一即多、多即一

一即多、多即一

精神世界の落とし穴


したが、本来ならエゴを弱くしていくはずが、かえって増大させてしまった人や
ちょっと変な状態になってしまった人たちも率直に言えばいました。本来なら心
を浄化し、エゴを弱めていくはずがその逆の結果になってしまうのは皮肉なこ
とです。

 瞑想を進めていくと、いろいろな体験をしたり、心が変化したりしますが、そ
れで自分はえらいとか、他人より勝っているなどという意識状態となり、瞑想を
していない人よりも傲慢になり、自我肥大を起こしてしまう例があります。これ
では本末転倒です。こうなってしまうなら瞑想をしない方がましと言えます。

 また瞑想は心の深い部分に到達していきますが、そこにはいろいろな要素があ
ります。海にもぐっていくときれいな魚もいれば、非常にグロテスクな深海魚も
いるでしょう。そして自分の心の闇にふれた時、どのように対処していいかわか
らず、錯乱した状態になってしまうことがあります。瞑想するのに指導者が必要
である大きな理由の一つがここにあります。

 瞑想をしている医者の人と話をしたのですが、頭はいいのですが、エゴが増大
してしまい、人のいうことを素直に受け入れられない状態になってしまっていま
した。瞑想をしていって謙虚になればいいのですが、逆に傲慢になってしまうと
すぐには手の施しようがありません。また、心の闇の部分が出てきてしまっており、コントロールができなくなっていました。深い哀しみを感じつつ話を終え
ました。

 私自身自分は修行が進んできているといった傲慢な状態になったこともありま
すし、心の闇の要素に翻弄されて、大変だった時期もありました。その状態から
抜け出せたのも、素直さと謙虚さの大切さを思い起こし、その状態を取り戻すよ
うに心がけたからです。私が素直さと謙虚さを見失ってしまったら、とても大変
なことになっていたでしょう。

 また瞑想を進めていくと、他人の心の働きや様々なエネルギーに敏感となり、
それらに翻弄されてしまうこともあります。私もこういったことでは苦労しまし
た。他人の心の働きやエネルギーを自分のものと錯覚し、統御ができなくなるの
です。この場合、影響を受けないようにシャットアウトしてしまうか、そうなっ
ても平然とした状態を形成していくかということをしていかないと、大変なこと
になります。偉大な聖者が病気でなくなったりすることもよくありますが、それ
は他人の汚れの要素をあえて引き受けてきた結果として、病に陥るというケース
がほとんどのようです。敏感な体質となり、周りのエネルギーを吸収する力も強
くなるのでしょう。それをあえて行ってきた古の聖者達を、私は心から尊敬しま
す。

 これは精神世界に限らず、自分はえらいといった傲慢な意識に陥ったら終わり
です。素直さと謙虚さを常に忘れないようにしたいものです。


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