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True Mother’s in Message in Europe2024/05/19Great Pentecost RevivalWorship Service with True Mother in Europe Live Message May 19, 2024, 5PMMunich, Germany2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。地元の青年メンバーが孝進님の汽笛をバンド演奏しました。信出님がヴォーカルをされてます。2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。礼拝の最後の全体賛美です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.20
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◆「韓鶴子総裁御言選集 4 - 5 - 2. 天地父母天宙勝利表彰牌と真のお母様の揮毫」「天慕之母 地敬之母」「天慕之母」は天が慕う母、「地敬之母」は地において敬う母です。「地」という字は、どん底に入って支える姿です。「地」の字が「敬」の字を支えるようにして付けました。そのように見ると、「ああ、先生は、いいかげんに書いたのではなく、何か意味がある」というのです。皆さんの行くべき道を教示したのです。「天慕之母」、天が慕う母、「地敬之母」、先生が尊敬する母、ということです。(469-320, 2004.9.22)「天慕之母」、天が愛する母です。「地敬之母」、地が敬うことのできる母です。この揮毫を書いたのは、2004年3月7日の朝ですが、3月7日は何の日でしょうか。3月になると、3掛ける4は12、天一国の12数になるのです。7日は、3掛ける7は21、21数になります。これからは天上世界の神様がお父様の形状で右に現れるようになり、この日を期してお母様がその横に立つようになるのです。神様がいなくても、実体の父母のモデルの形状をもって、天の国の統治権に越えていくのです。それが3月7日です。(446-307, 2004.4.28)「敬」の字は、お父様に仕えるのと同じなのです。地上のお父様と同じように、お母様に仕えなければなりません。「地敬之母」。天地の神様を慕うように、お母様を慕わなければなりません。「天慕之母」、その次に「地敬之母」です。敬うというのは、おじいさん、おばあさんを敬い、王を敬うと言います。王を慕うとは言いません。「敬」の字には「父」の字が付いています。「慕」の字に、どうして四つの点があるのでしょうか。左側の一つと右側の二つが四位基台を中心として連関関係があるというのです。「敬」の字の「父」の字はすっと伸びていますが、先が上がっています。女性はお母様を中心として天地を慕わなければならないという、そのような意味があります。「2004年3月7日の新しい朝、オンマのために」と書きました。先生もお母様に対して、自分を生んでくれたオンマ(母)のように慕わなければならないのです。(468-219, 2004.9.14)自分の兄のように慕い、婚約した未来の夫のように慕い、その次には夫のように慕い、父のように慕い、祖父のように慕い、王のように慕わなければならないのです。女性がつくり上げるべきはしごです。天が慕い、地が敬えば、その母自体が威信を立てることができるからです。2004年3月7日の朝は何でしょうか。今回、「オンマ、私が母に親孝行ができなかったので、夜も『オンマ!』と呼んだら、どうして呼ぶのかと言って恨まずに、私が母を呼んだ時のような、そのような返事をして母の役割を代わりにしてほしい」と言いました。年を取ると赤ん坊になると言うでしょう。80、90になるおじいさんを、世の中で一番育てにくい息子と思って育てる母になるとすれば、本当に神様が尊敬し得る母になるのです。(468-220, 2004.9.14)真のお父様、真のお母様に 「天慕之母 地敬之母」 揮毫を下賜2004年 3月 7日 大韓民国 漢南洞公館一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.03.07
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韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁第5部 真の父母宣布と清平摂理2.天地父母天宙勝利表彰牌と真のお母様の揮毫天地父母天宙勝利祝賀宣布と表彰牌の授与真のお父様と真のお母様は、個人・家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙・神様の8段階をすべて越えた後に、神様の息子、娘として並んで立つようになりました。同じ次元の位置に立つようになったのです。その代価として、真の父母様天宙勝利祝賀を宣布することになりました。ですから、真の父母のモデルを皆さんが完全に相続しなければなりません。真の父と真の母の使命は、偽りの父母だったアダムとエバによって汚された世界を清算することです。真の父母と絶対信仰・絶対愛・絶対服従で一つになれば、サタンは干渉することができません。(310-292, 1999.7.27)お母様に表彰牌を授与したというのは、どのような意味があるのでしょうか。エバたちが3時代のアダムたちをすべて犠牲にしました。今はお母様が3時代の母の役割を果たし得る資格を条件的に備えたので、お父様と対等な位置に立って、天の祝福を受けられる立場に立ったということを意味します。四位基台の完成、三対象目的の完成をしなくては、天国に入ることができません。ですから、再臨主は成約時代の完成を意味し、成約時代の完成は神様の創造理想を完全に乗り越えることのできる立場に立つことです。ですから、再臨主の命令は、アダムを完成した基準の命令であり、イエス様が国家理想を成し遂げたその基準上の命令です。また、内的な宗教圏がサタン世界である外的世界に対して天宙史的な勝利をして世界圏を成し遂げられなかったものを、再臨主が闘って勝利し、それをすべて成し遂げたのです。それを皆さんに伝授してあげたのです。ですから、皆さんが民族に代わり、国家に代わり、世界に代わった相対圏とならなければ、天国に入れる資格がないというのです。(302-286, 1999.6.26)表彰牌世界平和女性連合総裁 韓鶴子あなた(お母様)は、神様の特命と復帰摂理歴史の実りとして結ばれた本然の神様の子女であり、人類の真の母の使命をもって、この地に来られました。天だけが記憶される中、蕩減復帰の苦難の路程を絶対信仰、絶対愛、絶対服従で勝利し、永遠の伝統を立てられました。1960年に聖婚されたのち、天のみ前に真の子女の使命、夫の前に真の妻の使命、そして、子女の前に真の父母の使命を完遂されました。神様の復帰摂理と真の父母様の復帰の聖業が、霊界と肉界において勝利的に締めくくられる1999年の「真の家庭世界化前進大会」を通して、世界80ヵ所で「真の父母が伝授する生涯の教本」を万民に伝授されました。私は、創造本然のアダムであり、人類の真の父として、あなたの労苦と業績を褒めたたえ、天のみ前に感謝申し上げ、霊界と肉界と子孫たちにその治績をたたえるために、本表彰牌を捧げます。1999.6.14(陰5.1)第37回 真の万物の日世界平和統一家庭連合世界平和超宗教超国家連合創始者 文鮮明お父様がお母様を表彰しました。さらに、統一教会が表彰しなければならず、創造主が表彰しなければなりません。「私たちのお母様だ!お父様と同じだ!」と言わなければなりません。神様の右側にお父様がいましたが、左側にお母様を設定したので、解放の時代に越えていくことによって、7・10数を中心として蕩減時代の終結を宣布できるようになりました。神様は、今まで象徴的に現れていましたが、実体のお父様の相対としてお母様が現れることにより、実体的地上・天上天国ができるのです。実体父母、天の国の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、完全な女性と完全な男性が一心、一体、一念となり、息子、娘を中心として種を受けなければなりません。それでこそ、家庭が完成します。完成できなかった家庭は霊界に入れないので、厳しい恥辱と苦難を通して埋めなければならない期間が待っているというのです。実体で通過しなければ、天国に入っていけません。(414-279, 2003.8.4)お母様がサタン世界の最高クラスを中心として、世界80ヵ都市で真の家庭世界化前進大会の巡回講演を行い、勝利の覇権をもって戻ってくることによって、お母様は、お母様としての責任を果たしたので、初めて神様が公認した位置、サタンが公認した位置、人類が公認した位置に立つようになりました。そうしてキリスト教をはじめとする人類の宗教圏を越えて勝利の版図圏に立ったので、アダムの前に失敗したエバが復帰された価値として、同じ位置に入籍し、行動できる資格をもつようになったことを天地に宣布するのです。この「真の父母様天宙勝利祝賀宣布式」で、お父様がお母様に対して表章をするのです。ですから、お母様が対等な位置に立つようになりました。男女平等圏時代が訪れたのです。愛を中心として、男女平等圏時代だというのです。(302-232, 1999.6.14)お母様が世界を巡回して真の家庭世界化前進大会を開催したのは、お母様の責任が重要な時期だからです。中国では大会を行うのが難しい状況でしたが、天が役事して行うことができました。様々な条件が一致して、後援せざるを得なかったのです。そうして、サタンまで神様のみ前に屈服し、真の父母と人類の前に降服する基準が成立したので、父母様が帰ってきて、勝利の行事を行うのです。それが「真の父母様天宙勝利祝賀宣布式」です。(302-137, 1999.6.12)天の国に行っても引っ掛かるものがなく、地上の国に行っても引っ掛かるものがない真の父母なので、真の父母様天宙勝利祝賀宣布をしてこそ0Kだというのです。天にOK、人類にOK、地獄にOK、サタン世界にOK!そのような宣言をしなければなりません。文総裁が、神様、勝利した父母の名をもってこれを宣布する祈祷をしなければならないのです。「神様解放、天上解放、地上万民解放、統一教会解放、反対を受けていたサタンまでも解放し、堕落がなかった本然の愛の理想の主権を立てることのできる平和と天国の統一世界が来臨するでしょう!アーメン!」というのです。(302-234, 1999.6.14)神様、きょう、1999年6月14日午後1時15分を期して、ここに立っている真の父母の名をもって、パンタナールにおいて天宙解放を宣布し、5月30日には、「真の父母東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」をした、その基盤の上に、きょうは、天地を代表した真の父母の勝利圏を中心として勝利歓迎宣布をすることのできる、途方もない歴史的な時点を迎えました。お父様、この間、天の前に、人類の先祖が罪を犯し、悲しい歴史を残したすべてを胸に秘めたまま、誰も願いを解いてさしあげることのできない恨の心情を抱いてこられたお父様であられることを、私は知っております。お父様の前で、讒訴し、呪いながら嘲弄してきたサタンを見つめられる神様の心が、どれほど曲折が多いものであったかを、私は知っております。これを解怨成就するために、堕落していない完成したアダムの家庭を中心として、神様の血筋がつながった愛の氏族圏を編成なさり、民族と国家を経て、世界の地の上に、地上・天上天国の出発をなされようとしたあなたの理想は、完全に水泡に帰してしまいました。ここにおいて、サタン側の国々は、互いに怨讐となり、自国第一主義を中心として多くの血を流してきた、神様の悲痛で無念な歴史過程があったことを知っております。そうして、エデンの園で蒔いた種が実を結び得る万世、万象の終末時代を迎えて、どの国においても、腐敗した青少年の蛮行は家庭倫理全体を破綻させてしまいました。この世の「終わりの日」に、神様がエデンの園で取り戻そうとされる、堕落していない本然のアダムとエバの完成的家庭倫理はなくなり、家庭基盤がなくなったこの場において初めて、真の父母の理念の継代を引き継ぐために来られたレバレンド・ムーンを通して、家庭的青少年倫理基盤を中心として、破錠した家庭を育成し、祝福して、神様の愛の血統を連結させる世界化祝福結婚を通し、五色人種を超えて兄弟の因縁の心情で結び得る版図を拡大して、4億家庭を祝福することのできる段階に至りました。今や人類の3分の2に近い勝利の版図を中心として、真の父母によって32億以上の群れが天を擁護することによって、人類の地球星、サタン世界を凌駕し、神様の心情圏を中心として顕現することのできる時代が来ました。そうして、ヤハウェの名によってサタンの屈伏を指示することのできる、慈悲の因縁を通して、神様の前に自然屈伏し、また、父母によって成された勝利の覇権の前に立つすべがないので、赦しを請い、自然屈伏するようになり、万民がこの真の父母の道理のすべてに従い、真の家庭の祝福の血縁をもったことを干渉、主管することができないと同時に、サタンの中に秘められていたものをすべてきれいに明らかにすることによって、統一教会の「原理」を知る者は誰でも一度にこれを知ることができる時代になりました。今は、インターネットを通じて、一日で世界の万民がこれを知り、そのような内容を教えることのできる時代になったので、サタンは身を寄せる所がないということを神様は御存じであられます。そうしてサタンが神様の前に屈伏し、真の父母の前に屈伏し、人類の前に屈伏することによって初めて、神様の全権的代行をなし得る真の父母様がこれを受け継ぎ、偽りの父母が立てた破倫的な滅亡の地獄の境界線を取り払い、神様の心情的愛の血統の権限をもって、愛の眷属(一族)、真の愛の眷属を中心として、神様の血族であるアダムの家庭を中心とした祝福をすることができるようになりました。そうして、祝福が12次を超えながら、4億家庭以上の基盤を中心として自由な環境の中で反対なく、祝福をどこにでも挙行することができるようにしてくださった、この環境的勝利圏に感謝いたします。サタンが屈伏することによって、サタンの一族のすべてのものを、自由自在に神様が、創造の権限をもって再び収拾することのできる主体的な能動行使を施行することのできる時代が来たことを宣布し、地球星解放圏を宣布して、きょうに至りましては、真の父母様天宙勝利祝賀宣布をするようになりました。これを基盤として、天宙真の父母勝利祝賀宣布の時間を迎えるようにしてくださった恩賜に、お父様、心から感謝申し上げます。お父様、今からあなたの指導の前に、サタンが強制的に首を切り、刑場に引きずり出し、脅迫して地獄に連れていったこのような時代を反対にして、霊界で祝福を受けたこの家庭が、自分の子孫の所に行き、天国に連れていくことのできる自由解放圏時代を迎えました。全世界に彷徨するすべての一族を収拾し、あなたの愛の血縁を中心として、永遠なる愛の主権の前に、あなたの血族をもつことができる、眷属圏を超国家的に形成し、万民解放、天上世界の解放とともに、真の父母の解放、人類の解放、神様とサタンまでも解放し、僕の位置を再び消すことによって、本然の創造理想のすべてを回復することのできる時代を、真の父母は、お父様の前に奉献いたしますので、その実権的な、変えられた覇権を通して、正義の判断を中心として地上再臨、天上昇天し、自主的な主管の善なる愛の王権を立て、万王の愛の永遠なる永生をつくってあげ、相続させることのできる、永遠なる愛の王となられますように。地上は、真の父母様によって治められ、天の前に孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を教示し、万民があなたの血族と眷属として、万代の祝福を受けた天国を主管し、地上・天上天国を相続する後継者として育てますので、この特権的な父母の栄光を受けてくださり、宣布の日を定めてくださったので、万事亨通(万事が都合よく運ぶこと)、自主的な善の王権を行使されることを真の父母様の前に勧告、また勧告、また勧告、宣布し、宣言いたします。(302-234, 1999.6.14)解放された神様に仕えて、父子の関係を地上に着陸させようと歩んできた80年の生涯が近づいてくるこの時に、「真の父母様天宙勝利祝賀宣布」ができるようになったのです。勝利の祝賀を宣布できるというこの事実は、神様と父母様、天地すベての前に感謝できる条件が立てられたのです。それは、神様の心を越えに越え、完成したアダムの理想の内外に資格を備えたことを意味します。そうして、第四次アダム圏の地上・天上天国を根こそぎ相続したこの立場、新しい家庭の勝利的基盤を相続した立場で、新しい第四次アダムの出帆を願うのが、神様の心と真の父母の心です。そうすることによって、神様を解放し、アダムの数十倍、数百倍、完成の基準を越えたその立場で家庭を中心として孝子、国を中心として忠臣、聖人・聖子の位置に立ち、神様の前で全体を相続しなければならないのが父母様の生涯路程なのです。(302-237, 1999.6.14)「天慕之母 地敬之母」「天慕之母」は天が慕う母、「地敬之母」は地において敬う母です。「地」という字は、どん底に入って支える姿です。「地」の字が「敬」の字を支えるようにして付けました。そのように見ると、「ああ、先生は、いいかげんに書いたのではなく、何か意味がある」というのです。皆さんの行くべき道を教示したのです。「天慕之母」、天が慕う母、「地敬之母」、先生が尊敬する母、ということです。(469-320, 2004.9.22)「天慕之母」、天が愛する母です。「地敬之母」、地が敬うことのできる母です。この揮毫を書いたのは、2004年3月7日の朝ですが、3月7日は何の日でしょうか。3月になると、3掛ける4は12、天一国の12数になるのです。7日は、3掛ける7は21、21数になります。これからは天上世界の神様がお父様の形状で右に現れるようになり、この日を期してお母様がその横に立つようになるのです。神様がいなくても、実体の父母のモデルの形状をもって、天の国の統治権に越えていくのです。それが3月7日です。(446-307, 2004.4.28)「敬」の字は、お父様に仕えるのと同じなのです。地上のお父様と同じように、お母様に仕えなければなりません。「地敬之母」。天地の神様を慕うように、お母様を慕わなければなりません。「天慕之母」、その次に「地敬之母」です。敬うというのは、おじいさん、おばあさんを敬い、王を敬うと言います。王を慕うとは言いません。「敬」の字には「父」の字が付いています。「慕」の字に、どうして四つの点があるのでしょうか。左側の一つと右側の二つが四位基台を中心として連関関係があるというのです。「敬」の字の「父」の字はすっと伸びていますが、先が上がっています。女性はお母様を中心として天地を慕わなければならないという、そのような意味があります。「2004年3月7日の新しい朝、オンマのために」と書きました。先生もお母様に対して、自分を生んでくれたオンマ(母)のように慕わなければならないのです。(468-219, 2004.9.14)自分の兄のように慕い、婚約した未来の夫のように慕い、その次には夫のように慕い、父のように慕い、祖父のように慕い、王のように慕わなければならないのです。女性がつくり上げるべきはしごです。天が慕い、地が敬えば、その母自体が威信を立てることができるからです。2004年3月7日の朝は何でしょうか。今回、「オンマ、私が母に親孝行ができなかったので、夜も『オンマ!』と呼んだら、どうして呼ぶのかと言って恨まずに、私が母を呼んだ時のような、そのような返事をして母の役割を代わりにしてほしい」と言いました。年を取ると赤ん坊になると言うでしょう。80、90になるおじいさんを、世の中で一番育てにくい息子と思って育てる母になるとすれば、本当に神様が尊敬し得る母になるのです。(468-220, 2004.9.14)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.07.19
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以下も「真の父母様の生涯路程10」からのものであり、ご聖婚後の21年路程では最初の一次・二次路程は崔元福先生がレアの立場、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母の型でお父様に侍られていたが、第三次は完成時代なので「お母様が全体の責任を持たなければ」、とお父様が語られていたものだ。ここにおいてもサンクの姜賢實女史ではなかった。子が父母を勝手に決めては祝福式をするといったことはあり得ないことだ。サンクのそれが原理的に見ても何ら正統性(正しい系統・血統)を発見することは出来ない。二代王は、お父様と姜賢實女史から生まれた?流れから見ても、神様 → 真の父母様(完成したアダム・エバ)→ 子女(祝福家庭) であって、二代王 → 偽りの父母 → 堕落人間 ではない。以下引用:「真の父母様の生涯路程10」引用は以下。惠進様の昇華 真の御父母様の五番目の御子女様であり、次女であられる惠進様が、一九六四年七月二十八日(陰暦六・二〇)に誕生され、誕生されてから八日目の八月四日(陰暦六・二七)午前四時十五分に昇華された。真の御父母様は、青坡洞前本部教会において、惠進様の昇華後十日目である八月十四日(陰暦七・七)午前七時、「霊的サタンを打つ式」を挙行され、その七日のちの八月二十一日(陰暦七・一四)午前十一時、「肉的サタンを打つ式」を挙行された。そのようにして、アベル子女の犠牲を条件として霊肉間におけるすべてのサタンを打ち、攻勢的立場の摂理を進めることができる基盤がつくられた。 六月、七月は、七年路程の三年半を越える峠なので、祝福を受けた老人たちと惠進が亡くなったことには大きな意味があります。死去した四日、ベトミン(ベトナム独立同盟会)の問題が発生しました。 皆さんが、先生に最も近い存在が死ぬことを経験するということには大きな意義があります。皆さんが行く所には何かしら危険が存在するようになります。以前のサタン世界とは違います。皆さんは、モーセとアロンとホルの前に立ったヨシュアのような信念をもたなければなりません。 以前は、サタンが祈祷中に現れれば外部から問題が発生しました。しかし、今年からは、そのような時には家庭から問題が発生します。今後、蕩減の供え物がもっとあるはずです。 神様は、アベルが供え物だったので、アベルを打ってカインを許してくださいました。これを条件として、神様はサタン世界を打つことができたのです。今からは、み旨に反対する人は打たれることでしょう。私たちは、誰が何と言おうと、神様のみ旨だけを見つめて進んでいかなければなりません。 私は、惠進の死を通してイエス様を失った神様の心情を体恤し、まだ死を免れるほど神様の前に忠誠を尽くすことができていなかったということを悟りました。 先生の蕩減路程は、キリスト教の蕩減路程を経て、統一教会で再蕩減路程を歩んでいるのです。それで、先生の家庭において、子女たちを供え物として捧げるという歴史的な事件が起きるのです。 七年間でこのすべての世界的蕩減路程を歩まなくてはなりません。先生はこの勝利的基盤を築いたのですが、お母様は築くことができていなかったので、それを築いて越えていくことができる道をすべてつくってこそ、天の中心女性として堂々と立つことができるのです。それゆえに、七年の間、個人として三年の闘い、それから四年間の家庭的闘いをなしてきたのです。 母子、兄弟、前妻後妻関係において、愛の闘いが今までの人類歴史の闘いでした。崔元福先生は、マリヤとイエス様の夫人格であると同時に、レアの立場です。したがって、先生のみ言に絶対服従しなければなりません。また、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母の型です。完成期は堕落人間の心情では通過できないので、完成期に到達しようとすれば、お母様が絶対的に必要です。それゆえに、お母様が苦しんだのであり、先生の家庭において惠進が蕩減を受けたのです。 一九六四年度に入ってくると同時に、協会長に教会を任せました。今、私が経ていかなければならない道は個人の道ではありません。家庭的時代を迎えて歴史的な悲運の家庭的環境を喜びとして消化し、氏族的悲しみ圏を迎えていかなければならない責任をもっているので、その因縁を整理するために、誰も知らない内情的心情を中心として独りで闘ってきたのです。皆さんには分からないはずです。これは、協会長も分からなかったはずです。近くにいる誰もが知らない心情をもって歩んできたということを、この時間、皆さんの前に話すということを知らなければなりません。 私たちの家庭、私たちの部落において、千人、万人が犠牲になることがあったとしても、あるいは子供たちが死んでいくことがあったとしても悲しんではいけません。そのような時、逆に先生は、人類のために歴史的な恨みを食い止めることができる家庭として立つことができなくなるのではないかと思い、むしろそのことを心配したということを、皆さんは知らなければなりません。……総解怨式 公式路程を始められた一九四五年からは三十年、協会を建てられた一九五四年からは二十一年になる一九七丘年五月一日、真の御父母様は、清平修練所において紐解怨式を挙行なさった。この解怨式は、堕落世界の母の代表格である崔元福先生を中心として、天使世界と宗教人、善王、忠臣、良心的人士、哲人たち、先に他界された真の御子女様方と統一教会の人物たちはもちろん、ルーシェルから歴史上の代表的な悪側の中心人物たちまで、全体を解放し、新しい道を開かれ、その基盤で神様と真の御父母様が解放を受けられるという、総体的解怨儀式であった。 きょうは、二十一年になる協会創立記念日であり、また第二次七年路程の最後の期間となります。また、先生自身の一代をおいて見れば、三十年(一九四五~一九七五)を越えていく時だというのです。 このような時代なので、この全体の解怨成就、蕩減式をしなければなりません。この式を行う時は、最初に神様の前に解怨式をしてさしあげなければなりません。その次には何かというと、真の父母の解怨式をしてさしあげなければなりません。 崔元福先生がきょう還暦だということですが、還暦という言葉は何かというと、再び帰っていくという意味です。言い換えれば、復帰して帰っていくということです。崔先生の還暦も還暦ですが、これは、崔先生を中心として、堕落した世界の真の婦人として一人の母のような立場に立ち、新しい復帰歴史のすべてのものを蕩減するという、そのような式にもなるのです。今からは、崔先生を中心として、すべてが変わっていきます。今までの堕落した世界、霊的世界全体は、崔先生を中心として蕩減しなければならないというのです。本来の父母を中心として蕩減するのではありません。 もちろん先生がすべて築いてきたのですが、結局、女性が失敗したので、そのような条件を中心として、これをすべて一度に追い込んで蕩減しなければならないのです。そのようにしようとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。崔先生は、完全に蕩減して峠を越えていくにおいて、一人で越えていくのではないというのです。ここでは、キリスト教や、それからイスラム教や仏教や儒教など、今までの数多くの宗教をすべて糾合しなければなりません。それから、今までの歴史時代において、善君がいたのであり、忠臣たちがいました。忠臣の中には、文官がいて武官がいました。一つ一つの国を中心として、善君と忠臣たちがみな一つになって越えていくのです。 それから、今までの歴史時代において、宗教は信仰しなかったけれども良心的な立場に立った、そのような人々を糾合しなければなりません。天は証したけれども神様のみ旨に侍らなかった人々です。哲人、哲学者や、良心的な系統の人々です。そのような人々をすべて糾合しなければなりません。また、その次には、カイン的世界です。それはルーシェルから、イスカリオテのユダ、皇帝ネロ、今の共産党世界に至るまで連結されているカイン的世界をすべて一つにして、蕩減条件の道を開いておくのです。共産党までも救うことのできる道を開いておき、一つにまとめて、きょうこの日にすべて屈服させ、今からはすべてが天倫に従っていこうという、そのような式を行って屈服させなければなりません。そのようにして、ここに崔先生を中心として連結させて、すべて解怨成就しなければなりません。そのような基盤のもとで、真の御父母様の解放と神様の解放が成されるのです。 ここに膳を整えましたが、この膳は何を意味するのでしょうか。私たち統一教会が今まで歩んでくるにおいて、統一教会を信仰したのちに霊界に行った霊たちがいるのです。そのような統一教会の教会員たちもまた解怨してあげなければならないというのです。そこには、喜進もいて、惠進もいて、先に逝った人々がいるのです。また、協会長をはじめとする統一教会を信仰したのちに霊界に行った人々をすべて霊的に解怨してあげると同時に、地上の解怨もしてあげなければなりません。統一教会を信仰している途中で流れていってしまった人々がたくさんいるのです。その人々まで連結して、すべて蕩減してあげなければなりません。 キリスト教を中心とした宗教人を東側にし、天使世界は西側にして、それから南側には善君、愛国烈士、北側にはカイン型のサタン世界、このようにして解怨成就しなければなりません。それで、きょうは何の日かというと、総解怨をする日です。歴史における総解怨を行う日です。この日が現れることによって越えていくのです。崔元福先生の使命完了 第二次七年路程を越えたので、今からの第三次七年路程は、父と母を中心として越えていかなければなりません。今まで崔先生が、皆さんの知らない中で、お母様の基盤を築くためにどれほど多くの苦労をしたか分かりません。そのような功労の基盤によって第二次七年路程を無事に突破したのだということを、皆さんは知らなければなりません。しかし、これからは、誰よりも真心を尽くして孝行する孝女の立場に立ち、お母様に侍って天の法度を立てるにおいて再度困難な道を歩んでいかなければならないであろうと思っています。 このような意味で、心的に、あるいは外的に、皆さんがよく慰労してあげ、声援してあげることを願ってやみません。もちろん先生自身も導いていかなければなりませんが、ここに何よりも、個人の事情も事情であり、個人の立場も立場かもしれませんが、私たちは、み旨のために公的な立場を立てなければならないので、個人が悲しいことに遭ったとしても、公的な喜ばしいことのために決断を下していかなければならないのです。これが、今まで先生の歩んできた道であり、また復帰摂理路程なのです。 そのように知って、皆さんは、今までの崔先生の功労を通して、このような位置に越えてきたのだということを知って、そこに感謝し、今後、より一層力強く歩んでいくことを願いながら歓迎してあげるよう願ってやみません。拍手で歓迎しましょう。(拍手) 今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。 本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.22
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。 ……そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。 ……その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 5父母様の悲しみと涙 しかし、私には生活方途が定められています。そのような生活をしながら、四十年の間に、監獄に六回も出入りしました。監獄での生活期間は、延べ五年以上になります。天下に悪口を言われたとしても、歴史以来私以上に悪口を言われた人はいません。粟の俵を持って来ても数えることのできないほどに悪口を言われたのです。血のような汗をどれだけ流したかというのです。今のお前たちは父母の膝元で育って、七歳、八歳、十歳、二十代を迎えました。皆さんが今まで育つ間に見た父母は、過去にあったお父さん、お母さんでないのです。その背後には、言うに言えない多くの事情が秘められています。それらの事情をお前たちが知ったならば、悲痛に耐えられないでしょう。それをお前たちに言わないで、早く霊界に行こうとしているのです。 お前たちが知れば、復讐心が起こるのです。しかし、復讐心が起きるといけません。“我々のお父さんをこのように苦労させ、苦しめたその何某の血族たちに復讐しなくてはならない!”と、復讐心が出るようになると、お前たちの家庭が、統一家の直系の子女が皆壊れる位置に入って行かなくてはならないのです。分かりますか? そうであるために、口をつむったままお父さんは行こうとしているのです。それで私は記録をせず、自叙伝を書こうとしないのです。それは悪いことではありません。それを記録するようになれば、その記録を知らないで、今後、彼らの息子・娘たちが統一教会に入って来た時、どれほどの支障を受けることになるか。目をにらんだりして、「あの時、お前の父親はこういうことに反対したんだろう。お前たちはその息子・娘であり、後孫ではないか。お前の家族全員が皆こういうことをしたのだ」と言われたなら、どれほど悲惨な話でしょうか。サタンが侵入することのできる条件を私をして立てないために、秘密に抱いて生きて行こうと私は考えています。それをお母さんは知らなくてはならないんだよ。後について来る人たちのために、お前たちのためにそうするのです。それは偉大な愛です。 これからも、お前たちに必要なものは話してあげるつもりです。その背後にどれだけ涙を流したか、涙の染み付いたどれほど悲痛な事実があったかということをです。 寒い風が吹いてくれば、その風に向かってどれだけ悲しい心を訴えたことでしょうか。風に聞いてみると、痛哭に耐えない多くの歴史的事情がここにあるというのです。波打つ水の流れには、父母様のこみ入った事情が本当に多く刻まれています。寂しい時は、川辺の泥水を掴んで独りでつぶやいたものです。千遍万遍そうしたというのです。飛んで行く鳥たちを見ながらもそうしたというのです。夜空に輝く星を眺めて、とめどもない涙を幾らでも流したというのです。 私の悲しみと涙は、この世の、愛する自分の愛人を失った、その人の事情に比較できるものではなく、我が子を失った親の憤りの胸の痛み以上の涙を流したのです。それが即ち、歴史の中にあった悲しみであり、涙であったのです。そうであるために、この宇宙を支配するサタンがその涙の前には屈服せざるを得ないというのです。 こういうことはきょう初めて話すことです。履物を履(は)き、顔を上げたまま、この家庭に出入りすることができないほどの事情が父母様の前にあるということを、皆さんは知らなくてはなりません。 真の父母の道 その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。 ああ、譽進、分かるだろうね。涙を流したことのある私であるから、お前たちが涙を流す姿を見ると、私は耐え難いのです。私の涙が思い出されるのだよ。お母様にもあるのですが、譽進にもそのような傾向があるんだね。それは私の一生が涙で綴られていたからです。勿論、譽進は自分が悲しいから泣いているのでしょうが、御旨のために涙を流しながら生んだ最初の娘であるために、涙が多いというのです。しかし、その涙はお父さんの流した涙を受け継いだとしても、お父さんは自己のためには涙を流さなかったということを知らなくてはならないのです。涙を見ると、世界と天と地のために、祖国光復と世界光復のために流した涙を連想するのです。そういうことを考える時、いつでもお母さんに、「涙を流したので良くしてあげなさい」と私は話しているのです。 この家庭には、このようなお前たちの知らない伝統が残されているのです。お父さんには親友もいませんでした。数多い統一教会の男女がついてきたけれども、彼らの前に、私の胸を開いて話すことのできる同志がいませんでした。真の父母の道というのは寂しい道です。世界にどれほどの人がいたとしても、神様と自分以外には相関することのできない道なのです。 この複雑多端な復帰の道をさかのぼって行く過程で、どれほど耐え難く、悔しい事実が多かったことでしょう。しかし、その内情を誰にも訴えることのできないような歩みをなしてきたということを、お前たちは知らなくてはなりません。そのような中から、家門の伝統を立てなくてはならない立場にいるために、この世の人はうれしければ、「うれしい!」と歓声を上げ、あるいは、「幸せです」と言ったとしても、お前たちはそう言ってはなりません。 天と地の直系の子女たちは、神様の恨みと人類の恨みを、我々の指を通して、我々が行く歩みの道を通して、解決しなければならない使命を負っていることを知らなければなりません。皆さんは死にたくても勝手に死ねないというのです。それを知って、これからお前たち十二人の息子・娘が完全に一つになってください。 ここで孝進が位置を定め、譽進が位置を定めたならば、あとの子たちは後から皆付いて行くのです。だから、下の兄弟たちがお前たちによって福を受けるのだね。これから先はもう、父母様のお前たちの自慢だけしかやることがないようにしなければならないのです。これからの父母様の仕事と言えば、十二人の息子・娘をおいて、自慢することです。この支派についても自慢し、あの支派についても自慢をするのです。お前たち、婿になる人であったとしても、婿ではありません。共に継体(けいたい)を受け継ぐために入って来たものなのです。一人一人が一支派長にならなくてはならないのです。万一私が死んだとしても、昔の人々のように財産の奪い合いをしたり、互いに嫉妬をするようなことをしてはいけないというのです。 祖国創建に向かって それを今からは、新しい伝統として立て直さなくてはならないのです。そして一つにならなくてはなりません。お前たちが一つにならずしては、統一家の後孫が一つにならないというのです。先にお前たちが一つにならなくてはならないのです。 手本とならなくてはならないのです。鏡はどの鏡もありのまま写します。千個万個の鏡があったとしても、千個万個の鏡が正しければ、千個万個が正しい像で現れるのです。本来神様は、そのような鏡と同じ本性を人間に作ってくれました。その本性は実に純粋なものです。いい加減に作ったものではありません。あらゆるものを皆正しい明鏡(めいきょう)のように写すことのできるものです。個々の物から宇宙に至るまで、霊界にいる霊人たちもそうであり、地上にいる人間の胸なども全部皆照らすようになっているのに、残念ながら、今はそれがてきる環境になっていません。二重的生活をしながらでは、それは難しいのです。ですから、そのことを知って一つにならなければなりません。お前たちが一つになれば、祝福家庭も一つになります。 今回、皆一つになりましたか? (「はい。」)一つになることはやさしくないでしょう。一つになった後に、またばらばらに分かれて、いろいろな事をするのですよ。 さあ、きょう話した事をお前たち明確に知らなくてはなりません。父母様は今までの歴史過程でカイン・アベルを中心にした長子復帰の基準を立てるため、世界蕩減路程を歩んで来ました。今ここに、その目的を成就し、すべてを準備された中で、真の父母様の家庭を中心にして、長子、次子権限を世界的基準において連結させることのできるこの祝福の言葉を、父母様がどれほど期待したでしょうか? また、人類がどれほど期待したでしょうか? 祝福の言葉によって、きょうからの三年間を中心にして祖国創建に向かって歩み始めることができます。これがうまくいかないと、国全体が一つにならないのです。世界が一つになることができません。 ここから今出発することによって、祖国創建の瑞光(ずいこう)が輝き始めるというのです。これからは、その新しい時の訪れを尋ねて、人々が来るのです。周囲を見まわしながら聞きに来るのです。外部の様子が、お父様の言った通りの環境になって行くと言って、皆聞きに来るのです。 よって、きょうからの三年間を中心にして祖国創建に向かって歩み始めることができます。これがうまくいかないと、国全体が一つにならないのです。世界が一つになることができません。 ここから今出発することによって、祖国創建の瑞光が輝き始めるというのです。これからは、その新しい時が熟してくるのです。外的に皆熟してきているのです。 お前たちだけが、長子、次子を中心とする闘争観念をなくして完全に一つになる日には、お前たちを通して、統一家を中心にした地上天国の理念が実現されていくのです。 これを作っておいて、家庭教会の出発をしなければならないのです。家庭教会は、これを作ってからでないと出発できません。家庭教会は天国の基地であり、天国の定着地であるということは教えてあげましたが、この式が終わらなければそれができないのです。それできょう、お前たちの基台を作ることを確実に知らなければなりません。(み言葉が一段落して、聖水が準備されている様子。) 神の国の民族編成 こうすることによって、先生から今、直系の十二子女たちを中心にした基盤を作ることができるのです。分かりますか? この水がそのような意味を持っているのです。人間の体の大部分は水でできていますが、それはサタン世界の水であり、天の水が補充されていないものです。 今、お前たちの行く道は一つしかありません。お前たちは祝福家庭ですが、既成家庭は祝福家庭の息子・娘を立てなければならないのです。カナン復帰に二世を立てたように、祝福家庭のお前たちが直接行くのでなく、息子・娘を立てて、付いて行かなくてはならないのです。二世が先に入って行かなくてはならないのです。その二世を誰が先に迎えるかというと、先生の子供たちがカイン的な立場でお前たちの息子・娘を迎えてから入って行くのです。今がそういう時なのです。それで、統一教会の祝福家庭は全員この伝授の式に参加しなくてはなりません。それを全部公文で知らせなさい。公文を出さなくてはならないのです。 先生が出所する二十日の日は、世界中が同じ時間を記念するようにしなさい。時間は国によって違うが、十九日の最後の時が終わり、零時を一分だけ過ぎれば、先生が出て来ます。だから、その時間を中心にして、全世界の統一教会の祝福を受けた信者たちは、記念の式に参加しなければなりません。祝福を受けていない人は参加してはいけません。また、祝福を受けた家庭であっても、その間、犯罪をなしたとか、良心の呵責のある人はいけないのです。本来は、祝福家庭には争いがあり得ないのです。家庭が不仲であるとか、夫婦喧嘩したとかいう人もいけないのです。御旨の前に完全に一つとなることのできる、このような覚悟をした人以外はだめです。そうしなければ連結できません。天の支派をつくるための部族編成なのです。この道を通過せずしては、皆さんの国籍が生じません。国籍に加入する道がないのです。きょうの時を迎え、今こそサタンが手をつけることのできない、天の国の部族民族編成が成るのです。一二〇国家以上の、六千双を中心にして、全祝福家庭による世界統一家の支派編成、民族編成の段階に入って行くのです。 それ故に、キリスト教だけが一つになれば、民族、国家、世界へと一気に連結することのできる基盤ができたために、アメリカにおいて先生の出所を初めに迎えるのは牧師たちなのです。出てくるその日に牧師たちに会うことによって、このようなカインが生きることのできる道を作らなくてはならないために、その準備として、統一教会の祝福家庭たちのこの仕事をしておかなければならないのです。彼らの心は統一教会と先生に付いて行こうとする時は、心が平安であり、既成教会の話に耳を傾ける時は心が安らかでないというのです。ああ、自分の行く道はどういう道なのかを心が知るというんだね。方向性が確定されるというのです。 そのような準備が今皆終わっています。これが言葉だけでなく、現実に、カイン・アベルを中心に蕩減基盤が形成されたために、きょうこのような式をしているという事実を知らなくてはならないのです。 さあ、ではここに来て立ちなさい。祈祷することにしましょう。そのために祈祷しなければならないのです。(孝進様、顕進様、國進様を中心に、子女様方が立ち上がって一列に並び、一つになって手をつなぐ。また、御父母様も手をつながれる。) 祈祷 愛するお父様、あなたの創造の聖業が、あなたの本心が願っておられた所望として、実体を通して永遠なる愛の理想を立てようとなされた、その所願の心であることを、いま一度回想するものであります。 お父様は、御自身の希望とする喜びを、アダムとエバによって成就するその日を期待されましたが、あるべきその日がなくなって、所望の日は漆黒のごとき暗黒に転じてしまいました。思わぬ不祥事によって、神が願う愛の中心を、この地上に探すことができなくなり、代わって、サタンが愛の中心となって、人類の先祖になることにより、死亡の血統を連結させる地獄行きの群れを作ってしまった。この怨痛にして無念なる事実を私どもは知っております。 これを正すために、お父様におかれましては、再創造の歴史の過程を経て、万物世界を犠牲にし、天使世界を犠牲にし、更にあなたが選ばれた養子圏を犠牲にし、多くの女性を犠牲にして、エバ圏を通過し、多くの男性たちの先知者に血を流させて歴史を引き継いで来られました。 その礎に立って、今日イスラエルの国を中心としたユダヤ教と、キリスト教と、統一教会を連結させることのできる歴史的世界版図圏を描くに至ったのであります。文化圏が異なる宗教圏を立て、文化の背景を収拾して来られたこれまでのあなたの御苦労は、歴史を経た、一つの伝統的なあなたの摂理を継いできたキリスト教を中心にして、収拾しなくてはならない歴史的使命があり、第二次世界大戦直後を中心にして、宗教世界版図圏と統一版図圏と共に、人類全体が一つの統一圏を成し、天と地を連結させることのできる統一の理想を出発を見なくてはならなかったのです。 再臨役事を達成する基台として、この地上にキリスト教と自由世界の協助を見ることができなかったために、悲惨な脱落の道に落ちて、地獄行きの列車と共に落ちるような立場に立たされました。四十年という血のにじむ闘争の期間は、真の父母の名をもった息子・娘を中心とする再臨の歴史の時でありました。数多くの歴史的事情が紆余曲折する中で、血で償いながら、どんなにか痛恨と悲憤に耐えたことでありましょう。あなたは愛の心で抱かれていたがために、いかなる悲しみと苦しみにあっても、汚れたぼろ着を覆いながら、被(かぶ)せてはまたこれを被せて、人に見せまいとしてきたのです。このようなことをしているうちに、統一教会は言うに言われぬ非難を浴びる悽惨(凄惨)な教会となりました。 正当な本体を現すことのできない、そのような環境的な羞恥を覆ってくださるために、あなたの言葉なき苦労がいかなるものであったかを私は知っております。私が背負ったこの世のあらゆるぼろ着を脱がせるために、あなたは血のにじむような闘争の歴史を展開して、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと勝利の版図を拡大されました。二十世紀の後半に入り、一九八五年八月十五日を期して、四十の峠を越えながら、今もって監獄から解放されない事情を残したまま迎えたきょう十六日は、新しく訪れた四十一年を越える出発の日であり、新しきこの二十年代を中心とする決定的な闘争の行路を経て、この世界を整理しなければならない新たなる使命が私たちの前に残されていることを知っております。 今までのお父様の歩みが、長子を復帰するためのアダムとしての蕩減の歩みであったことを私たちは知っています。しかし、統一教会の教徒たちは、個人に始まる家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙に至るまでの蕩減を果たし得ないため、父母様御自身が、個人的アベルの立場から、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的アベルの立場まで上がって行かなくてはなりませんでした。数多くの反対する教会と、反対する民族の前に折れることなく、最後まで彼らを抱き続けてまいりました。たとえ死の境地に行ったとしても、彼らを救うまでは手放すことができないと身もだえするアベルの訴えの前に、サタンも己を恥じて、天の前から退かざるを得なくなりました。 今や、キリスト教は統一教会の運動に連結するようになりましたが、連結に関わる多くの事情を振り返ります時、統一教会においては、劉協会長が逝き、喜進君が逝き、興進君が逝きました。三代のこの息子・娘を犠牲にした血の祭壇でありましたが、この孝進君を立てて、お父様の歴史的使命に連結できたことを感謝申し上げます。この時代性を迎えることができたのも、獄中期間に協助してくださったあなたの経綸の賜物であることを深く悟って止みません。 キリスト教会が闘いの場に立つことによって、もはやサタンは我々の家庭に攻め入ることができなくなったのであり、孝進君が父母様と一つになることのできる恩賜圏の上に立つことができましたことを真実感謝申し上げます。 この息子を通して、お父様、第二世たちを連結することのできる一次修練会及び二次修練会は、国家的次元、否、世界的次元の若者をCARP大会に連結せしめるという驚くべき勝利をもたらしました。この勝利を持ち帰って、来たる新しい四十年を越えて、新しく出発することのできる初日の朝、勝利の基盤の上に、父母様の血と肉と共に、子女十二支派の血と肉を連結させ、十二子女の血と肉と共に、十二部族たちと世界万民を連結させて、後世に誇ることのできる儀式を執り行えますことをお父様、感謝申し上げます。 お父様よ! (「お父様!」微かに聞こえていた周囲のすすり泣きが次第に大きくなる。)神様を中心にして、真の父母様を中心にして、(祈りのお声がはっきり涙声となって聞こえる。子女様たち御一同の泣き声も更に高まって行く。)天の直系の血統の因縁を備えることができるこの時を中心として、(大きく泣きじゃくられる。)この驚くべき事実。 お父様! (我を忘れて泣かれる。泣き声の渦が巻く。)この日が来るのをどれほど、お父様、待たれたことでしょう! (涙声が叫ぶような高く上擦(うわず)る声に急変する。)この日が来るのをどれほど、歴史上の先知先烈たちと、イエス様に仕えた弟子たちが待望したでありましょうか。(お声が言葉にならず、苦しそう。) この息子が千遍万遍死に瀕したとしても、この日を迎えずしては、死ぬことのできない天命があるため、再び起きては闘い続けてまいりました。(言葉にならない祈りの声) お父様! 死なずしてこの日まで生きて、闘うことのできる気力を残してくださったことを、お父様! ありがとうございます。(鳴咽(おえつ)され、息が苦しそうに震える。) お父様! 今、興進君が!(思わず肩を震わせて)背負った十字架がまだ残されていますので、聖進君と一つとなって、お父様の! 怨讐たちの群れを屈服させようとする時、代表者としてこれを責任をもって消化しなくてはならない責任があります。お父様! このすべてにおけるお父様の御旨の中で(高く、小刻みに震える声で必死に祈られる。)善きことを始められたのはあなたでございました。また、善きことを継承させたのもあなたであり、天の仕事の基盤を作られたのもあなたであり、善きことを勝利の場に立てられたあなたでありますので、このすべてのことをあなたがまた責任持たれて、これからの収拾すべき道を分別してくださることをお願い申し上げます。(こらえようとされながらもこらえられず、泣きながら祈られる。) 統一家においては、絶対に争いがあってはならないために、あなたがこの防碑を建ててくださって、この日の記念の意義を深めてください。私どもは、聖水式を通して万民を結束させることを盟誓し、不変なる血族としてみ前に備えますので、これらの群れをあなたの民として、天国を築いて行くための出発をいたしますので、受けてくださいますことをお願い申し上げます。 きょう、この日を立てることによって、私は今二十日のこの出獄において、天の前に面目を立てることができますので、この日をみ前に捧げますから受けてください。そして、霊界にいる数多くの人たちと、地に通じるすべての教界を指導している霊人たちを結束され、地上世界に発表して、一つの方向が決定づけられるきょうこの時間となれるよう、許諾してくださいますことを懇切に望み願い申し上げます。(祈りの声がやや静かになっていく。周囲のすすり泣く声が大きく感じられる。) 今、孝進君と顕階君と國進君に、十二家庭を代表した三家庭の息子としての責任を負うことを命じることにより、孝進君には兄弟を一つにするための重要な責任を果たすことを命じました。残る九人の兄弟たちをも一つにして、統一家の伝統的家庭を正しく立て、その因縁を祝福された教会の後世たちにそっくり渡し、拡張することのできる恥じなき長子とならしめてくださり、系代を受け継ぐことができるよう祝福してください。 今このような出発をしたので、世界万民の行くべき方向の太陽が、家庭的、氏族的民族圏を連結させ、登れるようになりましたので、方向を備えて、あわせて、興進君がイエス様と共に一二〇カ国の王権と、すべての忠臣、烈女、孝子たちを結束させ、霊界と地上を直結させる時を迎えましたので、この群れたちとひとときも早く結束することができますよう、祝福してくださいますことを懇切に望み、お願い申し上げます。 統一家の解怨成就の一つの日を記念しながら、この日の新しき出発のこの記念をあなたが喜んでお受けくださいますことを感謝しながら、真の父母の名をもって祝願申し上げます。アーメン、アーメン、アーメン。(「アーメン、アーメン、アーメン」) さあ、きょう父母様が話したことをよろしく頼んだよ。さあ、孝進、万歳をしよう。父母様と、我々の家族に対する万歳をしよう! (「はい。」孝進様が万歳三唱の指揮をとられる。) 「真の父母様と、真の父母の家庭の勝利万歳を三唱します! 真の父母様! 万歳! 万歳! 万歳!」(万歳!万歳!万歳!」大きな拍手が鳴り響く。) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.15
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イエス・キリストの系図前回の「独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について 」でバテシバによるダビデの子について私自身だけの疑問かもしれないが、一つ浮かんできた。それは、タマルの胎中でアベル・カインが入れ替わり「長子権復帰」がされたはずだが、神様はこの時も長子を嫌われ次子ソロモンを愛された、ということだ。また、兄アドニヤが最初にダビデ王の後継者を名乗り出たが、ダビデは弟ソロモンを王とした。文総裁のみ言からは、このタマルの胎中聖別が後のイエス様の誕生に重要な役割を果たしたということだが、このタマルの胎中での「長子権復帰」とは何ぞや? である。さて、母マリヤは聖霊によって身ごもってイエス様を生んだ。これまでのイエス・キリストの系図に登場する女性陣(妻)のごとく、マリヤもまた、神様への忠誠と絶対信仰を貫いた一人だった。マリヤを「聖母マリヤ」として崇めている教会もあるくらいだ。ところが、マリヤは最後までその使命を全うしなかったためにイエス様が十字架に行かれたともいわれているのが、統一原理の話である。本来ならばマリヤはイエス様を生んでのち、ヨセフと結婚をしてイエス様一人に仕えていかなければならなかった。そして、成人したイエス様にその花嫁を準備していかなければならなかったのであった。-----余談になるが。イエス様は神様の「ひとり子(独生子)」と言われているが文総裁のみ言からは、洗礼ヨハネが兄、イエス様はその弟の立場であった。ここでもユダ--タマルの系列から長子ではなく次子を神様は愛されたということだ。三男派の話をすれば様々にアベル・カインの問題もあるが、ダビデの後継者に兄アドニヤではなく弟ソロモンを選択した例を見れば、「長男だ!」「後継者だ!」との一言が天運を去らせた要因の一つに数えられるのでは。個人的な意見として……世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.13
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PeaceTV>今週の歴史(No.189)真の父母様北朝鮮訪問(1991.11.30、平壌)真の父母様は、北朝鮮を離れてから40年11ヶ月ぶりに、北朝鮮政府の公式招待により、1991年11月30日に北朝鮮の地を再び踏まれた。順安空港に到着し、ユン・ギボク海外同胞援護委員長の出迎えを受けられた。(写真)真の父母様は、北京空港貴賓室の記者会見で、「今回の訪問は、祖国統一を早める旅行になることを願う」と語られた。宿泊施設は、平壌モランボン・ゲストハウスだった。真の父母様は、12月5日に定州の生家を訪れ、親族と再会され、ここは、世界の人々が巡礼する聖地になると語られた。12月6日、咸鏡南道興南市麻田の主席公館で南北の懸案などをめぐり、金日成主席と会談を持たれた。12月6日、平壌ソジェゴル招待所で開かれた歓送式で「愛は血よりも濃い」とし、統一の原動力は、真の愛と力説された。(提供:鮮鶴歴史編纂苑)PeaceTV>今日のみ言(No.188)真の父母様北朝鮮訪問(1991.11.30、平壌)私は北朝鮮を訪問して、万寿台議事堂に行った際、そこに集まっている党の幹部たちに話をしました。「何が主体思想だ。人間の生涯を見れば、八十年も生きられないではないか。四十年の歴史を通して立てたものが正義になりうるのか。手のひらほどにもならない所で、いくら主体思想を通して強制的にすべてのことを解決しようとしても、そうはいかない!」と、堂々と話したのです。「『神主義』が正しい」と堂々と宣言しました。命を懸けたのです。その国の真ん中に一人で入っていっても、恐怖感に包まれて躊躇してはいけません。神様の権威と体面はどうなるでしょうか。ですから、堂々と語ったのです。勝つか負けるかという、天下分け目の一大決戦のようなものです。そこでは、度量のある人が勝ちます。金日成主席は、やはり男らしい男でした。自分の秘書陣が三度も、「文総裁は危険な人物です。会ってはいけません」と報告したのにもかかわらず、そのたびに金日成主席は、「だから私が会わなければならないのだ」と指示したというのです。(真 8.1.3:14, 227-040, 1992.02.10) 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.01
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神様は私たちの王であり、真の父母であられる(01.05.08 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 ニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会) 「米国五十州巡回講演」を終えられた真のご父母様は、その後も休まれることなく、米国で、ニューヨーク・ハーレム大会(五月八日)、米国議会議員会館での講演(同十五日)、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)による国際シンポジウム(同二十五日から二十七日)などの重要な大会を行われ、二十七日には聖職者をはじめとする六十組のカップルが参加した祝福結婚式を挙行されました。 このみ言は、五月八日にニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会で、地元の黒人牧師ら約二千五百人が参加して行われた訓読大会の際に、真のお父様がスピーチされたものです。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、本大会に訪ねてこられた皆様に、深甚なる感謝を申し上げる次第です。 特に、本日、私を本教会に招請してくださったドクター・ワイアット・T・ウォーカー牧師をはじめとして、ニューヨーク地域の著名な聖職者の皆さんに感謝を申し上げます。 ここハーレムは、ニューヨークの心臓部であり、ニューヨークは、米国の中でも文化と経済、国連活動などの外交の中心地域です。さらには、全世界から集まった移民たちが共に暮らしている国際都市です。 私は、新しい千年が始まる、正に最初の年である今年、去る二月二十五日から四月十七日まで、米国全域をカバーする五十州巡回講演を盛況のうちに終えました。きょうは、ニューヨーク地域の聖職者のかたがたの招請によって、再び皆様に会うことになりました。 これまで、主にキリスト教を中心とした超宗教指導者たちを対象として、神様のみ旨を中心として、人類と米国、ひいては天の国と地上の国が進むべき道を提示してきました。 私は、十六歳(数え年)のとき、「復活節」の明け方にイエス様と出会い、神様のみ旨を成就するための天意の道を歩み始めました。あらゆる無理解と迫害を受けながらも、屈することなく、過去八十余年の生涯を真なる理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。 特に、神様の命令に従って、一九七一年にアメリカに渡ってきた私は、過去三十年間、全心全力を尽くして、米国が神様によって第二イスラエルとして選ばれた、その使命を果たすように覚醒させてきました。 きょうは、今回の巡回講演で語った内容と、去る一月十三日の「神様王権即位式」で発表した内容を歓迎し、祝賀し、宣布する時間を持とうと思います。 内外の貴賓の皆様! この世界には、六十億の人類が生きています。しかし、大きく区分すれば、男性と女性の二種類の人間が生きています。このように神様は、鉱物界から植物界、動物世界に至るまで、すべての存在を陽性と陰性、すなわちペアシステムによって創られました。それは、創造主の神様に似せて創られたからです。それでは、神様は、私たちにとって、いかなるおかたであり私たち人間とは、どのような関係を持っておられるかたなのでしょうか? 私たちは、創造主であられる神様が、人間の真の愛、真の生命、真の血統の根源であられるので、そのおかたを「お父様」と呼びます。すなわち、本然の“神人の関係”とは、父母と子女の因縁によって結ばれているのです。 皆様! 人間にとって最も大切な愛と生命と血統の中で、何が最も貴いのでしょうか? 多くの人々は、愛が最も貴いと言います。 しかし、愛や生命は、いくら貴いといっても横的であり、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるのです。したがって、先祖から継続される血統を相続した現代人は、事実上、アダム以後のすべての先祖が共にいる細胞の株式会社と同じです。 ところで、私たち人間が生きている環境は、どうでしょうか? 太初(創造の初め)から心と体が闘っています。世界大戦は、休戦も終戦もありますが、私たち人間の内部で葛藤している心と体の闘いは、止めることもできず、終えることもできずに継続されてきました。 心と体が、九十度の角度を成して、心が完全に体を主管しておられる神様に似ることができずに、このような葛藤状態に陥ったのは、人間始祖が堕落したからです。 これは、信仰生活をしていない人でも、人間が堕落した人類始祖の後裔であることを認めざるをえないはずです。 そうであるならば、アダムとエバは、堕落した後にエデンの園から追放されましたか、それとも堕落前に追放されたのですか? アダムとエバは、堕落することによって、神様と愛と生命と血統の関係を結ぶことができずに、エデンの園から追放されたのです。 したがって、アダムとエバは、神様から祝福を受ける結婚式をすることができずに、サタンの主管下で結婚したのです。すなわち、サタンから血統を受け継いで子孫を繁殖したのです。 それゆえにイエス様は、「ヨハネによる福音書」の八章44節で「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。」(新共同訳聖書、以下同じ)と言われながら、堕落人間の父が、悪魔サタンであることを指摘されて、戒められたのです。 堕落によって、神様とアダムとエバとの間に結ばれた永遠の父子の因縁が断たれ、アダムとエバが神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の子女の愛を築くことができませんでした。そのことによって、神様は、直系の孫と孫娘を得ることができなくなってしまわれたのです。 アダムとエバが堕落せずに完成して、縦的真の父母である神様を中心として、横的真の父母として一心一体となり、心と体が闘ってはいけなかったのですが、怨讐と関係を結んだあげく、体が心を引きずり回す立場になったのです。 それならば、堕落の内容とは何でしょうか? 聖書では、エデンの園で人類始祖が善悪の果を取って食べたことが、堕落の起源になったとしています。しかし、これは、聖書の重要な部分がそうであるように、文字どおりの果物ではなく、比喩と象徴で説明したものです。 「マタイによる福音書」の十五章11節で語られているように、「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」とあります。 人間の本能は、自らの欠点を覆い隠そうとします。子供が、クッキーをこっそり食べていて、お母さんに見つかれば、手を覆い、口を覆い隠すのです。 同じように、もし、アダムとエバが善悪の果を手で取って口で食べたのならば、手と口を覆い隠さなければいけないはずですが、下部を覆い隠したということを見れば、これは下部で罪を犯したということを証ししているのです。 エデンの園には、五人の男性がいました。それは、すべての被造世界の男性格主体であられる神様をはじめとして、アダム、そしてルーシェル、ガブリエル、ミカエルの三人の天使長でした。女性は、エバ一人だけだったのです。 エデンの園で彼らは、恥ずかしがることなく裸で過ごしながら、つがいになっている昆虫や動物などの生態系を見ながら、何を感じたでしょうか? それで、「創世記」二章17節の「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と言われた戒めは、エバの愛の問題を強く警告したものでした。 エバは、神様を中心として個性完成して、神様が許諾なさる祝福結婚をするときまでは、絶対に純潔を守って、神様の永遠の愛と生命と血統を繁殖すべきだったのです。 しかし、エバは、僕としての自分の立場を忘れて過分な欲望を持った天使長ルーシェルと不倫な関係を結んで、堕落してしまったのです。 それで、聖書(新共同訳聖書)の「ペトロの手紙二」の二章4節には、「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。」とあり、「ユダの手紙」一章7節では、「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので」といって、天使の犯した罪が、姦淫の罪であると指摘しているのです。 重ねて申し上げるならば、善悪の果とは、未完成なエバの貞操のことであり、さらには、エバの生殖器を指し示しているのです。 人間にとって生殖器は、神様が最も心血を注いで創造なさったもので、真の愛の王宮であり、真の生命の王宮であり、さらには真の血統の王宮として創造されたのです。 善悪の果とは、文字どおり王と関係を持てば王子を生み、マフィアと関係を持てばマフィアの子女を生みます。種をまいたとおりに刈り取るようになるのです。それで、善と悪を分ける“善悪の果”というのです。 それで、罪の中の根本的な罪である“原罪”が生じ、“重生”が必要になったのです。これは、血統問題が関係したためです。 さらに聖書は、エバを堕落させた天使長を蛇に例えました。なぜでしょうか? 蛇は、舌の先が二つに分かれており、これは、一つの口で二つのことを話す二重人格者を象徴するのです。自分の目的のためには、手段と方法を選ばない存在です。 一方、男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ており、これは、常に穴を訪ね歩きます。女性の生殖器は、凹形になっており、ちょうど口を開けた毒蛇の洞穴のようです。一度かんだり、かまれたりすれば、その毒が、全身の血管に回って、永遠の死をもたらすのです。淫乱は、個人はもちろん、家庭、氏族、国家が破綻する道なのです。 いにしえからの歴史の終末期を迎えた今日、世界的に起きている青少年の倫落現象やフリーセックスの波は、今の時代が、エデンの園においてまかれたこと、つまりアダムとエバが未成年の時期にサタンと堕落することによって貞操を蹂躙したことを、そのまま刈り入れる時期であることを自ら証しするものです。 それでは、これほど重要な生殖器の真の主人とは、だれなのでしょうか? 夫の生殖器は妻のものであり、妻の生殖器の主人は夫なのです。したがって、これを開け閉めするかぎは、絶対に一つでなければなりません。いかなる理由があっても、スペアキーがあってはならず、これを容認してもいけません。このキーを間違って使用すれば、家庭が滅び、国が滅んでしまいます。 人間始祖の堕落によって、サタンは孫を持ったのですが、神様は、直系の孫を持つこともできませんでした。それで、救世主メシヤが必要であり、偽りの父母ゆえに逆さまに打ち込まれたので、真の父母が来なければならず、間違った結婚をしたので、正しい結婚をして復帰するために、メシヤは人類の真の父母として来られなければならないのです。 偽りのオリーブの木は、その幹を切って、真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。 それで、ニコデモがイエス様を訪ねてきたとき、イエス様は、「生まれ変わらなければ、天国に入っていくことはできない。」と言われたのです。 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を断ち切ってしまい、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、天国の民にならなけれはなりません。接ぎ木する方法は、家庭、国家も一時に行うことができるのです。 それゆえに、世界平和統一家庭連合は、私の教えを中心として、「国際合同祝福結婚式」を通して、真なる家庭理想を通じた地上、天上天国の実現に努力してきたのです。 疑いの心が生じるならば、祈祷してみてください。私は、命を懸けて祈祷して、この真理を探し出したのです。レバレンド・ムーン以上に霊界と神様のことを知っている人は、いないでしょう。 天の戦法は、打たれて奪ってくるのです。サタンは、先に打って、その後、損害賠償まで差し出すようになっています。 さらには、怨讐までも愛しなさいというのです。そのうえ最後には、サタンまでも愛さなければならないというのです。これは、生きた証しです。ゴルバチョフ大統領(当時)や金日成主席(当時)を訪ねていって会ったことも、このように“怨讐まで愛さなければならない”という神様の真の愛の実践の場だったのです。 迫害は、サタンの所有権をすべて相続させてくれる神様の戦略、方法です。したがって、個人から天宙のレベルまで文総裁に反対しましたが、かえって文総裁は発展してきました。神様をはっきりと知らなければなりません。 人間始祖の堕落によって、悲嘆と嘆息の中にいらっしゃる神様を解放してさしあげるために、あらゆる反対を顧みず、人種と国境を超越して、怨讐間の垣根を崩す「国際合同祝福結婚式」を真の父母の名によって主導してきたのです。 したがって、私は、婚前には絶対純潔、祝福結婚後には絶対貞節を守り、神様の四大属性である絶対、唯一、不変、永遠の性稟に似た真の家庭の理想を成就することを教育してきたのです。 このように、真の愛の相対者としてつくられた男性は、宇宙の半分である天を代身し、女性は地に似ました。したがって、ひとたび祝福結婚をすれば、離婚はできません。今日、五〇パーセントを超える離婚率は、父母と子女の間を裂き、天倫と人倫の基本秩序をことごとく破壊しています。 内外の貴賓の皆様! 男性と女性のうち、神様はどちらをより好まれるでしょうか? 後からつくられた存在であるほど精誠を投入したものなので、より貴いのです。 女性は、神様が心血を注いでつくられた最後の作品です。よく見てみれば、男性と女性では、女性のほうが、よりために生きるように生まれついていますし、ために生きているので、神様の愛の関心は、女性の方により多く向かうのです。 神様は、どこにとどまりたいと思われたでしょうか? アダムとエバが堕落せずに完成して、真の愛を中心として一つになるとき、神様は、そこに臨まれるのです。それで、縦的な永遠の愛の主人が神様であり、横的な愛の主人が夫なのです。 そうして、生命の種は、神様から来て、夫が持っているのです。畑のような立場である女性は、生命の種をもらい、自分の体を犠牲にして栄養素を供給し、愛によって育てて赤ん坊を出産するのです。赤ん坊は、骨と肉など、その九九パーセントは母親から受け継ぎます。 女性の体の構造を見ても、女性自身のためのものは、一つもありません。よく発達した女性の胸とヒップは、女性自身のものですか? 赤ん坊のためのものです。男性にはない子宮も、毎月の生理現象も、すべて赤ん坊のためのものです。 それでは、妻の生殖器は、だれのものでしょうか? 夫のものですか? 自分のものですか? 夫に属しているのです。結局、女性は、夫のために生き、子女のために生きるようになっています。 夫は、このような夫人に対して、家庭で女王の中の女王のようにして侍らなければなりません。妻が乳を飲ませ、赤ん坊を育てるとき、夫は、いつも夫人と赤ん坊のために生きなければなりません。 夫と妻の間に生まれた子女を教育して、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子として育て上げる責任が、夫にはあります。このように夫と妻は、主体と対象の関係です。質的な面では男女は平等ですが、秩序と序列では、生命の種を所有している夫が、主体なのです。夫を絶対主体として、夫人と子女が一心一体となって、真なる家庭を神様に奉献しなければなりません。 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の開幕とともに、世界は急速に一つの世界を指向しています。‘One Nation Under God'を超えて、‘One Universe Under God’すなわち、「唯一の神様の下の一つの宇宙」が成されつつあるのです。早くから私が説き明かしてきた“地球村大家族”の世界が、現実となるのです。 しかし、ここに深刻な障害物があるのですが、それは、人種間の差別と宗派間の葛藤、対立です。これは、神様のみ意ではありません。創造主であられる神様は、私たち人間の第一の先祖であられます。 ですから、例えるならば、白人は“北極ぐま人種”のようなものです。北極からスカンディナビアを経て、英国を通って世界へ広がったのです。黄色人種は、アジアで主に農業に従事して地を愛しているので、“ひぐま人種”のようなものです。また、黒人は、熱帯地方の“つきのわぐま人種”のようなものです。 黒人の皮膚の色が黒くなったのは、太陽の光が強い赤道付近で暮らしているからです。各人種のカラーには、優劣は全くありません。ただ環境の影響を受けて、保護色を異にしているだけです。 実際に、人種間の遺伝的差異はほとんどなく、ほぼ同質であるということが知られています。換言すれば、神様の観点から見れば、皮膚の色には何の質的な差異もないのです。 さらに、愛の神様は、“色盲”でいらっしゃいます。神様は、それぞれの人種を皮膚の色が異なるように創造されませんでした。したがって、霊界では白人も黒人もありません。ただ、真の愛のカラーだけが存在するのです。 人類が平和世界を指向していくことにおいて、特に宗教間の葛藤は、より一層深刻な現実です。神様は、教派や宗派をつくられませんでした。宗教自体が、堕落の副産物なのです。教派や宗派の分裂は、サタンが助長するのです。 したがって、霊界には国境間の垣根も、教派間の垣根も、宗派間の垣根もありません。一つの大家族の世界があるだけです。 「ヨハネによる福音書」三章16節の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」というイエス様のみ言は、キリスト教だけでなく、その境界線を飛び越えて、救援の世界性、普遍性、宇宙性を語っているのです。 伝統的にサタンは、いつもさまざまな国境線をっくってきたのであり、神様は、いつも壁を崩してこられました。 摂理の進展にしたがって、すでに天上の霊界では、四大聖賢を中心として、宗派間の垣根が取り払われました。イエス様と釈迦牟尼、マホメットと孔子が、お互いに自由往来して交流しているのです。 このことをよく知っている私は、今回の米国五十州巡回講演を通して、すべての聖職者たちに、教派を超えて一致団結することを強く勧めてきました。 実際に、「米国聖職者指導者連合(ACLC)」を中心として、「連合教会(UFC)」運動を通して、十四万四千教会が、この運動の先頭に立っています。 今後は、家庭を中心としたホームチャーチ(Home Church)形態の教会が、順次、定着していくことでしょう。窮極的には、制度的な教会や寺、モスクはなくなるのです。 一方、私が国連ですでに明らかにしたところである世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が、それぞれ活発に展開しています。「世界平和超宗教超国家連合」が先頭に立って、NGO連合団体であるWANGOを中心として、国連本部から始まって、急激に五大洋六大州に拡散されていきつつあるのです。 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の意味は、聖書歴史では七千年、イエス様以後では三千年(となる最後の千年紀)を開く時代です。これは、聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が築かれる成約時代の完成を意味します。 私は、蕩減復帰摂理歴史のすべての条件を勝利的に立て、去る一月十三日「神様王権即位式」を挙行いたしました。これは、人間始祖の堕落によって、“囚れの道”にいらっしゃった天のご父母様を解放してさしあげるという、全摂理歴史の中で最も大きな慶事の日でした。 それでは、今から、この「神様王権即位式」を中心としてお話ししようと思います。 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人々が、国を備えて祝福を受け、一つの血族となり、血統が一つとなった単一民族を成した基台の上で、初めてこのような式を執り行うことができるのです。 「神様王権即位式」のために、今までの数多くの宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て、第三イスラエル圏である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代と越えてきました。 「成約」とは、「すべてのものが祝福を受ける時代」という意味です。神様が創られたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって、祝福圏に立つことができませんでした。 しかし、神様は、救援摂理の道を通じて、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立てられ、それを通して万民を教育することによって段階的に引き上げて、成約時代を迎えるようにされました。 しかし、主流思想ではない系列的な宗教は、その全貌を知ることができません。ですから、ユダヤ教とキリスト教を中心として、神様を人類の父として侍ることのできる道を築いてきたのです。そうして、イエス様が地上へいらっしゃることによって、初めて「独り子」という名前を持つようになりました。 神様が失ってしまわれたこの歴史時代に、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星に“独り子”が生まれました。神様の長男が生まれたのです。 しかし、“独り子”は生まれましたが、“独り娘”はいなかったのです。神様は、四千年間の救援歴史を通じて、完成したアダムを再び創造なさったということと同様です。 神様は、アダムに似せてエバを創られました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台としてアダムに似せてエバを創られたのです。 聖書を見れば、男性のあばら骨を抜いて女性をつくったと記録されています。それは、どういうことであるかといえば、“骨子を取ってつくった”ということです。それで、完成したアダムは、この地上で失ってしまったものを取り戻すことができる“独り子”なのです。 神様は、直系の真の愛の血統を通して、アダムは取り戻しましたが、エバは取り戻せなかったのです。エバを取り戻そうとすれば、今までの堕落以後の歴史性を、再び家庭から復活させて接ぎ木をして、国をつくらなければなりません。それを準備しておいたものが、ヤコブからのイスラエル民族であり、十二支派です。 選民思想を中心として、ヤコブの十二人の子供が着地して、世界に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教です。 イスラエルは、外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型です。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的父母の責任を全うすることによって、カイン、アベルを収拾することのできる母を選択して待たなければなりません。 母を選択した基台の上でイエス様を迎えていれば、真なる霊肉を合わせた父母を迎えるようになり、霊肉が合わさったイスラエル国とユダヤ教が、カイン、アベルの立場で真の神様の血統と一つになっていたことでしよう。 それで、その一つになった祝福家庭を中心として、氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、だれも否定することはできません。ローマがいくら世界を支配しているといっても、それを凌駕することはできません。外的なものは肉と同じであり、内的なものは骨と同じなので、肉が骨を超えることはできないということです。 もし、そのような立場に立つようになっていたならば、イスラエルの国を中心として万国統一、「神様解放」と「神様即位式」は、二千年前にすべて成し遂げることができたことでしょう。 しかし、イエス様が、エバを復帰して家庭を築くことができなかったことによって、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成し遂げることができるように準備したものが、すべて壊れました。すべて壊れていったのです。 イスラエルが準備した、その基盤がすべて死んだも同然となったので、イスラエルの国はなくなり、七世紀になって、中東からイスラム教が出てきました。 イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて、祝福を受けた民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が起こってきたのです。モスレムが反対する立場で現れ、怨讐になりました。 アブラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、お互いに怨讐となって闘う歴史が展開しました。そうして、エルサレムを中心として、十字軍とモスレムが闘って、イスラエルを奪われてしまったのです。 それで、奪われたイスラエルを再び取り戻してこなければなりません。しかし、闘いによって奪って取り戻してはいけません。 イエス様の時代に国家的基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくったとすれば、カイン、アベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決したのです。 しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが“亡国の種”となることによって、「再臨」という名詞が登場するようになったのです。 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、超えることができる世界版図圏が、キリスト教です。イエス様の体を失ってしまったがゆえに、第二次大戦を通して連合国と枢軸国が闘い、連合軍が勝つことによって、霊界を代表する基準においてキリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。 そうして、キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代を迎えて、怨讐世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属するようになりました。 この基盤を中心として、カトリックとプロテスタントが、聖霊である真のお母様を中心として一つになった位置に立って、キリスト教文化圏を代表した立場で来られる、真のお父様である再臨主を迎えていたならば、どうなっていたでしょうか? そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、一九四五年以後、三年半ないし七年間、一九五二年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。 しかし、キリスト教は、統一教会(再臨主)を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、棍棒を持って追い出そうとしています。 なぜでしょうか? ユダヤ教がキリスト教に対して棍棒を持って、最後まで反対しながら滅びるしかない立場に向かったことと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を進んでいます。宗教圏は、すべて同じです。キリスト教が、神様のみ旨をすべて成し遂げてさしあげることができないまま、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を行っているのです。 その結果、家庭から社会、国家、世界等、どこもすべて地獄のようになってしまいました。神様の願われた真の愛の理想圏は、地球星では捜し出すことができない結果になりました。 米国のような大きい国にも、神様が訪ねていくことのできる心と体が一つになった真の息子と娘、神様が願われる堕落していない本然の基準において、夫婦が、そして心と体が一つになった真の家庭はありません。父母と息子、娘が闘わない家庭はないのです。個人主義化してしまったこの世は、すべてばらばらになるのです。 そのような転換の時期に、東洋と西洋で文化背景が異なるわけですから、メシヤの代理的責任を持って、世界人類を東西、四方でそれぞれ収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教、イスラム教、キリスト教なのです。 それでは、再臨主はだれなのかといえは、真の父母です。真の父母は、何を持ってくるのでしょうか? 真の愛と真の血統を持ってくるのです。偽りの父母は何かといえば、偽りの愛と偽りの血統を連結してきたのです。 堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとするならば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。 「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結することなくしては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。 そのために、成約時代の真のご父母様を通した祝福による真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗の蕩減復帰を可能にするものです。 真正なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、それがたとえ偽りのオリーブの木の畑であっても、真のオリーブの木の血統において、真の愛を中心として一心、一体、一念となって、偽りのオリーブの畑の生死圏を超えていかなければなりません。 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、どのような犠牲があっても越えていくという、そのような心情を持った人は、サタンが関与することはできません。国家基準を超えて、それ以上の基準に立つようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができないのです。 イエス様も、もし結婚していたのならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結されうるからです。 原理でいえば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンが断ち切る術はありません。 その過程において、心情一致することができる、その立場になることができなかったために、また、そこで堕落したので問題が生じたのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが奪っていくことはできません。 しかし、この過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えようとしても、種は生じません。 それで、永遠の生命が存在しないので、“死んだ生命”のようなものを処置する所が地獄です。それは、神様とは関係ないのです。 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されることができません。男性独りの血が連結されただけでは成されないのです。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。 宇宙の根本のしくみは、性相と形状の血統が一つになったその立場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる立場で、人間を創造したというのです。 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神様と地上の実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するうえで協力するのです。そして、霊界において永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するというのです。 それゆえに、神様とサタンまでも和解して、ユダヤ教と来られる主、それから周囲にある宗教と和解させるのです。イエス様が来られて、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ備えられれば、そのときにすべて終わるのです。 しかし、それが終わらなかったために、世界の頂上で、第二次大戦以後に世界国家である米国(米国は世界の第二次的なイスラエル国)が、第三次地上、天上の主権と覇権の主人として来られた真のご父母様に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成したとするならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏、地上、天上天国の解放に連結されたのです。 それが四十年間巡り、今日まで五十六年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。 だれが、神様の「王権即位式」をしてさしあげるのでしょうか? 最初に、だれが神様の「王権即位式」を台なしにしたのですか? サタンとアダムが台なしにしたのです。 アダムとエバが真の父母になることができなかったためにサタンが入ってきたのであり、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。 堕落によってサタンの血統を残してきたので、これをすべて否定して、引っ繰り返さなければならないのですが、それは神様もできず、サタンもできません。 サタンが今までつくっておいた自分の国を、サタン自らが壊してしまうことは難しいのです。だれであっても、自分がつくったものを改造することは嫌います。サタンも同じです。 また、それを神様が引っ繰り返すこともできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園で、アダム家庭を失ってしまうこともなかったことでしょう。 いずれにせよ、理論的にも神様が手を着けることができないということは間違いないので、神様が手を着けることができないことに手を着けることができる人物とはだれかといえば、それは、完成したアダムです。本然の愛の家庭を持つことができる家庭は、アダム家庭以外にはありません。 中心が問題です、中心! 復帰も、中心がなくて完結できるでしょうか? それでは、祝福家庭の中心とは、何ですか? 祝福を、だれがしてあげるのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。結婚式を、だれがしてあげるのですか? 自分の子供に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか? 堕落しなかったならば、だれが、してあげたのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。 堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。それは、横向きにはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。 昨年の十月十四日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭が一つになり、霊肉界の宗教圏統一式をしてあげました。そこで語ったことは何かというと、「真のご父母様は家庭の王である」ということです。 今まで、家庭の王、天地を代表した中心位置に立った家庭の王がいましたか? 家庭の王になろうとするならば、すべてのものの中心にならなければなりません。“父母の中の父母”にならなければなりません。その次に“長子の中の長子”にならなければなりません。長子の王が、先に家庭を持つのです。 結婚するのに、“逆婚”というものがあるではないですか? 結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順次的にしなければなりません。最近では、逆さまにも行って大騒ぎです。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、こちらにも合わせ、あちらにも合わせて、逆にしても通じるというのです。 しかし、本来は、長子、次子と、生まれた順番どおりに結婚しなければいけません。 しかし、そのように渾沌となっているので、最近では親族相〇関係が現れています。姦淫するということです。おじいさんが孫娘と暮らし、おじいさんが嫁と暮らしています。親族相〇関係が生じたのです。人々は、中心が分からずに回っているので、お互いに一緒に暮らしてみるのです。 このようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列を把握することができないほどになっており、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのかも分からないほどになっているので、ゼロ度でも三百六十度でも百八十度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。 それゆえに、民族を移動して世界が混淫する事件まで展開するのです。最近では、外交官というような人々が外国に行けば、その国にどれほど旗ざおを差して帰ってくるのかという、どれほど女性と相〇関係を結んでくるのかという混淫時代の局面になりました。 このようになったものを、だれが収拾するのでしょうか? 神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉することができず、サタンが結婚することも干渉することができなかったのですから、終わりの日に干渉する道理があるでしょうか? 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度蕩減復帰して、これを否定して引っ繰り返さなければなりません。 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地に立ったとしても、蕩減されるときまで生き続けることのできる余力があってこそ、初めて生きるというのです。 死ぬことを悲しみ、“死から逃げたい”と思う人には、永遠に復活権がありません。それゆえに聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ。」というようなことが書かれているのです。 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、天国に行こうとする者は、どうでしょうか? 気が狂うほどでしょう。神様も、生きんとする人間の一つの生命、一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に行くまでは、生かしてあげることができるように支えることはできません。 断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような生死の基準を超えてこそ、人も生き、神様も生きるのです。 メシヤ、あるいは救世主という人は、神様よりも、もっと苦労しなければなりません。神様は楽にしてさしあげ、食べさせてさしあげたとしても、自分は、死ぬほどの苦労をしようとしなければなりません。 西洋人は、「自由、自由、自由!」と言っているでしょう? どんなに西洋の教育制度が良くなったとしても、皆さんには堕落圏内の自由の概念しかありません。 家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神様の摂理観のようなものがありますか? アジアの教育と西洋の教育は、百八十度違います。家庭観も違います。 ですから、西洋の制度は、終わりの日に混乱するようになるのです。個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか? どのようにして、それを悟らせるのでしょうか? 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階にまで上がってきました。 それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか? 心と体を統一することから始めるのです。 絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神様まで出ていくのです。西洋の人たちは、どんなにその位置まで出ていきたくても出ていくことはできません。なぜでしょうか? それは、個人主義の概念を持っているからです。 個人主義の概念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。 皆さんは、ここに見物に来たのですか、文総裁のみ言を聞いて、困難な峠を踏み越えていくために来たのですか? それが問題です。そこには、個人主義的概念はありえません。 ハーバード大学を出た、エール大学やオックスフォード大学を出たといっても問題は同じです。むしろ労働者や無学な人たちのほうが、ましです。フリーセックスを好む群れは、だれですか? 白人ですか、だれですか? 黒人がこれを好むとすれば、それは白人から学んだのでしょう? このように考えなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、そのようなものは、間違いなく麻薬中毒とエイズにかかるようになります。 麻薬とエイズのために(人類が)全滅するようになっています。アフリカでは、非常に多くの人々がエイズにかかっています。十五年から二十年以内に滅びると思うのです。エイズウイルスの潜伏期間は、八年から十二年です。ですから、二代ですべて滅びかねません。 国連を中心として見るとき、NGO(非政府組織)も多くの問題点を抱えています。その人たちに、「最も難しいことをしなさい。」と言えば、それをする人がいるでしょうか? NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題など、そのようなことを指摘するでしょうか? 彼らにとっては、あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。 そのような高い次元の内容を知っていてこそ、初めて反対することもできるのであって、知らないのですから反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい。」と言うのです。 青少年の淪落と家庭破綻、エイズ問題、特に純潔な“血”をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、だれにも分かりません。彼らは「これは、うそなのか、本当なのか?」と言うのです。 今から「神様王権即位式」以後に、することのできる条件をはっきりと教えてあげます。今までの問題は何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか? ブラッドリネージ(‘Blood Lineage’)です! これが最も重要です。自分の国の王が重要なのではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。 今、この世界には数多くの国がありますが、神様に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに術はありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、ユニオン(‘Union'労働組合)ゆえに多くの問題を抱えています。しかし、ユニオンは問題がないというのです。労働者、農民のユニオンがあるのと同じように、株主のユニオンをつくるのです。 「労働者ユニオンと株主ユニオンの二つが一つになって、私たちの家族をきちんと食べさせて養わなければならないので、今年は、昨年の生産量を超えなければならない。だから、労働者ユニオンと株主ユニオンが一つになって競争しよう。そうして、利益が出れば、約三年聞は主人に渡さずに、自分たちで分けるようにしよう。そして、労働者ユニオンが一所懸命にすれば、その分の何パーセントをより多く与えて、株主ユニオンが一所懸命にすれば、その分多く与えよう。」と、このようにします。このようにすれば、闘争が生じるでしょうか? 西洋社会で、このような考えをする人がいないのです。 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まりなさい。全世界の祝福家庭は、集まりなさい。今から宗教ユニオンをつくろう。」というのです。 そのように、「宗教ユニオンをつくりなさい。」と言えば、つくりますか、つくりませんか? それで、ユニオンについても「退け。」と言えば、共産党は退くのです。 ロシアにユニオンがありますか? ありません。中国にユニオンがありますか? ありません。北朝鮮にユニオンがありますか? ありません。 それでは、先進国になぜユニオンができたのか、その動機はどこにあるのでしょうか? それらの国々を滅ぼすために、ロシアが外交政策でそのようにしたのです。それは、「仕事をせずに、血を吸い取りなさい。」ということです。 ですから、文総裁の言うとおりにすれば、ユニオンが持っている問題点を解決することができます。 今からは、どのように思おうと、好きでも嫌いでも、東洋人でも西洋人でも黒人でも、人として生まれた人は、神様のみ旨と文総裁の教えを聞かなければ、困るようになるのです。 ですから、初めから困難な立場に立つのではなく、きょうから新しく決心しなさい、というのです。一度決心すれば、いくら難しい迫害があっても変わってはなりません。今からは、確信を持たなければなりません。 今日、この新千年時代にすべきことが何であるのかというと、今まで神様も解放されず、真の父母も解放されなかったのですが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけないというのです。監獄に入ったとしても、恐れてはいけません。 自分が、天国に早く行ってみたいと思っているのですから、若くして行くことができるのならば、どれほど良いでしょうか? それが、損になるでしょうか? 天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、自らが主人になれるというのに、どうして否定するのですか? 死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなければなりません。 今日、「神様王権即位式」をすることによって、国が変わりました。今や、み旨の道のために心配しなければなりません。神様は、み旨の先頭にお立ちになることができず、今まで恨を抱いておられます。ご自分が“したい”と思うとおりにできない怨恨が染みついています。 ですから、神様がなさりたいと思われるとおりにできるように、後援部隊になりなさいというのです。 「神様。なぜ、このようになさるのですか? きょう、夜明けに忙しいことがあって、私よりも早く降りていかれるのならば、私を起こして連れて行ってくださらなければならないではないですか? 今までは、目覚めさせるために神様が働かれましたが、今からは、変わる時ではないでしょうか? お父様は、息子よりもりっぱでいらっしゃるのに、息子、娘よりもっと苦労なさって、何とかここまでたどりついて、『神様王権即位式』までされたのですが、その『神様王権即位式』の権限を中心として、一声の号令で、天下がするするっと巻き込まれて落ちていくはずなのに、なぜ、お出ましになられないのですか? 私がご案内します。」と、このように言うのです。お出ましになられなくても、案内くらいならできるでしょう? 今からは、時が変わったのです。 皆さんは、どのように個人完成をするのか知っていますね? 個人の心と体が、一つになるということを知っているでしょう? 堕落するときに、サタンの血統を受け継いだ体が、つまり堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。どのようなことがあっても、体が願うとおりにしてはいけません。 これから守らなければならない鉄則は何かというと、第一に、死んでも血統を汚してはいけないということです。 第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性でも女性でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないということです。 責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。心にそぐわないからといって、いいかげんにすることはできません。 人権を正しく指導することにおいては、真の愛、ために生きる愛を持って暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうことは、赦すことができません。罪の中で二番目の罪です。 第三に、公金を盗んではならない、公金を自分勝手に使ってはならないということです。以上の三つです。 監獄に入る人の七〇パーセント以上が、この問題で、そこにいるのです。監獄に入っていってみれば、そうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題に引っかかっています。 それから金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐であったのです。 これから祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものなのですから、堕落世界に染まった、今までの習慣的な行動によって汚してはいけません。それを守ることができますか? 夫婦になったとしても、配偶者がいなければ、独りでもよいので、“完全な血統を汚さない”と決心し、そのように誓う、この日にならなければなりません。 きょうの記念の日を忘れてはいけません。夫婦げんかをしても、「正月十三日、十三数!」と言えば、収まらなければなりません。 西洋では、「十三」といえば、最も悪い数です。しかし、それは、十二か月の中での“中央数”なのです。中央に十二か月が入って、天地の道理が循環しなければならないのに、これがないので、すべてが混乱して逆理的混乱世界になっています。これを正そうというのが、天の願われるところなのです。 ですから、これを知ったあとは、“たとえ千回、死ぬようなことがあっても守らなければならない。”と、鉄石のような決意をする、この時間にしなければなりません。 天国の憲法第一条とは何かといえば、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。 第二条は、「人権を蹂躙してはならない!」 第三条は、「公金を略取してはならない!」 きょう、この記念日に天国の王権を維持して、皆さんが王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。 ですから、お兄さんを無視することはできません。また、例えば弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう? 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校を出た人も無視してしまいます。そのようにすれば、人権蹂躙になります。 公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように暮らす人は、いくらうまくやろうとしても、できません。そのように暮らしてみてください。いくら神様に祈祷しても、うまく伝道することができないのです。門の前に人が来ても、背を向けて帰ってしまいます。 負債を負う人は、天下がすべて嫌います。金氏一族ならば金氏一族の中で、一族を代表して問題を起こし、負債を負うことを喜ぶ人が、どこにいるでしょうか? 後には、行く道まで行き詰まり、逆にくぎで刺されてしまうというのです。そのような時が来ます。 この三つのことに対して分かりましたね? この三つを一度指を折って数えてみてください。一人ひとり、内心で決心したことを、一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つと、何度も繰り返してみてください。 純潔、人権、国家財産の略取禁止。このような問題に対して、はっきりと理解して習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目覚めさえすれば、そのような言葉が出てくるようでなければ行動できないのです。 そこに付け加えるとすれば、私は、一生の間、つまらない人や、ありとあらゆる人をすべて連れて生きてきたのですから、そこに何らかのいろいろな事情がありえないでしょうか? 皆さんが生きていくにおいても、何らかの事情がありませんか? そのとき、そのような多くの事情があるはずですが、それでも、そのような法に引っかからないようにと努力すれば、そのもろもろの事情にすべて打ち勝った人になるはずです。ですから、文総裁が言うまでもなく、天国に入るようになることでしょう。 それでは、どのようにしなければなりませんか? どのように暮らしますか? 幸せに暮らさなければならないでしょう? 独りで暮らしていることを“幸せに暮らす”と言いますか? 共に暮らす、幸せに暮らすということには、どのようなことが含まれているのでしょうか? 神様の公式、法度によって立てられた中で、どのような環境で、どのような人たちとともに暮らせば、“幸せに暮らしている”と言えるのか、ということです。簡単です。それも三つです。 父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、夫婦の前では子女になります。子女関係は、兄弟関係であるのです。自分の家庭を中心として、父母がいて、それから夫婦がいれば、息子、娘がいます。 したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同じ親戚の八親等、四親等以上が、すべて連結されて入ってくるのです。それで、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。 子女関係を兄弟関係と言っても、かまいません。彼らと一つになって、幸せに暮らさなければなりません。そのためには、幸せに暮らすことができるように指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、それが幸せに暮らしているということなのです。 手本になっていなければ、間違って暮らしているということです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば、幸せに暮らせるようになるのです。 そのように幸せに暮らせば、どうなるでしょうか? 家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。天国の王がいて、地上の王がいるならば、その王たちが幸せに暮らしている家庭を訪問する日が来ます。毎年、年初めに、その国で最も幸せに暮らしている家庭を訪問し、表彰する時が来るというのです。 そのように生きた祖父から始まって父母、夫婦の三代が四位基合理想を備えることができた、そのような家庭に賞を与えるのです。 そのような家庭が、その国にあれば、先に賞をもらった家庭が、後代に賞を与えることができる責任者となり、国王を代身した国の中心となり、大統領に代わって賞を与える時が来ます。 これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係と言ってもよいのです。兄弟関係というのは、兄弟が一つになることによって、それを子女たちが見て、まねていくのです。 それゆえに、兄弟関係も子女関係も、共同責任の下で和解して影響を及ぼしながら、主体的な位置に立つために生きた人になれば、天国のだれであろうとも自分を締め出すことはできません。 今から、逆賊に追い込まれて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださることを願います。 これを標語として定めるのです。三〇〇〇年(に向けて)の標語の中で、純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産の略取禁止。それから父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうということです。 町内がすべて、「あの人について行くべきだ。」と言い「あの人のようになりたい、共に暮らしたい。」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように生きています。 きょう、神様の「王権即位式」で宣布した最も重要な三大鉄則をお話ししました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべき、家庭に入っても、国に人っても絶対に引っかからないようにするための指針です。きょうこの日に、正に記憶するに値する内容であるということを肝に銘じてくださって、生涯の標的にしてくださることを願います。 成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。ぜひ霊界を一所懸命に研究して、神様を中心とした祝福を受けて真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通して永生の準備をするように願います。 今、人々は、有限な人間の能力とは比較にもならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。 生きておられる神様の御前にあって、真に柔和謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人なのです。 神様の王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するうえで、共に同役者となられることを願います。神様の祝福が、いつも共にありますように。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.10
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天一国摂理史--「愛天日」宣布(1984年5月16日)天一国・天聖経 P.1230から。18 今まで理想世界が引っ掛かっていたのですが、それを私たちが代わりに贖罪し、責任をもとうという意味で、「愛天日」を宣布しました。興進君が霊界に行くことによって霊界の地獄の門が開き、地上で地上地獄の門が開きました。そうして、天の圏に通じることができるようになりました。霊界地獄世界や地上地獄世界、監獄の世界まで通じることができるのです。イエス様が亡くなったのち、三日間地獄に行って門を開いたのと同じように、先生が三日間で地上地獄の門を開いたというのです。イエス様が十字架ですべて失ってしまったのを、このことによってすべて取り戻すというのです。 愛天のろうそくの火は、イースト・ガーデンでつけてきました。一九八四年五月十六日に宣布したのですが、そこでこのろうそくをつけてきたのです。愛天のろうそくは、家庭をもった人だけがともすことができます。独りのときはできません。結婚してこそ、できるのです。これは、愛の父母様を中心として天と一つに なることにより、愛の主管権が広がるのです。その主管権のための一つの象徴的なろうそくなので、結婚した家庭がともすのです。19 愛天のろうそくは、国と世界に重要な問題があり、自分の家庭に重要な問題があり、自分の一族に重要な問題があるときに使用するものです。家庭の祖 父、祖母や、父母や自分の家庭すべてが一つになり、このろうそくを中心として愛の主管圏が形成されるように祈るのです。そうすれば、そこにはサタンが侵犯 できません。このように分別されたろうそくです。この光が届くところには、神様と父母様が共にいると思い、愛の主管圏が形成されると思わなければなりませ ん。聖別されるというのです。 父母様を中心としてこれを始めたのですが、皆さんがこれをもつことによって、皆さんの家庭まで連結させるのです。これからろうそくをもてば、恥ずかしいこ とがあってはいけません。そうでなければ、このろうそくをもつ資格がないのです。ろうそくを見れば、芯を中心として自分が犠牲になるという意味がありま す。天を中心として人類が一つになり、一つの光を発するためには、犠牲にならなければならないということの象徴にもなります。 火がつくのは、ろうそくでもなければ、芯でもありません。ろうそくと芯が合わさって火がつくのです。皆さん夫婦も、主体と対象が犠牲になりながら光を発し なければならないということの象徽にもなるのです。そこにはサタンが存在できません。そうして、父母様が「愛天日」を定めた基盤を中心として、世界的にす べての祝福家庭を連結するのです。この愛天のろうそくには、天が主管するという意味があるのです。黒・天聖経「礼節と儀式」から。 ① 心情のろうそく※心情のろうそくは一九六一年一月五日にお作りになり、祝福家庭に伝授。心情のろうそくは真の御父母様を象徴するものであり、神様の心情を慰労してみ旨の成就を誓う祈祷をする時に使用する。 * 「アダムは堕落以降真の生命と愛(心情)の源泉を失ってしまいました。人間は神様を心情的にずっと失望させてきました。このような失敗によってあなた様は堕落人間を復帰するために身もだえせずにはいられませんでした。あなた様の労苦を心の中に大切にしまいながら私たち一人一人は復帰されたアダムの位置に上がるための一念で生きてまいりました。万物を復帰するための私たちの決心をもっと堅くしてください。この心情のろうそくが燃える時ごとにこの火花があなた様の心情を慰労してくださり、あなた様のみ旨を成すための私たちの献身があなた様に記憶されるようにしてください。私たちがこの心情のろうそくに火をともし、祈祷する時ごとに、復帰歴史において私たち自身の決意をさらに強くさせてください」 ③ 愛天のろうそく※愛天のろうそくは一九八四年五月十六日、真の御父母様が作られ、五月二十日、祝福家庭に伝授された。愛天のろうそくは人類に対する愛の表示として心情のろうそくとは違って二本一組になっている。 * ろうそくはそれ自体が犠牲となって光を発します。このように神様を中心として人類が一つになるためには、犠牲にならなければならないということを象徴しています。火がつく所はろうそくでもなく芯でもありません。ろうそくと芯が合わさって火がつき光を発します。同じように、主体と対象である夫婦が互いに犠牲になる時、光を発するということを象徴します。そこにはサタンが存在することができません。 * 愛天のろうそくを中心として統一心情圏に完全に一つになりなさい。そうするとすべてのものが整理されるのです。 * 「愛する神様! 愛天日を定めたこの勝利の標的を消えないろうそくの火によって象徴してくださったのでここに父母様の愛、神様の愛が共にあってくださり、このろうそくの光をともす所ごとに、その場の光と共に一つになるその家庭には平和が掲げられ、あなた様の愛の主管圏が連結されて暗い勢力を防ぎ、すべての不義の条件を防ぎ、不和の根源を防止できる勝利の聖なるろうそくになるように許してください。これを愛し、特別に祈祷する所ごとに、あなたが常に共にいてくださって父母様が共にいてくださり、全霊界と肉界が愛の統治権をもって共にいて保護してくださるようにお願い申し上げます。これから始まるこの愛天のろうそくの上にあなた様の栄光と共に歴史に長々と連結されることのできるように、そうして天国が完成される時まで継続することができるよう祝福しますので受けてくださいませ。父母様の名前で祈祷し宣布いたしました。アーメン」。 ④ 統一のろうそく※統一のろうそくは一九九五年九月五日から一九九六年一月二日まで、真のお母様が真の子女様と共に夜十二時に統一のろうそくをともして百二十日の間精誠を捧げられたのを起源とする。 * 今回お父様は、九月五日から米国巡回講演をされ、私も日本での講演を行いました。私は家を出てくる時、子供たちと話し合いました。集まることのできる子供たちをみな集めてから、「お父様が、再び人類を抱かれるために、アメリカを相手に、第一線に出てお話しされようとしておられるので、私たちは精誠を尽くしましょう」と言いました。 子供たちは一言の異議もなしに、皆「そうしましょう」と言いました。子供たちは離ればなれに分かれて勉強しているのですが、どのような環境にいたとしても、夜十二時になれば、ろうそくをともして祈祷することにしました。来年の一月二日までの百二十日間、精誠をささげることにしたのです。(真のお母様のみ言) * 私が、きょう持ってきたろうそくがあるのですが、これを伝授します。ですから皆さんには、御父母様の前に誇れる息子、娘として、この地上で実を結ぶ立場になってほしいのです。そして、みんなを天国に一緒に連れていきたいのです。 精誠をささげる基台を、真の御父母様の家庭の子女たちまで拡大して、幼くとも皆さんがその隊列に共に同参して、同じ心情で、各自、責任を果たすことのできる者となってほしいのです。 このろうそくは一本ですが、これは三つのろうそくが一つになったものです。そして、ここに真のご子女様たちの愛が込められています。(真のお母様のみ言) * この「統一のろうそく(統一燭)」を連結して、永遠に消えることのない火で燃えるあなたの前に、忠誠と愛の心をもって全人類を燃やす時まで愛することを、重ね重ね誓い、約束する時間となりますように。そして、そのような人生を生きることのできる各自すべてとなることができますように、お父様、激励し、お守りください。 そのためにこの生命をささげるほどに、忠誠を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、そのような立派な者たちとなることができますように、いま一度祝福してください。すべてのみ言を真の御父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。(真のお母様のみ言)「愛天日」に作られた「愛天のろうそく」には、興進様が聖和(1984年1月2日)され、また、お父様の脱税容疑の最終判決(1984年5月14日)が下された背景があった。また、「一情祈祷会」もこの時から始まった。「興進君が霊界に行くことによって霊界の地獄の門が開き、地上で地上地獄の門が開きました。そうして、天の圏に通じることができるようになりました。霊界地獄世界や地上地獄世界、監獄の世界まで通じることができるのです。イエス様が亡くなったのち、三日間地獄に行って門を開いたのと同じように、先生が三日間で地上地獄の門を開いたというのです。イエス様が十字架ですべて失ってしまったのを、このことによってすべて取り戻すというのです。」米国における文夫妻の活動を良く思わないキリスト教の迫害が相次いだが、文総裁裁判によって、むしろ、宗教界が一体化するようになった(参考記事「米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理」)。文総裁のダンベリー監獄は「七死復活」の6番目ということだが、この時に作られたのが「愛天のろうそく」であった。イエス様の十字架後の三日期間を過ぎて復活された「父母様」(二本のろうそく)ということか。ダンベリー解放日に集まったのは食口らではなく、米国を代表するような牧師たちであった。1995年9月5日からは文総裁による全米16ヶ都市巡回講演が、9月14日~19日に韓鶴子総裁の日本5ヶ都市講演が行われた。お母様はこの14日、日本に「統一のろうそく」を伝授してくださった。「心情のろうそく」(1966年1月5日)と「愛天のろうそく」が合わさっての「統一のろうそく」、その「バトン」を引き継いで日本も頑張りなさいとされたものだ。ご父母様はまた、当時、「統一のろうそく」だけでなく米国での勝利基盤を日本講演でもって連結しようとされた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.05.16
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[書籍のメール便同梱は2冊まで]/日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗 玄太郎 編私は、誇らしい「家庭連合」信徒です!!こんにち、メディアは安倍元首相の銃撃事件でもって「旧・統一教会」に対しての批判を連日のように繰り返しています。私が前回記事でマタイによる福音書からの聖句を挙げましたが、宗教人であれば献金に関しての批判には「No!」と言われるのではないかと思います。イエス様の話を聞けば、金額が問題ではないことは十分に理解いただけることと思います。そもそも信仰者にとっては「献金」行為はごく当たり前のことであり、神社にも賽銭箱が置かれています。私も神社に行けば、5円玉か50円玉を入れていきます。小さい頃はお寺に行けば、母親から10円玉を手渡されてそれを入れてお参りもしていました。さて、2015年8月末に「統一教会」から「世界平和統一家庭連合(略称:家庭連合)」に名称が変更されたにもかかわらず、何故? 現在も「統一教会」の名称が闊歩しているのか疑問です。◆「当法人名が「世界平和統一家庭連合」に改称されました | 世界平和統一家庭連合 NEWS ARCHIVES (ucjp.org)」 8月26日をもって、当法人の名称であった「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」が、正式に「世界平和統一家庭連合」に改称されました。 当法人の所轄庁である文化庁から8月26日、名称変更のための規則変更の認証書が交付され、それに基づき、8月27日をもって当法人は、「世界平和統一家庭連合」に名称変更の登記手続きを行いました。 なお、今回の名称変更に当たり、当法人としては、今年8月26日から来年同日までの1年間、教会の看板、出版物、公式文書などに新名称と共に旧名称も併記いたします。 新名称に伴う当法人のロゴデザインは、追ってお知らせいたします。 当法人の創設者である文鮮明師は1997年4月8日、「世界基督教統一神霊協会」の名称を「世界平和統一家庭連合」に変更すると明かされ、その意義として、以下のように語られました。 「長子権復帰、父母権復帰を完成したので、キリスト教統一だけでなく、世界統一時代へと越えていくのです。それで今日から名称が統一教会の名を替えて、世界平和統一家庭連合を1997年4月10日付で使用しなければなりません」 「家庭の救いを通した、神様を中心とした世界平和統一家庭文化運動に転換します」 このような文師のみ言に基づき、すでに1997年5月19日以降、世界の教会では、「世界平和統一家庭連合」に名称変更を完了していました。 これまでに当法人の信徒や信徒組織による献金や勧誘活動などの問題で、当法人の使用者責任が問われた司法判断がありましたが、今後もこのような問題を問われることのないよう、日本社会と国家からより信頼を受けることが出来るように、宗教法人として適正な管理運営に努めて参ります。新名称への変更に伴い1年間は新・旧名称の併記期間を置いていました。そのことは「報道関係者へのプレスリリース「法人の名称変更のお知らせ」 」(リンク先の確認は現在できませんが)でもっての熟知もされていたことと思います。そうであれば、本部教会としてすでにメディアへは「旧・統一教会」の使用禁止の抗議はされておられると思いますが、万が一にそれがまだであれば早急にその抗議をされるべきではないでしょうか。統一教会から「家庭連合」への名称変更によって大きく変化した一つの例を挙げることができます。それはこれまで異端、カルトを理由として統一教会信徒に対して拉致監禁、強制改宗といった「人権侵害」「信教の自由のはく奪」が数十年にわたって行われてきました。ところが、名称が「家庭連合」に変わってからはその拉致被害が「ゼロ」となりました。メディアがなおも「旧・統一教会」の名称を好んで使おうとする魂胆は目に見えて明らかです。過去の異端、カルトのイメージをそのままに宣伝して悪イメージを植え付けることです。統一教会の「異端」については統一教会創設当初からこれまでのキリスト教が批判理由としてあげてきたもので、その根っこを掘り下げていけば「嫉妬心」からであったことは言うまでもないことです。新参者の「統一教会」に信徒が次々と流れていくのを見て、それを食い止めるために張ったレッテルでした。カルトにしても本来の意味は「新宗教」くらいの軽いものでしたが、日本で紹介された「カルト」は反社会的集団といった意味合いを込めて人々に不安をあおる言葉となっていました。「カルト - Wikipedia」は時とともに変化していますが、ネット拉致被害者である私が過去に調べた限りでは、https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201606050001/米本ブログは統一教会を「カルト」といい、批判を繰り返している。以下、「カルト」とは(ウィキペディアからの引用)統一教会信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、総称的蔑称として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念であり……と、特には、日本における統一教会員の拉致監禁を正当化するための「総称的蔑視として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念」であった。と、これもまた「異端」同様に悪いイメージのレッテル張りを意図した(何ら学術的根拠もない)通俗用語でしかありませんでした。ネット拉致被害者の私と米本氏はこの「カルト」言葉一つを置いて死闘してきた6年間がありましたが、「家庭連合」信徒としての私にブログ村は軍配を挙げられたようでした。◆「自称ルポライター米本和広氏の拉致監禁反対、しかし、「強制改宗」は容認?! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」貴殿が統一教会の拉致監禁を扱ったからといって、「反カルト」を旗印に掲げられる以上は反統一教会の拉致監禁加害者と何ら代わらない『ネット拉致加害者』です。「カルト」言葉自体が、「統一教会信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、総称的蔑称として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念」であり、貴殿のブログでも御多分に漏れずそのレッテル貼りを更新されています。また、正当な事由や証拠無しの教会員の「氏名公表」は、反カルト主義者の「魔女狩り」行為という批判も否めない事実です。事実、貴殿のブログでUPされた問題画像のブログ村への情報提供転載文を見れば、その移動先カテゴリーが「人権」となっており、貴殿が統一教会の拉致監禁を扱ったからといってそれの副作用ともいうべき心的外傷後ストレス障害(PTSD)を取り上げたにすぎませんでした。これは命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で発症するストレス障害であって「拉致監禁のみ」ものではありませんでした。http://kidnapping.jp/book/torn.html反カルトとしての貴殿は、宗教面での「信教の自由」を阻害する強制改宗は是認しています。ブログ内容自体から見ても、本来的にはカテ「批判・告発」に留まるべきです。ところが、カテ「家庭連合」(旧・統一教会)に居座り続ける理由は、既得権を利用しては家庭連合を「反カルト宗教」としての宣伝効果を高めることを目的としてのものとしか考えることが出来ません。私は個人的には何ら自慢するものはありませんが、文総裁夫妻から祝福(結婚)を受けたことを誇らしく思っています。文総裁夫妻の生涯を見れば「世界平和」に奔走された方であります。米国のアイゼンハワー元大統領やニクソン大統領とも握手を交わし、また、レーガン大統領、ブッシュ大統領からもワシントンタイムズ創設に称賛のメッセージを頂きました。こんにち、トランプ前大統領もUPF大会にメッセージを送ってこられていました。さらには、反共産主義の頭とも称される文総裁夫妻がソ連・モスクワで当時ゴルバチョフ書記長と単独会談を、その翌年には電撃的に北朝鮮を訪問し金日成主席との会談もしては、冷戦を終結させた「影の平和外交」を展開されておられました。これはごく一部にすぎませんが、これだけでも文総裁夫妻の業績がいかばかりかを推察できるというものです。ところが、日本メディアはそれらを隠蔽しては「旧・統一教会」(異端・カルト)を用いての批判を連日繰り返しているのを見て、それらを知る人々は心を痛めているのも事実です。「聖本」が3000万円? それが何だというのですか!!故・文鮮明総裁の直筆サイン入りの「聖本」です。文総裁夫妻の偉業に敬意を表される方々であれば、そのサイン一つに3億円を出しても安いと考えられるのではないでしょうか。こんにちの日本の平和もどれだけ文総裁夫妻の「平和活動」「統一運動」で守られてきたかということは、まだ知る人はごく一部にすぎません。こんにちなお「旧・統一教会」(異端・カルト)でもってメディアに顔出しする(左翼)弁護士らの本音は、改称された「家庭連合」ともなればこれまでの「金づる」が切られることを恐れて必死です。昔の統一教会と、「コンプライアンス宣言をした家庭連合」では、もはや、その次元は異なっています。田中富広会長が先週の全国礼拝で語られたごとく、私たちがこのような文総裁夫妻から祝福を頂いた「家庭連合」信徒である誇りを持ちづづければ、近い将来「異端・カルト」も去っていくことは確かです。私が叫ばずとも(霊)石が叫びだす奇跡も起きないとは限りません。ルカによる福音書/ 19章 38節~ 「主の御名によってきたる王に、 祝福あれ。 天には平和 いと高きところには栄光あれ」。 ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。最後まで信じていきましょう。【中古】 父の祈り 文鮮明師の祈祷 7(忠孝編) / 文鮮明 / 世界基督教統一神霊協会 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】 父の祈り 文鮮明師の祈祷 11(勝利編) / 文鮮明 / 光言社 [単行本]【ネコポス発送】【中古】 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会 文鮮明先生のみ言 韓日対訳・読み仮名付き 第2版 / 世界基督教統一神霊協会, 文鮮明 / 光言社 [単行本]【ネコポス発送】【中古】文鮮明師とダンベリーの真実 裁判問題の背景をさぐる(ペーパーバック)【中古】 父の祈り 文鮮明師の祈祷 12(統一編) / 文鮮明 / 光言社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】文鮮明師と金日成主席 : 開かれた南北統一の道 状態良一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.24
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「創造的復興」へ熱い議論 【連載】立ち上がる能登 復旧から復興へ<下>https://www.worldtimes.co.jp/japan/20240420-180744/▲世界日報 4月19日第1面一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.21
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第五回「七・八節」敬礼式後の御言成約九(二〇〇一)年八月二十五日(陰暦七月七日)、韓国・済州国際研修院 真のご父母様は、第五回「七・八節」を韓国の済州島で迎えられました。この日、午前七時からは敬礼式が行われ、真のご父母様の敬礼、真のご子女様の敬礼、各基台ごとの敬礼、「家庭盟誓」の唱和の後、真のご父母様が祝祷をささげられました。その後、引き続き「訓読会」が行われ、「訓読会」の後、真のお父様が登壇されて、集まった教会員たちにみ言を語られました。 祈祷 愛するお父様。きょうは、二〇〇一年八月二十五日です。この日は、「七・八節」を設定してから五回目を迎える記念行事の日です。 七数完成を願う創造理想がふさがれたので、この日を立てるために、真のご父母様を中心として、七十七歳の一九九七年七月七日(陰暦)、七時、七分、七秒を中心とする「七・八節」を終えました。 六数の堕落によって、七数の安息圏に越えることができませんでしたが、真のご父母様の生涯を通して、そのすべての境界線を乗り越えて蕩減復帰し、天とともに七数完成の理念を中心とした、「七・八節」という「天地父母天宙安息圏」定着を宣言することができました。このような時代を迎えるようにしてくださったお父様のご苦労に感謝申し上げます。 歴史時代を経ながら、蕩減の“道なき道”を歩み、幾重にも連なる峠を越えるための受難の歴史を経てまいりました。その中で、数多くの宗教と、数多くの善なる人々の血の痕を連結させた祭壇を集めて、個人を超え、家庭、氏族、民族、国家、世界まで超え、旧約時代は万物が祭物となり、新約時代は子女が祭物となり、成約時代は父母が祭物となる時代となりました。 その過程を経て、サタンの恨みに満ちた怨恨の峠によって包囲された包囲網を貫き、それを乗り越えることができる新しい「七・八節」という七数完成と八数を立てる名節によって、一つの境界線を設定いたしました。 そのことによって、新しい世界と新しい摂理の完成世界に向かって越えていくことができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様の前に感謝申し上げます。 歴史時代の数多くの宗教や教主たちを通して、善なる良心的な人士たち、自らの国に忠孝の道理を立てるために犠牲になったすべての者たち、また、聖人、聖賢たちの労苦と犠牲の代価を清算し、新しい解放の祝福を中心とする「七・八節」を迎えました。 そうすることによって、天上世界の家庭的王圏、民族、国家的王圏、世界的王圏、三百六十万双を超えて、三千六百万双、三億六千万双まで成し、全人類をあなたの愛の懐に抱くことができる解放的権限として集結させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 祝福を受けた群れを中心として、天上世界の解放を中心として、聖人たちの糾合と、霊界の新しい神様の愛の主権を中心とした主流の行路を開拓することができるようにしてくださった、お父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 それと同伴し、地上のアダム家庭を中心として失ってしまった祝福の恩賜を、地上において取り戻すために、天上世界のカイン的なすべての先祖の祝福圏を糾合し、天上の主流的な一つの方向を設定いたしました。 それと同時に、地上に一つの主流的な方向が定まり、一体圏として個人から天宙史まで、平面的途上において、このことを完結することができるようになりました。そのような時代的恵沢を受けることができ、全天宙的恩賜の時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、神様の王権樹立を中心として、準備された一切のものが実を結び、今年の一月十三日を中心として、神様の王権即位式を中心として、天地統一解放の宣布をすることができる時代を迎えるようにしてくださったことを感謝いたします。 今から神様の生命的愛を中心として、全体、全般、全権、全能の行使として、悪なる世界のすべての障害物を越えてはまた越えて、自由的な自己主張の立場で天下を治めることができる主人として、信奉することができる家庭的王として、国家的王として、世界の王として、天地父母に侍ることができるようにならなければなりません。 そのような“侍奉”の環境的条件を整備することができる時代を迎えるようにしてくださった恩賜を心から感謝いたします。 今回、この済州島において、統一家のすべての若者が受ける十四日修練の期間に、共に、この日を迎えたことをより一層感謝するとともに、すべてのみ旨の中で疑わしく思ったことをすべて越えて、人間が解決できなかった困難なことをすべて解決し、勝利の覇権を相続することができる解放的本然の息子、娘の権限を持った家庭的中心を、この地上に立ててくださったことを感謝申し上げます。 この家庭によって、中心氏族、中心民族、中心国家、中心天宙として、神様の心情的直系の系統を備え、神様の天民であると同時に、天の王権を相続することができますように。 そのような血統を受け継ぐことができる祝福を受けた天地の家庭となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 今回の期間を通して、新しく転換される時代を迎え、解放された主人の立場においてのみ、あなたの愛によってつくられ、所有された宇宙、すべての万物を再び相続して、愛の主人となることができ、自然世界の全宇宙の前に不足ない主人となることができ、中心存在として恥ずかしくない行路を備えることができますので、そのような個人と家庭と氏族、民族、国家を、超民族的に形成することができますよう、そして、天の祝福が、全地球星に臨むように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 きょうのこの記念日を、より一層感謝しながら、この日以降に成されるすべてのことを、毎日、毎日、喜んで歓迎しながら、前進的勝利の結果を、お父様のみ前に奉献してさしあげることができますように。そのような“侍義世界”に転換することができるように許諾してくださいますことを懇切にお願いしつつ、きょうの慶祝の日を祝賀する意味で注がれる天の大きな祝福が、万民の前に、天宙の前に滞りなく臨むよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 そして、愛を中心として、絶対個人、絶対家庭、絶対国家、絶対天宙に前進、前進、前進、勝利、勝利、勝利、覇権的世界に前進しなければなりません。真の父母の名によって祝願いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み 言 救援摂理とは、創造理想を完結させるものです。神様が創造理想を完成されるということは、どういうことなのかといえば、皆さん個人を中心として、神様の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を決着させることであり、そこで種となり、その種が家庭になり、家庭の種が氏族の種になり、氏族の種が民族の種になり、民族の種が国家の種になればよいのです。それが結論です。 ですから、神様の創造理想の実現というもの、また、今まで、この地上で救援摂理を通して取り戻すことを願ってきたものは、すでに創造前から神様の計画の中にあったものであるということを、皆さんは知らなければなりません。 それでは、神様ご自身の立場に立ってみるとき、神様ご自身を中心として、神様は、「わたしである。わたしの物である。」と言われるような、このような論理が始まらなければなりません。 神様を中心として見れば、神様は、「わたしたちである。わたしとあなたである。」と言われることのできる三対象圏を必要とされるのです。このような問題を中心として見るとき、それは、何を中心として始まったのかといえば、神様の愛を根拠とし、神様の生命と神様の血統を根拠としているという事実を知らなければなりません。 ところが、堕落とは何でしょうか? このような理想とは、全く関係がありません。神様の愛と神様の生命と神様の血統と関係がないので、そこには、“神様”という観念的意識が定着することのできる何ものもありません。これが問題です。 ですから、救援摂理を通して、蘇生時代である旧約時代には、万物を通して覚醒させ、新約時代は、自分の直系の子女を通して覚醒させ、そして、成約時代は、父母を通して覚醒させるのです。 それでは、その内容とは何でしょうか? 神様が本来、「わたしである。」とおっしゃることができ、「わたしの物である。」とおっしゃることができる状態が、本来の創造理想です。それから、神様だけではありません。神様が、「わたしたちである。わたしたちの物である。」とおっしゃることができる状態でもなければなりません。それは何かというと、創造理想……。 “私”というものは、男性と女性を中心として違いがあります。“私”は、個別的な価値が異なるのです。 例えば、女性として「私」と言うとき、神様が、その“私”を“私”として認定することができる内容を、自分が受け継いだのかどうか、ということです。その“私である”という主張を、どこからしたのでしょうか? それは、簡単なことです。今までは、堕落した世界の韓国国民であり、今まで、その教育を受けた歴史的な伝統や、家庭や、国家的伝統を通して“私”という意識を持ったのです。ですから、創造理想的意識圏に立つことができ、神様ご自身が、「わたしのものである。」とおっしゃることができるものとは、関係がないのです。いつも、そのことを考えなければなりません。 ですから、今、持っている“私”という概念は、本来の創造理想にはないものなので、完全に否定されなければなりません。神様が、「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様の愛と生命と血統を中心として、個人完成圏を中心とした男性と女性が、一つになって家庭完成圏を中心とするようになるとき、その家庭を中心として、神様は、「わたしたち」とおっしゃることができるのです。 それゆえに、神様を中心として見るとき、神様が「わたしたち」とおっしゃることができるのは、神様が父であられ、人間が、その子女であるという父子関係、夫と妻という関係、兄弟という関係から「わたしたち」という関係が成立するのです。 上下関係、左右関係、前後関係、これがすべて東西南北の球形を形成し、その全体を代身する私たちの代表的存在が、“私たち”なのです。それは、個人でも同様です。 それで、皆さん自身が“私”、完全な“私”になっているのかということが問題になるのです。それは、神様が公認されることができる“私”ということなのです。そのようになろうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統と、絶対的な関係ができていなければなりません。それが主流でなければなりません。 “私”とは、神様の愛を受けることができる息子であり、神様の生命と結託した息子であり、神様の愛と生命を通して、永遠に神様の所有圏となる家庭になり、そこから神様の国、神様の世界まで連結させることができる因縁を結んだ“私”なのです。“私”という概念は、そのようになっていなければなりません。 今日の堕落した皆さんが、「私である。私の物である。」と言うのは、すべて偽りです。それは、すべて虚言です。通じません。 ですから、皆さんがいつも備えなければならないことは、“私”であり、神様が求める“私”というものは、神様の愛の中で結実した“私”であり、神様の生命の中で結実した“私”であり、神様の愛と生命が結託して、血筋によって結託した“私”なのです。 そのようになろうとすれば、“私自身”は、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様がごらんになるときに、心と体が絶対的に一つになった“私”でなければなりません。「神様が“動機”であられるならば、自分は、過程を経た“結果的存在”であり、それは間違いない。」と言うことができる“私”です。そのような“私”という意識を持つことができなかったのです。 それゆえに、この革命的過程を経ていくうえでは、堕落によって因縁を結んだ天地のすべてのものを完全に否定しなければ、本然の立場に戻っていくことはできないという事実を知らなければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。戻っていこうとすれば、蕩減復帰です。神様が構想された内容を中心として、神様が「わたしである。」と……。神様ご自身の立場から見れば、神様が「わたしである。」と言われるとき、心と体が一つになった立場で、“私”を立てようとされたのです。分かりますか? それでは、今、皆さんが、「私の物である。私である。」と言うとき、皆さんの心と体は、一つになっているのですか? これが問題です。これが大きな問題なのです。哲学的な観点や、あるいは思想的な観点や、現実的状況や、歴史的な伝統から見れば、これは、大きな問題なのです。 “私”の主体性を、どこで立てるのかというとき、“私”は、神様の愛と生命と血統が一つになった“第二の神様”の立場に立つ、そのような立場であり、神様が「わたしたち」とおっしゃることができ、いつでも心と体が一つになった立場に立った息子の立場、娘の立場にいなければなりません。 その息子、娘が、堕落せずに完成して、神様の代を受け継ぎ、「私たち」と言うことができる家庭的基台を中心として、それを越えて孫を愛することができる立場にまで行って、初めて神様の家庭が成立するのです。神様が、その立場に出ていかれることができず、孫をお持ちになることができなかったので、神様の家庭が成立しなかったということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「私」という言葉は、「神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった愛と生命と血統が連結された絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた“私”である」という、このような意識になっているのかということが問題です。 最も重要なことは何かといえば、蕩減復帰でも何でも、すべて成し遂げて、すべてのものを完成させたというとき、皆さんがこれを完全に相続するためには、神様の位置に立ち戻らなければならない、ということです。 神様が「わたし」とおっしゃるとき、神様の心と体は、分裂していません。永遠の神様は、愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であられるので、神様も、“永遠に不可分の一体的基準に立っている”というコンセプト(概念)を中心として、“私”ということを主張されたということを忘れてはいけません。 それは、いくら難しく、いくら苦痛の立場にいたとしても、否定することはできません。その立場に立って、消化しなければならないのです。それが、神様の立場であられるということです。 神様が、「わたし」とおっしゃるとき、神様は、お父様の立場に立たれた“私”であられるのです。ですから、そのお父様のみ前に、本当の息子、娘の立場に立って、神様が、その者をごらんになったときに、「わたしたち」とおっしゃることができる、そのような息子、娘はだれなのか、ということが問題です。 本来の神様の創造理想の愛と生命と血統の種であり、完全に心と体が一つになった家庭を持つ前に、神様のような“私自身”にならなければなりません。しかし、自分自身を見れば、その今現在の姿が問題です。二つになっています。心と体が闘っているのです。 蕩減復帰の完成と、天国に行って完成すべきこと、そして整備すべき問題すべてが、このことに懸かっているのです。それが何のことか、分かりますか? “私”が、どこにいるのですか? 神様の真の愛を否定し、真の生命と真の血統を否定した、堕落の後裔としての自分自身を主張する“私”は、間違いなく、神側の愛と生命と血統の因縁とは関係がないのです。それ自体が、否定に否定を受けなければならない悲しい自らである、ということを知らなければなりません。 いくら幸福で、“自分は幸せに暮らしている。”と思っていたとしても、その立場は、希望の根本、希望の気運を忘却した立場であるということを、はっきりと知らなければなりません。“私”はどこにいるのか、“私”をどこで捜し出すのか、というのです。 ですから、(今まで)“私”を守ってくれた歴史的な蕩減の峠を越えていかなければなりません。越えていかなければならないのです。その世界に、個人も到達しておらず、家庭も、氏族も、国家も、世界も、どのような主義、思想も越えることができなかったので、“私”とは、何の関係もありません。 そうであるにもかかわらず、そのようなことを中心として“私”を主張するという事実は、自体が矛盾しているという事実を、さらに重ねて否定することになります。それでは、永遠に希望がないということを知らなければなりません。それが問題です。 本然の世界に戻っていって、どうするのですか? 神様が、「わたしである。」とおっしゃることができる、その主体の前に、愛は変わることはできず、生命も変わることができず、血統も変わることができない、そのような一体圏から抜け出すことができないのが、“私”という立場なのです。それは、結実と同じ立場に立った“私”なのです。 ですから、「私である。」と言うときには、心と体が、完全に統一されていなければなりません。それでは、“自分は、そのようになっている”という人は、手を挙げてみてください。最後の、この終わりの日になって、先生がはっきりと教えてあげるのです。先生は、このような問題で、だれよりも苦心した人です。 体はこちらに行こうとするのに、心は、それとは反対の方向に行くのです。心と体が闘う最後の境界線は、どこですか? これは、個人から地獄世界まで連結されているのです。 永遠の恨を抱かれた神様を、囹圄(囚われの身)の立場に立たざるをえないような悲惨な姿にしてしまったのですが、その環境的条件が、“私自身”を中心として結実しているという事実です。それにもかかわらず、神様に対して「お父様」と呼び、その神様から福を受けようとするのですから、これほど矛盾した事実はありません。そのような宗教は、撤廃されます。すべてなくなるのです。 “私”が、どこにいますか? “私”を捜し出しましたか? 神様のみ前に、神様が「わたしである。」とおっしゃることができるようにしようとすれば……。神様の心と体が闘いますか? 闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」)それに反して、皆さんは、このままでは、まるで悪党の息子、娘です。 それは、二つの世界を持っているという事実です。先のとがった両刃の刃物があれば、刃は両面についていますが、それは刃先に行くに従って、一つになっています。そのように、最初の出発は、一つです。そして、一方の刃が、こちら側の面を代表し、もう一方の刃が、また一方の面を代表しているのです。 ですから、刃が両面にあっても、それが一つになっている、その両刃の刃物のように、心と体が一つになれば、二つの世界が願う一つの“私”となることができるのです。 その概念というものは、絶対愛の因縁と絶対生命、絶対血統を受け継いだ、不可分の一体圏に立った“私”なのです。そのような“私”を、どのように形成するのでしょうか? これが問題なのです。 蕩減路程……。蕩減路程は、だれでも最後まで行くことができますが、問題は、最後の自己整備をどのようにするのか、ということです。 このような問題について考えてみるとき、最近の“総生畜献納”についても何についても、これを中心として、ぼろきれのふろしきに入っていって、ごそごそかき回すような者たちは、天国でもどこでも、行くことはできません。 先生は、この復帰路程を蕩減復帰するために、このような思考、このような思想、このような哲学的思想の根拠を中心として、神様が公認なさることができる出発の起源を築いたのです。それでは、その道を行く途上において、本当に先生の味方になることができる人は、だれですか? 母もいなく、父もいなく、だれもいません。何のことか分かりますか? 「私」という言葉を主張することのできる根拠は、どこにあるのですか? 神様が万物を創造された、その場です。そこでは、心と体が一つになって創造されたでしょう? 絶対愛であり、絶対信仰であり、絶対服従であり、そこでは、“自分が利益を得よう”、“自分の利益を得よう”という考えはありません。 真の愛というものは、自分から捜し出すことはできません。真の愛は、必ず相対を得て成立するようになっているのであって、自分ひとりで得られるのではありません。いくら神様であっても、自分一人で真の愛の理想を成し遂げることはできないのです。それは、相対を得ずして“私たち”になることはできない、ということです。分かりますか? ですから、神様には、“私たち”が必要です。目に見えない神様ご自身におかれては、心と体が一つになっておられ、“私”ということを主張することができる立場にあられるのですが、それだけではだめです。心と体が一つになった神様ご自身は、認めることができますが、“私”一人では……。 今、皆さんの心と体は、堕落したために一つになっていませんが、堕落していなければ、本然の“私”になっていたのではないですか? “私”になっていたのです。それは、“私たち”ではありません。男性なら個別的な男性であり、女性なら個別的な女性です。二人が一つにならなければ、「私たち」という言葉は成立しません。 まず、縦的な面に立った“私たち”というものが成立しなければなりません。父母というもの、父子関係、夫婦関係です。父子の関係が成されなければ、“私たち”になりません。 それでは、その男性と女性を、どのように処理するのでしょうか? 神様は、縦的関係において、愛、生命、血統を中心として、“私たち”という概念の関係を結ぶことができますが、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を立てるのでしょうか? 神様を中心として縦的基準は成立するとしても、「私たち」と言うことができるようになるためには、男性と女性は、どのようにして“私たち”という概念を持てばよいのか、ということです。縦的基準は、縦的関係において「私たち」と言うことができるのですが、男性と女性の一体圏を、どのように主張するのかということが問題なのです。 それゆえに、男性と女性の個別層を中心として、完全に一つになった“私”を立てて、その“私”が、神様が「わたしたち」とおっしゃることができる位置まで訪ねていくのです。 しかし、垂直的な“私たち”だけでは、家庭はできません。左右関係の“私たち”、さらに、前後関係の息子、娘まで、三代を連結させなければ、“私たち”の家庭は成立しません。家庭が成立しなければ、すべてなくなるのです。そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」) 家庭がなければ、すべてなくなるのです。ですから、上下関係の父子関係、左右関係の夫婦関係、前後関係の兄弟関係がなければなりません。これが三代です。三対象目的がなくなるときには、すべてなくなってしまうのです。“私”も“私たち”も、何もありません。 そのような家庭を中心として連結された多くの家庭が氏族となるのであり、そのように家庭が氏族として連結され、数多くの家庭が結合したその氏族を中心として民族となるのであり、民族も、数多くの家庭を包んで連結した民族を中心として、国家形態ができるのです。 ですから、“私”、“私たち”……。この“私たち”の中には、全体が包括されるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)子女と父母を否定することはできません。否定すれば、何になるのですか? 真なる父母の愛と生命と血統が、連結されていなければなりません。すべて、そうでしょう? どの息子、娘でも、全員そうなっているでしょう? そうなっていますか、なっていませんか? その父母の愛と父母の生命と父母の血筋が連結されています。自分一人ではありません。 “私”がどこにいますか? 父母が、自分の愛と生命と血統を訪ねていっても、それは、ありません。“私”を育てて、“私たち”を根づかせなければなりません。それは何ですか? 家庭です。“私たち”の家庭です。「私たち」という言葉は、家庭基盤の上に形成されるのだということを知らなければなりません。分かりますか? そのようにしようとすれば、どうすればよいのでしょうか? 父子の関係、孝子、忠臣、聖人の父子の関係、それから、夫と妻においても、その関係は、宿命的関係である父子関係と同じように、男性と女性は、永遠に変わらない宿命的関係です。愛の秩序と生命の因縁と血統の因縁を自由自在に引っ繰り返すということは、永遠にできません。 今日の堕落した世界は、“亡国の種”です。この世の中で、ちやほやされている女性たちは、全員、浮気者たちです。そこのどこに、“私たち”がありますか? 今、文総裁が言う「私たち」という言葉が分かるでしょう? 彼女たちに“私たち”がありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありません! そのような者は、神様が捜し求められた“私たち”とは、一切、関係がないということを知らなければなりません。自分のことを鼻にかけている人たちが、自分の概念や自分の考え方、あるいは環境的要素を中心として、いくら環境的に家庭的垣根を中心とした部落を築いてみたとしても、それは、神側から見た“私たち”とは、何の関係もないのです。“私”とは、何の関係もないということを知らなければなりません。 それゆえに、根本的な清算問題を解決していないので、神様の愛との関係、生命との関係、血統的関係を再検討して、再整備することができる“私”を捜し出すことが、何よりも急務であるというのです。 このように話していては、切りがありません。“私”という概念、それは、主張できません。ここにも、「だれだれは、りっぱだ。」と言われるような人はいますが、そのような人でも、“私”を主張することはできません。「私」と言うときは、まず、父母の前に恥ずかしくないように、心と体が一つになっていなければなりません。 父母が愛するとき、その愛によって、父母の生命と血統が連結されるときには、“私たち”になることができる家庭のために連結されるのであって、“私個人”のために連結されるのではありません。そうですか、そうではないですか? ですから、“私”ということも、“私たち”を立てた立場において、“私”を主張することができるのです。そこで、“私”が必要なのです。それは、なぜでしょうか? “私”は家庭を形成することのできる要素となっており、家庭が“私”の母体になっているので、“私”には、家庭が必要なのです。それが男性であり、それが……、何ですか? (「女性です。」) それが男性という存在であり、女性という存在なのです。それらの存在は、何をするのですか? 神様は、縦的関係であり、男女は二次的です。その横的関係において、愛の関係、神様の代身の愛と代身の生命……。男性と女性は、神様の代身生命体なので、この新しい血統を中心として、第三代を産出するのです。 それは、神様がアダムとエバを創造されたことと同様です。そのように、第三の“私”をつくるための中枢的機関が結婚なのです。結婚が、どれほど恐ろしく、どれほど怖いことでしょうか? そこで天下が蘇生し、天下が滅びるのです。そのように、すべての興亡の基礎になっているのが、家庭です。 ですから、連れ添っている男性と女性に、「あなたの夫が、世界や神様よりもりっぱなことを願うでしょう?」と言えば、「そうです。」と言います。願う基準は、神様よりもりっぱなのです。 神様は、縦的関係によってのみ存在しておられるので、男性と女性のような横的関係は、結ばれていません。男性と女性が成長して、成人になった後に横的関係まで結び、息子、娘、生命と愛と血統が一か所に結ばれるのが結婚するということです。それが、結婚して関係を持つ初愛です。 初愛をすることによって、男性という骨董品と女性という骨董品に、“私たち”の基台が生じ始めるのです。しかし、そのままでは、できません。息子、娘がいなければ、なくなるのです。なくなりますか、なくなりませんか? なくなるのです。 ですから、絶対に必要なのが息子、娘です。そして、男性に絶対必要なのが女性であり、女性に絶対必要なのが男性です。なぜでしょうか? これが、“私たち”の家庭を成立させる絶対的な要因なので、男性の前には女性が絶対に必要であり、女性の前には男性が絶対に必要なのです。 そこで、絶対に必要なものが何ですか? それが何ですか? 女性のそれ、男性のそれが何ですか? (「生殖器です。」)生殖器です。結婚とは何ですか? その主人を訪ねていこうとするものではないですか? そうでしょう? 男性のものは、女性が主人です。男性の生殖器は、女性が主人であり、女性の生殖器は、男性が主人です。入れ替わっているのです。これは、驚くべきことです。この法に背く人はいません。そこに、○×を適用することはできません。○なら○であり、×なら×です。自分たちでどうすることもできません。 これは、公式です。それが嫌だという人は、一代で“私”という価値や、“私たち”という概念、国家概念を持ったとしても、それは、すべて無駄なことです。真夜中のような地獄の暗闇に入っていって、苦しむ群れになるのです。そうかそうでないか、行ってみてください。分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」) この手というものは、一つにならなければならないのではないですか? 手は、片方だけで働くことができますか? 右利きの人は、右手に力があって、それで何でもすることができますが、それでも、やはり左手が必要です。ですから、神様がいくら絶対であられても何であられても、それと同じことです。二つが助け合って、初めて音が鳴るのです。(手の平をたたき合わせられる)いくら一人で、このようにしても、音が鳴りますか? このようにしてこそ、音が鳴るのです。 ですから、神様による創造も、愛の相対のためにつくられたということです。この論理的事実を否定することはできません。分かりますね? “私”に対する自覚を、どのようにして発見し、どのようにして回復するのですか? これが、人生問題の根本です。哲学が問題ではありません。修養が問題ではありません。 そのようなことについて振り返ってみるとき、自分の心と体が闘っているのです。数千万年の歴史を経てきながら、かつて、この問題に関して革命を起こして、統一することを主張した人は、だれもいませんでした。それは、統一教会の文総裁しかいません。 根本が、どのようになっているのでしょうか? それを知るためには、神様を知らなければなりません。そうして、神様の愛を知らなければなりません。神様の血統を支柱として立っていらっしゃる、主体的なそのおかたは、心と体が統一されており、その男性を中心として、正から分となり、その二つに分かれたものが、再び一つになって結託するのです。それは、種を求めるためです。それが家庭です。家庭がなくなれば、“私”という概念はありえません。分かりますか? (「はい。」) ですから、“私”なのです。統一教会で、「私たちの教会」という言葉を使うのは、やめなさい、というのです。教会が捜し求めていくのは、家庭です。それが、神様のみ旨です。そうでしょう? イエス様が、キリスト教を立てられ、小羊の婚宴をされるというのは、どういうことでしょうか? 新郎として、新婦世界に訪ねて来られるのです。小羊の婚宴、結婚式をするために来られるのです。それが、アダム家庭における“私”なのです。 わたしたちの先祖は、“私”となった自分を捜し出すことができませんでした。“私”となることができる自分を、神様の代身として立てることができなかったのです。女性も同様です。これは、結婚を通して……。 結婚は、不可分なことです。絶対、唯一です。これを否定する男性や女性は、罰が当たります。どこの大学を出たとか、何だかんだと言っている浮気者たちは、全員、ひどい報いを受けるのです。“自分”というものがあってはいけません。自分たちが、そのように主張することは、すべて虚言です。 それゆえに、蕩減復帰……。最後には何かというと、“私”を訪ねていくのです。“私”を完成するのです。自分を完成することができずに、家庭完成しようというのは、夢のような話であり、どろぼうと同じです。自信がありますか? あなたは、模範的な家庭でしょう? 自信がありますか? 先生が言う「私」、つまり、神様が創造のときに理想とされた、心と体を中心として、神様の愛と生命と血統に決着された“私”です。そのような息子、娘に対して、神様が「息子、娘である。」と言われて、永遠に抱かれ、永遠に否定することができないような立場になっているのでしょうか? そのような“私”を設定することができる立場に、自分が立っているのかということが、問題なのです。それは、夢のような話です。 そのことを知れば、ひざがこすれて、骨が見えるほどに伏して祈祷しても足りません。しかし、それほどまでに祈祷したとしても、それを捜し出すことは難しいのです。“私”を捜し出すことは、簡単なことではありません。 これを捜し出そうとすれば、「“私”に勝て。」と言って、サタン世界のサタンというサタンが、総出動するのです。“私”を捜し出そうとすれば、神様を中心として、自分を否定していかなければなりません。サタン世界を否定することができなければ、“私”を捜し出すことはできません。 今、皆さんは、「ここで修練を受けている。」と思っているかもしれませんが、自分がどうであり、こうであるということを主張する“私”、その“私”は、どのような“私”ですか? それは、ありとあらゆる物が、ごちゃごちゃに混ざったような悪臭がして、汚物にも劣る“私”である、ということを知らなければなりません。深刻でしょう? 全員、深刻です。 皆さんを見てみると、「自分は責任者だから。」と言って、先生の考えよりも自分の概念を、どれほど優先させているか分かりません。本然の“私”に返らなければなりません。 自分のための世界ではありません。それは、自分のためのものではありません。本来の神様のものでなければなりません。それを、すべてお返ししてさしあげなければ、“私”を捜し出す道は、ありません。 また、“生畜献納”というのですが、そのとき、国が問題でしょうか? この国。わたしは、これまで得たものがあっても、自分には一銭もありません。世界のために、すべて施しました。 しかし、だれも、それを盗んでいくことはできません。そこには、生命の種が植え込まれているのです。その世界で、必ず芽が出てくるのです。それは、神様が保護されます。神様が、保護されるのです。そのように考えています。 監獄に入っていこうと、どこに行こうと、“自分は滅んだとしても、その場に、自分が願う理想の場を残そう。”と考えれば、神様は、それをすべて成し遂げられてから、初めてほかのことをされるようになっているのです。そのような信念を持っていますか、持っていませんか? いますか、いませんか? (「持っています。」)“持っている”という人は、手を挙げてください。わたしよりも優秀ですね。 小さな日本の国ならば、皆さんは、その日本の国の家庭を代表することができ、世界の国、天の国の王子の家庭を代表することができる“私”ですか? 人をペテンにかけるのは、やめなければいけません。 日本人をアメリカに連れて行けば、アメリカでも問題になり、他の国に行っても、そこから故郷に逃げてくる群れです。そのような群れが、「“私”である。」と言って、手を挙げる自信がありますか? 自信がありますか、ありませんか? (「あります。」)何ですか? (「……。」) それでは、心と体が一つになりましたか? 一つになりましたか? 一つになりましたか? 手を挙げた人、一つになりましたか? (「一つになっていません。」)それなのに、なぜ手を挙げるのですか? ぼろきれの切れ端のように、取るに足らない自分である、ということを知らなければなりません。そのような“自分”が崩れなければならず、溶け出してしまわなければなりません。溶鉱炉に入れて、水のように溶かし、何らかの形態の型を作って、鋳造し直さなければなりません。そのようにして、何百回も鋳造し直さなければなりません。 そのような今までの仮面を、そのままかぶったままで、「ああ、先生。日本から◯◯に行きました。そして、◯◯をしました。」と言っても、そのようなことは、“私”とは関係ありません。そのようなことは、“私”を回復し、“私”を成し遂げるうえでは、何の関係もありません。 関係があるのは、神様の真の愛、真の生命、真の血統であり、どのようにして生死の境を越えて、それと関係を結ぶのかということが、第一原因なのです。分かりますか? (「はい。」) “私”を捜し求めよう。言ってみてください。(「“私”を捜し求めよう。」)心と体が一つになりましたか? 心と体を中心として、世の中の貴いものを中心として、それを神様の前で一瞬のうちに否定することができる、そのような“自分”を取り戻さなければなりません。 お金が貴いですか? この体が貴いですか? だれですか? 訓母様は、体が貴いですか? それは、否定したのです。二つの心があるということを、自分が知っています。 “これは、私の物で、これは、だれだれの物で……。”と、神様が、そのような考えをされましたか? 神様ご自身が……。神様は、“わたしの物であり、息子、娘の物である”という考えは、されなかったのです。“息子、娘の物である。”と考えられたのです。 皆さんは、そのような立場に行っていないではないですか。自分が持っている物は、お父様の物であり、愛を中心として、生命と血統はお父様のものであり、自分の息子、娘のものなのです。どこに合わせてみても、疑うことはできません。 お父様のポケットに入れても、自分のポケットに入れても、息子、娘のポケットに入れても、それが“私のもの”にならなければなりません。皆さんは、そのようになっていないではないですか? 最近の知恵の回る女性たちは、結婚すれば、貯金通帳も別々に作るではないですか? それは、できた女性ですか、だめな女性ですか? できる女性ですか、できない女性ですか? それは、今でもだめですが、もっとだめになる女性です。 今、統一教会は、その立場を基準として訓練しているのです。それで、今回、わたしが何と言いましたか? 「『日本人』という言葉を使うのは、やめなさい」ということです。「アメリカ人」や「ドイツ人」という言葉を使ってはいけません。 それでは、何と言うのですか? (「『日本の食口』です。」)「日本の食口」です。それから何ですか? 「日本の兄弟」です。「米国の食口」であり、「米国の兄弟」です。それは、天の国に行っても同じです。天の国に行って、天の国にいる人たちも、「天の国の食口」です。神様の息子、娘です。神様を中心として、「食口(家族)」です。神様を中心として、兄弟なのです。 それが一元化されなくては、霊界と一元化されなくては、天国の人になることはできません。それは、確かですか、不確かですか? (「確かです。」)“確かである”という人は、両手を挙げて……。見てください。“分かった”という人は、手を下ろしてください。 “私”というコンセプト(概念)を、どこで見いだすのですか? 国のために、世界のために、神様のために生きてこそ、“私”を取り戻すことができる、というのが、堕落した人間の歩む復帰摂理、救援摂理の道です。それは、やむをえない運命の道になっています。ところが、運命の道は、変えることができます。それは、宿命の道ではありません。 今まで、先生は、“自分”ということを主張したことはありません。先生は、自分は国家メシヤであるとか、再臨主であるとか、真の父母であると、言うことを好みません。それが、どれほど恐ろしいことでしょうか? 自分の家庭も、そうではないですか? “私たちの家庭”がなければ、国はありえず、世界はありえません。“私”という基台の上には、「私たち」という言葉は……。 自分が、神様と対等な立場に立って、自分たちの相対的基準を中心として、“私たちの妻”、“私たちの息子、娘”、“私たちの夫”、“私たちの子女”が生じるのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) そのような意味で、自分自身で自覚して、帰らなければなりませんが、先生の言うことは、蕩減でも何でも、もう学ぶことはありません。皆さんは、知るべきことは、すべて知りました。 皆さんは、神様のみ旨を、すべて知っているでしょう? 個人完成がどのようになり、家庭完成がどのようになり、氏族、民族、国家、世界、天の国に、どのように直行するのですか? ハイウエーを通じて、すぐに入っていくことができる方法を、皆さんは、すべて知っているというのです。すべて教えてあげました。 また、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しながら、先生が築いてあげたハイウエーを行くとき、「あなたは、どのようにして来たのか?」と聞かれれば、「先生が教えてくださったことが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従ではないですか? 私は、“百回死に、千回死ぬ。”と思って来ました。まだ千回死んでいないので、今から万回死んだとしても、それでも行きます。」と、そのように言わなければなりません。 そのようにすれば、無事、通過です。自分の概念があってはなりません。自分の概念があれば、峠を一周回ってきて、天国まで消化し、神様の公認を受けてきてから帰らなければなりません。 ですから、“否定の否定”を通して克服するうえでは、村を克服しなければならず、国を克服しなければならず、世界を克服しなければならず、天国を克服しなければなりません。そのようにしなければ、自分を取り戻すことができる道はありません。分かりますか、李(京諠)総長? (「はい。」) 孔子は、“ああ、文総裁が、天下の美人、李総長と祝福してくれて、ありがたい。”と思っているでしょう? (「はい。」)わたしが、「ふたりをもう一度引き離して、ほかの人と結婚させてあげる。」と言えば、どうするのですか? それでは“私たち”になることができません。自分が自分を主張することができる立場に立つことができず、自分が「私たち」と言うことができる足場……。それが皆さんの家庭です。分かりますか? (「はい。」) それゆえに、その家庭に十人の食口がいれば、十人の食口が一つになり、男性と女性が神様の心情的圏内で、どのように神様の愛と、神様の生命と、神様の血統に同化することができる核、エッセンス(本質)になるのですか? ですから、十人の食口全員、尊重せざるをえないということです。お互いが、ために生きて尊重し、互いに「あなたたちを完成させることができ、私たちの家庭を完成させることができる」という共同責任を負っているのです。わたしたちの家庭で、幸福を成すために援助することができる立場は、父子の関係、兄弟の関係しかない、という事実を知らなければなりません。分かりますか? このようなことが、非常に堅固でなければなりません。分かりますか? それが、一つのモデルです。モデルとなって、それを公式化し、それが四方に連結されるので、家庭には、おじいさんがいて、父母、若い夫婦、息子、娘がいて、四系列があるのです。四段階があります。 世界を見ても、少年がいて、青年がいて、壮年がいて、老年がいるでしょう? 家庭におじいさんがいて、父母がいるように、世界にも、それと同じ年齢の人たちがいるのです。 ですから、自分の家庭を中心として愛したことを、同じように世界化させることによって、永遠の世界で、“私たち”の国、“私たち”の世界の主人になることができるのです。それは、確かなことですか? (「はい。」) そうすれば、神様まで、間違いなく、「おい、おい。わたしを連れて行きなさい。」とおっしゃるのです。そうして、「わたしは、あなたの家庭に行く。」とおっしゃるというのです。 文総裁は、どのように神様を解放したのですか? そうではないですか? いくら「解放した。」と言っても、それで解放されますか? ここで、一度、祈祷すれば、祈祷した内容が、霊界で、しっかりと成し遂げられて、霊界まで、すべて転がっていくのではないですか? それを信じますか、信じませんか? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですが、以前に、李相軒氏の報告があったではないですか? 王権即位式をしてから、どれほど様相が変わったのか、ということです。分かりますね? (「はい。」)「私」という言葉を、いいかげんに使ってはいけません。何を偉そうにして、「私」と言うのですか? どこに行っても、教授をしている人たちは、一つでも知識を多く知っていれば、そのことによって、のし上がっていこうとします。そのような者たちは、地獄の底に行くのです。天上世界では、それ以上に恥ずかしいことはありません。“私”の起源とは何であるのかということを知らずに、天下がその自分なりのやり方に乗せられるとでも思っているのでしょう? 神様と地上天上天国の理念は、そのような構想圏内や想像圏内の結実と、関係を結ぶことができるものではありません。分かりますね? (「はい。」)ヨーロッパのメンバー、お父様の語る内容が分かりますか? (「はい。」)それならよいです。それを知らなければなりません。それ以上、話すこともありません。 わたしたちの家庭、わたしたちの一族、どれほど多くの人たちが、血を流さなければならないのか、ということです。どれほど多くの統一教会の人たちが血を流し、わたしたちの教会が世界を代表し、わたしたちの家庭を代表しているという意識を持って、意識的な次元を、どれほど累積しなければならないのか、ということです。 それなのに、“利用しよう”という考えを持つことができますか? 利用されるにしても、潔く“利用されよう”と思う人が、忠孝の道理を行き、愛国者の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く人です。はっきりと分かりましたか? (「はい。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 今回、この修練をするのも、「統一教会が一番だ。」と言っているのですが、それを本当に一番になることができるようにするためです。どこに行っても、学者世界に行っても、弁論して、押しつぶしてしまわなければなりません。それは、言葉だけではいけません。 わたしは、そのような試験をたくさん受けました。「文総裁が、アメリカで一番だ。」と言われているので、そのことによって、大勢、文総裁をたたきつぶそうとしてやってきました。そして、反対に、先生にさんざんに恥をかかされて、逃げていったのです。 ですから、彼らは、「来なさい。」と言われても、二度と来ることはできないでしょう。そのような者たちは、自分自身が僕になるということは間違いないのです。 ですから、そのような学者の世界にも行かなければなりません。今ではもう、“私”の自覚とは何か、分かりました。“私たち”という覚醒が、どのようなことなのか、分かりました。分かりますね? (「はい。」) そのような主人となる男性と女性が、浮気をすることができますか? 服を着たまま、そのようなことをしたとすれば、その人の服を燃やしてしまわなければなりません。汚れたものを燃やすのです。何かの貴金属や装飾品を持っていれば、それを粉々にしてしまわなければなりません。 自分が“私”を確定して、その確定された“私”が“私たち”の家をつくらなければなりません。分かりますか? そのようにすれば、すべて成すことができます。 そのためには、神様を知らなければならず、神様の愛を知らなければならず、神様の血統が、どれほど貴いのかということを知らなければなりません。それは、天下を与えたとしても、買うことはできません。分かりますね? (「はい。」) きょう、「七・八節」を中心として、先生が今まで……。今まで苦心した問題です。根源的な解決を中心として、苦心した問題です。人生の根本問題が、そこに懸かっているということを知らなければなりません。それは、家庭にあるのです。分かりますね? 理解できますか? (「はい。」) 理想的な家庭というものが、どれほど偉大で、どれほどりっぱでしょうか? 神様は、そのような家があれば訪問しようとされて、千年、万年、どれほど待ち望んでこられたことでしょうか? そのような家が現れなかったために、訪問することができなかった神様は、どれほどかわいそうでしょうか? わたしは、そのような道を行ったのですが、妻や息子、娘が、まだそのような立場になることができていないので、問題が大きいのです。 しかし、今は、先生が手を出す時が来ました。教会と世界を蕩減したので、今からは、家庭を整理して、一族を整理しなければなりません。天の国の定着宣言と……。故郷の地と祖国の光復をしなければならないということを知らなければなりません。 そのためには、何の上に立つのですか? “私”を確定した基盤と、その“私”が明確に知った“私たち”の家庭を拡大させ、連帯的価値を拡大させたその上に氏族を立て、その氏族を拡大し、価値を拡大した上に民族を立て、民族を拡大した、その価値の上に国家を立てなければなりません。 それを成すために、千辛万苦の苦労をして、精誠を尽くしても不足であるという事実を知らなければなりません。太陽を見るにも恥ずかしく、海を見るにも恥ずかしく、万物を見るにも恥ずかしいのです。 それらを教材として、教育を受けて暮らし、悔い改めることができる生活を、急いでしていかなければなりません。“それが、自分に残された余生である。”と思って生きていこうという人たちは、天の国の皇族圏内に入っていくことができる、その見込みだけはある、というのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)はっきりと分かったという人は、目を閉じて、両手を挙げてみてください。 きょう、「七・八節」の記念日に……。もう、帰らなければなりません。真のご父母様も必要なく、救世主も必要なく、神様も必要ありません。すべてを知ったので、自ら自覚して、自分の家庭を確定させた基盤を中心として、国を建てるのです。 そうして、その上に世界を載せたとしても崩れず、神様が保護してくださって耐えて残ることができる、そのような“私たち”の家庭が始まらなければなりません。 そのようなところから国が復帰される、ということが分かったのです。分かったでしょう? (「はい。」)さあ、間違いなくそのように生きると決心しますか、しませんか? (「します!」)しますか? (「はい。」)先生一人の声よりも小さいですね。しますか? (「はい!」) それは、宿命的課題です。最も貴い宿題です。今までは、そのような話を皆さんにすれば、皆、逃げていかざるをえませんでした。しかし、今からは、逃げていこうにも逃げていくことができません。 霊界では、聖人たちが、その道理を訪ね求めていくために、一心一念を中心として、その目標に向かい、主流世界に向かって全力で走っているのです。そのことを知れば、愚かな人でもなければ、この道を行かざるをえません。 それでは、先生が行く天国に、間違いなく全員ついて行きますか、ついて行きませんか? (「ついて行きます。」)それならば、そのような自覚からしなさいというのです。 エデンの園では、裸で暮らしていましたか? それとも、時計をして、服を着て、化粧をして暮らしていましたか? (「裸で暮らしていました。」)女性でいえば、ブラジャーをして暮らしていましたか? 服を着て暮らしていましたか? 服を脱いで暮らすとするならば、間違いなく、すべてを脱ぐのです。先生は、決めたのならば、そのように徹する人です。み旨の前にできないことが、どこにありますか? 自分が、解放することができる自分を取り戻すのに、できないことが、どこにあるのでしょうか? ですから、世の中の天地が終わりの日を迎えているので、千辛万苦の苦労をして、霊界まですべて引っ繰り返して体制を整え、このようにすることができる公式路程は間違いないと教えてあげたのに、それから脱線していく者たちは、悲惨です。 さあ、それでは、手を下ろしてください。きょうのこのような「七・八節」に、もう一度、そのような決意を深くして、頭のてっぺんからつま先まで、東西南北四方、終わりのない世界まで連結させることができ、“自我定着”することができる基準と、家庭定着することができる基準を立てなければなりません。それを成すことのできる所は、世界の祖国になる所であり、そのようにして、先祖になることができるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、それでは、これで、きょうのこの「七・八節」の記念も、すべて終わったものと思わなければなりません。分かりますね? (「はい。」)何時ですか? (「十時十五分です。」)それでも、食事をして、ほかの何かをして過ごすよりも早く終わったということですか、どのように終わったということですか? (「早く終わりました。」) 今からは、勉強する時間が残っています。(笑い)そのことに不平を言う者は、話ができないように口を裂いて、舌を半分に切ってしまいなさい。 さあ、そのように理解して、わたしは、もう、皆さんのことを信じざるをえないので、そのように信じてみてあげるのです。自分の家庭を率いて“私”を訪ね、神様のみ前に堂々と出ていって、「私は、先生のみ言どおりになりました。」と言えば、わたしが間違いなく紹介してあげます。分かりますね? (「はい。」)約束します。 あの世においても、孔子、イエス様、聖人たちが、だれかれなく、先生が来ることを願って、首を長くして待っているではないですか? ですから、わたしの紹介を受けようとして、あなたの夫もそうであり、全員が、そうです。ここでも全員が、そうです。 何千年前の人も、そうです。孔子は、二千五百年くらい前の人ですか? 二千五百年以上前の孔子と結婚し、この人はマホメットと……。マホメットは、六世紀後半の人ですね? わたしたちは、そのように暮らすのです。千年前の人も、自分の兄であり、弟であると思うことができるのです。 ですから、どれほど素晴らしいですか? 素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです。」)この者たち。素晴らしい看板、素晴らしい名前を中心としながらも、それらをすべて、まがい物と一緒に道端で売り飛ばそうとでもいうのですか? 露店でたたき売りをされるような愛を尋ね求めていく人は、天の国に入ることはできません。先生は、そのようにいいかげんに生きる人ではありません。 天の命令があれば、責任を果たすときまで、間違いなく保護してあげます。終わった後は、見向きもしません。そして、もう終わったのです。分かりますか? (「はい。」) 皆さんは、金氏なら金氏で、統一教会の祝福をたくさん受けたので、一つになって国を復帰するのです。世界共同目標の課題を付与するというのです。分かるでしょう? (「はい。」) 韓国が負けますか、負けませんか? (「負けません。」)“負けない”という人、手を挙げてみてください。全員、手を挙げるでしょう? “負ける”という人は、一人もいませんね。それで、よいのです。(「全体起立。」)なぜ、起立するのですか? (「万歳三唱いたします。」) 万歳をして、この祭壇の供え物も、神様の代わりに、だれかで分けて食べなければならないでしょう? (「第五回「七・八節」を期して、お父様が下さったみ言を、もう一度決意して、私たちは、この時代の灯台となることを再度、誓って……。」) 灯台になることを誓いましょう! よくぞ、それを言いました。 (「灯台は、いつも波風のあるときにこそ、光り輝きます。混乱の中の灯台となることを決意して、『神様王権即位勝利』の万歳をすべきです。『神様王権樹立勝利』万歳! 勝利された真のご父母様、万歳! 第五回『七・八節』万歳!」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.19
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第6次孝情天寶霊性40日修練会レビュー映像ー2023年12月23日2024/03/15字幕を”ON”にしてご覧ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.15
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[旧統一教会・家庭連合]アメリカ家庭連合が大復興しています。ラスベガス天心苑の奇跡です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.21
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「本殿聖地超宗教神学大学院大学校建立起工式」の御言成約九(二〇〇一)年七月八日、韓国・天宙清平修錬苑、天聖山中腹 きょうは何の日ですか? 何ですか? 「本聖殿 超宗教神学大学院」 清心学園の起工式です。 きょうは何の日かというと、二〇〇一年七月八日です。このことを考えなければなりません。七月八日です。七数と八数は、摂理路程において最も貴い数です。 神様が創造されるときに、六日目に人間をつくられましたが、七日目の安息圏を超えることができませんでした。安息圏を超えて、八日目に完成した地上と天上の理論が出発できたはずですが、堕落によって七数と八数を失ってしまいました。失ってしまった一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一数まで……。この天地に春夏秋冬の四季と十二か月があるのと同じように、その中心の位置は十三数です。分かりますか? イエス様を中心として十二弟子、モーセを中心として十二長老であり、成約時代においても同様です。エデンにおいても、モーセ時代においても、イエス時代においても、十二数を中心とした中央数である家庭完成の土台を復帰することができませんでした。 今日の統一教会においても、十二支派を中心とした新しい十二数を中心として、過去の旧約時代に成就することができず、新約時代に成就することができなかったすべてのことを総括的に合わせて、全世界の東西南北を中心に、それぞれを三か月として、三×四で十二となります。このように考えるのです。 天宙の運行法度は、すべて十三数を中心として天地が回っているのです。その軸が下りていくときには、個人完成はもちろんであり、家庭完成はもちろんであり、国家完成、世界完成、天宙完成が成され、神様が生活される舞台においても、生涯の路程や永遠な路程においても、支障なく自由で自活的な主人として立つことができるのです。 ですから、すべての宇宙の中心的立場で管理、主管し、自由解放的世界を備えることができなかったので、人類が願う目的、救援摂理が願う目的完成、すべての文化国家の伝統を誇ることができるさまざまな事物の目的を、総体的に完結させなければならない数とは何かというと、十三数なのです。 その十三数を中心として、天理の中心である天の父母に侍ることができ、天の国に侍ることができ、天の地として、神様だけが絶対主人であり、永遠不変であられなければなりません。その基準を失ってしまったのです。どのようにして堕落した人間が、再び神様と関係を結んでこれを完結するのかというのです。 今日の堕落した世界の中でも、国があるときには、その国に家庭があるのです。家庭があれば、氏族、民族、国家、世界、天宙まで連結することができる地が成し遂げられるのですが、神様を中心とする家庭において孝子を育てることができませんでした。 ですから、神様の家庭においては、孝子の候補者を養育しなければならず、神様の国における忠臣をこの地上に育てなければならず、そして、聖人を育て、聖子を育てる歴史的な訓練をしなければなりません。 その訓練場が、今までの救援摂理です。堕落した世界ではありません。神様の救援摂理を通して宗教圏を立て、そのようなことを教育してきたということを、この時間に知らなければなりません。 神様の国を失ってしまい、神様の家庭を失ってしまい、神様が愛することができる基台を失ってしまったということが、すべての宗教は、分からずにいます。 統一教会が現れることによって、初めて真の父母が現れたということは、どういうことでしょうか? エデンの園において、神様の所有圏となって理想的なすべての内容を備えた定着の代表的家庭が立てられたということです。 それは、創造された人類先祖のアダムとエバが堕落せずに成し遂げなければならなかった位置であるということを、皆さんは知らなければなりません。 人類の中で、堕落した世界圏を越えた人は一人もいません。知らないからです。無知と混沌の中でわたしたちの先祖と父母が生まれました。 ですから、神様を完全に知ることができる位置まで、サタン世界との関係を永遠に結ぶことができない位置に至るその中間過程で、混沌過程で結ばれたので、神様の位置にまで至っていない立場から上がっていかなければならないのが、天の家庭の孝子です。分かりますか? 神様を中心とした孝子、神様の家庭の孝子、氏族の孝子、民族の孝子、国家の孝子、世界の孝子、天地の孝子となることができませんでした。 これをすべて、宗教圏において代わりに蕩減して戻っていくのです。その準備のための訓練場が、数多くの道義的分野の教育機関であり、それを代表したのが宗教であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」) それでは、神様が願われた神様の家庭を中心とした本然の孝子は、どこに行ったのですか? 神様の国を成し遂げて孝子が生まれ、氏族、民族、国家にまで至るとき、その国を中心としてその孝子の伝統が完全に骨となり、それに連結された多くの孝子がいるのが、神様を中心とした国家です。 そして、全体国家の前で神様に侍り、孝子の代身として国家の前に立ったのが、神様の国の忠臣であるということを知らなければなりません。 それは、堕落していなければ、国で終わるのです。その国は、永遠の世界的な中心である孝子の世界になるのです。そして、その天の国の民を中心とすると同時に、天の国の王宮法を中心とした聖子の立場であり、天地の統一された神様の主管圏内の孝子の位置を代身することができるのが、イエス様であったということを知らなければなりません。 そして、それをすべて成し遂げるために再臨して来られたかたがだれかというと、真の父母です。真の父母は、永遠に二組ではありません。絶対に一組です。分かりますか? (「はい。」)変わらないでしょう? 神様と心身一体となっていて、そこから神様の愛と神様の生命が出発するのです。 神様の愛と神様の生命とアダム、エバが心身一体となり、神様の代身の愛、神様の代身の生命、神様の代身の血統を持つ心身一体となったアダムが主体となって、その相対であるエバと心身一体となるのです。闘うことはありません。一体となった神様の愛と神様の血統が、分割されています。 堕落がなかったら、神様と直結した、腹中で育った男性と女性は、個人として分立して成長し、子女時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代までの八段階の心情的因縁を、アダムを中心とした孝子の家庭に一度に連結していくことができるよう、そのまま成長するのです。 木で言えば、このように大きくなるのに支障がないのと同じように、アダム完成の孝子を願わなくても、自動的に孝子として育ち、それが繁殖して大きくなることによって、氏族、民族を超え、国家形態を中心として、国の父母を中心として、家庭の道理を受け継いでいかなければならないのです。 その伝統的家庭が細胞のようになり、一つの家庭的骨を中心として肉が大きくなったものが、国というものです。その国が世界に拡大して大きくなったものが世界の立場であり、霊界と肉界を代表した、世界の統一的基盤として立つのです。それが孝子となることができる家庭を代表した結実です。 その結実の価値を地上のあらゆるところに拡張することによって、だれであっても、地上と天上が分かれていない地上世界と天上世界での生活を、共にこの地上で享受することができるのです。そして、地上天国の拡大完結とともに天上天国の出発をするのです。しかし、そのすべてを失ってしまいました。 それでは、メシヤや救世主という人々は、何でしょうか? 彼らは何かというと、ある時代においての数多くの宗教、個人時代、家庭時代、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様、その八段階の時代別に現れる宗教を通して、教えてくれるのです。中央を中心として東側、南側、北側、西側、このような方向性を一致化させ、最後には再臨の役事を中心として真の父母が、すべてを接ぎ木するのです。 そのことによって、故障していない、堕落していない本然の神様の、本性の心を代表することができる完成した孝子の家庭、完成した国の家庭、完成した世界の家庭、完成した天地の家庭となるのです。 その家庭の父として、父母として、王として提示されるかたはだれかというと、神様であられます。そのおひとかたしかいらっしゃらない、王であられるかたが、わたしたちのお父様であられたということを知らなかったのです。 このような総括的な結論を下し、それが戒律的に分断されているのではなく、個人は家庭と連結し、家庭は氏族、民族、国家に連結され、国家は世界、世界は天と地に連結され、天と地は神様と連結することができる主流的な思想を中心としたその内容を、今まで知らなかったのです。分かりますか? その失ってしまった動機とは何ですか? サタンと闘って失ってしまったのではありません。分かりますか? 知識を評価し、知識で討論をして負けたのではありません。今日のように、知識をもって闘う時代、主権をもって闘う時代、それから、所有権をもって闘う時代ではありません。 そのようなものは、国と世界を支配することができる内容にはならないというのです。神様の真の愛を中心として、生命の種に結託し、生命の種に結託した個人であるアダムとエバが一つになって血統に連結された…。一度言ってみてください。血統で連結された! (「血統で連結された!」) 皆さん、神様の愛、生命、血統と連結されていますか? これが問題です。神様の血統とは何か知っているのかというのです。 「歴史がこれこれこうなので、神様の血統はこうでなければならず、そのことを自分が知っており、自分が持っているものは間違いなく、神様の愛と生命と一体となった永遠不変の血統である。」ということを知っている立場に立っている人が、何人いるのかというのです。大きな問題でしょう? 分かりますか? 血統についてみれば、全員、個人完成において落第です。混乱が起きています。どのように個人完成するのか分からずにいるのです。神様の真の愛を中心として、真の生命を中心として、血統を中心として、混乱した今日、狂人と同じなのが“わたし”なのです。なぜですか? こっちに行くか、あっちに行くか(分からずにいるのです)。 皆さん、結婚する日を一か月後に控えていれば、待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 何ですか? 待ち遠しいですか、待ち遠しくないですか? 世の中の結婚でも、どうですか? (「待ち遠しいです。」) 神様を中心として、永遠不変の地上、天上天国の権限を相続することができる結婚式の日が、どれほど……。この宇宙を上げても、神様まで上げても取り替えることができない結婚式の日なのです。ですから、どれほど慕い、どれほど思慕し、どれほど狂ったようになったことでしょうか? 皆さん、堕落した世の中でも、愛のために狂った人を何と言うのですか? 郭錠煥氏。(「『恋煩い』と言います。」)恋煩いです! 分かりますか? 恋煩いは、愛するという言葉にもなりますが、天を愛するという言葉にもなるのです。(韓国語で「恋煩い」は「相思病といい、「相」と「上」は発音が同じ) 天を思う愛の心は、恋煩いよりも弱いですか、強いですか? 黄善祚氏? 尋ねているではないですか? (「強いです。」)ですから、その愛の道に、すべての細胞が集まるのです。 このような話は、初めて聞くでしょう? 恋煩いした心は、どこに行くのですか? どこに行くのですか! 男性は男性に行くのですか? おじいさんを訪ねていくのですか? 町内の王を訪ねていくのですか、知事を訪ねていくと思いますか? どこに訪ねていくのですか? わたしも分かりません。ですから、どこに訪ねていくのですか? 関門がどこにあり、定着地はどこですか? 男性という愚か者も、恋煩いにかかった愚か者も皆、真の愛の道を訪ねていくのです。どこに訪ねていくのですか? 男性にとって、最も貴いのはどこですか? (「生殖器です。」)何ですか? (「生殖器です。」)生殖器という言葉は、その名のごとくです。生命を包んでおく食器なので生殖(食)器です。分かりますか? (録音状態不良) 直通することができる門は、どこにあるのですか? 息子、娘の母となり、国を創造することができるのが夫人の生殖器なので、それが正門です。アーメンと言わなければならないでしょう、女性たち。(「アーメン。」)男性は、やめて……。(笑い)これほど貴いと思っていましたか? それでは、一度、女性を分析してみましょう。女性には自分のものがありますか? 女性の胸は膨らんでいます。最初は、はえが一匹くっついていたものが、十歳になるとせみのように大きくなり、かえるのように大きくなり、雌牛のように膨らむのです。見下ろせば、下半身も見え、貴重な所も見えます。それは、何をするためのものですか? そして、おしりが大きくて大変です。歩くときも、このように歩きますか? さっさっと、このように歩くのではなく、こうしてこのように歩くのです。(笑い) おしりが大きい理由は何ですか? 胸が大きい理由は何ですか? 女性のためにそれがあると言うのは、狂った女性たちです。それを売り飛ばし、自分勝手に使う女性は、狂った女性です。 そのような女性たちは、家にいないで皆、逃げていくのです。“まあ、まあ。文総裁は牧師なのに、公式的な記念日に生殖器の話をするとはどういうことか。だから「統一教会は裸で踊る」という話は正しい。”と思うかもしれません。何でもかまいません。 男やもめや寡婦になることを願う人が、どこにいますか? (録音状態不良) きょう、ここに来た女性たちは、先生がどのような話をしても、逃げていきますか? 先生に従いますか? (「従います。」)(録音状態不良) 従うことができる女性たちにして、祝福をしてあげましたか? 私が一緒に暮らすというのではありません。それは、正しいことですか、間違ったことですか? (「正しいことです。」)(録音状態不良) “どのような代価を支払うとしても、やらない”という女性は、手を挙げてみてください。“どのようなことでもする”という女性は、手を挙げてください。それでは、夫を愛する王になりなさい、というのです。分かりますか? そのような女性は、天の国の宮殿において、間違いなく十本指の中に数えられる女性に、なるまいとしてもならざるをえません。ノーメンではありません。アーメン! 「アーメン」です。「ノーメン」は、すべて否定するということです。そのような自信はないでしょう? それでは、ここにいる女性たちで、“そのようになりたい”と思う人は、手を挙げてください。では、文総裁の言うことを聞かなければなりません。道が分からないのですから。 ジグザグで曲がりくねっているので、どれほど危険でしょうか。一人で山中に入っていけば、道を探すのも大変です。天の国に行く道を、サタンがどれほど曲がりくねらせてしまったでしょうか? それは、文総裁でなければ、捜しだすことはできません。文総裁はどうですか? ナイロンのひもを通しておいて、これにつかまっていけば、全員、行くことができるのです。いくら曲がりくねった道であっても、このナイロンのひもを一本だけつかんだ女性ならば、間違いなく神様の王宮の位置まで上がっていくことができますか、できませんか? 分かりません。(「できます。」)あ! “できない”ではないのですか? 暑さで気持ちが乱れていると思ったのですが、聞いていることは、きちんと聞いていますね。分かりますか? ここもオーケーですか? そうでしょう? (「はい。」)私がここ(天聖山の中腹)まで登ってくるときに、皆が汗を流して登っていくのを見て、車で登っていくのを申し訳なく思ったのです。(笑い) 車の席がたくさんあれば、全員乗せてあげればよいのですが……。私は、車で先に行くことを申し訳なく思う人です。車に乗っていくからといって、自慢する人ではありません。 父母は、子女を生んだその日から僕になり、与えて忘れて、与えてまた忘れ、千年、万年愛して、息子を愛するにおいて、恋煩いにかかる以上に、与えて、与えて、すべてなくなるまで与えたいと思うのが、父母の心であるというのです。 神様がそのような心を持っておられるとすれば、わたしたちが恋煩いの息子の立場に立ち、混沌とせずに、王家の正門を通って自分の部屋に訪ねていくことができるはずでした。 しかし、天が喜んでその部屋に入ってくる、神様の保護の下で愛し合う夫婦がいなかったというのです。分かりますか? いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いなかったのです。 声の大きさが、一人で叫んでいる文総裁にも及ばないこの聴衆は、サタンが来て、太鼓をたたきながらここに立って、「文総裁を見てはならない。わたしのものである。」と言うことができるのです。ですから、いたのか、いなかったのか、もう一度言ってみましょう。大きく!(「いませんでした!」) 死んでも生きても、千年万年待っても、億万年待っても、「それしかない。」と言うことができるものが、恋煩いの王の立場に……。わたしたち人間の一夫婦に、神様が宝物の中の宝物として贈ってあげることを許可しようというものであり、人間にとって最高に貴いものが愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮だったのです。分かるでしょう? (「はい。」) それがどこですか? 夫にとって妻の愛、妻の生命、妻の血統は、生殖器しかありません。妻にとって定着することができる理想境は何かといえば、夫のそれしかないのです。 では、理想家庭のおじいさんとおばあさん、息子と娘、理想家庭の孫嫁と孫婿とは、どのような人でしょうか? この器官を千年万年、握っていても、幸福の歌を歌うことができ、神様の前に永遠に感謝することができる、そのような人たちが、神様の家庭において相続を受けることができる家庭となるのです。 その国の忠臣の立場を相続し、その世界の聖人の立場、その天地の聖子の立場の価値を決定し、そして、神様と父子の因縁で一つになるのです。 そのように一つになったものは、永遠にそれを分ける者がいないので、神様の生命は“わたしの生命”であり、神様の愛は“わたしの愛”であり、神様の血統は“わたしのもの”です。神様の愛は、一体的な所有権を決定するのです。 ですから、神様のものが、すべてわたしのものであり、わたしのものは、すべて神様のものであり、神様の愛であり、わたしの愛となるのです。わたしの愛であり、何ですか? (「神様の愛です。」)分かりますか? そして、世界の歴史にない、最高の幸福の基地を中心として点綴するために準備していくと、定着したわたしたちの家庭の上にだれが動機となっているのかというと、神様なのです。 創造主であられる神様がわたしたちの家庭を創造されたのと同じように、さらに祝福して神様と一体理想を中心として、全宇宙をかけて、「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか? 「おお、よしよし、わたしの愛。」、その次は何ですか。 皆さん。母親と同じように、夫と同じように、おばあさんと同じように、わたしの代わりとしてキスしてくれない人がいないというのです。神様がそこで踊りを踊られ、生活的基準において一体となるためには、キスをしなければならず、愛さなければならず、血統を連結させて代を引き継いでいくための家庭が必要だという事実です。 それを失ってしまったので、はんだ付けして、再びそのような位置を見いだすようにしたのが、統一教会の何家庭ですか? (「祝福家庭です。」)「祝福家庭!」と言ってみてください。(「祝福家庭!」) “祝福家庭はわたしの家庭である”というとき、そこに神様が入っていかれますか、入っていかれませんか? (「入っていかれます。」)このすべての天地を失ってしまい、恨み嘆いておられた神様であられます。 そして、解放的勝利の覇権を持って天地を闊歩され、どこに行っても父母として侍ることができる主人の息子と娘の立場を失ってしまったということを、わたしたちは知らなければなりません。 それを、再び回生させて、神様を中心とした自由天地、自由解放、自由統一世界の神様の国と一致することができる立場で、愛を受けて初めて……。 人間の欲望とは、何でしょうか? おじいさんも王になり、お父さんも王になり、わたしも王になることができるのです。家庭にいるおじいさんは、天の国を代表した過去の王です。現在のわたしたちの父母は、全世界の家庭の王です。 将来、わたしたちは、天の国の王であられるおじいさんの愛を受け、世界の王であられる父母の愛を受けるのです。この二つの世界の二代を経て、孫の代に愛を授けることができ、キスもして、踊りも踊り、同じ祝福の立場に立ててくれるのも、おじいさんとお父さんです。 そこに伝授されるのは、天の国と地上、二つの世界の内容を持つのです。天の国を良心の代表的なエミーレの鐘の最頂上に立てることによって、天の国の父は縦的に無限な力を持った父であり、堕落していない本然の横的な無限の欲望を中心として縦と一つになることによって、空の器に水をいっぱいに満たし、神様の愛のコップと生命のコップで、生命の血統を家庭に分けて飲ませるためのものが祝福であり、結婚生活であったのです。アーメン。 そのようなことを願いますか、願いませんか? (「願います。」)それでは、それを所有することができる根拠地が、どこにあるのですか? 男性の宝の城のようなところです。 最近は、「宝島を訪ねていく。」という言葉があるでしょう? 黄金が問題ではなく、ダイヤモンドの山が問題でもありません。天下を渡しても取り替えることができない、神様の愛の本宮を占領することができる立場が、祝福を受け、妻と息子、娘を愛する立場です。それは、神様とともに愛を分かち合う立場なので、神様の愛と真の父母の愛と、神様の生命と真の父母の生命と、神様の血統と真の父母の血統が、縦的な心の王のお父様、横的な体のお父様……。 堕落することによって、人間の欲心は、この体を中心とするようになりました。そして、だれが世界を占領するのか、ということになるのです。それで、さまざまな独裁者が現れ、あらゆる怪物が現れました。今でもそうです。 神様を縦として九十度の角度に四方を合わせ、三百六十度、家庭から天宙まで、永遠に回ることができる一つの核の基準を中心として、その骨のようなものが、わたしの家庭です。それは孝子から聖子まで、すべて同じです。 神様の愛の骨のようになります。この世の中のすべてのものが一体となって、所有物として決定され、わたしの家庭の基台となり、世界の基台となり、天地、天上天国、地上天上天国の基台となることができる基本的な福を受け、それを成すための出発が、祝福家庭なのです。 その祝福家庭が、千家庭、万家庭になれば、氏族となり、何百万家庭になれば国となり、何千万家庭になれば世界となり、何億万家庭になれば、天の国となるのです。ですから、地上から完成して行かなければなりません。 それゆえに、家庭の公式に一致した、離そうにも離すことができない形であり、世界も同様であり、天地も同様です。それは、おじいさんとおばあさんの年齢の人、お父さんとお母さんの年齢の人がいて、そして兄と弟が一つになった兄弟、そして、夫婦のように、息子、娘を中心として、それらを拡大させたのが、世界です。分かりますか? そこに行こうとすれば、神様を中心として、天の国の家庭において孝子になり、忠臣になり、聖人、聖子の完成体となり、神様がついに、「わたしの息子であると同時に、すべてのことを成し遂げた。」と言われ、「おまえに、わたしの愛する国と家庭とすべてのものを相続させてあげよう。」と言われるとき、天の国の王子、王女として、この地上に王圏を中心として、千年万年、永遠なる地上天上の解放された人として、サタンがいない主権をこの地に迎えて、平和が定着することができる世界になるのです。アーメン。 さあ、それでは、皆さんの体を中心とした夫婦は、何を生んで、きちんと育てなければならないのですか? また、皆さんの体が何を正しくして成功させていくのですか? 答えは簡単です。孝子、忠臣、聖人、聖子を生んで、正しく育てれば、人間のすべての欲望を成就するのです。 それでは、体を中心として、サタンが占領した世界を訪ねていき、心の世界と体の世界が闘う……。皆さんの心と体が闘うでしょう? 闘わない統一的基準を中心として、神様のものとして所有を決定し、真の愛の家庭的中心基台の下で、国家と世界と天宙をすべて相続することができる動機の内容を完成させたという条件を備えれば、天の国の皇族圏の相続を受けるのは、必然的なことなのです。「アーメン。」と言ってください。(「アーメン。」) そして、皆さんの愛する生殖器は、孝子の家庭を生んで育てなければなりません。それが、人間の最高の欲望です。そして、国の忠臣の家庭を生んで、国にささげなければなりません。分かりますか? 神様にささげた愛は、そのように行くことができる目的過程にあるのですが、その過程が二つになってはいけません。 家庭をすべて築いたら、聖人を生んで育てなければならないのが、生殖器です。夫婦の、家庭の愛です。分かりますか? 家庭で生まれるのでしょう? 聖人も、愛国者も、孝子も、聖子も、すべて家庭で生まれるのです。 そして、皆さんの家庭においては孝子、国において忠臣、世界において聖人、天地において聖子の道理を完成した……。イエス様は、結婚できませんでした。イエス様が結婚しましたか、できませんでしたか? (「できませんでした。」) 結婚できなかったという二千年間の恨を抱いてきて、小羊の婚宴で結婚するのです。人類の先祖として根となることができ、すべて生命の根源となることができる家庭のモデルを持つことができなかったのです。 そのモデルを中心として拡張することによって、全世界が同じ物を持つようになり、台風が吹けば、太平洋の水もそれ以外の水も、同じ相対的基準になるのと同じです。 ですから、イエス様がもし結婚していたなら、今日のローマ教皇庁は必要でしょうか? 長老派、メソジスト、この者たち……。統一教会が必要でしょうか、必要ないでしょうか? (「必要ありません。」) 宗教も、堕落の副産物です。これは、すべて必要ありません。本然の創造理想である理想的家庭の定着、神様の絶対愛を相続した地上の愛の幹を取り戻さなければなりません。 山の渓谷に流れる滴が、間違いなく太平洋まで流れていくことができるというのです。それは、曲がりくねっているでしょう? ここから落ちた滴は、大海に流れていく途中で、すべて濁ってしまい、すべて中間で飛んでいってしまうのです。しかし、それではいけません。 出発したものが大海に着き、軽々とした本然の滴となって、再び帰ってくるのです。水蒸気になって、千年万年、この軌道を守っていくことができ、変わらない愛で授受をする循環法度を通して、統一があり、解放があるのです。平和があり、統一があり、解放があるのです。 今、南北が願うことは何ですか? 平和統一です。統一して何をするのですか? 解放です。解放して何をするのですか? 自由になり、家庭もわたしのものであり、国家もわたしのものであり、世界も、天地も、神様もわたしのものであるという自由奔放な解放圏を取り戻し、人間の良心、心の欲望、体の欲望、それ以上のものまでも完成することができる、定着起点を相続するのです。 これは、自分によって成されるのではなく、神様から、真のご父母様から生じたのです。それゆえに、その民と国を神様が愛し、真のご父母様が永遠に愛するのです。 自分の家庭を犠牲にしたとしても国を助け、国を犠牲にしたとしても世界のために生き、世界を犠牲にしたとしても天地を助け、天地を犠牲にしたとしても神様の自由解放を成し遂げなければならないのが、本然的創造理想の天理が願う伝統的路程であったのです。 この道は、政治の力で、お金の力で、知識の力で成そうとしても、不可能なことです。真の愛です。投入して忘れ、また投入して忘れ、永遠にそれを継続する心です。 ために生きる愛の伝統から、ために生きるわたしの心身統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界統一、神様まで解放するのです。これは、正道であり、天道として相続させて、神様の愛を定着させるためのものです。 これは何ですか? きょうは何ですか? (「本聖殿です。」)本殿聖地です。本殿とは何ですか? 神様が願われ、神様が住まわれる皇宮の家であり、本然の家です。それが聖地です。 すべてのものに打ち勝つのです。「聖」という字は、耳偏に口です。耳と口が王のような人が、「聖」です。よく聞かなければならず、正しく話さなければなりません。そのような人は、神様しか知りません。真の父母、メシヤしか知りません。 それでは、王孫の圏内に入っていきたいですか、入っていきたくないですか? (「入っていきたいです。」)今までのように、自分の目で見て、自分の耳で聞いていたのでは、王になることはできません。王というものは、三段階です。 おじいさんとお父さんと孫を、同じ愛の道として一つ……。おじいさんが頭上に来て、お父さんが腹の上に来て、孫が自分の足にしがみついたとしても、「良い。良い。」と言うことができるのが、王であるというのです。 そのように定着することができる家庭の王子、王女を生んで育てた父母というものは、その王子、王女が間違いなく天の国に入って行って余りあり、その父母も、間違いなく天の国に入って行かざるをえないことは、ないことはありません。何ですか? 二回は反対であり、三回は天国に入って行くというのです。分かりますか? (「はい。」) それを願う人は、立ち上がって両手を挙げてください。(「アーメン。」)居眠りしている人は、落第です。 ですから、神様万歳! 真の父母万歳! 天の王宮と天下の民が尊敬することができる本郷の地ができ、祖国光復の基台ができる、この神聖な起工式に参席した栄光を、神様の前に勝利として表示しなければならないので、万歳三唱が必要なのです。アーメン。(「アーメン!」)(万歳三唱)
2024.05.15
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記事「真の父母様と不一致のH3の8月の特別祝福式は無効!! H4にも祝福権無し」にて黒・天聖経(韓国語)から「독생녀(獨生女)」を探しては紹介していた。今回はその前後の一文を日本語の黒・天聖経にて紹介していく。韓国語「独生女」は日本語では「ひとり娘」として訳されていた。そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。真の父母として来るには、どのように来なければならないか? 一人ではだめなのです。真なる父に代墲閧、る一人の男として出てこなければならないのです。今まで、数多くの宗教は、一人の男を探してきたのです。男の中でも、生活をよくする男を探してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を主にした男を探してきたのが、仏教の教えと見ることができるのです。では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母(天の父母様)として喜び、その神様のひとり子とひとり娘が横的な父母として喜びうる新郎新婦になって、地上で息子、娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八) イエス様が、どうして天国に入れなかったのでしょうか。天国は、堕落せずに生きた者が入る事が出来る様に、神様が人間に造って下さったものです。人間は、本来の原則的な基準に立ってこそ、天国に入る事が出来ます。それ故、イエス様御自身も堕落した人間を救い、堕落しなかった人類の父母であるアダム・エバの立場で、息子、娘を率いて入らなければならないのです。しかしイエス様は、一人で生まれて、一人で死んだので、子孫がいません。いない為に、楽園に行く様になったのです。天国に入れずに、楽園にいるのです。天国に行く為の待合室の様な所に行っているのです。 それで、イエス様は再び来て、新婦を探さなければならないのです。本来のエデンの園で、アダム・エバが新郎新婦になってこそ天国に行く様になっています。人類始祖は堕落しましたが、その原則は残っている為に、その原則どおりに花咲かせる為、イエス様は来られなければならないのです。「再び来て、地で解かなければならない」という聖書のみ言と同じです。(四一―三〇〇) 堕落がなかったなら天国は、ひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭をつくり、神様の愛で暮らしてから、引っ越していく所です。天国へは家庭が入る様になっています。個人は、天国に入れないのです。イエス様は、家庭を成せなかった事によって、天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。 この様に見る時、天国は空いています。これを考えれば、神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史なのです。 神様は、アダム・エバを失ってしまいました。二人を失ってしまった事だけで終わるのではありません。アダム・エバを失ってしまったという事は、アダム・エバの一族を失ってしまった事なのです。その一族が拡大して、民族になり、一つの国家を成し、一つの世界に拡大したはずですが、それらを失ってしまったのです。ですから、アダム・エバを失ってしまう事によって、天国の王権を中心とした王国を失ってしまった事になり、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。(一四三―二五) 4.イエス様と楽園 堕落がなかったならば、天国はひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭を築き、神様の愛で暮らして引っ越して行く所です。天国は家庭が入って行く様に成っています。個人は天国に入っていけないというのです。イエス様は家庭を成せない事によって天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。…… 天国は空いています。これを考えれば神様の復帰摂理が、悲しい復帰摂理の歴史であるというのです。神様がアダムとエバを失ってしまいました。二人を失ってしまっただけで終わるのではありません。アダムとエバを失ってしまったという事は、アダムとエバの一族を失ってしまったのです。その一族が拡大して民族に成り、一つの国家を成し、一つの世界へ拡大されたはずですが、失ってしまったのです。ですからアダム一人を失う事によって、天国の王権を中心とした王国を失う様に成り、天国の民族を失い、天国の氏族を失い、天国の男性、女性、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには彼らを呼んで神様を中心として祝福してあげたことでしょう。 アダムとエバが善悪の実を取って食べないで、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治めることのできる基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、取って食べるなと言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。キリスト教はそれを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定することのできる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。しかし無知には完成がありません。②怨讐の血統を受けた 堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うからです。ですから統一教会で、愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書かれています。善悪の実とは何か知っていますか。善悪の実は果実ですか。風が吹けば、落ちてごろごろ転げ回る果実でしょうか。違います。 アダムとエバの心にサタンが入って、一つになったので、サタンの血統を受け継いだというのです。愛の神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。強盗、殺人も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じるならば許されると言ったのに……。サタンを許してあげることができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したからです。それは何のことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができません。もし善悪の実を取って食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしていたことでしょう。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダム、エバが成熟したあとには、神様が呼んで、祝福してあげたはずです。 アダム、エバが善悪の実を取って食べずに完成していたならば、天地を創造した大王の息子、娘になるのです。大王の息子、娘というのは、その直系の長男、長女とは何ですか。正に王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の王国を治めることのできる基盤になります。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手によって直接造られたひとり子、ひとり娘がアダム、エバです。アダム、エバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのでしょうか。「取って食べるな」と言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたなら、どうなっていたでしょう。キリスト教は、そのことを考えることができませんでした。考えてみても分からないのです。それは蒼々たる大海なのです。深いか浅いかについて、深さを測ろうとしても、それを測定する方法がありません。分かろうにも分かるすべがないので、無条件に信じなければならないという冠をかぶせたのです。けれども、無知には完成がありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.07.20
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真の御父母様の御聖婚「第二次四十年路程出発」及び「第四次アダム圏定着時代」宣布二〇〇〇年四月二十日、アメリカのイーストガーデンで、真のご父母様の「御聖婚四十周年記念日」の翌日にあたる四月二十一日、御聖婚四十周年を記念する「第一回釣り大会」に参加した韓国、日本、アメリカの指導者、百二十余名の前で、真のご父母様の聖婚「第二次四十年路程の出発」と「第四次アダム圏定着時代」が宣布された。 成約時代には、霊界を知らなければなりません。霊界を知らなければ、先生が分かりません。霊界を知らなければ、先生が手がける仕事を理解することができません。霊界の内容を中心としてこそ、相対的な世界にあって、歴史と共に蕩減していく過程をすべて理解できるのです。 蕩減するこの過程が、霊界の実相と相対的な関係によって変遷していくので、神様も意のままにできないのです。神様が教えることができず、人間も分からなかったことを、真の父母がきて告げるのです。天のすべてのことを整理できる責任を神様は担えないのです。真の父母が天に要求することによって、実相をすべて報告し、照らし合わせます。そうして、私たちの生活に一致させることによって、解放圏が展開します。先生が蕩減しておいたすべてに、そのまま乗っていってこそ、解放されるのです。 霊界はそのようになっているのです。ですから、霊界がそのようになっていることを知ることによって、解放されるのです。霊界の事実を知らなければならないのです。疑う余地がありません。 先生が話したことにつべこべ言うなというのです。教えてあげたその内容が、霊界に行けば、そのままの通りに展開するのです。事実なので、どうするのかというのです。「それ以上に信じる」と言えてこそ、霊界に行って、疑うことなく、その拡張された世界を理解できるのであって、この限界圏内に制限された内容の報告も信じられないならば、無限拡大世界の全体を信じることができないというのです。 歴史的に初めてのことです。ですから、今後、言論界に向けて発表しなければなりません。人類が今、霊界を知りません。霊的なことをすべて取り入れなければならないのです。共産党が反対しても何をしても、すべて事実なので、そのようにわきまえて、今回その新しい観念を抱かなければなりません。先生の「御聖婚四十周年記念日」のあと、「第二次四十年路程」が新たに出発する日がきょうです。四十年、御聖婚の記念日が過ぎて、四十年を新たに出発するにあたって、霊界の事実を新たに理解しなければなりません。過去の信仰と違って、確実に理解して、すべてのことを検証していきながら、自分の地上生活を合わせていかなければならないのです。 後孫たちが先祖を解放してあげなければなりません。その時代が過ぎ去れば、今後、先祖たちが来て、後孫たちを導くのです。今からそのような時代になるのです。先祖たちや霊界の祝福を受けた家庭がすべて来て、祝福を受けていない者も、祝福を受けて地上で暮らしている者たちも協助しなければならないのです。 ですから、先祖たちが願うのはみ旨の道であり、神様の創造理想の道なので、そこに適合しないときにはいくらでも制裁できるのです。神様の愛する子女が堕落することによって、地獄圏になったのと同じように、善なる先祖が皆、実体圏を中心として彼らの生死の境まで支配できるようになるので、善なる先祖に従わないわけにはいきません。さもなければ、必ず制裁があります。制裁しなければ、後孫たちの行いが先祖全体の道をふさぐので、制裁しないわけにはいかないのです。 蕩減復帰時代は母が協助する母子協助時代であり、完成時代は父子協助の時代です。神様と息子が一つにならなければなりません。同体です。一つの体です。父が願う通りに息子が行き、また息子が願う志を神様が叶えてくださるのです。それが愛です。愛の理想を神様が主導されるのです。 お金をもって、知識をもって、権力をもって闘うのではありません。愛の理想を中心として、天上世界に完全なる神様の血族として住める、その資格を地上で得られるように指導するのが父母の責任なのです。それができなければ、できなかった分だけ、父母が天の国に行って責任を追及されるのです。地上生活というのは、そのように貴いものなのです。 私たちが全国的に活動をして教育するときには、原理のみ言を中心として統一されて動くので、一つになり、闘わないのです。全羅道の者、慶尚道の者、北朝鮮の者、韓国の者とかいう境界線はないのです。一つになって進むのですが、サタン世界は、慶尚道や全羅道という地域争いが次第に熾烈になっていきます。南北が打つ手もなく、争いが次第に熾烈になっていきます。どんなに人間が調停しようとしても、できないようになっているのです。その世界で私たちが手本にならなければなりません。東西が全羅道と慶尚道です。南北が北朝鮮と韓国です。その次には霊界と肉界が反対になっています。 そうするには東西統一、南北統一すべきですが、これは何ですか? 上下関係は父子関係であり左右関係は東西です。そうすると、前後関係が霊界と肉界なのです。霊界、肉界が闘っています。霊界で闘っているのです。カイン、アベルの闘争歴史を抜け出す道がありません。それで地上で統一的な東西と南北を中心として克服し、手本を見せてあげて、霊界と肉界の家庭的に行く道を整えることにより、地上・天上天国が完成するというのです。 霊界が何かというと、善なる霊界と悪なる霊界とがカインとアベルの関係なのです。そして地上において東西、夫妻が共に一つになり、父子が共に一つになり、その基盤の上に……。一時代に上下・左右・前後をすべて総決算したので、今回真の父母が来られて「南北統一前進大会」を開くのです。ですから、慶尚道の人間であるとか、全羅道の人間であるとかいう地域争いは、統一教会にはありません。あってはならないのです。 そして北朝鮮から来た失郷民と韓国の人に隔たりがあります。その隔たりを抱いて生きます。慶尚道の群れ、全羅道の群れ、北朝鮮の群れ、韓国の群れという群れをなくさなければなりません。群れをなくすのです。これらが一つになってこそ、霊界の群れを決定づけることができるのです。 先生が上下関係、左右関係、前後関係、それから息子として見ると、カインとアベルを中心として、息子の中の息子たる長子権の責任、左右の父母のうちで真の父母、王権を中心として上下関係のこのすべてを、個人から世界まで統一的な基盤を築いておいたので、皆さんが真の父母を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、対等な立場に上がっていくのです。 完全なるプラスは、完全なるマイナスをつくるのです。そうした原則があるので、エデンにおいて神様が創造されるとき、絶対信仰によって創造されたのです。絶対信仰でつくったので、信仰の上につくった諸物は絶対愛の実体なのです。信仰の核にならなければならないのです。信仰の核になるのが愛の実体です。愛の実体、核になるといった場合の核は、何もせずに生まれたのではありません。絶対的に為に生きるところから生まれたのです。これが原則的な基準です。 それが家庭を中心として一つに定着するのです。上下関係、左右関係、前後関係に定着できるのです。完全に真の愛を中心にして核となったので、真の愛を中心として夫婦関係を定立し、子女関係を定立し、父子関係を定立し、最後に霊界にまで展開されると解放がなされるのです。 ですから、蕩減時代を消化し、神様の創造理想を中心とし、上下関係、左右関係、前後関係を中心として、定着することによって、「第四次アダム圏時代」が生まれるのです。蕩減時代です、蕩減時代。蕩減というのは蘇生、長成と上がっていくでしょう? これが縦的に蘇生、長成、完成となるので、長成級でサタン圏を終わらせ、完成圏で解放圏を越えて、本然の場に入っていくのです。 それで「第四次アダム圏時代」は縦的な蕩減時代、旧約時代、新約時代、成約時代の基準をすべて横的に展開することによって、旧約時代と新約時代、これが一つです。真の父母が来て、旧約の完成、新約の完成、成約の完成をすべてなしました。縦的な基準をすべて完成することによって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するようになると、旧約時代、新約時代、成約時代を経ていくのです。第四次アダム圏時代が何かというと、母子協助時代ではなく、父子協助時代です。母がいなくても息子が母を訪ねて侍ることができ、また父が母を訪ねて侍ることができるのです。 世の中でも孝子がいかなる者かというと、母が亡くなったならば、一人暮らしの父に対して、再婚させる者を孝子と言うのです。また真なる夫ならば、自分の妻が死んだからといって、そのままでいてはいけないのです。死んだ妻の代わりに蕩減役事をなして、その女性を解放させるために妻を得ることが善となるのです。 時代が違ってくるのです。これまでは母子協助時代でしたが、今は何時代? 父子協助時代です。父母時代ではありません。父母時代は母になりません。母が一つの体です。父と母が一つになっているなら、父と息子さえ一つにすれば良いのです。母はすべて体と同じです。 きょうから何が始まりますか?「第四次アダム圏定着時代」に突入するのです。ですから、絶対信仰です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。創造されるとき、神様がそのようにされました。何もない立場において「語った通りになる」と言われたのです。絶対信仰です。その「なる」ということ自体が愛の相対です。その愛の総意は、絶対主義というものなのです。 愛を中心として神様の属性を見ると、絶対、唯一、不変、永遠となります。「絶対、唯一、不変、永遠」というのは真の愛しかありません。父子関係、父の愛、それから、真の夫の愛、そして真の息子、真の兄の愛、これが三大愛です。それがすべて堕落することによって壊れました。長子権復帰、それから父母権復帰、王権復帰です。世界時代に分割して、これまでの歴史はカインとアベル、長子権復帰です。 長子権を復帰したあとに父母権復帰です、真の父母復帰。一九六〇年代に祝福結婚がなされました。キリスト教が支えていたならば、今のお母様がお母様ではありません。聖進君のお母さんがお母様になっていたのです。既成教会がすべて既成の信仰を中心に、北朝鮮から来た群れが、永楽教会を中心として統一教会に反対したのです。先生の家庭をすべて破綻させてしまいました。先生の一族をすべて破綻させてしまい、国をすべて裂いてしまいました。天地を、地上・天上世界を統一したすべてのものを再び裂きました。裂いたというのです。 ですから、先生は「真の父母」を宣布して、「真の孝子」を宣布しなければなりません。それで今回、「南北統一前進大会」において、八十歳以下のすべての人たちを「私の弟や妹である」と宣言しました。「弟や妹でない者は、手を挙げるように」と言いましたが、一人もいませんでした。皆が弟や妹になるというのです。「すべて女性は私の妹である! この女たち!」。妹に悪口を言ったからといって、気を悪くしてはいけないのです。数千年ぶりにお兄さんができたのに、成功したその権限をもって、女性たちが堕落しだのを、皆はんだ付けしてあげるためにそう言うのです。 女性がお兄さんを愛せず、お兄さんを夫として愛せず、夫を父として愛せませんでした。息子、娘を中心として教育するために、父に侍ることができるように母親が教えてあげなければならないのです。堕落したあとに何を失いましたか? 兄の愛、妻の愛、そして父の愛を失ってしまいました。父の愛に続いて祖父の愛があり、王の愛が出てくるのです。 その父に仕えることができ、父を敬うことができるように誰が教えてあげるべきですか? 母親です。母親が教えるのです!父から息子娘を授かったでしょう?息子は右側であり、娘は左側です。三人が一つになりますが、この三人というのは、母の中でカインとアベルが妊娠したのと同じです。性相と形状が神様の理想的な懐に抱かれるのと同じなのです。これを育てて神様に捧げなければならないのです。ですから、生まれて育つまでに成熟する期間が必要なのです。成熟して上がっていかなければならないのです。 女性たちが双子の息子と娘に乳を飲ませるときには、右の乳は息子に飲ませて、左の乳は娘に飲ませなければならないのです。息子を生んだならば、母が乳を飲ませるとき、左の乳を飲ませてはいけません。右の乳を飲ませるのです。右側の乳を飲ませてから、左側の乳を飲ませなければなりません。逆にやってはいけません。 ですから、母は息子と娘を育てなければなりません。息子と娘を育てて何をするかというと、父を愛することのできる教育をしなければなりません。それが何かというと、父を中心として一つになることです。夫を中心として息子、娘が一つになることを誰が教えるべきかというと、母親です。母親。地なのです。地は天の国の影と同じです。 時代が違ってくるのです。誰の名前で祈祷しますか? 皆さんが国に責任を負えばどうなりますか? 南北が統一されるとどのようになりますか? 私の国があるというときどのようになりますか? その国に皆さんの家庭の種を植えなければならないのです。それで「真の父母の勝利圏を受け継いだ祝福家庭の名前で祈祷いたします」と言うのです。祝福家庭の時代も過ぎ去ります。国を探さなければなりません。 第四次アダム圏と国と越える時に来ているので、互いに南北統一の主人は自分であると考えています。偽者たちはすべて崩れてしまいます。これを着実に伝統をもって行政区分の末端の統や班から、上部まで教育しなければならないのです。教育しなければ、外国人を動員するのです。これからジャルジンで四十日修練を受けた者たちはすべて大移動が始まります。三か国、韓国、日本、アメリカの国を中心として、地域を中心として番号中心にくじ引きをするときに、祝福された者は、父母の国と長子圏の国、祖国を追及しなければなりません。 そうすると、どこで生まれるべきでしょうか。日本人だからといって日本で生まれたと考えてはいけません。自分の本然の場に行かなければなりません。兄弟圏を通じてです。すべてがそうなのです。アメリカが長子ならば人口が日本の二倍になります。また日本と韓国を見ると韓国が七千万なので日本がその二倍になるのです。二倍。それが重要です。分ければサタン側と神側の半分に分けることができるという話です。そうでしょう? 七千万だと言ったでしょう? 日本の国民が一億二千五百万ですから半分です。日本は韓国の倍、アメリカは日本の倍です。それはなぜですか? 先に生まれたのです。二種類に半分に分けておかなければならないのです。 今、くじ引きするならば、韓国人が日本に移動するかもしれません。そうなれば、ふろしきに荷物をまとめて移動しなければなりません。韓国であれ、日本であれ、アメリカにおいては永住権を中心として解放されます。ビザ問題がすべて解放されるのです。最近のビザは複数回(マルチプル)入国ですか?(「十年の複数回入国です」)。自分の国と変わりないのです。 日本が今、反対しています。この者たち! 日本はどんなにやっても韓国に勝てません。日本は夫に引き渡すか、息子に引き渡さなければなりません。日本の祝福を受けた女性たちは、日本にある技術を自分の息子に引き渡すのです。交差結婚しなければなりません。日本の女性は韓国の男性、韓国の女性は日本の男性と結婚するので、互いに良いものは引き渡さなければなりません。 それで今、交差結婚した者たちが日本の責任者になりました。韓国も交差結婚した者たちが副教会長になりました。 これからの第二次四十年時代において、世界組織指導者は、国際結婚した者たちを主に立てなければなりません。これから祝福するときはすべて国際結婚です。二世たちはすべて国際結婚です。それで先生の孫たちの時代からは、国際結婚させるのです。その前には国際結婚させることはできないのです。 ですから国際結婚することによって、カインの国とアベルの国二つの国を愛することのできる愛国精神を持たなければなりません。そうすることによって、すべて半分に分けるのです。半分の立場に立ちましたが、一つになるのです。それだけ領土が倍になるので、何回か祝福、交差結婚すれば世界は一つになるのです。 これから国境を持ったすべての国々は、交差結婚するのです。さらに盛大にやるのです。東洋と西洋、南北が交差結婚するのです。南北すべて貧富の格差があります。交差結婚すれば世界は一つになるのです。これからは数代、十二代ならば十二代において、どれほど純粋な民族が、十二代圏内において、祝福した国家が連結されているかを……。そうして編成されたその一族が出世するのです。 これから何時代になると言いましたか?「第四次アダム圏時代」とは何ですか? 父子協助の時代です、父子協助時代エデンにおいて父子協助ができなかったでしょう? 父の命令に絶対服従しなければならないのです。そうした伝統を立てるのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従! ですから今後、家をすべて売り払って引っ越すように命じれば行くべきですか、行かないべきですか? 行かなければなりません。ですから、これからはすべて父母に侍らなければならないのです。ご父母様は真の父母であると同時に王です。家庭の王であり、氏族の王であり、民族、国家、世界の王なので、国を建て世界が税金を捧げる以上に税金を捧げなければなりません。 三〇パーセントです。それで聖人たちも霊界に三〇パーセント……、三三パーセントは無条件祝福です。結局は統一教会を中心として一つにならなければなりません。すべての宗教圏は一つになるのです。そうしたみ業が霊界で展開していきます。地上でもそのようにしなければなりません。そのために国を求めて大移動が始まるのです。 兄弟を探して大移動です。父母を探して、王を探して大移動するのです。その兄、父母、王が誰かというと真の父母です。三時代の先祖なのです。旧約時代の先祖であり、新約時代の先祖であり、成約時代の先祖です。ですから、すべての霊人という霊人は皆、三時代の先祖の血族となるので、先生が思いどおりにやるのです。今のこの時は、サタンが人類解放圏を許諾したので、地獄をすべて砕いて解放させてしまうのです。 世界的にすべて、『霊界の実相と地上生活』の試験をしなさい。原理試験をするのと同じです。本然を知らなければならないのです。地上で生きていくのにためらう時があります。やるべきかどうか迷ったとき、これを参照するのです。すると、私が今考えていることが、どの圏内に属するかすぐに分かります。はっきりと分かるので、参照するやいなや着々と進んでいくことができます。足踏みしたり、とどまっている時間がなくなるのです。知らないようではいけません。 李相軒氏に責任があるのです。むやみに嘘をついたら問題が大きいのです。打ちのめされます。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従なのです。同じです。今まで、何だかんだと言っていた言葉、どうのこうのと言ったすべてを……。清平でもそうです。それを誰が認定しますか? 先生が認定するのです。 神様の摂理のみ旨の前で福を受けたとき、先祖を救い出すのです。先祖を救わなければなりません。中国もそうであり、日本もそうです。そして、アジアで儒教思想を一番初めに重視した国は韓国です。先祖を大切にすれば先祖が解放されるのです。 これからはそうです。既成教会では墓参りなどさせないでしょう? そうした時代は過ぎ去ります。先祖を敬わなければなりません。先生がこの地を離れればすべて……。いかなる先祖であれ、篤く敬わなければなりません。そうすれば福が来るのです。先生が積み上げた福、天地のすべての解放的な福が息づいているので、その一族の前に流れていくのです。水道のパイプのように、このパイプよりも大きなものをつくれば、ほかの所にある水さえもすべてそこに向かうのです。 いまだにそのような国がありません。儒教を中心として、仏経を中心として、キリスト教を中心として、三時代に三宗教を中心として主権を動かしたのです。キリスト教が動かしてきました。そうでしょう? キリスト教が動かすなら、先生は反対されません。儒教圏が動かすとなると、どのようになりますか? キリスト教が反対して放っておきません。キリスト教文化圏がすべて吸収されそうになったので、全面的に反対したのです。天の摂理がそうなのです。家庭を中心として天地を復帰しようとしたので、天地が動員されて反対したのです。その反対を完全に屈服させなければなりませんが、屈服させるのが大変なのです。神様について知らないからです。知らない世界を中心として、どのように屈服させられますか? 真の父母が来られて、知らない世界の事実を実際の世界で再創造して、示すことのできる勝利圏を整備したので、すべて屈服しなければなりません。違いますか? 成約時代は何かというと、旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の第四次アダム圏の完成を意味するのです。ですから、歴史時代において霊界に関係したものを完全に覆すことができるのです。先生の代身として教えたので、誰でもできるのです。それで自分の先祖のために、氏族的メシアをつくったのです。国家的メシアをすべてつくったでしょう? ひっくり返すのです。そういう時が来たのです。ためらうなというのです。 霊界がそうであることを知らなければなりません。皆さんはもう十四代の解放をしたでしょう?皆祝福してあげたでしょう? 呼び出して、どこに行くにも先頭に立てて、連れて歩かなければなりません。 今、一つの場所にすがって生きるのは愚か者です。百二十か国、ほかの所で……その本部を中心として、各国からどれほど多くの人がその国の本部を訪ねてくるかを誇ることができるのです。それを表彰しなければなりません。大移動や訪問できる地域が世界の名勝地となるのです。 ですから、功労賃を受けた人たちが住む所はすべて名勝地になります。一番になったら、「あの人はどこどこの大会で一番になった!」とうわさが立って、今後、訪問客が来るのです。じっとしていても食べて暮らせます。仕事をしなくても食べていけるのです。違いますか? 一番になれば、その村とその国が有名になるのです。 そのようになり得る環境が広がっていくのです。趣味産業というのは、小学生から死を間近に控えた百歳の老人まで、誰でも願うようになっています。「そこに私も一度行ってみたい」。と言うのです。ですから、飛行機会社もつくり、バス会社もつくり、車やら、船やら、何からすべて準備するようになれば、すべてが私たちの基盤を利用するというのです。 ですから、今後、飛行機のチケットなども三代、百二十年間使えるチケットを買おうというのです。そのようになれば、自分のうちのお祖父さんもいますが、ずっとは乗れません。百二十年間もどうやって乗りますか? ですから、「三代がお祖父さんの買ったチケットで乗っていきます」と言えば、どれほどお祖父さんが喜ぶでしょうか。このようにお祖父さんに侍っていくのです。そのような運動をしなさい。 ですから、どこにおいても皆さんは趣味産業の国家責任者となるのです。地方の責任者となり得る人たちは皆どの世界においても観光産業の社長になれるのです。ですから、自動車の運転も習わなければなりません。トラックの運転まで習うのです。 こうして誰でも来るようになるなら、人が百人来れば、五十人ずつトラック二台で、ハワイならばハワイに向かって走り、飛行機なら飛行機に乗せるのです。そのためには、飛行機を操縦できる人も必要で、ヘリコプターとかもすべて操縦しなければなりません。 それで先生は、五大洋、六大州を中心として大きな船、数千名が暮らせる家のような大きな船をつくることを考えています。そうして五大洋、六大州を回るのです。そこはヘリコプターで周辺を回りますが、一年間旅行をするといっても一年間そこにいるわけではありません。一か月間はどこどこに行き、その次の月はどこどこに行って、世界一周がずっとできるのです。 ですから、ここに参席した者たちは今後、「私が趣味産業に車を一台ずつ、またはバスを一台ずつ、または飛行機を一台ずつ寄付できたらいいな」と、このように考えろというのです。それでこそ、自分の息子や娘が豊かに暮らせるでしょう?先生の名前と共に……。 先生の名前はなくなりません。永遠に、永遠にあるのです。地上でこのような功臣となって霊界に来れば、霊界の序列が相対的な会議グループをつくり、地上を協助できるみ業が展開するのです。観光の地上・天上天国になるのです。 そうなれば、天使たちが霊界から降りてきて、霊界がそのような役事をすべてやってくれるので、どれほど良いでしょうか。踊って歌って大騒ぎになります。それは混乱ではありません。心のときめくすてきな騒動の場となるのです。 ですから、一つの場所に暮らす者たちは愚か者だというのです。それで国際結婚をした三世……、一族のうち氏族的メシアを中心として、一八○家庭すべてが国際結婚するようになれば、親戚同士が訪問し合って、互いに交流して暮らすのです。生活舞台を単一化させて、五人でも六人でも暮らせるコンドミニアム・システムを世界的に築いて、自分の国、自分の家として、どこに行っても暮らせるのです。それが理想的なのです。そのような世界を築こうというのです。先生が計画すれば、その計画したことは、千年も万年も残って流れていかないのです。実現するようになっています。そのようなことを始めるのです。 今や「夏の休暇はパンタナールに来なさい!」と言えば、その休暇は三か月になるかもしれません。放送局を通して伝道するので、皆さんは招待されて行く所が多くなります。百名ずつやるのではありません。荒野にマイクの設備をすれば、四十日修練を十万名でもできるのですが、もっと便利な方法でやるのです。「皆、本をもって覚えるように!」と言えば、それを覚えさせて、試験すればいいのです。違いますか? そうしておいて私たちはゆっくりと旅行をするのです。神様が創造した世界がどれほど美しく、水の中に住む魚がどうであるかを知るために旅行するのです。 それを知ってから逝かなければなりません。魚を知って、地上の鳥や動物も知って、木のような植物もすべて知って愛してから逝ってこそ、神様がご自身の息子、娘のために万物を創造なさった甲斐があるというものでしょう? すべてのものは、その一つを取って見ても、神様を賛美できる環境的な要件を……、一生を通じて一時間、一秒でもそのような心を抱いて、神様に栄光をお返しして生きてこそ、孝子となり、忠臣、烈女になれるのです!「アーメン」と言うのです。死んでも「アーメン」です。生きても「アーメン」なのです。ですから、死んでも行くべき道を行かなければならないのです。「アーメン」はどういう意味ですか? 自分の願う通りに行くのです。答えた通りにやるということです。 (二〇〇〇年四月二十一日、アメリカイーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.05
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過去のあるブログ記事から、発表されたお父様最後の祈祷動画の音声と映像が別物であるとの指摘をしていた。だからといって、祈祷そのものまでも否定できるものではない。家庭連合サイドとしてはイメージとして取り上げたに過ぎない、ということなのだろう。実際の映像は2012-04-14の特別宣布式でのそれだった。TWJの2012.6月号に掲載されており、これもまた大変重要な宣布式であった。分派の方々は古き良き時代のお父様のみ言は多く取り上げるけど、自分たちに不利と分かれば「見ざる、言わざる、聞かざる」(どこかの動画でも言っていたような?)の精神を貫かれるようだ。その一つが「まるバツクイズ」であった。以下、宣布式内容からも「すべて成し遂げました」と天の父母様への報告をされており、また、「これからは、二人の人が一つの血筋の母体である1人の人として……真の父母の完成を祝福し……今から真の父母様は、エデンの園を越えた、本然の故郷の地を中心として、一つの伝統に従って、一つの血筋と一つに似た永遠不変の一族である……正午定着で位置を守って……」とも宣布されていた。お父様が聖和されたとしても一つの血筋として、こんにちの、お母様が祝福式を執り行うことができる根拠ともなっている。祝福権のない三男さん、七男さん、お母様のそれを否定できない。もはや、分派子女様方のところにはお父様は居られず、お母様の元へ帰って来なければ、その祝福も受けることができない。分派へ走られた方々も、もう一度立ち止まって考えられよ‼️世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.10.04
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前回は7代が一人息子の家系、そして、母方も3代が一人娘(独女)の10(7+3)代の家系の上で、お母様が一人娘(独生女)という真のお父様のみ言でした。顕進様を支持される方も亨進様を支持される方も、赤表紙の天聖経は受け入れられないということでは一致しているようです。その一方で、黒表紙の天聖経を高く評価されています。また、双方がお母様を否定される理由については、前回のコメント欄からの引用ですが、>それゆえ堕落した世界には、神様が創造された真の母の実体表象が存在しないのです。よって、お母様はお父様によって再創造されなければなりません。と、真のお母様が堕落世界から復帰されてこられたという誤認によるものです。もし、その高く評価されている天聖経(黒表紙)に一人娘(独生女)のみ言が一つでもあれば、顕進様派・亨進様派の方々はそれを受け入れられますか? 以下、天聖経(黒表紙)からの一文です。 ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたなら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜び、その神様のひとり子とひとり娘が横的な父母として喜びうる新郎新婦になって、地上で息子、娘を生まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。(真の父母/1章-5) 復帰の家庭といいますが、その復帰された家庭の中心に誰がなるのでしょうか。神様がお捜しになる真なる息子、娘によって築かれた一つの家庭が、神様の創造目的ですから、その家庭の中心は、神様の本当の息子、娘でなければなりません。それでは誰でしょうか。この宇宙を相続できる全権をもってこられるお方です。その方が再臨主です。その再臨主が来られて、家庭を築かなければならないのです。(真の家庭/10章-6) 訪問ありがとうございます にほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。 にほんブログ村人気ランキング/海外ニュースへ
2015.04.28
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2011.04.14付の韓国会員サイトのお知らせで、凡人の日記でも紹介してきたブラジルのソロカバチーム、1部リーグ進出をかけた試合が残っております。真心のお祈りをお願いいたします。皆が知っておられるようにチャムブモニムケソヌン多様に摂理を展開して計ておられます。その中で、特にスポーツを通じた世界の平和運動を通じた摂理を積極的に展開しておられることを私たちは知っています。 グガウンデサッカーを通じた摂理を積極的に繰り広げているが、代表的なのが、国内の城南一和天馬プロサッカーチームとサッカーの本場ブラジルで運営されているプロサッカークラブアトレティコソロカバプロチュクグチムイプニダ。国内では、城南一和がK -リーグで7回のリーグ優勝するなど目覚ましい活躍をしており、ブラジルでも注目に値する活躍をしています。真の父母様の指示で、ブラジルサンパウルロリーグ3ブチムウル引数にして、一時は1部リーグにまで進出して世界的なチームと肩を並べて大活躍をしたりもしています。 昨年はブラジルのサンパウルロリーグで優勝して、統合チャンピオンに上がることもハヨトスプニダ。 現在はサンパウルロリーグ2部リーグに所属して活躍しているが、最終8チームのうち、入ることになり、そのうちの上位4チームが1部リーグに進出するための対戦を行っています。これに家族さんの真心と祈りが必要です。現在、2分け1敗勝ち点2点組3位にオルライトけど、残り試合3試合で2スンイサンウル上げなければ1部リーグに進出することができます。試合日程は、私達の時間で4月17日午後3時、アウェーの試合でモルタチムグァ対戦を実施し、4月23日午後4時4月30日午後7時にカルタチムグァホームアンドアウェー方式で試合を行う予定です。競技日程??を覚えていただき、必ず1部リーグに進出してチャムブモニムイ位相と栄光を満天下にさらされるように、全国の家族さんの祈り真心を懇懇とお願い致します。もう一度スケジュールを公開しています。-. 4月17日(日)午後3時、アウェーの試合モルタチム -. 4月23日(土)午後4時のホーム試合カルタリム-. 4月30日(土)午後7時、アウェーの試合カルタチム上記のセギョン期の必勝のために、多くの真心と祈りをお願いいたします。連絡先:ギムフンテ会長(010-7312-****)
2011.04.15
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3月21日、サタン完全(自然)屈服の日(1999年)です。以下、『人類の犯罪者ルーシェル』より。 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキングへ
2014.03.21
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20190427家庭連合②(TBS放映) 韓国・京仁総合日報(2019.06.03)http://www.jonghapnews.com/news/articleView.html?idxno=284192再び浮上する韓日海底トンネルの建設...現状は?-民間団体家庭連合が先頭に日韓交流と経済、文化共生に貢献-盧泰愚-金大中大統領も必要言及... 日本の首相も賛成-歴史的教訓に照らして、経済的実益几帳面見て... 1986年の最初の発表以来、しばらく不振だった韓日海底トンネルの建設の推進が再び本格的な動きを見せている。昨年徴用被害者の賠償に関する韓国の裁判所の判決後、韓日関係が歴代最悪に突き進む中でしばらく停滞してきた韓日海底トンネルの建設が民間中心再び推進されている。特に積極的な推進をしている日本の民間団体とは異なり、韓国側の一部では、「大陸進出を夢見る日本が再び韓国を足場に、中国とユリョプに進出の根幹に韓日海底トンネルを建設しようとするものではないか」という否定的な見方があるうち、日本の民間団体と学界、政界の一部では、肯定的な世論が起きていることもある。実際、5月21日、日本衆議院第2議員会館1階会議室で開催された韓日海底トンネル推進委員。有識者、韓国のジャーナリスト懇談会で西川吉光、日本東洋大学教授は航空郵送の限界と飛行場の拡張などが難しく、気候変動に左右される配送、高速船ビートルの限界、定時大量郵送が可能な鉄道、日韓交流の拡大と共有分野の拡大などを理由に、増え続ける観光需要に最適に対応するため、韓日海底トンネルの建設が急がれると主張した。西川新光教授は「特に韓日間不幸な過去の歴史を克服し、和解をするためにも、日韓海底トンネルの建設は必ず必要だ」と一声た。続いて竹内優遭遇国際ハイウェイ財団技術委員長は「これまで1千5百億ウォン以上の予算を投入して海底トンネル区間の地質調査などは完了した状態であり、実地構想実現の技術アプローチをした」と明らかにし、海底トンネルの技術的な問題が相当部分進捗したことを表明したが、また、国際的な投資の鬼才であるジム・ロジャーズが韓日海底トンネルに大きな関心を持って投資意向を映ったことが知られ、韓日海底タウン建設の認識が近づいて来るの暗示してつなぐ、当初韓日海底トンネルは韓国の釜山 巨済島で対馬を経て日本の九州佐賀県唐津市を結ぶa案、巨済島でデミも解像度を経て唐津市に行くb案。そして釜山で唐津市で直線接続するc案を挙げれば長さ209-230kmに達する。開通推進には、日本側が先に出た。1982年に日本で国際ハイウェイ建設事業団が発足した後、北海道の教授を中心に「日韓トンネル研究会」が設立され、本格的な調査が始まった。続いて、韓国でも同年、日韓トンネル研究会を設立し、1988年に巨済島一帯の5つの地域での掘削調査を行ったことがある。一方、韓日両国間の公式の推進経緯を見ると、1990年に盧泰愚大統領が日本の国会で海底トンネルを提案し、当時は後に日本の首相もこれに賛成の意見を述べた。以後9年後、金大中大統領がトンネル事業を取り上げており、盧武鉉大統領も小泉首相との会談で、日韓海底トンネルの必要性に言及した。これにより、日韓トンネル研究会と釜山発展研究院が共同で韓日トンネル路線を踏査して推進加速度を付けるも。さらに最近では、世界の平和統一家庭連合が2016年に日本佐賀県唐津市韓日トンネル現場で気孔30周年記念行事を大々的に持って韓日両国の関心を増幅させてつなぐ、世界の平和統一家庭連合は、日韓海底トンネルの建設を契機で韓日間の長い過去の歴史を清算し、経済、文化交流などを通じて、日韓間の密接な交流と共生の道を図ろうとする最も重要な海底トンネルの建設に伴う日韓両国の経済的効果と関連して、日本側の推進団は、物流の利益が、韓国は54兆ウォン、日本は88兆ウォンの波及効果を得建設には、韓国は13兆ウォン、日本は18兆ウォンの利益を見ることを説明する。特に韓国は観光産業の発展、物流コスト削減、トンネル工事技術力の確保などの付帯利益を追求することができ、日本は大陸進出の確保、南北のと中国、ヨーロッパとの交易を図る利益を達成すると予想している、一方、推定総工事費が100兆ウォンを超えており、日韓トンネルの経済的効果があまり大きくないという主張も少なくないよう出ている。 韓日トンネルが開通すれば、両国を行き来する時、人数が年間約100万人と予想されるが、現在のところ航空や船舶を利用することがはるかに有利だが、あえて海底トンネルを使用するべきで疑問も出ている。また、100年前、日本が明を征伐キーのために韓国を大陸進出の足場としてみなした記憶を思い出しながら、「もう一度日本が大陸進出の利用ツールとして韓日海底トンネルが利用するではないか」という懸念の声も出ている。これに対して徳野英治国際ハイウェイ財団会長は「産業観光のトンネルが軍隊の進出になるのは不可能であり、日韓両国は、トンネルを介して、世界の繁栄と平和を実現するという大きな意味を持っている」とし「日本のこの人材と資金面でより積極的に支援してトンネル開通をリードしなければならない」と力説したが、韓日関係が過去の歴史問題に極めて梗塞されたに際し、日本と韓国の両方で、再浮上している韓日海底トンネルの建設チュジンロン、韓国と日本が持つ特殊な関係に照らしてどのような経済的利益があり、どのような文化的交流が期待されるか、長い目で遠くを見て歴史的教訓を振り返って、一つ一つ入念に取りまとめなければならない重要な時点だ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.03
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コリアンドリーム氏が「真のお母様のみ言葉/2019/08/10前編」ということで、10日、HJ天宙天寶修錬苑での「神韓国家庭連合 日本宣教師 特別集会」でのみ言を挙げていたが、これまでのお母様「独生女」み言を批判する以上に後編からは「原理講論の改ざん」などとの話を持ち出してくるのではなかろうか。お母様は既に「ビジョン2020勝利のための天地人真の父母様主管 神慶尚国特別集会 真の父母様のみ言 (2019.7.25)」で原理講論の不完全性については語られていた。……聖書で見れば、アダムとエバは神様と一問一答しました。私も同じです。私に原理を教えたり、何か教育をした人がいません。私は(聖婚式も)私が決定しました。皆さん、(『原理講論』「総序」の最後の部分にあるように)『原理講論』はまだ完璧なものではありません。後編に、「再臨論」だけでなく「真の父母論」が出てこなければなりません。そのように考えませんか。「創造原理」も正しく記述されなければなりません。聖書には6日間創造されて7日目には安息されたとなっています。聖書で「夕となり、また朝となった。第一日である」と言いました。その言葉は、時間の概念ではありません。夫婦が結婚して赤ちゃんを身ごもるようになれば、10ヶ月という期間を持つようになります。10ヶ月後に誕生します。それと同じように神様の創造も、ただみ言で「(このように)なれ」と言って(創造)できましたか? 過程があるのです。そして、生命が誕生するのは、男性一人ではできません。男性一人では生命を誕生させられないのです。それで、神様の創造は男性・女性です。ところが聖書はそのようになっていません。お父様の聖和後に、私が待ちに待ってから「私が独り娘である」とアメリカの牧師たちの前で最初に話しました。そのため牧師たちは拍手をしました。どうしてこの正しくてもっともなことを、私たちが分からなかったのかと言ったのです。カトリック教会の「神父(シンプ)」が「新婦(シンプ、発音が同じ)」なのではありません。男性と男性がどのようにして結婚するのでしょうか。「また来る」と言われた再臨のメシヤの前に、独り娘が現れなければなりません。女性が現れなければならないのです。ところが女性を無視しました。それゆえ摂理が完成できません。摂理の完成は独り娘から始まります。これからは明確にしなければなりません。お父様がここで出発されて準備なさったのは、独り娘に出会うための準備です。それが分かりますか、分かりませんか。1960年、真の父母の位置に進み出ました。その後、一番最初にしたことが、祝福行事です。天の父母様の夢、人類の願い。天の父母様を「父母様」と呼び、その父母様の前に進み出ることのできる、愛を受けることのできる子女となるのを願うのです。しかし堕落によってその道が遮られてしまいました。それを開いて下さる方は、ただ真の父母だけです。神様を仰ぎ見て、絶対的に一つとなった位置で、わき目を振らずに神様のみ言だけを聞いて成長して完成したならば、その位置が神様と共にある位置です。天の父母様と真の父母が一体となる位置なのです。長い間、霊としてのみおられた父母様が、見える現象世界の真の父母として、子女たちを抱いて愛されたかったのに、その大きな恩恵を失ったことが堕落です。それを再び探し出してくださる方は、真の父母です。真の父母は二代、三代ではありません。ただ一人、真の父母です。 ひとえに、真の父母は永遠においてただ一人です。だからわき目を振らずに、独り娘、真の母と一つになって進み行くようになれば勝利します!……お母様「独生女」批判も、もはや、お父様の元祖「独生女論」で底を着いてしまった。「独生子とは何ぞや?」「独生女とは?」、と問うたときにお母様お一人で「独生女」を語られていた訳ではなかった。これ以上の批判があるとすれば、お父様「独生子」論(?)はもとよりH3やH4の「真の家庭」論にまで進展せざるを得ない。さて、「原理講論の不完全性」については8.10でもまた語られていたものであり、当初から『総序』最後の一文にも明記されていたものであった。お母様が「今さら?」と議論する何ものもない。それよりは、今まで何故にそれがなかったのかが不思議なくらいである。八大教材教本ほかみ言に「真の父母」の記述を数限りなく発見することが出来、様々な宣布や祝祷もすべて「真の父母の名」によって成されてきた。1960年の聖婚式でのPeaceTV映像「真の父母様御聖婚当時の祈祷とみ言」(2:40~)からもすでに「真の父母の名」で祝祷されていた。こんにちの支流人らによる統一家の混乱もまた、この「真の父母論」の欠如からであると見ることが出来よう。お父様は「ゴッディズム」「頭翼思想」「父母主義」などと言葉は違ってもその根本とするところは「神主義」であり、「ワンファミリー・アンダーゴッド」による幸福な家庭、平和な世界を標榜してきたものではなかったか。では、いつ「真の父母」がこの地上に現れたというのか。アダム・エバの時はそれが出来なかった。「独生子」イエス様の時は? ヨセフ家庭とザカリヤ家庭がそれを悟ることが出来なかったはお父様のみ言であった。1960年の文鮮明総裁と韓鶴子総裁の聖婚式、これが黙示録で書かれた「子羊の婚宴」であったと私たち祝福家庭は聞いてきた。イエス様再臨の「独生子」、そして、「独生女」が出会ってのそれであったもまた、お父様のみ言からだ。1960年、すでにその時からだ。逆には、「子羊の婚宴」もなくいきなり文総裁が「メシヤ・再臨主」だと名乗って出たところで、2000年前のイエス様に律法学者らが質問したようにマラキ書の「エリヤは?」……と。「独生女(ひとり娘)」という概念はこれまでのキリスト教にはなかったものだ。1959年10月に初めて文総裁が「独生女」を世に発表し、また、1960年の聖婚式を迎えた。原理講論の『総序』で新しい真理が現れなければならない、としながらも書かれた原理そのものが全てではないこと、さらに「時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを」切望するとあった。それが今この時ではなかろうか。お母様の言われる「真の父母論」といっても、お母様が勝手にされるものではない。高気圧(独生子)が出来れば、自動的に低気圧(独生女)も出来るは自然の理である。高気圧を考えれば、自ずと低気圧についても頭に浮かんでくる。お母様が「独生女」ばかり語るからといっても「独生子」、それだけではなく「真の父母」も瞬時に浮かんでくるものだ。不完全であっても「原理講論の主人はお母様」は、父母様らのヘリコプター事故(2008年7月19日)後まもなく「『原理本体論』について」(2008年8月31日、こちら)で語られたみ言からだ。また同み言(P.51)からは「洗礼ヨハネは分捧王」(関連記事「洗礼ヨハネとしての分捧王・郭錠煥氏だったが???」)についても話されていた。 アダムとエバをすべて殺しました。その次に、四千年目のイエス時代にメシヤが来るといって、国家基準を中心として、ヤコブが勝刊して選民圏となったイスラエル血族が、イエス時代に国の大統領を立て、副大統領を立てなければなりません。ところが、洗礼ヨハネは分捧王になることができなかったではないですか? 今回(平和メッセージ十六章)の最初のぺージに「洗礼ヨハネ」という言葉を掲げたことは驚くべきことです。それ一つ自体が蕩減復帰歴史において人々が誤ってイエス様を殺したので、これからは、人々が分捧王を中心として、わたしがつくった教育材料を中心として、これが新しい祖国光復の旗印を立てなければなりません。そのために(アベル)UNまでつくっているのです。最後です。 ですから、この旗印を立てるときは分捧王ではありません。実体王権です。その王は、自分が王宮をつくり、民をつくることを、すべて一人でするのですか? その分捧王自体が、第一イスラエルが第二イスラエルの王権を推賊して侍らなければならず、第二イスラエルは第三イスラエルに侍り、アダム時代を中心として第四次アダム心情圏時itが定看してこそ、カイン・アベルに分かれていた理想的家庭の血筋が一つになり、一つの父母が一つの子女の権威を持って天上世界にそびえ立ち、永遠に灯台のように輝くことができる祖国光復の土台が決まるのです。そのようになれば終わりです。余談でしたが、原理講論の話に戻ります。2010年第四十三回「真の神の日」記念式典でのみ言。TWJ三月号からの引用、小タイトルは「『原理解説』、『原理講論』、『原理本体論』」となっていた。 ですから、「原理本体論」の前の「原理」が出てくる時代は、天国に行っても一人です。夫婦で行ったからといって絶対に一緒には行けません。分かれなければなりません。相対の数、偶数になるからであうことができるのです。統一教会で初めて霊界の家庭を中心として天国へ入っていける道理が連結されるのです。それは堕落していない血筋の因縁なので、不可避的な結論です。アージュ。(「アージュ」)「独生子」イエス様であっても「楽園止まり」。主人が「独生女」お母様であっても、「原理講論」では夫婦そろっては天国へは行けない!!家庭連合(統一教会)で家庭を中心として「堕落していない血筋の因縁」に連結されることによって可能だと。唯一無二の真の父母によってであって、アダム家庭でのアベル・カインのように血統を違えたままのH3やH4につながった見たところで決して天国へは行けない。お父様が任された原理本体論講師もどこで間違ったのか、サンクへ……。「原理本体論」に汚点を残すこととなった。今後「真の父母論」がどのように展開されるかは分からないが、「独生子」だけ、あるいは、「独生女」だけでもダメだということだ。「真の父母」でなければ!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.15
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サンクのアベルカインの勝利とはどういうものなのか?前回「サンクのデマ広報宣伝マン「シムソン(恣意存)氏」」に続きサンクの円四郎氏の資料からも同様のことが挙げられている。2012年6月5日 ラスベガス天和宮「亨進様、国進様のアベル、カイン一体化勝利、四次元入籍宣布式」お父様の仕事は完成、完結、完了と言われた。2012年6月5日の訓読会はPeaceTVホームページからも映像で確認することが出来るものであり、私の過去記事でも「嘘つきサンク」として紹介していた。森一郎さんのブログ記事から--一つの間違いから別の間違いを!!『韓鶴子の不従順』を裏付けるみ言は存在しない(2019.03.20)ほかさて、円四郎氏の「韓鶴子無原罪の嘘と家庭連合による反キリスト犯罪行為の繁殖 10」からは家庭連合が父母様が一体化しているとのみ言資料を多く掲載していた。ところが最後の「アベル女性UN 創設大会」(2012年7月16日)一つをもってその全てを否定される手法はあまりにも強引なものとしか言いようがない。「真の父母様」宣布文サイトからは「サンクチュアリ教会側の「アベル女性UN創設大会」に関するお母様批判への応答」からはその間違いの指摘をしていた。韓国語で「勝利された真のお母様」と一般名詞の「母(オモニ)」とを分けて語られたものであったし、壇上におられるお母様に向かって発せられたアドリブではなく、聴衆や一般女性に向けてのものであったとの説明だ。さらには、この講演の中でもお父様の神観「天の父母様」についても語られていたということだ。これらを取ってみても、サンクのデマねつ造を拡散していたに過ぎない。一言付け加えておくが、「アベル女性UN創設大会」がお父様最後のみ言ではない。最後の祈祷を忘れておられるようだ。櫻井正美氏の「ONE TRUHT」からも最後の祈祷は改ざんされていたというものがあったが(櫻井氏曰く「天一国・天聖経は修正された聖典」、「H3は真の家庭に非ず」)。『 きょう、最終的完成・完結を成し遂げて、お父様のみ前にお返しし、今までの一生を、お父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げて、すべての生を終了する時間を迎え、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。あらゆることに対する解放・釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、四次元においても十四次元においても、地獄に行く者を天国に入籍させることができ、四次元の入籍と十四次元の息子・娘たちを中心として氏族的メシヤが国家を代表する名称となって、387の国々(アベル国連圏194ヵ国、カイン国連圏193ヵ国)さえ復帰できれば、すべてが終わることを宣布します 』先ずは、サンクの主張するところのアベルカインの勝利の間違いから正されるべきだと思う。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.11.18
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天地人真の父母御聖誕100周年および天一国基元節7周年記念式日時:天一国8年 天暦1月13日 (2020.2.6) 木曜日 午前8:30場所 : 清心平和ワールドセンター一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.06
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次韓鶴子総裁御言選集 1巻 真の父母様を中心とした一つの世界 第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯 第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略 第3部 伝統の伝承と相続 第4部 世界平和実現の課題 第5部 二世教育と未来の人材の養成 第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル 第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任韓鶴子総裁御言選集 2巻 理想家庭と平和世界のモデル 第1部 真の愛運動と女性の役割 第2部 理想家庭と平和世界のモデル韓鶴子総裁御言選集 3巻 天一国と私たちの使命 第1部 平和世界に向かう道 第2部 神様と人類の希望 真の父母 第3部 天一国安着のための私たちの使命韓鶴子総裁御言選集 4巻 愛しき君よ 花咲かせたまえ 第1部 真のお母様はいかなるお方か 第2部 聖婚と天の新婦の道 第3部 荒野路程と真のお母様の勝利 第4部 女性時代の開幕と世界巡回 第5部 真の父母宣布と清平摂理 第6部 最終一体宣言と天一国時代 第7部 真のお父様の手紙 人類の涙をぬぐう平和の母 自叙伝 [ 韓鶴子 ]韓鶴子総裁御言選集4巻 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁第6部 最終一体宣言と天一国時代真のお母様の生涯 概観6最終一体宣言と天一国時代真の父母様は一生涯、神様の恨の解放と人類の救いのための大長征を歩まれた。真のお父様は「神様王権即位式」宣布の後、「天宙平和統一国(天一国)」創建のために総力を注がれ、真のお父様の聖和後は、真のお母様を中心に天一国基元節宣布と天一国安着摂理が進んでいる。創造本然のエデンの園を復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代が到来したのである。真の父母様は復帰摂理を完成・完結・完了なさり、この地に来られたすべての責任と使命を完成したことを宣布された。それは、御夫妻が神様を中心として最終一体を成し、神様と一心・一体・一念・一和・一核を成されたがゆえに可能だった。最終一体を成し遂げられた真の父母様新千年の2000年代に入るとともに、摂理は更に急迫に展開した。2001年1月13日の「神様王権即位式」をはじめとして、実体的な神様の国である天一国創建基盤造成のための各種行事が開催された。真の父母様は1980年代後半から1990年代初めまで、メシヤ・救世主・再臨主・真の父母として摂理的長子権・父母権を復帰し、勝利圏を満天下に宣布された基台の上で、2001年1月13日、「神様王権即位式」を挙行なさることによって、神様が全体・全般・全権・全能の主権を行使できる新時代を開門された。2003年2月6日には、天宙清平修錬苑で執り行われた「天地父母天一国開門祝福聖婚式」を通して、天一国の民として入籍できる道を開かれた。そして、アメリカと韓国の国会で、政治・宗教指導者たちから平和の王に推戴された。真の父母様は、このような特別儀式を通じて人類歴史に大転換期をもたらされた後、2004年5月5日に、麗水の清海ガーデンで「雙合十勝日」を宣布し、以前の時代は「先天時代」であり、以後の時代は「後天時代」であると宣言された。そして、2010年7月8日、天正宮博物館で「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」を開催された後に、数回にわたり大会を主管なさりながら、最終一体を成して復帰摂理を完成・完結・完了し、この地に来られたすベての責任と使命を完成したことを宣布された。これは、神様が真の父母の体を使って来られ、地上でみ言を語られて治める時代が開幕したことを意味する。真の父母様は、2010年天暦5月8日(陽6.19)午前2時20分と5月15日(陽6.26)午前3時25分、アメリカのラスベガスで、神様と縦的に一心・一体・一念・一和・一核を成し、御夫妻が横的に最終一体を成した基台の上に、旧約・新約・成約時代の完成・完結・完了と全体・全般・全権・全能の時代を宣布された。また、2011年天暦11月17日(陽12.11)には、天正宮博物館で、「天地のすベての存在が焦点を合わせ、創造主の神様が創造本然の基準を探し立てた中で、すべての摂理の完成・完結・完了と最終勝利を宣言する」と語られ、「すベてを成し遂げた!」と発表された。巨文島海洋天正宮では、天暦11月17日、18日に「天一国最大勝利記念日」という宣布文を書かれ、「神様と真の父母様一体完了!神様が完成・完結・完了!アージュ!侍奉天国となる。祝文鮮明アージュ!」と宣布された。天一国基元節宣布真のお父様は「天暦時代」を発表された2010年から、御聖体に過酷とも言えるほどの多大な無理をかける路程を歩まれた。世界巡回をして講演を十数回もなさり、毎日訓読会を通じて急激に変動する摂理を食口たちに一つ一つ教育された。そのような中で、世界の復帰のための国連に関する摂理を終えようとなさるかのように、2012年天暦5月27日(陽7.16)、「アベル女性国連」を生涯最後の団体として創設なさった。真のお父様は、天暦6月に入り、聖和に備えていらっしゃるかのようであった。故郷を訪れるかのように突然、ソウルの五山中高等学校を訪問なさったり、真のお母様と食卓を共にしては、長らく両目を見つめて「ありがとう」と言われたりもした。また、天正宮博物館と清平一帯を心に刻むかのようにゆっくりと見て回られた。そして、真のお父様は、天暦6月25日(陽8.12)、天正宮博物館で「天よ、祝福してください。終わりを結ぶように許諾してくださることをお願い申しあげます」とお祈りされ、翌日に「復帰摂理の使命をすべて成し遂げた!」という最後の祈祷を真のお母様と共に捧げられた。そして、天暦7月17日(陽9.3)午前1時54分、93年の星霜の摂理を勝利で締めくって聖和された。真のお母様は、真のお父様の聖和式の3日後である9月17日に、清心平和ワールドセンターで執り行われた三日礼拝兼世界指導者特別集会で「中断なき前進」を促され、伝統の相続と伝承、祝福家庭の理想の完成、氏族メシヤの使命の完遂、和合と統一の心情共同体の実現など、私たち共同体が進むべき方向を提示された。2013年2月22日(天暦1月I3日)、清心平和ワールドセンターで開かれた「天地人真の父母天一国即位式」で天一国基元節が宣布された。天一国とは、神様を中心とした人類一家族理想が実現した地上・天上天国のことで、基元節は、実体的天一国の出発であり、起源(基元)となる日であり、6000年にして迎える天宙史的な慶事の日である。真の父母様は、天一国を立てるために、父母の心情をもち、僕の体を使い、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流されながら天路歴程を歩まれた。真のお母様は霊界の真のお父様と共に天地人真の父母としての一体圏摂理時代を経綸なさり、新たに天一国時代を出発されたのである。それとともに真のお父様の遺業を継承され、天一国の定着を越えた安着のために、昼夜なく数多くの事業を展開しておられる。真のお母様は、真のお父様と一心・一体・一念・一和・一核となった立場で、天一国三大経典編纂と天一国憲法制定、「孝情世界平和財団」創設、天一国聖物伝授などの内的な整備はもちろん、「鮮鶴平和賞」制定、「世界平和国会議員連合」と「世界平和青年学生連合」創設などの外的な活動を通して、「ビジョン2020」勝利のために数多くの業績を残された。真の父母様御夫妻は、無形の神様の二性性相を有形の実体として完成なさった真なる人間の原形であり、真の父母様がその生涯と業跡によって立てられた伝統と教えは、人類が模範として学ぶべき典型である。そして絶対唯一、空前絶後の真の父母様は、永遠に人類歴史の中で神様の愛と真理の光を照らす根源であられることを示してくださった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.07.28
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ワシントンモニュメント大会1976年9月18日、米国ワシントンモニュメント広場1976年9月18日、真の父母様はワシントンモニュメント広場で米国建国200周年記念大講演会を開催されたこの日の広場には統一教会に反対する米国政府と宗教、言論界など総攻撃の中でも30万人が殺到したこれは米国の宗教集会では最大の人員である真のお父様は「神のみ旨とアメリカ」をテーマに神様の新しい啓示を伝えて、退廃的なアメリカ青年を求め、将来の指導者になる若者を導くためにアメリカに来られたことを明らかにされた「天一国経典・平和経」から:平和経 - 第九篇 国境線撤廃と世界平和 - 4. 神様のみ旨とアメリカ4.神様のみ旨とアメリカ日付:一九七六年九月十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントンモニュメント広場行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。神様のみ旨を実現できなかった中心的国々私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すベての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッドキングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。摂理的責任を負うべきアメリカみ旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンドムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすベての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
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[家庭連合]旧統一教会信徒たちの苦悩と解決策ハイヌーンとは? Luke Higuchi - YouTubeチャンネル登録者数 1.05万人一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.10.01
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京畿毎日(2019.06.24)http://www.kgmaeil.net/news/articleView.html?idxno=214985世界平和統一家庭連合、アメリカラスベガスPeace Starts with Me」超宗教超教派1万人の希望の前進大会ソンリョ-文鮮明・韓鶴子総裁の「ビジョン2020」希望メッセージ世界電解- ACLC米国総会でのキリスト教12宗派1,000人超宗教指導者参加- 58人銃撃惨事現場で平和メッセージ電解現地の関心高く韓鶴子総裁は「神のためによくない無知な人間の利己的な考えと行動のために、美しい地球がよく保存されず、気候変動と天災地変、公害などでは想像できない多くの病気の問題が山積してきた」と診断し「この問題を解決するためには、祝福された神の子たちが現世の問題と難関を解決し、本来創造主の神が創造されたの創造理想世界を作っていく努力をするべきであり、キリスト教の代表国である民主主義米国市民の皆さんが率先して欲しい」と「 政治家、資産家など誰でも創造主天の父母様を祀る運動をしていくことで人間も地球も治癒が可能である」との基調講演をし、参加者たちの大きい呼応を得た。 サムエルハデべ預言者の開会の祈り世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)は、6月22日午後2時(現地時間)に米国ラスベガスのMGMグランドホテルで韓鶴子総裁をはじめ、米国の大型教会ノエル・ジョーンズ司教(Noel Jones、シティ・オブ・レフュージ教会)、ロールオンローズ(Luonne Rouse)米国聖職者議会(ACLC)共同会長兼連合メソジスト牧師、南アフリカのサミュエルハデベ神の啓示の教会の預言者など、米国のキリスト教教会の牧師と信者1万人余りが集まった中、平和は私から始まる(Peace Starts with Me)」というテーマで、超宗教超教派的な希望の前進大会(Unity Festival)を開催したと明らかにした。特に今回の行事には、人種、文化、宗教、教義の違いを超えて、平和のための一つ(Unity)になるという趣旨に米国市民が参加した。超宗教超教派合唱団公演ノエル・ジョーンズ・シティ・オブ・レフュージ教会司教は、韓鶴子総裁を紹介しながら、「神は人間に互いに愛し合うよう、まして物質を愛するようにしていなかった。物質やお金を 愛して神を愛することができなくなる。神を信じている人々がお金を愛し始めと真実は聞いて嘘を伝えるようにになる」とし、「韓鶴子総裁は、私たちに対価を望まず、ただ与えようとする。韓鶴子総裁は、神のみ祀る方であり、人類を祝福してくれる方」としながら、「神を愛しているなら、神に似なければならない。真の母韓鶴子総裁を舞台に迎えよう」と紹介し韓総裁を壇上に奉った。韓鶴子総裁基調講演今回のラスベガス希望前進大会で韓鶴子総裁は、世界的な影響力を持つ大国アメリカが個人主義、利己主義、家庭破綻、青少年問題、薬物問題、気候環境問題など内外的に病んでいくことについて、神を祀る家庭と社会になって分裂と葛藤を越えて真の平和を定着していく案を提示した。特に2年前にラスベガスマンデルレイベイホテル前のコンサートで58人が犠牲にされた史上最悪の銃撃惨事があった所だから平和への関心が現地でより高かった。韓鶴子総裁を紹介するノエル・ジョーンズ・シティ・オブ・レフュージ教会司教南アフリカから来たサミュエルハデべ神の啓示の教会の預言者は、開会の祈りで、「すべてに愛と平和が一緒にすることを望んで、真の和合と統一、神の下の人類一家族の理想が叶うよう望む」とし、「平和の象徴であり、人類の和合のために苦労している韓鶴子総裁が神の言葉をいただくことになるので和合して復活して再生して魂のの目を開いし、社会と国家、隣人と世界を変えることができる、新しい人としてください」と今回のイベント開会を知らせる祝福の祈りを伝えた。ギムギフン家庭連合、世界副会長兼米国総会長は歓迎の辞で「文鮮明・韓鶴子総裁は、米国の天文学的な規模の予算を投入し、米国が世界平和のための特別な使命をしなければならないと強調した」とし、「神の下の人類一家族のビジョンを中心に平和は私から始まるという気持ちで奉仕し祝福結婚を通して家庭、氏族、民族、国家、世界に祝福を共有することを望む」と祝福家庭の重要性を強調した。青少年CARP文化公演この日の行事は、式典公演、サムエルハデべ預言者の開会の祈り、グラミー賞受賞者であるゴスペル歌手ジェイソンカニ(Jason Crabb)と500人超宗教超教派の聖歌隊公演、青少年CARP文化公演、ギムギフン家庭連合、世界副会長兼米国総会長の歓迎の辞、ジョアンロザリオ(Joann Rosario)ゴスペル歌手公演、祝福結婚式、キムバレル(Kim Burrell)ゴスペル歌手公演、映像視聴、ターシャページロックハート(Tasha Page Lockhart)ゴスペル歌手公演、ノエル・ジョーンズ司教の韓鶴子総裁の紹介、韓鶴子総裁基調講演、グラミー賞受賞者であるゴスペル歌手ヘッズクワイウォーカー(Hezekiah Walker)公演、ロールオンローズ(Luonne Rouse)連合メソジスト牧師の代表祈り順に進行された。今回祝福結婚式は、米国の大臣議会(ACLC)共同会長であるロールオンローズ(Luonne Rouse)連合メソジスト牧師が韓鶴子総裁に代わって媒酌を引き受けた。ギムギフン家庭連合、世界副会長兼米国総会長は歓迎の辞で「文鮮明・韓鶴子総裁は、米国の天文学的な規模の予算を投入し、米国が世界平和のための特別な使命をしなければならないと強調した」とし、「神の下の人類一家族のビジョンを中心に平和は私から始まるという気持ちで奉仕し祝福結婚を通して家庭、氏族、民族、国家、世界に祝福を共有することを望む」と祝福家庭の重要性を強調した。ギムギフン世界平和統一家庭連合、世界副会長兼米国総会長の歓迎の辞希望の前進大会に先立ち、米国聖職者議会(American Clergy Leadership Conference、以下ACLC)は6月21日から22日までACLC米国総会をラスベガストロピカーナホテルで韓鶴子総裁とキリスト教の12宗派で1,000人のクリスチャンの牧師と信者とイスラム教、ヒンズー教、仏教の代表などが参加した中で開催した。聖職者たちが宗教を超え、市民の結婚と家庭の価値、地域社会の発展に対して深く議論して発表した。ACLCは超宗教超教派的な聖職者連合である。結婚と家庭の関係性を強化し、地域社会の発展と米国が自由と信仰、和合と発展を遂げることができるようボンファトブル役割をしようと、全米で活発に活動を展開している。ACLC聖職者たちは、「神の下の人類一家族」という創設者文鮮明・韓鶴子総裁に与えられた平和のビジョンを達成しようと、2000年5月に120人の司祭たちが中心に創立された。韓鶴子総裁は、最近では2017年7月に米国市民2万人が集まった中、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの特別な平和集会を、2018年11月には、ニューヨークナッソーメモリアルコロシアムで、「平和は私から始まる:米国のいやし」というテーマで2万人余りが参加した平和大会を開催した。家庭連合は、文鮮明総裁生誕100周年になる2020年までの第2の跳躍を宣言し、「中断のない前進」を力説してきており、「ビジョン2020」というモットーの下、平和、世界の実現と人類の福祉のために献身してきた文鮮明・韓鶴子総裁の平和運動の足跡と業績を照明して、清い真の家庭運動を通じて平和世界を創建するための希望のメッセージを全世界に伝えている。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.24
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2024.05.17
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