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年初より お誘いあった会合に出席の為 3月31日からお気楽な一人旅に出かけた。
呉」で やろうとなり、その目的も、戦艦大和の原寸の1/10サイズの模型館や 実物の潜水艦を見学しようという趣向に、久しぶりに子供に帰り、一も二もなく参加申し込みしたもの・・・・・。
偶々JRのツアーを調べて、関西から岡山迄の「のぞみ」を乗り換え、特急「しおかぜ」で瀬戸大橋線経由で松山に向かい更に松山観光港から船で呉に行き、広島経由「のぞみ」で帰阪する格安ツアー切符を見つけ 二泊三日の旅を企画し、これが丁度早目の桜鑑賞旅行ともなり、春旅を楽しんで来た。
松山では下調べもせず、道後温泉方面行きの電車に乗り込んだ為、これが松山市駅行きで松山城方面に戻るのに予期せぬ徒歩行となったが 、まあそれも一興。
先ずは県庁裏手の旧松山藩主久松定護 別邸「萬翠荘」と その庭園の見事な桜を見物。
初日目的地の安藤忠雄設計の「坂の上の雲ミュージアム」をじっくり見学させてもらった。
司馬遼太郎が40代ほぼすべてを費やして小説「坂の上の雲」を完成させた訳だが
秋山好古・真之の明治期の軍人としての生き方や正岡子規の文才が集積したのは、此処松山の風土と歴史が大きく貢献していた事が 改めて理解できました。
世界的には当時新興国にしか過ぎなかった明治日本の若者たちの向上心が如何に純粋で、
又時代の流れも 日本に味方して衰退期ロシアに辛うじて負けずに矛を収め、そのことを心に刻んだ軍人の謙虚さこそ、日本の教示として伝えてゆくべき処、
1905(明治38)年 5月7日 日本海海戦当日連合艦隊出撃に際し
司令部幕僚
秋山真之が起草した電文「本日天気晴朗なれども波高し」と付け加えた
。 
内務大臣を辞して降格人事を自ら志願し満州軍総参謀長となった児玉源太郎は日露戦争直後55歳で、日本海軍の名参謀 秋山真之は大正7年49才の早世も災いし、
結果的には『勝った勝ったの下駄の音』よろしく神国日本の説話のみ信奉する国民と、それをあげつらう一部軍人政治家の思い上がりで その後の昭和期20年間に我が国の運気を使い果たし、敗戦国日本になっていったのはご存じの如く・・・ 、
昨今の「ええとこばっかりを拾い集め、不都合を隠す」危うき政治手腕に、明治150年期も否定はしないが、過去を三省し、運気を使い果たさぬ事も大事と、道後温泉に浸かって しみじみ思い知った次第・・・。
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