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子供の頃からお札を同じ方向を向けて、きちんとたたんでいた記憶がある。
硬貨も、当事500円硬貨はなかったが、1円、5円、10円、50円と別々に、居場所を造っていた。
確か、中学生のころだろうと思う。
100円札の肖像画が(板垣退助)だったと知ったのは・・・・
残念ながら、当事の1万円札の肖像画の聖徳太子は、お年玉の中には入ってはいなかった。
お年玉を集めて、千円の聖徳太子が1万円の聖徳太子に変わると、嬉しくて、アイロンをかけて、当時の切手アルバムに挟んでいたらしい。(母から聞いた)
当事は、千円も五千円も1万円も聖徳太子の肖像画であった。
幼稚園に行く頃に、千円札が変な顔のおじさんに変わって、悔しかったのも覚えている。
伊藤博文に変わったのである。
五百円札もあった。
岩倉具視であった。ショーン・コネリーに似ていたと記憶している。
(清貧)という言葉を習い、子供心に、(クソ食らえ!)と思っていた。
銀行員で渉外をしていた時に、あるジジイに、(銀行員は正直で真面目な人がおおいな!けど、必ずしも恵まれないのは、潜在意識の中で、お金の奴隷になっているから、お金の勝ち組遺伝子のスイッチが入れられないんだ!)といわれた。
そりゃそうだ!扱うのはお金という商品であり、お金ではないという矛盾した環境の世界で、頂く給料こそが唯一のお金であり、目の前にあるお金は、お金ではない・・・
堂々巡りの世界である。
お金持ちになりたいという欲求は、人間の進化の方向と一致する(快)の欲求ですから、これが意識の深いところへ定着すると(自動目的達成装置)は、順調に動き、実現の方向へと自分を導くというのだ。
人間が持っている勝ち組遺伝子、つまりはヒトノゲムに組み込まれた(生き残り、幸福になる=金持ちになる)というプログラムが、銀行員という職業では、発揮できないという意味のことをジジイに今思えば、いわれたのである。(貧乏は美徳である)という発想は、貧乏人の発想だよ!
(お金がない人が愛されるのは、間違いか事故なんだよ!)とジジイにいわれた記憶がある。
子供の頃からどうも私は、お金の持っているパワーだとかスキルよりも、お金そのものが好きだったようなきがするのである。
お札そのものが持っている、ザラザラ感であるとか、陰影だとか、他にも色々あるが、お札が好きだったようなきがするのである。
けれど大人になった今、恥ずかしくて、(私はお金が好きだ!)とは口にできない・・・
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