一即多、多即一

一即多、多即一

言葉や行動に惑わされず心の統御を


いをして、賞賛を集めることもできる。言葉と行為は表に出るものだからわかり
やすい。しかし、言葉と行為の背景にあるものは心の働きである。言葉と行為が
立派でも、心の働きが不純なものであれば、その意味合いは半減してしまう。

 人は表面上のことだけで評価されがちであるが、本来はその人の本質を見極め
て評価を下す事が必要である。立派な言葉や行動をしていた人が、心においては
自分を評価してもらうために行っていたとかいう例をいくつか私は見てきた。そ
ういう人は最初のうちはいいがいずれ破綻する。最終的には心の働きが全てを決
定する。

 仏教においては人を身・口・意の三つの要素に分け、その中で意つまり心の状
態を最も重要視する。それは最初にも書いたが、心の働きが行動や言葉も決定し
ていくからである。瞑想が進んでくると、その人の発する言葉の波動、に敏感に
なってくる。立派なことをとうとうと述べ立てても、何かしっくりこないと思っ
ていたら、しばらくするとその人の本質が現れて、言葉と行動がちぐはぐになっ
てきて、口先だけであったということもあった。

 心の働きがきちんとしたものでないと、結局のところ発する言葉も力がなくな
ってくる。そして行動も伴わなくなってくる。逆に心がけが立派であれば、しゃ
べり方がうまくなくても、人の心を打つ。そういう人の話を聞いていると、こち
らの心も豊かになっていくようである。

 能力が高く、言葉では立派なことを言うが、どうもきれいごとばかりに感じる
タイプの人と何人か話をしてきたが、そういった人の心の働きで、何か邪悪なも
のを感じたりすると、しばらくしてその人の本質が出てきて、この人にはこうい
う要素もあるのだなと感じたことが何度かあった。そのときにこの人はいい人だ
という思いが強ければ強いほど、邪悪な要素を感じた時に、そのギャップに驚い
てしまう。私も以前はびっくりしていたが、最近ではまたそういう例に出会った
なと、冷静に対処する。そして、心の汚れた要素に翻弄されている状態を哀れに
思う。

 私自身もかつては己の邪悪な要素、汚れに翻弄され続けてきた。もちろんまだ
まだそういった部分を払拭し切れてはいない。私もまだ途上の身である。しかし
翻弄されることは少なくなってきた。そうなると非常に楽である。自分の心の状
を理解し、他人の心もきちんと把握できるようになってくると、非常に楽で
あるし、人と接する上において、失敗も減ってくる。

 言葉や行動に惑わされず、心の働きを理解し、心を磨き上げていくことにより
集中していくことを心がけたい。


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