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目が覚めましたか?手の指、足の指動きますね。頭開いてないので、傷もないし髪の毛もありますよ。Drからの声かけも、何が何だかわからない。首は左右に動くけど、体は動けない。両腕に点滴があり、動かぬようプロテクターのような添え木。自動血圧計が巻きつけられ、時間が来ると測定して記録される。足は血栓ができないようフットマッサージマットが巻かれ、これも時間が来ると動き出す。意識が戻った時には、呼吸確保のため、喉を通してチューブが入っていて、声を発することはできず、DRや看護師さんにはうなずくことで返事するのがやっと。””呼吸が整えば、明日には外せる予定です。”と言われて、今がいつで、明日がいつなんだろ。。状態でした。目をつむってうとうとしても、怖い夢にうなされた。心臓の鼓動の響きが頭にも、どっきんどっきん(これが頭痛??)ずっと動かないからか、首筋や肩がカチン。コッチン。3時間おきに、検温や目の動向検査、問診(意識確認)。寝だこができなように、看護師さんが体の向きを変えてくれた。””過労で、元気になる点滴を打ってもらえれば治るかなぁぁ~~””そんな甘いものではありませんでした。母のことが始まった11月から、年度末の12月、事業継承、などの事務書類の山。1~~2月も通常勤務で。人手が足りないからどうしても現場へ出かけた。3月はお彼岸対応、旧芽の切り替わりの5月までの、注文対応で山へ切り出し。お断りすることが一番いけないことだと思っていたから、分納させてもらったり、納品日をずらしてもらったりしていた。(これを書いている7-28には、5ケースの注文をお断りした)。。。。”ずーーっとハイテンションで、アドレナリンが出まくってるんじゃ?”と、笑い話してたけどほんとかな。。。目覚めてから3ッ間ほどは、怖い夢と頭痛で、心も痛かった。ここは病院だから仕事の夢見ても、解決策はない、何もできないよって、自分に言い聞かせた。DRから、いくつかの症状のお話と”これから2週間をめどに、ICUで、治療の専念します”と言われました。2週間、14ッ間が長いのか短いのかも、理解できずに。天井を見つめることしかできない私でした。
Jul 28, 2022
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この文章は、ものすご~~~~く悩んでで、ものすご~~~~く相談して。それこそ、、、ずいぶんと前から、いつ正式な文章にして、お客様に伝えるか。この一枚の文章を、書き終えて、2枚プリントして、クリアケースに。6月の上旬に、市場の担当さんと卸会社さんに発送予定でした。でも、6月1日に倒れてしまった。考える気力の戻った私の一番最初の息子への依頼は、”この文章を、早く郵送して!!”でした。実際は、メモを渡した夫が、郵送してくれたそうです。。。。。。 私は、父が販売価格をどう決めていたのか知らない。各市場の、年間出荷記録から、考え出したものだと思う。経理、経営、営業、など、説明や指導を講義されたこともない。だから、残された書類や帳簿から、日々の注文対応をしながら、手探りであり、お客様や市場の担当さんに、お伺いを立てて。。。私が手伝い始めた時から、30年近く価格を上げてないお客様への連絡。人件費も、運賃も、段ボール代も、何度も上がった。多くの取引先様には、価格変更お願いしてきた。夫や息子からは、なぜもっと早くに、決断しなかったのかと。。。返す言葉は、私の判断ミスです。。しかない。ここでまた、倒れるほど働いて、これかよ!!
Jul 27, 2022
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コンビニの駐車場で、大変なことになった私です。このときは、考えることも動くことのできていた。健康のために自宅の周囲を一日1万ぽ目指して歩け歩け運動している夫に電話。コンビニの駐車場でぐわい悪くなったからすぐ来て~~。偶然にも、近くを歩いていた夫は、私が運転席から降りて助手席へ移動しようとしているうちに来てくれた。夫の運転で自宅へ帰ると、診察券と4月に受診した領収書をだして、ここへ、救急車頼んで、検査してほしいからつれてって。。。。以前から、動脈瘤の検査を定期的にしていた私。Drからは、異変に気付いたら””救急車で病院に来るように。”とアドバイスもらっていた。まさか、本当にそんな日が来るなんて、これっぽち(全然)もおもっていなかった。夫が、電話してくれて、本人に代わって話すよう言われた。吐き気は少しあるが、嘔吐するほどではなかった。心臓がバクバクしてて、呼吸ははぁはぁ状態。手足のしびれは、ジンジンしてきた感じ。座っていないと目を開けていられなかった。救急車が玄関先に来た時、カバンを持って、自分で出かけた。玄関先で靴(夏サンダル)を履きながら、2階から階段を下りてきた長男に、””仕事頼むね。””とお願いした。長男はこの時、何が起きていたか全く知らなかったでしょう。救急車が、近くに来たな。。。はぁ??うちか??と2階から降りてきた感じだった。救急隊員の方が、”歩けるのですね?”と声ををかけてくださった。多分、支えられて、救急車に乗り込んだでしょう。寝かされた記憶はもうない。夫が、””保険証が見当たらない””という声が聞こえて、財布のファスナーの中と答えた。そこから記憶はないです。救急隊員の方が、血圧や心拍などいろいろ測定されたでしょう。基本的な質問をされたでしょう。ずーっとサイレンは鳴っていたことでしょう。走り出したことも、病院に到着してたことも。ストレッチャーから救急外来のベッドへ移動されたことも記憶にないです。ただ。。。。。。。。。。””くも膜下出血ですよ。手術しますからね。””と、聞こえました。次に意識が戻ったのは、何日後だったかなぁ。ご近所の皆さん、お騒がせしました。夫が、帰宅したのは深夜の2時過ぎだったそうです。お疲れさまでした。
Jul 26, 2022
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山登りの日々が続き、モノラックの車輪が外れた最終日から数日。畑の新芽の固まった樒を探しては切り出し、出荷を続けていた。月末事務、まとめて請求、出荷数の記録など終えたが、6月の出荷予定のホワイトボードの記入はまだできていなかったが、明日やっても問題ない。切り出しも、多くの栽培場所で固まり始めて急な山の斜面を登らなくて済む。私は、軽トラで帰宅した。夕飯が済んで片付けをおえて、近くのコンビニに、お風呂上がりの楽しみ。。カップのアイスクリームを買いに出かけた。歩いても行ける距離だけど、体力残ってないしぃぃ~~~と、自分には甘い。(いつも自分には、ご褒美だもんと言い聞かせてた)コンビニの正面駐車場が空いていたので、止めてサイドブレーキもひいた。。。。。。。。。。。。。それから、ガーーーんとなんだかか、ぐ~~~~となんだか。。。目をつむると、網目模様の大きな波が、ず~~~~~んとおそってきて。あああ。これは普通じゃない。脳外科へ行かなくちゃ。。
Jul 25, 2022
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父親の呪縛から逃れられないからさ。夫が何度もそう言ってた。その言葉は、今ここに書いていても、吐き気がするくらいいやだ。父親が健在で、バリバリに仕事をしてい頃。直接聞いたことはなかったが、樒の仕事は、自分の代(父親自身)で終わると思っていたと。。。。。。。二人の娘たちが、嫁に行ったから、後継ぎはいなくなった。私は手伝ってはいたが、ああしろこうしろと指図されてはいなかった。樒の仕事はこれ以上増やさない。数件の取引先を断っていた。急な注文は、ほかの生産さん者から仕入れて間に合わせていた。平成16年頃から、横になっているほうが楽だと、仕事はしなくなっていた。病院で検査したけれど、これといって、治療もなく。2年間自宅で母が介護して、18年の冬に肺炎で病院で亡くなった。私が本格的に仕事として樒の作業にかかわりだしたのは、平成15年くらいからになる。2003年だ。20年頑張ってきたから、もういいじゃんって思うか。倒れても踏まれても、起き上がって生き返ったから、この先どう展開していくかと思うか。何故?どうして?ぶっちゃけ、働いてお金稼がなくちゃ。。かな。今回のような大病しても、お金がなかったら、治療してもらえない。健康保険料も払っていかねば健康保険も使えないよ。現実的だけど、最近体験してるから、仕方ない。旅行にも行きたい。私の息子が結婚するときはお祝いもしてあげたい。お孫ちゃんの喜ぶおもちゃも買ってあげたい。母が、介護施設に入所して、年金だけでは全然足りないことを知った。母の蓄えが無限にあるわけではない。不足してきたら、私と妹が負担する??父親の呪縛ではなく、おかねのため?若いころ、、、お客様は神様です。という言葉を聞いたときには、ふ~~~~んそうなのかって、位でしたが。樒を仕事として、経営していくとなってからは、お客様に販売、代金をいただく。お客様が神様です。お客様に満足して頂く、品質、量、納期、すべてを整えなければ、代金はいただけないのですから。。。お客様が、いなければ樒の経営も成り立っていかないと。父親が開いてくれた販路の継続が、呪縛だったんだろうか。だから倒れるまで働いて、まだもがいて続けるか悩んでいるんだろうか。やめろよって、はっきり言えないのもわかる。父親の呪縛って、、どう?言われていい気持ちの人はいないと思うけどな。
Jul 20, 2022
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山登りといっても、登山ではなく。。。伊豆市小土肥の山の、、、山頂に切り出しに出かける。長岡の自宅から、朝は直行で、軽トラに作業服から作業道具積み込んで出発。伊豆中央道から新しく延長された、伊豆縦貫道で信号もなく渋滞もなくスイスイ。修善寺から土肥へ向かう国道の途中からから、林道に入りここからはくねくねです。朝から、小鹿のバンビファミリーがぴょんぴょんはねてお出迎えしてくれます。山登り用のモノレール(モノラック)で、当日の切り場所まで移動。切り出し現場まで、合計約1時間かなぁぁ。。モノラックに一番遠いところで、40分ほどかかる。たいていは20分位までの、近くで探す。春先の新芽が固まると栽培畑を切り出し、秋から5下旬までは山の良いものを切り出す。沼津市戸田にも、モノレール移動の山は、4か所あり、一年の半分以上は山です。これも毎年の繰り返し、もちろん、急な注文などは、近くの栽培畑を切ります。樒山は、先代たちが切り出してから、20年とか手入れされていない場所が多く、チェーンそうで切り倒すような大木ばかりです。入モノレールの近くを切り倒した樒からは、細くまっすぐな枝が育って、電動はさみで充分切り出せます。時間的余裕のある時は、チェーンそうで大木を切り倒し、枝を刻んで運び出す。急斜面を、四つん這いになって、木の根元につかまりながら登る。倒した木を横に渡して足場を作りながらです。息子と交代でチェーンそう切り出しをしていた。毎日じゃできないと、、息子が言うし、体力的にもきつい。草刈り機やチェーンそうの講習で、振動による障害が出るための予防方法を受けている。モノレールも年代物で、支柱がさびていたり、レール本体の交換も必要です。基本モノレールから遠くに、たくさん良い樒があるのを確認すると、新規延長を検討する、とてもじゃないけど、歩いて運び出せない。昔の方は、背負子で2-3束しょって、下山したのでしょうが、息子は一束担ぐだけです。下りは束を持って行っても、また切り出し現場に戻るときは手ぶらです。往復の時間や、山登りの体力、いろいろ考える。1度切り出すと、山奥は3~~5年かからないと次の商品になる樒は取れない。新芽は出ても、80センチ以上の長さに成長するのに、畑栽培の2倍くらい時間がかかる。しかし、樒山の面積は広く、父の代からの山は、おおよそ半年十分きりだせる。10年位前からの小土肥山は、こちらもおおよそ1年は切り出せる。山なので、積雪で枝が折れたり、ヒョウの被害で葉っぱが傷ついたり、爆弾低気圧や台風の被害で、樒の木全体が折れたりと、自然災害の被害を受ける。樹木保険には、、、、入りきれないので、掛けていないから。今年も被害があるなぁぁ~~~とため息つくだけす。山へ切り出しに行って、持ち帰りゼロという事は、今までありません。切り出し現場についてしばらくしたら、大雨が降り出して、雷が鳴りだして。取り急ぎ下山するというハプニングはありました。雷が金属のモノレールを伝うので、怖いです。体験したことはありませんが。山頂なので、落雷した大木は見たことあります。小鳥が鳴いて、シカやウサギなどの小動物がいて、ピーヒョロとんびが、輪をかきながらゆったり飛んでいます。空気はきれい。。モノレールのエンジンが一発でかかれば、今日も切り出すぞモード全開!!そういう日々が半年くらい、毎年くりかえされていた。山が呼んでいる~~と、サブタイトルがつくぐらい。次の延長レールの測量も済んで、いつから工事にしますか??その返事をできない、私が倒れてしまった。
Jul 19, 2022
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12月中旬から年末までは、かなりハードな仕事に加え、昼間の明るい時間が短く寒い。毎年のことですからと、休みなく働いた。風邪もひかなかったし。通常定期出荷に加え、年末の需要、年始用の在庫需要とお墓参り用の小束の出荷。いつもクリアできている束数ですから、働き続けた。母の入院先に、最終時間ギリギリに何度も出かけた。大雪の中、スタッドレスつけてたけど、怖いから、ノロノロ運転でいったら、5分遅刻してしまったこともあった。会うことはできないが、手紙や依頼された品物を届けた。母の検査で、大学病院まで、妹と一日がかりで出かけた。激痛で、座ったり、立ったりが苦痛な母に、ストレッチャーをかりたかったが、車いすにクッションを詰め込んだりして、連れて行った。待合室で、何年かぶりに地元の方に母が会えて懐かしい話をしていた。手術や転院は不可能の結論が出た。ケアマネージャーさんに相談して、老健を探してもらうことにした。私が1日、仕事を休むについては、事前に発送伝票の準備ができる。休んだ当日、注文が入っても、息子や夫が現場や作業場で、発送可能なら受け付ける。いつかは事業継承しなくてはと、ずーーーと何年も考えていた。通常業務でもやっとなんで、ほかのことがあると。。。で、伸ばしていたんですが、さすがに””今年やりましょう””と。商工会の指導員さんに、お願いして、各書類など作り始めていた矢先。事業主の母が、、実際に現場から離れた。事務所の机には、介護関係の書類、事業継承の書類、通常樒作業の書類。いくつも重なっていた。やってもやっても、次から次から。。。12月末には、通常決算をしなければならない。大雪で、路面凍結や通行止めなどがなければ、特に仕事は休まない。貨物便、クロネコヤマトさんが受けてくれる限り、発送は可能。3月のお彼岸対応まで、通常業務。プラス。。。プラス。。いつもハイテンションで、アドレナリン出まくってたかな。。。私自身の体調に、変化は感じていなかった。毎日のルーティーンをこなせば、バタンキューーと寝付き。朝になれば、今日はあれとこれをやってと、スケジュールが目覚ましとなって出かけた。毎年のこと、いつもクリアできていたことだった。
Jul 18, 2022
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塞栓術は血管造影室で血管造影検査と同様の手順で行われます。治療は全身麻酔です。大腿動脈(足の付け根)よりシースと呼ばれる管を挿入します。カテーテルを脳へ行く血管に挿入し、マイクロカテーテルと呼ばれる細いカテーテルを目的とする脳動脈瘤内まで挿入して、カテーテルを通じてプラチナ製のコイルを挿入して治療します。目的とする動脈瘤内の塞栓を行い、最終的に動脈瘤が造影されない状態となれば治療は終了します。手術後は集中治療室にて全身管理を行います。手術後にそけい部のシースを抜去し、抜針部の圧迫を行います。終了後1日間はベッド上安静となります。治療経過後の状態を見て安静を解除する予定となります。。。。。。ICU(集中治療室)で気づいたときには、呼吸のため管がのどまで入っていて話せません。翌日は、管は外され、鼻からの酸素チューブに代わりましたが、ガラガラ声、朝昼晩のネブライザー治療です。(話す相手もいませんが)心電図、心拍数、自動血圧測定、体温測定、血中酸素測定などモニター。両腕の点滴がずれたり外れたりしないために、専用のプロテクターで固定。寝返りも打てない状態です。朝なのか、昼なのか、夜なのか、、、、わからない。ベッドの上で、生きているんだな~~~っておもいはじめた。
Jul 16, 2022
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私は、血管カテーテルによって動脈瘤内にプラチナコイルを詰めて動脈瘤内を閉塞する方法(血管内塞栓術)で、手術して頂きました。麻酔が覚めてから、Drが””髪の毛ありますよ!。頭も切り開いてないですよ!””と、話しかけてくださいました。しかし。。。麻酔から覚めたばかりで。その時は、まだ自分の体の状況が理解できていませんでした。血管内塞栓術は、全身麻酔にて施します。脳へ直接触れることもなく、全身への負担も少ない手術であります。しかし、手術中に出血した場合には対処困難であり、生命への危険性があります。その場合には、緊急にて頭開手術が必要な場合があります。血管内にできた血栓により脳梗塞を発症し重篤な後遺症(意識障害、麻痺、言語障害など)発症する可能性があります。動脈瘤の形状により完全に閉塞できない場合には再増大、再破裂する可能性があります。その場合には追加で再塞栓術を施行するか、開頭術が必要となる可能性があります。意識のない妻を助けてほしい一心の夫は、どんなに、辛い、不安な思いで、この説明を受けながら、数時間後の手術の成功、数日後、数週間後の回復することを願いハラハラ、ドキドキしながら承諾書に、サインしてくれたことでしょう。
Jul 15, 2022
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くも膜下出血についての病院からの説明を読んで。破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血は、毎年人口10万人に対して約12人に発生するらしい。そのうち約50%は初回のくも膜下出血により、死亡、もしくは後遺症が残るらしい。治療しなければさらに25%は再出血により死亡するらし。死亡率が高い疾患。くも膜下出血は、合併症も多く、知能障害や麻痺といった機能的障害が残る可能性が高い疾患。原因は、破裂脳動脈瘤でした。2022年6月1日夜8時ころかな、、、倒れました。私は、数年前に、自分の字体で内容もはっきり記載されている仕事の受注メモを見た時に。このメモを、いつ、どの担当者さんから受けて、記入してここに置いたのかの記憶がなかった。初めての出来事で、これからの仕事に支障が出ては困ると、早々に大学病院の物忘れ外来を受診した。予約も紹介状もなかったが、順番待ちで、当日診察(問診など)と、CTやMRみたいな(具体的にはわからないですが)頭の中わかる映像で、脳内科としては問題ないと思われます。気になるところに、小さな動脈瘤がみえますので、脳外科へ回ってください。脳外科の診断は、2ミリの動脈瘤の存在確認と、今現在は治療はない。大きな変化が現れる前に、検査で大きさの推移をみましょう。それから、半年置きに検査を続け、ず~~~~~~~~~と2ミリでした。最新では、2022年4月に検査し、やはり変化はないですね。普通の生活(仕事の日々)を送っていました。2022年6月1日までは、頭痛などの前兆はなかった。肩こりはあったが、仕事作業内容で仕方ないなぁぁ~~~と考えていた。破裂動脈瘤に対する治療説明を夫が受けた。
Jul 14, 2022
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言いたいこと、書きたいことが、頭の中で、整理がつかない日々を送っていた。少し、落ち着いて、簡潔に、時には複雑に、書いてみることにした。もう一人のみち子から、私に、話しかけてくれるように。過去のことは、覚えている範囲で、報告になってしまうかもしれない。現状は、混乱の日々だ。これから先は、望みばかりでしょう。楽天ブログを、書き始めた当初は、子供たちの成長日記だった。次は、父親の仕事を手伝い始めてからの作業愚痴日記だった。しばらくは、ブログを書けなかった。今度は、みち子の20年分ぐらいを書いてみることにした。自分の為に。
Jul 13, 2022
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自分の言いたいことが言えない日々が続いていました。自分だけの日記帳なら、どれだけ書いてもいいでしょうが。やはり、ブログとなると。。。って。。自分の為に、書こうかなって、おもいだしました。
Jul 11, 2022
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