陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 11



「精神科?心療内科?」

美奈は、どちらかと言えば細身だが、幼い頃からこれと言った病気に罹ったことがなかった。中学から大学院まで遅刻をすることはあっても、病気で欠席することはなかった。

就職してからも、健康には自信があったので、忙しくても体に気を遣うことがなかった。

それに、自分とは対局にあると思える精神科。

窒息するのではないかと思われる程の呼吸困難や、心臓発作ではないかと思われるほどの胸の痛み、脳に異常があるのではないかと思われるような頭や手足の痺れ。

それが、精神的なものだとは美奈には思えなかった。

「セルシンという抗安定剤を注射しましたので、体がだるく、フラツキが出てきいると思います。少し休んで下さい。その後、どなたかお迎えに来てもらった方がいいと思います。」

「はい。」

看護士が来た。

「どなたか、お迎えに来てもらえますか?」

「はい。母に。」

「ここでは、携帯電話は使用できませんので、私がご連絡しますので、携帯電話に番号を出して頂けますか?バックからいえ携帯をお出ししてもいいですか?」

「はい。」

美奈は、携帯電話を受け取ると自宅の電話番号を出した。

看護士に住所、名前、生年月日を答えると、美奈は、眠りに落ちていった。

注射された薬の作用なのか、正体不明の病気のためなのか、積もり積もった疲れのためなのか。

「美奈ちゃん、美奈ちゃん。」

「あ、ママ。」

「どうしたの?救急車で運ばれたって電話を頂いて、驚いたわ。」

「電車の中で急に呼吸困難の用になってきて、次の駅で降りて、ベンチの所で苦しんでいたら他の人が助けてくれて、ここに運ばれたの。」

「この間、CTで異常がないって言われたのに。他も異常がなかったのに。」

そこに、さっきの医師がカーテンで仕切られている美奈のベッドの所に来た。

「お母さんですか?電車の中で、過呼吸を起こされたようです。身体に異常があるわけではありません。お疲れもあるようですし、ストレスが溜まっているのかもしれません。それが、原因となり今回のような症状をもたらしたと思われます。お話によりますと、以前にも、身体的に異変を感じておられたようですので、一度、当院の精神科か、お宅の近くの心療内科で受診させれることをお薦めします。」

「精神科?精神科ですか?」

「はい。勿論、身体に異常がないか検査をすることになると思います。今、安定剤を注射しましたので、フラツキがあると思いますので、落ち着かれてきたら帰宅して下さって結構です。紹介状をお書きしましょうか?」

美奈も母親も『精神科』という言葉に少し戸惑いながらも紹介状を書いてもらうことにした。

そして、美奈をベッドに残して、母親は、会計を済ませて来た。

「美奈ちゃん、美奈、もう大丈夫?」

「うん。あっ、そうだ、会社に連絡を入れていないわ。大変。」

美奈は、枕元に置かれていた携帯電話を開いた。誠二から何件も着信があった。メールも届いていた。

母親に支えられながら、起き上がり、美奈は、病院の玄関に向かった。

「もしもし、田中君?何回も電話してもらったみたいで、ゴメン。」

「おい、どうしたんだよ。川原さんも心配しているぞ。他のみんなも心配していたんだぞ。」

「ゴメン。電車の中で具合が悪くなって。やっぱり、風邪をひいちゃったみたいで。会社に連絡を入れるのを忘れて、家に帰って、そのまま寝ちゃったの。私から、川原さんに連絡を入れるわ。」

「分かった。そうしろよ。最近、お前、調子悪そうだったから、心配していたけれど、ただの風邪か?ちゃんと病院で調べてもらった方がいいぞ。」

「ありがとう。心配してくれて。とりあえず、川原さんに連絡入れるわ。」

美奈は、どうしても救急車で病院に運ばれたことは言えなかった。

直ぐに、室長の川原に連絡を入れた。川原は、誠二から話を聞いていたのか、余り多くを聞いてこなかった。

美奈は、言葉にできない不安を感じていた。

「美奈ちゃん、大丈夫?ミルクティーか何か暖かいものでも飲んでいく?」

「うん。」

美奈の返事にいつもの明るさはなかった。

そんな美奈を見て母親も内心心配した。

二人は、大学病院の最上階にあるレストランに行った。そこからは、東京タワーが遠くに見えた。

「眺めがいいわね。パパと相談して、早めにちゃんと検査をしてもらいましょう。どこも悪くなければ、それに越したことはないでしょう?安心できるじゃない?」

「そうね。安心・・・。安心。」

美奈は、『安心』という言葉を何度も心の中で繰り返していた。

『あの、恐怖は、何だったのだろう?』

二人はタクシーで家に帰った。

美奈は、帰宅すると、そのまま自分の部屋へ行き着替えた。

そして、リビングに行き、ソファーに深く腰掛けた。

庭に面した窓から初夏の爽やかな風が入ってくる。

美奈は、外を眺めていた。

「お昼は、オムライスでいい?」

キッチンから母親の声がした。

「オムライスでいい?」

美奈の返事がない。

「美奈、どうしたの?具合悪いの?大丈夫?」

母親は、キッチンから出てきて、リビングを覗いた。

「あっ、何、ママ?」

「お昼、オムライスでいい?」

「うん。」

「どうしたの?何か心配事でもあるの?あるのなら話してちょうだい。」

「別にないけど。」

そう言いながら、美奈の目から涙がこぼれた。

「美奈ちゃん・・・。」

「怖かったの。怖かったの。死ぬかと思ったわ。苦しくて、苦しくて。ホームで。私の中に何かがいるみたい。」

「苦しかったのね。怖かったのね。でも、もう大丈夫よ。」

母親は、美奈の横に座り美奈の手を握った。

「大丈夫。大丈夫よ。あなたは、死なないわ。先生だって、異常はないって言っていたじゃない。疲れが出たのよ。ゆっくりした方がいいわ。」

「あの日からだわ。」

「あの日?」

「何でもない。」

「とにかく、先生がおっしゃったように精神科で一度診てもらいましょう。検査もして、何も異常がないってわかれば安心じゃない?だって、CTでも異常がなかったんだし。ね?大丈夫よ。心配ないわ。明日にでも行ってみましょうよ。会社には、風邪で熱が出ているので休みますって、連絡を入れておきなさい。」

美奈は、母親が大切に育てている庭に咲いているバラをぼんやり眺めていた。


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