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ブログ、アメブロに変更しました。でも、こちらの楽天ブログにはたまに「本音」トークするかもしれません。 http://ameblo.jp/olympiaart/よろしくお願いいたします。
2010年06月07日
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結局、、今年の1月から始まった、肩と頚椎の痛みとしびれはもともと抱えている頚椎の問題+四十?五十?肩と呼ばれている肩周囲炎でした。マンションのお掃除のおばちゃんに、「あらーもう痛くて痛くて治るのに3年かかった」とか「そのうち皮膚がただれてくる」(な、なぜ??)など散々おどかされて、ガックリしていたけれど、鍼灸2回、整形外科5回、カイロプラティック(片道2時間、一回7,000円!)3回通ったのち、、、彗星のごとく(ワタシのためのように)近所にオープンした指圧、整体のマッサージ師の素晴らしい腕によって、(野球の新庄選手も担当したことがあるらしい)ようやっと強い痛みが取れ始め、ここ10日間ほど久々に、数ヶ月ぶりに眠れるようになってきたのでした。。。本当は全身運動が良い(水泳、ウォーキング)と、さらに毎日、と強く指導されるも、こう残業続きの毎日では近所のスポーツクラブにすら通うのがおっくうで、、、プールでの水中ウォーキングは2週間で1回しか行けてない。。。会社の福利厚生で1回ごとのチケット制だからいいものの月会費を払ってのスポーツクラブではまたお金が無駄に消えたことになったなあと思う。この指圧の治療院の前には、私のガーデンを彩る花木屋さんがあってここにいる3人の女性たちもまたよく花のことを知っていてすごい!なんでも即座に答えてくれる。すごいよ。マッサージ師さん、花屋さん、こうした本物のプロたちと接するとああ、、私、ブレてらんない!!って思うよ。来週ボスとの面談があって、夏のボーナス査定と下期の展開について私と会社との攻防戦になると思うのだけれども、、、今回の作戦は、勝負に出るしかないなと思う。人間やっぱりね、やりたいことやろうよ!!自分がやりたいこと、情熱かけられること。ブレちゃあかん!昨日の朝日新聞のコラム「深層新層」で、事業仕分けにかけられた美術館、博物館を運営する独立法人について書かれていて、コラムの締めとして書かれていた、「現実を前に妥協を強いられたとき、理想の中核部分が溶けずに残るかどうか」という一文に、自分の置かれた現状と重なって、ううう、と響くものがあってやっぱり、やらにゃあかん。ブレたらあかん。ブレたら、私もあの組織の口先だけのパフォーマンス仕事、軽薄な人間たちと一緒になってしまう!!と、強く、強く思ったのでした。ま、ね、一度組織ってところを辞めた人間は強いよ。もう、知っているからね。何が大切かを。前の会社を辞めた後の1年という日々は、本当に素晴らしいエネルギーを私に与えてくれたから。私は、失うものなど何もない、ということを知ったからね。会社にしがみつかない生き方、やっていこう。
2010年05月22日
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ワタリウム美術館にジョン・ルーリー展を観に行く。最後の最後でやっと、物理的時間と、精神的時間と折り合ったのがやっと今日で。かなり面白かった。ドローイングに添えられた独白がいい。この人の作品、部屋にあったらいいな、、、って思った。っていうか、精神病棟の病室にあるといいな。なぐさめられる気がする。自分の中にあるいくつかの部分にフィットする。そして安心する。ついで、ルーシー・リー展も観る。女性らしい繊細な作風が好きだ。これ、影響受けてる作家、多いよね。90過ぎで亡くなって、最後まで陶芸に打ち込めてシアワセだよね。シアワセな人はいい顔をしているもの。品のある素敵な笑顔で、、、ちょっと母を思い出す。モノつくりという点で母とルーシーは同類だ。笑顔が似ている。一緒に同行した人は美大出で当然ながらいろんなことを知っていてしかし、少しでもアートをかじった人とは思えないほど超現実主義者だ。グローバル化していく世界経済の話から特老の話までバッサバッサと現実的視点で(彼女なりの)捕らえて迷いがなく生きている感じでたくましい。そして、私のような大企業の中でしか生きてこなかった人間を、ちょっとバカにしている(笑)お互いに自分なら生きていけないな、って世界で生きてきているからたまに会って刺激を受けようとなるのかもね。人生は選択だ。自分の選択の積み重ねだ。ジョン・ルーリーに精神的には傾倒しても、現実にはルーシー・リーの晩年のような生活スタイルに最も安らぎを感じるわけで、これは育った環境による価値観の形成なのか、、、成人後の社会人生活の中で形成された価値観なのか、、、保守的になったのか、もともと保守的な人間なのか。答えは今の自分にある。今の自分は自分の選択の積み重ねであるから。今の自分こそがその答えだ。そして、変えたいのなら自分で選択ができるのだ。
2010年05月15日
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いつもの公園は、緑真っ盛り!あの枝だけだった木々に葉っぱがつき始めるとまったく違う風景となる。ああ、素晴らしい気が流れて最高です。一昨日行ったらあまりの緑の美しさに胸高まり、「明日は敷物買って、本を持ってのんびりしにこよう!」とSと誓い合った。で、昨日は早起きをして、コーヒーをいつもの量より余分に2杯分煎れて、ポットに。途中で近所のスーパーに寄って、ちょっと厚みのあるかわいいチェック柄の敷物を買い、お菓子とバナナを持って公園へ!!チェックしていた、「八重桜の木陰」(と、名づける)にシートを敷いてのんびーり読書。桜の曲がった幹は背もたれにGOOD。すぐに眠くなる。うとうとしたり、コーヒー飲んだり、また本を読み出したり、のんびーーーり。じっと地面を見ると小さな花がたくさん咲いている!!何種類もあるよ。桜の木からは実のようなマッチ棒みたいなのがぽつぽつ落ちてくるしそのマッチ棒はいろんな色があって、集めてみるとクレヨンみたいだよ。遠くに車の音が聞こえ、時々子供の声やわんこの鳴き声が入り混じりああ、ここはホントに天国だ。。。。。みんなシアワセそうだ。Sは小難しそうな経済関係の本(なぜ?)私はスピリチュアル系の本(だって、この公園はパワースポットだもん)午後から家に戻って、ガーデニング。新しい鉢を3種つくる。そして、夜はまたまた指圧へ。しあわせな日だ。。。だいぶ、腕が動くようになりました。。。。しかし、今日また仕事がハードだったから、あというまにくびが痛い。。。ズキズキするよ。人生、年に一ヶ月くらいはこうしてピクニックをして過ごしたいなあ。。。
2010年05月06日
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本当に必要な時に必要なことや人やものがふーーーと現れてくれることってあるなあと思った。今日、明け方から腕のしびれや背中全体がだるくてううううともがいていたところ、近所にオープンしたマッサージ屋さんに出会う。新しくオープンするらしいという噂だけ知っていたので、フラフラと行ってみると何かよさそうな雰囲気がして、一度家に帰ってから電話で予約をする。さて、行ってみました。これがいやはや、☆☆☆☆☆。チェーン店ではなくて個人で開業なさったところです。狭いながらもシックな内装は感じが良く◎。スタッフは3人でしたが、私を担当してくださったチーフかオーナーかと思われるM氏は素晴らしい腕の持ち主です。頚椎のヘルニアのことも、整形外科でのワンパターンの治療のこともカイロに通っていることも、坐骨神経痛のことなどあれこれと話もでき、どんどんと楽になる腕と首、肩、背中、揉みほぐされている3、40分の間、途中涙が出る感覚にもなったりして。誠実で的確な仕事ぶりに、ああ、、と感じ入ったのでした。最近、一番こころに響く出来事って、こうした‘よい仕事’ってことだな。。。たぶん自分もまた一番に気にしていることなんだろな。それにしても、、からだが楽になる感覚って久々だ。知らず知らず相当にストレスがたまっていて、身体ってとても正直だ。‘疲れたよー’と訴えている。いえいえ、でもね、私やりたいことあるからもうちょっとがんばってよね、からだよ。
2010年05月04日
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花の仕事をしている知人がいて、その方の今日のブログに、お稽古にこられなかった生徒さんのために、花材だったいろいろな色調のピンクの色の花達をブーケにして差し上げたことが書かれていた。花材を(たぶん新聞紙に包まれたまま)取りにいらしてね、ってことで終わるのが普通のお教室だと思う。けれど彼女はそうしない。来られなくって残念よね。。。。という相手の気持ちを思う心と少しでも楽しくしてあげたいな、という心の余裕。ああ、、、今の会社に入ってからどんどんと、‘心の余裕’がなくなって、ガードするばかりの自分がいる。いえ、いまどきはどこにいっても余裕のない人が多いのかな?以前いた会社が大規模な早期退職制度を施行して、お世話になった大先輩達のほとんどが退職することになったと今日そのうちのお一人から伺った。ひどくショックだった。。。ひとつの時代が終わっていくんだなって、思った。あの楽しかった時代。社会が活気にあふれていて、挑戦と革新、そんな社風の中で新人の私もたくさんの好きなことをさせてもらった。社会全体にゆとりがあって、のんびりとした雰囲気があり、人のこころに余裕があった。今、を生きるしかないんだなと思う。そういう豊かな時代を生きられたことを幸せに思う。良いものを見、知り、味わえた成熟の時代だったと思う。20代のうちにそういうものに知りあえておいてよかった。20代、30代というのは蓄積の時代だと思う。もちろん、子供の頃の生活も影響するけれど、、いろんなものを吸収して蓄積する時期。40代になって、花が咲くようにアウトプットの時期を迎える。今までのすべてを、無駄にしたくないなって思った。あの貴重な時代を生きてこそ、今という時代を歩いている。先輩達一人一人の顔が浮かんで、どうしようもなく涙が出るけれど、豊かな時代を生きた人たちだから、これからもたぶん素敵に心豊かに生きていくんだろうなと信じる。私は生き残りみたいな存在だけど、新しい環境で努力している。無駄にしたくないな。すべての経験を大切にしたい。花ひとつでも、届ける 心 を忘れない、そんなことをしみじみと、、、、思うのでした。
2010年04月30日
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以前住んでいたマンションの日がさんさんと射す明るい部屋を思い出していた。きれいな部屋だった。何もかも好きなもので囲まれていて白くて柔らかい繭の中にいるような心地よい穏やかな生活だった。安心と信頼とこころが満たされる空間。たくさんの絵を描いて詩を作り瞑想をして過ごしていた。もちろん仕事もしていたけれど。人には誰でも人生をリセットしなくてはいけない時がある。私はそれができた恵まれた人間だと思う。。ふと、検索サイトにこのマンションの名前を入れて検索ボタンをクリックしてみた。懐かしい部屋がうつされていてでもちょっと改装されてなんだかすました感じになっていてなつかしくて、胸がちょっときゅんとした。今はどんな人が住んでいるのだろう。ずっと先になると思うけど、今度は海沿いの街に住みたいな。静かで明るくて緑のあるところ。願えば、叶う。
2010年04月27日
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いろいろあった。ピンと来てOW2時間かけて山里まで会いに行ったアーティストは絵を売りたいだけの人だった。。。ので、私の‘ピンと来る’も当てにならない。先日読んだ香山リカの「スピリチュアルにはまる人はまらない人」を思い出す。スピリチュアル、私は好きだけど思いこみはアブナイ。いやしかし、先週の‘新月’効果はあった。好きなことだけしていきたいと強く願ったせいか、昨日のBOSとの面談で「現状のままなら私はこの仕事はやらない」と宣言したところ、その場で翌期の評価レーティングが変更された。ので、継続することにした。もちろん、好きなことしかしない。しかしまてよ、これは新月効果か??‘好きなこと’は日々の努力の上にしかやってこない、とも思うのだった。
2010年04月24日
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と、数年前、とある人生の大先輩にいただいたコトバだ。確かにそうだな。新月で願い事を書いた時、何をお願いしようかなあと思ったんだけど人生半分近くまでくると、もうコト、モノには十分満たされていて何の不自由もない。最近、会社で思うことがあって、ちょっと今年は譲れないなっ!って思ったのは、今年はね、「人として気持ちの良いことだけをします」ってこと。「自分が自由で心が心地良く感じることだけに耳を澄まします」ってことも。この新月のドリームマップで願ったことがうん、昨日あたりから効いてきている。。本当の‘勝ち組’って、自分の人生が楽しい!って思える人のことだ。
2010年04月19日
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新月の日にドリームマップを作った。マップを作る前に願い事をいくつか書いたけど、実際にマップを作ったらまったく違うことを表現していた。書いたことよりも本音が出るよ。自分がとても大切にしたいと思っていることがよくよくわかるよ。そのことをこうやって視覚化するととてもいい。いつも忘れないでいられるし、見ているだけでとても心が落ち着くから。今年は、人としてこうありたいと思う自分でいられれば、願うような穏やかな日々がおくれるだろうし本物であることや上質なものや人との関係を最優先で大切にすることで不要な関係から開放されるだろうし過ごせる時間や体力は限られているのだからそういうことに静かに挑戦したいのでした。
2010年04月16日
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新しい白い布団カバーと白いシーツと白いカーテン、白い壁、白いソファ、白いクッション白にくるまれているときが一番にこころが安らぐいろいろな白があって白は温かい。白は清らかで白は正直で 白は温かい白は光の色。パワーを持つ人はたくさんいるパワーのある人もたくさんいるけれど、パワーと共に繊細なこころを持ち合わせることができる人はそういない。力は本当のものにこそ使わなくてはいけない。本物にだけ。本物にしか、使ってはいけない。
2010年04月11日
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散歩に行く公園が一年で一番華やぐのが今の季節。すごいよ。薄いピンク色で目の前が霞んで見える。ここは私にとってのパワースポット。ここに来ると不思議とこころが落ち着く。こころとからだが調和するのだ。そして、無意識にこころに思いや言葉が浮かんできて、それは私の本当の心が言っていること。こうありたい、、、本当は、ああ、ありたい、、、。今が嫌だとか、今が違うとかではなくて、自分が本当にありたい状態がよくよくわかるのだ。でもそれは抽象絵画のように表現されるから常に具体的指標を持って日々生きられる人には理解できないあいまいさで、しかしそれゆえに私の心はなぐさめられる。これは生きていくには本当にやっかいなことで、会社での在るべき状態と、ここに来るとよみがえるもう一人の私との間の乖離を埋めるのに、休日の多くの時間を費やすようになった。年々、年を追うごとに、半年ごとですら、タームが短くなっていく。アートの世界は、パンドラの箱だ。でも世界は、目覚めたものと目覚めぬものとそのどちらかでしかないのではないか。ここに来ると感じるのは、自由。そして変わらない、ということ。ここは、変わらないことで自由を得る、ということを教えている。はるか昔から、木々たちはここに立ち、ここで四季のうつろいを生きる。そして彼らは、本当に、自由だ。
2010年04月04日
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3月は、咳喘息と気管支炎で幕開けとなる。季節の変わり目はどうも嫌だ。からだがすぐに反応する。貴重な休暇が家での静養になる日々で「風立ちぬ」のヒロイン気分。当然、ノリノリ演出大好きの会社の仕事も気乗りせず。。。今日やっと調子がよさそうなので、キャンセル続きで行けなかったカイロプラティックにようやっと行って、往復3時間の行程なれど、腕は確かと椎間板ヘルニアを完治させたボスに強力にすすめられて通うことに。。。。自由診療。時間もお金もちょっとした1泊旅行並み?帰りに最近お気に入りの裏原宿をブラブラ。安くてお洒落な帽子屋さんで、麻の帽子を衝動買い。すっごい素朴な麻のイメージそのものに朱色の糸を絡ませて編みこまれたオリジナリティーたっぷりの日本製帽子!あまりにも気に入ったので今もかぶったまま書いている。しかし、同居人Sは「ふーーん。」と言って、褒めるどころか「どんぐりみたい」って。。。!!アートなものを愛する人間にとって、美しいもの、素敵なもの、感動しちゃうようなもの、ううっと感涙しちゃうものこれだよねっ!!ってなものについて、共感しあえない、語り合えないというのは、かなりモチベーションが下がる。テンション下がりまくる。。。。インテリアショップやギャラリーなんかで、「これいいねえ」なんて仲良く語り合っているカップルを見ると、まじ、うらやましい。。孤独だ。。。ショップの店員さんとの会話ほど楽しいものはない。自分の売っているものが好き!って人との会話はホント楽しい。話がつくりの細部に至ると興奮せずにいられない。こだわりについて語り合うほど楽しい心躍ることはない。旅行のコンサルという仕事も、こだわりのあるお客様にあたるとホント、楽しい。逆に一番やる気がなくなるのは「あっ、(その町で)一番高いとこ」ってひと言だけ言われるとき。金さえだせばいいだろ、って人の仕事はやりたくない。マジ、どうでもよくなる。「ハイ、1泊8万円です。」終わり!って感じ。さて、今日はそれから最近お気に入りのアウトドアのショップ2軒をはしごして、いい感じのバックをこれまた衝動買い。これなんていうんだろ?斜めにかける小さなリュック?みたいなの。大好きなマゼンダ色。機能性もバッチリ。ああ、明日会社に持って行きたいな。。。(と、つぶやいたら、向こうの部屋からSが「遊びに行くんじゃないんだしーー」って。クリエイティブな感性がいい仕事を生み出すんだよ!!!って言っても、通じないのでやめる)ああ、カイロがすごく効いてきている。。猛烈に眠い。おやすみ。。。
2010年03月22日
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ようやっと芽を出した3月の名もない草に雪が降りつむ黒い湿った地面にようやっと小さな双葉を出したのに冷たい雪が雨のよに舞い落ちるそれでも双葉は上を向いてようやっと生きるのだからこれから大きな葉になって名もない花をつけましょう名もない花でも見える人のこころにはあたたかい花なのだから
2010年03月09日
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今朝、NHKスペシャルのアンコール番組で詩人のまどみちおさんの特集がありました。「ぞうさん」「いちねんせいになったら」を作詞したこの100歳になろうとする詩人の話に私は共感し何度も涙をぬぐったのでした。この世の中でおこることのすべてが不思議だといい、身近な何気ない風景にも美しさを感じ感動する。純粋な子供の頃の感性をそのまま持って大人になって今を生きている方でした。ハッとした言葉がありました。「恋と愛の違いは何ですか」という問いかけに「恋は人と人との間のことだけど愛は(人だけではなく)森羅万象(を対象とする)のことだ」とおっしゃっていて、その瞬間、私の長年の問いが解けたのでした...。何か気になって戻したチャンネル、そして思いがけずに....。私が問い続けてきたことを....私にとっての愛もそうであったのだと、路傍の草や花の、池の水面も、落ち葉の音すら思わず手を差し伸べずにはいられない、思わず耳を澄まさずにはいられない、その突き動かされるような心の動きが、私にとっての愛ということなのではないのかと.....。3年前、ジョセフィーナの言っていたことが今、はっきりとわかったのでした。そして、さっき、、、龍馬を見ていたら、松陰が龍馬に言ってましたね「何をすべきなのか。考えるな!心で感じろ!」「心はもう知っている」...と。
2010年02月07日
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一人でいられる空間が無性に欲しくなって、部屋に閉じこもる。自己の基軸をチューニング。私はまた再び深く自分の奥底へ長い旅を始めるのだと思う。これは生まれもったあり方だからこのことは素直に受け止めよう。ふと気づくといつも心は今にない。今、を確かに進みながらも、公園でも林の向こうの空に、街でもその街路樹の始点の先に心が引き寄せられる。はた織機に次々と織られ現れる糸の重なりのように経験は私に必要とされるから今がある以前のように抵抗などはしない。どうありたいのか、どう生きたいのか、自分にできることは、自分を生かせることは何か、そう、自分が存在していることの意味を私は知りたいのだ。
2010年01月30日
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JICA(独立行政法人 国際協力機構 広尾センター)、面白いです。昨年、キャンドルナイトの中、映画会に参加しました。「おいしいコーヒーの真実」たとえばスターバックス(とはハッキリとは言わないけれど、そうわかる)1杯の値段。コーヒー農園の労働者たちにはいったいいくら支払われているのか。。。衝撃的なストーリーでした。。。ここでは貧困や差別など社会問題をテーマとした映画の上映会をしてます。無料だったり、食事と一緒に格安の参加料だったり、1Fのカフェもとても雰囲気がよく、コーヒーなどのフェアトレード商品も販売されてます。ヨガの帰りに時々立ち寄るのが習慣となりました。昨日はカースト制度と女性差別を題材としたドキュメンタリー映画を観ました。「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」。重いテーマなのですが、ストーリーは希望があります。シスター・チャンドラの生き方や言葉にはたくさん、たくさん、学ぶことがありました。人間の尊厳とは何か、生きることの強さとは、人として本当に大切なこととは、人間の美しさとは、、、、強い光が私の中に宿った気がしました。渋谷からウォーキング。骨董通りからガーデンヒルズの美しいケヤキ並木を経てJICAへ。空が青くてとても気持ちが良かった!渋谷から骨董通りへ向かう途中の国連ビルの広場ではファーマーズマーケットが毎週末開かれてます。素敵な色のパンジーと野菜を買って屋台でエスニック料理を楽しみました。楽しい日曜日でした☆
2010年01月18日
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今日も散歩。一日中外に出ていた。午前中はお約束の公園へ。ここの木はすごい。1本1本がとにかくすごい。フルキャスト、それも重鎮ばかりで味がある。冬の木立は美しい。枝の線が複雑な模様となって空に広がる。地面を見れば地面に、空を見上げれば空に、美しいものたちだけがそこにはある。養分をしっかりと含んだ黒い土の上を歩き枝の先に宿る小さな芽をみつけただ黙って立っている木を、その太いたくましい幹にからだを近づけると安心感のような、子供の頃の父との日々のようななんともいえない感情に襲われて涙腺がゆるむ。自然は、正直で、そして誠実だ。自然ほど誠実なものがあるだろうか。この木などはただ黙って立っている。それだけだ。でもどうだろう、この豊かさは。私のようにふらふらとせず、迷うこともなく立つその確かさよ。私は私ですと言っている。人間はなぜ、争うのか、人間はなぜ、自分の醜さに打ち勝てないのか人間はなぜ、弱いのか冬の、人影も少ない広い広い林のような公園の中で人がいようといまいと、誰が歩こうと歩かまいとそんなことなどかまわぬとでもいうように大木たちは凛と存在している。私は恐れ入り、ただただ歩かせていただいているに過ぎない。人間など自然の中では存在する点でしかない。。。
2010年01月14日
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ウォーキングを始めた。家から歩いて15分ほどのところに広い公園がある。たくさんの桜の大木があり、枝は地面を這うように広がりそののびやかさはどこの公園とも違っていて、なにかとても懐かしい気持ちがしてしまう。そして鳥たちの声が聞こえるサンクチュアリー。日の出の太陽がまぶしい早朝に家を出て、早歩きで公園へ、広い敷地をぐるりと歩く。からだのすみずみに自然の穏やかなエネルギーがふりそそぐ。黄金色の朝やけの光が遊歩道のわきの草花を照らして映像なんかではないリアルな美しさ。ああああぁぁ、、、、と感嘆した。と、同時に、会社でのストレスから引き起こるネガティブ思考から、その瞬間だけは解き放たれて子供の頃の自分に戻れるのでした。そして、、、ああ、ターシャ・テューダのように暮らしたい、、、などと(笑)できぬ妄想がいつものように始まるのも、こういう瞬間。。。季節と共に植物を育て、旬のものを食べ、ゆったりとした時間の中で整理整頓され、工夫された居心地の良い家に住み、空虚なパフォーマンスを求められる仕事などはせずに、ものつくりか、人の顔が見える誠実な仕事をしたいものだ。会社にはアラサー女性が多いけれど、空虚な価値観に振り回されて自分を見失っている人が多いな。ま、一番に悪いのは会社だけど。。。ま、やらなきゃいけないことがまだ残っているので道筋をつけたら、違うフィールドに行きたいな。価値観が違うところで自分を試すというチャレンジをしているけれど、今いるところからは得ることができないもっと確かなことをしたいな。昨日、今日と公園に出かけて、、しっかりと大地に根をおろした大木たちと会話をしていると、私の心は正直に語り始める。それは思考から生まれるものではなく、自分がどう生きたいのかなんてことは、言葉にしなくても、考えることでもなくて、それはもう私の中の私は知っていることだから。知っている、ということを知っている私。たぶん、何度目かの大木たちとの交信で私はポンっと、選択をするのだろう。
2010年01月10日
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あけまして、新年これからがおめでとう!あわてることなく、人と比べることなく静かに確かな日々にしていきたいなと思う。年末の紅白で楽しみにしていたスーザンボイルさんの歌声を聴いて、去年テレビのニュースで初めてスーザンさんを知ったときの感動と涙を思い出しました。今日、Youtubeでまた聞いてみました。本当に、しみじみと感動して涙がこぼれました。人の可能性というものを強く感じました。人には誰の中にもダイヤモンドの原石が眠っていて、そのことを忘れなかった人だけがダイヤモンドとなって再び生まれることができる。人生の途中でまた新しい人生をクリエイトすることができるんだと思ったのでした。スーザンさんの人生は大きく変わるのだと思うけれど大好きな歌の世界に純粋に生きていけますように。。見かけだけではない、「本物」ということをスーザンさんは教えてくれたのでした。最近ちょっと保守気味なわたし。冒頭の「あせらない、人と比べない」はヨガの先生がいつもおっしゃっている言葉。仕事もいろいろと難しいことばかりだけれど挑戦し続けなきゃ。でもねえ、、、なんだかなって思うこともあるナ。。。組織で働くって難しいよ。人は同じレベルのモチベーションをもっているわけじゃないから。保身にまわったら息苦しいな。がんばろ。
2010年01月04日
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私の中の私は、仕事のプレッシャーを意外と感じているようでここ数週間眠りが浅い。「寝た~!」って充実感がない。ベットに入ったと思うともう目覚ましが鳴ってるよ、って感じ。自分で考えて行動していく、責任という意味では誰も助けてはくれない。今までのスタイルとはまったく違うことだから、土台つくりにじっと我慢の日々。派手なパフォーマンスなどできなくて、ただ、ただ、じっと地中に根を張る作業の毎日だ。これ見よがしのパフォーマンスが大好きな社風の中でこれが一番に苦しい。じっと我慢。ふふふ、でもいい。最後に勝てばよいのだ。静かに仲間を増やす。徐々にね。仲間にするには、仕事ができる「だけ」の人はノーサンキュー。今は知識も経験もなくてもマインドのある人間として確かな人だけとタッグを組もう。一緒に仕事をしたいと思える人と仕事はしよう。仕事とは、人から人へその精神が受け継がれていくものだと思うから。一人の思いや努力や夢が人から人へとつながって大きなものになっていくと思うから。人の力は大きいよ。わたしはもう本物にしか関わりたくないから。
2009年12月26日
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久々に骨董通りを歩いて、やっぱり好きだな、このあたり。道行く人もお洒落でね、楽しいな。最近景気の悪い話ばかり。あれだけ連日新聞でもテレビでも暗い話ばかりされるとお洒落したり、おいしいものを食べたりすることが、いけないことのような気分になるよね。ずいぶんとお店が入れ替わっていて、今日初めて入った英国製品だけを集めたShop「Vulcanize」。上質なカシミアのショールにうっとり。。。リバティーのプリントやモルトンブラウンなんてなつかしい。ロンドンの街の有名ブランドが勢ぞろいでとっても素敵。1Fのオーガニックカフェでカフェオレを頼んだらオリジナルのサーモマグをプレゼントされました。今日はクリスマスですからって!突然のプレゼントになんだかね心がほかほか!のんびり散歩して、帰りに表参道を通ったら今年から復活のイリュミネーションがきれいでした。「クレヨンハウス」で母の誕生日プレゼントを買って(教会をイメージした美しい音色のドアチャイム)大人の本コーナーへ。ここは一度立ち入ると1時間以上は出てこれない。テーマごとに本が並べられていて、ついついはまる。。勉強になる本が多くて面白い。本当はジャマンペッシュに寄りたかったけどさすがにまずいと思って帰宅。(ホント、自分へのごほうびもしづらいよね、この不景気モード。。。いやしかし、骨董通りでお散歩用の靴を買ったけどね。)ああ、、なんか!久々に「私らしい」一日でした。
2009年12月25日
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その人は典型的な「ハッタリだけで出世をする」タイプの人で、残念なことに上司のうちの一人。私は常々その人の存在をいえそのポストにあることを会社の七不思議と思っている。その本人から、今日唐突に、suggestion?をいただく。私の新しい仕事について、私がチームのために何ができるか、ということを主軸において発言したことについて「それってさあ、大風呂敷広げて大変なことにあとからなるとさ、困るのは自分だよ。そういうこと(チームのためという考え方)は、適当にしておいて、実際の評価(ボーナス評価をさしているらしい)に直結することをやっておかないと(大好きなお題目、、パフォーマンスってことのようだ)いけないんじゃないかなーーーぁって思ってさあ。」ごちゃごちゃと、大変だよ、を連発するので、私は計画されていることはすべてシュミレーション済で私自身の負うリスクは少ないと説明をする。するとさらに「それってでも数字にすぐに直結しない部分だしね」・・・あのねえ、すぐに数字にならないけど大切な仕事も世の中にはあるんだよ!あなたはそれでもマネジメント?と、心の中で思いながら「そうですねえ、ありがとうございました」と部下としてお礼を言って会話を打ち切る。朝からどっすーーーーーんと思い切りモチベーションを下げられてしまった。確かに会社は個人主義、成果主義、自分さえ良けりゃぁいいって輩が多い、まあ、そうなっていったのだ、というのが本当のところだとは思う。こういう世界で「まっとうな仕事」をし続けようと思うと釈迦のごとくの悟りが必須かもしれない。でも、人間として正直に誠実にまっとうでいたくはありませんか?彼以外の上司たちは私の考え方に賛同をしてくれている。彼のような考え方は確かにこの会社では一理あるかもしれいけれどぞっとするよね。嫌悪感!一度どすんと落ちたモチベーションだったが、奴のいうことなど、そういう考え方もあると頭の片隅においておくだけにして、やはり私は私の信念で仕事をしよう。S曰く、「そんなことでモチベーションが下がるほうがよっぽどおかしい。」さて、週末はゆっくり休んで鋭気を養おう。そしていい仕事をするためにまた熟考しよう。頭の中で熟するよ、果実のようにね。
2009年12月11日
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今の会社がなるほど日本の組織とは違うと思えるのはONとOFFの切り替えが徹底していること。以前の会社でのすさまじい日々に洗脳されたある種の価値観、、いえ、強迫観念が、正直まだ私のからだや思考のどこかにしみついていて、簡単には払拭できない。休みの日に仕事が気になってしょうがないことが多い。休みに家でやってしまえば会社で楽になる、という考え方。だけど、これは今になって思えば間違った考え方で、、、結局のところそれをしてしまうと余裕ができた時間でまたさらに仕事を抱えるのだよね。そして永遠に疲労を蓄積していく。ところが最近夏以来家で仕事がはかどらなくなった。もうからだが拒否モードなのだ。眠いし、疲れているし、ぜーーーんぜん、頭が働かない。S曰く、「OFFにきちんとからだや気持ちを休めるほうが会社での仕事はむしろはかどる」ううむ、そうかもね。私についている神様はとても正直で(ハイヤーセルフだからね)今しないほうがいいことはけっこうきちんと教えてくれる。わかりやすくからだにあらわしてくることが多いかな。八方美人にならずに、直感を信じて、やると決めたらやり通す。自分を信じてぶれないで言い続ける、信じ続けるそうしていたほうが結果はついてくるようだ。さて、からだが眠い眠いと言っているので今日はおやすみ。
2009年12月08日
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アートセラピーをしていると、子供の頃の自分に出会うときがある。子供の頃に見えた景色、思い出、言葉、傷ついた心。今の私なら子供の頃の私を強く抱きしめてあげられるのに。さびしさにがまんしてがまんして。誰にもわかってもらえないこころの行き場どれだけ小さなこころでがんばったんだろう悲しかったろうに、つらかったろうに何年ものながいながい年月をへてようやっと、私は子供の頃の自分を抱きしめることができるようになった。サラサラのおかっぱ頭をなでながら、もう大丈夫、もう大丈夫、と。本来の笑顔を、安心を、信頼を、自分を守ることなく防備で疲れ果てたこころを解き放しておかっぱ頭が眠りに落ちるまで抱きしめてあげるよ。人は選んで生まれてくることなどできないそこに生まれることに意味があるから。この世の中にはどれだけ傷ついた小さな心があるのだろう。世の中のすべての子供たちが自分を信頼し安心して眠れることができますように.....。
2009年11月26日
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風邪が始まりなのか気管支の不調が始まりなのかのどの激しい痛みを先週感じて、今週末には咳き込みがまた始まる。気管支がやられてしまうと声が出ないし、出てもオヤジ声になるため、話す仕事にはつらい。ちょっと憂鬱な日々。そして昨日、以前から予約をしておいたサロンで髪を切ったついでに気になっていたヘッドスパを初体験してみる。頭皮にたらりーーーーんと落ちるオイル。ああ、それだけで癒される。アロマは咳で痛んでいるのどに良いとのことで、ラベンダー、ペパーミント、サイプレスなどがブレンドされたもの。ああもう、名前を聞いただけでゆたり気分。それからは極楽のひととき。。。あたった施術者が良かったのだと思う。彼女も子供の頃に喘息に悩まされてとてもつらかったとのこと。ヒトの気持ちが思いやれる優しい方でした。頭の皮をもみもみ柔らかくしていただいて、首、肩、背中をぐぐいのぐいとマッサージ。途中何度も睡魔が襲ってうとうと。うとうと。あらら、不思議。彼女のマッサージのおかげで身体の緊張がほぐれたためか咳き込みが軽くなりました。また一ヶ月続くのかと覚悟していたのに悪化せずに明日会社に行けそうです。さて、実はこのサロンで帰りに、30分のみのボディーのショートコースをまた頼んだのでした。施術者はさきほどのヘッドスパの方とは違う方。さてさて、私の運もそこまででした。今度の彼女は、、お粗末!下手な上にどこか心がこもっておらずなってないのです。目を見ただけでわかりますね、仕事をきちんとする人かしない人か。(これはスピリチュアルというよりも長年仕事をしてきた人間のカン)そして、一生懸命やっているのにずれているだけなのか、初めからむいていない(マインド、という点において)のか、それもわかってしまうのでした。そういうわけでこの二度目の彼女は後者とおみうけしたので、必要以上の会話もせずにさっさと帰路へつきました。人間を相手とする仕事はむずかしいです。なにがって、、、本当の意味で他人とのコミュニケーションができる能力がないと他人のことなど理解もできないし、また、他人から信頼もされないからです。本当の意味とは、表面だけのお愛想ではなくて、相手を知ろう、ということができる人、それはまずは自分を知ろうとすることなんだなと最近になって私も思うのだけれども。。。
2009年11月22日
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新しいポジションは会社にとっても新しい試みで、かけられている期待はおいておいて、どうしていこうかと、何もかもが預けられたスタートで、日本の組織と違って言ったもの勝ちの自由さにワクワクするものの、ここんところずっと思案に暮れて落ち着かない。大局的なことを正しくとらえて今後の方向性を定めないとぶれてはいけない核心はどこなのか、、カメラのファインダーをのぞいているような毎日。一番に納得のできる美しい構図はどこか何度も何度も視点を大きく動かしながらこれだ、というところで一気にフォーカスしていく。いえ、ここが絶対に美しいと一瞬でわかるもののその確信を納得させるための作業かも。方向性、着地点を見定めたら自分に何ができるのか、できることを整理する。自分にはできないことも整理する。そしてよい仲間を見つける、ということだ。プロジェクトを成功させるには、自分にたりないことをいかに他人の力をお借りして補うかにかかっている。冷静に、公平に、たぶんこのことは、この3年間のプロセスの行くべき先の非常に大きな人生のexaminationなのだと思う。自分の丹田の奥底にしっかりとある核を信じることで私はきっとこのexamination、パスするだろう。
2009年11月14日
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アートセラピーのワークで軽井沢へ。テーマは「感謝」実りの秋の感謝祭です。森の中を散策して拾い集めた枝や葉っぱや木の実でリースをつくりました。むらさきしきぶやもみじの色が素敵です。枯れてしまった葉っぱだって味わい深いよ。自然って、なんて豊かなんだろう。遠くに浅間山があって、静かな静かなアトリエ。森の音。そして、キッチンで楽しくゆきかうみんなの声と。美しい自然の中で、たくさん作品をつくって。たくさん深呼吸をして。細胞がメキメキと再生されていく!「とても自由に生きているって感じがする」って言われた。そうかー、ひとから見るとそうなのかな。先週、辞令をもらった。新しいポジションに就いた。なんだかんだ言って、組織の中で私は相当に、自由に、、、できているのかも....。今日は久しぶりにゆっくりと家でくつろいで掃除をして、服の入れ替えをして、部屋の模様替えをして、休日っていとおしいな。一瞬一瞬がきらきらと過ぎていくよ。今の仕事も会社も私にとっては通過点でしかない。もっと自分の中の奥底のずっとずっと深いところにいつかきっとたどりつきたいのだ。
2009年11月06日
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昨日、人間ドックの帰りに何気なく入った本屋でそれこそ何気なく、いわいる勝間本というものを手にした。テレビの討論番組で何度かその発言を聞いたことがあってデータに裏打ちされた論理的な話の展開の仕方や、冷静さ、こびない態度に好感をすでにもっていたからかも。で、昨日手にしたのは「断る力」ううむ、これは今の私にはとても必要な本だなと直感がピピピと走ったので購入。ひとり豪華ランチ、ウェスティンの龍天門ランチの待ち時間1時間で一気に半分ほどを読む。ウェスティンのソファ、座り心地良し、超穴場よね。まあ、それはおいておいて、この本、とても勇気付けられました。なるほどとうなずけることが多く、自分の生活に取り入れていこうと思うことばかり。今日の夜は再読して、ちょっとね、何をどう取り入れるか整理してみようと思うのでした。さて、これから新しいパートナーをみつけてルンルンの女友達とカフェタイムして、久々のヨガに、行ってくるぞ!
2009年10月28日
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夏から続いた残業の日々もようやっと過ぎて秋のさわやかさな青空にこころが安らぐ。ふと気づくと、部屋に差し込む陽射しがやわらかくそして長くなっている。太陽のひかりのさきっぽが、部屋のはじっこまで来ているもの。秋のひかりは夏とは違って優しくてやわらかい。秋の陽射しであたためられたベッドに昼間からもぐずりこんでうとうと、うとうと....。3年前、長く勤めた会社を辞めて、あてのない旅にでるかのように長い長い休暇を取った。人生のたな卸し。そのことをやっかむ人もいる。自分の人生においては、必要だと思ったことはやるのがよいのだ。私も相当のリスクを負ったのだから。ねたみ、ひがみ、不平不満。人生を正直に生きていないとそういうネガティブなものに結局は人生を振り回される。人生はいつも選択で、何かを手放すことで新しい何かを掴み取れる。本当に、自分の人生にとって大切なことは、自分の中の自分にそっと聞いてみるのがよい。必ずね、自分の中の自分って、本当の答えを持っている。今、仕事では新しいポジションで新しい仕事へ挑戦をする。この1年望んできたことなのだけれども。。。。けれどもうすでに私の中の私は、もっともっと先のありたい自分を、これでしょ?と、笑いながら示してくるのだ。....自分の中の自分には、かなわない。
2009年10月19日
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昨日高校時代の友人からメールがあって、さきほど10年ぶりくらいに、電話で話す。私たちが卒業した高校には同窓会組織があって毎年地元のホテルで総会を開いているらしく、来年はいよいよ私達の代が幹事とのコト。彼女自身も数日前に今年の総会に参加して、久々に同級生たちに会いおおいに盛り上がったとのコト。そして私のことが話題になってそれで久々にメールしようとなったらしい。母校に対してちっとも愛着がなかった私はそこらへんのお付き合いはまったくしておらず唯一この友人とだけ毎年年賀はがきを交換する程度だった。それでも彼女とはよく遊んだ。映画倶楽部を作って(非公式、部員3人(笑)父の仕事の関係でもらえたタダ券を流用し(笑)名画座に入り浸る高校生活だった。進学校だった校風になじめなくてねえ、、、勉強はすべて大学受験のためって感じで、毎日が虚しかった。本当は古文も歴史もとても深い世界のはずなのに、教師ときたら、「ここは出ますからね(テストに)」ってね。ばかばかしい。ホント、頭にくる学校だった。だから、同級生に対しても、こんな学校にちんまりおさまって満足してる連中なんてつまらん、って内心軽蔑もしてたりして。けれど、、、彼女と1時間くらいかな、私自身はちっとも覚えていないのに、あなたはこんなことしてた、あんなこともしてた、来年の総会は、あなたがいればなんでもできるよ!ってみんなで話していたんだよ。と聞かされて、遠い、遠い、昔の自分を思い出した。学校の体制に反抗して、確かにいろんなことやった。卒業生を送る劇では総監督を買って出て、劇中のセリフで保守的な先生達をぎゃふんと言わせたし(笑)清純無垢な同級生たちをそそのかしてばかり。あぁ、、、懐かしい。反抗心いっぱい、反骨精神いっぱい。叫び続けていた10代だった気がする。今の私はどうだろう。だいぶ、ちんまりしているじゃないか。組織の中で生きて、日常生活もたぶん、子供がいる人と比べるといわゆる「生活感」というものもなく、やれ、仕事とは、生きるとは、アートとはなんてことばかり考えているし(笑)世界が小さい??彼女の勢いが満ち溢れた明るく大きな声で、夕食は6時に始まらないと怒り出す夫のこと、太り気味で気の弱いのが心配な子供のこと、ロクな先生がおらず、モンスターペアレントばかりの学校のこと、お母さんの介護のこと、お兄さんがうつ病になったこと、庭のひまわりがまだ種をつけないこと、そんなことを聞いているうちになんだかね、、、圧倒されながらも、私はこんな風にざっくばらんに自分のことを他人に語ることって、、、ずっとしていないなあ、、なんてこと考えながら、、、彼女のように世間のいろんなシーンに参加して、感じ、考えて子供を育てて、、、これもまた、どすん、と、丹田に自分があるってことなんだな、って思った。その総会というもの、ちょっとだけなら手伝ってみようかなって思ったのでした。
2009年09月29日
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仕事で挑戦していることがあって、そのために、意にそぐわないこともしていて、そのことが原因でちょっと疲れてしまっていた。このままじゃまずいなと思って、なんとか打破したいと思えば思うほど明け方に目が覚めて眠れないという鬱な状態に突入してしまってまずい、これはまずい、とあせっていた。組織の中で日々不純なもの(笑)に接していると心は純粋なものを渇望しはじめる。妄想の果てに嗚呼と思いついたのが松たかこ、だった。清純で誠実で品が良くて演技もうまい。なんともいえないかわいらしい色気があって、大好きな女優さん。無性に彼女を見たい、と思った。私の中に松たかこなるものに対する憧れがあるのだと思う。その姿やかもしだす雰囲気やそのあり方に惹かれるんですね。無性に。あのようにありたい。そう強く思ったのが一昨日のこと。そしてさきほど、日比谷の日生劇場で上演されている松たかこ主演のミュージカル(といってもセリフ劇に近い)「ジェーン・エア」を観に行ってきました。松たかこさん、本当にきれいでした。聡明で愛情深く、強い意志を持つ女性。今目の前にあることに一生懸命立ち向かい、努力によって自分自身で道を切り開いたジェーン・エア。松たかこもジェーン・エアそのものでした。努力、愛、信頼、希望、ううむ、このあまりにもまっとうな普遍的なテーマにもしみじみとやられてしまいました。我ながら唐突な行動でしたが、思い切って行って良かった。なんだかね、すごく、勇気をもらった。ジェーン・エアにも、それを演じていた松たかこさんにも。すくと、立ち直ったワタシです。で、明日仕事ですが、がんばろう、目指していることを、そこにいることを選んだことの意味を思い出そう。強い意志を持ち続けること。そして、ロチェスターの試練が「怒りと憎しみ」から生まれたことも肝に銘じなくては。丹田にどずんと「自分」をおいて、そのことを丸ごと肯定しよう。私は私です。ジェーン・エアのように!
2009年09月25日
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さらに、秋の風。行ってからちょっと時間がたちましたが表参道に「Rin」というショップがあっていい感じです。表参道お散歩時には外せないポイントとなりました。すぐれたプロデュース力と、確かな日本の職人技とが組み合わされて、「おおっ」とうなるほどのいとおしいモノたちがうまれている。観光地でよく見かけるちょっとさえない土産物屋。それは盛岡を旅したときの南部鉄瓶だったり、箱根の寄木細工だったり、輪島の塗り物だったり。。。本当は泣けるほど高い技術力でうまれたものたちなんだけど、どれもこれもちょっとイマイチなデザインで、思わずウチにはあわないなあって感じで素通りしてた。ところがここRinでは、デザイン力をつけて、驚くほど美しく生まれ変わっているんです。舞台における演出家、オーケストラにおける指揮者、いまどきの表現ならコーチング的なるもの。演出しだいでまったく違うものとなる。もちろんすでにそんな流れはずっと以前からあるわけだけどこういうアンテナショップはいいですね。スタッフの中にとても熱心で素敵な女性がいらしてものたちが生まれた工程や職人の話をしてくださって、日本の伝統工芸、そして職人技を大切にしていこうという話で盛り上がったのでした。なんだか胸が熱くなりました。2時間ほどおじゃまして、、ブナの木のゴミ箱や今治のタオル、沖縄のおいしいおつまみなど買って帰りました。いいな、いいな、確かなもの、誠実なもの、わたくしもそうありたい、、、
2009年09月20日
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結局のところ人というものは自分の興味や関心のあるものにしか反応しないのだと思う。ブラブラと本屋に立ち寄ると、無意識に足が向くのは建築・インテリア関係、花、ファッション、ホテル・宿、ハンドメイド、美味いレストラン・料理本、など99%そこしかない。純粋なアート関係のコーナーには実は滅多に行かない。なんでだろうなあとふと思う。越後妻有アートトリエンナーレで思ったことは(反面教師的に)自然ほど美しいアートはない。日常の中にあるアートこそが人を人として癒す。人間の創り出したものもそれが日常の中で利用できるもの使われるものこそ、人間に寄り添ってくれるものが本物のアートなのではないかと思ったのでした。新潟県、大湯温泉の「友家ホテル」、雑誌「自遊人」に紹介されていて今回泊まったのだけど、あらゆる意味でまた泊まりに行きたい、◎の宿でした。
2009年09月12日
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植物を育てていると、植物から教えられることがある。インパチェンスは、酷暑で弱り切ると、花はおろか、すべての葉を落とし始める。あれよあれよという間に、残るのはただ丸坊主の徒長した茎だけ。ヒョロヒョロと20センチくらいの茎だけの情けない姿になる。初めはそのまま枯れていくのかと思った。しかし、数日後、茎の根元に小さな小さな葉を見つけた。数ミリのね。あっ、もしかしたら、、、思い切り、徒長した茎を短く刈り込んでみた。長さ数センチの短さにね。するとどうだろう!数日後、その小さな葉がポツリポツリとたくさん、、小さく小さく出始めて10日もしないうちにその新しい葉は地表近い根元から湧き出すように生え始めなんと、花芽を付けだすのだった。このインパチェンスの生き方から学んだこと。がんがんに太陽光線にやられて苦しくて、辛い時、インパチェンスは一度すべてを手放すのだ。美しくたくさんの花を咲かせて輝いていたことにしがみつかずに情けない丸裸にいったんなる。植物は根っこがやられたらもう終わりだ。どんなに手をかけても根がやられては絶対に生き返らない。人間も同じだけどね。昔の人は「あいつは性根が腐ってる」と言ったものだがこれは正しいと思う。その「根っこ」を守るため、辛い時期は無駄な栄養を消費しないように小さく短くなって耐えるのだ。そして、根っこに密かに栄養を集中させておき徐々に力を蓄える。そして再び新しい命を宿す。そうやって再生したインパチェンスは、以前よりもさらに強くて大きな花を咲かせる。う~ん、すごい。すごいです。人間の生き方と同じだよね。
2009年09月09日
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街を歩いていたら、秋の風を感じた。旅行から戻ると、私の日々の丹精が実ってか、ゴーヤと朝顔のカーテンがさらに成長していた。ふふふ、私の古いアパルトメントは秘密の花園になる。新潟で3年に一度開催されている、妻有アートトリエンナーレを見に行った。ついでに気になっていた温泉と旅館巡りなども。正直、、心が踊った作品はそう多くなく、むしろあの大地の風景こそが真に心癒すアートであったと思う.....。棚田、雲海、連なる山々、心のこもった料理,4日間の旅は少し私を穏やかにする。旅に出る前、そして今日、まったく同じ、胸がキュンと泣いているような感情に襲われた。それは本屋の雑誌コーナーでスローライフ系の雑誌を立ち読みしていた時に突然にわきあがった感情なんだけど。先日は、古い一軒家に住んでいる若い夫婦のライフスタイルを紹介しているページで、緑に囲まれた優しさを感じる木造の家と、シンプルで素朴な家具や白だな、白い壁や木の床や、、子供用の椅子に手作りなのかなカバーがかけられていて、、、突然に、胸がちくりと痛んだ。。なんで今そんな感情??さすがの私にも分析できない一瞬の感情に何が起きたんだろって思った。そしたらね、今日また起きたんだよね、同じ感情が。違う雑誌だと思うんだけど、モノつくりをしている女性ユニットの紹介でその作品がすごくね、自分スタイル持っていて、素敵なんだよね。「自分」があるよ、すごくね。堂々としていて。そしたらさ、また急に胸がチクリと痛んでね、なんだろねキュンとしめつけられるような。10日前、上司からあるポジションについてのオファーがあった。20年という年月の中、私の中に卑しくも構築された組織人としてのDNAが反応して感情が高揚する。しかし、私の魂は予感している。「それはあなたの居たい場所ですか?」オファー、出発前の本屋、妻有、帰宅後の本屋、私の庭......ひとつひとつは何のつながりもないことがらは、私の深い中でつながっていた。告白すれば、私の「居たい」いえ「居たかった」場所は不意打に心に鋭い痛みをもたらした。....こんなこと、明日また会社に行けば忘れるだろう....。人は皆、今自分に与えられた環境の中でベストを尽くすしかないのだ。どんな環境でも、自分を見失わずに。胸が痛むこともそれもまた自分を見失っていない証拠だ。胸が痛む、そのことを大切にし続ければ、きっと私はほんものを得ることができると思う。「伊沢和紙」創作和紙。素敵だな。~大地の芸術祭にて。和紙職人さんとお話をすることができた。がんばって欲しい。日本のものつくりを応援したい。
2009年09月09日
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「私は私です」おまじないのようにつぶやいて丹田にぎゅっと、力を入れる。怖いものなどなにもなくなる。つまらないことや人など気にならなくなる。そうすると、、、自分のやりたいこと、やらなければいけないことに集中できるようになる。他人の価値観に振り回されない、影響されない、そして他人のネガティブな感情に出会ったら、「ああ、この人はそう考えるんだ」それだけでいい。大事なことは、そのネガティブな気を自分の中に取り入れないこと。気に影響されないこと。ただ、「あら、あなたはそうなんですね。でも私は違いますよ。」それだけで、いい。人生、仕事、毎日の暮らし、自分は何をしていきたいのか、なにを心地よく感じるのか、そのことをいつも自分の中で検証を繰り返して、自分の丹田に言い聞かせる。「私のしたいことはこれです」「私が大切にしている価値観はこんなことです」自分の中にある大きな豊かなものを信じる。自分を信じるということは大きな自信につながる。自分を肯定しはじめると、人生ってとても楽しくなるな。行き過ぎた効率主義、合理主義、そんな組織の中でも、自分の豊かさを信じることでゆるぎなく生きていけるということを知った。そうなるとね、何も気にならなくなる。つまらないことに対してね。なるほどな、神様が教えたかったことはこれだったのかな。この数年間の流れの中での今の環境は、人生の流れが退行してしまったのだろうかと、どうしようもなくつらかったのだけど。。。今、わかった。このことの意味が。以前の会社を辞めてからしばらく、いえ、それは長く、のどに刺さった小骨のような、何かいつも気になる、小さな痛みのような感情が消えることがなかった。納得ができていない、そんな感情を、同じような体験をまたさせることで、自分自身を真の意味で癒すためだったのだ。神様、ありがとう。大きな大きなものをいただいた。5年後の自分、10年後の自分、15年後、20年後、、、ゆるがないものを豊かに育てよう。
2009年08月27日
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近所で、この夏最後の花火大会があった。一昨日会社で急に体調が悪くなって、昨日、今日と家で静養していた。けれど、夜、涼しくなったのと、寝てばかりいたので身体が動きたいと言っているようで、Sと繰り出す。Sは高そうな一眼レフを持っていそいそ。私は、花火のあの一瞬の美しさが好き。パッと華やかに登場して、一瞬にして人の心をつかむ。そして一瞬にして消えていく。残るのは強烈な印象だけ。真っ黒な空には何ひとつ残さない。かっこいいよね。今年はウフフ、穴場を見つけた!花火の足元もきちんと見える特等席。近所の方々と仲良く観賞会。楽しいな。花火を見て、純粋にきれいだなと思った。純粋に好きだなと思った。こうした静かな時間が好きだなとも思った。穏やかに生きたいな穏やかに生活したい。ここんところ残業続きで午前様。今の組織は精神的にもきついけど、身体もきつい。やりたいことをやったら、次はもっとヒューマンな仕事をしていきたいな。自分自身もだけど、組織としてもね。
2009年08月22日
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最悪。喘息で弱った気管支と身体めがけて風邪菌が襲ってきた。急に咳がまた出始めて、おなかも関節も痛いし、なんだか変にフラフラするなあと思っていたら、医者曰く、「いつのまにか風邪もらっちゃってるねえ。。。」ああ、これがインフルエンザなら、堂々と有給で1週間休めるのに.....。休みたいよォ。。。疲れたよォ。。。真面目な私。健気な私。私の代の女性たちはみんな健気だーーー。一生懸命働いてさあ。。。!!いまどきの文句言いの20代と比べて我らが世代は企業の中ではとても貴重な存在だと思うよ。鹿児島旅行の話も書きたいし、(元気なら)来月行く予定の妻有アートトリエンナーレのことも書きたいし、おしゃべりしたいけど、なんだか、、、フラフラしてきたぞ。薬が効いていたのかな。今日も午前様でお仕事お疲れ様、私。私さん、明日もがんばろう、、、。
2009年08月18日
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鉢から庭に直植えした植物たちがぐんぐん、ぐんぐんと!!驚異的な勢いで育っている。鉢で買ってきた時には高さが15センチほどだったランタナも庭に植え替えたら!もう50センチくらいに育って見事に花が咲き乱れている。朝顔もゴーヤも渦を巻いてアートしながらベランダの柵や物干し竿を覆い始めている。自然の力はすごいよ!早朝に目が覚めて散歩に出た。ぶらら、ぶらら、気持ちのいい街路樹を抜けて美術館通りを抜けて、おしゃれなつくりの歩道を抜けてあらら、呼ばれるように大きな公園に。ここはとっても素敵な場所。大きな木がたくさん。葉がもっこりと茂っていて公園の敷地に入るとそのとたんに「気」のよさに身体中がみずみずしく潤ってはじけそうになる。大きな木には精霊が宿っているよ。自然には邪心などなくて、ただただ正直だ。人間はこれに学ぶとよいのだ。自分のなかにしっかりと「自分」をもってゆるがない、やることをきちんとやって、くだらないこと(人)はさっさと忘れる。本当に必要なこと(人)だけにつながっているのがよいのだ。樹木も草も花も、太陽と水と土で生きている。シンプルだよね。休日はゆったりと、ここちよく過ごす。
2009年08月11日
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仕事、午前様が続き、この10日間ほど、ゲホッ、ゲホッと胸まで痛い咳が続いていて、近所の内科で処方された薬をずっと飲んでいたのだけどこれがまったく効かない。今朝起きると横隔膜あたりが痛み出していて、吐き気もする。まずいなあ~と思いながら、本棚から「家庭の医学」を取り出す。この分厚い本、けっこう自己判断に役立つよ。おやおや気管支炎や喘息ってカテゴリー的にはアレルギー科なのねえ、と気づいて、、、午後から小麦粉アレルギーでお世話になっているアレルギー専門病院へ。さっそくレントゲンを撮られ咳喘息と診断。ステロイドの吸引薬やら胸に貼るものまであれやこれや処方されて、なんだか治りそうな感じがして精神的にホッとする。もちはもちやだ。ここの先生はいつも的確な診断と診療の方向性をパパッと示してくれるので、気持ちがいい。親身で本当にいい先生だ。それにしてもこの咳喘息とやら、昔からよく発症していたけど、精神的ストレスも大きな誘因となるそうで、だよね、ストレスというか、あれこれたまりまくりよ。辞めると上司に申し出たあと、会社側からはいくつかの提案があり(それなりに魅力的な提案内容で心が揺らいだ。。。。)保留にされたままだ。体調も悪いし、判断するにはいいコンディションではないからここ数日ずっといろいろな書物を読んでいる。自分のこころが揺らぐ理由を知りたいのだ。組織というところはいきものだから、ぶれない自分を貫き通す覚悟がないとただただ組み込まれていく。私からの提案ものんでもらわないなら予定通り、辞めようと思う。
2009年07月29日
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週末、アートセラピーのワークに参加していた。いろいろな思いが交差して、感情が抑えきれないことが多々起きてしまい、久々にどぷりとつかる。。。知人からよくアートセラピーってどんなことするの?って、聞かれるんだけど、説明が難しい。1,2回参加したからとって劇的な変化がすぐに起こるわけではない。あたりまえだけどね。人生長い年月で重ねてきた「思いこみ」やネガティブな感情は、そう簡単にサヨナラ~ってできるってありえないよね。でも世間では1回こっきり、しかも机の上だけでちょこちょこ絵を描かせて、ハイ、終わり~ってひどいワークをするところもあるようですよ。大切なのはワークの主宰者だと思う。3年前から私が参加しているワークはアトリエワイエス主宰の、吉田エリさんのワーク。この世の中で私が本物だと思える、数少ないもののひとつ。。今回はドローイング(デッサン)することを通してありのままにものごとを見る、ということを学ぶ。それは日常生活で起こるさまざまなこと(そのことで派生する自分の感情を含めて)を、ただ、ありのままに見てますか?という問いにつながる。人は自分に起きているできごと(問題)を、どうとらえるかでポジティブになったりも、ネガティブになったりもする。どちらかに大きくふれるのではなく、ありのままに見ていれば、フラットでいられるはずなのです。(ポジティブ思考も度が過ぎるとただの依存にもつながるしね)人生に「正解」はない。万人にお手本としてのこれが正解ですって人生などなく、あったとしたら、それはモルモットの世界でこわいこと。。。大切なのは、人それぞれが自分が自分であることだと思うのです。そのためには自分の軸がぶれないということが何よりも大切。軸がぶれないためには、フラットなものの見方が大切です。とてもネガティブな感情に支配されているとき、その原因となっている問題(こと)をただ見つめる、ありのままにとらえてみる。そうすると、その「こと」って自分の大切な人生に、必要なこと?それとも意味のないこととして即!捨てさるべきなのかがわかるはずなんですよね。......わたし、、、そんなわけで、捨て去る勇気をもらったのでした。さて、捨て去るものとは!!.....。
2009年07月21日
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引越しの時、とりあえず、と置いたラックがそのまま定位置となり、私の古いアパルトメントのお気に入りのコーナーとなる。ひょんなことで住むことになったこのアパルトメント。普通にマンションと呼ぶには何かもったいないような、古いけれどどことなくユーモラスで、私のこころに響いてくる何か、を持っている。愛情をこめて、私のアパルトメント、とよんでいる。この楽しいそしてやすらぎの空間で一日中ごろごろと過ごすこともめずらしくない。2台ある冷蔵庫のひとつは飲みもの専用にしたてた。珈琲、ワイン、日本酒、豆乳、オレンジジュース赤ブドウジュース、ミネラルウォーターに麦茶。暑くなってからはビールが1段すべてを占めはじめた。夏になると、このバックを持ち始める。名前は「コートダジュール」蒸すことのない乾燥した夏の海の、拾った木の破片と、海岸にうちあげられた麻の布と水鳥の羽と、、、そんなものたちで構成されたこのバックは懐かしい気持ちになる。一緒に暮らすSが、ある日突然に「えええーーーー??!!」と声を上げた。「掃除道具持ち歩いているんじゃなかったんだーーーー!」・・・・・・15年以上も前に六本木の大中で買った羽ぼうき。。。100円。確かに、、、よく見ると同じ羽だった。私のコートダジュールは中国製の廉価な羽ぼうきに間違えられ、会社でお掃除するために持ち歩いていたと思われていた。。。ああ、、、私のコートダジュール.....。センスのない奴になんて何もわからないっつーーーの!私のアパルトメントもきっと、その外観からは素敵な世界が中にはあるってことなんてちっともわかんないんだろうなー。でもね、こいうのが好きな人たちって、異国の人になるようで。国籍はちっともわからないけれど、隣はブロンド女性たちが住んでいて時々ホームパーティーを開いている。聞こえてくる言語は英語。チラリと見えたインテリアが個性的でアート好きとわかる。別の隣にはかわったファッションの若者が住んでいて髪型がすごい。ヘアの世界大会で出品されていそうな形。上のフロアにはフランス語を話す、シルバーがかったやわらかい金色の髪をもつハンサムな男性、向かいにはいつも子供を泣かせている黒人夫婦、その隣は私が勝手にピョートル大帝と名づけた顔色の悪いロシア系と思われる男性が住んでいる。私がガーデニングを楽しんでいると、ぬーーーっと音も立てずに歩いていく。管理会社に靴箱の修繕を頼んだら、身体の大きなガーナ人がやってきて、半日かけて直して行った。。。不思議、不思議、ここはどこ???何か、とても懐かしいようななんだろう、、、この、いろいろな人たちの住むゆるゆるとした空間、空気。やっぱり前世の記憶なのかなあ。。。
2009年07月10日
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BSでイギリス映画をやっていて、すぐに惹きこまれてしまった。貴族の館が舞台で、田園風景も美しく、、なんとも伝統的な恋愛スタイルにもちょっとときめいたりして。。。ここの描かれている世界は、会話もそうだけど、あり方、が素敵だ。舞台となっている時代が違うとはいえ、、、ああいう雰囲気はとても好きだ。、、、最近上質な大人の会話をしていないな、、、会社でなんてとても無理。相手に対する思いやりの言葉、会話。相手を尊重する会話、相手を安心させる会話相手をいつくしむ視線、昔の日本の小説にもそんな世界は描かれている。空虚なパフォーマンスではないほんものにふれていたい、、、。自分がそうなることが、一番の安らぎですね。。。どんな環境にいようとも、しっかりとグランディングして図太いくらいに、、、強く、揺るがないこと。今日の映画:「プライドと偏見」2006年
2009年07月08日
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不思議なことが起きていて、これはもうちょっとスピリチュアル系な話なのでわかる人だけがうなずいてくださればよいのですが。先週末にアートセラピーのワークはbodyのリソースがテーマだった。チャクラを感じる瞑想や、自己の核を光のたまに置き換えて頚椎にその存在を感じるBodyワークなど、イメージ療法的なワークだったと思う。まあ、そこまでは普通の話なのだけど、、、帰宅後、、、私の身体に変化が起きて、ちょっとオカルト?なんとムーラに超音波のような振動が定期的に起こるようになり、第一チャクラの回転だ!と直感で思ったのですが、、自宅でも通勤の電車内でも会社で座っていても、、、起こるんです。ムーラ振動(笑)ブーンという波動音。これが数日続いて、、、、すると不思議なことが私の中に起こりました。これまで嫌な人からの言葉、態度、嫌なできごとに反応してそれらをすべて身体に取り込んでダメージをうけていた私でしたがこのチャクラ回転が起きてから、まさに生命力のチャクラですね、生き抜く力というのでしょうかネガティブな人や出来事に対して今までのように自分の中に取り込まなくなってきている、何か強い自分が出てきたのです。本当だろうか??とこの1週間自分を丁寧に観察していたのですがどうやら本当のようです。う~む、ちょっと面白い展開です。もうしばらく観察してみますが、、。会社にラフな格好で行くようになりました。防御するものがない、ということでしょうか。積極的に「違う」空気に触れたくなってます。来月旅行の計画を立てました。延ばし延ばしにしていたあらゆるしなくてはいけない手続きを今日1日電話をかけて処理しました。古い友人に連絡をして今月の集まりに参加すると言いました。マンションの住人にあいさつをしました。(なぜか外国人が多いの、私の住んでいるマンション。)人は人、自分と違う世界の人の「気」を取り込まずに、さらりとかわせるようになりました。動じていないというか。以前のような積極性がよみがえった反面奈良の仏像に心が惹かれるような(たまたま本屋で昨日買ったpenの特集が神社と寺だったから?)何か広い視点が自分の中に生まれて、以前とは違う人としてのバランスが取れていきそうな予感。アートワークは私にとって何か無限の可能性を示唆してくれるすごい存在になっていくような気がしてる。
2009年07月06日
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八重のインパチェンス。やっと、やっと咲き始めました。バラの花のような姿。可憐で本当にかわいい。。。安藤忠雄さんが手がけたヴェネツィアの現代美術館のことが新聞の記事になっていて....ヴェネツィア.....なんか、遠い目になってしまった。初めて訪れたのはもう20年以上も前のことだけど今でもあの美しい情景は生き生きと目に浮かんでくる。どこか旅に出たいなあ....久々にそう思った。どこか異国の地に行きたいなあ.....旅、がしたい。旅行、じゃなくて、旅。3年前にアートセラピーに出会って私は自分の中の奥底へ旅を始めた。自分、を知ることもなく生きてきた10代、ただただ頑張ってきてしまった20代、身体も心ももうどこかに置き去られ30代後半でポキリと折れてしまった時からその旅は始まった。深い深いところをさまよってひとつひとつ重ねるごとに私は私であることを確信しはじめる。本当に、久しぶりに、海外に出たいなあと思う。20代のあの頃の自分がそこにはいそうな気がする。5月のパリの街は緑だった、ローマは時が止まったかのようでイギリスでは花と川と豊かな自然と、ギリシアの海の色は驚くほど青く、ドイツの城は寒かったよ、、NY、サンフラン、カナダ、南太平洋の島々、アジアの国々、たくさんの国や街を歩いて、あの頃の私は人生に何を思っていたのだろうか。なんだろ、、、普段は自分の20代には戻りたくないと思っているのにね。
2009年07月01日
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週末、表現アートセラピーのワークに参加してまたまた私は変化した。ボディーコミュニケーションWS。身体の不調や疾病は、こころの不調が実は原因であると考えます。身体に現れる現象はこころからのシグナルであると。2日間のワーク、初日を終えて、2日目の明け方、心臓が破れるほどの怖い夢を見て飛び起きる。心臓はバクバクいっていた。以前もよく見ていた「追いかけられる」夢。逃げて逃げて逃げて、、、この日の私はついに捕まってしまったのだ。なんて夢なんだろう。。。。2日目のワークを終えて、打ち上げの後久々に激しいアレルギーが起きてしまった。小麦粉、避けたはずなんだけど、、おかしいな。強い薬を多めに飲んで倒れこむように寝込む。ボディーのワークはてきめんに私の身体に断末魔のような変化を起こし、そして、すう、と消えていった。何を意味しているのか?身体の痛みは、私自身が引き寄せているということ。思考と心の葛藤が病となって身体に出るということ。身体にとってのNOは心にとってもNOなこと。ワークはすすむ。痛みをオブジェに表現してみる。そのできあがったオブジェに名前をつけてみる。私のオブジェは「うんこ」と名づけられた。問いがあった、・・・痛みがなければ自分はどうあることができるのか。私はこの「うんこ」がなければ、いつも笑顔でいられる、眉間にしわがない、穏やかな静かで心が安定した自分がいると答えた。他人の価値観に振り回されない自分になれる、と。頚椎のところに光を感じるワークをする。それは自分の軸でもある。途絶えることのない光がいつもそこにはある。光を感じること、頚椎(軸)を意識すること。ぶれない自分がきちんとあれば、「うんこ」は不要なものとしてさようならができるはず。「うんこ」にしがみつくのはよそう!身体にためこんではイケナイ。今日、会社に行った。つまらない上司、同僚たち、マニュアル的思考、相変わらず共感のできないあり方。う~ん、これって皆「うんこ」、、、だよね(笑)そんなこと思ったら、一日なぜか肩もこらず、ため息も出ず。。。なかなか快適な一日になったのでした。
2009年06月30日
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花は、ただ黙って咲いている...ひとつひとつ、とてもきれいでかわいくて大きな声で、私ってきれい、って、言ってもいいくらいなのに....そんなことけして言わずにねただ、黙って咲いている。薄いピンクから薄いみどりいろにひっそりと色を変えていくあじさい。もう、終わったのかな、って思っていたらいつのまにかまた咲いていたバーベナすくと立ち上がって、凛と空気を吸っている素朴なやまあじさいの群生に囲まれて一輪、ぽつんと咲いていた八重のインパチェンス。仲間がまだいなくても大丈夫なのひとりでがんばって生きているこれもインパチェンス。紫がかったピンクが可憐で、バレリーナのチュチュみたいでしょ。群舞かな。演目は何だろうね。生き生きと、うれしそうに咲いているね。花はしゃべらないけれど美しくて、可憐で、人魚姫はきっと、美しい目を持った花のような女の子だったんでしょうね。八重のインパチェンス、さわったらはらはらと一瞬にして花びらが散ってしまったよ。ごめんねお花さん。健気に咲いているけれどさわられると弱いんだ....一生懸命咲いているからどうぞ、誰もいじめないで花は、花の仲間といるときが一番にしあわせだから。ただ黙って見守りあう仲間といるときが....。はなびらのおとむらいです。寂しくないように、小鳥さんが見守ります。
2009年06月08日
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絵を描くことを再開した。独学だからどうにも亀のごとくの歩みだけどいろいろと自分なりに手法を編み出しているつもり。というか、やっているうちにいろいろと発見があっていい感じが出るから面白い。今回の感覚は、クレヨンとパステルのmixがあっていて、今の自分を表現しやすい。会社を辞めるのを止めた。本当はこの月曜日は辞めることを上司に言う日と決めていて、土曜日と日曜日に薬飲みながら考えに考え込んだ理由やなんかを何度も何度も反芻しながら過ごしていた。なのに、、、なぜなんだろ。急に絵を描きたくなった。1年ぶりくらいに。それが日曜日の夕方のできごとで、庭の花を見ながら想像の世界を描いていた。子供のころ、白い花を白い画用紙に描いたら先生に「白に白で描いたらわからないでしょ」みたいなこと言われて何が悪いんだろう、、、って腑に落ちないままに家に帰り母親にそのことを言ったら、「色のついた(黒とか)画用紙に描けばいい」って言われて、しばらくして黒い画用紙を手に入れて、さっそく白い花を描いたんだけど、違うんだよね!!私は白い昼間の世界に白い花が咲いていることが気に入っていて白に白で描いてなんで悪いのかちっともわからなくて、それに、私には白い画用紙の中の白い花がちゃんと見えていたし大人のいうことって、なんか違うなって思った違和感いっぱいの人生がそこから始まったような気がする。会社のことを考えていたら、急にそのことが思い出されて「白い花を描いてみよう」と、思いたったんだよね。30年ぶりのリベンジ?隣町の伊東屋に行って白い画用紙買ってきて描いたよ。私の白い花。描けたよ。白い花。とてもカラフルにね。花の横に月を描いた。私は陰、月の生まれだから、月は私。月は泣いていた。気づくと十字架が現れていて、神様は静かに見守る。アートセラピーだ。。。。私は描けたのだ、白い花が。ぶれない信念があれば、自分なりの方法で尽くすときそれは実現する。こうして、絵は私の人生のどんづまりのどんづまりで、また答えをくれた。絵を何枚か描いて、眠りについた。月曜日、会社へ行く支度をし、電車に乗り、これはなんとも不思議なことなんだけど、、、、どうも言葉にできないんだけど、辞表を出すはずの朝に、電車の中でそのことが何もなかったかのように消えていて突き抜けてしまったような、、、ふと、肩の荷が下りてしまったようになって結局その日は用意していた辞表の言葉を言うこともなく、次の火曜日も言うこともなくそして昨日も、、、私は会社を辞めることをやめていた。子供の頃、私はその後、白い画用紙に白い花を描けなかった。そうじゃないって、思っていても、二度目にはもう描けなかった。他人の意見、価値観にあわせてしまったから。。。。そういう人生やめようや、って教えてくれたのは3年前に出会ったアートセラピだった。今回もまたアートは唐突に現れて私を大きくジャンプさせてくれた。ホント、唐突にね。アートの力が私の身体に根付き始めたのかもね。さて、なにかが変わったわたし、明日、また仕事に行く。
2009年06月04日
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<Lovely!!私のスモールガーデン>3日間、寝込んだ。原因不明の(たぶんたまりにたまったストレス)むくみ、めまい、発熱、激しい頭痛、嘔吐に見舞われる。3日間昼夜問わずに頭が痛いというのはつらい。脳に異常でも起きたか?と思ったけれど、以前の会社でのハードな日々でも同じ症状アリマシタねえ、、内心マタカ.....と思う。近所の良心的そうな診療所へ2度通う。先生も「豚インフルか!!」と一瞬ひるんだようだが実際には体温計には38度以下の数値で、ただひたすら熱が体内にこもっているので本人はやたら暑いしもうろうとなって具合が悪い。「更年期にしては早すぎるし。。。。」。。。あ、当たり前です!!!!「しかし、最近は現代病か若い人でもなるからねえ」。。。って、若くもないんだけど。「自律神経が乱れているのかねえ、、、」「会社に行きたくないなって思ってる?」。。。うっ、、、ス、ストレートねえ。い、いえ、そうは思いませんけど、休んでいられないって気持ちです。。。。って、模範回答してどうすんだよっ。ここはびょーいんだよーーー。しょーじきに言ったらいいのに。。。人間、我慢に我慢を重ねて、20年がんばれる人、半年でだめになる人、それは精神力の差で、ワタシ、コンドはドコマデガンバレバイイ?我慢競争、もう、やめようや。と、思う。結果的に4連続休みとなって明日の出勤が怖いけど、、、心ない人(ほど、身体が丈夫なのは古今東西同じ?)が何嫌味を言ってくるか、ああめんどうくさい)身体は正直です。いくら精神力で耐えてもね、心と身体は正直です。「ほらほら、オヤメナサイ。私はハンストさせていただきます」ってことで、今回の大爆発になったのね。そんな4日目の今日は、明け方に飲んだ薬がやっと効いて起き上がれるようになった。窓を開けると、私のガーデン。かわいいガーデン。ベットに座ってそっとみる。この可憐な色を見ているだけで、こころが穏やかにしあわせになる。オフィスも花畑にしたらいいのにね。どんなにこころが乾いた人でも穏やかになるだろうに。。。
2009年05月22日
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