陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 7



椅子に深々と座って、ONLINE NEWSに目を通す。

『今日は、早く帰れるわ。ゆっくりしようっと。』

アルバイトの大学生が添付資料の入力が終わったと、プリントアウトした資料を美奈の所に持ってきた。

それに目を通して、修正箇所をチェックしていった。

6時なり、美奈は、帰り支度を始めた。

「よう、今日は、早いお帰りだな。」

「たまにはね~。やっと終わったわ。」

「久しぶりの電車帰りだな。」

『電車。』

その言葉に、美奈の頭の中に今朝の出来事の記憶が蘇った。

「そ、そうね。そういえば、今の仕事が終わったら、飲みに行こうって言っていたわよね。もう少しで終わるから。涼子も一緒にいい?」

「いいぞ。そうだ、久しぶりに武田も誘おうか。他にも、暇そうなヤツを見つけておくわ。」

「同期会みたいだね。楽しみ。じゃあね。お先に。頑張ってね~。」

「おう、気を付けてな。」

美奈は、ビルを出て地下鉄の駅に向かった。

ホームは、帰宅する人たちでいっぱいだった。

そこに、電車がホームに滑り込んできた。

美奈は、ホームで3番目に並んでいた。

社内は、人が触れ合う程度の混み具合だった。

美奈は、車両の一番端の座席の前に立った。

電車が揺れると、背後に何かが触れるのを感じた。

その度にあの汚れた手の記憶が蘇る。

美奈の体は、緊張し、胸がドキドキしてくる。

『何なんだろう。平気よ。大丈夫。平気よ。』

一生懸命、自分の中の恐れを抑えようとしていた。

乗換駅に電車が着いて外に出た時、美奈は深く呼吸した。

乗り換えた電車もそれなりに込んでいた。10分ほどで自宅の最寄りの駅に着いた。

その10分間、じーっと身を縮めて電車の中で立っていた。

『何でなの?考えるのよそう。何でもないのよ。』

久しぶりに家で夕食を摂る。

「本当に久しぶりね。あなたが家で夕食を食べるの。体、壊すわよ。」

「今日で、一応、今やっている仕事、目処がついたから。ちょっと楽になるかな。」

「パパも心配しているのよ。」

「あれ、今日、パパは?」

「今日は、遅くなるんですって。あなたが早く帰ってくると思ったら、パパが遅いんだから。」

「そうなんだ~。」

「ねえ、ワインでも飲まない?持ってくる。」

「煮魚にワイン?」

「いいじゃない。ワインは、ワインなんだから。何でもいいのよ~。」

「社会人になって、すっかり、アルコールの味を覚えちゃったのね。ママの時代とは違うわね。」

「へへ~。ママもたまには、お友達とランチして飲んでるんでしょ?」

「早く持ってきなさい。そういえば、冷蔵庫の中のチーズも。」

「煮魚とおひたしにチーズ?」

ゆっくり入浴し、自分の部屋に入った美奈。

ドレッサーの前に座って、化粧水をコットンにとって顔に当てる。

「わ~、生き返った。気持ちいい~。」

ドレッサーの引き出しを開け乳液を取りだそうとした時、その下の引き出しにあのパリのプチホテルのオーナーからもらった白い刺繍入りのハンカチが入っていることを思い出した。

『いらない思い出だわ。』

美奈は、乳液を取り出した。


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