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楽天ブックス: 阪急電車 - 有川浩 : 本時々、拝見させて頂いてるブロガーさんが絶賛されていたので、興味を持ちました。前にも何度か触れていますが、私は中学生まで、この小説、『阪急電車』の舞台となる阪急今津線沿線に住んでいました。主人公・・・(何人ものヒロインが登場しますが)、後輩に裏切られ、許婚に裏切られ、その結婚式に、ウェディングドレスで参列して艶然と微笑む「中谷美紀」役の女性が、戦い済んで、心折れかけて降りる駅が、私の馴染みの駅でした。ああ、そうそう、駅にツバメの巣、あったよね。 毎年、気持ち良さそうに飛んでた。その頃には駅の裏側の山手は、新緑がむせ返るようだった。あの坂を下りて数メートル行くと、同級生のお父さんが営むケーキ屋さんがあった。あのまま並木道を歩くと、イイトコのお嬢さんの行く、とても有名な学校があったんだ。おさげ髪に制服、自分と違う世界を感じたんだよな・・・。そうそう、垢抜けない流通量販店があって、・・・(笑)、二月に一度くらい、父に連れられて植木市へ来て、何か一鉢買って貰ったりしてた。・・・あの先の総合病院で、膿み崩れたしもやけの治療を受けたんだ。 11、12の冬は、何故かしもやけがひどかったんだよな・・・手指の甲がずるむけていた。消毒治療を受けるだけだと思ったのに、寝かされて首から血管を広げるという注射をされ、動けなくなってしまって、・・・帰宅が遅いので、迎えに来た母が寝台に横たわる私を見て、びっくりしたんだ。・・・おおっと、景色を想像するだけで、脱線が止まらなくなりました。(汗)正直に言うなら、・・・私は、余りこの話、『阪急電車』は、余り好きじゃありません。文章は綺麗です。 こういう文章は決して嫌いではないのですが、・・・御伽噺として読まなければ、心がもにょもにょしてしまう・・・当然ですが。どうして、手放しで好きと言えないんだろう・・・?・・・映画のサブタイの、「片道15分の奇跡」が、少し辛い程。でも、リアルに光景を脳内で再現できるほど、小説の描写力は秀逸です。もし、私にとって知らない場所で、憧れだけを胸にして読んだら、これ程、心温まる話も無いでしょう。・・・良い話です。 で、あるが故に、ご都合主義的、と感じてしまうのは、作者に酷かもしれません・・・。舞台が同じでも違うタイトルなら・・・また印象は違ったかもしれませんが・・・、憧れと現実を同化する危険性は、常にフィクションに内在するもの。小説のように、気持ち良く正邪がハッキリしておれば、世の中はもっと生き易い筈。・・・ちなみに沿線の人は、この本に出てくる、香水のきつい唯我独尊的女性を、ありゃオオサカのヒトだと。今津線沿線にこんなえげつないヒトがいるようなことを書くなんて、と、怒る人もいるそうです。(関西でも、色々あるんです・・・。)阪急電鉄は、・・・まあ、お客さんを増やすチャンスですから、社を挙げて映画のプロモーションのお手伝いをしています。阪急電車に乗ったら、映画のポスターが一杯です。小説に出てくる老舗宝塚ホテルは、きっとお客増えたんじゃないかな? 綺麗なホテルです。多分、この小説は、例えば10年前に読んだなら、私はまた、違う感想を持ち得たのでしょう。『いいじゃない、子供の頃に見た光景を映画館で見るって、興味ない?』妹に映画に行かないか、と誘われましたが・・・多分、私は、思い出をスクリーンの中に探すより、ぼうっとしながら思いを馳せる方が合っているのでしょう・・・。こんなに薀蓄臭くなるなんて・・・年をとったんだなぁ・・・私(嘆)阪急電車映画公式HP
2011.05.23
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楽天ブックス: アレックスと私 - イレネ・マクシン・ペッパ-バ-グ : 本もう、大分前の話ですが、アレックスが死んだ、という情報は、私にとって少しショックでした。有名な、あの天才ヨウム、アレックスです。ヨウムの寿命は50年~80年、おそらく、私が今からお迎えしても、私の方が先にあの世へ旅立ってしまうでしょう。それだけは、決してしてはならないので、私がこの鳥をコンパニオンにすることは、有り得ないのですが、この愛すべき鳥を知ったら、コンパニオンアニマルにしたい衝動に駆られることも、無理からぬことです。・・・しかしアレックスは寿命より大分若い、31歳で死んでしまった。・・・死因は、・・・後に、動脈硬化といっていましたか。やはり人の暮らしに即して生きる、ということは、動物に並ならぬ負担を与えるのでしょう。イイコデネ、アイシテル。彼が、相棒だった女性学者に残した最期の言葉。これが単なる記号の羅列であったとは、とても思えないのです。アレックス←youtube
2011.05.22
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年末、要らない本や漫画をBOOK OFFに送った。70冊で、しめて1400円也。これが、高いのか安いのかはさっぱり判らないけれど、捨てることを思えば、ずっと良い。この頃、身の回りを色々整理しているのだけれど、やっぱり捨てることには抵抗がある。物を買う時は、捨てる時の事を考えるべき、ということかな、ダンシャリアンへの道は険しい。***で、溜め込んだマンガ本を久し振りに取り出して、久し振りに読んじゃったりする。読んで久々泣けたのが、萩尾望都『マージナル』。老いて壊れかけた地球、そして病みついた人類、「外」からの統制によって辛うじて保たれている平和と安定、誰もが衰亡を感じ、死を意識しながら希望を持とうと生きる人々。砂漠の真ん中の「センター」は、科学力で鉄壁の守りを作り、科学人が地球をコントロールしている。「センター」の外の人間は、部族制を作り、砂漠の民として素朴な暮らしを守りつつ、己の理解の届かない、彼らにとって未知なる「センター」の存在を認めている。彼らは全て男。 「子供」は、センターに居る聖なる「マザ(聖母)」(唯一の女性)が、宿し、全ての部族に分け与えるシステムだ。しかし「マザ」は老い、子供が生まれず、砂漠の民の間では、「高齢化」が進むにつれて、誰もが明日を憂い、世界を憂い、責任や原因について考えるようになる。そして「マザ」や、「センター」が、元凶であるとする部族が、「マザ」を暗殺し、「全人類の母」を失った「世界」は、絶望と、新生マザによる革新の期待に怯えながら、混沌の渦に巻き込まれてゆく。***センターの長官、メイヤードと言う男は無知な砂漠の民を蔑み、不毛だと嘲りながら、彼らを生かす為、地球を調律する責任者を務めている。彼についてネタを明かすと、まんま作品を明かすことになるので書けないが、最初から、不思議な魅力を持つキャラクターで好きだ。不毛の地球を捨て、月へ移住し、普遍的な人類としての生活を送りながら、感情の起伏に乏しい女性が、最後にメイヤードを想い、激情を迸らせて泣くシーンがある。(地球以外では、女性は存在出来る)『なぜ彼(メイヤード)に言わなかった愛してると』そう問う男性に対し、『言ったわよ、足にすがり付いて言ったわよ彼はオクターヴ家の継承権も財産権もカンパニーも私にくれたアルファケンタウリもくれると言った それなら私は全部もらうわ!愛のほかは全部くれると言った!』そう言って子供のように泣き崩れる女性の姿はまんま病んだ社会と、どうにもならない人間のシステムや、その関係を表している。知性や科学が為すすべも無い、悲しい幸せの在り方や、その末路を見るようだ。私の中で、萩尾氏の作品は、第一から第四期に分けられ、丁度、この作品は第三期に当たる。安易な耽美に走らない男性同士の愛、美しい描画と、発想のオリジナリティ、歌うような、流れるようなことばに、昔の私は、骨の髄まで染まっていた。萩尾氏のSFは、やはり絶品と言って良い。読むと心を揺すぶられる。・・・今は、それが描けなくなられているんだよなぁ氏は・・・(至極残念)。これらの本は売れない、処分出来ない。と、結論付けたところで、BOOK OFF行きの箱から救出、再び本棚に納めたのだった。(笑)
2011.01.14
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長距離移動の列車の中で、私は、伊藤計劃の虐殺器官を、読んでいた。***不真面目な大人になった私が、小説を最初から読むことは稀だ。大抵導入をすっ飛ばし、途中からラストまで読んで、面白ければ、最初に戻って、再度ラストまで読む。それがこの小説は、一番最初から、一文字一文字を大切に読むことが出来た。タイトルを見て判るように、内容は凄惨だ。しかし、どこか絶対的な流れがあって、読み飛ばす事が出来なかった。フィクションとノンフィクションが、間断無く続いており、錯覚を起こさせる。それがノンフィクションと判っていても尚、漆黒の近未来の可能性を思わずにいられない。・・・いや、本当の「漆黒」は、もはや普遍となった『悲劇』が、世界のどこかに必ず存在するという事だが。***「SF」は、とかく『世界』を終らせたがる傾向にある。技術の進歩や、時代における革新性は、その裏面に必ず存在する、社会の格差や、人の「エゴ」と、無縁ではいられない為。そして、脈々と続く勧善懲悪の法則に、大なり小なり嵌ってしまう。其処に、多少哲学のスパイスを効かせれば良い。実は、SFに対し、そんななめた考えを少し持っていたのだが・・・。・・・エゴを下敷きにした社会に棲み、都合の悪いものを、見ないようにして生きるしか術の無い私たちに、現実は、鈍痛となって降りかかる。この『虐殺器官』は、『スターバックスの普遍性』を享受して生きると言うことについて、考えさせられる。世界とはなんだ? 個とは、罪とは?・・・『ことば』は、有形無形の『呪い』なのだと思い知らされる。(何しろ、主人公の食べていたハラペーニョのピザは、きっとこれから食べられない。・・・これは冗談だけれども。(苦笑))***私が、この小説を読もうと思ったのには、もう一つ理由があった。作家の伊藤計劃氏は、もうこの世にいない。彼は去年、病に苦しんだ末、亡くなっている。 ・・・享年34歳。新進気鋭の作家として活動したのは、およそ一年半。解説に、『両足がなくなってもいいから、僕はあと二十年、三十年生きたい。書きたい事がまだいっぱいある』という、伊藤氏の言葉を、お母様が代わって語ったくだりが紹介されている。小説で、あれほどリアルに「死」を表現しながら、病床で、死の恐怖に怯える彼の言葉が紹介されている。閉鎖されていない本人のブログは、去年の一月、「今年も宜しくお願いいたします」を最後に、更新されていない。・・・私は、涙を流さずにいられなかった。・・・青くたっていい、私は、貴方のために『実存』についてしばし考えたい。
2010.05.16
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先月、ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー氏が亡くなりました。正直なところ、ご存命だったということを知らず、驚きは寧ろ、そちらにあったのですが、学生時代に読んで以来、全く手にとっていなかったことを思い出し、引っ張り出してみました、『ナインストーリーズ』。(私は『ライ麦畑でつかまえて』は、借りて読んだので持っていません)***すごいわ、・・サリンジャー。ああ、彼の文章は読み始めたら、もうブレーキが利かない。時代も異なり、文化も違うのに、ぐいぐいと惹き込まれて行く。ビアス、ダール、ローソン、・・・学生時代は、色々な作家に出会いましたので、それらのうちの一人、という感覚で、特別好きでもなかったのですが、改めて読んでみると、いま尚衰えぬその新鮮さに、ガツンと来ます。とはいえ、『ライ麦畑~』を読んで、外に飛びだしたくなるほど、青臭い自分はとうの昔に捨てましたし、それが許されるのは二十までですが。と言っても、年をとってからの彼の作品は、それはそれで鮮烈で。文学作品というのは、人生において少なくとも二度は読まねば、その真価は測れない。そんな気がします。そして、今回読んだ本の訳者、野崎孝氏の対訳が、サリンジャーの描く病んだ心、澄んだ心、優しい心を、読者に厭味なく伝え上げます。『The Catcher in the Rye』に、『ライ麦畑でつかまえて』という斬新なタイトルを付けた人ですが、今でも古臭さを感じさせない、磨き上げられた言葉の一つ一つが、読者の心に染入るように入ってくる。サリンジャーと同じ目線を持ち、言葉を知りぬいた方の、素晴らしい対訳です。今回、サリンジャー同様、野崎氏の訳に感動しました。余談ですが、学生時代、縁あって、一回だけエレナ・ファージョンの児童向短編を試訳しました。私なりに頭を絞ったのですが、先生に添削していただき、帰ってきた原稿を見て、驚きました。ある程度、予測はしていましたが、添削で、完膚なきまでに真っ赤でした。対訳というのは、自分の言葉を注ぎ足すものではないそう、書かれていました。そして、参考として先生の言い回した訳を注ぎ込んでみると、どんなに頭を捻っても、出てこなかった言葉が、先生によって導き出されて、まるでパズルのピースのように、かちりと音がするように、その文章に嵌るのです。勿論、英語力が無ければ、訳以前の問題で、私に高度な力など無かったのですが。ああ、訳者というのは、こういうものなのだ、作者に忠実で、作者の意図から寸分たりと外れてはならない、作者の言葉は『絶対』で、同じものを描写しても、一つの言葉の脚色もあってはならない、それを深く感じ入り、恥じ入った出来事でした。今回、サリンジャーを読み返してみて、その音楽のように流れる、美しい文章と共に、サリンジャーと、彼よりも先に亡くなった、野崎孝氏にも思いを馳せました。サリンジャーが筆を折らなければ、世の中に、もっと彼の作品が溢れたかと思うと、残念でなりません。彼が亡くなった自宅に、彼が遺した作品が残っていないか、実はとても気になっています。自宅に高い壁を作り、人と交わる事を拒み内側へ向かっていったサリンジャー。彼は、常に人を描きながら、こうあるべき、かくあるべき、と言う断定を一切せず、ただ、綺麗にそこに並べてくれた。嫌味なひとも、可愛いひとも、困ったひとも、皆そこに、必要不可欠な存在として並べてくれた。ご冥福をお祈りすると共に、彼への感謝を此処に記します。
2010.02.08
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血迷って、「一撃必虫ホイホイさん」を買ってしまいました・・・。20XX年、一切の害虫駆除剤を克服した某害虫を退治すべく、日本企業により作られた、超小型害虫駆除ロボット「ホイホイさん」。(名前で害虫が知れようというもの)この可愛い萌え系な風貌で、銃や刀を振り回し、容赦なく害虫を退治するのです・・・。頼もし~!かっこええ~! ・・・いや、いやいや。だぁぁぁっ!!! ヤツ(害虫)の姿なんか、イラストにしたって見たかないやー!!!途中で、思わず本を閉じてしまいました・・・。こんなロボットが家の中で死闘を繰り広げる時代は、チョーごめんです・・・。***今日はこの他に、こうの史代←wikiの「この世界の片隅に」、を購入。・・・「この世界の~」は、きっとドラマ化か、映画化するだろうな。「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ笑うてわしを思い出してくれそれが出来んようなら忘れてくれ」時代は第二次世界大戦の只中。広島から呉に嫁いだ、優しくて、感受性が強いけど、ちょっとぼんやりな女性「すず」と、彼女の生きる世界を描いた作品。上の台詞は、すずがかつて思いを寄せていた、水原という水兵の言葉。「鬼イちゃん」こと、すずのお兄ちゃんが石片となって帰郷し(遺骨がない)、物価はどんどん上がり、物資も乏しく、空襲によって死ぬ人を間近に見る時代。昭和19年という事は、翌年終戦。広島ー呉が舞台という事は、あの世紀の惨劇の描写は避けては通れない。のんびりした絵柄、戦時下の窮乏を、笑いに換えるこうの氏の画力は流石だけれど、巻が発売されても、見るのに、ちょっと勇気が要りそうな気がします・・・。***・・・そしてもう一冊、「週刊世界の美術館」は、世界の有名美術館に行った気になるのに適した一冊。どんなに綺麗なカラー印刷でも、当たり前ながら本物に叶う訳がないですが、自宅に居ながらにして、世界の名画を拝めるなんて、有難い世の中であります・・・。別に週刊じゃなくてもいいじゃない!?と思いますが・・・。^^;(全て購入する気はないんですけれど・・・。)高いクオリティの紙や印刷を使わないといけないし・・・値段が高くても仕方ないか・・・。
2008.08.02
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「模倣犯」を読み始めたら、止まらなくなりました。明快なストーリー展開、テンポも良く、描写も端的、私の好きな筆致で、ぐいぐい物語の中に引き込まれていきます。しかし、人が、ある日無残に殺されて、その遺族が、犯人によって愚弄され続けるのを見るのは、甚だ腹ただしい。これが5巻まで続くと思うと、少し憂鬱な気にもなりますが、ここまで来たら、この冷酷無比の犯人が、如何に裁きを受けるのかを見届けるまでは、読むことをやめられない。映画では、中居正広が好演したと聞きました。と言う訳で、映画を観ても居ないのに、今、私の目に映る中居君の全てが犯人のそれ。ああ、憎憎しい・・・。(役の上でね)だけど、電車の中で読むことはデンジャラス。熱中しすぎた私は今日、目的駅で危うく降りそびれる所でした。^^;
2007.11.21
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