全531件 (531件中 1-50件目)
オリンピックといえば、もう五年前にもなるのか ブラジル大会閉会式でみかけた「スーパーマリオ」を思い出す。今回は どんな扮装でお目見えするのか と 心待ちしてたのに・・・五輪開会式トンズラするんだって?!そりゃないぜ! 世界の良い子達が がっかりするよ。・・・まあ この千両役者のなさる 逃げわざ には 毎回驚かさせるが・・或る意味 マズイと思えば、やりかねぬ事。 例えは悪いが、やることはまるで関東軍最高司令官が大東亜戦争の敗戦を知って、一式陸攻を 一機借り切り、満州から あっという間に 本土に逃げ帰ったり、ビルマ戦線にて累々たる戦死兵を放っておいて、牟田口中将が「敵情視察」を名目に、現地の一族郎党や、接待所の芸者衆も 載せて帰国したとか?しなかったとかの手合いと、同じ行動を取るのは、日本の支配者層の『お家芸』・・考え方や やり方は 同じ・・・然し ほん先日まで 『五輪を祝さぬ人々は、全て「反日」だ!! 』と 叫んでおられたのは、何処のどなた様だったのやら?・・・。そういえば去年も「おうちでワンチャン抱えて」眼鏡越しにニッコリ休養されていたのを思い出す。 まあ そうやって 休める内が華!!。それとも拘置所で当分暮らす内示でも貰って 歯ブラシや着替え他の準備に大童なのかもね!?・・
July 23, 2021
コメント(0)
”すったもんだ”の挙句、2021年7月23日(金) 午後8時~11時にかけて、五輪貴族以外は 無観客の 壮大に無駄金を掛けた会場で開会式が開かれる事となった・・・。今上天皇は 一回だけコロナワクチンを召された御身お一人で、もしやと思う国民の身を、逆に案じつつ 御出席されるだけに、心からこの開催を歓迎する御言葉を述べられるとは思えず、「生涯をかけて国民と雅子妃殿下」をお守りする御気概で、妃殿下や皇族へ欠席を指示されたと拝察し、心ある国民は皆 心痛めている。こんな国民や 不遜にも陛下の御身を無下にし いずくの貴族か男爵相手か知らねど、迎賓館を我がもの顔で接待に使うこの不逞な輩こそ「復興五輪」は口先ばかりで、とてもじゃないが、コロナウイルスに打ち勝った証のオリンピックになるとは、思えない・・・。今後共 日本国民の世界に向けた 恥さらしの始まりになるのだろう・・世界中から出場する選手達こそ良い面の顔で 一切その責を負う必要はないが、「バブル方式」などという、相変わらずの 浮かれた言い回しで「ニッポン無責任節」宜しく 『南無 安心安全々々 喝!』とさえ唱えておけば「そのうちなんとか♪なるだろ~う・・」とのご宣託としか 聞こえない・・戦う選手達が無意識に持ち帰る五輪ウイルスこそ、更に今後に世界の恨みを買い、その際は、又々「一億総ざんげ」等と日本国民全体のせいにして 体よく逃げ回る積りなのだろう・・がその付けは、次代の国民が負うことになる筈・・・どこかの C国首脳程の 強心臓を持たぬ我が国の 為政者達は 「花文字で かしやあり との 三代目」ばかりの ぶりっこ政治屋か 成り上がりばかりで、次の政事(まつりごと)(祭り事)や稼ぎ口 をほじくり出し 挙句は日本国を食いつぶし 滅ぼすお積りらしい・・渋谷や 高田の馬場駅前等で 政治に見向きもせず、缶ビール抱え うだこいてる 兄ちゃん姉ちゃんらは 老い先短い爺から見れば、そんな事は どうでもよい と思っている ゆでガエルそのまま、 気の毒だが、君らが行きつく先の 我国や世界は お祭り騒ぎや口先介入ばかりで何の対策を今の政治家がせぬ内「地球温暖化」どころか「地球灼熱化」し、千年に1回の豪雨や台風に高温や地震が次々発生し、次のウイルスが四六時中襲い掛かり、滅びの坂道を転がり落ち始めている・・・地球は 明らかに つけあがった無責任な人類を迷惑がっているに違いない・・
July 20, 2021
コメント(0)
自民党本部は2019年参院選挙に当り、2F以下の幹部連は河合被告に渡した1.5憶円の関与を否定し、今やその責任逃れに汲々となり、「根掘り葉掘り党の内部に踏み込むな」とか宣(のたまわ)っでおいでのご様子で、 公党として見苦しき限りなのは ご存知の通り・・一方 林真琴検事総長指揮する 検察は 全てを抑え済で、一連の真のホシ逮捕に向け、準備万端を整え、後は 実行の日取りを何日にするかを 勘案中だ・・とか・・・!!!それには6/25東京都議選告示 7/4 同開票 7/23~8/8東京オリンピック 8/24~9/5パラリンピック 同8月検察庁人事異動 9月自民党総裁任期 10月 衆院議員任期/及び総選挙期限 とも重なり、余り遅ければ 選挙妨害との異論も出るため、測りかねているご様子・・とか。一番無難なのは、オリンピックの中止が決定?後なら、この時期が、検察が一番踏み込みやすい為、最高権力者及びその前任者は、このコロナ禍の全国民の安全救済や、出場選手の為ではなく、
May 22, 2021
コメント(0)
森友学園への国有地売却を巡り、財務省の決裁文書改ざんに加担させられ、その経緯を事細かく記載した後、良心の呵責に堪えかね自死して迄残した「赤木ファイル」を、国はこれ迄 その存在すら明らかにせず、しかも、その経緯すら 万民は既にあらかじめ 承知しているのに、そんな上から目線の 横柄な態度で・・今更 認めてやろうかの方針だとか・・・???一体何様が 何の職権で、何のお咎めもなきお積りで述べておられるやら?一人の良識ある官僚がそこに至る迄 如何程苦しみぬき 改ざん作業を行ったか?その一部始終を記入している「赤木ファイル」を、同未亡人が裁判所に提示提訴したにも関わらず、今の今まで、ぬらくらとその存在自体もあやふやを企み、隠匿した罪は起点でもある「森友学園への国有地売却」問題以上に大きい証拠隠匿罪として更には黒塗り等もっての外の仕業にて 法廷で裁き、その決済をさせた省のトップ(すなわち財務大臣)が国民に負う罪科として、地獄を巡り巡って 死ぬ目に会う位の 刑事罰を科すべき?で当然 その意をくみ取らせ、忖度させた前内閣総理大臣も 国民に嘘をつき通した罪に、その舌下を抜き取る位の折檻を負わせるべき・・??では (現下の刑法には 左様な処罰は存在しないのは百も承知の上だが ・・・ NHKドラマ「晴天を衝け」に毎週登場の徳川家康が処断した武家諸法度にてほんの百余年前の幕末迄 武家衆の切腹や打ち首が実施された諸法度こそ支配する武家衆に下々が恐れ入り、お上にこうべを下げ、従う作法でもあった筈)更には本来もっと機敏に探索し、その権限を担つている筈の「秋霜烈日」の記章を託された検事職連も 偶々その折の政権を担う者に忖度するは容易いが、それが後々歴史の忖度に耐えられるのか 身の程を知るべきではなかろうか?今や何でもありのアジア近隣諸国人民と我が国民の民度を比べ、上下の采配起点は、その始末を如何にするのか?に託されている のでは・・??
May 6, 2021
コメント(0)
大阪府下では 新型コロナウイルスによる一日あたりの死者が、4/29 過去最高の44人になったとの発表があった。都府県別では東京都の32人(2月/3日)を大幅に上回り、同日の大阪府下 感染者数は1172人という恐るべき数字。大阪府下の交通事故の 死者は 一か月あたり 平均13人だそうだから 単純に 日割り計算比較すると 約0.44人/(一日の交通事故死者)に対し 何と その100倍近い 44人/日(コロナ死者)という恐るべき死者数・・・。諺に曰く 今や 常時在戦場 男子(に限らず女子も)敷居を跨けば七人の敵有り・・とかあらゆる街角で、出会い頭で対人交差し、すれ違う毎に 交通事故の100倍の比率で死亡するとは・・・ 出かける日々は 水杯(みずさかずき)を交わし、厚労省のインチキ接触アプリに騙されず、お互いの無事を意識するのを、何時迄 続けねばならぬ事か・・政府もオリンピックに血道を挙げ、IOC貴族のゆすりたかりに気兼ねや遠慮をせず、 正気に戻り 日本国民の生命を守るを第一に行動され度く。それには医療機関に日銭をけちり、温情頼みだけをあてにせず法律改正し(大学病院・日赤病院・労災病院)等の病床400床以上の公的大病院の医療機関に 重症者や中等症患者を集中させ、入院治療費にGOTO用の5兆円予備予算の ほんの一部を振り向ければ、緊急事態宣言をも出さずとも 医療崩壊もせずに治療の充実を図れる筈・・素人でも判る手はずをせずに、自己中芯の政党政権の 来たるべき衆院選挙対策を優先すればするほど 泥沼化しているのが、我が国の現状なのでは・・・
April 30, 2021
コメント(0)
和歌山県 田辺市のドンファンを名乗る大金持ちの自称色男が 自宅の寝床で裸のまま 謎の死に見舞われたことがある。 もう三年前にもなるのか、最初から犯人は誰かは疑わしいのに 何故か不明のまま迷宮入りし、殆ど庶民の記憶にも残っていなかった好奇心満杯の事件が、今頃になってその若妻が、犯人として逮捕されたげな・・・何故 三年もかかって未解決の事件の犯人が、今頃 改めて 緊急逮捕なの??それを 邪推する方が 余程面白い・・時あたかも コロナ禍の真っ最中!、然も 4/25(日)の衆参3選挙は自民党全敗 とかで、新聞も一面記事にされ、テレビも その報道や解説で一日中 渋い顔付の 総理の言い訳顔が 何度も画面いっぱいに映り込む有様。 で 内閣を支える側の関係者一同としても 面白かろう訳もなく・・・そこで 内閣官房室の 警察庁出身の 某 偉いさんは 民衆の興味を逸(そ)らす 局面打開に、その筋に 「なんでも え~から はよ出せ!」「ほんならこれでは 如何?」 「ほれ それで行け」とばかり緊急指示を出し、4/27逮捕に踏み切ったのでは?事件の場所も 後からなにかと根回しやフォロ~し易い 某2Fさんの地元でも あることだし・・・当面TV や週刊誌・新聞の社会面も コロナや政治向きの話を横目に、この話題で盛り上がり、これに乗って「 忘れっぽくて 御し易い下々も 、上々(かみがみ)の不出来事を忘れてくれや せんかいな~~」と思うてはらしませんやろか~~??「ほれ それからこの前 オーガスタで優勝した松山君に、総理大臣褒賞や!」「女子テニスの 大坂なおみさんも」「アメリカ大リーグの オータニさ~んにも」「夕べ7号ホームラン打った 阪神の 新人 佐藤輝君にも はれ ほれ」と・・ 来たる選挙を目指し、とぼけた庶民から目隠し出来る人選に お忙しい事この上なしなのでは?? ・・・
April 28, 2021
コメント(0)
コロナ禍の大阪府は4/25 ついに「緊急事態宣言発令」で 外出自粛の大阪府下 H氏 居住の堺市より 嫁共々 接種券が届いたのが 4/23日(金)準備を重ね 接種日/接種会場/予約時刻を 下調べ 検討し把握。予約方法には ①堺市HPからNETでPC予約が 一番確実と見るも尚 念のため②TELの窓口での予約が一番混雑すると判断。③残るFAX方式も ある旨で・・。 予約開始日4/26朝9時と同時に①PCはH氏が申し込み、②を嫁にかけさせ、どちらが早いか試す。案の定 ①方式は僅か10分程で 接続出来、初回5/1は無理だったが5/3を 仮確保成功。同時にシステムからの指示で、続けて3週遅れの日程の第2回目予約目前で画面が消失し STOP。嫁分も同様に、同日5/3確保するも、第2回目分の画面が消失し ガックリ!。人口100万都市の堺市ゆえ75歳以上に限定、先行予約許可とは言え 殺到する申し込みに 敢え無く システムダウンか!。FAXも試すも 無駄な努力。中途半端で 数時間が無駄になり、結局はスマホより、短縮TELにて大方数百回は 連続呼び出し。昼食を挟んで4時間がかり、で 電話口に女神!の如きお姉さんの「お待たせしました」の声。すがる思いで経緯説明、改めて一回目5/3(土)9:30 二回目5/24同時刻を嫁共々確保に成功。いや~~ 今や昔。終戦直後の食料買い出し列車に農家との物々交換の資金代わりにタンスから なけなしの反物類を詰めたリュックを抱えて乗り込むのに(幼心にH氏は見てただけで、実際は未経験)切符買っても席がなく、屋根に迄乗って大変(そう)だったのを思い出しました。今の御年寄は 若い頃そんな苦労をしてたのに、まだまだやらねばならぬとは・・参考になりませば とて 奮闘努力を期待します。
April 26, 2021
コメント(0)
今シーズン は 珍しく 最初から テレビで タイガースを見守り続けている。但し 藤波投手が 登板する 試合日は 夕刻6時からの為、投球があぶなっかしく、食事が喉に詰まりそうになるので なるべく見ないことにしている・・。(お陰で 佐藤 輝の 横浜球場での 場外ホームランだけは 生放送を見損ない、残念!!)この20日から東京ドームで始まった T-G 戦 初戦の 凄まじいホームラン攻勢は お見事!!!首位阪神が 2位巨人にホームラン5発を浴びせて10-5で快勝し、2014年以来7年ぶりの8連勝。この日 マルテx2、大山x2 サンズx1本のホームラン攻勢は 今や昔の 1985年 吉田監督の元、阪神 絶好調時の甲子園で「バース・掛布・岡田」がジャイアンツの槇野投手に浴びせ、伝説となった3連続ホームランの折を 彷彿させる 凄まじさで 圧倒・・コロナ禍・緊急事態宣言発令に沈む京阪神の街の人々の心意気を 大いに奮い立たせたに違いない・・そんな思いで 出不精気味な日々を 一喜一憂しながら 日々 大人しく 過ごしております。
April 21, 2021
コメント(0)
東電 福島第一原発の 汚染処理水 の処分を、政府は4月13日、関係閣僚会議を開き、放射性物質の濃度を、国の放出基準より下げた後、海に流す方針を決定したそうだ。それには タンクの水の7割はトリチウム以外の放射性物質の濃度が国の放出基準を超えている為、ALPUSに通した後、技術的にどうしても下げられぬトリチウムを別として、他の放射性物質を基準未満になるまで、海水で100~1700倍?に薄めた後、凡そ2年後から 東電が放出を開始するそうだ。菅首相は「処分は廃炉を進めるのに当たり、政府が前面に立ち 風評払拭に向けあらゆる!!政策を行う」旨。・・その意気や良し・・但し 言葉は言質。幸いトリチウムは放射能のエネルギーも弱く、空気中の水蒸気や雨水などにも含まれているとのことで、体内に取り込んでも、尿と一緒に排出されるそうだし、「先ずは隗より始めよ」・「先憂後楽」の例えもあり、取敢えず 言い出した菅首相から、その処理した水を 「呑み物代わりに!」と迄は言わずとも、充分塩気も含んでいることだし、コロナ禍の予防にもなり、率先して 以降毎日、食前・食後の歯磨きの、口元の濯ぎにお使いになれば、如何??並み居る政府首脳らや東電幹部らは言うに及ばず、賛同する国会議員諸氏にも実行を義務化させ、敷地内の1000個余のタンクに溜まる汚染水の海洋放水で、数十年後 空になるのが先か、為政者の寿命が後かの壮大なテストが始まり、一石二鳥、他山の石 (・・知らんけど・・)ともなりワクワクするほど期待させる 流石に ノーベル平和賞ものの 良いご提案をされたものと、感心している。。。
April 13, 2021
コメント(0)
今朝4/12日朝のTV生中継は、メジャー21年度マスターズ最終日の生中継...。かたずを飲みながら 2位と4打差で 首位スタートした松山英樹のショットを見守った。MAX5打差を保ちながらの バックナイン、15番パー5 の第2打。手前の池を大きく飛び越え、更にグリーンを超えて奥の池へポチャリ。・・・思わずため息!1打罰の第4打はグリーンに乗らず、カラーからパターで狙った第5打は入らず、痛恨のボギー。3ホール連続バーディと猛進中の 同じ組のシャウフェレに 更に4連続バーディで2打差迄迫られ、あわやと思われたが次の16番パー3で同選手が池ポチャ・・まさかのトリプルボギーで3位に後退。最終18番の第1打 松山は 狭いフェアウェイをしっかりセンターキープ。4m近くに2オン後のパターこそ惜しくも外すも、返しを決めパーセーブ。先に -9でホールアウトしていたザラトラス選手を僅か1打差の -10で締め。マスターズに日本人が参戦以来85年とかや、で あの青木や中島らでさえBESTで8位止まり・・ついに アジア人としても 初めて頂点に立つ姿をこの目で確かめられたのは、何よりの語り草・・・数十年 ゴルフを生かじりでやってきた者として 心に刻み付けられた一刻だった
April 12, 2021
コメント(0)

桜便りは表日本は元より北国に向け徐々に北上中の様です。皆さまの土地は如何ですか?とは言え、コロナ禍の元では、いつもの様に 年配者の心構えとして、浮かれ過ぎる訳にも参らず、困ったものです。そんな折も折、奇遇にも 現在 佐世保市 在で 無聊を囲っている、友人が、以下の如く、粋な便りを寄こしてきました。『用事のある時だけの連絡なのに、早速のお手配厚く感謝申し上げます。故郷育ちのオ-ケストラ指揮者の兄( 田口邦夫)が養子婿入り先の水戸で、地方の音楽教育に一生をかけてきたことが少しでも理解されればいいと思って貴兄に連絡して良かったと感謝しています。コロナ禍で無観客公演を余儀なくされ、動画配信を決めた茨城県はその経費負担といい決断力のある県だと評価できます。コンサ-トの趣旨は子供から高齢者まで“みんなで楽しむオ-ケストラ”ですから、楽器の種類、オ-ケストラの編成など学んだ後、モ-ツァルトやベ-ト-ヴェンの名曲を聴く構成になっています。お孫さんたちと共にお楽しみいただければ幸いです。』とありました。送られてきた『いばらき文化振興財団』のWEBを解析した結果、次のアドレスで田口邦夫氏の指揮の元【3月1日より】みんなで楽しむオーケストラ 動画配信ページが ザ・ヒロサワ・シティ会館https://www.ibarakiken-bunkacenter.com のイベント情報頁 http://icf4717.or.jp/performance/ の【3月1日より】みんなで楽しむオーケストラ 動画配信ページをクリックしフル版/1時間45分 ダイジェスト版/6分余でYOUTUBEに編集して掲載されていますので順番として 先ずダイジェスト版で、舞台装置が組まれる様子から拡大して見物し、改めてフルバージョン版でモーツアルトからベートーベン迄楽しんでみるのも有りかとも思います
March 30, 2021
コメント(0)
2019年参院選の大規模買収事件で公職選挙法違反に問われ、公判で無罪を訴えていた元法相で衆院議員、河井克行被告(衆院広島3区、自民党を離党)が 23日、一転して選挙買収を認め、議員辞職を表明した。辞職に伴う補選は 自民党に勝算もない為、次期衆院選に吸収される方向付けする為なのが、見え見え。2F幹事長が 河井克行被告本人に、「そこら辺りの日程迄 裁判頑張ったら、貴様ら夫婦に渡した銭1.5憶円を帳消しにしたるワイ!」位 入れ知恵したのだろう・・どうせ、党費というより、税金でそれを掴み金にしたので、痛くも痒くもないのだろうし・・・それより、2F幹事長が河井克行被告の公選法違反事件について 「党(自民?)としても他山の石として しっかりと対応する」とは どういう意味??? 訳分らん事を 認知症?気味に云うので、判り易く解説して置く・・と自分処の 飼い犬の糞まみれの 石ころを 他所の庭に放り捨てておいて如何にも他所(他山)にあったかの様な 無責任な事を言い散らかしては 臭くて汚くて、近所迷惑な話。お宅が餌を食べ放題に与えて置いて、まるで他所事みたいに言いふらしたいのだろうが、国民を愚弄するにも 程がある。C県知事選挙の自民党推薦候補との差が百万票ついた結果をご覧の如くそこ迄 バカじゃないヨ W県以外の国民は・・・ 尤も お宅の地盤も 糞だらけのユルゆる気味で、油断すると滑るよ!
March 23, 2021
コメント(0)

彼岸の入り二日目の18日、大阪市内の客先へ訪問する時間の合間の一刻、青空の 春めいた 気温にも 誘われ 大阪城公園外周の森ノ宮駐車場に車を停めJR森ノ宮駅 対面の 入り口から 日頃は通り過ぎるだけだった大阪城公園に足を踏み入れた。東門の脇には スモモ の花 が 満開。陽気にも誘われ、 歩を進めると噴水広場では コロナ禍の元 マスクをかけた人々が 三々五々ベンチで休憩。当方も 暫く 休憩後 東外堀を目指して 歩を進め陽光を浴びつつ 広い堀沿いを散歩。その後 踵を返し 市民の森中を バックすると。木々のそこかしこの ソメイヨシノ も チラホラと ニ三部咲き・・陽春の木漏れ日を浴びながら、駐車場に 戻り、次の客先に車を走らせたことだった。
March 19, 2021
コメント(0)
2020年09月03日の 当方ブログを読み返してみると爺の繰言 政権の潮目(その7) と題して M新聞の 川柳欄に 「やっと 縁 切れたらもっと ヤな後任」 とあったが、当世 永田町の 後任者選びの 田舎芝居をみる 国民の気持ちにも当てはまる思いを 旨く代弁したものだ。と書き込んだのを 思い出した。今や「ヤな予感どうりに 巡る 永田町」 とでも 言うべきだろう・・・土台 日本国には本当に国民の為に事を成そうとする政治家は 残念ながら「ない物ねだり」な貴重品で、見事にお見受けしない・・H氏の僅かに知る限りの為政者で、昔々 事の正否は兎も角、絹のハンカチを泥にまみれさせてでも成すべき事を実行し、井戸塀しか残らなかった戦後の政治家に「藤山愛一郎」氏が居たがその折は 流石に この爺も まだ右も左も判らぬ年少組だった為、その功罪は殆ど理解できていない。・・ 又お勉強しておきます。その点 今の為政者は 現在の年少組の児童にも、非常に判り易く、今回の 五輪開催申請の場で、世界に向けて「福島原発はアンダ~コントロール」に始まる 大嘘を嚆矢に「東北復興五輪」等と矢継ぎ早に平気で沢山「嘘をつき」・・結果はご存知通り しっぺ返しでも受けたように混乱中。おまけに二代に渡り、先ずは「お身内第一」の政治手腕なので、子供の親も 学校の先生も 大人の世界の建前と本音の差 を どう教えてよいのやら 困っているのでは・・・役人ばらもいい加減で、「辞任してしまえば 公務員の責任は問わない」等、まるで辞める迄にばれなければ、泥棒しようが、何しようが 切り取り勝手のお墨付き迄発表するとは、相当 頭のネジが外れた迷回答で 民間人は唯々恐れ入るばかり・・そんな折も折今日も川柳欄に 言い得て妙なる 一句を 見つけたので 改めて 御紹介しておきます。「自助・共助 だけなら 税金払わない」 作者 西海の うかい さん・・・お見事!!
March 7, 2021
コメント(0)
昨今のコロナ禍で 精神的にも草臥れ果て、テレビ・新聞・ネットを見聞きするしか能のない日々を過ごして巣籠り中の身ゆえ、昨今の我が国の情勢に ほとほと爺は呆れかえって物を言う言葉さえ出てこず、世の行く末を案じておりますです。というのも、平和国家を誇りとし、ひたすら ライズ サン を目指し、先進国のトップにもなる明日を信じて 努力しさえすれば報われる良き時代を過ごしてきた 爺どもの時代は過ぎ、いつの間にか、我が国は 国民の甘やかしに付けこみ 半径1m以内の身内の利益代表で政り事が 即ち 祭りごと としか理解できぬ 政治屋の嘘がまかり通り、屁理屈の悪臭に満ち溢れ、権力とコネさえ持てば 好き勝手し放題。秋霜烈日のバッチも いっかな機能せず、臭気芬々「美しい国」は「薄汚い国」になれ果て国民も 気が付けば、それに慣らされ、同じように堕落し、二重あげ底の 株価の上下のみ気にして過ごし、いつか数周遅れの 三流劣等国の仲間入りを 唯々諾々と受け入れ中・・。かって勤務したメーカーもあれだけ優秀な品質管理を誇り、競ってJIS規格を金科玉条に、物作りに精魂込めたノウハウも 腑抜けの如くもってゆかれ、 「ハヤブサ2」や 「スーパーコンピューター富岳」等 極一部のレベルを除き医学部門でも コロナワクチン製造も 目下 ものにならず、トヨタ等も中国の下請けに甘んじており 旧態の自動車製造に拘るも米国EVの王者テスラの資本金の時価の1/3 とかや・・近々 どこぞ 近場の国の属国に なれ果て、ジェノサイドで抹殺されぬ内、この際 早めに あの世に行けるのが楽しみな 気さえ してきだしたのは爺の考え過ぎだろうか??まあ オリンピックがあろうとなかろうと、年内に必ずある、来る衆議院選挙の結果をみて、準備する時間位はあるだろう・・
February 23, 2021
コメント(0)
流石に その発言のタイミングが 抜群に旨い! 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長・橋本五輪相に問題発言の東京大会組織委員長 森氏と 開催都市 東京都知事 小池氏との今月中旬に開催予定の 4者会談を欠席し ちゃぶ台返しをするそうだ。理由は「いま4者会談をしても ポジティヴな発信にならぬから」と御発言。この一言で、彼女の本意は ほぼ決着が着いた 可能性のある御意見だろう!・・彼女の読みは ズバリ 東京五輪は中止、か せいぜい無観客開催の是非。さすれば、ボランティヤや、聖火ランナーの辞退者が出ようが出まいが 関係なく、又 膨大な経費を都や国に払わせた責任も み~んな 一切合切全ての責任は 森氏のあるまじき女性蔑視発言や 後に続く2F幹事長の コロナ禍の枯野に火をつける発言のせいにして あわよくば辞任させ、自分は 献身的なコロナ対策に邁進中で、「超多忙」のふりができ、更に一段落後、それを機会に自分も都知事を辞任し、10月迄にある衆議院選に打って出るべく、野党の協力や、与党の若手のご意見も根回しの上「日本女性党」(或いはそれを趣旨とする)でも 立ち上げ、あわよくば、日本国首相も狙える、絶好のチャンス・・と 捉えたのでは??・・・まあ、2017年9月 自らが代表となってひと騒ぎ起こした「希望の党」の際と同じ轍を踏まなければ、その目も無きにしも非ず・・だが。余りにもどうかと思える 現在の自民党のお歴々の国民をなめ切った態度、と現下の野党の 国民の要望に添えぬ 独りよがりさ の不人気ぶり から見て或いは「夢よ もう一度」で息を吹き返し、それが芽生える かどうか??
February 10, 2021
コメント(0)
森元首相 が 又々 言わずもがなの余談を得々と述べ、世の糾弾を 浴びている。 年寄が皆こんな爺と思われると迷惑なので、御忠告させて 頂く・・・癌?のご病気から 九死に一生を得て、最後のご奉公のお積りらしいが 以前の顔つきにも増して ゾンビ顔になっている。ご自分で鏡を見た事がないのか、誰も親身になって忠告する人がいないのか・・余り表にしゃしゃり出てくる顔つきではない・・そのうえ、サーヴィス精神で、全女性を敵に回して迄 面白おかしく胸の内を、さらけ出した積りの、上から目線の相変わらずのノーテンキさには、良い歳をしたご老体なのに その脳力はお気の毒 極まる。御本人も 直々しゃべっておられる様に、石川県の有力者の親父のコネでラクビー部のスポーツ推薦?で早稲田に裏口入学。元々大柄な体力だけの勝負の結果 僅か3か月で退部、お辞めになり、その次は大隈講堂 西側地下入り口に看板があった雄弁会に入り、体つきが大きいので、弁は立たぬがボデイガード役がハマり、 幸か不幸か 雄弁会出身の5人の総理大臣のうちの一人になれたのは、有力者の息子が一旦議員になって、地元の田舎にトンネルの一穴や橋の一本でも架ければ 生涯議員で居れる欠陥選挙制度のお陰だろう・・(持論だが、一部の党は既に実行してるが、年齢制限は勿論、与党国会議員は特に、日本各地の選挙区を輪番制でもして、切磋琢磨させるべき)そんな事情で 田舎の長期国会議員の役得で いつの間にか日本ラクビー会の会長職に収まり、あろうことか、オリンピック組織委員長?だそうで、過去の種々失言や不始末に事欠かぬ身が コロナ禍でイラつき、揺れ動く庶民の神経を逆なでし、 今回の 騒動になった迄の 言わば 必然の流れ・・。此処迄来れば、そこらの爺さんの失言を通り越え「綸言汗のごとし」で 身を引くが万民の為、更に かわいい孫娘の忠告通り、お辞めになるにしくはなし。責任感?より、全世界のTV中継 数千億円や他スポンサーの利権探しに懸命で加納治五郎財団等創り、(いつぞやの金丸さん宜しく、田舎の二階の床が金塊で抜け落ちそうなのでは?)例え無観客でも開催したいらしいが、それは既にコロナに負けているからそうなるのであって、「五輪を開催」し、その最中か その後の 第〇波が日本国中に広まり、後遺症で日本国民が大迷惑し、取り返しのつかぬ不始末まで 責任を持てる積りも程もある人物でもなさそう・・「諫言口に苦し」・・ここはせめて潔く後ろに引くべきと忠告しておきたい。それにしても、政府、分けても、菅総理が自助共助公助など お題目を唱えては 日々続く 醜聞は もうボロボロ。大体 一人で 官房機密費をこれ迄 延べ数十億円使い、片や日本学術会議100名余に10億円/年 程度の国費を出した程度で 「みなし公務員」とかで その任命者が意に添わぬと6名を任命拒否しておいて、オリンピック組織委員会へ開催関連費を もはや数兆数千億円出金し、当然「みなし公務員」でもあるオリンピック委員会の、我より先輩の元首相の組織委員長へは任命権が無い等、都合の悪い時だけ、どの口で 言われておられるか、理解に苦しむ。これも 元々番頭程度の知力と膂力で 日本国を治められる筈がなく、総務省大臣時代に飛ばされた役人連中から 「文春」に「へタレコミ」が まだまだ続く証に違いない・・口では国民にまずは自助・共助、その後ズ~~~~と遅れて公助を謳い、首相のホン数Mの周りだけ、(バンド狂いの我が息子の)元秘書官の誘いには断り切れぬ次官候補役人ら数名へ、TAXI券と某国王室ご用達1箱6750円チョコレートのお土産付き忖度付与で 自助・公助を発揮させるのは、安倍さん譲り・・・あれもこれもとばかり 酷い話が続くが、それは追々バレるとして次の選挙も近いので、まさか国民は そのお粗末ぶりを忘れないとは 思うが、その辺りが 日本の限界と思えば、仇や疎かな結果にはならぬのを期待するのみ!ミャンマー、ロシア・中・韓・米国 は 見ての通りの 状況下日本国民すべてが その結果に 責任を持てている期間と時間があるだけ 未だマシ。実際はその保証も 切れかかる間際にいる事に いい加減気づいて欲しいモノだが・・・さて、
February 8, 2021
コメント(0)
コロナ禍は未だ々 続きそう・・・そこで 最近 見聞きした Youtubeの 以下は、 大変参考になりそうな話なので紹介申します。(既に見聞きなさっておられる方には ご容赦下さい。)url をコピペして貼り付け、ご覧ください。元A新聞記者のジャーナリスト佐藤章氏と 清水 有高氏の 対談形式で現場を駆け巡ったここだけの実話談が 結構面白い。①『これが上級国民か!なぜ自民党だけPCR 即検査可能なのか?』2021/2/1現在 にて20時間 前にUP、 既に 42,177回視聴済https://www.youtube.com/watch?v=r3l8wfdd_XE② Asoと2Fの ダブル老害の醜い戦い21/01/21 公開 156305回視聴。 他 https://www.youtube.com/watch?v=-UITi20_vTo③WA & 2F コネがモノ言う たかり政治が日本を壊す。21/01/26 公開 103,788視聴。 他 続々・・・https://www.youtube.com/watch?v=9-ae2G-9d0M
February 1, 2021
コメント(0)
疑問?総理の かすれ声、諸行無常の響きあり。控えし二人の鼻息や、盛者必衰の理をあらはす。おごれる老人久しからず、この春までの夢のごとし。高き支持率も遂には下がりぬ、ひとへにコロナに罹るリスクは皆同じ。喝!遠く異朝をとぶらへば、米のトランプ、露のプーチン、中の近平、韓の文、正しき政にも従わず、楽しみを極め、諫めをも思い入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民草の憂ふるところを知らざつしかば、久しからずして、失せゆく者どもなり。喝!
January 25, 2021
コメント(0)
どうも 最近の世情も末世的且つ、本末転倒気味な取り組みばかりで、気が滅入る。その最たるものは国会及び内閣での 「新型コロナウイルス対策特別措置法改正案」での罰則規定。何でも、コロナで入院を拒否した患者が 入院を拒否した場合の罰則や知事の営業時間短縮命令に違反した事業者に、罰則金を支払わせ、店名を公表する そうな・・では伺うが、実際の処、PCR陽性患者が入院希望しても出来なくて、自宅やホテル待機で 結果的に死亡した陽性患者には、本改定案を賛成多数で取り決めた、自民党・公明党の国会議員諸氏は自腹で、更にそれにプラス、国か県は一人頭で 合計1億円程度の弔慰金でも支払ってくれるのか?その比率も含め、そこをきっちりしてもらわなくては、亡くなった国民や遺族は 収まりが就かないのでは?決めたものと、守らされるもの の 結果責任は はーふ&ハーフにしましょうや! 更に 営業時間短縮命令を出す以前に、その店舗が 設備的にも、きっちり対応しているか否か、相応の担当部署が検査し、事業許可を与えた事業者に、通報してもらい、例えば 4人以下でも、その設備や環境の元、指示を守らず大声を出す客や、違反する客を 通報してもらい、警察官に処置を任せるなりし 取り決めした方が、余程効果が あるのでは?罰金・罰則は その後、違反した客から取ると、国・及び県が 宣言した方が 余程自業自得で 効果があるのと ちゃうやろか??国民は 黙ってみて 黙々と従っている訳では 決してありませんぜよ、先生方!
January 20, 2021
コメント(0)
今年の「節分」は例年より1日早い2月2日(火)だそうだ。確かに架け替えたばかりのカレンダーで 確認すると、友引と共に節分と記され、翌日3日が「立春」となっている。念の為 国立天文台発行の 令和3年(2021年)の「歴象年表」の二十四節気にも立春は2月3日で、春分の日を3月20日に太陽黄経0°とするには そうせざるを得ぬのだろう。その理由が 地球の公転周期が約365.2422 と半端な為 1年間の365日から微妙にずれている為、自分らが通った折の学校の地学では閏年で一日加え 調整すると習っていたが、それだけでは辻褄が合わぬ為、節分を2月2日にする旨で、その日にするのは、1987年(確か明治9年?)以来124年ぶりだそうだ・・、その理由が 昨今どうも地球の自転が年々早まっているとかで・・では次にその2月2日に「節分」となるのは、当分我々が生きている世紀には もうないのか・・と思っていたら、どうもまた5年後にも 一日早めた2月2日にそうなるとかならぬとか・・一体そんなに早めに修正せねば ならぬ程 地球の自転が早まっているのかと思うと、逆に不安になる。理由は太陽の膨張で引力でも強まって地球の円周距離でも短くなったのか?それとも地球のエネルギーを人類が使いすぎて軽くなったのか・・等 ほん 最近迄人類は「地球に優しく」と、偉そうに上から目線の言い草で、のぼせて居たものだが・・唯さえ、新型コロナウイルスと、その変異型が目に見えぬ微妙さで変化し強力となり 年寄なりに余計な心配が増え、家に籠り、怯えた日々を過ごす身には、既定の行事は必ず実行!天が落ちるのは杞人の憂いとばかり、「仮定の話にはお答えできません」と紋斬り型の答えで済まし、お後は 自助・共助・公助と大本営並みの紋斬り返答を繰り返し、何事も 今の政府の後追いの人知の浅薄さには頼れず、困った現象では ある
January 16, 2021
コメント(0)
アメリカのトランプ現大統領も 最後の最後に つまらん アジ演説をしたものだ。2021/1/6 ワシントンの国会議事堂前に 集合し、議員に圧力をかけて、自分の任期を延ばすべく、その一助にいくら何でも 民衆を焚きつけて国家転覆を図ろうと、あり得ぬ事を口走り、煽られた民衆が議事堂になだれ込み、やり放題で。結果、警官隊にピストルで4~5人射殺された者こそ 気の毒な話。香港の学生の議事堂占拠や破壊行動迄引き合いに「どこがどう違うのか」と中国から言われてしまい、民主主義国家の代表としては いい面汚し・・・。 NHK「麒麟がくる」での生駒・信貴山立籠もりの、松永弾正でもあるまいに、国家転覆の汚名を被り、腹でも斬る覚悟があれば兎も角、7000万人もいる視聴者向けの窓口ツイッター迄、永久封印され、これで彼の政治生命も終わった様だ。彼がやってきた対中国締め付けの手練手管も、決して無駄ではないし、「自分が落選する筈がないのに」との信仰心に近い気持ちは分らぬでもないが、世の中には やってよい限度を超えると、幾ら自分用罪状免除の大統領令出したところで、無間地獄に落ちてしまい、挽いては いずれ彼の過去の脱税行為もあぶりだされ、トランプビルやゴルフ場迄没収されて「スッテンテン」になりかねず、各閣僚や副大統領と同様に、嫁にも愛想をつかされているに違いない・・。<アーメン、ソーメン>大の仲良しだった安倍チャンの「日本無責任時代」到来のスーダラ節と 何処かで通じあう 無責任ぶりも 似たり寄ったり。<ナム ソーレン>これも 昨夜 何chだったかで放映された、映画『記憶に御座いません』での、首相夫人の不倫同様、ハッピーエンドで 終わるとは とても思えないし・・・お二人とも 頭に石礫(イシツブテ)でも 受けて 出直しますか??翻って 現下のコロナ禍、何処にも出歩かれず、日がな一日、テレビに目をやり、暇つぶしして、ウイルスの収まり具合を待ちかねる爺にとっては、お退屈しのぎに丁度手ごろな話題ではあるが・・・
January 10, 2021
コメント(0)
明けましておめでとうございます。 大変な年回りの新年 如何お過ごしですか退屈しのぎに私のブログご紹介します。当方ら爺の 若かりし折は、安保闘争の真っ盛りでその頃流行した小説に「風流夢譚」という反体制小説がありました。それをもじって、私のブログの名前を「好日夢譚」と名付けました。従って 私のブログをPC NETで検索の場合 夢譚 または 好日夢でサーチすると、正式名で「Mr,H’s’BLOG 好日夢譚 」と出てきます。わざわざ 検索しにくいネーミングに したものだと 後で後悔してます。開設は 2006/5/2に開きましたが、途中10年位 本人も仕事が多忙だったのか すっかり 忘れてしまっており、ここ4年前から折々真面目に 森羅万象 書き込みの再開を しています。主な題材は矢張り昔話と 雑感「爺の繰言」 が多く、510編も もうすぐです。少年老い易く として 57編古新聞で読む昭和時代 28編旅行記 77編(いつぞやご一緒した吉野旅行も入っています)友垣の事 41編 等です。それでも、どこをどう探して見に来てくれるのか、、今日1/2現在で124,300人近くが見に来てくれています。今年第一回目は 何を書こうかと 未だ 推敲中・・・どうせなら 本文そのまま挙げるも一興かと・(笑) 宜しければ 来訪下さい。url では 以下の通りです。 https://plaza.rakuten.co.jp/pitack/diary/202012220000/コロナ禍、暇つぶしを兼ね、何なと、前向きに生きてゆきましょう!!
January 3, 2021
コメント(0)
日本人の民度は、諸外国に比べて 比較にならぬほど高いと 御見識高い日本のA副総理は ご自分の都合の良い折は、高笑いして ほめそやしておられる様だ。・・それ位 現在の日本の民度は、おぼっちゃま政治家連になめられたもので、何をやろうが お気楽なもの・・らしい。確かに アラブの春や 天安門事件等を起こす 他国に比べ、半世紀以上前の 山口二也の「浅沼稲次郎 暗殺事件」に始まる 安保闘争拡大時期は、御親族の「岸信介首相 刃傷事件」更に「あさま山荘事件」に続き「よど号乗っ取り北朝鮮脱出」以降は どう飼いならされたものか 大人しいもの・・。然し コロナ禍 等 不始末が続き、長期にわたる不景気等が原因で 人心の乱れが、何をきっかけに起こるか 迄は誰も読み切ってはいない筈。処で 長州出身の昭和初期の総理大臣に田中義一なる為政者がいたが、昭和3/6/4 「満州某重大事件」として満州事変のきっかけになった関東軍独断による張作霖爆殺事件が起き、同年11/10 即位大礼直後の若き昭和天皇に拝謁し、「法に照らし厳然たる処分を行う」旨 奏上。事はそう簡単には進まず、半年後の昭和4/6/28 再び参内して「事情によりうやむやにしたい」と奏上。「それでは話が違う、辞表を出してはどうか」と若き天皇から叱責され、呆然とする首相に 鈴木貫太郎侍従長からも「お上は 二度と話も聞きたくないし、顔も見たくないそうだ」と聞き、恐々恐懼した首相はそれから4日後の同年7月2日総辞職。 田中元首相は元々狭心症の既往もあり 余程応えたのか 辞職後三月も経たぬ 同年9/28 66歳で没したのは 長州人の血を引き、幕末以来の功績を知る田中元首相として さぞ御無念であったろうと、歴史的にも 心中察するものがある・・。長州藩 山口出身の総理大臣は 伊藤博文以下多士済々だが、 比較するに 同郷の後塵を拝する お歴々に名を連ねながら 方や蛙の顔になんとやらで 恥を知らぬ常習的 詐欺師もどきの弁を駆使する元首相 として 史上に名を留める 厚顔無恥蒙昧さは 流石に安倍元首相の面目躍如たるものがあり、長州人の恥さらしとして 後世迄 その名を留めるに しくはなかろう。類は類を呼ぶ例え通り、巨額詐欺事件を起こしたジャパンライフ元会長 山口孝祥(78歳)とは晋三が 父 安倍晋太郎 の腰巾着で渡米した際に近づいてきた 同氏と肝胆相照らす仲らしく、その詐欺師の技を磨いたのか?お見事なもの。父晋太郎からも、「事務所でマンガばかり読んでいるバカ息子だが、嘘をつくのは天才的」と 身内だけによく知っているが、惜しむらくは多忙で矯正する暇がなかった 様に聞く・・かほどな技の冴えを 流石に7年を越え、らぺらぺら やられるとテレビの音を絞るか消す程 辟易してくる。やんぬるかな・・・いずれは跡継ぎもなき安倍家として 歴史上に消えていく故 名を継ぐものなく、迷惑をかけることもない家柄では あろうが、他の郷土を故郷に持つ日本人として 長州人とは・・?自体を見直すほど 大迷惑な人材であるのは 間違いない。いずれにしろ 拡大するコロナ禍といい、鬱陶しい年末で。・・ 心から来年の吉兆を祈念し 明るく過ごし度きもの・・
December 26, 2020
コメント(0)
12月20日(日)の NHK『麒麟がくる』の 展開は 妙に生々しくて 面白かった。信玄が進軍途中に俄かに身罷った結果 武田軍が退却し、将軍足利義昭の策は見事に瓦解、絶体絶命の境地の信長が 時こそ来たれとばかり浅井・朝倉連合軍を倒し、義昭は 今回は脇役の光秀の目前で藤吉郎に絡めとられ、松永弾正はひれ伏し、戦利品の山を 今井宗久が値踏みし、全てを手に入れた信長は、言うに事欠き 時の帝「正親町(おおぎまち)天皇」に 東大寺・正倉院の「蘭奢待」を所望。元々 古来からの持ち主への土産に、その「蘭奢待」の切片の半分を献上し、お慶びになる筈とつけ上がる信長。しかし 帝は素知らぬ顔で、次の実力者 毛利に その「蘭奢待」を下賜するという筋書・・。激しく為政者が変わる 有為転変の世にあって 正に抜群の 治世・・・ 比較するのもバカバカしいが 今年末も 迫るコロナ禍の世、誰が治世者で 誰が捕まり、誰がすりぬけ、誰が糸を引き、誰が浮かび、誰が沈むのやら、・・オリンピックや議員任期を目前にして、前首相にはアメリカ政府の現トランプ大統領から勲功章授与の話もあり、免罪符でもあるまいし、誰が所望したのやら、それも今更何のことやら!どこをどうすれば 収まる処へ落ち着くのか?未だ続くのか・・・?さっぱり ワケワカメ!魑魅魍魎とは 魑魅は山の怪、魍魎は川の怪で 様々な化け物、や妖怪変化が自在に動き回り、その後ろをつけまわるマスゴミやsnsも 言う言葉がハグチグ。何時の世も 結局 迷惑するのは 正直に暮らす下々の庶民であるのは 間違いない話・・・
December 22, 2020
コメント(0)
♪ おどま 損ぎり 損ぎり~ Go to なきゃ 行けんど~ Go to が なくなりゃ 早よ 籠る~おどま 勘定 勧進 あん人たちゃ よか衆 よか衆ゃ よか肉 ・・ よか? 鬼門?
December 16, 2020
コメント(0)
コロナ禍に託けて 昨今の世情か政情の年寄りいじめは酷いもの・・。「不要不急の外出は控えおろう~!」に始まり、「集まるな」「食べに行くな」「酒飲むな」と言われ、ご無理御尤も と大人しく自宅に籠っていたら、どさくさ紛れの冗談抜きに マジで 「年収200万円越えは二割払え」等 やっかいな不要品かゴミ扱い・・その内「息するな!」と最終の「勿来(なこそ)攻め」を言い渡されるのも目前・・それではならじと、例年大阪キタの勝手知ったる場所に 三十年来 集合し 永久幹事(兼下足番)としての 開催実績を無下にも出来ず、「リセットし、前進するにはどうすべきや」と、気心知ったる高校同期幹事連で 三密なしの忘年茶話会を企画し、にわか勉強。どうにかZoomのイロハをこなし ホスト役は滋賀・大津在の元教授にお願いし、1クール40分を二回予約。当日の予約時間に三々五々 PCの画面上に集合したのは 京都から2名と奈良と大阪から各1名・名古屋からも女性1名。茨城からは同級夫婦で2名の8人で12日(土)午後3時オープン。「やればできる!」驚いたのは、欧州スイスで長年過ごす同期女性が、にわか勉強の成果を発揮して当日無事画面に登場!皆様に「逢いたさ見たさに苦しさ忘れ」の一言に拍手喝采。 時差8時間の現地時間 朝7時を押して参加、国内組から「おはようございます」の歓声も賑々しく歓迎されました。各員の会話持ち時間も一応設定しましたが その合間に茶々を入れつつ、各自用意したワイン等を嗜み歓談。今年のコロナ禍に思う処や、昨年近江長浜での春の曳山祭り見物を兼ねた全国同期会の話題も盛り上がり、現在の体調管理や、今後やり残した事共の話に花が咲き、1クール凡そ40分を二回繰り返しても未だ話し足りず。取敢えず要領は分ったので 次回は年明けの新年会を企画せよとの話がまとまり、時間切れで、画面が消えるまで 和やかに話し込みました。これを機に、又各地から参加者を増やし、長(息)生きを目指しましょうかね~~『写真や録画、プライベート上 不掲載に付き ご勘弁の程・・・』
December 14, 2020
コメント(0)

それにしても JAXAの鮮やかな お手並み、・・恐れ入りました。午前2:28に眠い眼を擦りながら、スマホ上のNHKニュースを眺めたが 生憎中継を見る能わず、それでも 夜明け前に 再度画面をみつめると 白色の流星の如く 長い尾を引きながら、飛ぶカプセルの姿には 日本人のみならず 誰もが 鳥肌が立つ想いで 魅入ったことでしょう! その回収も 着地点まで ピンポイントで見つかり、神業に近い所業の数々・・。初代「はやぶさ」の 色とりどりで空中に燃え尽きる姿も、鮮やかさと はかなさが同時に眺められ、感激したが、「はやぶさ2」本体はカプセル分離後 そのまま、更に別の小惑星めがけ、11年の長旅に出かけるとか、それに引き換え、地上では長引くコロナ禍と、渦巻く政局不遜の数々を 一瞬でも忘れさせ、日本の科学技術を誇りにし 偉業を称える思ひで、久しぶりに胸一杯の気持ちになりました。処で、隣の国は 衛星打ち上げの自国製ロケットが上手くゆかず 他国に打ち上げを依存中。2021年自前で 打ち上げる計画で、旨くゆけば それが 自国製では第一号の人工衛星になる予定だそうだ・・
December 8, 2020
コメント(0)
暫く振りにテレビニュース等で巡り逢ったアベ元首相、血の巡りでもよくなったのか、例の調子でらぺらぺら と元部下のスカ現首相に、止せば良いのに、「ワタクシィだったら、早めに解散して 選挙に打って出るのが 良いと思うんデスガ~」 等 妙に 再任に色気を出した タイミングで、「桜を見る会」前夜祭の補填問題が検察のアベ事務所主席秘書等の任意聴取で 公になり下がった模様。結局、アベさんは 秘書が々々と 責任転嫁しようが、しまいが、現段階で彼の政治生命は お終い、ハイさよなら!お後が宜しいようなら兎も角、偉そぶりっこしたいばかりに、振りかざした斧の弾みで己が頭に腫物でも出来たのか、「ソーゴー的フカン的判断」しか言い訳を思いつかぬのは 取り巻きの部下も語彙の貧困化で、恥の上塗り。国会では情けない座持ちしか出来ず、呆れを通り越して いずれ選挙でもなれば、国民にどう向き合うお積りなのかネ~?まあ国民も国民だからコロナも行くところ迄 Go Toしなければ収まらん訳・・なんで「食べ行こかい!援助金」とか「旅ゆけば~援助金」にしないんじゃろネ~?頼りは 自助ダのみで・・政治は「チョツとだけよ公助」テカ?? 此の7~8年で「美しい日本処か、情けない日本」になってしもたもんじゃワイ
November 27, 2020
コメント(0)

妙国寺を出しなに同寺ガイドに教えられ、一旦旧外堀を埋め立てた長い緑地公園に戻り、秀吉の命による 堀埋め立て前の 堺区割り図の立看板を確かめ、 (地図上で右クリックすると、更に拡大します)ほぼ 昔のままの地名を頼りに、江戸期の屋敷町風の街道を折れ歩くこと暫し・・時代劇にでも迷い込んだ趣きの町屋を振り返ると、その左手に「覚応寺」があり。正門を入ると 扇状に「ちらし書き」された与謝野晶子の歌碑 「その子はたち くしにながるゝ くろかみの おごりの春の うつくしきかな」 とあります。ここに歌碑があるのは、晶子二十歳の折、この寺の文学青年でもあり、後に住職になった河野鉄南と、親交深い与謝野鉄幹を 晶子に紹介した縁で結ばれたとか・・更に通りを左折して重厚な塀沿いに暫く進むと・・ 正面に周り 本願寺 堺別院 (元 堺県庁)正門に出ます。正面の本堂前には 親鸞上人と室町時代にこの地で布教した 蓮如像が立ち その本堂左手には これも 晶子の信仰心旺盛で 静謐な歌碑 劫初(ごうしょ)より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘ひとつ打つ とあります。その後、表通りの阪堺電車の通る大道りを渡り切り、南に進むと 「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家」・・和菓子商の晶子の生家跡は(チンチン電車道に拡張され)今はこの句碑のみ残り、流石に歌人晶子の生まれ育った堺の街に よく溶け込んだ多くの歌碑群です。
November 22, 2020
コメント(0)

いやはや我が国や米国等現在も生煮中の 現代に急遽戻るのも、億劫になり、又ぞろ近場の堺で歴史を検分の方が性に合うと、近場の堺をウロウロしてみました。今回は、何年か前にも、門前迄行きながら時間切れで、入門出来なかった妙国寺へ、堺東から徒歩で訪問。コンクリートだが、立派な菊の御紋祥入りに圧倒・・。ガイド役の女性がお一人しかいないので、先客の団体さんの案内が終わるまで、待つこと暫し、結局その後は私共二名のみを、懇切丁寧に 案内して頂いた。先ずは庭園に生える 霊木・国指定の天然記念物・樹齢1100年の大蘇鉄の言われの講釈。 (写真撮影 禁止) 戦国末期の永禄五年、信長以前の天下人ともいえる、三好長慶の弟 三好実休が 既に自生していた大蘇鉄を含む東西三丁南北五丁の土地を含む寺領五百石を寄進し、日珖が開祖となるも、実休が戦死、それが遠因で三好一族の落ち目が始まる。然し 日珖の父である堺の豪商 油屋常言らの協力で境内の堂塔伽藍を建立。後に 皇室より 勅願寺に定められたとかや・・。その後も 歴史の嵐に弄ばされ、曰くありげな話では織田信長に大蘇鉄を所望され、安土城に移植されるも、夜毎庭の蘇鉄に呪いの言葉をかけられ、切り倒したが、堺に戻され法力で蘇ったとか・・・、 更に有名な話では、「本能寺の変」直前、信長の勧めで、堺で蘇った蘇鉄見物に来ていた家康が、この寺にのんびりと宿泊時、京都に居た同じ堺出身の「茶屋四郎次郎」が早馬で変事を通達、急遽 伊賀経由で無事落ち延びた話は有名。お陰で茶屋四郎次郎 一族は京都で歴代徳川家ご用達の大商人となるもその縁で、慶長二十(1615)年、大阪夏の陣で、覚え目出度い当寺に滞在していたのを聞き込んだ 大阪方 大野治房隊によって、全山灰燼に帰したとか・・時は移り、尊王攘夷の幕末、慶応四(1868)年2月15日 フランス軍艦が 堺港に入港、勝手に測量等し放題を聞き、更に、水兵百人が上陸し市内を闊歩し婦女子を追い回す等傍若無人の振る舞いに、堺警備役の土佐藩士が応対、言葉が通じない為、両者銃撃応酬となり、仏水兵11名の死者を出し、俗に「堺事件」として国際問題となった。フランスに賠償金を払い、土佐藩士20名に切腹が命じられ、同年2月23日「妙国寺」で日仏立会人の面前で 堂々割腹自刃。11名が切腹を遂げ12人目になる際、フランス立会人がその壮絶の様を見るに堪えがたく、切腹は急遽中止。残り9名は土佐へ 流罪名目で、駕籠に載せられ、悠々立ち去った旨。その折「坂本龍馬」が生きておれば同郷のよしみでそこ迄こじれず共、押し留められた筈、と調べると、既に前年の慶応三年、十一月十五日、薩長同盟や船中八策も成し遂げた後、京都・近江屋で何者かに襲われ、死亡していたとは・・・残念。ガイドさんと 話に身が入り、ついでに昭和20年の戦争中 堺市内が空襲で全山が焼けて再興したが、僅かに残った宝物倉から当寺に伝わる、重要文化財の備前長船の脇差に甲冑や鉄砲迄 見せて頂いた。誠に 堺のこの「妙国寺」一寺の来歴に 我が国の正史にも残る 戦国末期から 織田・豊臣・江戸・幕末を経由し、大東亜戦争迄 語り尽くせそうにない程の、物語りが込められて おりました・・・<追記> 歌人で名高い 与謝野晶子は同寺近くの堺女学校技芸科-現府立泉陽高校卒で「故郷」と題し 次の歌を詠んでいる。・・堺の街の妙国寺・・その門前の包丁屋の・・浅葱暖簾の間から・・・御寺の庭の堀の内・・鳥の尾のよにやわらかな・・青い芽をふく蘇鉄をば‥立って見上げたかなしさか・・・御堂の前の十の墓・・仏蘭西船に斬り入った・・重い科ゆえ死んだ人・・その思出のかなしさか・・いいえそれではありませぬ・・・生まれ故郷に来は来たが・・親の無い身は巡礼の・・さびしい気持ちになりました・・・・・・・・・・・与謝野晶子
November 18, 2020
コメント(0)

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」(きそどのと せなかあわせのさむさかな この句は、芭蕉が生前伊勢を訪問し、幾度も世話を掛け、家族同様に交流のあった門人で、伊勢神宮の御師でもある『島崎又玄』が元禄四年九月中旬義仲寺の無妙庵を訪れ、詠んだ句で 正確には無妙庵で東向きに正座して芭蕉と対座し、背中の木曽公御墓を 意識し、「挨拶吟」として詠まれた句で、その絶妙な出来栄えに、 芭蕉も絶賛したやに聞きます。 『笈日記』(支考編)によれば、芭蕉の葬儀・式次第終了後 此日百韵あり。 之を略すとして なきがらを笠にかくすや枯尾花 其角 温石さめてみな氷る声 支考 海山行燈の外よりしらむに 丈草 の三句が『笈日記』にあり、 その後も幾度となく時雨忌の句は詠まれただろうが、結果芭蕉翁への葬送句として 島崎又玄のこの句に 他の門人達も文句のつけ様なく 今に脇碑として義仲寺に控えているやに 聞き覚えます・・・。 ・・・・・・・・・・・・・ 「これにて一旦 芭蕉翁紀行、大津編・浅学拙文の書き込み、 御終いとさせて貰います。 長期間お付き合い賜り、恐々謹言の極みにて思い違い、書き間違いは 多々あろうと思いますので、ご指摘賜り、ご鞭撻の程、 宜しくお願い申し上げます。」
November 14, 2020
コメント(0)

浪速に入った一行は、先ず若い酒堂の家に留まり諭してみたが、 彼は受け入れず、 そのうち、不意に行方をくらましてしまい、 この心労が差し障って体調を崩し、 やむなく之道の家に移ったものの、十日夜には発熱と頭痛を訴えた。 二十日に回復し、四天王寺近くの夕日丘「車要亭」の俳席にも現れたが 直に辞し、主催者の芝柏(しはく)へ託し、芭蕉不在の中行なわれた句会に 「此道や行人なしに秋の暮」や,此の病で、仮屋に臥せって苦吟した 「秋深き隣は何をする人ぞ」の句が詠みあげられた。 二十九日夜に下痢がひどくなり、容態は悪化の一途を辿り、之道は 京都の去来に使いを出し、 大津の医師木節を初め 向井去来、其角、支考や乙州ら主だった門人も 駆けつけ、 十月五日に南御堂の門前にある、大旦那花屋仁左衛門の 貸座席に移り、門人たちの手厚い看病を受けた。 この騒動の発端でもある弟子の之道は 八日住吉大社の四所に詣で、師匠の延命を祈った処、その介あって 深夜、 からからと硯の音が聞こえたので之道の弟子の呑舟が介抱に侍ると 「病中吟」と称して 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(たびにやんでゆめは枯野をかけまわる) と詠んだが、病の床で尚推敲し支考を召し、あれこれ思案した事だった。 十日には遺書を書き、十二日申の刻(午後四時頃)松尾芭蕉は医師の 木節以下、弟子たちの見守る中 息を引き取った。 十三日弟子共に守られ大阪から船で淀川を遡り伏見港迄運ばれ 伏見から陸路で 大津の義仲寺に遺骸は届けられた。 智月や乙州の嫁から泣く泣く死装束や死化粧を手厚く施された後、 荼毘に伏され、 翌十四日 遺言に従って木曽義仲の墓の隣に 葬られた 。 身内同然に諸役請負する近江門人衆十二名の内、大阪まで出向いた門人を含め八十人、別途 三百有余人が会葬に参列したという・・ 尚表には芭蕉翁の三文字を記し背には年月日時を記し、 塚の東隣に芭蕉一本を植えた事だった。
November 13, 2020
コメント(0)

元禄七(1694)年 七月初め 江戸より待ちかねた二郎兵衛が義仲寺無名庵に帰参し、 故郷伊賀での寿貞尼の盂盆会に参じる為、七月五日 慌しく大津を後にして、一先ず 京都桃花坊の去来亭に挨拶がてら出向。 芭蕉の本意は兎も角、同年六月十五日大津に入り,僅か二十日程が最後の大津滞在となった。 芭蕉はその後京都から七月中旬に、伊賀上野の兄者 松尾家に帰郷し、寿貞尼の玉祭りを済ませ 「家はみな 杖に白髪の墓参り」と 詠み、九月上旬まで滞在。 大津滞在時、医師の木節亭に再々集まった維然・支考ら門人衆が伊賀に出揃った九月八日、 二郎兵衛に兄の子又兵衛も伴い、洒堂・之道の手打ちの会を催すを目的に、一同打ち揃い 、終焉の地 大阪 浪速を目指し旅立って行った・・ 伊賀からは大和街道を進み、木津川沿いの笠置を過ぎ、山越えして柳生を抜け、 奈良に入るのが定番であろうか、その辺の風景を 「此道や行人なしに 秋の暮」と詠み、夕刻猿沢池の畔に宿を定め 一泊。 翌日九月九日重陽の節句(菊の節句)の奈良では 京終(きょうばて)近くの東木辻町の称念寺で休憩し 「菊の香や 奈良には古き仏たち 」と詠い 同日 尼ヶ辻を過ぎ、生駒の暗(くらがり)峠越えの折には 「菊の香にくらがり登る節句かな」との健脚振りにて その日のうちに浪速に入った。
November 12, 2020
コメント(0)

曲水や本間主馬宅での歌仙など行事のある日々以外は、義仲寺無名庵にて江戸から帰ってくる二郎兵衛を待ち、ひっそりと暮らしていた訳だが・・長年 主の居なかった期間もあり、当然かなり荒れ果てていたに違いない。その義仲寺無名庵には一面雑草も生え道ほそし相撲取り草の花の露(みちほそしすもうとりぐさの はなのつゆ)や この宿は水鶏も知らぬ扉かな(このやどは くいなもしらぬ とぼそかな)の句に詠み取れる。 無名庵に夜の帳が下り 蝋燭を灯し、皿鉢もほのかに闇の宵涼み(さらばちもほのかにやみの よいすずみ) と、静かに宵涼みの時間を過ごしつつ、一人食台に向かう老身の芭蕉の心情がほの透けてみえる。 『笈の小文』の旅中、芭蕉が美濃を通過したときに入門して以来の門人で、 今は京に住む維然と、同じく美濃生まれで芭蕉が幻住庵に入った頃入門した 破戒僧?支考などの気の置けぬ弟子は その僅かな間を惜しみ、孤独に浸る師匠を訪ね来て、いまや溜まり場になっている大津の医師の木節亭に何度も連れ出し、 こじんまりと句会を持っては、芭蕉の無聊を慰めた。芭蕉もそれを喜び、木節亭の四畳半の俳席で秋近き心の寄るや四畳半(あきちかきこころのよるや よじょうはん)としんみり心情を吐露し、更にはその狭い四畳半に蚊帳を吊るし、「師匠 日の当たらぬ北壁は涼しゅう御座れば」と弟子どもの声に「如何にも」と 茶気たっぷりに応え、皆で足を揃え、ごろりと昼寝でもしたのか ひやひやと壁をふまえて昼寝哉(ひやひやとかべをふまえて ひるねかな) と詠み 心許す者のみに 安心立命の生身の境地を見せる芭蕉であった。
November 11, 2020
コメント(0)

それから旬日の、暑さ厳しい閏五月 とある日の午後、湖畔に居を構える膳所藩出入りの能役者で芭蕉の末弟子でもある游刀宅の夕涼みに招かれ、 先ずは挨拶吟として能表現を巧みに織り込みさざ波や風の薫の相拍子(さざなみや かぜのかおりの あいびょうし)と詠い、 湖面を渡るそよ風が涼しくなる折、座敷より見渡せる紅く染まった比叡の峰の雲が、今日一日の暑さの名残を惜しむかのように光っている夕暮、湖や暑さを惜しむ雲の峰(みずうみや あつさをおしむ くものみね)と、言の葉でまるで一幅の絵を見る如く季節と時と場所を雄大に切り取り、詠い込んだ。 その話はたちまち游刀の師匠格にあたる大津の能太夫 本間主馬の知るところとなり、当家にも是非と請われた芭蕉は あらためて翌月の蓮香る六月に本間主馬宅に立ち寄り 歌仙が巻かれる事となった。 先ずは 本間主馬宅の能舞台で弟子が狂言「附子」を演じ、列席の芭蕉の笑いを誘った後、本間主馬が前シテで里女 游刀が後シテで狐の精を舞う「殺生石」を演じ、やんやの喝采を浴びた。 暑い折でもあり、荒い息のまま額に汗の舞台衣装で、挨拶に芭蕉近く参じた 本間主馬の口に咥える面に改めて興味を示した芭蕉は「景色は如何に見るや?」「面の鼻よりに御座る」と聞き、早速 蓮の香を目にかよはすや面の鼻(はすのかを めにかよわすや めんのはな) と詠み、更にひらひらと挙ぐる扇や雲の峰(ひらひらと あぐるおおぎや くものみね)と、その舞の見事さを称えた挨拶吟を詠み、主人を喜ばせた。 衣装を着替え、酌に参じた本間主馬より「殺生石」に合わせ、能舞台の壁に貼ってあった骸骨が能を演じている画に賛を求められると気軽に応じた芭蕉は、あらためて繁々とその骸骨の絵に感じ入り、本間主馬が宅に、骸骨どもの笛・鼓をかまへて能するところを描きて、舞台の壁に掛けたり。 まことに生前のたはぶれ、などかこの遊びに異ならんや。 かの髑髏を枕として、つひに夢うつつを分かたざるも、ただこの生前を示さるるものなり。 稲妻や顔のところが薄の穂(いなづまや かおのところが すすきのほ)と芭蕉の晩年の鬱屈した死生観のまま書き込んだ。
November 10, 2020
コメント(0)

寿貞尼を弔う二郎兵衛一行の東下りを見送った後、一週間程は何も手が付かず 落柿舎の一室に篭って今は亡き寿貞尼への読経三昧の芭蕉に 見かねた門人の内、膳所藩々士としての格式 からも最上位の曲水が「ひとまずは義仲寺無名庵にお移りになられて、二郎兵衛殿の帰京をお待ちしては如何?」芭蕉は「それも道理」とやっと気を取り直し、 とつおいつ身辺整理し、溜まった手紙に目をやり、それとは書かず彦根の許六や同じ彦根の僧侶 李由に、いずれ彦根に伺う積りつもり との手紙を書く気になり、筆を取ってはみたが、無常を思い、ため息ばかりで考えも纏まらないのか、その折はことのほか誤字も多く、その予定も、李由には「当年中には」と書き、許六には、「来春には」と記す始末、いずれも実現はしなかった幻の予定となった訳だが・・ とにあれ所用中のため同行できぬ去来に見送られ京都落柿舎を辞し、義仲寺無名庵に六月十五日帰り着き、一晩滞在の後 翌十六日は曲水亭で、支考・維然・臥高・曲水に芭蕉で五吟歌仙が盛大に催される事となった。 主人格の曲水は、師匠の憂さ晴らしの意趣もあり、先ずは差し障りなき題に「田家」を選び芭蕉もその軽みを、沈んだ師匠への弟子の心と感じ入り 飯あふぐ嬶が馳走や夕涼み(めしあふぐ かかがちそうや ゆうすずみ) と軽妙に詠み込んだ。 「これはこれは 」と喜ぶ弟子どものさんざめきを多とし、歌仙は結局終夜に及んだ。 折からの蒸し暑さを払う曲水の計らいで「冷やし物」としてそうめんや水菓子も十二分に用意され翌朝も食べきれぬまま残り、それすらも 夏の夜や崩れて明し冷やし物 (なつのよや くずれてあかし ひやしもの) と詠み、歌心を取り戻した芭蕉の眼差しにも、なにかしらやっと吹っ切れた面影が戻っていた。
November 8, 2020
コメント(0)

元禄七年閏五月二十二日、膳所の曲水宅を辞した芭蕉はその日の夕刻には去来の待つ京都落柿舎に大方四年振りに草鞋を脱いだ。 そこには去来を始め 先に大津の乙州宅まで出迎えた支考・丈草、それに素牛や、大阪からは柳行李を片荷に、もう片方に芭蕉の好物の真桑を京の町で買って背負ってきた洒堂も顔を揃え、久しぶりの再会を喜ぶ弟子達と旧交を温めあい、早速歌仙が興行された。 その折の句に 柳行李片荷は涼し初真桑(やなぎごり かたにはすずし はつまくわ)とある。 江戸の一部の門人達 わけても 江戸の 今風点取り俳諧業界で 今や時めく高弟 其角 らと違い、そこには芭蕉に心酔しきった門人との 有無相通ずる会話のなかでの句会に、芭蕉はどれほど癒され、心中密かに 「住むは関西、わけても大津こそ・・」と心に決めた事だろう・・ 思えば江戸では、将来を嘱望した甥の桃印が看病むなしく長患いの末 元禄六年三月、享年三十三歳で亡くなり、諸々の煩わしさに、 「閉関の説」を書いて、八月中旬まで芭蕉庵の門を閉ざしたが 続いて同月下旬 愛弟子の嵐蘭まで鎌倉で客死し、度重なる不幸事や、俳風ますます乱れる江戸で気力の萎えた芭蕉だった ・・。 此処 関西でも、門弟間で いさかいがない訳でなく、大津での医業をたたみ、 大阪で俳諧師を生業にした洒堂と先業の之道との間で勢力争いの確執を起こしており、その席でもぼやく酒堂をみかねた、面倒見の良い芭蕉はその仲裁にいずれ大坂に赴くことを約束したことだった。が 思えばそれが最後の道行きになろうとは・・・ しかし、不幸はそれに留まらず、江戸に残した、芭蕉の伊賀での幼馴染で愛人だったといわれる寿貞尼が、江戸芭蕉庵で六月二日亡くなり、その訃報が落柿舎に届いたのは、八日のことで、 江戸表から同行させた寿貞尼の子 二郎兵衛を慌しく旅支度させ、 「何事も何事も夢まぼろしの世界」と、落柿舎門外まで見送る芭蕉の背中は深い寂寥感を漂わせ、 見守る弟子たちは掛ける言葉もなく、共に並んで二郎兵衛の道中の無事を見送るだけであった。
November 7, 2020
コメント(0)

元禄七年五月初めに江戸を発ち、故郷 伊賀に帰りついたのは同月二十八日。静養も兼ね、伊賀での弟子や親戚筋などへの挨拶回りも済ませ、各地の弟子衆のうちでも、最も愛しんだ弟子達の待つ近江・膳所へむかったのは翌月、閏五月十六日のことだった。 大津では先ず乙州亭に草鞋を脱ぎ、智月尼や乙州の妻の笑顔に出迎えられた芭蕉の笑顔はいかばかりだったろう・・・ 乙州の妻が、用意した湯桶でかいがいしく芭蕉の御足を洗い、座敷に通されると、先に京から来て師匠の到着を待っていた支考・丈草と破顔一笑、久しぶりの再会を喜び合い、 左に丈草・右に去来像と並ぶ義仲寺翁堂の芭蕉像) その夜は、乙州家の女衆 心づくしの近江堅田の小エビや野菜八珍を肴に酒を酌み交わしたが、お疲れのご様子を察した智月が目配せし、道中や江戸の話もそこそこに、長旅の骨休めを乙州宅でぐっすりとお休みしたことでした翌十八日からは膳所の曲水宅に移り、四日ほど逗留。 そこには江戸で入門し、肝胆相照らす彦根藩の上士、許六からも熱烈な彦根来駕要望の手紙も届いていたが、芭蕉は何故か訪問の機会を、再度来春の江戸下りの折に・・と延ばし、結局再会を果たす事はなかったのは、後々、お互い心残りではあっただろう・・・ 曲水宅でのその間、京の去来に直に上京する旨、書を送り、江戸の杉風、曾良、猪兵衛宛にもそれぞれ書簡をしたため、旅の纏めに、まだまだ多忙な日々を過ごしていた芭蕉であった
November 6, 2020
コメント(0)

元禄四年当時四十七歳の芭蕉が、第二の故郷と慣れ親しんだ大津を立ち、江戸へ向かった目的は何であったのか・・ 色々考えられるが、当初俳名「桃青」と名乗った二十九歳、寛永十二(1672)年の春初めて江戸に下って以来、活動した永年の来歴や蓄積もあり、その折々弟子入りした、江戸蕉風門下の高弟、杉風・其角・嵐蘭・曾良らの、たっての催促も並々ならぬものだったのであろう・・流石に芭蕉の名声は江戸中に知れ渡っていたとは言え、元禄四~五年当時の江戸の俳諧は元禄景気に沸きかえり、座敷芸で、出来不出来に点附けして金銭を授受し、江戸商人受けする御用俳諧師が横行する風潮があり、「軽み」を良しとする蕉風とは中々相容れぬほど退廃後退し、芭蕉には苦々しい限りであったようだ。元禄五年五月、杉風らの尽力で新築なった芭蕉庵に転居し、後に蕉風門下の重要な支柱となる、彦根藩の森川許六が、桃隣の紹介でほどなく入門し、芭蕉の心強い弟子も増えたりはしたが、江戸での芭蕉自身の私生活面では、思ったほど経済的にも精神的にも余り恵まれなかったようで、色々あって江戸に見切りをつけたのか 『奥の細道』最終稿を曾良に書かせ、それを基に第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保に仕え、能書家で蕉門下でもある柏木素竜(儀左衛門)へ、清書依頼し、やっと清書が完成したのは、江戸下向三年目の元禄七年四月のこと、 翌五月には江戸での選別句会を催し、その清書を江戸で発行するでもなく大事に持ったまま、曾良と、親戚?の二郎兵衛を同道し、伊賀へ帰郷の途についている。
November 5, 2020
コメント(0)
元禄四年、九月二十八日、膳所を後にし、江戸日本橋橘町の彦右衛門方借家に帰着したのは十月二十九日であったと云う。 今ひとたび思い起こせば、元禄二年三月二十七日 奥の細道に出立する際の、有名な序文に「 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、 海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、 もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先ず心にかゝりて、住むる方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、「草の戸も住み替る代ぞ雛の家」(くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ) とある如く、深川の芭蕉庵も路銀に換え、奥の細道を周遊し、一年半に及ぶ大津など湖南を中心とした生活を終えて帰ってきたこの頃、 生憎 住処は人手に渡っていたため、しばらくの間住む家が無く 仮住まいを余儀なくされた。 「雛の家」というように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、娘子のいる家族が移り住んだようで。江戸の弟子杉風らが奔走して買い戻そうとしたが果たせなかったという。
November 4, 2020
コメント(0)

重陽の節句に合わせ、語呂合わせでもないが、庵での気楽な一人寝の起き伏しの侘しさを「九たび起きても月の七ツ哉」(ここのたび おきてもつきの ななつかな) とも詠んでもいる 翌日 乞われて 門人でもある粟津(現大津市)の百姓、荘右衛門宅で龍ヶ岡 山姿亭 を乙州らと訪ねた 挨拶吟 「蕎麦も見てけなりがらせよ野良の萩」(そばもみて けなりがらせよ のらのはぎ) と丹精こめて作った見事な蕎麦を褒めつゝ野の萩に心引かれている。 その行き帰りの田舎道にでも見かけた雀や鶉を詠み込んだ句に 「稲雀茶の木畠や逃げ処」(いなすずめ ちゃのきばたけや にげどころ) 「鷹の目も今や暮れぬと鳴く鶉」(たかのめも いまやくれぬと なくうずら) と詠んだことだった・・ 元禄四年晩秋。大津門人衆との別れを前に膳所の菅沼曲水亭にて「夜寒」という題で句会が催され、 曲水夫人が座の人々に煮麺を振舞ったのであろうか、 「煮麺の下焚きたつる夜寒哉」(にうめんの したたきたつる よざむかな) と詠み、 そんなこんなの 義仲寺 無名庵滞在 三ヶ月で都合十数句に、既に紹介した“堅田の十六夜観月句会”や、月参りの石山寺等での八句余りを含め、合わせて二十余句を、この時期 近江に残している。かくして江戸に住まいのある弟子の桃隣をともない、大勢の門人衆に見送られ、九月二十八日、膳所を後にし、名残にもう一泊乙州宅に泊まり、 「見送りのうしろや寂し秋の風」(みおくりの うしろやさみし あきのかぜ) とばかり 二十九日 江戸に向け、まずは彦根をめざし旅立ったが、次に近江大津へ芭蕉が戻ってくるのは元禄七年 閏五月と 長の暇となった・・・
November 3, 2020
コメント(0)

元禄四年六月末より芭蕉は京都から大津へ戻り、 九月末の江戸下向まで新築なった無名庵で過ごし、 その僅か三ヶ月間に大津での八十九句中二十句も発句している。 既に紹介した“堅田の十六夜観月句会”等での八句余りを除き、 筆者の想像を交えつゝ、暫時紹介してみると、 於 無名庵、と思われるものは 「初秋や畳みながらの蚊屋の夜着」(はつあきや たたみながらの かやのよぎ) と 肌寒くなったことを実感し「秋海棠西瓜の色に咲きにけり」(しゅうかいどう すいかのいろに さきにけり) と当時でもハイカラで珍しい果物の花の色に感嘆している。 ある日、弟子の句空が新築祝いを持って訪ねてきて、 庵に掛けんとて、句空が書かせける兼好の絵に 「秋の色糠味噌壷もなかりけり」(あきのいろ ぬかみそつぼも なかりけり) や 「寂しさや釘に掛けたるきりぎりす」(さびしさや くぎにかけたる きりぎりす) と詠んで、御礼がてら初秋への想いを述べている。元禄四年重陽(別名菊の節句)の九月九日夕方、芭蕉が江戸に戻るのをさびしく思い乙州が一樽をたずさへ来たりけるに と前詞があり、 「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」(くさのとや ひぐれてくれし きくのさけ) (句碑は義仲寺近くの馬場児童公園にあり) と芭蕉と乙州が膝を交え一献くみかわす風情が詠まれており、母でもあり姉でもある智月が用意したのか、酒の肴にと、持参した秋の実りの嗜好品を眺めて 「折々は酢になる菊の肴かな」(おりおりは すになるきくの さかなかな) 「松茸や知らぬ木の葉のへばり付く」(まつだけや しらぬこのはの へばりつく) と乙州との別れの宴に興じたことだった・・。
November 2, 2020
コメント(0)

勿論、石山寺はお気に入りの場所でもあろうが、三度も参詣するには、それなりに芭蕉の思いが込められてのことだろう・・。 後に『芭蕉七部衆』と世にいわれる「冬の日」「春の日」「阿羅野」「ひさご」に続いて、 今年春より始まった義仲寺「無名庵」の新築工事を幸いに、 弟子衆のはからいで、京の去来の別荘「落柿舎」などに滞在しつつ、去来 凡兆らと心血を注ぎ、 やっとこの七月、京都井筒屋庄兵衛より出版されたこの『猿蓑集』こそ、歌の神に託そうと 石山寺に奉納し、芭蕉の俳句への願懸けの気持ちが、強く込められた参詣だったのでは・・ と筆者は勝手に想像している。 尚『猿蓑集』は二冊、乾(巻一~四)、および坤(巻五~六)からなり、 乾については、巻頭に芭蕉句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」を、 巻末に同じく「行春を近江の人とおしみける」を置き、 しかも収録作品すべてが純粋に芭蕉一門でできている。 芭蕉にとって、なみなみならぬ自信をこめた作品で。 また、坤は「四歌仙」と「幻住庵記」とからなり、 浅学ながら、通読の折 を工夫せずば・・と思う次第。
November 1, 2020
コメント(0)

堅田での十六夜の観月句会の翌朝、舟を出す時間待ちに京都の豪商「兎苓」が代々保持する堅田の別邸で接待を受け、 邸内に植えられて枝もたわわに実っている柿の実や青いミカンをみて、挨拶吟として 「祖父親孫の栄えや柿蜜柑」(おおぢおや まごのさかえや かきみかん) と詠んだのは芭蕉のサーヴィス精神の表れだろう。 帰帆した翌日十八日も、お気に入りの石山寺へ 支考らと参詣している。 この年はたまたま閏年で二度も八月があることとなり、中秋の名月が二度訪れる訳で、当時の風流俳諧人には堪らない年回りとなったが、 その翌月閏八月十八日も石山寺にお参りし、支考・珍碩・楚江らと瀬田川に舟を浮べて宵待ちの月を愛で 「名月はふたつ過ぎても瀬田の月」(めいげつは ふたつすぎても せたのつき) 「橋桁の忍は月の名残り哉」(はしげたの しのぶはつきの なごりかな) と詠んだ。 九月二十九日には江戸へ向け出発し、数年間(元禄七年閏五月まで)しばらく、近江を留守にする事になるのだが、 それを期してか、九月十三日、之道らと石山寺へ三たびめの参詣をしている。 この日の早朝詣りは、近江にはやくも寒気とともに、ばらばらと霰が降りしきる生憎の日和だったが、 「石山の石にたばしる霰哉」(いしやまの いしにたばしる あられかな) と、東下りを前に、近江への別れ難い 愛惜の情を詠んでいる。(石山寺門前辺り)
October 31, 2020
コメント(0)

それも門人衆の一人が「この上は いっそ明日は皆で堅田まで繰り出し、十六夜の月を愛でに出かけては 如何?」「応 そうじゃ!」「それは面白い・・」と言い出し、 思い立って堅田へと舟遊びへ繰り出すこととなり。宴は予定外にその翌日も続き、 成秀亭での十六夜の観月句会 となったようだ。 望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。 その日、申の時(午後4時ごろ)ばかりに、何某茂兵衛成秀(竹内茂兵衛成秀。蕉門の堅田在の俳人)といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、声々に呼ばふ。 とあり、 芭蕉を慕い、無名庵の新装に喜びあふれた近江の門人衆の、瓢箪から駒の如く飛び出した戯言から思い立って、船出した様子が伺え、おもしろい。 (中略) 更に あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。 云々 十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、 「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川(根本中堂のある横川。恵心僧都ゆかりの地)に至らんとす。 として 「錠明けて月さし入れよ浮御堂」(じょうあけて つきさしいれよ うきみどう) 「やすやすと出でていざよふ月の雲」(やすやすと いでていざよう つきのくも) 「十六夜や海老煮るほどの宵の闇」(いざよいや えびにるほどの よいのやみ) と吟じた事だったが・・ 思うに、芭蕉はこの三日間の大津門人衆との楽しい交わりに、ひらめきも文才もさえわたり、近江での最高傑作の俳句を詠んだ日々といえるのではなかろうか・・・
October 30, 2020
コメント(0)

去来の別荘 落柿舎滞在は、二十日間に満たない短時日であったが、芭蕉がここに来たのは晩春の頃であり、季節は巡り五月雨に入った五月四日、 明日は落柿舎を出んと名残をしかりければ、奥・口の一間一間を見廻りて、 「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」(さみだれや しきしへぎたる かべのあと) と吟じ、落柿舎を後にしている。 その後も京都洛内にある凡兆宅に六月中旬まで滞在し、去来・凡兆・曾良らと 『猿蓑』の編集監修をしつゝ、六月中旬まで滞在し、 大津門人の水田正秀(孫右衛門)らの骨折りで、新装なった膳所義仲寺無名庵に 六月二十五日戻り、七月三日には、京都井筒屋庄兵衛より去来・凡兆共撰『猿蓑』も出版され、やっと大津の落ち着いた生活を取り戻すこととなった。 そして、いよいよその落成祝いを兼ねての盛大な一連の行事として、まずは八月 十四日、大津の梵江寺で待宵の句会が開催され、 翌十五日は義仲寺 仲秋の観月句会の席で、物心両面の援助をしてくれた大津門人衆へのお礼の心を込めて、そのものすばり正直に 「米くるる友を今宵の月の客」(よねくるる ともをこよいの つきのきゃく) と詠じているのは芭蕉の素直な感謝の心根であろうか・・酒肴もたけなわとなり、更に興にも乗って 芭蕉が 「三井寺の門敲かばや今日の月」(みいでらの もんたたかばや きょうのつき) (三井寺 正門の句碑 莫山筆)と声高に吟じた折には、「おおそうじゃ、たった今にも出かけむものを 我もわれも」と座がさんざめき、わきかえった事だろう
October 28, 2020
コメント(0)

痔疾も小康状態に落ち着いたとはいえ、芭蕉は各地より届いた御見舞い等の書状に返書を書くのに忙しく、又地元伊賀上野の弟子たちも次々と訪れ、 その相手にも手をぬくことなく、多忙な日々であったようだ。 奥の細道で同道した曾良もひさしぶりに三月はじめに江戸を立つ旨便りがあり、心待ちする芭蕉であったが そうこうする間に、桜の季節となり、元禄四年三月二十三日伊賀上野の豪商大坂屋次郎大夫の別亭 万乎亭 に招かれ、見事な糸桜を眺めつつ、万乎の家系の永続を詠った挨拶吟として 「年々や桜を肥やす花の塵」(としどしや さくらをこやす はなのちり) と詠じてみせた。 主人次郎大夫はその折、願い出て入門し、その甲斐あって 「田の畝の豆つたひ行螢かな 」(たのうねの まめつたいゆく ほたるかな) など『猿蓑』 『去来抄』にも収められている句などを数々発句している。 その後 まもなく曾良も江戸より到着し、再会を喜びつつ、曾良をともない、奈良を経由し大津へ戻ったのが三月末であった。 芭蕉生来のいらち癖が直らず、まだ乙州が国許に帰藩していなかったせいもあるのか、智月尼など大津門人との再会もそこそこに、 曾良を京の俳句奉行 去来に会わせたいばかりに、落ち着くまもなく、大津を後に、去来の西嵯峨の別邸 落柿舎へ案内し、五月四日迄 長逗留している。 その間 去来・凡兆・羽紅夫妻や、江戸より帰藩してきた乙州・堅田の千那なども訪ねてきて、曾良を含め、門人衆とさまざまに日替わりで 京都嵯峨の風情を楽しんでいる。 そのありさまは『嵯峨日記』に詳しいが、なかでも四月の 十九日 午半、臨川寺ニ詣。大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾 里につヾけり。 虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。 都て上下の嵯峨ニ三所有、いづれか慥ならむ。 彼仲国ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と云、此あたりに侍れば、暫是によるべきにや。 (高倉天皇后 建礼門院の父 平清盛に追放され 嵯峨に隠れ住む「謡曲 小督(シテ)の舞」)墓ハ三間屋の隣、薮の内にあり。しるしニ桜を植たり。 かしこくも錦繍綾羅の上に起臥して、終藪中に塵あくたとなれり。昭君村の柳、普(巫)女廟の花の昔もおもひやらる。 として 「うきふしや竹の子となる人の果」(うきふしや たけのことなる ひとのはて) 「嵐山藪の茂りや風の筋」(あらしやま やぶのしげりや かぜのすじ) の二句を詠じ、人の世のあわれを 慨嘆し、 斜日に及て落柿舎ニ歸ル。凡兆 京より來。去來 京ニ歸る。宵より伏。 と同日の日記を閉じている。 昭君村の柳:<しょうくんそん>とは。漢の後宮で、悲劇の美女王昭君の生まれた村の名。で 普(巫)女廟の花の昔とは<ふじょびょう>と読み。楚の懐王が夢の中で見た女神をまつった廟。とあった。
October 27, 2020
コメント(0)

大津から伊賀上野まで、地図で見てみると、直線距離で凡そ30kもあるだろうか・・。 どの山道を抜けるにせよ、うねうねと曲がりくねっているので上り下りを含んで十里の道のりにはなる。 徒歩や、まして駕篭に乗って行くと、二日の行程で、いずれの山道を通うにせよ、信楽で一泊して翌日到着となる筈・・ さて、芭蕉一行が伊賀上野へ向かう道筋を推定してみると・・・ 早朝に義仲寺を出立し、瀬田の唐橋を渡り、左岸沿いに南下し現在の南郷水産センターあたりで東から流れ込む大戸川を渡り田上の郷を抜け、 対岸の立木観音の鎮座する山を眺めつつ、西に大きく蛇行する勢田川と別れ、浄土寺・若王子寺の 門前を通り、更に支流の大石川の上流めがけて坂を昇っていき そのまま下りきったあたりより、宇治田原や朝宮の茶畑を三里程うねうねと上下しつつ東に向かい、日暮れてやっと信楽の里に辿り着く。 翌朝も東へひたすら桜峠を目指し、峠越えの諏訪神社から南下し七曲の下り坂を降りきった辺りが伊賀上野の町外れとなるわけだが、結構な道中ではある。 (伊賀上野 芭蕉生家) 元禄四年一月六日に義仲寺を出立し、八日に伊賀上野に戻った芭蕉は暫く治療に専念し、やっと小康状態に落ち着いた、一月十九日、智月宛へ次のような書を したためた。六兵衛とめ申候。(暫く起き伏しの手伝いに伊賀に留めたので)さまざま御しかりなさるまじく候。 われらぢびやう(痔病)もこの五三日心もちよく候まゝ、はるのうちやうぜう(養生)いたし、 おにのやうになり候て、(鬼の様に頑丈になって)しきものゝふとんもいらざるやうになり候て、(大津へ戻り)御めにかけ可レ申候。 かご(駕籠)のうちにて、こしもかたもいたみ候而、やうやういが(伊賀)へ入申候。 水な(水菜)は方ばう(方々)へわけて送り、さけ(鮭)はでししゆ(弟子衆)にふるまひ候。 いつもいつもよめご(嫁御)御ほねおらせ、まことにいたいた敷、忝、ぞんじまいらせ候。よくよく御心得なされ可レ被レ下候。 正月十九日 ばせを 智月さま
October 26, 2020
コメント(0)

現代ならいざ知らず、一体 江戸時代のその折の急な会合の連絡方法はどのように取られたのであろうか、 大津は元より、京にも急遽回状が廻り、義仲寺無明庵で日ならず開かれた 餞別吟 には、 主客の乙州・芭蕉を含め、京より去来・凡兆・嵐蘭も駆けつけ、大津の門人では正秀・珍碩・土芳・史邦・半残・野水 など 、女性陣では智月・羽紅と 総勢十六名のにぎやかな餞乙州東武行 となった。 芭蕉も己が伊賀上野より、初めて東下りした寛文十二年春、二十九歳の折に近い年恰好の乙州に深く思い入れがあって、その折の東海道 途中の宿場の印象でも思い出したのか まずは 「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」(うめわかな まりこのしゅくの とろろじる) 新春を迎えて梅も花咲き、川辺には水菜が青々と茂っている。駿河の国鞠子の宿のとろろ汁もおいしい季節を迎えていることだろう と乙州へ餞<はなむけ>の吟を発句し 、以降、乙州の返答の脇句 かさあたらしき春の曙(かさあたらしき はるのあけぼの)。 旅傘も新調しました。季節も新たな春のあけぼのです。江戸に向けて出発します に始まり、延々と歌仙が巻かれ、最後に 雛の袂を染るはるかぜ (ひなのたもとを そめるはるかぜ)。 春もたけなわ。春風に雛人形の袖が花々の色を受けて七色に染まっていく。 と羽紅が女性らしく美しく巻きおさめた様子は 『猿蓑巻之五』に詳しい・・。 その折、餞別吟の前後には、主だった門人の去来・凡兆や伊勢屋主人の「水田正秀 通称孫右衛門」と芭蕉の席をはずした間にひそひそと話しこみ、今後の大津門人の取りまとめは誰にやってもらうかとか、庇や立て付けの傷んだ義仲寺内の無明庵の建て直し等をどうするか等も話し合われたに違いない・・・ 雪も止み、そんなこんなで無事 餞別吟がお開きとなった翌朝、客もいなくなった寺内で 、芭蕉は一人、木曾塚之坊の草庵前の土中より早くも厳寒に耐えながら春の草が芽を出しているのを認め 木曽の情雪や生えぬく春の草 (きそのじょう ゆきやはえぬく はるのくさ)。 と詠じ、人生の会者常離を味わっていた。 しかし体調は、年末来 ぐっと冷え込んだこの寒さのせいか、また芭蕉の持病の痔疾が痛み出し、 たまらず故郷の伊賀に治療を兼ね帰郷することとなり、前回の折も同道させた下僕 六兵衛 をお供に、駕篭に分厚い座布団を敷き、痛々しく乗り込む芭蕉へ、 伊賀上野の手土産に乙州の妻の手作りの水菜や鮭を持たせ、弟ばかりか、師匠の芭蕉まで、年明けより急にいなくなる寂しさで、街はずれまで心配しながら見送る智月尼の目にも光るものがあった。 この折の伊賀上野への帰郷は随分長く、三ヶ月も滞在し、次に大津へ帰ってくるのは桜の花も散り初める旧三月も末ごろとなった。
October 25, 2020
コメント(0)
全531件 (531件中 1-50件目)


