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今日は晴れのち曇りの天気予報です(今日は皆既月食)!! 寒い日が続くと「温かい食べ物」が食べたくなります(そこで「アッ、はっと」があるのではとおもいました)・・・驚く時の表現の「ハッと驚く」という表現があります~~~「鍋料理」だから^アツアツ^の「はっと」を食べて温まりたい!! 「はっと」の説は、殿様がこの料理を「ご法度」とした説(小麦粉料理を好む農民が増え、米の生産を怠ることを憂えた殿様が、ご法度を発令した為。第2代水戸藩主徳川光圀公が大子町を訪れた時に、財政改革の一環として団子汁全般を禁止した為。美味しい為に何杯もおかわりしてしまう為に作る事を禁止した為。それと、起源となる料理が訛って付けられた説(小麦粉で作った料理「ほうとう」から。平安時代に存在した菓子の「薄飩(はっとん)」から。)といわれています!! 主に東北地方に伝わる郷土料理で、茨城県と福島県の境周辺から宮城県(大崎地方)、岩手県(両盤)などに伝わっています・・・小麦粉に水を加えて良く練り、熟成させて薄く延ばした生地を茹で上げる小麦粉料理の一種の「はっと」は、荏胡麻や大豆、枝豆などでつくった餡を餅のように絡めた食べ方が一般的ですが、各地方独自の野菜や肉を入れた^けんちん汁風にうどんの代用として加えた食べ方^などもあります~~~食感的は^すいとん^より、餃子の皮とかワンタンに似ています!! 味付けは普通は醤油ですが様々な味付けで楽しみながら食べられます・・・例として、南三陸の牡蠣とか蟹を入れて海鮮はっと、カレー風とかコーンクリームシチュー風、キムチでの味付けも美味しい~~~「海鮮風はっと」での思い出は、今が旬の牡蠣を焼きながら食べられるお店が松島に(毎年食べに行きましたが、震災の影響で今年はどうでしょうか)、牡蠣だけではなく沢山の種類の海の幸をその場で食べられますから!! 大きな鍋で作って、食べるときの器は茶碗より一回り大きいものに盛ってたべるのが一般的な「はっと鍋」は県内の登米地方でよく食べられる郷土食で「全国はっとフェステバル」が毎年12月初旬に開催(今年は4日)され、はっとを題材にした「はっとの唄」(詞・曲・唄:吉川団十郎、編曲:林建英)もあります・・・登米地方の郷土料理「はっと」で^身も心も温まろう^と各地30種類以上のはっとが勢ぞろい(代表的な「油麩入り醤油はっと」や「あずきばっと」、「海鮮はっと」など定番からスィーツ系まで多種多様の味で、出来たての美味しい「はっと」に舌鼓を打ちながら食べ比べ~~~会場では、地場産品の販売やお楽しみ抽選会も行われ、「登米春蘭太鼓」、「はっと踊り」などが披露されます。 古くから伝わる登米市の郷土料理「はっと」とは、小麦粉を水でねって熟成させたものを薄くのばして茹で上げたもので、醤油仕立ての汁で茹で上げたり、お湯で茹でて、あずき、ずんだ、ジュウネン(エゴマ)などに絡めたり、ツルツル、シコシコの食感がやみつきに成る郷土料理、出汁や具材は登米地方の中でも地域や家庭により様々ですが、地域の特色を生かした「はっと」は、その場所でしか味わえないお袋の味だと思います。 法度汁:醤油仕立ての汁物に地域ならではの食材とはっとを加えた料理で、すいとんに似て、その土地毎に調理法が異なり、登米市の旧登米町(とよままち)では、具に特産の油麩を入れる傾向があるし、岩手県(北上盆地)でも似たような小麦粉料理「ひっつみ」があります(生地を引きちぎり汁に投げ入れて作られます)・・・そば粉を柳の葉の形にのばしたもの(そばはっと)を野菜たっぷりの汁に投じた「柳ばっと」と言われる郷土料理もあります。 ずんだはっと:はっとを熱湯で茹で、餅のようにずんだ、小豆餡、エゴマなどに絡める食べ方も一般的で、絡めたものの名前を採って、「ずんだばっと」「小豆ばっと」などと呼ばれています はっと鍋:醤油ベースの出汁に魚介類や野菜を加え、はっとをうどんにアレンジした鍋は、岩手県のものが知られています。 寒い冬の朝、庭に出て(^。^)y- .。oO ・・・夕食には「はっと鍋」を食べ、夜には「皆既月食」をみましょうか、などと思っていた今朝でした。
2011.12.10
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やさしくしてね(Don’t Just Satnd There)パティ・デューク(Patty Duke) 1947年12月14日^ニューヨーク・シティで生まれた彼女は^6歳で映画・テレビ、に出演^映画「奇跡の人」や「傷だらけの栄光」など出演作品が多いです!! パティ・デューク(本名はアンナ・マリア・パトリシア・デューク・オースチン)は^歌手というよりも女優としての名が広く知られています・・・それでは^歌はというと~~~1965年から1966年と「短期間の活躍でした!! B・ロスとL・クレーンの作で^1965年の夏に「Everything But Love」とカップリングで発表したデビュー・シングルが^この曲「やさしくしてね」です・・・全米第8位のファースト・ヒットとなりました!! ヒット曲は、「Say Something Funny(1965年)」、「Whenever She Hold You(1966年)」など計4曲で^まずまずの成果をあげています!!
2008.09.23
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ヤング・ワン(The Young Ones) / クリフ・リチャード(Cliff Richard ) シド・テッパーとロイ・C・ベネットの作で、1961年公開のクリフ・リチャード出演の映画「若さでぶつかれ(The Young Ones)」の主題歌・・・シングルレコードの発売が1962年1月、カップリングされた曲はイギリスでは「We Say Yeah」、日本では「When The Girl In Your Arms Is The Girl In Your Heart」でした~~~ラジオのヒット・パレート番組やアメリカのヒット・チャートでも人気を集めた曲で、イギリスでは勿論1位、日本でも大ヒットしたポップス黄金時代の名曲!! 当時日本でヒットしたシングル盤「ヤング・ワン」はノー・ストリング・ヴァージョンでしたが、イギリスではバックに弦楽器演奏が加えられていました・・・1959年の夏に発売の(Living Doll)がゴールド・レコードを記録しましたが、1962年発売の、この「ヤング・ワン」もゴールド・レコードを記録~~~ビートルズ登場以前のイギリス・ポピュラー音楽界のアイドルのクリフは中心アーティストとして人気を集め、今でもコンスタントなレコーディング活動やステージに活躍しています!! 本名がハリー・ロジャー・ウェッブのクリフ・リチャードといい、1940年10月14日インドのラック・ノウの生まれ・・・7歳の時に一家はイギリスに移住、14歳~15歳の頃からロックン・ロールに影響され、心秘かに歌手を志すようになったのだそうで~~~友達と学生ローカル・バンド「クィントーンズ」を結成、その後に、ディック・ティーギュ・スキッフル・バンドの一員に迎えられ、このバンドでドラマーのテリー・スマートと出会い、これが後にドリフターズ(=シャドウズ)結成となり、レコード・デビューと連なっていきました!! クリフはこのバンドに数年間在籍しましたが、短期間ですが音楽活動を中断し、エンフィールドの工場で事務の仕事に就き(父の意見・忠告に基づく行動だったといわれますが)ますが、音楽活動・歌手への夢は諦めきれず、1958年春にはテリー達とミュー・グループを結成し、再び動き出します!! クリフ・リチャードとドリフターズのスタート・・・オリジナル・メンバーはテリー、イアン・サムウェル、ケン・パヴェイで、イレギュラーとしてノーマン・ミッサムが時々活動を共にしていました!! バンドはロンドンのクラブで演奏活動をしながらレコード・デビューのチャンスを狙っていた時、クリフは自費でプライヴェート録音の「Lawdy Miss Clawdy / Great Balls Of Fire」を製作、これが英コロンビア・レコードのプロデューサー、ノリー・パラマーの耳にとまります・・・ノリーはクリフとドリフターズに早速自社のレコーディング・テスを受けるように指示~~~結果はめでたしで専属契約が結ばれ、1958年夏にデビュー・レコード「Move It / Schoolboy Crush」を発表~~~クリフとドリフターズのデビュー・レコードは全英国2位を記録、このヒットに追いうちをけるように秋からカリン・トゥインズと一緒に「ナショナル・ワイド・ツアー」が実施されました!! ドリフターズはジェット・ハリスの提案と言われますが、1959年秋にバンド名を「シャドウズ」と改め、メンバーも、テリーを除いてハンク・マーヴィン、ブルース・ウェルチ、ジェット、と一新・・・その間にも、クリフとドリフターズは「High Class Baby」、「Mean Streak」など4曲を発表して着々とトップ・スターの階段を昇ります~~~人気を決定的にした初めての全英1位のゴールド・デスク・ヒット「Living Doll」が1959年の夏に発売されました!! 1959年はクリフとドリフターズにとっての音楽活動の分岐点になります・・・ドリフターズはクリフと行動を共にする一方、1959年1月からは単独でレコーディング活動を始めていますし、クリフも彼らと一緒に活動をしながら、そのカラーは「ソロ歌手」の様相を一段と強めていきます!! 「Move It」に始まったヒットは、その後も、「Travellin’ Light(1959年全英1位)」、「Please Don’t Tease(1960年全英1位)」、「The Next Time / Bachelor Boy1958年全英1位」」、「The Minute You’re Gone(1965年全英1位)」、「Congratulations(1965年全英1位)」、など続々と、1969年迄に60曲近いです!! 1959年から66年まで、イギリス国内の最優秀男性歌手のトップ・ポジション(イギリスのニュー・ミュージカル・エクスプレス紙の人気等票)を維持していました!!映画でも、1959年「若き非行の群れ(Serious Charge)」とか、1960年「女体入門(Expresso Bongo)」などに出演していました。
2011.10.15
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