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2024.06.11
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第35回「真の神の日」午前零時の御言

成約十(二〇〇二)年一月一日、天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿
​  祈祷​
 愛するお父様。たった今、二〇〇一年の標語である「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語を中心とした三千年紀の出発である最初の年を送り、今、二〇〇二年を迎え、 三千年紀に入って二番目となるこの年において、「天地父母の理想である自由と平和と幸福の『天一国』安着万歳」という題目をもって、神様の所願成就である国の完成のために出発することができる、新しいこの時間となりました。
 「天宙平和統一国」である「天一国」の理想は、天地父母をお迎えし、地上世界と天上世界の祝福家庭が一つになって、自由と幸福と平和に満ちあふれた「天一国」が安着することであり、そのための新しい時代であることを宣布いたしました。

​第35回「真の神の日」 午前零時から祈祷をされる真のご父母様
(成約10〔2002〕年1月1日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿で)​
 この国が、千年、万年、あなたの保護の中で、永遠なあなたの所願成就の完成を成し、億千万世にわたって「萬萬歳」を叫ぶことができる、善なる主権の世界に前進することをお願い申し上げます。
​ お父様。救援摂理というものを表題として、人類始祖のすべての失敗を清算するために、数多くの蕩減の歴史時代を経てこられた 天の父母
 それらをすべて清算し、真の父母の地上顕現とともに、サタンと天の境界線に立ち、悪なる世界において、蕩減という法則を通して個人時代を克服し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、八段階の受難の道を、霊界の道に沿って解放の一日を願ってやってきました。
 それらすべてのことが、真の父母の蕩減勝利によって、今、この地上に「天宙平和統一国」である「天一国」を成就させ、神様をお迎えして安着することができる時代となりました。そのような時代をもたらしてくださった恩賜を感謝申し上げます。
 新しく始まる三千年紀の第二次の年を迎えて、「天一国」を私たちにもたらしてくださり、天を中心として、 地を中心として、この地上に永遠無窮に続くことができる地上、天国理想完結のための「天一国」を成就させてくださった恩賜を感謝申し上げます。

 また、この国において、個人安着と家庭安着、国家安着と世界、天宙安着、天地父母をお迎えして、永遠の自由と平和と幸福の天国として継続することができる解放的時代を、私たちのこの時代に迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今、新千年紀へと越えた二年から、忠孝の道理、家庭においては孝子となり、国においては忠臣となり、 世界においては聖人、天宙においては聖子の道理のために生き、創造理想の理想的標準である家庭定着と国定着と天宙定着を、神様が望まれ、喜ばれる中で完成し、奉献することができる忠臣の道理を果たし、天に侍ることのできる侍義の時代を迎えるようにしてくださ った恩賜を感謝申し上げます。
​ きょう、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭を連合した子女たちと父母が一心一体となり、 天の父母 に仕えるための新しい出発が成されるこの日において、私たちに任せてくださった「天一国」の新しい伝統を立てるうえで、私たちのあらゆる精誠と誠心を尽くし、個人的な伝統、家庭的な伝統、国家的な伝統、世界、天宙的な伝統を立て、忠孝の道理をこの地上に広げることができますように。

 そのような勝利の天国の世界と自由と平和と幸福の天国に前進することができる新年となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
 ここに参席した子女たちを、お父様、喜んで受け入れてくださり、天上の祝福を受けた子女と地上の祝福を受けた子女の子孫たち、万代のあなたの子女たちを、 愛の主人の立場において、また、父母の立場に立って愛し、師の立場で教え、主人の立場で管理してくださいますように。
 そうして、善でないものがない自由解放、天国の世界に前進に次ぐ前進を誓う子女たちが、新しい千年のこの年を迎える時間となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。
 神様が、私たちの生活圏内に入ってこられ、私たちの家庭と氏族と民族と国家と世界を、喜びの中で治めてくださり、自由解放統一の天国である「天一国」の定着と万々世の祝福が、永遠にもたらされますように。

 今から、神様が喜ばれる「天一国」解放の世界に、共にいてくださり、同伴してくださり、導いてくださることを、真の父母の名によって懇切に、懇切に申し 上げながら報告いたします。アーメン。アーメン。アーメン。


真のお父様が、年頭標語「天地父母の理想である自 由、平和、幸福の天一国安着萬歳」を揮毫される ​​


​  み言​
 「天」という字は、”二人”を表します。「天」という字が”二人”を表し、その「二人」は、"上の水平” と“下の水平”を表します。「二人」です。「二」という字は、“上の水平”と“下の水平”です。それは、天上世界と地上世界が平和にならなければならない、ということです。
 ですから、“天宙平和』という意味が含まれています。 「天一国」です。これ(「天一国」の「一」)は、「統一」 の「一」という字です。”二人が、真の愛を中心として統一されている”ということです。
 昨年の標語の中で、「真の愛の主体性である・・・・・・」の次は、何ですか?「絶対、唯一、不変、永遠の・・・・・・」、その次は、何ですか? 「み旨が完成されますように。」です。
 それは、「真の愛を中心とした絶対、唯一、不变、永遠のみ旨が完成されますように。」ということです。真の愛でなければ、み旨を完成することはできません。ですから、「真の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのです。それは、絶対、唯一、 不変、永遠です。

 「絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのですが、それが何かというと「天一国」です。「二人」 が一つになった国です。

 それは、「天宙」という言葉、天宙平和……。これにすべてが入っています。天地の家を表します。天宙平和、この「二人」の中に、すべてが入っています。水平の平和です。 統一というのは、主体性を表します。男性も女性も、二人が一つになって、天をお迎えしなければなりません。

 そうして、お迎えしたその中心的な天を中心として、 自分の心と体が一つにならなければならず、皆さんの個体が完成し、その次には夫婦が完成し、その次には 父母と子女が一つになり、夫婦が一つになり、兄弟が 一つになるのです。すべて二人です。

 主体、対象圏が、どこにおいても一体を成すためには、真の愛によらなければなりません。真の愛が、中心になるのです。個人的中心、その次に家庭的中心と、 そのようにして、だんだんと大きくなっていくのです。その次に、父母と子女の中心、その次に兄弟の中心、  だんだんと大きくなっていきます。

 そのようにして、家庭が定着すれば、家庭を中心として、氏族の二つが一つになり、氏族と一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族を中心として、その次には国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は、神様と一つになることができるのです。それが、統一的国家です。



 「天地父母」も、お二人で す。「天地父母」です。天と地 が水平となって、これが人によって連結し、そのお二人が、 地上に定着するのです。

 それで、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である……」、それから何です か?「自由」です。天地父母の理想は何かというと、 自由の理想です。それから何ですか? (「「平和」です。」) 平和の理想です。

 すべてのものが水平になり、水平になったからといって、これは固着しているのではなく、和動することができ、いくらでも横的に運動することができ、いくらでも縦的に運動することができるという、このような 立場になっているのです。

 そして、「自由」と、それから何ですか? 「統一と幸福の・・・・・・」、何ですか? 「幸福の「天一国」定着 (安着)」です。「定着」ですが、「『天一国』定着」ではなく、「安着」なのです。「定着」では、違います。

 「定着」は訪ねて行き、動いて、目的に向かって行って、留まることをいうのです。それが「定着」です。

 「安着」は、定着したので、暮らしが始まるのです。 「そのような暮らしが始まることを、出発することを萬萬歳で願います。」ということが、今年、二〇〇二年の 標語なのです。

 ところで、昨年の標語では、「解放された・・・・・・」、何ですか?(「「天地父母と」です。」)「天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯 一、不変、永遠の・・・・・・」、あるいは「・・・・・・永遠なみ旨が 完成されますように。」です。

 それが、個人の心と体、この”二人”が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子女が一つになり、その次に、兄弟が一つになって、これが定着するのです。どれ一つが欠けてもいけません。お父さんが欠けてもいけませんし、お母さんが欠けてもいけませんし、息子が欠けてもいけませんし、娘が欠けてもいけないのです。 父子関係は、そのようになるのです。

 その次に、これが成長して夫婦関係になり、その次に、祝福を受けて息子、娘を生んで、定着するのです。 三代を経て、初めて定着するようになるということを知らなければなりません。三代で定着です。

 それでは、神様が一代であられ、その次に、二代はだれですか? それは、アダムとエバではありません。 神様の理想的一代圏を中心として、神様が一代であられ、真の父母が二代になるのです。真の父母です。分かりますか?(「はい。」)

 アダムが失敗したことによって、すべてを失ってし まったので、完成したアダムが現れて、その失敗したことをすべて復帰しなければなりません。神様が一代 圏内にいらっしゃれば、真の父母が二代となるのです。 真の父母を中心として二代となったとすれば、三代であるアダムの息子、娘を、だれが奪っていったのでしょうか? それは、サタンが奪っていったのです。 ですから、真の父母は、神様一代、真の父母二代、サタンに奪われた三代、その三代圏を取り戻すのです。

 その三代は、天地父母に侍ることができる孫であり、 神様を中心とした孫であり、アダムを中心とすれば、息子の立場になります。この三代が一つになるには、真の愛と真の生命が必要です。

 神様の真の愛を中心として、父母の生命が一体となった中で、これが地上に連結されるのが、息子、娘なのです。この息子、娘は、神様を中心として、孫の立場であり、これが三代圏になるのです。このようにして、失ってしまった三代圏を、神様が救援摂理の完成を通して取り戻されるようになっているのです。 です。 それでは、三代の立場に立った者たちとは、だれなのでしょうか? それが、だれなのかというと、真の父母によって祝福を受けた息子、娘であるというのです。分かりますか?(「はい。」)

 「祝福家庭」という家庭は、日本にいても、アメリカにいても、どこにいても、三代を受け継ぐことができるようにするために、真の父母の祝福によって、真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を連結させるのです。そのことによって、失ってしまった三代の家庭として、再び接ぎ木された立場に立っているということを知らなければなりません。分かりますか?

 それでは、「祝福中心家庭」とは、だれなのかというと、三代を中心として、地上に定着することができる、 このような祝福の代表家庭であるというのです。それゆえに、三代圏内に入った、世界のすべての祝福家庭は、「祝福中心家庭」の三代圏を相続したということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 三代です。言ってみてください。(「三代!」)それでは、一代目は、だれですか? (「神様です!」)二代目は、だれですか?(「真のご父母様です!」)三代目は、 だれですか?(「祝福家庭です。」)祝福家庭です。

​神様が完全完成なさったことと同様に、真の父母が完全完成したことと同様に、三代目である皆さん夫婦が愛するということは、神様の創造理想的夫婦として愛するということです。そのようにして、創造理想の父母の生命体を動かして、愛で一体となって、血統を連結させたものが、祝福を受けた皆さんの息子、娘であり、その立場が、四代圏ということなのです。 ですから、自分たちは何であるのかというと、アダム、イエス、再臨主、そして四代目なのであり、そのような第四次アダム圈時代において、中心的家庭が、 祝福家庭である自分である、ということを知らなければなりません。​

 それでは、"私"は、だれでしょうか? "私"は、だれなのですか? 天地を代身した、二つの相対である 心と体が一つになった私です。心と体が、絶対に一つにならなければなりません。神様の愛を中心とし て、絶対的に心と体が一つにならなければなりません。ですから、「天一国」なのです。

 「私」と言えば、心と体が一つになった“私”であり、神様の愛を中心として、主体的な立場に立った“私”です。そして、男性がそうであるならば、女性は、真の愛を中心として、相対的な立場に立った、心と体が一つになった“私”です。その相対と主体が結婚して、夫婦が一つになるのです。それが、二人で す。

 その二人を分ければ、四人が一つになることと同じです。分かりますか? 父母が一つになったならば、子女が、一つにならなければなりません。子女が一つになり、このように二人が子女を持って、その兄弟が一つになることによって、家庭というものが形成されるのです。

 このようにして、三代圏を中心として、家庭が定着することが、神様の創造理想のモデルです。工場で金型をつくって、大量生産することと同様に、その標準的モデルとして、変化はないのです。 

 それで、おじいさん一人が欠けてもいけないのです。 分かりますか? おばあさん一人が欠けてもいけないのであり、お父さん、お母さん、どちらか一人が欠けてもいけません。息子、娘のどちらか一人が欠けてもいけないのです。

 また、夫婦という二人のうち一人が欠けてもいけないのであり、子女兄弟の中で、一人でも欠けてはならず、すべてが備わったその場において、初めて定着することができるのです。

 ですから、神様の万世にわたる、永遠な祝福の万国として、平和の世界に定着しなければならない、という意味があるのです。分かりますか?

 そして、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である自由」、自由です。その次は、何ですか?(「『平和』 です。」)「平和」です。夫婦同士が、自由です。そこに、ついたては、ありません。ですから、「自由」の次は、 何ですか?(「『平和』です。」)「平和」です。男性と女性が、横的な平和であり、縦的な平和です。そのように、すべて和合するのです。

 「平和」の次は、「幸福」です。その「幸福」というの は、だれもが満たされて、喜びがないところがない! という幸福です。そして、「幸福の・・・・・・」、何ですか? 「天一国」です。

 この「天一国」は、"理想天国の中心の国”のことをいうのです。そして、「「天一国」の安着」です。本来 は、「安着安息」まで書かなければならないのですが、「安息」は抜きました。それで、「安着萬歳」です。

 「萬歳」というのは、"永遠不変に残され、その権威が、神様が願われる所願と、いつでも一致することができる、真なる平和の天国にならなければならない。 ”ということです。アーメン。(「アーメン。」)

 ですから、この世界の万物を見ても、すべてがカッブルです。昆虫世界もカップルであり、鉱物世界も分子、陽子を中心としてカップルであり、それから動物世界、人間世界もカップル、それから、人間の家庭もカップルです。

 そのように、横に見てもカップルであり、上下に見てもカップルであり、前後に見てもカップルなのです。 これらのものすべてが球形をなし、思いどおりに活動するのですが、ぶつかっても壊れず、前後左右、自由で、幸福で、平和な環境の家庭が、"私の家庭であり、 “私”の国であり、“私”の世界であり、“私”の天宙なのです。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか?(「はい。」)

 このように、”二人”です。二人になっています。目も、二つが一つになっており、鼻も一つになっています。分かりますか? 目と鼻と耳と五感が、一つになることができない夫婦が愛するということは、真の愛には合わないのです。「”二人”が、一つになった場においてのみ、いつでも真の愛が訪ねて来て、安着することができる。アーメン。」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)

 それで、“私”を中心として、二本ずつ手足がありますが、その二本の手が、一つにならなければなりません。また、二本の足が、一つにならなければなりません。そうして、心と体が、一つにならなければならないのです。 統一教会において、第一の問題は、心と体が一つにならなければ、理想的出発をすることはできない、ということです。縦的な基準にも合わず、横的な基準にも合わず、前後の基準も、すべてずれていくというのです。

 ですから、最も重要なことは、心と体が一つになることです。それは、何によってですか? 真の愛と真 の生命の血統を通して、そこで神様とともに・・・・・・。

 神様の心と体は、闘いますか? 神様とともに一体 となり、神様と一体となった、その圏内において、上 下関係一体、左右関係一体、前後関係一体となるのです。

 これが、一つのモデルとなった“定着家庭”なので すが、このような家庭が連結され、連結されることに よって氏族になり、民族になり、国家になり、世界に なり、天地も、この公式の橋を通して結束し、この公 式を通して、天地の理想的「天一国」も完成するので す。アーメン。(「アーメン。」)

 それで、皆さんが、朝、起きて顔を洗う、その顔を見るとき、それは、すべて一つになっています。これ (顔)が一つにならなければ、すべてずれてしまいます。 耳が一つにならなくても、問題が生じるのです。鼻が一つ詰まっても・・・・・・。

 皆さんが、風邪を引けば、鼻が詰まるでしょう? 鼻詰まりになるのです。口が、二ミリから三ミリずれ ただけでも、うまく言葉を話すことができません。完全に一致しなければならないのです。耳も、そうです。 手足も、二つが一つになったところにおいて、うまく機能するのです。

 ですから、愛を中心として、「自由」と、その次は何 ですか?(「『平和』です。」)平和で、幸福になることができる行動になるのです。自由です。これが一つだけでは、自由ではないでしょう? 一つでよいですか? 鼻も一つでは、自由ではありません。自由と平和と……。

 「自由」と「平」によって、「和」にならなければなりません。平和と幸福は、周りのすべてが、自分の顔に笑顔が満ちる、幸福な「天一国」を創建し、「天一国」 を“私”が成して、神様の前におささげするのです。 それで「総生畜献納」です。そのような責任が、堕落した世界に生きる皆さんには、あるのです。

 ですから、祝福家庭は、「総生畜献納」をしなければなりません。サタンにすべて奪われたので、神様が、 サタン世界から男性を”私”に取り戻してくださり、 女性を取り戻してくださったのです。家庭の夫婦を取り戻してくださり、夫婦によって子女を取り戻してくださり、家庭を取り戻してくださり、その家庭がすべて……。

 “所有”というものは、今日の堕落した世界のように、自分によって所有権を持つのではありません。個人完成も神様のものであり、夫婦完成も神様のものであり、すべて相対理想圏、上下、前後、左右全体は、神様の所有権になっています。

 それゆえに、そこに属したすべてのものも、神様のものです。昆虫世界も、すべて四位基台で成り立っているのです。水の世界に生きる魚や昆虫、動物も、すべてカップルになっているのは、自分のものではありません。神様によって成されたものなので、すべてが愛を成し、愛の家庭を成して定着することによって、 相続が展開するのです。

 その定着の基準は、個人基準ではありません。個人基準を超えて、家庭基準、氏族基準、そのようにして八段階を越えて、神様が、家庭を中心として訪ねる相対圏に行き、そこで相続を受けるようになり、そこでそのような所有権制度にならなければならないのです。 そのようなことを思うとき、皆さんはすべて、国を神様に奉献しなければなりません。「総生畜献納物」をささげて、その下で心と体の統一、夫婦が統一、子女が統一、家庭が統一されて定着することによって、神様から、所有権であるすべての万物を相続するのです。 分かりますか?(「はい。」)

 今、皆さんが持っているすべてのものは、偽物です。 神様が一代目であられ、二代、三代圏にいる“私”には、その中間に入り込むことができるものは、何もありません。入り込んでいるのは、堕落によってサタンの所属権のものが、天と“私”の間にふさがっていたのです。

 そのように、個人的に垣根ができており、家庭、氏族、民族と、八段階がすべて、ふさがっています。これをすべてたたきつぶしてしまわなければなりません。 完全否定するのです。完全否定して、自分が持っているすべてのものを、真の愛を動機として、一つになっ た“私”の心と体、一つになった夫婦、一つになった家庭理想、一つになった氏族、民族・・・・・。

 家庭が、氏族を取り戻そうとすれば、氏族のために投入して、それを忘れてしまわなければなりません。 そのような、神様が天地を創造なさったときの過程を経なければなりません。そうして、民族なら民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまい、民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまってこそ、国家というものが出てくるのです。

 それゆえに、堕落によって失ってしまった最高の基準が何かというと、"私”個人と夫と妻、そして神様との父子関係、神様を中心として祝福を受けた夫婦関係、祝福を受けて生んだ神様の息子、娘関係、孫と孫娘の関係です。それらをすべて奪われてしまったのです。

これらを取り戻して、「これは、すべてあなたのものです。」と言うとき、サタンの影が連結されないのです。完全に白玉のような、完全に……。

 「正午定着」と言ったでしょう? そのような、太陽の光に照らされても影のない立場に立った自分自身 にならなければならず、自分たち夫婦にならなければならず、自分たちの家庭が、そのようになって定着しなければなりません。

 そこには、自分の所有権というものはありません。”所有”というものは、真の愛をもって定着の立場に

立ち、主体であられる神様の御前に、「絶対的対象の“私”であり、夫婦であり、家庭である。」と言うことができなければなりません。そこには、サタンの痕跡もないのです。それを越えて、神様の所有権内において、神様が持っておられる被造世界のすべてを・・・・・・。

 家庭が完全に定着し、理想的家庭が安着することによって、神様が、このような宇宙的な偉大な存在であられるならば、"私”自身も、その偉大なる主体の御前に対象として、それと同じ偉大な存在であり、神様が願われたものが”私”個人にも充満しており、家庭にも充満しているのです。

 そのように、”私”という存在は、国と世界、どこにおいても、主体であられる神様が願われる相対的内容を、すべて備えた出発の実体なのであり、その実体を中心として、収穫して神様におささげし、神様を賛美してさしあげなければならない存在なのです。

 ですから、最後には、肯定することができるものは何もない、ということになるのです。分かりますか? (「はい。」)ここに日本人、韓国人、西洋人、いろいろな人たちがいます。例えば、米国人などは、「自分たちが優れている。」と言って騒いでいますが、これは、だれによって生じたのでしょうか? 男性と女性、皆、堕落したアダムとエバによって生じたのです。堕落したアダムとエバは、神様は、目の前にして見たくもないのです。つばを吐いて、地獄にほうり込んでしまわれたいのです。

 完全否定の陰の下で出発して息子、娘を生んだので、サタン世界の人々は、怨讐の立場です。そこに所属して、天の所有権のものをどろぼうして、自分のものとして使用しているのですから、すべてのものを否定しなければなりません。肯定するものは一つもありません。そのように、すべて否定しなければなりません。

 ですから、神様が一代目、真の父母が二代目、祝福家庭の皆さんは、何代目ですか?(「三代目です。」) 三代圏です。三代圏を完全に満たし、三代圏時代にサタンを引っ繰り返し、サタンのものを受けたので、これをすべて否定して取り戻し、天の前に奉献するようになるときに・・・・・・。

 奉献するにおいては、偽りの愛と生命と血統が連結された立場で奉献するのではなく、神様の真の愛と真の生命と真の血統が連結された真の息子、娘の立場で、 祝福を受けた家庭として、これをすべて相続して出発しなければなりません。そうすることによって、初めて所有権が始まるのです。

 ところが、これを失ってしまったので、今、神様が一代目、真の父母が二代目、三代圏に、横的にも縦的にも、前後左右に介在するものは、一つも・・・・、ありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありますか、ありませんか?(「ありません。」)絶対にないということです。

 ですから、絶対否定しなければなりません。神様の 属性であり、真の愛の属性である絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の愛の観点からは、“見るのも嫌である”というのです。

 それは、怨讐です。完全否定して、火で燃やしてしまわなければなりません。否定しなかったものは、今後、時になれば、すべて燃やしてしまわなければなりません。それを、だれが燃やしてしまわなければならないのかというと、自分が燃やしてしまわなければなりません。それらのものを、すべて火で燃やしてしまわなけわなければならず・・・・・・。 


 これを総決算しなければ、息子、娘が、そこにくっつき、妻子がくっつき、自分までも侵犯されるのです。 このような、法に違反した第二堕落的なサタン以上の実体として、天の御前から追放される時が来るのです。 分かりますか?(「はい。」)何のことか分かります ね?(「はい。」)

 その目は、だれのものですか? 自分の目は、だれのものですか? 祝福を受ける前は、だれのものです か? 顔は、だれのものであり、五官は、だれのもの ですか? それらは、神様とは、何の関係もありません。サタンのものです。すべて否定しなければなりません。 ですから、“見たい”と思うものを否定しなければなりません。”食べたい”と思うものを否定しなければなりません。“開きたい”と思うもの、"触りたい”と思うすべてのものを、否定しなければなりません。

ですから、「日本人」という言葉も使ってはいけない、というのです。「日本人」と言う前に、「日本の兄弟姉妹」という言葉になるのです。分かりますか?

 神様の真の愛によって、祝福を受けた人たちは、皆、兄弟姉妹なので、日本に暮らしている兄弟姉妹、米国に暮らしている兄弟姉妹、ドイツに暮らしている兄弟姉妹、ロシアに暮らしている兄弟姉妹だけがいるのであって、ロシア人、中国人、米国人というものは、ありえません。

 それで、韓国は、中国も「中国のやつ」、ロシアも「ロシアのやつ」、それから米国も「米国のやつ」などと言いますが、自分自身は、何なのですか? 「韓国のやつ」ということになります。(笑い)

 ですから、自分を中心とした絶対権限を行使したサタンの直系子女として生まれた立場に立っているのが、 “私”であるということです。“私”まで否定しなければなりません。分かりますか? 韓国人まで否定し、 周辺にあるすべての先進国を否定しなければなりません。いずれにせよ整備しなければならないのです。

 ですから、わたしは、"そのような国(先進国)に隷属したい。”という思いは、夢にもありません。夢にもありますか、ありませんか?(「ありません。」)「夢にもない。」と言いました。夢にもないというのです。夢にもありますか、ありませんか?

 さあ、皆さん。「天一国」は、どのような国でしょうか? 自由の国です。「天一国」は、どのような国ですか? 自由の国です。そこには、怨讐がありません。 真の愛を持ったので、自由の国です。 

 その次は、何ですか? 「平和」です。平和でないものがありません。その次は、何ですか?(「『幸福』です。」) 幸福になれば、口だけが笑うでしょうか、五官と心と体まで笑うでしょうか? 心と体が、すべて「ははは。」と・・・・・・。一度、してみてください。(「ははは・・・・・・。」)

 自分が、「ははは。」と笑えば、どうなるでしょう か? 夫が、そのようにすれば妻が、妻が、そのよう にすれば夫が、お父さんとお母さん、その国全体、神様まで「はははは。」と・・・・・・。これが幸福です。

 そのようになれば、上を見ても幸福であり、下を見ても幸福であり、右側を見ても幸福であり、左側を見ても幸福であり、右側を見ても自由で、左側を見ても 自由で、右側を見ても左側を見ても平和であり、上を見ても下を見ても平和でないものがなく、自由でない ものがなく、幸福でないものがありません。

 ですから、神様が訪ねて来られて、夕食でも一度食べたい。”と思われ、“朝食でも一度食べさせてくれれば、それを食べたい。”と思われ、昼食になれば、訪ねて来られて、「ああ、仕事をして疲れたので、昼食を食べさせてくれ。」とおっしゃることができるのです。

 そのような、自由で、平和で、幸福で、神様をお迎えすることができる“私”の家庭になるのですか、なっているのですか? どうですか? そのことを考えれば、問題が大きいというのです。

 なぜ、「自由」、その次に「平和」、「幸福」の「天一国」なのですか? なぜ、(年頭標語の「天一国」という言葉の)頭に(「自由」と「平和」と「幸福」という言葉を)つけたのか、ということです。それは、「自由」な「天一国」であり、「平和」な「天一国」であり、「幸福」な「天一国」だからです。そこには、闘いがありません。闘争がありません。

 柳鍾泳氏? "国会議員になろう。”という考えがありますか? "闘って勝とう。”と思いましたか、"自動 的に和合して勝とう。”と思いましたか?(「“和合し て勝とう。”と思いました。」)狂った話はやめなさい、というのです。(笑い)

 きょうから、“今から、闘う世界の中心になろう。” と思う人は、雷に打たれます。柳鍾泳氏でも、だれでも、です。それは、神様の怨讐です。お金をもうけて息子、娘を教育し、“ああ、闘いの国の国会議員になって、家門(の名を)を高めよう。」などという、そのような考えをしますか、しませんか?(「しません。」)この人は! 今まで・・・・・・。(笑い)

 今まで考えていながら、なぜ、“考えていない。”というようなことを言うのですか? 柳鍾寛氏! (「は い。」)(笑い)この者め。(「考えていません。」)感謝し ているのですか? 考えていますか、いませんか? どちらですか?(「考えていません。」)何ですか?(笑い)


 ”国会議員になろう。”と考えていますか? ええ、何ですか?(「闘いはしません。」)何ですか?(「闘わないで、です。」)闘わないで、一つになりますか? 狂ったような話をしています。(笑い)

 この国は、関係ありません。私たちが、手本を見せるべきものは、ただひとえに闘うことを知らず、自由と、それから平和と幸福が宿った主人となることができる希望の息子、娘であり、希望の家庭なのです。

 その希望は、国が願い、世界が願い、天地、神様までも願われる希望の”私たちの家”です。分かります ね?(「はい。」)

 「自由」と・・・・・・、言ってみてください。その次は、 何ですか?(「『自由」と。」)「平和」と!(「『平和』と!」)「幸福」が満ちあふれた!(「『幸福』が満ちあふれた!」) 「天一国」の家庭が、神様の安着なさることができる所である。(「『天一国』の家庭が、神様の安着なさることができる所である。」)

 個人、家庭も安着があり、二番目の家庭も安着があり、千の家庭に安着することはできないので、これが標準になっています。モデルになっているので、そのモデルに従っていく所には、間違いなく神様が入って来られて、安着されることによって、それ自体が、小さな家庭であったとしても、「万歳!」と言われるのです。

 言ってみてください。(「万歳!」)万歳! (「万歳!」) 手足で万歳!(「手足で万歳!」) 万歳が上がっていくので、ぶかぶか上がっていくのです。持ち上がっていくのです。夫と妻が持ち上げられ、家庭が持ち上げられ、天の国の出発、理想天国が安息………………。

 定着地、安着地が、地上と天上世界にできるので、神様が行かれて休まれることができる所が、地上世界であるならば、地上に安着し、天上世界に安着するのです。

 そうして、東に行って息子に出会えば、息子とともに暮らし、妻、娘とともに暮らし、孫とともに暮らすのです。そのように、どこでも安着理想に立っているので、平和の天国であり、千年、万年、太平聖代(德のある君主が治める太平な世の中の時代)の王国となるので、万世、万々世が継続するのです。それを懇切に願います。アーメン。(「アーメン。」)

 もし、皆さんが、“うそをつきたい。”と思うときに は、うそをつかなければなりませんか、ついてはいけませんか? うそをつきたければ、ついてみなさいというのです。神様の真の愛を中心としては、左側に行っても真であり、右側に行っても真であり、下に行っても真であり、上に行っても真であり、前に行っても真であり、後ろに行っても真なのです。

 子女に対して、「こいつ。」と、悪口を言っても、その悪口は、真の愛を中心として言う悪口なので、そこには、サタンと悪の影が現れずに、"正午定着地”になることができるのです。分かりますか?

 さあ、このようなことまで教えてあげたので、人間ができていない下品な者たちが、前後をぴたっと合わせていかなければなりません。そうでなければならないはずなのに、振り返って、このようにして、また、 このようになれば(ジェスチャーをされる)、大変なことになるのです。

 しかし、真の愛の世界では、どんどん大きくなるようになっています。個人を投入して、それを忘れてしまい、家庭を投入して、それを忘れてしまい、氏族を投入しては、それを忘れてしまわなければならないのです。

 民族を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような民族は、国を持つことができません。 国を投入して、それを忘れてしまうことのできない国は、世界を持つことができません。世界を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような世界は、天宙を占有することはできません。天宙を投入して、それを忘れてしまうことのできない者は、神様を「正午定着」の大王陛下として、千年、万年、勝利の覇 権の王として、侍ることはできないのです。(「アーメ ン。」)

 "そのようになりたい。”と思う人は、両手を挙げて、「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン!」) 安着です。「『天一国』安着萬歳」という群れなので、 皆さんの家庭には、天地に満ちあふれている神様の所有権でないものがない、というようになります。そのようなすべてのものが、“私”とともに組んで、「おお、 よしよし。私の愛よ。」と言って、踊りを踊って喜ぶことができる時代になるのです。(「アーメン。」) 言ってみてください。アーメン!(「アーメン!」) ”自分は、そのような家庭になる。”と思う人、立ち上がってください。立ち上がって、大きな声で・・・・……。(録音の音声が、しばらく途切れる)

 いつ、祖国光復をするのですか?(「しています。」)いつ、するのかというのです。それをやって、終えなければならないのではないでしょうか?それは、いつまでですか? 二〇〇四年までです。そして、世界をすべて収拾して、「総生畜献納」です。

 この日を中心として世界を収拾し、統一天国をつくって、神様の御前に奉献しなければならない、その期間が、何年までですか?(「二〇一二年までです。」)二〇一〇年、二〇一二年までです。

 それゆえに、今から伝道は、人を通じた伝道時代は過ぎていき、言論界を通して伝道する時代が来たのです。それで先生が、「ワシントン・タイムズ」を中心と して、UPI通信を引き継いで・・・・・..

 朱東文氏。(「はい。」)「ワシントン・タイムズ」とUPIが、言論界の最高の王になったということが、今回のロンドン大会において・・・・・・。ロンドン大会には、 一万人ですか?(「はい。」)その一万人の人が、「UPI通信、「ワシントン・タイムズ」万歳。」と、しましたか、しませんでしたか?(「はい。」)

 したのなら、「した。」と言わなければならないのに、どうして「はい。」と言うのですか? 万歳をしたというのです。それは、驚くべき事実です。一度、引っかけば、国にぽかんと大きな穴が開くのです。

 ドイツの者、ロシアの者、米国の者、日本の女性たち、逃げるために大騒ぎする、そのような基盤を築きました。今から、それを正面に立てて、「これを受けなさい。」と言うのです。受けなければ、飛んでいくのです。

 ですから、今、国会議員を中心として、平和大使たちは、国会の上のレベルにあります。超宗教圏の上に 立ち、超国家圏、超NGO(非政府組織)、WANGO(世界非政府組織連合)基準で、そのような国と、その ような思想をもって一つにするという主義主張は、あ りません。そのようなことを、今まで、だれも知りま せんでした。それは、私たちだけが持っている特権で あるというのです。

 この鍵をもって開ければ、すべての天の国の門が、 音を立てて開き、すべての世界の門が、音を立てて開 くのです。金庫を開ければ、その中に金銀宝石がぎっしり詰まっているのです。

 それでは、柳鍾泳氏は、自分で使うのですか、どのようにするのですか?(「すべて、ささげます。」)言 葉は良いですね、この人は。しかし、言葉だけで通じますか? そして、姜禎賛さん(柳鍾泳夫人)に「監督しなさい。」と言ったのですが、これも、自分(柳鍾泳)に似ました。(「違います。」)

 昔は、よくブレーキをかけていましたが、最近は、よくついて回っていますね?(「違います。」)何がですか。(柳鍾泳氏が、「副官なので、ついて来なければなりません。」と答える)

 夫婦が、「ぷぶー。」とするのが、夫婦です。分かりますね?(「はい。」) 「自由」と「平和」と「幸福」が満ちている「天一国」の主人が、"私”です!(「アーメン。」)そのように言うことができる人、手を挙げて、神様の御前に誓いましょう。(「アーメン!」) (録音の音声が、しばらく途切れる)

 サタン世界は死にますが、わたしたちは生き残るのです。(録音の音声が、しばらく途切れる) これを録音して記録したものを、苦労して探して、 勉強して知ることも嫌ですか? わいわい騒いで食べて、下痢をし、おなかが裂けることを知らないのですか? 十里の道を行ったのなら、十里の道を行ったその分だけを恵んでもらって食べても、感謝して行かなければならないのに、千里の道、万里の道を・・・・・・そのように行くならば、どうするのですか? (録音の音声 がしばらく途切れる)

 (「アーメン。」)どこに行くのですか? 急いで行きますか、力強く行きますか? 力強く!(「力強く!」) 前進しなければなりません。さあ、そのような人は、 全員、こぶしを握って、神様の御前に、「私は、誓います!」(「誓います!」) 忘れてはいけない、というのです。

 これは、すべて録音されています。「どこどこに行きなさい。」と言えば・・・・・・。今から、人事処置をして、 「この人は、アフリカのどこどこに行き、この人は、アフリカのどこどこの国に行って、責任者になりなさい。」 という、そのような人事処置をしたからといって、不平がありますか、ありませんか?(「ありません。」)

 不平がなければ、先生の目を見て、「ありません。」と言わなければならないのではないですか、目を見ないで、口で「ありません。」と言うのですか? もう一 度、言ってください。(「ありません!」)この者たち。 (録音状態不良により、聞き取り不能)

 門をすべて開いたので、皆さんが、国と世界を動かすことができるところに向かって走る勇士となることを願いながら、先生の元日、最初の朝のみ言を終えようと思います。(「アーメン!」) (拍手) さあ、気をつけ! 敬礼ですか、敬拝ですか? (「敬拝です。」)(お母様が、「上がってきてください。」 と言われる)降りてきてください。ここから行くのではないですか? 降りてきてください。従順なお母様、万歳。

 (郭錠換会長が、「黄善酢会長の先唱で、万歳をいたします。」と言われる) 気をつけをして、敬拝はしないのですか? (「敬拝してから、万歳をいたします。」)(笑い)

 敬拝をしてから、万歳をしなければならないでしょう?  あまりにも喜んで、忘れてしまったのでしょう。 ( 「立ったままで、敬拝をおささげいたします。天地父母様に敬拝! 直れ。万歳三唱いたします。」)

 (「待望の二〇〇二年を出発しながら、全天宙が震動するように、「天一国」安着を誓う万歳三唱をいたします。「神様王権樹立勝利万歳」、「勝利された天地父母様万歳」、「第三十五回 〔真の神の日] 万歳」、このようにいたします。」)

(万歳三唱)

 「天一国」には、主権と国(土)と民が必要なので、昨年に・・・・・・。(録音の音声が、しばらく途切れる) 「神様王権即位式」が、主権復帰であり、その次には、神様の祖国定着が国土復帰であり、その次には、 「天一国」国民が、入籍するのです。分かりますか? 今から、カードを持って民になるのです。 ですから、国が形成されるためには、主権と国土と民が完備された上で、このような「天一国」の万歳定着(安着)を宣布したという事実を信じ、神様のように自信を持ち、文総裁、真の父母のように自信を持って、一気に押し出すところには、押されないものなどないということです。

 それでは、大きい者を押しのけますか、小さい者を押しのけますか?(「大きい者です。」)その国に行けば、大統領に会わなければなりません。会わなければ問題になります。わたしは、米国に行って、トップの人に会ったのであって、下にいる人には会いませんでした。

 ですから、今では、「訓読会」も、その国の国家首相を中心として、国会で「訓読会」することができる時代に入ってきました。分かりますね?(「はい。」)そのような環境になったので、今、わたしが語った内容、主権と国土と国民のすべてを準備したので、「天一国」宣布とともに、ここに、解放された万歳安着が成されることは間違いないということを知って、その上に立ち……。 

 恐れるものが、どこにありますか? 分かりますね?(「はい。」)国会に訪ねて行って、国会議員たち、

与党と野党の党首に会って、「私の言うことを聞いてください。「天一国」に加入してください。私は、闘いを止めにきたのであり、自由で、平和で、幸福な国を紹介するために来ました。」と言うのです。分かりますか?

 「自由」と・・・・・・、(「『平和』と。」)「平和」と・・・・・・、(「『幸福』の。」)「幸福」の息子、娘として、「天一国」の家庭定着万歳を叫ぶことができなければなりません。 そうして、その国の王国創建のために先頭に立つことによって、与党と野党が闘わずに一つになってこそ、 南北をすべて消化することができるということを理解しなければなりません。そのようにして南北が一つに なってこそ、アジアを消化することができるのです。

 アジアを消化すれば、この全世界、天地を消化することができるということは、間違いありません。それで今回、イエス様を中心として、キリスト教の有名な人、四大聖人を中心として、その有名な人に、真のご父母様に関して証しさせてあげなければ大騒ぎするので、証ししてもらったものがあります。それが、今から発表されるでしょう。

 皆さん。疑ってはいけません。そこに、自分の信念を完全に加えて、「ドイツ人を代表して、このようにしているので、ドイツの者たちは、私に従って来なさい。」 と言うことができる度胸を持って、宣伝しなければなりません。

 それを躊躇する人は、足が折れたり、生殖器が曲がったり、故障したりするのです。”勇敢に行く「正道」 には、道を踏み外すことはない。”という、自信満々な 歩みで、出戦し、接戦をし、勝利することができるような自信を持てば、「万事亨通(すべてのことが滞りなくうまくいくこと)」・・・・・・。(録音状態不良により、 聞き取り不能)

 ・・・・・・信じて共にすることを願いながら、心残りですが・・・・・・。見栄えの良い顔をもっと見ていたら、わたしが、朝食を食べることができないので、出発します。 さあ、それでは、さようなら。(「ありがとうございました。」)

<完>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.06.13 22:46:33
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