2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全7件 (7件中 1-7件目)
1
ハァ~ もう完全に拗ねモードに入っています(/_;)娘からも完璧に忘れられ、彼氏からも忘れられ・・・まぁ彼は数日前から様子を伺っていたけど完璧忘れていたみたいなので、「でももしかしたら忘れてる振りしているのかも~」なんて甘い期待していたワタシが大馬鹿者でした(ーー;)凸昨夜、自己申告で何人かの友人に「オメデトウ」を言ってもらって・・・三十路崖っぷち女の・・・バースデーなんてこんなもん(T_T)/~~~
Feb 28, 2004
コメント(2)
ここ数日、夜中に録画した『プライド』を見ている。今週月曜日の放映にはハルのバースデーパーティーのシーンがある。それを見ながら、自分の“誕生日”を思った。この歳になって“誕生日”も何もないだろうと言われるかもしれないが・・・私は幾つになっても“誕生日”って特別な記念日だと思う。昨年の“誕生日”は最悪、だって自分自身が忘れている位だった。当然、家族からも忘れられていた。友人から届いた観葉植物の鉢、それで「あっそういえば誕生日だった^^;」と思い出したんだっけ?こんなに“誕生日”ってうるさい私が・・・昨年は店(家族でやってる食料品店)のオープンでてんてこ舞いだったから・・・とにかく松山に帰ってからのバースデーはそうたいしたことはない。埼玉・上福岡に住んでいた頃は、友人に何か派手にお祝いしてもらっていた。そう、35歳・36歳になったバースデーの頃かな・・・華の20代・・・ 20歳・21歳のバースデーも派手だった。21歳の誕生日の日だったか・・・朝からアポが一杯だった(^^ゞ午前中にお茶飲んでプレゼント貰って、ランチをご馳走してもらって、午後池袋西武でプレゼントを買ってもらって、大学の友達に一次会でお祝いしてもらって、親友達と朝までカラオケパーティー・・・。今考えれば、あの頃はこんな時代がずっと続くときっと信じていて・・・続く訳無いじゃない、ねぇ(爆)さて、今年の“誕生日”は??? どうなることやら・・・おねだりする訳にもいかず、でも忘れられてるんじゃないかという一抹の不安が・・・泣いても笑っても30代最後の一年!29歳から30代になる時は、正直何にも感じなかった。焦りなんてモノも無かったし、「あぁやっと30代」ってむしろ嬉しかった位・・・だからあんまり20代最後の一年も大切に過ごせなかったような・・・気がする。でもこの一年は本当に大切に過ごして、生きていこうと本当に思ってる。
Feb 25, 2004
コメント(0)
やっぱり仕事するならヤリガイを感じられる仕事や職場がいいって・・・ずっと思って仕事をしてきた。じゃ私がヤリガイを感じる時って?う~ん、言葉にするのは難しいけど、「誰かのお役に立てて、喜ばれること」かな?17日に少しだけ打診があって、その日以来悩み続けたM-SV職。今日も職場でもう一人のM-SV候補と一緒に呼ばれて、今度は正式な打診があった。かれこれ悩みながらも「やってみたい」という自分の気持ちが強くって、つい「やります」と答えてしまった自分。オペレーターという仕事も単純に“電話受付”“お客様対応”という捉え方ではなく、奥深いものがあるのでは?と思って自分なりに頑張ってはいた。でもM-SVはオペレーターを指導・教育していく立場。以前からやりたかった職種ではあった。確かに入社した時、SVさんってどんな基準で採用されるんだろうとか・・・M-SV候補さん達が次々と誕生していく中で、選ばれる基準は?とか考えていたのは確か。候補に挙がったある同期の子に質問したのも私。すると・・・彼女は言った。「20代で(「うん?」)、独身で(「んん?」)、(シフトが)フリーで入っていて、 専業で・・・って言う基準で声掛けているみたいですよ!」“専業で”というのは解る。SV職って責任ある仕事だし、中途半端ではお仕事できないっしょ!シフトがフリー・・・ これも仕方ないっか・・・ 交代制の9時間勤務で週休2日で、人数も限られているのだから休日が要望通りという訳にはいかないだろう。百歩譲って“独身で”というのも・・・ ^^;まぁとかく子供・家族がいる場合、自由が利かないのは事実。でもね、“20代”っていうのはどうよヾ(ーー;)凸大勢のマーケッターを指導・教育する立場なんだから、ある程度のキャリアはいるんじゃないの?いえいえ20代の人でも能力のある人はいる。だから、20代だからOK! 30代以上は駄目なんて今時ねぇ~ と憤りを感じていたTAKEでした。だからねぇ、ある面開き直って「じゃ私はマーケッターとして極める!」って(笑)そして、今回の打診。直属の上司SVからは、「TAKEさんのキャリアや立場は今までのM-SV候補達とちょっと違うからいいと思うのよね、適任だし・・・」と言われた。実家の家業のこと、みっく~のこと、両親の体調のこと・・・そして自分自身のこと。今回の私の選択は、自分の職業のことなのに、自分自身のことは後回しで考えなければならなかった。だから難しかった・・・ それだけ歳とっちゃったってことなんだろうけど。でも私には色々な責任はある。頑張り通せるか、否か・・・また重いモノ背負っちゃったかな!
Feb 19, 2004
コメント(0)
昨年末からお勤め始めた会社の新年会というか親睦会に参加~♪一次会は「味楽工房」で飲み放題・伊予牛しゃぶしゃぶ食べ放題コース、22名様ご一行~二次会は「BowWow」で3000円コース、13名様ご一行~最後に「U~坊」カラオケボックスで、9名様(?)~↑ もうこの辺りで人数が定かではない^^;いや~ もう一次会からまだそんなにお酒が入っている訳では?という時から大盛り上がり~仕事をしている時の顔とは違う意外な側面がたくさん見れてとっても楽しい楽しい飲み会♪22名の内訳は、男性4名・女性18名。何たって女性18名のほとんどが主婦~しかも30代以上の^^;これで、この飲み会の姦しさがわかるというもの。“遅く起きた朝には”ノリの十乗は確実だった・・・と思う。だって男性・・・しかも4名とも独身で3名が20代、残り一人も33歳としては、もう押されっぱなし・・・幹事のS君なんてもう完全にパシリ状態だった・・・ね、ゴメンm(__)mこれを月一の定例化の飲み会にしようと言う声も上がっていて・・・大変だぁ~
Feb 7, 2004
コメント(0)
家庭にはそれぞれの事情がある・・・そして一年の間には事情や環境も変化することもある。例えばTAKEの場合、昨年2月平成16年度の専門部希望調査(要するにPTAの何の役につくか、何の仕事をするか?という希望を提出するの)を提出した時の事情と、現在の事情は大きく違ってしまった。何も考えず・・・^^;というか、その当時PTA事情にとっても疎かったTAKEは“調査広報部”を第一希望にしてしまった。というのも、4年生の時は社会教育部ですご~く大変だったから・・・お祭りとかバザーとか・・・地域の子供会のことでネ^^;割とPCなんかは得意だから大丈夫かなぁ~と安易な発想で・・・“調査広報部”ふたを開けてみると、4年の父兄で“調査広報部”希望はTAKE一人、となると自動的に“調査広報部”所属ということになってしまった。で5年生になって、初めての引継ぎをかねた部会。出席しているのは前年度部長と私を入れて2・3人の保護者。「へっ? 何でこんなに少ないの???」と思ったら、“調査広報部”は各学年各クラスから一人ずつしかいない・・・で現在みっく~が通っている小学校は各学年一クラスしかないので、そう調査広報部員は6名しかいないってことにやっと気が付いた。↑ 気が付くのが遅いって~^^;6名の中から、部長と副部長を選出。もちろん誰も手を挙げる人はいない・・・ではアミダで決めるか?そうなると欠席裁判ってことに?そういう何だかくだらない時間を費やすことが大ッ嫌いなTAKEはついその場の雰囲気で引き受けてしまった。その頃は、実家もまだ商売はしていなくて、私も外には働きに行っていなかったから・・・時間はどうにかなるだろうという軽~い気持ちだった。あと、この辺り(みっく~は5年生)で広報部長でも引き受けていれば、6年生の時はその他大勢で許されるかも?という甘~い考えもあった┐(´ー`)┌それが、商売を始め、パート勤務も始め・・・となって、事情は一変した。でもだからと言って、協力者も・・・昨夜は仕事から帰って、みっく~にご飯食べさせて家事をして、その後『理事会便り』の作成。会長宅に夜中にFAXしたヒンシュクモノはこの私です^^;だって、今日配布するためには午前中には直しを入れて学校に届けなくてはならない。その前に、会長のチェックと教頭のチェックが入る。私は9時からの勤務・・・えっ一体いつ修正したものを学校に届けるの・・・ということで、早朝学校にもFAXを送り、教頭から直しの指示をいただいて、副会長に最後の確認をとって、出勤前に学校に寄って原稿を渡す。というとっても忙しい朝をこなしたのでした(T_T)それぞれ個々に家庭の事情はある。でも、PTA活動って積極的(多分仕方なし)に参加する人と、できるだけ上手に避けている人、両者の差が激しすぎるようにいつも感じる。例えばウチの小学校のように各学年一クラスしかなくて、自ずから世帯数も少ない学校は否応なし任務が回ってくるけれど・・・マンモス校になればなる程、する人しない人が顕著になってくるらしい・・・仕事を持っていて忙しいからできない、小さな子がいるからできないというのは単なる言い訳。・・・だと思う。やろうと思えば誰でもできることじゃない?!PTAというと仲良し子良しのお母さん方が徒党を組んでというイメージがあるので私はどちらかというと苦手^^;でも自分の大事な我が子を預けている、お世話になっている学校のことだから、自分ができることはお手伝いしなければという気持ちでやってるだけ・・・さて、今年も小学校最後の専門部希望調査のプリントが配布された。〆切は来週の祭日休み明け・・・う~ん、どうしようかな・・・
Feb 6, 2004
コメント(0)
婚約者と親友に裏切られた男は、人を愛すること、永遠の愛・・・が信じられなくなった。そして彼はその悲しみに耐えられずすべての感情を封印し、生への執着さえ手放してしまっていた。そんな彼が、異郷の地・上海で出会った中国人姉妹・家族、様々な人との出会いを通して、再び生きる意味を見つける。あの日から彼の時は止まったままだったけれど・・・上海でまた動き出す心の旅を描いた映画。「時は、傷ついた心を癒しもし、また生への終わりへも導きもします。 永遠なのは時の流れだけ・・・・・だからこそ彼らは、自己を、未来を、そして愛を信じたいと願うのです。」監督談久しぶりに映画館で映画を観た。しかも一人で・・・・大学時代はぴあをチェックしてはかなり映画館へ足を運んでいたが・・・昨年末、インターネットでこの映画のことを知り、ずっと観たいと思っていた。そして、今日・・・仕事帰りに映画館へ足を運んだ。だって今週金曜日が最終日らしいから・・・・観終わって・・・・リンがミンのストールを肩まで上げるところでほろりとさせられ・・・「私一人で撮って、母さんの写真の横に並べてもらうから・・・」と言うミン。カメラを向けるけど、涙でファインダーを覗けない、なかなか写せない早瀬。ファインダーの中には泣きそうなミン。「笑って」と早瀬。ミンの涙をこらえた精一杯の凛とした笑顔がファインダーの中に写り・・・その後、フォトフレームの中の同じ笑顔。そしてミンと早瀬の最後の幸せな生活が断片的に描かれた後、上海の田舎家で一人になった早瀬。上海の田舎家での何だか懐古的な生活と自然が美しすぎた。その後は涙が止まらず・・・映画館が明るくなるまで席が立てなかった。地味だけど、観終った後、清々しい心地良いイイ映画でした。やっぱ泣いちゃったけどね(^-^;とにかく映像がきれいで、Castもよかった・・・小学生か中学生の頃、はじめて観て感動して何度も観た映画・・・『ラスト・コンサート』ストーリー展開的にはとってもよく似ている気がした。『ラスト・コンサート』も映像がすごくきれいな映画だったし、音楽も良かった。この映画も何度も観たい映画です。上海・・・行ってみたい街がまた一つ増えました。邦画もなかなか馬鹿にはできないぞ!って感じです。最后的愛,最初的愛
Feb 4, 2004
コメント(0)
みっく~が小学校3年の秋、今から2年前になるけど・・・一度だけ「学校に行くのが嫌、転校したい」と言ったことがあった。3年の夏休みに埼玉の学校から、松山の今の学校に転校し2学期から登校していた。楽しそうに登校し、“転校”ということに心配していた私もホッとしていた頃・・・あれは運動会の前後だったか、いきなりみっく~が学校をお休みしたのだ。本人から色々話を聞いて、私はお休みさせるということと共に連絡帳にその内容を書いた。そして、お休みした日の午後、学校が終わった頃に先生に会いに学校へ。3年の時のみっくの担任の先生は『公務員としての先生ではなく、生徒のための一教師』タイプの先生だったので、私の相談にきちんと答えてくれ、その後も対処してくれた。みっくはその後どうだったかというと、学校を休んだのもその日一日だけでちゃんと登校できて、その後も、今も登校拒否みたいなことはなくちゃんと学校に行くことができている。--------------------------------------------(また後で)-------------------------
Feb 3, 2004
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1