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少し前からコンビニで気になっていたものの、躊躇していた商品。あまおう大福ミルク。買ってみました。なんだろう、この微妙な青臭さのような味は、あずきのせい?普通のイチゴミルクのほうが美味しいと思いました。「イチゴミルクのほうが美味しい」比較してそう思った。これは「相対」です。他と比べての感想です。では「絶対」ならどうか。特別まずいわけではないけれど、また買おうとも思わない。という答えは「絶対」なのか?んー。あんまり良いたとえではなかったけど。最近、「絶対」と「相対」についてよく考えています。人はたいてい、「相対」で生きていると思います。比較するものがないと、価値がわからないのかもしれません。暗いを知っていなければ、明るいがわからない。不幸を知らなければ、幸福もわからない。冷たいを知れば、温かいを知ることができる。片方だけでももちろん分かるのですが、両方を知ればさらにより分かる、ということです。さて、「相対」ではなく「絶対」を知ることができるのは、例えば時計。感じる時間は、行動によって違うように思えます。はまっているとあっという間に過ぎますが、暇だと遅かったり。それが相対。でも、時計の示す時間は絶対。温度。体感温度は相対、温度計の温度は絶対です。つまり、はっきりとした絶対値を示すものがあれば良い。でも人生にそういうものはない。なら、自分が満足できればそれでいいじゃないか。という答えが返ってきそうですが、その「満足」というのが、「不満」と比較しての「満足」だと相対です。それなら、「相対としての満足」でいいじゃないか。ええ、そうですね。そうなのかもしれませんね。何とも比較することをせずに「幸せだ、満足だ」と思うのと、例えば昔と比較して「今は幸せだ、今は満足だ」と思うのは、どうなんだろうとか思ったりしてるんですよね。別に、どっちに優劣をつけようとしているんじゃないんですけど、「老子」の言葉でね、世の人は相対(他との比較)で物事を判断するが、聖人は他と比較することはない、と。まぁだから「聖人」なんでしょうけどね。自分はそれほど比較してないよ、と思っていても、無意識で比較してるんだな、と思ってしまったんですよね、イチゴミルクで(笑そして給料日のたびに、なんでうちの会社はこんなに給料が安いんだろう、と思ってしまうんですよね。仕事があるだけで有難い、給料を(高くはないけど)もらえるだけ有難い、という感謝の気持ちを忘れてしまっているのですよ。イチゴミルクから話があっちこっち飛んでますが…ここまで書いて、今、浮かんだ結論。感謝の気持ちを常に持っていれば、比較する必要はない。うんうん、そうね。そうなんだわね。よく考えたら違うかもしれんけど、今はそういうことにしておこう。ほぼ思考の垂れ流し状態で長くなりました。
2012.11.23
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実家にて、テレビドラマを観ていたときの母親との会話。役者さんの演技のことから、日常生活で「演じる」ことに話が変わりました。役者でなくても、みんな何かを演じているのではないか。そして、「なりたい自分」を演じているうちに、「もとの自分は」薄れていき、「なりたい自分」になっていけるのではないか、と。昔、中学生か高校生の頃だったかうろ覚えですが、「セイラさんのように冷静沈着になりたい」と思って、そう行動するように心がけていました。(セイラさんて誰? 分かる人には分かると思いますが、 ガンダムのキャラでございます)するとしばらくして、同級生から「ふらさんって、冷静沈着だよねー」と言われました。キタ━━!!で。何か自分にとって良くないことがあった場合、どう行動するか迷った場合、客観的に見るようにします。「どうするのが、自分がなりたい、理想とする自分なのか」と。それは最初は演じているのかもしれませんが、徐々に板についてきて、それが「素」になっていく気がします。そうなるまでには苦しいかもしれないですが。でも、「目指している自分」に近づけたら、きっと嬉しいのです。「演じる」というと、あまり良い意味には聞こえないかもしれませんけどね。
2012.11.22
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ちょっと前に流行った言葉。「断捨離」余裕があるからこそ、だったのねぇ。こういうときこそみんなでやったら、こんな買占めみたいなパニック的なことにはならんのにね。ほんと、流行に踊らされてるだけやんねぇ。
2011.03.21
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昨日の流れで、昔書いたのを、ちょっと漁ってみた。ちなみにコレ。自分で書いたことすら、すーーーっかり忘れていて、しかも、結末も忘れている。こういうことって、あるんだなぁ。で、読み返してみたら、そりゃ突っ込みどころはあるにしても、なんだか爽やかなハッピーエンドだった。最近思うのだけど、記憶に強く残るのって、ハッピーエンドじゃなくてバッドエンドだったり、黒澤映画ばりの終わってないような終わり方だったりするのかも。
2011.02.19
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言葉というのは、思っている以上に強い力があると思い直した今日この頃。言葉は人を幸せにもするし、不幸にもします。喜ばせることもできれば、悲しませることもできます。奮い立たせることもできれば、落ち込ませることもできます。だからみんなーファイトぉー!!
2010.10.16
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普段はひっそりと鳴りを潜めているけれど、嫌なことがあったり、イライラすると出てくるアイツ。トゲ。気をつけないと、無関係の人まで傷つけますねぇ。明らかにトゲの出ている人には近づかないようにしようと思いますが、自分から出ている場合にも人には近寄らないようにしています。そんなつもりはなくても、軽く引っかき傷くらいはつけてしまう。下手をすれば、取り返しのつかないことになりかねません。アイツが出ている間は、じっと待ちます。時間がたてばひっこみます。トゲの出ている人に自分から近づきたくなくても、相手から近づいてくることもあります。そうなると、自分のほうからもトゲが出やすくなります。困りますねぇ。相手のトゲを見たら、自分のトゲが出ないように、精一杯押さえつけましょうか。だって、トゲは醜悪ですからね。
2010.09.29
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「慌てる乞食はもらいが少ない」「急いてはことを仕損じる」私、まさにこれ。慌てると失敗しやすい。慌てると視野が狭くなって頭が固くなりがち。冷静な判断ができなくなる。ちょくちょくありますです。少し時間をおいて、よく考え直せば済むことなのに。すぐに答えをださなきゃ、という強迫観念めいたものがあるせいです。これは性格的なものなんでしょうかねぇ。昔のアニメ「一休さん」のようにならねば。慌てない慌てない。一休み一休み。
2010.09.18
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仕事で今感じているプレッシャー。すごく重たくて。でもそれを楽しむことにしよう。プレッシャーを光栄に思うことにしよう。余計なことは考えずに、ただひたすらできる限りのことをしよう。
2010.09.17
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自分のほうが劣ってる、だからもっとがんばろう。そう思える人は幸い。自分のほうが劣っている、だからもうやめてしまおう。自信喪失。後味の悪い諦め。自信をなくすということは、人と比べるからなくしてしまうんです。自分のほうが劣っていると分った時点でなくなります。自信を持つからなくすんです。持ってなければなくしません。自分がめいっぱい楽しみながら、できることを精一杯すればいいんです。そして、他人のことも素直に認めることです。
2010.09.16
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変なタイトルばっかりで。ひとりごとだと思って聞き流してください。パラレルワールドってどうよ?って話題です。書店で気になった「バシャール」の本。バシャール…ダリル・アンカ…どっかで聞いたことあるようなないような。ちょっと本をめくってみると、シルバーバーチみたいなチャネリング系ですね。スピ好きの人の間では有名なのかな?ちょっとパラパラと見ていたら、パラレルワールドは存在するようなことが書いてありまして。うーん………私の中では、パラレルワールドに関しては拒絶反応が出ます。SFならアリですが、リアルでは想像が追いつきません。この世界だけでいっぱいいっぱいなのに、そんな世界のことまで考えてられない。別にあってもいいけど、知らなくてもいいことのような気がします。もしあるとして。無数にパラレルワールドが存在して、その数だけ自分がいたら…気持ち悪い(笑
2010.08.07
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いっさいの人間は、他人のために己を犠牲にする心構えのある人に対しては尊敬と畏怖の念を抱く。 by ヴィヴェカーナンダ「他人のために己を犠牲にする」人っていうのは、自分は犠牲になっているとは思ってないのだろうね。あなたのためにやってあげてるのに、とか、これだけしてあげてるのに、なんて思ってるうちは、まだまだ尊敬されないのでしょうね。がばいばあちゃんも言ってた。「人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切」だと。新約聖書にはこうある。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。」この3つをひとくくりにするのはちと無理がありましたかね。ここのところ、とある虐待事件の裁判が行われているでしょ。自分を犠牲にしてまでは、我が子を救えなかった母親。もしかしたら、冷静だったらどうにか最悪の事態は避けられたのかもしれず。冷静な判断もできないほど追い詰められていたのかもしれず。それにしても犠牲になったあの子は、母親を恨んでいるのか、それとも、そんなことをされてまで母を慕っていたのか…なんてことを考えていたら涙が出てきました。あーやっぱり、がばいばあちゃんと聖書の引用は関係なかったな。
2010.07.22
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もしもシリーズみたいになってますが。もし、だーりんに先立たれ、一人暮らしになった場合。心配なのは、やっぱりにゃんこです。もしも自分が病気で入院したり亡くなったりしたら、にゃんこたちの面倒をみてくれる人がいません。甥や姪や義姉や弟が、あるいは近所の人が引き取ってくれたらいいけど、それほど期待はできません。心配で死に切れません。きっとそう思ってらっしゃる一人暮らしの方も多いと思います。そんな方のための、サービスがあります。こちら、「猫の森」ご家族の入院や死亡の際、猫を引き取って生涯快適な暮らしを提供するシステムで、「負担付贈与」の生前契約によって成立します。もともとはキャットシッターをされていたんですが、こういうサービスも始められたんですね。こういったところと契約しておけば、安心できるかもです。ただし、連絡を取れるような状態だったらいいですが、突然倒れてそのまま息を引き取ってしまって、異臭がするまで誰にも気づいてもらえないような状態だったら…うわぁやっぱり死に切れないー!その時は、道連れになってしまうのか。。。ごめんよ。高齢で一人暮らしになったら…いる子たちを看取ったあとは、もう動物と暮らさないようにするのがいいのか。。。そしたら心配しなくてすむものね。
2010.07.08
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動物ネタが続いてますが。H先輩から聞いた話。H先輩は、大学で畜産系の学部にいました。牧場に研修に行くんだそうです。いろいろな手伝いをし、牛の出産も手伝ったそうです。そして、牛を屠殺場へ連れて行くトラックに乗せる時のこと。単なる移動のためのトラックには普通に乗るらしいのですが、屠殺場へと向かうトラックには、なかなか乗らないんだそうです。前から引っ張り、後ろから押して数人がかりでやって、ようやくほんの数センチずつ足を動かすだけで、ものすごく足が重くなるんですって。牛にも、分かるみたいなんですよね。自分がこれから殺されてしまうっていうのが。。。「食べるために育ててるんだって言われたらそれまでなんだけど」と言っていたH先輩も、肉を食べません。うちのほうも牧場が多いんですが、ブタを満載したトラックを毎日のように見かけます。雨が降ろうが雪が降ろうが、吹きっさらしのトラックで運ばれます。身動き取れないほどぎゅうぎゅう詰めにされて、ひどい状態です。なんだったら精密機器の方が丁寧に運ばれてます。最後くらい、もう少し優しく運んであげられないものだろうか、と思います。
2010.07.05
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起きたら夕方の4時過ぎでした。。。お姑さんは午前中から出かけていて、いなかったようです。だーりんとお出かけして、サブウェイでサンドイッチを買い、実家へ行って母と食べました。その道すがら。道端に動物が横たわっていました。頭は茂みに隠れていて見えなかったのですが、体は…ブタでした。小型で、ピンク色じゃないので、ペットのミニブタか、ノブタか。なんでまたこんなところで死んでしまったのか。。。母は、父の服を整理しています。大量にあって、大変そうです。私の部屋も整理していたら、高校の時の卒業文集が出てきて。家に持ってきて読んでみましたが、もう同級生の半分以上、忘れていました。この人、どんな顔だったっけ…記憶ってそんなもんですね。<私だけ?でも思い出せないだけで、すべての記憶は奥底に残ってるはず。亡くなってから49日の間に、すべてを思い出すと言う人もいます。その時に反省したり、後悔したり、嬉しがったりするんでしょうね。ああ、これ、(次の世で)またやり直しだな、とか。あのときは良くやったな、とか。もっとこうしていれば、とか、いろいろ思うんでしょうね。生まれ変わりなんてない、という人もいますが、私は信じてはいるけど、100%断言はできません。でも99%信じてます。こればっかりは死んでみないことには分からない。だからある意味、楽しみなんですよね、確かめるのが。いろいろと確かめたいことがあります。いずれは誰でも死ぬんだから、怖がってるより楽しみにしていたほうがいいじゃない?だからって、自ら死のうとは思わない。生きてる限りは、生ききらないと。
2010.07.04
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夏が亡くなってから、もう1週間経つんですね。早いなぁ。いや…同僚の時も、父の時もそうでしたが、感覚が変なんですよね。まだそれほど経ってない気もするし、ずいぶん経ってる気もして。ふと見たら、普通にいるんじゃないかって気もしたり。去年の8月から、ごく身近で3つの命がこの世を去りました。みんな、あっちで楽しくやってるかな?亡くなってから49日間は、まだこの世にいるとも言われますが、それは人間だけですか?猫や犬は?夏もまだこっちにいるのかな。どうなんだろ。いつも寝ていた場所にいたりするのかな。見えたらいいなと思うときもありますが、そうなると見たくないものまで見えてしまいそうなので…見たいものだけ見えるという都合のいい能力はないものか。月末、同僚の1周忌に呼ばれました。その日は母と講演会に行く予定だったのですが、それはキャンセルに。もうこの光景は見られない。。。
2010.07.03
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たぶんね、これが正解!っていうのは無いんだと思う。だから、ああすれば良かったとか、こうしておけば…っていう後悔をするのは時間の無駄。その時は、それがいいと思ってしたことなら、いいじゃない。言い換えれば、すべてが正解。ね。
2010.06.21
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BUMP OF CHICKEN の「オンリーロンリーグローリー」という曲に、『 笑われる事なく 恨まれる事なく 輝く命など無い 』という歌詞があるんです。笑われる事なんていっぱいありますが、恨まれる事ってどうなのかな、という思いもあったんです。私はどちらかというと恨まれたり憎まれたりしないようにしようと、そう思っていますが、それは多分、無難な生き方をしているのかもしれず。自分の思わぬところで恨まれたりしてるかもしれませんけどね。信念を貫く生き方をしていたら、きっとどこかで敵ができてしまう気がします。そんなことを思ったのは、動物保護のことを考えていて。それと、去年あたりから問題になっていたミツバチ減少のこととかね。いろんな人の思いがあるし、莫大な利権が絡んで、口をつぐまざるをえないプレッシャーがかけられることがあるのも事実。自分の信念を曲げなかったために、ある団体から殺されてしまった人も知ってます。その方はまだ見つかってなくて、ご家族は苦しんでいます。まぁこれは極端な事例でしょうけど、人の恨みって、怖ろしいものなんです。でも歴史を見れば、そういうことって多かったりもする。ほんとに些細なことでも人の恨みをかってしまうこともあるしね。こっちを立てればあっちが立たず。みんなが笑顔でいられる世界は、きっと誰もが望んでいるけど、難しい。自分が良ければいい、自分の利益しか考えてない、そんな「小我」が恨みを作り出すんだろうなぁ。まぁほんと難しいんだけど。
2010.05.16
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野良猫にゴハンをあげていた人に、有罪判決が下りてしまいましたね。もちろん肯定派、否定派で意見は分かれるとは思いますが。なんか世知辛い世の中ですねぇ。。。裁判官が全員猫好きだったら、判決は変わっていたのかな、と思ったりして。最近流行っている伝染病、口蹄疫で処分される牛や豚は、8万頭近く。保健所で処分される犬猫は、年間40万頭。国内で食用の為に殺される牛は年間140万頭、豚は1700万頭。動物の毛皮製品の輸入高は億単位。人間は鬼だね。
2010.05.13
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自分の思っている当たり前と、他人の思っている当たり前は、違うのが当たり前だ。そういう時点で、それは当たり前ではない。と思っていることも当たり前ではないのか。あ、いきなり混乱してすいません。先日買い物に行ったとき、レジで我々の前に並んでいたご夫婦。奥様が、レジのお姉さんに向かっていきなりキレました。「当たり前でしょ!!」とヒステリックに叫ぶ奥様。なにが起きたのかと耳をダンボにしていると、どうも奥様のおっしゃる「当たり前」は、私の「当たり前」とは違う様子。一緒に居ただーりんも、「当たり前じゃないよなぁ」と言ってました。何が起きたのかというと、買った品物を、レジの袋に入れるのが「当たり前」だとおっしゃって。レジ袋に入れるには大きすぎる物って、お買い上げシールを貼るだけ、だったりしますよねぇ。レジのお姉さんも、袋に入らないし、入れようとしたら品物の形が崩れるし、そう思って迷ったのだろうと思います。つか、そんな些細なことでヒステリックに叫ばなくても…と思ったのでした。普通に「袋に入れて下さい」って言えなかったのには理由があるのか…客という立場になると、店の人に対して態度が横柄になる人って、苦手です。その奥様は、普段からキレやすいのか、それとも、何かあってイライラしていたのか…そうならないように、気をつけよっと。最近、自分の気持ちに余裕がないと感じることが多々あるのでね。他人の振り見て我が振り直そ。……脱線したので戻します。「当たり前」や「当然」「常識」って、万人に通用するものに対して使う言葉のはずだけど、たいていの場合、通用しなかったりするよねぇ。
2010.05.12
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始まりとか終わりとか思っていたものは、ほんとは途中なんだろうな。生まれるのが始まりで、死ぬのが終わり、じゃなくて、どっちも途中。
2010.04.21
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以前書いた試練の話について。いきなりスピリチュアル系な話になってしまうと思いますが、退かれるかもしれないですけど、興味のある方はどうぞ。まず、魂はあるという前提です。そしてその魂は、この世に修行のために何度も生まれ変わって来ているということも前提です。それで、前に書いた試練のこと。「乗り越える」という概念が違うんじゃないかと思い直しました。言い直すなら「経験する」が近いのかもしれません。試練は乗り越えるのではなく、経験する。前に書いた中の、>あまりにもつらいことがあったために>精神的に病んでしまって治らない人知人の奥様は、もう何年も入院して、一向に治りません。旦那様は、心配のあまり、全身の毛が抜け落ちました。きっと娘さんたちも、相当心配だろうと思います。この人たちは、みんなつらい修行をなさっています。でも魂は、きっといい経験をしたと思っているのではないか。つらい思いをすればするほど、魂的には成長できるから。>自らこの世を去ってしまう人がいるのでしょうね。>乗り越えられなかったから、そうなってしまうのではないですか?魂のことを思えば、自ら命を絶つことはしないと思うのです。自殺という行為は、自分で自分(の魂)に更なる過酷な試練を与える行為なのではないかと思います。いや…ちょっとニュアンスが違うな。。例えば、生まれ変わって成長ができるにつれて、階段を1つずつ上がれるとして。ようやく10段目まで上がってきたのに、一気に5段も下がってしまう行為。数はてきとーですが。やっちまったな、的な。だから、試練に耐えられずに(この世から)逃げてしまうのは、とてももったいないことで。とはいえ、そこまで追い詰められるということは、相当につらいことです。あまり軽々しく「やっちまったな」なんて言ってはいけないんですが。子供の頃から、死んだらどうなるんだろうとか、魂ってあるのかとか、そういうことを考えていました。江原さんの本を読み漁ったりもしました。「シルバーバーチ霊言集」もあります(だーりんパパのもの)。こちらのブログもお気に入りです。僕のアニキは神様とお話ができますあの世に聞いた、この世の仕組みこの手のものがネット上でも最近とても増えているので、楽しいです。子供の頃からの疑問の答えが、サクサクと。でもやっぱり、与えられたものではなく、自分の言葉で表現できないとだめだなとは思っているんです。他人の受け売りじゃなくてね。そうしないと、吸収したことにならないような。あ、本題から逸れてましたねぇ。そんな感じで、私も守護霊様と交信できたら素敵だなーと思っております。ってまた逸れてるし。
2010.02.27
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以前書いた、義姉の舅の話を、思い出していました。手短に書くと、義姉が盗み見た舅の日記に、毎日義姉の悪口が書かれていたんです。義姉は農家に嫁ぎ、朝早くから畑の手伝いをし、家族の食事の用意をし、子供を3人育て、舅の作った多大な借金を返済するために仕事をしています。そんながんばっている人の悪口を書くなんて、クタバリゾコナイノクソジジイです。「憎まれっ子世にはばかる」といいますが、そのクチです。言葉悪くてすいません。まぁ他人の非公開日記を盗み見てしまったのも悪いんですが。知らぬが仏。知らないほうが良いことって、たくさんあると思います。知ってしまったら、知らなかったことにするのは難しい。義姉のような場合、思いつく選択肢は3つ。1.縁を切る。2.今まで以上に、舅に優しくする。 舅の日記に、良く書かれるようになるまで努力する。3.気にしない。ある人のブログに「バカは最強」と書かれていましたが、ほんとそうですね。何を言われても、まったく気にしない人って最強ですよねぇ。人様に迷惑をかけない程度のバカになりたい。
2010.01.31
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会社で水を飲みながらふと思いました。世界には、きれいな水すら飲めない人たちがいること。貴重な水。命の水。コップに残った水を捨てようかと思ったけど、水を捨てることへの罪悪感にさいなまれ、飲み干しました。お腹がガブガブ。。。その後、水をじゃあじゃあ流しながらコップを洗うことにはためらいもなく。変なのぉ。世の中、エコだなんだって言ってるけれど、その前にもっと身近で大事なことがあるだろうと思った日。
2010.01.08
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事件が起こると、容疑者の過去を知る人の話がメディアに出てくる。中学時代や高校時代の同級生とか同じ部活だった人やなんか。あの頃は陽気で人気者だった、とか、とても真面目で成績も優秀だった、とか、そんなことをするような子じゃなかったのに。あるいは、あの頃からちょっと危ない感じだった、なんてのもある。そういった情報を流す必要があるのか?10年も20年も前のことだよ?だいたい、同級生のうちどれくらいの人が、他人の本性や本音を知っているというのだろう。ご近所だって、ほとんど知らないに等しい。昔のような親密な近所づきあいがあるならまだしも。そんな人たちにインタビューしたって、何の意味もないでしょうに。それとも…それが何かの役に立つのか?そういったものから導き出されるものは…人って複雑。人は変わる。人は見た目じゃ判断できない。真面目で陽気だった人でも罪を犯す。そういった判断をする材料にしかならない気が…そんなもの、ねぇ。。。だいたい、被害者の身近な人へのインタビューだって、無神経だと思う。中には、世間に対してテレビを通じて訴えたい人もいるだろうけども、ただの野次馬的な報道はどうかと。と、こういったことは前々から言われているけど、変わらないのね。変わらないということは、そういうのを見たいという人もいるってことか?視聴率取れればいいのか。下世話だなぁ。
2009.11.10
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理解できるかどうかは、想像できるかどうかだと思う。今回の島根の事件のようなバラバラ事件は過去にいくつもあるし、「誰でも良かった」という通り魔事件もたくさんある。こういうのは怖い。まず、その犯罪心理が理解できないから怖い。そして、いつ自分や身近な人が被害に遭うかわからないから怖い。本当に怖い。ある特定の人物、つまり被害者に対する恩恨があって犯行に及んだというケースは、そう怖くはない。理解できるからだ。もし自分がある人に対してどうにもならないくらい、そう、殺してしまいたいくらいの感情を持っていたら、きっと頭の中でそうしている。想像している。それを実行しないだけで。だから、同じようなことを考え、抑えきれずに実行してしまった人の気持ちは、想像できるから理解できる。やっていいことではないにしても。でも…誰でもいいとか、バラバラにしようとか、それはちょっと想像しにくい。気分が悪くなる。つまり、理解できない。怖い。被害者は、本当に気の毒だ。どうにもやりきれない憤りを感じます。
2009.11.08
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「神は乗り越えられる試練しか与えない」といいますけれどね。だったらどうして、あまりにもつらいことがあったために精神的に病んでしまって治らない人や、自らこの世を去ってしまう人がいるのでしょうね。乗り越えられなかったから、そうなってしまうのではないですか?そこんとこ、教えていただきたいのですよ、神様。
2009.10.30
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他人から見たらどうでもいいことでも、自分がこだわりたかったらこだわればいいと思う。自分にはこだわりはない、と言っているのは、こだわらないことにこだわっているのかもね。
2009.09.14
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いつ止まっちゃうか分からないんですよ。だったらいつもハッピーな気分でいたいじゃないですか。非日常に対抗するには、別の非日常を用意するんです。
2009.09.09
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無意識で口調がキツイとか、言い方が悪いというのは、はっきり言って損です。口から発せられる言葉というのは、強く心に残ります。簡単に人を傷つけます。ですが、言った本人にその自覚がない場合、あるいはどこかで気づかない限り、直りません。キツイよ、って本人に言っても素直に改められる人ばかりではありません。うちのお姑さんの話ですが、家族中から「言い方がキツイから直したほうがいい」と言われたそうです。それは私が結婚する前の話。そして結婚する直前か結婚してすぐ、くらいだったでしょうか、お姑さんと2人っきりになった時があって。こう言われました。「私の言い方はキツイみたいだけど、直らないから、 あんたが慣れてちょうだいね」今でもはっきりと、そのセリフは覚えています。違いますよ、直らないんじゃなくて、自覚がないから直す気がないんです。一緒に暮らすうちに、そう思いました。もう慣れましたけど、それでも内心はカチンとくることがあります。「キツイ言い方をするのは、親しみを込めてるからだ」とも言われました。でも実の親からも、そんな言われ方をしたことはないんですよ。「父さんにも殴られたことないのに!」と心の中で彼の叫びが聞こえました。そして先日、お姑さんが知人から「言い方がキツイ」と言われて、すごく腹が立ったと言っていました。自分の悪い部分を指摘してくれた相手には、むしろ感謝すべきかと。いや、自覚がないから「ひどいことを言われた」としか受け取らない?だから腹が立つのでしょうか。あるいはプライドを傷つけられたから、かな。極端ですが、A「性格は極悪なのに、口調はとっても穏やかで優しい人」B「性格は悪くないのに、口調がきつくて言い方が悪い人」どっちもいます。付き合い始めは性格は分からないので、Aさんの方がいい人そうに思います。付き合っていくうちに、Bさんのほうがいい人だと分かるかもしれませんが、Bさんはその口調の悪さで人から拒絶されてしまうので、実は悪い人じゃないと分かってもらいにくい。だから、Bさんは損なんです。ちなみにAさんは、ほとんど詐欺師かも(笑
2009.08.22
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ミーアキャット、よく顔を見ると、思ったほど可愛くないと思った。やっぱりちょっとマングース系の顔で。でもマングースほど凶暴そうじゃないし、子供の頃は愛嬌もある。どうして人気があるのかって、あの立ち姿なんだろうな。みんな同じ方向を向いて立ってるのは、お腹を日に当てて体を温めるためなんだって。野生動物ものを見るといつも思うんだけど、その映画やドキュメンタリーって、主役を立てるでしょ。このミーアキャットでも皇帝ペンギンでも、それを主役として見るから、天敵のワシやシャチは悪者に見えてしまうんだよね。インパラから見たらライオンは悪者。でも、サソリから見たら、ミーアキャットが悪者に見える。自然界では弱肉強食が当たり前で。食物連鎖のピラミッドが成り立っているだけで。視点を変えれば、悪者は逆転する。いや、悪者は存在しない。自然界には正義も悪も存在しない。ただ、生きるために食べるだけ。食べられる方は可哀想に見えるけど、ほんとは可哀想じゃないんだよねぇ。もしピラミッドの下のものにとって上のものが悪者だとしたら、人間がいちばんの悪者だぁね。我が家のミーアキャット。眠人
2009.08.13
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昨日、歯医者さんに行って診察まで待ってる間テレビを見ていたんですが、小学生の女の子が学校で先生にいじめられているそうで。父親が学校へ行き、先生に抗議したのを録音してあって、それを番組内で流していたんです。その父親の言葉。「人を傷つけるのに、多くの言葉はいらないんですよ」とーさん、なかなかいいこと言うじゃない。そうですよ、たった一言、たった一つの単語だけでも、人を充分傷つけられるんです。それは言った本人は気づかないかもしれない。でも言われたほうは、すごく深くまでぐさっとくることがある。私もたまにやらかしてると思います。ここでも、やっちゃってると思います。そんなつもりはなくても、悪気はなくて冗談のつもりでも、言われたほうは……ですよね。気をつけます。
2009.07.10
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会社の人が、仕事で付き合いのある人のことで困っています。その人は自分の考えが絶対で、他人の都合とか立場を考えません。いちど敵視すると、どこまでも敵視します。自分がいちばん、他人の言うことは聞き入れない。今回も、たった一文字変えて欲しい、それだけでずいぶん印象は変わるから、それでこっちの立場も悪くならないし、とお願いしても、頑として聞き入れてくれません。それはポリシーとか、譲れない部分とか言う次元ではないような気がする。ただのわからずや。頑固者。わがまま。自己中。謙虚さがまるで無い。ジャイアンが大人になった感じです。「なんなんだろう、あの人は… ずっとあんなんで生きてきたのかな…」と今日もぼやいていました。幼いか、弱いんじゃないですかねぇ。いろいろと経験するうちに、分かってくるでしょ、ここは引くべきだとか、人の気持ちを察するとか。誰かと衝突したり、気分を悪くさせてしまったりしたら、何かしら反省したり、自分の悪い部分を改めようと思ったり、そういう経験をしていないか、あるいは気づかないのか。そういう意味で精神的に幼いのかもしれないな、と。弱いというのは、自分の弱さを隠そうとして虚勢を張るパターン。弱い犬ほどよく吠えるしね。とまあ、自分も偉そうなことは言えませんが。そういう人とは仕事上でもあまりお付き合いしたくないなぁ。
2009.06.22
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予約だけで増刷決定の「1Q84」すいません、村上龍さんだと思ってました。村上春樹さんだったのですね。あーなんだかなー。----自分で書いた映画の感想、読み返すと、かなり無神経で失礼なことを書いてると思う。難しいね。でもそれが自分なんだ。無神経で失礼な人間ってことなんだ。まだまだ未熟者だ。なんだかなー、ってつくづく思う。
2009.06.16
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2本目。「真夏のオリオン」戦争物の映画って、誰かが死んで当たり前、ってイメージがありました。それって怖いことですよね。麻痺してますよね。この映画の主人公、潜水艦の倉本艦長は、誰も死なせない、と。潜水艦に積んである回天(人が乗って敵艦に突っ込む魚雷)も、決して使おうとしない。死ぬ覚悟を決めて乗ってきた回天の乗組員と、艦長とのやりとりが良かった。いったん覚悟を決めたら、むしろ死なないといけないって気持ちになるんだろうか。本心は、できることなら死にたくないと思うのだろうか。二度と帰らない覚悟をして戦場に行く、となったら…やっぱり実際に経験してみないと分からない。私には命をかけた覚悟の想像がつかない。まして、もう日本は負けが見えているような状況で、だ。なんかさ、もうアメリカに勝てないんじゃないの、って思い始めていても、きっと諦めたくなかったんだろうな。いや、諦めたらいけないって雰囲気だったんだろう。今の日本は「平和ボケしてる」って言われるけど、いいじゃん平和なんだから。平和で何が悪い。戦争をしているほうが、ずーーーっと悪いやんか。戦没者の方々、戦争を経験した方々の思いの上に、今の平和があるんだよ。あー、いや、この「平和ボケ」問題は自衛隊派遣とか複雑なんだよね。。。でもさ、なんでいまだに核兵器とか作ろうとしてるんだ北は。おかしーやろ。あーこっちもあらすじとか書いてないし。映画とあんまり関係なくなってるし。まいっか。
2009.06.15
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長いので2つに分けます。1本目。「重力ピエロ」正直、それほど期待してなかったんです。(関係者の皆さんごめんなさいなんとなく良さそう、くらいで、何の予備知識もなしに行ったら…すんげーーーーーーー良かった(ごめんなさいね、言葉悪くて。泣きましたよ、5回以上泣いたと思います。んー。泣ける=良い映画ってことではないんですけどね。でも良かった。久々に良い!!と思いました。予告、テレビでも流れてますが、「俺たちは最強の家族だ」っていう小日向さんのセリフが強烈で。ん、なんかアットホームな、家族で見る内容なのかぁ、お父さんがあのピエロだったりするのかなぁと、とんちんかんな想像をしていました。原作も読んでいませんし。で、まぁ「家族の絆」がテーマなんですが、ただの家族ではなく。「被害者の家族」なんですよね。「被害者の」ってついただけで、おもーくなりますね。重いですよ。めちゃめちゃ重いです。でも暗くはない。ちょっとのほほんとしたお父さんと長男の空気感というか、あの雰囲気を映像で表現できるのってすごいと思う。小日向文世さんの演技、素晴らしかった。(上から目線かよあのお父さんの役、最高ですね。加瀬亮くんも、岡田将生くんも良いですよ!!「深刻なことほど陽気に言う」って難しいけど、でも実際そうなってる気がしますね。そうしないと、言ってる本人が潰されそうだから。そして「家族の絆」の裏テーマ(勝手に名づけました)としては、「環境と遺伝」なんだろうなと思いました。ずっと、環境は遺伝に勝てると思っていました。でもそういう問題じゃない部分って、あるんだな、と。無意識というか。原作は、きっと読まないと思います。重いから。でも伊坂幸太郎さんの他の作品は読んでみたいです。あーでも…原作の空気感も味わってみたいかも。今度伊坂さん原作の「死神の精度」(DVD)借りてこよう。これだけ書いて、肝心のあらすじとか全く書いてないですね(笑
2009.06.15
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「今時の若い人」って、どちらかというと悪い意味で使われる方が多い。でもこの言葉、ずっと、ずーっと前から使われてきた。私が十代、二十代の頃も言われていた。もちろんその前も言われていたんだと思う。年配の人から見たら、理解不能なことや、自分たちの基準に合わないことは、「今時の~」ってくくりにされてしまう。ファッションにしても、ルーズソックスだったり腰ばきのパンツだったりそういうのを「今時の~」って言っている大人たちは、自分が若い頃にもやはり言われていたんですよね。制服のスカートがやたら長かった時代、学ランも長くてダボダボのズボン(ドカン?)の時代、高校生でリーゼントだったり妙にケバイ化粧だったり、そういう人も、上からは「今時の若い人は…」って言われていたと思う。さらにさかのぼると、ヒッピーだとか、ラッパズボンやロンドンブーツなんかが流行った時代には、やはり同じように「今時の~」って言われていたんだろうね。そんな人が大人になって、自分が言われていたことを下に言う。言われるほうは、「今時の~」という言葉でひとくくりにされることを多分嫌う。「今時の~」って言葉は、ずーっと昔から言われてきて、きっとこれからもずーーーっと言われ続けるんだろうな。もしかしたら、その言葉には、まったくしょうがないな、何考えてるのかわからない、どこがいいのそれ?っていう思いの裏に、ちょっとだけ羨ましいって気持ちがあったりもするのかな、と。ゆとり世代、うちの会社にはまだいないんですが、やっぱりそうやって、ひとくくりにしてはいけない人もいるんだろうし。それにしても、あの腰ばきは、歩きにくいと思うんだけど…って言ってる私はすでにおばさんか(笑ミニスカにルーズソックスはきたかったなー。あの年代じゃないと、あの格好はできないもんね。しかし、もう巷では見かけないですよね、腰ばきもルーズソックスも。ルーズソックスは萌えの世界ではまだ現役…かな?
2009.06.13
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それでも明日は日が昇るし、時間はきっちりと進むし、世界はなにも変わらない。あなたが落ち込んでいようと、幸せいっぱいだろうと、悲しんでいようと喜んでいようと、草は芽を出し花を咲かせ、散って種を実らせる。精一杯生きていようが怠けていようが、誰でも必ず最期を迎える。そしてまた、新たな別の生命が生まれる。時代が変わり人の考え方や生き方が変わっても、自然の流れは変わらない。コンクリートの割れ目に咲く花は、自分が必死だなんて思わない。生きるべきところに生きているだけで、過酷な運命を受け入れているなんてことも思わない。人は感情という厄介なものがあるお陰で、好きだの嫌いだの良いだの悪いだのと言い、悩んだり苦しんだりする。そして喜んだりもする。なに、なにこれ?オチが見つからないじゃない。まいっか。おやすみー。(書き逃げ
2009.06.01
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フジテレビで裁判員制度のドラマ2連発。2時間ドラマの後に連続ドラマ。対照的ですね、この2つ。2時間ドラマのほうは「サマヨイザクラ」。なかなか面白かったです。前半は裁判員制度で起こりそうないろいろな事態を想定していて、それぞれの人間模様や背景が描かれていて。終盤が、ちょいありがちなサスペンス風になってしまったけど。いろいろな要素が含まれていて、考えさせられるものでした。連続ドラマ「魔女裁判」のほうは、なんか闇の組織とか、裁判員たちの買収や脅迫とか、いろいろがちょっと現実離れしているけども。いずれにしても、裁判員に選ばれたくないなー、というのが正直なとこ。
2009.05.30
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遠くに見える山の陰に陽が落ちて、褐色がかったオレンジから濃紺へとグラデーションに彩られる空も、ほとんど黒に近い濃紺のはじまりに一番星が輝くのも、僕の隣に腰を下ろして膝を抱えたあなたはの目には映っていないのでしょうね。「また、振られちゃったみたい」また、ですか。かける言葉もないのです。あなたにちょっと近づくと、肌の感触が、少し伝わってきます。そして悲しみの感情もまた、僕には伝わってくるのです。「しょうがないよね、人は自分の思い通りになんていかない」そうですか。思いは言わなければ伝わりにくいものですが、その手段すら持たないものはどうすればいいのでしょう。僕は、あなたのことをいろいろ知っています。たぶんそれは、あなたが思っている以上に。あなたは、僕のことをどれくらい知っていますか?あなたが居ない間、どれほど心配で待っているか知っていますか?あなたが帰ってきたら、落ち着きがなくなるほど喜んでいるのを知っていますか?あなたが悲しんでいるのを見るのはつらいのです。体をぴったりとくっつけてもいいですか。「くすぐったいよ」我慢してください。「なぐさめてるつもり? あんたは優しいね」その声も、温かい手も、やわらかいところも大好きなんです。なのに、僕の思いは届いているのかどうかすら怪しいのです。「あんたが人間だったらよかったのにね」僕たちは目が合いました。『あなたが猫だったらよかったのに』思ってみたけど、やっぱり届かないんでしょうね。僕は頭をあなたの手に押し付けて、喉をごろごろと鳴らします。僕の思いは、伝わりますか?「わかったよ、ごはんね」違う違う。やっぱり人は自分の思い通りにはいかないものですね。あ、流れ星ですよ。
2009.05.29
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小説を読んだりするときはもちろん、人の話を聞くときも、頭の中で映像化しませんか?こんなことがあった、とか聞くと、映像化して、しかもかなり感情移入を上回る感じで、つまり当事者の立場か、その場に居合わせた形での映像化をしてしまう。それが楽しいことならいいのだけど、つらいことや、悲惨なことや、どちらかというと良くない方面だと、すごくつらくなる。そりゃ当の本人を超えるつらさではないけれど。今日、実家に寄って父親の体験談を聞いて。一時、消防署にいた時期があったんですが。そのときのすごくつらい惨劇を聞かされ、泣きながら帰ってきました。あまりにもひどい状況なので書けませんが、そういう事態に頻繁に直面しなければならない消防署の人って、すごくしんどいだろうなぁ。。。警察関係の人もそうだろうね。----そういえば。つよぽん、復帰、がんばれ。
2009.05.28
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むき栗は、むかなくてすむから楽だけど、やっぱり自分でむいて食べたほうが、食べたぞーっていう実感がある。スイカもカットして出されるよりも、自分でさくっとフォークやスプーンで食べたほうが、食べた感がある。そのままかぶりつくのが好きな人もいるだろうし。梅干は、タネ抜きよりも、最後に残ったタネを舌の上で転がすほうが、梅干の余韻が残っていていい気がする。労力や手間や余計なものを排除してしまって、ただ楽になったものって、味わう醍醐味もちょっとばかり失ってしまう気がする。味までも、なんとなく違ってくる気がする。特に、むき栗。むいた後に、機械で洗ってるんだろうか?なんか、味、違うよね。気のせいかな。まぁ、楽になったほうがだんぜんいいものもあるけど。牛乳とか。自分で牛からしぼって飲みなさいって言われたら、無理だ。そもそも家に牛がいない。魚も釣ってきて食べなさい、ってのも、大変だ。って、そういうのは問題外だけど。でも、便利な世の中になる前には、そうしていたんだよね。大昔の「仕事」というものは、そういったものだったんだよね。うーん。便利になったからといって、人の「仕事に従事しない時間」が増えたのかというと、逆に減っているような。大昔は、夜中まで働いてない。日が沈んだら、寝る。その代わり朝は早いけど、行動する時間は今より少ないと思われる。それなのに、不便な時代のほうが、時間に余裕があるってのはどういうことだ。どういうことだ。うーん、やることの総量が少なかった、のかな。
2009.05.26
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だーりんのお姉さん(以下、姉)の話。姉は農家に嫁いだ。親と同居。姉は農業を一生懸命手伝い、すごく気を遣ってやってきた。そしてこの父親、昔から、ずーっと欠かさず日記をつけている。そして姉は、その日記を先日こっそり見てしまった。そこには、姉の悪口が毎日のように書かれていた。あることないこと、誤解、思い込み、すべて姉を悪者にして書き連ねてあったそうだ。もともと好かれてはいないと思っていたが、そこまでひどく書かれていることを知って、姉は相当ショックを受けた。家を出たいと夫に相談しても、娘に言っても、どっちもついてきてくれない、と。可哀想に。その父親、病んでるね。哀れな。そりゃ人に見せないことを前提にしてる日記は、何を書いても自由だけど。誰にも言えないようなことや、口に出せない本音を書くのも自由だけど。つまりそこに書かれているのは本音なわけで。本気で好かれていないと知ってしまったら、付き合い方変わるよねぇ。姉もストレス溜まるだろうな。できるなら、家を出たほうがお互いのためなのかも。そこで一緒に家を出てもいいって言ってあげるのが夫じゃないのか?あの兄も、なんていうか、すごい保守的で世間体を気にする人。姉はよくそんなつらい状況で生活できるものだ。。。日記に、他に書くことないのかいな。つか、姉のことしか考えてないようにも思える。ある意味、裏返し…??まさか、ね。これからどうなるか分からないけど、できるだけ幸せに笑って生きられるようになるといいな。みんな、ね。まぁなんだ、他人のプライベートな日記は、盗み見ちゃいけないね。。。ちょっとは興味あるけども。
2009.05.23
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七色に輝く虹が教えてくれたことは、喜びを与えることの楽しみと、生きるための勇気と、鮮やかな希望と、温かく深い思いやりと、純粋な感受性と、惜しみない愛情と、そして苦難を受け入れる忍耐だった。苦しみから解放された虹の向こう側で、「虹って思っていたよりも遥かに綺麗ですよ」と笑っていて欲しい。
2009.05.13
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情熱を支えるものは、「わくわく」だ。
2009.04.09
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イメージを他人と共有するのは難しい。イメージの元となるものは、経験とセンスと想像力。それは人それぞれだものねぇ。
2009.04.08
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良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう。悪意があったわけでは決してなく、考えて良いと思って出した結論。でもそれによって後悔する事態が起きるかもしれない。そうなっても、どうか、ご自分を責めないで下さい。悲しいという字は、非に心と書く。なぜだ…
2009.04.02
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想い出は、風化するのもあれば、より鮮明になるのもある。どっちにしても、それはほぼ確実に歪められている。記憶なんて、曖昧なもので。そしてなにごともすぐに過去のことになる。その時点から歪みは始まる。悪いことはより悪く、良いことはより良く歪めるかもしれない。自分勝手な歪め方をすることのほうが、きっと多いんだろう。それはきっと感情的なことで。冷静に考えたら、悪いことの中から学ばなければならないことも見つかるかもしれない。見方を変えたら、そんなに悪いことじゃなかったかもしれない。あるいは、後悔したところでどうにかなることじゃないかもしれない。だったら過去を思い煩うことや、いつまでも引きずることはきっと時間の無駄なんだろう。こうすればよかった、と思うなら、これからそうできるようにすればいいので。忘れたくても、どうしても忘れられないことっていうのは、きっと必要だから、また同じ過ちをしてはいけないから、覚えているのだろうね。
2009.03.22
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夕べ、「情熱大陸」というテレビ番組で作詞家の松本 隆さんが出てらっしゃいました。さすがに詩を書かれる方は面白いですね。いろいろと勉強になりました。詩を依頼した若手のアーティストの「最初から書くのか、サビから書くのか」という質問に、「そういうことを考える時点で不自然だから」答えになってるようななってないような…そのほか名言だなぁと思った言葉。「たとえば100回好きって言われてもね、 嘘をついてるかもしれないじゃない。 好きって言葉を使わずに、どうやってそれを伝えるかだよね」「僕は年齢とか一切関係ない、ボーダーレスなんだ」「1つ詩を書くたびにもうやめたい、と思うんだ。つらいからね。 でもやめないのは、言葉が好きだからかな」えっと、記憶を頼りに書いているので、少々曖昧ですが、こんな風なことをおっしゃってたと思います。ニュアンスは伝わるでしょうか。間違ってたらごめんなさい。話し方もとっても穏やかで、柔和な方なんですね。作詞のところで名前は見たことはあっても、ご本人を拝見するのは初めてでした。(拝見ってテレビでだけど)自由とか少年のようとか言ったら陳腐な感じになってしまいますが、とても素敵な方ですね☆
2009.03.16
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なぁんにも考えてない時ってありますか?ないんですよね。ぼーっとしていたとしても、ぼーっと何かしら考えてる。すごくくだらないことだったり、つまらないことだったりするけど、それでも何か考えてるんです。考えているというか、思ってるというか。それで、今、お風呂で体を洗ったりしているときに、これから湯船につかるけど、その間は何も考えないようにしよう、と思いました。そしてお湯につかり……難しいのです。意識して何も考えないようにするのは難しい。そこで、腹式呼吸をしながら、息を吸ってー、吐いてー、ということだけを意識するようにしました。でもね、吸ってる間はお腹が膨らんでるぞ、とか、24時間風呂の機械の音がうるさいぞ、とか、もうちょっとゆっくり息を吐こう、とか、やっぱり考えちゃうんですよね。このことを日記に書こう、とかね(笑何も考えない、何も思わないって、難しい。。。もしかしたら、何も考えてない時があるとしても、そのときは気づいてないだけ、かもしれないけども。「無」になるって、どゆこと?
2009.03.04
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何を書いていいのか分からないことがよくあります。ぼーっとしています。どうして毎日書くのでしょうか。なんでそんなことを自分に課しているのでしょうか。きっとそこには毎日があるからです。毎日にゃんこたちは可愛いし、毎日だーりんは優しいし、毎日私は嬉しいです。--------仕事は明日が山場ですが、その後も別の山が待ち構えています。人使い荒いなー。いやいや、仕事があるだけ喜ばしいことですね。はい、その通りです。--------ナウシカの乗っているメーヴェが欲しい。乗って空を飛ぶところを妄想したりする自分がいます。そんな私はまだ飛行機に乗ったことがありません。夢の中では何度も飛んでるんですけどね、発泡スチロールの箱に乗って。
2009.02.23
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