想い出記念

想い出記念

2007年11月03日
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カテゴリ: 硫黄島 体験記


2~3日最悪の状態が続いている。

5年くらい風邪にはご縁がなかったが、関節痛から始まって咳がでて困っている。

今朝もベッドの中でも体全体に力が入らなかったが、どうにか起きて朝飯を食べはしたが、今ひとつ気合いが入らない。

妻と娘達は車で出かけたが、愛犬(?只の甘えん坊犬)と留守番です。



今日の写真は、(正)中迫2大隊主力陣地及び壕群「中迫撃砲第2大隊主力陣地及び壕群(この奥300米)」です。

この近くには九州各地の地名がついていますが、第145聯隊が九州で編成されたことを考えると納得できると思います。

因みに「高千穂峡」、「霧島部落」、「田原坂」が当時の地図には記載されています。

 指揮官 中尾 猶助 少佐
 総員  508名
 戦死  486名
 生還   22名
 出身地 九州

 位置  大隊本部           大阪山西麓
     第2中隊(伊東 登 中尉)   大阪山西麓
     第3中隊(山口 久造 中尉)  大阪山西麓
     第1中隊(大塚 厚 中尉)   摺鉢山北側

大隊本部は大阪山西麓に第2及び第3中隊は西側一帯に主火力を西海岸に指向できるように配置し、千鳥飛行場及び南海岸も射撃できるように陣地を形成していた。

2月19日、米軍が南海岸に上陸すると共に旅団砲兵団の統一指揮の下に一部が射撃を開始した。

2月21日、敵の有力部隊が千鳥飛行場及びに西海岸に侵入するに及んで全火力でこれに集中砲火を浴びせて前進を阻止したが、艦砲、迫撃砲の目標になった。

旅団砲兵第3中隊(松原 一雄 中尉)、歩兵第145連来野砲大2中隊(里中 忠吉 中尉)と共に西地区の主力火砲として大なる戦果を上げたが、2月25日頃には逐次、各砲とも全弾を撃ち尽くし、以後は、対戦車肉薄攻撃斬込隊としてこの地区を確保し、3月2日頃まで必死の防戦を続けた。

しかし、既に大阪山の一角が敵に奪取されるにおよび中尾少佐以下残存者約30名は師団命令により北地区に転進しつつ斬込戦をおこない、3月20日頃には殆ど玉砕した。

この碑の(右)には、独立速射砲大9大隊壕の表示がある。

この奥は、台上になっており、突き当たりは屏風状の断崖が続きます。

故郷の地名を名付け、この地で戦った将兵の思いが伝わってきそうです。

それが硫黄島なのです。






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最終更新日  2007年11月03日 10時13分42秒
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