陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 35




寮へ戻った翔は、彩子の声が聞きたくなった。

もう11時を過ぎていたが、居ても立ってもいられず電話した。

「もしもし、私、彩子さんと同じ部署の川村翔ともうします。彩子さん、お願いします。」

彩子の母が出た。

「彩ちゃん電話よ。川村さんって、同じ部署の方。」

「あっ。上で話す。上に回して。」

電話口から、彩子と母親のやり取りが聞こえてきた。

「もしもし、お電話変わりました。彩子です。」

「こんなに遅くにごめんね。急に、声が聞きたくなって。」

「平気ですよ。まだテレビ観てましたから。何だか元気ないみたい。どうかしたんですか。」

「チョット仕事で疲れちゃって。報告書のまとめに入っているから。君の声が聞けてよかった。」

「体、気をつけてください。あまり無理しないでくださいね。」

「ありがとう。もう、遅いから。切るね。ありがとう。おやすみ。」

「おやすみなさい。」

電話を切った後、翔は、寮の食堂でしばらく座っていた。

そこへ、先輩のテニス仲間の林田が帰ってきた。

食堂に肩を落として座っている翔を見つけて、入って来た。

「おう、どうした。そんな顔して。」

「あ、ご苦労様。いいえ何でも。」

「何でもないって顔じゃないぞ。」

「本当に。」

「大丈夫か?仕事?」

「ちょっと疲れただけです。」


心から愛してしまった女性


「そうか?噂、流れているぞ。彼女のこと。」

「そうですか・・・。」

「狭い社会だからな。保守的な職場だし。お前はその中でも目立つヤツだから。」

「そんな。」

「何かあったんだろ?」

「・・・実は・・・・・。」

翔は、彩子とつきあい始めていること、田中が留学するので彩子を連れて行きたがっていて、上司まで巻き込んで翔に彩子を諦めるようにし向けてきていることを話した。

「おいおい、なんだよそれ。子供の喧嘩に親が口を出すじゃなくて、部下の恋愛沙汰に上司が口を出すか?冗談やめてくれって感じだな。お前、どうするんだよ。」

翔は、じっと一点を見つめていた。

「好きなんだろ?」

「・・・・・。」

「まだそれ程、好きじゃないのか?」

「・・・・・・。」

「はっきりした方がいいぞ。」

「・・・・・。」

「お前も分かっているだろうが、この職場は超がつくほど保守的で、上司に逆らえない職場だってことを。コースがあるってことも。お前、上にお前のことを買っている牧野さんがいるだろう。お前はコースに乗っている。同期とゴタゴタしているとなると評判は悪くなるだろうな。だけど、好きなんだろう?」

「・・・・・。」

翔は、一言も言葉が出てこなかった。

翔にとっても、彩子は、初めて心から好きになった女性だった。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: