耳(ミミ)とチャッピの布団

耳(ミミ)とチャッピの布団

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

monmoegy

monmoegy

Favorite Blog

お料理 New! パパゴリラ!さん

救急車 New! あきてもさん

ウインドウ New! moto,jcさん

ラッキーだったとし… New! danmama313さん

味噌玉 10月31日 New! ララキャットさん

Comments

パパゴリラ! @ Re:砂漠に泊まると云うことは...(11/01) New! 我が家のママゴリラ!のように星空大好き…
あきても @ Re:全市が世界遺産(10/31) New! 世界遺産の街なんですね イケアのスリッパ…
danmama313 @ Re:日本でイチバン乗降客の少ない駅(10/30) New! れぶんげ、子供の頃(昭和30年代後半〜4…
ララキャット @ Re:全市が世界遺産(10/31) New! 文化が日本と似ているのですか? マナーが…
空夢zone @ Re:全市が世界遺産(10/31) New! どの食べ物を見ても綺麗で美味しそうに見…
Apr 19, 2024
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
1987年に制作された中国映画で「紅いコーリャン」と云う作品があります。
ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した秀作で、監督は後に「紅夢」(1991年)、「上海ルージュ(1995年)」を制作して、「紅いコーリャン」とともに「紅三部作」を作ったチャン・イーモウ(張 芸謀)。
アジア映画で初めてベルリン国際映画祭 金熊賞受賞した作品で、現代中国を代表する世界的な監督のひとりです。
「紅三部作」は「紅(あか)」を基調とした鮮烈な映像美が特徴の作品です。


「紅いコーリャン」は監督チャン・イーモウのデビュー作で、この監督は2022年に開催された北京冬季オリンピックの開会式と閉会式の総監督を務めた人物でもあります。
例のコロナの影響で、海外からの観客が無く、中国国内の観客のみで開催されたオリンピックです。
この人、1966年から起こった「文化大革命」で「下放(かほう)」と云う徴兵制度と同じように農業の従事を国民の義務として定める毛沢東の方針で農民として3年間、工場労働者として7年間働いてます。
「紅いコーリャン」の時代背景は1930年代。
中国山東省の物語。
九児(チウアル)は、ラバ1頭で父に売られ、ハンセン病患者で50歳を過ぎる年齢の造り酒屋の男の元に嫁ぐことになります。
そして御輿に担がれて嫁入りに向かう九児 一行は7ヘクタールもの紅いコーリャンが生えた青殺口にさしかかります。
そこで突然、銃を持った覆面姿の男に襲われ金を要求されます。
そして九児を御輿から連れ出し、どこかへ連れ去ろうとする。
そのとき九児を救ったのは御輿の担ぎ手 余占鰲(ユイチャンアオ)でした。


この頃、この地では嫁いで3日目に実家へと戻る習わしがあり、九児は父親に連れられて実家へと帰ります。
そのときコーリャン畑で、再び覆面を被った男に襲われてしまうのです。
覆面を取った男の正体は、一度九児のことを救った余でした。
お互いに惹かれあってたふたりは、コーリャン畑で結ばれることになるのです。
九児が夫 李のもとに戻ると、李が行方不明になっていました。
結婚したてで九児は、未亡人として酒造場を継ぐことになります。

酒造場で九児は、初めて酒の釜入れ作業を見ます。
釜に冷水をかけると、そこから美しい真っ赤な色のお酒が滴り落ちるのです。
何年もの歳月が過ぎ、コーリャン畑で九児が身篭った子供の豆官は9歳になっていました。
やがて、日本軍が村に侵攻してくる。
九児は村の男たちにお酒を振る舞い、夜明けに日本軍を攻撃すると誓いあいます。
腹を空かせていた男達のもとに料理を届けようとした九児は、コーリャン畑で日本軍に撃たれて死んでしまうのです。
男たちは日本軍に襲いかかり、あたりは火の海と化します。
そして、生き残った九児の子供 豆官は、血で赤く染まったコーリャン畑に立ち尽くすのでした。


と、云うようなストーリーで、制作された時代が時代ですから中国映画の常としてアンチ ジャパンが色濃い作品ですが、根底にあるのは「色」です。
「赤」ではなく「紅」。
九児の衣装、コーリャンの酒、流れる血、何もかもが紅い。
古より、日本で紅色は、太陽や炎、血の色を連想してましたが、これは中国でも一緒なんですね。
この作品で登場する広大なコーリャン畑は、映画のためにわざわざ作られたらしいです。
映画「紅いコーリャン」で主演したのは、撮影当時チャン・イーモウ監督の恋人だったコン・リー(鞏俐)です。
彼女もこの作品が最初の映画出演でした。
先日、このブログのバナーにコン・リーを登場させたら、 ララキャット さんが、好きな女優だとコメ寄せてくださいました。

コン・リーは1992年のチャン・イーモウ監督作品「秋菊の物語」にも主演していて、ヴェネツィア国際映画祭で主演女優賞を受賞してます。
作品自体も、同映画祭で金獅子賞を受賞しました。
コン・リーは、1965年生まれと云いますから、今年59歳なんですね。
生まれは中国ですが、1996年にシンガポール人の実業家 黄和祥と結婚してシンガポール国籍を取得してますので、今はシンガポール人と云うことになります。
また1998年にハウス食品の「とろみ好麺」CMに登場してます。
2005年には「SAYURI」でハリウッド映画にも進出しましたね。
2007年には「ハンニバル・レクター」シリーズ4作目の「ハンニバル・ライジング」にも出演してます。




YouTube に23歳から51歳までのコン・リーの変貌を記録した動画が掲載されてました。
「巩俐」23岁到51岁的容颜变化,又帅又美还霸气外漏​的只有她了





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Apr 19, 2024 04:45:20 AM
コメント(7) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: