になります。妊婦のカロリー摂取が多いと赤ちゃんが大きくなるそうです。あと、体格が大きい人、子宮の大きい人も大きな赤ちゃんになるみたいですが、それは持って生まれた物ですから仕方ないですよね。2)赤ちゃんの通り道(産道)なんと、肥満の人は産道が狭くなり、難産になるそうです。妊娠中の体重増加は+8~10kg程度に押さえるべきで、+15kg以上ではほとんどが難産になるみたいです。男が中肉中背で健康的な女性を求める傾向にあるのは、あながち間違った判断ではなさそうだ。3)赤ちゃんを出すための力(娩出力))実は、難産が増えた最大の原因は、日常生活における運動不足だそうです。なぜかというと、お産というのは、赤ちゃんという大変大きい物を体から出すわけです。頭だけ出ても、肩幅はさらに広い。そんな赤ちゃんを出すためには、ものすごい力が必要になるわけですが、体力のない妊婦はその力がないそうなんです。最近帝王切開率が非常に高いのも、このためだとか。また、母から聞いたのですが、妊娠中に赤ちゃんが落っこちて早産にならないよう、お産の適齢期まで下の口を縛るケースも多いのだとか。これも、運動不足が原因なのでしょう。以上、運動嫌い、運動しないのはとっても怖~いことになることが分かりました。私も人のことばかり言わず、お腹についた1cmの脂肪を取らなければならないに違いない。間違いない!他の関連サイトを見てみる。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 今日の出来事今日は葉山の師匠のアトリエで非電化換気装置の制作を手伝っていました。最近ずっとこればかりしていますが、やっと実用化に目途が立ってきました。そういえば、今日は葉山のアトリエにNHKの人が来ていました。聞くと今度師匠をテーマに15分くらいの特集を組むとか。今週末その取材をしに来るそうです。私も通行人Aみたいに、制作を手伝っている人Aと言う感じでテレビに出るかも知れません。一瞬だと思いますが、ちょっとうれしい気分~。帰りに横浜で一風堂という博多ラーメン屋に寄りましたが、スープが激ウマでマイウ~!思わず替え玉してしまい、お腹のお肉作りに貢献~いや~ん、難産になっちゃう~ギャグに飽きたので他のブログサイトへ行く
2005年01月19日
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拙者、日記ざむらいじゃ~ らくてん にっき まいにち まいにち書いてます 今日は子育て方法を書くって いうじゃな~い けど私 子供まだいませんから~ 残念! けど今日はとってもいい子育てネタを書きます 斬り☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆年始からたくさん書きたいことがあるんですが、今日は子育てノウハウについて考えたいと思っています。私はこれまでにもいろんなセミナーや本で学びましたし、素晴らしい子供を育てた方々から教えて頂いたことがありますので、それをまとめてみたいと思います。是非子供のいる方は実践してみてコメント頂けたらと思います。 ☆子育ての極意☆ 子育てのやり方は親によって千差万別ですが、子供にどんなスキルや人間性を与えようとしてるかに関わらず、共通していることがあると思います。 私が重要だと思うことを順に述べていくことにします。 ●あふれんばかりの愛情・スキンシップを与えること(実際に声や態度で表現する) 私の以前のお師匠は、二十歳まではとにかく褒めちぎって育てることと教えていました。 実際、子供は「~さま」と、さま付けで呼んでいました。 愛情の表現のしかた ・無条件の愛 怒っているとき、叱っているときでさえも、子供のことを愛していることを理解させる。 例えば、ラブゲームといって、「お父さんはお前をどれくらい愛していると思う?」と問い、 「これくらい」と言うと、「それくらいかい?もっとだろう」 というのを繰り返し最大限の愛情を持ってることを示し、 「じゃあお父さんが怒っているときは?」「そのときでも同じくらい愛しているんだよ」 と言って、条件付き愛情でなく、無条件に愛していることを説明することが大切なようです。 叱るときでも、「お前を愛しているけど、部屋の隅で立っていなさい」 などというように言った方がよいようです。 子供にとって親はなくては生きていけない存在なのですから、 親に十分愛して貰っているという実感がなければ、 心に不安があり、その不安を払拭するために一生探し続けるのではないでしょうか? 私の経験でも、親の愛情に飢えていた人はたいてい自己概念が低く、自分を否定しがちであり、 同時に他社に対して不信を抱いている人が多いように思います。 また、その心を癒すには、不可能では決してないけども、大変な労力がかかると思います。 また、子供を愛していても、愛情表現が足りないケースもありそうです。 親が子供を愛しているのは、子供も言わなくても分かっているはずだ、と思ってしまいそうです。 なので言葉、スキンシップ、態度など、五感を使って実際に表現することも大切だと思います。 ・視覚的表現:愛情表現は、見つめながら表現する ビジネストレーニングを受けたとき、目をいつも直視したら相手に対して強すぎるイメージになるので、 顔のあたりをみるようにしたらいいということを習ったことがあります。 ・触覚的表現:スキンシップで肉体的な接触を与える 抱くとか、髪をなでる、肩をたたくといったものです。 親とのスキンシップがないと最悪死んでしまうそうです。 ・毎日時間を共にする 共働き夫婦などはこの時間を捻出するのが一番難しいかもしれませんね。 残業が少ない職業につくことはいろんな意味で大切だと思います。 ●いつでも自分の能力を信じ切れるよう、承認・賞賛・励ましを与え、自尊心を高めること 子供がかんしゃくを起こしたりしているときは特に忍耐強く実行する必要がありそうです。 ●破壊的批判をしないこと(お前は駄目だ、嘘つきだ、できない、生意気だなど) ついつい破壊的批判をしてしまう癖を私たちは持っていますので、 破壊的批判をした時には、家族の間で注意してもらうようにするのも一つの方法です。 そして、それをゲームにしたらとてもいいのではないでしょうか? 例えば、破壊的批判をしてしまった人に対して、 「お母さん、それは破壊的批判だよ」とか子供の方からも指摘してもらうようにすればいいかもしれません。 ●これまでの破壊的批判を子供に詫びる 既に子供に否定的な感情が芽生えていたら大変ですから、これは効果的だと思います。 子供に対して詫びるのは少し勇気がいるでしょうが、子供にとってはいい意外性があっていいかもしれません。 ●積極的な期待をする 例えば、通信簿でBがあったとしても、「このBは何だ」ではなく、 「たくさんAをとってすごいね」と常に前向き、積極的な期待を持っていることを示す。 ●自分の意見を述べさせる いつも親の方から「こうしなさい」「ああしなさい」と一方的に言うのではなく、 「お前ならどう思う?」などと自分の意見をしっかり持たせることは大変効果的ではないでしょうか? こうすることにより、主体的な人間になるでしょうし、 自分の価値観、生き方を明確にしていけるのではないかと思いました。 こうして明確な価値観を持っていると、人生で何をしたいのか、どういう人生を送りたいのかが 明確になり、自分探しで要らぬ時間をかける必要がなくなるのではないかと思うのです。私は子育て経験がないのでえらそうなことを書けるのですが、試しに私の親とか親戚にこのことを話してみたんです。私の母親はとても賛同してくれたのですが、私のばあちゃんは、「確かにそうだけども、どうしようもない部分も多いよねえ」と実際は理屈でなくて難しい面があることも示唆していました。特に親と子供の人間的な相性もあるので、話はこうは簡単ではないんでしょうね。けど、これ、例えば部下の教育にもそのまま応用できるような気がしました。今は子供がいないから、他の人間関係でちょっと使ってみようかな~年明けクリックお願いします。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 今日の出来事今日はまたまた初売りセールに行ってしまいました。たいした買い物はしなかったんですが。テレビでは連日のように波田陽区出てますね。はまりまくりです。けどこれだけ一気に注目されると、すたれるのも早そうな気がして心配です。株でも急に上がると急に下がるのが多いですから。残念!ということにならないことを祈ってます。明日から3日間、私は西の方に行って泊まり込みで釣りをしてきます。ですので、日記は3日間お休みさせて頂きます。他の日記を見てみる。
2005年01月02日
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