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3月20日(月) 快晴 無風
雛形、Natsu&Keiさんから拝借。
良く晴れて、冷え込んだ朝。
良く晴れた。 風もない。
出かけよう!
昨日、NHKの特集「中国映画を支えた日本人」を見て感慨に耽った。
旧満州映画協会のフイルム編集女子職員に関する内容。
終戦直後は、国府軍(蒋介石)の勢力が強かったため、首都新京から鶴岡に移って、引き揚げる(1958年)までの13年間中共映画の製作指導に当たっていたとの事。
満映は、あの甘粕元憲兵大尉を理事長とする国策会社だったが、左翼も相当匿う様になっていたとの事。
その中に「大塚有章」が居て、かなりの人数の仲間と共に、敗戦混乱の日本人向けの思想普及をやっていた。
昭和19年10月、日満工業学校(福岡?)をを繰り上げ卒業して私の居る鉱山へ来た「増村敏行君」がなぜ鶴岡炭鉱まで行ったのかと不思議に思っていたが、大塚有章に連れられて満映社員と共に行ったようだ。
定年後、敗戦混乱の満州に関する本を漁って居て大塚有章の「未完の旅路」を見つけたのだが、そに中に増村君の炭鉱事故死が簡単に記述されていて驚いた。
大塚は帰国後、国会議員にも一期か二期出ていた。
増村君は、敗戦後の避難を共にし、西安炭鉱で共に棄民暮らしの放浪をして居たのだが、ジャムスで彼は大塚の・・・。
私は、10人余りの友人たちと南下、ハルビンで収容所に入り手ぶらで引き揚げた。
帰れなかったもの、いい思いまでしたもの、様ざまな敗戦人間模様。
(耄碌語)
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