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99% / 最後まであきらめない2024/11/25日本政府は間違いを引くに引けない、家庭連合を潰そうとする反対活動家とマスコミによって、民主主義国家としては危機的状況です。私たちは真実の姿を示し続けます!旧統一教会の信徒たちが拉致監禁を受け強制棄教させられていた事実を世の中の人に知ってもらいたい。世界平和統一家庭連合は ために生きる、ただそれだけですよ。それを、反対牧師や全国霊感弁護士会の方々が結託して拉致監禁を家族にさせる、という卑劣な手段で彼らは姿を隠してきました。そのような事実の動画はどんどん拡散されています。以下のHPとチャンネルをぜひみなさんに見てもらいたい。★全国拉致監禁・強制改宗被害者の会公式サイト★kidnapping.jp• 拉致監禁被害者インタビュー / 後藤徹(12年5ヶ月監禁被害者)❎ 福田ま... ーーーーーーーーーーーーーーーーだからこそ、不当な判決や判断にははっきりと示さないといけない!そのために動き出さなければいけません。99%===歌詞===暗闇の中で光を探して絶望の淵で立ち上がる1パーセントの希望に賭けて君がみた夢のつづき顔を上げて前だけを見て あの流星の先へ「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて勝利を掴むまで君は負けない!絶対に天の父母様がついているから信じてほしいわたしは君のために祈っているよninety-nine% chance, they say it’s a no-goWhispers of the devil, trying to steal the showBut I stand tall, with my faith unshakenIn the darkest hour, my spirit’s awaken[翻訳]99%の確率で、それはダメだと言われる決意の時を盗もうとする悪魔のささやきでも私は揺るぎない信念を持って堂々と立っています最も暗い時に、私の魂は目覚める涙をふいて前を向いて仲間と共に進む道失敗しても立ち上がる握りしめた「み言」顔を上げてその度に強くなる 守りたい人がいるから「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて笑顔でいてほしい君は負けない!絶対に真の父母様がエールを送ってる君の笑顔が最強世界は君を待っていたんだWhen I hold my ground, and fight the doubtA guiding light, from above, no doubtThrough the storm, I find my wayWith a heart of steel, I seize the day[翻訳]私が自分の立場を堅持し、疑いと戦うとき天からの導きの光、きっと嵐の中、私は自分の道を見つける鋼の心でその日を掴む夜明け前が一番暗いでもその先に光がある信じる心が道を開く目を開けたら ほら 天の父母様の光未来は自分の手の中に最後の一歩を踏み出して夢に手が届く瞬間全ての努力が報われる真実を今描こう[Pre-Chorus]踏み出せ一歩勝利の声が響く始まりの鐘が鳴る「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて勝利を掴むまで君は負けない!絶対に天の父母様がついているから信じてほしいわたしは君のために祈っているよ「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越える君は負けない!絶対に天心苑の叫び声が奇跡を起こす大丈夫君は強いから「勝利の秘訣は勝つまでやること」1パーセントの奇跡は99%の勝利に変わる!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.26
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信教の自由を考える石川フォーラム拝啓岸田文雄首相 家庭連合に、解散請求の要件なし / 中山達樹 【本】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.24
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信教の自由を考える石川フォーラム一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.23
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたもので、そちらでの確認も出来ます。1985年8月16日、20日のお父様のダンベリー解放を前にしての儀式の時に語られたもので、全世界の食口たちが教会に集まってされたもので、私も教会で「生水」を飲んだ儀式の記憶があります。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。一勝日におけるみ言葉1985年8月16日イースト・ガーデン 以下のみ言葉は、一勝日の重要な儀式が行なわれた際、文孝進様を中心とした子女様、韓国の先輩家庭、及び世界の代表的教会指導者たちの前で語られた内容です。 父母復帰のための条件 きょうは八月十六日、この日は韓国が解放されてから四十年を越え、四十一年目を迎える日です。復帰摂理から見るならば、先生が四十年の間に四千年歴史を蕩減したことになります。 この、ヤコブからイエスまでの時代と、イエス様から今までの時代を合わせた四千年歴史を再蕩減するために、今まで父母様が苦労して来たということを知らなければなりません。この四十年間というのは、第二次大戦直後から今日までの期間を言います。当時、韓国において、キリスト教会が統一教会を受け入れて一つになっていたなら、世界はその時から一つになっていったはずです。 いつも問題となるのが、カイン・アベルの問題なのですが、カインが兄さんとして先に生まれたにもかかわらず、この兄さんがサタン側に立ったため、弟であるアベルが神側に立って、歴史路程を通して転換するための闘いをして来ました。アベルがカインを復帰しなくては、父母を迎えることができない、父母が地上に現れることができないというのです。それで、アベルがカインを復帰するためには、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと八段階の過程を経ながら蕩減していかなければなりません。 このような摂理の目的を成すために、キリスト教が霊的ではあるが、アベル的な立場で血を流しながら、生命を捧げる犠牲の道を歩むことにより、その代価として、カインの立場であるサタン世界を屈服させてきました。 このようなサタン屈服の最高の頂点がいつの時であったのかというと、第二次大戦の時なのです。第二次大戦の直後を中心として、アベル圏としてのキリスト教が、カイン世界のすべてを、アベル圏の世界として皆掌握することのできる時であったというのです。それは、キリスト教文化圏が始めて全世界を主管することのできる特権を与えられた天賦の時だったのです。それを機会にアメリカが中心となって、一つのキリスト教文化圏の世界を作るべきであったのですが、惜しくもアメリカとキリスト教は天の御旨を知らなかったのです。どのようにすれば、この世界を一つに収拾し、神が願う天国に転換して、越えて行くことができるかをキリスト教自体が知らなかったというのであります。 それは、天の御旨の中で送られる再臨主のみがご存知だったのです。アメリカとキリスト教自体がカイン・アベルの関係にあり、このキリスト教とアメリカが完全に一つになることによって、父母様が復帰できるようになっているのです。原理のみ言葉からしても、アベルを通してカインが復帰された後に、アダム・エバが復帰されるのであって、アダム・エバが先に復帰されることはありえないというのです。 だから、あくまでも天の摂理は、父母の位置に立つアダム・エバが現れる以前に、逆になってしまったカイン・アベルの順序を復帰しなくてはなりません。そうでないと、いつまでもサタン側に長子が残っているということになります。本来、神の創造理想から見るならば、長子は天の側に立っており、もちろん次子も又天の側に立っていなくてはなりませんが、堕落の結果、長子圏がサタン側になり、次子圏が神側になってしまったのです。 長子権復帰基盤の形成 カインとアベルの立場を本来の立場に復帰するため、神はヤコブとエサウを通して役事されたことが聖書に記されています。エサウとヤコブの問題を中心にして見るとき、ヤコブはお母さんの協助を受けてから、お母さんと一つになって、パンとレンズ豆のあつものを与え、長子の嗣業を買い取ることで、長子権を奪う役事をしたのです。聖書の歴史の中に、どうしてこのような話が記されているのか、今まで誰も知らなかったというのです。 それで、統一教会が現れることによって、原理観によってこれが明確になったというのです。即ち、父母を迎えるためには、次子の長子権復帰が必要であることを聖書は教えています。そして、今日に至っては、全世界的基準で復帰しなければ、父母様が父母様として登場することができないというのです。なぜかというと、堕落した父母はカインとアベルを生みました。サタン側の長子を生んだのであり、また、堕落したサタンの圏内にいるアベルを生んだからです。 堕落圏を越えることによって、長子を天の側の長子として立たせ、次子も天の側の次子圏を成すことによって、堕落しない本然の世界に立つことができたとすれば、本来のアダムの創造理想になるのです。神が絶対的な存在である限り、その理想も絶対的に残されているために、これを再び蕩減復帰して、これを探し求めるための歴史過程を経てから、いつの日かこれを越えなくてはならないのです。 それでは、全世界的に見る時に、先生自身の立場はどうなるかと言うと、この全世界がカイン圏におり、先生はアベル圏にいます。また、キリスト教を中心にして見るならば、キリスト教がカイン圏にあり、統一教会がアベル圏にいるというのです。アベル圏である統一教会に対してキリスト教は先に生まれたのですね。統一教会が、先に生まれたキリスト教から長子権を引き継がずしては、この世界的な父母を迎えることができないのであり、世界的なアベルを歓迎することができないというのです。 それでは、来たるべき再臨主と人類全体を見る場合、すべての人類は先に生まれたというのです。いわば、サタン側に立っているのですが、来たるべき主様は天の側に立ち、アベル的立場で現れてから、これを再び元に戻さなくてはならないのです。 アメリカとキリスト教が、カイン・アベルの基準において完全に一つになり、キリスト教を中心としてアメリカを動かすことがてきる立場に立てれば、この自由世界圏を中心として長子権復帰基盤が形成されるというのです。そしてまた、次子の立場であるキリスト教を中心として、長子であるアメリカという国家が従順に屈服することにより、初めて次子圏にあるキリスト教が世界的民主世界圏を屈服させたことになり、長子圏の位置に上って行くというのです。 このようになってこそ、世界的父母様を迎えるのですが、本来の堕落しない立場では、誰が先に迎えなくてはならないかと言うと、長子であるカインが先に迎えなくてはならないのです。堕落していない長子が先に父母様を迎え、次子たちが続いて迎えなくてはならないというのが原理観なのです。 長子圏蕩減のための闘い しかし、この第二次大戦直後に、キリスト教と統一教会が一つになれないことによって、世界的教団基盤において一つになることができなかったために、世界的教団がサタン側に立つようになりました。このことによって、アベル圏である統一教会に対して、カイン圏キリスト教が完全にサタン側に回ってしまったことになります。 本来、これらはすべて来たるべき主様を中心に準備しておかれたものでした。それ故、統一教会だけを迎え入れ、一つになったならば、その時にカイン・アベル圏を中心にして、アメリカは自然に吸収されていたのです。これが完全に一つになったならば、天の側の長子と次子の原理的基準に立脚した場において、初めて世界的基準で父母様を迎え、一つの世界を創建するための出発がなくてはならないというのが原理観なのです。 しかし、キリスト教が統一教会に反対したため、キリスト教文化圏を中心とするすべての国と、アメリカに属するすべての国までが、統一教会に反対するようになりました。そこには数多くの宗教、数多くの人類が全部加担して、今日まで統一教会を中心にして先生に反対して来たというのです。 この反対される中で何をしたかと言うと、長子圏を蕩減してきたのです。それには、四千年歴史を二十年間で蕩減しなくてはならない内容がありました。予定としては、一九六〇年から一九八一年までが決められた期間でしたが、これを四年間短縮して、一九七六年までに蕩減条件を立てて来たというのです。そして、今はその延長線上にあります。 当時、アメリカを中心として日韓が一つになったならば、復帰されたカイン・アベル圏を中心にした世界的基盤を築くはずでした。しかし、ニクソンの失脚に伴い、これらが一つになれず、指導者たちは非運の道を歩むことになりました。 これを再び蕩減復帰するための、一九七二年から十二年間にわたるアメリカでの闘争過程において、長子圏としての使命を果たさなくてはならない教界とアメリカに反対され、先生は今まで追われ追われて監獄にまで行くようになったのです。それが今継続しているのです。 今、八月二十日まで四日を残して、四十年目の解放の記念式を執り行い、四日後に先生が解放されるということは意義があるのです。四十四数。これはサタン数の完全数です。そのような数を中心にして、蕩減復帰の道を今なお歩んでいるというのです。 本然のカイン・アベル観 今、我々統一家を中心としてみるときに、統一家のアベルが誰かというと、先生の息子なのです。統一教会自体から見るならば、祝福を受けた家庭、または祝福を受けた人が、祝福を受けていない統一教会の会員たちの前ではアベルです。それで順理的に一つになるようになっているのです。同じ原理を学び、同じ父母に侍ることができるという事実が驚くべきことなのです。もし、父母がいないとしたら争いが起きます。しかし、今、祝福を受けた子女たちが、あの祝福を受けた人々がアベルの位置にいるのに、カイン側に立った統一教会員たちは反対しないのです。順応するというのです。それが違うというのです。 では、統一教会と先生の家庭とを見るときには誰がアベルですか? それは先生の息子、直系の子女が統一教会の祝福を受けた家庭の前にアベルの位置にいるのです。 このような観点から、統一教会では祝福を受けていない信者たちは、祝福を受けた人たちに対し無条件に順応し、付いて行かなければならないのであり、そこには異議を唱える余地がありません。そうでなければ、エデンの園の堕落した蕩減内容の基準が順理的に解決されないというのです。それと同じく、統一教会員であれば、祝福家庭であるなしに拘らず、父母様を中心にした直系の子女の前には従わなければならないというのです。 それはなぜかと言うと、カイン・アベル問題をここで清算しなくてはならないからです。そのため、先生は監獄に入る前に、この孝進君に一つの仕事を命じました。問題は何かというと、今、統一教会の先生の家庭を中心として見ると、誰が神の御旨をすべて成し遂げるかということです。先生の年齢ははや六十五歳なのです。これから先、先生一代で、ある伝統的基準は立てることはできますが、全世界を完全に復帰するのは難しいのです。そのために、二世、三世まで連結させてから解放しなければならないという、このような歴史的摂理観が残っているのです。 神、アダム・エバ、カインは三代です。三代を中心にして四位基台が繰り広げられるのです。三段階、これを展開させると四位基台になります。三段階には祖父、父、子女がいます。だから、一家にいつも三代が一緒に住むのが原則なのです。これが家庭基盤の基台になるというのです。このように、統一家を中心としてみるときに、先生を父母様として侍るとするならば、今度は先生の息子がアベルの位置ですが、ここから長子の位置に回ると長子圏が始まるのです。真の父母様を中心とした位置で長子圏が生まれるのであって、父母様がいなくては、長子圏が設定できません。今まではアベル圏であったものを延期させてカイン圏を復帰し、メシヤを迎えることのできる歴史的所望の道を歩んできたのです。 しかし、今、再臨理想を成した父母様が現れることによって蕩減復帰を成したために、今度は天の側の父母様の息子・娘たちが、長子・次子復帰基準を備えなければならないというのです。 地上天国実現出発の基準 ところが、この世界がアダムの息子として生まれた外的世界であるために、これを横的にどのように連結するかが問題になります。先生の家庭の息子たちをカイン圏として、兄さんとして見るならば、この世で未だ復帰されていない人たちはアベル圏として見るのです。アベル圏は唯順応だけすれば良いのです。 過去のように蕩減復帰という名詞があるのでなく、これからは信じて従ってさえ来れば良いのです。長子たちが設定されたので、長子たちの行く道を付いてさえ行くならば、統一教会の祝福を受けた家庭はもちろんのこと、その二世全体がアベル圏として自動的に設定されるのです。その話は何かというと、蕩減復帰が必要ない時代に入って行くということなのです。 ここに、順理的基準が初めて立ったのです。歴史的なカイン・アベルの過程を中心にして、個人蕩減や家庭蕩減や、氏族、民族、国家、世界、天宙史的なすべての蕩減を終えて、その上の位置に立てられた父母様の勝利の基盤を通して、今度は横的な面において、父母様の息子・娘たちが長子圏となり、統一教会の二世たちが次子圏となって、長子圏と次子圏を横的に展開する時代を迎えなくては、地上天国実現出発が不可能だというのです。分かりますか? 原理がそうなっています。 地上天国についてどんなに語ったとしても、長子圏と次子圏が、神を中心に勝利した父母の基準と、その血統的因縁を通して関係を結ばずしては、地上天国顕現が原理観的立場からみて不可能だというのです。それをしっかりと知らなくてはならないのです。 それならば、このようなことをいつ決定するのでしょうか? 今日、統一教会の歴史において、このような決定をいつなしたかということが重要なことです。これを決定せずしては、サタンを根本的に追い払うことができないというのです。それで、先生はこの御旨を進めるため、入監以前に孝進君を立てて、二世たちを一つにする運動を展開させたのです。先生の長男としての立場で責任を持たせたのです。従って、祝福を受けた家庭は一つになって付いて行かなくてはなりません。 そこには反対する異議があり得ないのです。“私のが良い”とか、“アメリカ式が良い”などという意見が出てもならないのです。もっとも、アメリカ式では運動を成功させることができません。いずれにせよ、何式であろうと、父母様が提唱するその式に従うことによって天国の道を行けるのであって、アメリカとか韓国の今までの伝統的な習慣性を通しては、天国への道は成すことができないというのです。 あくまでも、父母様を中心にして一つになった基準の長子圏、次子圏が横的に設定されない限り、天国実現の出発が不可能です。これを確実に知らなければなりません。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 真の父母様を中心としてのアベル・カインが以下でもありましたが。結果はどうでしたか?
2018.05.13
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天一国・天聖経 第12篇 第二章 八定式と「七・一節」宣布 第一節 八定式と「天父主義」宣布8 私たちは、僕の僕から僕、養子、庶子、直系子女、夫婦、父母を経て神様まで、八段階を経ていかなければなりません。これが縦的八段階です。そして、横的に 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様までの八段階を経ていかなければならないのです。これを一つにまとめて定着したと宣布したのが八定式です。これを一九八九年八月三十一日、アラスカで宣布したのです。 ですから、世界の人類に蕩減が必要ない時代に越えていきます。それは、お父様が行く所や統一教会員たちが行く所においては迫害時代が過ぎ去るという ことです。これからは、私たち同士でどんなことをしたとしても、誰も讒訴できません。それで、その基地として定着する式が八定式です。 この八定式を基盤として、一九八九年九月一日、「天父主義」を宣布しました。八定式が終わる時までは長子復帰時代ですが、長子権が天の側に完全に復帰されることによって、サタンが反対できない世界的頂上圏に立つのです。9 神様の世界には、女性がいませんでした。お父様が八定式を宣布しましたが、神様の復帰摂理は、僕の僕から僕、養子、庶子、直系子女、夫婦、父母を経て神様 までの八段階を経ていかなければなりません。これが女性を取り戻してくる論理です。新郎である主がこの地上に生まれ、勝利した女性を取り戻してこなければ なりません。アベルがアダムの代わりに取り戻してくるのです。何千年にも及ぶアダム理想が完成し、新郎のみ旨が成し遂げられるためには、地上で新婦圏が世界統一圏基盤を備えなければならないのです。そのような基盤をもたなければ、勝利した新郎として地上に現れることができません。国家圏で勝利したとして も、世界圏のサタンがしがみついて、たたき潰そうとするというのです。ですから、世界解放圏を越えていくことができる時まで、新郎を準備しながら新婦圏も備えなければなりません。神様が一人のアダムを造ることは簡単ですが、アダムの再創造は、歴史的に見るとき、堕落以降、今まで続いてきたというのです。10 八定式です!神様の摂理で八数が定着できませんでした。八数(8)は、天でも円であり、地でも円です。「世界統一国開天日」を宣布したのち、最初の年であ る一九八九年の八月が重要です。その年の八月の末に天宙的な定着を発表したというのは、重要な内容です。 摂理時代においては、長子権復帰とともに父母権復帰が成し遂げられ、父母権を復帰することによって王権復帰が成し遂げられます。民主主義時代は過ぎていき、愛の世界が訪れます。民主主義で神様と真の父母を買うことができますか。選挙で選ぶことができますか。愛の道は、ただ一つしかありません。そのような発表をするとしても、祈らなければなりません。そうしなければ、八定式が地上にも、天上にも定着できません。統一教会の全食口を代表し、人類全体を代表して、各国家の代表、天上世界のあらゆるものの代表となった立場でお父様が祈って、これを宣布したのです。11 北極星と近い、最も北にあるアラスカのコディアクで八定式を挙行しました。天の国と地上地獄を縦横に塞いでいたあらゆる壁を崩し、人間世界の個人、家庭、 氏族、民族、国家、世界、天宙まで塞いでいる壁をすべて崩して片づけるのです。この壁によって塞がれている限り、サタンが寓居できる地になります。 霊界から地上世界にまで寓居するサタンを見て、「お前は私に世界的に反対した。私はお前よりも人類を愛し、お前よりも人類に正しい神様の天道を教えてあげたが、お前は人類に敗亡の道理を教え、滅亡の道へと引っ張っていった」と告げるのです。サタンは愛の主導権の前に頭を下げます。強盗の一味のような親不孝な子女を、義人の道へと改めさせようとするのが母の愛です。愛だけが罪悪の中にいる悪魔を屈服させることができます。ですから、愛を強調するので す。12 アダムとエバが堕落する前には、すべてのものが彼らの所有であり、神様の所有でした。それで、祝福の前に国と世界を捧げるのが原則ですが、復帰路程では、 そのようにすることができません。そのため、今日、統一教会の祝福は、教会内の祝福です。今後、国と世界の祝福をするようになる時は、本然の基準に転換して、一つの国になるまいとしてもならざるを得ない過程を経ていかなければなりません。 そこから「天父主義」が始まるのです。世界が神様のもとで一つの価値をもち、結婚式をすることによって越えていくのです。それが「天父主義」の内容 です。「六・二五動乱」のゆえに世界が両極時代になりました。しかし、ソウルオリンク大会を中心として、一つになったのです。モスクワオリンピック大会と ロサンゼルスオリンピック大会のときも分かれ、両極になっていたのが、ソウルオリンピック大会を中心として一つになったのです。そのとき、祝賀公演に、リ トル・エンジェルスが参加しました。また、「モスクワに二千台の自動車を寄付するので、もっていきなさい。もっていくときは、韓国から北朝鮮を通っていきなさい」と言いました。このように、物質面と精神面で統一できる内容を提案したのです。 サタン世界の若い人たち、カインの立場の若い人たちと統一教会の若い宣教師たちが、オリンピック大会で一つになりました。それで、韓国に大使館もない国々も、統一教会員たちがその国の旗を掲げて応援しました。一つになって応援したのです。そのような条件的な基盤の上で、一九八九年八月三十一日に八定式を宣布しました。そのような世界的な若者たちの理想的な基盤をつくり、その基盤の上にこのような日を設定したのです。13 八月三十一日は、八定式宣布の記念日です。八定式の宣布日は、八月の最後の日ですが、貴重な日です。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、 世界時代、天宙時代、神様までの八段階と、血統的復帰の基準では、僕の僕の段階から上がっていきます。真の父母が現れることによって、真の父母を中心とし て一つになり、世界に定着し始めるのです。それで、八定式が重要な行事なのです。これをコディアクで宣布したので、コディアクが出発の基準です。 コディアクは、ロシアとアメリカを中心とした境界線です。海にある島です。海から始め、半島を通って陸地に上陸し、初めて世界的な出発をしたので す。僕の僕から、僕、養子、庶子、直系子女、夫婦、父母、神様まで、八段階を中心としてそれが内外に蕩減され、縦横に接触することによって、「天父主義」 が九月一日に宣布されたのです。14 「天父主義」は、神様と真の父母の主義です。ついに、真の愛を中心として天と地が一つになり、この宇宙が家庭から世界に出発する新しい起源の日です。その ような意味になるのです。八定式は、真の父母が縦的なすべての恨の道、横的なすべての恨の道を経ていくことによって宣布されました。 天が縦的にも来ることができず、横的にも来ることができなかったのですが、真の父母によって横的、縦的に連結され、新しい家庭を中心とした、神様が 願う世界に発展できるようになりました。この八定式がなければ、「天父主義」が出てきません。家庭を中心として、世界的な拡大は、祝福家庭を中心として行 うのです。三万双から三十六万双、三百六十万双を中心として、家庭的世界版図ができることによって、真の父母の家庭が進むに当たって縦横を経ることなく、 神様がこの地上に住むことのできる時代圏を迎えたので、天地父母天宙安息圏を宣布しました。 三万双、三十六万双、三百六十万双、蘇生、長成、完成が成就することにより、世界の統一家庭が動くに当たって、障害物なく歓迎を受けられる時代になったので、神様がどこに行っても休むことのできる時代が来たというのです。15 八定式が終わることによって、「天父主義」、父母権の解怨成就が起きました。この時が来ることによって、父母様が父母の位置で、氏族的なメシヤ、イエス様 の位置を解怨成就し、アダム家庭を解怨成就できるので、皆さんの一族を通して、皆さんの父母の失敗の基盤をすべて解消するのです。 あらゆる人の故郷が初めて天の国の故郷の地に転換されるのです。一つの国の形態を中心として、父母様と連結され、父母様に治められる故郷の地とな り、自分の父母が生まれた所が天の国の父母の位置に選定されるのです。ですから、皆さんの故郷が天の国の故郷として認められる時代に入ってくるというのです。これにより、地獄から解放されます。今、地獄にいる人は、みな再臨するのです。そうして、氏族メシヤを中心として三代になってこそ、天のみ前に条件として成立するのです。氏族メシヤを中心として祖父、父、兄です。これが復帰歴史の根源です。神様解放、父母様解放、自己解放をするのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.09.01
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「真の父母と重生」1993年12月20日韓国・済州研修院 神の創造の全体的目的 真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。 神の創造の全体的目的はどこにあったのかというと、万物を創造して、万物の霊長たる主人の人間をつくって、人間と神が愛を中心として一体となることによって、神の完成がなるのです。きのうも話したように、個人完成、夫婦完成、神完成です。女は半分で、男も半分です。旦那さんはなぜ必要かというと、半分なる者が完全な者になるには、女には男がいなければ、完全にはなれません。何を中心として完全かというと、愛を中心としてです。理想とか、幸福とか、善とか、美とか、すべてのものは、愛を除いてしまえばみな、めちゃくちゃになるのです。 愛を中心として善と言うのです。その善の中には、美も含まれているし、必ず愛も含んでいるのです。だから、善いことを言えば美しいのです。かわいいのです。みな愛を中心としていう話です。女の幸福というのは、愛がなければ幸福ではありません。男もそうです。幸福というのは、愛を中心としていうのです。だから、すべての創造物は愛によって始まり、愛の目的のために存在しているのです。その愛をなすには、一人ではできません。相対的存在になっているのです。相対的です。なぜ相対的になっているのかというと、愛のレベルがみな、違うからです。それが公式として作用するのです。 それは、一番低級なもの、中級なもの、それから植物も愛を中心としてみな、おしべ・めしべの相対関係です。それから動物は雄・雌です。なぜ雄・雌になったかというと、それぞれに愛を中心として一つとなるためです。それが標準になっているのです。最低のものからだんだんと一番最高なものまでです。一番最高なものは何かというと、一番最高な神様は見えないのです。その見えないお方の相対となるためです。だから人間というものは、全部が愛を求めているのです。 それで、きのうも話したように、水中時代、地中(空中)時代、それから愛中時代へとだんだんだんだん上がっていくのです。昆虫もみな、三世界を通過するのですから、人間は万物の霊長として、三中世界を通過せざるを得ないのです。だから最後には、愛を中心として復活できるようなすべての準備を、地上生活でしなければならないのです。死ぬということは、地中時代から霊的愛の世界に移行する現象です。さなぎが殻を脱いで、蛾になって空中を飛ぶように、昔の殻を脱がないといけないのです。殻を中心として見ると、ちょうど死ぬのと同じです。殻を破壊させなければなりません。肉身の生活が、ちょうどそれと同じです。肉身の世界を破壊して、見えない神様に似た霊人体となるのです。人間として、さなぎが蛾になると同じようにして、生まれる場面です。だから霊人体は、死ぬ時に肉身から出ていくのです。 それで霊人体があるのは、無限の霊界とつなぐためです。その霊界は、愛を中心としているのです。空気が愛だと思えばいいのです。空気自体が愛の空気です。だから、愛を吸えるような全体的呼吸が必要です。細胞全体で呼吸すればいいのです。細胞全体が愛を中心として呼吸して、神様と同じように永遠に生きるのです。神様が愛を中心として呼吸しているというのです。だから、無形である神の性相・形状と、(すなわち)無形実体の内的性相・形状が愛を中心として一つとなると(神の)形状も性相も人間と同じようになるのです。人間自体も、心身が一体となるには愛がなければなりません。愛を中心に一体となるようになっているのです。神様もそういうふうになっているからです。神様の性相の中にも形状・性相があると原理は教えているのです。すべてが愛を中心として成長し、愛を中心として一つになるのです。愛を中心として一つになって、永遠の世界に飛んでいくのです。 そのためには、神様に似たものでなければならないというのです。だから、人間は神様から生まれてきたというのです。それから、神様とアダム・エバが完成すれば、神様は縦的親、アダム・エバは横的親です。それがなされないというと、人間と神様が一つになる道がないのです。愛の主人は人間ではありません。生命の本体は人間ではありません。血統の本体は人間から始まっているのではなく、神からすべてが始まっているのだから、神とつながる道がなかった場合には、人間と神の関係とか、関係を結んで良いとか悪いとか、神の創造理想、神様のみ旨とはいったい何かと尋ねた場合に、一般の神学者は「それは易しくて難しい言葉です」と言うのですが、易しくて難しいという答えはないのです。易しいのは易しいのであり、難しいのは難しいのであって、易しくて難しいと言うのは暴言です。 統一教会は、はっきりしているのです。み旨の道は創造理想を完成することです。神が創造した理想を完成することです。創造理想完成とはいったい何かというと、万物を対象にした小宇宙になっている万物の霊長である人間自体の完成です。人間自体の完成は個人だけではなく、家庭的完成をいうのです。四位基台の完成です。四位基台は、男、女の完成とともに、神様の完成がなされるのです。これが宇宙の最後の秘密でありました。 神様と人間とは、何ですか? 神様と人間が共に完成する場面、それは結婚して初夜の愛の関係を結ぶことにより、神様も「これだ」、人間も「これだ」と、すべてが完成するのです。そのようにして宇宙を完成させ、宇宙を出発させ、宇宙を引っ張っていく基台が愛なのです。真の愛、宇宙の本然の愛なのです。 だから、あなたたちも子供の時から、愛によって生まれて、父母の愛のもとに保護されて、それから旦那さんと愛を掲げながら、子供をつくっていく愛の連続です。それなのに、世の中が相対的愛の環境的相対基盤が合わないと問題なのです。それは堕落したために肉身が愛と反発し合って、肉身が良心を反対の方向へ引っ張っていくのだから、良心の願いの反対に行くのだから、良心の苦しみが自分から離れることができないのです。だから問題は、肉身を分別して完全に聖別しておけば、良心は良心なりに南北を指し、北極と南極が合った場合には、磁石みたいに、ちゃーんと方向を永遠に指し、永遠にほうっておいても、方向を一定して永遠につなぐのです。 愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。その二つの力が一つに合わないというと、運動ができません。宇宙の運動は、球体以外ではなされません。横的に引っ張っていった場合には、運動できないのです。これでは循環運動が不可能です。運動は中心に引っ張ろうとする遠心力によって、縦横が連結することで、釣り合いの運動がなされるのです。だから神を中心として、人間を中心とした共同的運動をするには、愛が中心になるのです。その愛が相対の場合は、逆に拡大するような力の釣り合いによって運動が始まるのです。分かりましたか? (はい)。 だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。それを知らないのです。旦那さんも旦那さんです。それを知らないでは済まないのです。その由来をはっきり究明して、自分との関係を、肯定的な結論として、公式化された結論を得たとするならば、人間は脱線することができません。みな列車が軌道を走らなければならないのと同じように、万民共々に自分の愛の軌道によって、永遠に自分の世界で、自分の理想の成果が違っていても、個人真理一体の目的に直行するようになっているのです。 愛の基準 このことを語る前に、四大心情圏を語ってあげればよかったですね。分かりますか? (はい)。旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。いかなる者も、自分の完成を願わない者はいないのです。それは最高の完成を願うのだから、何によってそうなるかというと、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それらは、何の関係もありません。女として金があるとか、知識があるとか、その人が何々の課長とか、局長とかいう、そんなものは、愛には関係がないのです。アダムとエバには局長もいなかったのです。アダムとエバは、ただ良心と神様を知ればすべて分かるようになっていたのです。堕落したから分からないのです。先生は普通の人と違って、ずーっと見れば分かるのです。 良心には教育が必要ないと同じように、人間にも教育は必要ないのです。霊界では、博士などは、一週間以内にそれ以上になれます。だから、教育は必要ではないのです。言葉が通じなくても、良心がすぐに通じます。良心で考え、良心で聞くのです。口で言うのは、第二次的です。そうなっているのです。だから、天に近いのです。それから、何千年も昔の先祖であっても、自分の上か下かがすぐに分かるのです。愛の心情圏を地上で成し得たその基準を中心として、向こうに止まっているのだから、自分より高いという場合、何を標準にしてそれを決めるかというと、知識ではないのです。お金ではないのです。権力ではないのです。愛を中心として、その全部が決まるのです。愛の位がどんなに高いかということです。分かりましたか? (はい)。 それが、自分の家庭的完成基準で完成した場合、家庭的基準の所に留まるのです。神様みたいに天宙を愛するには、より大きいものを愛しなさいというのです。個人より家庭を愛し、家庭を愛するには投入しないといけないのです。犠牲にならないといけないのです。愛の道は投入し、投入することによって、相対が大きくなる要求を求めていく道です。相対が大きくなることによって、自分が喜びを感じ、愛の喜びを体恤することができるのです。自分自体内では刺激を受けないのです。 神がなぜ人間を創造したかというと、自体内で一つになったのでは刺激を受けないからです。刺激を受けるために相対をつくったのです。相対をつくったことによって、目も笑うし、鼻も笑うし、口も笑うし、耳も笑うし、肉体も笑うというのです。そうでしょう? だから、愛の相対という立場は、目も疲れないのです。それから、口もそうです。口は一日中しゃべっても、夜通しささやき語っても疲れを知りません。耳は愛の相対者が休まなくても、素晴らしく聞こえるのです。手はそれでみな、つかむために一つになっているというのです。相対によって、そういう全体、五感というものが一遍に、四〇〇億以上の細胞が刺激を受けるのです。だから、興奮するし、興奮して、興奮して、涙が出ます。喜んだ場合には涙が出ます。悲しい時も涙が出ます。これは不思議なことです。だから、天地は最低と最高のものが一つになっていくのです。分かりましたか? (はい)。 きのうも話したように、立派な最高の所に汚いものがついているのです。君たちも本当にうれしい時には、涙が出ますね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。悲しい時も涙、本当にうれしい時も涙です。そして、うれしい時は最高であり、悲しい時は最低です。それは話すこともできません。だから、堕落しなかったら涙を流すようなことはないかというと、あるのです。ナイフで切れば切れるのです。堕落しなければ切れないということはないのです。同じことです。 だから、愛の基準が損なってしまった時には、みんな同じです。人間世界に真の愛が神様の創造したと同じようになったとするならば、これはもう、人間社会では苦労しても、苦労しても、それを面白く思うのです。愛する者と汗を流し、苦労しながら、そういうふうに苦労のあとに夫婦が共に愛する時は、深く骨肉から交わるのです。骨髄からつながるというのです。苦労しないのは、中間の肉だけです。苦労しながら死ぬような中でも、共に愛しながら一つになるというと、骨髄が刺激を感じるのです。そういうことを体験した者は、安らかなことを願わないのです。 統一教会の宣教でいえば、統一教会の宣教に行った場合、そこには誰もいないのです。誰もいないから父母様が、直接教えてくれるのです。あすやるべきことを祈る時に幻の中でみな、教えてくれます。そして、そのとおりになるのです。そのとおりになるから、宣教師の生活はみすぼらしいのです。普通から見ると、誰があんなことをやって生きているのか、不思議なのです。一般の人だったら、もう風呂敷を包んで帰って消えるべきなのに、誰も見ていないし、誰も援助してくれなくても、ただ一人で寂しい生活を続けることが、なぜか分からないのです。 それはなぜかというと、内心においては天と共に生活しているというのです。だから、そういう者たちが故郷に帰っていったらみな、切れてしまうのです。前線ではないからです。切れてしまうと、その暗黒さは話にもならないのです。いくら良いものを食べて、いくら良い所に住んでも、それは幸福ではないのです。いくら人の上の立場に立っても、そこにはスリルがないのです。神がすべてを教えてくれるのです。 それで、宣教に行った場合に、大きな川などには、ワニがいくらでもいるのです。そういう中で、神が霊界と交信して「こっちから何メートル、何分以内に渡らなければやられる。あなたの水泳は平時はこうだから、一・五倍のスピードで」と教えてもらって渡るのです。ビザの問題で、どこかに出向して帰って来れなくなるという場合にもみな、コーチしているのです。聖書の内容の教えなど何でもないことです。神様が直接、教えてくれるのです。分かりましたか? (はい)。そういう生活をすると、環境が難しいということはないのです。自分の一身の霊的世界をつなげば大きくなっていくのです。 だから、苦労するのが悪いのではないのです。苦労の生活をして、宇宙や世界に徹するような相対的な心を持ち続けると、神様と直接に通じるのです。深い根を持つ幹は土に埋もれているのです。そういう深い根とつながって埋もれるような立場になっても、それは不幸ではないというのです。安全な土をかぶっていた場合には、外的な被害に遭っても倒れないのです。分かりますか? だから、幹から見た場合に根っこは真っ暗で大変です。 根っこの生活と幹の生活、それから枝の生活、葉っぱの生活は違うのです。葉っぱは、「幹の生活は何でああいうふうに黒くなって、動きもじーっとしていて、これはもう大変だ」と思い、自分自体は動いて、こういうふうに日ごとに大きくなるから素晴らしいと思うのですが、そうはいきません。それが最後になった場合には、枝がいいか、葉っぱがいいか? 枝がいいことが分からないので、そう言うのです。その小さい小枝がいいか、幹がいいかということは、その幹になってみないと、枝になってみないと分からないのです。 愛の完成のために投入して忘れる 愛を中心にして、不幸なことはないのです。愛は苦労も消化します。死ぬことも消化します。愛する者のためには生命を消されても、それは悲しくないというのです。それ以上の忍耐の力があるというのです。だから、愛を得ることはすべての完成の内容を持っているから、お金もいらないし、知識もいらないし、愛を求めていくのです。結婚する時は、その愛と一つになるように、内外共に総和して一つとなるようになるから問題はないのです。動物は既に、自分の問題は解決しているのです。 南洋から帰ってくるつばめを見た場合に、つばめは食べ物の袋を抱えて帰ってきますか、どうですか? たった二羽で鳴きながら来るのです。何千マイルを渡り鳥として、そのように行動するのです。渡り鳥は何かというと、愛を中心として最も素晴らしい後孫を残したいというのです。鮭なんかもそうです。なぜ海にすんだものが真水に入りますか? 環境が違う両方を通行することによって、完全なものになるのです。男も女も、両方を通過することによって、主体・客体、プラス・マイナスの違う境地を愛で占領することによって完成するのです。環境が違うのが悪いのではありません。必ず塩水の魚は、真水の境界線に来なければならないのです。だから、アラスカは寒流と暖流が交差するのです。それはプラス・マイナスです。そういう所には、必ず産卵のために魚が集まってきます。田舎に行くと、蟹なんかもそうです。 日本の水田にも蟹がたくさんいましたが、今は農薬を使うのでいなくなってしまったのだけれど、蟹もそうです。春になると、ずーっと小さいものが川を上がっていきます。水田で大きくなって、秋になって下がってきてどこに行くかというと、海水と淡水が交わる所に行って塩抜きをしないといけないのです。真水の魚は塩水、海水を味わわないとプラス・マイナスの接触点にならないということです。分かりますか? 鶏にも無精卵というのがあるのです。無精卵というのは、子供にならないものです。男というプラスと和合することによって、生命がその中間に起こるのです。男、女の愛の通い合う中心で生命が始まるのと同じです。相対関係で、水もそういうことをやっているのです。だから、淡水が必要であり、海水が必要なのです。こんなことは、常識的に分からないといけないのです。 愛のためにすべてが始まったとした場合、君たちが女になったことも恨みに思わないのです。「いやー」とうらやましく思うのです。「いやー 愛のために生まれた」と。だから、愛の完成は一人ではできません。愛の完成のために結婚するのです。分かりましたか? 自分の完成のためです。離婚は自分を破壊するのです。一つになったのを裂いてしまうのだから、裂いた紙をいくらくっつけてもつきません。それは破壊物であって、完全なものではありません。離婚した女にとって、「心がすっきりする。結婚する前より幸福だ」と言う女は一人もいません。みな傷ついているのです。それを埋める道はありません。だから離婚した女は、男を再び追おうとするという恐ろしいことになるのです。 自分の旦那さんが前の旦那さんよりも悪かった場合に、殺すこともできないし、自分が死ぬこともできないのです。自分の旦那さんが、前の旦那さんよりもよいという保証はないのです。それは自分のやり方によって、良い悪いは決まるのです。いくら悪い人でも自分が良いことをやれば、良い人になるのです。だから、そういうすべての解決をなすために、神様は投入ということを教えたのです。投入して忘れて、投入して忘れていけば、もっと素晴らしい愛の相対を得るようになっているのです。間違いないのです。 だから、神様が一〇〇を持っていて、一〇〇を投入した場合には、一〇〇の愛の相対しか生まれてきません。無限の相対を願うのだったら、無限に、無限に投入して、忘れて、また投入したいところに、無限に、無限の相対を得ることができるというのが理論的です。投入しても、何回かして止まれば、それ以上にはなりません。だから、それが無限に通じるには、一から三六〇回るのです。三六〇回が終わったら、また一から回るのです。回るのに、同じく回るのではなく、大きくなって、大きく回るのです。分かりましたか? (はい)。そうなれば、何のために生まれたのか、人間はなぜ生まれたのかという質問になるのです。それは愛のために生まれたというのです。 世の中に一番幸福な男と女がいたとすれば、一番標準な男と女がいたとすれば、そのようなモデルケースになるために、生まれてきたという話になるのです。そのモデルケースは何かといった場合、それを知らないのです。それは、今から先生の言うのがモデルケースです。心には、なぜ厄介な体が必要かというと、それは心身がなければ平行であり、統一圏を持たないというと平面が生まれてこないのです。平らな、整地工作をして、そこに家を建てるのです。平らな所に建てるのであって、横になっている所に建物を建てることはできません。だから、人間自体も平地が必要です。そこで一つにならなければなりません。 主体がこうなって、女はこういうふうにつくのです。(先生がしぐさされる)それで球体を願うのです。だから男の性格は上がろうという性格であり、女の性格は地につこうという性格です。それで、女は尻が大きいのです。女は座っても、クッションがあって、石に座っても痛くないのです。クッションがいいのです。男はずーっと座っていると、肩が重くて大変です。尻があまり大きくないから痛いのです。「男はこういう活動をして、力もこうやれ」と言うのです。だから、男は上向きです。男には「胸を張れー」と言うのであって、女は「胸を張れー」ではなく「尻を張れー」です。(笑い)尻が張れば近くなるのです。(先生がしぐさをされる)(笑い)反対に、男はこうやって、女はこうやって回るのです。分かりましたか? (はい)。そういう別個体の行動が、別個の方向に行くのではなく、結局は回って一つになるのです。 だから、それは「神秘」と言えるし、「不思議」と言えるのです。愛は分からなくて、こんなものだと方々回って、相手が分からなくても夫婦生活をしてみれば、これは離れては生きられないというのです。だから、男が必要です。女の前に絶対真理は何かというと、女自体が絶対真理にはなりません。愛を除いたら真理ではないのです。だから、もっと刺激的相対的な真理というものは、女の前に、男一人以外にはありません。一人です。二人ではないのです。(笑い)主体・客体です。主体が一人でなかったらどうしますか? 大変です。男一人です。主体です。 女は東西南北、四方があるのです。だから獣の世界は雄を中心として、たくさんの雌が連れられていくのです。鹿なんかは五十二匹まで子供を産ませるのです。動物なんか優性を保つためにそういうふうにやっているのです。中心は一つだけど、相対は時期、時期に変わるのです。相対は切ってしまっていいのです。枝は切ってしまえば、早く大きくなるのです。柱は下の枝を切った場合に、立派な柱になるのです。 愛のために生まれてきたということは、気持ち悪いですか、気持ち良いですか? (気持ち良いです)。今、あなたたちが気持ち良いと言うのは、人間を中心とした堕落した圏内の愛の大地の上で答えることであって、真の愛の大地圏で答えることではありません。堕落した社会での愛は、自分を中心としての愛をいっているのです。すべてを自分に引き付けようとするのです。自分から犠牲になり、自分から放棄して拡大していこうということはないのです。神様から、そういう力をもらって、もっと投入すれば、たくさん投入すれば、たくさんの群れが生まれてくるのです。それが生まれてきた場合には、主体として相対関係で自分を保護して、包んで安全圏にしてくれるのです。たくさんの人を持った指導者になるのです。二重、三重に、永遠に、安全地帯に中心者が包まれていくのです。 たまねぎも大きくなった場合には、被せ、被せ、被せ、被せて、それに被せるとたくさんの殻に包まれて大きく、安全に立派なものになるのです。だから、父母という、家庭という殻を被せてくれるのです。家庭が中心になった場合には、氏族という殻です。国はもっと大きな殻です。その自分は、もっと、もっと中核に立って、内的な比重が重くなって、価値がもっと高くなって相対圏で平衡を保っていくのです。 だから、男と女、二人が合った場合には、それは二人共に利益になるから、一つになるのです。その関係から見た場合に、現在より良くなるために、関係を持っていくのです。あらゆる分野の関係は、あらゆる分野の一体圏を願っていくのです。そうすれば、すべての者に尊敬されて、すべての者の相対圏で喜び、いろいろな種類を喜びに感じて、一遍に何百もの刺激を受けることができるのです。(先生がしぐさされる)(笑い)ストップ、ストップです。(笑い)死んだのではないのです。みな止まるのです。止まって見るのです。息が止まっても、すべての細胞は止まっていないのです。そこから跳躍の準備です。「いやーっ いよーっ」とね。(笑い)こういうことを言い出したら、限りがない、限りがないのです。 先生の話が分かりますか? 人は何のために生まれますか? (愛のためです)。みな愛のためです。よくも、そうなっているのです。子供を生むのは愛の延長のためです。旦那さんを得るのは愛の延長のためです。そして、旦那さんの愛を得た場合には、父母となって離れるのです。愛は一つの道です。子供を生んだ場合には、別の世界が横的に拡大するのです。子供から横的に別れていくのです。第二の夫婦が生まれてくるのです。子供は大きくなって、父母についていくより、別れていくのです。だから、愛は神のほうに、段階的に上がるようになっているのです。それを否定することはできないのです。先生も、君たち以上に苦悶した男です。 神人愛の一体圏を求めて 何が良いか悪いかを決めて、発表して、自分と関係を持たなければ大変です。一方のみではなく、東西南北を比べてみないと駄目です。御飯ばかりが良いのではないのです。世界にはたくさんの料理があるのです。中国料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理、韓国料理、各国によってみな違うのです。それらをみな味わってみて、「これが自分の体に良いから、誰が何と言っても仕方がない」と。日本にいても西洋料理を食べるようになるのです。それは心がそれに引かれていくからです。そうではないですか? (そうです)。決めるのは自分が決めるのです。食べるのは自分が食べるのです。愛するのも自分が愛するのです。誰かが愛するのではないのです。だから、真剣な愛は、真剣なる立場で、絶対一つしかない道なのです。それを見ても、自分の絶対的統一圏を認めないということ、絶対に一つになる愛に関係を持つことはできません。だから、心身一体は絶対要求なのです。 これが一つにならなければなりません。単位と同じです。数や単位を組み合わせて、公式になるのです。単位が間違った場合には、その公式が間違ってきます。この単位が間違った場合には、過程が間違ってきます。この単位の男と女を組み合わせて、公式になるのです。神様まで合わせていくのです。だから、結婚は自分の完成のため、結婚は神様を占領のためです。神様の実体です。外的な神様ではないのです。内的な神様とともに、良心と愛と一つになった神全体を占領したいのです。人間の欲望は、最高の欲望を持っているのです。神様を袋に入れて担いでいけるような大きさを持っているのです。それが堕落したので、それが困難になったのであって、本来だったら、神様から出発して神様に帰るのです。分かりましたか? (はい)。 子供たちは、父母から生まれたので、父母に帰るのです。結婚するのです。分かりますか? (はい)。原因と結果が一つにならなければ、完成というものがないのです。原因と結果が一つになることによって、大きく回っている環境を抱擁して回って、すべて因縁でもって関係を結ぶことができるのです。たくさんの人類を知り合いながら、帰っていくのです。そうすると、いろいろな国の人々、いろいろな文化と交流していくのです。霊界はそういうような集合、連帯の世界なのです。そこに適応するには地上に住みながら、世界、人種、あらゆる国との関係を持って体験したことがあれば、向こうの世界(霊界)において、主体世界において、すぐに相対になれるのです。相対圏で一つになることができるのです。分かりましたか? (はい)。 結婚をなぜするかというと、自分完成とともに宇宙占領、神様の愛まで占領したいのです。こういう問題になるのです。アダム・エバに神様が言うには、アダムとエバが結婚して、その次の朝に呼びかけて訓示するには、「君たちは、愛を中心として絶対に一つにならなければならない」と。そうすると、アダムとエバは「お父さんは、そういう愛を中心として絶対に一つになっていますか?」と質問します。すると神様は、「私はそういうことはないのだ」。そんな気持ち悪いことはないのです。 先に父が成し得て、子供に訓示しないというと、それは主体がないことであり、主体がなければ、客体もなくなってしまうのです。それで神様は、「もちろん、あなたは知らない深い分野に、既に愛の主人としていたのであり、結婚して愛の関係を持つことは、神自体が初めに体験しており、君たちは二次的になっているのです」と言うのです。だから、神様に訓示し得る立場であり、神様自体も愛には絶対服従するというのです。平和的に今日の理論的出発が生まれてくるのです。分かりましたか? (はい)。 愛を絶対的に感じて屈伏したとするならば、愛の本郷地が神だとすれば、神の本郷地はどこですか? そこで、愛が初めか、神が初めかということが問題になるのです。人間が初めですか、愛が初めですか? (愛です)。人間が男、女に分かれたのは、愛の完成のためです。見えない構想があって、こういうようになるのが愛であり、男、女が一つになっているのが愛です。神の無形実体が、性相・形状で一つになっているのが愛というのです。見えない世界では統一されているのです。それが見えるものとして、分化して、大きくなって再び、見える相対圏と見えない神様と同じような立場になるのです。 見えない神様は良心の立場であり、見える立場は肉身です。これが縦横に一つになるので、人間は縦的自分、横的自分というのです。これを定着させておかないと、理想的出発をする理論的理想郷の結論を得ることはできません。出発点が二つであったら、目的とするところも二つになるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。先生が一番苦労したことは、神人愛の一体圏をどういうふうに求めるかということです。これは重大な質問です。宇宙の根本問題の原因のはっきりした出発点を究明しないというと、過程が矛盾していくのです。それが一つになっていないのに、過程が一つになることはできません。 運動して、こう回っていくのです。(先生が手先を回転させるようなしぐさをされる)鉄砲の弾も、こういかないのです。こう回っていきながら、宇宙も回るのです。そういうふうに電気も、電気の送電を見れば、電気もこう回りながらいくのです。そうすることによって、抵抗を少なくするのです。直線では抵抗があるのです。回るには、錐がこういう直線で「キー」と回りながら刺さるのと同じように、思わないといけないのです。だから、二人が同時に上下でもって、こういうふうに授受しながら、周辺を回りながらいくのです。ですから、送電線では表面は真鍮、銅だけど、中には鋼鉄が入っているのです。ここは電気は通らずに回っているだけです。分かりましたか? (はい)。 出発点が相対関係で授受しながら移行する、そのようなペース、周波が異なれば、めちゃくちゃになるのです。だから、原因の出発は統一なるものを発見して、それが二性性相でもって運動するような基準に結び得てないというと、結果と原因が一体になる道は永遠にありません。神の愛と人間の愛はどういう関係かということは、大変なことです。 だから、宗教と哲学がどう違うかというと、宗教というものは、神から始まるのです。大概、教祖たちは霊的に神様からの命令によって、教典とか、真理の内容とか教えられるのです。哲学というものは、人間が神を探していくものです。宗教は、神が人間を探してくる道です。それは堕落したからであって、堕落しなかったならば哲学も宗教もいらないのです。既に神も分かっているのです。自分の中にある神と共に生きているのです。宗教はいらないのです。分かりますか? (はい)。だから、完成した地上人においては、宗教はいらないし、哲学はいりません。人間自体が哲学完成体、宗教完成体になるのです。 その完成の最も重要な要因は、天的な根本的な基本的な元の愛であり、元の愛の主人は神様です。人間は神様の相対的存在です。何を中心としてかというと、真の愛を中心としてです。だから、人間は愛を絶対的に必要とするのだから、それを絶対必要として占領した場合には、神自体もその愛の中で住みたいというのです。いくら大きい有名な旦那さんでも、愛する女の懐に住みたいのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。子供たちもみな、お母さんの懐が必要なのです。 人間は愛のために生まれた 大きい男は愛の懐が必要なのです。分かりますか? 奥さんというのは、愛する旦那さんのお母さんと同じです。そうなると、これは別れることはできません。お母さんを好きになった場合には、女で自分に近いのは、お母さんです。お母さんの次に継続して、お母さんになるのが妻です。お母さんの代わりです。だから奥さんは、お母さん以上に愛さないといけないのです。奥さんは自分のため、お父さん以上に愛さないといけないのです。そういうことが理論的に分かるようになったとすれば、自分が移動した場合には、宇宙が移動するのです。分かりましたか? (はい)。 そういう意味で、人間はなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのであり、男も女もこの答えには何の不満もありません。「それで良い」と言うのです。愛を見たことはないし、触ったことはないが、それでも良いというのです。本当ですか? 考えてもそれ以外にないのです。分かりましたか? (はい)。 真の父母というのは、こういうような全体の愛を総合し、宇宙に定着、安着した者をいうのです。そういう男と女は共に、宇宙と共に、神様と共に同じ場所で、神様が笑うと、同じくアダムとエバも笑うのです。「わーっ」と一つになって中心を中心として、アダムとエバが笑うのです。アダムとエバが横的になって、神様はこうなって、一つになって、「あーっ」と、です。神様が中に入って、アダムとエバは袋みたいに被せるのです。中心がこう下がって縮まった場合には、(先生が両手でもってしぐさされる)これは十分中に入るし、男と女は周囲でもって縮めていくのです。円心を中心に、円形を中心として縮まっていくのだから、自動的に細胞は円形にならざるを得ないというのです。角があった場合には削られていくのです。均一的になるのです。 だから、あなたたちも、いい人がこうやった場合には、こういうふうになるのです。(先生が上体をゆするしぐさされる)こういうふうにね。(笑い)こういうふうに、こういうふうに、(先生が両手で抱き込むようなしぐさをされる)それは削られるものがないように真ん丸くなって、一つになるようにです。だから背中を出して相対的に、これがこうなったのに、これがこうなったら駄目です。これは相対的に平均で、こうなった場合には、(先生が両手を左右に大きく広げられる)向こうから回って全部を捨てないといけないのです。そういうでたらめをやったら駄目です。先生はそういうのに敏感です。 それで、韓国の舞踊団も先生がつくったのです。それは、西洋の舞踊団的にです。西洋舞踊団で有名なのは何ですか? (オペラです)。オペラは歌です。「UBA」を知っていますか? アメリカの「UBA」です。薫淑様を知っていますか? (はい)。薫淑様は何をやっているのですか? (バレエです)。バレエというのは、神を称えるものです。だから大衆は分かりません。そういう意味で、韓国は両方とも幅が広いのです。日本は着物を着て足を伸ばすことはできないのです。こういうふうにして、こういうふうに(先生が踊りのしぐさをされる)(笑い)「月が出た出た。月がー」なんてね。だから、韓国の舞踊には及びません。ジャンプができないのです。 そういうように自然の中で、すべてが先生になっているのです。芸術品を見ればみな、自然から取り入れているのです。テーブルの足なんかもみな、こういうふうに自然にあるものを取ってきたのです。神様は芸術の王様です。 真の人間というのは、どこから出発すべきかというと、今から出発すべきではなかったというのです。全知全能なる神様の直前から出発すべきだったのです。分かりましたか? (はい)。 だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。分かりましたか? (はい)。 人は何のために生まれたのですか? (愛のためです)。愛は何によって得られるのですか? (夫です)。旦那さん、夫、どんな旦那ですか? 一段、二段と、段階をつくってくれた名前を持ったものが旦那さんですか? (笑い)梯子の踏み台と同じです。(笑い)本当です。こういうふうにすると、旦那さんの説明がつくのです。文先生は、済州島で四〇〇〇名余りの女性の前で、初めて語った言葉が、「旦那さん」であったと、そのように、先生はたくさんの言葉をつくっているのです。英語もたくさんの言葉をつくったし、日本語も、韓国語もです。言葉がないのです。 そういうふうに、人間は愛によって生まれるべきだということです。分かりましたか? (はい)。その愛の元なる男と女が出発するように始められたのが、神様の創造です。だから、創造の前から真の父母という観念はありました。存在するすべてのものは相対的関係を持ち、それなりに夫婦関係の内容を持っているのだから、創造の前からあったと言っても、理論的に矛盾はしていません。分かりましたか? そう考えた時、これが宇宙の根本であり、出発の動機であり、それに従わなければならないということに気づかなければ、自分は中途半端になってしまうのです。だから本然の根につきたいのですか、枝につきたいのですか? 本然の根につけば、葉先、幹の根、幹の枝、すべてのものについたと同じ価値があるのです。本然の根につくのが理想的だというのです。分かりましたか?(はい)。 それで、真の父母という問題は、宇宙存在、出発する前からあったというのです。環境には相対的存在があり、相対的存在は必ず、それなりに次元は低いのだけど授受作用するために一つになるのです。一つになることによって、両方ともマイナスにはなりません。大きくなって、立体的にふくれていくのです。だから運動を続けていくのです。君たちが市場に出るとしても、毎日、出るたびに一円ずつ損をするとしたら、毎日継続するかというと、しないのです。十円でもいいから、いつでも出たり入ったりすれば、少しでももうけた場合には大きくなることによって、それは栄光と天国に通じるのです。 神様を占領する道は大きくなることによって成されるのです。だから、大きく、良いことは蕩減を余計にしなければならないから、「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。こういうことをみんな知った場合には、説明がいりません。それで自分を守って、脱線せずに自分を安全地帯に導いて引っ張っていくことができるのです。分かりますか? (はい)。だから、真理を知ることにより、良心の元の知識を蓄えることができ、良心は神様と一つになるようになっているのです。良心は神様の真理の相対と一つになるようになっているのだから、それを蓄えておけば、すべての主体に適応して、すべてと一つになる動機をつくるのだから、どこへ行っても利益を残すようになるというのです。何の話か、分かりましたか? (はい)。 キリスト教の歴史を通して求めてきた新郎新婦の遭遇 先生は、いつでも会って話をする時間はありません。これが初めであり、最後かもしれません。一度別れたら、もう十年会えないかもしれません。十年、二十年、三十年かかっても会えないことがあるのです。その時は、先生は既に霊界に行っているのです。 これが生涯において初めであり、終わりであるそういうような切迫した緊張圏に立っているのに、座って鼾をかきながら寝るような者たち (笑い)横に座っているそういう者を見て、放っておくのは、それはもっと悪いのです。寝る者よりもっと悪いのは、座って分かっていて、それを目を覚ましてあげないのがもっと悪いのです。もっと悪い女にならないように、警告します。分かりましたか? (はい)。 これが大元です。小さいものから大きいものへ、人間と神様がみな、このケースに引っ掛かっているのです。神様も共に大きくなりたいから、投入して、投入して、忘れるのです。なぜかというと愛の大きい無限の愛の袋で包囲されるために、投入して、投入して忘れるのです。 完全な真空圏になった場合には、すべての高気圧は上下左右に、一遍に「ふわーっ」と入ってくるのです。分かりますか? 先に入ってくるのが悪いのではないのです。それは、こういうふうに入って来た場合には、来たものがすーっとここを中心にして、全部がまとまって立体をつくります。「トネイドー」を知っていますか? 旋風です。英語では「トネイドー」と言うのです。こうなって、家も何でもみな、巻き上がるのです。無限に爆発的な力が生じてきます。分かりますか? 力が生じてきます。奉仕、奉仕して、絶対真空圏に立った場合には、無限の力が「ぱあー」と最高に出てくるのです。だから、神様に奉仕するというと、台風が吹き寄せるのも、斜めから来ないで垂直に近く来るのです。垂直に近くなって、「びゅー」と来るのです。爆弾投下みたいに爆発してしまうのです。強ければ強いほど迫力があるし、破壊力があるので強いのです。そういうふうな刺激、最高の刺激があるのです。 だから、時には旦那さんと分かれても、真空圏と高気圧圏が必要です。そうすると、毎晩、夢で会うようになるのです。夢の中で、抱擁して愛した場合には、堕落した世界の愛よりも、もっと刺激的です。その基準を超えるということです。これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のために四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたと同じような所で、一八〇度転覆するのです。 それで四大心情圏を女が体恤しないというと、宇宙の転換点を正すことができないというのです。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊してしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤することです。遭遇の時が、キリスト教を中心として歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦の遭遇です。会い合うというその時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないというと、変わらないのです。 そのような大元が、再び生まれてこなければならないのです。そういう体恤をした場合には、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるではないのです。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そういうような愛の本郷地を求めていくのが、人間の生来の生涯の生活です。真の父母の観念が分かりましたか? 宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。 あなたたちは何から出発しましたか? 真の父母ですか、偽りの父母ですか? (偽りの父母です)。偽りの父母という、血統が違っていたのです。エバが堕落して、君たちみたいな生まれるべきでない者が、故障した者が生まれてきてしまったのです。完成は一つもありません。だから、霊界は空いているのです。分かりましたか? 霊界、神様の創造した天国は、今まで一人も入っていないのです。真の父母が最初に入るのであって、神様と人間が愛の関係で、主体・客体の関係で一つとなった基準が、創造の本然の目的なのです。 そういうような血統的因縁、愛の因縁を、生命の結合体と血統を伝授した者が、家庭、氏族、民族、それから天国の世界を主管することができるのです。堕落は反対です。血統的に過ったのだから、神様も血統的に、生きた者を殺さないで、そのまま一つ一つを転覆して消化していくために、何千万年もかかったのです。それで、神様の真の父母ということを体恤する根拠がないのです。相対がないのです。その相対たるべき者が長成(期)完成(級)基準でサタンと一体となって、なくなってしまったのです。良心一つでは、何にもなりません。良心も、それは長成(期)完成(級)基準で堕落したのだから、堕落した愛よりも弱いのです。だから、肉身がサタンの基準になって、肉身が良心を引っ張りだこにしているのです。これをはっきり知らないといけないのです。 それを抑圧、却下させるのです。宗教者の目的は、主にそれを成すためです。それで宗教は、肉身の願うすべてを拒否しているのです。寝ることを克服しなければなりません。サタンは食べてよく寝ます。怠け者は食べてはよく寝るのです。良いものを食べても寝ながら消化してしまうのです。それから、食べ比べて良いものを食べるのです。きょうより、あすはもっと良いものを食べるのです。どんなことをやっても、泥棒しても良いものを食べるのです。だから食うもの、寝るもの、遊ぶものが怨讐になっているのです。 それから情的問題です。原理原則を破って、誰でも乗っかって一つになろうとするのがサタンの性格です。君たちもそういう思いをしたのでしょう? そこに美男子がいた場合には、心で慕いながら、「あの美男子を夫にすればいいな」と、夢で抱えながら、そういうふうになって恋煩いに引っ掛かってしまうのです。そんなになるのです。男もそうです。そんなものはヤクザな世界です。複雑に交わる曲線を通過したそれが愛というものです。 エデンの園にはアダムとエバの二人しかいないので、そんなことはないのです。それが伝統になった場合には、さーっと絶対愛によって、自分の相対者が、生まれると共に分かるようになるというのです。寝ながらも、共に生きるのです。目をつぶってからでも共にです。アダムとエバはそうなるのです。堕落しなかったら、寝ながらも共に話が出来るし、夢を見るのも、二人で見るのです。だから、因縁も関係も一体になっているのです。 堕落圏に立っているから雑多な思いを持つようになるのであって、堕落しなかったとするならば、唯一の思いでふた心はないのです。毒蛇は二つの話をします。舌が二つです。堕落した人間は、蛇の後孫を象徴するふた心を持っているのです。うそをよく言うのです。蛇は舌が二つです。毒蛇の特徴です。それで人を殺すのです。噛まれた場合には死んでしまうのです。 あなたたちはふた心を持っていますか、ひと心を持っていますか? 二つです。心身が紛争するからです。きょうはここで、あすは家へと、自分の利益になると思ったら、いつでもそーっと出ていくのです。だから、芸者なんかみなそうです。愛を中心とした自分の価値が分からないので、金が必要になったら、何でもやって売ってしまうのです。豚よりも悪いのです。そういう者で、統一原理を分かる者は絶対生まれてきません。 真の父母の名というものは、宇宙の根本から出発しているのです。神様は愛を中心として、神人一体圏を考えながら創造を始めておられるのです。大きく高いものをつくるには、小さいものをたくさん加えて、大きいものをつくろうとするのだから、愛の相対の要素をみな集めて、大きい男女を神様の相対になるように投入しているのです。宇宙のすべての存在を投入して、神の相対をつくるのです。そのような相対は、神の無形実相が実体実相として現れた宇宙なのです。 名前は何と言いますか? (森です)。盛り蕎麦? (笑い)これも、森さんです。あなたは黙っていなさい。教育されて使われるのは、神聖な者になるのです。黙っていてよ。(笑い)これも森さんです。一遍、触って分析すれば性格が出てくるのです。そのように、すべての宇宙は、神に属しているのです。分野が低くても、神のある段階にいるのです。その様相がみな、二性性相を持っているのです。自分の性相と自分の性質を分け合って生まれてくるのと同じです。そういうふうになっているのだから、みな大きいものへ大きいものへ上がろうとするのです。 小さい小さい川で、浅っぽい川で泳いでいると、深い所へ、深い所へ、深い所へ、大きい所へと、こうなるのです。みな、あなたたちの欲望もそうです。最初に生まれた子供の時は小さいおもちゃですが、女の子も男の子も夫婦になると、一つの国を願うのです。そこから、どんどんと大きくなっていくのです。日本の奥さんや旦那さんよりは、西洋の奥さんや旦那さんのほうが、となるのです。(笑い)そうなるから、女としては生きた男の旦那さんが必要となるのです。それで最高の王様みたいなものになろうと思うのです。だんだん大きくなるのです。最高の所まで行くと、欲望の最高の絶頂は、神を占領して、神を最も愛する秘密の宝のバッグに入れて抱えていきたいのです。 停止は滅亡と地獄に通じる、発展は繁栄と天国に通じる 良心は神の愛を占領するような構造になっているのです。元になっているのです。先生が多年の苦労で、真理は何かを分かってみた場合に、がっかりしたのは「真理は空中のどこかにある」と思っていたのにみな、自分の座布団の下に入っていたのです。自分も知らなかったのですが、神様はどこにいるかというと、愛の最も深い良心の寝る所に神様がいるのです。分かりましたか? これは、「人の人」です。こういう「の」の字があるのです。人すなわち神です。それは一体ではないのです。相対関係の組み合わせが分からなかったのです。 お釈迦さんが「天上天下唯我独尊」と言ったのも、自分の中に神様がいると思ったからです。それは解明されていません。垂直の決着点に良心の基盤があるから、その決着点に止まる主体・客体観念を発見できなかったのです。だから、仏教も出発時から、世界終着点の中心に立つことはできないのです。根本がはっきりしていないので、結果もはっきりしていないのです。しかし、統一教会は根本がはっきりしているし、結果もはっきりしているのです。だから、この思想は誰が何と言っても、世界を統一せざるを得ないようになっているのです。 多方面の実験を経て先生は、良い頭を持っているのです。本当です。そういうふうに実験して、自分が成してみて、世界が反対しても堂々と成功しているのです。それは、原理の内容が、教えが正しいから、その結果はどこでも成功するのです。サタンの世界で原理を知る者は、どの世界でも完成者になるようになるのです。 そこで、各国の人々がどういうかと言うと、「統一教会には立派な青年がたくさんいます。いやー、文先生は幸福です。ああいう者たちが統一教会に入って先生を援助するから」と言うのです。先生によって相対としてつくられたということを知らないのです。日本もそうでしょう。「勝共さんでなければ、日本は救えない」と、みな言っているのです。なぜかというと、「それは話もうまいし、説得力もあり、金には一銭も工作はしないし、正直である。そして奉仕的だ。そういう人は、日本中一億二千万の中に一人もいない。いくら探しても、統一教会以外にはいない」と言うのです。 また、学者たちも統一教会の学生と付き合った場合には、「自分の孫より立派であり、孫嫁や孫婿と比較した場合に、自分の娘というのは、孫娘は勝手な者です」と。私たちは、神様みたいに投入して忘れて、投入して忘れて、高尚な相対理想を求めて、きょうの苦難を忘れて、あすへの希望に向けて進んでいくのです。だから、停止しません。停止すると、とたんに死亡と地獄に通じます。停止した瞬間に、そこから下がっていくので、滅亡と地獄に通じるのです。発展というのは、繁栄と天国に通じます。それが宇宙の真理です。だから先生の生活は、毎日一つでもプラスさせることです。プラスさせる人は停止しないのです。普通の人が山に登った場合に、「ああ、上がった」と座り込むのですが、先生は必ず三歩ないし、十歩数えて座るのです。 そういう習慣が大切です。きのうよりきょうへと新しいものを神様は願うのです。分かりましたか? (はい)。きのうのように、三日以上も同じものであったら、神様は嫌うのです。回れません。回っても、新しい者を組んで回るから発展します。大きいものに向けて運動する理論になるのです。停止は、滅亡と地獄に通じるのです。繁栄は? (天国です)。プラスさせるのは、大きくなることは、繁栄と天国に通じるのです。君たちもそうです。 統一教会に入った時には、統一原理を聞いて興奮して、御飯を食べることも寝ることできないで、「教会、教会、教会」と言った者が、十年たった場合には、ぺちゃんこになってしまっているのです。それは地獄の地獄で、再び立ち上がることができません。そういう者は、いくら統一原理以上であっても、真の真理に反対した者は蕩減しなければ、再び真理に立つことができないのが宇宙の原則です。一度落ちた場合には、再び帰るためには何十年の蕩減の生活が必要です。統一教会に入る時は堂々と立って入ったのですが、出ていってから再び入る時は、這ってでも入ることができません。恐ろしい所です。 こういうことがみな、生活に必要な内容になるのです。真の父母が分かりましたか? (はい)。真の父母という名はどこでも必要です。鉱物世界でも、その観念を中心として愛につながって生きているのです。植物世界もその観念と共に、おしべとめしべがまとまって生きていこうというのです。昆虫世界も、動物世界も、人間世界も、人間を中心としているのです。人間が王様です。そういう観点から見た場合に、人間というのは、男と女は小宇宙というのです。愛を中心として、小宇宙というのです。それで、どこでも人間は通じないところはないのです。君たちも霊的にそういう願いが出てきた場合には、みな話せるのです。水中の魚とも語ることができます。神様は、それができないと大変です。みな通じるのです。愛は偉大なものです。そういう尊いものを失っているのです。 だから霊界に入れば、それが一〇〇パーセント活用できるのです。見たい者を呼べば、すぐに現れるのです。何億マイルでも一瞬に飛ぶのです。愛の速度を超えるものは何もないし、愛の速度を止めるものはありません。分かりましたか? (はい)。だから、真の愛の道は直短距離(最短距離)を通じるのです。直短距離です。上から下に行くのも直短距離は水平以外にはないのです。ちょうど九十度の一点しかありません。それが最高の直短距離です。上下をそのようにつなぐ直短距離が真の愛の行く道だとすれば、平面的直短距離は、アダムとエバです。その直短距離も九十度だったから、九と十と、横的に一つになっているのです。これが元です。それが一つになって、大きくなっていくのです。家庭、氏族、民族、国家です。それが大きくなるというと、相対的に平衡を取るのです。 だから、そういう意味において、男と女は平衡をたどり平等です。これが横的に一つになるには、愛を中心として平等になるのです。ですから、女というのは土です。男は永遠に近いのです。分かりますか? こういうふうにして、螺旋で発展していく無限の世界です。たくさんつなげて、縄をなうのと同じです。大きな縄と同じようになって、どんどんどんどんと回れば回るほど、宇宙の理想は個人から天宙までつながって、どこにでも通じるようになるのです。だから膨大な霊界も自分の活動舞台になり、遮るものは何一つもありません。 そういう永遠の大宇宙旅行のために、理想の相対が必要であるというのです。一人では寂しいのです。宇宙旅行です。あそこは飛行機もいりません。何百倍のジャンボ以上のスピードを持つ車が、ちゃんと自分の命令によって可能です。夫婦が一双になって、神様みたいに、神様と共に生きるのです。(一部割愛) 善の全権時代へ これからは、旦那さんを再教育するのです。だから今、「女性連合」をつくるのです。旦那さんたちを再教育するのです。女の組織を強力な組織にするのです。奥さんとしては一か月に一回ずつ、旦那さんの報告をしないといけないのです。どこへ行ってきたか調査して、他の女と関係があった場合には、どこかにやってしまうのです。部落の女の最高司令官が、「男ちょっと来い。この天使長の輩」と。(笑い)それを切ってしまうのです。それが必要ではないですか、要らないものは切ってしまうのです。自分の奥さんが相談して切るのに、誰が不平言いますか。そこまで教育して、男が願うような境地まで詰め込む内容を持っているのです。立派な旦那さんで、酒も飲まないで自分ばかりを愛してくれる旦那さんを願いますか? でたらめに凸凹の道を歩いてきて、ぼろみたいな穴ぼこを流れてくる愛の子供を持ちたいですか、どうですか? みんな女は、だまされているのです。全部うそです。出張すれば、そんなことは一〇〇パーセントがやります。それを知っていますか? 知っている、知らない? 旦那さんはうそっぱちのサタンです。エバがだまして誘惑したと同じです。それはもう、何千代も続いた罪の塊になっているから、そういうことは平気です。分かりましたか? (はい)。そういうものをみんな綺麗にしたくないですか? (したいです)。だから、先生の言うとおりにやりなさい(はい)。 それで、今度帰れば、反対する者に「何が悪いですか、統一教会の文先生の何が悪いですか、誰が悪いと言いましたか? 行きましょう」と言うのです。そして「話しなさい」と。それで、三人ぐらいで連れていきます。「ああ、私が悪い」と言えば、「どこから聞いた?」「新聞社です」。では「新聞社に行きましょう」「その、主筆とか、局長、編集局長の所に行きましょう」。そこで、「誰から聞いた? それを紹介してください」と三人ぐらいで問い詰めた場合にはみな、逃げていくのです。分かりましたか? 今度帰ったら、先生が女の口を開くのです。今までは黙っているしかなかったのです。神様は黙っていたのです。長子権が立ってないから、父母権、王権ができなかったからです。今はそういう時代を越えているのです。 全体、全般に、善の全権時代に入るのです。三者から統一教会が指さされて、何を言われても従っていてはいけないのです。それを戒めて教育しないといけないのです。みな悪いからそういうことをしないようにするのです。女の将軍になるように、五万人の将軍になるように、先生が指示して、日本に派遣致しました。口を止めていてはいけないのです。分かりましたか? (はい)。それで君たちは番頭さんとして、自分の地域を守ることも必要です。自分の子供がめちゃくちゃになってしまうのです。自分の一家がめちゃくちゃになっていくのです。自分の舅さんにもその話をするのです。旦那さんから引き詰めて、それから舅さんを連れて、「お父さんを証しなさい。お母さんを証しなさい」と言って紹介します。(先生に対する)悪いうわさが世界まで、広がったので、先生はそのカラーを脱ぐのに一生涯かかったのです。神様もそうです。アダム・エバが堕落した責任は神様も同じです。その責任を先生が持っているのです。だから、神様が先生を愛するのです。神様に似ているから先生を必要とするのです。 先生が日本にいた時も、日本の女に、「私は君を愛します」と手を取ってキスした人は一人もいないのです。むしろ、女のほうが先生の所に入ってきて「救ってください」と言ったのです。そういう女を、妹として教育して、将来は立派な奥さんになるようにしてあげたのです。涙を流しながら、振り返りながら「すみません」と言ったことが、今も忘れられません。その女の子は今どこに住んでいるだろうね? だから、あなたたちに何を言っても、先生は堂々としているのです。あの美人のお母様はさておいてもね。(笑い)お母様に対する先生の使命はまだ完成していないのです。一つ、二つ、まだ残っているのです。お母様はそれをよく知っているのです。だから、真の父母の伝統をはっきり知らないというと、こういう複雑な世界において、それを治めていくことはできません。 真の父母が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。なぜ必要ですか、なぜですか? (真の愛ゆえです)。いいえ。堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。堕落して偽りの血統を受け継いだのだから、真の愛とは関係ない立場に立っているので、真の愛を再び接ぎ木して、接触させて、再び自分たちが甘柿になるために、真の父母が絶対必要です。真の父母が立たなかった場合には、渋柿の枝から甘柿は永遠に結ばれることはできないから、甘柿になるために真の父母が必要なのです。こういうふうな説明をしないといけないのです。絶対必要ですか? 絶対の反対は何ですか? 何、不絶対ですか? (笑い)それが一番良いのです。何か反語を探すことに考える必要はないのです。不絶対です。(笑い)それは絶対必要なことです。いなかったら大変です。分かりましたか? (はい)。 過って生まれたのだから再び生まれなければならない(先生が黒板に図―1を書かれる)これが八段階です。分かりましたか? これも、これも、これもです。これがこれです。八段階です。一、二、三、四、五、六、七、八段階です。これは蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これは六〇〇〇年の六〇〇〇年です。これは歴史的に過ったすべてを綺麗にして、平面的にも綺麗にしないといけないのです。だから、ここ「にいる五十二億というものは、みなこっち」から生まれて生まれて、こういうふうになっているのです。分かりましたか? 蕩減復帰です。過って生まれたのだから、再び生まれなければ、正しく生まれなければならないのです。 だから、こういうふうに生まれていった者が、こういうふうに逆のほうに生まれるために、母の腹に戻っていかなければならないのです。分かりますか? 重生のために再び生まれるためです。そうなるというと、ここで家庭を中心として、家庭と氏族をつなぐには梯子が必要です。ここで絶対必要なのは氏族メシヤです。(先生が黒板に図―2を書かれる)その一六〇か国の中心が再臨の父母です。真の父母です。こっちから、蘇生、長成、完成です。国を中心として、これが氏族のメシヤです」。氏族メシヤと家庭的四位基台が整うことによって入籍ができます。分かりましたか? それと同じように、この基準によって家族はみな、氏族のお母さんの腹の中に戻っていかなければならないのです。女と子供です。神様を失ったのは、女とカイン・アベルです。分かりますか? アダム家庭を失っているのだから、それを探さなければならないのです。それで、再び腹の中に入ってしまわなければなりません。 全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? (はい)。それはナイロンの細い線をずーっと、つないだのと同じです。電気をつければ、そのナイロンを通して電気がつきます。そういう一体圏をつくりなさいというのです。それはなぜかというと、お母様の心情を体恤しなければならないからです。分かりますか? お母さんが寂しくなった場合には、自分も何となく寂しく感じないといけないのです。一体にならなければなりません。 だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか? (はい)。全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主、完成されたアダム基準です。アダムと関係しないで、反対の方向へ行った者が、再び帰ってきて、アダムと関係するようになるのです。君たちは今、そういう立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。 そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。 全世界に同じようなペースでもって氏族メシヤを送っているから、家族メシヤはアダム家庭であり、氏族メシヤはアダム家庭です。それは、先祖をなくした、統一教会の祝福をされた者たちです。それはアダム家庭と同じです。アダム家庭で先祖をなくしたので、先祖復帰が氏族メシヤです。それから故郷復帰です。故郷を失ったので、神の基地がなくなってしまったのです。 それで、再び故郷が生まれることによって、神と同じく同居する時代に復帰していくのです。家庭から氏族、国家を通して、世界へつなぐ道ができるのです。だから生まれ変わるには、逆の方向に向かって、逆に戻っていって、真のお母さんの腹の中にみな入ったような立場に立つのです。「うわー、そんな話がなぜか?」と言うと、天国という所は真の父母の愛を中心として、真の子供の種を結実させた者たちが、地上で王権に侍り、王族として生きた者が、最初の天国に入って王族になるのです。王族の兄弟をたくさん重ねた場合には国になるので、国民が増えていくのです。分かりましたか? そうなっているのです。 だから、王族圏の心情を体恤しなかった者は、理想の神様の本郷の国に入る資格はありません。これは何人としても、否定できません。神様の考えは、それ以上のことを考えるのですが、それが最高の考えであれば、そうならざるを得ないのです。だからアダムとエバは、神様の万能の王子と王女であったということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 分かりましたか? (はい)。 だから、その女が天使長と――。イギリスの王権は天使長と女がぺちゃんこになるのです。日本の男は、天使長の女とぺちゃんこになっているのです。もう、おしまいです。東洋の宮殿を代表して日本、西洋の宮殿を代表してイギリスになっているのです。日本がプラスである時は、東洋が中心であるから、イギリスを消化していかなければならないのです。そういう立場です。そうすれば、イギリスの中にはらんでいたアイルランドの旧教とスコットランドの新教が、このカイン・アベルを一つにして、それを生んで、一つの国をつくらなければならないのです。それが一つの国になっていないから今、紛争しているのです。 それと同じように、エバはカイン・アベルを生んで、自分の子供と一つにするように、一族をしないというと、エバ国家を天国につなぐ道はありません。だから交差結婚をするのです。アダム国家はマイナスです。ちょうど、そうなるのです。だから、お母様も国に帰って、カイン・アベルを生んで一つにしなければならないので、韓国の四十か所の大学を中心として戦っているのです。カインとアベル、カープと共産党を一つにしなければなりません。今、もう一つになっているのです。 それで南のカイン・アベルが一つになった場合には、北の本当の赤、こちらのだんだらの赤と向こうの真っ赤な赤を一つにすることによって、母がそれを生んで一つにすれば、イギリスの天使長、こちらはカイン圏の韓国の天使長、向こう(北)は堕落天使長です。それはいらないのです。分かりますか? (はい)。南北の青年がお母様と一つになって、先生と一つになって、一体となった場合には、彼らは堕落した天使長と天使の立場でみな後について行かなければ、おしまいです。だから韓国の国会は先生が整理するのです。それは、自動屈伏という内容でもってなすのです。血を流すような、打つようなことはしないのです。自動屈伏させないというと、サタンの反発を生むなどして、どこかにつながるのです。分かりましたか? (はい)。 逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1参照)、地上天国です(図―1参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。 真の父母と重生 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。 国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された一六〇の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです。 女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。 そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか? その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。女が命令するのです。女が子供までも絶対命令することによって、天使長の立場に入るのです。分かりましたか? (はい)。天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです。 あなたたちの旦那さんをどういうふうに創造するかというと、(先生が黒板に図―3と4を書かれる)十六歳の時のアベルとカインのように(図―3の )です。このアダムが蘇生、長成から二十代へ、三段階を上がるには、これは長男と長女が上がるようになっているのです。分かりますか? 次男は上がることができないようになっているのです。それで、次男がここへ上がるには、長男の立場を蕩減復帰しないというと、上がることができないのです。蕩減復帰は次男の立場からやるのだから、長男の立場ではないのです。 だから長男の立場を得るには、次男として、アベルがサタンの世界に出ていくのです。八段階です。それは個人、家庭、氏族、民族の八段階です。このようにして、アベルが次男としてサタン世界に出て、迫害を受けて自動屈伏して、長男として全体の支持を受けて、「君たちの言うとおりにする」と言って、故郷に帰ってくるのです。長男として帰ってくるのです。次男として行った者が、勝利して長男として帰ってくるのです。 そうなると、サタンは、あとについて来て、次男の立場に立つので、長男のカインが次男の座、アベルが長男の座に立つのです。だから、ここに来て(図―4の )押して上げることによって、こっち」に上がるのです。分かりましたか? (はい)。このことを繰り返します。分かりますか? 八段階です。こういうふうに上がっていくのです。分かりましたか? (はい)。このようにした場合には、この圏内はサタンに勝利したために長子圏が復帰されているのです。長子圏です。 これを誰がやったのかというと、アダム完成実体なるアダムが成しました。これは十六歳の時のアダムの体に、勝利したアダム全体の体をつないだような立場になるのです。この圏内に五十二億の子孫が、サタン圏にあったものがみな、アダム圏のほうにまとまるようになりました。分かりましたか? こっちから、こういうふうに回って、こういうふうに来ているのです。(先生が図―3・4の全体を円で囲まれる)こっちから、こういうふうに来ても、サタンは反対することができないのです。 だから、再臨の主、アダム完成実体を打とうとして、サタンが八段階の攻撃して、次子圏を長子圏として打って蕩減復帰したので、長子圏でもって堕落しなかったアダムとエバ、長男、長女が上がっていくことができるのです。そこに上がった場合には、いくら下がっていっても、サタンは移行することができません。分かりますか? 自由圏です。だから個人からの八段階に、神様が離れていったけれど、先生が戦って勝利して、神様をお連れしたので、どこへ行っても自由自在に、先生と共に地上世界から地上家庭まで、どこに行っても同居するようになります。 天の地上天国顕現 そうなったならば、世界の万民は接ぎ木だけすればいいのです。分かりますか? 接ぎ木は何かというと、完成したアダムの体を、渋柿に接ぎ木させてやるのです。本当は茎を切って、根っこを切って、こういうふうに接ぎ木するのです。こうやったとするならば、枝でもいいのです。これが三年ぐらいたった場合には、神様はこの根の力を吸収して(サタンのもので)大きくなりたいとは思わないのです。三年たった場合には、この接ぎ木された木から新しい芽が起こってくるのです。芽を出して、こういう芽が生えてきても、これを切ってしまうのです。サタンの因縁でもって、その力を補給してきた悪魔のものを受肉したくないというのです。分かりますか? そうして、これを肥料として、肥料として早く処理しなければならないのです。それであなたたちが、以前に結婚していて再婚したとするならば、前の旦那さんのものを再び結婚した男に見せたら大変です。姿もその表情も指すものではないのです。神様も同じです。 エバが、再び結婚した立場に立って接ぎ木された場合には、接ぎ木は過去の因縁の茎の上に残しておくことはないのです。だから新しい根っこで切ってしまって、これを腐るようにして、みんな肥料として処理してしまうのです。分かりましたか? そういう接ぎ木をいうのです。接ぎ木は、臨時的であって、大きくなった昔の接ぎ木は何十分の一であっても、そのままにしておけば、全部が一〇〇パーセント、サタンの株につながるので、それは嫌だと言うのです。分かりましたか? 神様の接ぎ木は違うのです。 こういうふうにして接ぎ木して、あなたたちの旦那さんを完成したアダムとエバがかわいそうにと思って、本当は元はアダムの体につなぐのに、十六歳の良心基準が第二の神の相対であり、絶対的なる良心が神の立場であった者が、堕落してこうなったのだから、完成したアダムが完成基準で、長成(期)完成級から完成期まですべてサタン権限を残してしまったのだから、アダムの上に再びつないでやったので、何千年、何千万年の歴史を通してたくさん生んだサタンの体であったのが、接ぎ木されることによって、アダムの体の延長として子供を生んだような立場の価値を認められることになるのです。 接ぎ木されて、同じような完成した第二のアダムと、完成した第二の奥さんで、お母様とお父様の第二のアダム、第二のエバとして、そうして、その二人を組んで兄さんの後に弟が、兄さんは真の父母の後に兄弟の夫婦として天に入ることができます。蕩減復帰はこんなに複雑です。こうすれば、サタンは、それについて入ることができません。分かりますか? (はい)。 血統的純潔で接ぎ木して、本然のアダムの体、完成したアダムの体を残してやったのだから、それを乗っ取ろうとすることはできません。個人から八段階を勝利したその基準にはみなアダム完成権限があるのだから、それに再び侵入することはできないのです。分かりましたか? そういうふうにして、女も、男も、子供もみな完全に勝利することによって、それが一体となることによって、天の地上天国が顕現するようになります。分かりましたか? 中にはこういうふうに、再びお母様の腹に入って、こういうふうになるのが(先生がしぐさされる)「真の父母と重生」という話です。分かりましたか? 真の父母と重生です。分かりましたか? (はい)。覚えておきなさい。分かりましたか? 重要なことです。(はい)。お母様の分身であるということが、はっきり分かりましたか? (はい)。 これが地上天国です。新しく生まれてくるのであって、サタンとは全然関係がないのです。これは、みんな男を失った者が、天使長と一つとなってきたことをみんな切ってしまってどうするかというと、再び完成したアダムが勝利を接ぎ木してやることによって、第二のアダムとして、第二のお母様のエバとして立っている相対と組んで、堕落しなかった姿で、長男と次男の夫婦が天国に共に入ることができるのです。 こんなに復帰が複雑なのに、キリスト教を信じていて救われるというのですか? 分かりましたか? (はい)。「真の父母と重生」が分かりましたね? (はい)。蕩減復帰によって、こういうふうにならざるを得ないのです(図―1参照)。こういうふうに生まれた場合には(図―1参照)、地上天国です。ここはサタンとは全然関係ないということです。だから、真の父母が絶対的に必要なので、そこに生まれた者は絶対的に神に属することができるということが分かりました。 それから、第二の旦那さんをいかにもらうかということです。妾の女が再び結婚するには、妾の男が必要です。二番目の男と同じです。それをもらうことで同じ立場で一つになって、長子と次子のカップルとして、神の国に入ることができるのです。分かりましたか? (はい)。 本当の純潔の祝福家庭となるには これは話しておかないと、君たちが今からの地上で解決する、直接解決する問題です。問題の言葉です。先生が成し得たすべてを君たちは、こういうふうな戦いの反対、サタンの反対圏内ではなく、歓迎圏内で氏族を中心として回復するようになっているのです。統一教会の真の父母と全世界の女たちが兄弟として、こういうことをなすようになっているのです。それが統一教会で、統一教会の世界本部で、先生を中心に、お母様を中心として、こういう運動がなされていることを忘れてはなりません。 父母様は絶対必要ですか? (はい)。どのくらい必要か考えているだろうね。「いやー、重生。第二の祝福家庭」。これは原理にないことです。原理タイプに合うようにして、ハンダ付けをして神の国に入るのです。あなたたちは三代を通過しないと、本当の純潔の祝福家庭にはなりません。同じ過去、蘇生、長成、完成期だから、第一次先祖失敗、第二次先祖、第三次先祖の四十年間を迫害したという基準が残っているから、第三代までは忠誠を尽くさなければならないのです。家庭的に、長男においては天使長家庭として忠誠を三代尽くさなければなりません。分かりましたか? (はい)。 アダム家庭蕩減、イエス様家庭蕩減、再臨の家庭蕩減、三代の忠誠を尽くさないといけないのです。分かりましたか? (はい)。向こうの後ろに立っている者、分かりましたか? (はい)。 こんなおとぎ話みたいなことを、現実に成していくということです。だから、こういう内容を知らないと、先生が分かりません。先生がいかに必要かということは、こういう内容を知ることによって、いかに必要かということが分かるのです。絶対的か、相対的か、それは君たちが決めるようにするのです。相対的ならば相対の立場に立っても、地獄には行かないのです。中間で待っていながら、何千万年も訓練していくのです。 そういうふうにやりたいか、積極的に先生の言うように、「ぴゅー」と、先生と歩調を合わせて一体となっていくか? それは自由です。中間に立って見ながらやるのと、どっちですか? 直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? 直接を願う者は、手を挙げてみなさい? (はい)。みんな、欲望ばかりだ。(笑い)ただ、そういうように手を挙げただけで通過すればいいのだね。(笑い)そうはいきません。 蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。 第一先祖、第二先祖、第三心情先祖をつないで、自分の子孫たちにも同じ立場で祝福して、それを平面に立たせた場合には、数千代が入籍して大移動が起こるのです。日本人は、エバ国家になっていても、そうなった場合、アフリカに大移動していくのです。それが、統一世界です。全世界に散らばるのです。それで、全世界に先生が早く混じっていくのです。孤独にならないようにです。分かりましたか? (はい)。 日本人が世界的に混じっていくのです。韓国人も散らばっているのです。韓国人の男も、女も韓国の政治体制の不均衡のためにみな世界に行っているのです。帰ってくればチャンピオンです。だから今から、日本の女を送ります。日本の女を送った場合には、韓国の男を送ります。父母の代わりです。分かりましたか? (はい)。 日本の男女、家庭的な父母家庭になるのです。未来において、将来、総理になった場合には、男一人が総理にはなりません。それはカイン・アベルと父母が一つになって総理になるのです。夫が総理になった場合には、副総理は奥さんです。それから重要な部署はみな子供たちが治めるのです。そこには暴力とか詐欺は通じません。原理原則を中心としてやっていくのです。そうなると、その家庭には、総理家庭として侍るようになるのです。分かりましたか? (はい)。腐敗した組織体制、政治体制はなくなります。謀略、戦略、戦術でもって、やりくりする国家のように、サタン的手腕でもって悪辣な者が上に行ったり、下に行ったりする、そんなことはできません。原則的な世界に向かっていくのだから、そういう時代になってきます。 それで、未来にどうなるか分からないのだから、家庭を中心に転覆しなければならないのです。世界が原理的に分かるようになっている統一教会の人たちは幸福です。こういう混乱なる世界を泳いで、自由に花園、彼岸に向けていくらでも泳いでいくことができます。分かりましたか? (はい)。先生に感謝しますか? (はい)。反対したら、「謝感」です。感謝の反対は謝感です。(笑い)君たちは、感謝というが、先生から反対見たら、謝感です。感謝してるの? (はい)。どのくらい? それは表示できません。何千万年の功労が、こんなにたやすく得られるのです。だから、真の父母の心は、いかに投入して、投入して、投入して、無限に投入して、自分の夫を求めてきたという、神様の親の心情で感謝する以外には何もありません。分かりましたか? (はい)。そういうふうに心にとめて、もう時間も過ぎましたね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.05.12
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Web説教「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」2024/11/22 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」説教者:柴沼邦彦文鮮明先生には三大目標がありました。第一の目標は自己主管、自分と闘って勝つことであると言われました。第二の目標はすべての中心に神様を考えることです。あらゆる事件に接した時に神様やイエス様はこのようにしただろうと考え、真の父母もそのように考えなければならないと思ったと言います。第三の目標はどうやって善を繁殖するかです。今回は、この三つの目標について、み言を中心として共に考えてまいりましょう。#世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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天の父母様聖会 天苑宮天苑教会 聖日礼拝(21.01.24)2021年1月24日午前9時からライブ配信(公開予定)されます。
2021.01.23
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「サンパウロ宣言」一九九五年 三月三十一日 真のお父様は、四十年間にわたって横的には個人から天宙、縦的には僕の僕の段階から神様の段階まで段階を高めながら、犠牲と真の愛によって蕩減復帰路程を歩んでこられ、第三十六回の真の父母の日(一九九五年陰暦三月一日)を期して、全世界の統一食口が、真のご父母様の勝利の基台を相続し、子女の責任分担期間となる第二次四十年路程の出発する「サンパウロ宣言」を宣布された。 四十年前に統一教会が出発したときは、食口の平均年齢が二十一歳から二十二歳でした。それで、統一教会は青年の教会という噂が立ったのです。また、高卒や大卒の者でなければ、統一教会に行っても理解できないという噂が広まり、「水準の高い教会」ということで有名になったのです。 統一教会は、個人や家庭がいかに生き、国や歴史や人類がいかに進むべきかという方向性、目的観に徹した思想を備えているのです。それが神様思想です。 私たち人間が人生を生きていくには、人生をいかに観て、いかに方向づけていくかという「観」をもたなければなりません。ですから、個人における人生観、家庭観、社会観、氏族観、民族観、国家観、世界観、宇宙観、天宙観、神観と、すべてに「観」があるという事実を皆さんは知らなければなりません。「観」というのは、環境を見て方向を定めることのできる道を策定していくのです。 今日、五十億の人類が暮らしていますが、この地上の人間は、個人個人が皆人格をもっています。個人が皆生きていくべき人生観をもっています。「個人」といえば、男性、女性に分かれます。ところで、個人的な立場の人生観だけで生きるとすれば、人類は皆滅亡してしまいます。男性が女性と共に通じ得る人生観、女性が男性とともに通じ得る人生観をもたなければ、家庭や国家、世界というものが形成されないのです。これは否定できない事実です。 人間は男性だけ、あるいは女性だけでは生きることができません。昆虫や動物世界を見ても、オスとメスがつがいとなって、子を産み、群れをなして生きています。氏族編成……種の繁殖によって優勢性のために競争していくという事実が、動物世界において見られるように、人間もまた家庭だけでは生きていくことができません。氏族編成、民族編成、国家編成、世界編成と、より高い次元の統一的な形状を望んでいます。これがすべての存在世界が望む「観」であるということを、私たちは知らなければなりません。 全世界の国家が、世界の問題の解決を望んでいますが、男女の問題をはっきりと解決しなければ、すべての複雑な問題を解決できる方法がありません。男性と女性が永遠に一つになれる道がはっきりすれば、この世界は平和の世界として残ります。男性と女性が真の観を抱き、真の方向性を立てて、真の道を行くならば、平和の世界の入り口に、統一世界の入り口に到達できるのです。 「女性」という言葉は男性を先有条件としています。「男性」という言葉は、女性の存在を前提としているということを知らなければなりません。相手をまず認定してから言える言葉なのです。「右側」というのは左側を先有条件としており、「左側」というのも右側を先有条件として言える言葉なのです。 「上」というのは、上だけあるのではありません。下をまず認定してから、「上」として認定されるということを知らなければなりません。「前」というのも後をまず認定してから言える言葉です。同様に、男性と女性が相対的な関係をもったならば、主体は対象を認め、対象は主体を認め、互いに先有条件として認め合ってこそ、自分を主張できるようになっているのです。先有条件である相対的な主体や対象を否定しながら、自分を主張することはできません。そのような存在はあり得ないのです。 このように、世界は為に存在するのです。全体の為に生まれ、主体の為に生まれ、根本の為に生まれたという論理が成立するのです。「為に生きる」という思想圏内において、全世界が存続し始め、永存し始めるという事実を、我々は今まで知りませんでした。世界が滅亡の域に達したと嘆き悲しむようになったのは、「私のために尽くせ」と考えたからです。「私を重んじよ」と考えたから、問題が生じたのです。 自由世界の個人主義思想は、悪魔の王国、地獄をつくってしまいました。天国を地獄王国にしてしまったということを知りませんでした。宇宙の存続権は「他のために存在する」ことにあるのに、「私のために尽くせ」というのは悪魔の素行であり、破綻と破壊の素行です。そのような者たちは、この地球星に、為に存在する世界に残ることができません! これが鉄則です。これが正統な思想です、正統思想なのです。 人間は三段階の関係の基準をパスしなければ、完成した人間にはなりません。父母をもたなければならず、師をもたなければならず、主導的な王権をもたなければならないのです。王をもたなければならないのです。皆さんは父母から生まれ、学校に行って先生をもたなければなりませんし、社会に出て出世するには、王様を中心として一つにならなければならないのです。これが社会構成の三大原則となっています。それから外れたら発展と向上がありません。 父母が生んでくれたことだけで終われば、動物と同じです。知識があって、知ることによって動物世界や霊物的な存在を指導できるのです。知っている者は主管でき、知っている者は指導でき、知っている者は中心存在になれるのです。 知って主体となったら国を形成し、国を形成したら王様を中心として一つにならなければなりません。より高い次元の中心存在を立てて、世界を一つに収拾し、種の連合体を構成することが、すべての存在世界の欲望であり、本能的な欲求なのです。 それでは、真なる父母はどこにいるでしょうか? 真なる師はどこにいるでしょうか? 真なる国王はどこにいるでしょうか? 私のために尽くせという父母は、悪なる父母になり、子のために生きる父母は、善なる父母になるという概念を学びました。 とするならば、真なる父母は誰でしょうか? 神様です。五十億人類を中心として、神様は「人類のためにある」と考えられるのであって、「ご自身のために人類がある」とは考えられないのです。驚くべき事実です。 また、この地上には師がたくさんいますが、その師は皆、偽者です。師の大王が神様です。神様は宇宙の大真理、知識をぎっしりと詰め込んで、すべてを解明できる内容を備えています。かといって神様は「私を尊敬せよ」とはおっしやいません。 人間がこの世のすべてを理解したならば、神様はさらに多くの宇宙をつくって、それについて教えてあげたいと思っておられます。それが神様の心なのです。神様は教えては忘れ、教えては忘れ、また教えては忘れてしまいます。そのため、さらに大きな事を教えることができる「準備する心」が、生じるしかないのです。 今日、この地の師たちはどうでしょうか?。大学教授が弟子をごう姦し、弟子をたぶらかすといった偽の師が多いのです。こうした退廃的な師は、追放してしまうべきです。キャンパスが退廃し、中学校や高校がフリーセックスの場となってしまいました。エイズがはびこってしまったのです。 全人類が解放され安定できる方向は、為に生きることです。男性は女性のために生き、女性は男性のために生き、王は民のために生き、民は王のために生き、すべての国は世界のために生き、世界は神様のために生き、神様は世界人類のため、個人のため、万物のために生きるとするならば、自動的に平和の世界が訪れるのです。 神様が親として抱いた愛が「為に生きる愛」です。神様の教育方針、教育の源動力は何ですか? 為に教えるのです。自分よりも立派な存在をつくるために教えるのです。 神様は王の中の王です。皆さん、大統領と親しくなりたいでしょう? しかし、大統領は代わる代わる皆消え去っていくのです。大統領の任期は四年しかないのです。しかし、神様の王権は愛の王権です。為に生きる王権です。私のために尽くせという王権ではなく、為に生きる王権なので、永遠に続くのです。 真の父母は子のために存在し、真の師は、弟子のために永遠に生きるという立場に立った師を指すのです。真なる王は、永遠に民のために生きるという王を指すのです。それで真の王という言葉が出てくるのです。 王様はどの国民の家庭よりも立派でなければなりません。すべての家庭よりも立派であってこそ、王様になれるのです。全体のため、国のために生きているので立派なのです。大統領は目を開ければ国のため、目を開ければ民のために生きるべきであって、自分のためにと考えてはなりません。それが真の王です。善王なのです。 私たち人間は皆、国という平面的な地で生きているので、自分の生活も営みますが、国を考えなければなりません。生活するにあたって、自分よりも国を尊重しなければなりません。「自分のためにでなく、国のために生きる王に仕えるがゆえに、自分もそのようにしないわけにはいかない」、そのような者を「真の愛国者」、「真の国民」というなり! 「大統領は目が覚めたときから、すべての家庭と国民のために生きているが、私は自分の家庭のために生きる立場であるがゆえに、国全体のために生きる大統領の前に一つになることによって、私がさらに発展できるので、私は一つにならないわけにはいかない!」。そうなれば、その国は決して滅びません。 どうしてその国は滅びないのでしょうか? 神様に似ているからです。神様がそのように人類のために生き、人類もそのように為に生きるからです。そのような神様と神の国の民に似ているので、そして互いに為に生きあう思想的な土台の上に国家を形成するので、その国は滅びることなく、より高い天上世界、地上世界に向かって発展できるのです! アーメン! 団体の責任者も同様です。統一教会の責任者のレバレンド・ムーンは、朝目が覚めたときから、自分の家庭よりも全世界にいる統一教会の家庭について考えるのです。とするならば、全世界の祝福家庭は、目が覚めたときから、全世界の家庭を保護する先生に代わって、全体が一体となって先生の協助基盤となり、後援基盤となってこそ永続するので、後援基盤になるしかないのです。ですから、家庭全体を犠牲にしても国を助け、世界を助け、先生を助けるのです。そのような宗教は、発展一途です。なぜでしょうか? 神様のようになっているから、神様に似ているからです。神様が保護し、天運が保護するからです。 団体の峠を越えて家庭に入れば、家長たる者は目が覚めるやいなや、一日の生活全体を家族のために生きるのです。十人なら十人の家族のために生きる代表的な父親の前に、父母の前に、残りの家族は皆奉仕して支えなければならないのです。そのように奉仕して犠牲となって一つになることによって、家庭が無限に発展できるのです。なぜでしょうか? 神様の生き方と同じ立場にあるとき、天の保護を受けるので、滅びないで発展して、永存するのです。 統一教会の文先生は賢い男です。その賢い男が、愚かな男のように追われ、悪口を言われ、それでも何事もなかったように目をつぶって生きるのです。目を閉じて、じっと耐えていますが、その代わりに真の愛の味を知りました。心が清らかで、善良な者は、先生と一つにならざるを得ません。 悪い面において、「私のために尽くせ」と言う者たちが頭で世界を支配し、肩、すなわち帝国主義者たちが力で世界を支配し、次に労働者が手足で世界を支配しました。しかし、いまだに良心で世界を支配したことかありません。良心の解放を宣言する運動が、統一教会の運動です。 独裁者たちが頭を使って世界的な基準になって、世界を一つにしようとするときは滅びるのです。その次に、帝国主義的な力の時代、そして共産主義の時代、労働者や農民を中心として限界線まで来たのです。しかし、神様を打とうとして「神はいない」と言ったので、神様が打ってしまうのです。 今、世界を支配できる力の版図が一つだけ残っています。それが良心です。良心というのは、自分のために尽くせという「観」を抱きません。為に生きようとする「観」であるため、為に生きようとする世界の終わりの日になって、良心的な宣言をすることによって、為に生きようとする世界に再び戻っていけるのです。瞬時に戻っていくのです。 腐敗や病弊が、家庭や氏族、民族や国家や世界に蔓延しています。これをいかに除去しますか? すべてが「自分のために尽くせ」という思想の上に立っているので、為に生きようとする思想さえもてば、それらを完全にひっくり返して、踏みつぶすことができるのです。これまでのページは、滅亡のページでしたが、新しいページは栄華のページであり、発展のページなのです。 空気の世界に個人主義がありますか?「諸々の空気よ! 団結しようではないか!」と言って、全世界の空気が十分だけ団結すれば、世界人類は皆滅びてしまいます。空気は絶対に空白を望みません。空いた所ができるのを望まないのです。空いた所が生ずれば、そこに行って互いに埋め合おうとします。空気よりも劣る人間たちが、空気を吸って生きているのですから、空気も泣いています。「おい、こら! おまえ!」と空気が呪うのです。 水が個人主義を主張するでしょうか?「諸々の水よ! 団結して我々のためだけに生きよう!」となれば、世界は滅びるのです。生物がみな死んでしまうのです。水は少しだけ空いた所があっても埋めようとします。高い所にある水は、低い所に流れていきます。 空気も同じです。低気圧が高気圧を訪ねていくでしょうか、高気圧が低気圧を訪ねていくでしょうか? 高気圧が低気圧を訪ねていきます。高いものが下を訪ねていくのです。高いものが、高くなろうとすることはありません。 ですから、資本主義の財閥はみな、アフリカ奥地の一番深いくぼみに注がなければなりません。それを知っているので、レバレンド・ムーンが道案内をするのです。「疲れて杖を引きずって歩けば、そこにはやがて河ができる」というのです。水は高い所から低い所に流れていくのです。為に生きる世界に、水が流れる新しい河ができる、為に生きることのできる空気の新しい統一圏ができる! アーメンです。そのようにしながら循環するのです。 水も冷たい水と熱い水が交流して循環します。互いが為に生きながら循環するのです。互いが為に生きてプッシュしてくれるので、次第に遠くなるのです。そのように遠くなれば、結局は一つになるのです。 先ほど、先生が「様々な観がある」と言いましたが、その「観」というのは簡単なのです。為に生きるのが「観」なのです。個人として全体の個人のために生きれば、正常な伝統の道を行っているのであり、全体の家庭に代わって自分の家庭を投入し、全体の家庭のために生きれば、正しい道を行っているのです。国も同じです。この公式、原則が一つの方向しかないということを誰も知らなかったのです。 統一教会の食口たちは、空気に対しても、人類を代表して呼吸し、人類全体のために生きるのです。思想が違います。宇宙からもらったものは返さなければならないのです。生命の恩恵を返さなければならないのです。空気を吸うのも、私のためではなく、人類と神様のために呼吸し、水を飲むのも、私のためだけでなく、家庭と国と全世界のために、神様のために、存在世界のために飲むのです。すべてを代表的な立場で行うと考えるのです。 お金も自分のために稼ぐのではありません。世界のために稼がなければならないのです。私は食べて暮らせるだけで十分であって、残りは飢えた人、恵まれない人に分け与えなければならないのです。全体のためにお金を稼ぐのです。このような原則、滅亡しない公式的な原則に従ったがゆえに、統一教会のレバレンド・ムーンは滅びないのです。これまで四十年間、監獄に入れられ追われてきましたが、反対されても発展してきたのです。 このような神秘的な内容がどこにあるでしょう? 為に生きる天理に従って生きてきたので、そのようになるしかないのである! アー、アー、アー、メン、メン、メン! アーメン!「アーメン!」と言うのは、そのようにするという意味です。「そうなります!」です。合っていますか? 合っていると思う者、手を挙げてみなさい。そのようにやるという者はもっと大きく手を挙げてみなさい。今やブラジル・サンパウロの統一教会を中心として、世界が尊敬する運動が出発するのです! アーメン! 今日、堕落した世界には真の愛、真の生命、真の血統、真の良心がありません。真の神様が住まわれる基盤がありません。しかし、真の主体的な存在が現れれば、皆さんは対象となって、一斉に「わあっ」と言いながら、その人についていってしがみつくのです。そのようにして完成した男性、完成した女性になれるのです。 真の愛、真の生命、真の血統、真の良心、真の神様の相対圏を所有できる出発基地が、完成したアダムとエバの結婚式場です。天地を代表した人として、神様と人間が一つになれる出発基地、見えない心の人と見える体の人が一つになれる出発基地が結婚式の場につくられるのです。 女性として生まれて、神様が男性ならば神様の妻になりたいですか、なりたくないですか?(「なりたいです!」)。男性たちはどうですか? 同じです。同じなのです。人は誰も王になりたいと思っています。天地で一番偉い王になりたい、天地で一番偉い女王になりたい、というのが人間の欲望です。 神様はそのような欲望をご存じであるため、そのようにしてあげようと今まで待ち望んできましたが、そこに到達できる者がおらず、期待できる者がいなかったため、このような現状になっているのです。 結婚とは何かと言うと、半々の品が互いに補い合って完成品になるということです。男性と女性が完成して、神様を愛することによって解放し、神様を完成させ、神様の所有権を相続するのです。愛によって一つとなるとき、所有権が決定されるのです。神様のすべてを、神様の愛を中心として私のものとし、神様の前に、幾千万倍の価値ある愛の対象になろうというのです。神様を支配できる主人になろうというのです。 女性と男性は、神様を占領するため出発しているということを知らなければなりません。神様が愛のために、愛の相対のために投人して忘れるという思想、為に生きる思想をもっておられるがゆえに、私たちも男性のために生き、女性のために生きる愛を中心として結束してこそ、為に生きるために訪ねて来られる神様を迎えることができるのです。これは理論的な結論です。 純潔な神様を占領したい独身の男性や女性は、純潔を守るべきでしょうか、どうでしょうか? 純潔でなければなりません。恋愛やデートをしては駄目なのです。 愛は絶対的に神秘なるものです。純潔な娘や青年たちは環境圏が拡大しても、神秘なるものを知ろうとして、拡大されたそこに歩調を合わせて踊ってはいけないのです。踊りを踊れる環境で踊らないで、自分自身を保つために愛を守ることによって、広い天地のきわめて小さな立場で、広い天地の神秘を拡大して感じることができるのです。 出発地が二つならば、方向も二つ、目的も二つになってしまい、統一世界や平和世界を形成することができません。出発の基地は必ず一つでなければならないのです。その基地はどこでしょうか? 神様がご自身の愛の相対として人間をつくられたので、神様を知ることのできる段階まで成長すれば、アダムとエバを結婚させるのです。アダムとエバの結婚式によって、人間と一つになろうというのです。出発の基地は家庭です。夫婦の愛を土台にして出発しようというのです。 女性の願いは、神様の体となるアダムを占領することです。また、そのようになればアダムの体となる神様を占領できるのです。アダムも愛の相対がなければ、愛することができません。全体の主体性を知ることができません。それを激動させて主体になれるように、エバは相対的な立場で完全に為に生きなければなりません。それでこそ一つになるのです。 アダムが骨ならばエバは肉です。骨と肉が一つにならなければならないのです。これを東西に分ければ、東弦 (東側の半円形:以下同様)、西弦となり、上下に分ければ上弦、下弦になるのです。男性は上弦として半分であり、女性も下弦として半分です。また東西に半分半分です。これが、南北が一つになり、東西が一つになって、球形を形成していくのです。 女性として男性を完成させるという立て札を書き、サインを完成させることができるのは、愛の基盤しかありません。夫婦が一体となった所でのみ、それが可能なのです。夫は妻によって一体となれたと、妻は夫によって完成したと、立証しあえる立場、不変の愛の立場から統一がなされるのです。 結婚するときは、希望を中心として完成の基準を望んできましたが、結婚してからは、互いに完成した後に感謝の生活をしなければならないのです。そのようになってこそ、神様が臨在するのです。東西が一つにならなければならないのです。男性と女性は東西です。男性が東で女性が西なのです。西側は東側の恵沢を受けて、いつも明るい色が見られるのです。それと同じように、男性に続いて女性は栄光の立場に参席するのです。 男性にも女性にも上下があり、心と体があります。下弦と上弦、霊的なものと肉的なものが一つにならなければなりません。アダムが成熟したならば、神様と一つになれたのですが、成熟できずに堕落したために、これを再び蕩減し、復帰する路程に数千万年かかったということを知らなければなりません。 結婚というのは、半々の品が完成品になるためのものです。神様を占領して、天地の大主人の所有権を私のものにするためのものです。これが結婚式場に向かっていく夫婦の理想なのです! アーメン! すべての完成は家庭から出発するのです。 夫婦喧嘩をしなければならないでしょうか? 喧嘩して血を流し、殴らなければならないでしょうか? 夫は私を完成させるために、数千万年にわたって失っていたものを世界の舞台で捜してきた、ありがたく尊いお客様であることを悟らなければなりません。神様よりも尊いお客様なのです。 エバは三次にわたって夫を殺してしまいました。アダム家庭でアダムを殺し、イエス様の時はイエス様を殺し、再臨主の時は、再臨主の家庭を破綻させてしまったのです。ですから、女性は愛ゆえに三度死に、再び生き返ったとしても、また、その新郎を愛し、新郎のために生きるという心を抱かなければ、天国に行く道がないのです。女性というのは信じられません。しかし、統一教会の原理を知る女性は信じることができます。 人は愛のゆえに生まれました。人は皆、愛の主人を占領し、その主人のものを全部自分のものにしたい欲望をもっています。皆さんは、無限なる欲望の「良心の包み」があるということを知らなければなりません。その良心の包みを埋めるために、神様を占領し、神様の所有権を占領し、さらに大きな何かがあれば、それをも占領したいという欲望があるのです。 完成していない存在であるアダムとエバのために、この宇宙を創造したならば、完成した愛の対象に対して、「あなたは私をつくる前にこのような宇宙をつくってくださいましたが、私を愛の対象として受け入れる今、私のために数千万倍も素晴らしい宇宙をつくってください!」と言うとき、神様はそれを創造できる能力をもっているのです。ですから、アダムとエバ以上に、創造の能力を行使したものは、アダムとエバがつくったものとなるので、神様よりも高くなることを望んだ価値が完成しうるのであります! アーメン! 神主義とは何ですか? 愛を中心として人間が神様、創造主以上の立場に上がれる特権を許した道………その道を踏まえていける方向、従っていける方向、道を示すので、「神主義」と言うのです。 神主義は「真の愛主義」ですが、真の愛主義は、堕落した生命を犠牲にして投入できる道を見いださない限り、その道に到達できません。それで聖書には「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と、逆説的な論理が説かれているのです。 この地上の堕落人間は、個人的な欲望の限界線を越え、個人を中心とした家庭的な欲望・国家的な欲望・世界的な欲望を撃破して、新しい神様を中心とした個人的な欲望・家庭的な欲望・国家的な欲望・世界的な欲望・解放的な欲望を抱いていかなければなりません。そこに妨げがなく、無難に発展し、解放世界と主張できる世界に戻っていかなければ、天国に行く道がないのです。それは個人ではありません。男性一人ではないのです。男性と女性、家庭なのです。家庭はアダムからひっくり返りました。ですから、家庭をたどってその場に引っ張っていかなければならないのです。 アダムとエバが完成段階に至って、神様と一つになるべきであったにもかかわらず、未完成段階においてサタンと一つになって愛を結んだがゆえに、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、偽りの良心、偽りの神様に仕える人間になってしまったのです。 堕落は自覚から始まりました。自分を主張する世界観が出発したのです。終わりの日には個人主義の世界王国を、終着させなければなりません。これは必然的な帰結です。理論的な結論です。サタン世界は、もはやすべておしまいです。したがって、偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、偽りの良心、偽りの神の時代はおしまいです。個人主義王権としての世界は、行く道がありません。みなふさがっています。 そこにおいて、自分の為の主義でなく、相対の為の主義・思想が出てくることにより、反対の道を通って、全体を収拾する、というのが統一教会の運動です。偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命とは逆の真の父母、真の愛、真の生命、真の血統、真の良心、真の神様を私の一身に迎え、天地を自分の所有権の舞台として、主人になるための道を開拓しようというのが統一運動であり、再臨主、真の父母の理想である、ということを知らなければなりません。 今日は第三十六回の「真の父母の日」です。これまで人間は野生のオリーブの木であり、真の父母は真のオリーブの木でした。野生のオリーブの木が、真のオリーブの木に変貌するには、自分を否定しなければなりません。切って接ぎ木をするしか道がないのです。 「真の父母」というのは、神様が創造の理想によって出発から抱いていた概念であり、創造過程において抱いていた願いであり、蕩減復帰歴史の路程においても、神様が目標として抱いていた願いです。この真の父母の顕現が成就しなければ、世の中を正せる伝統的な歴史が形成されない、ということを知らなければなりません。 神様は個人の理想的な愛を中心とした完成体の中心であり、家庭的な完成体の中心であり、氏族・民族・国家・世界的な完成体の中心です。しかしながら、完成体の中心となるこのすべての段階を成そうとしたのが、サタンによって全廃されました。アダムを中心として地上で完成体の対象的な基盤を成そうとしたのが、サタンによって全廃されてしまったのです。そこで、真の父母が来て、再びそのような完成的な個人基盤、家庭基盤、氏族・民族・国家・世界・天宙基盤を連結しなければならないのです。そのため、真の父母と一つになって、天国や神様と一つになれる立場に自動的に帰らせるのが、救援歴史の目的だったということを皆さんは知らなければなりません。 堕落とは何ですか? 家庭の出発である結婚を誤ったことです。偽りの先祖である悪魔とパートナーになったのです。ですから、真の父母を中心として、神様を真なる父として迎え、主人として迎え、師として迎え、王として迎える場において、新しい祝福結婚式を挙げ、それによって反対の道を行くのです。これが統一教会の祝福の恩賜なのです。 その個人は家庭の先祖であり、その家庭は未来の氏族の先祖であり、その氏族は未来の民族の先祖であり、その民族は本来の国家の先祖であり、その国家は本来の世界の先祖であり、その世界は未来の天宙の先祖であり、その天宙は神様の相対世界となるのです。 ですから皆さんの家庭は、世界を代表した家庭です。それから天地を代表した家庭です。神様と真の父母と一つになった、天地と一つになった、そして世界と一つになった代表的な家庭なのです。そこが一つの種です、種。 その家庭を全世界五十億人類の家庭を超えて、どこに植えても、そのまま出てきて、実を結ぶことのできる時が訪れたのです。ですから、この完成した家庭は、天国を造成するための種であり、足場であるということを皆さんは知らなければなりません。 「真の父母の日」ができることによって、真の子女の日ができ、真の家庭の日、真の国家の日、真の世界の日、真の天宙の日、真の神様の解放まで連結されるのです。ですから、どの時代においても、真の父母の名前がなくては連結できないのです。 皆さんの目は、まず真の父母を見たかったのです。どれほどこの目が、涙を流したか分かりません。鼻が真の父母の胸で、真の父母の香りを嗅ぎたかったのです。偽りの父母に出会ったことをどれほど恨み嘆いたか分かりません。この口は真の父母の言語を話し、真の父母の乳を飲みたかったのに、偽りの父母から嘘を習い、偽りの伝統を立てたのです。この耳は真の父母の言葉を聞きたかったのです。この手は真の父母の胸に触れ、真の父母の手を取りたかったのです。それなのに、偽りの父母と怨讐にたぶらかされ、恨を抱いた手になったのです。開こうとしても開くことができず、握ろうとしても握ることのできない恨の手になったのです。 私たちの心と体は、永遠に真の父母に侍る出発をなすと同時に、永遠に離れない真の父母の伝統を受け継ぎ、そこに満足して生きていかなければならなかったのに、歴史の恨を背負って、悲惨さと怨恨を抱き、嘆息圏内から抜け出せない心と体になってしまったのです。私たちは、その現状を知らなければなりません。 嘆息圏内にある全存在の願いは、真なる主人に出会うことです。堕落によって恨の歴史が展開することによって、これまで嘆息圏内にあるすべての存在は、「いつ真の父母に会い、真の父母と共に生き、真の父母と共に食べて寝て、真の父母と共に働き、真の父母と共に歌って踊れる時代が来るだろうか?」とその日を待望しているのです。これが創世からの被造物の願いであり、創世の主人の願いであったということを、今まで我々人間は知りませんでした。 過去・現在・未来の世界が望む真の父母! 今まで発見できなかったその願いの基準を、私たちは得たので、過去・現在・未来の世界が称える祭壇となって、全宇宙と天上世界の先祖たちを解放し、地上世界の人類を解放し、未来の後孫世界を解放できる枠組みをつくってから、死のうというのです。これが統一家の祝福を受けた、先祖となり得る父や母の願いであったということを知らなければなりません。 この地球星のすべての地も、真の父母が踏んでくれることを願っているのです。真の父母の息子、娘たちが踏んでくれることを願っているのです。「真の父母! 真の父母!」と呼んでいるのです。ブラジルは、大きな国だと誇るなというのです。隅々の村まで真の父母の声を聞かせてあげ、真の主人を見せて眠らせてあげないと、ブラジルは永遠に滅びるしかないのです。 地が恨を抱いています。主人を失って父母の愛を受けられずに、被造万物が恨を抱いているのです。地がそうであり、万物がそうであり、万物の霊長である人間もそうだというのです。真の父母を知りたいのに、知ることができずに今、恨み嘆いています。それにもかかわらず、知っている者が口をつぐむことができるでしょうか? できません! 忙しいのです。 私たちは生きた供え物にならなければなりません。供え物には存在意識がありません。全体のために捧げられるのです。供え物は自分を主張することを知りません。血を流して言葉もなく死んでいく供え物が、生きている人間を解放することができるのです。皆さんは生きていますが、死んだ供え物のように、万民を生かす道を行かなければならないのです。しかし皆さんは誰も知りませんでした。本当に悔い改めて本当に一つになって、供え物のように生きる生が、祭祀の日における祝福の主流の場に立つということを知らなかったのです。 全世界の宗教、全世界の国々は福を受けることを望んでいますが、レバレンド・ムーンが供え物になった立場で、言葉もなく殉教した立場で耐えて歩み、万民解放の道を整えたのです。 真の父母が南米を訪ねたこの時は転換の時期です。北米ができて以来、キリスト教文化圏が闘ってきた過去がどれほど悲惨であったか、私はよく知っています。そのような悲しい事情をすべて忘れて、南米を訪ねてきましたが、人々は何も知りません。先生を中心として築かれた統一教会の基盤は、私にいかに侍るべきか知っていますが、ブラジルの人たちは何も知りません。しかし、過去に多くの傷を残したブラジルの人たちは、ひとえに絶対従順、絶対服従さえすれば、すべてが解決するのです。それを願っているのです。 なぜ、そうしなければならないのでしょうか? アダム家庭の絶対不信、絶対心情不一致圏を超えていくには、絶対信仰、絶対統一が必要なのです。それで統一教会なのです。統一しなければ、超えていけないので、このような命題が必要なのです。アダムより立派で、エバより立派で、アダム家庭の夫婦より立派で、アダム家庭の父母より立派で、カインやアベルより立派であればいいのです。そのような家庭を築くのが、神様の全体目的です。その目的を達成するには、絶対服従する道が一番の早道なのです。 それで心と体を一つにしなさいというのです。体が心を引っ張り回しているのです。悪魔が天を引っ張り回したのです。その原理を知ったからには、心が体を引っ張り回さなければならないのです。この体というのは、おいしいものを食べようとし、どんどん良いものを願い、楽なことを望むのです。これを叩きつぶさなければならないのです。体は悪魔の基盤です。これが怨讐なのです。 宗教を信じて救われるのではありません。宗教を信じることで天国に行けますか? 絶対に行けません。宗教を立てた目的は、心を引っ張って動くこの体、天の良心を蹂躙する悪魔の基盤であるこの体を打って正すことにあります。それが宗教の目的なのです。 天国は神様の愛と一体となって入るようになっているのであって、宗教を信じて入るようにはなっていません。キリスト教の伝統的な思想は、「怨讐を愛せ」という思想です。怨讐を愛さなければ、天国に入れないようになっているのです。それが伝統であるのに、旧教と新教がそれをすべて売り払ってしまいました。 神様の愛を中心として神様の血族となり、真なる神様の愛を受け、神様に侍って生きてから、家族が移り住むのが天国なのです。個人では天国には行けません。イエス様も結婚できなかったので、天国に行けなかったのです。ですから、再び来て、再臨して、家庭を築いて入っていかなければならないのです。いたずらに、そのようなことをしていると思いますか? カトリックの神父と修道女も結婚しなければなりません。結婚の問題で堕落してエイズにかかり、皆滅びているのです。 そうなれば門を閉めなければなりません。アメリカでも旧教の修道院や神学校をすべて売り払っています。私が今、それを買って、生かしてあげなければなりませんが、あまりにも多すぎるのです。神父を養成するニューヨークの有名な神学校に、ある神学生が入ってきたのですが、その一人の神学生を前に神父が祝祷しながら、嘆き悲しむのを見たのです。 天運が、結婚する時になりました。男性と女性が愛に酔えば、女性が男性を知り、男性が女性を知って、フリーセックスする事態が生じますが、神父が止めても止めようがなく、皆浮気をして問題が起こるのです。神父も同じです。もっと悪いのです。エイズにたくさんかかったのが神父です。神父や修道女たちなのです。 今や、ローマ・カトリックは、神父と修道女が結婚できるという天命を下さなければ、ローマ教会がなくなるのです。時が経てば分かります。それを知っている賢いレバレンド・ムーンが、結婚して還故郷することを命じたのです。すべての宗教は出家を命じ、結婚に反対しますが、レバレンド・ムーンはその反対の道を行っています。偽りの父母の血肉を受けない真の父母が来たので、早く反対の道に行かなければならないのです。 今年の八月には何双が結婚しますか? 三十六万双です。七十二万名です、七十二万名! なんと今や現実となりました。観念ではないのです。誰が否定できますか? ブラジルの大統領やその機関が否定できますか? できません。「正しい!」と言うのです。その息子と娘が参加しており、孫が参加しているのです。息子が参加するので、嫁が皆そこにいるのです。 次は何双やりましょうか? 三百六十万双ですか、三千六百万双ですか? 数か国だけでも数千万です。人ロ一億六千万のブラジル人が皆参加すれば、八千万双できるのです。一週間あればすべて祝福してあげられます。それを誰が止められますか? 男として生まれて、結婚できる女性を探すというのは、最も恐いことです。山中のトラよりも、アフリカ砂漠の飢えたライオンよりも恐いのです。自分の身を、どこに依託しますか? ないのです。気がついてみると統一教会以外にないのです。ですから、若者たちが集まってくるのです。 統一教会にはホモセクシュアルは必要ありません! レズビアンも必要ありません! フリーセックスも必要ありません! 麻薬も必要ありません! エイズも必要ありません! そのような息子や娘をもったならば、天下の誰よりも誇りであり、それ以上に素晴らしいことはないのです。何が悪いというのでしょうか? 悪魔はレバレンド・ムーンがサタン世界を滅茶苦茶にするので、あることないことをでっちあげて「レバレンド・ムーンを追放せよ! たたきつぶせ!」と、ありとあらゆることをしてきましたが、今やなすすべがありません。このようなことができる者がブラジルにいますか? ボリバル(一七八三~一八三九、南アメリカの独立運動指導者)もこのようにはできませんでした。孔子や孟子、釈迦牟尼やイエス様、世界のいかなる者もできませんでした。しかし、レバレンド・ムーンは世界の版図を中心として、四十年で宗教圏や文化圏、すべての政治圏や経済圏、技術圏を統合しました。そして万民解放のための技術平準化運動を呼びかけて、世界に問題を呼び起こした男なのです。 ご覧なさい。善良な八十歳の老人が、元気溌剌とした青年以上の雄叫びをあげて、老人や若者を一挙に感動させるのを見たので、若い青年、血の踊る爆発的な勇気をもった男たちは、休むことができないのです。眠ることができません。遊ぶことができないのです。先生以上にやるべき課題が残っているということを知らなければなりません。 神様が関心をもって見ておられるのです。汗を流す場があれば、統一教会はさらに汗を流す場に行かなければならず、餓える場があれば、統一教会はさらに餓える場に行かなければならないのです。統一教会を完全に犠牲にして、宗教の終着点を設定しなければならないのです。 この体がサタンに縛られているので、体を打つために体が一番嫌がる「断食をせよ、犠牲になれ、供え物になれ、血を流せ」と言うのです。そうすれば宗教が必要ありません。宗教の目的は、この肉体を打つことです。良心を中心とすれば、神様を自動的に訪ねていくようになっています。 良心の解放と良心の絶対世界に前進するのです! アーメン! 良心を解放しなければなりません。神様の祝福を受けるのです! 受けるには実践が必要なのです。実践するのです! アーメン! 神様の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 神主義は「真の愛主義」ですが、真の愛主義は、堕落した生命を犠牲にして投入できる道を見いださない限り、その道に到達できません。それで聖書には「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と、逆説的な論理が説かれているのです。 この地上の堕落人間は、個人的な欲望の限界線を越え、個人を中心とした家庭的な欲望・国家的な欲望・世界的な欲望を撃破して、新しい神様を中心とした個人的な欲望・家庭的な欲望・国家的な欲望・世界的な欲望・解放的な欲望を抱いていかなければなりません。そこに妨げがなく、無難に発展し、解放世界と主張できる世界に戻っていかなければ、天国に行く道がないのです。それは個人ではありません。男性一人ではないのです。男性と女性、家庭なのです。家庭はアダムからひっくり返りました。ですから、家庭をたどってその場に引っ張っていかなければならないのです。 アダムとエバが完成段階に至って、神様と一つになるべきであったにもかかわらず、未完成段階においてサタンと一つになって愛を結んだがゆえに、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、偽りの良心、偽りの神様に仕える人間になってしまったのです。 堕落は自覚から始まりました。自分を主張する世界観が出発したのです。終わりの日には個人主義の世界王国を、終着させなければなりません。これは必然的な帰結です。理論的な結論です。サタン世界は、もはやすべておしまいです。したがって、偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、偽りの良心、偽りの神の時代はおしまいです。個人主義王権としての世界は、行く道がありません。みなふさがっています。 そこにおいて、自分の為の主義でなく、相対の為の主義・思想が出てくることにより、反対の道を通って、全体を収拾する、というのが統一教会の運動です。偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命とは逆の真の父母、真の愛、真の生命、真の血統、真の良心、真の神様を私の一身に迎え、天地を自分の所有権の舞台として、主人になるための道を開拓しようというのが統一運動であり、再臨主、真の父母の理想である、ということを知らなければなりません。
2022.07.25
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神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会 ヒルトン・ワシントン・ホテル) 米紙ワシントン・タイムズ二十周年祝賀晩餐会が五月二十一日夜、ワシントン・ヒルトン・ホテルで開かれ、政治家、著名な学者・文化人、メディア関係者、宗教指導者など約三千人が出席、ブッシュ大統領もお祝いのメッセージを寄せた。同紙創設者である文鮮明師が演説し、ワシントン・タイムズが人類を教育していく任務を果たすよう要請した。 晩餐会では、少年少女聖歌隊が元気な合唱を披露した後、コンラッド・バーンズ上院議員(共和、モンタナ州)が祝辞に立ち、「先ほどの歌では、子供たちのエネルギーのすごさを感じましたが、ワシントン・タイムズのエネルギーもそのようなものだと思います。ワシントン・タイムズがこの二十年間にわたってなしてきたインパクトの大きさは、ここに集まっている人々の数と質を見れば分かります」と表明。 ダニー・デービス下院議員(民主、イリノイ州)は「真の父母としての価値を私たちに教え、愛と友情と重要なことをすべて、われわれに教えてくださり、われわれの行くべき道を、また勇気を与えてくださった文先生ご夫妻、本当に心から感謝します」と述べた。 次に、ホワイトハウスのティム・ゲーグリン補佐官が「ワシントン・タイムズが一九八二年に創刊され、その意見、その主張、その記事、その討論がどれほど大きなインパクトを与えてきたでしょうか。私はここまでワシントン・タイムズを育てた一人一人に対して心からその業績を称えます。そして、きょうの会が素晴らしい祝典になりますように」とのブッシュ大統領のメッセージを読み上げた。 また、米国とカナダで毎日二千万人が聞いているラジオ番組のローラ・シュレジンジャーさんは、ワシントン・タイムズが真実を報道しているとしてその勇気を称賛した。 ワシントン・タイムズの業績をまとめたビデオ上映に続いて、ウェスレー・プルーデン編集長の紹介を受け、文師が登壇し、「神様のみ旨から見たイエスの生涯と終末期にある現代に対する警告」と題して講演した。 文師はその中で、「天運がついに訪れています」として、「霊界にいるイエス、ペテロ、ヨハネと他の弟子など数万人もの宗教指導者が地上世界に自由に降臨して、真の父母に侍っているのです。疑いなく、神様のみ心である統一された国が地上に成し遂げられるでしょう」と言明した。 そのうえで、「今は第二イスラエルであるアメリカが最前線に立つ時です。米国がすべての世界の人々を導く責任をもっています。しかし、武器によってではなく、真理と、真の愛・真の生命・真の血統に基づいて他者のために生きる愛によってそれを果たさなければなりません」と強調。ワシントン・タイムズなどが人類を教育していくという天から与えられた任務に取り組むよう求め、会場から盛大な拍手を受けた。 ガビリア元コロンビア大統領らが表彰された後、文師夫妻に対し、特別な感謝の品が贈られた。 最後にカントリー歌手のランディー・トラビスさんが数曲熱唱したのに続き、文師夫妻が二十周年記念のケーキカットを行い、歓喜のうちに閉幕。参加者全員に対し帰る際、「百二十人の共産主義者の霊界セミナーに関する報告」などが手渡された。 尊敬する米国内外から来られた皆様。 ワシントン・タイムズ創刊20周年を祝うことは、私にとってとりわけうれしいことです。1982年5月、天命を受けてワシントン・タイムズの創刊を決意した時の記憶は、いまも鮮明に残っています。これは、私が人種的、宗教的偏見に基づく訴追を受け、ニューヨーク連邦裁判所で、不当な裁判を受けている時のことでした。 当時、共産主義が巨大な荒れ狂う波のように世界を席巻していました。米国でさえ、この問題に効果的に対応する手段を持ち合わせていなかったのです。私は、民主主義世界の最後の砦であり、第2イスラエルを代表するキリスト教国家である米国を共産主義から守らなければならない、という天の崇高な意思に従ったのです。天のみ旨はまた、神が求める平和な理想世界を造ることでもあります。すなわち、地上と天上の天国をキリスト教を通じて実現することです。ただお金をもうけるためだけに新聞社を設立したのでは決してありません。これまでワシントン・タイムズだけで10億㌦以上が投じられてきましたが、これを後悔したことも、誰かに対して憎しみを抱いたこともありません。それは、これが天と人類への真の愛を実践する道だったからです。 私が米国にきてから、すでに30年以上がたちました。82歳になり故国に帰る時が近づいていることを感じています。その前に、第2イスラエル圏内の国家、米国と全人類に、神の事情と霊界に関するメッセージをはっきりと伝えておきたいと思っています。単に個人としての私からのメッセージばかりではありません。天はメッセージを送ってくださっています。人類はそれを今、実行しなければなりません。これまで人類は、天のみ旨を知らずに生きてきました。第1に人類は神のことを知らず、第2に私たちは、望むと望まざるとにかかわらず誰もが最終的には必ず行く霊界について知らずにきました。 今、人類歴史の終末時代に入っています。霊界では、4大宗教の創設者をはじめとする無数の宗教指導者たちが、私が説いた統一原理を最高の次元の真理として受け入れています。彼らは完全に動員され、祝福結婚を通じて弟子や子孫に新しい真の家庭を築かせることによって復活するため、地上に戻っています。 とりわけ、第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国のために、イエスを中心とする4大宗教創始者がそれぞれ、歴史的によく知られる弟子たち120人を選び、統一戦線を築いています。今、地上へ戻り、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)と世界非政府組織協会(WANGO)の運動を推進し、地上の完全な平和の実現に邁進しています。また、真の父母の哲学である「為に生きる生活」をし、真の愛を実践しなければ人類に未来はない、と主張しています。だからこそ、この機会を生かし、記念スピーチを行い、米国と人類に最も重要なメッセージを「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」という題目でお伝えしたいのです。 十字架上のイエスの愛とその遺産 イエスの十字架の摂理を調べれば、イエスと右の強盗、左の強盗、そしてバラバが歴史の種をまいたということが分かります。まかれたものは刈り取られなければならないのが、原則です。ですから、最初に現れたのは右翼世界と左翼世界、すなわち民主主義圏と共産主義圏で、これは「右の強盗」型と「左の強盗」型を表しています。その次にイエスの十字架を中心としてイスラム、つまりバラバ型が現れました。バラバがイエスゆえに福を受けたことで、イスラムはキリスト教への抵抗勢力として出現しました。 こうして種がまかれた歴史は、4大ブロックに結集する世界を形成する時代に入りました。アラブ・ブロックのガマル・アブデル・ナセルは、イスラム圏を統一アラブ国家としてまとめることを夢見ました。一方のキリスト教は、世界中の新潮流をリードし、「全宗教を統一しよう」と主張しています。このような流れを見ると、悲劇のうちに種をまかれた歴史は、今や初めて、神を中心とした善の果実として実ろうとしていることが分かります。最後の時代を迎え、この現象はますますはっきりとなり、最初にまかれた種は、ついには完全に本来の形で実り、刈り取られます。これは、神の法であり、避けることはできません。すなわち、統一は、真の愛という真の父母の思想に従って成し遂げられます。 民主世界が内的とすれば、共産世界は外的です。右翼が内的なら、左翼は外的です。そのため、来るべきメシアは必ず、神を尊重する民主世界の内的基盤の上に現れなければなりません。メシアは外的世界をのみこみ、主流であるキリスト教圏を中心として異なる文化を統一する運動を推進しなければなりません。こういった運動は歴史の最後になされるものです。このようなことは、偶然に起こるはずはありません。大元の原因の性質が、そのような結果を導くのです。 右の強盗の功績 イエスが十字架にかけられ、右側の男とともに亡くなりました。その男は強盗であったばかりでなく、殺人者でもありました。もしこの強盗がそこにいなかったなら、イエスは地上世界と人類との関係を失っていたでしょう。右の強盗自身も死が近かったのですが、それでもイエスを擁護しました。人類歴史において、だれがイエスの味方をしたでしょうか。ペテロでもなく、イエスの父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。それは、右の強盗たった一人でした。イエスとかかわりを持ち続けたのはこの人だけだったのです。死に際し、彼は死を超えて、すべての希望をイエスに託したのでした。右の強盗以外には誰もいません。もし右の強盗がいなかったなら、イエスは復活して地上の摂理を再開することができなかったということを、知らなければなりません。 イエスが4000年の歴史と30余年の生涯に終止符を打とうとしていた時、イエスの最大の願いを具現する人として、そこにいて、イエスにつながり、イエスに侍ったのは、ただ一人でした。死の道にありながら、イエスにつき従ったのです。右の強盗はこのような行動をとることで、イエスの弟子を超えました。ペテロを超えたのです。つまり、右の強盗はイエスの教えは知りませんでしたが、その性格が、最後の瞬間に、最後の息を引き取るまで、イエスにつき従わせ、そのための力を与えたのです。これに対してペテロ、ヨハネら12弟子はイエスの教えを知り、生まれ変わることを誓ってさえいたにもかかわらず、最終的にはそれを達成することはできませんでした。このような理由から、右の強盗は人類史の中心人物であり、地上世界を代表し、未来を救う人となったということを知らなければなりません。 私たちにはこの歴史を引き継ぐ権利があります。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス、それに続く人々の伝統と基盤を相続し、この歴史的な犠牲の供え物の代わりとなっていかなければなりません。そうして初めて、サタンと向き合い、「歴史の中で、あなたはノアに負け、ヤコブに負け、モーセに屈服した。私はこれらすべての基盤の上に立ち、摂理史のすべての伝統を相続した。サタンよ、去れ」と叫ぶことができるのです。そうして初めて、サタンは退くのです。 ただ「サタンよ、去れ」と祈っていても、何にもなりません。6000年間にわたって人類を讒訴し、神の摂理を踏みにじり、復帰節理を破壊してきたサタンです。あなたが、ただ去れと言い、イエスを信じたからといって、退くとお思いですか。断じて違います。皆様に必要なのは、「私は間違いなく、神が歴史的心情を通して、求めてきたその人だ。私はイエスの聖なるけがれなき体に接ぎ木された者だ」と言える力です。あなた方の名前はイエスが神から授かった相続の書に記録されるはずです。神の相続の書には、神が地上にイエスを送ることができるまでの4000年間、抱いてきた心情を相続したものが記録されます。そうして、十字架上でサタンを打ち負かすのではなく、サタンを屈服させる力を持ち、十字架にかかることなく、サタンに勝たなければなりません。肉の体を持ち、実体を持って復活しなければなりません。こうして実体的な相続者ととして認められた者だけが、天国に入ることができるのです。 キリスト教に霊的基盤だけを与えたイエスの死 今日までキリスト教は、地上と霊界両方での天国を追い求めることができないでいます。キリスト教は物質世界を放棄せざるを得ず、イエスに霊的メシアとして侍り、霊的救いと霊的天国をその目標としてきました。イスラエルの人々は、国家を持ち、選民としての国家的権威を持っていましたが、今日の第二イスラエルの立場にある世界的なキリスト教は霊的な国家であります。キリスト教は国家的主権を持たず、キリスト教徒は国を持っていないのです。第二イスラエル圏内には霊的土台のみがあり、実体的な基盤はないのです。キリスト教は神の本来のみ旨を達成することができなかったため、神のみ旨である霊と肉両方の地上天国を実現するには、主を再び迎えるしか道はないのです。 私はきょうここに、一つの宣言をしたいと思います。十字架は神の勝利ではなく、サタンの勝利だったのです。イエスをゲッセマネの園でとらえた人々に対しイエスが、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカによる福音書22章53節)と言ったことを思い出してください。十字架は、神が4000年間準備してきた国が失われた場所であり、イスラエルの信仰が失われた場所であり、洗礼ヨハネに従う人々、12弟子、左の強盗、その他すべてが失われた場所でもあることを知らなければなりません。キリスト教が十字架にかかったのではないこと知らねばなりません。キリスト教はいつ始まりましたか。イエスは3日後に復活し、40日かけて、失った弟子、自分に背を向けた弟子たちに会いました。聖霊が弟子たちに降りました。そのとき初めてキリスト教が始まったということを知らねばなりません。過去2000年間にわたってキリスト教徒は信仰を持ってきましたが、キリスト教が十字架の原理によってではなく、復活の原理によって生まれたということを知らずにいました。この事実が分かれば、悔い改めざるを得ません。キリスト教はイエスの復活の基盤の上に生まれたのであり、そのため、キリスト教は厳密に霊的なのです。 イエスが十字架で死ななかったら、どうなっていたでしょうか。その場合、イスラエルの民族はイエスの教えに従い、安定し、存続していたことでしょう。ユダヤ教もそのまま存続したことでしょう。イエスは、自らが十字架で死ねば、後に多くの人々がそれに従い十字架の道を行くことになり、血を流すことなくイエスに従うことができなくなることを知っていました。多くのキリスト教徒が苦難を受け、主が再び来られる時も、苦難の道を行かなければならなくなるでしょう。これが、イエスがゲッセマネの園であのように祈らねばならなかった理由であることを知らねばなりません。今日、キリスト教徒はイエスが肉体を持ち、死の痛みを恐れたため、放免されるよう祈ったとしています。イエスはそのようなつまらないメシアだったというのでしょうか。絶対に違います。 ならば、イエスが十字架上でその命を落とすときに発した「終わった」と言葉は何を意味するのでしょうか。イエスは霊と肉両方の救いをもたらす使命を持ってきましたが、基盤のないままでは神のみ旨を完全には成し遂げることができないことを知っていました。そのため、霊的救いの条件を立てるため完全に自らを供え物として、摂理が始まるようにしたのです。それを完成したのでイエスは最後に、「終わった」と言ったのです。 おそらく皆様方の想像力をもってしても、このようなことは考えられなかったでしょう。キリスト教とユダヤ教は今からでも、主は、サタンの国を破壊してサタンの王権をなくし、神のみ旨を完成して人間性を復帰しようとしたが、非業の死を遂げた、ということを認めなければなりません。これが分かれば、悔い改め、一つになれるはずです。一つになり、帰ってこられる主を迎える準備をしなければなりません。 結果には、原因がなければなりません。全キリスト教徒が、盲目の信仰の時代を捨て去り、一丸となって新しい時代に向かって前進し、この世をまとめ、救いに至らしめる、そのような時代が来たのです。「統一」の言葉が不可欠な時代がきたことを知らねばなりません。 イエスの3日間の苦難の路程 イエスが死後3日間苦難を受けたということは何を意味するのでしょうか。天と地と地獄すべてが、死亡圏内にとどまっていました。イエスが天と地で権威を得るためには、この死亡圏の全域を把握しなければなりません。ですから、命につながれることを求め、神を慰める道を行くためにイエスは、たとえ地獄のような最低の環境に下りていくことになろうと、苦難を受けることになろうと、勝利しなければならなかったのです。イエスが地獄を通過したので、天へ向かい新しい出発をすることができる道が備えられました。地上ではのけ者にされ、孤独で、ついには死の道を行かざるを得なかったイエスですが、後代のために希望の道を残すことができたのです。これが3日路程を行かねばならなかった理由です。 イエスは、ただ地獄を見て回るだけのために、3日間地獄にいったのではありません。すでに地獄のことは知っていました。そこに行き、審判を受け、死の世界から生の世界に移る道を行かねばならなかったのです。こうしてイエスは、死の世界であり、地獄である地上に勝利の基盤を打ち立て、天に至ることのできる出発点を確立したのです。 十字架上でもイエスは天のことを心配し、敵を愛した 当時の既成宗教の指導者にとって、イエスは異端者でした。また国家にとっては、律法の破壊者でした。イエス自身の氏族がイエスを拒否し、家から追い出しました。洗礼ヨハネのグループもイエスを否定しました。それでイエスは荒野に出ましたが、サタンが彼の後を追いました。それだけではありません。やがて国全体が、十字架上の死への道、ゴルゴタの道にイエスを追いやったのです。 それでもイエスは、裏切り者として自らを十字架にかけた民族のために涙を流したのです。既成宗教から異端として扱われながらも、イエスはどの聖職者よりもその宗教指導者らのために多くの血と涙を流しました。その時代の誰一人として、イエスを支えるものはいなかったにもかかわらず、イエスはその時代の友でした。イエスは裏切り者で拒否されましたが、最大の愛国者でした。異端として拒否されましたが、最大の信仰者だったのです。 イエスは惨めな道、十字架の道を行き、そこで人々はイエスの着ていたものをはぎとり、追いたて、地に伏せさせたのです。それだけではありません。悪人がイエスを鞭で打ち、打ち倒したのです。ここでイエスがエリヤのようでしたら、「私はただ一人残った主の予言です」(列王記・上18章22節)と人々に言ったことでしょう。しかし、イエスはゲッセマネの園で弟子を残して、祈りに行ったとき、ここ言いました。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。ここがイエスの偉大なところです。イエスには、自らの体が国家のための犠牲の供え物であり、人類のための犠牲の供え物であり、天の摂理のための犠牲の供え物であることが分かっていたのです。 このことを知っていたがために、イエスは、悲しみを隠すことなく、さらに神の悲しみがいかばかり大きなものであるかを心配されたのです。イエスは国家のために現れました。そのイエスが裏切り者として拒絶されるのを見て神はいかに悲しまれているかを、イエスは心配したのです。イエスは天の王子であり、全天宙の中心人物であり、メシアでした。望めば、自らを哀れむ道を選び、なぜ十字架の惨めな道を行かねばならないのかを問うこともできたのです。イエスなら、全天宙を動員して、ともに絶望の深いため息をつかせることはできたでしょう。ところが、イエスは、自らのすべきことは、絶望のうちにため息をつくことではないことを知っていました。そればかりか、拒絶されたことを天に対して申し訳ないという思いを抱くまでに至ったのです。 イエスは、宗教指導者を結集し、民族を盛りたて、天の王国を築き、世界を父の懐に返す、という使命を持っていました。ですが、その使命を放棄し、十字架の道を行かざるを得なくなったときでも、恨みを抱くことは一切ありませんでした。死を恐れる余り「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのではなく、自らの死が民族と神の悲しみを増すことになる、そのことを知っていたがためにこう祈ったのです。 イエスは、十字架で死ねば、後の世代の人類にもっと重い十字架を残すことになるということを知っていました。それは、悲しみの歴史は終わらないということを意味します。ゴルゴタの道はイエスだけにとどまらない、ということをイエスは知っていたのです。死の道は終わらないことを知っていたのです。イエス自らがゴルゴタの道を行けば、イエスに従う者も同じ道を行かねばならなくなるということを知っていたのです。もっと困難な道が十字架の向こうにあるということを知っていたのです。 いばらの冠を被らされ、両手両足にくぎが打ち込まれ、わき腹にやりが差し込まれた時、このことが、自らの死よりもはるかに大きな衝撃を与えることになるということを知っていたのです。イエスが天に向かい、「終わった」と言った時、それは世界の十字架の道が終わったということを意味したのではありません。十字架にかかることに関して、天がイエスの心からの涙ながらの願いを聞き入れてくれたことを意味したのです。イエスは天を慰めるために、預言者、愛国者が犯したすべての過ちを背負い、自らを生きた供え物としたのです。 それ以上に、イエスは死が近づいたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と言いさえしたのです。神はすぐ審判を下すつもりでした。それはノアの時代の審判よりもさらに大きなものでした。ところが、イエスは民族を愛し、宗教組織を捨てず、十字架の道を選び死にました。そのため、神は人類を捨てることはできず、私たちをつかんでくれているのです。イエスと後の世代の人類およびイスラエルの残った人々との間に、この心情のきずながあるがために、神は、宗教組織と後代の人々が神に背を向けようとも捨てることができなかったのです。つかんでくれているのです。 イエスが私たちと分かつパンとぶどう酒の意味 ここにいる皆さんは、神が数千年間にわたり復帰の摂理をしてこられ、イエスを復活させるだけでは、天地における神のみ旨は全うすることはできないということをよく理解しておられることと思います。そのために神は、神の言葉で新たな契約を打ち立て、それを通じて、天地のみ旨を一つにし、約束の本来の園を打ち立てるための摂理をしてこられたのです。 聖書には、イエスがぶどう酒とパンを私たちに与え、それは約束と新しい契約である、と言ったとあります。イエスが地上に現れて後、私たちはイエスの血と肉を受けました。これらは、成就しなければならない、完成したものすべての生命を表すものです。同時に、摂理の全体を表すものでもあります。 イエスの血と肉を受け取ったということは何を象徴するのでしょうか。これは単に一人の人の血と肉にとどまりません。大きくは、天と地を表し、小さく見れば、中心であり個人の体を表します。さらに肉は真理を、血は聖霊を象徴します。イエスはこれらを無条件に与えてくださったのです。 神と人類の間に立ちはだかってきたのは何でしょうか。天のみ旨は地上で現れるべきであり、地上のすべては最終的には天につながれなければなりません。これがなされず、神と人類は離れ離れになってきました。イエスは生前、新しい契約を打ち立てていきました。そのため、イエスの死後、人類すなわちイエスに従った弟子にとって、霊界と地上界をつなぐことが必要な条件として残されました。イエスが死ななければ、天と地はイエスを通じてつながれたのです。イエスは亡くなられたため、天の事情を代表するものとなり、聖霊が地の事情を代表するものとなったのです。 尊敬する皆様。時が来ました。神が六千年間待ち望み、キリスト教徒が2000年間待ち望んでいた天の時が来ました。天上、地上の天国を、宗教を超え、国家を超え、組織を超えて、建設するときが来ました。天運がついに到来したのです。今では、霊界のイエスやペテロ、ヨハネなどの弟子たち、加えて数千、数万の宗教指導者が一心同体となって、真の父母に侍るために自由に地上に降臨しているのです。間違いなく、天地が永遠の平和の下に一つとなり、天のみ旨の統一天宙国家と天国が地上に定着するのです。 今や第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国が最前線に立つ時代です。米国には全世界の人々を導く責任があると、私は世界に宣言します。しかし、武器で導いてはなりません。それは真理と愛を持って、真の愛、真の生命、真の血統を基盤に、他者の為に生きることでなされなければならないのです。 最後にワシントン・タイムズ、UPI、その他主要メディアが宗教、思想を超えて、この天からの崇高な命令を受け入れ、人類を教育する使命を推進することを願っています。霊界にいる指導者からのメッセージを収めた小冊子を皆様にお配りしました。これを精読してくださいますようお願いいたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2024.11.02
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https://youtu.be/ktGb-vwy_zo
2019.03.06
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真のお母様、「真の父母と成約時代」宣布、日本巡回講演09月11日、札幌、岩見沢09月12日、仙台09月13日、郡山、東京09月14日、東京09月15日、長野09月16日、三条09月17日、前橋09月18日、東京09月19日、金沢09月20日、岐阜、愛知09月21日、岡山、広島09月22日、鳥取09月23日、高松、松山09月24日、宗像09月25日、熊本09月26日、佐賀・鳥栖09月27日、沖縄09月28日、京都09月29日、神戸、大阪09月30日、大阪真の父母と成約時代 一九九三年九月十四日、東京・後楽園の東京ドームで、五万人の参加者を集めて開催された、「世界平和女性連合」の創立一周年記念大会において、文鮮明師の令夫人・韓鶴子女史が、同連合の総裁として行った、講演である。尊敬する御来賓、そして紳士、淑女の皆様。 このたび、招待講演会に、このように多数の方々がお越しくださいまして、心から感謝申し上げます。皆様が平和世界を建設するために献身される姿に接し、心から感動を覚えます。 皆様も御存じのように、今日私たちが住んでいる世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭崩壊と道徳的退廃の問題に直面しています。したがって、私たちがもし明るい未来を願うならば、何よりもまず、神が人類を創造した根本目的を理解しなければなりません。 人間はだれでも、自分の愛する者が自分よりも、もっと立派になることを願います。例えば、すべての親は、子供たちが自分以上に立派になることを願います。このような心は神様から来たものです。神も、御自身が創造した子女である人間が、自分以上に、もっと立派になることを願っています。 さらに神は、子女たちに限りなく与えようとされます。神は一○○パーセント与えたからといって、決して満足されません。御自身が持っているものを千倍あげても、それ以上与えようとされます。 神の愛は、すべてを与え尽くしても、与えたという記憶すら忘れてしまう愛です。そして、永遠に与えたとは判断されない方です。 よく知ってみますと、神が被造世界を創造した目的は、愛の相対を得るためでした。神が存在するものをみなペアシステムでつくられた目的は、真の愛のためでした。 したがって、父母は子女のために生き、子女は父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、そして妻は夫のために生きなければなりません。すべての被造万物は、「ために」生きるように創造されたので、与えながら生きるようになっています。神の創造理想 もしも、アダム家庭で、神の真の愛の理想が成就されていたならば、その家庭は天国の出発点になっていたはずです。そして、このような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族的、国家的、世界的に拡大されていったでしょう。さらに、地上ばかりではなく、霊界までも天国理想が展開したでしょう。 もし、神の根本理想が完成していたならば、メシヤはもちろん、神の救援摂理も必要なかったはずです。一家庭であっても、アダム家庭は正に真の愛を中心として「ために」生きる家庭として、氏族、国家、世界の中心となったはずです。アダム家庭は、そのまま未来に誕生するすべての家庭の青写真となり、神の理想世界を実現する手本になったはずでした。人類歴史の誤った出発 人類始祖の堕落のゆえに、神の救援摂理が始まりました。救援摂理の歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日、成約時代に至るまで、複雑多岐で苦難に満ちた路程を経ながら、延長に延長を重ねてきました。 神がアダム家庭を中心としてつくろうとされた真の家庭の理想と天国は、アダムとエバが神から離れることによって、成就できませんでした。堕落のゆえに、今日の世界は、神が理想とされた善の世界とはあまりにも掛け離れた世界になってしまいました。事実、今日の世界は、偽りと利己的な愛に満ちています。 それは、アダムとエバがサタンを中心として、利己的で偽りの愛を土台として、偽りの父母となったからです。彼らは善の代わりに悪を繁殖し、偽りの家庭をつくり、子孫に偽りの生命と血統を伝授しました。そして偽りの氏族、国家、世界が現れるようになりました。 したがって、神の救援摂理の最も重要な目的は、真の愛を中心として復帰されたアダムとエバを代表する真の父母を見いだすことです。そして彼らを中心として、真の家庭をつくることです。そうすれば、その家庭を出発点として、真なる氏族、国家、世界が展開されていきます。言い換えれば、神の真の愛、真の生命、真の血統をはぐくむ種が創造されなければなりません。和解を実現する公式 御来賓の皆様。腐敗と罪悪に満ちた世界が、善と愛の根源であられる神からどうして始まったのかと、疑ったことはなかったでしょうか? 聖書を注意深く読んでみると、人間の堕落が、アダム家庭全体を失う結果になったことを知ることができます。第一に、アダムとエバが堕落によって、父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって、子女の位置を失ってしまいました。 理想家庭と完成した世界を計画されていた神の青写真まで失う結果になりました。したがって、神は根本家庭を復帰するために、カインとアベルの位置を復帰し、そして、真の父母の位置を取り戻すために、反対経路の摂理を進めなければなりませんでした。 カインとアベルを和解させ、一つにさせるパターンは、そのまま真の父母を復帰する基台として、復帰摂理歴史の公式になってきています。ユダヤ教、キリスト教の歴史を調べてみると、堕落人間はカイン・アベルのように、敵対と分立歴史を繰り返してきました。したがって神は、堕落人間をサタンを象徴するカイン側と、神を象徴するアベル側の二人の兄弟関係に分立させ、堕落によって生じた憎悪を取り除いてこられました。 神は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をとってきました。その結果、アベルは自分を犠牲にし、カインを包容して、長子に与えられた祝福を取り戻したのです。例を挙げれば、救いの目的の最先端を行く宗教は、いつもサタンから激しい迫害を受けてきました。そのような宗教の行く道は、常に反対されながらも、罪悪世界を救うために絶えず犠牲になってきました。それゆえ、善なる人々はいつも先に打たれ犠牲の道を行きます。今日、堕落した世界を見ると、例外なく、カインとアベルの善悪の葛藤と闘争を見ることができます。このような葛藤と苦痛は、個人の心と体の衝突から始まります。心はアベル側に立ち、カイン側に立っている体を征服しようと身もだえします。 このような個人の苦痛は、家庭、国家、世界にまで拡大しています。その結果、人間は常にアベル側すなわち善なる側と、カイン側すなわち悪なる側との二つの側に分かれて、あらゆる次元で戦っています。しかし神のみ意は、いつも双方が争い、一方が勝利し、他方が征服されるよりは、共に復帰されることを願っています。 その実例を挙げれば、アベル格であるイエス様の十字架上における右側の強盗と、カイン格である左側の強盗がいます。世界的には自由世界と共産世界を代表して、最後の闘争を展開している韓国と北朝鮮の対決、さらには、中東でのキリスト教とイスラム教の対決を挙げることができます。したがって、神の復帰摂理にとって最も中心的な問題は、どのようにすれば分かれた双方を神の理想を中心として、一つにして真の父と真の母を迎える基台をつくるかということです。終末を迎えた世界 紳士、淑女の皆様。家庭が神の愛の理想を中心としていないので、家族の間に衝突が生じます。神の愛を絶対的な中心としなければ、結局、その家庭は崩壊してしまいます。さらには、そのような家庭が集ってつくる国も衰亡の道をたどります。 最初の家庭が不倫をなし、利己的な愛の奴隷になったので、利己心と欲望は、個人、家庭、社会、国家、世界的次元へと展開して人類歴史を汚してきました。それゆえ神の復帰歴史は、個人から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間に対して個人の次元から集中攻撃を行ってきました。 終末を迎えた今日、利己的な個人主義が一般的な生き方となったのは決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれて、周囲から次第に疎外感を感じ、各自が属している国家、社会、そればかりか自分の家庭にまでも無責任になりつつあります。離婚率が日々上昇している事実は、夫婦が互いに結婚に対して無責任であるという証拠です。父母は子女に責任をもとうとしないし、個人の威信を放棄しつつあり、自分に対する責任すらももとうとしません。 アメリカでは、このような現象が一九六○年代、青年の運動と共に台頭し始めました。理想を求める若者たちは、愛と平和の美名のもと、物質主義を排斥して出発しました。しかし、その過程で彼らは物質主義を排斥したばかりではなく、人間の道徳性と責任感までも捨ててしまいました。 彼らは、求めてきた愛と平和を獲得できなくなると、多くの若者たちは自殺、麻薬中毒、フリーセックスへと陥ってしまいました。これらの現象の中でも、神が最も心を痛められているのはフリーセックスです。愛はもともと純粋な情緒的刺激から誘発されるはずなのに、フリーセックスは、純潔や情緒とは全く関係がないのです。正反対に神のみ旨のために働いている人々は、全くそれとは一八○度異なった生き方をしています。 歴史を見ると、自己犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求してきた人々は、周囲から言い表すことのできないほど反対と迫害を受けてきました。神の愛と祝福が共になかったならば、統一教会も世界的な反対の中で、今日のように発展することはできなかったに違いありません。私たちの教会が、わずか三十八年間で、戦争で灰と化した韓国の地で、無名の教会として出発し、今日世界的な宗教として登場し得た事実、それ一つだけを見ても、神の限りない導きと加護を感じることができます。真の愛の復帰 紳士、淑女の皆様。聖書にはエバが先に神の戒めを破り、サタンと関係を結んだとあります。堕落によって、エバはもちろんのこと、アダムとその息子たちであるカインとアベルまでも利己心と偽りの愛を中心にして、サタンの血統を受けるようになりました。 このように、サタンによって本来の軌道を離脱した、最初の始祖アダムとエバの末裔となった私たち人間は、だれでもサタンの血統を受け継いで生まれています。ヨハネによる福音書第八章四四節に「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」と、イエス様がとがめられたのも、正にこのような理由からです。旧約聖書では、「目には目を、歯には歯を」という公式に沿って、救援摂理の役事を展開してきたと説明しています。『原理講論』では、過ちを償うことを「蕩減条件を立てる」といいます。堕落したエバが、自分の失敗を償うには、すべての責任を一人で負わなければなりませんでした。エバは堕落行為に対し、反対の経路を通じて原状に戻し、各段階を霊肉両面から復帰しなければなりませんでした。天のみ意は、エバが次子であるアベルを、み旨に従うように協助することでした。 創世記によると、神はアベルの献祭は受け取りましたが、カインの献祭は受け取りませんでした。しかし、これはアベルが期待してそうなったのではありません。カインはアベルを神が選んだ者として認め、彼と一体となるべきでした。 もしも、カインとアベルが一つになったならば、子女の立場を失うという堕落によって生じた二番目の問題は、その時既に解決されていたに違いありません。そうなれば、神はアダムとエバの問題だけを解決すればよかったのです。エバは元来、人類最初の母となるべきでした。エバはカインとアベルを一つにし、真の父母のための基台をつくらなければなりませんでした。しかしエバは生存中に、その使命を果たせませんでした。それで歴史は、だれか他の女性が現れて、堕落したエバの代わりに蕩減してくれるのを待つようになりました。リベカの模範的事例 聖書では、イサクの妻リベカを、神のみ業を成した最も偉大な女性の一人として描いています。エサウとヤコブの母として、リベカはイサク家庭でアダム家庭のエバとちょうど同じ立場でした。リベカはエバとは違って、神の摂理を理解しました。それでアベルの立場にいた次子ヤコブを助け、長子エサウが受けるようになっていた祝福をヤコブが受けるようにしました。 エサウは自分の受けるべき祝福が弟ヤコブに与えられたことを知って、カインがアベルを殺害したようにヤコブを殺そうとしました。しかし、母リベカの助けによって、二人の兄弟は血を流す代わりに、最終的には温い兄弟愛で和解しました。この劇的な和解こそ、神から見た時、重大な勝利となりました。 しかし、それはまだ完全な勝利とはならず、血統転換の立場から見て、あくまでも象徴的なものでした。実体的な血統転換は、母親の胎中で完成しなければなりませんでした。ここに、タマルを中心とした逆説的出来事の理由があります。リベカのようにタマルも、堕落したエバの立場にいました。この点を理解すれば、イエス様がなぜタマルの血統を受け継いだ、ユダの支派から生まれるようになったかの理由がよく分かります。 皆様も、タマルの双子の息子にかかわる話を聖書で読んだでしょうが、彼女は舅であるユダと関係して、双子の息子ペレヅとゼラを身ごもりました。聖書には、この双子は母の胎中で長子権をめぐる戦いをしたと記録されています。 タマルの出産過程を見ると、ゼラの手が先に出たので助産婦がその手首に赤い紐を結ぶと、また母親の胎内に引っ込んでしまいました。次子となるはずのペレヅが先に生まれ、長子となりました。このようにして、カインとアベルの位置が出生前に転換されるという摂理が成就しました。正にこの条件のために、イスラエルがメシヤを迎えることのできる選民国家となったのです。 伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルにかかわる話に疑問を抱かざるを得ません。神様はなぜ、そのような女性を祝福されたかは、今日に至るまで神学界の謎となっています。 先に述べたように、イエス様をこの地上に送るためには、失われた血統をサタンから取り戻す準備作業が必要でした。このようにして取り戻した真の愛の血統的基盤の上で、イスラエルの国が拡大していったのです。イスラエルは、勝利を意味する言葉です。二人の女性の勝利は、また血統転換の勝利を意味しています。命懸けのマリヤの路程 それ以来、ユダの血統は子々孫々発展を繰り返しながら、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。この血統を通じて二○○○年後、イスラエルにマリヤが生まれました。 マリヤの責任は、長子権を復帰するためにカインとアベルを一つにし、家庭、氏族、国家基準まで、み旨にかなった蕩減条件を立てることでした。マリヤは、神のお告げを受けてイエス様を身ごもりましたが、周囲の目から見れば自分の父母や、婚約者ヨセフを裏切った形でした。 その当時、どんな女性でも、夫以外の男性の子供を身ごもったならば、石打ち刑にされるのが慣例でした。しかし、アダムの立場にいたヨセフが勇敢に進み出て、婚約者のマリヤを見捨てず、保護してあげました。 マリヤの信仰と、リベカとタマルの貢献によって、マリヤの胎内に宿っていたイエス様に対し、サタンは所有権を主張することができませんでした。イエス様は、神の完全なる直系の血統のもとで生まれました。堕落した血統を転換したのちに、神のひとり子として生まれたイエス様は、聖人中の聖人であり、真の血統の祖先となるのです。 マリヤは復帰されたエバの立場で、アベルの位置にいたイエス様と年上の従兄である洗礼ヨハネを、一つにしなければなりませんでした。イスラエル国民とユダヤ教がカインとアベルの立場でイエス様をメシヤとして受け入れるために、この二人が一つになることは絶対的に必要な条件でした。洗礼ヨハネは兄さんでした。数多くの人々が彼に従い、広く尊敬されていました。 イエス様が弟子たちに言われたように、洗礼ヨハネの使命は、来たるべき主の道を直くするためにエリヤが先に来ると言われた、旧約聖書の預言を成し遂げることでした。 果たして、洗礼ヨハネは摂理の観点から見て、責任を成したでしょうか? ルカによる福音書には、洗礼ヨハネはエリヤの権威と使命をもって来ると記されています。しかし洗礼ヨハネは、自分がエリヤであることを否認し、ヨルダン川でイエス様に洗礼を授けた時、天が開けて受けた確かな啓示にもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑いました。 また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬を受けた人物でした。一方、イエス様は貧しい大工の仕事をする私生児として映りました。したがって、洗礼ヨハネの助けなしには、当時のユダヤ人たちがイエス様を信じて従うことは不可能でした。それで、イエス様は自ら、自分でメシヤを宣布しなければならない困難な道を出発しました。 洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者として登場できるように助けなければなりませんでした。洗礼ヨハネがその使命を完遂していたならば、アベルの立場にあるユダヤ教と、カインの立場にあるイスラエルの国が、イエス様を中心にして一つになるはずでした。そうなってさえいたならば、その時、小羊の婚姻がなされ、イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となっていたでしょう。 イエス様の福音は、彼が四十歳になる前の七年以内に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも従わせていたでしょう。最終的にイエス様は新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国をつくっていたはずでした。成就されなかった夢 しかし、この夢は実現を見ずに終わりました。いわゆる宗教家と自称する人たちが、イエス様のみ言を拒み、ついには十字架に追い込んでしまったからです。イスラエルの不信仰に直面したイエス様は、人類の霊的救援のために命を捨てる決意をされました。 したがって、霊的・肉的両面の救いを成就するために、イエス様は再び来なければなりません。このような理由で、人間の心はイエス様を通じて神に近づくことはできますが、体はいまだに悪の誘惑圏に属しています。聖パウロですら、肉身と良心の欲望とが葛藤し、矛盾の中で苦悩しました。多くのキリスト教の偉大な福音伝道師たちも、このような矛盾に苦しみました。 成約時代を開始するために、何よりも重要なことは、私たちはみな、霊肉ともの救いを受けなければならないという点です。イエス様が十字架上で亡くなられることによって、右翼と左翼の闘争が始まりました。これは、アダム家庭の堕落によって、カインとアベルが分立したのと同じです。またキリスト教とイスラム教が出現し、戦いを開始しました。このような分立闘争は、イエス様が十字架上で亡くなることによって生じたので、イエス様が再臨する時には、すべてが一つに統一されなければなりません。 神がイエス様の再臨を準備するためには、世界的次元でのカインとアベルの勝利的和解が必要でした。 第二次世界大戦の時に起きた一連の出来事を中心として、このような摂理が展開されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国家群はアベルの立場に立っていました。一方、枢軸国家である日本、ドイツ、イタリアは国粋的軍国主義の影響を受け、カインの立場に立っていました。 この戦争は、世界的次元にまで拡大されたカインとアベルの対決を意味していました。連合国が勝利したのち、キリスト教を中心として、世界平和を実現するための大々的な努力がなされました。 イギリスは世界的なエバ国の位置に、そしてフランスとアメリカは、それぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了していました。しかし、そのような準備にもかかわらず、神の摂理は、その時成し遂げられませんでした。 神の代身として、み言をもって来られた一人の方がおられますが、その歩みは数多くの形容し難い迫害を受け、世界からも理解されませんでした。二○○○年前のイエス様の立場と全く同じでした。イエス様の時代、イスラエル民族が火の車に乗って天から再臨するエリヤを待っていたように、キリスト教徒たちも再臨主の顕現を、雲に乗って天から降臨するものと信じて待っていたのです。 黙示録には、イエス様が弟子のヨハネに「主は新しい名でもって来られるだろう」と言われた箇所があります。これはエリヤがそうであったように、イエス様も再臨の時には別の人の姿で来られることを意味しています。 神は、私の夫を選ばれて韓国のキリスト教徒たちに、新しい真理のみ言を伝えるようにされました。しかし当時、キリスト教界の指導者たちは一介のみすぼらしい若者にすぎない夫が、新しい真理のために選ばれた可能性すら無視してしまいました。 新約時代は旧約時代の延長なので、当時のユダヤ人たちがイエス様の顕現を信じなかったように、韓国のキリスト教指導者たちも再臨主が人間として肉身をもって、地上に誕生することを信じられませんでした。 もしも、その時キリスト教界と夫が一つになっていたならば、地上世界はもちろん、天上世界にまでも天国がつくられたはずでした。新約時代が終わる一九四五年から一九五二年までの七年間に、全世界が神の摂理に従って一つに統一されていたはずです。 しかし、その当時、宗教指導者たちは夫と一つになるどころか、夫に従う信者たちの数が日増しに増える理由を知ろうともせず、盲目的に嫉妬し反対しました。そればかりでなく、夫についての邪悪な嘘まで捏造して広めました。夫を人格的に葬るために、夫の教えとは正反対に、淫乱だ、貪欲だ、との噂のくびきを夫にかけてしまいました。一つになることは必然 神はキリスト教を発展させ、再臨主の道を直くするために、アメリカのようなキリスト教絶対圏の国家を育成されました。彼らが悟ろうと悟るまいと、その当時韓国の牧師たちは全世界のキリスト教を代表する立場にいました。 第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教界は夫と一体化できなかったために、アメリカはその時から没落の道をたどり、道徳的権威もすたれ始めました。 第二次世界大戦後のアメリカとキリスト教界は、カインとアベルが一つとなった勝利的な基台の上に立っていました。再臨主を迎える時は熟していました。しかし、結果は再臨主を迎えることに失敗し、附和雷同して、全世界が夫の活動に反対するようになりました。したがって、夫は荒野に追われどん底まで追い落とされたのちに、再びはい上がってきました。 このようにして、韓国動乱による冷戦が始まりました。第二次世界大戦の時と同様に、世界は再びカイン圏とアベル圏に分かれました。十字架上でイエス様を不信した左側の強盗と同じく、神を否定する共産主義がカイン型の世界を代表して立ちました。一方、神の実在を信じるキリスト教民主主義はイエス様の右側の強盗と同じく、アベル型の世界を代表するようになりました。 韓国に来られる再臨主は、神のみ旨に従って、この敵対関係にある世界を一つにしなければなりません。その中心地が南北に分かれた韓半島です。そこでは、蕩減原則によって二人の父が対決しています。北側のカイン的父(金日成主席)と、南側のアベル的父(文鮮明師)とが一つとなって、神を中心として世界平和の基地を築かなければなりません。 この二人の父の統一は、共産と民主の統一ばかりか、全世界の統一につながっています。それで国連軍の十六カ国の投入も、人類の祖国統一のためになされました。 第二次世界大戦の時には、キリスト教を中心としたイギリスとアメリカとフランスが中心でしたが、その失敗を復帰するために、このたびは統一教会の「統一思想」によって、民主主義世界を代表して再び選抜されたエバ国日本と、アベル国アメリカと、カイン国ドイツと、自由世界が一体となって、世界的アダム国である韓半島の南北統一をなさなければなりません。 人間始祖の堕落を償うために、母であるエバは、兄弟のカイン、アベルを再び生み直さなければなりません。それで、日本国内には戦後五十年間、韓国居留民団と朝鮮総連とを抱えております。 それゆえエバ国家日本は、まずこれらを一つにし、次にアダム国家まで一つにし、さらにはアジア文明圏と西洋文明圏を包容して、世界平和に向かう太平洋文明圏を建設しなければなりません。私たちはまた、ユダヤ教とキリスト教を代表した立場で、イスラム教徒たちとの和解を促進してきました。 この冷戦の間、夫は失ったメシヤを迎えるための基盤を取り戻すために、個人、家庭、氏族、国家、世界、そして天宙的な次元まで、壁を取り除くための闘いをしました。このために、夫には最小限四十年の期間が必要でした。この四十年の間に夫は、イエス様の誕生の時までの四○○○年と、創世以来の聖書歴史六○○○年を蕩減復帰したのです。 このような蕩減をなしたのちに、カイン型国家群とアベル型国家群の和解を見るようになり、ついに冷戦の終結をもたらしました。 この課題は、全世界一六○ヵ国が参加した一九八八年ソウル・オリンピックの時に、統一教会によって完了しました。このことが、北朝鮮と韓国が、一六○、一六一番目に国連に加入する条件となりました。 過去数十年のことを考えれば、夫は言うに言えない無理解の中で生きてきました。北朝鮮では共産政権のもとで三年間強制収容所に捕らわれ、その後も神の仕事を続ける中、無実の罪で六回も獄中生活をしたのです。そればかりでなく、言論界は夫が「自分個人の利益のために若者たちを洗脳する悪魔のような者だ」とあざけり、悪評判を広めてきました。 皆様の中に、「文鮮明先生こそ全世界的に、最も多くの迫害を受けた宗教指導者である」と言えば、これに異議を申し立てる人がいるでしょうか? 旧約時代と新約時代を併せて、歴史上のすべての失敗を取り戻すために、夫と私は蕩減の道を歩んできました。 キリスト教文化を根としているアメリカを新約時代にたとえるならば、韓国は旧約時代にたとえられます。最初の二十年間夫は韓国で、イスラエルのような立場に立つ韓国と、ユダヤ教のような立場にある統一教会を中心として旧約時代の蕩減路程を歩みました。この基台の上で私たちは一九六○年、国家的次元で真の父母の聖婚式を挙げました。その後、一九七一年、私は夫と共にアメリカに渡りました。 そして、その後二十年間、私たちはアメリカで新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、私たちは神を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる、真の父母の家庭を樹立することができました。重要な女性の役割 親愛なる御来賓の皆様。イエス様がメシヤの降臨に対して語られた内容に、新郎が来るのを待つ新婦たちに対するたとえがあります。黙示録では、キリスト教を新婦として説明しています。したがって、キリスト教を代表するアメリカも、新婦国家であるということができます。 したがってアメリカは、世界統一のための基台を立てて、最終的には新郎を迎える責任を果たさなくてはなりません。これは、復帰されたアダムとエバとして、本来の男性と女性の位置が立てられ、真の男女平等圏まで行くことを意味します。 このような復帰歴史の転換点で真の母の位置に立つ女性は、真の父を迎える基盤をつくらなければなりません。キリスト教が新郎を迎える最初の試みに失敗して以来、神の摂理は四十年延長して、一九九二年まで来ました。この期間に私は、世界的に新しい新婦基台を願って、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを一つにするために祈祷しながら努力してきました。 そして、一九九二年四月、私は夫と共に「世界平和女性連合」を創設し、全世界的に女性時代の到来を宣布しました。その基盤の上で昨年一年間、私は真の母の心情でもって、先に挙げた七カ国はもちろん、ロシアとオセアニアまで訪ね、現地の女性たちを動員して、各国に「世界平和女性連合」の支部を創設しました。 このような業績を土台として、第二次世界大戦の時から、カイン・アベル関係に分かれていた国々が真の母を迎え、失った新婦の基台を復帰して、真の父を迎える基盤になりました。このように勝利した世界的な基盤の上で、最初の真の父母であることを宣布いたします8 今や、世界は成約時代に突入しています。私たちはいま一度、神に侍って生きることができるようになりました。このような歴史的転換点に立った私たちは、神を中心として、個人の心と体を統一できる原理を、世界的次元で実践しなければなりません。 このような目的を達成するために、私たちは世界平和を実現する二つの組織を創設しました。「世界平和宗教連合」は心の世界を代表し、神の愛を基にして、世界の宗教を一つに結ぶ内的使命を帯びています。一方、「世界平和連合」は体の世界を代表しており、世界的な政界、財界、言論界、学界、科学分野の指導者たちと共に、理想世界を建設する外的使命を帯びています。 神の前で縦的な角度から愛を説明すれば、アダムとエバは子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛という四大愛を成熟させ、神と直接関係を結んで生きるようになっています。したがって、アダムとエバは本来、真の愛を中心として、四大心情圏すなわち、完成した子女、完成した兄弟姉妹、完成した夫婦、そして完成した父母の心情圏を通過して、完成した家庭を築くべきだったのです。 アダムとエバは、家庭のモデルとならなければなりません。子女たちは父母を理想的な手本として、侍って生きなければなりません。子女たちは父母が互いに愛し合って生きるのを見て、兄弟姉妹間の友愛を学ぶでしょう。結婚して夫婦となっても、彼らは父母の愛を見習って理想的な夫婦の愛を学ぶでしょう。やがて彼らも子供を生んで、父母が見せてくれた良い模範に倣い、もう一つの完成した家庭を築くでしょう。 父母と子女、兄弟と姉妹、そして夫と妻が、縦的、横的両面から一つになった、理想的で確固たる家庭を築くことによって、私たちは地上はもちろん、天上にまでも、天国を建設することができます。このようにして、神を中心とした同じ祖先から生まれた全世界の家庭は、アダムとエバの家庭と同じく、神聖な価値をもつようになります。家庭基台の完成 紳士、淑女の皆様。成約時代の幕開けとともに、全世界的に救援歴史を完成し、またメシヤの分身となる氏族的メシヤの時代が来ました。皆様の家庭を復帰し、氏族、地域社会、国家を復帰しなければなりません。このような使命をもつ人々を、氏族的メシヤと呼びます。成約時代には、母親の役割が非常に重要です。堕落の時とは正反対に、母と子が一つになって真の父母と一体となり、夫を復帰し、祝福を受けることによって神に帰らなければなりません。 既に私たちは、数千人の氏族的メシヤ宣教師を全世界に派遣しました。遠からず世界的な次元で理想的家庭が築かれるでしょう。それぞれの完成した家庭では、祖父母は神を代表して王と女王の位置に立ち、父母は現在の人類を代表して王と女王の立場に立ちます。そして子女は未来の子孫を代表する立場で、王子と王女の立場に立ちます。これらの三代が一つになる時、過去、現在、未来が共に和睦して生きるようになり、そこから新しい歴史的伝統が出発します。 紳士、淑女の皆様。私はきょう、人類の最初の真の家庭の完成を皆様の前で宣布することができたことを、無上の光栄と思います。私と夫は、十三人の子供と二十人の孫と一緒に、神と人類のために絶対的な信念をもって献身しています。三代が一つの家族として共に生きながら、私たちは家庭的次元で、聖書で述べている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。 皆様も真の家庭の血統に象徴的に接ぎ木されて、共に理想国家と理想世界建設のために先頭に立ちましょう! これが正に、成約時代の開幕を意味します。成約時代は神に侍って生きる時代です。 親愛なる御来賓の皆様。「世界平和女性連合」は、このような使命のために召命を受けました。第二次世界大戦後、キリスト教文化圏を代表したイギリスの失敗を復帰するため、再び選抜されたエバ国家日本は、その使命を果たすために女性は子女と夫を連れて、真の父母と一体となって、神の国に帰らなければなりません。 私たちはみな、神と人類が歴史的に願っていた、この使命を完遂いたしましょう! すべてのキリスト教徒と、すべての宗教者たち、すべての良心的な人々も心の窓を開いて、深い心情で、このメッセージを受け入れてくださるよう、切にお願いいたします。 私たちがみな、神のみ旨のために働き、神からの祝福を受けられる立場に立たれますことをお祈りいたします。神様の祝福が皆様と、皆様の家庭の上にありますようにお祈りいたします。どうもありがとうございました。<完>【参考記事】文鮮明先生御言選集 19930628 - 「真の父母と成約時代」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
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無形世界(霊界論)🌹本然の無形世界🍇神様と人間が永遠に一緒に暮らす安息の場、喜びの場🎈父母と子女が一緒に暮らす平和と幸福と希望と光明の世界🍓霊界からのメッセージ❤️李相軒先生🍎2024/11/22一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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前回は、1998年に発行された予言書研究家・具成謨(グソンモ)氏の『彼は誰なのか』の本を紹介したが、それを前に『ついに解明された1999年』(1994年・高坂満津留著)という本でも格庵遺録の秘密について書かれている。高坂氏はこの書を書くにあたっても、具成謨氏と会ってインタビューをしたりしてもしている。ちゃぬさんの指摘されたように、格庵遺録は偽書ではないか(?)との疑問を感じて、著者は具氏にその質問を投げかけたりもしている。本著(P.72~)から もし、その予言が天地神明に誓って正しいとするならばだが――。 私はこの点に関して疑問を感じたので、失礼かとは思いながらも、重ねて 「本当にこの遺録は四百年前のものなのでしょうか。あまり当たるので、かえって後世の偽書とも思えてしまうんですが――」と聞いた。 具さんはそれはもっともな質問だといいながら、格庵遺録のある部分を指さした。そこには、「甲申閏四月丙申」という記述があった。 つまりこの筆写本が原本より移されたのは、1944年ということなのだ。少なくとも、1944年以前にこの世にこの予言書は存在していたことになる。 この写本は「朝鮮総督府中央図書館 古書目録『古1496』」というふうに印が押されていた。植民地時代にその存在が確認されていたわけだ。 現在、この写本は国立図書館に秘蔵番号「1496-4号 古集 3749号」として秘蔵されている。 一歩ゆずって、この書が写本された1944年に書かれたものだとしても、1950年に勃発した韓国動乱やそれ以降の歴史的事実を正確に予言したことからも見て、後世の偽書ということはまったくありえない。 明らかに具さんのいうように「神霊」が働いているとしか言いようがないのである。 ここで、その問題の救世主を明らかにする前に、まず格庵遺録のほぼ全容を紹介したい。その中で、救世主の名前も、予言が正しいかどうかも、徐々に明らかにされていくだろう。 あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきである。 参考までに、本著の巻末の資料――「格庵遺録予言年表(具成謨氏の表を参考に作成)」を以下に挙げておく。格庵遺録の信憑性についても、ここから伺い知ることができる。凡人もまた、あくまでも、真実は、これを読んだ読者自身が考えるべきであると、一言付け加えておく。 日本ブログ村・統一教会人気ランキング へ
2011.08.13
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「「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ」からの続き。アブラハムの子イサクの花嫁探しがどのようにされたか、創世記24章にその詳細が書かれている。また、ヤコブの花嫁探しにしても面白い話が書かれている。エサウの怒りを沈めるための21年期間、ラバン叔父さんに何度も騙されながらの「ハラン苦役」と言えども、間違いなく母リベカがヤコブの花嫁探しのために行かせたものだった。創世記/ 24章 01節~アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、「あなたの手をわたしのももの下に入れなさい。わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。 ……創世記/ 27章 46節リベカはイサクに言った、「わたしはヘテびとの娘どものことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地の、あの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら、わたしは生きていて、何になりましょう」。 創世記28章 01節~イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」。 こうしてイサクはヤコブを送り出した。ヤコブはパダンアラムに向かい、アラムびとベトエルの子で、ヤコブとエサウとの母リベカの兄ラバンのもとへ行った。さてエサウは、イサクがヤコブを祝福して、パダンアラムにつかわし、そこから妻をめとらせようとしたこと、彼を祝福し、命じて「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない」と言ったこと、 そしてヤコブが父母の言葉に従って、パダンアラムへ行ったことを知ったとき、 彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。 そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻にめとった。サラはイサクの花嫁探しについてはリベカがヤコブの花嫁探しに関与したように、常日頃からアブラハムにも語っていたのではなかろうか。聖書からは、アブラハムのしもべが天に祈りそのごとくにイサクの花嫁リベカを探し出すことが出来た。予め天によって準備されていた、ということだ。ヤコブとラケルの出会いもまた、劇的な出会いとなったようだ(創世記29章)。女性タマルについても、4人の兄弟を夫としながら天の血統を残す一心から、その父ユダをだまして身ごもった。双子の兄弟による「胎中聖別」の意義もあるが、それ以上に血統を重んじた「タマルの信仰」を称賛している。イエス様の母マリヤもまた、「タマルの信仰」のごとくにイエス様を身ごもった。ところがだ。マリヤもサラ・リベカのように息子イエス様の花嫁探しをしてあげなければならなかったのだが、ある婚礼の席でイエス様が水をぶどう酒に変える奇跡、それが聖書の話である。ヨハネによる福音書/ 02章 01節三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 …… 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエス様が母マリヤに対して「婦人よ」と語りかけたものであり、当時30歳を過ぎたイエス様が「私の結婚式はいつですか?」と母マリヤに問うたのであった。弟子たちの背信(不一致)も一つの要因として挙げられるが、もしも、イエス様が結婚し家庭を出発されていたならば十字架への道はなかった、言われている。母マリヤがその責任を果たさなかった結果でもあった。<続く>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.21
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自由、家庭、信仰-21世紀のメディアの役割(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会で配布されたスピーチテキストより ヒルトン・ワシントン・ホテル) 冷戦時、神は、世界を共産主義が支配するのを防ぎ、自由な世界を守るため米国を選びました。ワシントン・スター紙が一九八一年に廃刊され、首都の新聞はワシントン・ポスト一紙だけとなりました。これは、自由世界の首都が、ニュース、懸案事項、政策に対して限られた視点しかもつことができないことを意味し、共産主義の危険性、当時全世界が直面していた共産主義の脅威を軽視するものでした。神の願いは、哲学的、思想的基盤を持ち、人々や米国の指導者らを励まし、啓蒙する新聞を作ることでした。愛国的な米国人がワシントンで新聞を創刊し、ポスト紙に代わり得る意見を打ち出すことを願って、数カ月間、待ちました。ですが、誰も手をつけようとしないのを見て、私がそれをしようと決意したのです。 ですが、ワシントン・タイムズの使命は、冷戦の終結では終わりませんでした。共産主義が崩壊しても、自動的に世界に平和が訪れるわけではありません。神が願われる理想社会も、私たちの努力なくしては実現できません。そのため、創刊十年(一九九二年)を迎えたワシントン・タイムズは、新しい挑戦、つまり「文化戦争」、悪化する価値観との戦い、という使命が与えられました。 神は米国が伝統的な家族の価値や道徳的価値を守るよう願いましたが、それらは混乱状態に落ちてしまいました。世俗的な人道主義、極端な個人主義、自己中心主義が強まっています。その結果、金銭と物質が人々にとって神のような価値を持つようになったのです。そうして、宗教は低調となり、世俗的な人道主義がはびこるようになりました。家庭が崩壊し、青少年犯罪が増加しています。 創刊十周年の祝いの場で私は、メディアのもう一つの使命を定義しました。これは、メディアは社会の倫理と道徳の価値を高めるもの、ということです。その後の十年間、道徳的な社会の実現に貢献することをタイムズに願ってきました。平和な世界は平和で理想的な家庭の基盤があって初めて実現できます。そのため、道徳的家庭の価値を強めることの重要性を人々が理解するよう努力してきました。「家庭の価値」という言葉がよく知られるようになる前でさえ、タイムズは価値観の崩壊、いかにして家庭の価値に基づいた善良で道徳的な社会を取り戻すかを強調する記事を出してきました。これらの問題に関するファミリー・タイムズを毎週、出すことも始めました。今日、家庭の価値は米国社会にとって重要な部分を占め、政治的な問題ともなっています。私たちは、タイムズが家庭の価値を米国と世界の重要な部分へと高めることに貢献してきたことを誇りに思っています。 タイムズ創刊後の最初の十年間に際立ったのは、冷戦の最中にあった世界の自由のための戦いです。次の十年間は、文化戦争と強い道徳的価値観に基づく家庭を築くことの重要性が目立った年でした。今二十年を超え、信仰を訴え、支持する時代、個人の信仰に基づき精神的価値観を強調し、支持する時代を迎えました。だれでも、神と人生の精神的側面についてはっきりと理解していなければなりません。世界レベルで自由、家庭レベルで倫理的価値観、個人レベルで信仰、これらは人生、メディア双方にとっての三大使命です。 自由、家庭の価値、信仰は米国の最も基本的な精神的価値です。タイムズが「米国の新聞」と呼ばれるのは、米国の伝統的思想を実行することを目指しているからです。もちろん、「米国の新聞」と言いましても、米国だけに仕える新聞という意味ではありません。そうではなく、世界と全人類のために働く国である米国に仕えることを意味します。 私たちは外的には、情報が爆発的に増加する時代の中に生きています。世界は情報であふれています。デジタル通信技術の発展により情報の海が出現しました。これまで、離れたところから情報を得ることは困難でした。ですが、今では、革命的な変化が起き、世界中から圧倒されるほど大量の情報が発信されています。この大量の情報の中で、人々が質の高い人生を送れるよう、責任を果たしていかねばなりません。メディアはすべての事実を伝えることができますが、同時に混乱を回避し、リーダーシップと方向性を示す責任があります。全世界がニュースと情報であふれている今の時代はなおさらです。ワシントン・タイムズと関連するメディアはこの点で指導的な役割を果たしています。 この二十年間でタイムズが奇跡的な発展を遂げたのと時を同じくして、他のメディアプロジェクトも目を見張る発展を遂げてきました。ナショナル・ウィークリー・エディションは、全米五十州の購読者に配られ、日刊のタイムズ紙から傑出した記事を届けています。ティエンポス・デル・ムンドもあります。スペイン語の週刊紙で、十六カ国十八主要都市で発行されています。さらにソウル、ニューヨークにはセゲイルボ(世界日報)、東京には世界日報があります。ミドル・イースト・タイムズ紙は、ますます重要性を増している地域のニュース、情報を提供しています。 雑誌としては、インサイト、ワールド・アンド・アイ、ワシントン・ゴルフ・マンスリーがあります。ワシントン・タイムズのインターネットサイトは、米国で最も人気のある新聞のサイトの一つであり、毎週数十万人の人が訪れ、毎月、千八百万ページ以上のニュース、オピニオン、解説を読んでいます。ケーブルテレビなど通信業界ともうまく連携し、ポトマック・テレビジョン、アトランティック・ビデオ、グッドライフ・ケーブルTVは全米五十州に視聴者を持っています。 このメディアファミリーに加わった中で最も新しいのは、世界でも最も古い民間の通信社、UPIです。ほぼ百年間、休むことなく活動し、世界中にニュースを配信してきました。UPI通信はまもなく、大きな技術的躍進を遂げます。統合したデータベースを通じて、私たちの持つ全メディアから記事を集め、それらを整理し、内容、テーマに従って世界中の購読者に配信する技術を持つのです。 大量のニュース、情報を提供する新時代のメディアは、リーダーシップをとり、神と霊界を知り、その価値観に基づいて個人を善化する明確な方向を示さなければなりません。ワシントン・タイムズと私たちのメディアファミリーは、二十年間にわたってこの方向性を指し示してきました。今後も、三十周年に向かいこれを続けていきます。皆様方一人ひとりも、その資質を生かして、自由を守り、家庭の価値を促進し、神への信仰を強め、世界のリーダーとなっていくよう、願っております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
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鮮文ピースカップ創設の意義2002年6月12日に韓国ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で開催された「鮮文ピースカップ創設大会」で、創設者である真のご父母様が語られた基調演説文である。 尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 本日この席で皆様とともに貴重な時間をもつことができ、心からうれしく思います。特別に、今回の韓国と日本で聞かれている第17回ワールドカップサッカー大会に参加されるためにお忙しい中にあって、本大会に輝きを添えるためにお越しくださった指導者の皆様に深く感謝申し上げます。2 本日6月12日は、ワールドカップの開幕から13日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱狂させています。連日の番狂わせと波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種と理念、そして国境を超越して、感動と友情の祝祭が繰り広げられています。 本日私たちがここに集まって、深く考えてみることは、私たちがスポーツを通して人類平和を実現しうる道を模索してみようということです。 今まで私は、聖書の記録にあるように「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章9節)というみ言の実践信仰と天意に従って、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど各分野で80余年の生涯を神に侍り、神のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和世界の実現のために精誠の限りを尽くす一筋の道を歩んできました。 皆様もよくご存じのように、和平や平和の問題は、今までの長い歴史期間において、全世界がすべての手段と方法を動員してあらゆる努力を傾けてきましたが、ある―国家の政治力や経済力、または軍事力だけでは、完全に解決しうる問題ではありませんでした。 問題は家庭から氏族、民族、国家、世界を超え、天宙まで含めて通用しうる根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。 真なる理想、愛、生命、血統、平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の希望です。 ところで理想、幸福、愛、平和の起源はどこにあるのでしょうか。それは相手のために奉仕し、犠牲になり、為に生きる所にあるのです。宇宙の存在秩序は、神のように互いに為に存在することを根本としています。 神は知恵の王であり、全能なるかたです。それゆえ、すべての存在世界で真の愛と真の幸福、そして真の平和を成し遂げるために、主体と対象が互いに為に生きるように存在させたのです。 すべての存在は二重目的をもっています。性相的な目的である全体のために生きようとする目的と、形状的な目的であるそれ自体を保存しようとする目的があります。 例を挙げると、陽子と電子の作用で原子を存在させ、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子からなる栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して、それが動物のえさになります。動物と植物の間でも酸素と炭酸ガスを交換します。はちと花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が授受作用によって一定の距離を維持しながら、公転したり自転したりしています。 このようにすべての存在は、互いに為に存在しているという宇宙の根本真理があるということを私はいち早く悟るようになりました。この真理が適用される場所に真の父母がいるのであり、真の息子、娘がいるのです。 何であれ為に存在するというのは、宇宙の根本的な原則です。この原則に従わなければ、すべての幸福、平和、理想と真の愛が完成されません。 互いに為に生きなければならないという原則が、国家と民族を超越して適用されるならば、その世界は私たち人間が願うユートピア的な真の愛の世界、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界であるに違いありません。 為に存在するという原則を携えていけば、どこでも通じない所がありません。もし、皆様が霊界に行くようになっても、為に生きる真の愛を実践すれば、神から千年万年恩恵を受けて生きるようになり、それ以上の幸福がないということが分かるようになるでしょう。 為に生き、また為に生きる存在は、中心存在となり、そうなることによって統一的な環境や平和の世界を造成しうるという事実を私たちは知らなければなりません。 数多くの宗教があり、いくら経典が多いといっても、そのすべての核心となる教えは、「為に存在せよ」という一言に帰結されるのです。18 真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教とは、どのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神のために、まず犠牲になるという宗教が真の宗教であり、理想的な宗教であり、万民を平和と幸福のある所へと導く宗教です。 平和は相対的な概念から出てくる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福ではありえません。ですから、いつでも「私」が一つになろうとするところから、幸福と平和、そして理想が始まるのです。 人の力だけでは、人間世界で平和のつながりを結ぶことができません。なぜなら、堕落した人間たちは、お互いが自分だけ良くなろうと思うからです。お互いが利用しようと考えるのです。すべて自らの利益を追求し、自分を中心として良いものをくくろうとします。ここに来られた皆様は違いますか? 指導者クラスの人々であるといっても皆、自分を中心として覇権の争奪戦を繰り広げ、自分の利益のために戦うのです。 今までの世の中では、それが本質的な私たちの生活の基礎になっていたというのです。そのように自分だけのために生きる環境によって編みなされた世の中では、戦いに終わりがありません。 ここで私たちの体の構造を見てみましょう。この目は自分のためになろうとして生まれましたか? 相手のために生まれました。口は自分のために生まれましたか? 相手のために生まれました。この耳は自分のために生まれましたか? 聞いてあげるために生まれました。鼻は自分のために生まれましたか? 手は自分のために生まれたのではありません。 ひいては、男性や女性の生殖器自体も自分のためではなく、夫のものは妻、妻のものは夫のためになろうとして生まれました。平和はそこから、すなわち、為に生きようとするところから実現するのです。母親の体は自分だけのためではなく、夫と子どものために存在するようできているのです。 一つの平和な世界、為に生きる世の中を築くために、私は家内と共に全生涯を通して、様々な方面から努力を傾けています。 その中でいくつかの代表的なものを例に挙げると、人種、宗教、国境と言語の障壁を超越して、超宗教、超国家、超NGO、超与野の教育活動をしてきました。また、世界平和統一家庭連合では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。 学術分野では、アメリカのプリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に力を尽くしています。さらには、言論分野ではアメリカのワシントン・タイムズ新聞社とUPI通信社、韓国と日本では世界日報、そして南北米のすべての国家をカバーする報道機関を設けましたが、これら言論機関が世界を一つに結ぶことに大きく寄与するでしょう。 本日はサッカー人たちの大会です。今、韓国ではサッカーの熱気がいつの時よりも高まり、世界の人々が一つの祝祭の雰囲気の中に包まれています。しかし、究極的にスポーツ世界が進むべき正道の道とは、世界の人を和合と平和の道に案内することです。 時には、過熱した競技が、お金や権力と結託して純粋なスポーツ精神が薄らいでいないか心配になる面もなくはありません。選手たちの金銭的な価値がとてつもなく高いとか、独占資本家の横暴のようなことはないか、よく見守らなければなりません。 私はスポーツを通した世界平和の実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー団を創立し、鮮文大学でもサッカーチームを創立し、韓国のサッカーの発展に大きく寄与してきました。またプラジルにもセネ・プロサッカー団とソロカバ・プロサッカー団を運営しています。 このように、私がサッカーチームを運営するのは、単純なビジネスの次元を超えて、スポーツを通して世界平和に寄与しようというものです。 本来、サッカーはイギリスで始まりました。イギリス貴族の子弟だけが通ったイートン・スクールで将来の指導者を養成するにあたり、知識だけでなく体力を増進させるために考案されたものですが、チームワークを重視した魅力ゆえに大衆的なスポーツとして定着し、発展するようになりました。 特に、サッカー競技は個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ勝つのは困難です。ボールは丸くて、あちらこちらに転がりますが、同時に正直だというのです。ボールは選手が蹴る所にだけ行きます。ですから、サッカーには正直さとチームワークを重視する原理が隠れています。 サッカーには既得権をもつ層による利益分配のトリックもなく、ゴールインするのに順序もありません。サッカーは大国や小国、強国や弱国に関係なくゴールインを通して、皆に喜びと幸福を与えます。サッカーにはチームプレーから醸し出される躍動的なハーモニーがあるだけです。 サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類の歴史とともに発展してきました。本来、スポーツは頑強な体と安全な社会を維持するために始まり、今日、数十他人の暮らしを楽しく豊かなものとしています。そのようなスポーツを通して、万民の平和に寄与できる多様な方法を模索しなければなりません。 世界は新千年を迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、地球村は一家族という概念が現実のものとなっています。しかしながら、一方では道徳的な危機を迎えるようになり、精神的な価値の崩壊の危機に直面したのも事実です。 今日の享楽主義と青少年の自己中心的な価値観を克服するために、スポーツ特有の建設的な代案を提示する必要があります。 スポーツには公正な競争の法則が適用されます。闘争と競争は概念が異なり、次元が異なります。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手方の存在を否定し、抹殺しようとする残忍、かつ殺伐としたものです。それは動物の世界にある弱肉強食の法則と同じものです。 しかし競争は違います。スポーツではルールを定めておいて規定に従って優劣を決します。スポーツ競技では多くの人々が見守る中で、選手たちが正々堂々とした態度と公明正大な精神で、各自の技術と才能、そして力を競うのです。ですから、審判の公正な判定を受けるわけです。 ゲームで最も重要なのはフェアプレーです。 遵法と準則です。反則とファウルは減点になり、退場になり、権限が剥奪され、その選手は処罰を受けます。 世界的な競技で、運動選手たちは、個人と国の勝利と栄光のためにすべての力と精誠、そして勇気を尽くして全力投球します。それで勝利した選手には、金メダルを首にかけてあげ、嵐のような拍手喝采で祝い、国旗を掲揚しながら、国歌を斉唱してあげます。その選手にとって、その瞬間は感激の極致であり、栄光の頂点であり、その光景を見守る人々すべての祝宴です。 スポーツの世界では競争で負けた者たちも、勝利者の労苦に対して、自らの心残りは後にして、心から拍手を送るという美徳があります。ですから、スポーツには美しい友情の香りがあり、同志愛があります。 選手はスポーツマンシップを守るときに美しく、勝利に向けて「百錬千磨」の努力と血のにじむような汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序、そして礼節の徳を修練しなければなりません。 ですから、スポーツは現代社会に大きく貢献しました。人間の心身を健康にし、競技の技術により楽しみと感動を与えました。特に、スポーツは宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、だれもが一つになることができ、さらには全世界の人の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。 冷戦時代が終息はしましたが、世界は依然として苦痛の束縛から抜け出せずにいます。アメリカでの9・11同時多発テロが示すように、民族の紛糾と宗数的な葛藤で世界が苦しんでおり、地球環境は破壊の一路にあります。未来に責任を負うべき青少年たちは、冷笑的に変わっており、一部は物質主義と享楽主義に心酔したり、麻薬に溺れて非行に走ったりしています。 そのような諸般の問題を解決する方案は、先ほどもお話ししたように、正しい真理、すなわち互いに為に生きるという理想的な真理にスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を実践して和合と平和、そして統一の世界を創建することです。 このようなわけで私は今回、平和世界の創建を願って鮮文ピースカップを制定したのです。鮮文(Sun Moon)ピースカップは、太陽と月のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋と純潔を象徴する光で、永遠に光り輝かなければなりません。 解文ピースカップは、神を抜きにして単純に興行性ばかりをあおり、スターだけを誕生させた既存の他のカップとは区別しなければなりません。神をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知って、平和の正道を選んでいくべきでしょう。 鮮文ピースカップは、神が理想となさった創造本然の世界を築くための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など各界各分野の努力を一堂に集めて、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の一場面を繰り広げるカップとなるでしょう。特別に人種、国家、民族、宗教、理念の壁を超えて、神の真の愛を中心として真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点で、実に重要だと言えるでしょう。 この鮮文ピースカップは、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の開発とともに人類共同体の和合と調和を織り成す祝祭の場を開くカップであり、神の創造理想を中心として平和と自由、そして幸福の世界を開いていく一つの心と一つの家族、そして一つの心情の場を開くカップとなるでしょう。 最後に、ここにお集まりになった皆様はすべて、解文ピースカップを発展させるにあたり、ペレ財団とFIFA (国際サッカー連盟)とともにすべてのご協力とご指導を惜しまぬようお願いするものです。皆様と皆様のご家庭に神の愛と祝福が満ちるようお祈りいたします。・ありがとうございました。▲2002年 06月 04日 サッカーの皇帝、ペレ、真の父母様を表敬訪問一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
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「天地父母統一安着宣布」(02.06.21 ソウル蚕室室内体育館で行われた「天地父母統一安着大会」で) この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に出席した高名な紳士淑女の皆さま、愛する祖国の兄弟姉妹の皆さま、そして、この歴史的な大会を見守っている全世界7千万の皆さまに心から感謝します。 私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布時代を迎えました。6千年間、天と地がこれほど待ち望んだ平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたのです。 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許され、人類はその諸宗教圏内で平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神の摂理的な内容と神の心情を完全に知るところから、すべてのことが解決されるのです。 今日、人類が平和の世界を語り、ひとつの世界を語っていますが、私個人からひとつになり、平和をつくることが問題です。そのため、こんな実情を知る神がおられ、志のある人間、偉人がいるとすれば、ひとつになろうとする作業を行うだろうと考えざるを得ないのです。 皆さま方はよく、互いに愛し合い、互いに仕えあい、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいくと言います。愛せということは、与えろということです。私から相手に働きかけろということです。互いに愛を受けよう、愛してほしいということではありません。 互いに仕え合うようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの磁石は必ずプラスに向かうように、良心の力によって神を知ることができるのです。 良心の力によって神に接近すればするほど何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じ、平和の母体となる神の愛によって、自ら自分の五臓六腑全体が刺激を受けて衝き動かされるような感銘を感じることができる人間になっているでしょう。 私が過去をこのように生きてきたので、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならないと、気力が足らなければ跪いて骨が固まって死んでしまうことがあっても、私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間内に尽くさなければならないと、夜を徹して祈祷しなければなりません。 国の領土を守り、人類が至るべき幸福の基盤をじっと見つめながら生きながらえ、私は死んでも世界を生かしてほしいと祈祷すれば、その老人の墓は雑草に覆われたりしないでしょう。 いくら(年老いて)醜くしわがよったとしても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとなり、歩む姿勢はやつれていても、その道は希望の灯台として輝かしい座標になるということが分かれば、生涯を比較して、自分だけのために悪の友となり悪の足場を広げていくこの恨めしい恨(ハン)の正体を踏み消して、私の生涯に善の基盤をもう一度だけ加重させていかなければという切迫した運命の道が願っていることを知り、休まず急いで行かなければならないということです。 そのため、文総裁も今までの生涯で、そんな趣旨から6回も投獄される十字架を背負い、あるいは海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で異端者だと指弾される時も、反対される時もありましたが、私が進む精誠の道理がすべての民族を通して天の前に、正統の主流思想であることを知って跪き、天を慕うことができるようにする道ならば、私はどこにでも駆けつけるという思いでこれまでずっと生きてきました。 私たちが天の兵士となって勝利してこそ、神が永遠に喜び、イエスと聖霊も永遠に喜び、聖人・賢者たちまで喜ぶことができる平和の時代がこの地上に到来することを心に銘じなければなりません。 個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いにまで及ぶようになるのです。また、神とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和時代が訪れます。こんな原則的な過程を通して摂理してこられた神の事情を皆さまは知らなければなりません。 神がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和時代がやってくるのです。神の悲しい心情の中心を一掃して解怨して差し上げる時がやってこない限り、人類の平和も実現できず、天的なひとつの理念もこの地上で結実の時を迎えられないということを皆さんは知らなければなりません。 万一、真なる人間がいて人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設しうるひとつの主義と思想をもって現われるとすれば、彼は自分個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠と、その切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。そうできないとすれば、人の世には恨(ハン)の侵犯を受けない平和の世界、幸福の世界、自由の園は建設されないのです。 皆さまが宇宙的な天国の理念を代表しうる存在となり、神の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるのです。それゆえ自分の父母だけが父母でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でないというのです。 皆さまが全ての人を私の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人間になれば、死亡世界で苦しむあらゆる民を目にする時、涙なくしては対することができないはずであり、兄弟や幼い人々を目にする時も彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。本当に神のような、そんな皆さまになれば皆さまを中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。 神はサタンから先に打たれ、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、殺されながら取り戻してくるのです。このような作戦を取らずには、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。 皆さまは家庭を率いて国家と世界のために進まなければなりません。大韓民国において個人的な時代、家庭的な時代、宗族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家の前に方向を提示できる案内役を果たさなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神に侍ることができてこそ、霊界と肉界(地上界)は統一された平和の世界となり得るのです。そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天界の栄光の表彰を受けるようになるのです。 自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流しながら闘えば、その人は滅びません。その人が流した血は死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるためです。そのようにして創建された場所こそ、私たちが行かなければならず、留まらねばならず、残さなければならない基盤です。 皆さまは天の前に「天よ! あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠に全ての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷する時、神が「おお、そうか!」と言える立場で、神が喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。皆さま、大韓民国の主人は誰ですか? 大韓民国を誰よりも愛する人です。 それゆえ、皆さまが誰よりも大韓民国を愛するようになれば、主人にならないようにしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神が願う平和の時代がやってくるのです。私たちは神の恨(ハン)を解いて神を解放してあげなければなりません。 そして、自由な神として万国を統治するために、少しでも差し障りがある障害物があれば、私が責任を持って全て取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管しうる堂々たる絶対者として侍るんだという信念をもった若者がいれば、その人は真に偉大な若者です。こんな若者たちによって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。 皆さまが、実際にこんな若者になるというようになれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、無限の希望が宿っているのであり、その姿は神の希望と幸福の土台になるのです。 取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければならないのです。そんな基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱しないようにしてこそ、そんな基盤を通して世界に平和の天国が連結されるのではありませんか? 東西南北を中心として、4点がきっちりと立つようになれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されるべきか? あの牢獄からなされなければなりません。イエスのように牢獄に入っていって主管性を復帰した基準と本性的な基準の自律的な平和の心情を持ち、感謝の歌を歌ったことがあるのか? これが問題になるのです。 神はかつて、使徒たちがそんな立場にいる時、それを天国化させるために牢獄の門を開き、自由に行動できる権限まで付与したのではないですか? 神は、皆さまが、かつてのその使徒たち以上に希望と期待を持てるような、資格を持つことを願っています。 終末には新しい創建の方向を現世と反対にしなければ、生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。これが新しい統一の歴史的な方向性です。第3者を犠牲にしてできた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和が訪れないのです。 私たちは十字架の道を如何にして越えるか? 自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。これを段階的に、正常的に差し支えない行路を通過していけば、すべての怨讐が待っている十字架の道は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由が実現されて天地に平和の王国、神が願う理想世界は実現されるのです。 この世界でも神を中心とした新しいパターンを探さなければなりません。家庭での父母が子供を愛する道理が今日、人倫道徳の原則になっているではありませんか? 父母、夫婦、子女の因縁を中心とした統一教会で言う四位基台の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を如何にして決定するかということです。 世界をかけて統一と平和を夢見るには、こんな基本問題が残っており、これを決定せずには統一世界は訪れないのです。基本問題においての個人的な男性パターンと女性パターンを中心として家庭的なパターンを形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆さまは知るべきです。 自分が犠牲になり、自分の家庭と自分の国家が犠牲になっても国家、世界が良くなり得る新しい価値観を持って出発できる、そんな思想的な体制があれば、その思想的な体制を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。 ひとつが上がればひとつは下がるものであり、ひとつが下がればひとつは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので罪悪を解脱できるひとつの方向性を備えて勝利の天国を創建し得る時がやってきたのです。 包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、怨讐を愛せと語られました。これまでサタン世界には平等圏がなかったために、その平等圏を作る作戦が何かといえば、サタン世界で残るために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら打った人々を屈服させ、同じ恩恵を与えることによって、ここには完全平等圏が実現するのです。怨讐の対決圏を解消させる舞台をこのように築いてきたため、ここで初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まるのです。 天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシアとか、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を持たせ、犠牲を払わせてきたのです。そのため、多くの聖人たちがやってきて、その位置を死でもって埋めていきました。多くの国々が興っては滅んでいったのは、この谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等を作りました。平等ということは、平和だということです。 本来、神の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバがひとつになることによって、神が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う四位基台です。この四位基台を完成すべき基盤を失ったために、どのような歴史時代を経てたとしてもこれを設定しない限り、人類の平和とか、ユートピアとか、理想世界とかいうことを描いてみても、何の役にもたたないのです。原則を否定し、原則を離れては理想郷はあり得ません。 二千年間、ローマ帝国の迫害時代に形容できない逼迫の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマを呑み込んでも残ったキリスト教が今日、自由主義の米国では第二次大戦以後の数十年間で、どうしてあんなに衰えてしまったのか、それは謎です。ユダヤ教が神を信じ、すべてを愛するというのに、なぜヒットラーが六百万を虐殺するのかというのです。理解できません。これが謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったためです。終わりの日に、民族を中心として神本然の真の愛に接触点を持たなくなる時は、サタンの供え物として完全に砕けていくのです。 それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのか? 今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知性人たちも語っていますが、世界を指導し得る人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのですか? 経済力と政治力を中心として指導し得る能力がある人々はいくらでもいます。 金がなくて、政治体制がなくてそれができないのではありません。神の理想に通じうる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源が、初めて私たち人間の本心が安息できる理想郷の出発が始まるのです。 真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地に神の真の愛の心情に通じる真の人であれば、十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れる時、大宇宙は私の友となるのであり、そんな真の心情に徹して天下に対して現われるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。これから人間世界に理想世界がどのよう訪れるのか分かりますか? 真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は訪れません。 ローマを見てください。米国を見てください。米国が金がなくて滅びるのではありません。今まで真の愛の器官の主人が誰なのか分からず、どのように由来して創造されたのかということを知りませんでした。サタンのために分かりませんでした。それを明らかにするため、天地の全ての邪悪でよこしまな性問題で、サタンがやりたい放題にしている全てを掃除するため、真の父母の名前をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。 寒帯地方から温帯地方に風が吹きつけるので、温帯圏内のすべての木の葉は枯れて落ちるのです。それで冬になり、実まで全て落ちるようになります。しかし、その中で種、生命を持つ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えるのです。 解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎える、その時代において真の生命の種をこの天地にまくようになる時は、緑のまま、再び冬を迎えない解放の温帯圏に進出しようというのが、統一教会の思想とぴったり一致するのです。 自分自身を是正するためには、難しい道を歩まなければなりません。南北統一するのが簡単ですか、自分の一身を統一するのか簡単ですか? 南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、自分自身の統一は内的に実現できません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現できません。 世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の希望はいつでもどこでも見出し得ます。 過去と現在を照合すれば、結果は必ずひとつの目的に向かって進むのです。 ひとつの目的は統一であり、平和です。ひとつの平和というのです。二つではありません。しかし、私自身が統一をいつ実現できますか? 私が統一できなくて、統一された世界を管理できますか? それは理論的に通じないのです。 そのため、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻なのです。宇宙史的な問題です。 国が滅びるのは大きなことでありません。アダムの世界には国がありませんでした。自分の家庭だけ収拾すればいいのです。家庭だけ正しく立てばいいのです。結局は、良心と肉身の一体(化)と家庭の一体(化)です。夫婦、男女がひとつになることが、世界的な問題です。これがひとつになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解けば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体をなせばいいのです。 この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うためです。 男女は二人で闘うようになっています。それで、世界平和の基地はいったいどこか? 韓国でもなく、日本でもなく、米国と世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争する、その基点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。 それでは、どうすれば平和の世界が訪れますか? 第1の条件が何かといえば、ひとつになる起源を見い出さなければなりません。それを見い出せなくなる時、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身がひとつになったのかと尋ねる時、ひとつになった私を発見できないのです。体と心が闘うでしょう? 男女が闘う時、幸福であり得ず、平和であり得ず、希望があり得ないのです。終わりの日になればなるほど心の分野、体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。体と心が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。 統一教会では、神から内的統一の真の愛の動機を解いて、神のように真の愛でより人のために生きる論理的な形態を備えているため、思想界や宗教界が追随できない体系として、終わりの日において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、宗族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地となり得るのです。 神のために生きる真の愛によって神人一体となり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳をなして、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対しては存続する人がいません。そのため、すべて歓迎するようになっているのです。 それでは今後、世界はどうなるのか? 老若男女を問わず、現在の世界に住んでいる万民はひとつの世界を願っているのです。そのひとつの世界は戦争するひとつの世界でなく、平和で自由な立場でのひとつの世界です。そこには民族分裂、あるいは人種紛争とか、あるいは文化的な格差からくる習慣的な違いによる壁のようなものがないのです。 それで世界の万民は、すべてひとつの真の愛の文化圏と対応しながら、自由で平和なひとつの国を願っているのです。平和の世界はひとつの世界です。平和の目的世界に向かうのに、二つの道があるのではありません。老若男女がすべて願う希望の世界、平和の世界はひとつの世界です。 しかし、民族を見てもその中にさまざまな団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党、与党、そしてありとあらゆる党が全て出てきて、皆が自分たちの道を行こうとするのです。それなので、方向がどれだけ多くありますか? ここで問題が生じるのです。 歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を求めながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりに至っては、希望を持って明日のより次元が高いひとつの世界に向かって進みうる立場からコーチできる人がだんだん少なくなっていくのです。 すべての学問を超越し、社会の構成体制あるいは習慣を超越して、決定しなければならないことは、始めがどこからかということです。始めは真の神とならなければならないのです。その真の神自体が最初から過程を経て、真の神が人間を創造したなら、創造主、理想実現、その目的地まで到達できることを再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかといえば、平和の世界はひとつの世界であるためです。人間が進む方向、神が進む方向と、このように二つの方向があるとすれば、ひとつの平和の世界は訪れないので、不可避的に結論はひとつの方向とならなければならないのです。 そのため、人間を中心とした世界を打破し、真の神第一主義の世界に決定づけなくては、ひとつの平和の世界に向かう道を発見できないのです。心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が人生で最も大切な問題です。 心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるか? 世界でもなく、国家でもなく、宗教でもありません。 私自身において、体と心が絶対的に統一した平和の基準を確立することが宗教指導者であり、そのようになるためのものが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義的な目的なのです。 そのため、皆さまがいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、ひとつのこの世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内の体と心の統一圏は、永遠な神とともに同じ立場の統一をなすことはできないのです。 問題は、個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなくては、理想的な宗教とか天国とか何とか言っても全て夢に過ぎない、というのです。問題解決は、神を中心として真の神の子女一体圏を求めるところに統一の起源があります。神は体と心が闘いません。 それでは、私たち人間はどうして体と心が闘いますか? 心身がひとつになるには、平和の大王である父と息子がひとつにならなければならないのです。 神の真の愛、真の生命、真の血統が一体となる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子がひとつになるには、真の愛、真の生命、真の血統がひとつにならなければならないのです。 堕落した私たちは本然の神を確実に知り、天国の理想的な環境圏を確実に知らなければなりません。神自体とみ旨から見た天国と一体になると懸命に努力するところから、父なる神のようになる道を見い出し得るのです。そこでのみ、平和の個人から天国と一体となって生きる父と子の喜びと平和の世界となるのです。そのため、今から再臨主たる真の父母がこの全ての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体となるようにすることによって地上、天上天国を完成するのです。 霊界に行った聖人・聖賢たちを中心としたすべての人々がこの道を願っていますが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一体圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。 愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の7千万の皆さま! 人類の真の父母となるメシアが再臨するこの時代、韓半島の南北が銃剣でなく愛と真理で統一されるこの時代、世界の全ての宗教が真の父母の教えの下でひとつになるこの時代、霊界の全ての聖賢と祖先が降臨し、直接私たちと通じあって暮らすようになる歴史的で、摂理的なこの時代を迎えた皆さまは、本当に幸せな人たちです。 今こそ全人類は人種と理念、そして国境を超越して平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくれることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので参考にし、全体の内容は配布された冊子を通して研究されるよう願います。 天も地もともに永遠の世界で天地父母に侍り、大家族となった天上地上天国世界で、真の愛で兄弟となって平和で幸福に暮らせますように。神の無限の祝福が皆さまの家庭と国家と世界に満ち溢れますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
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「摂理から見たアベルの正道」(その1)1979年12月30日 アベル文化の世界と歴史の完成 統一教会の恨みの七〇年代は、三日をあとにして過ぎ去ろうとしています。八〇年代は希望の年となるようにお祈りいたします。 きょうは、「摂理から見たアベルの正道」について話しましょう。 統一教会に入教してきた人たちにとって、まず問題になるのはカイン・アベルです。普通は、先に入ってきた人がアベルだとみんな考えていますが、それは間違った考えです。なぜかというと、摂理路程には蘇生時代があり、長成時代があり、完成時代があるからです。原理がそうなっているのです。統一教会の歴史を見ても蘇生時代、長成時代、完成時代へと発展しています。アベルとは、アベルとしての道の蘇生時代を勝利的に歩み、長成時代も勝利的に歩み、完成時代も勝利的に歩んだ人です。このような責任がアベルにあるということを、はっきりと知らなくてはなりません。そして責任を果たした証を持たなくてはなりません。 ではなぜ、アベルは蘇生時代、長成時代、完成時代を行かなくてはならないかというと、堕落したためにそうなるのです。もし、堕落せずにアダムとエバが成長して二十一歳を迎えたならば、このような位置は全部越えてしまうのです。その位置で、天の世界の成人となってしまうのです。それで、この位置から家庭時代に入り、家庭を中心にして氏族的家庭時代、民族的家庭時代、国家的家庭時代へと発展していくというのです。 したがって、家庭の伝統も蘇生時代、長成時代、完成時代を経て受け継がれなくてはなりません。言い換えれば、祖父の時代、父の時代、孫の時代を中心にして受け継がれるというのです。すなわち、一つの家庭が中心の氏族的基盤となって、横的に発展していくのです。そのように家庭、氏族と広がれば、兄弟たちによる家庭氏族、家庭民族が大きく発展して国家基盤になるのです。そして国家から世界に伸びていくのです。そうなればアダム文化世界が広がって、神様の伝統的歴史が成立するのです。これがアダム文化の世界と歴史の完成であるというのです。 では、その文化は何をもって成すのかというと、我々の生活をもって成されていくのです。また、歴史は何をもって形成されていくのかというと、我々の伝統によって形成されるというのです。これをはっきりと知らなくてはなりません。それゆえに生活と伝統は絶対に必要なものなのです。そこで、どのような生活をし、どのような伝統を受け継ぐのかということが重視されますが、それは生活文化と伝統歴史の一語に尽きます。その課題は何千年前のアダムにとっても、何万年後の後孫にとっても同じです。 伝統的中心思想は神様の心情を実現する天国の愛の完成である それでは、その伝統的中心思想は何でしょうか? それは神様の心情を実現する天国の愛の完成です。天国の愛は伝統歴史の骨髄であり、その愛の力で摂理歴史は進展してきています。そして摂理歴史の進展に伴い、伝統が引き継がれ、生活圏と生活文化、すなわち家庭が引き継がれるのですが、その中心は心情です。心情が問題なのです。心情の中心軸は骨髄に向かい、地上から永遠の霊界にまで連結されるのです。そうであるため、このような形態は霊界にまでも連結されるのです。この二重構造のゆえに、成就することが難しいのです。 人の一生は霊形体時代、生命体時代、生霊体時代へと発展していきます。霊形体、生命体、生霊体、これは原理が教えているものです。そしてこのような段階的発展を遂げたならば、堕落はなかったのです。ところがこれが失敗し堕落したために、ここからここに落ちてしまったのです(黒板で説明)。遠い圏内に落ちてしまったのです。落ちた世界は次第に大きくなりましたが、堕落しているためにこれは死んだ世界なのです。エバの堕落の原因は、初めに不信でした。その次に心の問題です。心情をなくしたのです。そして三番目は天を失ったことです。 堕落エバとは何かというと、それは不信仰の人であり、不心情の人であり、不天国の人です。そのように、堕落した女性は信じることのできない者たちです。心情的に天と一つになることのできる愛がないのです。理想がなく、現実に縛られていて自己中心です。神様に向かって、「神様を信じているから、神様、私を信じてください」「神様を愛しているから、私を愛してください」と言い、将来の天国よりも今を問題にするのです。そのような考えは堕落から来ているのです。堕落のためにそうなるのです。そしてこのエバは、アダムまでも引き入れたのです。 不信仰の人、不心情の人、不天国の人は、天国には行けないようになっているのです。堕落によってつくられたこの世は不信の世であり、愛のない世であり、理想のない世です。受け継いだ文化は堕落した文化であり、受け継いだ伝統は自己中心の愛の伝統です。男性も女性も自己中心の愛を求めるほかは、神様も全体も知らないのです。英語で、「I」を大文字で書くのも自己中心性の現れです。「I」は「am」という文字を抱いて大きく現れます。歴史的に見て、この「I am」を代表的に受け継いだものが西欧文明です。このような結論が出るのです。 そのような国を代表する実用主義国家、それがアメリカです。アメリカ人は実用主義のあまり、利益を求め過ぎており、利益のためなら将来のことなどどうでもよいという生き方の人が多いのです。アメリカの諸君、先生の言ったことは正しいですか? 皆さんもそうですか? 審判はアベル文化圏の使命 堕落は何を蒔いたのかというと、不倫の種です。不倫の結果として実ったこの世に、倫理破綻の時代が来るというのです。青少年たちが人間始祖の蒔いたとおりの種になる倫理破綻の日が訪れる時に、アメリカの樹木の下では、若者たちの堕落圏の現実の舞台が繰り広げられるのです。その中でもアダムは恥じて覆い隠すのに、女子は着ていた服を脱ぎ捨てるのです。そこに男と女の違いがあります。恥を知らないのです。女性は恥じらいをもなくしてしまったというのです。背信のアダム、エバが神様から追い出されたように、この地球上から追放しなければならないそのような者たちです。国家が、民主世界が滅亡途上に入っているのです。何の話か分かりますか? 地球上に滅亡の時が来ようとしているのです。自然に滅亡するのです。 これは審判されるべきです。では審判は誰がするのでしょうか? (メシヤです)。これが大きな問題です。誰がすべきでしょうか? (メシヤです)。メシヤではなく、アベルがしなくてはならないのです。アベル文化圏がするのです。 神様は、アダム、エバの堕落によって拡大された、不信仰、不心情、不天国のこの世を正すために信義の人を立て、心情の人を立て、天国の理想的な人を立てて歴史を巻き返す運動をしてこられたのです。この運動の先駆者として信義の先知者、心情の先知者、理想の先知者が地上に送られたのです。人々に天を慕う心情を抱かせ、天の愛と信仰を主張する使命を背負ったのが先知者たちです。また、預言者たちなのです。 このように、先知者たちは天から送られた人ですが、地上の人々からは「私はついて行けない」と、背を向けられて悲惨な道を歩むのです。彼らは反対され卑しまれる運命に遭ったのです。時には蹴られ、時には争う中で死に襲われて「ワー!」と叫び、人間世界の落伍者となっていくのです。だから先知者たちは仕方なく、見捨てられた立場で、この世の落伍者や不具者たちを中心にして、天の愛と信仰による新しい因縁を結び始めたのです。新天新地に希望を抱かせ、霊界を背景にした新しい信仰の波を起こしたのです。 しかし、この世の者たちは信仰の話に耳を傾けながらも、古い習慣や観念を優先し、昔の風習から脱皮することができなかったのです。代わりに底辺の者たちが集まるという逆現象が生じたのです。立派な人たちはみな通り過ぎ、立派でない人たちもみな通り過ぎたあとから、病人や屑のように扱われた人々が、新しい世界を求めてやって来たのです。 この世には、立派な父母、立派な息子、娘、立派な家庭をもった人はほとんどいないのです。家庭が破綻し、家族が別れ別れになっている父や母、あるいは息子や娘、負傷者たちが宗教に関心をもち、新しい世を希求して先知者を訪れるようになったのです。そこから天の因縁が始まるというのです。 このような働きをする責任者、預言者たちの位置が、それがアベルの位置なのです。その預言者、アベルは地上の人々に頭から、「おい! お前たち、私に仕えろ」と言って、この世に受け入れられると思いますか? この世で人間の屑として卑しまれている人々を、不信の人から信仰の人に変えるためには、自らが信仰者としての行動を示さなくてはならないのです。不心情の人から心情の人に変えるためには、愛をもって感化させなくてはならないのです。無天国、無理想の人を理想天国の人として立たしめるには、ため息が出るほどつらいことがあっても、それを希望に燃えた表情の下に隠していなくてはならないのです。そうするのです。皆さんもそうするのです。 アベルが責任を果たせば、カインはアベルを保護する 七年たって、信義の人になったのですか、心情の人になったのですか? 天の国の理想をもった人になったのですか? 知ろうと知るまいと、伝道の志を立てたならば、対象者が従順屈服するようにもっていかなくてはならないのです。このように、アベルの伝統歴史がいかに難しいか知らなければなりません。 仮に、先知者たちが地上に送られる時、世の人々から歓迎されることが約束されていたとしましょう。先知者は王の座で、あるいは出世の道で称賛を受けるものと喜んだのですが、実際は違う結果となり、考えもしなかった厳しい現実に直面した時に神様が信じられなくなり、「本然の愛も天の理想もみな疑わしい」と言うような先知者は、本物の先知者でしょうか? (いいえ)。 アベルは、そのサタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕えるようにして、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。しかしその場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。その時にサタン世界の僕たちは、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた」と認めるのです。アベルは「いかに耐え難い時も、信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、最後まであなたを信じて尽くすことができました」と、言えるのです。そこで「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と、なるのです。その認められた事実でもって、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなくてはならないのです。カインは兄さんです。 そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界のみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立するのです。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのが、カインです。そうすることで天の国に行くことができるというのです。 カインはアベルの面倒をみなくてはなりません。兄さんが弟をみてあげるのが天のカインの道理ですから、弟を保護する運動が起きてくるのです。エデンの園では、カインがアベルを保護しないで殺してしまったのです。反対になってしまったのです。 このような原則があるにもかかわらず、今日の統一教会の信者の中には、自分は不信仰であろうと、不心情であろうと、不天国であろうとどうでもよく、「ただ先に入ってきたからアベルであり、お前はカインだから屈服しなさい」と言う者がいます。そんな法がどこにありますか! アベルが寝る時間が短いと不満をもらしたり、仕事もこなせず、実績も上がらず、全体の犠牲にもなれないとすれば、いったいどうなるでしょうか、皆さんもそのようなまねをするのですか? 次の問題は、天国に入る時にはカインが、「私が先に入ることはできません。あなたが先に入ってください」と言わなくてはなりません。天の父の前に進む時には、弟が兄さんの位置に立たなくてはなりません。では、それを誰が決定するのかというと、アベルが決定するのではないのです。カインが決定しなくてはならないのです。「統一教会で、自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それでは、「自分は統一教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それならば弟のいないカインがいるのですか? (笑い) アベルがいなければカインもいないのです。カインとアベルの決定は、「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、互いに約束すればいいのです。「私が兄であり、私は弟になる」。こういうふうにです。 では、アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか? 不動の中心がなくてはならないのです。それが何かというと、信義と心情と理想です。信義は動くことができず、心情も動くことができず、理想も動くことのできない存在になっているのです。さて、次にもう一つの問題があります。理想に到達し、理想がかなえられると、理想に酔ってしまって二人が行くべき道を歩めなくなるということです。 皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? カインとアベルはなぜ必要なのですか? 「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何だ」。(笑い) どうして笑うのですか、本当のことでしょう。カインなんか煩わしい、みんな蹴ってしまえばいいじゃありませんか? (いいえ)。なぜ「いいえ」ですか、カインがいかに煩わしい者か知っているのですか? カインはこう言うのです。「統一教会はいいのだが、アベルというのは嫌いだ。天才主義ではないか。アベルは勉強もしていないし、あのような者が何だ。あれがアベルなのか」と。 カインのメシヤはアベル、アベルのメシヤはカインである 皆さんは、皆さん自身がメシヤであることを知っているのですか? カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインであるということを知らなくてはなりません。それを知らなくてはならないのです。今まで説明したそのような関係を結ばずしては、それを経ずしては駄目です。では、なぜそうしなくてはならないのでしょうか? この原因はエバにあります。エバは堕落して誰を生んだかというと、カインを生み、アベルを生んだのです。これが兄であり、これが弟です。堕落ののち、誰が先に生まれ兄になったかというと、カインが先に生まれて兄となり、アベルはついていったのです。これは何かというと、後ろからついていく根拠になるのです。そのために、カインがサタン世界の相続権をもっているのです。サタン世界のすべてのものの相続権はカインにあるのです。サタン世界はカイン世界ですから、カインのものになるというのです。 もし堕落しなかったならば、長子も天の側であり、次子も天の側になったはずです。これを知らなくてはなりません。そして、その国の相続は長子が受けたのです。長子が引き継ぐようになっていたのです。神様の原理法度は、先に生まれた人が父のすべてのものを管理し、責任を負うようになっていたのです。そして堕落した世界も、原理法度に従って規範どおりに運営していくというのです。 長子がサタン圏のものとなったのですから、二番目の息子はどのようにしてこの、長子の位置を越えていくのでしょうか? それは屈服させることです。長子の権限をどのようにして引き継ぐか、これが問題なのです。どのように迎え入れるかということです。争って越えるのではありません。不信から信義へ、不心情から心情圏へ、不理想から理想圏へと、兄さんは弟についていかなくてはならないのです。そうすることによって、昔カインがアベルを殺したことを償えるのです。従順にアベルについていくことによって復帰されるというのです。カインは自分のほうから先にアベルを殺したのです。何の話か分かりますか? このようないきさつに基づいて、二〇〇〇年前に、国家的アベルとして来られたのがイエス様であり、国家的カインはイスラエル民族でした。イスラエル民族は国家的カインの立場から、国家的アベルであるメシヤに絶対服従してついていくべきでした。イスラエル民族は自らが滅びたとしても、アベルであるメシヤを生かすべきでした。そうできたならば、イエス様は死んだでしょうか? イエス様は十字架で死んではならないという話はここから出たのです。死を決して守ったならば、カインはアベルを殺さずに生かしたはずです。イスラエル民族が二〇〇〇年間メシヤの出現を待望したのは、この蕩減法からきたものです。 母子協助 神様のみ旨の中で、弟が兄さんを屈服させることに誰が協助するかというと、お母さんです。母子協助です。お母さんのエバは、堕落の実であるカインを、アベルと一つになって復帰しなければならないのです。母子協助という言葉はここから出てくるのです。弟が兄さんを屈服させる摂理がいつ行われたかというと、ヤコブとエサウの時代です。エサウは外的な存在です。お母さんであるエバの立場は誰ですか? それはリベカなのです。堕落の種を蒔いたのはお母さんですが、復帰は息子にお母さんが手助けをし、また息子がお母さんを手助けしたのです。 エバが堕落する時、どのような事態が起きていたかというと、アダム、兄さんをだまし、神(父母)を偽り、堕落したのです。お父さんと息子の二人をだまして堕落したのですから、こちらからこちらに行くことで蕩減復帰ができるのです(黒板で説明される)。 エバが堕落することにより、カインが長子になりました。そこでヤコブは何をしたかというと、お父さんのイサクと兄さんのエサウをだましたのです。そして祝福を奪うのです。なぜこのようなことが聖書に記されているのでしょうか? これが聖書だろうかと考えてしまうのですが、しかしそれだから聖書なのです。祝福を奪い取ったのです。長子の祝福は、口で言って次子に与えられるものではないのです。ヤコブはその長子の祝福を要求したのです。ヤコブは知恵を使って言いました。「兄さん、おなかが空いているなら、パンとレンズ豆のあつものを上げますから、代わりに長子の嗣業を譲ってください」と。長子の嗣業は売り渡すべきものではないのです。それは自分の天国を売り渡したのと同じであり、自らを滅ぼすことになるからです。天国も神様もなくなってしまうのです。 エバの立場のリベカは、それほど重大な取り引きに対して、「お前たちが約束したとおりにしなさい」と言ったほかは何も触れていません。「お前たち、売れるものは売るし、買えるものは買えばよい」という調子です。リベカはヤコブに長子の嗣業を奪わせようと思いましたが、イサクが長子の嗣業をヤコブに譲らせるはずがないことははっきりしています。そこで思いついた方法が、兄弟で約束を交わさせることでした。 つまりヤコブはアベルの役割をしたのです。そしてヤコブはリベカに、「お母さん! 約束どおりになりました。兄さんはレンズ豆のあつものを食べて祝福を売りました」と言いながら、母子でこそこそと話し合ったのです。実は、こそこそしているのはエバでなく、アベルだったのです。そのようにしてヤコブが祝福を受けることになるのです。ヤコブを祝福したのち、イサクから「カインは祝福をすることができない」と言われたエサウは、ヤコブを殺そうという憤りを抑えることができなかったのです。それは何かというと、ヤコブがアベルの立場で、カインの脳みそを抜き取ったようなものです。何の話か分かりますか? もし統一教会がある村においてそうしたならば、統一教会は完全にその村のカインの福を占領することができるのです。祝福を奪ってくるということなのです。 ヤコブは二十一年間にカイン以上の基盤をつくる ヤコブは祝福を受けてから二十一年間、天の側の身代わりとなって、ありとあらゆる苦労をしました。家を出て、二十一年間苦労をしたのです。しかし、祝福を受けたはずのヤコブは、両親にも親戚にも、「私は神から祝福された。私は勝利したのだ」と言うことができなかったのです。エサウを屈服させる前は、そのように言うことができないのです。それをはっきり知らなくてはなりません。 ヤコブは結婚をし、家庭をもったのですが、妻子たちにも神様の祝福を受けた話はしませんでした。祝福を公認する立場にないからです。「長子の嗣業を相続したのですから、あなたが天の祝福を受けなくてはならない」というサインを誰がするのかというと、カインなのです。それをカインが認定しなくてはならないというのです。カインがエサウが認定しなくては、ヤコブは祝福を受けられないという話なのです。 では、ヤコブは家を出てから二十一年の間、何をしたのでしょうか? 自分の枠を築いてその中に氏族をつくったのです。カインより優秀な基盤をつくり、カインを消化しようとする運動をしたのです。その努力する姿を見て、ヤコブを神様が祝福してくれたのです。お金も多く、羊も多く、すべてのものが豊かに恵まれていたのです。ヤコブは母方の叔父や両親との因縁を大切に思い、それで、故郷ははるか遠い地にあったのですが絶えず贈り物をして、家族とのつながりを保ち続けていました。分かりますか? (はい)。そうしているうちに、エサウが考えるのです。“弟がいない、ハランに逃げたのだ。長子の嗣業を売った私が悪かったのだ。そうだ、私が悪かったのだから、私のほうから先に弟に会いに行かなくてはならない”。そして、「もう今は反対しない」と言って歓迎してくるのです。エサウも自分の過ちに気がつくようになるというのです。 こうして二十一年後、故郷に戻る時にヤコブは最上の物を兄に捧げたのです。僕も動物も、そして財貨もです。それらの万物を僕たちに持たせて先に贈らせました。「このように、これらの物をすべて差し上げます」と言いながら。しかし一つだけ、長子の嗣業だけは手離さなかったのです。それは、長子の嗣業を返さなければ殺されることもあり得るのを知っての上です。そして、そのようなことがないように、すべてから解放される条件をつくるために、ヤコブは必死に二十一年間を働いたのです。その条件を供えれば、サタン世界を完全に越えることができるのです。それが何かといえば、財物です。何の話か分かりますか? (はい)。これが歩むべき伝統の道です。これが伝統なのです。この伝統の公式はどの時代にも通用するものです。 「怨讐を愛せよ」 先ほど説明した家庭基盤、氏族基盤、国家基盤、世界基盤にこの伝統を立てなくてはなりません。ヤコブは、イスラエルの氏族を中心にした国家編成までの伝統を立てたのです。ここにおいて民族交代をするのです。イスラエルの氏族が、エジプトに大移動しなければなりません。ヤコブの家庭基盤がそうなったためにエジプトに入るのです。エジプトという異邦の国に入って、受難の道を歩むことになるのです。 氏族から民族基盤をつくり、次にエジプトに向かって移動しましたが、エジプトの国は長子の国です。文化も長子の文化ですから、サタンの文化なのです。イスラエル民族は次子ですから、文化も次子の文化です。すなわちエジプト文化はカイン型文化であり、イスラエル文化はアベル型文化なのですが、エジプト圏内でイスラエル文化がつくられていくのです。分かりますか? エジプトで民族的試練を受けながら、国家的基盤を築かなくてはならないのです。 そうして四〇〇年の間、僕として過ごしたのです。それは迫害を受け続ける長い道程でした。その受難の中で信義のイスラエルの民族となり、また心情において天を愛することにより、彼らの前に、大いなる恵みが与えられることになりました。イスラエル民族を神様は祝福せざるを得なかったのです。 イスラエル民族は、エジプトの最下級以下の人たちと交流を深めており、高位の人ほどその間に隔りがありました。天の摂理圏にある、アベル圏の立場のイスラエル民族が親しくしたのは、社会からつまはじきにされた人たちでした。イスラエル民族を愛した下層のエジプトの家族たちです。しかし上流階級の人たちはイスラエル民族を蔑視したのです。そして、エジプトの地でイスラエル民族は次第に増えていったのです。 やがてエジプトの民は、このままではイスラエル民族のためにエジプトの民がいなくなり、エジプトの地がなくなるのではないかと恐れるようになり、国王は王権が奪われ、国中が侵害されてしまうと危惧したのです。国王が、「さては長子の嗣業を奪いに来たのか」と警戒するのです。これは公式なのです。 さあそこで、モーセがイエス様の仮の立場で現れ、カインがアベルを殺した歴史の、国家的基準を越えるのです。個人的犠牲を耐えなくてはならず、国家的犠牲を耐えなくてはならないのです。イスラエル民族は耐えること四〇〇年間、怨讐に対して耐え続けたのです。イエス様が言われた「怨讐を愛せよ」ということはここから生まれたのです。既成教会はこれを知りません。イエス様が何をもとにして、「怨讐を愛せよ」と言われたのかを知らないのです。ヤコブも怨讐であるエサウを愛したというのです。兄弟を愛するのも、神様を愛するのも、父母を愛するのも同じことなのです。そのように、神様を愛しているから兄さんを愛することができたのです。兄さんから見れば、自分がアベルの立場ですから、ヤコブがカインであり、ヤコブはまたイエス様の立場でもあったというのです。イエス様の兄弟なのです。この兄弟が一つにならなければ必ず神様の仕事が複雑になるのです。分かりますか? イスラエル民族はこれを解決したのでしょうか、できなかったのでしょうか? エジプトで兄弟のような立場を、国家的次元でイスラエル民族が解決しているのでしょうか、いないのでしょうか? (解決しています)。そのように解決したのならば、エジプトでは他にすることがなく、イスラエル民族はエジプトでの受難期を終えてカナンに復帰したでしょう。しかし、カナン復帰してから何をしたのかというと、メシヤを待つ間に、もっと大きなカインであるローマ帝国の国家圏内に入っていったのです。ローマ、それは世界圏なのです。もし、カインであるエジプトを屈服させて、一つになっていたならば、ローマは問題ではありませんでした。ローマは問題外だったのです。 カナンに復帰してから、イスラエル民族に大勢の優れた頭脳をもった人々が生まれました。それは神様が祝福したからです。次第にイスラエル民族が繁栄していくので、ローマ帝国は恐れ始めました。ローマ帝国は、イスラエル民族にはメシヤ思想があるということを知るようになったのです。イスラエル民族はメシヤの名を呼び、「我々はローマの兄弟ではなく、神様が送った人の兄弟だ」と叫んでいました。 そして、イスラエル民族はローマ帝国から打たれたのです。メシヤを信じる人たち全員がです。そうすることでローマ復帰が始まるのです。一方、ローマ帝国でもイスラエル民族と親しむ人々が増えていき、イスラエル民族の勢力が広い範囲に及びました。その時期にイスラエル民族がカナンの人々と一つになって、メシヤを迎えたならば、メシヤとイスラエル民族が完全に一つになることができ、カナンにいる十二支派も完全に一つになれたのです。 そして次はどこに行くかというと、アラブ圏を通って、インドへ通じる道が用意されていたのです。当時、ヨーロッパはローマ強国に直轄されていました。アジアを中心に世界が一つになるためにはまず、アラブ圏内でイスラエル民族が一つになった条件を立てるべきであったのです。それができたならば、インドと中国はイスラエル民族を応援し、受け入れたはずなのです。インドと中国はローマ帝国に圧力をかけ、イスラエルの政治的基盤を強力にしたに違いないのです。イエス様が血を流したのはなぜでしょうか? 本来イエス様はこの地点を通過して中国に渡ったに違いありません。中国とインドは宗教圏であり、ローマは純然たる人本主義圏です。キリスト教は絶対にローマでなく、インドから中国に渡ったはずでした。東洋にキリスト教が伝わるという結論です。それを知らなくてはなりません。 しかし、イスラエル民族がメシヤに反対したために、どこに行ってもキリスト教信者たちは打たれて歩くようになったのです。追われつつ、より大きな怨讐のいる、より大きな国に入って、より大きな蕩減をしなくてはならなくなったのです。 イスラエル民族はローマの中に入ってしまいましたが、本来の神様の計画は、東洋にキリスト教を迎えることでした。しかし、イスラエル民族が反対したためにアラブ圏の道がふさがれてしまいました。そしてローマ帝国に逃げて行ったために、ローマ帝国を相手に勝利しなければならないのです。そうしなければ、追われていくだけなのです。この世界が許さないのです。民族が離れ離れになってしまうのです。信義の人、心情の人、理想の人になるか、否かにかかっているのです。イスラエル民族も一つにならなければ、カナン復帰はできないのです。一つになることによってこそ、下水溝の底のような位置からはい上がって、ローマ帝国に勝利することができるのです。 ついにそのような底辺から立ち上がった大衆運動が、ローマ帝国をしてキリスト教を受け入れさせ、全世界はローマの支配下に集まったのです。この勝利が、イエス様が死なずして勝ち得たものであれば、イエス様は天下を統一したはずでした。しかしイエス様の死によって得たものなので、キリスト教は霊的キリスト教文化圏としてのみ世界に広まったのです。 ローマの世界制覇は、教皇を中心とした自由世界のローマ統治時代の幕明けとなったはずでしたし、その時の王がアベルに屈伏したならば世界は統一されていたのです。国民が知ろうと知るまいと、アベルが王に向かって、「王よ、あなたは私の言うことを聞きなさい」と言い、王が、「はい。絶対に服従します」と答えたならば、この世のすべては平安に治っていたはずなのです。 本来、イエス様は死なないで、元老院と折衝すべきであったのです。しかし十字架のために、キリスト教は、ローマを経て英国に渡り、アメリカを回って中国に向かい、再びローマに戻っていくのです。アジアを通ってローマに戻るという逆の道をたどっていくようになるのです。 その過程で、霊的であるはずの教会が物質的な教会になり、西欧文明の外的なキリスト教になったのです。精神的文化のキリスト教がなぜ、実用主義の物質的なキリスト教になったのか、キリスト教自身も分からないでいるのです。キリスト教が物質的アメリカを導いていかなくてはならないのに、物質的アメリカがキリスト教を引っ張っているのです。逆になってしまったのです。これを逆転させなくてはならないのです。 アメリカの不信仰 アメリカにサタンが入ったのです。サタンとしては、キリスト教を滅ぼさなくてはならないのであり、家庭と倫理を滅ぼさなくてはならないのです。その的の中心は、二世の青年たちです。神様が入らなくてはならないのに、サタンが入って全部を堕落させています。若者たちは酒を飲み、ディスコ・ダンスに夢中です。二世たちは国がないと言い、宗教も必要ないと主張するのです。全く単純としか言いようがありません。父母を否定し、兄弟を否定し、家庭を否定し、国を否定し、宗教を否定しているのです。すべてが否定であり、ただあるのは自分一人の人生なのです。 愛についても、人が何と思おうと身勝手な愛に溺れているのです。サタンが若者たちに淫らな行いをさせるのです。日本女性を愛したあとで中国の女性も愛し、黒人の女性も愛して、十二種以上の女性たちを放蕩させているのです。サタンの所有物だからそうなるのです。自らを破滅させる者たちにはサタンがついているのです。 これらはみな、アメリカで起きていることです。アメリカの女性は、男性と簡単に結ばれているのです。これらの人たちは落伍者です。必要のない人たちです。今夜はどこへ行こうか、東に行こうか西に行こうかと考える、このふしだらな女たち。女が問題です。男よりも女が問題なのです。そのように女たちは、あのエジプトの時代も今も、村や町のあちらこちらで、時には路上で男の遊び相手となっているのです。アメリカの女性たち、どうですか、そうでないのですか? これからアメリカの女性に何が起こると思いますか? 嫁にいきたくても、アメリカの女性はまず同じアメリカの男性から嫌われるようになります。嫁にいっても娼婦のような女たちです。パーティーなどと言って、家を回りながら、愛を売り歩く女たちです。そのように歩き回ったあとどうなるのでしょう。今に一人住いの女性のアパートが数十棟、ずらりと列をなして建つ日を、アメリカは目前に迎えているのです。このことゆえに世界中から打たれ、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ばれ、追放される日が来るでしょう。これは、レバレンド・ムーンが作った話ではなく、神様が教えてくださったことです。アメリカはこのように不信仰に陥っています。カインがアベルを殺した不信の歴史は、殉教の形で受け継がれており、終末の最後の時まで天の人は卑しまれ、世界の果てまで及ぶということを知らなくてはなりません。 アメリカは韓国を犠牲にしようと陰謀をたくらみましたが、時を逸して失敗しています。どういうことかというと、この線がアメリカの行く道です(黒板で説明)。韓国を通過しなければなりません。このように、アメリカは韓国を切り離すことのできない運命にあるのです。加えて、キリスト教がアジアを通過しなくてはならないことを意味するのです。イエス様が死ななかったならば、アジアの東洋文化世界を中心にして、世界を指導し、その精神的基準はアジアにおいたはずでしたが、イエス様の死により、物質的世界が精神的世界を求めて行かなければならない立場に置かれてしまったのです。そのため、キリスト教文化は逆の道を回り、物質を根拠にしてきましたが、今度は物質世界の西欧から精神世界を捜して、世界を一周する役事をしなければならないのです。 レバレンド・ムーンの使命はアベル的歴史の収拾 現在アメリカは滅亡の危機に瀕しています。統一教会の我々は、このアメリカを救うために、韓半島を通過してこの地に集まってきて、二世たちに手術を施しているのです。 レバレンド・ムーンの使命は何でしょうか? それはアベル的歴史を収拾することだというのです。今日世界的に拡大した人類の数から見て、カイン・アベルの歴史も、二人の歴史ではなくなっています。それを一人の人が解決しなくてはならないのです。 家庭を中心にして見る時、家庭には必ずカイン・アベルがいて反対し合うのです。家庭的時代から氏族的時代に移ると、加重された十字架がカイン・アベルに負わされることになるのです。氏族的反対があってそれを越えると、より大きな民族的カイン・アベル圏に入り、国家的、世界的へと広がっていくのです。そのように役事をしなければならないのです。そして、今日の全世界的カイン圏は何かというと、天の前に一番近いキリスト教です。来られる主の前にはキリスト教がカイン圏なのです。ユダヤ教がイエス様の前にカイン圏であったことと同じ立場に立つのです。 ユダヤ教のすべての祭司長や祭司たちがイエス様に、「この世のすべてが、あなたのためのものですから、ユダヤ教もあなたのためのものです。すべての財産とこの身を捧げますので、どうぞ指導してください」と言ったならば、「分かりました」と言うイエス様の一言で、アベル圏ユダヤ教としての大きな恵みを受けることができたのです。そうすれば、ユダヤ版図を中心にして、ユダヤの国王と一つになることができたのです。 そこで国王が、「私はあなたの絶対カイン圏として服従します」と誓ったなら、国家的アベル世界が広がったのです。次は、もっと大きな国ローマを、そしてインドや中国を屈服させれば、世界的版図の世界統一が成就したのです。その日に、世界は完全に一つになれたのです。 英国が世界的な支配力をもった時代には、アジアもインドもその支配下にありました。国土を擬人化した場合、半島は息子であり、島はお母さんです。それを知らなくてはなりません。キリスト教はどの道を通ったかといえば、ローマの国を中心にして、ヨーロッパを過ぎ、英国を経て、次は大陸に、お父さんである大陸に行くのです。そのようにしてアメリカ大陸に入ったのです。 アメリカは男性です。そして天の側の女性の国家は島国です。ですから、島国の日本を通過してアジアを回らなくてはなりません。島の次は半島です。半島は息子です。韓国は息子です。必ず、日本から韓国への過程を通らなくてはならないのです。物質的なものが、精神的な世界に入っていくのです。アメリカも、日本についていくようになるのです。 最近は一つになる道しかないのです。韓国の統一教会もキリスト教と一つになるならば、アメリカとも自然に一つになれるのです。世界を代表した立場でアメリカの宣教師がみな韓国に入っているではないですか。 二〇〇〇年間、繁栄し発展してきたキリスト教は、約二十年前に力を失ってしまいました。罪のない統一教会に反対したからです。我々統一教会は底辺の位置にありましたが、今やはい上がって世界的キリスト教に勝利したのです。全世界のキリスト教が、レバレンド・ムーンをどうすることもできないのです。統一教会をどうすることもできないのです。 ヤコブは七年で終わらせることを、二十一年かかりました。キリスト教が七年の間で統一教会と一つになったならば、七年以内に世界的統一をして余りあったのですが、その責任を果たせなかったのです。統一教会は、一週間以内で思想を変えることができます。たったの七時間で思想が変わることもあります。皆さんがそうであったからです。それは本当ですか? (はい)。皆さんがそうであるのに統一教会に反対し、レバレンド・ムーンを踏みにじり、「レバレンド・ムーンはブレーン・ウォッシュをして、搾取した」と悪口を言った世界中のキリスト教も、七時間でその思想を変えることができるのです。七時間です。そういうことを可能にしたレバレンド・ムーンが罪人になるとしたら、悪いことで罪人になるのでしょうか、良いことで罪人になるのでしょうか? (良いことでです)。 それでは、レバレンド・ムーンが個人的カイン・アベルの蕩減復帰を瞬間的に果たし、家庭的カイン・アベルの蕩減復帰も瞬間的に果たせるならば、すべてのカイン・アベルの蕩減復帰も瞬間に終えることができ、キリスト教会の世界的版図も瞬間的に乗り越えることができるのです。 その機会は、私がアイゼンハワー大統領に会った時にあったのです。そのころは韓国動乱が起きていた最中でした。アイゼンハワー大統領が私の考えを受け入れたならば、キリスト教が反対したものを蕩減復帰できたのです。私は間違いを指摘してあげましたが、彼のアジア政策はことごとく反対に回っていったのです。何の話か分かりますか? 彼はキリスト教が反対したことを蕩減復帰しなくてはならなかったのです。ですから、世界史的カイン圏の蕩減条件を立てなくてはなりません。それで七年の間にアメリカで、世界中の動きを正す運動を展開することになったのです。そのような目的で私はアメリカに来たのです。 より大きなカインを求めて戦っていく公式の道 一九八〇年までが七年路程です。全部を合わせると二十一年です。世界蕩減に反対したために、そのような世界蕩減の路程を歩むことになったのです。三次七年路程を中心にして、打たれながら統一の日まで歩み続けなくてはならないのです。それで先生が打たれてきたのです。また、私に反対した大統領も打たれたのです。先生の話を受け入れたならばこのようにはならなかったのです。それで、アメリカの統一教会の中にも騒ぐ者たちが現れたのです。彼らはいつの間にかいなくなることでしょう。「私は、アベルについていけない。アベルは嫌いだ! 先生にも厳しくてついていけない。ついていけない」と、このように不平不満を言い散らすのです。アメリカの国民が統一教会を受け入れようとする時は、また統一教会の群れたちが落ちやすくなるのです。 統一教会はどのような反対を受けたかというと、私が何もしなくても、アメリカの人々は統一教会の信者たちをけなし、先生がさも暴力人間か詐欺師かのように言いふらしているのです。アメリカの国民は審判されなくてはなりません。 もし、アメリカの国民がみ旨の責任を果たさなければ、南米人が果たし、黒人が果たし、アジア人が果たすというのです。白人たちがみ旨を放棄した場合は、スペイン人がやり、黒人がやり、アジア人たちが成就するのです。世界がアメリカを打つ日が来ます。それが何の話か分かりますか? 南米ではレバレンド・ムーンを招請しています。「敬意をもって、歓迎する」と言って、人を送ってきているのです。レバレンド・ムーンが南米に行くとすれば、皆さんはアメリカに残りますか、ついていきますか? (ついていきます)。南米に行って何をするのですか? その国に行くというのは、迫害を受けにいくことなのです。新たな迫害を受けにいくことなのです。そこでは我々をさげすむ「ムーニー、ムーニー」という声が、アメリカ以上に高まるでしょう。 しかしそこで、何回も会って協議を繰り返しているうちに、下層階級の人たちはレバレンド・ムーンとムーニーたちが好きになります。今やアメリカの反対で、下層部にいる黒人たちとスパニッシュたちが行き来しています。レバレンド・ムーンの下に集まっているのです。そして、「ムーニーは信義のある人で、心情的で愛のある人であり、思想のある人たちである」という噂が次第に広まって、今度は歓迎の、「ムーニー、ムーニー」の声を聞くようになるのです。今のアメリカの不信仰、不心情、不思想も覚えておきなさい。語る言葉はみな覚えておきなさい。もし摂理が延長されたならどうなるでしょうか? 七年路程でアメリカが方向を変更しない場合、二〇〇〇年まで摂理が延長してしまうのです。 私はアメリカの牧師たちに、英国、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに新しい基盤をつくらなくてはならないと指導してきました。この指導をアメリカが支援すれば、私は遠からずして間違いなくモスクワ大会を開きます。たとえ一人であってもです。何の話か分かりますか? それで先生は、青年の皆さんを厳しい試練の場に送り出しているのです。そのような試練を与えるのはなぜでしょうか? アメリカの幹部たちは先生を怖いと思っているのですが、君たちもそうでしょうか? 先生は厳しいのです。誰のために厳しくするのかというと、民主世界のためにそうするのです。共産主義の打倒を先生が一人でやっているのです。共産党が背後から攻撃してくるのを、先生が一人で受けているのです。サタンの攻撃を先生が一人で受けているのです。キリスト教会からのサタンの攻撃も先生が一人で受けているのです。 皆さんは、攻撃されるのが嫌ですか? みんな嫌がっているのではないですか。では一つ聞いてみましょう。昔、愛していた、好きな男性、好きな女性に会いたくないですか、その人が恋しくないのですか? ディスコに行って踊り、学校では自分の自慢をし、自分だけが満足する生き方をしたくはないですか? クリスマスや年末でにぎわう通りを歩きたいでしょう。おいしいごちそうを思いきり食べたいのも知っています。しかし、君たちの現実は全く別のものです。 アメリカ人で、レバレンド・ムーンが死んだらいいと思う人が、どれほど多いか知っていますか? 国務省でさえ、レバレンド・ムーンを追放しようとしているではないですか。「彼をこのままにしておくとアメリカが危ない。彼はアメリカを滅ぼそうとしているのだ」と言っているのです。昔のローマ帝国と、そっくり同じことをしているのです。アメリカ全土でレバレンド・ムーンをのみ込んでしまおうとしているのです。今、我々にとって、キリスト教が怨讐であり、共産党が怨讐であり、アメリカ人が怨讐となっているのです。民主主義も、共産主義も、キリスト教信徒も、アメリカもすべての人々がレバレンド・ムーンを嫌っているのです。 これが公式なのです。アベルという名の公式です。歓迎せず、反対する日にはこの公式どおりのことが起こるのです。天の側の人は、サタン世界では、反対されても歓迎はされないようになっているのです。そのような見方で歴史の内容を分析する時、アベルは、「個人的カインよ出てこい。家庭的カインよ出てこい。氏族的カインよ出てこい。民族的カインよ出てこい。国家的カインよ出てこい。アジア的カインよ出てこい。世界的カインよ出てこい。共産主義の世界的最後のサタン、カインよ出てこい」という具合いに、より大きなカインを求めて戦っているのです。 カインは全部アベルを殺そうとするのです。個人的基盤で殺そうとし、氏族的基盤で殺そうとし、国家的基盤で殺そうとし、世界的基盤で殺そうとするのです。蕩減をするのにも、個人のレベル、家庭のレベル、イエス様のレベルなど、いろいろな蕩減の段階があるのです。それを知らなくてはなりません。 では、皆さんにアベルがいますか? (いいえ)。何が「いいえ」ですか。アベルのレバレンド・ムーンと一つになるのです。一つになって伝統を立てるのです。レバレンド・ムーンは、天の国の摂理的伝統をつくるために来ているのです。その伝統は単にアジアや韓国だけのものではありません。それは神の伝統なのです。(拍手) 私は個人を信じたいし、家庭を信じたいし、氏族を信じたいし、民族を信じたいし、世界を信じたいのですが、すべてが信じられません。信じられるのは自分自身だけです。分かりますか何の話か? (はい)。もう分かりましたね。この世がどうなっているのか、世界がどうなっているかということを。先生は反対を受けるたびに、「この身に世界中の反対の弓矢が当たろうとも神様のみ前に恥じないアベルとしての十字架の道を越えさせてください」と祈って乗り越えてきたのです。今後は共産陣営のモスクワで、アダムの仕事を成功させることです。その時、皆さんは共産党に勝利できますか? 共産党に勝利して、次は何をしますか? 皆さんはソビエトに行かなければなりません。皆さんはその国で働き、その国に住まなければなりません。それにはお金も必要ですし、友達も必要になります。それをどのように解決するのですか? それには基盤をつくることです。黙々と基盤をつくらなければなりません。 そうすることで、カンボジアの青少年のことを、ベトナムの戦争のことを、回教圏で戦う人々のことを考えられるのです。これらの考えをもって、心情の中に鋭敏に感じ取った不義なるものを歴史から除去してしまわなくてはならないのです。ベトナムの人々は家族がバラバラに分かれて生きているのです。そのような悲惨さをよそに、皆さんは今まで甘く楽しいことばかり考えて生きてきました。そのままの延長では、果たして世界に出て天のみ旨を立てることができるのかというのです。 み旨の地で「神様! 私を保護してください」と言っても、絶対に保護されないのです。アメリカで私から受ける訓練は、共産主義からの大きな迫害を消化させるためのものです。迫害を乗り越えて、未来世界に行く準備です。未来世界で神様にお会いする準備をするのです。そのためにはもっと苦労しなければなりません。私は皆さんを骨が抜けてしまうほど訓練させるつもりです。 韓国の蘇生圏、日本の長成圏を吸収して、アメリカの完成化を 今日まで、数十年たちましたが、その間皆さんを愛さなかったとでも思うのですか? レバレンド・ムーンは、韓国人を最も愛し、その次は日本人を愛し、三番目にアメリカ人を愛していると思っているのですね。皆さんは原理が分かっていません。私は韓国を捨て、日本とアジアも捨て、アメリカを訪ねてきたのです。なぜかというと、アメリカは世界的な版図であるためです。世界中の民族がアメリカに来ています。韓国人も日本人も先生と一緒になって苦労してきました。皆さんも、その苦労の伝統を受け継ぐのです。その文化を受け継ぐのです。 今まで何を行ってきたかというと、新しい文化と生活方法を残し、新しい伝統を立てるための仕事をしたのです。皆さんは韓国と日本の食口から先生の生活方法と伝統を聞いて、いろんなことを知っているでしょう。それらは全部私が教えたものです。私は多忙なため、個人のためのみに時を費やすことはできないのです。そこで一つの方法として、指導できる人たちを連れてきて、私の代わりに教えるように指導しているのです。皆さんたちはその指導者たちから、文化と生活方法を学ばなくてはならないのです。皆さんには伝統がありますか、あるとすればいったいどこの伝統ですか? 皆さんは日本や韓国の指導者なしに、自分たちだけでみ旨をしたいと願っているに違いないのですが、果たして皆さんだけでみ旨ができると思いますか。韓国が蘇生で、アジアが長成で、アメリカが完成だとすれば、蘇生圏を吸収して、長成圏を吸収して、完成化すべきではないでしょうか。天使長が、アダム圏、エバ圏以外のどこから何を受けるのですか? それを知らなくてはなりません。しっかりと覚えておかなくてはなりません。 アメリカ人がアメリカで仕事をするよりも、韓国人や日本人がアメリカで仕事をすることは、はるかに骨が折れるということを皆さんは知らなくてはなりません。韓国人が英語をしゃべり、日本人が英語をしゃべらなくてはならないという、そういう原則はないのです。逆に皆さんたちにも同じことがいえます。しかし先生は英語を学び、日本語も学んでいるので、皆さんも韓国語を学び、日本語を学ばなければなりません。 韓国人に話すためには韓国語で、日本に行けば日本語で話し、アメリカに来れば米語で話せるように私は努力しました。言葉が通じないため、アメリカに来てからどれほど面倒な思いをしたかしれません。本を見れば分かることでも、会話となっては出てこないのです。そのような経験をしながら、韓国では「イエス」と「ノー」しか知らなかった私が、今では大分聞き取れるし、理解もできるようになりました。 初めのうち、言葉が理解できない部分は心情で理解しようと努めてみましたが、どれだけ言葉が重要か、改めて教えられる思いです。皆さんは先生よりも若いのですから、「学べ、学べ、学べ」と言うのです。先生の年になると本を読むのも大変です。昔だったら二十ページぐらいなら、一度読むだけでも自然に単語が頭に入ったものですが、今はそうはいきません。きのうも単語の勉強をするつもりで、夜三時間ほど頑張りましたが、これがくねくね、あれがくねくね、ちらちらして、虎文字です。健忘症に陥ったような気持ちになってしまうのです。 最近になって少しずつ分かるようになったのですが、勉強の苦痛は知らない時より大きいのです。何の話か分かりますか? (はい)。外国の地に行って仕事をするということは、そのように言葉の悩みがつきまとうのです。皆さんが私の立場であったなら、仕事を投げ打って逃げてしまっていることでしょう。 私はこの国を救ってあげようとするのに、この国は私を捕まえて殺そうとしているのです。私に何の罪があるというのでしょうか。この国を救うために、膨大な資本を注いでいます。そのことに対して同情されることは願いませんが、私を捕らえるのでなく、彼ら自身は同情しなくてはならないというのです。 さあ、それでは、皆さんはアベルをもっていますか? (はい)。それは誰ですか? (先生です)。先生は天の側に立っているのですか、サタン側に立っているのですか? (天の側です)。では、先生が迫害されるべきでしょうか、皆さんが迫害されるべきでしょうか? 原理的に先生の話を考えてみなさい。「私はこんなに苦労しましたから、先生覚えていてください」と言うべきでしょうか、「先生、責任を果たせなくて申し訳ありません」と言うべきでしょうか? 原理がすべてに通じる公式である 自分がカイン的基準で迫害されたならば、その迫害に負けず、より高い基準の迫害へと乗り越えていくのです。氏族的迫害から民族的迫害へ、民族的迫害から国家的迫害へ、国家的迫害から世界的迫害へと、迫害を受ける次元を高めながら先生の歩む道を直くしなくてはならないのが皆さん自身の責任であるのに、私は世界的迫害は嫌だと言うのですか? (いいえ)。「迫害という迫害はみな引き受けて、先生が行かれる道を、アベルが行く道を自分がつくってみせます」と言えるようにならなくてはなりません。(はい)。 先生に対してアベルというのですが、そのレベルは、家庭的レベル、氏族的レベル、国家的レベル、世界的レベル、天宙的レベルのどのレベルなのですか? (天宙的レベルです)。 天宙的レベルになれば、カインも祝福されるでしょうか、されないでしょうか? み旨を成したあとで、天宙的レベルになれば、神様の前で私が祝福を与えることにより、家庭段階に入っていかなくてはならないのです。アベルの家庭を中心とするカイン家庭は、「我々の家庭が犠牲になっても、アベルの家庭は犠牲にさせないでください」と祈るのが道理であるにもかかわらず、「我々の家庭は犠牲にしないで、アベルの家庭を犠牲にしてください」と言うのですか? (いいえ)。それならば、「先生はイースト・ガーデンでいい暮らしをし、我々の家庭は惨めな生活をしている」と言うのは、どういうことですか? それがカインの言う言葉でしょうか、カインがそのようなことを言えるようになっているのですか? 先生は、そのような祝福家庭の事情を知った上で言っているのです。 イースト・ガーデンを守るためには、喜んで迫害され、家族も家庭も犠牲になれるようでなくてはならないのです。皆さんはイースト・ガーデンを保護するためには犠牲となる責任があるというのです。先生にはまた、守ることのできる天の側の本物のカインをつくる責任があるのです。皆さんを昼も夜も苦労させているのは、早く蕩減復帰して、永遠なる世界的位置のカインとならしめるためです。原理がそうだからです。先生は例外だとでも思うのですか? 原理はレバレンド・ムーンに対しても同じだというのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンの息子たちは今まで何をしたのでしょうか? 個人であっても、世界史的個人として、世界史的家庭として、世界史的氏族として、世界史的民族として、世界史的国家として、世界史的世界として立つことができるよう、天宙を賭けて戦ってきたのです。そのようにして、世界史的位置を定めることができたというのです。その位置は誰のために定めたのかというと、皆さんたちのために定めたのです。 もし、共産党が民主世界を襲撃した場合、我々は民主世界を守るために天軍となってサタン世界と戦わなくてはなりません。その時、その位置は皆さんを守る柵となるのです。保護は柵の中で受けるのです。ですから柵がなくてはなりません。先生はこのアメリカに、共産主義の侵入を防ぐことのできる世界的柵をめぐらせようとしているのです。この柵が皆さんたちの家庭を守っているというのは事実なのです。何の話か分かりますか? これは原理的思想による話です。原理的思想をもたない者には理解できない話です。原理に外れたことを言わないように気をつけなければなりません。この原理を知らないと、伝統の原理も生活の原理も知ることはできません。原理に従って伝統が受け継がれ、原理に従って生活も営まれますが、これは、原理がすべてに通じる公式であるからです。 レバレンド・ムーンは最も原理の公式どおりに生きているのですが、歴史上の世界的迫害を受けるというこの事実はなぜでしょうか? それは世界的アベルの責任があるということを示しているのです。分かりますか何の話か? (はい)。黒人たちでレバレンド・ムーンに反対する人がいますか? (いいえ)。最初は反対したのです。世間の噂を聞いて、最初のうちはレバレンド・ムーンは間違っていると非難していたのです。しかし、蕩減期間は短いのです。 神の前に信仰、愛、理想においてアベルでなければならない 世界の一二七カ国に宣教師を送ったのは全部、攻撃を受けさせるためです。世界的反対を受けさせるためです。宣教師はアメリカ人、日本人、ドイツ人の組み合わせでした。アメリカは南北アメリカの代理であり、日本はアジアの代理であり、ドイツはヨーロッパの代理です。この三つの国の宣教師たちが世界の国々に派遣されていったのです。三人の宣教師はそれぞれに、かつての敵対国家の国民です。その怨讐同士で一つにならなくてはならないのです。これはやさしいことでしょうか? (いいえ)。そこでもし、「自分がアベルだから従順に従え」と言えば、怨讐は従うでしょうか? アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには先に、カインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が厚く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈服させたあとに、カインたちのほうから、「我々の代身となって指導してください」と願われた時、「はい」と答えてアベルになれるのです。 そうであるのに、食事の時に一番先に御飯を食べるのがアベルですか? (いいえ)。「私は食べ残りでもいい。君たちが先に食べなさい」と言うのです。休む時も「君たちは休みなさい。私はもう少し仕事をしてから休みます」と、言わなくてはならないのです。そこでカインが、「あなたは天の人です。どうぞ私たちの代表者となってください」と言ったならば、その時から御飯を先に食べてもいいし、先に寝ていいし、先に休んでもいいと言うのです。 先に入教したからアベルであり、先に食べて良いという、そんな法はないのです。年取った人が、先に生まれたからといって天を先に知るというのですか? 統一教会の前にも、神様の前にも先に入った者がアベルではないのです。信仰においてアベルとならなければならないのであり、愛においてアベルとならなければならないのであり、理想においてアベルでなければならないのです。助けてくれず、伝道してくれなければアベルとは言えないのです。アベルは低くなければなりません。またエバの立場も低くなくてはならないのであり、アダムの立場も低くなければならないのです。これが何の話か分かりますか? (はい)。これがアダムとエバの位置です。 カイン、アベルは一つになっていなければ、祝福は受けられないようになっているのです。その三者とは、神様とアダム・エバ、そして息子・娘です。 皆さんも同じです。なぜ伝道するのかというと、父も子も、四位基台をもたなければならないからです。内的にも外的にも、子女が生まれれば食べさせなくてはなりません。自分の子女だけでなく、他人の子女たちも食べさせなくてはならないのであり、結婚させる準備もしなくてはなりません。ですから、各自が資金をつくることもでき、伝道することもできなくてはなりません。 まず外的に家庭を祝福して、次は自分の息子、娘を祝福してあげるのが原理です。先生もそのようにするのです。先生も、原理があるから勝手にはできないのです。もし勝手にできるならば、私がなぜ苦労するでしょうか。皆さん、今日のこのアメリカの自由奔放な結婚を見てみなさい。祝福の意義を無視しているのです。全く許せないことです。貧しいのは嫌だとけちをつけるし、顔はきれいでなければいけないと要求するのです。どれほど頭の痛いことでしょうか。良いものは全部自分が得ようとする欲張りです。ある者は「レバレンド・ムーンとその息子、娘は良い暮らしをしているのに、我々は苦労しています」と、不平をもらしています。それは皆さんがレバレンド・ムーンを助けたのでいい暮らしをしているとでも言うのですか? 先生は血の汗を流し、世界で苦労しながら、自分の力で生活しているのです。何の話か分かりますか? (はい)。外的に先生が祝福してあげて、そして食べさせてあげて、嫁に行かせる時には、世の中のお母さんお父さんが生んでくれた以上にしてあげなければならないのはなぜでしょうか? 三家庭以上が、先頭に立って天の祝福を受けるのを讃揚してから、内的家庭が生まれてくるのです。これが原理です。それから皆さんが、今度は「このように、我が息子、娘にも」と教えるのです。そのような自分の内的家庭として、一つになることのできる教育を教えているのです。 そして、私がこのアメリカでは住めなくて、追い出される時、「あなただけが出ていくのです」と言うのではなく、霊的子女として共についていくのです。それは、自分が世話になったことを報いるためにです。あなたの息子、娘に対し「これこれこうだから、それを報いるためについていかなければなりません」と、言うのです。「あなたが私のために、また私たちの三家庭のために尽くしてくださったので、我々三家庭はあなたの息子、娘が結婚される時にはすべての精誠を込めて、あなたが苦労することを、我々が代わってあなた以上にしてあげたいのです」。このように報いていけば、今度は自分の息子、娘を愛することができるのです。アベルの息子、娘を愛するように、自分の子女たちを愛することができるというのです。 アベルは目的をもって世界に伝統をもたらす者 アベルはそのような目的をもって世界に出ることができます。伝統をもたらすのがアベルですが、その一つの希望をもって働くのです。伝統を残すためです。伝統は誰が立てなくてはならないかというと、アベルが立てなくてはなりません。アベルが、祝福家庭がです。何の話か本当に分かりますか? (はい)。それで、その復帰の基準が何かというと、僕の僕から、僕の位置、養子の位置、その次は実子の位置、父母の位置、神様の所に来るのです(黒板に書かれる)。これが統一教会の復帰の公式だというのです。 ではこの「僕」とは何かというと、天の側からサタンの側に来た人を指すのです。サタン世界の僕の僕の位置だということを知らなくてはなりません。僕の僕から蕩減復帰しなくてはならないのです。その時、彼らは、「彼が我が家を奪いに来た」と言うのです。「主が来る時は盗人のように来る」と言うのです。サタン世界の泥棒です。それが誰ですか? (イエス様です)。皆さんもそうです。四方を見回して見て、自分がひどすぎたことを知り、息子を見るのも恥ずかしいし、お母さん、お父さんを見るのも恥ずかしいのです。また隣近所を見るのも恥ずかしく、国を見るのも恥ずかしく、世界を見るのも恥ずかしいのです。それを悟ったので屈服してきたのですね。 皆さんはいつサタンが屈服し、いつカインが屈服するのかを知らなくてはなりません。いつ僕が屈服するのでしょうか? 隣近所で、「あいつを殺さなくてはならない。こいつ死んでしまえ」と、このように迫害されるというのです。そうしたあとで、サタンが屈服するというのです。皆さんはそのような迫害を受けたことがありますか? 皆さんは、僕の僕になってみましたか、話だけではなく、やってみたことがありますか? 「この統一教会の信者たち、みなこの位置に行け」と言ったなら、一人残らず逃げてしまうでしょう。このアメリカの者たち! 僕の僕ですから、僕の主人がこう言うのです。「おい、お前はそこにいることはできない」と。また僕の主人は、「おい、お前のような奴はこうしなさい」と言い、僕が滅びるのを見ようとするのです。そうかというと、「おい、ああいうのを連れていけば金をもうけることもできるし、仕事をさせれば何でもできる」といって他に連れていくのです。そこでまた死ぬほど仕事をさせ、金もうけをするためのありとあらゆることをさせるのです。 また僕に仕事をさせて、牛を買い、土地を買い、いろんなものを買ったということがみな噂となり、「あれは僕が来てから全部つくったのであって、主人がつくったのではない。この主人を殺せ、殺せ」というほどの噂が立った時に初めて、「これは汗代として」と言ってくれるようになるのです。そのようにして、養子の座に行くことができるのです。 そうすることで、自分の贈物をもって初めて天の前に祭祀を捧げることのできる位置に立つので、養子圏内に行くことができるのです。その養子の立場で祭物を供える時、サタンの讒訴できる何らの条件もないのです。養子とはどういう位置なのか分かりましたか? 皆さんが祝福を受けるのは養子としてなのです。 祝福され、次にはたくさんの財産を得ますが、その財産は自分のために得るのではありません。来たるべきメシヤ、アベルのために得るのです。養子になってから、“自分のために稼いだものだ。自分のものだ”と考える人は、絶対に天の国の、息子、娘の位置に立つことはできないということを考えなくてはなりません。息子、娘として迎えられないというのです。これが皆さんが行くべき道だというのです。話だけでなく、行かなければならない道だというのです。 そして、養子圏を中心にして、家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくったので、神の真の息子として立ったのです。これが養子圏内の神側の僕です。これを世界的につくったのがユダヤ教であり、キリスト教でした。また、これは天の側の天使です。僕は天使長側ですから、カインの側です。天の側のカインです。 皆さんはどのような位置にいるかを知って、七〇年代を越えなくてはなりません。皆さんは今どの位置にいますか? サタン側でこういうことをすべて成して、僕として仕えたことを世界が知り、「ひどすぎる」と噂され、「ムーニーが何の悪いことをしたのか」と味方してくれる人をもったのですか? 今や「レバレンド・ムーンが何の悪いことをしたのか」と言われる、今そういう時が来たのです。何の話か分かりますか? (はい)。 ここを通過せずしては結婚生活はできません。子供を生むことはできません。その十字架を背負っていく時には、その息子、娘を苦労させなくてはならないからです。ですから終わりの日には子をはらんだ女が罪になるというようになっているのです。養子の位置を経て、息子、娘にならなければ結婚できないために、独身生活をしなくてはならないのです。新郎、新婦もみな独身生活をしなければならないのです。五色民族が独身生活を強調するのは、蕩減条件を埋めるためです。そこで、宗教家はみな独身生活をしなければならないのです。この僕の僕の座を経ていく時に妻がいれば、どれほど気が重いことでしょうか。子供がいればつらく、その苦難を耐えられるでしょうか。どれほど耐え難い苦痛でしょうか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.10.20
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[旧統一教会] スペインに住む二世信者が受けた神様と天使からのメッセージ2023/11/25先日 団トクで素晴らしい証を見つけました。ああ、これで動画を作ったら きっと多くの兄弟姉妹が希望を感じて元気が出るだろうなあと思い ご本人に許可を取りたくて転送 転送を繰り返して私の元に届いた証だったので沢山のシックの協力を得てカカオとラインを遡りながら ついにこの神様からのメッセージを受けたご本人の二世信者さんと連絡を取ることができました。その方はスペインの田舎に住むとても素敵な方でした 私の証を通して希望を感じて頂けたら嬉しいです!と喜んで許可をして下さいました このメッセージを通して多くの方が神様の愛を感じ取って下さったら幸いです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.11.25
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第1163回 天心苑特別徹夜精誠 (11/01)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.01
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)<「文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き> あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、「あの真ん中に座っているのは、何新聞だ?」と耳打ちするのですが、それに対して、「それを知らないのか? ワシントン・タイムズ、レバレンド・ムーンに関連の新聞社だ。」と言うと、「ええ!」と言って驚いています。 まったく、皆……。知らなくて驚くのもよく、知って驚くのもよいのですが、知らなくても驚き、知っても驚く者たちが、なぜ大騒ぎしているのでしょうか? 優れた者、愚かな者、何が優れていて、愚かであるのか分かりません。何を知っているのですか? 愛を知っていますか? 真の愛です。分かりますか? それは、そのような特権があるのです。なぜ、特権があるのですか? そこに落ちれば、だれも出てくることができない力を持っています。抱き抱えるその味わいが、どれほど強いか、細胞も、すべて列を成して伸びていくのです。 真の愛は、そのようにできる力を持っているので、その力は、すべてを分析することができます。真の愛は何かというとき、説明することができるというのです。 さあ、ですから、神様も祭壇が必要なのですが、真の愛の祭壇がいくら大きくても、このくらいのものが一つだけあれば、手を出してしまえば、手を離すことができません。 あなたは、結婚していますか? (「はい、しています。」 )わたしが約婚してあげて、結婚したのですか? 皆さんが……。(「祝福を受けました。」)では、最初に女性と出会ってデートするとき、手を触ったときに電気が通りましたか? (笑い)尋ねているではないですか? 笑ってはいけません。常識的な話をしているのに、なぜ、笑うのですか? 電気が通って、何の感情もありませんか、鼻が開きましたか、目が閉じましたか? (「大きく開きました。」) おお! わたしよりも良いですね。(笑い)深刻なときは、目を閉じますか、目を開けますか? 驚くときは開きますが、深刻なときは、どうですか? 皆さんは、妻と愛し合うとき、愛する妻の顔を、目を丸くして、こうして、こうして見詰めますか、目を閉じますか? 答えなければならないでしょう? (笑 い)答えずに笑ってばかりいて、それでよいのですか? それでは落第でしょう。 さあ、このような話をしていては、一日たっても……。皆さんが、ご飯を食べなくてももっと聞くのが良いと言うので……。わたしには、そのような魅力があるというのです。魅力です。心から離れず、味わいのあるのが魅力です。 それでは、妻が好きですか? (「はい、好きです。」) 何が好きなのですか? (笑い) こうであるからと……。何が好きなのかというのです。(「すべて好きです。」) その中で、何が好きですか? 目が好きですか、鼻が好きですか、何が好きですか? (「心が好きです。」) 何ですか? (「心が好きです。」) 愛が好きですか、心が好きですか?(「愛が好きです。」)愛ですか? 心ではなくて、ですか? (「心も好きで、すべて好きです。」)ですから、どちらが一番なのか、というのです、この人は。統一教会の子供たちは、そのようなことを、すぐに答えることができてこそ、どこに行っても好待遇を受けられるのです。 ここには、優秀な人がたくさん集まっているので、わたしが選んで、話をしてあげているのです。では、ここに来た人たちは、愛が好きですか、心が好きですか? (「愛が好きです。」)わたしは、心が好きです。 (笑い)そのように言えば、「あの狂った先生。荷物をまとめて出て行こう。」と言って、皆、出て行くという のです。 いくら騒いでも、「好きなものは好きだ。」と言うときには、「悪口を言われても、好きだ。」と、そのようになるのです。分かりますか? 教育は、良い話ばかりをして教育すれば、よいのですか? わたしのように、激しくたたいても、ばたばたはって行きながら、喜んで、笑いながらはって行けば、よいのです。そうでしょう? それが幸福な人です。逃げて行きながらも、喜んで……。 他の人は、“死ぬ。”と思って、目を見開いて逃げて行き、五官が麻痺して逃げて行くのですが、笑いながら、ふわふわ踊りを踊り、「やあ、このようにすることができるのだなあ。」と言えば、それは、幸福な人です。 何が好きですか? (笑い) (「愛が好きです。」)愛が、どこにありますか? (笑い)愛が、どこにあるのか知らなくても、「愛が好きだ。」と言うのならば、どこにあることを好みますか? (「生殖……。」)これはまた、何ですか? 生、生殖……。(小さい声でまねをされる) 大きな声で言わなければならないでしょう? (笑い) 生殖器が愛ですか? (笑い) 笑いごとではありません。 率直でなければなりません。率直は、万国の法に通じます。はっきりと教えてあげるために言うのですが、 日本人は、得意げに、"自分たちは何でもうまくできる。”と考えているようですが、そのように考えてはいけません。できないことはできず、上手なことは上手だと教えるのです。 日本人の愛が、生殖器……。生殖器が、どのようになっていますか? 愛を見れば笑うのですが、生殖器を見て笑いますか? 愛を語れば、男性も女性も皆、笑うのですが、男性と女性が生殖器を見れば、笑いますか? 尋ねているではないですか? わたしも分からないので、尋ねているのです。(笑い) 答えに困るでしょう? 笑うこともでき、笑わないこともできます。では、笑うときが多いですか、笑わないときが多いですか? それでは、愛するときが多いですか、小便をするときが多いですか? (笑い)それをどのように答えたらいいのですか? 笑ってはいけません。 そのようなことを、すべてわきまえて、天地の善なるものを、すべてをわきまえたので、今日の世界のえたいの知れない者に対しても、「やあ、この男と女たちよ! わたしの言うことを聞きなさい。静かにしなさ い!」と言えるのです。 わたしは、そのように生きています。なぜでしょうか? 尋ねれば、三言も答えることができない者たちに、何ができるのですか? では、皆さん。文総裁に出会ったことは、良かったのですか、悪かったのですか? (「良かったです。」) 何が良かったのですか? 悪口を言われたではないですか? (統一教会に入ったことによって)追い出されたでしょう? (入教した子供を) 親が拉致していくのです。まったく、日本でも、親によって四千人近い拉致事件が……。 米国の国務省には、そのような問題に関連して、日本人が野蛮の中の野蛮な民族であるという材料が、このように積んでおいてあるのです。それを持って来ましょうか? 文先生が、何も知らないで悪口を言われていると思いますか? ライオンは、アフリカの暑い平原の中で、一尺以上高い所に座っても眠るので、自分に関係のない話は聞こうとしないのです。自分の所属ではないからです。 分かりますか? ですから、悪い話を知って、何になるのですか? 自分が生き死にする世の中で、地獄の祭物で倒れていく……。それは、倒れていくようになっています。さすがの文総裁も、悪口を言えば、闘い疲れて、いなくなると思ったでしょう? 言論界が四十年の間、反対をしても、文総裁は、どんどん大きくなっていきました。どんな人であっても、言論界から一月間だけでもバッシングされれば、逃げて行くと思いますか、思いませんか? 文総裁は逃げて行きません。 真っ暗な夜に、黄金の光が稲光のように輝いて、それが敵地の監獄の中に入っていったからといって、その黄金の光が白くなりますか、変わりませんか? 変わるでしょう? どうですか? 答えてみてください、 日本の人たち。 日本が、どれほど変わりましたか? どれほど変わったか分かりません。変わったものをもって、変わったものを中心として築き上げても、それは無に帰してしまうのです。すべて無駄骨です。 その消耗したものは、すべて文総裁の前に過ちを犯したことになるので、蕩減しなければなりません。それで、反対され、蕩減したすべてのものを積み上げて、れんがの家を建てるのですが、それが、今や高い建物となりました。ですから、今からは、わたしについて来ない人は、いなくなるようになっているのです。 ところで、ここには、日本の人と韓国の人が集まっているのですが、なぜ、わたしが大騒ぎしているのですか? 何があるといって、何が得るものがあるといっ て……。お金がもらえるのですか、おもちがもらえるのですか? 何がもらえるのですか? このような話をすれば、"ああ、教主ともあるべき人が、公的な席に出て生殖器の話をし、悪口を言い、ありとあらゆる話をしている。わたしの国では、そのような法はない。”と思うかもしれませんが、そちらの法のほうが”滅びる法”なのですから、なくてかまいません。 この世の中では、十ドルで「こっちに行きなさい。」、「あっちに行きなさい。」と言い、行かなければ問題が起きるでしょう? それでは、日本人も、文総裁が必要ですか? “文総裁が必要である。”という人は、手を挙げてください。皆さんは、なぜ、他の人を見てから手を挙げるのですか? なぜ、顔を横に振ってから手を挙げるのですか? あの人も、そうです。高い所に座って、そのように振り返って見ているのですか? 自分の心に尋ねて手を挙げるのでしょう? このように、きょろきょろしながら、最後に挙げるのですか? では、文総裁が好きですか、愛していますか? (「愛しています。」)皆さんのお父さんとお母さんは、どうするのですか? お父さんやお母さんよりも、もっと好きですか? もっと愛していますか?(「もっと愛しています。」)この女性たち。 ですから、その国から追い出されなければならなくなるのです。これは、いくら治そうとしても、注射を打っても、皮をはいで、はげわしの餌にして、その骨肉までとらの穴に置いておいても、においもかがず、食べもしません。変わらないのです。 ですから、拉致しても、いくら閉じ込めたまま何か月の間、ほうっておいたとしても、いずれ行くべき所に行ってしまいます。門さえ開けておけば、どこに行くのですか? 文総裁といっても、文総裁には何もありません。(何もない、からの)手のひらしかないというのです。 普通の男性のように、目、鼻、耳、胸もあります。へそもあります。それがなければ、狂っているというでしょう? 何がありますか? 生殖器がありますか、 ありませんか? ありません! ありませんか、ありますか? ありませんか、ありますか? この日本の人たち!(「あります。」) 悪口を言って、初めて答えますね。そのような国は、長くもちません。何万年、何億万年……。分かりますね? かわいらしい女性たち。顔を見れば、自分の顔が好きですか、好きではありませんか? (笑い) ”よい。”と考え、美人である。”と考えたら問題です。美男美女の息子、娘を持った父母は、息子、娘を見れば……。 韓国は、そうです。自分の子供に対して、「この出来損ないめ。」と、反対のことを言うのです。なぜかというと、親までもが、自分の顔を称賛してくれれば、"お父さんとお母さんは、このような顔を持ったことを称賛したので、私が思うには、点数をつけるなら、自分が百点なら、お父さんとお母さんは四十点にしかならない。」と思うからです。 女性が化粧をし、きれいに着飾って、東京の銀座のような所に行って、通りを歩いていけば、その周囲のハンサムな男性たち、どろぼうのような男性たちが、ついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? そのような者たちは、最初のうちは、"へへ、よしよし。どうぞ、どうぞ。”と、いい顔をして近づいて来るのですが、そのような男性が来たならば、歓迎しますか? 女性の力がいくら強くても、いったん、くっついてしまった後には、引っ張られて行かなければならないでしょう? そうなれば、危険です。 ですから、何をもって、そのように堂々としていられるというのですか? 母親よりも称賛され、父親よ りも称賛され、先生よりももっと称賛され、その国の美人大会で一等になり、世界美人大会の候補者になったとすれば、日本では、どこに行っても、自慢して大 騒ぎするでしょう? そこに金銀財宝があれば、あるものをすべて売りとばし、きれいに装って、唆そうとするではないです か? そのようにすることができる素質は、女性たちにありますか、ありませんか? あなたもあるでしょ う? 率直に。(笑い)笑わないでください。笑うのは、詐欺的な手法です。隠して……。 それでは、先生のように八十三歳(数え年) になったおじいさんが、そのようなことを知らないでしょうか、知っているでしょうか? 世の中に出て、経験もたくさんしました。世界を回りながら、数多くの国の指導者たち、男性、女性、あらゆる人種にすべて接してみたので、あれはどのようなことを考え、どのように生きているのか、ということが分かるというのです。 先生には、そのようなものがあるので、超国家的な若者を集めて、相対関係を結んであげるのです。分かりますか? どのようにして、相対関係を結んであげるのでしょうか? 顔には目、鼻、口、耳と四種類あり、顔にある穴は七つですが、それで、どのように分かるのでしょう か? そのようなことを知っています。専門家になっているのです。専門家です。目をつぶっていても、手で分かり、足で分かるのです。 この人は、愛をよく知りません。(笑い)愛とは何かというと、その愛は、宇宙を創造することができ、国もつくることができ、自分の愛する息子、娘もつくることができ、男性の前に女性、妻もつくることができ、男やもめに配偶者もつくってあげることができる、そのような本宮が生殖器です。 それは、愛の先祖の基です。分かりますか? 生殖器とは、愛の先祖の基のことをいうのです。一度、言ってみてください。言ってみてください。 生殖器は、愛の王宮です。(「生殖器は、愛の王宮です。」)先祖の地が、王宮なのではないでしょうか? 生殖器は、生命の王の基、生命の王宮です。生殖器は、血統の王宮です。血統を知っていますか? 先ほど、「(真の)万物の日」の先生のみ言を、しっかりと聞いたでしょう? 皆さんが残しておいたものが、ありますか、ありませんか? 皆さんのものがありますか、ありませんか?(「ありません。」) さあ、韓国人は、話を聞きましたか? (笑い) 話を聞いたのですか? 今まで話したことは、簡単です。 「女性にとっての宝は、男性のために生き、男性のために死ぬというところに宝があり、男性が王よりももっと貴く、女性が、男性のために生まれ、男性のために死ねば、王の皇后以上の恵まれた立場に立つようになる。」と、言ったのです。 それは、良い話です。分かりますか?「”ため”に生きるということが、より幸福である。」というのが、結論です。その一言で、万事がオーケーです。「オーケー」とは……。(拍手) 一時間話したことを、約一分間で結論づけることは簡単だというのです。 より”ため”に生きる人は、神様を「友人である。」と言うことができ、神様の頭のてっぺんに上がって行っても、神様が、「やあ、降りて来ないで、もう少しいなさ い。一年間でもよい。」とおっしゃるならば、それは幸福ですか、不幸ですか? (「幸福です。」) ですから、よりために生きるところには、闘いがありません。よりために生きようとするところには、平和だけがあり、幸福だけがあり、喜びだけがあり、涙がありません。そうですか? 本当ですか? (「はい。」) 皆さんの家庭で、夫婦でけんかをしますか? この女性たち。それでは、間違っているでしょう? この ような女性たちがいて……。 一言、言うならば、女性は、「わたしは、本来、男性に奉仕し、従順にし、美しく見せるために生まれたので、死ぬまでは、そのようにする。」と言うならば、恐ろしい所、どのような所に行っても、そのようになれば、そのような女性によって占領されない所はない、というのです。 顔がかわいらしく、純真で、このような美貌を持ち、美しくあれば、世の中に嫌うものがありません。わたしのような人であっても、好むというのです。(笑い) あまり、そのような度を越した笑い方をしては、困るではないですか? 興味を引くときだけ、そのように関心を持って聞いています。横を見て、そのようにするのは、"それをすべてやめて、私を見てください。”ということです。ですから、今、見ました。 人よりもよくけんかをする夫婦を、平和にすることは、簡単です。よりために生きることができる……。 一秒間、三秒間、長くても十秒間我慢をして、ために生きる心を持っていけば、万事に通じます。それは、可能性がある話ですか、可能性がない話ですか? (「可能性がある話です。」) それは、可能性だけですか、絶対性に一致しますか、一致しませんか? やってみるのです。十五分間、三十分間だけ我慢してみなさい、というのです。けんかなどの事件が起きて、男性の気分が悪ければ、そのようなときは、女性の顔を見ずに、トイレに行くのです。 自分の三角地帯を見下ろして、「おい、おまえ。起きているか? 起きているか? 行こう、行こう。」と言っ て、便所に行って十分もすれば、さあっと、気分も良いでしょう。首に力が入って、完全に怒りが爆発しそうだったものも解けて、気分も良くなります。 そうして、妻から「ああ、なぜ、そのように飛び出して行ったの?」と尋ねられても、「あなたが、わたしの気分を悪くさせたので、ここに力が入ったのだが、すると、ここが爆発しそうで漏れそうだったので、しかたなくトイレに行った。」と言えば、妻も笑うのです。 妻は、十五分の間、怒ってぷんぷんしながら、夫が帰って来ることを願ったでしょうか、死ぬことを願ったでしょうか? 十分間を過ぎれば、"何か事故が起きたのか?」と思うことでしょう。 それで、心配になって行ってみると、夫は、トイレの中で、座って笑っているというのです。なぜ、笑うのでしょうか? 気分が良いからです。 夫は、妻が夫が死んだのかもしれない。”と思って、間違いなく捜しに来るに違いないと思っていたのですが、案の定、捜しに来たのです。夫としては、「やあ! 万歳!」です。そのようなときこそ、拍手してください。分かりますか? 一度、訓練であると思って、拍手してみてください。この者たち。(拍手) けんかをしているという事実は、統一教会の原理原則に違反することであり、滅びる者たちです。「よりために生きなさい。」と言っても、妻が国の怨讐というわけでもありません。“もう一さじ食べたい。”というならば、(自分が)食べなければよいのであり、憤って、一言言いたいところを我慢すればよいのです。 そのようなとき、妻は、「私の夫はりっぱです。ありがたい。」と言って、飛び込んで来るでしょうか、逃げて行くでしょうか? 百回、そのようにすれば、百回、骨の中まで飛び込んで来るはずです。 ですから、「私は、先生から学んだので、百回でも我慢しよう。」と考え、それが千回に及べば、「私は、もう千回、我慢しよう。」と考える、そのような家に、けんかがありえるでしょうか? さあ、きょう、(先ほど訓読したみ言を)わたしも聞いてみると、自分で感嘆しました。何年前に話したのですか? すでに三十年以上前に、そのような話をしたのです。 その時の環境は、世界が文総裁を称賛するような時ではありません。最後の境界線に来て、死ぬか生きるかというとき、自分が死ねば、この真理を残さなければならないのです。そうして、"この真理は、永遠の未来の世界にとって、絶対に必要な真理である。”ということを知っていたので、命を懸けて宣布した話であるということを、皆さんは知らなければなりません。 その時に、歓迎する人は、一人もいませんでした。 国が反対し、世界が反対しました。真夜中のような時代に、“朝の太陽は、何時に、いくらもたたないうちに昇ってくる。”という希望とともに宣言したことが、約四十年を経て、すべて……・。四十年という歳月は、永遠の歴史時代にあっては、ほんの一瞬です。そうでしょう? この中で、統一教会の信仰を持ってから四十年以上になる人は、手を挙げてください。小山田氏。 きょう、先生が教えた中心的なことは、何でしょうか? 堕落した人間には、一切の所有権を認めることはできません。それを認めれば、それは、天法に引っかかります。その天法は、永遠不滅の天法であるので、それに引っかかれば、“永遠不滅」に引っかかったことになるのです。 なぜ、そのようになるのでしょうか? 堕落前には、神様の存在、神様の所有権しかありませんでした。それが、堕落によって、神様のものが、怨讐サタンのものになってしまったのです。 その怨讐とは、何の怨讐でしょうか? 愛の怨讐です。愛の関係を結んだ場合には、その関係を結んだものと、所有権を共にするようになり、所有権が決定さ れるようになるのです。 ですから、神様の前には、たたえるべき息子も娘もなくなってしまいました。そして、神様自体が追い出されてしまったのです。 アダムの妻として、神様の妻として迎えようと、二日後には結婚すべきであったエバが、その直前に、怨讐によって汚され、連れて行かれて子供を生んでしまったという結果になってしまいました。 神様は、その女性(エバ)のために、すべてのもの、すべての財産を伝授し、相続させてあげようとしていたのですが、そのすべてのものをなげうってしまい、サタン圏に捨ててしまったのです。それを、自らその主人として使っているというのが、サタン主管圏の世界なのです。神様のいちばん嫌われるものは、それです。 ですから、宗教圏においては、「国を離れよ、出家せよ。」と言うのです。すべてを放棄するように命令し、「独身生活をせよ。」と言うのです。偽りの血統を元返すためには、神様に属する真の愛と、真の生命、実体を再び復帰しないと、永遠に神様の伝統的血統をつなげる道はありません。真剣なものです。 もしも、一人の男性が神様と同じような環境に立った場合には、どうするでしょうか? 怨讐にさらわれていった、妻となるべきであった女性が、十年、二十年、万年の後に来て、『この者たちは皆、繁殖した、たくさんの人類は皆、あなたの子供です。』と言った場合には、その旦那さんはどうしますか? きっと、『このやろう!』と言って、サタン、奥さん、子供を、"一気に全滅させても気がすまない。”という思いになるでしょう。<以下、まだ未校正のままです。ご不便をおかけしています。> そのような心情圏に立たれながらも、それを自分の直系血統以上に愛さなければ、元返す道がないという心情を持たれた神様であられたのです。そのようなことが分かった場合には、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないという立場に立たざるをえません。 その悲惨な人生行路の決着点を解決しなければなりません。この滅亡からの宿命的な解放をいかにするか、です。 ですから、救世主は何を持っているのかというと、真の愛と、真の生命と、真の血統であり、それをつなげる者が、救世主です。刑法の条件に引っかかった場合には、その罪は、神のほう、国のほうに、それ以上の利益をもたらす内容を満たさなければ、赦しであるとか、救済するということはできないということは、理論的なことです。 それゆえに、自分の直系の子供以上にカインを愛するとするならば、自然屈伏するのです。サタン自体は、愛によって堕落しました。サタンは、「神様は、アダムを自分よりも愛していらっしゃる。」と言って、愛の反発心から堕落したのです。 ですから、神様が自分の子供以上、その国以上に愛する心情を持ってサタンに対された場合には、サタンは、その前では、自動的に自らの良心を高めて、自然屈伏せざるをえません。なぜならば、そのような神様に逆らう存在は、宇宙すべてにおいて存在しないからです。そうして、サタンも、その前に自動的に屈伏するのです。 よって、自然屈伏させる服従圏を満たさなければ、救済の道を目指すことはできません。それは、なかなか難しいことです。神様は、そのようにされながら、実子直系の子供と家庭を願ってこられたのです。そのことを考えなければなりません。 ですから、「死なんとするものは、生きる。」です。 "生きん”とする者に、生きる道はありません。神様ご自身が、そのような立場に立っておられるということを考えなければなりません。 そうして、そのような神様のすぐ後について行くような決意で、すべてのものを犠牲にしたとしても、そのことだけは立たせていくというところにおいて、すべては解決するのです。そのような標題の下に救援摂理を成してこられた神様は、いかばかり悲惨なおじいさんであられるでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」) 日本の国全体を合わせても、それは比較対象になりません。万民、万世において、そのような悲惨な立場をこらえながら、凌駕するのが、毎日の宿題です。一 歩前進、一歩前進。いくら犠牲を払ったとしても、その前進の進み方を止めることはできません。 そのような重い歴史的な荷袋を背負ってきたのは、 創造主ではありません。真のお父様であったのです。それを発見した暁には、いかばかり躍動しながら喜ぶべ きでしょうか?「万歳」を千年、万年、叫んでも、またのどから自動的に万歳の叫び声が出てくる、そのような喜びに浸るのです。 そうして、解放、解放と、神様とともに「万歳」を叫んで、天国建設の勇士として、日本全地を凌駕して "神の国につなげるのである。”と決意し、渋柿の国を甘柿の国に接ぎ木させ、"自分は、そのためのハンダになり、溶接機になって一体化させるのだ。」と決意するのです。 それを成すことは、並々ならぬことですが、成さねばなりません。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。 成らぬは人の為さぬなりけり。」です。それは、統一勇士の最後の生死を決する、その絶頂を凌駕するうえでの宿題となるべき表現です。分かりましたか?(「は い。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。Family 2002.8 32
2024.11.06
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)Family 2002.8 32~ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。 今から、その会議の骨子の内容を話すので、ノートを出して書き留め、忘れずに、それを一日に十回、百回、吟味しながら覚えるようになるときには、今後、行く道が、すべて開かれるのです。アーメン。(「アー メン。」)(拍手) 皆さん。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、手を挙げてください。米国のイーストガーデンです。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、多くありませんね。行ってみたいですか? チケットを買って、飛行機に乗って、来てください。(笑い)なぜ笑うのですか? 必要ならば、わたしが招待 してあげるかもしれません。招待してあげれば、来ますか? (「はい。」)そのように有名ですか? (「はい。」) 世界の大統領までが、「会おう。」と言ってきても、先生は会ってあげないのに、皆さんは、その人たち以上にりっぱですか? 先生に、たくさん負債を負ったでしょう? 負債を負いましたか、負っていませんか? 負債をたくさん負いました。 目の負債、鼻の負債、口の負債、耳の負債、手の負債、心の負債、体の負債、すべて負債を負いました。それは、自分の財産を売って返しても、返すことができません。それを知っているので、天下は、間違いなく先生の教えの前に一つになることができるのです。 「総生畜献納物」をしないと、天国はできません。アダムとエバが祝福を受ける前には、結婚する前には、すべての所有は、神様のものでした。それは間違っていますか、正しいですか?(「正しいです。」) 神様と、愛と生命と血統が一体となり、一つの体となった後に、アダムとエバに相続権があるのです。分かりますね? ところが、祝福も受ける前に、サタンの血筋を受け継いだので……。 主人が神様であられるにもかかわらず、サタン、悪魔の血筋を連結させて、それで配当を受けた所有意識を持っているのは、神様が嫌われます。また、家庭を持っていること自体を嫌われます。 それで宗教は、出家を命令するのですが、それは、すべて抜け出しなさい。”ということです。自分の先祖まで……。それから、「結婚をせずに、独身生活をしなさい。」というのです。 それゆえに、仏教も独身生活、カトリック教会も独身生活です。神様の所有権と、完成した“主人”となったアダムとエバの所有権が、すべて復帰されて戻ってきて、神様の公認と真の父母の公認を受け、祝福した血族に分けてあげるようになるときに、皆さんの所有になるのです。それが、天理の道理です。 先生が教えてあげたことは、方便的道理ではありません。(録音が一部途切れる)分かりますね?(「はい。」) 皆さんが、学校を建てますか? 言論機関をつくりますか? 政府機関を新しくつくりますか? ここ (天城旺臨宮殿)は、何ですか? 王の基ですか? 王城です。天の城です。天の城の中には、王宮に侍る民が暮らすのです。城と同じです。「城」という字があるでしょう? それから「旺臨」です。「旺」という字は、「日」偏に……。 本来、旺臨するときは、「木」偏の「柱」という字を使わなければなりません。「日」偏なので、明るい”というのです。明るい王者です。"明るく臨んだ「宮殿」”です。天城に……。 神様の宮殿だけではありません。天の国の宮殿が、輝かしく定着する所なので、ここから天の国の入籍式が展開しているのです。そうですか、そうではないですか? 入籍式の標題は、何ですか? 三時代……、何ですか? 小山田氏! (「『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。全体を表象するのです。それは、遊びごとを宣伝するように、何の根拠もない内容ではないというのです。 根本がないのではありません。神様の胸に千年、万年の間、願われていた願いが、解消されるのか、再び恨として残るのか、その怨恨の標題が宣布されるという事実を知らなければなりません。今から、世界のすべてが……。 国連を通して決定する日には、一時に大移動が展開し、そのときに、この韓国人たちは、すべて……。全世界の統一教会の祝福を受けた公職者たち、指導者たちが皆、走り来んで来るときには、自分の財産を売って、韓国の地を、その価値の十倍以上を与えても、買って、入って来ようとするのです。 そのようにしようとすれば、この反対する既成教会や、自分勝手に暮らしていた人たちは、島国に追い出すことはできないので、しかたなく、南米の第三国に移動するということが起きるのです。分かりますね? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) それで、その標題が、今回、何であるのかというと、わたしたちは、今まで国のなかった民です。そうでしょ う? 「皆さんは、どこから来たのか?」と言えば、「日本から」、「米国から」、「ヨーロッパから」と、そのようなことを言うのですが、それは違います。神様の眼中には、日本の国もなく、米国という国もなく、ヨーロッパという国もありません。 そのようなところにおいて、真なる家庭の出発を真の父母から始めるのです。真の父母の家庭を中心として、真の父母の血族を通して、真の父母の一族、真の父母の民族、真の父母の世界です。三億六千万双です。 どのような国よりも大きな国を持つことができ、天と地に、数千億の祝福を受けた基盤ができています。 ですから、神様王権樹立をしたので、今からは、神様が定着されて、その御前で、天下に命令することができる主体的な王になることができるのです。 ですから、堕落していなければ、霊界の地獄も、楽園もありません。天国だけがあるはずでしたが、今回、先生が行く前に……。 今、霊界では、大掃除作業が展開しています。先生は、遠からず地上から天上世界に行きますが、その時のための天国の民が、まだ準備できていません。待っているのです。 ですから、そのために、百日修練を通して、四十日間……。新しい霊をつくって、霊界で祝福を受けるようにして、先生が帰ってくる日を待っているということを知らなければなりません。再整備です。 、偽りの父母によって楽園が生じ、地獄が生じたので、真の父母の責任は、これを整理して、神様が、清い地上、天上天国、統一的天国の前に、一つの主権を中心として、万世において、永遠不変の統治者になら れるようにすることです。 また、万国が、千世、万世の“太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)」を整えて、神様が、栄光と栄華の文化の主人となられるようにすべきなのが、真の父母の責任です。 本来、そのようなことが、神様の創造理想であったのではないでしょうか? その世界に戻っていかなければなりません。再創造しなければなりません。 皆さん。「家庭盟誓」を知っているでしょう? 一番目は、何ですか? 一、二、三、四、五、六、七、八。それを一つだけしても、天上に帰っていくことができます。八つも必要ありません。その内容が、どれほど、とてつもないものでしょうか? 霊界に行ってから、天の国の神様がいらっしゃる本殿に行き、神様の御前に行って、そこで暮らすことができなければ、どうするのですか? 城の外に追い出され、どこかに行って暮らそうというのですか? そのようになれば、今まで、四大聖人をはじめとして、霊界に行っている、各文化世界の国家を超えて指導したすべての歴史的な人たちから指弾されます。彼らには、通告しておいた記録が、はっきりと残っているのです。 ですから、霊界に行けば、彼らから「あなたは、統一教会を信じてきたのなら、このような内容をすべて聞いたか、聞いていないか?」と尋ねられることでしょう。それに対して、「聞いた。」と答えるならば、「それでは、なぜ、実践しなかったのか?」と評されるのです。 孔子に会えば、このように言われ、イエス様に会えばこのように言われ、釈迦、マホメット、ソクラテス、共産党員にまで、「あれほど懇切に叫んで、証ししたのに、何だ? この女め! 私たちの目の前から、消えなさい。」と……。 彼らの先生になり、姉になり、兄にならなければならないのに、この姿は、何ですか? どのようにして、それを避けるのですか? 無事に通過できないというのです。歴史上に、初めて真の父母が現れて、天上世界の秘密を、どれほど子孫に伝えたいと思っただろうかというのです。 霊界の地獄に行った人たちは、「自分たちのようになって、ここに来てはいけない。」と言いたいのです。そのような、先祖としての子孫に対する責任を感じた人は、だれもが、“生きてできなかった。”という恨を抱いてきたのですが、真の父母は、そのような恨をすべて……。 何と言うのでしょうか? 垣根を壊してしまったのです。そして、「世の中が、わたしたちの世界になったのだなあ。」と……。共産世界から地獄に行った彼らを、皆、神様の命令によって……。 先生の命令ではありません。先生は、霊界に行った統一教会の責任者たちに指示して、神様の命令を受けて、セミナーを開き……。「セミナーの報告を中心として、真の父母の前に報告しなさい! 報告すれば、間違いなく、わたしが宣布してあげよう。」と言ったのです。 偽りの父母がつくったので、真の父母が責任を持って、地の果てまで、そのことを宣布することを始めたのですが、それが、今月の二十一日の「天地父母統一安着宣布大会」です。今、世の中は、このようになっているのです。ですから、今回の、このワールド・カップが問題でしょうか? それが、問題ではありません。 歴史始まって以来、存在せず、夢にも願い、成し遂げることができなかったものが現れ、世界に宣布大会を行って、「天地父母統一安着宣布」をするようになれば、その父母によって祝福を受けた人たちは、安息するようになります。 そうして、その安息した場に、国と国、そして国と世界が一つになることのできる橋が、さっさっさっと架けられ、今から大建設が展開するのです。 霊人たち、聖人、聖子たちが来て、自分の先祖を中心として、世界を救うための橋を架け、天上世界と地上世界が一つになった場において、一つの国が生じるのです。あたかも、心と体が一つになっているかのごとくに作り上げるための、差し迫った時期が来ました。 分かりますね? 分かりますか? (「はい。」) その骨子が何かというと、その骨子はたくさんあります。"個人完成は、このようにすべきである。”というもの。個人と言えば、たくさんあるのですが、その骨子は、イーストガーデンにさっと入っていけば、正門に掲げられた「勝恨成就」という言葉がありますが、それが、そうです。それは、「恨に勝利して、摂理のみ旨を完成しなさい。」ということです。 それは、“解放的蕩減 復帰完成を成して、堕落していない本然のエデンの園で、アダムとエバが、神様に侍って暮らしていた、そのような直系子女の立場に立ちなさい。”ということです。そして、食堂には何があるのかというと、「一心定着」です。「一心定着」という標語があるのです。 それは、数十年間、掛けてあるのですが、それについて尋ねてきた人が、一人もいません。その答えを、今、話してあげているのです。分かりますか? 「一心」という言葉は、わたしたちではなく、神様のことです。神様は、心と体が闘いますか、闘いませ んか? 闘いますか、闘いませんか? 神様の心と体は、闘いません。神様の思想が行ったり来たりしますか、一つになっていますか? 分かりますか? ”一心一体一念”です。 それを神様側から見れば、三つが蘇生、長成、完成でなければならないものを、三数を代表して、「一心定着」という言葉が書かれているのです。 だれでも、心と体が一つになり、心と体が一つになったところにおいては、思想が一つになっています。それでは、その思想とは、何でしょうか? わたしたちリトルエンジェルスの教育標語であり、新聞社の標語であるものが、何でしょうか? 愛天。言ってみてください。(「愛天。」)愛天。(「愛天。」)愛人。(「愛人。」)愛国。(「愛国。」)これが、三大原則です。 「愛天」とは、何のことであるのかというと、縦的な天の国のことです。わたしたちの心の国です。分かりますか? 「愛人」とは、何かというと、横的な地上の国のことです。天の国と神様と"縦的な父”と“横的な父”が、定着しなければなりません。定着する所は何かというと、国です。家庭なのです。分かりますか? 家庭です。 神様の考えの中では、何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心として、”一心一体一念”が一つになり、家庭を中心とする生活を出発するということが、思想的なすべての核である、ということです。 皆さんも、そうでしょう? 男性と女性が、どのようにすれば、息子、娘を生んで幸せに暮らすことができるのでしょうか? それが、国よりも、もっと心配でしょう? その時は、国がありません。国が始まりだからです。ですから、"一心”、それから何ですか? 何ですか、次は? "一心”! (「〃一心”!」)”一体”! (「”一 体”!」)"一念”! (「”一念”!」) 「一心」とは、何であるのかというと、「愛天」です。「愛天」は、「天を愛しなさい。」ということです。「一心」の「心」は何かというと、「人類を愛しなさい。」ということです。そうではないですか? 「愛人」、「愛国」は何かというと、家庭を拡大したものです。「家庭を愛しなさい。」ということです。男性と女性の願いは、すべての骨子、主流が、一心一体一念”の思想である、ということです。分かりますね? (「はい。」) 分かりますか? (「はい!」)ですから、きょう、標題を言うとき、「『一心、一体、一念』安着」でもかまいません。「一念」は、「神様と天宙のことである。」と言えば、すべてでしょう? 神様の家ですから、そこには、万物世界、天地、すべて入っています。それは、天宙人の主流思想です。分かりますか? 一度、言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”、(「”一体”。」)、”一念”。(「”一念”。」)それが一つになったので、「安着」を抜いてもよいのです。 「”一心一体一念”安着」、それから、"一心一体一念”は、神様と天宙人の、天地の家、人………。すべて入っています。被造万物がすべて入っています。天宙人の主流思想です。はっきりしましたか? (「はい。」)…… 一度言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”。(「”一体”。」)〃一念”は……、(「〃一念は”。」) 神様と天宙人の主流思想です。(「神様と天宙人の主流思想です。」) それ以外にはありません。そして、その完成の標準ができているので、男性も、女性も、息子、娘も、そのまま神様とともに行くことができるのです。それを横的に三代圏、四代圏に入っていけば、多くの繁殖が成されます。 三代圏を超えていかなければなりません。それは、 原理を聞いて知っているはずです。三代を持つことができなかった神様が、三代圏を超えて、四代から種を取り、それを万国にまくことによって、"一心一体一念”、一体となったものは、神様と天宙人たちが、すべて主流思想となって、天の国に直行して行くことができるのです。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんの心と体が、一つになりましたか? 別々です。これが病弊です。ナイフを、自らの胸に突き立てるようにして誓い、何があっても、一つにならなければなりません。 それを知らなければなりません。日本のメンバー、分かりますか? 分かるでしょう? (「はい。」)それゆえに、“心と体が一つになっているのか?”ということが問題です。 ですから、率直でなければなりません。父母の前でも、師の前でも、国の前でも、率直でなければなりません。二つになってはいけないというのです。神様も、心と体が闘いますか? 神様が闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」) なぜ、人間は、このようになったのでしょうか? 血統が変わったのです。大変です。それは、死ぬことよりも、もっと大変なことです。 ですから、先生もそこにぶつかって、解決方案を講究したのですが、その結論が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということでした。そのような標題を立てたのです。分かりますか? 大変なことです。そのような標題を立てて、自分の心と体が分かれて……。 さらには、眠りの問題、食べる問題、愛の問題です。いつも、二またです。 どこかに行けば、よいものを食べようとし、よいものを着ようとし、体が願うものを第一主義にします。それを引っ繰り返さなければなりません。 最後には、自分の愛する妻と息子を怨讐に抱かせてあげて、さらにその福を祈ることができる心まで持たなければ、神様の心情圏は分かりません。何のことか、分かりますか? それは、絶対に難しいことです。しかし、その絶対難しいことができなければ、復帰摂理は成されません。 もう、何のことか分ったでしょう? ”一心”、"一体”、“一念”は、韓国人は、説明しなくても分かっているというのです。神様と天宙人は……。(「韓国語でお話ししてください。」) 日本語で「かみさま」というのは、神様のことであるということを、皆、知っています。「てんちゅう」というのは、天宙のことであり、「人々の主流」と言うときの「しゅりゅう」というのは、主流思想のことです。 そのように、日本語で話しても、韓国人が分かるようになっていて、韓国語で話しても、日本人の六〇パー セントが分かるようになっているので、そのように怨讐視せずに、交差結婚さえすれば、三代以内に一つの国、天下統一するのです。アーメン。(「アーメン。」) "そのようなことを願う。”という人は、両手を挙げて、目をつぶって誓いましょう。(「アーメン。」)目をつぶって…… なぜ、目をつぶるのかというと、神様とあなたの二人が、約束するということです。先生も、必要ありません。そのように約束した人は、間違いなく、力いっぱい手を下ろしてください! 手を挙げてください! 手を挙げてください! 挙げたので、決心する人は、手を、力いっぱい下ろしてください。(笑い) そのくらいすれば、よいというのです。わたしは、力を入れたので、ひざが固まりました。さあ、そのくらいすれば……。 もう、昼食の時も過ぎました。午後一時です。わたしも、もう昼食を食べて、出て行かなければなりません。皆さんも、できるかぎり早く出て行くのです。リ トルエンジェルスで行われるエンターテインメントに参席しなければなりません。 さあ、立ち上がってください。 (「統一の歌」を全体で歌う) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (万歳三唱) 皆さん、アンニョン! さよーなら! グッド・バイ! (笑い)(拍手)(敬拝)41 Family 2002.8<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.10
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第1173回 天心苑特別徹夜精誠 (11/15)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
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摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位置づけ2002年5月21日にアメリカ、ワシントン・タイムズ創刊20周年を迎えて、ワシントンのシェラトン・ナショナル・ホテルで開催された3か国(韓国、日本、アメリカ)の指導者会議の際に真のご父母様が語られたみ言である。 高名なる韓国・日本・アメリカの3か国の最高指導者、そして紳士淑女の皆様! 皆様がアメリカの首都ワシントンD.C.に来られたことを心から歓迎いたします。 韓国と日本、そしてアメリカは太平洋圏の国家です。そして韓国と日本は、隣国であるだけでなく、アメリカと同盟関係を結んでいます。ですから、3か国が内外に連結した共同目標をもっています。今私たちは21世紀に入っており、この21世紀は太平洋時代と呼ぱれています。 言うまでもなく、太平洋時代は韓国・日本・アメリカの3か国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界はこれら国家のモデルに従おうとするでしょう。しかし指導的な立場には、自動的に立ちうるわけではありません。その場には関連諸国の互いの強力な連関性を土台として立ちうるのであり、特別に指導者レベルでの相互連関が絶対的に必要です。それゆえ、皆様がすべて韓国・日本・アメリカの3か国会議を通じて緊迫した当面の問題を論議すると同時に、互いの友誼を固く結ぶことで、新しい21世紀を開拓することのできる基盤を整えてくださるようお願いします。 3か国の指導者の皆様、私は、この会議に参加するために6千マイルもする遠方からこの場を訪ねてこられた代表たちをはじめとした、すべての参加者たちに儀礼的な挨拶をしようと、壇上に立ったわけではありません。神と一心・一体・一念により生きてきた私の経験によれば、神は歴史と現実の中に生きて働かれるかたです。そのような観点から韓国と日本、そしてアメリカの位置付けを知ることはとても重要なことです。 神の創造理想は、アダムとエバが、神の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となって真の家庭を築くことでした。その真の家庭を始原として、人類は真の社会、国家、世界、天宙へと繁殖しながら、地上天国と天上天国を建設するようになっていました。ところが不幸にも、アダムとエバは未完成の段階で天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。ですから、真の父母になることができず、偽りの父母となったアダムとエバが築いた人類の最初の家庭で、兄のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の実が結ばれました。 本然の創造目的を回復しようとされる神は、第二のアダムである救世主をこの地に送って摂理なさるようになりました。その摂理のための最初の足場がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基台の上にイエス様が救世主として来られました。イエス様は真の父母と真の家庭の理想をイスラエルの国で成し遂げ、全世界に伝播するために来られたのです。しかし、イエス様をメシヤと悟ることができなかったユダヤ教とイスラエルの国から不信されました。 あげくの果てには、その不信が極みに達し、イエス様は再臨を約束しながら、十字架の道に行ってしまいました。復活したイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を世界的に築きました。その世界的なキリスト教の基盤は、第三アダムとして来られる再臨主を迎えるためのものです。 アメリカは全キリスト教を代表する第二イスラエルの長子国家です。アメリカの建国の祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来しています。アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になりえたのは、再臨主として来る第三アダムのみ旨に従うことができるようにするための神の摂理によるものでした。 第二次世界大戦のとき、アメリカとイギリス、そしてフランスを中心とした連合国が、日本とドイツ、そしてイタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島にキリスト教を宣教した国がアメリカだった点、そして第三イスラエルである韓国を防衛するためにアメリカが国連の旗の下で16か国の派遣軍と一つになり、犠牲的な支援をした点などは、すべて神の摂理の中で成就したことです。 第二次世界大戦の直後に準備されたキリスト教が、私を通して神の教えを受けたとすれば、7年以内に神のみ旨が成就したはずです。アダム国家である韓国の統一も成就したはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったはずです。ところが、不幸にもキリスト教が率先して私に反対して迫害しました。そのように摂理の中心存在に逆らったキリスト教は衰落の道へと落ちてしまいました。第二次大戦直後と比較するとき、今日の教会は信仰、情熱、純粋性や生命力をすべて失いました。 世界のキリスト教が責任を果たすことができないことによって、エバ国家になるべきだったイギリスの代わりに日本が選ばれました。事実、神の摂理的な中心であるキリスト教と程遠い天照大神を奉ってきた日本は、特別な恩恵でなければ、絶対に選ばれることができなかったのです。ですから、日本が本来の責任を果たすようにお願いします。 ところで神が送られた救世主は、どうしてその都度不信に遭ったのでしょうか。堕落で築かれた悪主権の世界であるため、善の実体を歓迎することができなかったのです。それを心配された神は、イスラエル選民とユダヤ教を立て、イエス様を迎えるように準備なさったのであり、また世界的なキリスト教の基盤を築いて再臨主を迎えるよう準備されたのです。ところが第一イスラエルと第二イスラエルの摂理に対する無知と彼ら白身を中心とした考えのために、イエス様が苦難に遭い、再臨主も苦難に遭ったのです。 メシヤが雲に乗って来るものと理解していたユダヤ教徒たちの前にイエス様が人として現れたので、信じることができなかったのです。ヨハネによる第二の手紙7節で、イエス・キリストが肉体で臨んだことを否認する者を反キリストと指摘しているのを見ると、ユダヤ教徒が旧約聖書を誤って解釈してメシヤを殺したという事実を知ることができます。 そして聖書は両面性をもって預言されているということを知らなければなりません。なぜかというと、堕落した人間は気まぐれで不確かであるからです。神と一つになった人が背を向けてサタンと組んで、神を滅ぼし、サタンと組んでいた人が神の前へ戻ってきて、サタンを滅ぼすというのです。 旧約聖書のイザヤ書9章、11章、60章の3つの章を見ると、救世主が栄光の主として来ることを述べていますが、53章では苦難に遭うことを預言しています。ところが、ユダヤ人たちがイエス様を信じて迎えることができず、イザヤ書53章の預言が成就したので、信仰によって成就されるべき預言は延長され、再臨の時に当てはまるようになるという事実を知らなければなりません。 新約聖書も旧約聖書と同様にメシヤの再臨について、蕩減復帰の原則に従って両面性をもって預言されています。ヨハネの黙示録1章7節を見ると、再臨するメシヤは間違いなく雲に乗ってくるとあります。しかし、テサロニケ人への第一の手紙5章2節を見ると、「主の日は盗人が夜くるように来る」と記されています。再臨主が雲に乗って来るというのに、その日が盗人のように来るということがありうるでしょうか。今日のキリスト教徒は、再臨主が雲に乗って来ることは信じていますが、その日が盗人のように来るということは信じません。 それゆえ私たちは賢くなければなりません。旧約時代の実情から推察してみても、再臨主が雲に乗って来ることもありうるし、人として来ることもありうるということを私たちは知らなければなりません。ユダヤ民族が待ちこがれたメシヤを神が送られたにもかかわらず、どうして彼らがメシヤを殺したのかを知らなければなりません。 旧約聖書のマラキ書は新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書4章5節以下を見ると、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と預言されています。 エリヤはイエス様が来られる900年前の人物で、火の車に乗って昇天した人です。ユダヤの人々は、火の車に乗っていったエリヤが、そのままの姿で来るものと信じていましたが、エリヤが来たという話もなしにイエス様自らがメシヤであると宣布したのです。ですから、イエス様の弟子たちは人々から「あなたがたの先生がメシヤならば、エリヤはどこにいるのか?」と質問されて、イエス様にその問題について尋ねた場面が、マタイによる福音書17章10節に記録されています。 そこには、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった」」とあります。そして「そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」と記されているのです。ところが他の者たちは、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤと言ったのは、イエス様自らがメシヤを装うためのものだと非難しました。さらに、彼らはイエス様をユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす傀首であると言い、ベルゼプルに憑かれた者と決め付けてしまいました。 それと共にイスラエル民族が信じていた観点とイエス様を送られた神のみ旨は違いました。この地上に神のみ旨を成し遂げるために送られたメシヤが、ユダヤ教徒が従うことができなかったことによって、死ぬことになった恨めしい歴史があったという事実を知らなければなりません。実際に、神のみ旨はイエス様を通して、ユダヤ教とイスラエルの国を超えてすべての世の中を救うことでした。ところが、地上で待っていた希望と天で成し遂げようとしたみ旨が食い違うようになりました。 再び来られる主の場合も同じです。キリスト教が再臨主のために準備した基台は、自分たちだけを救うことがすべてでした。しかし、再臨主は、神の願う、世界と万民の救い、さらには創造本然の理想世界の成就のために来られるのです。その理想世界というのは、宗教圏だけの世界ではありません。再臨主は、堕落と関係がなく、宗教が必要のない、真の愛と真の父母の世界を築くために来られるのです。 創造主である神の根本は真の愛です。真の愛というのは与えてまた与えても記憶しない、「為他的」な愛です。その真の愛で天国を建設しようとする神のみ旨を成就するために、私は生涯を投入して施しながら生きてきました。摂理の中心国家である韓国と日本、そしてアメリカの3か国は、平和の理想世界を築くにおいて、模範となるべき位置にあります。これら国家が天道に従って、世界と全体のために施すとき、神の祝福を受けて、繁栄することができるでしょう。もし自国の利益ばかりを追求するならば、摂理において中心の立場を守ることができず、現在もっているものも失うようになるでしょう。 ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする私の深い考えを理解してくださるようお願いします。特に、キリスト教の基盤がない日本の指導者たちは、私の考えを理解するのに困難が伴うものと思います。しかし、今日の日本が摂理の中心に置かれているという事実を悟らなければなりません。神の創造理想を地上と天上世界に成就するために、すべてを投入しながら生きてきた私の生涯でした。そのような私が、これまで力を注いできたいくつかの内容についてお話ししようと思います。 第一に、今晩、ワシントン・タイムズの創刊20周年祝賀パーティーを催していますが、どうしてワシントン・タイムズを創刊したかということです。この20年間に途方もない財を投じました。ある政治的な目的があったわけでは絶対にありません。神の摂理において中心国家であるアメリカが、救世の理念をもって世界を指導する立場に立ちうることを希望して創刊しました。アメリカが享受している政治・経済・軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「神の下の一つの国」を築く理想が建国のスローガンだったとすれば、今からは「神の下の一つの天宙」を指向しなければなりません。 第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界を健設するにおいて決定的な条件です。あらゆる宗教はそれぞれ信仰の儀式と教理は異なるとしても、善を指向する根本的な教えは同じです。そして、すべての宗教の出発は、人間の霊的な無知を打開するための神の摂理的な一環として、様々な文化圏の背景に従って多様に始まりました。ところが今からは、家庭の理想を通した平和理想世界の実現というモットーを中心として、皆が出会いをなさなければなりません。私が世界平和超宗教超国家連合、超NGOであるワンゴ(WANGO : World Associationof Non-Governmental Organizations)、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合などを創設したのも、そのような出会いのための一環です。この40年の間、私が創設した統一教会の予算より10倍以上の経費を超教派超宗教運動に投じてきたのも、そのような神のみ旨を知ったためです。 第三に、人種間の葛藤を解消し、すべての人種が神の下の兄弟姉妹として一つに結ばれる地球村大家族の世界を指向してきました。五色人種は皆、等しく平等な神の子女たちです。カラーや歴史的な背景に従って優劣をつけることのできる基準はありません。ですから、神を中心とした祝福結婚を通して超人種的に真の家庭の理想を実現するのが、一つの世界を創建していく近道です。それを見抜いた私は、1960年代以降に人種と国境を超越して「交叉結婚」を主導してきました。今後、世界が狭まるにつれて、国際祝福の価値がより一層光り輝くようになるでしょう。 今この機会に、3か国の関係について摂理的な側面から探ってみようと思います。人類歴史は神の救いの摂理歴史であり、その救いの摂理というのは失ったものを取り戻す復帰摂理です。したがって、エデンの園で堕落したアダムとエバ、そして天使長の関係と、アダムの家庭の最初の結実だったカインとアベルの関係が世界的に拡張されたものが、韓国と日本の関係と、アメリカと世界の関係なのです。6千年の歴史を総蕩減する「終りの日」に繰り広げられる国際関係を、摂理的な次元で理解することができなければなりません。日本は伝統的に女性神である天照大神を祭ってきた国です。ですから、今回の会議に日本からは女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは主に女性たちが参加しました。 摂理的に、韓国はアダム国家であり、父の国であるため、韓国の女性指導者たちは韓国を代表する私の妹のような立場で、神のみ旨のために精誠を尽くさなければなりません。そしてキリスト教は、来られる主の新婦のような立場にあります。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性たちは、再臨の摂理において新婦の使命を果たさなければなりません。また、日本は堕落したエバの立場を蕩減するために、母の国としての使命を引き受けなければなりません。 さらには、韓国・日本・アメリカの3か国が中心となって平和世界を建設していくためには、一家族のようにならなけれぱなりません。ですから、その3か国が怨讐の関係だった旧怨を洗い流し、一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが「交叉結婚」をすることです。ですから、お互いの国の人々の間で血縁的な関係が結ばれれば、真の愛を中心として平和世界を建設するにあたってのモデルになることができます。私はそのような神のみ旨を知ったので、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際的な「交叉結婚」を主導してきたのです。 先ほどもお話ししましたが、アメリカは第二イスラエル圏の長子国家として天の父母に侍るにおいて、先鋒に立つことができなければならず、世界の兄弟国家を助け、率いてあげるべき使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いということを申し上げます。 私は今回の会議を通して、皆様が、人類の未来に影響を及ぼしうる広範な主題に関して、より深くて真剣な討議とともに共通した合意点に到達されるようお願いします。併せて、皆様がここワシントンD.C.で3日間共に過ごす期間が、心の深い所から友誼を増進させうる機会となるよう願うものです。 この集いは、3か国の指導者たちが中心となって21世紀のための新しい基礎を固める契機となるでしょう。ですから、多様な分野で持続的に議論、協力し、連帯を強化させうるよう3か国の新しい協同体が誕生することを期待します。 紳士淑女の皆様! このような韓国、日本、アメリカを中心とした3か国の連帯のための新しい活動は、世界的な次元の平和と奉仕の文化を創建するという目標を達成するために続けられることでしょう。そして、その目標は必ずや達成されることでしょう。今後、皆様と共に始めるこの会議が、アジアと世界を率いる集いに成長するよう願うものです。皆様に神の加護が共にあることを願ってやみません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.31
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【メッコールCM】 ハデベ牧師が、南アフリカ共和国でメッコールの販売を始め、そのコマーシャルが流れているそうだ。2024/11/10一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
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第1178回 天心苑特別徹夜精誠 (11/22)2024/11/22 に公開予定本日も恩恵深い時間になることを願います。https://blog.naver.com/peacemaker2027一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部) わたしたち統一教会には、長い歴史をかけて、天地全体をかけて宣言した「宣言文」が多いのです。 それは何かというと、天と地、すべての宇宙をかけて、"行くべき道はこうである。”という、その標本に 従って線を引いたものです。横的に引く道、縦的に引く道、九十度を中心として引き、球形世界を完成化し、その球形世界のコア(核)のような、エキスのような位置に、神様を臨在させるための原則の道理に合うように宣言したのです。 サタンが、この縦的なものを、すべてばらばらにしてしまい、横的なものをばらばらにしてしまい、九十度の基準を中心とした三次元の面を、すべてばらばらにしてしまいました。そのように、偽りの父母が、ばらばらにしてしまうことによって、神様の代わりに、サタンが、この世界を支配していたのです。 それを、そこに新たに真の父母が現れて、本然の縦的基準を成してきたということではなかったでしょうか? サタンがいくら反対しても、反対することができないこととは、何でしょうか? また、それは、なぜでしょうか? 神様は、被造世界をそのように(本然の縦的基準に沿って)創造され、"被造世界とは、そのようなもので ある。”と見ておられます。そうであるにもかかわらず、サタンは、神様がそのように創造された、それ自体を破綻させようと、歴史過程において反対してきたのです。 神様は、そのような事実についてご存じであり、サタン自身も知っています。ですから、そのような神様がいらっしゃるので、サタンに対して、「縦的基準というものは、原則は、これではないのか?」と言うときには、サタンは、「はい、そうです。」と答えざるをえないのです。一度、言ってみてください。(「はい、そ うです。」) そのような約束どおりに、事実どおりに宣言したもの(が、統一教会の宣言文)です。天と地、悪魔と世 の中の罪ある何者も、それを否定することはできません。何人も否定することができない、このような核を宣言したものが、わたしたち統一教会における多くの 宣言文であるということを、皆さんは知らなければなりません。 サタンに対して、「それでは、横的基準についても、 これこれこのようなものは、おまえが願ったものではなく、本来、創造理想的根本の原則において願われて いたものではないのか?」、「これは、天地が生じる前からあったのであり、天地が生じるとき、その核心となったものではないのか?」、「天地をすべて完成して、 その核心的な主人となることができるものは、“見えな い神様”ではなく、実体の"見える神様”である真の父母ではなかったのか?」と言うときには、サタンは、「違います。」と言うことはできません。「そのとおりです。」と言うのです。 それで、(先ほど訓読したみ言では、)「(真の)父母の日」を宣言するための内容が具体的に明らかにされており、「(真の)子女の日」なら「(真の)子女の日」についても同様であり、「(真の)万物の日」がどのようなものであるかという事実についても、今、皆さんは聞きました。 このようなみ言をじっと聞いてみると、他のあらゆるみ言も必要ですが、「(真の)万物の日」一つだけを取っても、その価値は、量り知れません。 そのことで、すべてに精通しているごとく、「自分は主人になった。」と言い、「神様のものでないものがなく、真の父母のものでないものがなく、『宇宙全体が、わたしのものである。』と言うことができる、その位置に定着し、億千万世の時が流れ、すべてのものが変貌し、変わったとしても、変わりうる環境条件を収拾し、尊厳ある主体性を中心として、千代、万代、定着権威を持つことができる。」と言ったときには、天地は、何と答えるでしょうか? また、「それは、創造理想的な完成の結果であったのではありませんか?」と尋ねるとき、神様が心か ら考えられることは、どのようなことでしょうか? それは、「そのとおりである。」ということです。そして、思想的思考を通して、相対として現れた、極めて小さな被造物から大きな被造物に至るまで、海のものも陸地のものも、天上世界にあるすべてのものまでもが、「そうです。」と答えることでしょう。 一度、言ってみてください。(「そうです。」)そうです! (「そうです。」)口だけで言いましたか? それとも、心と体と考えを重ね合わせて、「そうです。」と言いましたか? 「このような宇宙の一つの核として、その中心自体であることに間違いありません。そうです。」と、言うときには、そのような存在は、宇宙の中心となり、神様の愛を完成させることができ、神様よりも、もっと必要であるというのです。 そのように、“愛の完成に必要な万物の実体的主人が、人間である。”ということを思うとき、その人間自身が、心と体と思想が一体となったその場において、自分自身の産毛までも、「そうです。」と言うのを感じながら答えましたか、答えませんでしたか? (「答えました。」) うそをついては、いけないでしょう? 尋ねると、決まって「そうです。」と言うところを見ると、“先生について行きさえすれば、よい。”と考えて……。 言葉について行ってはいけません。言葉は、実体を形成します。実体は、全体を動員することができる能力があるのです。それは、神様だけではありません。宇宙全体が実体的な主体となり、対象となるときは、宇宙全体が左右、上下、前後の歩調を合わせなければ、相対的理想の場から追放する宇宙力があるというのです。 そのような主人がいる、ということを知らなければなりません。見えない宇宙力が、そのような者たちを除去するようになっています。 皆さんは、父母が死ぬと、なぜ悲しく、夫がいなければ、なぜ悲しく、愛していた者を失えば、なぜ悲しいのでしょうか? “主体・対象基準”の中心の核と、心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなくてはいけないのです。 このように見るとき、心と体がとどまる位置、その位置は、考えまで一つになる”心身一体”の位置であ り、その位置において、自分が動じ、静ずることができるというのが、万有存在の実情であるというのです。 そのことを考えるとき、その万有存在の実情の主体となり、主人となる人間自身に関係するすべてのものが、ここに同化し、一体となった場において、動じ、応じ、答え、喜ばなければならないというのが、天理の原則です。 ですから、皆さんが、先ほどの問いかけに対して、そのような”心身一体”、“一心一念”を中心として答 えたのかと尋ねているのです。そのように答えましたか、答えることができませんでしたか?(「……。」) なぜ、静かなのですか? いくら大きな人でも、産毛一本であっても、つかんで引っ張れば、その痛みがないようにするためには、引かれる方に行かなければなりません。分かりますか? 我慢して、「切れるなら切れろ。抜いてどうするのか? やってみなさい!」と言えば、そこには、鍼が打たれるようなものです。そうなれば、すでにそこに傷を残したということです。 それでは、産毛や一身のすべての骨が統一され、一つになって、”心身統一〃、それから何ですか? ”信念統一”です。一心、一体、一念です。そのことを知らなければなりません。神様を中心として……。 神様が、どのようになっていらっしゃるのかというと、一つのものを中心として、心と体が一つになっていらっしゃるのです。分かりますか? 心と体が一つになったところにおいては、考えも一つになっています。 皆さんが、日常言うことは、「言行心事(言行と心に思うこと)を正しくしなければならない。」ということです。「言行心事」です。言葉と行動と「心事」ですが、「心事」とは、何ですか? 心と事が、一つにならなければなりません。そうしてこそ、それが公的なものとして保護し、証しし、 宣伝することができるのであって、そうでなければできません。 ですから、心をだまし、体をだまし、考えを偽って生きる人は、それがいわゆる「堕落した世界」であり、「堕落した万物」であるということです。 堕落していないものは何かというと、心と体と考えが一致して一体となり、ここを見ても一つであり、 あそこを見ても一つであり、また、下を見ても、上を見ても、前後左右、球形に見ても、核心の位置も「一つである。」と言うことができるもののことです。 そのようになるとき、神様は、そのような立場に定着されるようになるのです。そのことを、皆さんは知らなければなりません。"一心”、“一体”、“一念”です。言ってみてください。(「一心、一体、一念。」) 心を持っていますか? 何ですか? 尋ねたら、答えなければならないでしょう? 心を持っています か? (「はい。」)心が二つですか、一つですか? (「一つです。」) 心は、二つでしょう? なぜ、一つですか? 悪なる心と、善なる心があるではないですか? それから、 体も一つですか、二つですか? 悪なる体、善なる体。二つですか、一つですか? また、考えも、善なる考え、悪なる考え。二つですか、一つですか? わたしたち自体について考えてみるとき、心は、わたしたちの目に見えないので、分かりません。心に五官があるということが、分かりません。分かりませんか? 答えなければならないでしょう? 分かりますか、分かりませんか? 卒業証書をもらって、学位をもらうことができるようになれば、それにふさわしく、過去に学んだものはすべて知らなければならないのですが、分からなければ、それに対する罰を受けなければなりませんか、受けてはなりませんか? ですから、今まで、心が一つでしたか、二つでしたか? 体が一つですか、二つですか? 考えが一つですか、二つですか? 全員、黙っているということは、”心が二つ、それでよい! 体が二つ、それでよい! 考えが二つ、それでよい!”と、思っているということです。 そのような状態が、人と言えますか? 人だけが、心が一つなのです。人だけが、体も一つです。人だけが、考えも一つです。それを否定する人は、手を挙げ てください。 きょう、「(真の)万物の日」の記念日に、「清平に来なさい。」というので、"何か福をくれる。”と思っていたのに、手を切ったとすれば、その息子、娘や親戚、その国の民が、それを聞いて、「あの清平に行きなさい。」 と言うでしょうか、「行くな。」と言うでしょうか? 答えてみてください。(「『行くな。』と言います。」)「行くな。」と言うのです。 それでは、行かなければ、天国は、どこから行くのですか? 清平を通さずに、天国に行くことができますか? (「できません。」)清平は、"清くて平らな所である。”ということです。分かりますか? 名前が良いのです。 「文鮮明」という名前の「鮮明」とは、何ですか? 「鮮明な朝」と言うでしょう? 「鮮明」とは、太陽が、明るい光の方向性をサーチライトのように発散するときに、「鮮明な朝日」と言うのです。その名前は良いですか、悪いですか? (「良いです。」)太陽には黒点があるのですが、黒点に覆われてはいけないでしょう? そこに何、鮮明ですか? 「文鮮明」でしょう? 「文」という字は、何ですか? (「文章の「文」です。」)文章の「文」ではありません。祭壇の「文」です。祭壇の上に祭物を置いて支えているのが、「文」という字ではないですか? 分かりますか? 何の「文」ですか? (「祭壇の『文』です。」)祭壇の「文」です。 神様は、堕落した世の中に祭壇が必要ですか、必要ではありませんか? (「必要です。」)何の祭壇ですか? 何の祭壇が必要ですか? 簡単でしょう? 息子、娘の祭壇です。息子の祭壇、それから夫婦の祭壇、三番目は、子女の祭壇です。それ以上は、必要ありません。 皆さんは、それ以上、必要ですか? さらには神様まで。愛の前には、神様まで一つになって、父母の祭壇です。もう一つ、するのです。 真の愛は、父母の祭壇、夫婦の祭壇、それから何ですか? (「子女の祭壇です。」)自分の祭壇は、ありませんか? 男性の祭壇、女性の祭壇です。自分の祭壇、夫婦の祭壇、子女の祭壇です。祭壇が必要です。祭壇とは何かというと、まっすぐなものの上に、載せておくのです。 その祭壇の代表が何なのか、というのです。神様も代表であられ、自分も代表であり、家庭も代表であり、夫婦も代表であり、息子、娘も代表なのですが、その全体の代表、中心とは何ですか? それが何ですか? その中心は、何ですか? 宿題です。クイズです。 それを、何と言うのですか? それが、何ですか? (「真の愛です。」)何ですか? (「真の愛です。」) 真の愛とは、どのようなものですか? 真の愛とは、どのようなものでしょうか? 真の愛とは、何ですか? ”ため”に生きて忘れること、それもそうでしょう。 「それも、真の愛である。」と解説することができます。 本当の真の愛とは、何ですか? 神様も、そこにはまれば、出てくることができません。分かりますか? そうなのです。わたしも学びました。神様も、そこに落ちれば、出て来られることができません。そこから出てこようとすれば、天下が、すべて離れていきます。 そのように、天下がついて回るので、神様も離れません。また、自分個人が落ちても、恥でも何でも知ったことではありません。出てくることができないのです。女性も……。女性は、そうではないでしょう? 変わることを好むのが、女性ではないですか? 人間とは、何ですか? 「人心は朝夕に変わり、山の色合いは古今を通じて同じである。」というような言葉が、物の本には書かれてあります。変わることを好むのは、女性ですか、男性ですか?(「女性です。」)女性です。 男性は、どうですか? 男性は、変わることを好む女性について回りながら、変わろうとしますか、つい て回りませんか? この女性たちは、変わることを好む男性が、ついて回る。」と思っているのですが、それは、間違いです。なぜですか? 男性も、はまれば出てくることができません。女性も、はまれば出てくることができません。息子、娘はどうですか? (「出てくることができません。」)息子、娘も、出てくることができないのです。ここに落ちて、出てくることができる存在はありません。 先生(真のお父様)は、どうでしょうか? (「出てくることはできません。」)わたしも、皆さんに似たの です。(「神様に似ていらっしゃいます。」)神様に似てもよく、皆さん……。また、男性、女性、息子、娘、すべて、そうではないですか? 神様が持っていらっしゃるものを、すべて持っているでしょう? 神様には、眼がありますか、ありませんか? 分かりますか? 真の愛とは、何ですか? 真の愛に、髪の毛一本でも引っ張られれば、引かれていくの です。それゆえに、神様も、(真の愛に) 落ちれば、出てくることができません。いくらやっても、出てくることができないのです。千年やっても、出てくることはできません。神様が、そうでいらっしゃるというのです。何に間違って落ちても……。 愛に誤って落ちるようになれば、逆さまになったものを、思いどおりに、まっすぐにすることはできません。まっすぐにすれば、天下がすべて踊りを踊り、歌を歌いますが、四方の方向が異なるというときには、億千万世、その姿のまま捕まって、出てくることができないということです。理解できますか? このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、愛ではないでしょうか? 愛だけは、鉄則において、このようにしてもよく……。そのうえで、このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、真の愛というものです。 愛は分からなくても、そのような本性があるので、すべての万物は、その愛を訪ねて出会うことを願うのです。出会うのも、逆さまに出会おうとしますか、正しく出会おうとしますか? 歩くときに、このように(腰が平衡にならずに)曲がって歩く人が、よいですか? このように歩く人がよいですか? このように歩くのがよいですか? (笑い)あらゆる人がいるでしょう? このように歩く人、このように歩く人、まっすぐに、さっさっさっさっと歩く人……。 これが、すべて合わなければなりません。垂直に合わなければなりません。歩くときに腕を振るのは、四十五度の角度です。それは、なぜ、そうなのでしょうか? 人は、そのようにしてこそ、正しいのです。 垂直がなければならず、上下がなければならず、左右がなければならず、前後が四十五度です。分かりますか? それが、そのようにバランスを取って、球形になるのです。 そうして、球形になってこそ、このように回っても、 このように回っても、このように回っても、永遠に変わらずに、それ自体がそのまま残り、だれもが永遠に保護してくれるのです。天運が、そうです。 ですから、少しでも間違えば、苦痛が生じます。宇宙の力が追い出すのです。そのような公式法度によって、運動する中央の位置に立ち、そこで暮らそうというのが、存在物たちの存在様相です。これは、宗教観念の世界において言われていることにも合い、運動法則の科学世界においても合致する話です。分かりますか? まゆ毛が、一つはこのようになり、もう一つがこのようにゆがんでいれば、どうなりますか? 独身の若い男女が、時が来て、結婚する年になったので見合いをしに行くというときに、まゆ毛が、このようにゆがんでいれば、どうなりますか? 女性がそうであるならば、男性が見るとき、"あの女性は、なぜ、あのようになっているのか?”と思うのです。また、目がこのようにずれていれば、どうですか? あの女性は、どうしてあのようになったの か?」と思い、鼻が曲がっていれば、"あの女性は、なぜ、あのようになったのか?”と思うのです。 先生が歩くときに、さっと、(道を外れて)このように歩けば、どうしますか? (笑い)いけません。中の 方へ押し戻してあげなければなりません。このように行っても押し戻してあげ、このように押し戻してあげ、 そのようにして、この間の道をまっすぐに行きなさい、というのです。そうでしょう? 九十度、九十度、四十五度で作動するのです。 足が、このように行けば、足も合わせてくれるということです。そのようなことを、初めて知ったのですか? 学校では教えてくれないのですか? さあ、「(真の)万物の日」なので、人間は、(神様の) 実相的存在であり、万物を代身することができる標本的な実相なのですが、これらを見るとき、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? ここに、日本人、韓国人、五色のあらゆる人種が集まり、あらゆる種類の人たちがすべて集まったのですが、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「良いです。」) 韓国人だけに会うことを願ったのに、すべての人が来たら、問題が起きるのです。そうではないですか? しかし、すべてが集まることを願ったので、かまいません。「韓国人が集まりなさい。」と言った場合に、日 本人が来てもよいのでしょうか? それは、同一のものになっていないので、そのようなことが起きるのです。 上でも下でも……。日本人が賢いのは、上と下を合わせることができるのです。右と左を合わせることができます。自分が左側なのか右側なのか、また、前後を知って、前後を合わせることができるのです。 そのような人を「賢い人である。」と言い、「知恵深 い人である。」と言うのですが、そのような人は、滅びゆく世界においても、物請いまでをしても、滅びることはありません。 日本は、第二次大戦の時に、物請いをする立場でも滅びなかったというのです。なぜでしょうか? 目先が利くからです。“目先が利く”ということが何かというと、多くの主人に侍る歴史を通して、訓練されているということです。そうではないですか? それは、なぜでしょうか? 女性だからです。女性は、そうでなければ、生きていくことができないではないですか? ですから、世界的に好まれるのが、日本の女性です。わたしは、日本の女性を好みません。日本を本当に知っているからです。顔を見ただけで、すぐに分かります。 日本の古代歴 史を見れば 、多くの国があり、この人、あの人と・・・・・・。 はべ女性が嫁いでいく所と、夫が暮らす所とでは、主人 が違います。さっさっさっと目先を利かせて、三年も たたずに・・・・・・。嫌でも、よく目を合わせるでしょう? 日本は、そうですか、そうではないですか? 先生の友人の中に日本人がいましたが、りっぱな友人の所に訪ねて行って、父親に似ているか母親に似ているかを見てみて、母親に似ていれば、わたしは好みませんでした。なぜでしょうか? 母親は、島国を象徴するのですが、島国で生まれて、島国で育って、何になるのですか? それでは、いつも陸地(大陸)を慕いながら、泣いて暮らさなければなりません。そうではないですか? 日本も、そうでしょう? 島国なので、「陸地(大陸)から船が来る。」と言えば、町内じゅうが騒いで、「何が来るか、見てみよう。」と言って、がやがや集まるのです。それが、島国です。それゆえに、アジアにおいて……。 明治維新の前には、日本人に姓がありましたか? それについて知っていますか? 知らないでしょう? 日本人は、明治維新の前、庶民には、姓がありませんでした。そのことを知っていますか? 日本の歴史教育において、「姓がなかった」ということを教えてくれないでしょう? そのことを知らなければなりません。 名前がないので……。名前を自分勝手につけたのでしょう? 「竹下」という姓は、竹林に小さな家を建てて暮らすのを、名前が分からないので、「竹下」にしたのです。田中という姓も、田んぼの中にいるので、「田中」です。川辺という姓は、川辺にいるので、「川辺」です。松本は、松の下です。まったく、このような姓があるでしょうか? 神様の目は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 分からなければ、「分からない。」と言ってこそ、率直なのです。いちばん手っ取り早いのが、「『"縦的な真の父母”が天であられ、"横的な真の父母”が文鮮明である』と言うならば、文先生に似たのでしょう。」 というように……。 "似ている”ということは、"目が似ている”ということと同じでしょう? 大きい、小さいということを 言っているのではありません。形を中心として、「似ている。」と言い、白目、黒目、目が行ったり来たり、上がったり下がったりするのは、すべて同じで似ているでしょう? 形がぴたっと似ていてこそ、「似ている。」と言うのですか? 九十九まで似ていて、一つだけ違うからといって、「似ていない。」と言うことができますか? 目が小さいと……。小さくても、目は目でしょう? わたしの母がわたしを生んだとき、三日たっても目が見えないので、引っ繰り返してみると、目が見つかって、「ああ、目玉がないわけではないのだなあ。」と言ったというのです。(笑い)それで、わたしの赤ん坊の時のあだ名は、「小さな目」です。「目が小さい。」と言われて、村じゅうで有名でした。 "小さなものがよい。」と思っていたのに、小さな目 が……。(ジェスチャーをされる)(笑い) カメラの焦点を合わせると、遠い所を見ることができるように、天下のすべてのもの、神様の心の根が、どのようなものであるのかということを解いて、「神様。あなたの心は、こうではあられませんか?」と言えば、神様も、「自分でも分からない。」と言われるのです。 皆さん。愛に関して知っていますか?「愛は、こうです。」ということを知っていますか? 愛は、丸いのか四角いのか、平たいのか長いのか? 言ったとおりに愛はなります。長ければ、どれほど長いでしょうか? 愛には、千里、万里、離れた息子、娘を思えば、一瞬のうちに、そこまで行って、その良し悪しを知り、鑑定することができる能力もあるのです。丸ければ、神様の心情の真ん中で、その部屋ですべての天下が動じて踊りも踊ることができるのです。 それでは、神様も、祭壇を必要とされるのですが、 どのような祭壇でしょうか? だれもが、すっかりはまり込むものを置いて、それを見て考え、関係を持った人は、完全にはまり込んでしまうことができて……。 このようにはまり込めば、目をばちばちさせて、千年、万年、このようにしているというのです。そのようにすることができるものがあれば、うそであっても、一度、はまってみたいと思うでしょう?<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イ ギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、Family 2002.19
2024.11.04
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国際勝共連合 共産主義は間違っている!警告!同性カップル「パートナーシップ証明」条例 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会はこちらからです。にほんブログ村人気ランキング/海外ニュースへ
2015.04.09
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.09.02
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PeaceTVホームページ>お知らせ[生中継案内] Japan Summit および 孝情文化祝福フェスティバルJapan Summit および 孝情文化祝福フェスティバル インターネット生中継案内(1) Japan Summit and Leadership Conference 2019 in Nagoya日時:天一国7年 天暦9月7日 (2019.10.5 土曜日) 午前10時場所 : ホテルナゴヤキャッスル生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語(2)第四回鮮鶴平和賞受賞者発表日時:天一国7年 天暦9月7日 (2019.10.5 土曜日) 午後5時 場所 : ホテルナゴヤキャッスル生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語(3) 孝情文化祝福フェスティバル日時:天一国7年 天暦9月8日 (2019.10.6 日曜日) 午後1時15分場所 : 愛知県国際展示場生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語現地の事情により放送開始時間が多少変動する可能性がございます。生中継詳細案内◆韓国時間で行事開始時刻、30分前から放送を開始します。◆生中継視聴方法1) PeaceTV(http://www.ipeacetv.com/)に接続し、視聴希望言語のタブをクリックしてください。2) PeaceTV携帯アプリをインストールすれば、モバイル環境でも快適に生中継をご覧になれます。(Wi-fi環境でのご利用をお勧めします。)(Google Play、App Storeで、「PeaceTV」を検索し、インストールしてください。)◆準備事項1) Window7のパソコンをご利用の方は、「Google Chrome」ブラウザでご覧下さい。(「Internet Explorer」ブラウザでは、再生がされない場合がございます。)2) 10Mbps以上のインターネット環境3) Flash Player (最新バージョンをお勧めします。)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.02
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2021.05.19
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第1168回 天心苑特別徹夜精誠 (11/08)真のお母様と大母様(信仰告白-大母様育成メッセージ)2024/11/8天心宛徹夜精誠ウィークリー中(※字幕<自動翻訳>をONにて)효정간증孝情証アラキイサク(孝心生歌)2024/11/8in chongpyong효정찬양-어머니의 약속(お母様の約束)2024/11/9in chongpyong一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.08
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LINEでは能登メンバーの安否確認が進行中ですが、現在のところ異常はありません。被害については1月は棚からものが落ちたりといった状況でしたが、教会のビデオセンターを確認された方からは物が落ちたりといったことは、現時点ではありませんとの報告でした。実質の被害については、明るくなってみなければ分かりません。我が家では、ぬいぐるみ1個が本棚から落ちましたが大丈夫です。今後の余震が心配です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.26
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HJグローバルニュース (2020年 2月 8日)皆さん、こんにちは。天一国の希望あふれるニュースをお伝えする、HJグローバルニュースです。「天地人真の父母聖誕100周年および天宙聖婚60周年記念週間・天一国平和祝祭と天一国孝情祝祭」が全世界の指導者と平和大使、食口達が満場を成す中で、恩恵の中で行われました。今週は、その熱い現場のニュースを集めて、特集でお伝えいたします。FFWPU PeaceTVチャンネル登録者数 8910人天地人真の父母様聖誕100周年 天宙聖婚60周年記念行事「神様の下、人類一家族」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.02.08
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