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陽炎の向こう側 浅井 キラリ
この空の下で 37
外に出ると、葉が落ちた木立。
その上に、冬の透明感のある青い空が広がっている。
翔は、空を見上げた。
怒りと空しさと、彩子への深い思いとで胸が張り裂けそうだった。
「先輩、僕、仕事やめようかと思います。もう、うんざりです。出世や上司に絶対服従第一のこの職場は。」
寮の食堂で、翔は、テニス仲間の先輩の林田に向かって言った。
「おい、待てよ。いきなり何を言い出すのかと思えば。お前の気持ち分かるよ。だけど、いいのか。両方掴めばいいじゃないか。両方、取ればいいじゃないか。」
「そんなことが出来る職場だと思いますか?ずっと、これから一緒にやっていく同僚ですよ。これから何年も使える上司達ですよ。彼女だって、辛い思いするだけです。」
「せっかく、お前はやりたい職について、やりたい仕事が出来るようになってきたんじゃないか。転職するたって、どうするんだ。民間のシンクタンクへでもいくか?今、職ないぞ。行く当てでもあるのか。そっちへ行って彼女を幸せに出来るのか?」
翔は、頭を抱えて、テーブルにうっぷした。
林田が、そんな翔の肩を叩いた。
翔は、自分の部屋へ戻りベッドに仰向けになった。
天井をじっと見つめていた。
「川村さん、お電話ですよ。」
翔への電話
「もしもし、川村です。」
「あ、翔さん?彩子です。帰ってらしたんですね。よかった。寮にお電話しても大丈夫でしたか?この間、聞いておけばよかった思って。」
「大丈夫だよ。今、田中から言われた仕事で大変でしょう?」
「ちょっと。でも、きちんとやって、田中さんをビックリさせようと思って。」
「すごい勢いだね。」
翔は、彩子の声が聞けたのは嬉しかったが、苦しくもあった。
今、自分が、どんな立場に追い込められているか彩子に知られてはならなかったからだ。
彩子を守り抜きたかった。
彩子が自分を真剣に思ってくれている気持ちが痛いほど分かっていたし、自分が彩子を深く思っているからだ。
彩子の声は、無邪気で明るく、その声が翔の心を痛めた。
「あの、今度の土曜日、上野の美術館に行きませんか。」
「そうだね。それまでには、仕事の目処もたちそうだし。じゃあ、10時半に公園口でどう?」
「分かりました。」
「お休み。」
「お休みなさい。」
思がけない話
「森川さん、ちょっと。」
部長の中村が、彩子を呼んだ。
「これ、コピー取ってきてくれる?」
「はい。」
彩子は、書類をもってコピー室へ行った。
しばらくして、中村が席を立った。
「森川さん、お茶でも飲みに行こう。」
「はあ?」
中村がコピー室へ来た。
「あのう、コピーがまだ終わっていないのですが。」
「後でいいよ。それ持って。上の喫茶室へ行こう。」
「はい。」
彩子は、きょとんとしてしまった。
『なんで、部長が私をお茶に誘うのかな?』
「なにがいい?」
「カフェオレを。」
「コーヒーとカフェオレお願い。」
彩子は、中村と向き合って座った。
窓の外には、ビル群が見える。その向こうに日比谷公園が。
『何の話なのかしら。』
中村が口を開いた。
「田中君がイギリスに留学すること、知っているよね。そして、君に一緒に行って欲しがっていることも。単刀直入に聞くけれど、どう?一緒に行ってあげられない?」
彩子は、そんな話を中村からされるとは夢にも思っていなかった。
『なんで、こんな話されなきゃ行けないの?一体何を考えているんだろう。ここの人たちは。』
彩子は、職場の上司にこんな話をされること自体、驚きだった。
「こんな風に申し上げていいのか分かりませんが、田中さんにも、はっきりお断りしています。私は、私的なことと仕事を混同しないようにしています。ですから、田中さんのお仕事を一生懸命お手伝いさせていただいているつもりです。」
「わかっているよ。君の仕事ぶりは、みんなの認めるところだからね。今、川村君とつきあい始めているって噂で聞いているよ。田中君と川村君は同期だってこと、知っているでしょ。これから長い間ずっと一緒の職場で、やっていく二人なんだよ。それに、川村君は、上からも目を掛けてもらっている。このままいけば彼は、まあ、いいところまで行くだろう。でも、ゴタゴタはあんまりよくないね。聡明な君だ。私の言っていること分かるね。」
彩子は、中村の言っていることが信じられなかった。
『そういう所なんだ。ここは。』
自分と翔のことがこんなふうに上司から言われなければならないことが理解できなかった。
『これがここの職場なんだ。そういう所なんだ。私がいた世界とは違う世界がここにある。翔さんは、その世界の人だったんだ。』
「今、人が欲しいと言ってきている部署があってね。二人を傷つけたくはないだろう?将来のある二人だからね。特に、川村君は。」
『私に、翔さんを諦めて、他の部署へ行けってこと。』
「じゃあ、私は先に行くよ。コピーお願いするね。」
彩子は、ぬるくなったカフェオレを口に運んだ。
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