2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全4件 (4件中 1-4件目)
1
ライフライン復旧や、復興の動きや、明るい兆しも出てきてますが、自体が見えてくるにつれ、今後の大変な状況を益々感じています。金曜から会社に行ってますが、自宅や実家が倒壊した人、親族の安否がまだ分からない人、交通手段なく通勤できない人、2時間以上も歩いて通勤してる人、とにかく尋常じゃない状況・・。私はお昼用にカップラーメンとおにぎりを持って行ったのですが、ふと見ると、お昼食べてない人が何人も・・・。家族いる人は大体おにぎりで、暖かいラーメン食べてるの私ともう一人くらい。考えてみれば、一人暮らしの人や、小さい子供いる人など、仕事来たりしてたらお店の開店に並ぶこともできないし、早朝や夜に営業してる店なんて皆無。カップラーメンどころか、ほんとに全く買い物できませんよね・・・。自分の甘さと無神経さにいたたまれない気持ちでした。うちの会社、沿岸部(女川、石巻、気仙沼、岩手営業所は盛岡の漁業関連)のシステムを手がけてる人も多く、恐らくそちらの仕事は当面ないのでは・・・。他にも今後新たに今今システムを導入するとか、改善する企業もないだろうし、仕事なくてあぶれる社員が出るのは必須。会社も収入激減の中、なんとか社員には給料出さなきゃないし、私は十中八九というか、100%最初にクビでしょうね・・・。このさき別のパートなんか見つからないだろうし、私ら以上に切実に困ってる人が働くべきだしね。今ガソリン無いとか、買い物できないとかはそう遅くないく元に戻ることですが、人生が変わってしまった方々が本当にいっぱい。東北というか、日本全体、どうなって行くんでしょうね・・・
2011.03.19
コメント(2)
栗原市の実家が無事ライフライン復活です(うちは12日に電気、14日夜に水も復旧済み)水はもともと井戸水使えるし(水道の半分は今も井戸引き)、大きなガスボンベもあって電気以外はなんとかなってたようですが、無事に電気と携帯が復活し、エコキュートなのでお風呂も入れそうだし一安心です。今まで暗い中で1週間暮らしてたので、やっと新聞以外の外部情報も入ることに。TVも見れて、今回の地震の被害状況が始めて分かったってのはあるようですが・・・。ガソリン、物資の不足はどこもかしこも同じなので、そういう部分は田舎の農村地区はまだいろいろ食料はことかかないしある意味仙台よりいいかも。仙台の中心部は都市ガスなので、こちらの復旧は早くても1ヶ月以上とか。ガスの供給施設がダメージ受けてるからのようです。都市ガスの方々はその間炊事もお風呂も不便。仙台駅も多大なダメージで電車・新幹線が開通するのはいつのことか・・・。でもライフラインが沿岸部被災地の方も少しずつではありますが復旧しはじめてるし、なんとかこの寒さ乗り切って、被災者も、寒い中復旧に携わってる作業者の方も頑張って欲しいです
2011.03.17
コメント(0)
予想もつかない大惨事が発生です・・・。かつて経験したことのない長時間の揺れ。私はビルの4階でしたが、机にしがみついてるのがやっと。その間に電気が消え、でも揺れから身を守ることがやっとの長い時間。外に出ても余震が続き、解散することになって、初めて信号も何もかもが消えていることに気づいて身震いしてしまう。全ての電力が消えた状態で、私の職場は仙台随一のオフィス街でもあり、県庁市役所もあり、とにかく人・人・人。自転車押しながら人の合間を縫ってなんとか帰宅。たまたま3時に沿岸沿いでアポがあった旦那が、お客さんから4時に、と変更され、時間があいて区役所の駐車場で電話してた時とのことで、そこから保育園は5分の距離で蘭丸はすぐに確保。すぐに自宅に戻ることもでき、運よく地震発生から1時間以内には自宅に家族全員戻ることができていました。その日は寒く、雪も振り、そして電力のない真っ暗な街・・・。当初、旦那実家の寒河江に向かおうとしましたが、全く進まぬ車の列に断念し、自宅に戻り、余震も少し落ち着いたので自宅でピコも一緒にみんなで寝ました。一番震度の大きい地域がまたまた栗原。ずっと連絡つかず、家の倒壊も頭よぎってましたが、妹と家も人も無事とメール連絡が取れました。とりあえずは安心しましたが、2日目以降は全く連絡つかず・・・。そして本日、地震から4日目、昼に父携帯からまさかの着信。携帯つながる地域があるとのことでそこからの連絡でした。祖母の透析、父の糖尿、しかも地震3日前には母方祖父が肺炎と連絡貰ってたし、どうなってるのか全く分からずで、途方にくれてましたが、とりあえず病院にも行けて、みんな体調も崩すことなく大丈夫とのこと。一安心です。でも。まだ仙台の沿岸部に住んでて連絡つかない親しい友人がいます。実家が津波で流された友人がいます。(家族は無事)親族に安否確認が取れないままの友人がいます。まだ暗闇、断水で過ごしている友人がいます。私は幸い、地震の翌日には電気が回復し、オール電化だったので調理の心配もないです。断水は続いてますが、近くの公園から必要なだけ水は取れます。隣の家の井戸から風呂いっぱいの水も引けてます。近くのコンビニやスーパーの営業にも行けて、不足な物資も食料もありません。とても幸運に恵まれました。でも、実家も、周りの友人知人もまだまだ暗く寒い中、周囲と連絡も取れない中で過ごしています。この先の復旧の目処もないまま・・・。直接の知り合いじゃなくても、多くの人が当たり前の日常が一瞬にして奪われ、表現しようのない状況になっています。とにかく、1日も早く、最低限のライフライン、物資の供給を望むだけです。
2011.03.14
コメント(2)

先週、かつて新入社員で入社した会社の同期での飲み会でした。2月で早期退職制度で2名が退職する、ということでの集まりですが、同期、入社当時は30名でした。それが辞めたり、関連会社に移籍したり、今回の二人の退職で、生粋の残留者はもう男女1名ずつらしい・・・。減りましたね~。今回は男10名前後、女子3名で、まぁ、元々飲み会やイベントというと参加するメンバーが集まった訳ですがみんな今じゃパパ・ママです。20代後半に結婚してる人が大半なので、私はほとんどラストに近く・・・。女子二人とはうちの会社が5年前に引っ越して超近所になったので(元々近かったですが)、今も月に何度かランチしてて久しぶり感はないけど、男性陣は数年ぶり。でも昔からいろいろ話したり、悩み打ち明けあったりしてた間なので、ほんと学生時代の友達みたいに、青春時代(?)を共有した同士なので楽しかったです。私は2次会途中からの参加でしたが、何年かぶりに1時半過ぎまで楽しく過ごしてきましたそして、そんな午前様の次の日。用事もあり丸と実家へ。初めて往復高速バスを使ってみました。乗ってる時間はジャスト60分ですが、行きはお昼ご飯食べながら、帰りはお昼寝しながら、と心配してましたがいい子でちゃんと大人しくできました行った翌日。隣の家の牧草畑、実家とも隣接してて、玄関からわずか10秒でこの広大な遊び場独り占め。爺ちゃんが用意しててくれた凧揚げを1時間も満喫。そして、隣の牛は訳あって全て手放してしまわれたので、200m離れた乳牛をたくさん飼ってるお宅の牛舎に遊びに。私は寒いし飽きてすぐ帰りましたが、丸と爺ちゃんは30分以上遊んでました。暖かい日から急に寒くなった週末でしたが、子供は寒さも感じないのか、何時間もお外満喫です。
2011.03.01
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

