酒呑老爺の日曜シェフ日記

酒呑老爺の日曜シェフ日記

中村圭子 JT生命誌研究館館長


 気になるのは言葉より実態である。好景気と言われる中で、周囲の人々は決して幸せさを増しているようには見えなかった。勝ち組、負け組という言葉で人を切り捨てていく社会がなぜ許されるのかという素朴な問いには、勝ち組と思っている人々は決して答えてくれなかった。おそらく「百年に一度の危機」は、勝ち組が勝ち組と言っていられなくなったということなのだろう。それは誰の責任なのか。そんなことはどうでもよい。大事なのは自分の身を守ることであり、それには負の部分を弱い人に転嫁していけばよいということになったようだ。切り捨てをさらに進めるという方法でしか答えを出せない構造になってしまっているらしい。
 今すべきこととして経済再建という言葉が強く響く。それは、政治や経済の中心にいる人にとって重要であると同時に、職場を奪われた人、長時間の無理な勤務をしなければならない・・・誰にも救いと感じられる。しかし、またお金に振り回される経済を再建することが本当に好ましいことなのだろうかと、またここで素朴な疑問を持つ。前の疑問に答えてくれなかった人たちが、さらに素朴な問いに答えてくれるはずがない。しかし、何だかおかしいと感じ続けている者として、今必要なのは、人間再建ではないかと思うのである。乱暴と言われるだろうが、皆んなで貧乏なのはそれほど恐いことではない。ぜいたくはできなくても、ひもじい思いをしないように自分たちで食べものを作ろう、子どもたちの教育を疎かにしてはいけない・・・子どもではあったが、第二次大戦直後の社会を体験した者としてはなんとかなるという気がする。もちろんそういう中でだって、いやそういう中だからこそ、うまく立ち回る人、バカ正直で損をする人がいるのだが。
 そこで、いま最も大事なことは、お金優位の経済を立て直すことより、人間の人間らしさについて考え、それを取り戻すことだと思うのだ。注目するのは「賢さ」である。人間は、ホモサピエンス(知性人の意)。賢くなければならない。学校の成績、記憶力、偏差値のよい学校など数値で測れるようなものは本当の賢さではない。広く、深くものを見つめる眼を持っていることから生まれる思慮・分別が賢さである。辞書で「かしこさ」を引くと「畏・賢・恐」と出てくる。畏・恐という文字にも注目したい。賢さの底には何かを畏れる気持が必要だろう。傲慢を捨て謙虚になろう。そこから、皆が人間として生まれたことを喜びとする社会を作ろう。自殺者が三万人を超し続け、今年は去年より多くなるのではないかと恐れながら暮らすのは辛過ぎる。


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