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日々の体温、室温、SpO2、脈拍の記録をほぼ6年前から取っていました。ヘルパーさんにも書いてもらいましたので、紙に書き連ねていました。今になって、Excelにデータとして取り入れることに苦労しています。データから図に変換してみると1つの特徴が表れました。 未だ直近1年分しか出来ていませんが、何かの参考になるかも知れませんので、下にSpO2 と脈拍数の変化を示します。 横軸最初の42090と言う数字は昨年の1月21日に対応しています。最後のデータは今年の1月19日のもので、亡くなる4日前のものです。SpO2が95-100の間から、90-95の間に急に下がった時とほぼ同じ時期に脈が100前後から下がりはじめています。短い時期で見ていると分からなかったのですが、数ヶ月の単位で見ると明らかに何かが起こっていたことが分かります。 この時に何が起こっていたのかを調べてみると、6月中旬の1日だけ、39度近い高熱が出て、抗生物質と熱を下げる薬でほぼ元の状態に戻ったことが分かりました。6月上旬(データの空白部分)に胃ろうの交換のために1週間ほど入院しましたが、これは関係ない様に見えます。 SpO2と脈拍数が一時的に落ちた時期が8月下旬でした。この時は不思議なことに室温が25度以上と高かったのに、体温は36度付近から上がらなかったことでした。室温と共に体温が変化するのが普通で、この様な事は以前2-3度有っただけだと思います。それも1週間程度でしたが、この時は、前後1ヶ月近くも続きました。 今年1月10日を過ぎると脈拍が60を下回る時が出てきましたが、この時、気がついて何かをすべきだったのでしょうね。データを紙に書き留めるだけではなく、見やすい図にしておけばもっと早い内に気がついたかも知れません。何も出来なかったとは思いますが。 突然死でも何かがあるような気がします。
2017.05.14
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少々長くなりますが、家内が死亡した当日のことを思い出すままに書きます。ご勘弁下さい。 あの時はどういう気持ちだったのだろうか?今でも分からない。「嘘だろう」とか、「ちょっと待ってよ」という気持ちは有ったと思う。 2017年1月20日(金)朝、4回目のショートステイに家内を送り出した。体温もバイタルサイン(血中の酸素濃度(SpO2)や脈拍数)も正常値が続いており、「今回も恵まれたな」と思い、安心し切っていた。 地域の自主防災組織の総会と新年会が土曜日にあり、次の日曜日は、久し振りに何事にもしばられない日として、朝寝坊をし、ゆったりと過ごしたと思われるが、今となっては、はっきりした記憶は残っていない。 23日(月)15時半頃、妻はいつものようにショートステイから帰ってきた。「少しゼイゼイしているな」という印象はあったが、いつもあることなので、大急ぎで着替えをさせ、ベッドにつれて行き、SpO2を測定する装置を付けた。驚いたことに、SpO2値は90から大きく下がっていたので、大急ぎで、痰の吸引を行った。 所が、SpO2値はほとんど上がってこない。2回目、3回目の痰の吸引を行ったが、逆に妻の唇が青くなってきた。 大急ぎで、かかりつけのお医者さんに電話をして、「酸素ボンベがあったら持って来て欲しい」というようなことを言ったと思う。医者は、「すぐ看護師を派遣し、自分も行く」というようなことを言ってくれた。2階に住んでいる次男の嫁さんにも連絡をした。嫁さんは、息子にも連絡を取ってくれた。 電話後、ベッドに戻ってみると、見ている目の前で家内が静かに目をつむるところであった。すぐに脈拍数を示していた測定器の表示板がゼロになり、アラームが鳴り響いた。 ベッドには柔らかいエアマットが敷いてあり、心臓マッサージが効果的に出来ないことが分かっていたので、大急ぎで、家内を抱え上げ、床に寝かせ、心臓マッサージと人工呼吸を行った。痰の吸引も引き続き試みた気がする。 このままではまずいと思い、2階から降りてきた嫁さんに心臓マッサージを引き継いでもらい、AEDを取りに走った。自治会集会所にAEDが配置されたばかりで、丁度12月に防災訓練の一環として、心臓マッサージとAEDの使用法の講習会があったばかりであった。 AEDを持って帰ってくると、看護師さんが到着していて、心臓マッサージとAED設置を手伝ってくれた。AEDは、無情にも「適用にはなりません」ということで、ただただ心臓マッサージを続けるしかない状況になってきた。 この間、看護師さんがお医者さんと連絡を取って、「もう諦めた方が良い」と伝えてきた。私もあわてていたようで、人工呼吸を、最初は教科書通り口を介して行っていた。気管切開していた訳ですから、口から息を吹き込んでも肺には到達しないはずだった。2-3回やった後に気がついて、気管切開した部分から息を吹き込んだ所、その部分から血が混じった液体が吹き出てきた。 さすがに私も「もうダメかな」という気持ちになった頃にお医者さんが駆けつけて来てくれた。後で聞いた所、診療所を開いている時間であったが、「患者が少なかったので来ました」と言う事で、てきぱきと「死亡診断書」を書いてくれた。 妻はまるで眠っているようで、心臓マッサージをしている時は、「おーい、いい加減に起きてくれ」と心で叫びながら心臓を押していた。苦しむことがなかったのが不幸中の幸いと言うことなのか。 お医者さんは、「この病気は、こういうものなのです」と言い、看護師さんも、「奥さんは、頑張って家まで帰ってきたのだと思います。そうでないと死ねないと思って」と言ってくれた。この言葉には、さすがに泣けてきてどうしようもなかった。 大急ぎで、葬儀屋へ連絡し、友人にも連絡している間に、看護師さんはエンジェルケアをしてくれていた。 どういう訳か、次の日に予約していた眼科医の先生の訪問診療をキャンセルする電話連絡もしていた。冷静すぎないか? 上記のことは、家に帰ってからのことで良かったと思う。これがショートステイ先で起こったら、目の前で起きていなければ、とても信じられなかったと思う。「あんなに元気だったのに」、「SpO2もずっと90を超えていたのに」、――。もし、ショートステイやデイサービス先で同じ事が起こっていたなら、その職場の人に、「あなた方が何かをしたに違いない。訴えます。」となっていたように思う。後で訪ねてきたショートステイの職員の方も「信じられない」という様子だった。 後になって気がついたことだが、どうしてあの時、救急車を呼ばなかったのだろうか?救急車には、酸素ボンベが常備されているはずである。救急車の中で死亡が確認されたら、病死ではなく、事故死扱いになったのだろうか? はっきりしたことは分からないが、多分、最初は大事とは考えずに医者に電話をしたのだろうと思う。後は、進行がとんでもなく速く、救急車を呼ぶことまで頭が回らなかったのだと思う。冷静だったのか、混乱していたのか、今でも分からない。 私の処置に間違いがなかったのだろうか?気管から血が混じった液体が出てきたことから、痰の吸引のやり過ぎが疑われる。2回吸引してもSpO2値が上がってこなかったので、回数は覚えていないが、最低でももう1回は吸引していたはずだ。後でお医者さんに聞いた所、「痰の吸引で死ぬことはない」とのことだったが、今でも心に引っかかっている。 もう1つ間違ったかなと思うことは、酸素ボンベのことである。胃ろうを設置したことで、栄養状態が良くなり、体重のコントロールも出来るようになったので、大変良かったと思っている。気管切開も、口から肺へ入る食べ物や唾液等が減少し、誤嚥性肺炎にかかることもなくなり、結果的には大変良かったと考えている。気管切開をした時、酸素ボンベ無しで自力で呼吸が出来るようになったことは、大変な驚きで有り、喜びであった。 気管切開後、初めてショートステイ先が見つかった時、早速呼び出しを食らった。「SpO2値が90前後から上がってこない」と言う事で、行ってみると酸素ボンベがつながれていた。「こんな状態が4-5日続く事がありますが、又元に戻るので大丈夫ですよ」と言って、納得して、酸素ボンベを外してもらった。後で聞いた話だが、この施設に勤務しているお医者さんが、「SpO2値が小さい状態で、徐々に体力、生命力が落ちてきていたのかも知れない」、又は「体力が落ちてきていた状況を反映していたのかも知れない」というようなことを言っていたと間接的に聞いた。 酸素ボンベを事前に購入しておくことが出来なかったのだろうか?また、SpO2値が90前後の時に酸素ボンベを使用すべきではなかったのか?何となく、あと3年、発病後20年は大丈夫と、根拠のない自信に惑わされていたのではないかと悔やまれる。
2017.05.07
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