陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 3



しかし、電車が揺れ、隣の人と腕が接触するだけで、美奈の体は硬直した。

『何よ。こんなことくらい。変態め。』

大手町の駅に着き、丸の内方向に歩いて行く。

いつもと同じ出勤風景がそこにある。

人の帯が流れていく。そして、あちらこちらのビルの中に吸い込まれていく。

美奈もシンクタンクの入っているビルの中に入って行った。

「よう、おはよう。」

誠二が、ふいに後ろからエレベータを待っていた美奈に声を掛けてきた。

美奈は、ビクッとした。その顔の表情が固まってしまった。

「どうしたんだ?お前。」

「えっ、あ、あ~。おはよう。」

「大丈夫か?何か顔色悪いぞ。」

「そう?ちょっと疲れたのかな?」

「昨日、早く帰ったのか?」

「あ、う、うん。」

「今日も、早く、帰れよ。本当に大丈夫か?」

「大丈夫よ。」

美奈は、少しムキになって答えた。

エレベータが来た。エレベータを待っていた人たちがどっと中に入った。

美奈は、壁際に立ち、隣には、誠二がいた。次から次へと、人が入って来て、美奈は前から押され、横にいる誠二にも押された。

いつもと違う。

体が、自分の思いと違う。

誠二の腕が美奈の腕に押しつけられる度に、体に電流が走るような感じがする。

前の40代くらいの男性の背中が美奈の体に押しつけられる度に体が硬直する。

今さっき電車の中で自分の身に起きた忌まわしい出来事が頭に蘇る。

美奈の部署は7階にある。

このビルは、25階建で、エレベータは地下2階から7階まで、8階から16階まで、それ以上の階行きのエレベータとエレベータ乗り場が分けられていた。

美奈の乗っているエレベータは、ほとんど同じシンクタンクに勤めている研究院がほとんどだ。しかし、他の部署の研究員は、同期以外、ほとんど交流がなかった。

いつも同じエレベータに乗り合わせる研究員は、ほとんど顔を知っている。

「昨日は、何時まで頑張ったんだ?」

「えっ、あ~、12時前には帰ったわ。」

「また、そんなに遅くかよ。お前、9時以降はタクシー帰りが義務づけられているから、それで残業代もパーだろう。ささっと帰れよ。」

「・・・・」

「人が心配してやっているのに、朝から無視かよ。おい、どうしたんだ?さっきからおかしいぞ。」

「あ、ゴメン。考え事していた。何だっけ?」

「早く、帰れって言っているんだよ。体壊すぞ。」

「わかった。」

「今日は、おかしいと思ったら、やっぱりおかしいなお前。俺の言うことに素直に聞くなんて。」

と、誠二が言った時、エレベータが7階に着いてドアが開いた。

7階まで乗っていたのは、美奈と誠二、そして隣の部署の女性研究員だけだった。

美奈は、誠二と並んでエレベータを下りた。

「今日は?」

「今日?」

「昼飯、食いに行くか?」

「あ~、今日は、涼子と約束しているの。」

美奈は、とっさに自分の口から出た言葉に自分で驚いた。

嘘。

「そうか。じゃあ、またな。」

「ゴメン、せっかく誘ってくれたのに。」

「やっぱりお前、変だぞ。ゴメンなんて、俺に謝ることないもんな。」

「何よ。変じゃないわよ。私はいつも、素直です。」

「へへ、そうそうそれが、お前だよ。つかかってくる元気があれば、大丈夫だな。」

「なにー、それ。」

2人は、IDカードをセンサーに通し、解錠されたドアを開けて中に入った。

もうコンピュータに向かって仕事を始めている研究員があちらこちらにいる。

コーヒーのカップを片手に新聞や経済誌を読んでいる研究員もいる。

「じゃあな。」

「うん。」

2人は、それぞれのデスクがあるブースに入っていった。

美奈は先ず、コンピュータの電源をONにした。そして、廊下にある自動販売機にコーヒーを買いに行った。

報告書は、もう少しで完成する。

ここ3年間程の海外留学経験者にアンケートを採り、その結果から、留学生数の推移、目的、費用、実態や問題点、改善点をまとめた。

また、留学生の生の声をコメント欄に記入してもらい、それを資料として添付する。

コーヒーを買っている間にコンピュータの画面が出ていた。

美奈は、インターネットのONLINE NEWSにアクセスした。

大体毎朝、こうして、仕事に入る前のウォーミングアップをするのだった。

コーヒーを片手に席に戻ると、朝食にと自宅の最寄り駅近くのコンビニで買って来た玉子サンドウィッチを口に運んだ。

「村沢君、ちょっと。」

室長の川原に呼ばれた。

「はい。」

美奈は、室長の所へ行った。

一般研究員は、自分専用のブースを持っていて、周りから遮断されたスペースで仕事をしている。

部長クラスからは、個室になる。

美奈は、少し離れた室長の少し広めのブースへ行った。

「どう?進み具合は?どのくらいでドラフトできそう?」

「今日中には、終わると思います。添付資料の方もアルバイトの人に入力してもらっていますので、そちらも今日中には終わると思います。」

「そう。順調だね。ドラフトできたら持ってきて。」

「はい。分かりました。」

「それが終わったら、僕の新しい仕事を手伝ってもらいたいんだけれど。君の専門分野の仕事。企業の生産性アップのコンサル。何人かでチームを作ってやることになると思う。」

「はい、わかりました。」

美奈は、自分の専門でもある企業の生産性に関するコンサルをしたいと思っていた。

『やっと、そっちの道に進んでいける。今度の室長との仕事で頑張って、チャンスをつかまなくっちゃ。』

美奈は、自分のブースに戻って、玉子サンドの残りを口に運びながら、ONLINE NEWSに目を通し、報告書の作成に取りかかった。

『あと、もう少しで終わり~。あっ、そうだ、涼子にランチのアポ取っておかなくっちゃ。電話じゃマズイし。』


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