年金生活者

イタリアの町では、昼間から公園やバールでたむろしている中年男性を大勢見掛ける。
イタリアの事情がよく解っていなかった昔は、イタリアちゅう国は噂通り失業者が多いもんだと思っていたのだが、私の推測どおりの一部の失業者を除いて、ほとんどが年金生活者だということが判明した。

イタリアでは35年間働き続けると満額年金が支給される。
此処イタリアは日本と違って大学進学率はそう高くなく、また普通高校に通う人間も少ない。
イタリアの学校制度というのは、義務教育の小学校が5年に中学校が4年、そして高校が5年、医学部を除く大学4年である。
この高校には2種類あって、日本でいう普通高校と専門学校とがある。
大学進学を目標としている人間を除けば普通高校に進む人は少なく、手に職を付けようと専門学校へ進むイタリア人が多い。

昨今こそ、この高校進学率も増加して入るが、昔は義務教育の中学を終えたら働く人が多かった。15歳の中学卒業時から35年働いたとすると50歳である。イタリアは日本と肩を並べる長寿国なので、50歳といえどもまだまだ現役で働ける年齢だ。

勤勉家と言われる日本人に比較すれば、イタリア人というのは「仕事より遊び優先」人間が多いので、年金を貰って今までどおりの生活が出来るのに、わざわざ辛い仕事なんぞ続けようと思う人は少ないのであろう。
まあ高額な税金や社会保障年金を払い続けてきたわけだから当然の権利なのだが、50歳やそこらで年金生活に入っていたのでは、年金財政の破綻も近い将来起こりうるのは必至。

イタリアは女性も働いている人が多いので当然彼女達も年金生活に入るわけだが、男尊女卑のまだまだ強い此処イタリアでは、女性が昼間からバールでたむろしている光景はほとんど見られない。
彼女達は今までどおり家の中で家事に追われているか、孫の子守りに忙しくしている筈。

男性の寿命が76歳として、50歳で年金生活に入ると約25年間のプー太郎(?)人生。
元々イタリア男性はマイホーム型パパではない人が多いので、特別な趣味を持つ人意外は日々何もする事が無く、出掛ける場所といえば近くの公園かバールとなる訳だ。

我が家の近所にも年金生活者の男性が一人暮らししているが、毎朝近くのバールへ出掛け昼前に帰宅、昼食を済ませて昼寝でもし、町が再び動き出す4時頃になると又お出掛けになっている。
我が家のお隣さんは、これまた年金生活に昨年突入した独身女性なのだが、やっと仕事から解放されたと喜んだ矢先に母親が倒れ、毎日介護に追われる生活を送っている。
母親が寝たきりになってはいけないと、細い華奢な体で自分より大きな母親を抱え歩行練習をさせている。
私から見ると全く良く出来た娘と思うのだが、たまにおしゃべりをすると彼女の口から出てくるのは愚痴。1年365日、朝から晩までほぼ目が離せず、自由時間もほとんど無い。毎週土曜日に開かれるメルカート(青空市場)へ行く事ぐらいが彼女の楽しみなのかもしれない。
結婚もせずに35年間一生懸命働いてきて、定年後は世界中旅でもして年金生活を楽しもう!と思っていたらしい。
50歳を過ぎても尚美しい彼女の
「独身を通して好きな事をしてきた、考えると母の介護で自由が利かなくなる今を予測しての事だったのかもしれない」
との言葉は印象的だった。
2軒隣の後家シニョーラも3匹の猫と共に90歳近い母親と二人暮し。
子供達が9人の孫を引っ切り無しに預けに来ており、猫と老婆と孫の世話に大忙しの日々だ。

皆持ち家があり、そして充分な年金があり、生活には不自由しない暮らしだろうが、本来イタリア人が人生の意義といている[楽しみ]は何処にあるのだろう?
多くのイタリア人が
「仕事をする為に我々は生きているのではない、人生楽しむ為にあるのだ」と言うが、
35年働いてきた結果が高齢者の介護や孫の子守り、公園やバールへ通う事だというのは、何だかむなしい気がする。


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