PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
今朝は5時ちょっと過ぎに目を覚ましました。うす雲のかかった朝です。鶯が良く鳴いています。昨日は、銀行、論文3件の対応、発明の届けの素案つくり、興味ある論文を池畠先生に転送して頂き、関係者に転送、昼食後論文通読、アクセプトのメールを出し、会議1時間、素案の再検討、関係者に転送、2件論文を通読、感想を3人にメール、夕刻打ち合わせと松浦先生と調整の話し合い、その他研究費の報告や、一身上の問題の話しなどと忙しくも充実した日でした。10何年ぶりにニースの友人からメールがあり編集員への招待や共同研究の希望、最近の論文の発送などもありました。
次は質問へのメールです:
最近学校の廊下に、「僕たちが20歳になるころ裁判制度が変わる」と言うポスターが貼ってあります。
ポスターの下の方には最高裁判所の名前、とか書いてあります。
ちょっと変に思うのは、憲法には3権分立が謳われていますが、一体誰がどう替えようとしたのでしょうか?
僕はちっとも賛成したり、納得した記憶がないのに。この件についてもう既成事実のようになっていることです。国民投票とかあったのでしょうか?
すべての面で時を同じくして、制度が変わっていくのも変だと思う気持ちがあります。
良く分からないのですがもし分かったら教えて下さい。
__________________
これはアメリカの陪審制を取り入れたもので、確かに是非の問題は別として、アメリカの物真似ですね。議会では議論されて勿論実現しているのです。
ここで面白い考えは 裁判などの問題でも、素人の判断があるといいという 考え方ですね。専門家は偏って変な考え方をする危険性があるという事に根ざしているように思います。
このような事はいろいろな所に現れますね。 例えば学会賞なども専門家しか分からず、1部の本に1部の人の評価になり、多くの人には評価できませんから、密室だけのものになりがちです。その点ノーベル賞などはそのような事がなく、いわば歴史的に評価が耐えられる基準を持っていますから、大変良いと思います。教育界も政治家集団も専門家集団になり ある意味で閉じた世界を作って 変な状態になっている弊害が出ていると感じることが多いのではないでしょうか。
私達も、一般の庶民のなかに実は大きな真実があるのだ、常識が大事だと指摘し、今の社会 何かおかしいのではと思い、 いろいろ意見を述べて、意見を交わしていこうとして、再生核研究所声明を発しています。(2007/05/23:23:40)
(追記)
多くの人にとっては、憲法は変えるべきか、変えないべきかについて、どちらがいいか判断ができないのではないでしょうか。真面目に考えると国際社会の中で、変えるべきか、変えないべきかは非常にデリケートで、専門家の間でも判断がつかないというのが真相ではないでしょうか。 すると、何も分からないで、判断を求められる事は、所詮無理で、非常に危ういという事にならないでしょうか。 ところが 一旦、国民投票で決まったものは、最高の意思決定として、重きを成し、それにしばられることになります。 みんなで決めれば良いとは全然ならないのではないでしょうか。実際多くの会議では、少数意見が適切であり、またみんなの為になるということが多くあるのです。 よって、国民投票を考える場合には、非常に慎重な取り組みが必要ではないでしょうか。 民主主義は、いつでも衆愚政治に陥る危険性があることに気をつけたいと思います。