新しい生活が始まって1週間。
長男は今まで こもって溜め込んだエネルギーで動き回っているのだろうなあ。
中学校に行かれなくなった時は、こころのエネルギーが消耗している という言い方がまさにぴったりだった。そして症状には必ず意味があるのも、今ならわかるが、当時はパニックだった。
怪我の後遺症に違いないと脳外科での検査 そして心療内科では うつ傾向 と診断された。
死にたい。殺してくれ。の時期だ。
確かに野球での怪我が 彼にとっては周りが思う以上に トラウマティックな出来事だった のかもしれない。あんな 挫折はもう味わいたくないなあっと合格発表の朝ぽろっと言うのを聞いて、ああそうだったのかと思った。
脳幹の疲労=ストレスがそれによって加速されたけど、もちろん母や学校などから、必要のない管理や抑圧を あなたのために という名目の下受けていて、良い子を演じ続けられなくなった と言うのも大きいだろう。全てをチャラに出来るほど好きな野球を辞めたことで、嫌な事だらけになったともいえる。
彼にとっては 自立を通してこころをふくませる のが一番だと信じている。
そこにどうしてもかかわってくるのが潜在意識。
親自身が自分の生い立ちや親との関係も含めて自分に深く向き合いざるを得なくなる。自分が信じ込んでいた価値観も全てひっくり返される。そうして少しずつでも自分が育て直しをしてもらったのを感じる。長男によって。
これは不登校の親でなくても、色々な出来事でそんな場面がやってくるだろう。親になるとはそういう事なのかもしれない。
師匠は 誰にでもチャンスはあるけれど、鈍感で気付かない人がいるだけなのですよ。とおっしゃった。
私は一時期不登校の親の特別感がわずらわしく感じたことがあった。私たちはこれだけ深く人生を生きる事が出来ています。という特別意識のようなもの。もちろん私がひねくれていたのだけど。
息子はしたくてやりたくて望んで不登校になったとは思えなかった。苦しくて辛くてのたうちまわって。そして私もそれは自分がいけなかったのだと思わなければいけないのかと、そっちが苦しかった。
何とかしたいと思うのも、実は全て私が楽になりたいから。
彼の辛さも彼のもの。思いやる事は出来ても彼の人生を変わることも出来ない。
全て通る道なのだ。それは一つの通過点。それが彼の人生そのものではなく、学校へ行こうが家にいようが、彼は彼なのだ。
苦しみ傷つき自尊心もボロボロにひっくり返った彼は、もう傷つかないなんて事はありえない。また波が来てひっくり返る事もあるだろう。でも今度はその痛さも波の調子も自分でわかって少しずつ受けとめられるのではないか。
何度でもトライアンドエラーが出来る今。自分で船出をした長男を見送ろう。
飛び込んだ長男が戻ってこれる大きな母港になろう。今本当にそう思う。
難破するのも実はチャンスなんだ。