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やっと、ホームページ、ちゃんと作るようになりました。よかったら、来てください。http://baru-foto.com/
2021年09月13日
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おひさしぶりです。こちらのブログ、ほぼ、休眠状態となっております。実はメインのBLOGはSNSなどに移行しておりますので、ここに記載いたしますね。BLOG:https://www.facebook.com/barufoto/Instagram:https://www.instagram.com/nitabaru_foto/Twitter:https://twitter.com/NITABARU_FotoFacebook:https://www.facebook.com/barufoto/こちらのサイトを見ていただければありがたいです。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・@日々の「なんだかなー」No2』まで
2018年01月04日
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一瞬、しんとなって。観客が理解して、ざわあっとなって。わぁっとなる。本当のスーパープレーはそういうものだと思う。2015年 ラグビーワールドカップ決勝のドロップゴールは、そういうプレーだった。◎スポーツ
2015年11月02日
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こちらでも、はじめましたー「写真好きのフォトブログ」よければ、ぜひー※もっと、「なんだかなー」なら『目次・@日々の「なんだかなー」No2』まで
2014年07月27日
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綺麗な景色だけが、綺麗なんじゃない。 カメラを持ち歩くようになって、僕はそんな風に思う。 たとえば鉄条網。 …実は、写したときは明らかに失敗したと思った。 ストロボが近すぎる。 鉄条網が真っ白だ。 でも、これはこれで、なにか、いいように思う。 鉄条網のとがりとか、怖さが逆に引き立っているように思う。 たとえば、ポルタの看板。 これも、失敗だと思った。 黒い部分が黒すぎる。 でも、画像を確認してみると、黒い部分は潰れてない。 ちょっと、現像すると、段差はある。 ほんと、キヤノン G-15は黒い部分に強い。 あるいは、マジックミラーと思われる壁で覆われた建物。 これも、失敗かなって。 ガラスのまわりの周囲のレンガ模様の壁まで写っている。 でも、これでよかったのかと思う。 レンガ模様がないと、通常の風景と区別がつかない。 むしろ、キュビズムのように建物が引き立っている。 そして、シャッターを押した瞬間、これらの写真については思っている。 「綺麗じゃない。失敗した」って。 でも、振り返るとなかなか面白いって、あくまで僕は思う。 つまり、成功だけが。実は成功ではないのだ。 写真に限ったことではないのだけれども。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・@日々の「なんだかなー」No2』まで
2013年05月18日
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なぜ、カメラを買ったのか?i-pod touchを買ったから。i-pod touchはかなり、きれいなカメラがついている。それで、楽しくってパシャパシャとっていたけど、なんか、不満も出てきた。i-pod touchのカメラはすごく優秀で、無難にきれいに撮影してくれる。なにより、当たり前だけど、i-podのカメラはi-podのディスプレイに最適化されている。でも、あるとき、『そうじゃないんだ』って思ったりする。たとえば、シルエットを強くして、形を印象づけたい。たとえば、一つの対象だけを強く撮影したい。たとえば、暗い場所でフラッシュをたいて、妖艶な感じを出したいって。こんな記事があった。すごく、納得する。きっと、一眼のカメラ人口はこれから、増えるんじゃないだろうか?http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20130510/1049159/?P=2でも、私は持ち運びたい。って、いうことで、重めのキヤノン G-15を買った。大満足である。撮った。ただ…いや、これが一眼だったらどんな風に撮れるんだろうとも思ってしまう。普段持ち運ぶのはG-15でいいが、休日は一眼レフでもいいかも?(ちなみに、会社にいく鞄にも、G-15は入れています(笑))ああ、こうやってカメラにはまり、レンズ沼にはまっていくのか…ということで、今日も、一眼のエントリーモデルの評判をネットで探している。ペンタックスのK-30なんてどうなんだろう???※もっと、「なんだかなー」なら『目次・@日々の「なんだかなー」No2』まで
2013年05月15日
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お久しぶりです。唐突ですが。最近、ペンタブ買いました。ちょっと、絵をかいてみました。どんパソコン、やっぱり、楽しいな。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2013年04月11日
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随分、機能が変わったね…
2012年02月07日
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びっくりした。チャットモンチー高橋久美子(Dr)脱退「音楽に向かうパワーがなくなった」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-00000991-bark-musi僕はチャットモンチーがかなり好きだ。CDを全部もっているとか、そんなフリークではない。普通に通勤電車でi-podに入っている「シャングリラ」とか、「真夜中遊園地」とかをよく聞いている。もし、チャットモンチーの魅力はなんですかと、質問を受けたら、どう答えたらいいのだろうか。スーパーフライみたいな、歌唱力はない。いきものがかりみたいな、まっすぐに届く、美しいバラードもない。後期のJudy And Maryが持っていた複雑で、入り組んだサウンドもない。下手だ。ワンパターンだ。単純だ。ガチャガチャ、ギンギン、バタバタ、チャカチャカ、ドタドタ…ただね。そんな、音が彼女たち、チャットモンチーが演奏すると、パワーに変わる。お祭りなる。なあ。でも、ロックってそもそも、そうだったんじゃないのか?ガラクタが力強く、美しく、聞こえてしまう。そんな、音楽だっただろ?かつて、日本にはそんなバンドがあった。ブルーハーツ。伝説だ。果たして、チャットモンチーはそんな伝説になれるのだろうか。わからない。そんなのは、時間が経たないとわからない。ただ、ブルーハーツの曲は、今でも、街中で、彼らの曲や、彼らの曲をコピーしているバンドをみかける。そして、そのたび、僕は擦り切れるまで聞いていた、カセットテープの音を思い出すのだ。雑音は多い。音は切れる。伸びて、リズムは間抜けになる。そして、最後にはテープまで切れる。むしろ、雑音なんかか、ありありと一つ一つの細部まで思い出せるような予感がする。それが、たまらなく懐かしい。きっと、当時の中学や、高校に通っていた僕自体も、多くの雑音や、ノイズいっぱいにまみれて、それでもパワーを信じて生きてきたのかもしれない。もう一回、書いてみる。チャットモンチーはへたくそだ。音だって綺麗じゃない。ドンドン、ガタピシ、バンバン、キンキン、ドタバタ・・・※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2011年07月30日
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みなさん。お久しぶりです。わたし、およよは生きていますよ。このBLOGを始めたころに比べて、ネットは変わりましたね。mixi、ツイッター、フェイスブック・・・いろいろ、考えましたが、また、blog書き始めようかな?なんて、思っています。ここがいいか、ほかのとこがいいかは、考え中。ただ、移転の連絡はしますね。ただね。今までは、記事を削らなかったけど、ちょっとだけ、整理します。といっても、少しだけだけどね。また、よろしくね。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2011年07月11日
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仙台はとても好きな街だ。足りていないものもがない、丁度いい街だ。ネオンもあり、そして、自然がある。過剰な渋滞もない。空港に着陸する飛行機は水面すれすれに飛ぶ。水面。昨日の津波の映像はショックだった。言葉にならないし、それが津波と知らなければ、何の映像かがわからないほどだ。知り合いがいる。無事だとしってほっとした。でも、ニュースを知る度に知り合いの知り合いで誰かが被害にあっているのではないかと思うと胸が痛い。悲劇的だ。それでも、今、この状態でも略奪や、暴動のニュースを僕は聞かない。だから、大変なことがあろうとも、仙台の人々や、被害者は必ず立ち上がってくれる。まずは、多くの人が助かって欲しい。そして、仙台が相変わらず素晴らしい仙台でありますように。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2011年03月12日
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数週間前。男の友人と、女性の友人と三人で僕は平城京跡に来ていた。僕は平城京跡の太極殿跡から野外コンサート会場が見えていた。歌は聞こえていた。緑色の椅子だけがあった。客はいない。曲は「すべての悲しみにさよならするために」だった。一緒に来ていた友人は二人とも、この曲を知らなかった。「誰の曲だよ」男の友人は訊いた。「KANの曲だよ」僕は答えた。「へえ、「愛は勝つ」の?」女の友人も尋ねた。「そうだよ」僕は答える。それにしても、まったく客がいない。大丈夫だろうか。男の友人も同じことを感じたのだろう。「客、誰もいないね」女の友人がパンフレットを確認して、答える。「でも、チケット売り切れたって、書いてあるよ」まだ空は青くって、なにより、時計を見て僕が気が付いて、話す。「リハーサルじゃないの?」「そっか」男の友人と、女の友人は声を揃えたみたいに、納得した。ただ…数年前の上海ではどうだったのだろうか。僕は友人は極めて少ない。その数少ない中で、上海に住んでいる友人がいる。数年前に電話でこんな、会話をした。「こないださ。バーにいったんだよ。新天地の」友人が言う。「女と一緒にか?」僕は質問する。「それでさ、予約席ってあってさ。KANのコンサートがやるらしくって」友人は僕の質問に答えない。きっと、かわいらしいけど、ワケアリのホステスとでもバーに行ったのだろう。まあ、いい。人生のささやかな楽しみを追求するほど、僕は野暮ではない。「「けやき通りがいろづく頃」のか?」追求の代わりに、僕は真剣に答える。「いや、そんな曲、知らないけど。「愛は勝つ」の、KANだよ」さらに、友人は続けて話していた。「それで、予約席って表示があってさ。前のほうの席がね。まあ、飲んでるうちに、KANが出てきて、歌うわけよ」「同伴出勤の値段と、店への出勤時間でも確認してたんか」やっぱり、あきらめきれない僕は訊く。「まあ、KANが歌っても、その予約席が埋まらんわけよ。だから、勝手に、どんどん前にいってさ。最前列で聴いていた」「「雨にキッスの花束を」でも、セルフカバーしたんかいな」「・・・曲名まではわからんけどな。やっぱり、プロは歌が上手いなあって思ったよ。いいもんだね」「それで「まゆみ」は歌ったんかいな」僕はしつこく、KANについて訊く。どうせ、隣に誰がいたかは口を割らないだろう。「「愛は勝つ」は好きじゃないけど、実物聞いたら、なんか、もっと、聞きたくなったよ」友人は電話の向うで、一人で納得していた。「っていうか、「愛は勝つ」しか、知らんやろ」僕は断言して、決め付ける。「まあ、そうやなあ。でも、ほとんどの人がそうやろ。なんか、オススメでもあるんか」友人は悪びれもせずに、言う。「・・・「東京に来い」!!!」僕は、答える。「いや、俺上海やし。第一、お前、東京やなくって、京都やないか」友人は、これまた、真剣に答えてる。多分。ちなみに「東京に来い」はKANの曲名です。はい。なんか、奈良市の平城京跡で、僕は京都と、上海の、明らかに盗聴しても価値のない無駄な会話を思い出していた。そして、僕はKANが平城京のリハーサル会場で「すべての悲しみにさよならするために」を聞いていて、なんだか嬉しくなった。ああ、この素晴らしい曲はライブで、きっと、KANは歌い続けているんだろう。ただ、世間ではやはり、KAN=「愛は勝つ」なんだろ。そして、きっと、一発屋として認識されているんだろう。それは、KANという歌手にとって、よかったのだろうか。私にはわからない。でも、私には「愛は勝つ」以外の曲が知られていなくって、残念だ。とはいえ、僕はKANの熱烈なファンではない。なぜか、「けやき通りがいろづく頃」という曲を時々、聞きたくなるだけの男でしかない。「けやき通りがいろづく頃」はいい曲だと思う。内容はというと、友人の女性の結婚の報告を聞く男のお話でしかない。なんで、時々、そんなに聞きたくなるのだろう。しかも、一曲通して。英語もなければ、かっこいい、言い回しもない。サビに使われている言葉は、ありきたりの言葉でしかない。クールでも、かっこよくもない。新しくなんて、まったくない。でも、そのありきたりの言葉の重さってうのが、曲をすべて聴けばわかる。当たり前の日本語を印象的に、繰り返し使ってはいるけれども。その言葉だって、感情のそのままの言葉じゃない。お話の一つだ。物語の、お話の後ろから、感情がちゃんと浮かんでくる。浮かんできた感情は単純じゃない。愛とか、友情とか、責務とかが絡んでいて、哀しくて残酷だ。そうだ。「けやき通りがいろづく頃」は複雑で残酷な人とのつながりと、その複雑を我慢した先の祝福があるのだ。「よかった」、というとても単純な、祝福が。曲を聴き終わり、聴けば聴くほど、時間をかけて、でも、しっかりと貴方に染みとおる曲に思う。KANの曲は一通り曲を聴けば、ちゃんと、お話がある曲がとっても多い。歌詞を何度も味わえるのだ。お話、物語の要素が少ない「愛は勝つ」はむしろ、例外なんだと、僕は思う。今の音楽は、と僕は偉そうに言えない。第一、音楽をあんまり、聴いていない。ただ、なんだか、一曲通して聴くってことが、少なくなったんじゃないかって思う。歌手がシンガーソングライターになり、アーチストになるにつれて、物語よりも感覚が重視され、曲全体よりも、サビのフレーズが重視されるようになった。それは、なんだか、恋愛の切ない気持ちを英語とか、あるいは、日本語の決まり文句にしたフレーズを繰り返すことで成立している曲に思える。誰だとは言わないけど、『あいたくて』ばっかり、サビに使うアーチストだっている。・・・誰か、すぐにわかるか・・・(苦笑)KANの「けやき通りがいろづく頃」は英語を決まり文句につまって繰り返していない。最近、僕は昔の歌謡曲とか、聞いたりする。歌手が、歌手だった時代だ。確かに、古臭い。でも、そこには人間のうっとおしさがある。偏見がある。未練がある。まとめて、言えば情念がある。最近のおっさんになった、僕はそこに引き込まれる。どれだけスタイリッシュに構えていようが、人間はやはり人間であり、どうしようもない部分を持っている。だけど、どうしようもないから、我慢しようってかっこつけたり、頑張ったりする。その頑張り方を、きっと、「けやき通りがいろづく頃」は気づかせてくれるのだろう。話が長くなった。なにより僕は、KANさんの曲を聞き返してみようかと思った。歌手が、まだ、歌手であり、一曲がまだ、一曲で聞いてもらえるそんな時代の最後の歌手だったかもしれない、KANの曲を。なにより、リハーサル風景を眺められた幸運に感謝する。そして、客がいないなって思った、自分自身に反省をしよう(苦笑)。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2010年10月31日
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どこまでが河岸なのだろう。水平線の上に、水じゃないものが、薄く見える。存在感がない。きっと、陸地なのだろう。確かめたくて、眺めれば、眺めるほど、ますます、実際に陸地かわからなくなる。もしかして、蜃気楼じゃなかろか水は黄色くて濁っていた。船が巻き上げる飛沫は日本のものよりも、白く見えるほどだった。僕はフェリーのデッキにいた。きっと、まだ、河なのだろう。長江から海に向かって、船は進んでいた。僕は友人を訪ねて、上海に行った。国慶節で休みの上海は外国人にせよ、中国人にせよ観光客ばかりだった。でも、僕が上海にいたのは二日だけだった。四日間はフェリーにいた。僕はフェリーで往復していたのだ。なぜか?海を見たかったのだ。いや、海だけを見たかったのだ。友人を訪ねようと決めて、ふと、気がついた。海外旅行にはいってるけど、海だけって見たことがないんじゃないか。いつも、僕は陸地から海を見ていたり、海からであっても、島が視界にあったじゃないかって。人生で一度くらいは海だけを眺めてもいいんじゃないかって思った。フェリーで行くといったら、みんな、飛行機でいきゃいいじゃないかって言った。時間の無駄だとか、アホみたいな旅行日程だって言った。まあ、確かに6泊7日、4泊船中というのは、アホみたいだ。『海か、いいなあ』オヤジだけがそういった。いつもと同じスピードで、多分、テレビを見ながら僕に言ったのだろう。母は海外だから、メモ用紙に緊急連絡先を書くようにと、僕に念押しをした。そういえば、オヤジはよく海を見に行っていた。時々は僕を連れて行ってくれたものだ。といっても、僕が朝の五時くらいに起きたときだけだった。なぜかというと、オヤジは本当に海だけを見に行っていたのだ。朝の五時におきて、八時くらいに海に到着し、浜辺で座って、ちょっと、ドライブをする。どこかで昼食を取って、帰ってくる。帰宅するのは遅くても夜の九時くらいだ。泳ぐわけでも、サーフィンをするわけでも、釣りをするわけでもない。つまり、オヤジは、本当に海だけを見に行ったのだ。『海にみると、元気がでえへんか。・・・わからんか。・・・特になぁ、荒れた海の波とかな。帰りには元気になってるんやな』なんか、オヤジはそんな事を言ってた。眠たかったから、あんまり、記憶は確かではない。そんなオヤジと眺めていた海より、長江の河口ははるかに大きかった。日本の港の多くが狭い場所に工夫を凝らして建造されているのに、長江の河口付近の港は、広くて工夫もいらずに悠然とあった。川岸に何本もクレーンが並び、コンテナがその横に平積みされていた。中国の人がおおらかで、日本人が細かくて器用になるのも、当たり前のように思った。なにしろ、これでも、河なのだ。船がどのくらいのスピードがわからなくなってきた。陸地が見えず、止まっているものが見えないから船の速さがわからないのだ。川岸にいくつも並んでいたクレーンはどこにいったのだろう。友人の話によると、海に出てしばらくすると、黄色の水と、蒼い水がくっきりと線を引くところがあるらしい。いったい、それはいつになるのだろう。見渡す限りは黄色い水に船は浮いている。船の上の僕は、その線を越えることができるのだろうか。船が揺れるほどではないが、波が高くなってきていた。太陽を少しだけ、薄い雲が隠していた。風が強くなったのか、雲は流れて、太陽がまた、すぐに強くなった。羽を広げた鳥が風にのって、悠々と船の周りを回っていた・僕の鼻にも風が入ってきた。懐かしい匂いがした。潮の香りだった。海辺に小さい頃に住んでいたわけでもないのに、どうして懐かしく思うのだろう。もうすぐ海なんだ。水の色はどんな風に変わるのだろうか。そして、蒼い海に滑り出したら、僕はどんな気持ちになるのだろう。船が強く揺れて、気持ち悪くなっているだけかもしれない。それでも、やっぱり、僕はワクワクしていた。何度も見た海なのに、海はいつも初めてみたいに姿を変えてくれる。黄色い水と、蒼い水の線は何本くらいあるのだろうか。そうだ。また、オヤジと海に行ってみよう。たとえどんなに眠くあろうが、どんなに退屈であろうが。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎旅』まで
2010年10月08日
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当日券が取れた。運が良かった。29列目だった。まあ、当日券だから後ろでもしかたないか。そう思っていた。でも、その会場は一番後ろが1列目だった。前に近づくほど、列の数も増えていっていた。僕は前から5列目の席だった。そりゃ、端っこではあったけど、ラッキーだった。彼らのデビュー曲である「SAKURA」で始まった。いきものがかかりのライブにだった。ボーカルの吉岡さんはやっぱり、ライブで聴くだけの価値がある声だった。前の列だから、スピーカーが近かった。ドラムとベース音が巨大だった。そんな中でも、声量があるから高いキーであっても迫力がある、吉岡さんの声を、僕は耳をすまして聞いていた。会場はのお客は、かなり、個性的だった。が関西人丸出しだった。普通ステージへの、呼びかけは「かわいい」とか「頑張って」くらいだろう。違っていた。「どこ泊まってるの??」「ゲゲゲの歌ってよ」「出身の小学校どこ~」「体重、なんで増えてるの~」お客さんとの会話のやりとりも面白いライブだった。そんな面白い客が多かったのだが、僕は女性の二人組が気になった。10代の娘さんと、そのお母さんだろう。確か、お二人ともめがねをかけていて、とっても似ていた。まず、親子で間違いないだろう。もし、赤の他人であそこまで、そっくりだったら、それこそは奇跡だ。そして、お母さんは手を動かしていた。吉岡聖恵さんが歌っている間も、個性的な客が面白い質問をしている間も。時々、娘さんがじっとステージを眺めているときだけ、お母さんの手も止まった。娘さんがお母さんに向き直ると、お母さんの手が、また、機能的に動いた。お母さんが手を動かす、といっても、「気まぐれロマンチック」の振り付けをずっとやっているわけではない。当たり前だけれども。お母さんは娘さんに手話をしていたのだ。僕はびっくりした。どの程度娘さんが耳が不自由なのかわからないけども、ライブで手話をみるなんて考えもつかなかったからだ。勿論、僕はその娘さんがどの程度の聴力なのかを知らないのだけれども。弱聴なだけかもしれない。見に来ただけなのだろうか。ファッション誌にも連載がある吉岡さんのルックスのファンなのだろうか。なにより、耳を広げている僕らと同じくらいに、楽しめているのだろうか。そんな風にさえ考えた。すごく、気になったから、僕は時折振り返った。娘さんはステージと、そして、お母さんの手話をかわるがわる眺めていた。曲が終わると拍手をしていた。めがねをかけていたから目の表情はわからないけど、頬はゆるんでいた。そして、面白いMCには、タイミングはずれているけど口が笑っていた。間違いなく、楽しんでおられるのだろう。それが、僕らとは違ったとしても。僕らの多くは耳が聞こえる。そして、耳が聞こえるからこそ、音楽が楽しめるんだって思っている。でも、その娘さんをみていると、それだけじゃないんじゃないかって思う。きっと、歌詞や、あるいはアーチストが何かを届けようとしている表情にも、歌と同じくらいの力が宿っているのかもしれない。耳の聞こえる僕らは、そこに不幸にも気がつけないだけなのかもしれない。結局、いきものがかりの素晴らしさはみんなのものだ。聴力の有無を超えるほどに。そして、みんなには、各々、一人一人の楽しみ方があるのだろう。わたしだけの楽しみ方は、誰にも犯すことができないし、同時に誰にも理解できない。いや、耳が聞こえにくいことでさえ、わたしだけの『音楽』の楽しみ方を邪魔することは、時として、できないのだ。いきものがかりは、みんなが楽しめて、そして、あなた独自の楽しみ方だってある。そういうものを、僕らは芸術とか、芸能とか、呼んでしかるべきなのだろう。と、きっと、いきものがかりの皆さんにいったら、謙虚に照れてくれるような気がするのだけど。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2010年09月20日
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あの選手がいたら。あの選手が交代で入っていたら。もしかして、日本は勝てたかもしれない。日本VSパラグアイ。サッカーのワールドカップ。FWの森本選手だったらシュートは枠内のはずだ。いや、もっと、早く、中村憲剛選手を出してボールをまわすべきだった。あるいは、やっぱり、中村俊輔選手のFKを見たかった。それよりも・・・意見は尽きない。そして、今、我々に差し出された結論は一つだ。ワールドカップ、ベスト16。一次予選リーグを突破した、と。選手選考。きっと、どこの国にも答えはない。イタリアだって、カンナバーロを外していて、もっと若く走れる選手を起用していれば、スロバキアの三点目は防げたかもしれない。 あの、スローインからの三点目だ。 カンナバーロは突っ込んできた相手のフォワードに体を当てることもできなかった。 勿論、ゴールを決めた選手は素晴らしい選手だとは思う。でも、彼はロッペン選手でも、メッシ選手でも、あるいはアメリカのドノバン選手のようにスピードで世界に名前を轟かせている選手ではない。悪いけれども、今のカンナバーロ選手は全盛期とはいえないだろう。「リッピ監督は実績の事しか考えてなかったんだよ」 控えの選手がそう言っても、おかしくない。 同時に25人、監督はグラウンドに送り出せない。選手を絞り込まないといけない。つまり、監督はいくつもの未来を選べる仕事ではない。 選べるのはたった、一つ。一つのパターンからはじめないといけない。その選ばれた選手をスターティングイレブンという。そんな厳しい選択を乗り越えて、チームを勝たせた岡田監督は素晴らしかったと思う。 そのスターティングイレブンには、中村俊輔選手や内田選手はいなかった。中澤選手、 闘莉王選手のセンターバック。サイドバックには長友選手。そして、遠藤選手、長谷部選手の中盤。多分、岡田監督が1年くらい前に頭に描いていたであろうスターティングイレブンで、ワールドカップでも先発したのは、この5名くらいではないだろうか。荒療治とも言っていい。きっと、岡田監督はその決断を、答が見えない焦燥の中で行ったのだ。周囲の評論家はさも、答えがあるように思い思いの意見をまくし立てるだけの、その中で。 立派だと思う。比べて欲しい。 フランスの監督だった人は選手が実力を出しきれていないチームに対して、何もアクションができなかった。 選手の選考は曖昧だった。調子のいい選手から使うわけでもない。長年の経験があるプロを使うわけでもない。おっと、失礼。 間違えた。 正確には、フランス代表のドメネク監督はチームを作れさえしなかったのだ。好き嫌いで選手を選んでいるのに、選手からはまったく、好かれなかった。見事なまでの、予選は敗退だった。選手は客に挨拶をしない。監督は相手監督にも握手もしない。具体的に比べてみよう。日本が破れた時、駒野の横にはたいして出番がなかった稲本選手が隣に立っていて、途中で交代してしまった松井選手が一緒に泣いていた。川島選手には、まったく出番がなかった楢崎選手がいた。 敗戦直後のインタビューの長谷部選手はきっちりと答えていた。 岡田監督が言っていた「戦う選手」たちは、味方や、ファンを思いやる心を持っていた。確かに、日本の選手起用は完璧ではなかっただろう。 攻撃に物足りなさはあった。 中盤に下がった本田選手も見たかった。それでも、日本代表は胸を張って帰ってきて欲しい。 最後に残るのが後悔だったとしても、不安から始まり、歓喜をくぐり、称賛を浴び、希望を祈りに託したその結末が敗北だとしても、戦い抜いた監督と選手達には、我々は敬意を払うしかできないのだから。 素晴らしかった。お疲れ様。そして、なにより、ありがとう。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2010年06月30日
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ついに、CDまでおかしくなった。だって、15年以上前になるのか。大学入学の祝いに両親から買ってもらったのだから。僕の持っているコンポは当時の最新式だった。まだ、MDが世の中に普及していない時代だった。CDと、カセットと、そして「これからのオーディオ」である、MDデッキがセットになっていた。しかし、MD部分が8年目くらいにだめになった。そのうち、MD自体を聞かなくなった。それで、数年前にMDはディスクもプレーヤーも捨てた。次にカセットの部分がだめになった。開かない。そして、電源が入ると、いつも、異音が鳴っていた。それで、母がCDラジカセを買って、家でカセットが聞けるようになっている。だから、捨てることにした。MD。カセット。今まで、ありがとう。そして、CD。これは、時々は正常になる。でも、時々は異常になる。もう、全部捨てちゃおっか。最後にCDでも、かけてみよう。おっと、今日は正常じゃないか。そういえば、最近、CDも聞いていなかった。I-PODがほとんどだったな。ヘッドフォンより、ナチュラルなスピーカーはいいなぁ。もったいない。キィン。音が飛んだ。やっぱり、聞きづらい。残念だけど。ふと眺めると、僕の部屋にはDVDプレーヤーがあった。ああそうだ。DVDプレーヤーでCDをかけてみた。なんだか、物足りない。テレビのスピーカーは違うのかな。そうだ。僕はコンポで使っていない入力端子を見つけた。そもそもは、MDの配線が繋がっていた端子だ。そのコンポの入力端子に、TVの出力端子からの配線を繋げる。再び、DVDプレーヤーをかける。とても、綺麗な音が聞こえる。そして、音も飛ばない。勿論、専門家からしたら、音は落ちているかもしれない。ただ、しばらくはこの音を楽しもうじゃないか。CDを聞くのに、DVDとTVと、スピーカーを繋げないといけない。ある意味、コンポよりもコンポな複合機だ。15年か。電化製品には過酷な僕のほこりばかりの部屋で頑張ってくれたな。こんど、ちょっと、エアでも吹き付けて掃除をするか。でも、もう少し、頑張ってね。というか、ずっと頑張ってね。スピーカーさん。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2010年05月05日
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昔、携帯電話会社が各地方毎だったころ。DOCOMOの広末涼子さんは関西では放送されなかった。いや、携帯電話ともいえない。まだ、ポケベルが普及していた時代だ。携帯電話会社は全国で統一され、CMも統一された。でも、いまだにNTTのCMは東西で違う。NTT東日本は新垣結衣さんで、NTT西日本は長澤まさみさんという横綱対決だった時期だってある。ガスや電力会社も地方で違う。だから、CMだって違う。でも、時代はポケベルじゃない。地方独自のCMも多くはホームページから見ることができる。いい時代になった。大阪ガスという会社がある。大阪だけじゃなくって、関西全域をカバーしている会社だ。なぜ、関西ガスじゃないのだろう。不思議だ。そんな名前の話は置いといて。上戸彩さんをメインキャラクターにしたCMをやっている。「頼むよ人間」というシリーズだ。このCMはとっても良い。ともすれば、お仕着せがましい環境というテーマをとっても、親しみやすく、それでいて考えさせられる。是非、関西以外の人にも見ていただきたい。「宣言編」も素晴らしいが、「分散型」が僕は好きだ。テントウムシの言葉が僕たちのありかたについて語っていると思う。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2010年04月18日
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黒い衣装から手足がピシッと伸びた。軸がぶれていない回転のジャンプだから、揺れずに着氷していた。そして、ピールマンスピンは回るたびに、速度が増していた。その丁寧でキビキビした動作からは、次は自分の時代を迎えるんだという、意思が静かに、だけども強く伝わってきた。その試合のインタビューの後、彼女の日本語はちょっと違和感があった。子音や、破裂音が強すぎるのだろう。でも、インタビューアーからの返答に即座に反応していた。聞き取りは完全にできているのだろう。彼女の名前は長洲未来。スケートのフィギュアの女子のアメリカ代表だ。ただ、国籍はアメリカだけとは、いえない。両親が日本人で、20歳以下の彼女は、日本の国籍を選択することもできるのだ。僕は、テレビで女子フィギュア世界選手権を見ていた。オリンピックの直後であり、不完全な選手ばかりだった。多くの人はジャンプは失敗し、動きにはメリハリがなく、意思がなく、氷があるからなんとなく滑っている様子だった。仕方がないだろう。ここに出場するだけでも素晴らしいことだと、僕もわかっている。その中、ショートプログラムで長洲未来さんの演技は決まっていた。愛嬌があり、特に欧米人が好きそうな笑顔を作ってから演目が終り両手を広げるまでミスはなかった。実力を伴った恐いもの知らずの勢いがそこにはあった。すでに30歳を超えた僕からすれば、うらやましいとしか言いようがない。そして、彼女の流暢ではない話し方の日本語を聞いて、日本でも、外国とか、国籍とかの捉え方が違う時代になったのだと僕は思った。多分、今の彼女を示すのには一番適しているのは「日系アメリカ人」なんだろう。よく考えれば、そんな民族は世界にイッパイいる。「アイルランド系アメリカ人」「中国系フランス人」「イタリア系カナダ人」などなど。彼らはルーツに敬意を持ちながら、自らの国でその国民として生活している。勿論、国民の義務を果たしながらだろうし、選挙権だってある。いよいよ、日本人の「日系」も多くなり、必然的に活躍する人も増えるだろうと思う。どちらかというと、「中国系」や「韓国系」といった方のほうが世界では多かったように感じるのだ。偏見かもしれないけど。きっと、日系の人々は年末には紅白歌合戦でも見ながら、フライドチキンを食べているのだろう。国籍とルーツが別であるということが、より自然になる時代になっているのだ。そこで、ふと思うんだけど、日本には「中華系日本人」の方はそのことを主張される事が多いのに「韓国系日本人」の方は在日というくくりで捕らえられてしまっているように感じてしまう。これは、戦争の歴史があるから、仕方のないことだろうとは思う。ただ、彼らはルーツと国籍が同じでないといけないと思い込んでいるのではないだろうか。いや、思いだけではないだろう。「韓国系韓国人、日本永住権有り」、「北朝鮮系北朝鮮人、日本永住権有り」の人々が組織している団体の力が現実的にあることもあるだろう。まあ、正確に言うと「済州島系北朝鮮人、日本永住権有り」というべきかもしれないけど。(ここらへんは、野村進さんの力著である「コリアン世界の旅」に詳しいです)「韓国系アメリカ人」なナチュラルに存在しているし、アメリカの議員にいたっておかしくない。ただ、僕はいつの日か日本でも「元日系ブラジル人、現在日系日本人」や、「韓国系日本人」が普通の認識で存在して欲しいと願っている。ルーツを尊重しながら、日本の政治に参画することに何も問題はない。地方自治体だけ、外国人参政権を認めるといったチンプンカンプンな議論は、現実がチンプンカンプンに歪んでいるから起っているのではないか。ルーツを尊重しながら、現在の自分の国籍を尊重することはおかしなことでも、なんでもないのだ。長洲未来さんの素晴らしい演技に、アメリカ国旗と、日本国旗の双方が振られる様が一方ではある。そして、それができるアメリカはやっぱり、懐の深い国としての一面も持っているのだろう。僕はそう感じずにはいられなかった。・・・予想以上に真面目なblogになってしまった。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2010年03月27日
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会社が休みだった。と、いうことはフィギュアに釘付けだった。でも、それは会社が休みだったからだ。しかし・・・これは言い訳じゃないのか???「日経平均24円高、フィギュアスケートが薄商いの一因との声も=26日後場」大体、個人投資家は注文を仕込んでいくわけだし、機関投資家は仕事中じゃないか??せめて、WBCの決勝の商い量と比較するとかの検証もして欲しいもんだ。まあ、経済の根幹でもある株でこんないい加減な理由がつくんだから、世の中、もっと気楽にいってもいいのかもしれませんね~※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2010年02月26日
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別館をアップしました。 比較的、サクサク書けました。パソコン 「京都のここがいんです。」 http://ameblo.jp/yoshida-oyoyo-no3/entry-10457050920.htmlモバイルでは、 色々、試しました。でも、直接リンクがうまくいかなかったりします。お手数ですが、モバイルの検索サイトから「吉田およよ」で検索していただくのか、便利というのが結論です。お手数おかけします。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2010年02月12日
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みなさん。別館をアップしました。僕は早く、相手を探さないとね・・・パソコンリンク「豊かなふたり暮らしの話」モバイルの場合には、以下のアメブロモバイルから「吉田およよNo3」で検索をかけて頂けると、幸いです。直接アドレスを記載しても、あまり上手くリンク先にジャンプできない様子があるので、お手数をおかけいたします。 http://m.ameba.jp/もし、このリンクにもジャンプできなければ、お手数ですが検索サイトから「吉田およよNo3」を検索してください。お手数ですが、最良の策ですので、ご了解の程、宜しくお願いいたします。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2010年01月30日
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新聞に生誕百年にあたる小説家が三人、書かれていた。 松本清張、太宰治。 そして、もう一人は中島敦だ。 1909年生まれの三人は同い年になる。 でも、同い年には見えない。作家として輝いた時期が違うからだ。太宰は若き時代から優れた小説を順調に書いていた。彼の人生は常に順調とは言えないが、陰鬱な時期には陰鬱な小説を、意気揚々たる時期には揚々たる小説を書いていた。いずれも、高い評価を得ていた。太宰は人生の上がり下がりを小説の養分にしていたのだろう。 そして、1948年、役割を終えたように自殺した。 1948年。松本清張は小説家でさえなかった。職業の傍ら、小説を書いていた人間だった。彼の小説家としてのデビューは1950年に新人賞で受賞してからだ。そして、松本清張は1953年「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞した。太宰治が懇願し、結局受賞できなかった芥川賞に。松本清張はそれから、膨大な量の小説を書いた。 ただ、一般的に代表作と見られるのは、人間の恨みを色濃く落とした推理小説だろう。純文学というよりかは大衆文学と言っていいだろう。(純文学、大衆文学の区分けは私は嫌いですが)芥川賞から出発したにもかかわらず。1942年。死の直前に駆け込むようにして、芥川賞の候補になった作家がいた。その男は1942年の最後の月である12月に喘息を悪化させ、亡くなった。名前は中島敦。彼が残した作品は多くはない。中島敦の小説と、中島敦への評論の量を比べたら、評論のほうがはるかに多いだろう。逆に言えば、数枚の小説であっても、数十枚の評論が望まれる質の高い作品を生み出していた。そして、彼が優れた小説を残したのは死の間際である。あたかも死期を予感したかのように。僕は「山月記」が好きだ。学校の教科書で読んだ記憶はある。その時も面白いと思っていた。最近、父が電子辞書を買った。小説も数種類、事前にインストールされていた。「山月記」はその一つだった。朗読の機能もあった。父は7歳の孫に「山月記」の電子辞書の朗読を聞かせていた。7歳の男の子にあの難しい漢字がわかるのか、疑問ではある。父もそう感じているのか、途中で「ここで虎にならはってん」とか、孫に説明を入れていた。微笑ましいといえば、微笑ましい風景だ。そして、その横で僕はじっと朗読、多分、江守徹さんだったと思う、を聞いて、なんども頷いていた。虎になった主人公の思いが重なってくるようだった。つまり、素晴らしかった。漢文調の文章を用いながら、西洋的な個人の人間の内面を客観的に書き上げている。だけれども、その客観的に書かれている言葉の叫びは、まさしく、中島敦のものなのだろう。漢文の文体。西洋風の心理描写。そして、日本人が小説に求めてしまう作家と主人公の心情の一致。この三つが高いレベルで、結びついた小説だった。主人公の叫び。それは、世に出ることの難しさ。その世に出る能力がありながら、何かが邪魔をして出られないことへの悔恨。そこにはよく生きることの難しさと、生き残ってしまう無念さ、人間でなくなってしまうことの絶望が浮かび上がってくる。2009年 。彼らはいずれも生誕百年である。死後の年数は各々別である。輝いた作品を残した年齢は違う。そして、輝くために必要だった思い、というよりも「狂気」もまた、三人とも違っていた。おそらく、太宰治には生活の安定と破綻が、松本清張には恨みが必要だったのだ。そして、哀しいけれども、切迫した人間を描くに、中島敦には自らの死の予感が必要だったのだろう。時々、中島敦や、太宰治が松本清張と同じように長生きをしていたら、どんな小説を書いていたのだろうと思う。でも、そんな問いには意味はないのだろう。長生きができるのならば、太宰治や、中島敦は小説を書く理由をもち得なかったかもしれないのだ。生きていると色々なことがある。ある人は長く生き、ある人は短い人生をおくる。ある人間は生前に評価と富を受け、ある人間は死後に評価と、そして遺族が富を受ける。きっと、人生が長さや事情が違っていたとしても各々の人間は素晴らしい何かを起こしえる事もあるのだろう。生誕百年を迎える小説家三人を比べて、そう強く思う。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年12月04日
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みなさん。別館をアップしました。探せば、得を見落としてるってこと、ありますよね~パソコンリンク自動車防衛隊はいつもそばにモバイルURLhttp://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=yoshida-oyoyo-no3&articleId=10395275801&guid=ON ただ、モバイル、入力が長くなります。以下のアメブロモバイルから「吉田およよNo3」で検索をかけて頂けると、幸いです。お手数をおかけいたします。 http://m.ameba.jp/※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2009年11月24日
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何日たったのだろうか。フェリー乗り場で市橋容疑者が拘束されてから。どのように逃亡していたのか、彼の口からは何も話されていない。拘束されてからは、まだ、20日もたっていない。彼が逃げていた2年の月日にくらべれば短いものだ。まず、断っておくけど、僕は市橋容疑者が無罪だとか、罪を償う必要はないなんて思っていない。適正な取調べを受け、贖罪と悔恨の思いを持ち、適正なる法の裁きを受けるべきであると、思う。さらに、僕らが市橋容疑者について知っている情報はマスコミを通じてのものだから、直接確認したわけではない。でも、僕は考えてしまう。なぜ、市橋容疑者は2年も逃げる事ができたのだろうと。もしかすると、楽しかったのではないか。いや、心のどこかで彼は逃亡を求めていたのではないかと。逮捕前の彼の人生を見ると、決して、上手く行ったとは言えない。医学の道は閉ざされ、なんとなく、大学で園芸を学んでいる。その間も逮捕をされたり、問題を起こしている。でも、結局、衣食住に関しては、両親に助けられている。つまりは、20代の後半になっても、親の仕送りで立派なマンションに住んでいる。浴槽をベランダに置けるくらいの広いマンションだ。いや、親のお金でマンションに住む事が悪いことだと言っているわけではない。世の中にはそういう、金銭に恵まれているからこそ、金銭にルーズになる人もいるのだ。今の総理大臣だって自分の事をそういっているじゃないか。まあ、総理大臣の話は、ここではどうでもいい。問題なのは、市橋容疑者自身がそこで何を感じていたかということだ。自分では何も決められず、誰かに助けられてしまう無力感があったんじゃないだろうか。同時に、誰かの助けを求めても大丈夫だという安心感も。その無力感を打ち破りたいという気持ちと、安心感から抜けたくないという気持ちが彼の日常でせめぎあっていたんじゃないだろうか。せめぎあいは、結構つかれる。そんな、くだらないせめぎあい疲れきってしまった時には、どこかで別の自分に生まれ変わることを希求していたように思う。こんなくだらない悩みを持たない、力強い自分に生まれ変われたらな、と。そして、事件が起こる。彼は逃げる。報道によると、彼は逮捕の1年前には大阪の西成区で見つけた職場で肉体労働に従事していたようだ。その寮の部屋は、ベッドがあるだけの板張りだった。廊下には豆電球がよく似合うような建物だ。きっと、そこでの市橋容疑者は、間違いなく自分で職場を選び働いていた。逃亡中の彼は、自分の知恵と肉体だけで生きていたはずだ。逃亡の方法を自分で考え、そのためにありつける職業にしがみつき、次の場所を考える。不必要に困難なミッションだ。しかも、誰にもあてにできない仕事だ。おそらく、そこで市橋容疑者は自分の力でも生きていける事を学んでいたのではないだろうか。そういえば、市橋容疑者の両親は言っていた。「てっきり、死んでいると思っていた。あの子はそんなに強い子じゃないから」でも、実際の市橋容疑者はとても強い人間だった。困難の中を逃げるということでは。いや、強いに人間に変わったのかもしれない。容姿も含めて。少なくとも、逃亡中の市橋容疑者は、両親から弱い人間と認識されたゆえに、経済的な強い援助を受け取っていた外見ばかり気にする人間じゃない。ひたすら、明日もつかまらないように逃げる狡猾な人間だ。報道の通り、両親からの援助を受けていなかったのならば、の話だけれども。誤解を招くけど、市橋容疑者は逃亡中に両親や、あるいは自分でも判らなかった力を感じていたのじゃないだろうか。その変化を楽しんでいたように思う。そうじゃないと、2年間もつらい逃亡生活を続ける事なんてできないんじゃないだろうか。ただ、彼の人生にとって不幸な事は、その自分の力への目覚めが事件という形をとってしまった事だ。そんな事件が起きる前に、自分で周囲の期待や思い込みを蹴飛ばすことはできなかったのだろうか。また、逆にいうと、周囲の誰かが、市橋容疑者にも強さがあることを信じて、蹴りだす事ができなかったのだろうか。温もりから、蹴りだしていれば、彼は新しい自分を自然に見つけられたかもしれないのに。最後に僕は自分に問いかける。僕は今でも、温もりに囲まれすぎているのではないか、と。彼と、僕らの差はどこにあるのだろうと。その問いには答えはでない。きっと、市橋容疑者に聞いたって、答えはでないだろう。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2009年11月22日
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別館にupしました。日本に暮らしてるって、幸せだと思います。はい。綾瀬はるかを見たところモバイルの方は以下のURLをコピーしてください。http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=yoshida-oyoyo-no3&articleId=10394209749&guid=ONでは、また。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎旅』まで
2009年11月22日
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別館にupしました。本当に忘年会のシーズンですね!!ネクタイ5本分の楽しみをモバイルの方は以下のURLをコピーしてください。http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=yoshida-oyoyo-no3&articleId=10393275880&guid=ONでは、また。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2009年11月21日
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サッカー・ワールドカップ予選。ロシアは残念だった。退場者を二人出したりしたのも、あるだろうけど、やはり、第1戦で不用意に点を与えたのが悪かったよね。でも、ロシアのサッカーの評判は悪くはなかった。サッカーも組織的ながら、でも、アルシャビンが生かされていて本大会に出れば、ダークホースといわれていただろう。プレーオフになったのは、予選の本選がドイツと同じ組になったから、仕方がない。さて、そのロシアの監督のヒディング氏は以下の意向を伝えている。ヒディンク「今すぐロシア代表監督を辞めようとは思わない」でも、まあ、クラブチームだけではなく、本選に進めるがいまいちピリっとしないナショナルチームから誘いは多くあるだろう。つまり、選手は優れているが監督がヘボだから、危ないチームはヒディング氏を手が出るほど欲しいだろう。実際、ヒディング氏は韓国代表や、オーストラリア代表、そして、去年勤めたチェルシーの監督でも実に短時間で成果を挙げている。だから、まず、そうだ。ヒディング・アルゼンチンなんてどうだろう。選手は一流。監督は選手としては超一流だけど、監督ばかりではなく、指導をする立場としても問題があるといわざるえないマラドーナ氏。でも、現実的に、アルゼンチンのサッカー協会はお金がないだろう。時々、代表監督への給料の支払いも遅延するところなのだ。というところで、現実的に見たいのはヒディング・フランスだ。フランスのドメネク監督はいい監督とはいえない。選手からは不満もあるし(アンリ選手)、OBからも不満もある。(ジダン選手、辞めさせるならもっと早くにしないといけなかった)ホームでの監督紹介でブーイングが起きるほどだ。そして、嫌いな選手は呼ばない。GKのフレイ選手とか、なぜ、呼ばれないのだろう。その好き嫌いのレベルは、日本の野球の北京五輪の監督よりもひどいかもしれない。それで、勝てればいいのだけど、これが、選手層の割には弱い。まあ、嫌いな選手を呼ばないし、攻撃は一人の選手(それが、ジダン選手からリベリー選手になっただけ)が頼りなので仕方がない。ということで、選手層からすると優勝候補のフランスなのであるが、きっと、誰も優勝候補にあげないだろう。そこで。もし、今のフランス代表がヒディング監督だったら。もっと、強くなる、というか、普通にポテンシャルを発揮できるのではないかと思う。まあ、お金もそこそこ、フランス代表にはあるだろう。ということで、ヒディング・フランスの誕生を心待ちにわたしはしております。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2009年11月20日
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「沈まぬ太陽」の魅力であり、かつアキレス腱でもあるのが、恩地の描き方だと思う。何しろ、かっこいい。あきらめない。人望がある。そりゃ、行天でなくても、嫉妬するよって言いたいところです。映画では格好がよく、でも、どこか、人生の苦悩も染み出している渡辺謙さんだから成り立った点が多いんじゃないかな。もし、この映画で別の人を主人公にするんだったら、誰だろう。きっと、人それぞれだろう。僕なら香川照之さん演じる、八木さんにする。なぜか。この八木が一番、大多数の人間に近いと思えるからだ。若くて輝いた過去を懐かしみ、でも、現実の前に妥協しないといけない。手だって汚している。敵に疎まれるほどの力もなく、やがて、敵・見方ではなく、権力の強いものに利用される。その点では松雪泰子さんが演じる三井さんも同じだろう。でも、八木の手の汚し方はもっと、打算的なにおいがする。行天への愛情に動かされている三井に比べ、行天からの懲罰を恐れて動かされている八木はもっと悲劇的だ。八木の道はどちらを選んでも、地獄だからだ。だから、八木にとって、かつて天国の時代であった恩地との出会いは僕はなんとも言えなかった。後半で泣いたのは、このシーンだけである。だから、作品とはいえ、八木を自殺させてしまったのは安直ではないかと思えるのだ。救いがない。そりゃ、人生はそういう残酷なものだけれども。そして、会社員にとって、多くの選択は地獄である。自分ですべてを決定できず、他人の人事や、処遇を恐れる要素がある限り、会社員の仕事には地獄が含まれている。地獄が言いすぎであるならば、不条理が含まれている。僕がこの作品を書き直すのなら、八木を中心に描いてみたい。行天であれ、恩地であれ、彼らの主人公の二人は自分の人生を選べている。それは、不条理でもなんでもないかもしれない。力のあるヒーローが理想か、現実かの選択をしているのだ。でも、多くの人間はそうじゃない。理想と現実を判っていながら、現実に巻き込まれてしまうのだ。だから、もう一つの「沈まぬ太陽」を書くとするのであれば、僕は八木の視点から、つまりはヒーローではない人間から、組織と個人ありかたを問い直したい。多分、それはカタルシスのない物語だろうけども、そういう物語だって、時には必要なのじゃないかな。皆さんは、どう思われます。そして、その皆さんが思われたことが、この「沈まぬ太陽」を見て皆さんが考えるべきことなんじゃないでしょうか・と、綺麗にまとまったところで、おしまい。○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 構成 ○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 キャスト (八割 小島聖さん)※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年11月07日
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「沈まぬ太陽」のキャストについて。ええと。ここで、恩地役の渡辺謙さんは格好よかったとか、三浦友和さんは単なる「百恵ちゃんの旦那さん」じゃなくって実力のある役者なんだ、とかは書きません。だって、みりゃ、判るもん。ちょっと、ここはへそ曲がりになって、気になった役者さんを書きます。すごく、個人的に気になった役者さんですよ。はい。・・・気に入ったかな???・小島聖 雪絵役役名の字はこれで、あってますよね???ホームページの人物相関図にも出てこないから、不安です。行天のいきつけのクラブのお水のホステスの女性です。酔っ払ったジャーナリストの相手を行天から金を渡されてしたり、マンションで山本イッケイさんと戯れたり、正月のクルーザーに乗ったりしてた、あのスタイルのいい女性です。僕もマンションで戯れたいなんて、妄想しました。はい。なぜ、気になったかというと、小島聖さんが好きだから。小島聖さんのことは僕はかなり初期のころから好きでした。どの位初期かというと、「三ツ矢サイダー」のCMをしているとき位ですね。BGMはKANの「まゆみ」でした。確か、その時は高校生でメディアへの露出も肌の露出も抑え気味でした。だから、彼女の水着が週刊プレーボーイに乗ったときは「絶対、捨てない」って思いました。勿論、捨ててはいません。ただ、どこに行ったか、わからないだけ、のはずです。彼女は丸顔で、子供っぽい顔をしています。でも、スタイルがいいんですよね。乾いた色気っていうんでしょうか。そんなのがあります。どれだけ男とセックスを重ねても、処女のイメージは崩れない。「コケティッシュ」って事ですね。色っぽい、とか、艶っぽい、じゃなくって。ちょっと、フランス映画に出てきそうな雰囲気ですね。それも、上品な作品で。そうだな、エリック・ロメールの監督作品に出てきそうです。児童劇団出身だし、演技も計算ができます。そして、今までいた女優さんの誰にも似ていません。要は、アイドル的な女優になってもおかしくない人でした。でも、彼女が女優として、キャリアを積む前に私生活で話題になってしまった。まあ、某男優と付き合って、破局したって事で有名になったんですけど。トヨエツとの恋愛で(あ、言っちゃった)彼女は女優として難しくなっちゃったんじゃないなかって、思います。少なくとも、アイドルじゃない。役の前にイメージがつきすぎる。破局の後には過激で、ヌードもある「完全なる飼育」とかあるいはヌード写真集を出版します。まあ、僕としては嬉しくもあったのですが、寂しくもあった。ヌードの後は、そんなに目立ちはしませんでしから。地味に活動はされていたけど、私は知ることがなかった。だから、久しぶりに彼女の活躍を見て、めっちゃ嬉しかった。コケティッシュさは変わらず、男を振り回すお水のホステスさんが魅力的でした。「だまされても、いいや」って思うくらい。テレビの露出が控えられていた分美しさは変わらない様子でした。ネットで記事を見ると、私生活では結婚もされてるんですね。わたしは舞台をみないんですが、彼女の舞台が関西であれば、見に行きたいっておもっちゃいました。・柏原崇 恩地克己役恩地の息子の役ですね。実は、柏原さんって、タイトルロールで見るまで、判りませんでした。見たことあるけど、誰だろう状態でした。(ある役者で見たことあるけど誰だろう悩む状態のことを ジョン・ボイド状態、津田寛治状態、あるいは矢島健一状態と いいます。 ちなみに、矢島さんは「沈まぬ太陽」に出演されています。 本当に、よく見ますが名前が一致しません)でも、僕は柏原さんを見たことがないのかというと、そうじゃない。かなり見ています。そして、かなり好きな役者さんでした。「将太の寿司」っていうドラマで、恋人役:井出薫さん、妹役:広末涼子さん、職場の箱入り娘役:木村佳乃さんと、三人の美人女優を相手にしてた頃が一番好きでした。(ちなみに、この時期の柏原さんは広末さんとの競演がめちゃくちゃ多い役者さんでした)そのころは、かっこいいオーラがありました。と、書くと、「沈まぬ太陽」の柏原さんはオーラがないのかと怒られそうです。敢えて、言いましょう。なかったのです。もう一度、言いましょう。オーラが消えていたのです。役柄上、オーラを消していたのかもしれません。格好良すぎるのも問題だし、研究者の役だし。でも、もし、無意識に消えていたのなら、ものすごく残念です。そして、あまり芸能界に詳しくない僕ですが、演技でオーラを出し入れできるのは、蒼井優さん以外、知りません。・・・いや、結論を急ぐのはやめましょう。きっと、柏原さんは、「昔は主演だったけど、バイプレーヤーとして長く役者を続ける」人になるはずです。ちなみに、昔主演で、今は名バイプレーヤーの事をケビン・ベーコン状態と言います。(判りにくくて、すいません)・桂南光さん 恩地の娘の結婚相手の父親役桂南光役で登場していた桂べかこさん、じゃなくって昔は桂べかこさんだった、桂南光さん。僕は大阪の映画館で見ていたのですが、彼が喋りだすと、会場から笑いが漏れました。いや、桂南光さんは頑張ってるんですよ。でもね・・・落語にしか、聞こえへんのです。うん。本当に。今回のキャストではあんまり、ミスはないとは思うのですが、これはちょっと惜しいなと。笑いを狙っているのなら、いいですけど。どうせなら、役者としてのキャリアもある釣瓶さんのほうが良かった気もします。一瞬だけの登場シーンですが、上川隆也さんだって一瞬だったのですか。…まあ、こんな感じで個人的なキャストへの感想を終わります。○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 構成 ○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 別の人を主人公にするなら誰か※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎好みのタイプ』まで※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年11月07日
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話題の「沈まぬ太陽」を映画館で見た。泣いた。特に会社という組織と日々向き合う人はされている方は共感される事が多いんじゃないかって、思う。と、まあ、そんな感想だけで終わっても、面白くないので、・構成・キャスト・別の人を主人公にするなら誰かという三点でちょっと、書いていきたい。長くなるので、各々別エントリーにしました。ネタばれがあるので、見てない人は読まないでね。んじゃ、構成だよ。長い原作があるだけに、脚本の方は大変だったと思う。細切れにして、画面を増やせば撮影の費用もかさむとか現実的な事を考えなきゃいけない。実際に後半は会話劇に近くなるので、場面の選定が大変だったんだろうとは、思う。だから、床屋で秘密談義をするし、エレベーターで秘密論議もする。でも、後半の会話劇の流し方は腕のある脚本家ならできて当たり前だろう。(僕はできませんが)それよりも、大変だったのはオープニングだったんじゃないかな。タイトルバックが出るまでの場面ね。そして、観客の多くがその大変さに気がつかないペースで進んでいっている。だから、オープニングは成功だったんじゃないかって思う。(私はオープニングから泣いてました)というのも、この映画の最大の出来事である御巣鷹山墜落というのはあくまでも、出来事でしかないからだ。勿論、重要なシーンではあるけれども、御巣鷹山は・行天(演:三浦友和)に代表される腐った国民航空、と、・恩地(演:渡辺謙)という人間としての生き方の対立をクライマックスに導く出来事として位置づけないといけない。もし、オープニングで御巣鷹山墜落だけで描いていたのなら、この映画は御巣鷹山事件史になり下がってしまう。だから、てっきり、僕はオープニングに御巣鷹山がくることはないだろうと思っていた。ある国民航空と、恩地を描いてからかなあと。予想に反して、御巣鷹山がオープニングにきた。でも、この映画は御巣鷹山事件史だけでは終わっていない。二つのシーンが上手に挟み込まれ、二つの事情が説明されていたからだ。つまり、こういうこと。・シーン:国民航空のパーティ 表現:八馬(演:西村雅彦)の態度での腐った体質・シーン:恩地の象を撃つシーン 表現:恩地の孤独と、戦うものの大きさこれが、上手に挟み込まれている。本来、パーティと、象を撃つシーンと、御巣鷹山の事件は時間も違えば、場所も違う。だから、観客が予備知識がなくて観たのなら、かなり混乱する。よーく、考え直して欲しい。あなたに何も知識がなかったら、あのオープニングのテンポに頭がついていけました?僕はついていく自信がない。でも、これは、僕も含めてそうだけど、製作者は観客が混乱しないのを見越して、オープニングにカットバックを持ってきたのではないだろうか。きっと、製作者はこの映画の事前の多くのプロモーションがあり、さらに、原作があり、我々の記憶の中に実際の御巣鷹山がある以上観客はある程度、判って映画を観ている。だから、少々、無理難題を詰め込んでも、わかるはずだという、確信があったと、わたしは思う。そして、この映画においては、見事に成功している。オープニングで、人物・恩地、組織・国民航空、出来事・御巣鷹山墜落を観客に見せている。観客の予備知識を前提として。「予備知識の前提って映画として間違えていない?」ってこのブログを読んでいる人は思うかもしれない。でもね。例えば、時代劇。武田信玄と上杉謙信の映画を作るとして、川中島の戦いの説明を色々とするだろうか。しない。だって、武田信玄を知っている人は、川中島の戦いを知っていて、当たり前だから。例えば、シリーズアニメの映画化。ルパン三世の映画があったとして、誰がルパン三世が泥棒だと映画で解説をするだろうか。銭形警部が日本の警察だなんて説明するだろうか。うる星やつらの映画があったとして、誰がラムちゃんが宇宙人であたるが浮気者の恋人だと説明するのだろうか。そんなことは観客はみんな知っているのだ。製作者はそのことを踏まえ、面白くって、でも、原作を知っている人を飽きさせない映画を作らなきゃいけない。そのように、客が知っていることを利用しつつ、傑作の映画となったのが、宮崎駿さんのルパン三世、「カリオストロの城」であり、押井守さんのうる星やつら、「ビューティフルドリーマー」じゃなかろうか。ただ、この「沈まぬ太陽」では、観客の予備知識は現実のニュースと広告の効果によって成り立っている。その現実のニュースに寄り添うような映画に関しては批判があろうかと思うが、それを利用して、長丁場の映画の脚本を書ききった、脚本家の西岡さんにわたしは敬意を評したい。○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 キャスト (八割 小島聖さん)○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 別の人を主人公にするなら誰か※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年11月07日
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別館にupしました。ちょっと、キザ過ぎる書き方だったかな??抜け目なくネクタイをhttp://ameblo.jp/yoshida-oyoyo-no3/entry-10362971663.htmlモバイルの方は以下のアメブロモバイルから「吉田およよNo3」で検索をかけてください。 お手数をおかけします。 http://m.ameba.jp/ ※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2009年10月12日
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このニュース。<ヨウジヤマモト>民事再生法の適用を申請 負債約60億円「Y’s」ブランドなど展開のアパレル、株式会社ヨウジヤマモト、民事再生法の適用を申請(株)ヨウジヤマモト 民事再生開始申立 「ヨウジヤマモト」経営破綻 店舗営業は継続単純にすごいショックです!!買えない価格帯が多かったけど、コートとか、抜群にかっこいい洋服おおかったもんな。いつかは、揃えたいなぁって思っていたブランドの一つでした。お出かけ、結婚式用に、スーツのセットアップを買ったのが、忘れられません。あの軽くって、かっこいいスーツが大好きです。それは、いまでも、変わらない。デザイナーの力を忘れず、再建を果たして欲しいものです。また、企業としては拡大・撤退の判断の難しさが改めて浮き彫りになったのではないでしょうか。ヴェルサーチが日本を撤退することを報道された昨今。繁栄を謳歌していたラグジュアリーブランドも戦略の変化が必要かもしれません。ただ、ホームページからは子会社のリミさんのブランドは民事再生を申し立ててないんですね。ちょっと、奇妙な感じがしますが・・・なぜなのでしょうか。取引先への被害を最小限に食い止めたんでしょうか。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで
2009年10月09日
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みなさん。すごく、久しぶりに別館をアップしました。「生活に、一つ彩りを -マッサージチェア-」モバイルの方は以下のアメブロモバイルから「吉田およよNo3」で検索をかけてください。 お手数をおかけします。 http://m.ameba.jp/ このソファ、確かにセンスがいいですよね。マリメッコの上品なテキスタイルっぽいですよね。うん。商業文も面白いですね。では。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2009年10月04日
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おじさんになった。なにしろ。佐々木希さんと、西山茉希さんの区別がつかない。ガムのCMはどっちだっけ?ダイハツのCMはどっちだっけ?※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎好みのタイプ』まで
2009年10月04日
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梅田まででる用事があったので、ヨドバシカメラの上にある、ユニクロ(UNIQLO)に行ってみた。今日、発表の+J(プラス ジェイ)に興味があったからだ。・・・で、改めて、オンラインサイトにつなぐと、すでに売り切れているものもある。スゴイなぁ~・・・このラインは、かのジル・サンダーさんがデザインされたラインである。非常に興味深かった。というのも、ジル・サンダーさんのデザインはシンプルなものが多い。それと、判らないものが多かったりする。ユニクロの服もシンプルなものが多いので、「なんだ、ユニクロとおんなじじゃん」ってなってしまうかも、と思ったからだ。これが、アナ・スイさんとか、ジル・スチアートさんとかだったら、イメージがしやすい。結論を言うと、価格によって、大分特徴の現れ方が違っているじゃないかなって。予想に反して、梅田のユニクロはメンズに関してはフルラインナップではなかった。(心斎橋がフルラインだそうです)で、まあ、売り切れているものもあるだろうし、フルラインを見てないけど、以下の意見を持った。1.全体的・メンズよりも、レディスのほうが、力が入っている ように思った。 特にレディスのボタンのついてないジャケットは すごく、かっこよかった。 あれ、メンズでも展開してほしかった。2.メンズ各々のアイテムについて・梅田にウールのコートがおいてなくって、 残念。 樹脂のコートはあまり出来がよくないように 思う。 同じパターンだったら、ウールもどうかな?・13000円くらいのジャケットはシルエットが とても綺麗。 今までのユニクロとは違う。 きっと、パターンメイキングから変えているのだろう。 脇の下のダーツの入れ方に工夫をしているのだろう。 ただ、値ごろ感が一番ない。 高く感じる。 あと、5000円を乗っければ、ニコル当たりのジャケットも 購入できる、 それだけ、気合を入れているのは判るので、悩みどころ。・8000円以下のダウンジャケットは値ごろ感有り。 しかも、細身だけど窮屈じゃない。 くしゅくしゅしたダウンジャケットが好きな人には オススメ。 わたしはくしゅくしゅダウンジャケットが好きではないので あれだけど。・パーカーは使いまわしがききそう。 カーキーのパーカーはありそうで、ないから、 買いかも?? 薄めの生地もGOOD。 着まわしがしやすい。・シャツ 3999円で値ごろ感有り。 ここは奇をてらうより、白とかのほうが 上品さを感じる。・ベルト 安い。 普通のと変わりないが、太めで、コートの上から ワンポイントで割ってもいいかも。・切り替えしジャケット 一番びっくりした。 これ。 袖の部分が樹脂になっていて、 そして、内部はダウンジャケット。 見た目は安っぽいけど、きたら、あら不思議。 格好がいい。・パンツ ごめん。 わたしが太って入らなかった。 ああ、涙。3.あわせやすいブランド まあ、あわせやすいというか、雰囲気が近いブランド。 レディスはちょっと、わかんないけど、メンズで 以下のブランドが好きだったら、購入の価値あり!! ・ブラック バイ ニールバレット ・アンタイトル マン …逆に言うと、このブランドの価格に比べると 1/3~1/2の価格帯に抑えているのは、さすが。 だから、ブラック バイ ニールバレットの売上は 落ちちゃうかも??※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで
2009年10月02日
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その絵の前はガランとしていた。穴があいたみたいに。人気のない絵だったのだ。僕だけが、立ち止まっていた。真ん中にいるポケーっとしただけの女性が浮いている。そして、その周囲には幼い子供の天使がいる。じっくりみると、雲の形のように子供の顔もある。ドラマティックな絵画が続いた後に、柔らかい温度がその周囲にはある。立っている僕も、足元から暖かくなってくる気分である。無理して生きなくてもいいんだって、予感に僕は包まれる。名前は「6人の人物の前に現れる無原罪の聖母」画家はバルトロメ・エステバン・ムリーリョ。17世紀のスペインの画家である。 *美術館に入場するまでに90分かかった。それだけ、列が長かったのだ。京都市美術館で開催されている「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」に行ってきた。前から行きたかったけど、時間の都合が取れず開催終了直前の今日に行った。時間の都合、そう、嘘じゃない。実は僕「ルーブル展」と銘打っている展示会はあまり好きではないのだ。「ルーヴル展(もしくは、ルーブル展)」は名前だけで人がくるので、展示会としてできがいいとは思えないのだ。大抵は、2、3枚有名な絵を持ってきて、他はルーヴルの倉庫に眠っているような絵画でお茶を濁してしまうのだ。だから、時代背景とかもバラバラだし、統一性がない。有名な2、3枚を覗いては、絵として、感動を受けることは少ない。でも、人は異常に多い。なにしろ「ルーヴル」なのだから。今回は私の大好きなフェルメールもきているし、ベラスケスもあるし、いきたいなぁって思った。 *90分、待ったのはしんどかったけど、展示会はなかなか、よかった。ただ、予想通り、目玉の絵とそれ以外の絵の差は大きかった。目玉のフェルメールの絵は小さかったけど布の雰囲気とかは流石だった。ベラスケスとその工房の絵は荒いタッチを繊細に積み上げ、抜群の技量を示していた。ムリーリョに心を惹かれたのは予想外だった。恥ずかしながら、展示されているのを知らなかったのだ。あったのか、という驚きをもって、その絵を眺めた。彼のこの絵画には愛してあげたくなる何かが、あるようなそんな気がしていた。 *バルトロメ・エステバン・ムリーリョという名前は相当絵画に詳しくないと知らないはずだ。つまりは、人気がないのだ。僕もNHKの「プラド美術館」をたまたま見なければ、知りもしなかっただろう。大きな理由は、彼以外に中世スペインには有名な大家がいるからだろう。中世のスペインで重要な画家を三名挙げろと質問を100人にしたら、100人答えは同じはずだ。ベラスケス、ゴヤ、そして、エル・グレコだ。ベラスケスは、描くことへの技量の高さで、ゴヤは、描く対象の主題の明暗の幅の大きさにおいて、エル・グレコは、描く対象への形の強弱のつけ方において、美術史そのものに影響を持っている。この3人の印象が強く、ムリーリョはかすんでしまっている。もう一度、ここを「プラド美術館」みて欲しい。ベラスケス、ゴヤ、エルグレコは、それぞれ一回放送の割り当てなのに、ムリーリョか、スルバランは二人で一回放送の割り当てである。残念ながら、それが事実である。 *もし、あなたがここまで読んで、ムリーリョに興味を持ってもって彼の絵を見ていたとしよう。きっと、こう思うのではないだろうか。なんじゃこりゃ?聖母がどこに視線があるか、わからずにーボーっとしているだけじゃないか。めちゃくちゃ、ばかっぽいじゃないか、と。しかも、背景もぼけーっとしていて、メリハリがないって。確かに、それは否定できない。受胎告知(天使からキリスト妊娠を告げられた場面)やピエタ(十字架からおろされたキリストを抱きかかえる場面)のマリアは凛々しい。神々しささえあり、近寄りがたき気高さだ。ドラマチックであり、美しい。僕は、そんな受胎告知や、ピエタの絵も好きだ。でも、なぜだろう。時々、飽きてくるのだ。その絵の中のマリアは天使に一礼をし、あるいは亡くなってしまったキリストを見つめているだけなのだ。ふーん、という感じになってしまう。 *やがて、僕は実物のムリーリョの「無原罪の聖母」の前に立つ。右に二歩くらい、左に二歩くらい、ずれてみる。どこに動いても、その無原罪の聖母は僕を見つめているように思う。しかも、睨み付けるような鋭さではない。僕の後ろの人に視線を合わせ、でも、僕から目をそらしていない。間違いなく、守られている、そんな人間としての暖かさがムリーリョの聖母にはある。だからだろうか。聖母の周囲に描かれている天使達の表情には無理がない。にこやかである天使、はにかむような天使、ちょっと考え事をしているような天使・・・。柔らかく、無理をせず、ナチュラルにそこにいる。教義に縛られた宗教画というより、人が日常に欲している家庭の温度がそこには感じられる。きっと、それこそが、人間に必要なことではないだろうか。絵画として、ムリーリョは実物と、印刷物などとの差が出やすい画家なのかもしれない。(予断だが、クリムトは実物と印刷物の差がもっとも激しい画家だと思う) *実際、ムリーリョは宗教画だけではなく、貴族ではない庶民を描いた作品にも傑作が多い。その瞬間や、表情はなにげないけれども、とても大切なものを気づかせてくれる。僕はムリーリョの絵をいくつか見たけれども、いつも同じような暖かさを感じる。作品の出来、不出来の差も少ない。優れた技量も持っている。悪い言い方をすると、ワンパターンだ。 *さて。ここまで読まれて、あなたは思うかもしれない。ムリーリョという画家は家庭に恵まれた画家だったのではないかと。例えば、ルノアールが妻や、子供らとの日常の暮らしの中からあのような柔らかい絵を生み出したのと同じように。でも、実は、違う。ムリーリョは幼くして両親を無くし、6人いた子供のうち、5人はペストで幼くして亡くしている。生き残った1人も耳が聞こえなかったという。だから、ムリーリョが自らの絵に描いた大切なものは現実に彼が見て感じたものではない。きっと、手に入れられなかったからこそ、心で強く望み、筆を通じてしか描けなかったものなのだ。 *画家の人生と絵画を結びつけるのは、安直であり危険であるは、わかっている。ただ、僕はムリーリョの一連の「無原罪の聖母」の優しさには彼の祈りが込められていると思う。本当は、彼の目の前に、存在して欲しい、授けて欲しいという祈りが。その祈りが、柔らかい筆致をもつ技量と交じり合った時、凡百の宗教画を超えた作品を生み出したのではないだろうか。彼にとっては絵を描くことが神や不条理と向き合う宗教行為そのものであったのかもしれない。その祈りが強すぎたため、温かみしか描くことが、特に晩年の彼にはできなかったのではないだろうか。同じもの、同じことしか、描けない。きっと、ムリーリョに関しては、このような厳しい言い方もできるのだろう。それが、明と暗、どちらもきっちりと見つめ、快楽に酔いしれさらには、狂気の近くまで降りていったゴヤとの大きな差なのかもしれない。ベラスケスや、エルグレコを超えられなかった理由でもあるのではないだろうか? *にもかかわらず、ムリーリョは素晴らしい画家である。時の洗礼を経てなお、ここに彼の名前が残っている。なぜなら、彼が祈った世界は絵を通じ、時間と場所を越えて、僕たちに残っている。少なくとも、僕には。彼の希求し、強く祈りをこめた何かの温もりは僕らも常に望んでいて愛しているものなのだ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年09月22日
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お久しぶりです。さて。ちょっと、お盆はタイに行ってきました。バンコクでは安いホテルに泊まって、屋台で食事をしてって、ちんたら旅行していました。ホテルはMBKの向かいにあるとこです。日本円で1200円/一泊 ホットシャワー付きの宿があって、でも、清潔です。そして、この場所は静かだけど、交通の便がいい。屋台の食事とか、簡単なホテルのロビーでの食事もおいしいです。それで。ホテルには漢字が書いてあったりもしました。そして、フロントの人の顔をよく見るとちょっと中華系。(東南アジアの顔と、中国系の顔ってちがいますよね)あと、ホアヒンにもいって、このホテルも中華系。でも、安くって、快適で、そして、フロントも親切でした。夜中でもフロントはいるし、食事も作ります。もちろん、注文すればですが。実は、私は中国にも旅行したことがあります。でも、どのホテルもこんなに親切ではなかった。親切で、感じのいいホテルは、料金は高かったです。はい。これ以上カクとあれなんですが、どうも僕はこんな印象を受けています。・中国にいる中国人の多くはサボる傾向にあり、 態度もキツイ。・外国にいる中国人ははよく働き、態度も 柔らかい。それで。昨日は中国で働く友人にこの話をしました。なるほどなぁと、彼もうなづいておりました。でまあ、社会主義だったのが影響しているのか、などこ、コムズカシイ話をしていましたが、結論はこんな感じでした。・自分で働くのは好きだか、働かされるのは 嫌いな人が中国人には多い。きっと、華僑が栄えているのも、そういう事が原因だったりするのでは。メンタルってことになりますが。うーん。まあ、単純でいいやないですか。きっと。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎旅』まで
2009年08月28日
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人はそれぞれ。ただ、僕はこんな風にこころがけてる。変わりたいときは、習慣を変えよう。人格から無理にかえなくていい。習慣を変えて、結果、人格が変わる分には、かまわない。シンプルだけど、ずっと覚えてゆこう。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2009年07月31日
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僕は人にモノを頼むのが苦手だと、思っていた。会社でも、上司にお願いをするのができない。唯一できるとしたら、自分がお金を払ったお客のときだけだと。その時は、立場が明確だから、すんなりお願いとかできる。卑怯かもしれないけど、そうだとおもっていた。僕が一番よく買うものに洋服がある。買ったり、選んだりするだけでは満足ができなくなった。もっと、知りたいし、もっと、良いものとはどういうものか考えたくなった。だから、通信教育を申し込んだ。4月に教材は届いている。5月くらいに開けて、ちょっと、読んだ。人をモデルにして、パターンニングしたりと、やはり、充実している。しかし、問題がある。婦人服なのだ。自分がモデルになるわけには、いかない。誰に頼もう。仕事と全然違う通信教育をしているのを言うのが恥ずかしい・・・そして、7月も終りに近づいている。ふと、台所に母が立っていた。夕食の準備だった。割烹着で実用的だった。そういえば、母のような60歳の人に似合うおしゃれな服ってどんなのだろう。なんだか、聞いた。「洋服の通信教育してるけど、採寸してもらえないかな」と。すぐに、OKしてもらった。ちょっと、通信教育をしていることとかは、言わないといけなかったけれども。 なんだ。 僕は人にモノを頼んでなかっただけだったのか。 苦手なんじゃなくって。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」』まで
2009年07月26日
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僕は反対だ。そりゃ、背に腹は変えられない。売上も落ちているし。でも、これをすると、百貨店は単なるデベロッパーになる。ビルの賃貸屋になる。そして、品揃えは郊外のショッピングセンターと変わらなくなる。ボーダレスといえば聞こえはいい。でも、単なる同質化だ。独自性もあったもんじゃない。「ユニクロが百貨店に出店 高所得者取り込む狙い」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090724-00000003-jct-bus_all要はユニクロが百貨店に出店する。はじめに言っておくと、僕はユニクロも好きだ。百貨店ブランドも好きだ。でも、この二つが混じるのには反対だ。安直過ぎる。特に、百貨店の対応が、だ。大体、百貨店にユニクロが入ったのは、コレが初めてではない。かつても、一度あった。それは、「そごう 横浜店」だった。そごうが、どうなったかは、いまさら言うまでもないだろう。だから、やりようはあったのだ。例えば、この記事には大丸 梅田が「はるやま」を出店させたと書いている。間違いではない。でも、ここは「はるやま」を前面には出していない。店の名前は「PSFA」になっている。1000円のネクタイやシャツもあるが、5000円とかの百貨店プライスレベルのシャツもある。スーツのセンスも新しい。「丸洗い可能」とかを、セールスポイントにしていない。まあ、細身のスーツだからいんだよって、とこも見えなくもないが、シャツの襟なんか、よく研究している。・・・私もとても、愛用しています・・・つまり、はるやまが、「脱・はるやま」を掲げているブランドなのだ。対して、今度のユニクロ出店はどうだろう。きっと、「ユニクロ」で出るはずだ。ここに、僕はやりようがあったのではないかと思う。どうして、百貨店はユニクロに丸投げする企画しか、できないのか。もっと、その百貨店限定の商品をユニクロに作らせ、それをメインとした展開ができないのか?独自商品を作ろうとしないのか。例えば、「ユニクロ with ポールスミス fet 大丸」とかの商品ラインができないのか。考えれば、考えるだけ、企画は多く出てくる。ユニクロをモードに沿うような形にだって、できる。(なぜ、ここでポールスミスを出し方かというと、このブランドが日本で売れるのは大丸の尽力によるところ大きいから。また、ポールスミスはレディスと、メンズに日本のランセンスが違うので、できるやり方はあると思うから)ただ、結論を言ってしまうと、今の百貨店にはそのアイディアがあっても、実現する力がないように思う。むしろ、そういうアイディアを出すのはユニクロや無印からなのだ。本来、それを主導してしかるべき百貨店では、ない。ユニクロはジルサンダーとコラボする。そして、無印はあまり知られていないが、ヨージ・ヤマモトとデザインの契約を結んでいる。09A/Wの無印は、「おっ」とくるデザインがかなりあった。ありそうで、なかったというデザインが安価にあった。私も購入した。シャツ地のボタンで留めるパーカー 裏地にストライプが入っていて、インサイドアウトでも 使えるかもしれない。バイアスにチェックをかけた七部袖のシャツ *画像がよくないのは、ご了承ください。 私の腕の悪さです。僕が残念なのは、百貨店がそんな工夫さえしようとしているように見えないことだ。特に新宿 高島屋に関しては。ユニクロに押し切られてだけ、しているのではないか。それに、ユニクロだって、ユニクロのブランドだけでいいとは思っていないはずだ。昔、ユニクロ+というのを立ち上げたし(どこに、いったんだろう?)、セオリーを買収している。今後、ユニクロの大きな競合になるであろうポイント(ローリーズファームとか、グローバルワークをしているブランド)だって、トランスコンチネンツを買収した。・・・トラコンの洋服はセンスを時代に沿わせていますが、飛行機が飛んでいる時計がなかったのが残念・・・どうして、百貨店はその、高級イメージが欲しい、彼らの足元をみた交渉ができなかったのか。自分たちのロゴや、ブランドを作ろうとしなかったのだ。昔、昔。僕が子供の頃。大きな買い物といえば、百貨店だった。クリスマスのおもちゃ、ボーナスが入ったときの電化製品、入学式のおめかしの洋服。でも、電化製品が家電量販店に食われ、おもちゃだってトイザらスなんかでみんな買うようになった。唯一、残ったのが洋服と言っていい。なぜなら、洋服は家電や、おもちゃのように同じものを売っているわけではいから。独自性を求められる商品だったから。でも、百貨店はその独自性を作り手にゆだね、手を抜いてきたんじゃないか?そりゃ、工場を百貨店は持っていない。ただ、お客の声を商品に反映させることは、できたはずだ。そこでモノヅクリをすることはできたはずだ。一部、カスタマーレビュー商品ということでやっていたけど。だから、場所貸しになってしまったのではないか。どこも同じだ。はっきり言って。例えると、京都の大丸と、高島屋のメンズの売り場はほとんど、同じだ。違いはイッセイ ミヤケが入っているのかと、店員の対応くらいなものだ。全国的には、タケオキクチと、ポールスミスとバーバリーブラックレーベルが入っていない百貨店を見つけるのは、すごく難しいのだ。そりゃ、時代もある。洋服が売れないこともある。セレクトショップの店員のほうが、スペシャリストかもしれない。ブランドが路面店に力をシフトしている事情もある。でも、この時代の少量多品種の洋服で売上を上げないと一体、どうするのだ。その方法を彼らは探しているのか。そうなると、百貨店は何をするんだろう。一等地の立地を利用して、ホテルでも開業するのか。それとも、空っぽになってしまうのか。いつか、僕らは懐中電灯を持ちながら、真っ暗な廊下を廃墟として楽しむようになるのだろうか。「ここは、クリスマス前には子供の笑い声が聞こえてたんですよ」と言いながら。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2009年07月25日
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「断食芸人」を読んだ。感想、書いてたけど、都合により削除しますね。まあ、ややこしい都合じゃないけど、ちょっと、学校のレポートに同じような文章を出すので、盗作とか思われると、嫌だからね。もし、読みたい人がいたら、メッセージちょうらい。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年07月21日
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こんな、ニュース記事があった。ウルフルズ活動休止の裏側でささやかれる「シビアなビジネス事情」事実かもしれないけど、僕は首をひねった。記事ではウルフルズ解散を計算していた、事務所社長は商人でアーチストを売り物としか考えていないように描かれている。「ヤリ手」って所に僕はトゲを感じてしまうのだ。でも、僕はこの社長に同情的である。所属するアーチストを眺めると、商人だけでは ないのではないか。 ウルフルズ、BONNIE PINK、Superfly…彼らは売れ筋なのだろうか?日本の音楽シーンにすぽっと出せば、売上枚数が稼げるのか。違うと思う。どうしても、はじめは耳に聞きなじみのない音楽だ。オリジナリティがあるといっても、いいかもしれない。初期にお金をかけて、何度も、何度も聞き手が音楽を聞き「ウルフルズって、いいよね」ってなる必要があるのではないか。 コアなファンは計算できるかもしれない。でも、現在のようなメジャーヒットは難しいじゃないかなという、人たち。ドーム講演よりも、大阪だと厚生年金会館 大ホール、あるいはZEPP大阪が似合うアーチストだ。これはアーチストを貶めているわけではない。何より、この所属アーチストは音楽に対して真摯であり、そして、みんな歌がうまい。僕はあるバンドマンに聞いたけど、トータス松本さんは精密機械のように歌が上手らしい。ライブでも、音程とピッチを外さないと。生演奏なのに、CDのようにずれがないと。 ただね。その上手さって、一般の音楽を聴くだけの僕にはわかるのだろうか。わからない。つまりは、トータスさんの実力は玄人好みである。BONNIE PINKだってそう。カラオケで歌うとわかるけど、一曲で音の高低差もあるし、変調だってある(ようだ)。もともと、オペラ歌手の素養がある彼女らしい曲なのだ。つまり、この森本社長には、日本の音楽やファンのためにも、このアーチストを世に広く送り出してやりたいって、思いがあるんじゃないか。素晴らしいものを届けるという、使命感。そして、この社会で人に届けるのは、売り買いをするビジネスという形が必要なのだ。比較を出す。 (失礼な言い方をするけれども)例えば、某AVEXが最近売り出している女性ボーカルのバンド。 僕はコレを聞いて、ちょっとむかついた。腹が立ったし、がっかりした。なんだか、ヒットを連発したおっさんのプロデューサーが 「まあ、こんなサウンド作れば売れるだろう」っていう、 聞き手を舐めてかかった、雰囲気がする。 MISAと宇多田ヒカル、そして、平原綾香さん、あるいはいきものがかりの吉岡聖恵が活躍するこの時代では女性の声に対する僕らの耳はすごく肥えているのだ。そんな舐めてかかった作り方は失礼ではないだろうか。だから、AVEXの、おっさんと思われるプロデューサーが時代から 少しづつずれているのに、気がつかないのは悲劇でもある。そのうち代償を払うだろうから、僕みたいな一市民の知ったことではないのだけど。とはいえ、AVEXのビジネス、プロモーションではある程度の売上は稼げるのだろう。ぽんと、日本の音楽シーンに出して、適度なプロモーションをすれば判ることが目に見えてるから。みんな、かつて聴いてきた、安心感のある音楽だから。一方、森本社長の抱えるアーチストはどうだろう。作品の質には妥協しないだろう。妥協しないということは、お金がかかるということだ。ウルフルズだって、BONNIE PINKも売れないころから PVは面白かったし、お金もかけて作っていた。 「ガッツだぜ」とかは、その例だよね。 BONNIE PINKに至っては長期間の留学も許している。 費用も事務所が負担したようだ。 (関西系のTV(MBS)、ミュージックエッジでBONNIE PINKが 言っていた) 歌いたい思いもアーチストにあるだろう。つまり、アーチスト単体をはいどうぞとのっけるだけでは、ビジネスとして極めてリスキーだ。そして、ビジネスというのはリスキーであればあるほど、計算高くなければならないのだ。売れないものを売るためには、工夫が何倍も必要なのだ。一見矛盾しているけど、ビジネスとして難しいアーチストを売りだすプロデューサーには有り余るビジネスセンスが必要なのだ。同時に、アーチストに対する、普通の人以上の情熱と愛情だっている。僕は思うのだ。僕はこの社長はビジネスと、アーチストの間で苦しい 決断を迫られている人間として、写る。 やりたいことと、やるべきことに心を引き裂かれるような人生ではないだろうか。 この記事で森本さんのビジネスマンの側面でしか捉えていないことが、残念でならない。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2009年07月19日
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小さな頃から、綺麗な女の子はいい。にっこりしただけで、緊張は足の先まで、ほぐれる。小さい頃のかわいさを失わない、女の子はいい。周囲をすごく明るくさせて、笑顔が絶えない。でも、それより、もっと素敵な女の子がいる。どんどん綺麗になっていく瞬間の女の子だ。今、日本で一番、信じられないようなスピードで綺麗になっている女の子は吉岡聖恵(よしおか きよえ)さんじゃないかと思う。彼女は、3人組のバンド、いきものがかりのボーカルである。昨年の年末から、僕は聞いている。といっても、新曲だけじゃんくて、デビュー時とかに遡って聞いている。いきものがかりの、何がいいって、彼女の声がとってもいい。聞いたことがあるように思わせて、飽きさせない音作りもいい。だから、新曲の「ホタルノヒカリ 」は予約していた。そして、発売から2日しかたっていないのに、僕は100回くらいこの曲を聞いている。でも、このCDで気になるのはそれだけではない。ジャケットを眺めると、吉岡さんの美しさをどうしても感じてしまう。デビューした時から吉岡さんはかわいらしかったかもしれない。丸顔で、ぽっちゃりした感じで、遠慮がちに悪戯をしそうなやや離れた目に特徴があった。全体としてみれば、おぼこくって、だから、かわいい女の子だった。なにしろ、インディーズ時代の「誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…」のジャケットなんか、サルみたいだった。ウッキーと叫んでも、違和感がない。デビュー当時の森昌子みたいであり、つまり、モンチッチだ。最新CDの「ホタルノヒカリ」ではあきらかに違う。長くなった髪の毛は肩から胸の膨らみ始める部分まで、降りている。眉毛に届く前髪の下にある目の黒い瞳は、実際よりも、大きくそこにある。喩えは悪いけど、男を篭絡(ロウラク)せずにはおれない銀座のホステスみたいだ。押し付けがましくないけど、男心をナチュラルに威圧しているオーラがある。「ホタルノヒカリ」はPV(プロモーションビデオ)はかっこいい。曲が始まって、しばらくは、いきものがかりの三人は影しかみえない。擬古的な柄の蝶々が背面に光をもっていて、逆行だからだ。まるで、盆の田舎の巨大な灯篭のような、明かりだ。動く吉岡さんの影は細い。スキニーのパンツの細さが、素足のようにさえ、見える。デビュー当時の丸顔から想像もつかない程だ。綺麗になったのは痩せたこともあるのだろう。不健全な痩せ方ではなくて、丸顔は残っているけど、アゴのラインだけがシャープになっている。大人の女性の顔になってきているのだ。でも、綺麗の理由は、それだけじゃないだろう。痩せて脂肪が落ちていった彼女が新たにまとったのは、自信だ。大丈夫、わたしはここにいてもいいんだ。歌っている限り、仕事をしている限り、私は人に受け入れられるし、いい影響を与えてるんだという気持ち。根拠のある自己了承。歌手として、歌うコトがすべての自信に波及している。7/17(金)に放送されたミュージックステーションでは、アナウンサよりもアナウンサーらしく、アーチストを紹介していた。タモリさんが休みで竹内アナが新人であることを差し引いたとしても、堂々とした出来だった。「堂々」そうだ。生きていることの不安がなくなるくらい、堂々としている。そういえば、彼女と彼らの曲はどこか、堂々としている。だから、つまらない外れが少ないように思う。王道といえば、言いすぎなのだろうか。この吉岡聖恵さんが綺麗になっているのは、外見のスタイルと同時に歌を歌ってついた、揺るぎない自信があるんじゃないかと思う。彼女を見ていると、何かをやり通し、そこで自己了承を得ることがどれだけ大事かって思う。そして、何かが、仕事であるというのは、きっと、幸福なことなのだ。きっと、女性が綺麗になるだけではなくて、男性が素敵でいるためにも必要なのかもしれない。ほんと。吉岡聖恵さんは、素敵だ。彼女のように綺麗になっていく女性のオーラに僕らはびっくりして自分はだめかなって思っちゃう。ただ、その後に、何かを遣り通している彼女をみて、明日には僕らも素敵になろうと頑張れる気持ちになれるだろう。威圧されながら、同時に、癒される。吉岡さんの美しさは、そんな、不思議な力に満ちていると僕は思うのだ。ラジオを聴いていると、はしゃぎすぎ??と感じさせる。それは、ご愛嬌なのかな(苦笑)※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎好みのタイプ』まで
2009年07月17日
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実は僕は外貨預金歴が十年になる。その割に、キャピタルゲインの取り方はうまくはないのだが。色々やった。アメリカドル、ドイツマルク、イギリスポンド、香港ドル・・・この度、新たな通貨が加わった。ノルウェークローネだ。今日、別件で銀行に行ったら、外貨のパンフレットがあってノルウェークローネがあったからだ窓口の女性には「面白いから」と言ったが、本音は違う。本音はその女性が美人で、タイプだったから・・・。なんて、彼女が美人なのは本当だけど、ノルウェークローネを買ったのは、それが理由ではない。なんと。前からノルウェークローネは欲しかった通貨なのだ。これは、僕だけじゃなくて外貨に携わるプロには常識ではないか、と思う。証拠に世界の債権を対象とした投資信託ではノルウェークローネを組み込んでいるのは、ある。隠れた優等国なのだ。実は、ノルウェーは世界三位の原油産出国なのだ。意外なんだけど、本当の事。なかなか、三位というのが、ミソである。目立たないが、実力があるということだ。そして、この国は資源だけではなく、開発技術もある。代表的なのが、船。造船の量では、韓国、中国、日本よりトン数は少ないかもしれない。でも、韓国、中国、日本で作っている船もノルウェーが基礎設計をしたものも結構ある。たしか、LNGのMOSタイプもそうだったような気がする。基礎設計をしているということは、作っている国がライセンス料をノルウェーの企業に払っているということだ。さらに、ノルウェーは教育水準も高いし、国家の財政もまだ、健全である。ということで、私はノルウェークローネを買ったのだが不安もある。ノルウェーに行ったことがないのよね~。これは、結構、僕は不安なんだわ。文字情報だけでは、頭ではわかっても、感情のレベルで信じきったりすることができないからね。ただ、まあ。行ったことのない国の通貨を買えるって、どういうことかなぁとか、思うけど。んじゃ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2009年07月10日
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皆さん、お久しぶりです。別館をUPしました。「2009年、「おさがり」のある風景」モバイルの方は以下のアメブロモバイルから「吉田およよNo3」で検索をかけてください。 お手数をおかけします。 http://m.ameba.jp/ 自分では、一味、違う商業blogにできたつもりですが、いかがでしょうか?ではでは~※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎別館』まで
2009年07月07日
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「本厚木、東京、いきものがかり」は一度、リライトした。思い切って、今回は短くしました。****本厚木は傘が必要かまようような、ぱらぱらした雨だった。小田原から本厚木の小田急線の景色は人の匂いがあまりしなかった。本厚木は駅前から5分も歩けば、牛丼屋やファミレスが揃っていた。ファミレスで僕は食事をした。雨の向こうにある、駅前はコンパクトだった。ショッピングモールも、カラオケもあった。便利な街だ。食事を終えて、僕は歩き出した。曇り空と雨は変わらなかった。僕は思った。「この街のどこかで『いきものがかり』は歌っていたのか」と。いきものがかりは水野良樹さんと山下穂尊さん、そして、吉岡聖恵さんのバンドだ。吉岡聖恵さんの声が僕は好きだ。知らない間に泣きそうになる。「泣き笑いせつなポップ3人組」というキャッチフレーズもうなづける。僕がいきものがかりにはまったのは、去年の紅白歌合戦からだ。吉岡さんと、平原綾香さん、青山テルマさんの三人で歌った「天空の城 ラピュタ」の主題歌、「君を乗せて」を聞いてからだ。吉岡さんの声の震え方に、そばを食べていた僕の手はとまった。2009年。僕の買い物は、「SAKURA」が収録されている「桜咲く街物語」から始った。本厚木の路上、おそらく駅前で「いきものがかり」は歌っていたのだろう。「SAKURA」とか、「ふたり」では若い恋人の別れや、そこからの再出発が歌われている。その別れは、この本厚木と東京の距離に関係があるように思う。片道2時間弱。通うにはしんどいが、遊びにはいける時間だ。彼女たちの曲も、そんな距離間がある。永遠に別れるという感じでもない。でも、実際には、決定的に彼は遠くいってしまった。東京の彼には会える。でも、会っても前の彼じゃない。もう、彼は以前の彼じゃなくなった。でも、それは距離のせいじゃない。距離のせいにしたいけど、そうじゃないんだ。曲はセツセツと、小田急線の桜と東京の風を歌っている。無力感。なにしろ、東京に住まざる得ない環境になってしまうことは、あなたや僕らが変わってしまうということなのだ。どういう結果をもたらすにせよ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年07月01日
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以前に書いた「本厚木、東京、いきものがかり」がすごく、ひっかかってました。リライトしました。以前の日記にそのまま上書きしてもよかったのだけど、前の文章も捨てがたかったので改めて、書いちゃいました。よろしければ、雰囲気の違いを楽しんでください。…これからも、リライトシリーズあるかもね??…では、はじまり。****本厚木への出張が決まった。僕は電車の時間を調べた。京都から関東への出張だから、余裕があれば東京によろうかと思ったけど、びっくりした。片道、2時間弱はかかるではないか。本厚木に住んでいる人にとって、東京は休日には遊びにいけるかもしれない。ちょっと、立ち寄る感じではないだろう。通勤するのも骨が折れる。もしかしたら、遊びに行くのも東京は少ないかもしれない。本厚木は横浜のほうが、近いから。****出張当日。雨がぱらぱらしていた。小田原から本厚木の間には街がほとんどなかった。緩やかな山の杉の緑、合間の平野には稲の穂が雨の重さでしなだれていた。そんな、景色が繰り返されていた。電車が本厚木に近づいてからが、やっと、人のいる街だった。僕は駅に降りて、昼食屋を探した。駅前から5分も歩けば、牛丼屋やファミレスが揃っていた。ついでに関西系の中華料理店、…王将のことだけど…もあった。僕はファミレスに入った。二人席が多いファミレスは窮屈だった。窓際に僕は座った。雨の向こうにある、駅前はコンパクトだった。駅に直結したショッピングモールがあった。日用品とか、ちょっとだけ、しゃれた洋服はそろうだろう。ファミレルの向かいには赤い看板のカラオケ屋があった。遊びには不足しないだろう。とびぬけた、贅沢はできないとしても、ただ、生活するには不足はない。むしろ、便利だろう。ファミレスで食事を終え、僕は歩いた。鉄塔沿に歩き、団地を通った。通りに面して、ガラス張りのコンビニがあった。昼休みで緑の作業着の人がコンビニでコーヒーを買っていた。僕の訪問する会社は、小さな工場地帯の真ん中にあった。建物の合間から、高架になっている高速道路があった。防音壁のフチの緑が街を区分けするように引かれていた。工場地帯と、高速道路の防音壁の間にはラブホテルがあった。昼間だから、ラブホテルにネオンはついていなかったけど、看板は薄暗い雨の中でも目立つ色をしていた。彼氏と過ごしたり、遊んだりするのにも不足はないのかもしれない。ふと、僕は思った。「この街のどこかで『いきものがかり』は歌っていたのか」と。****いきものがかりは、日本のバンドである。メンバーは三人。水野良樹さんと山下穂尊さん、そして、吉岡聖恵さん。とはいえ、このバンドの魅力はボーカルの吉岡聖恵さんの声だろう。あなたが、もし、彼女の中音域で震える声をじっくりと聞くのだとしたら泣きそうになるあなた自身に気がつくかもしれない。だから、「泣き笑いせつなポップ3人組」というキャッチフレーズもうなずける。****僕がいきものがかりにはまったのは、去年の紅白歌合戦だった。吉岡さんと、平原綾香さん、青山テルマさんの三人で歌った「天空の城 ラピュタ」の主題歌、「君を乗せて」に心を奪われたからだ。ちょっとの間だけ、年越しそばのことを忘れるくらいだった。リードボーカルだった平原さんが上手な歌手なのはは知っていた。だからこそ、僕が驚いたのは、吉岡さんの声の震え方だった。綺麗な平原さんの声に、吉岡さんのビブラートが重なり、青山テルマさんのステップを踏むようなリズムが乗っかってた。三人とも、互いを殺さず、歌は続いていた。紅白でいきものがかりとしては、「SAKURA」を歌っていた。誰の声ともかぶらなくても、吉岡さんの声は、そしてその歌は心地よく、気がついたら、涙を流しそうになっていた。例え、てんぷらそばを食べていたとしても。2009年になり、僕の一番初めに買い物は、「SAKURA」が収録されている「桜咲く街物語」だった。***本厚木の路上、おそらく駅前で「いきものがかり」は歌っていたのだろう。想像以上に東京よりも距離のある、この本厚木で。「SAKURA」とか、「ふたり」では若い恋人の別れや、そこからの再出発が歌われている。でも、その別れっていうのは、永遠に別れるという感じでもない。例えば、東北から東京に出てくるように、会いに行きにくい距離に離れるというイメージではない。距離が二人を引き離してしまってはいない。距離だけが悪者じゃない。彼は東京に行く。会いにいけない距離ではない。でも、実際には彼は遠くいってしまった。何が?それは、生活とか、心が。東京に住む彼の、新しい住まい、新しい仕事。もしかしたら、都心の大学かもしれない。だから、小田急線の桜の咲く様が哀しいし、東京の風がわたしは無力感をもたらしてしまうのだ。もう、彼は以前の彼じゃなくなった。でも、それは距離のせいじゃない。距離のせいにしたいけど、そうじゃないんだ。心が離れたことが、悔しいけど、はっきりと僕たちはわかってしまったんだ。だからこそ。あなたは別の場所に進んでいく必要があると、いきものがかりは歌っている。そんな気がして、僕はならない。****東京って、僕らにとってなんだろう。そう、今の日本の僕らにとって。きっと、どの地方からも東京へは行こうと思えば時間はかからない。特に宇都宮とか、柏とか関東近郊のソコソコの繁華街はそうだろう。でも、やっぱり、東京に住むということは何かが違うのだ。東京に住まざる得ない環境になってしまうことは、あなたや僕らが少なからず変わってしまうということなのだ。帰りたくなったとしても、以前住んでいた本厚木のような街には変えることは難しいのだ。いきものがかりは意識はしていないかもしれない。だけども、ソコソコの街で高校までを過ごした僕たちが、やがて東京とか、大都市で働かなきゃならないって刹那さをしっかりと歌い上げているの。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年06月30日
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もうしわけございません。予想より、早く、法的整理、つまり倒産をGMはしてしまいました。休日前倒産のクライスラー・・・未来の予想は難しい…※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2009年06月27日
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本厚木への出張が決まって、僕は電車の時間を調べた。京都から関東への出張だから、時間があれば東京によろうかと思ったけど、びっくりした。2時間弱はかかるではないか。本厚木に住んでいる人にとって、東京は休日には遊びにいけるかもしれない。でも、立ち寄る感じではないだろう。通勤するのもしんどいだろう。もしかしたら、遊びに行くのも東京は少ないかもしれない。本厚木は横浜のほうが、近いから。****出張当日。雨がぱらぱら降っていた。小田原から本厚木の間には街がほとんどなかった。緩やかな山の杉の緑と、稲の穂が揺れているのだけが続いていた。本厚木でやっと、街にきたなと思った。僕は駅に降りて、昼食屋を探した。駅前から5分も歩けば、牛丼やもあるし、ファミレスもあるし、関西系の中華料理店、…王将のことだけど…もあった。京都は王将がいっぱいあるので、わざわざ、そこには入らず、ファミレスに入った。そこから見える駅前はコンパクトにまとまっていた。駅に直結したショッピングモールがあった。日用品と、ちょっとした洋服はそろうだろう。通りの向こうには赤い看板のカラオケ屋があった。これまた、ちょっとした遊びには不足しないだろう。とびぬけた、贅沢はできない。ただ、生活するには不足はない町だし、便利かもしれない。ファミレスで食事を終え、僕は歩いた。鉄塔沿に歩き、団地を通った。通りに面して、ガラス張りのコンビニがあった。昼休みで緑の作業着の人がコンビニでコーヒーを買っていた。お客さんは、小さな工場地帯の真ん中にあった。建物の合間から、高架になっている高速道路が見えた。建物は工場だけではなかった。工場地帯と、高速道路のインターチェンジの間にはラブホテルがあった。彼氏と過ごしたり、遊んだりするのにも不足はないのかもしれない。ふと、僕は思った。「この街の路上で『いきものがかり』は歌っていたのか」と。***いきものがかりは、J-POP界で着実な地位を築きつつあるグループだ。メンバーは三人。水野良樹さんと山下穂尊さん、そして、吉岡聖恵さん。なにより、このバンドの魅力はボーカルの吉岡聖恵さんの声だろう。あなたが、もし、彼女の中音域で震える声をじっくりと聞くのだとしたら泣きそうになるあなた自身に気がつくだろう。だから、「泣き笑いせつなポップ3人組」というキャッチフレーズはぴったりとはまるのだ。さて。僕がいきものがかりにはまったのは、去年の紅白歌合戦だった。吉岡さんと、平原綾香さん、青山テルマさんの三人で歌った「天空の城 ラピュタ」の主題歌、「君を乗せて」が綺麗だったからだ。みんな歌がうまいのに、互いを殺さずに、綺麗で、夢を乗っけているような声だった。リードボーカルだった平原さんが綺麗な声をしているのは知っていたけど、吉岡さんの歌の上手さと、声の震え方にすげえと思った。その紅白でいきものがかりは「SAKURA」を歌った。2009年になり、僕の一番初めに買い物は、「SAKURA」が収録されている「桜咲く街物語」だった。***本厚木の路上、おそらく駅前で「いきものがかり」は歌っていたのだろう。東京と意外に距離のある、この本厚木で。「SAKURA」とか、「ふたり」」では若い恋人の別れや、そこからの再出発が歌われている。でも、その別れっていうのは、永遠に別れるという感じでもない。例えば、東北から東京に出てくるように、会いに行きにくい距離に離れるというイメージではない。歌謡曲やPOPにありがちな距離が二人を引き離した、というのではない。彼は東京に行く。彼女は会いにいけない距離ではない。でも、実際には彼は遠くいってしまったように思う。だから、小田急線の桜の咲く様が哀しいし、東京の風がわたしに無力感をもたらすのだろう。多分それは、東京に住む彼の生活が変わってしまったことなのだろう。新しい住まい、新しい仕事とか、大学…。距離が近かったとしても、彼は別の生活になったのだ。東京に遊びに行くことと、東京に住むことは違うのだ。いきものがかりの曲には、距離は近いからこそ、生活と、やがては心が離れていくことが切なくて、怖い、そんな雰囲気が感じ取れる。多分、宇都宮とか、柏とかも東京に行くことはできても、生活するとなると別の街になるのだろう。いや、関東の町だけではない。交通の発達した日本では、心の遠さを距離の遠さに責任転嫁できないのだ。だから、心が離れたことを直視しなければならない。やがて、あなたは別の場所に進んでいく必要があると、吉岡さんの歌は大きな声で、しかしやさしく歌い上げている。きっと。いきものがかりは気がついていないかもしれない。彼女たちは、今の時代に生きる僕らの心情をしっかりと、背負ってくれている。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年06月21日
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テレビで見た、会見。上村愛子さん、皆川賢太郎さんの結婚会見。すごく、うらやましかった。もちろん、記者会見だったから、硬い雰囲気もあったのだろうけどとっても、好感が持てた。うらやましかった。のろけも嫌らしくない感じだった。なにより、互いの信頼感がしっかりと伝わってきた。面白かったのは、男性の皆川さんのほうが化粧をしっかりしていた雰囲気だったことなんだけど。頑張って欲しいな。僕は誰かにそんな、信頼感を持ってもらうことはあるのかなとか思っちゃった(苦笑)※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2009年06月12日
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