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再びアルザスへ33私の休みは以前にも書いた様に、午前中からルディグ氏の実家で過すことが多く、今日も来て、ルディグ氏の弟たちの遊び相手をしています。そうすれば、マダムも一時は家事に没頭出来ます。ルディグ氏はあまりスポーツは得意ではないので、サッカーや卓球など弟たちの好きなスポーツの相手は対外私になります。今日はサッカーの相手をさせられました。手の空いたマダムも見に来て、犬のボビーまで一緒になって駆け回っています。そこに一匹の珍客が登場しました。隣の犬のニグラです。ボビーとニグラは大変仲が悪く、凄まじいケンカが始まりました。もうサッカーどころではありません。下手に止めようとすれば、私たちが噛まれてしまいます。そんな時マダムが足元の小石をつかんで「コンチクショー!」とニグラに投げつけたのです。ところが、その小石はてんで見当違いに飛んで行き、隣のカレージの窓に直撃してしまいました。 ガチャーン!! 私たち皆、目が点になっていました。すると、マダムが「それ~逃げろ~!」と一番に駆け去るのです。私たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げていきました。後はどうなったか知りませんが、マダムの「それ~逃げろ~!」には度肝を抜かれました。それにしても、あのまるっきり違う方向に投げた、運動神経の無さは、ルディグ氏に受け継がれているのだ、とその時初めて気が付きました。 ここで一言、ルディグ氏は球技は苦手ですが、駆け足は早いです。
2007.07.31
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ミュールと言います。日本ではあまりお目にかからないフーツです。ラズベリーと同じ仲間だと思いますが、真っ黒にならないと、酸っぱすぎて食べれません。今が丁度収穫時期です。私の店の庭で栽培していますが、この木の苗は、私の家の玄関前に置いてあった物で、どなたが置いていかれたものか、未だに分かりません。ただ枯らすといけないと思い、鉢植えから庭先に植え替えたところ、どんどん大きくなり、今では、毎年沢山の実を提供してくれます。
2007.07.30
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再びアルザスへ32 ある日の夜、お客さんの料理を出し終わり、皆で食事をしていると、一人の老婦人がやって来ました。私は知らない人でしたが、ルディグ家の面々とは親しげに話をしています。マダムに「だれです?」と訊いたら、ルスティックの経理士さんの奥さんだそうです。その経理士さんは私も知っている方ですが、奥さんは初対面でした。彼女の話では、彼女が外出中、ご主人が家の鍵を持ったまま、旅行に出掛けてしまい、家に入れないと言うのです。今晩だけでいいから泊めて欲しいそうです。2階のアパートには、ホールの女の子が使っていた部屋がそのまま空いていたので、泊めてあげる事になりました。彼女はここへ来るタクシー代位しかお金を持っておらず、夕飯も食べてないので、お勘定は後にと言う事で食事をしました。でも何となくおかしな雰囲気が漂うのです。そしてお腹がふくれたら、もう寝たいと言うのでマダムが部屋に案内をし、私たちはまだ暫らくカフェの仕事が終わらないので、先に休んでもらいました。今晩もカフェの方は大盛況で、終わったのが深夜1時位だったと思います。今日はお客さんが泊まっているので、静かに部屋に入り、いつもの様に爆睡です。それから、どの位たったでしょうか、私の部屋のドアが開く音に目覚めました。すると其処にあの老婦人が立っているのです。まだ真っ暗でしたから、午前3時~4時位だったと思います。そして彼女が「お前は誰だ~」と、「私の家で何をしている~?」と叫ぶのです。私はビックリを通り越して怖くなってしまいました。私も思いっきり大声でルディグ氏を呼びました。まさか幽霊だとは思いませんでしたが、どう考えても、彼女は普通ではありません。翌日解ったことですが、彼女はご主人の女性問題で、ノイローゼになっていたらしく、又、ご主人も旅行など行っておらず、昨夜はずっと彼女を探し回っていたそうです。それにしてもお騒がせもいいところで、本当にビビリました。マダムはそのご主人に随分怒ったそうです。彼女なら言いそうです。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.30
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再びアルザスへ31ジビエのシーズンが過ぎると、私自身の仕事も随分楽になります。と言うのも前記したように、イノシシも鹿も一頭から捌いていたので、まずその作業がなくなる訳です。これで暫らくは私もゆっくり眠る事が出来ます。季節が四月になるとめっきり日が長くなり、お客さんの入りも遅い時間になってきます。休憩時間が取れるようになり、久々に中国人の友達に誘われて町に出る事になりました。彼は私などより、よっほどフランス語が堪能ですので、いつも彼任せで付いて行くだけですが、連れて行ってくれる所が中々面白く、フランス人の友人ではきっと知らないだろうと思うような所も数多くあります。(当然私一人ではとても行けない様な所も!) そしてそう言う所にはこんなにいるの?と思うほど中国人でごった返しています。そこへ行くとちょっとしたプティチャイナタウンにいるみたいで、中国や台湾に行った事のない私には、(横浜や神戸のチャイナタウンにも行った事がない)これはこれで、ちょっとした外国にいるみたいな気分で、中々楽しいものでした。普段はコーヒーばかりのんでいる私もこう言うところへ来ると、ジャスミンティーなど頂いて、見た目が変わらないので、その中に溶け込んでしまいます。チラホラいるフランス人のお客さんも私の事を完璧に中国人だと思っているようでした。日本にいたら、こんなに親しく中国の人たちと、接する事もなかったでしょうし、私は大変良い経験をさせていただきました。この次はコルマーで親しくなったベトナム人の話をします。
2007.07.29
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再びアルザスへ30アルザスも少しずつ、春めいた季節になって来ました。と言って日本の様にポカポカしている訳ではないのですが、人の動きが何だか活発になって来た様な気がするのです。長い冬眠から覚めたようだと言った方が良いのでしょうか!少しづつ日も長くなって来ますし、目覚めた時、明るいだけでも嬉しいのです。もうすぐ春だ~、それだけで人々の気持ちが変わって来るのです。私などはまだ防寒着を着ているのに、街では半袖シャツを着て歩く人もいるほどです。今日は久々に(定休日)大人だけで会食に行く事になりました。ご主人、マダム、ルディグ氏に私です。この冬最後のジビエ料理(野生の鳥獣)を堪能しようと言う事です。フランスでは、ご馳走と言えば、旬の野生動物であって牛肉や豚肉ではありません。イノシシ、鹿、ツグミに野ウサギ、あらゆる物を食します。その季節でしか食せない物が一番のご馳走なのです。私は正直言って、ジビエは癖が強く、それを消す為に使う香辛料があまり好きではないのですが、日本ではあまり味わえない料理ですので、勉強の為にご一緒させていただくのですが、大抵、夜眠むる時にゲップが止まらなくなる事が多いです。香辛料は漢方薬に通じ、また、食材の保存及び風味を良くする働きがあるのですが、決して消化の良い物ばかりではありません。私の様に、あまり胃腸の丈夫でない者には取り過ぎは禁物ですhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.28
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再びアルザスへ29結局、余裕を持って帰って来るつもりがぎりぎりになってしまい、すぐに仕事の再開です。と言っても忙しいのはカフェばかりで、料理場の方はそれほど追われる事もありません。前記したようにアルザスの冬は大変厳しく、カフェをオープンすると、まず郵便配達のおじさんがやって来て、コーヒーとカルバドス(リンゴのブランディー)を飲んでいきます。今では考えられませんが、当時この寒さの中、強いお酒を飲まないと外廻りは暖が取れないと言うのです。(言い訳半分かな?) ここルスティックは村では唯一朝から営業している店だったので、近くのお年寄りたちの溜まり場のようになっていました。朝一に入店してランチを食べて帰る(5~6時間滞在)お客さんが少なくなく、メインディッシュはもちろん、スープも毎日替えなければなりません。寒いアルザスの一番のご馳走はやはり暖かいスープなのです。こんな事が一度ありました。それは、夏の出来事で、その年は例年になく暑い日が続き、その日のメニューのスープを冷製にしたのです。ところがマダムがそんな物はスープじゃないと、突っ撥ねたのでケンカになってしまい、頭にきた私は流しに全部捨ててしまった事があります。当時のアルザスはスープは温かい物だ、と言う先入観が大変強かったように思います。現在のアルザスは地球温暖化の所為か、30℃を裕に越える猛暑の日が頻繁になって来て食生活もさっぱりした物を好むようになって来ているそうです。そう言えば、一昨年五月に訪れた時、私はてっきり寒いものと思い厚着でアルザスに向かった所、到着時あまりの暑さに驚いて、気温を訊いたら、31℃もありました。寒くて辛かったアルザスも今では懐かしく思われます。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.27
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写真は私の送別会のものです。今日は(7/25)大変うれしいことがありました。ルディグ家にスカイプが着いたのです。私はこれでもスカイプ暦5ヶ月で色々なフランスの友人たちとお喋りなどを楽しんでいたのですが、ルディグ氏はあまりパソコンには詳しくなく、アフリカに住んでいる弟がバカンス休暇でアルザスに帰って来るまで、スカイプは御預けになっていました。それが今日やっと使える様になり、ルディグ家全員ウエブカメラの前に並んで、大喜びです。マダムはウエブカメラを覗き込む様にして(全面アップ)話をします。映らなくなった人がカメラの位置を変えるとマダムが映らなくなり、またそれを戻して、なんだかカメラの取り合いの様な事をして大はしゃぎです。中々フランスには行けない私には、リアルタイムで相手を見ながら話しが出来る事に本当に感動していますし、マダムも本当に嬉しそうです。また明日も連絡する事を約して、今日はもう寝ますzzzzz。
2007.07.26
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久しぶりの日本へ5日本を発つのもまた東京からになるので、前日に実家を出なければなりません。母が名古屋駅の新幹線のホームまで送ると言うのです。子供じゃあるまいし、いいと言っても聞きません。私が新幹線に乗車し、去って行く母を新幹線が追い抜いて行く時、泣いている母の横顔が目に入りました。やっぱり私は自分が思っているよりも両親に心配をかけているんだ、と改めて実感しました。でもしばらくは、修業を続けなければなりません。東京に着いて、前もって予約してあったホテルに入りました。そのホテルは都イン東京、志摩観光ホテルと同系列のホテルで、先輩や後輩たちが何人か働いています。帰国時に予想外な思いをしたので、今回は無難に帰る事にしました。ホテル内で軽く食事をし、後輩たちと近状報告などをして、その日はゆっくり休みました。そして翌日、両親がルディグ家にと持たせてくれたお土産が大量だった為、早めに空港に向かいました。渡航手続きを済ませ、出国審査も済ませて待合所でのんびりしていると、私の乗る飛行機が整備の為、出発が遅れると言う放送が入りました。それも5時間です。「ひぇ~、こんなところでそんなに待つの~」と私だけでなく他の人たちもうんざり顔です。そして5時間後、また放送が入り、またもや5時間待たされる事になり、最後はいつ飛べるか解らない様な連絡です。多くの人がカウンターに詰め寄り「説明をしろ」と言っています。結局、その日は飛び立てず、飛行機会社の配慮で、ホテルニッコー成田で一泊する事になりました。そしてまた翌日、出発時間をまたも、5時間遅れて飛び立つ事になったのです。私は職場に帰るだけでしたので、「ま!しかたがないか」と思っていたのですが、ツアーの方たちの怒りはそんな物ではありませんでした。(当然です、向こうでの滞在が大幅に短くなるのですから!) そんなこんなで飛び立てたのは良かったのですが、給油でモスクワ空港に着いたら、また放送があり、「第○エンジンが作動しない為、次の旅客機をお待ち下さい」と言うのです。壊れた飛行機でここまで飛んできたの~、とビックリしました。結局、モスクワでまた5時間待たされ、パリの空港に着いたのは午前1時を過ぎていました。もうパリ市内へも行けませんし、行ったところでホテルを予約している訳でもなく、結局、バスの始発まで空港のベンチで夜を明かす事になってしまいました。これでは行きも帰りも思惑が外れっ放しの旅行です。やっとの思いでアルザスに着いた私は一辺にぐったりとしてしまいました。
2007.07.26
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東京では思惑外ればかりで、やっとの思いで実家に辿り着きました。東京から電話をしていた所為か、両親から友人まで、駅に迎えに来てくれました。二年やそこらで大袈裟ですが、本当に帰って来たなぁ~、と思いました。その日はそのまま実家の店を貸切で、宴会になってしまいました。現在では海外に行く事など、本当に簡単お気軽ですが、当時は田舎から海外に働きに行くなどと言うと大変な事の様なイメージがありました。宴会はその後、二次会三次会と続き、私は泥酔していつ眠ったのかも憶えていません。あくる日、二日酔いでガンガンする頭を抱えながら、店の方を覗いてみると、両親は、もう仕事を始めていました。「まだ寝てればいいのに~」と母が言ってくれます。父は「おい、軍資金だ!」と言って10万円もくれたのです。それからの数日は色々な友人から誘いを受け、一日と空けず、飲み歩く日々が続きました。弟も自分のバイト先の飲み屋に招待してくれました。(ここで驚いたのは昔、踊って歌う様な曲ばかり選んでいた弟が、私に合わせて演歌を歌い出したのです、それがまたうまい!) 何はともあれ、賑わしい日々でした。そして数日が過ぎた頃、アルザスと比べ日本は暑い暑いと薄着をしていたのと実家に帰ってきた安心感か、風邪をひいてしまったのです。フランスでも風邪ごときで寝込んだ事など一度もなかったのが、この時ばかりは立っている事も出来ないような有様でした。またそう言う時には運悪く、調理師学校時代の友人が九州から訪ねて来てくれたのです。彼は二日間、私の枕元で過していく羽目になってしまいました。やっと立てる様になった時には、彼の帰る日で父の運転で小牧空港まで見送りに行きました。本当に慌ただしく忙しい2週間でした。私も、もうアルザスに帰る日が迫ってきました。短いながらも一服の静養になりました。本当に楽しかった。またアルザスで頑張らないと・・・・。
2007.07.24
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夏にピッタリ、冷たいグリンピースのポタージュです。のど越しが良く、栄養満天です。一般にはジャガイモで作ったビシソワーズが有名ですが、グリンピースで作ったこのクレームサンジェルマンもぜひお試し下さい。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.24
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私の購入したチケットは、アエロフロート(ソ連航空)で、パリから、まず東京へ行かなければなりません。当時横浜の大学に行っている友人がいて、久しぶりに逢いたいから彼の学生マンションに泊まってくれとの事でした。私自身は一刻も早く両親に顔を見せたかったのですが、懐かしい友人にも逢いたかったですし、宿泊代も掛からなければ、横浜に一泊するのも良いナ、なんて思っていました。ところが、東京へ着いても待ち合わせ時間に中々彼は現れません。新幹線に乗っていれば、もうとっくに名古屋に着けている時間です。こんな事なら、約束しなければ良かったかなぁ~と思っていると、やっと彼が現れました。私は待ちくたびれて、早くマンションに連れて行って欲しかったのですが、その彼の一言「もう最終電車出ちゃったから、どこかでホテルでも取らんと!」「イぃ!」、これだけ待たされて結局ホテルかよ~。そして彼がそこら中のホテルに電話するのですが・・・、その頃丁度大学受験のシーズンで中々空いているところがありません。やっとの思いで捜しあてたホテルが、品川プリンスホテル、それも安い部屋はすべて詰まっていて、3万円以上の部屋しかないと言うのです。(今から27年も前の金額ですから相当な物です。)もう12時を回っていたのでしかたなくそこに決めました。最初の思惑と随分違ってしまって、(同年と言えど学生の彼に払わす事は出来ませんし・・・) 尚更、すぐ実家に向かえば良かったと心の中で思っていました。そしてあくる日、昼ご飯は東京で食べて行く事になり、日本に帰ってきたら、(まず汁物が恋しかったので)うどんが食べたいと言うと、彼が有名な店があるので其処へ連れて行くと言うのです。銀座だったと思いますが、有名店だけあってすごい込み様です。どれだけか待ってやっと席に着き、注文をする時、堅い目か柔らか目かと訊かれました。さすが有名店、麺の茹で加減まで訊いてくれるんだ、と感心していました。ところが、料理が運ばれてきて私は唖然としました。なんと其処は皿うどんの店だったのです。私の言い様が悪かったかもしれませんが、うどんと言えば、普通はだし汁の中に入っている物じゃないのかぁ~と!! 彼のトンチンカンぶりにほとほと呆れてしまい、そう言えば、中学の頃から気の利かない子だったナ~と、改めて想い出しました。これは早く実家に帰ったほうが良さそうです。
2007.07.24
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フランスを発つ日が迫り、急いでチケット代を振り込まなければなりません。ルディグ氏が午前中に振込みに行ってくれました。所が昼近くになっても戻ってきません。ランチのお客さんがどんどん入って来ます。昼のサービスがピークに差し掛かった頃、やっと帰ってきました。何だか大変不機嫌そうです。事情を聞きたくても中々手が離せません。やっと一段落して、彼の話を訊いて見ると、振込むお金の中の一枚に、偽札ではないかと疑いが掛かり、別室に連れて行かれ、随分待たされそうです。結果、偽札をもっていくわけもありませんし、ただ、そのお札は、彼ががポケットに入れ忘れて、洗濯をしてしまい、色褪せていた物だそうです。今では考えられませんが、当時のヨーロッパのお札は、日本と比べ物に成らないほど、紙質や印刷技術が悪くて、熱や薬品ですぐ変色したようです。ルディグ氏には気の毒でしたが、何はともあれ、お金も振り込んだし、数日後の出発を待つだけになりました。そして出発の前日、飛行機がパリ発の為、夜行列車でアルザスを発ちました。マダムには私の両親にと沢山のお土産を用意していただき、ルディグ氏はまた、列車の中でと弁当を用意してくれました。日本へ一時帰国出来る事の喜びもさることながら、改めてルディグ家には良くしてもらっている事を痛感しました。また戻って来てからは、しっかり働かないと・・・。そして沢山の土産話を携えて・・・!
2007.07.22
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ルディグ氏お得意の鴨のガランティーヌとフォアグラのテリーヌの盛り合わせです。 フォアグラをスプーンで盛り付けるのは、オーベルジュ・デゥ・リールと同じです。 私の大好物を知っている彼からの誕生日プレゼントです。美味しかった~
2007.07.22
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アルザスで最も辛い冬本番です。街に行き交う人々もうつむき加減で、足早に通り過ぎていきます。ここルスティックも冬期休暇に近かづき、私はどうしようか、まだ決めかねていました。カンヌのレストランも当然、冬期休暇です。ルディグ家は休暇中、どうしているかと言うと、何処にも行かず、自宅でのんびり過すそうですし、私にもそうしろと勧めてくれるのですが、何週間もボ~としているなんて私には考えられません。よし、思い切って日本に帰ろう!と決断しました。思えば日本を発って2年以上経っていました。ルディグ氏に預けてある給料も殆んど手付かずで、大分貯まっているようです。思い立ったら、すぐチケットの手配をしなければなりません。なんせもう間近です。色々な友人にあたって値打ちなチケットを売っている旅行社を捜して貰いました。パリのカレフーデゥジャポン、当時日本へのチケットを最も値打ちに販売している会社だそうです。そして急いで連絡を取り、思いがけず丁度良い日にちが取れるとの事でした。そのまま予約申し込みをし、後はお金を振り込むだけです。ルディグ氏が振り込みに行ってくれると言うので一安心、と、うまく事は運んでいたのですが・・・。
2007.07.22
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再びアルザスへ28オニオングラタンスープをお出しして私の仕事は一応終わりなのですが、もう昼のランチの準備が始まります。と言うのも、この日ばかりは、他のレストランで年越しディナーを楽しんだお客さんが、そのまま家に帰らず、次の店に雪崩れ込んで行く事が多いのです。ルステイックのお客さんもワイワイガヤガヤ夜明けまで騒いでいます。(その後はディスコか何処かに行かれるんでしょう) お客さんが帰ったら、片付けをして、すぐ店を開ける準備をします。午前9時には他のレストランで酔っ払ったお客さんがもう遣ってくるのです。そしてそのままランチに突入して、午後3時、スタッフ一同もうフラフラで、皆、目の周りが真っ黒になっています。でもこのイベントが過ぎれば、アルザスは寒い寒い冬の到来です。当時、一月後半から二月に架けて、冬期休暇を取るレストランは南フランス同様、ここアルザスでも多かったように思います。ルスティックも3週間ほど休みました。私はこの休みをどうすれば良いのか、また、考えねばなりませんでした・・・・。
2007.07.21
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再びアルザスへ27クリスマス以降の話に戻りましょう。家族で楽しいクリスマスを過すと、すぐ次に控えているのが、レヴェイヨンと言って新年を祝いながら過す、年越しディナーがあります。どのレストランでもやっていると言う訳ではありませんが、ここルスティックでは、一年で一番のイベントです。ディナーは、夜10時頃から始まり、ほぼ夜明けまで続きます。まず最初は、ビュッフェスタイルで、各種オードブルを銘々に取って、歓談を楽しみながら進めていきます。そしてお腹の方が少し落ち着いたら、司会者の楽しいトークが始まります。そしてメインディッシュの登場です。其の頃には、もう12時の年明け時間に迫り、カウントダウンが始まります。5.4.3.2.1 「ボンナネー」と皆言い合い、キスをするのです。私は料理場で隠れていたのですが、この時ばかりは、お客さんも料理場に雪崩れ込んできて(おばさんばっかり)私にキスをしていきます。そして、デザートを出して終わりかと言うと、そうではありません。ここからが皆のお楽しみです。ゲームありダンスありで、益々ヒートアップしていきます。ダンスの出来ない私は、逃げて廻るのですか、おばさんたちはお構い無しで、引きずり出してはダンスの相手をさせます。問題児のホールの女の子は、ここぞとばかり嬉しそうに入れ替わり立ち代わり新しいパートナーとダンスをしています。ルディグ氏は、と言うと、もう誰もが踊れないのを知ってか、誘う人もありません(少し可愛そう) そして数時間が過ぎ、午前3時、騒いで小腹が空いてきた頃に、オニオングラタンスープをお出しするのです。ここで一応コックさんの仕事は終了となるのですが・・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.19
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再びアルザスへ26トラクターに揺られ、夕日の中を家路に着くなど、日本ではとても経験出来なかった事でしょう。アクチューありがとう。帰ったらこの事をすぐ手紙に書いて日本に送ろうと思っていました。ところが、オーナーの家に着いたら、手と顔を洗って食堂に行くように言われました。え!又食事・・・?テーブルにはお昼よりも沢山のご馳走が並んでいます。見た事のない顔もあります。「???」 オーナーが立ち上がり「今日は皆ありがとう、そして日本からの新しい友人を招く事が出来、私は本当に幸せだ」と挨拶するのです。足を引っ張ってばらりだった私は、顔が真っ赤になってしまいました。アクチューを見ると、笑ってウインクしています。私は胸が詰まって挨拶どころか、まともに話す事すら出来ませんでした。「皆さんありがとう、大変楽しかった」としか言えませんでした。それから飲んで食べて、気分が良くなってくると、アコーデオンにハーモニカまで持ち出して、歌って踊ってまるでお祭りです。隣席のアクチューに「毎晩、こんなに賑やしいの?」と訊くと、「君が毎日来ればね!」と。 また胸が詰まってしまいました。本当に皆さんありがとう。 夜も更け宴会も御開きです。その時、オーナーが手伝いの人々の名前を呼び、一人ずつ、手渡しで日当を配って行きます。何番目かに私も呼ばれました。「え?遊びに来ただけなのに・・・」 そう言って辞退すると、「君は今日働いたのだから、その報酬を受け取らなければならない」と、言って下さいました。そして、アパートに帰り着いたのはもう次の日になっていました。さっき頂いた日当の袋を開けて見ると、なんと200フランも入っているのです。私の当時の給料の3分の一にもなるお金でした。何だか私がお邪魔した事が返って申し訳なくて、それ以来、アクチューに誘われてもお手伝いに伺う事はありなせんでした。
2007.07.19
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再びアルザスへ25さあ午後からの仕事です。摘み残しがない様に皆について行くのに必死です。皆はお喋りをしたり、歌を歌ったりと余裕たっぷりですが、私は無言で続けるしかありません。日本のぶどう園と言うと、上からブドウの房がぶら下がっていて、上向きで長時間、作業をするのはそれはそれで大変ですが、フランスの様に縦に栽培してあるぶどうも、ずっと中腰姿勢での作業ですから、数時間も続けると、、中々辛いものがあります。やっと休憩の呼び声が掛かった時には、おじいさんの様に、腰が曲がって伸びなくなていました。皆和気藹々として、大きな菓子パンとワインを頂きます。そして、皆「大丈夫?」と声を掛けてくれます。私たちはそれぞれ、手提げの網かごに摘んだぶどうを入れ、それが一杯になると、人の背丈もありそうな円錐の木桶に移します。その木桶が一杯になると、力持ちの男たちが、ランドセルの様に背負って、丘を下り、トラックの大樽に移していきます。私も一度背負いたくて、やらせてもらいました。ところが、木桶一杯にぶどうを入れると私はまず立つ事も出来ないのです。周りから大笑いされ、ぶどうを半分ほどにしてもらって、丘を下ります。トラックに着くと、今度は梯子に登り、大樽の上から、体を斜めにして、木桶のぶどうを流し込むようにするのですが、その木桶自体が大変重い物なので、木桶もろとも私まで大樽に落ちてしまいました。なんとか出ようと思うのですが、木桶をランドセルの様に背負っているので、どうしても抜けられません。いつまで経っても戻って来ない私を心配して見に来た人もそれはビックリしたでしょう。なんせ人が一人逆さまに大樽にはいっているのですから!また皆のお笑いの種を作ってしまいました。何だか邪魔しに来たみたいで、益々居た堪れない様な気分です。 さあ気を取り直して名誉挽回です。それからはどれだけ時間が経ったのか憶えていない程頑張りました。気が付くと丘の上は夕日で真っ赤です。「さあ~終わるぞ~」とオーナーの掛け声が聞こえてきました。あっと言う間の一日っでした。それにしても腰が痛い、おじいさんの様な格好をしている私を見て、皆笑っています。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.18
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再びアルザスへ24ヴァンダンジュと言うのは、ワインを作る為のぶどう狩りのことですが、其の季節になると、ぶどう栽培農家が一年で一番忙しい時期になります。何しろ、ぶどうが一番良く実っている内に収穫をしなければなりませんから、当然期間が限られてきます。そう言う時には、親類縁者や友人、誰でも頼める人には来てもらって一声に収穫に行きます。私もメゾンデテートの同僚のアクチューに誘われ、休日に参加させてもらいました。朝も暗い内から農家へ行き、まず朝食を頂いて、日が昇ると同時に出発です。私はトラクターの荷台に乗せてもらって、どんなふうにするのか興味心身です。到着すると、オーナーが畑を見回し、何処から狩って行くか決めます。そして縦に植えられたぶどうの木の端から、ヨ~イドンで、ぶどうを摘んで行きます。おじいさんおばあさん、小さな子供まですごいスピードで摘み取っていきます。結局、私が一番ビリになってしまって、周りの人たちが手伝いに来る事になります。負けず嫌いな私は何とか追い着こうとあせると、摘み残しが出来、そこをまた注意され、良いところなしです。そして一つの畑が済むとまたトラクターに乗って次に移っていくのですが、10時過ぎでしょうか、次の畑に着いたら、本日2回目の朝食が始まりました。朝食と言っても、ソーセージ、ハム、チーズ、パン、それにワインまであるのです。私はてっきり早めの昼食だと思っていました。皆冗談を言ったりして本当に楽しそうです。それから、またぶどう摘みの再開です。やっと数反が済み、昼を少し過ぎていましたか、オーナーが「昼飯に帰るぞ~」と。え?さっきのは昼食じゃなかったの・・・?またトラクターに乗って家に帰ります。食堂に入ったら、テーブルには、もうご馳走が並べられていました。まだ食べていくらも経っていないのに・・・。役立たずの私はご飯を食べに来ただけみたいです。同僚のアクチューに「いつもこんなに食べるの?」と訊いたら、彼は、「いつもよく食べるよ、ただ今日はご馳走だ!君のお陰だね」と言われた時には、余計居た堪れない気分になってしまいました。よし、午後からは頑張るぞ~と意気込んだのですが・・・・・http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.17
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再びアルザスへ23時間が少し前後しますが、アルザスだけでなくフランス中、秋は何かと忙しい時期なのです。そこら中で収穫祭があったり、またブドウの収穫時期(ヴァンダンジュ)であったりと! そしてレストランで働く私たちも休みの日には、野山へ、山菜採りではなく、野生のフルーツ(プルーン、ラズベリー、フレーズデボア等々)を採りに行きます。これらは秋のうちに収穫して、冷凍し、冬の間のタルトやムースに使うのです。私たちレストランでは、それだけではもちろん足りませんが、普通の家庭でしたら十分な収穫が得られます。そしてそう言う時には、必ずと言っていいほど、高原の地方料理を食べさせてくれるレストランで昼食になるのです。私はそれが楽しみで休みの日でもここぞとばかり元気です。こう言う高原レストランは山の頂上にあり、時期的に開けている店が多く、ほとんどの所が決まった定食しか出さないのですが、私がおばあさんから習ったような伝統料理で、街のレストランでは味わえないような物ばかりです。たとえば、トルトゥ(ミンチ肉のパイ包み)とか、固まりのベーコンをジャガイモと白ワインで何時間もオーブンで蒸し焼きにした物とか、特大の季節フルーツタルトと言った様に、この季節、この場所でしか味わえない物ばかりなのです。こう言うレストランは、小洒落て、テーブルクロスなどなく、大きな飯台がずら~と並んでいて、見ず知らずの人たちと相席になり、またこの雰囲気が堪らなく良いのです。また、いつか秋のアルザスに行ける時があれば、ぜひ訪れてみたい所です。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.16
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名前の如く、食いしん坊に食していただきたいサラダです。具はお好みで!!今回は、白ワインで蒸した車海老とスモークサーモン、鴨のスモーク、ガランティーヌ、生ハム等々贅沢にすれば、フォアグラのテリーヌ又はソテーなども、GOODです。味付けはレモンを少々効かせたフレンチドレッシングと、辛子マヨネーズをお酢で伸ばしたものなど、アクセントがきいて良いと思います。食欲の落ち気味な夏にもってこいの一品です。しっかり冷やしてお召し上がり下さい。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/menu.htm
2007.07.15
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再びアルザスへ22フランスでのクリスマスの話をするのを忘れていました。フランスでのクリスマスは日本よりもずっと神聖なもので、外出はせず家族だけで過します。ですからレストラン等もお休みで、開いている店など滅多にありません。 最初の年、私はそんな事も知らず、クリスマスなのに休みがもらえて、今晩はどっかのレストランでご馳走でも食べようとウキウキしていました。夜が更け、街に出るとクリスマスの飾りつけやネオンが大変綺麗です。でも、いつもと雰囲気が全然違うのです。そうです街には人っ子ひとりいないのです。ネオンばかりが華やかで、店舗はもちろんレストランも灯りが点いている所はありません。雪も深々と降ってきます。自分で言うのも可笑しいですが、何だかマッチ売りの少女みたいに、誰もいない街を、うろうろと何処か開いているレストランはないかと、さまよう羽目になってしまいました。やっと見つけて入ったレストランはすべての照明をローソクだけにしてあり、それはそれで雰囲気は幻想的で素敵なのですが、店内にお客さんは誰もいず、私一人でしたので返って侘びしく感じられたのを今でもよく憶えています。翌年からは、ルディグ氏の家族と共に過す事が出来ましたので、そんな寂しい思いをする事はありませんでしたが・・・。帰国して、今までクリスマスと言うと仕事に追われるばかりの時を過し、今はあの時の寂しくて侘びしいクリスマスが無性に思い出されてなりません。アーメン写真は数年後、マダムから送られて来たルディグ家のクリスマスです。
2007.07.15
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フレッシュな帆立貝がたっぷり入った小さなドリアです。サフランライスの上に、小麦粉、バター、牛乳のみで作ったベシャメルソースをかけ、スイスのエメンタールチーズをたっぷり乗せて仕上げました。180℃のオーブンで15~20分焼いていただくだけで出来上がりです。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/shopping.htm
2007.07.14
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再びアルザスへ21ある朝、眠い目を擦り擦り、レストランへ下りて行くと、昨日片付けた筈の料理場が無茶苦茶になっているのです。あらゆる引き出しが開いていて、中身が散乱し、床にばら撒かれたようになっているのです。ホールの方も同じ状態です。私はアパートに駆け上がり、ルディグ氏を叩き起こしました。どうも昨夜泥棒が入ったようです。ライフル事件からまだ数ヶ月しか経っていないのに・・・。すぐに警察を呼び捜査が開始されました。警察の話では、進入口はカーブの高窓、そして、愛犬のボビーが吠えなかったところをみると、知人か もしくは、犬を飼っていることを知っている人物で、先に餌を与えてから、進入してきたのだろう、と言う事でした。どちらにしてもルスティックの内情に詳しい人物の犯行だろうと!しかし、どちらにしても、無人のレストランに現金を置いておく訳もなく、散らかった以外は被害もなく、これからは戸締りを厳重にすると言うことで、一応解決しました。ところが、昼過ぎ、ホールの女の子が、血相を変えて料理場に飛び込んで来ました。なんと彼女がお客さんから頂いたチップが丸ごとなくなっていたと言うのです。大きな一抱えもありそうな瓶にもう半分以上は貯まっていたそうです。彼女はギャーギャー騒いでいましたが、彼女の常日頃の行動を知ってか、誰一人同情する人がいなかったのには、気の毒と言うより、可笑しさの方が込み上げてきました。マダムが小声で 「せっかく泥棒に入っても、あんな小銭ばかり、さぞ重たかっただろうに!」 と、私にウインクして来た時には、さすがに噴き出してしまいました。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.14
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再びアルザスへ20ティエリーが兵役に行き、料理場はまた私一人になりました。其の分、忙しい時など、ルディグ氏のおばあさんが手伝ってくださいました。彼女は名料理人です。アルザス料理に関しては私など足元にも及びません。観てくれは、確かに良くありませんが、やる事なす事、壷に嵌まっていて、観ていてなるほどと勉強になる事ばかりでした。プロが出せない伝統の家庭料理を彼女から学ぶ事が出来ました。アルザスは大変苦労を強いられた地方なので、安い素材で、いかに栄養とボリューム、そして美味しさを出すか、無駄もなく素晴らしい物を作られて来ました。例えば、ベッガオッファと言う料理は、その時期に大量に取れた、ジャガイモやカブと、安物の肉類に白ワインやビールを加え、土鍋に入れオーブンで2~3時間蒸し焼きにした物(昔はパン屋さんのオーブンの隅に入れてもらいました)など、決して、高いものではないですが、肉類から出た旨味はすべて野菜に吸収され、また肉も柔らかく、正しく舌にトロける味わいになるのです。シュウクルートもその料理の中の一品ですが、真に効率の良い料理ばかりなのです。そして私の大好物、おばあさんのラーバクネッファラ(レバークネル)、この料理はアルザスパスタとも言われる(シュペッツリー)、本来何かの付け合わせにするクネルの生地に子牛のレバーミンチ、玉ネギ、パセリ等、香味野菜を加え、細くして茹で上げ、フライパンでカリっと香ばしく炒めた料理なのですが、ボリュームと栄養、両方兼ね備え、カリっとした食感がたまらなく、正にアルザス料理の王道です。アルザス語でシューナラと言う(ソースと言うには程遠いものですが)俗に言う肉の煮汁を掛ければ完璧です。アルザスへ行っても、レストランではこう言う料理は殆んど食べる事は出来せんが、私はおばあさんからこれらの料理を教わり、アルザス家庭料理の継承者として、皆さんに一度は召し上がって頂きたいと思っています。その機会がいつか来ん事を願っています。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.13
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私のホームページのトップに使っている写真です。私の送別会にルディグ家の皆さんが用意してくれました。一番上にあるのが、クーグルーフと言うアルザスの菓子パンです。手前はキッシュロレーヌ、奥がタルトオニオン、ソーセージハムの盛り合わせ、ドライフルーツがたっぷり入ったパン、ブドウ、くるみ、焼き栗等の木の実(十月祭には欠かせない物)そして、ハロウィンのかぼちゃを使ったポタージュ(さすがにアルザス、浮き身にベーコンが入っていました)と食べきれないほどのご馳走でした。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.12
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再びアルザスへ19小さい新人君ティエリーも随分仕事に慣れ、毎日のサービスも大変楽になりました。休憩時間も取れるようになり、そんな時は、ティエリーを連れて他のカフェにコーヒーなどを飲みに行く余裕も出来ました。でも、相変わらず彼は私の事が怖いようです。以前にも書いたと思いますが、ルディグ氏は大変優しい人で、何でも従業員の我がままを聴いてしまう所があり、私は損な役目ですが、その見張り役をする羽目になってしまったのです。以前いたメゾン・デ・テートでも、フランス人を叱り飛ばす日本人がいると、あまり嬉しくない評判が立ち、がっかりした事がありましたが・・・。ここに来てまた同じ役目をする事になろうとは。ホールで怖い人はマダム、料理場は私と分担がいつの間にか決まってしまいました。そしてある日、珍しくティエリーが、今晩仕事があがったら、何処かへ飲みに行こうと誘ってくらたのです。「お!いいねえ~」私としては大感激でした。(少しは僕の役目、理解してくれたかな?) 私たちは、慰安会でも行ったディスコ内のピツェリアへ行き、ビールを飲みながら、世間話などをしていましたが、彼が突然、「色々世話になった」と言い出すのです。何なんだ~? 話を聴いてみると、来月からセルビスミリテーユ(徴兵)に行く事になったと言うのです。「え~~!」 私は初耳でした。彼はルステックに来てまだ半年にもならないのです。私の頭の中は{また、一人、また、一人}と訴えています。楽しい気分で来たはずが、一辺にど~んと落ち込んでしまいました。でも、フランス国の制度です、こればかりは仕方ありません。「元気で頑張ってね」と言いながら、来月から、また一人か~と、諦めるより仕方ありませんでした。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.12
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皆さんもよくご存知のお肉のテリーヌです。今回はロール形にしてありますので、正式名はガランティーヌと言いますが、この生地をテリーヌ型に入れて焼いた物をテリーヌと言います。味付けした若鶏と鴨をブランディーや白ワインで一晩漬け込み、ミンチにした物をフォアグラを芯にしてロール状にして、オーブンで蒸し焼きにします。焼きあがったばかりの暖かい状態で召し上がる場合は、バロティーヌと言い、また、名前が変わりますが、アメリカで言う所のミートローフだと思っていただければ結構だと思います。少し癖のある味わいで、辛口の白ワインと召し上がれば、最高です。美味しいですよ!!http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/shopping.htm
2007.07.11
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伊勢海老をソテー(炒め)し、アメリケーヌソースとブールブランの二種類のソースで仕上げた一品です。アメリケーヌソースの濃厚な味わいと、ブールブランの酸味が伊勢海老の旨味を一層引き立てる様に仕上げました。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/shopping.htm ぜひどうぞ
2007.07.10
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再びアルザスへ18新人君が入店してから、少し時間に余裕が出来、ご主人の会社の有志でやっているバレーボールチームに入れていただきました。週に一度、夜8時からの練習で、チームメートが、店まで迎えに来てくれました。フランスは当時からサッカーは大変な人気スポーツでしたが、バレーボールはあまり芳しくなく、私の入れていただいたチームも、とても上手とは言えないチームでした。私は中学高校、そして志摩観光と選手をしていましたので、一辺にコーチにさせられてしまいました。このチームは年齢もまちまちで、厳しい練習など、持っての他で、楽しくプレイ出来れば良いと言う趣旨でしたのでいつも和気藹々として、練習後、チームメートのお宅に招待していただいてご馳走になる事がしばしばでした。でも、練習となると私はハッスルし過ぎて、深夜就寝につくと足が攣ることが頻繁でした。(2年のブランクは大きい)そしてある日、市民大会があり、喜び勇んで出場したのは良かったのですが、ブロックに跳んだ時、相手チームのアタッカーの足がネット越しに私の足に絡まり、倒れたところを、同チームの選手が私の頭を踏みつけたのですから、堪ったものではありません。(ボ~となっていた私は解っていませんでしたが)大会は一時、大騒ぎになったそうです。店に帰り、私の顔を見てビックリしたマダムが、「もう、やらせない」と一言。丁度其の直後、バレーボールどころじゃなくなりましたが・・・。写真は、同僚のフィリップと練習中、近くの子供たちが寄って来て・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.10
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再びアルザスへ17ルディグ氏のもとで始めて迎える私の24歳の誕生日。フランスでは、何故か誕生日の人が皆に振舞う事になっているのです。一番に思い付いたのが、ルディグ氏とよく行く、中華レストランにルディグ家を招待する事でした。私はよく賄い料理で、丸の鶏を捌いた時に出る、手羽先を取っておいて唐揚げにすると皆、大変喜んでくれるのです。よし中華にしようとすぐに決まりました。それにフランスでは、手軽に安く会食が出来る所と言うとピツェリアか中華レストランになります。マダムのご主人はあまり乗り気ではなかったようですが、今晩の主催は私でしたので、仕方なく、ってところでしょうか・・。もうオーダーする物はお決まりで、揚げ春巻き、焼きそば、鴨と野菜の炒め物(鴨は大変安いのです)、チンジャオロースー等々、仕上げはリーカントネ(炒飯) 食前酒、ワインも頂いたので、ご主人もまあまあ、ご機嫌でした。このレストランのスタッフは、すべて中国人ですが、若いスタッフは、私などより、ずっとフランス語がうまいのです。其の中の一人に私は大変気に入られて、休憩時間など、よく誘われてお茶を飲みに行きました。でも、周りから見たら、同じ中国人(周りはそう思っていた)なのに、何でフランス語で会話しているんだ、と変な目で視られていました。私はアルザスへ行った当初、町で見かける東洋人を、日本人と思って声を掛けて、よく恥ずかしいおもいをしました。ほとんどすべて中国人かベトナム人だったのです。フランスでは、よほど小さな町でない限り、どこにでも中華レストランがあり、ここに至って中国人強しと思わざるおえませんでした。 写真は、昨年いった中華レストランのメイン料理、鴨と木耳のオイスターソース、リーカントネ
2007.07.09
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再びアルザスへ16私は、仕事が終わり部屋に戻ると、日課の様に日本の友達に手紙を書いていました。私の部屋は10畳間ほどの広さがあり、ベッドと机、簡易タンスくらいで、整然とした物で、バスルームのすぐ隣にありました。ルディグ氏は寝る前に必ず私の部屋を覗き込んで 「また、手紙書いてるのか」と呆れ顔をしていきます。皆さんはあまりご存知ないと思いますが、フランス人はあまりお風呂に入らない人種なのです。シャワーも週に1~2度がいいところです。ヨーロッパで香水が発達したのも、その所為だと言う説もあるくらいです。しかし、ルディグ氏はフランス人にしてはよくお風呂に入る人で、その晩も隣のバスルームに入って行く音が聞こえました。このアパートのお風呂は舟形で泡風呂の設備も整っていて中々快適です。そして、20~30分ほど経った頃でしょうか、突然バスルームで、ド~ンと言うものすごい音と地響きがしたのです。手紙を書いていた私が浮き上がるほどの衝撃でした。ビックリして、バスルームのドアを叩いても返事がありません。カギなど掛かっていないので、中を覗いて見ると、ルディグ氏がバスタブの横で倒れているのです。ズブ濡れでしたから、湯船に浸かっていたのは確かでしょうが・・・。意識がないのか、呼んでも返事をしてくれません。息をしているので死んではいないでしょう。どうしたらいいのか、ルディグ氏は、私より30キロ以上は重い人ですから、運ぶ訳にも行かず、またこう言う時はへたに動かさない方が良いと何処かで訊いた様に思ったので、まずは濡れた体を拭いて、あまりにも、悲惨な格好だったので、パンツだけ穿かせ、ルディグ氏の実家に電話をしました。夜中の3時です。マダムもご主人もすぐに飛んで来てくれました。そしていくらなんでも風呂場では、と言うことで、3人でリビングまで運ぶ事になりましたが、意識のない人がこれほど重いものとは思いませんでした。そして救急車を呼んで、病院に運ばれて行きました。その時には少し話しが出来るようになっていたようです。後に聞いた話では、浴槽を出るとき、どうも滑ったようで、倒れた時に頭を打ち脳震盪をおこしたそうです。舟形浴槽は先端がゆるいカーブになっているので、しばしばこう言うことがあるそうです。しっかし、一時はどうなる事かと、また今朝も寝そこないました。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.08
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私の四十数歳の誕生日。ルディグ氏が料理長を勤めるレストランに招待を受け、皆、正装をして出掛けました。小さな親友君は衣装替え・・・?いいえ、私たちがゆっくり食事をしている隙に、外に遊びに行き、プールに落っこちたのです。着替えがないので、ルディグ氏のTシャツを拝借。大き過ぎて肩がはみ出しているのがセクシーです。 彼のわんぱくぶりは四六時中、私にまとわり付いて治まりません。彼のママが私が疲かれるからと、一日中叱り付けています。そう言えば、27年前、まるっきり同じ事を言って、マダムが彼のママを叱り付けていたのを思い出しました。私が彼女に「あんたの子供の時の方が、大変だった」と言ったら、息子の手前、慌てて否定していました、が本当の事です。
2007.07.07
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写真はタンの教会 バラ色の砂岩で建てられています再びアルザスへ15ルディグ氏のレストランはルスティクと言い、{田舎風な}と言う意味があるそうですが。そのレストランから北東に20キロほど行った所にタンと言う大変美しい町があります。マダムが生まれた土地だそうですが、その町のお祭りに料理コンクールが開かれる事になり、近在のレストランに出展の依頼がありました。ルディグ氏は私にコンクールに出た事があるか、と訊いてきました。調理師学校時代、(京都料理展に出展したことが)一度だけあると、ただ何にも賞には届かなかった事を付け加えて。そしてうちでも出展しようと言い出したのです。「い、誰が作るの・・・・?」それに何時? 結局、出展日の前日、徹夜で作る事のなりました。「本当かよ~」 ルディグ氏がイメージを考え、やっぱり作るのは私です。会場へ料理を運ぶのは、8時、開場は9時だったと思います。一旦料理を会場に運んだら、店に帰って仕事をし、午後の休憩時間頃には、結果発表が出ているとのことです。まあ、はじめての出品ですし、悪くてあたり前くらいに思っていましたので、御気楽で、午後にまた出掛けて見る事にしました。会場はすごい人です。思ったより盛況で、あんまりひどい成績だと恥ずかしいと思い、遠目で眺めてみると、何か貼ってあるのです。近寄ってみて、驚きました。なんと金賞なのです。今晩はお祝いだ~。その席で、ルディグ氏が「今度はミュールーズのコンクールに依頼がきたけど」 「ひえ~~!」
2007.07.07
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再びアルザスへ14私はルディグ家四兄妹の中で、三男坊が一番気に入っていました。おとなしくて口数が少なく、それでいていつもニコニコしていて。日曜日など家族総出でレストランを切り盛りしている時でも、一人でおとなしく遊んでいて、殆んど手の掛からない少年でした。仕事の合間、ほんの少しだけ相手をしてあげるだけで本当に嬉しそうにしてくれるのです。私が日本に帰国して、7年ほど後に訪れた時には、彼はもうすっかり大人になり、声変わりをし、私より小さかった身長も190センチに近い堂々たる青年に成長していました。ただ、体はともかく、面立ちが自分のイメージと違い過ぎるのです。(何と言うか、昔、流行ったクシャおじさんに似ているような・・・。) その事を何気なくマダムに言うと、数年前、彼の友達の車が車上狙いに合い、それに気が付いた彼が犯人を取り押さえようとして、鼻のところをナイフで横殴りに切られたそうです。今は傷跡も薄くなったげど、少し引き連れが残ってしまった、と言う事でした。私もフランスでは色々経験をしてきましたが、そこまで怖い経験をしたことはありません。彼は何事もなかった様に振舞っていました。度量も大きな青年に育ったんだ。現在、彼は20歳も年上の奥さんとアフリカのセネガルで生活をしています。私と彼とは、フランスでは行き違いで、もう10年ほどは会っていません。
2007.07.06
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伊勢海老とアワビのステーキを盛り合わせた一品です。あえてソースを使わず、エスカルゴバターとレモンで仕上げました。アワビは柔らかく、伊勢海老はしっかりとした弾力あふれる料理に仕上がっています。 コース内容はhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/menu.htm一度ご覧下さい
2007.07.05
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再びアルザスへ13 今日は休みです。相変わらずベッドでグズグズしています。今日は寝溜めするぞ!!でもやっぱりルディグ氏が起こしに来ます。実家におばあさんを招いてお食事会だそうです。私はおばあさんが大好きで、また彼女の作るラーバクネッファラ(レバークネル)が大好物なのです。いつもよりは少しだけきちんとした格好で出掛けました。おばあさんは私を待ちかねていてくれました。本当の孫の様に。さっそくキッチンを覗いてみると、あったあったラーバクネッファラ。マダムが「あなたは疲れているだろうから、リビングで休んでいなさい」といつも親切です。でも、ここには一人小悪魔がいるのです。ルディグ氏の末の妹です。当時まだ7~8歳で、おてんばで、一日中、私を離そうとしません。私はリビングのソファーに座るとすぐ寝てしまうのですが、彼女は私に跨り、跳ね回るのです。マダムとおばあさんが何度も叱るのですが、一向に止みません。私の休みの日の一番の悩みはそのことでした。上の兄弟たちは彼女を普段からよくカラかって泣かせていましたから、余計私に纏わり付いて来たのでしょう。それから20数年、彼女は一児の母になり、私のホームページのトップにある小さな親友君は彼女の息子です。かわいいけれど、すごくわんぱくで、久々に訪れる私を離そうとしません。彼女は私が疲かれるからと、一日中小さな親友君を叱り付けています。そう言えば、27年前、まるっきり同じ事を言って、マダムが彼女を叱り付けていたのを思い出し。私が彼女に「あんたの子供の時の方が、大変だった」と言ったら、息子の手前、慌てて否定していました。笑えてきますが本当の事です。ささやかなプレゼントが当たります。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.05
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アルザスにも冬の兆しが訪れました。こちらの冬の寒さは半端ではありません。先日アルザスの友人に電話をしたところ、地球温暖化の所為か近年あまり寒い冬がない、と言うことでしたが、今から27年も前は、マイナス30℃近くなる事もありました。と言っても、そう言う土地柄ですから家の中は暖房設備が行き届き、住まいは日本よりも随分住み易いように思いました。ある日、またカフェのオープンの為に一人レストランに下りていくと、窓ガラスが真っ白です。今日も寒いんたろうなと、日課の湯沸しの為にガスに火を点けようとしたのですが、一向に点きません。元栓を確認してもオープンにしてあるし、ガスがなくなったのか・・・?私の働いていたレストランの真ん前にガス屋さんがあり、そこからプロパンガスを配達してもらっていたので、すぐに飛んで行きました。ガス屋さんが言うには「おっかしいな~この間替えたばかりなのに?」と、「何でもいいから、一度見てよ」と、引っ張って来ました。原因は彼が見て、一発で解りました。なんとプロパンガスが凍っていたのです。私はビックリしました、生まれてこの方、プロパンガスが凍ったところなど見た事がありません。私が「どうやったら使えるようになるの?」と訊くと、「昼まで待てば自然に解ける」と言うのです。冗談じゃありません。9時にはお客さんが来ます。「じゃあ~湯をかければすぐ解けるよ!」って、お~ぃ その湯を沸かすのにガスがいるんじゃ~・・。結局お隣さんから、深夜電気温水器のお湯を頂いて、難を逃れました。後に当レストランも深夜電気温水器を買う事になりました。ささやかなプレゼントが当たります。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.04
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お河童頭をどうにかしなければと、お客さんの中で美容院をされている方がいたので、訊いてみたら「明日にでも来て下さい」との事でした。翌日伺うと、美容院と床屋さんが2件並んでいて、どっちだ~と、覗いてみると、各々知った顔が見えました。床屋はご主人、美容院は奥さん。私は迷わずご主人の方に入りました。「良く来たね、今日はどうしたらいい?」と親切です。「面倒臭いのでパーマをかけてもらえますか」と。、カットをしてロットを巻くのは、日本と同じですがその後、美容院の方に行ってくれと言われるのです。てるてる坊主のような格好で隣へ行くと、おばさんたちで一杯で、その中の席に座らされ、頭からバケツの様なものを被せられました。周りからジロジロ見られ、男一人なので恥ずかしくて、早く終わってくれないか、とそればかり願っていました。30分ほどたって、また隣に逆戻りです。ロッドを外し、洗髪をし乾かし始めると、ご主人が変な顔をし始めたのです。完璧に乾いた時の頭を見たら、「ひぇ~~」、若き日の笑福亭鶴瓶になってしまったのです(爆発状態) 床屋のご主人がドライヤーで伸ばそうが何しようがどうににもなりません。結局、「どうしても気になるようなら、明日また来て・・」と、その日は帰されてしまいました。店に帰って、皆から爆笑されたのは言うに及びません。ホールの彼女が親切にブラシとドライヤーで伸ばそうとしてくれましたが、追いつきません。結局、あくる日その床屋さんに行って、短く刈ってもらいました。ご主人曰く「日本人の髪はフランス人の髪より固く、パーマがかかり過ぎた」と。確かにフランス人の髪は、細くて柔らかそう、腰がないみたいですけど・・・・そこを何とかするのがプロでしょうに・・!もうパーマはこりごりです。写真は短く刈ってから少し伸びた時です。 ささやかなプレゼントが当たります。応募して下さいね!http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.03
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ライフル事件が少し納まり、それほどお付き合いもなかった隣の薬局のムッシュー コー氏から変わった予約が入りました。コー氏の店も1ヶ月程まえにライフルで撃ち込まれていたので、それが縁ではありませんが、この村でも日本人の私が話題になり掛けていました。コー氏の友人でお母さんを日本人にお持ちの方が見え、ぜひ彼を日本料理でもてなしたいと言うご予約でした。さあ大変です。醤油どころか日本の食材は一切持ち合わせていません。街へ出て、ベトナム食品の店で、醤油、それと、日本料理に使えそうな物をまず捜しました。だし汁は何にしたら良いかとか。刺身といってもこの当時、アルザスでは新鮮な魚介類は入りません。まず思い付いたのが、ドイツ鯉の洗いでした、これなら生きたものが入ります。焼き物は川カマスの西京焼、実家が日本料理店だったこともありますが、調理師学校と神田川先生に習った事を応用して、こちらの素材で何とか作っていくしかありません。ところがご予約を受けた日が日曜日ときています。他にも大勢のお客さんが入り、両方を同時進行をしなければなりません。従来の料理は、新人さんたちにも手伝ってもらえるのですが、日本料理の方はそう言う訳にもいかず、私一人でやらなければなりません。本当にドタバタでした。なんとか出し終え、挨拶に伺うと、そのゲストはまるっきり日本人の顔をされている方でしたが、フランスで生まれた方で日本語は殆んど話せない方でした、それでも「私の故郷の料理を楽しませていただきました」と仰っていただきました。でもその後,「もう一品食べたいのですが・・?」と言われるのです。ひぃぇ~!!見てくれは、日本人でも胃袋はアルザス人なんだ~!それからもそのような予約が入いる度に、ボリュームを増やす事ばかり考えていました。
2007.07.01
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レストラン跡、現在は美容院になっていました。従業員が増えても、私の日課は変わりません。カフェのオープンの為に7時には店に入ります。私も従業員用のアパートに移りたかったのですが、ルディグ氏は許しませんでした。なぜかって?自分が寝坊助だからです。ホールの女の子が、従業員用のアパートに移り、彼が実家からレストラン2階のアパートに移って来ました。最初は、「起きたら、すぐにレストランに入れるから」とか何とか言っていましたが、口煩いマダムから逃げたかったのでしょう。本来、従業員は9時に出勤すればよいのです。私も他の子たちの様に従業員アパートに移れば、9時に出勤すればいいのですが、そうするとカフェを9時にオープンするための準備を彼がしなければなりません。それでどうしても私を残したかったのでしょう。ある日、眠いのを我慢して料理場に下りて行くと、何かいつもと違うのです。(鍋がひっくり返っていたりして) アレ・・?レストランの方に行って見て、私は愕然としました。テーブルやら、窓ガラス、ワインボトル、ワイングラスなど店の中がメチャクチャになっているのです。私はビックリして、ルディグ氏をたたき起こしました。彼も呆然としていましたが、その頃、夜中にライフル銃で色々な店舗を撃って廻る事件が多発していたのです。まさか自分たちの所に、って彼も思ったでしょう。急いで警察を呼び、その日は仕事どころではありません。9時に出勤して来たマダムが一言「あんたたちは二階に寝ていて何で気がつかないの?」って、冗談じゃない・・・気が付いて下りて来たら私が撃たれています・・・。それからも色々な事件が起きるのですが・・・・。プレゼントが当たります。応募して下さいね!http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.01
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