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あのエミール・クストリッツァが到着、マラドーナの映画のこと、あるいは、パンチョ・ビジャが幼いときからの憧れで、その映画を撮ろうと思っていること。
ノンスモーキングバンドのライブも欠かせない(いま、出不精のわたしは縁がないが)。
それに先立ってグアダラハラにもうひとりのアイドル(!)が到着。
マヌ・チャオ。
サパティスタに学んだことは数多いと発言。
とりわけ二年前のサン・サルバドル・アテンコでの警官隊らによる地元民衆への抑圧を国家テロと発言したことにより、内務省からにらまれ、追放処分の一歩手前までにいたる。
アテンコとは、ニホンでいえばナリタ闘争みたいなものであるが、メキシコ国家がその威信をかけて手向かうものを力でねじふせ、見せしめにしようとしたもの。
メキシコでは68年のトラテロルコ虐殺が国家テロとして末永く弾劾され、しかし過去のこととしてみなされてもいるが、似通った性格の暴力がいまだに顕在だということ。
見せしめということで、投獄されたひとたちはいまだに釈放を許されない。
それをマヌ・チャオはするどく意識していて、かような発言になったもの、きわめてアクチュアルな態度といえる。
それにたいしてエミールのロマンチック・レヴォルーションへの思い込みには、ちょっと距離をかんじる。
いっぽう、ピーター・ガブリエルもメキシコでライブをひらく。
ついでにメキシコの大統領に接見し、フアレス市の女殺し対策を訴える。
アーティストといえども、つねにその態度がとわれている(もちろん、まったく反社会性に閉じこもるというのもひとつの選択である)
(叙述がやや粗くなっている、もっと調べて綴ればよかったが。。。しかしこのところ、Kに引き摺られる暮らしをしているもので)