陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 51




エバンストンに戻って、早速病院へ行った。

「おめでとうございます。妊娠が確認されました。」

「ありがとうございます。」

「予定日は、7月25日です。」

「黎の時もそうだったけれど、雲の上を歩いているような感じ。嬉しくって。お父さん、益々、ガンバってね。」

「わ~、両肩じゃあ、足りないなあ。」

早速、国際電話で両方の親に伝えた。

彩子のつわりは、黎の時と同じようにかなりひどかった。

朝、起きられず、隆が黎に朝食を食べさせ、幼稚園へ送っていった。

隆は、就職活動で週末、あちらこちらへ飛び回った。

以前、シカゴで面接を受けたシンクタンクからオファーが出た。

「よかったじゃない。これで、家族4人、飢え死に知ることはなくなった訳ね。お祝いしなくちゃ。」

「そんな状態で、お祝いなんか出来ないだろう。」

「勿論、宅配ピザで、黎とあなたでね。」

「お祝いは、子供が生まれてからだな。」

「黎も楽しみ~。妹がいいな。一緒にお人形遊びできるもん。」


赤ちゃんとの初対面


初めての検診の日、隆と黎も一緒に行った。

主治医は、隆の先輩の日本人学生の奥さんの知り合いに紹介してもらった。

アメリカでは、自分の主治医を面接して、自分で決めるのだ。

ウィリアム・ドクターは、多くの日本人妊婦を多く診てきたと聞いたので、彩子もウィリアムズ・ドクターにお願いすることに決め、面接した。

アメリカ人にしては小柄な感じの40代前半といった感じの穏やかそうな医師だった。

『何となく安心出来そう。よかった。』

検診では、日本と同じように、体重、血圧を測り、医師の診察。

アメリカでは、内診は、最初と出産前の2度しか行わない。

内診の時は、夫は外で待たされる。

医師の診察を受けるときは必ず看護婦が部屋の中にいる。

この日、超音波検査で初めて赤ちゃんと対面。

超音波検査は、超音波検査専門医がいて行う。

アメリカの医療は、専門が細分化されているようだった。

いよいよ赤ちゃんとの対面。

心臓がドクドク動いている。

まだまだオタマジャクシみたいな感じ。

でも、彩子は、新しい命が自分の中に宿ったことの喜びを全身で感じた。

隆も、同じ気持ちだった。

黎は、不思議そうに見ていた。


不  安


つわりも段々治まってきた頃、ふと、彩子は、渡米前に受けた人間ドックで胸に小さなしこりがあり、半年後に検査を受けるように言われていたことが思い出された。

『そういえば、半年後に検診を受けるように言われていたんだっけ。忘れていたわ。もう1年半たちゃった。』

そのことを隆に話すと、「今度の受診の時に先生に相談してみたら?」

「そうね。すっかり忘れていたわ。今頃、思い出しちゃって。」

「なんだかんだ忙しかったからな。大丈夫だよ。心配しない方がいいよ。赤ちゃんにもよくないぞ。君の体にも。な。」

「分かった。」

でも、彩子の心の中に何となくモヤモヤした不安が立ち上ってきていた。

もうすでに、5ヶ月で安定期に入っていた。

お腹のふくらみも目立つようになり、黎はそれが珍しく、彩子の所に来ては、「赤ちゃんいるんだね。大きくなったね。」と嬉しそうに言うのだった。

受診の日、担当医に相談した。

「一応、乳腺外科で、診てもらいましょう。ただ、胸と子宮は、連動しています。胸を刺激することは子宮を刺激することになるので、超音波での検査しか出来ないと思います。とにかく、安心するためにも受診してください。手紙を書いておきます。3日後に、病院の方で。」

ここは、産婦人科が独立した建物に入っている。

隆は、シカゴで面接した会社に入社することに決めた。

そして、会社に、子供が生まれて2ヶ月後からの出社を許された。

彩子は、二人目の子供をアメリカで産むことに決めた。

アメリカでは、子供が生まれる前に、子供の小児科医も面接して決めておき、生まれると、病院へ直ぐ診察に来てくれるのだった。

彩子と隆は、彩子の担当医同様に、先輩の奥さんの友人から紹介された小児科医を担当医に決めていた。


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