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私 : 冒頭 、 佐伯教授 は、 評論家の西部邁氏の逝去 についてふれている。
俺 は、 西部 氏は、はじめ、 田原総一朗の「朝までテレビ」の論客 として知っていた。
その後は、 インターネットで、「西部邁ゼミナール」 をよく見ていた。
2014年のゼミナール で 健康食品の「まこも(真菰)」の話 をしていたが、これ本来 「まこも」の粉末を溶かして飲む健康飲料 なのだが、 西部氏は、入浴剤とし愛用していた という。
この粉末の色は黒色なので、黒い湯につかって、 しかも 殺菌作用 があるのか 湯は入れ替えなしでいいのだとして 、 30年来愛用 していると言っていた。
西部氏が、評論家になった最初の書の題名は「まこも党結成宣言」だというから、「まこも」ファン であった。
俺 は、試しに カタログだけ取り寄せたが、4年経った今でもカタログが宣伝で郵送されてくる 。
A 氏 ;それほど、 健康に注意していた西部氏 は、 2年位前から、病気だといって、帽子をかぶり、手袋をはめて出演するようになった ね。
ネット情報 だが 、 西部 氏 は 、 「 掌蹠膿疱症 」 の影響 で手の皮が剥け、爪が侵されているため毎日薬を塗っており包帯をする代わりに手袋をしていた という。
「掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)」 は、 皮膚病の一つ。手掌・足底に無菌性の膿疱が反復して出現するという、基本的に慢性難治性の疾患 だという。
私 : 「まこも」の効果 がなかったんだろうか。
奥さんは20年ほど前から病にかかっていた ようだ。
3年くらい前に 「西部邁ゼミナールー」で、女性の漢方医が登場 したとき、 その医院が横浜にあったので治療に行ってみた 。
そしたら、 病院 の 玄関で、西部氏とばったりすれちがった。
西部氏と直接、顔を合わせたのは、そのときだけだった。
西部氏が治療に通っていると思ったら、奥さんがその漢方医の治療に通っていた のだった。
そのときから、 2年後の2014年に奥さんがなくなっている。
A 氏 : 2018 年 1 月21日、午前6時40分頃、「父親が川に飛び込んだ」と西部氏の家族から110 番通報 があり、 駆けつけた警察官が救出したが既に意識がなく、同日午前 8 時 37 分に搬送先の東京都内の病院で死去。
享年 78 歳 。
私 : 佐伯教授 は、「 西部さんの最期は、ずっと考えてこられたあげくの自裁死 である。 彼をこの覚悟へと至らしめたものは、家族に介護上の面倒をかけたくない、という一点が決定的に大きい 。 西部さんは、常々、自身が病院で不本意な延命治療 や施設で介護など受けたくない、といっておられた 。 もしそれを避けるなら自宅で家族の介護に頼るほかない。だがそれも避けたいとなれば、自死しかないという判断 であったであろう」という。
A 氏 : 超高齢社会 とは、 人の死に方という普遍的なテーマの方に、われわれの関心を改めて振り向ける社会 。
近代社会が排除し、見ないことにしてきた「死」というテーマにわれわれは向きあわざるを得なくなっている。
私 : 佐伯教授 は、「 『死』は、あくまで個人的な問題なのである。『死の一般論』などというものはない。自分なりの『死の哲学』を模索するほかない。西部さんの自死は、あくまで西部さんなりの死の哲学であった。ただそれは、『では、お前は死をどう考えるのかね』と問いかけている。答えを出すのはたいへん難しい。だが、われわれの前にこの問いがおかれていることは間違いないだろう 」という。
しかし、そう言われても、 凡人である俺にとって、西部氏のような「自死」の決断はできそうもない ね。
惜しむべき知性 の ご冥福を祈る。