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Paganus

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2007.05.01
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カテゴリ: 日々雑感
キリスト教の文化的影響
建築への影響
 中世のヨーロッパにおいて大規模な建築は教会や修道院に限られたために、ある時期までのヨーロッパ建築史は教会建築史に重ねられる。特に11世紀よりロマネスク様式、12世紀末よりゴシック様式、15世紀からはルネサンス様式の大聖堂がヨーロッパ各地で盛んに建造された。「神の家」を視覚化した壮麗な建築は今も見る者を圧倒する。 それらは現在も教会として使用されつつ、各都市のシンボルとして保存され、ヨーロッパ都市の原風景の一部となっている。

美術への影響
 中世西ヨーロッパではキリスト教は美術の最大の需要を生み出していたといえる。上記の聖堂には、聖人の肖像画や聖伝を描いた壁画や絵画、窓にはめ込まれたステンドグラス、聖像、祭壇や様々な聖具類が供えられた。また祈祷書などの写本への挿絵も描かれた。これらはヨーロッパ美術史の中でも重要な位置を占める。一方、ローマ帝国時代に盛んだった室内装飾などの世俗美術は、中世初期ににはいったん廃れた。しかし、12世紀頃より古典古代への関心が復活するとともに異教のテーマに基づいた絵画が現れはじめ、13世紀後半から公然と描かれるようになった(たとえばボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』)。そして西ヨーロッパにおいては、世俗の美術がキリスト教美術を量的に圧倒するようになっただけではなく、その様式が宗教画に逆に取り入れられるようにもなった。対して東方教会では、聖像の規範性を重んじ、古来の型を保つことを教義の一部としたため、教会美術は時代による変化をあまりこうむらなかった。しかしルネサンス以後の西方美術は東方にも影響を与え、特に18世紀以降、ロシアを中心に、印象派風の筆致を持ちやや写実的な聖像表現も行われた。

音楽への影響
 キリスト教会では典礼での必要上、独特の教会音楽を発展させた。聖句を詠唱するための節回しがかなり早い時期に規定された。高低アクセントをもつギリシア語を公用語としたギリシア教会では、8種類からなる教会旋法が整備され、韻文で書かれたすべての祈祷文を、そのどれかにあてはめて歌うことが出来るシステムが確立した。これはラテン教会にも影響を与え、後者は今日グレゴリオ聖歌として知られている。グレゴリオ聖歌は単旋律(モノフォニー)であるが、9世紀頃には、これにオルガヌム声部を加えた複旋律(ポリフォニー)が現れる。同時に、それまでは口承されていた旋律を正確に記録するための楽譜が考案され、理論化が行われるようになる。教会音楽とは神の国の秩序を音で模倣するものであり、理想的で正確に記述されるべきものという信念が背景にあったと考えられているのだが、これらが今日の五線譜を用いた記譜法、和声法や対位法などの音楽理論へと発展していくことになる。

 教会の外部にも世俗的な音楽がヨーロッパに存在していたことは確かなことではあるが、記譜法と理論を兼ね揃えた教会音楽は後世への影響力という点では圧倒的に優勢であった。14世紀頃より、こうした教会の音楽理論が世俗音楽へ流れ始め、やがて教会の外で西洋音楽は発展していくことになる。

 作曲家で言えば、バッハやヘンデルまでは教会音楽が作曲活動の中で重要な位置を占めていたが、それ以降は教会音楽の比率は小さいものとなる。とはいえミサ曲は作曲家にとって重要なテーマであり続けたし、キリスト教関連のテーマを使った曲はその後も続いていく。

文学への影響
 中世のキリスト教文化の中では、聖人伝という形で多くの民間説話が語られて、流通した。それらの多くはウォラギネ『黄金伝説』(13世紀)の中に収められており、後のヨーロッパ文学に大きな影響を与えている。

 また、キリスト教の聖典自体が物語を豊富に擁しており、旧約聖書の創世記、ノアの箱舟、モーセの出エジプト、師士たちの年代記、そして教義の根幹を支える福音書の受難物語などは、現代に至るまで文学者たちへインスピレーションを与え続けてきた。ジョン・ミルトンの『失楽園』、オスカー・ワイルドの『サロメ』などが有名であるが、プロットの借用という程度であれば現代日本のライトノベルに至るまで多くの分野に影響は及んでいる。

 キリスト教思想に真っ向から取り組んだ作品としては、悪魔と契約を結んだ知識人が最後に救済されるゲーテの『ファウスト』、キリストと異端審問官とを対決させたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(「大審問官」の章)などが有名である。

 また、アウグスチヌスやイグナティウス・ロヨラなどの告白録は、自己内省で構成される告白文学という形式の成立に大きな影響を与えた。

哲学への影響
 ヨーロッパ中世ではリベラル・アーツ(自由七科)を統括する学問として哲学は尊重されたが、キリスト教側からは「哲学は神学の婢(はしため)」と位置づけられていた。

 11世紀頃より西ヨーロッパではスコラ学が興隆し学問的方法論が整備されて、哲学はキリスト教の枠内で発展する。アラビア語から翻訳されてヨーロッパに紹介されたアリストテレス哲学をキリスト教神学に融合させたトーマス・アクィナスの業績は特に、壮大なものである。また、普遍概念は実在するのか(実念論)、名前だけなのか(唯名論)を争った普遍論争など、哲学史に残る重要な議論が行われている。

 15世紀頃より、人文主義者たちはスコラ哲学を旧弊として敵視し、キリスト教の枠から離れて思想を展開していくことになるが、キリスト教社会で長年に渡って重ねられてきた一神教的・二元論的世界観にヨーロッパ社会は永く拘束された。

科学への影響
 自説を公表しなかったコペルニクスや、宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイの事例などから、キリスト教は科学に対して抑圧的であったと考えられてきた。特に、近代科学の発展期はカトリック教会の保守化の時期と重なっているために、多くの科学史家はカトリック教会に代表される旧弊因習に、科学者たちが立ち向かって近代科学を発展させてきたとしてきた。

 しかし、村上陽一郎のようにヨーロッパ近代科学を支えたのはキリスト教の精神であったとする説を唱える科学史家もいる。実用的かどうかはいったん度外視して「真理」自体を情熱的に追求するのがヨーロッパ近代科学の特徴であり、他地域の科学から大きく抜きん出た要因でもある。それはキリスト教で培われた一神教神学への情熱がそのまま科学へ転用されたのではないかという説である。

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Last updated  2007.05.01 03:01:08
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