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1月31日に、こちらへ移転してから、歩いたのが無茶だったようで両膝が痛くて、後ろへのけ反りそうになったり、転倒の危機を感じました。去年の4月20日に団地へ移転後は病院以外は全く外出しないで居ました。仮設に居た20日以前は、買い物へも出かけたり、植物への手入れなどもしていたのですが、殆んど団地に移住後は、 買い物もしなくなり体は不動明王でしたから、 200メートル程の距離、500歩でも膝がビックリするのも当然だったでしょうね。 歩けることの偉大さを痛感しております。18日は最大の人生の告知日となるでしょう。覚悟を決めて臨みたいと思っています。
2016.02.13
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寂しい日と言うべきものでしょう。空気もひんやりしてて、空も灰色で覆われている。聞こえるのは、カラスの鳴き声だけです。いつもはうるさく走る暴走バイクも通りません。本当に静かな日です。静寂と寂寞は同じ意味なのでしょうか?此処は竜巻を常に意識する所です。昨日の祝日は、平将門が怒ってる様な、花火が何度も上がっていました。梅が咲いてるなあ、昨夜は水戸の話が出た序でに、茨城では梅が名産になってるのかと問うたが、知らないと言う返事でした。”南高梅には完敗かあ!” S・バンクの携帯を弄ってたら、占いが現れた。どんなもんじゃろかあと思って、見たら随分と位の高い名前が出てた。名前が偉くても、何もならないわと思って、迷惑メールの指定した。何たって、秦の始皇帝の長男の生まれ変わりだそうですから。扶蘇もビックリでしょう。”私自身もビックリ!”
2016.02.12
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「お兄ちゃん、外見を裏切るような事だけはしないでね」なんて妹に言われるけど、その外見が理解出来ない。なので、大学病院でも何処でも「おら、膝株が痛くて参ったなあ」などと喋ってる。どうやら、妹は”おら”では無くて”わたし”、”わたくし”と言って貰いたいようだ。でもさあ、母と自分を詠んだ本を出してから、さっぱり歌が浮かばない。詠めません。目下の楽しみは、美味いものを食べたいと言う願望が残ってる程度ですね。マンガも私的に受け入れられるものが少なくて、時代小説なども現代小説とたいして変化もなく、その時代の風や匂いが感じられない。残る物は考古学的な発見と宇宙の新発見、新理論だがこれもなかなか、無い。憎むべきは宮内庁書陵部だが、天皇の存在否定に必ず到達する陵墓の発掘を認可する筈が無い、チャイナが王陵墓の発掘を認めないのと似たようなものだ、其れより質が悪いと言えるだろう。なので、200年後の地球に憧れるのですが、難しいなあ。 懼れ多い事ですが、天皇家の断絶を望むばかり だって、200年後に生きて来れる保証もありませんし、ねえ~。まあ、アホの戯言ですわね。
2016.02.11
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2月9日。T大学附属病院の眼科に連れて行かれた。5時半起床、6時半朝食、7時過ぎ家を出る。出勤時間で渋滞、8時まで行くと言うが着いたのは8時半。受付で、紹介状を渡して エレベーターにて2階へ行く。丁度9時、予約時間には9時と書いてあった。10時半過ぎ、やっと呼ばれて7番の部屋へ。女医だった、未知の器具に興味を惹かれ、新しい検査に目玉をパチクリ。最後に男性の医師の診察、時間が0時過ぎていた。足の両膝が痛んで苦痛。長~い、松の廊下を歩かされて1階の受付に戻る。流石、首都に近いからなのか、外人が多い。外人同士の夫婦が子連れで来てる、全てイスラム教徒だ。頭の被り物で判断できる。夫婦で日本に滞在出来る条件など考える。日本の若いカップルも子連れが目立った。左膝の筋肉の衰弱が激しい。妹の車を待っていたが、来たので立ち上がったらよろめいてしまった。お隣の老婦人にもたれかかってしまった。「いやあ、申し訳ありません」と詫びると「お気をつけて下さいね」と笑顔で労わられてしまった。 まさかね~、80才過ぎのお年寄りに、慰めの微笑を頂くとは!人間、生きて見なければわからないものです。 夜のワインの美味かったこと!そして、今日は2月10日、今日の分はサボります^。(膝株がいたくて、難渋しています、これも仮設、団地と1日100歩所か50歩も歩かない生活の当然の酬いでしょうね。”お兄ちゃん、膝株何て言っても誰も分からないわよ” って妹に言われたけど、そうでしょうか?
2016.02.10
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去年の4月20日に、すっかり慣れ親しんだ仮設から5階建ての団地へ引っ越ししました。「アニキ、此処が終の棲家だかんな」とすぐさまに弟に言われて。・・・・(本当にそうなれば良いのだが)・・・・と思いましたが一抹の不安があった。住み心地は仮設の方が良かった、湿度の高さには閉口しましたね。 秋半ば頃(?)、弟がある催しで出かけた所で、「気分が悪い」と言って 階下へ下りて座ったソフアーでガクンと仰向けになって、意識を失った。丁度、同席していたナースが見てくれたが、「脈が触れない」と言う。もう、気を失う前から危ないと感じて、救急車を呼んでいました。いつも行く近くの病院へ行ったが翌日、大事ないと言うので戻ってきました。わたしも8月20日に、悪魔が又嘲笑うように10数年ぶりに出血。常磐病院へ行く、病変は原因不明と言う医師が電子機器へ打ち込むのも危うい手つき、若いナースが手助けをしている。抗生物質も効かないし、chiも止まらない。そこで、今度は最後の病院として、労災病院へ行く。12月3日の事で、X線、CT、採血、検痰する。 12月17日、”非定型抗酸菌症”と診断される。常磐病院での検査では認められた、アスペルギルスは皆無と言う事だった。18日から、クラリスマイシン飲み始める。平成28年1月2日、深夜、弟、倒れる。3日に日が替わる頃、救急車で労災病院へ緊急入院。又、仮設での暮らし(食事)に戻る。 1月14日、絶望的な病状を石原某から聞かされるも、覚悟の上だからヘイチャラ。ヘイチャラじゃなかったのが、薬局までの道が迷路で痛む足で散々うろついた。この日はタクシー代金が往路5.900円、復路5.100円要した。1月7日、弟の手術、3本の動脈の内、2本が完全に詰まっていてもう少し時が経ってたら死んでいたと言われた由。1月22日、2度目の手術で成功したが、6か月後検査を要するらしい。手術しなかったのは20年前、ステントを入れた動脈で、どうも其処が問題になってるらしい。23日は弟の誕生日だった。1月30日、積雪、珍しい白い風景だが弟が退院してくる。 もう、1人ではいられない状況である。1月31日、実父の命日、茨城へ移転する。福士加代子のマラソン優勝を称える。 ぷららの手続きに戸惑う。2月2日、スズとトトに再会する、2匹ともすっかり大きくなって忘れずに窓際へ寄って来てくれた、嬉しい。夜、しーちゃん夫婦とカメナシRが来る、英語の単語の片言を喋る。2月5日、あ~ちゃん夫婦と大きくなったCocoちゃんと初めて会うミラクルウーマンと会う。あ~ちゃんの夫にライトを直して頂いた。明るくて、読書もする気分になれた、ありがとう。今日は寒いのかも、明日も寒いのかも。2月5日は母の誕生日だった。生存中は、歌を詠んで贈っていたけれど、今はその歌も浮かばない。12月3日の父の誕生日も忘れていました。これも、認知症と言う物の症例なのかなあ。
2016.02.08
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