”出雲”では「神在月」の期間内となる11月後半、またもや島根県の出雲地域を行脚する機会を得た。
出雲地域を訪れたのは、今年(2024年)に入って4回目となり、今回は特に「宇佐神宮」の祭祀にまつわる古代氏族「宇佐族( 菟狭族
)」の、出雲地域における神跡を訪ねる旅路となった。
山口から高速に乗り約4時間の運転を経て、山陰自動車道〔斐川 IC〕で降り最初に訪れたのは、冒頭画像に映る「御井(みい)神社」 (出雲市斐川町)
であった。
そこで宇佐神宮の宮司家に伝わる『宇佐口伝』を参照すると、当社は 「大国主」が「八上姫(
菟狭族の姫
)」を最初の妻として娶り、この地で産まれた御子「下照姫(シタテルヒメ)」
を「木股神」として祀ったとある。
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次に上に並ぶ画像の二枚は、上は拝殿に向かって遠方より撮影、下は拝殿入口の神額を中心にして撮影したものだ。
当社の解説版(冒頭画像から二枚目)にも書いてあるが、上の画像は社名の由来でもある「三つの井戸」(三井⇒御井)について書かれた境内の看板を撮影したものである。
ここで注目して欲しいのは、 上の看板の左側地図の下方に示された当 社の境外摂社「
実巽(じっそん)神社」だ 。
当社
は「御井神社」の主祭神「 木股神
」の母神である「八上姫」を主祭神として祀っている。
ということで、上掲画像の看板に映る簡易地図では実際の地所が分かりづらい当社を、遠方から撮影した画像が上である。
上の画像は、境外摂社
「
実巽神社」を撮影した画像である。今でこそ社殿は簡易な造りだが、「木股神」の母神「八上姫」を祀る社ということで連綿と祭祀が斎行されてきた歴史を踏まえ、ここを鎮座地に選定した背景があったのではないかとい直感から周囲を見渡し、印象に残る風景を撮影した画像が下である。
上の画像では、上方の山並みに目立つ”尖った山”が特に印象的だったので、直ぐに胸元から方位磁石を出し調べてみると、やはり予想通りの「シリウス方位」(真南から東へ約20度の方位)であった。
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この「シリウス方位」とは、「宇佐神宮」の祭祀において古代より重要視された方位、つまり宇佐神宮本殿から当宮神体山の「御許山」に向かう方位(南南東の方位)であり、 ここ出雲地域においては菟狭族(宇佐族)の
「八上姫」を祀る「実巽神社」と上記の”尖った山”が形成する方位と、場所の違った二本の「シリウス方位」がまるで重なるかのように俯瞰できたのであった。
加えて、当記事を書く直前になって確認できたことだが、地図上で本社の「御井神社」と摂社の「実巽神社」を直線で引いた方位線が、驚いたことに「シリウス方位」を示していたのであった。
ということは「御井神社」と「実巽神社」と”尖った山”が、〔三点一直線〕で結ばれていることになるので、おそらく本社と摂社の両社は創建当初より、「冬至」の真夜中に「シリウス」が昇る方位の真下にある”尖った山”を照準にした天体観測や地文測量を行った上で、意図的に配祀されたということになろう。
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そして末尾の画像は、上の画像に映る摂社「実巽神社」の階段を降りた前方の場所から、”尖った山”を含む南方の山並みを撮影したものである。
これも後から分かったことだが、この南方に大きく映る山岳は「仏経山」(標高366m)であり、「出雲国風土記」によると”出雲国”を代表する「神名火山(かんなびやま)」の一つとされ、その意味合いは「神様が隠れこもる山」ということだ。
この「仏経山」の山頂は「実巽神社」から見てほぼ真南に当たるので、古くは夜分において南方にある「仏経山」のなだらかな稜線を、まるでなぞるように移動する「南十字星」を、古代人は信仰の対象としていたのでは・・・と想像をたくましくすることができる。
もしかすると出雲地域の古代人は、例えば年間でも大きな節目となる月日の真夜中に「仏経山」の山頂に”南中”する「南十字星」を拝し、巫女を中心とした特別な祭祀を斎行していたのではあるまいか・・・。
日本神話における大地母神「イザナミ」の本質は、”八百万の神々”を”天空に輝く星々”とする観点から「南十字星」と比定でき、そのように説く数冊の書籍も既に出版されている。
また「仏経山」の東方には「冬至」の真夜中に出現する「シリウス」を指標する”尖った山”も存在することから、この「木股神」の母神を祀る「実巽神社」の鎮座地は選び抜かれた聖地ということができよう。
(つづく)
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