秋田犬ユキとローラーフィギュア ~つぶやき日記~
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
たいへんたいへんお久しぶりです。ダンナが脳出血で倒れてから、今日でちょうど5年でした。5年前の5月13日、今日と同じ日曜日の母の日に外出先で突然倒れ、本人はもちろん私と娘の生活は一変しました。当初、とにかくリハビリをすればきっと回復すると信じて、最初の5ヶ月間は毎晩仕事が終わった後に娘と病院に通い計算や数字ならべなど独自に取り寄せた教材で「自主トレ」をしていました。1日でも休むと後戻りしそうで怖くて、とにかく1日も欠かさず通いました。その後家から少し遠い病院に移ってからは金曜日の夜、仕事が終わってから山道を車で片道1時間の道のりを迎えに行き、金、土と外泊した後日曜日の夜また、仕事が終わった後1時間かけて送っていく…という生活を3ヶ月続けました。病院側が、「人手の少なくなる週末は家へ帰れ」と言わんばかりの対応だったので邪魔にされてほったらかされるダンナがかわいそうだったのです。けど毎回、日曜の夜の帰り道が眠くて眠くて、家に着いた頃はいつもフラフラでした。今から思えばよく事故らなかったもんです。そこでの3ヶ月の入院生活のあといったん自宅に帰って、4ヵ月後今度はさらに自宅から遠い障害者自立生活センターに入所。生活の自立に向けた訓練を1年間受けました。仕方の無いことですが、家族面談だの相談だのと何かあるたびに「奥さん、来て下さい」と呼び出されそのたびに職場に頭を下げて休みをもらい、高速道路を乗り継いで往復3時間の道のりを通いました。病院でも施設でも、簡単に「奥さん来て下さい」って言ってくれるんですよね。当然のように日中の時間帯を指定して。「私が働かないとおたくの入院費も払えないんですけど」って1回言ってやりたかったな。まあ、そんなグチはさておき。そこを予定通りの1年で退所したダンナは今度は同じ敷地内にある障害者向け職業訓練校の寮に入りました。が、これが誤算でした。職業訓練校は身体障害者専門なので高次脳患者の生活の面倒なんて見てはくれなかったんです。ダンナは、誰からも注意されないのをいいことにまずお金を無駄遣いするようになり、そしてやめていたはずの煙草まで吸うようになりました。この「煙草」は、私も娘も許せませんでした。例の脳出血の原因の大きな一つが煙草であることは明白でしたから。なのに今さらまた煙草を吸い始めたということは私たちにとっては「裏切り」以外の何者でもなかったんです。私たち家族にこんなつらい思いをさせておいて一体どういうつもり?って正直ものすごいショックでした。そして思いました。「ああ、また私はこの人に裏切られた」と。この「また」の部分についてはここでは触れませんがダンナが倒れる前にもうちはいろいろあったんです。だから私からすれば「さんざん好き勝手したあげくに生活習慣病で倒れて、そしてこれですか?!」って感じでした。この煙草についてはやめてくれるよう頼みました。でも、だめでした。そんなダンナが1年の寮生活を終えて自宅に帰ってきました。ダンナが倒れた時小学生だった娘は、もう受験生になっていました。自宅に帰ったダンナは煙草に加え、昼間からお酒まで飲むようになりました。働いていない人が昼間から飲酒し始めたら…もう、ここが限界でした。実は、ダンナが飲酒していることに気づいた時ダンナの実家に相談に行ったのですが逆に「息子が病気になったのもなにもかも、嫁のお前のせいだ」と言われ、後日さらに私をののしる内容の手紙まで姑から届き、「あー、もう無理だ」と明確に感じたのでした。それから地獄のような日々が1年近く続き去年3月ダンナと私は離婚しました。今、私は娘と2人で暮らしています。生活は苦しいですが、心はとても平和です。今日、同じ5月13日の母の日を迎えて、辛くてたまらなかったこの5年間を思い出したら久しぶりに涙が止まらなくなりました。私の、あの格闘し続けた4年間はなんだったのでしょう。食べていくために年中無休で働き続けいっそ死んでしまえたらどんなに楽だろうとよく思っていました。でも私には娘を守るという大切な仕事がありました。だから生きてこれたんだと思います。当初泣いてばかりいた私と娘も、さすがに強くはなりました。でも、私達の人生は、こんなはずじゃなかった。ダンナが倒れた当初は思っていました。「頑張っていれば、いつか笑える日が来る」頑張ったつもりでした。私にはあれが精一杯でした。---------------------------最後に、高次脳機能障害に苦しむ患者さんやそのご家族でこのブログを読んでくださっていた方にはただただ「ごめんなさい」です。途中からブログの更新ができなくなったのはこんな理由でした。皆さんをがっかりさせるのが辛くてこれまで書けなかったのですが、今日まる5年の同じ「母の日」を迎えてここで「白状」しようと思いました。皆さんにはとにかく幸せになってほしいです。うちがこういう結末に至ったのは病気になる以前のことなども関係していましたから、どうか落胆しないで下さい。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
2012.05.13
コメント(8)